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2019-02-28

任期付きバイオ助教最後

題名にある通り私は某旧帝大で特任助教バイオ系)をしており、今年の3月末で任期が切れますアラフォーです。

4月からの勤務先はまだ決まっておりません。

ここ二年の間アカデミア、民間企業等多岐にわたって職探しをずいぶんやりましたが、結局就職先は一つも見つかりませんでした。

アカデミアに関しては南は沖縄から北は北海道まで日本全国で様々な大学バイオ研究職に手当たり次第に応募しましたが、全て落ちました。面接では練に練った研究計画を余すことなく熱意を持って伝え、面接からもお褒めの言葉を頂いた事も何度がありましたが、結局全滅しました。

民間企業に関しても軽く30社は応募しましたが、面接に辿り着けたのが数社で、全て不採用でした。

もうここまで来ると職探しをする気力は消え失せてしまいました。

もうアカデミアも民間企業も持ち駒は一つもなく、今はただ来月末の任期満了日を怯えながら待つのみです。

4月からどうすればいいんだろう。。。どうしよう。。。私は独身で、頼れる身内も一人もいません。人生つみました。

世間では研究者はすごく大変だけどやりがいのあるかっこいい仕事だと思われてるようです。昨今の日本ノーベル賞受賞者の影響もあるでしょう。しかし、研究者は能力がなければ目も当てられないくらいに悲惨です。(私です。。)素質に恵まれた極少数の研究者は非常に良いですが、大半の研究者はそうではなく、早晩窮地に追い込まれることになります。(私です。。)

思い返せば、私は小さい時から研究者に憧れていました。高校では必死勉強して、現役で東大理一に合格し、その後も理学部を経て理学研究科で博士号を取得し、自分は将来東大教授になるんだと信じて疑いませんでした。しかし、今思うと、理学研究科で大学院生をやってた時既に自分研究者に向いてないという事に気付くべきタイミングが少なからずあったように思えてなりません。詳細は省きますが、当時の指導教諭や先輩(今は某旧帝大准教授です。。)から私が研究者を目指すことをやんわりと否定するようなことがあったことを思い出します。結局研究者としてやっていけなくなっていまこのようなにっちもさっちもいかない状況になってしまったので、やはり彼ら(研究者としての素質を持ってる人たち)の指摘は正しかったし、素直に彼らの指摘を受け入れて、大学院生時代キャリアチェンジを図るべきだった(就職医学部編入とか)と意味のない反省をしてます博士時代の同期は何人かいましたが、途中で中退して、医学部編入したり、民間企業官公庁にでていった人が結構いました。今思えば彼らの選択が正しかった思います。素直さのなさと視野の狭さが私の欠点であり、その欠点のせいで人生がこうなるとは予想してませんでした。

博士号取得後は別の研究室に移りポスドク(激務薄給労働者)として一日も休むくことなく馬車馬のように働きました。ポスドクをしてた時にも今思うとやはり研究者としての限界を思い知らされる様な出来事がありました。(ご想像のとおりです。)この時も現実を受け入れる事なく、そのままポスドクとして残ってしまいました。ひょっとしたらくだらない自尊心のせいで、自分研究者としてやっていくのは無理だという残酷事実から無意識的に逃避していたのかも知れません。

数年に渡るポスドク生活の後、運良く(今思うとここで自分人生の運を全て使い果たしのかも知れません。)今の特任助教の職にありつく事ができました。しかし、研究世界非情もので、才能のない人がいくら努力しても上手く行くことは決して無く在任中にたいした成果も出せずに気が付けば任期満了まで一ヶ月というところまで来てしまいました。

昨今大学研究者を取り巻く環境悪化の一途を辿っており、任期無しの研究職がどんどん少なくなり、その一方で任期付きの研究職の割合が日に日に高まっています。このような状況のせいで自分研究者になれなかったのだと不平不満を述べる人が多数いますが、私はそうだとは思いません。やはり研究者になれない人(私も含めて)には素質がないのです。素質が何なのかは難しいところですが、結局任期無し大学教員という職を巡る椅子取りゲームで勝つのはやはりふさわしい人なのです。終わりのない椅子取りゲームに見えますが、研究者として生き残る人はなんとなく決まっているように思います。(ここらへんは私自身の勝手想像です。自分研究者になれなかった脱落組なので。。)

繰り返しますが、研究者は素質がないともうほんとに悲惨です。自分に素質があるかどうかは割と早い段階で分かるはずなので、いま大学院等で研究者を目指して奮闘している方達(特にバイオ系)には時期を逃すことのないよう気をつけてほしいと思います

また、アカデミアのよろしくないところは、成功者経験ばかり語られて、落伍者の声は闇に葬り去られてしまうところだと思います成功談も大事ですが、それ以上に失敗談にこそ学ぶべきところがあるのだと悟っています

ああ、4月からどうすればいいのやら。今後の人生はどうなることやら。任期満了日が過ぎたら、その後は社会底辺彷徨いつついつか年老い死ぬ日をひっそりと待ち続けるのみです。

2019-02-23

anond:20190222235410

はあ。高校先生やみんなと受験に関する情報を共有できなかったのでインターネットで調べたりしてたんですが、これじゃあ何かが変なのですかね。数3を学んでいなかったので数1A2Bで受験できる近辺の「情報」系学部を探してみたら、たまたま旧帝大だったというわけです。また別の県立大が他県にあったのですが、生活凸凹なので一人暮らしはさせられないとのことで県内にあった大学を目指していたのですが。ただ確かに受験への関心というところで、僕はひとより一回りも二周りも遅れているというのは自負しております。先日の受験校の選択も変だと言われたばかりですので…。

2019-02-22

anond:20190222230203

まず、「情報系の学部のある旧帝大」という言葉が出てくる時点で旧帝大受験するレベルに達してないことがわかる。学力とかでなく、関心が低すぎる。

フリーターになるべし。

2019-02-19

anond:20180920141302

世代の上位2割じゃエリートって言葉には無理があり過ぎるだろ。

大学進学率が5割ちょっと(Fランも含めて)だから、その中では上位4割程度に相当するわけで、それじゃああまり普通過ぎる。

ちなみに旧帝大卒で2%くらいだが、それでも地方旧帝大だと結構バカにされてたりするぞ。(周りに東大出がゴロゴロいるような環境だと)

2019-02-17

一年地方マッチングアプリを頑張ってみた

転職で今の職場引っ越し一年半、30歳(活動開始当時)の大台に乗って焦りを感じたけど自分から動かないと出会いがないと気づいて動いた

地方工場勤務の人間活動メモです。

自分の振り返り1/3、愚痴1/3、同類への情報提供1/3くらいの目的で書く気になりました。

基本情報

現住所 地方10万人規模の都市一人暮らし

出身  同県内実家まで車で片道1時間半)

学歴 旧帝大東大京大にあらずかつ実家から最寄りの大学ではない)

現職 メーカー工場勤務(土日休みの勤務体系)

収入 額面約450万円

その他 自家用車あり

    ごはん友達はできたけどまだ独身のままです。

はじめに

結論だけ言うとツールOmiai or Pairs (使ってないので判断しきれないけどwithやゼクシィも含めていいかも?)あたりの

アプリの中でも比較的真面目な出会い目的アプリだけでいいです。

カジュアル出会いアプリが悪いとかでなく、地方だとそれらのアプリにも上記まじめな出会い目的女性重複登録してて(自己紹介からもそれが読める)

ノイズが大きすぎてカジュアル出会いアプリカジュアル用途として機能してない。

街コン10ちょっとでLineIDゲットして飲み会後に返信もらえるような能力があったらマッチングアプリに手を出してない。

1回目に会った時のお茶代おごってもアプリ半年分まとめて課金したほうが同じ金で街コン行くよりは打率が高いと判断しました。

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2019-02-14

増田年収600万円で子供2人を大学行かせるのは無理!」

年収400万円で3人を全員大学に送り込んだ俺の両親は異端だったのかな。

ちなみに私立学費半額免除)、国立旧帝大学費全額免除)の3人。

2019-02-04

anond:20190204152921

そりゃ、九大でいいなら遊んで入れるやつはゴロゴロいるだろうさ。地方旧帝大あたりで適当妥協したくないか進学校の生徒たちの多くは受験勉強に勤しむわけで.....

まあ、東大京大を引き合いに出すならともかく.....

2019-01-26

anond:20190126001041

うーん多少は詳しいみたいだけど、確かに受験経験しなかったのか?高卒知識レベルではあるね…

医学部」だと看護健康科学科が入っちゃう

旧帝大」のくくりもかなりレベルの低い大学が何校も含まれてるよ

2019-01-25

公務員についておもったこと。

僕は地方旧帝大4年の学生です。

メーカー内定しており、官庁系はあまりよくわからないですが、Twitterに書くとめんどくさそうなので、こっちに思ったことを書きます

公務員特に国家公務員の削減や給料カットメディアから叫ばれて叩かれ20年くらいなわけじゃないですか。

削減はもとより待遇悪化することで、少なくとも20年前あたりから官僚の質は下がるわけですよね。そうなると、後続で入ってくる人たちも質が落ちる。加えて、質が下がった人たちが後輩たちを指導するわけなので、質の低下はかなりの加速度を持つわけです。

一方で官僚天下り廃止になったわけじゃないですか。官僚になるような人って少なくとも旧帝大、多くは最高学府で学んな人たちなので、官僚を選ばなかった場合得られたであろう生涯年収天下り先で補填する意味合いがあるんだろうなと思っていました。勿論、何がいけないかはわかってますうまい感じに処理したよくできたシステムだなーと思うわけです。

また天下り批判してるような層ってそういうところにはたどり着けない僻み・妬みが主感情で動いてるよなって思うところはあります

天下り廃止官僚の質低下に一役を買っていると思います

こうして20年経ったところで、その辺に入ってきた人たちが、質が著しく低下した人たちが丁度本省課長部長実行部隊の決定権を持つクラスになるわけですよね。

今回の厚生省基幹統計不祥事はそれが明るみに出ただけなんじゃないかなーと。

省庁に行く大学同期や先輩を見てる中で、こういうのはとても辛いです

すぐにでも待遇改善していかないと、行政府は耐力に限界が来ていて、紙一重で持っているなという感じです。その紙が擦り切れてしまうのも、もう目の前に来ていて、擦り切れた先には国民がってところですね。

公務員も下を見れば、仕事しないできない税金泥棒がいて、そいつらのために待遇改善させるのは…って感情論もわかります

ただ、少数の無能のために、多くの有能を潰していくのは頭が悪いよなとも思います

そんなの無視してまずは待遇改善したほうがいいんじゃないですかね。

クロネコヤマトがもはやそれを実践してくれたじゃないですか。

僕もこの文章は調べたわけではなく、伝聞がほとんどなので、感情論によるところが大きいとは思います

統計的なところや時系列的なところ、その他事実が異なるところがあれば教えてください、優秀なブクマカのみなさん。

2019-01-23

anond:20190123174530

旧帝大クラス学校飲み会ですらモラル崩壊してたりするから

旅館に泊まった時に東京大学○○サークル様みたいな集まり宴会してたけどすげー暴れてたし

自称東京大学○○サークルってだけで実際は東大じゃなかったのかもしれないが)

2019-01-21

クズ

中高帰宅部地頭は悪くはなかったかさらっと勉強して某旧帝大には合格

ももから気力があるような人間ではないから家に引きこもってばかり。

実家通いで小遣いも貰えるし、趣味もない友達もあまりいないから金を遣わずバイトもやらない。

もちろんサークルもやっていないので、単位取れるギリギリラインでサボってばかり。

20卒だから就活開始してるんだけど何にもしない。やらなきゃと思うのに体が動かない。

ただだらだらと本を読むかゲームをして一日を潰す。

もっと他にやるべきことがあるのに。

別に家庭に問題があるわけじゃない。父も母も立派な人だし、裕福。

甘やかされているというよりは、きちんとやるべきことをやれと言われているのに俺がなあなあでごまかしているだけ。

妹がひとりいるが、俺とは対照的に活発でしっかりしてる。

結局俺自身精神性と甘えが何もかも悪い。

やらない言い訳ばかり探している。就活関連で探しているのはどこがブラックだとか労働基準法がどうかとかそんなのばかり。

俺にはそれ以前にするべきことが山積みなのに。

同期はきちんとやっているからどんどん差がついていく。当然の結果。

どんどん投げやりになっていく。首を吊ろうとして紐が切れた失敗した。跡はつかなかったから親にはバレていない。

親はこんなクズでも死んだら悲しむに違いない。紐が切れたことは、自殺を選ぶ権利なんて俺にはないことを象徴してるんだろうと思った。

朝起きるのは得意で、いつも必ず6時に目を覚ます。でも、どんどん起き上がるのが苦痛になっていく。甘えている。

中学の時、仲が良かった友達高校中退してフリーターになった。大学受験を控えていた俺は正直彼を見下していた。

最近見なくなったと思ったら、一念発起してイギリスに行き、そこでフォトグラファーになったと、去年の成人式で聞いた。少し田舎学校から大学に進むやつはほとんどいない。良いとこ高専。でもみんなしっかり働いていた。自分の面倒を自分で見ていた。そういうことを妙にはっきり思い出す。

苦しい。そんなことを訴える権利はないのに。やるべきことをやらなければならないのに。

体だけ大きくなって、中身は何にも変わらないままのおこちゃまが、小難しい本ばかり読んで悦に浸って生きている。自分の面倒を自分で見られない癖して。

今日、授業をサボった。まだベッドから体を起こせない。声だけ元気に作って仕事に行く親と学校に行く妹を見送った。

何をするでもなく、スマホを手にとってだらだらやっている自分がたまらなくなって、誰もみやしないまとまりのない長文を無意味に書き連ねている。

家族夕方まで帰ってこない。いい天気だ。コードなら簡単には切れないと知った。それにしてもよく晴れている。

2019-01-18

ニートしてたけど、明日センターだー

三春学校に通えなくなり、うつの診察を受け、それから通院しつつ休養。先生単位アドバイスを受けつつ、午後からとか6時間目だけとか出席しながらなんとか卒業できて、卒業浪人してた。って言っても相変わらず自律神経がいかれていて朝は起きれないし、躁のけがあって学習計画もかなりめちゃくちゃなひどいものだった(例えばある日は「旧帝大なら絶対いける!」という気になりすごい勢いで机に向かうのだけど、次の日には「そんなの無理に決まってる」と布団で一日過ごしたりしてた)。結局、周りからたらこ一年ニートのように過ごしていた。ひどいもんだよ。昼に起きて、何したか覚えていないまま夜になって、寝る。それの繰り返し。死にてー。

今も大学病院に通っていて、なるべく1日の活動時間を増やせるよう睡眠リズムをずっと調整している。僕はこの一年あくまで休養の一年と捉えるけれど(だからもう一年勉強のために欲しい!とあらぬ欲をおこしてしまう)、僕をとりま世界がそうも長い時間穏やかに待ってくれないのも事実であると感じてる。なんだかんだで学歴は欲しい。けれど今年はダメだった。じゃあ来年は?来年ちゃん勉強できるの?と頭でぐるぐる考える。僕はまだ19歳で成功経験も乏しく、それでいてうつ患者であるから、はっきりと「来年は元気になって、ここら辺の大学を狙える」と断言できない。うつになってからずっと自己分析をずっとずっと続けてきたけど、あるところで「でも自分信用できないな」という結論にたどり着き、その時は目の前が真っ暗になった。躁うつはこう言った点でもすごく厄介な病だと思う。

いやー。何してたか一年。ほんと何もしてない。センター前日くらい何かするだろうと思ってたけど漢文テキスト開いただけだった。やだなー。一年、つらかったなー。手帳とかiOSメモ思考足跡が残っているけど、それを見るとものすごく悩んだ、悪く言えば悩んだだけの一年だったみたい。つらかった。両親とうまくいかなかったな。人間として色々おかしい面がある。対話ができなかった、悲しい。家を出たい。でも一人暮らしをしたら生活リズム的に退学コースだろうと簡単想像できる。つらい。

ニートみたいな生活だったけど、ニートみたいな生活の中で人間的に成長できた面も多くある。いろんな観照や諦念が得られた。それらはこれから人生においてきっとかけがえのないものになるであろうと予想する。二浪するかは知らないけれど、まあとりあえず明日センターは頑張って行こうじゃないかという気でいる。

2019-01-14

anond:20190114184303

学部によって事情がかなり異なると思います法学部系であれば、地元公務員では最大派閥です。早慶なんか目じゃありません。教育学部も同じ。文学部系は学者になるのはちょっときびしいので高校先生をめざしましょう。理学部工学部学部勉強では旧帝大と遜色ないカリキュラムが受けられます。しっかり勉強して東大京大の院に行く人も沢山います駅弁大卒からノーベル賞を取った人が3人もいます私立大卒からは一人もいません。ただ、少し前に富山大企業社長県内出身者は採用しないと発言して物議を醸したことがあります地元が好きで地元に貢献したいというのは素晴らしいことですが、地元しか知らないというのでは比較対象がないので、成長に限界があります若いうちにいろんなところに言ってみましょう。その際、東京よりも世界を見てきた方がはるか勉強になります東京若者でも海外に行きたがらない人が増えているので、マウンティング仕返すことも簡単です。海外経験して視野が広がれば学歴マウンティングなんてどうでもよくなりますけどね。

anond:20190114184303

地方出身関東の有名私大卒で、地方出身地ではない)国立大教員工学部経験者です。

地方国立大には、地元出身者と、とにかく国立大学を目指して、偏差値ランクで入ってくる学生がいて、私がいた大学では前者の方が全体的に伸びしろが大きいイメージでした。

学力的な意味もあるし、都会の私立大学を中心に何を教えているのか分からない横文字学部が増える中で、地方大学は基礎的なカリキュラムを丁寧に教えているので、まじめに授業を受けている学生はその意味でも基礎力が付いている印象でした。個人的には、学生に対する評価は高いです。地元出身学生には、旧帝大や有名私立匹敵する学生も少なくなかったです。

では何が違ったか

それは、ここで出てきた「情報を調べてマウンティングする能力」に近いものかも知れません。

東京は、何かのレベルが高いというだけでなく「その価値観を、メディアを通してあたか普遍的もののように発信する」ことに長けたところです。東京にあるものや、東京の人が見たり食べたりするものを、あたかも全国で流行っているかのように発信します。そして東京の有名大学に行くと、マスメディアに勤めているなど、情報を発信する側に立った先輩と会う機会も出来ます。(卒業生東京で働いているので、距離が近いのです)

で、地方出身学生は、最初そういう状況にびっくりして、次に過剰適応しようとするわけです。山手線ゲームのために一生懸命駅名を覚えたり、メディアで紹介された店に行ってみたり(近いからすぐ行ける)、久しぶりに地元で集まったときに、同級生同士で東京あるある話をしてみたり。その中で、自分出身地は自分にとっての黒歴史のような気分になってくるわけです。

地方出身者が一度は通るはしかのようなものです。あまり気を落とさず、そういうものだと見てあげてください。

今は、インターネットもあるし、情報発信において東京の優位性は昔よりは下がっています東京で生まれ育った人には見えていない現実が沢山あって、地方からそういう実情を発信していく必要があることも私自身痛感しています。ただ一方で、大きな意志決定はたいがい東京で行われていることも事実です。なので私は学生には「一度は東京に出て、人やお金情報がどう動いているか見なさい、その後、地元で働くか東京で働くか考えなさい」と伝えていました。

地方が、自分価値情報発信の必要性に気付かずに、勝手コンプレックスを抱えて自滅していくのを、私なりにも残念な思いで見ていました。いろいろな経験を積んで、東京地方か、旧帝大駅弁か、みたいな価値観に縛られずに、広くフラット世界を見れるようになることを願っています

大学について友達に見下されてどうしていいかからなくなってきた

学歴コンプ大学コンプってやつだと思うんだけど、どうしたらいいかからなくて戸惑ってる。

私は地方国立大学に行ってる。実家から通えるからっていうのと、生まれ育った地元の役に立てる人になりたいと思って選択した。

最近頻繁に、関東圏の有名な大学に行った遠方の友人たちが、大学名前マウンティングをしてくる。それで、その言われた内容を不安に思って学歴キャリアについて検索してみたら、たいてい関東圏の大学旧帝大の事しか書かれていなくて、ますます不安になった。

勿論、それらの大学偏差値が高い大学だっていうのは知っているし、そこに受かるくらい勉強を頑張ったのは素直に凄いと思う。

でも、私みたいに、地元愛着があって、所謂無名大学を選んだ人は馬鹿にされるのかな。私が進んでいるのは、正しい道じゃないのかな。私の好きって気持ちなんて、何の役にも立たない、くだらない考えなのかな、って、時々心が折れそうになる。

将来は好きな仕事をしたい、自分なりにキャリアを積んでみたいって思ってるけど、Google検索の結果に振り回されて、それが不可能なんじゃないか、私の夢は叶わないんじゃないかって凄く不安になったりして。大切な友達に見下されて、よく分からなくなってきたよ。

インターネットを控えて、友達と縁を切るなり仲直りするなり、関係を薄めるなりした方がいいっていうのは分かっているんだけれど……。

夢見すぎなのかな。多分、部活動ばっかりしてて、受験について情報収集を怠っていた私が悪い、ってことになるんだと思うけど。でも、そんなに大学名前で見下されるような事になるなんて、思ってもみなかったから。

とりあえず、明日からも頑張ります

 

追記 2019/01/15

何だか眠れなくて見てみたら、結構言及して頂いててびっくりです。普段ROM専なので、不思議な感動もあり。ため息のつもりだったけど、周りに無かった考えに触れる切っ掛けになって凄く嬉しいです。ありがとうございます

今回の件の友人たちとはやっぱり少し距離を置いてみようかな、と思います面白そうな研究が目の前にあるのに、私の人生責任を取ってくれる訳でもない彼らの言葉で立ち止まるのも勿体ないなと。

色々あって兄が沢山学費を使ってしまい、家計に気を使っての選択でもあったので、何なら自分を褒めたいと思います

機会があれば、国内海外わず、是非色々な所に行きたいです!(できれば仕事留学で……。)色々な土地文化を見た上で、故郷が、あるいは私が、どうやって戦えばいいのか、何か見出す事が出来れば良いなと思っています

2019-01-07

anond:20190107174458

地方旧帝大卒、親が大卒地方Fラン地場大手勤務だけどたたき上げ)です。

私はあなたが羨ましくて仕方ありません。

なぜかというと、大学時点で、東京に出る事が出来れば、その他多くの地方在住者とは

くらべものにならないほどの文化資本人生選択肢を知ることが出来ます

旧帝大に行こうが、文化資本なんて地方だとたかが知れています学生貧困層が多いか

文化資本って互いに学びあう事なんてできません。

東京と違って村社会なので、足の引っ張り合いがせいぜいで、メンタルが強くなければやられてしまます

自分能力を伸ばす事すら厳しいです。

親が金があろうが大卒だろうが、東京に行っていなければ大した文化資本なんてありません。

おそらく何かのコンプレックスを感じ、このエントリーを書いたのだと思いますが、

あなたがやるべきことは周りから文化資本を盗み、それを高める事です。

私はもう30になってしまいましたが、私の高校同級生関東大学に行った人は短期離職した人が多いですが、

フリーランスで好き勝手やったりして結構楽しく生きています

他方、大学同級生は勤め先こそ良いものメンタルやられてる率が多いです。多分逃げ道が分からないなどの

文化資本が足りてないからだと思います

あなたがどうか満足いく人生が送れますように。

2019-01-06

anond:20190106182753

ワイは旧帝大卒で大学同級生年収1000万前後ばかりで凸むんやけど

高校地方底辺校やったか高校同級生と比べたら年収500万でも一番多いやで

東京進学校出身だったら確実に詰んでたわ

2019-01-05

anond:20190105181140

ここで一番声がでかい連中と同じだよね。

旧帝大卒以外は人間じゃない。

マーチ高卒なんてさんざん馬鹿にされている

2019-01-03

東大生に囲まれた話

東大の話が書かれてたのを見たので数年前の自分経験を書く

自分東大受験したけど不合格になって後期試験で別の旧帝大合格して4年間過ごしてた

就職の時に国家総合職(いわゆるキャリ官僚ですね)の試験を受けて運良く試験合格した

流れとしては試験合格したら自分の行きたい省庁を選んで官庁訪問することになる

やり方は省庁ごとに異なるんだけど自分が選んだところは

控室に全員が集められて何人かずつ呼ばれる→それぞれ違う職員と一対一で話をする(ガチガチ面接ではない)

→部屋に戻されて次に呼ばれるのを待つ、ってのを一日中やってた

日中ってのは朝来て終わるのが夜9時過ぎとかそれくらいね

これに合格したら次の回に呼ばれてその次の回では別の人と面接して…を数回繰り返して採用になる

で、これ実際やってみると待つ時間が相当長いから同じテーブルの人と結構雑談してるんだよね

その中で分かったのが同じテーブルに7人中、自分以外の6人が全員東大法学部だってこと

しかも全員が少なくとも2年の時には目指してたとか言うから3年の秋から手を着けた自分とは意識の高さ(悪い意味じゃないよ)が全然違う

なんか自分場違い感が凄いし話せば話すほど自分は浅いなあと思って惨めだった

まあこんな調子なので序盤で不合格、今は別の仕事に就いてる

名前も覚えてないけどあの6人の中で何人採用されたんだろうな

北大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

こういった大学の話になると、全く登場しないことで(自分の中だけで)お馴染みの北海道大学。きっと旧帝大の中では人権が与えられていないので遠慮しているのだろう。

ということで、帰省したものの朝まで寝付けなかった私が、タバコを吸いながら書いてみようと思う。完全なる自分語りとなることを許して欲しい。

中学時代

まれも育ちも北海道だったため、なんて事のない普通の市立中学に通っていた。しかしながら、赤ん坊の頃に白内症を患い、日中殆ど目が見えず、親譲りの喘息と、アトピー性皮膚炎まで完備という、キャラメイク時のステ振りダイスが完全にファンブルっていたため、集団の中では嫌でも浮く存在になっていた。

自然光の中ではほぼ目が見えないので、通学途中に普通電柱にぶつかったりするし、体育の授業でサッカーなんてやろうものならゴールポストにぶつかったりするし、10cmくらいまで近寄らないと顔も判別できないしで、他の人から見ればどう考えても頭のおかしいやつに見えたことだろう。当然ながらいじめもあった。小学生から中学2年生くらいまでが人生で一番きつかった(しか小学生6年の時に面白キャラへの展望見出し、そのおかげで幸運にも友達もいた)。

目が見えない道中はひたすら脳内イメージを描いて妄想していた記憶がある。

そんか日々の妄想のおかげか、何故か文章能力だけはあったようで、小学生の頃書いたなんかの感想文が先生の心を打って、私に内緒で突然全文プリント掲載されたり、中学の頃書いた読書感想文では国語先生から普段から小説書いたりしているの?」などと言われていたので、自分は将来文字を書いて生きていくことになるのかと思っていた。

そんな私の勉強法はというと、まず白地のノートが見えない(日中は黒板も見えない)ので、一度だけ集中して読み込んで、短期間で暗記することにしていた。なんの参考にもならなくてすまんな。人工光の中ではなんとか目が見えていたので、普通テスト勉強などはした。

そして同じく人工光の塊であるテレビゲームが私の心の支えであった。喘息がひどくなっても、ゲームに集中していれば、なんとか発作をやり過ごすことが出来た。

ちなみに目は中学3年のときに手術を受けて人並みに見えるようになった。病院から帰る車中で見た、生まれて初めての鮮やかな景色の衝撃は今でも覚えている。

また、小学生の時から通っていた塾で出会った女の子のことを、中学から高校の終わり頃まで片思いするハメになるのだが、その子は頭が良く、とてもレベルの高い高校を志望していた。その子に出来る限り近づきたくて、志望校は少し無理をして高い所を目指したが落ち、このあたりからいよいよ根暗ロードへの扉が開いていく。

高校時代

滑り止めで受けた私立高校入学する。

特待生だったので格安で通えるという理由だけで選び、格安で通える以外何も良いことは無かった。

例の好きな子のことはいまだに好きで、その子と話すためだけに塾を続けていた。高校二年生の時に人生で唯一告白されたときも、好きな子が居るからという理由で断った。その子北海道のどこか偏差値の高い大学を受けるらしいということだけは耳にしていたため、その子との関係を続けたいがために、北大を目指した。というのは嘘だ。

実際のところは、高校受験に落ちたショックで完全に無気力になっていた。自分は何をやってもダメなんだと考えるようになっていた。物理化学テスト偏差値は当時30とかで、今思えば大学に行けるかどうかも怪しかった。特に行きたい大学も無かったし、先生からも見放されていた。

勉強に本腰を入れたのは高校三年の夏休みの終わり頃だったと思う。いよいよ将来を考えるという時期になった時、私は自分の心を支えてくれたゲームを作る側になりたいという気持ちが強くなったのだ。

そして、ゲームを作るのにはプログラム必要だということを知り、情報工学系の大学に行きたいと考えるようになった。

そのことを塾の先生相談したら、何をするにせよ基礎的な学問を学んだ方が良い、そのためには良い設備のある良い大学に行くべきだと言われ、東工大電通大に行きたいと考えるようになった。

そこから毎日塾でセンター問題を解きまくった。学校の授業中も全て無視してひたすらセンター問題を解き、過去に参加した模試を何度も何度も繰り返した。

偏差値が最低のところからスタートしたのが、結果的に功を奏した。模試過去問を繰り返すたびに必ず少しずつ点数が増えた。これが凄く面白くて、そこに自分ゲーム性を見出したのだと思う。

また、過去問を解くのに使ったルーズリーフを捨てずに毎日積み上げることにしていた。そこもゲーム化しようと思ったのだ。結果的に、自分のやったことがルーズリーフの山という形で可視化されて、それがモチベーション維持に繋がった。

そして願書を出す直前に受けたセンター模試でかなり良い結果を出し、今まで私のことは眼中に無かった担当教師も興味を示し始めた。

しかし流石に東工大には手も足も出ないだろうと思っていたので、前期も後期も電通大を受けようと思っていた。しかし件の教師にそれを伝えると、前期は北大情報工学系を受けてはどうだろうかと勧められた。

かくして私は北大生になることが出来たのであった。

当時を振り返ると、理系志望者ながら国語英語が得意だったため、センター対策二次試験対策勉強時間の配分を理系教科だけにほぼ全振りできたのが良かったと思う。

【その後】

その後は紆余曲折あって、現在ゲーム関係仕事をしている。

ちなみに好きだった子には高校三年の時に告白したが振られた。人生とはプラマイゼロだなあと思う日々である

完全に自分語り過ぎて草も生えないが、そういう人生もあるということで、どうかひとつ大目に見ていただけると。

2019-01-02

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

2018-12-24

自称帝出身者のいう旧帝大って

東大でも京大でもないことは明白だし東北大ですらないことの方が多いよね

いっそ最初から大学名を言えばいいのに

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