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はてなキーワード: 経済的自由とは

2024-04-17

anond:20240417163917

一般的な国では保守(コンサバ)は愛国と密に結合してるものだが

日本場合保守のうちの経済的自由側面と愛国が連動しないどころか相反することを厭わない、ってのが分類がねじれてる原因かもね

2024-03-25

anond:20240325095310

はい

「二重の基準論」は文字通り性質によって2つの基準を設けるというものであって、価値の高低を論じるものじゃない。

2つの基準を設けてるのも経済的自由はそれが損なわれても、民主的議論手続きの中で取り戻せる見込みが強く緩やかな基準でいいとされてるのに対して、精神的自由民主制のものが壊されてどうにもならなくなるから厳しい基準がついてるだけであって価値なんて関係ない。

わいせつ表現の自由、ここで言う「エロ表現の自由」を経済的自由と同等のものとみなすなんて話は俺は聞いたことがない。最新の判例でそういうのがあったのか?有名どころのチャタレー事件悪徳の栄え事件表現の自由議論の中で語られるのが一般的だろ

この嘘だらけの文章でほぼ唯一明確に正しいことは「学部の1年生で習う話」というところくらいなものだけど、学部1年の試験と言えどこれを答案に書いたら不可だな甘々教員がお情けで可をつけてくれたら御の字かな

2024-02-29

貰えるものは貰うが難病指定

小児慢性特定疾病は788疾病なのに指定難病は338疾病(令和3年11月1日現在)なんだそう、どーなってんだ?これ・・・😥

https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201412/3.html

 

脱税したり無駄金注ぎ込むお金があったら、まずは小児慢性特定疾病を全部難病指定とかしてもいいのにね

 

こういうの見てると、ワイ障害手帳を貰ってマジええねんか・・・?ってなるが・・・うーん・・・いろいろ心配なので貰えるものは貰う

 

こういう貰えるものは貰う😌やってるとクソ金持ち責めらんねーな・・・って思いましたが、

いや、でもプライベートジェットで飛び回るとか、国内国外複数の家持っているとか、意味がわからなすぎるので

やっぱそれはねーなって思いました

 

ただ、経済的自由は欲しい。老後の資金も充分ではなく・老後後のキャリア確立安心はできていないけど、なんだかなってことの助けになれたらなと思います

一攫千金ネタねーものしらね、あとAI時代だけど法律最後まで既得権益として生き残ってくれそうな気するけどどうでしょうかね

というかワイが法律アプリ作るべきか?ポンコツでもIT屋さんだしの

2024-02-22

anond:20240222234434

親切は押し売るもの😤

徳の高い人物になったり、経済的自由を得て社会活動するよりも簡単お手軽やから

長い長い精神修養もお金も高度な知識もべつ要らんし

 

けどまぁいつかは役立つ事もしたいもんですな

2024-02-20

anond:20240218213830

格差や痛みは生じるがトータルでの経済パイを拡大して強い国にする

それは名目日本格差や痛みによって実際にパイを拡大しているのは、英米と、日本財閥

しか戦前日本破綻し、ソ連軍拡競争を拡大したあげく日本バブルとともに崩壊し、

またロシア破たんすれば日本も道連れになる可能性が高い(日露バランス維持)

  

暴力、カネ(経済的自由)、思想(だまくらかし選挙立法権を獲って合法化

議員の不起訴は明確な賄賂容認思想司法職員も僅かな活躍女性も、不法資本流出の支持者だ

自分の子には投資ケチって弱らせ、人の子投資しておけば、財閥は安泰だから

2024-02-18

anond:20240218212813

自由主義には、大きくわけて2つの側面、社会的自由(個人的自由とも言う)と、経済的自由がある。

経済的自由は、これを推進する場合、いわゆる自由化、民営化規制緩和、減税、といったように、商業主義的な施策推し進めて、格差や痛みは生じるがトータルでの経済パイを拡大して強い国にすることに重点を置く。

これは右派思考一般的右派保守と言われるが、経済に関しては進歩的なのが本来右派であり、保守性は主に、社会的自由伝統や慣習などの堅持によって抑圧する方面を見たときの印象となる。

共産主義においても、実態としては経済的自由に関しては右派的な施策をとっていることも多く、つまり商業主義的なイケイドンドン公害のような負の外部性を顧みずパイを広げていこうとしがちだ。

なので、経済的自由に関して見る限り、本質的には同じ。

2024-02-12

やりたい事が多いのに、仕事のものや準備もろもろ合わせ、一日で平均12時間は取られてしまう。

そんな仕事をやっている、そんな仕事をしなければならない自分に原因があるということは分かっている。

加えて、飯や風呂のような必須タスクを消化していたら、自由時間は2時間もない。

そんな程度の人間なのに、あれもこれも見たい。読みたい。やりたい。好奇心だけは旺盛で困る。

それが経済的自由に繋がる事なら良いのだが、繋げられない。金に換えられない事ばかり興味が出るのではなく、金に繋げる気が全く出ないのだ。

自分知識欲のための活動しか、やる気が起こらない。仕事なんて、言うまでもなく惰性だ。

論理的に考えて、本来まずは可能な限り短期間で一気に稼ぎ、しがらみから抜け出し、社会的自由を確保してから望むべき事だ。

なんというワガママボディ。

2023-11-03

anond:20231103063449

何を言っているのかよく分からん(anond:20231103065759)

からないなら下記のどちらかじゃないですかね?

 

  • わかるまでAIに尋ねてみる

 → 一例)

 経済的成功を追求し、その後に他人サポートすることが一般的なのが、正しいのか疑問です。
 完璧になる前に明日死んで他人サポートすることな人生を終えるかもしれないし、経済的自由を持たない人が出来る範囲のことで誰かの命や希望を繋ぐことができるかもしれません。
 しかし、一方で、何かのプロジェクト成功させるには、スキルお金必要なのも事実です。
 また、自分自身を向上させ、課題解決することは、他人に対してより多くの支援提供できる基盤を築くことにつながることも事実ですし、それらが欠けている中で行われるボランティア活動子育て社会的問題になっていることも事実です。 
 生物進化学、アドラーサルトル哲学視点で考えると、どうでしょうか?

 

  • からないことは気にしない。何事もなるようにしかならない。でも『愛が無ければ何も始まらない』と『メンヘラ治療しよう』だけは覚えて帰る

[] 自分自身課題解決するよりも、他人課題解決する方が楽だからだぞ

上質な娯楽はたくさんあるのについつい基本無料ソシャゲをやったりSNS時間を浪費するのと同じく現実逃避

楽な方に流れているだけ

 

ただ、この問題怠惰だけで切り捨てられるような簡単な話では無いと思う

 

 

  • 自分自身のことに責任を持てるようになったら他人の手助けをする』っていつそうなれそうですか?
    → まぁ小さな手助けくらいならいつでもどこでもできるし、福祉社会の枠組みで考えるべきではあるものの、経済的自由を持たず滅私奉公で人々に尽くす人に丸投げでいいんですか?
    ホームレスや困難な状況にある人を見ると、自己効力感がゴリゴリ削られて、自分がとんでもなく無力で冷たい生き物のように思えて来て、単純に嫌になりませんか?

  

 

anond:20231103050107 

 

 

追記:わからない人はAIに下記のように尋ねてみる

 経済的成功を追求し、その後に他人サポートすることが一般的なのが、正しいのか疑問です。
 完璧になる前に明日死んで他人サポートすることな人生を終えるかもしれないし、経済的自由を持たない人が出来る範囲のことで誰かの命や希望を繋ぐことができるかもしれません。
 しかし、一方で、何かのプロジェクト成功させるには、スキルお金必要なのも事実です。
 また、自分自身を向上させ、課題解決することは、他人に対してより多くの支援提供できる基盤を築くことにつながることも事実ですし、それらが欠けている中で行われるボランティア活動子育て社会的な問題になっていることも事実です。 
 生物進化学、アドラーサルトル哲学視点で考えると、どうでしょうか?

 

2023-10-28

アラフォー大学院に入り直したオッサンだけど、令和大学生が憎い

人生終わったおっさん大学院に入り直した

アラフォーで急に目覚めてしまい、とある大学院で、博士号を取りたくて、大学院に入り直した。

社会人大学生というやつだが、実際は親戚の会社で形だけ在籍している。

ってか、人生でほぼ働いたことがない。形だけ親戚の会社に在籍し続けているが、特に仕事もない。

  

青春を取り戻そうとした

自分は、大学は出たし、修士も取ったんだけど、学部修士典型的陰キャオタクだった。

いや、オタクというか、パチンコだの麻雀のして、風俗ばっかり行ってた。

本物の陰キャなので、アラフォー彼女もできたことがない。

  

そんな自分だが、博士課程に入り、研究も、理論系で、パソコンパチパチやるだけで、特に実験はない。論文は二年目始まったくらいには3本出して、卒業は余裕でできることが確定した。

それで、青春を取り戻したいと思った。

大学の授業とか、サークルオッサンから入れないけど、学生団体とか入ったりしている。

ハッカソンだの、インターン?だのと性懲りも無く青春を取り戻そうとしている。

  

和学生への嫌悪感

当然、社会人だのオッサンだのがあるから、変な絡み方はできない。

キャバクラガールズバーみたいなノリは流石にないと思いながらも、とりあえずコミュニケーションはとってみたが。

ダメだ。まずは嫌悪感から入ってしまう。

学生起業だのガンガンする時代で、令和の学生インターンとかしてITとか身につけて、なんなら学生フリーランスで稼げるの当たり前みたいなのりだ。

対して、こっちは、まともに仕事したことないオッサン

令和のトップレベル大学生のノリは、「インターンIT技術で食えるようにして、起業して受注で稼ぐ組織作って、会社バイアウトして30前に経済的自由になる」である

自分も、それをやりたいけど、IT技術を身につけようにもインターンに受からない。起業しようにも、AIとか使って商品作ってみた全然売れない。仲間なんて全然見つからない。

そう、令和学生の若いノリ。軽いノリ。未来のあるのり。そういうのがアラフォー恋愛経験なしのおっさんにはない。

  

憎い

令和のトップレベル大学生にとっては、論文書いてる研究者とかゴミで、IT技術をインターンで身につけてフリーランスで食えてる人や起業してバイアウトして経済的自由な30歳までの人が尊敬対象である

自分は、30どころか、アラフォーまでうだつが上がらない。

自分は、そのようなIT長者になる道どころか、訳のわからない研究をあれもこれもと手を出している。

研究面白いし、自分の生きがいだが、誰にも尊敬されないし、金ももらえない。

なんなら、研究も、博士課程が終わったら続けられない程度の研究だ。

こんな絶望あるかよ。

  

風俗しかない

結局、風俗20前後女性を買って、オラつくしかないみたいだ。

無能アラフォーには辛い現実だね。

2023-07-09

anond:20230709132342

一応、そういうのもあるぞ

実名リーマンやらが自分の半生を振り返り語るみたいな

実名からリンクは控えるけどね

 

ワイもマイノリティーなのでああいうのやってもいいかなって思うが、

なんていうかやる時は成功した自分でやりたいよな

何を持って成功かとするとワイの場合経済的自由を手に入れるかな

 

別に途中の段階でもいいのだろうけど、それだと何を参考にすんの?って思う

まぁ『ただそこに生きて生活をしているって伝える』ことも大変意義はあるとは思うが、

ワイは清く正しく生きてないのでちょっと無理ですね

2023-06-07

からみた子供生む生まない問題

今時男だから女だからというのはナンセンスかもしれないけど、こと出産においては女性に比べ男性の制約が随分軽いのはどうしようもない事実

女性文字通り命をかけて子供を生むので、感謝しかない

そして、全女性というつもりはないし、そうはならない女性一定数いることも知ってはいるが、やはり妊娠から出産に至るまでの胎児との付き合いは父親よりも母親の方が長いので、子への愛着出産時点ですでに差があることが多い

父親からするとやっぱり生まれた時が「初めましてこんにちは」、なのに対し、母親からは生まれた時が「ついに会えたねえ、私の中にいたのは君だったのか」になる

これはスタート時点での大きな差になるんだよね


これはもう家庭次第なんだけど、多くの家庭は夫婦仕事はきっちり半々にするわけではなく、得意な内容に関して100:0と0:100で分担していくことが多いと思うと、出産時のスタートラインでついた差はそのまま子供との関わり方の差になるケースも多い

子育ての主たる実行者は母、やっぱり今でもそういう家庭が多いのではないか

もちろん教育に関しては父が、とか、送迎に関しては父が、とか、個別ケースは当然父親仕事を請け負っている

しかし、子供の服を用意し、子供ご飯を食べさせ、子供学校の準備をし、みたいな、日常ちゃんと暮らすケアについてはやっぱり母だろう

母なんだよ、どうしても

そうすると良くも悪くも、父親母親ほど濃密な関係子供と築けない

それがかえって、子育ての「いいとこ取り」になってしま

それはつまり母親負担になるわけで、女性出産しない選択をするのは尊重されるべきことだ

特に我が家の妻は専業主婦なので、ほんとに多くのことは妻に任せてしまっている

増田は本当にいいとこ取り

申し訳ねえ

そういう、環境父親立場から子供いてよかったですか?と問われれば、100%いてよかったと答えるしかない

それ以外の答えがない

妻が専業主婦なため、ほとんど自由の効かない妻のためには増田自身はなるべく夜は早く帰らなきゃいけないし、土日は妻子をリフレッシュさせなきゃいけないから、土日に自分が一人で出歩く自由も持てない

さらに1馬力のため、自分の稼ぎから自分自由に使えるお金は月2万5千円(昼飯代込み)なわけだし、ほとんど時間的経済的自由は消えた

でも、それでも増田人生においては絶対子供がいてよかったと思っている

他の人一般の話じゃなくて増田個人の話だよ

多くの人は出産で何が困るかって、キャリアの中断を気にするわけで、男親も今時当然仕事はやりにくくなるんだけど、それを嫌がる理由は実は様々だと思う

毎日続けると豪華になるログインボーナスを途切れさせたくないから、程度の気持ちで、大好きな仕事をやめたくない、みたいな感じじゃない人もいる

そうじゃなくて、もちろん寝ても覚めてもやっていたい大好きな仕事からって人もいる、当然いる

そういう大きな情熱を持った人が子供を持たないと判断するケースは、尊敬賞賛しかない

それは尊重されるべき決断

ただ、情熱的じゃないほうの、なんとなく中断する不安がある、程度な人も多いよね

大多数の人は仕事嫌いだし、多いよね、そういう人も

うちは、妻は「仕事はどうしてもしたいと思えないんだよねー」とか言って経済的なこと考えたことも心配したこともないような人なので、俺がこのまま心配させないように家族を食わせていくしかない

自身仕事への情熱はないのだけれどね

そのかわり、子供に関しても、出産の苦しみも痛みも経験することなく、子供産んでくれたことを妻に感謝するしかない

なんというか、そういう、お互いの経済的子育て的な「いいとこ取りのし合い」の関係で成り立つくらい、お互い仕事にあまり興味ない家庭って、思ったより多いんじゃないかなって思っているんだけど、そうでもないのかな?

逆に、今が充実しているか子供は一生いらない!って言っている人、めちゃくちゃ情熱注げるものがあるってことなんだよな

それってめちゃくちゃすごいことだよな

家族を得ずとも構わないと思えるほどの大きな熱を、他の何かから得ているわけで、それって滅多に出会えるわけじゃない幸福だよね

一流の女性アスリートが現役中に結婚出産することがないのはそれだよね

大阪なおみは、競技へのモチベーションが減ったか子供作ったわけで、熱があるうちは子育てに踏み切らないんだよな

人生へのモチベーションや熱がなくなった人から、だいたい子供作り始めるんだよ、誰でも得られる幸せから


なんつうか、人生へのモチベなく幸せな家庭を築く人たちは、仕事人生に何かを見出せなかった人で

子育てを拒絶する人はそれほどまで楽しいかに出会えた人で

どっちが得難い人生かというと、やはり子育て拒否できる意思を持てる人の方がすごい

から決して子供作らない人の人生肯定を、酸っぱいぶどうとは思わないんだよな

俺みたいな何も生まない人生は、ただ妻子を愛するくらいしか、喜びがないんだよなー

2023-04-20

anond:20230420070426

ここで言う個人的自由政策政治思想の話だから中絶自由を認めるかとか、女性ヒジャブをつけずに外出してもいいかとか、公共入れ墨の人を受け入れるかどうかとか、未成年ゲームプレイ時間制限してもいいかとか、BL男の娘表現国家にふさわしくない性的嗜好として弾圧すべきかとか、インターネット検閲してもいいかとか、銃の所持を認めるかとか、同性婚を認めるかとか、そういうこと。

経済的自由っていうのも政策思想の話だから経済的成功して自由になるとかじゃなくて、高い関税を設けて保護貿易を敷くべきかとか、規制を強めて既得権益保護すべきかとか、免許制度や認証制度を高度化させて新規参入障壁を設けるかどうかとか、破綻した企業に国が資金注入していいかとか、消費税法人税を高くとって高福祉負担社会にすべきかとか、相続税贈与税を高くとって個人財産を国に還元すべきかとか、土地や基幹企業国営化して国がインフラ整備をすべきかとか、そういうことをさしてる。

anond:20230420065514

いまの資本主義体制だと経済的自由があると個人的自由が確保されやすいし、共同体タブーを破って空気読まないで新サービスマネタイズすると経済的成功やすいから右と左は実はおんなじ方向性になるような気がする。

2023-03-02

FIREして経済的自由を得ると、

今までこうしろと言われてきた社会ルールなんかは

労働お金を稼ぐ上でのマナーみたいなものであって、

それ以上ではなく、

労働お金を稼ぐ上で"だけ"必要なことのようにおもえてならない。


円滑な人間関係?なにそれ?

2023-02-04

anond:20230204133657

実際のところ、2軸で考える必要はある

思想の自由(個人自由)と、経済的自由

フリードマンはこの両方の自由を重視している(経済的右派)が、一般的リベラル経済的左派であり、政府規制を強めようとする傾向にある

2022-12-18

anond:20221217125112

記事で展開される論に従えば、国内民間活動経済的自由はじめほぼすべてがなんらかの形で憲法によって保障されているのだから国会議員憲法尊重擁護義務のせいでいかなる民間活動に対しても批判することはできないということになってしまうだろう。

くその通りで、「未成年女性性的表象する絵は駅の広告不適切」という尾辻氏の主張そのもの妥当性をめぐって議論されるべきなのに、法律上問題があるか否かなんて話に勝手すり替えて「論破」しているのはみっともないの一言

ちなみに自分は明確に「不適切」という立場自分はああいう絵には慣れて特に何も感じないけど、萌え絵に親しんでいない、ゆえにその文脈がまったく理解できない人間一定多数存在するという事実には誠実に向き合う必要がある。

2022-12-17

平裕介弁護士大阪駅萌え絵ポスター擁護記事に学ぶ詭弁テクニック

大阪駅の萌え絵ポスター、憲法解釈論では「問題なし」 平弁護士と考える「表現の自由」 - 弁護士ドットコムという記事ブクマが集まっているのだが、弁護士らしいよくできた詭弁だなと思った。

はてなーはいつから憲法の解釈で戦ってると思ってたの?増田でも言っているが、他にもいろいろとおかしいところがある記事だと思った。

この記事構成は概ね以下ようになっている。

1. 大阪駅掲示された麻雀ゲームエロイラストは法的には問題ない

2. 広告には表現の自由があり憲法により保障される

3. 国会議員には憲法尊重擁護義務があるので、広告などの表現への批判はするべきでない

4. 広告自主規制安易に行うべきでない

「法的に問題があるか」という論点は誰も取り上げていない

記事はまず「今回の広告は「法的」に問題があるのか?」という記者(無記名なのでこの記者が誰なのかはわからない)の問いかから始まるのだが、このような論点では誰も争っていない。確実に否定できる問いから始めて、自分の正しさを演出する典型的詭弁である

「とらわれの聴衆」判決引用することの正当性

裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan

 市営地下鉄列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。

記事は何度も「とらわれの聴衆」判決を引き合いに出して広告批判をするべきでないと主張するのだが、「とらわれの聴衆」判決問題になったのは市営地下鉄の車内放送で「○○へお越しの方は次でお降りください」という広告を行うことである。駅の構内に性的ポスター掲示することを同列に扱って議論をすることに意味があるのかは疑問だ。仮に市営地下鉄の車内放送性的広告が流れたとして、それについて裁判を行えば判決もまた違ったものになるのではないのだろうか。

ちなみに「とらわれの聴衆」判決は以下に引用するように商業宣伝表現の自由保障をうけるものであるかは明らかでないとしているのだが、記事はそれについてはふれていない。自説を展開するうえで都合が悪いからだろう。

およそ表現の自由憲法上強い保障を受けるのは、受け手が多くの表現のうちから自由特定表現を選んで受けとることができ、また受けとりたくない表現自己意思で受けとることを拒むことのできる場を前提としていると考えられる(「思想表現の自由市場」といわれるのがそれである。)。したがつて、特定表現のみが受け手強制的に伝達されるところでは表現の自由保障典型的機能するものではなく、その制約をうける範囲が大きいとされざるをえない。

 本件商業宣伝放送憲法上の表現の自由保障をうけるものであるかどうかに問題があるが、これを経済的自由行使とみるときはもとより、表現の自由行使とみるとしても、右にみたように、一般表現行為と異なる評価をうけると解される。もとより、このように解するからといつて、「とらわれの聞き手」への情報の伝達がプライバシー利益に劣るものとして直ちに違法侵害行為判断されるものではない。しかし、このような聞き手の状況はプライバシー利益との調整を考える場合考慮される一つの要素となるというべきであり、本件の放送一般公共の場所においてプライバシー侵害に当たらないとしても、それが本件のような「とらわれの聞き手」に対しては異なる評価をうけることもありうるのである

広告批判することを憲法を持ち出して非難することの正当性

記事はここまで一応は法律にのっとって議論を展開してきたのだが、ここから内容は抽象的で曖昧ものになっていく。広告主に表現の自由があるのなら、国会議員にも表現の自由があるし、思想・両親の自由もある。広告批判した内容についてではなく、批判したという事実のもの非難するのは難癖としかいいようがない。記事で展開される論に従えば、国内民間活動経済的自由はじめほぼすべてがなんらかの形で憲法によって保障されているのだから国会議員憲法尊重擁護義務のせいでいかなる民間活動に対しても批判することはできないということになってしまうだろう。

さらにいえば尾辻かな子氏は今は国会議員ではない。

広告自主規制はどうあるべきかという本来問題への無関心

記事広告が法的に問題があるかというだれも気にしていない問題は取り上げるのだが、自主規制のあり方がどうあるべきかという本来の関心が集まっていた問題については驚くほど無関心である

また、松井茂記教授ブリティッシュ・コロンビア大学)は、ポルノによる性表現女性の「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だということで問題にするのであれば、「女性」の場合だけに限定すべき理由が乏しいことから、「およそ人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現はすべて禁止されうることになろう」とし、さらに「おそらく戦争犠牲者テロ行為犠牲者写真映像も、公表できないことになろう」と解説しています松井茂記インターネット憲法新版』(岩波書店2014年)169頁)。

このように、「ジェンダー構造再生産する」とか「女性人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だといった理由で、表現の自由制限する方向の議論を展開することは、表現の自由が広く制限されすぎてしまうことにつながりかねず、問題でしょう。

記事はこのように主張するのだが、「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう」ような広告鉄道の駅掲示することは現在でも自主規制対象になるだろうし、そのことについても社会的に広く異論はないはずである性的広告鉄道駅掲示することの是非は、その自主規制ラインをどこに引くべきであるのかという、より繊細な議論必要とするのだが、記事はただ「規制は慎重であるべき」という何の役にも立たない一般論を述べているに過ぎない。

強い党派性

記事はわざとらしく「立憲」という言葉を繰り返し強調したり、以下のような文言をはさむなどしており、極めて強い党派性が感じられる。

なお、国会議員等が、与党解釈改憲や検察庁法の改正問題批判した際には、憲法学や法律学の通説あるいは多数説によるべきとしつつ、別の局面では少数説の立場に立つという態度は、結局のところ、憲法学や法律学の専門家意見尊重して判断をするというのではなく、自分たちの立場意見合致するのであれば、専門家を都合よく利用するといった態度である可能性が高いといわざるを得ないでしょう。

常に通説や多数説に従えというのはある種の見識なのかもしれないが、「とらわれの聴衆」判決から広告表現憲法で強く保障されている」という通常と真逆メッセージを引き出す記事でそのように訴えられてもどう受け止めればいいのか困るというのが正直なところだ。

2022-11-24

anond:20221124073539

ノーランチャートでググれ。

右と左みたいな一見対称だけど何を基準にすればいいのかわからん指標を一軸グラフの両端に置くこと自体が間違ってると気づくはず。

社会的自由をどれくらい認めるか、経済的自由をどれくらい認めるか、その二軸でどのへんにマッピングできるのか逐一考えていく癖をつけな。

そうするとネットで左右で争ってるやつらはほとんどが右(左)に寄り切ってもいない、ポピュリズムないし権威主義寄りだと分かるはず。

2022-11-12

anond:20221112003051

既に経済的自由約束されているとかならばともかく、単純に増田が自立する気がないだけだぞ

 

ただ、障害病気が原因ならそれは無理せず休んだ方がいいし、むしろ負担になりにくい仕事を選んだ方がいい

あと社会的な意義があるが極端に給与が安い仕事しょうがない。むしろ社会が何とかするべき

それから労働を是とする社会おかしいと社会実験してる場合面白いので応援したい

2022-11-02

anond:20221102133845

残念。

本当に経済的自由を得ているのだよ。

残念だね。

2022-10-21

anond:20221021161639 のおまけ?

多数派場合は、多数決民主的にそれができます

少数派でも侵せないもの自由権として守るのです。

たとえば今だと多数決ならとある宗教を「邪教」として禁止さえできそうですよね。でも、多数決でも、「内心で信仰させろ」「儀式は続けさせろ」までは侵せない理由けが自由」です。

https://twitter.com/jikapan/status/1583275451552006144

多数決主義の難点という議論アメリカで古くからある。選挙で選ばれていない裁判官がなにゆ選挙で選ばれた国民代表議会法律を覆すことができるのか、というやつである。これは、単なる哲学的問題ではない。19世紀から20世紀前半にかけて、産業資本の著しい発展の弊害顕在化してきた。それに対して立法対処を行ったところ、裁判所が「契約自由」を盾にしてそれを違憲にしたところから来ている。

 もう少し具体的に言おう。ニューヨーク州議会が、パン屋労働時間規制する法律を作った。一日10時間、週60時間までという規制である。これに反して処罰を受けたあるパン工場経営者は、労働者をどのくらい働かせるかについては、契約自由があるのだからそのような規制違憲であると主張した。そして連邦最高裁はその主張を認めたのである。このような判例法理通用した時代のことを、この著名判例(Lochner v. New York, 198 U.S. 45 (1905))の名前をとってロックナー時代という。

 すったもんだの末ロックナー判決否定されるに至る。どのように否定されたかというと、これがある意味羮に懲りて膾を吹くというようなやり方なのである。すなわち、裁判所議会の制定した法律については、原則として合憲推定を与える。議会制定法については、①目的が正当か、②目的手段合理的に関連しているかしか裁判所審査しない。換言すれば、手段必要最小限度性を要求しないということであり、まことに緩い審査基準である。こうなるとまたしても困った事態が発生する。確かに労働関係規制については、そのくらいゆるい審査で良いかもしれない。しかし、議会に自らの利益代表してもらうことができないような少数派の利益を押し潰すような法律議会が作った場合も、そんな緩い審査基準適用して良いのだろうか。連邦最高裁は、戦前判例の中で、キャロリーヌ・プロダクツ判決脱脂粉乳規制に関する法律問題になったのだが、それは措く)の脚注4で、人種的宗教的あるいはその他の少数者の利益問題になった場合などは、別の処理をするかもしれませんよ(この事件はそういう人が問題になっていないが)、ということを仄めかしている(United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144 (1938))。

 このような戦前アメリカ判例を取り入れて始まったのが有名な二重の基準である。二重の基準論は、精神的自由については厳格な審査を、経済的自由については合理性審査をという図式として受容されているのだが、実際には、一般的には裁判所合理性基準という緩い審査しか行わないが、政治過程の中で不利になっている少数者の利益問題になる場合は、審査基準厳格化する、というものなのである一般論としては合理性審査しかしない、というのがミソなのである

 芦部説はこのような議論を巧妙に換骨奪胎(?)し、精神的自由制限は、政治過程のものを傷つけるおそれがあるから原則として審査基準厳格化する、という議論を立てた。こういった議論アメリカにも見られる。ところが、これを逆に考えると、精神的自由制限であっても、政治過程のものを傷つけるおそれがない場合には、裁判所合理性基準審査するべきだ、ということにならないだろうか(ロバートボークというある意味悪名高い裁判官が直球でそういうことを言っている)。これが問題になる典型的な事例が「わいせつである。少なくともハード・コア・ポルノ※に関しては、その禁止政治過程を傷つけるとは言えないだろう(アメリカ場合猥褻obscenityに該当する言論については、第一修正によって保護されないので、合理性審査すらしなくても良いということになっているのだが、それは措く)。わいせつ規制は、精神的自由制限ではあるが、厳格審査に服しないというのが、反多数決主義の難点に対して一般合理性審査を行うという解決法を用意した司法審査論の帰結となる。

 ハード・コア・ポルノに対する規制を(も)廃止するべきだと考える者が、表現の自由論や民主主義を素朴に信奉するのも考え物である一般論として合理性審査をもたらす反多数決主義の難点という論点それ事態を疑ってかかる、つまり多数決によって事態が進行する議会政、多数決主義それ自体を排撃したり、あるいは、ハード・コア・ポルノ規制に対しても厳格な審査をもたらすような議論を何とかして立てるほかあるまい※。そういうことをしない表現の自由の信奉者は、表現の自由戦死せざるを得ない。

長谷部恭男憲法』などを読むと、刑法175条違憲論が、単なる「表現の自由」によって支えられているわけではないということが分かる。

2022-08-31

地元に帰っていい事なんかない

10年以上ぶりに地元に帰って小学校友達から連絡がきた。

実際昔すぎて仲の良さなんかは忘れてる、記憶に薄すぎるから本当は知り合いってレベル

でもさ昔の知り合いから連絡くるとかってちょっと嬉しいじゃん。

元々人の話聞くの好きだし、他の同級生たちがどうしてるとか話のタネになるし。

やっぱある程度大人になってるからお互いにコミュニケーションはそこそことれるわけ。

3,4回くらい飲みにいったかな。

そしたら出てきたのがオフショア保険ですよ。海外のなんとかロンドンとかが利回りいいかお金いれない?みたいな話。


はあああああああ??????????????


俺の純情かえせよ、男友達から下心とか全くなくてストレートに懐かしいな感覚だったのに。

その後師匠みたいな人連れてくるの。

経済的自由をーとか言っちゃってるの。


はあああああああ??????????????


そんな奴より別の地元友達を連れてきて懐かしいなって話をさせろよ。

人の肩書を見て金ありそうだから寄ってきましたみたいなの勘弁してほしい。

丁重お断りして以降、遊ぼうとかご飯行こうみたいな連絡はきません。

思い出みたいなもんを汚された気分だ。

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