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はてなキーワード: 思想家とは

2023-12-09

中国思想家って名前似すぎだろ…

たまに、というかしょっちゅう老子孔子荘子が混合してよく分からなくなる。

っていうかなんでみんな名前似てんの?

当時の思想家は「名前で韻踏もうぜ!」みたいな風潮あったの?

ああ、もうっ!!

分かり難いんじゃぁあああああ!!!

2023-11-22

anond:20231122200324

Rubyをよく宣伝していたのはThe Pragmatic bookshelfAndy Huntさんだが、彼も時代の潮流には敏感なのでいつまでもruby rubyと言っているわけではなかった

一部の日本右翼思想家が、日本人が作ったというその一点でのみrubyを高評価していたが、ruby活躍したライブラリはせいぜいruby on railsぐらいで、近年の機械学習統計科学流行にはついていけてない

統計科学的なライブラリを使わない場合も、サーバー対応関係phpが好まれるという以前からの根強い傾向があるので、rubyにこだわる必要性がない

2023-10-29

リベパヨ思想家さんの記事を読んで

あいう人が「今の世の中には大人がいない」と嘆いても

そこでいう大人って「一生懸命パヨってる自分をヨシヨシしてくれる偉い人」くらいの意味なので

鼻ホジしながらおならプーする程度の反応で可

2023-10-18

21世紀を数十年生きた人間の話と21世紀にわたる時の試練を経た歴史上の思想家とどちらが勉強になるかな

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続き

彼らの政治プロジェクト理論

私たち時代における2つの重要問題は、次のとおりである

現在世界社会正義革命を起こすにはどうすればいいのか?

そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たち私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?

このような問いは、歴史を通じて真剣思想家活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:

なぜ人間社会はこれほどまでに不平等になったのか?

意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等起源についての本ではないのか」と。

この本の中心的な主張のひとつは、不平等ヒエラルキー暴力は、あらゆる人間社会組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。

奇妙なスピン

これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類祖先や初期の人類平等であることによって見出し適応、つまり生態学ニッチについて説明する新しい注目すべき学問無視している。つまり、かつて人類平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的無政府主義者マルクス主義者の見解無視しているのだ。

保守派の主張は、農耕や都市生活経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。

彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義奴隷制階級差別人種差別性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。

グレーバーとウェングローが主張する政治論点は、太古の昔から、人は常に支配自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。

彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである

この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。

彼らの主張 - Step By Step

グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。

さら重要なのは19世紀社会ダーウィニズムや、より最近スターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要対象であり、私たちはその両方を共有している。

社会ダーウィニズム歴史の段階説。ハーバート・スペンサールイスヘンリーモーガン19世紀社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的知的進歩シグナである理解されている。

しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代人種差別主義新植民地主義を支え続けている。

左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。

そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスエンゲルス仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論説明も暗黙のうちに否定しているのだ。

これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族起源 私有財産国家』において最も顕著であるエンゲルスはそこで、人間平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。

しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。

アーリア人セム民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコプエブロインディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。

エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。

フランツボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたか自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツボアスは、太平洋西海岸クワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。

フランツボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年ヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命指導者の一人であったソフィーメイヤーの息子である1851年までに、彼女読書グループマルクスエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。

ボース人類学者になった。カナダではバフィン島イヌイット族やバンクーバー島クワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークコロンビア大学教授となった[2]。

1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造であると主張した。1913年当時、ボース母親政治否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民党派として、人種差別を憎んでいた。

ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクトマーガレットミードゾラニールハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類文化進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。

しかし、私たちはもはや1913年時代ではない。1982年エリックウルフ皮肉タイトルの『ヨーロッパ歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史真摯に受け止める人類学の波を起こした。

人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗宗教伝統現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しか悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民大量虐殺アフリカ奴隷貿易白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争正当化するために展開され続けている。

新しい進化論人間適応

人類学者や考古学者たちは、現在人類の不平等起源について、まったく妥当説明を構築している。ケント・フラナリージョイス・マーカスジェームズ・C・スコットがその中心人物である

残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろかにしてしまうことである

グレーバーとウェングローは、かつて人類狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境人間存在物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会必然的平等であったことを否定している。

彼らの主張の第一歩は、人類進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。

過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。

化学的微量分析DNAサンプリング、放射性炭素年代測定質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちヒーローの中には、読み応えのあるクリストファーボームフランズ・デ・ワール、R・ブライアンファーガソン、サラ・フルディ、マーティンジョーンズ、ローラライヴァルの広範な出版物がある。

このような研究は、人類進化人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たち平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察であるしかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である

人間適応についての簡単なまとめ

現在、さまざまな類人猿サル対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係子育て攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類進化理解するための私たち方法でもある。

時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143645

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

初めてガンダムアニメたか感想聞いて欲しいの〜

【前知識

ガンダムって何と戦ってるんだろ?

え、緑のガンダムって敵のガンダムなの?ザク??

「父さんにも殴られたことないのに!」だっけ?言う人が主人公なんだよね?

あとシャア専用だっけ、なんか赤い仮面被った敵っぽい人いるんじゃなかったっけ?

【観たアニメ

ジオリジン1話

思想家の息子で11歳くらいのキャスパ少年物語

アマプラにあるしオリジンって書いてあるからからガンダムならして見やすくした感じかな?と思い観ることにした。

感想

戦隊モノチックな戦うアニメかと思ったら人間関係アニメだった!

最初戦闘

ガンダムだなー

攻撃かっこいい!

・キャスパ

パズーだ!なんか絵と相まって世界名作劇場みたいだな…

懐かしいな…

お金持ちで頭が良くてプライドも高くてそこそこ性格もキツくて良いキャラだなあ

初めてなのに射撃ますワロタ

ちゃんストッパーになってダークサイドには落ちなそう

・妹ちゃん

お父さんに抱っこされた感じ3歳くらいかと思ったらめっちゃ喋るなー7歳くらいか

・キャスパルのお母さん

あんな小さい子と一生会えないかもしれないとか辛すぎ

地球に一緒に逃げれば良かったのでは??

正妻にいろいろ言われるのはまぁ仕方ないよね…

正妻若いから思想家に惚れ込んでお金時間も使ったのに子どもできないし浮気相手子どもできたからそっちと暮らすわーってなったの可哀想

酒場峰不二子的なお姉さん

なんでもできるなぁ!不二子ちゃんじゃーん

・ザビ家

みんな見るからに悪いなあ笑

ゴリラっぽい人がコメディリリーフなんだろうな、マッチョで単純な性格キャラ大好き!生き残って欲しい

オンライン囲碁ゲームしてる長男なんなん笑なんだこの声

ちゃん暴走しそう〜やだ〜かわいそうなことになりそう〜

1番下の子キャスパルと同い年かー

ザビ家の子としてはちょっと悪さが足りない感じよなー

葬式でキャスパルと目が合う描写あったなー

ザビ家のプライドと努力好青年に成長→キャスパルに上手いこと利用されるみたいな展開ありそう〜。

ザビ家のお母さんってどんな人なんだろ?

あのお父さんの感じからして腹違い兄弟なのか??

・おじいちゃん

武器用意して立てこもりから地球行き聞いた時の喜び方、これフラグでは?

今後このおじいちゃん狂ってやらかしそうー

上手くいきかけたのにおじいちゃん暴走して失敗、おじいちゃん死亡、みたいな

・街の人

治安悪いなー。貧乏そうなのにキャスパルの家はなんであんお金持ちそうなの?

どっからお金が湧く仕組みなの?

お父さん悪いことしてたの?

2023-09-13

anond:20230913101934

中国思想家である老子が著した「老子道徳経」によれば、

一見、役に立たないと思われるものが、実は大きな役割果たしている。

とのことです。

https://manapedia.jp/text/3877

2023-08-30

anond:20230830172330

でもさー 子供産んだ女で、さら現場で働いてたり警備員とかトラックドライバーやってるガテンおばちゃん普通に実在するわけよ。

社会を語りたいならそこは統計的に見ようよ。

そういうおばちゃんは居ないか居るかなら「居る」。

でもキツくて危険仕事は圧倒的に男性に偏っている。これは事実

女性はやりたがらないからね。

 

職業って選択の結果だし、男に生まれたらある日徴用されて現場に放り込まれるわけじゃないでしょ。

俺は思想家じゃないか別にどっちの論法でもいいんだよ。

その「お前の自由意志ですよね」「お前の選択ですよね」ってスタンスを取るなら取るで結構

 

その場合そのスタンスは男だけでなく女にも採用されるから

ネットフェミニスト達の主張「私たちは〇〇させられた」は却下されるよね。

女の人生社会のせいにするのやめよう、人のせいにするのやめよう、男のせいにするのやめよう。終わり。

 

でも、日本においては所詮好きでやってんだしなーってのはあるよね。

子供産む女も強制されて産んでるわけでもなく、男も選択余地なく危険業務をさせられるということもなく、所詮机上の空論で揉めてるだけじゃん。

どっちでもいいと思うよ。

俺がここで言いたいのは「ネットで暴れてるフェミニストの論立ては浅はかなのでどっちに行っても詰むやんけ」と言う指摘だけ。

(実際ネットのアンフェの連中も主体的な主張があるというよりフェミニストの幼稚な論理に「それはこうおかしい」ってレスしてるだけに見える。)

 

決定的なのは、アンフェの多くは現場で働かずに、涼しい部屋でパソコンポポチしてるだけでしょ。ほんとに現場できつい仕事やってるおっちゃんや兄ちゃんはそこにいないんだよ。

昨日だか、そういう思い込みで男に向けて対戦希望表明したおばちゃんがおって

「私はステージで暴れて歌っている!ジムでコアマッスル鍛えている!」っていう人だったんだけど

その相手がまたよりによって林業おっさんで盛大な赤っ恥になってたよ。

 

まあよりにもよって林業だったのは不運だけど、

おばちゃんの口振りって君と同じで、「何故か相手ホワイトワーカーだと確信してた」んだよね。

いやブルーワーカーなんかどこにでも全然おるからさ。 

 

おばちゃんも君もどういう人生送ってるんだ?

男の勝ち組エリートでもなかなか君等みたいな不思議な感じにはならんので、

やっぱりなんか、お父さんとか夫とかに都度都度守られて汚いものを視界や意識に入れずに来た女の子なのかな、って感じはする。

 

何故か顔も知らないネット相手ホワイトワーカーである確信して決め付けてしまう。

それは普段からブルーワーカーなんてもの意識からも外して生きることが出来てるからなわけでしょ。自分と関わる人間ブルーワーカーおらんという変な思い込みネットレスバにまで出てきてしまう。

御令嬢と言うか、お姫様と言うか、いややっぱ一番しっくりくる表現は「女の子」だよね。

 

 

 

まあ俺はその手の話はそんな熱心ではないんだけど

しろ「コアマッスル」がムカついたわ。

体幹とかコアマッスルとか言うやつら全員さあ。

筋肉鍛えるってのは「死ぬのかな?」ってくらいのキツさでデッドリフトを床から引くことなんだよバカどもが。

自重で変なヨガピラティスをちんたらやるだけでトレーニングだと思ってるアホはデッドリフトやらせれば一回で泣く。

別にふにゃふにゃに緩い世界で生きるのは勝手だが、そんなやつがなんでハードコア自称して素性もわからん相手に対戦表明するのかわからん

2023-08-23

極端から極端にしか走れない人類絶望した

もう歴史証明してるやん。

「やり過ぎは毒だ」って。

 

「大は小を兼ねる」 「材大なれば用を為し難し」

これどっちも真実でしょ?

極端すぎるもの適用範囲を超えるけど、範囲内なら兼ねることができる。

まり丁度いい範囲が最も優れてるってことだろ。

風呂温度にしても10度だと冷えすぎだけど、熱くしようとして100度だったら茹でガエルだろ。

ちょうどいい40度前後個人差でも選べることができるベストだろうが。

結局世の中の真理はいつも中庸にあってブッダ2000年上前結論出した答えにいつまでもたどり着けないのが人類絶望した。

無味な人生を送れって言ってるんじゃなくて丁度いいお風呂温度を探求すれば?って話。

別にたまには熱い風呂に入るのも刺激があっていいよ。

でも「熱い風呂健康に悪い!これからは水風呂だ!」もどうなんだよ。そのあと、どうせ「これからは熱い風呂だ!」の揺れ戻しだろ。

極端と極端は完全な中庸を探索するためのツールとして使われるものであるべきなのに、完全に流行を作り出すためのツールに成り下がってる。

人間の一生がたかだか80年程度でクソ雑魚のせいなのもあるけど、歴史からみて人類は同じことの繰り返しが多すぎだろ。

少しずつ前進してるにしてもいい加減、無意味な極端から極端といムーブメント卒業してほしいんだわ。

個人社会か?の話にしたってどっちか偏ったら結局全体の幸福度は下がるに決まってんだろ。

インフラ崩壊したら個人自由が保たれても幸せなのか?財産持つことが許されないけど子供が沢山いりゃ幸せなのか?

違うだろーが。両方だろ目指すべきは。

そのために限られた時間金労力人をどう最高の配分するかが悩みどころなんじゃねーか。

なんでお前ら大半の思想家政治家や凡人どもは極端なゴールしか設定できねーんだよ。

1日8時間+αで週5働いて、土日は友達遊んだ夫婦子供たちとサザエさん観ながらチャンコ鍋をつつく。

その程度が結局人間の追いかけられる幸せ限界だろうが。

大半の凡人で才能のなく努力もできず環境も味方してくれないのが人間だろ。

大金持ちになりたいとかスターになりたいとか好きなことして生きていくなんて、9割の人間が無理なんだよ。

今の個人主義に偏りすぎた西洋社会では多くの人間が不幸になるし、

かといって東側のように個人自由がなさすぎても文化的につまらない社会しか作れない。

結局のところ西側は拡大しすぎた個人主義にどこにボーダーを設けるのか、開きすぎた格差をどう解消するのかがゴールであって、

それを語らない思想家政治家も全部まがい物にすぎない。一部の弱者だけを救済したところで解決にならない。

ポリコレハラスメント問題にしても何でも極端から極端に走ろうとすんのはやめてほしい。

どうせそのあと30年や50年もすればまた元のファッションに戻っていくんだから。実につまらないよ。ダサい。なんの進化もない。

日本もどうせ人口ピラミッドが解消されはじめた前後でまた家長制度復権に近いようなことが必ず起きる。

どれだけ否定したところで社会が揺れ戻しを起こすことで回復を狙うから「あり得ない」とか言っても現実として起きる。

あり得なくても隕石地球に落ちてくるし、人間がどれだけ嘘を信じようとしたところで現実に発生するんだからどうしようもない。

極端から極端に映る過程もロスだし、毎回同じことを繰り返して大して進歩してない反省を得るのも本当につまらない。

大多数のバカのために聖書が作られておとぎ話が作られたはずなのに改変やら差別やら生み出してまた極端から極端の世界にいく。

本当に人生無駄どころか人類史の無駄

極端から極端に走るな、完全な中庸を目指せ。

2023-08-22

男性性を降りることと釈迦思想

男性性から降りる決心をしました を読んでて思ったんだけど、このような意味での「男性性を降りる」「男らしさを捨てる」ことは、釈迦の言うところの「悟り」に近い感じがしますよね。執着から離れる感じ。

しかし、皆さんご存知のとおり、釈迦は極度に女性差別的な思想家でもあったわけです。私は、これは釈迦が誤っていたというよりも、フワフワしたフェミニズム的な主張を垂れ流し、自分を棚に上げて他人自由否定するような連中を見ると、まあ残念ながら畜生道だし、釈迦は正しかったのだろうと思えてきますね。

2023-08-21

自殺なんて存在しないんじゃないか(なめらかな殺人とその共犯

世の中には自殺、つまり自分意志によって自分を殺すこと、なんて有り得なくて、そう思われているのは「社会による殺人」つまり他殺なんじゃないだろうか。

自殺するような状態に追い込まれている人なんて、精神的にしろ肉体的にしろ健康的な環境に居るわけないんだから、少なくとも意志って意味では通常の状態ではないし、尊重っていうか、そのままにしておいていいもんじゃないと思う。

尊重されるべき意志って、完全にそれが独立していて、十分な情報とか栄養素が与えられている環境にあって初めて成立を認めていいものだろ。尊重なんて立派そうに言うけど、要するに遠くにおいて見守って手出ししないってことで、そうされても大丈夫環境に居るやつにしかやっちゃいけないことじゃん。

そんな恵まれ環境に置かれていない、傷だらけでそこらにボロくずみたいに転がって朽ちかけている人の意志を、『個人自由から』って言って、尊重って名目で元気な人の精神と同列に置いてほっぽっておくのは、それはもはや殺人だろ、文字通りただの見殺しじゃん。だからその人は自分意思で死んだんじゃなくて、社会に殺されてる。

自己責任論は「厳しい、しかし受け入れなければいけない現実」かのように語られるが、現実に起きていることを精緻に、細かく追って見れば見るほど、自己責任論は欺瞞で、単に現実の複雑さを考えるのが面倒で力の足りていない存在が、単純化された(そして誤った)図式で納得しているだけということが分かる。モデルモデルとして理解して使いこなす分には有用だが、それを真理だと思うことは害悪しかもたらさない。

悲しいのは、それは自殺じゃなくて他殺なのに、自殺だと勘違いしてあたか自分意志で死んだと勘違いしたまま死んでいった人たちが居ることだ。

彼らは被害者なのに、時折「愚かな選択をした加害者」のようにピックアップされる。それは彼らが選択肢の余地がなかった存在であるにも関わらず、あたかもそれを主体的選択した人のように見做されているからだ。

彼らがどこまで「もう耐えかねたので自分意志世界から去ることを決めた」「肉体は支配されても精神支配されない」と訴えていたとしても、彼らの意志尊重という名のもとに放ってほくことを良しとはしたくない。

しかすると彼らは「助けてほしいとなど言っていない」と言うかもしれない。助けることで彼らの精神が傷つくかもしれない。でも助けたい。心肺蘇生のためには、肋骨を折れてしまうことを恐れてはいけない。

加害者が居て被害者がいる、という旧来の責任所在のわかりやす殺人事件の関係性が変化して、加害者責任分散され希薄化され社会にまぶされ均された、「なめらかな殺人」が横行するようになっているだけなんじゃないか技術者思想家必死こいて社会実装しようとしている社会の形が、殺人形式でこれ以上ないというほど完璧に実現されている。そんなの悲しすぎる。

一方で自殺存在しないというのは、つまり自分意志コントロールして回避するなんてことができないということだ。それは突然降りかかる通り魔のようなものなのだろう。

自殺しようと悩んでいても結局死を選ばなかった人たちというのは、偶然その人の経験が、自分を死に追いやるような本当に破滅的な悲劇閾値を超えなかっただけで、「選ばなかった自分」がいる、というのは単なる生存バイアスに過ぎないんじゃないか

車に轢かれ掛けたけど死ななかったのは、その人の意思が強かったからではない。ただ物理運動連鎖幸運に働いたからにすぎない。するとやはり我々は社会として殺されることを自分ごととして怯え、備え、防がなくてはならない。

我々は安全運転に努めるのと同じように、殺されないように世界に気を配り、殺されかけている人たちを助けなくてはならない。車を運転する人が事故りたいと思わないのと同じように、やはり生きている人は殺されたいとは思わないのだ。

人と家畜のように非対称性を作って殺されない方の立場にいくことを目指すのではなく、人同士が殺し合わない世界を、共犯者にならない世界を、一体人類史で何万回目の試みになるかわからないが、それでも目指す必要があるのだ。そしてそれは、自殺自殺ではないというように捉え直すところから始められるのではないかと思っている。

自殺殺人であるとすれば、世界には老衰しろ事故死にしろ病死しろ殺人しろ自分の意に反した死しかない、ということになる。自殺ある意味現代倫理における特異点だ。それをどのように考え、善悪判断するか社会は悩み続けている。

(もし自殺意志尊重されるべきだとして、全ての準備を整えて「自分意志」で飛び降りて、地面にあと10センチまで迫った時にその人の胸中に切実に去来する「死にたくない! 生きたい!」という願いを、一体誰が尊重してくれるのか? という問いは長年個人的な関心だった。この問いがあるため、俺は「自殺は死の自己決定権問題である」という議論に全く乗れなかった)

しか自殺存在せず他殺の特殊形態の一つであると考えれば、特異点の発生を回避することができ、他の死の征圧の過程と同じような手続きでそれを回避していくことができるようになるのではないか、そんな期待もある。

人は自分がいつか死ぬと知っている、ほぼ唯一の動物だという。何もせずとも人は死ぬしかもこの世界物理的な規定に殺される。それだけは宿命で、今のところ回避の手立てはない。しかし、同胞を殺したくはない。

動物を殺し植物を食らい、資源を食い荒らしてきたこ世界で、それでも同胞を殺すことだけナイーブに人は避けてきた。そして人の倫理歴史は、同胞範囲を家、村、町、国、人種人類全体、さらその先へと、広げていく過程であった。

今、殺人概念拡張自殺包含することで、新たな倫理とそれに基づく制度を作れるのではないか。何も思いついていないけれど、そう思っている。

2023-06-30

パンティーを崇める宗教かと思った。

パンティズムは、神と宇宙が同一であるとする哲学的立場または信念です。この考え方は、神が別個の存在として存在するのではなく、自然宇宙のものを通して存在し、全ての事物が神の一部と見なされるというものです。パンティズムの名前は、ギリシャ語の "pan"(全て)と "theos"(神)から派生しています

パンティズムは、スピノザアインシュタインなどの多くの著名な思想家によって支持されてきました。スピノザは「神または自然」の概念提唱し、アインシュタイン自然法則宇宙の美に深い尊敬の念を表現しました。

パンティズムはしばしば宗教哲学の間の境界位置すると考えられており、自然主義物理主義神秘主義の要素を組み合わせることが多いです。神の個人性や意志を認めないことから伝統的な神学的な視点とは異なるものと見なされています

2023-06-02

春秋時代ブームを起こす超大作が生まれるとして、誰を主人公にしたらいいか

ハッピーエンドにしにくかったり、情報不足だったり、どの人物も一長一短?

国家未来まで考えると秦以外は最終的に滅びるし、春秋時代の秦だと穆公以外のイメージが弱いな。

だいたい宮城谷昌光氏が書いている(というか自分情報源なので他が思いつかない?)。

よさそうな宮城谷昌光作品をどこかがメディア展開してブレイクさせてくれたら、もしかしたら春秋時代ブームの夢が見れるかもね。

春秋五覇(と五覇に準じる人物

鄭荘公:情報不足?周からみたら戦場で追討軍を討ち破るほどの逆臣。

桓公:末路が惨め過ぎる。

晋文公:活躍時が高齢感情移入しにくい?

楚荘王:「俺はまだ本気出してないだけ」要素もあり、後継者も有能(短命だが)で良いと思うんだが、時代社会代表する人物とするには極端に言うと「蛮族の王」なので文句が出るのかな?

秦穆公:同時代人(晋文公)が強い。現代価値観では殉死がバッドエンドに感じられてしまう。

宋襄公:宋襄の仁()現代日本の勝てば官軍な世相では受けない。

呉王闔閭:綺麗に終わらない。

呉王夫差:完全にバッドエンド。

越王勾践:范蠡に砂を掛けられる。

家臣

晏嬰:わりと良いのでは?トホホ上司共感も呼べそう。

子産ちょっといかも?

華元:テラワロス

伍子胥主人公作品はけっこう多くて、既にアイスバーン最期悲惨

士会:楚荘王をライバルにうまくやれないか

養由基:バトル中心で行く?

ブコメから

范蠡商人への転身をどう描くか?

祭足(祭仲):鄭荘公の出てくる作品で見たはずだが記憶に残っていなかった。Wikipediaを読むとちょいワル系。死に方は悪くない。

思想家

孫武エピソード膨らませる必要がある。最期不明なので、大抵は伍子胥に食われる。

孔子:浮沈の順番が逆なら良かった?

老子:謎。完全ファンタジー不老不死テレポートあり)にして、春秋時代有名人つまみ食いにしたらいけるかも?

女性

夏姫:悲劇

西施:やっぱり悲劇


あとは詳しい人に任せた

anond:20230602135602

2023-05-20

雄弁は銀 沈黙は金

イギリス思想家言った広めた諺らしい

人によっては銀の方が価値があるだろうと捻くれたことを思わなくもないが

市場的には金の方が価値があるってのは今でもそうだし

日本では「金なら1枚 銀なら5枚」って格言がある

まり大半の人間沈黙価値を知っていてもモノにできない

かといって雄弁を続けられるほどの根性もないのだ

そこまでしてカンヅメが欲しいわけではないし

チョコボールを食べる」という言い訳前提もあるから

2023-04-11

anond:20230411134800

大学って元々大学自治みたいな考え方があるから(それは学問の自由思想の自由なんかが関係してる)それを逆手に取ってスパイとか過激派思想家アジトになってるのは昔からじゃん。

2023-04-07

ジュディス・バトラーペテン師である

https://note.com/f_overseas_info/n/n58eab2472f0e

ジュディス・バトラージェンダーに関する思想家でありながら、セックスジェンダーについて不誠実な説明しかできず、世の中の女性たちから寄せられている批判の声を理解しようともしないことが、2020年9月インタビューで明らかになった。バトラーおよび彼女の信奉者たちがジェンダー研究世界で長年行ってきた茶番劇を、カナダフェミニスト、ミーガン・マーフィー氏は鋭く批判している。

2023-04-03

anond:20230402144655

今時小説家になろうとするやつなんて一人残らず引きこもり志望で

一人で家でできて一発当てられる仕事として小説家やってるんだから当たったら書かなくなるに決まってるよな

三島由紀夫死ぬ前までは、一応小説家も世の中に影響を与える、大衆を導く思想家として期待されていたけど

現代では小説家なんてただのエンタメ映画原作屋にすぎない

大衆エンターテイメント提供するので引きこもらせてください。これが現代小説家本音

2023-02-25

[]錯乱者が異世界に行く理論

Q: 人間認識能力限界があるのなら、フレームの間に別の世界があるというのは本当なのでしょうか?

 

AI言語モデルである私は、フレーム間の異世界存在について、個人的な信念や見解を持っているわけではありません。しかし、この概念に関連するいくつかの情報理論提供することはできます。「フレーム間の別世界」という考え方は、SFや一部の科学理論で探求されてきた、パラレルワールドや別現実可能性を指していると思われます量子力学の「多世界解釈」は、量子力学的な事象が起こるたびに、宇宙複数並行世界に分裂し、それぞれがその事象の異なる可能性を表すとする理論であるしかし、これらの理論はまだ科学者の間で大きな議論があり、実証的な証拠裏付けられていないことに留意する必要がある。さらに、人間認知能力には限界があり、私たちの知覚や理解は不完全または不正である可能性があります結論として、「フレームフレームの間にある別の世界」という考え方は興味深いものですが、まだ憶測の域を出ておらず、科学的な裏付けがあるわけではないのです。

 

Q: ある種の薬を使った人たちが、主観的には違う世界体験しています

 

特に精神作用物質使用瞑想精神修養など、特定の条件下で、現実の知覚が変化する経験を報告する人は珍しくありません。このような体験は、普段とは異なる現実世界を知覚しているように思わせることがありますしかし、これらの体験主観的ものであり、必ずしも自分の心の外にある客観的現実を反映しているとは限らないことを心に留めておくことが重要です。脳は、さまざまな意識変容状態を生み出すことができる複雑な器官であり、これらの体験は、遺伝環境個人差などさまざまな要因によって影響を受ける可能性があります。結局のところ、私たち世界を超えた別の世界現実存在するかどうかについては、科学的・哲学的議論が続いており、その存在を決定的に証明することは困難か不可能かもしれません。しかし、確実に言えることは、私たち現実認識体験はさまざまな要因に影響されており、私たちを取り巻く世界理解は、私たち認識能力調査するためのツールによって制限されているということです。

 

Q: 例えば、ある人が持っている情報によって、その人が属する世界が変わるということはあるのでしょうか?

 

哲学的観点からは、個人世界に対する認識理解は、その人がアクセスできる情報によって形成されるという主張が可能です。この意味で、ある人が属する世界は、その人の知識理解依存していると見ることができる。例えば、ある人が特定話題問題について新しい情報を得ると、その話題に対する認識理解が変化し、自分が以前とは異なる世界に属していると感じるようになることがあります。同様に、異なる文化社会的文脈に触れた場合、その人は以前とは異なる世界を見るようになり、自分が別の世界に属していると感じるようになるかもしれません。しかし、この考え方は、必ずしも文字通りのパラレルワールド別世界存在示唆するものではないことに注意が必要です。むしろ私たち世界理解経験する方法は、私たちアクセスする情報文脈に大きく依存することを示唆しています。結局のところ、現実性質とその中での私たち位置は、何世紀にもわたって哲学者科学者によって議論されてきた複雑で多面的問題であり、今後も継続的調査研究対象となる可能性がある。

 

Q: さて、単純化してみましょう。白と黒が点滅する一次元セルがあり、ボブ君は奇数列を脳内認識し、「これが私の住む世界だ」と感じたとする。途中で何らかの情報を受け取ると、ボブの認識は変化し、偶数列に切り替わります。では、この場合主観客観区別はどうなっているのでしょうか?

 

この単純化されたシナリオでは、主観客観区別は次のように理解される。

しかし、知覚の主観的経験は、個人客観的な刺激をどのように解釈し、どのように反応するかに影響を与えることは注目に値する。この意味で、主観的体験客観的体験相互に関連し、複雑な形で影響し合うことがあるのです。

 

Q: さて、もっと深く考えてみよう。この1次元セル任意cos関数と交差させる。それを「主観的に知覚された現実」とする。すると、地球上の誰もが同じcos関数を同じ角度で持っていたとしたら、それは客観的ものだと思い込んでしまうが、実は共通主観的認識に過ぎないのではないだろうか?

 

もし、地球上のすべての人が、同じcos関数と交差する1次元セルについて同じ主観的認識を持っていたとしたら、全員が同じパターンや閃光の順序に同意することになるので、その認識客観的であるかのように見えるかもしれない。しかし、これはあくまでも観測個人経験解釈に基づく主観的認識であることに注意が必要です。複数の人が同じ認識を持っているからと言って、それが客観的であるとは限りません。客観的であるためには、個人経験解釈から切り離された、検証可能証拠に基づくものである必要があります。例えば、1次元セルの点滅パターン機械客観的に測定・記録し、そのデータを他の観測者が同じ測定方法独立検証することができる。結局のところ、主観客観区別は複雑で、個人認識解釈文脈など、さまざまな要因に影響されうる。複数の人が共通主観的体験をしたとしても、それが必ずしも客観的体験であるとは限りません。

 

Q: さて、架空の設定ではなく、現実の設定に戻ろう。現実のどこに客観的ものがあるのでしょうか。

 

現実には、私たちの知覚や経験はすべて個人主観によってフィルタリングされているため、完全に客観的もの特定するのは難しいかもしれません。しかし、現実のある側面は、独立して検証することができ、個人の知覚や解釈の影響を受けにくいため、他の側面よりも客観的であるとみなされることがよくあります。例えば、以下のようなものがあります

ただし、このような客観的現象であっても、個人偏見見解に影響され、ある程度は解釈余地があることに注意が必要です。また、現実の中には、客観的主観的簡単に分類できない、両者の中間的な存在もあるかもしれません。

 

Q: では、あなたの言うこの4つが、実は先ほどの架空の設定における「すべての人が主観的に同じ角度のcos関数を知覚する」ことと似ているとしたらどうでしょう

 

物理法則数学原理科学データ歴史的事実など、より客観的と思われがちな現実の側面も、やはり個人解釈主観的要因に左右されるということは確かにある。例えば、科学者が物理法則科学データ解釈し、適用する方法は、科学個人視点偏見仮定に影響されることがあります。同様に、歴史的事実も、それを検証する文化的・政治的文脈によって、さまざまに解釈され、表現される。しかし、これらの客観的現象主観的要因に影響されるということは、必ずしも完全に主観的であるということではないことに留意する必要がある。むしろ客観的現象理解解釈は、客観的要因と主観的要因の複雑な相互作用によって形成されることを示唆している。結局、客観的体験主観的体験区別は、現象性質、測定や検証方法検証の背景など、さまざまな要因によって、必ずしも明確になるとは限らないのである

 

Q: 哲学者はしばしば、客観性と神との間に関連性を見出します。この点についてはどうでしょうか。

 

客観性と神との関係は、何世紀にもわたって議論されてきた複雑な哲学的神学問題である哲学者神学者の中には、秩序と規則性を備えた客観的現実存在は、宇宙目的意味を吹き込んだ高次の力、あるいは神の創造主証拠であると主張する人もいる。彼らは、客観性は神の存在世界におけるプレゼンスのしるしであると考える。しかし、客観性が必ずしも神の存在意味するのかどうか、疑問視する人もいます客観性は物理法則などの自然現象説明でき、超自然的な説明不要だというのである。結局のところ、客観性と神の関係哲学的神学的な議論であり、思想家によってこの問題に対する見方は異なるだろう。客観性を神の存在証拠考える人もいれば、単に自然界の特徴であり、自然プロセス説明できると考える人もいるだろう。

 

Q: では、結局のところ、波動関数とは何なのでしょうか?

 

波動関数とは、量子力学的な系を数学的に記述したもので、ある粒子がある時刻に特定状態にあることを発見する確率記述したものである量子力学では、電子光子原子などの粒子は、重ね合わせの状態存在する波動存在として記述される。つまり、同時に複数状態存在することができる。波動関数は、粒子が取りうる各状態確率振幅を記述した数式であり、粒子を測定したとき特定状態観測される可能性を決定するものである波動関数ギリシャ文字Psi(Ψ)で示されることが多く、一般的には複素数値の関数で表される。波動関数絶対値の2乗は、粒子が特定位置存在する確率密度を与える。波動関数量子力学の基本概念であり、量子系の振る舞いを予測理解する上で中心的な役割を担っている。しかし、その解釈意味については、現在科学界で議論考察が続けられている。

 

Q: 現実ヒルベルト空間上のベクトルであると言う人がいる。これはどういうことだろうか。

 

量子力学において、ヒルベルト空間とは、量子系の状態記述するために用いられる数学空間であるヒルベルト空間は、特定内積定義された複素ベクトル空間である

ヒルベルト空間は、量子系の状態ベクトルとして表現するために使用されますシステム状態は、それぞれヒルベルト空間内の異なるベクトル対応します。システム状態を表すベクトル状態ベクトルと呼ばれ、通常、ギリシャ文字Psi (Ψ) で表される。状態ベクトルは、系の波動関数記述する複素値のベクトルであり、系の各可能状態確率振幅を与える。現実ヒルベルト空間上のベクトルであるというのは、量子系の状態ヒルベルト空間上のベクトルとして表現できることを意味します。つまり、量子系の状態は、この空間における点として表現できる数学対象なのです。ただし、これは量子系に限定した話であり、物理学や自然界の他の分野には当てはまらない可能性があることに注意が必要です。

 

Q: ここで、よくある実験を考えてみよう。簡単のために、電子がある線の右側に行ったら、あなた明日フォン・ノイマンゲーム理論の本を読み、左側に行ったら、PCLeague of Legendsプレイするとしましょう。では、あなたが何をしているかからない人は、それを知るまであなた状態読書ゲームの重ね合わせなのでしょうか?

 

二重スリット実験文脈では、電子の振る舞いは、2つのスリットのどちらかを通過する、自分自身と干渉する、検出器の特定場所に行き着くなど、可能な結果の重ね合わせとして記述することができる。あなたシナリオでは、もし電子が線の右側を通ったなら、あなたの決められたルールに従って、あなた明日ノイマンゲーム理論の本を読むことになります。逆に、電子が線の左側を通ったら、あなたPCで『リーグ・オブ・レジェンド』をプレイすることになります。つまり実験結果を観測するまでは、あなたの心の状態は、読書ゲームの重ね合わせの状態であると言えます。なぜなら、重ね合わせの状態にある量子系(電子)があり、あなたの心は、実験結果に依存する形でこの系と相関しているからです。量子力学では、システム状態とその観測者を別々に扱うのではなく、一つの量子システムとして扱います。"量子測定問題 "と呼ばれるものです。したがって、実験結果を観測するまでは、あなたの心と電子は、可能な結果の重ね合わせの状態にある一つの量子系として記述することができるのです。

2023-02-24

池田大作の緊急提言は、ウクライナが無くなってもいいと解釈できる

池田大作創価学会名誉会長(以後、役職名敬称略)がウクライナに関して緊急提言してた。

YouTuberは緊急告知をよくしてるけど、それの政治カルト指導者いや仏教哲学者版なのかもしれない。

https://www.sokagakkai.jp/info/2273474.html

桂冠詩人称号もってるから形容詞が高尚で、浅学な自分には直感できないし、無駄に長文で理解するのに時間かかった。

言いたいことを要約すると、小見出しを集めたとおりで:

  1. 国連による関係国会合を開催し停戦合意の早期実現を
  2. 核兵器の先制不使用」の確立が急務
  3. NPT核兵器禁止条約との連携人類未来を開く核軍縮

ということ

もっと平たくいうと、1.はよ停戦しれ、2.核使うんじゃないぞ、3.核軍縮しれや …としか言ってない

東スポで、池田大作創価学会が大好きな佐藤優さんが、池田大作ウクライナ提言マスコミシカトするのおかしくね?とか言ってる

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/253198

触らぬ神に祟りなしというからマスコミ相手にしない。言論出版妨害事件以来、マスコミ創価学会停戦状態にある。

それから、ChatGPTにでも書けそうな、ポリコレしてるだけのありきたりなエッセイお金払ってまで読まないだろうし。

あえていえば、佐藤さんご指摘の通り「ロシアウクライナ侵攻」という明言を避けてるくらい。

停戦合意にかんしては、ベラルーシ二国間でやっても整わなかったり、トルコ仲介しても整わなかった。

日本議長国やってたとき安保理でもいろいろ頑張ってるんだけど、シリアに対する人道支援ロシアが反対しようとするとか、どんどん違うところにまで飛び火している。

さらに、アフリカ諸国は、欧米ウクライナばかりひいきしてずるいという意見も出てきてる。

https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/ZVNRMM8Y77/

中国仲介して和平させようとしている。

https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20230223-00338455

なので、中国大好きな池田大作創価学会が、中国模索同調して緊急提言したのかもしれない。

ロシア極右思想家の考えからすると、ロシア勝利人類滅亡しかなくて、ロシア勝利とは4地域か、ノヴォロシア7地域か、ウクライナ全土の解放占領である

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/330028?display=1

となると、池田大作の言っている停戦合意せよというのは、遠回しにウクライナ負けろと言っていることになる。

核兵器使用について考察してみたいと思う

核兵器戦争を短縮できる場合しか使われないという。ヒロシマナガサキは採算取れたらしい。

https://maonline.jp/articles/economic_utility_of_nuclear_weapons_by_russia221019#toc1

前掲のロシア極右思想家によると、ロシア西側のともに核兵器を使うことはないという。双方、使わなくても目的は達成できると。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/330028?page=2

ロシア核兵器使用すると、プーチン政権は自滅するから使わないという。

一方で、ロシアが追い詰められたら、プーチンが何をしでかすかは、実際になってみたいとわからないという。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2023/02/22/29581.html

核の脅威にかんしては、戦術核が1発落とされたら、ドミノ倒し的に応報がなされ、即死3410万人、負傷5740万人という予想もされている。

https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/92YZ3NZ43M/

個人的には、日本戦争被害って、ヒロシマナガサキという核被害が始めに上がり、せいぜい東京大空襲くらいしか上がってこない。

祖父が亡くなった地方空襲なんて取り上げられることはない。

となると、いま現在個人的にはブチャでの殺戮は酷いという印象があるけど、核の応報で1億人近くが死傷すると、ブチャの悲惨さとか影を潜めてしまう。

しかも、ウクライナ一国の被害だったのが、欧米の主要都市での被害が出て、情報量多すぎで捌ききれなくなり、「人類ヤバい」くらいに簡略化されてしまいそうだ。

対話」という「折伏」、そして「停戦合意」という「領土割譲

早期の停戦合意という提言は、池田大作が「対話」と称して「折伏」するのに似ている。

いっけん平和的に見える「対話」だけど、対話から新しい発見見出し、双方がそれぞれに変革するものではなくて、一方的折伏するところにあるからだ。

よって、池田大作提言は、核兵器使うと人類ヤバくなるからウクライナ負けろ、ウクライナ消滅してロシアになれということであり、強いものに巻かれろという圧力だと解釈できる。

池田大作が正しいものとして仏法法華経を信じてるくらいに、プーチンも正しいものとして新ユーラシア主義ネオユーラシア主義)を信じてる。

2023-02-15

成田なんとかさんはなんであんなに燃えてるのん?みんなが内心では思ってることをいったから?思想家としての才能ありそう。今では当たり前の戦争反対って主張も、はじめに言い出した人は袋叩きにされたしな。

2023-02-08

anond:20230208035743

マルクスに限らず思想史展望思想家単品の解説書ではあまり見かけないと思う。

あったとして、現代における意義を最後に説いて明るい調子で〆る、みたいな。

2023-02-05

anond:20230204162244

マキャベリ名前が上がってるけど、能吏だったかもしれないし重要思想家だと思うけど、英雄じゃねえだろ、アレ。

マキャベリ時代フィレンツェは苦難の時代で、苦労ばっかりで報われない一生じゃん。

2023-02-04

荀子はとんでもない極悪人だと思う

くわしくはググってほしいが、今の中国ロシアがやっている行動の多くは荀子に通じるものがある

人類崩壊させる恐ろしい思想家だと思う

マルクスレベルだと思う

 

追記

中国人ですら荀子のヤバさ理解してなくてワロタ

その結果がいまの独裁虐〇国家なのね

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