はてなキーワード: 論調とは
感想を貰えないクリエイターは消えてしまうかもしれないから、感想は告げるべき。
まったく異論はないし、私も感想貰うのはとても嬉しいし、ありがたい。生き抜く力になる。感想が欲しい!と大声で言っても恥ずかしくない風潮になりつつあるのは素直に良いことだと思う。
感想が貰えなくて「感想が来ない……」ってぼやいてる方を少なくない人数見かける。
じゃあ前に私が伝えた感想はなかったことになってるのだろうか。それとも私の感想なんて数に入らないんだろうか。そんな気持ちになる。
きっとそうじゃなくて、新しい感想が今欲しい気分なんだろうなってのは分かる。
責められてる気分にさえなるから、自然と距離を置くことになっていく。
ごめんね、褒めてあげなくて。でもそれは私のせいじゃないもの、って。
「感想が欲しい」と呟く方に感想を伝える気持ちにはなるけど、「感想が来ない」と呟く方には伝えたくはならない。
そもそも感想が欲しければ人に感想を伝えるのが先ではないかと思うけれど、私の観測範囲内では、そういう方ほど人に感想を伝えているのを見かけないし、貰ったこともない。
さきほど実家に帰って耳を疑った。
「誰かに何か聞いた?」
「ニュースの人が言っていたよ」
言葉を失った。
そこで、知見の高いはてなユーザー諸氏に問いたい。
両親から話を聞き出すと分かったのは、
・おそらく2日前(だからくわしく覚えていないとのこと)
・真ん中の人が話していた(司会か?)
だから程度の低いネットニュースを見てしまったのだろう。そう思いたい。
あと一歩に追い詰められたアベが圧力を掛けたとの推理は導きうる。
抑制のないネットニュースをリテラシーの低い人間が享受している。
もしくは、公共性の高いマスコミが圧力により右傾化を進めている。
そんな知能の低い人間にまでマスコミの良識によりコントロールされていない情報が届いている。
その事実に恐怖で打ち震える。
さすがははてなではあるが、自衛隊員に対する理解はほぼ見られなかった。
シビリアンコントロールという知識があれば隊員に対する擁護は許されない。
両親から聞いた話から推測すると、小西議員のtwitterが取り上げられたようだ。
という言葉に対するアンサーとして
「国民の敵」
「隊員の気持ちも少しは分かる」と教育レベルの低い人間は感じるのではないか。
(この投稿にも低脳ネトウヨが「気持ちは分かる」などとコメントしそうだ)
だからコントロールされないまま決して安易に報道してはならないのだ。
両親を観察していると「声を変える」という報道テクニックが本当に有効だ。
野党議員や追求側のジャーナリストなどにさわやかな声をあてるあれだ。
この手法により十年単位でより正しい方向に社会は導かれただろう。
現政権の存在などうまくいかないものもあるが、これがなかったら寒気がする。
今回の報道でも隊員の声を悪役にすれば両親も分かりやすかっただろう。
悪役の声「自衛隊員は他国の子供を殺傷する恐怖の使徒になるのである」
だから、コントロールのされていない報道は決して見逃してならないのだ。
というわけで思い当たる人は教えてほしい。
判断のできない両親にネトウヨ情報を流したマスコミはどこだろうか?
警戒すべき報道機関はどこなのか教えてほしい。
私個人としても両親に見せないよう努力をしなければならないし、
おおたとしまさ氏という、中学受験を中心とした評論家がいる。自身は麻布中高という名門私立中高一貫校出身であることもあって、私立中学受験市場のマスメディアに多く登場するが、専門外の記事になると、的外れで、唖然とするような記事を多く書く。
4月13日、高校受験に携わるものとしては看過できないような記事を見かけたので、掲載しておく。まずは読んでほしい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/otatoshimasa/20180413-00083769/
おおたとしまさ氏は、中学受験しか精査して調べていないことが丸わかりな記事である。お願いだから、高校受験について何も知らない素人が、こういうデタラメ記事を、一般大衆を煽るかたちで書かないでいただきたい。
どうせトップ都立高に入れないのであれば、中学受験をしたほうがいい、あるいは私立高校に行ったほうがいいという判断が働くのも無理はない 【記事より引用】
上記記事をご覧になったうえで、おおたとしまさ氏の脳内思考はこうである。「都立高校がいくつも定員割れを起こした」⇒「日比谷や西といった都立トップ進学校の人気が落ちたのだろう」→「都立上位校といえども、中学受験の中堅校の同程度の進学実績だから、私立高校に進学する生徒が増えた」
果たして、本当にそうなのだろうか。都内高校入試最大の母体を持つVもぎの合格基準を用いて、過去3年間分の都立高校普通科のランク別の受験者数と実施率倍率の推移を書いてみる。
●男子
Aランク 1398人→1327人→1427人 (1.66→1.57→1.69倍) ↑
Bランク 944人→917人→947人 (1.37→1.42→1.46倍) ↑
Cランク 2863人→2934人→3000人 (1.53→1.55→1.64倍) ↑
Dランク 2911人→2902人→2967人 (1.53→1.53→1.59倍) ↑
Eランク 4403人→4389人→4107人 (1.45→1.46→1.37倍) ↓
Fランク 3667人→3858人→3332人 (1.28倍→1.33倍→1.18倍)↓↓
都立高校の合格に必要な偏差値をAランクからFランクに分けた。Aが難関校、Bが上位校、C・Dが中堅校、Eが下位校、Fが課題集中校となる。見ての通り、A~Dランクまでは、3年間のうちで2018年度が最も受検者数が多く、倍率も高かった。つまり、都立高校のうちのトップ校から、多くを占める中堅校のC~Dランクまでは、人気の上昇は継続している。
おおたとしまさ氏は、なぜかAランクやBランクの進学校の話ばかりしている。きっと、私立中高一貫校の専門家であり、難関校の取材ばかりしているから、EランクやFランクの学校をよく知らないのだろう。都立高校の定員割れの話をする際に、今年も人気が上昇した都立上位校の話をするのは、リサーチ不足と言わざるを得ない。
おおたとしまさ氏は、「学区を撤廃して、日比谷のような一部の超トップ校に難関大学合格者が集中しただけ」と語っているが、おそらく、何も分析せずに印象だけで語っている。実際にはまったく異なる。都立高校改革で、2番手や3番手の学校の大学合格実績も大きく伸びている。おおたとしまさ氏は、まず以下の都立2~3番手校の大学合格実績を10年前と比較されたい。
小山台、駒場、三田、竹早、小松川、豊多摩、大泉、富士、三鷹、武蔵野北、小金井北、調布北、町田、日野台、調布北、昭和
これらの学校は、都教委肝いりの進学指導重点校ではない。ところが、軒並み大学合格実績が伸びている。特に、国公立大学の合格者総数は、激増といっていいほど増えている。あなたのおっしゃる通り、都立高校生は、国公立大学志向が強いので、同じ表を、国公立大学の合格率で計算したい。
都立高校改革が、当初は「一部のトップ校だけに高学力の生徒が集中して、ほかの都立進学校が地盤沈下する」と危惧されていたのは事実だ。2000年代初頭ぐらいには、多くの方々がそう語っていた。ところが、都立高校間で進学指導のノウハウを蓄積した結果、都立高校全体での指導力が高まり、結果としては、都立進学校全体が伸びた。2000年代前半に都立全体で東大に50人台しか合格しなかったのが、2017年は改革以後最多となる170人半ばを突破してた。参考までに、東京都内の私立高校、都立高校全体が、2012年から2017年の5年間でどれだけ大学合格実績が伸びたかを調べたので、掲載しておく。
都立高校 +892人 (115%)
私立高校 -489人 (97%)
●難関国立大(東大・京大・一橋大+東工大+旧帝大+東京医科歯科大)
都立高校 +81人 (136%)
おおたとしまさ氏の指摘する「特定校への集中」は、実は、氏の支持する私立中高一貫校の方が顕著かもしれない。
おおたとしまさ氏の最後の発言は、もはや教育ジャーナリストという肩書を返上してほしいと思わせる大暴言だ。
難関大学合格の可能性の観点から言えば、もしも世田谷学園を切り捨てたのであれば、日比谷や西に合格できない限りその選択は失敗だったことになり、同様に、田園調布学園や獨協を切り捨てた場合、駒場や小山台に合格しても失敗だったということになります【記事より引用】
おおたとしまさ氏のこの発言が暴言であるのには二つ理由がある。
第一に、データが滅茶苦茶であるということだ。おおたとしまさ氏曰く、難関大合格の観点からすると、「独協を切り捨てた場合、小山台に合格しても失敗」らしい。だが、この感覚は、一般人の感覚とは相当ずれていると言わざるを得ない。
独協 国公立大 12人 (うち現役合格5人) ※卒業生数約200人
小山台 国公立大 115人 (うち現役合格92人) ※卒業生数約300人
単純に比べて、どちらの方が進学実績が優れているかといえば、独協高校には本当に申し訳ないのだが、どう考えても、小山台高校の方が格上と言わざるを得ない。東大+京大+東工大+一橋大の指標も、小山台が5人(全員現役)、独協が1人(浪人)だ。
それなのに、恣意的なデータを用いて「独協を切り捨てたら小山台合格でも失敗」とサラッと言ってしまう感覚が恐ろしい。そしてそれを、教育ジャーナリストという肩書で全国配信してしまうのだ。
第二に、これは単純に、その高校に通っている生徒に失礼ということだ。「小山台高校に合格しても失敗」「駒場高校に合格しても失敗」なんてことを、何度も言うが、教育ジャーナリストと名乗っている人間が全国配信している。しかも、具体的な都立高校名を挙げて。
おおたとしまさ氏は、ぜひともこの調子で、中学受験の子を持つ保護者に、逆のことを言ってほしい。
「日比谷高校より東大合格者数の少ない私立中高一貫校に通っている生徒は、合格しても失敗」
「都立国立高校よりも東大合格者数が少ない桐朋中に通っている生徒は、合格しても失敗」
「都立西高校よりも東大合格者数が少ない国学院久我山中に通っている生徒は、合格しても失敗」
「南多摩中等よりも東大合格者数が少ない穎明館中に通っている生徒は、合格しても失敗」
おおたとしまさ氏の都立高校に関する記事が、まったくもって不正確であることを指摘した。最悪なことに、全国配信されているので、この記事を読んだ一般の方々が「なるほど。都立高校定員割れは、学力優秀層が都立進学校から私立高校へ流れたことが原因か」と誤解してしまう恐れがある。
今回の事象について、日経新聞では、さすがと言いうか、冷静で精緻な分析を記事にしている。つまり、中堅校以上、偏差値でいうと50以上の都立高校にはほとんど影響はなく、それどころか、大学合格実績の伸長によって、ますます都立高校人気が高まる結果となった。一方で、偏差値30台の課題集中校や、商業科、工業科の人気が極端に下がり、私立高校に流れたと。
私立高校無償化政策による都立高校定員割れについて、我々が考えるべき最大の問題は、都立の商業高校や工業高校を、このまま不人気ということで廃校にしてしまっても良いのかということだ。今の若い子達には、なかなか商業高校や工業高校の良さは伝わらない。嫌な言い方をするが、商業高校や工業高校へ行くぐらいなら、私立高校からFランクであっても大学へ進学させたいという家庭が多い。しかし、都立の商業高校や工業高校は、長い伝統の中で実習教育に長けていて、高卒の大切な人材供給の源。これをなくすことは、結果としては、国にとって損失ではないか?そういう議論などをしていかなければならないと思う。
おおたとしまさ氏も、そこに着目して、「都立高校の定員割れは、商業高校や工業高校が見捨てられて、私立高校に流れたからだ」という論調で書いていれば、的を射た記事になっていただろうに……。
お願いだから、少なくとも「教育」ジャーナリストと名乗るからには、そういった学校にも目を向けて、足を運び、たくさん取材をしたうえで、この、「都立高校定員割れ」という国レベルでの大きな問題に提起する記事を、ぜひ全国配信してほしい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20180413-OYT1T50003.html
この件ね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/20180413-OYT1T50003.html
yujilabo 年度末になると補助金の満額まで使い切らないと翌年度の補助金が減額されたりもするため、ただちに必要でない機器や薬剤を購入して保管していたりすることはよくあると思う。無駄なので仕組みのテコ入れが望まれる
timetrain 予算が無いのが最大の原因だろうな・・
例によってはてなブックマークの論調はこんなんなんだけど、 https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-15H05528/ こちらから科研費の交付状況を見て頂きたい。年 500 万という予算が妥当かどうかは置くとして
リファレンスシステムとしてレーザライダーに加えて、光学カメラと高精度カメラを導入した。レーダで2次元立体構造再構処理した結果と、レーザライダー、光学カメラ、高精度カメラで画像処理した結果を比較評価をすることで、提案手法の有効性を詳細に評価できるようになった。
お前そのカメラ買って即売っぱらっとるやんけ。ようするにこいつ研究成果においても嘘ついてるんですよ。どうにもならん、クソオブクソ。予算不足とかどうとかそういう話以前。小保方みたいなもんですよこんなん。
なんかえらい嫌われているのですが
昔あのヒゲとファミ通に嫌な思いさせられたコンシューマーゲーム業界人は多いから。
今では信じられないだろうが、ネット普及前はファミ通のレビュー点数見て小売りがソフトの仕入れ数決めてたりしてたんよ。そんな商売に直接関わるレベルの権威があったのに、レビュアーの好き嫌いや広告出稿量であからさまに贔屓してたからね。俺はあるメーカーの下請けやっとったけど、そのメーカー販売のタイトルってだけでデフォルトで減点付いてるような感じだったし、もちろん当時の恨みは忘れてない。消費者にしてもレビュー信じて数千円払ってクソゲー掴まされたりしてたわけ。
そんなわけで歳寄りからはその頃のダーティーなイメージがあり蛇蝎の如く嫌われてるし、はてなは歳寄りの巣窟なんてそういう論調になる。若い人にはあまり関係ない話なのかもしれないけど「胡散臭い人間が旗振って業界団体作ろうとしてる」ってイメージが根底にあることは知っておいて欲しい。
何かを叩く前に一度この文を見てほしい
「多様性を認める」という信条で生きるのならば、「多様性を認めない」という意見への反対は本来ならば出来ません
「それは違う」と思ったなら、それは多様性を認めているのではなく、「どこかの誰かの意見に乗っかっている」状態です。「全てにおいて中立」で、「絶対的に間違っていない」ところに居るわけではない。
今ネットで流行りの論調に乗っかっているだけの人もいるでしょう
何が言いたいのか、というと私は「今流行りのものに乗っかって人を叩いている人は、全く多様性を理解していないが故にいつか叩かれる側になるかもしれない」というこを忘れるなということです
人を叩くのは簡単だ。しかも今ならたくさんの人達が賛同してくれるでしょう。
しかしネットの論調なんてコロコロ変わるから、それに伴って叩かれる側になって、過去に間違いを犯してたとして、素直に「ゴメンね」しようね
ときどきいるけど、「過去の自分の過ちと同じ過ち犯してる人を叩く」のはやめようね。なんで間違いをしたのに偉くなると思ってるんだろうね。謝っても過去に散々人を叩いてた事実は変わらないから、清算してランクアップした気になって上から目線で「あの時の私は~だったからわかるけど~って叩いてるやつはクソ」とか言うの見るのほんと吐きそう
前回の記事と併せて読んだけど辛さがすごい。
もうそんな想いは2度として欲しくない。
面接で涙が出たり吐いたりしてしまうなら、まだ治ってないんだよ。
無理に働かずゆっくりしてほしい。
今下手に就職してしまって、また少しでもストレスがかかると再度壊れてしまいそうで怖い。
確実に会社が悪いし増田に非はないので自分を責めるのはほんとうにやめよう。
無意味だし。
年不相応とか、無職で情けないとかやめよう。
そんなこと全然ない。
そんな誰かが押し付けてくる一般水準みたいなまやかしに自分を当てはめて苦しまないでほしい。
マジで。
とは言え収入の件は難しいところだよなぁ。
頼れそうな人がいるなら頼りまくっていいと思うけど。
こういう人のためにもっと在宅で稼ぐシステムとか、わざわざ面接や会社に行かなくても仕事出来たりするシステムがあればいいんだけど・・・。
客側の権利意識の増加と無理解によるモンスターが増えて働く方がそのやりがいすら奪われて逃げる人続出で崩壊、という。
保育士足りずに児童受け入れ中止した保育園が出てきたってのも、医師や看護師足りずに病棟閉鎖ってのとまったく同じ。
医療は割とはてなでも「医療費の患者負担を増やすのもやむを得ない」「モンペの存在も問題である」と言う論調も見るし実際患者負担は増えてるけど(それでも安すぎるが)
保育はそうなる日は遠そう。
つーか金で頬叩けば保育士も文句言わずに働くはず、と言う発想な時点で保育士馬鹿にしすぎだし、
保育だけでなく、介護や産婦人科を筆頭とした各種医科も同様だな。
はてなではどうしても消費者・顧客・市民の責任を追求することは決して出来ないんだよな。
なぜなら答えはカンタンで、自分らが消費者で顧客で市民だから。
で、ちょっとでも自己努力や内省は必要じゃないか、という論調を見かけるとすぐに
「マッチョイズム」「自己責任教」「弱者切り捨て」「強者の論理」などと噛み付いてきて、
「権力勾配」「非対称性」というマジックワードで自己正当化する。
自分の責任も永遠に逃れ続けて偉そうに意識高い系気取りながら批判を垂れ流すことができるというメリットは享受できるかもな。
その分自己実現も永久にできず、国になにかしてもらわなければ何一つ成し遂げることができない国家の奴隷と成り下がるしかなくなるわけだが。
先ほどあるニュースサイトで、花見のごみ問題に関する記事とコメントを読んでいた。
そこで気が付いたのだが「日本は"民度の高い国"ではない」のでは?
では何が高い国なのか。おそらく、集団帰属意識の高い国ではないだろうか。
花見のごみ問題はなぜ発生したのか。こう考えることはできないだろうか。
大事なのは、個人の意見ではなく集団の意見である。個人のモラルや民度は集団の意見ではない。
つまり、いくら個人のモラルや民度があっても無意味である。ゆえに、外部が騒ぎたてても問題は再発する。
個人に対する攻撃や批判が反映されないのは、こういう構造があるからではないだろうか?
例えば、信号付きの小さな横断歩道がある。そこに3人やってきた。
うち、2人が横断歩道を信号無視し渡るとする。最後の1人は横断歩道を渡るだろうか?
おそらく”渡る”。
横断歩道を渡る3人という集団において、集団は信号無視して横断することを選択した。
信号を無視した事実のみ考えるならば、明らかにルール違反であるはずだ。
決して、小さなルールも守るべきだと主張しているわけではない。
言いたいことは、集団に属することで個人としての意見を容易に捨てられるということだ。
そのように簡単に捨てられるモラルや民度はそもそも無意味である。実行できないモラルほど無価値なものはない。
私は自らの手で安全を確保して渡るという人は、そう言い訳しているのではないか?自分の判断を集団の判断と誤解しているのでは?
かくいう自分も、自分の意見や判断だと言い切れないときがある。
まとめると、日本は「所属する集団を最優先する文化であり個人は集団の駒でしかない」という意見である。
そこに個人のモラルや民度は存在しない。民度の高い国は幻想である。右へならえが存在するのみだ。
集団が間違うならば個人も間違えるし、いくら個人を批判しても集団が変わらねば解決しない。
一方、集団への批判は個人の行動を変えない。おおきな集団を批判するほど当事者意識は薄まる。
集団の意見にノーという個人になること。おそらく、「ネットの情報をうのみにするな」という意見と同義である。
自分が正しいと信じられるかたはどうぞ。
1つは、上位の集団に属すること。
たいてい、大衆は大きな集団なのでより大きな集団に属するほど批判は受けない。ことなかれ主義の延長であり、やや消極的である。
単純な話である。リーダが変われば集団の判断も変わる。たぶん、上司が悪いからなにもかも悪いという論調はこっちに近い(そういう話を批判している訳ではないです)。
自分がリーダになるか、なんらかの手段で集団の過半数を勝ち取るか。政治的な能力が必要。
これのみ批判する側の話になる。
個人に対する攻撃の効果が薄いなら、集団を攻撃する。ただし、集団を動かすだけのパワーが必要。
集団を重視することを逆手にとって、当事者意識を持ちうる大きさの集団を対象とするのが最も効果的であると思う。
一番は個人が集団から独立することであるように思う。だが実際は難しいので、妥協案として上位の集団に属する(あるいは属させる)のがよさそう。
「日本国民としてごみは捨ててはいけない。なので、ごみを持ち帰りましょう」みたいな大きな集団にすり替えるよう集団を誘導するのが無難に思う。
普段政治の話など全くしないし、無知無関心だと思っていた。なので俺も意識してその手の話題は避けてきた。
ネットも友人とのLINEくらいで、ほとんど使っているようには見受けられなかった。
彼女の話を要約すると
・そんなやり取りばかりで、全然事態が進展しているように見えない。
・政権が隠し事をしていたとしても、追求側も自己アピールみたいな発言ばかりで不快。
・もっと重大な内容、例えば労働時間や賃金の問題を話題にし解決して欲しい。
(彼女は俺の仕事が拘束時間の割に給料が安いこと、急な残業や休日出勤で会う予定を頻繁にキャンセルすることによく不満を漏らしている)
俺は行政機関が勝手に公文書を書き換えるなんて非常に重大な問題だし、きちんとした原因究明と再発防止策を実施して欲しいと思っている。なので彼女の口からネトウヨみたいな、少なくともTVや新聞では見ない論調の感想を聞いたことにちょっとした驚きがあった。
…毒されてんのかな。
信頼できる?
安らぐ?
気遣いができる?
それはとても素晴らしい、唯一無二のパートナーだな。
「女でなければならない」理由はおよそ見当たらない。
男女逆にしてみても同様。
どんなに信頼できる唯一無二のパートナーでも、ヤる気がないのなら、力づくでヤられるリスクがない分むしろ女同士のほうが好都合。
性犯罪等を擁護する気はないが、それでも男が女を選ぶ基準に「ヤりたい」対象であるか否かが含まれるのはある意味で当然のこと。
そしてヤりたい対象とはすなわち老若問わず「見た目が好みかどうか」の一点に尽きるといっても過言ではない。
好きだからかわいく見えることはあり得ても、ヤりたいからかわいく見えるということは考え難い。
世間では「見た目で人を選ぶのは下衆い」的な論調が強いが、現実問題として見た目が悪くて困ることはあっても、見た目がよくて困ることはない。
不幸にも見た目に恵まれなかった者たちの僻みが生み出したものであろう。
「見た目が」好みのタイプを女を振り向かせ、相思相愛となり、魂と魂をぶつけ合うかのように求め合う関係になれたならば、いったいどれほど幸福なことだろうか。
最近キャッシュレス化が話題で、海外じゃもう皆キャッシュレスになってて日本は遅れてるって言う論調だ。
確かに中国やアメリカはそうなんだろう。だが、ヨーロッパ(大陸)を旅行したんだがヨーロッパではそんなこと全然ないぞ。
キャッシュレス化すると一々小銭を持ち歩かなくて済むっていう人がいるが、それはない。
ヨーロッパ(ドイツ、イタリア等)で小銭がないとコインロッカーを使えない。クロークがない観光施設だとコインロッカーの使用が義務だったりする。
日本ほどじゃないがクレジットカードが使えない店(小さいパン屋、菓子屋等)も普通にあるし、少額の買い物は現金を使うのが普通だ。
ATMはそこらじゅうにあるし、100ユーロ札はほぼ使われないが、50ユーロ札(7000円相当)は普通に流通している。
キャッシュレス化には確かに色々な利点もあるだろう。だがその政策を推し進めたいからってヨーロッパ大陸の事例を意図的に無視したり、日本だけが遅れてるかのような嘘を言うのはやめろ。