はてなキーワード: 定説とは
認めるも何もそれ定説やろ何を今更
https://digital.asahi.com/articles/ASR4X5W45R4XULFA00B.html
公平を期すために、Chat GPT4に要約してもらった。
防衛力の抜本的強化を目指す岸田政権が推進する、装備品開発・生産基盤強化法案が5月9日に衆院本会議で可決の見通し。法案では経営難企業への国有化が目玉となっており、専門家からは企業救済が目的となる懸念が出ている。法案は衆院安全保障委員会で与野党の賛成で可決された。政府が支援策を強化する背景には「防衛産業は防衛力そのもの」との考えがある。ただ、「不可欠な装備品」の定義があいまいで、国有化された施設の運営企業を支えるために国による恣意的発注が起こる懸念もある。
これに対して「アホか。全く逆だボケ」という事を訴えたい。特に異を唱えたいのは以下の部分だ。引用する。
前提となる「任務に不可欠な装備品」の定義はあいまいだ。国が取得した施設はできるだけ早く他の企業に譲り渡すよう努めるとの規定もあるが、実効性は不透明だ。
法案に反対する共産の赤嶺政賢氏は27日の安保委で、「採算も効率も度外視して施設を買い取り、増強し、製造をさせる。究極の軍需産業支援にほかならない」と批判した。賛成に回った国民民主の斎藤アレックス氏も「経営が厳しくなればまずは補助し、それでもさらに厳しくなれば買い取ってあげるというのは、衰退の道のりだ」とクギを刺した。
あほか。そもそも採算も効率も度外視させておいて、何を言うか。採算も効率も求めるなら、防衛産業なんぞ撤退が第一選択である。維持するなら度外視が必要に決まってるだろう。
また、経営が厳しいから撤退するのではない。経営が順調だから撤退するのだ。基本を抑えて話をしろ。
防衛産業の市場規模は3兆円であると言うのが定説だ。これはどれぐらいの金額かというと
はっきり言ってゴミ。市場が小さすぎる。そしてこの中には、いわゆる「防衛産業」には入らないものも含まれているので、「防衛装備産業」というと、もっともっと小さい。
防衛産業は、性質上「国の予算が産業規模」という性質がある。2023年の防衛予算は約6.3兆円である。多いじゃないかと思うかもしれないが、この数字は、アメリカにGDP比2%まであげろと言われたために海保予算などをぶち込んででっち上げた数字だ。
さらに、このうち、8割が人件費などが含むため、実際に民間に出てくるのは残り2割程度であり、残りが装備品に回る。しかし、現在はかなりの部分が海外からの調達になるため市場はもっとしょっぱい。
日本の防衛産業の特徴は、ほぼ「副業」であると言うところにある。最大手の三菱重工業であっても、防衛産業比率はたった16%以下しかない。そのほかの企業ならば言わずもがなである。
なので、まともな経営判断をする企業であれば、防衛に大規模な投資をすることなど有り得ない。何故なら、他に稼いでいる仕事があるからである。優先度が低くなる。
さらに、国家予算から出ると言う性質上、利益率は一律に決まっており、ケースバイケースだがほぼ1割程度に設定される。実際はそこから自社の持出が出てくるので、概ね2から3%と言われる。
これは、全産業のうち、黒字企業の平均利益率が概ね8%程度と言われるのとみると低い。さらに防衛産業が多く入る製造業に限っても、7%の利益率が当たり前であり、低すぎる。
そして、実態として殆どの企業は、防衛部門を赤字にしないために、利益率のある部門をくっつけたりとすれすれのことをして維持していると考えられ、実態は更に悪いと思われる。
では何故やるかというと
と言う事だったのだが。
見れば分かるが、これは「求人を出せばいくらでも人が雇える」時代の考え方である。しかし、実際には人的リソースは限られるようになってきた。
儲かる事業を伸ばしたいときに、簡単に人材をスカウトできない。そうすると、自社内で確保する必要がある。その時、まともな経営者であれば、利益率の低い事業を潰して、利益率の高い事業に振り分けるだろう。
最後の「技術開発」についても、防衛の技術の先鋭化により、殆どうまみがなくなった。防衛の技術を応用して民間技術に転用できるようなものなど、もはや皆無なのである。
以上の様な構造から、防衛産業は撤退する企業が出るのは当然である状況だ。それも、替えがいくらでもある、本業と同じラインで防衛産業の製品を流せる企業ではなく、防衛装置専用の特有のラインを維持しなければならないような所ほど、撤退する方が良いと言う状態である。
どうも、件の記事で「救済が目的となる」などと恐れている連中は「赤字の防衛部門を維持できなくなるほど会社の体力が無くなって、潰れそうになるので、リストラする」ということを想像しているように見える。
無意識に、防衛産業が儲からないことを前提としているのである。
しかし実際、大規模に撤退しているのは逆だ。本業が儲かっていて拡充したいので、防衛産業を潰して、そのリソースを他に宛てると言う社内再編のために撤退しているのである。特に引き続き生産を維持する為に、設備更新などが必要なタイミングで精査した結果、好調な企業が、株主に説明ができないとして撤退に至るケースが多い。
そして、件の制度はこの時「撤退するならその設備を格安で売り払え。新会社作って国有化するから人も出向や転籍させろ」ということをやろうというのだ。まさにお国のためにやれというのである。そして、制度ができてしまった。
制度ができてしまったので、企業側は世論を背景に、拒否することが難しくなってしまった。こちらの方をきちんと批判してくれ。
少なくとも、ラインの評価額ではなく、明け渡す機会損失についても含んだ金額で買い取る制度でなければならないはずだ。
新たに防衛産業に参入する企業など皆無、入っても詐欺的、あるいは思想的に偏った企業ばかりになるだろう。民間の技術の活用など夢のまた夢になる。破綻する。
少なくとも、実効ベースで1割程度の利益率が出るようにするのと、官僚的に年々一律で生産やメンテの契約金額を減らしていくやり方を変える事は必須。
生産ライン維持に、特有の特殊設備の更新が必要という事になっても、契約をそのまま維持しようとしていては、そのタイミングで撤退するに決まってるだろう。一般企業の契約形態としても有り得ない。
産業維持の効率化のために資金を供給するとかそちらもやると言っているが、そうじゃない。お国のためだと搾取する構造をやめよ。役所がコピー機を契約するのと同じノリで、防衛産業に契約を強いるな。
付き合ってられるか、という他にない。
大プリニウスが書いた「カエサル」が誰のことを指しているのか定説はない。
少なくとも後世の人間は「あの有名なガイウス・ユリウス・カエサルは帝王切開で生まれてきた」と解釈した。
アダルドビデオに『全肯定』というジャンルがある。同棲中の彼女が『仕事で嫌なことあったの?』『あなたは悪くないよ』みたいに慰めてくれるところから始まってイチャラブセックス、、、って流れの作品である。シリーズ化されてるくらいは売れてるジャンルである。てかこの「全肯定」ジャンルって、「女は自分の話に共感してくれる人を求めている」って定説と表裏一体やん。この「全肯定」はなろう系ラノベだと「奴隷ハーレム」と言い換えられる。「男は自分を全肯定してくれる人を求めている」ものであって、結局「話に共感を求める女」と変わらないってことね
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「ジャンル」という言葉を使ったのが悪かったかな。書いてる時に他に言葉が思いつかず「ジャンル」と書いちゃったけど「ジャンル」とは少し違うよな。「全肯定」という言葉は、ここんとこAVのタイトルや説明文で目にするようになったワードのことな。この記事→みたいに「プチブーム」ワードとか「プチ定番化」したワードとしとけば良かったか(→AV業界でプチブームとなってる「文系女子」というワード)。スカトロものの話をするコメントがあったけど、別にスカトロでも「全肯定」をつけられる。全肯定は作品世界の要素の一つでしかないし。これもコメントであったけどASMRの存在があったな。AV作品は他のオタエロ分野の流行り物をどんどん取り込んで作品を生み出すわけで、その1つに「全肯定」があるわけな。主観やVR作品がメインだしな。「全肯定」以外にもここのところ「優しい」とか「母性」とかいうワードもよく目に止まるな。「全肯定」は昨今のママキャラブームの亜ワードの一つとも言える。ママキャラブームに関してはTwitterでもプチトレンドになってtogetterにまとめられたりネットメディアで取り上げられてるし「バブみ」という言葉も流行って久しく、増田諸氏も認知していることだろう。主語が大きいというが何も老若の全男を主語にしたいとも思ってないし、現役エロ世代の若者の間に「優しい」「母性」「ママ」といった甘え言葉が少し前から流行の一つになっているのは事実であって、何でも受け入れてくれる女性を求めるという枠の中にママキャラと並んで「全肯定」「奴隷ハーレム」も入るという話だ。
立証できないゆえにお前以外とコンセンサスの得られない前提を元にした評価を開陳されて愚痴や批判だから受け入れろって言われても困るんだなあ
お前の倫理観(愚痴や批判であれば論文形式でなくともよく、データを示す必要もない)を採用するんであれば
「暴力について議論したい」「結婚について定義したい」とかやたら言い始めるオタクとやらも愚痴や批判だったんじゃねえの?
アニメ見ただけ漫画読んだだけ漫画の専門学校通ってるだけのオタクが暴力とは何かとか議論することも愚痴や批判として有意義だし
専門家から見たら、的外れで無知識のほぼオカルトのような議論が始まり、素人的オカルトな結論が出て、その経過にしろ結論にしろ全てに何の意味もないわけではないし
議論が全て間違ってるともいえないし
そこに満足感を覚えたり、素人同士の議論で「思考が深まった」「考察すること増えた」「前回の議論ではこの結論が出た(定説化)」とか言ってるのが気持ち悪すぎるのはお前が勝手にそう思ってるだけで俺からすれば気持ち悪いのはお前だし
まず本職の人々の作った学問を学んでからにしなくても愚痴や批判なら特に問題ないし
せめて一般説に反論するなら大学で専攻して研究してからにしなくても愚痴や批判なら特に問題ないし
ばかな、きみにも、わかるように、
おしえてあげるね
このぶんしょうは、
立証、定義しようと、してるのでは、ないということ
にっきであり、批判してるだけだ
「けっこんについて、定義したい」
といっているのは、そのオタクであって、
このにっきではない
このにっきでは、ただ、じぶんのいる界隈で、
(ほかの人はしない)
批判してるだけ、であり、
というよりは、
グチやひはんとして、きいてほしいぶぶんは、
「暴力について議論したい」「結婚について定義したい」とかやたら言い始めるところ
アニメ見ただけ漫画読んだだけ漫画の専門学校通ってるだけのオタクが暴力とは何かとか議論して何の意味があるんだろう
専門家から見たら、的外れで無知識のほぼオカルトのような議論が始まり、素人的オカルトな結論が出て、その経過にしろ結論にしろ全てに何の意味もない
そこに満足感を覚えたり、素人同士の議論で「思考が深まった」「考察すること増えた」「前回の議論ではこの結論が出た(定説化)」とか言ってるのが気持ち悪すぎる
ここが、ひはんぶぶん、であるということ
つまり、こうぞうとして、
じぶんの界隈で、
それがとてもきもかった
なぜおたくはそんなことをするのか?
という主観のはなしであり
したいとは、1ミリもおもっておらず、
それはどこからもよみとれない
データやろんぶんって、
なんのデータをもってくるの?
そもそも何を立証するの?
何を引用するの?
返事はいらないよ、
「暴力について議論したい」「結婚について定義したい」とかやたら言い始めるところ
アニメ見ただけ漫画読んだだけ漫画の専門学校通ってるだけのオタクが暴力とは何かとか議論して何の意味があるんだろう
専門家から見たら、的外れで無知識のほぼオカルトのような議論が始まり、素人的オカルトな結論が出て、その経過にしろ結論にしろ全てに何の意味もない
そこに満足感を覚えたり、素人同士の議論で「思考が深まった」「考察すること増えた」「前回の議論ではこの結論が出た(定説化)」とか言ってるのが気持ち悪すぎる
せめて一般説に反論するなら大学で専攻して研究してからにしようや
それくらい、ぼくにもわかるよ
なんだか「恋愛」という一つのファンタジーに縛られているように見える
毒親育ちのコンプレックスって言ってるけど、単に他人に、特に生身の異性に興味がないだけのように読んでて思った
フォーカスが他人ではなく自分に合ってるってことだからね(それは別に悪いことじゃない)
「好きな人と結婚した人」「家族仲の良い人」にも多分それぞれの地獄があるけど表に出してないだけじゃないかな
そもそも幼馴染レベルで親しい人じゃないと、マイナス要素のプライベートを普通はベラベラ話さない
個人的な弱みや悩みってカルトやネズミ講の勧誘の糸口にされるから
「こんな私を受け入れてくれてる負い目」があるから彼を悪く言わず完璧超人みたいに書いてるだけで
彼くんにも実際はいろいろある(借金とかギャンブル依存とか歳が30くらい離れてるとか)
仕事が楽しくて好きって物凄く恵まれてる人生だと思うんだけどな
あなたは毒親育ち界のエリートなのを自覚してほしい…毒親育ちとしてめっちゃ羨ましいよ
食い扶持に心配がなくなったら次は承認が欲しいってのは自然なことではあるけど
絵が上手く"ならない"教室にした方がいいよ(絵手紙とかの技量の差が分かりにくいやつ)
まともに絵が上手くなるようなガチの教室では、あなたの技術向上と周りとの関係は反比例して
上手くなったけど孤独になった、って可能性があるのを覚悟して欲しい
楳図かずお先生は経験がない(本人がカミングアウト)けど素晴らしい作品描くよね。とか
R-18漫画界隈での定説「恋人ができたり結婚したりすると作品がつまらなくなる現象」
ってあたりで答えにならないかな
「将棋棋士の平均寿命は、世の中の平均よりも短い」と言うのが、なかば定説のようになっている。プロ棋士と趣味の将棋では肉体的にも精神的にも負荷がまったく違うとはいえ、将棋を普及させようとする上では、将棋界にとって少し耳の痛い話だろう。
将棋棋士の平均的寿命について - おおた 葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい (2007年)
結果は・・67.51才である。短い!
棋士と年齢を分析する | 将棋ペンクラブログ (2014年)
全体の平均 68.5歳 (110人)
*最も長命だったのが加藤博二九段の90歳(2013年)、最も若かったのが村山聖九段の29歳(1998年)。
将棋棋士の平均寿命を調べてみた - 将棋ペンタゴン (2021年)
物故棋士は91人でその没年齢の平均は72.0歳となっています。
野月浩貴八段と藤森哲也五段の発言例も→ anond:20230124165248
しかし、これらの記事に書かれた棋士の平均寿命のようなものは、「既に死亡した棋士の死亡年齢を平均したもの」であって、いわゆる世の中で平均寿命として公表されている「今年生まれた0歳児が何歳まで生きるか」とは異なる。極端な話、江戸時代までさかのぼれば棋士の死亡年齢はもっと短くなるわけで、「過去400年間に死亡した棋士」と「今年生まれた0歳児」を比べるのは的を外している。(最初に挙げた記事のうち 将棋棋士の平均的寿命について にはいくつか但し書きも添えられているが、それでも不十分)
そこで、直接比較しやすい「死亡年齢」だけに着目して、5年ごとに区切って世の中の平均と比べてみた。
ただし、全男性の死亡年齢は、新生児の死亡なども含まれるので、特に古い時代ほど低くなりやすい。「棋士が0歳で死亡する」ことはありえないので、おおむね棋士の年齢に対応する「20歳以上」に絞った死亡年齢と比較するのがよいだろう。(棋士のプロ入り平均年齢は22.4歳)
(※1/24追記: 全男性と20歳+の計算に間違いがあり、すべて-0.5だけ下方修正しました。考察や結論に変わりはありません)
平均死亡年齢の推移:
年 | 全男性 | 20歳+ | 男性棋士 | 男性棋士の 誤差(95%) |
---|---|---|---|---|
1940年 | 54.7 | 5.2 | ||
1945年 | 61.5 | 16.9 | ||
1950年 | 41.1 | 57.8 | 61.0 | 22.0 |
1955年 | 50.0 | 61.1 | 48.5 | 10.1 |
1960年 | 55.5 | 63.3 | 43.0 | 6.0 |
1965年 | 59.3 | 64.7 | 67.8 | 6.9 |
1970年 | 61.0 | 65.3 | 64.8 | 19.5 |
1975年 | 63.1 | 66.6 | 64.6 | 8.5 |
1980年 | 65.7 | 68.1 | 69.3 | 7.0 |
1985年 | 67.4 | 69.1 | 73.5 | 6.1 |
1990年 | 69.2 | 70.5 | 72.4 | 8.8 |
1995年 | 70.4 | 71.4 | 71.3 | 6.4 |
2000年 | 71.4 | 72.1 | 68.2 | 16.4 |
2005年 | 73.3 | 73.7 | 66.1 | 10.1 |
2010年 | 75.1 | 75.5 | 73.8 | 8.8 |
2015年 | 76.9 | 77.2 | 81.3 | 6.4 |
2020年 | 78.4 | 78.6 | 78.9 | 6.9 |
グラフ:
こうしてみると、誤差は大きいものの、「将棋棋士の平均寿命は、世の中の平均よりも短い」という定説は、妥当ではないと言える。もっとも、1960年や2005年ごろにかけては世の中の推移に逆行して若くして亡くなる棋士が多かったため、誤った定説を生み出しやすい環境だったとは言えるかもしれない。
※ 政府の統計は5歳ずつの階級を中間値で平均して求めた(たとえば80-84歳での死亡を一律で82歳とみなしている)。新生児と高齢者は本来の死亡年齢より高く、それ以外は低く算出されやすいが、結果的にある程度相殺される。
※ 政府の統計は「その年」に死亡した男性だが、男性棋士の統計は「その年の前後5年(2020年なら2018-2022年)」に死亡した男性棋士である。
※ 政府も棋士も誕生日までは考慮していないので、「80歳と11ヵ月」で死亡しても80.0歳として計算される。(どうしても平均寿命と比べたいなら、+0.5するとよいが、本来は人口ピラミッドの影響も差し引かなくてはならない)
ちなみに囲碁棋士は女性も含んだリストしかなかったが、特に将棋棋士に比べて大差あるわけではなかった。