はてなキーワード: 一喜一憂とは
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
おいおい、そんな愚痴を言ってる場合じゃないぞ。クリスマスケーキがなんだって?食べるのが普通だとか、健康に悪いとか言ってるけど、ちょっと待て。歴史的に見ても、ケーキ自体は一種の「祝祭」の象徴だぞ。例えば、古代ローマ時代の「ケーキ」って、単なる甘いお菓子じゃなくて、神々への奉納物だったんだよ。なんていうか、祝い事に欠かせないものって意味があるんだよ。
クリスマスケーキって、もともとは「キリストの誕生」を祝うための儀式の一環だし、ケーキを食べることでその祝祭感を味わうのが文化の一部なんだよ。それを「太るだけ」だとか「健康に悪い」とか言ってると、もう「自分だけが特別」って思ってるだけじゃないか? それに、独身でも一人でケーキを用意するのは別に普通だ。だって、自分を祝うって大事だぞ。自分にご褒美を与えなきゃ、何のために生きてるんだ?
「健康に悪い」っていうのも、完全に偏った見方だな。過剰に食べるのは確かによろしくないけど、たまに食べるケーキがそんなに悪いか?「一喜一憂」は人生に必要な要素だし、ケーキくらいで喜んでみろよ。人間、たまには楽しむことが必要なんだ。
それにしても、同僚に驚かれたってことは、普通の人はみんな食べてるってことだよ。それすらも「知らない」っていうのは、ちょっと視野が狭いんじゃないか? あなたが孤立してるわけじゃなくて、文化の一部としてケーキがあるんだよ。
「食べても何もいいことない」って考え方、ちょっと硬すぎるだろ。歴史上の多くの偉人たちが、食事や甘いものを楽しむことでリフレッシュしてたんだぞ。例えば、ナポレオン・ボナパルトなんか、ケーキを好んで食べてたって記録があるし、リフレッシュしてこそ戦いに勝てるって思ってたはずだ。
匿名はてなを読んで楽しんでいた10代から何年も経ち、あっという間に数年で30歳になってしまう年齢になった。
最近の自分はと言うと、インターネットゲームにハマり、10以上歳の離れたガキとゲームをしたりXやdiscordで会話をしたりしている。近い年齢の友人もいるが、界隈でも割合は少なく、親しい間柄の人間にはあまりいない。
少し遅めの一人暮らしをはじめてから1年半。家に帰ればインターネットで他人とゲームやおしゃべりをするようになってからは1年。周りは学生ばかり。本当にこれでいいんだろうか?
同い年の地元の友人たちは結婚や子育てラッシュと言わんばかりにInstagramにアップされる旦那子ども。
正直自分は恋愛も結婚も子育ても向いていないし、まだまだ自分が一番可愛いので、そこに羨ましさはない。他人の幸せはめでたいし素直におめでとうと言う気持ちでいる。しかし、そういう他人の生活を見る度に「自分は一般社会のレールからはみ出しているのではないか?」と私の中に植え付けられた"普通の人生"という価値観が問いかけてくる。
インターネットで人と馴れ合うことは楽しい。自分が一人じゃないと思える。1年半前に地元を離れ、社会人にもなると、どうしてもリアルの友人と会える頻度はぐんと減る。そんな寂しさをdiscordやXは気軽に埋めてくれる。
しかし、そんな中でも人間関係のトラブルは発生する。インターネットは直ぐに仲良くなれて手軽だが、そこに居着く人間というのは多かれ少なかれ難を抱えている。この1年で酷いこともされたし、縁の切れた友人もいる。最早最初から友人ですらなかったのかもしれない。そんなことで一喜一憂している20代後半の自分ってどうなの?同い年の友人らは子どもを育てて頑張っているのに??と思ってしまう。
私は年齢の割に見た目は若く見えるようで、インターネットでは実年齢よりも2歳だけ鯖を読んでいる。それでも大学生?と会う人に言われることもあり、まだ若く見られる自分に少し安堵もする。
しかし、もう数年で30歳のアラサー女がいつまでも学生に混ざって夜な夜なゲームをしていていいのか?このまま歳を取ればいつか見た目にも年齢が現れる。その時に自分を選んでくれる人間はいるのか?今が楽しければそれでいいと同じように言えるのだろうか?
前述したように、自分には結婚も子育ても向いていないし、したくない。それでもこのまま歳を重ねていいのだろうか、ずっとこの生活が続くわけでもないのに。今インターネットにいる友人らはまだまだ若く、何年もインターネットで楽しく過ごすのかもしれない。しかし、私は30を超えてもここにいるのか?それは流石に恥ずかしいことなのはないのか?とぼんやり考える。少なくとも私は10代や20代前半と一緒にキャッキャしている30オーバーの人間は痛いのではないかと考えてしまう。同じレベルでいいのか?と。
リアルの友達も多い方だと思う。職場でも明るく社会性もあり好かれる方だと思う。誰でも良いのであればすぐにでも恋人も出来るだろう。しかし、表面では取り繕うことが出来ても、中身の私はとても面倒臭く傲慢でややこしい性格をしているので、まだまだ一般的である温かい家庭の様なものは築けないんだろうなという焦り。
このご時世、晩婚化は当たり前。出生数も年々下がり、結婚したくないという若者が増えている中で、私がこうも普通の人生や普通の家庭に憧れて焦るのは、家庭環境があまり宜しくないことも起因しているように思う。
自分の中で結婚も子育てもしたくないと言う気持ちと、普通のレールから外れる恐ろしさ、幼少期に手に入らなかったものへの憧れに板挟みになっているからこうして悩んでいるんだな。そして抜け出せないインターネットのぬるま湯。もう子どもじゃないのに。
ズゴック漁師の一日は、多くの人々が眠りについている深夜から始まります。
真夜中の2時、漆黒の闇に包まれた港に、ぽつりぽつりとズゴック漁師たちが集まってきます。
轟音とともに船は静かに港を出て、まだ星明かりだけの海へと進んでいきます。
薄明かりの中、漁場に到着すると、一気に戦闘モードに入ります。
2隻の船が協力してミノフスキー粒子を撒いていく様子は、まるで息の合った踊りのようです。
やがて網の中にズゴック影が見え始め、船員たちの動きが慌ただしくなります。
クレーンを使って大きなタモ網でズゴックをすくい上げ、船内の水槽へと移していきます。
カプールやゾゴッグなどの高級MSは丁寧に「神経締め」を行い、鮮度を保ちます。
夜明けとともに港へ戻ると、今度は荷揚げと選別作業が待っています。
ズゴック、ゴッグ、ゾッグ、アッガイなど、種類ごとにMSを丁寧に分けていきます。
その後、朝食を取りながら出荷作業や伝票作成などの事務作業をこなし、午後1時頃には一日の仕事を終えます。
ズゴック漁師の仕事は厳しいものですが、大漁の喜びや、自然の中で働く充実感は何物にも代えがたいものがあります。
また、MSを獲るだけでなく、いかに上手に売っていくかを考えることも仕事の面白さの一つです5。
一日の仕事を終えたズゴック漁師たちは、明日への英気を養うべく早めに就寝します。
彼らの生活リズムは一般的なものとは大きく異なりますが、それこそがズゴック漁師という職業の特徴であり、魅力でもあるのです。
政治で変えられると言うが、何か良くしようとして今の状態になっているのであって、どこかに影響を与えないパッチを当てるのは用意ではない。
定年後で体力がなくなった状態で、肉体労働しか残ってないというのもオカシナ話だし、ソフトで提案してくる解決策がタイミーみたいなマッチングというのもオカシナ話だと感じている。
また、メディアに関しても、GAFA、TSMC、NVIDIAなど、年がら年中報道して株投資家の方の需要に答えているかもしれないが、結局のところ、国内に仕事を作れていない。
投資やNISAをしてないのが悪いのだという意見もあろうが、両手で数えられるような企業に左右されるのも変な話だし、対応した人がより豊かになるのは許容していいが、してない人も稼げる仕事がある方がベターだろう。
メディアもネットも、もっと国内の研究内容だとか、国内企業で何を研究しているかなど注目した方がいいだろう。
国内で作れてないものでも車輪の再開発は無駄だとか、今更無駄だとか、そういうのも結局駄目だったのだ。
モダンなCPUやGPUを作れていなければ、AI向け半導体のチャンスが来ても作れやしなかった。
設計できる人も、人の育成方法も、伝えるべき教育内容も、なにもない。
野球観戦で応援するように、海外企業で勝った負けたなど一喜一憂するエンタメにしかならなかった。
日本の研究内容についてもメディア・ネットで関心向けれるべきだろう。
今の日本の戦略は、海外で金になりそうな内容が出てきたときにキャッチアップできるだけの人材が確保出来ていればいいというものだ。
研究なんて何が当たるのかわからないから広く金をばら撒かなければ、という意見があるが、
海外で金になりそうな研究が出てきたら金を注ぎ込めば、当たりくじを引く確率が上がるという戦略である。
海外の研究所・企業・政府とどれだけ対等か、不利な契約を結ばされないようにするかということで文系が重要視される。
だが、結局、国内に活かせる産業もなければエコシステムもないので定着しない。
最初は海外に対して見劣りしようとも自分達でやらねばならない。
いくら世界に通用するような凄い研究結果であっても、国内に活かせる企業がなければ、次の研究費は注ぎ込めないし、研究者の給料も上がらない、
単にライバルを有利に働きかけているだけになる。
アカデミアの人達には申し訳ないが、国内企業の興味関心から外れた内容ばかり研究できるほど、もう人も金もないのだ。
今の企業に研究内容が当てはまらないのであれば、会社を起こして稼げるということを証明しなければ、研究者は有力なアウトプットを出せるのだから高給取りにならなければとはならない。
どっちの候補もその関係者もほとんどみんなそもそも日本が世界地図のどこにあるのすら知らないレベルなのに、そんなやつらのことで一喜一憂してる日本人もよくよく考えりゃ相当変だよな(爆笑)
文章をよめばわるかと思いますが、私は頭がありまよくないです。
加速する可処分時間奪い合い競争の中において、睡眠時間を確保するためには漠然とした「ちゃんと寝なきゃなあ~~~」ではもう無理です。
「私は、何時間寝たい」 →
「私は、いつも何時に起きる」 →
この三段論法によって寝る時間と起きる時間をコントロールしていかなければ、理想的な睡眠時間の確保は不可能です。
学校の授業が前もって何時に何をやるのかが決まっているのと同じように、自分の人生において前もって「夜の何時~朝の何時までは寝る時間」と決めておく必要があります。
その時間に推しの配信があろうが関係なく、寝る時間だから寝るという絶対的なルールを定めていく。
もしも入試の日と推しのLIVEが被ったとして、貴方は入試をスッポかしますか?
本当に人生の全てを捧げる覚悟があるならスッポかすという選択もありますが、そこまでの覚悟がないなら入試を優先するべきですよね?
それぐらいの気持ちで「寝る時間は前もって絶対的に決まっている」という気持ちで日々を生きることにしていました。
同級生の中には様々な理由で生活リズムを乱していた人がいましたが、そういった人達とは基礎的な体力や健康状態の面で圧倒的優位に立っていたと思います。
ぶっちゃけ単なる有酸素運動は毎日の通学時に少し早歩きしていれば勝手にハァハァ息が上がってくれるので十分だと考えています。
ですが単に早歩きしただけでは痛めつけ方が足りない筋肉達が元気を持て余し身体のリズムがおかしくなっていくようです。
私は帰宅部な上に体育の授業も積極的にサボるタイプだったので全く運動せずに高校生活の前半を過ごしましたが、段々身体の調子が悪くなっていくのを感じました。
何より、いざ基礎体力が必要になった時に全然力が出ないんですよね。
椅子にいつもよりも長く座るとかそういうことさえ難しい。
ネットでHIITを調べてそれを実行するだけです。
ただ、タンパク質を取らずに筋トレだけすると筋肉痛がヤバイのでプロテインを飲むことにしました。
私は親がジムに持って行く分のプロテインを拝借していましたが、家族からプロテインを分けて貰えない人は自分で買う必要があるでしょう。
学生の金銭感覚だと高いですけど、社会人が健康維持に使う経費としてはかなり安いと思うのでプロテインはちゃんと飲みましょう。
他人に褒めてもらうことを期待して生きていると意外と上手くいきません。
頑張って成績を上げても親は段々と「よく分からんが、ガチればこれぐらい出来るもんなんだろう」みたいな感じで「そうなんだ。すごいね」で終わらせてくるようになります。
1年・2年と続く受験勉強を日々積み上げていく中で「B判定が出たよ。頑張ったね」なんて薄っぺらい模試の結果にだけ一喜一憂するだけではモチベなんて維持不能です。
定期的に「凄いな。ちゃんと勉強してるぞ」 「今日は委員会活動サボらなかったの偉いなあ」 「筋トレ毎日続いてるとか、帰宅部で一番健康なのお前だよ」とか褒めてやります。
「1 ちゃんと寝る」の中で寝る時間を決めていると書きましたが、寝る時間を決めても中々寝付けないときがやはり出てきますので、そういうときがチャンスでした。
ベッドにいるけどいまいち意識が遠のかず、かといって起きて勉強なんてしたら生活リズムが乱れてしまうという状態を、「自分を褒めちぎってやるのに丁度いい時間が出来た」と解釈するわけです。
電気を消した部屋の中でぼーっと天井をみながら「今日も3食残さず食べたなあ」「毎日学校行くって案外大変だけどちゃんとやってるなあ」「毎日風呂で丁寧に身体洗ってるから清潔だなあ」といった今更誰も褒めてくれないし他人から褒められたら困るようなことまでひたすら自分を褒め続けます。
「他人から言われたら皮肉にしかならないけど、それをやるのに全く何の苦労も一切ないわけではないもの」というのは人生に山ほどあるので、そういった「自分で褒めるしかないもの」をひたすら褒めて心をメンテしてやりました。
こういうのってジワジワと自尊感情に効くらしいんですよね。
うつ病になった人なんかはこれと同じことを毎晩積極的にやれって医者から指示されたりするとかなんとか。
私はメンタルがまだまだ健全なので、タイミングがいい時に数週間分まとめてやってしまってますが。
重要だと思ったことを上から3つ挙げたら見事に勉強と無関係になりましたね。
受験勉強って結局のところは「モチベの維持が難しい長期戦」なわけで、そこで大事なのは如何にして心身のメンテを行うかなんですよね。
勉強の内容自体は究極は教科書と過去問だけひたすらやってれば何とかなるとも言われてますし、あとは如何にして集中力と時間を確保し続けるか。
要するに「心身の健康維持」 「勉強時間確保」を先に固めてしまうのが大事で、そっから先は個々人が好きなように気晴らしを選べばいいだけだと思うんですよ。
自由時間はひたすらゲームやるでも、部活に専念するでも、そこでの時間の使い方は大事じゃないっていうか。
そもそも勉強の方法も脳のタイプが人によって違うから他人のやり方は参考にならないっていう話もありますからね。
というわけで、私としては1に睡眠、2に筋トレ、3に自分を褒めるの3つが東大現役合格できた理由なんだろうなと思ったわけですな。
うん。
頭わそるうな文章だな本当。
某ソシャゲ
友人に勧められ9年が経った。
5年はだらだらと引きずり6年で半引退になり始めた。
グッズも買って、リアルイベントも行くようなガチ勢だったのに。
途中、まとまった休みができメインシナリオも更新されてたのでやってみたら面白かったのでしばらくはしてたがまた苦痛になりやめた。
そこから9年が経ち、1番好きな作品のキャラが実装、配布されるということになった。
放置していたメインシナリオをやらないともらえないので久々にやるかと少しはやる気はあったが半分で飽きた。
期限がもう間近なのでシナリオはスキップしながら進めているが戦闘が辛すぎる。
敵へのダメージは入りにくい。
必殺技で全滅。
いくら強化したって結局は強いキャラしか使えない、低レアでもいけるんだろうがそこまでやる気はない。
属性の多さ。
言ってもキリがないがとにかく編成と戦闘がめんどくさいしクリアできた達成感もない。
惰性で使いまくっている。
そして新イベントの発表。
このソシャゲは90%ギャグでしか構成してないと思う。特にイベントは緊張感がまるでない。
仕事の疲労で何も考えずに大ダメージを出しながら何度も同じ事を繰り返すのは気分が良かったがこんなものに時間費やしてバカだったと思う。
強化も結局は素材ではなく、ガチャを引かないと強くならない。
元々好きなキャラの扱い、ファンの声にモヤモヤしていたが半引退の決定打は1番好きなキャラの派生キャラグラが出てきたが別人だったこと。
顔も声も一緒なのに。こんなのに一喜一憂していたのかと絶望した。
そのキャラクターの生い立ちとかは分かったが
もうこれは無理だなと悟った。
(あと勧めてきた友人との一時疎遠)
もうこのソシャゲをやるのではなく、アニメ・漫画・ゲームをやったほうがいい。
これを続けていると制作会社も嫌いになりそうなのだから良くない。
好きなキャラの作品がリメイクされるからそれをやり込みたい、いつ発売されるか知らんが。
正直、配布キャラ欲しいか?と言われると別に欲しくないと思っている。
やる気を上げるためにイラスト、必殺技、モーションを見てみたがどうにもしっくりこなかった。
でももう他のゲームと並行しながら苦痛を和らげつつやってもう終わりかけだからやれるとこまでやって
そこからはもう完全にやめよう。
一時は楽しませていただいたが今ではもう全てが楽しくないゲームで終わった。
しかし、課金もしているからアプリ自体は残すと思うからまだ未練は持ってんだなアホくさ
このゲームではなく、このゲームの主になっているアニメが今1番ハマっている某大手のソシャゲとコラボするらしい。
似たようなキャラは出てきたので納得はした。
ただ、恋がしたい。
俳優のリアコになってしてキスシーンがある度に苦しんでみたり、配信者の信者になってTwitterから複数の配信サイトから全ての通知を入れて睡眠を削っておいかけてみたり、「恋してる時ってこんな感じだったかも」という感情を根底に抱えたまま偽物の恋愛ごっこをしている。
ただ、恋がしたい。
彼氏がほしいわけではない。好きな人ができて、その一挙手一投足に一喜一憂して情緒をめちゃくちゃにされたい。
恋に恋をしている期間が長すぎて、恋という感情への理想が高くなりすぎてしまったのかもしれない。
かつてのHoneyWorksを聞いて育った私、クリスマスソングより前のbacknumberを抱きしめていた私、あの頃は好きな人がいた。曲のヒロインと自分を重ねて、顔を真っ赤にしながら友達と恋バナをして、それこそが恋だった。
その時の感情を覚えているつもりだけど、きっと覚えていない。忘れている。その辺に散らばっているパズルを拾い集めて、半分以上ピースが見つからないそれをデタラメに並べて、多分こんな感じだったと自分に言い聞かせている。
ただ、恋がしたい。
周りの人の意見をはねつける様な、四六時中相手のことを考えているような、世界が本当にキラキラと輝いていた恋をしたのはきっとあの19の春が最後だった。フリーターで、初めて自由にお金と時間が使えて、どこへでも行けて、自由だった。その瞬間の感情は覚えている。一方的な片思いで、蝉の声が聞こえなくなる頃に彼には彼女ができて、疎遠になった。
成人式で再会し、今でも年に一回集まりがある度に、あぁまだ彼女と続いているんだと。そっか半年前から一緒に住み始めたんだと。着々と進んでいくその恋愛を、恋愛小説みたいだと思いながら聞いている。年に一回思い出すその感情は、確かに恋なのかもしれない。
恋がしたい。
彼氏がいたことはあるし、とっくのとうに処女ではない。でもそこに恋があったかどうかと問われると頷けない。確かに好きだったと思う、だけど好きにだって程度がある。
毎月ライブに行きたいくらい好きか、アルバムを聞くだけで満足できる好きか、出待ちをしてあわよくば繋がりたいと思うくらいの好きか。
また一人、7年近く付き合いのある友人が結婚した。来年の夏には子供が生まれるらしい。
別の友人は、4年付き合った彼氏と別れたかと思ったら新しい彼氏ともう同棲を始めている。
運命的な出会いも、幸せなハッピーエンドも要らない。ただもう一度、それを中心に世界を回せるエネルギーを手にできるくらいの恋がしたい。
はっしょか精神遅滞の人が非常に沢山いらっしゃって、こだわりが強くルールに厳しい割に、自分自身がルールに縛られると文句を言う。
■ダメンズばかり引く女
とりあえず男を変えつつダメンズだと嘆くけれど一番残念なのは女の方。兎に角マッチングアプリを勧めてくる。ドン引き。
■能力も無いのに抗う人、能力も無いのに音楽を続けたいという精神から音楽を続けるが、数字や承認欲求を満たすことばかり気にして、いいね数で一喜一憂する者。
夜になると必ず、エロい異性にいじめられたいなど、創作者とは思えない倫理観の欠けた言動ばかり。
「俺に DM して来ない時点で勇気が無いよね。」と言われて腹が立ち、とある企画のため DM をお送りしたが、今でも根に持ってイライラしている。
分散型SNS「Bluesky」を 1 年続けて見て来た異常者達 編集
分散型SNS「Bluesky」を 1 年続けて見て来た異常者達
はっしょか精神遅滞の人が非常に沢山いらっしゃって、こだわりが強くルールに厳しい割に、自分自身がルールに縛られると文句を言う。
■ダメンズばかり引く女
とりあえず男を変えつつダメンズだと嘆くけれど一番残念なのは女の方。兎に角マッチングアプリを勧めてくる。
■能力も無いのに抗う人、能力も無いのに音楽を続けたいという精神から音楽を続けるが、数字や承認欲求を満たすことばかり気にして、いいね数で一喜一憂する者。
夜になると必ず、エロい異性にいじめられたいなど、創作者とは思えない倫理観の欠けた言動ばかり。
「俺に DM して来ない時点で勇気が無いよね。」と言われて腹が立ち、とある企画のため DM をお送りしたが、今でも根に持ってイライラしている。
分散型SNS「Bluesky」を 1 年続けて見て来た異常者達
はっしょか精神遅滞の人が非常に沢山いらっしゃって、こだわりが強くルールに厳しい割に、自分自身がルールに縛られると文句を言う。
■ダメンズばかり引く女
とりあえず男を変えつつダメンズだと嘆くけれど一番残念なのは女の方。
■能力も無いのに抗う人、能力も無いのに音楽を続けたいという精神から音楽を続けるが、数字や承認欲求を満たすことばかり気にして、いいね数で一喜一憂する者。
夜になると必ず、エロい異性にいじめられたいなど、創作者とは思えない倫理観の欠けた言動ばかり。
「俺に DM して来ない時点で勇気が無いよね。」と言われて腹が立ち、とある企画のため DM をお送りしたが、今でも根に持ってイライラしている。
その後、トラブルがあり、謝罪を求められたので謝ったものの、誠意が見られないと言われ絡みたくないと思いアカウントを消去。
勿論、「俺に DM して来ない時点で勇気が無いよね。」と言われて腹が立っていたので元から謝る気はなかった。誠意などない。
YouTubeで100円仕入れのスクール生になりませんか?と宣伝されまくって
この生徒さんはこれだけ稼ぎましたよ!とアピールしまくっているが
店舗せどり、個人輸入、スクール生以外の古着出品者にはど~~考えても、勝てません
スクール生って30万とか70万円とか100万円とかの受講費を払ってるじゃん
100円仕入れと言っても受講費入れたら全然100円で仕入れてないじゃん
100円仕入れスクールにはいるのではなく、店舗せどりでセカストとかブックオフとかで自分の足で仕入れてくればいいのに!!
岡山と大阪の倉庫からピックアップする人が選んだゴミをわざわざ自宅に届けてもらうなよ!!
一般人でも自分や家族用で高額ブランドの服をたくさん買って、中古をメルカリで売ってる人がいる。
そんなブランドものばかり出品してる一般人にも、スクール生は勝てないんだよ。9割ゴミを仕入れているわけだから
家族が消費してきた良い服ばかり出品してるただの一般人にもスクール生には勝てない
虚しいよ
暑さ寒さもガンズアンドローゼズっていうけれど、
秋分の日を境に
いや前後と言っても言い過ぎではないぐらいの過言だけれど
だいぶ朝晩は涼しくなってきたわよね。
まだまだ昼間は暑いので汗かいたのが冷えてそれで風邪をひくパターンが多発する的な秋模様。
朝のラジオで48−48です!って言ってたのに
事務所に来たら50−50です!って
この間で状況変わってるのかよ!って思っちゃって、
私もその秋刀魚で試合運びをやるなら通勤中に焼き秋刀魚定食を食べなくちゃいけないしかも2人前よ!
そう重ねて考えると到底達成できない記録の凄さってのがよくわからるわ。
って私はそんな具合でお休みを満喫している今回は秋の連休はゆっくりしちゃうぞ!エイエイオー!ってやってるわけ。
そんでそれはそれで、
つーか!
あれよ例のスプラトゥーン3のことだけど、
グランドフェスティバル終わってクマサン商会のバイトスケジュールが、
本当に気が向いたときにバイトして欲しいギア貰えばいいわ!って思っていたけど、
今回からバイトスケジュールごとで報酬ギアも変更になったので、
私もいつでもヘ・リコプターに乗って飛び込んでバイト会場に飛び込み前転で挑めるようにシフト表をチェックしているのよ。
忙しくない?これ結構2〜3日ごとでスケジュール変わるから本当に小まめにチェックなのよ。
バイトのブキの支給ブキが火力が弱すぎるときぜんぜんバイト達成できなくて難い!ってなってるけど、
バイトの内容もマイルドになってきたから最後の3WAVEまで行けるようになったわ。
あと使い慣れていないブキを使うときも立ち回りがポンコツすぎるので、
うまくシャケが倒せないのよ。
そんなこんなで
つーかつーかよ!
今回から金銀ウロコも報酬の一部としてゲットしてもらえるようになったので、
よーし!私も今まで金銀ウロコでしか交換できないギヤやプレートを張り切ってゲットするぞ!ってなったけど、
達成条件のハードルが遥か向こうの馬が秋に天高く飛ぶ高さより高すぎるわ。
なかなか付け焼き刃では達成できない本気で挑まないとなせない金ウロコよね。
ゲソを稼ぐって大変だなぁって思ったわ。
こんな面持ちでヘリコ・プターに乗り込んでいるのよ。
一生バイトでも!って思ったけど、
あれレギュラーバトルでもらえるブキの熟練度がもらえないので、
それはそれで普通のバトルもやんないといけないし、
私すっかり忘れていたけど
あれだけ始まる前はションテンあがりまくりまくりすてぃーだったのにも関わらず
サイド・オーダーもその熱意すっかり落ち着いてしまっていたわ。
久しぶりに遊ぶとつーか
ユメエビのオトシモノを交換するためのシンジュを稼ぐための手段になってしまっているわ。
あれたまに30000ゲソがあたったりするので、
グランドフェスティバル終わって更新も終了で私暇になるかと思っていたけど、
逆にぜんぜん忙しいじゃない!忙しすぎるわ!
またうかうかしていると
何かしらに交換しないと期限が迫ってきちゃうわ。
鬼気迫る危機!
なにに交換しようかな?って迷わない?
ゼルダの新しいやつを交換したいしーって
いまゼルダの新しいやつって言うと
私の中では2つあるので、
本当のゼルダの伝説の方じゃない方の『ティアーズオブザキングダム』方で、
なにに交換するか迷うわよね。
そう考えるとやっぱり秋だなぁって深々と深まっている秋を感じるのよね。
今後どのぐらい伸ばせるか!挑戦よね。
いきなり出鼻をくじくの如くタニコーの五徳で焼いた秋刀魚なら美味しいのかな?ってよぎるけれど
それは言い訳に過ぎないわ。
秋刀魚が美味しかったとしても一喜一憂せず一喜って言っても沢村一樹さんの一樹じゃない方の一喜なので、
まだ記録が2−2ってのが
ぜんぜん期待させないなんか凡記録ってところが期待を裏切るわ。
自分を裏切ってまでそんなことはしたくないけれど、
しっかり食べぬいていきたいと思うわ。
どこまで記録を伸ばせるかってところよ。
うふふ。
お昼と朝ご飯を一緒にしようかなって思いつつなのんびりモードよ。
ブランチをキメに街に繰り出してみようかしら?
考え中ね。
まだまだ大活躍の水出しルイボスティーウォーラーってところかしら。
こればっかりはまだまだ欠かせないわ。
昼間はまだまだ暑いので
水分補給は
しっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
みんな、騙させてはダメ!
これ、義務教育で習うことだけど、銀行に貯金したお金は信用創造によってその何倍ものお金が企業に貸し付けられて投資に使われる。
企業視点では、資金をデット(負債)で調達するかエクイティ(資本)で調達するかはどちらかに優位性があるのではなく、その時々によって適切なものが選択される。
なので、貯蓄→退蔵される、投資→有効利用される、というイメージは間違い。資金を提供する側がどういうリスクを負うかによる違い。
よく「投資だと年n%の複利で増えます」という適当なシミュレーションがあるが、これが間違っているのは当然として、現実の投資は保険とは逆の動きをすると考えればよい。プットの売りが近いかも。
基本的に不景気(リセッション)が来れば株価は下がるので、みんなが困っていない時(好景気の時・順調な時)には儲かって、みんなが困っている時(不景気)には損をするのが投資だ。万一の困った時に助けてくれるのが保険とすれば、万が一の困った時にそれに輪をかけて損をするのが投資。
例えば
投資したお金は、万が一の時に使えるのではなくて、万が一の時には使えなくなるものと考えたほうがいい。
別にGPIFのポートフォリオが悪いというわけではない。あれはあれでよくできている。
違うのはGPIFの運用期間が無限なのに対して、人の運用期間がせいぜい数十年であること。
使うためのお金なら流動性のある預金で持っておいたほうがいい。
結婚して5年ほど経つが全く妻に勃たなくなってしまった。前戯の時には一応勃つのだけど、いざ挿入しようとすると一気に萎えて終わる。そのあと何とも言えない微妙な空気感の中、俺の勃ち待ちタイムがあり、俺もひたすら手でシゴいて、勃ったらいざ挿入に臨むけどやっぱりすぐに萎える。結局、ここ1年くらいまともにセックスができていない。
以前、妻にはこの事態に「私に魅力がないから」と泣かれたが、別にそういうわけではないし、多分精神的なものと思うからと説明して、とにかく妻だけでも気持ち良くなってもらおうと最近は奉仕に専念するようにしている。
しかしながら、やはり正直に言えば妻の身体に興味が持てなくなっていることは事実だと思う。俺は性欲は強い方だと思うし、何なら30代後半の今でも毎日オナニーができる。AVを見ている時はギンギンに勃つし、勃起力が落ちたような気配も全くしない。
それでも、妻には勃たない。困った。
最近は色々なことを試している。禁欲する、精力剤を飲む、おもちゃに頼る、行為中にAVを見る(これは妻からの提案)。全部ダメだった。
性生活は夫婦生活の要とよく聞く。確かに夜の生活が充実していれば、夫婦仲も自然と良くなると言うのは当然のように思う。我が家は子供が産まれてから喧嘩が増えた。人格否定のような言葉を妻から浴びせられることもある。そうしたあれこれが巡り巡って、俺のちんこが勃たないと言う問題に帰着しているのかもしれない。そうして、負の悪循環は続いて行く。
このままどのようにお互い性生活を営んでいけばよいのだろうか。もはや、無理してセックスをする必要などないのだろうか。何なら妻が耐えられないなら、誰かと発散したって俺は何も言えない。旦那が不能なのだから。あるいは俺自身も割り切ってプロにでもお願いするべきなのだろうか。
同じような悩みのある増田はいるのだろうか?そして、ここから解決することができた家庭はあるのだろうか?教えて欲しい。
【追記】
妻が妊娠してからは、完全にレスになって、子供が産まれてからも何だかんだいたせず、再開しようと思ったのが子供も少し大きくなったこの一年くらい(2年くらいレス)。
正直、俺もセックスをめちゃくちゃしたいのかと言われると自信が持てない。レス期間にはオナニーで事足りてたわけだし。ただ、夫婦関係の潤滑油的なものとしてセックスに期待しているところはある。やっぱり、年取ってもセックスできるような仲の良い夫婦に誰もが憧れるじゃないですか……。
妻はかなり真面目なタイプで子供が産まれてからはとにかく色々なことで一喜一憂するから、その反動で俺に当たるようになったところはあるのかもしれない。それはまあ、ある程度はどこの家庭も同じなのではないかと思うし、辛いと感じる時もあるけど仕方ない。子育てをメインでやってくれている妻には本当に感謝している。
私が陰キャであることは私自身認識しているところであるが、とびきりの陰キャエピソードができたので記しておきたい。
それは、自分のアカウントをアンフォローしたアカウントに飛び、そのアカウントがフォローしているアカウントを見て回るというものである。
つまり、自分がいったいどんなアカウントたちに興味関心の点で敗れ去ったのかを確認するのだ。
自分をアンフォローするほどの厳しい淘汰選定の末に生き残ったフォローリストなのだから、さぞ面白いアカウントがたくさんあるのだろうということである。
ここで気色悪い点はふたつあり、まず一つが根拠のない自信に基づく推定である。
『自分をアンフォローするほどの』という表現が気色悪さをよく滲ませている。
もう一つが、いちいちアンフォローしてきたアカウントを追跡する行為。
フォロワー数増減に一喜一憂するあたり、自己愛の強さが伺える。
さておき、いざそうやってリストを見てみるに、はっきりいってしょうもないアカウントばかりで愕然とするのである。
なんら知的好奇心をくすぐられない短文の応酬、知的水準の低いリツイート、安直なネットスラングの多用など、相容れないタイプばかりである。
初対面の人に「統計学って知ってる?」と聞かれて「かんたんそうな本で挫折しました笑」と答えたら
どうも話がかみ合わなくて、誕生日を聞かれたあたりで占いらしいことに気づいて、そっと距離を取ってしまった。
たとえば天気予報だって、優秀な人たちが集まってスパコン使って、それでも明日の天気さえ予測できないのに、
次に、占う側に責任感が感じられない。
仮に「悪いことが起こる」と言われたら、悪いことに注目しやすくなって、
そんなこと真面目に主張したら逆に頭おかしいと思われるんだろうな。
人生がどん底だったときは、当時テレビで売れっ子だった老婆の言う「大殺界」のまっただ中だと知って安堵した。
(結局、大殺界が終わってもまったく状況はよくならなかったが)
気づいたら、薄っぺらい知識でさも「わかっていますよ」みたいな顔をしている占いに嫌悪感を抱くようになっていた。
「素敵だな」と思う人がいても占い肯定派とわかった瞬間に「あーこの人もか」と悲しい気持ちになって辛い。