はてなキーワード: 法治国家とは
だから日本史の教科書を見ても天皇制というのは出来上がった順から維持していただけの人にしか見えない。そういう側面が強いだけの宗教だからである。
平成時代が金もうけの時代だったというのは、出来上がった戦後憲法社会があるのは当たり前、しかし、そんなものに魅力はない、だが維持しないといけない、
それゆえに、金もうけで、出来たものを維持してきた、それだけ、一億一心金儲けみたいなものがなかったら、出来上がったものを維持するモチベーションが何もなかった
つまり金もうけというのはただ単に出来上がったものを維持できる人に金をやるというだけの話で、相当前からの経緯を紐解かないとそれの何がいいのか全然理解できない
逆回しに言えばほとんど、実力社会といっているだけのものである、つまり、頭がいい、できる、能力がある、そういう人に金が行く
つまり、金だけに重点をおいて、それ以外はあいまい、それでうまくいくと思ったらうまくいかなかった
古代からの天皇制というのは要するに見たくないものに蓋をするようなところがある。実際には1000年以上も幕府に政権を握られていた時代があっても、国家としてみれば、
法的には、征夷大将軍に例外的にやらせていただけとみる。明治維新前のように、暗殺事件や、 明治末期の大審院裁判長の自殺、第二次世界大戦のような戦争をしないと
生活できないような時代があっても、そういうところはほとんど割愛するし、戦後30年がいかに素晴らしくても教科書にはそのことはほとんど記載しない
つまり、伝統的な天皇制法治国家は、着実にできたところだけを積み重ね、派手にやらかした悪事については闇に葬る。何をするにしても、出来上がったものを賞賛し
その背後でやっていたことはなかったことにする。だから、気が付いたら出来上がったものだけが残っていてそのいいところは何も残っていないといった現実が露見する。
歴史的に出来上がったものだけには徹底的に執着し、出来上がる過程にあったことはなかったことにする。場合によっては、出来上がったものしかないという時代もある。
平成時代には金もうけがあり、つまり金があったというが、それは、背景に、既に出来上がった社会の塊があって、それを維持できる人が金を儲けるというような話である
現代は戦後憲法社会というタテマエだから、保守派に言わせれば明治政府が作ったものは敗戦で存在していない。昭和54年頃に出来上がった社会があり、金もうけで
それを維持しているという。漠然と経済社会だと言っているだけである。
もちろん、天皇制国家は、天皇制といいながら出身が武士であったり豪族であったり全体としてあいまいである。しかしその特徴としては、出来上がったものを積み重ねるという
もちろん、この天皇制日本に対して、ナマの日本人の存在が許し難いという側面もある。しかし、ナマの日本人がいいのか、天皇制国家がいいのかどうかははっきりいって
そんな判定基準は何もないという他ない。しかし、日本列島には、一貫して、意味はなくとも、出来上がっているところまでを評価するという宗教的な傾向が強い。
日本列島には太古から天皇制警察などというものが存在すると言われてきていてその粘着力は凄まじいものがあるが、それの何がいいのかについては
ほとんど知らされていない。天皇家というのはそれだけただの家族だったり閨閥にすぎないと言われているからだ。また、天皇制警察の特質としては
過去の経緯から見るに支離滅裂であり、1300年のその歴史の全てを愛するなどと言うことはほとんど不可能なものである。現に、平成19年に、
天皇制は、日本人の女子供から蛇蝎のように憎悪されて東京湾に沈められるくらいの勢いで叩かれた。従って天皇制などと言う、出来上がったものが
常に愛されているというのは、一種の幻である。それだけ、その出来上がったものに対する吸引力にも特に根拠はないし、昭和前期には戦争をして失敗している
特に警察というものに対する日本人の女子供の、蛇蝎のごとく忌み嫌う性質は周知だからである。それだけその宗教が、日本人にとり、何が何でも好きで仕方がない
などという要素が実は存在しない。その歴史についてどうしても褒めてくれといえば、明治天皇は神としてあがめられ、昭和天皇の時代には凄まじいものがあったという
ことだ。しかし、知っている人は知っているとおり、完成して出来上がったものの方は昔からろくでもないことも知られている。だから極端にいいときはいいし、悪いときは徹底的に
悪い。また天皇家と言ってもただの家族にしか見えない時期もどれだけあったか分からない。明治や昭和時代には、天皇が神のように輝いていた時代があっても
それ以降は見るも無残な時期もあるからである。それにもかかわらず、日本人の中には、一旦出来上がったものには、いかに貧乏で内容がなかろうが、それに食らいつくという
性格がある。しかも、その天皇制日本なるものの正体は、芸能界のように流行っていた時代を除いては単なる集団同調社会であるとか、生活をしているだけという内容
しかないもので、日本人にとってそれのどこがいいのかを理解することがおよそ困難であるし、また、芸能人のように好かれるメンバーもいれば、出来上がっていて
醜悪で、蛇蝎のごとく嫌われるメンバーがいるという側面も強いからである。したがって、1300年にもわたる天皇制法治国家について、その全てを愛せといっても
実際に愛されていないように、無理があるというものである。それだけ、世間には、私は昭和天皇のファンではあるが、平成の天皇は何も考えていなかったし
板橋区は無名の街だ。昭和54年に亡くなった人たちが作り上げてきた平凡な街を、かれこれ40年間、普通に維持してきた貧乏人のひしめく街。
西台には書店があるが、もはやほとんど出来上がっている人のための書籍ばかりで、規格外、枠外の人のための本はほとんどない。
「出来上がったから維持するのは当たり前」 そういう感覚につつまれたなんともつまらない街。しかし、 出来上がったからといって、どうやって維持しているのかは
全くの謎である。
インターネットの進展で、法律違反のエロ本が大量に売られている。中にはもう読まれる余地がない文系向けの書籍も大量にある。また誰が買うのかという文房具なども
多い。
昔は流行ったが、閑古鳥が鳴いていてもう誰も利用しない店もある。しかし、昭和22年から始まった法治国家、タテマエ体制からは逃げられない街。
私は東京大学法学部で教授をしている者ですが平成20年11月2日に東京大学法学部教務課からインターネットのブログに私宛の脅迫文が上がっているという通報を
受け、自宅のメモ用紙などに概要を書いておきました。後日、教務課の課長からブログのプリントアウトを見せられましたが私の実名を挙げて殺害すると書いてありました
ので被害届を出しました。その結果元富士警察署が捜査照会を実施して犯人を割り出したようですが、私の大学を平成19年9月に卒業した学生だったようです。
被害を受けたのは私と最高裁判事を退官した女性と文科省幹部の金森氏の3名です。犯人の容貌等はみておりません。捜査を担当したのは警視庁捜査一課警部補の
丸尾英介です。しかし丸尾が作成した供述調書が本当か分かりませんし検察官の尾崎が作成した調書も真正かどうか分かりません。被告人は平成21年2月に公判廷に
呼ばれて反省したため執行猶予になったという刑罰を受けたようですが、反面で、被告人が作成したブログ記事内容は、当時のスポーツ報知、などに全部取り上げられて
多くの人が読み、インターネットの2ちゃんねるや様々なサイトにも大きく宣伝され不特定多数の多くの者が読む結果となりました。その結果現在では元号も令和になっています。
当時なぜあのような事件があったのかは、実態社会において最悪なことが連続したためだとは思いますが我が国は法治国家でタテマエ上はあのような刑事裁判が開催
はてなーなんか「いじめるのが悪いことだと思ってないんだ!」って、幼稚な世界観ばーっかり想定してるから
んなわけねえだろ法治国家なめんな
いじめるのが悪でそれに対抗するのが正義だってことぐらい、いじめてる側も放置してる側も、だいたいみんなわかってんだよ
でもその正義をわざわざどうでもいい奴のために使うのは正直めんどくさい
だからみんな動いたりしないわけ
教室や会社の時だけ偉そうにギャアギャア言うのが出るけど、結局社会だって同じだからね
魅力のない奴は多少の理不尽があっても放っておかれる
魅力や弱者属性のある奴がなぜかたまたま死んじゃった時だけ、いつもの100倍ぐらい大騒ぎする
いつものことじゃん
元増田のことを、前に「悪事をはたらく人間が悪いのではなく、悪事に駆り立てた状況が悪い」って感じの思想について語っていた増田と同一人物だとみなして、以下を記す。
私がこれらの増田から感じとったのは、元増田はおそらく"日常的に被害者意識を感じる環境にいる"ということ。
社畜なのか、家庭内不和なのか、恋人友人が居ないのか、同人活動による承認欲求を満足に満たせていないのか…具体的にどんな環境なのかは不明だが、所属している社会環境に不満があるんだろうなと感じた。
特に"自分の思想が正当に評価されていない"という不満を強く感じる。
>> 見つけてほしくて書いてるわけじゃなくて <<
元増田はこう書いてるけど、"誰かに聞いてもらえないと消化できない感情"てのはあると思うから、それを発散したくて増田に書いているんじゃないか? message in a bottleみたいな感覚で。
でもな、増田は小瓶の中の便箋じゃないんだよ。書いた文章は即座に全世界に晒されるだけじゃなく、自動的にタグが挿入され他の増田に紐付けされる。
増田は"見つけてもらいやすい"ブログサービスなんだよ。元増田もご存知だろ?
>> 特定の個人に否定的なこというと火矢が飛んでくるって相当グロいよね <<
なぁ、元増田よ冷静になってくれ。
"否定的なことをいう"っていうのは、"火矢を飛ばす"のと何が違うんだ? どちらも同じ意味なんじゃないのか?
"火矢が飛んでくるグロさ"を元増田が知っているのなら、"否定的なことをいう" "否定的なことをいわれる"のも、どういうことなのか知っているんじゃないのか?
元増田は、自分の発言は誰にも届いていないと認識しているのかもしれないが、インターネット上に載せる以上、誰かに見られていると思わないといけないんだ。
そして、元増田の発言を見た人がどんなことを感じるのか、それを想像して言葉を選ばないといけないんだよ。
元増田は同人作家らしいから、"見た人がどんなことを感じるのか想像すること"には慣れてるはずだろ?
絵が上手い人たちは、自分が描きたいものを表現するために練習を重ねているが、"描きたいもの"というのは"見た人が◯◯だと感じるもの"と究極的には同じだと思うんだ。
自分の表現に対して、他人がどう感じるのか。これはトライアンドエラーで学んでいくしかないと思う。
元増田は「自分に悪意はない」と認識しているが、今回は元増田の表現から悪意を感じる人が出てしまった。元増田はびっくりしたんじゃないか? 曲解されたと感じたんじゃないか?
ここで"人によって感じ方は違う"と投げ出してはいけないんだよ。少なくとも、法治国家に所属しているうちは、そのコミュニティーで通じる表現法則を身につけておく必要があるんだ。じゃないと誤解ばかりされて、誰もハッピーになれない。
とてもしんどいことだが、トライアンドエラーを重ねて、自分の思想を他人に正確に伝える力を身につけなきゃいけない。
そのためには、様々なバックグラウンドを持った人々と、なるべくたくさん交流した方がいい。
悪気はなかったのに他人を傷つけてしまったことなんて、誰にだって経験はあるんだ。そのことに気付いていない人もいるだろうけどね。
ただ、悪気はなかったとしても、傷ついた人のその傷は消えてしまうことはないんだ。どうにかして癒す必要があるんだよ。悪気はなかったのならさ、傷ついた人にも寄り添えるんじゃないか?
いや、悪意なく傷つけてしまった相手に寄り添おうとする姿勢こそが、悪意のなかったことを一番証明するのだと思う。
元増田は、きっと正義感が強く、弱い者に寄り添おうとする優しさも持っていて、それゆえに日常的に所属環境への理不尽さに疲弊していたんじゃないかと思う。だから、どうか自暴自棄にならず、理想の自分になることを諦めないでくれ。
表現を磨くのはトライアンドエラーの繰り返しなんだ。きっと明日の元増田は、今日の元増田よりももっと表現力を身につけた元増田になれるはずだから。
がんばれ!
安倍晋三政権になってから発生した致命的な事件について述べる。まず平成18年の夏にインターネットのせいで学歴の価値が崩壊してそれによって発狂したような
記憶があるが覚えていない。一番致命的な記憶があるのは法学部卒業前に増田でお前から中傷されたことでこれは許さないのでやった本人を見つけたら絶対に殺す。
平成20年11月29日に東京大学法学部の名前を使ってかなりの人間を俺が殺したため、平成21年~23年の間は法治国家ではなく何もなくてぼーっとした社会だった。
俺が警察を殺したことに激怒した村田が事件を作って平成25年に黒羽刑務所で働かせた。まあ余程、平成20年11月29日付で警察ごと殺されたのが悔しかったのだろうが
「見えてる世界が違うこと。」
https://trajectory.hateblo.jp/entry/2022/05/01/122007
セクハラや痴漢やもっと酷い被害には心から同情するし、あってはならないものだと思う。
だからセクハラ犯や痴漢の犯人や性犯罪者は徹底的に糾弾すべきだし、そういう犯罪がおこらないような防犯体制は今以上に整えていくべきだと思う。
でも、その文脈において、微妙にセクシャルなイラストを規制することの優先度はかなり低い。
イラスト規制が犯罪防止に有効であるという根拠は限りなく薄い。
上記ブログエントリーを見てもわかるとおり、過去に犯罪被害を受けた者は、ささいな表象と過去の記憶を容易に結びつけてしまうため、
(大変申し訳ないけれど)ルール作りの議論に参加するには不適切としか言えない。
イラストを見て過去の被害を思い出してしまう、という被害者の声には耳を傾けるし同情もするけれど、
誰かの経済活動や表現活動、すなわち誰かの合法的な収入源を取り上げるような主張までは飲むことができない。
被害者も加害者も、当事者はその事案の何がどのくらい問題なのか正しく判断できない。
つまり、女性のほとんどが多かれ少なかれ性被害に遭っているのなら、ほとんどの女性は(不幸なことに)この問題に対して客観的な視点を持てないという前提で議論すべき。
(追記)
タイトルは盛り過ぎた。なんかごめん。語らせてはダメとは思ってない。
途中の文章でも書いてるけど、「被害者の声には耳を傾ける」べきだし、客観的な視点を持ちにくい人の意見という点を差し引いて議論をするべき、というのが主題。
ジェンダーだと対立しちゃうから、たとえば上司のパワハラで命を絶った人の遺族に話を聞いたら「パワハラする人は死刑にしてほしい」くらい言うだろ。
それは人間の感情として当然のこと。でもそれで量刑を決めてはならないというのが法治国家。
自分だって、過去のトラウマのスイッチが入っちゃって冷静な議論ができなくなるテーマはある。
でも、もしそういう場合は「ごめん、この話題だとちょっと冷静になれないので参考程度に聞いてほしい」みたいなことを言う。
だからね、感情のスイッチを切って冷静な判断をする訓練を受けた研究者とか法律家が、「被害者の声を参考に」冷静に判断すべきと思ってる。
熱くなりやすいジェンダー研究者とか多いから難しいとは思うけどね。
いくつかブコメのお返事書くね。
ジェンダーの半分(近く)は男性か、男性的な存在なのだからジェンダー問題当事者では。当事者に客観的な判断ができないというならば、誰も言及できなくなると思う。
当事者は犯罪加害者と犯罪被害者。そのテーマに関して(犯罪やハラスメントレベルの)加害も被害もしてない人は冷静な判断をしやすい。
あんまり知られてない話だけど、ほとんどの男性は犯罪をおかさないんだぜ。
あとはさっき書いた女性でも冷静な判断をする訓練を受けた人っていうのが現実的。
それっす。性犯罪とイラストを直結する気持ちもわかるけど、同一視しちゃだめってのがスタートライン。
本気で言ってるのではないと思いたいけど、当事者に語るなと言うなら、男性の自殺やホームレスが多い問題とかも男性に関わらせてはダメってこと?
逆なでする言い方してる自覚はある。語るなというか、被害者の声と客観的な意見を混ぜてはダメってこと。