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はてなキーワード: 愚行権とは

2021-03-27

夫婦別姓についても、同性婚についても、芸能人不倫についても、その他なんかようわからんそういう事柄についても思うことなんだけどさ、なんで特定の人たちはそんなに他人生き方干渉したがるのかがそもそも一切全く分からないでいます

他人人生じゃないか

権利とか自由という概念以前に、そもそもなんで干渉したがるのかそのモチベーションからからない。分かりたくない。自分以外の人間がどう生きようが自分人生にはなんの関係もねえのに、なんでそんなどうでもいいことに当事者意識が持てるんだろう。自他の壁が消失しているのだろうか。僕の知らない間に地球人の幼年期は終わったのだろうか。そんな形の補完は嫌だ。倫理観とか宗教観とか社会規範とかなんかそういうまぁ要するに信仰心リブンな事柄について、他人強要することはあんまり良いことではないと思うし、そう憲法に書いてあるし、たぶん小学校とかで習っていると思う。知らんけど。

そもそも他人幸せを決める権利なんて我々は持ち合わせてはいないのだから、どんなに自身信仰心に照らして愚行と思える行いでもそれを止める権利なんてないし、愚行でないのならなおのこと。愚行権自由権の本質です。例えば、夫婦が別姓になって何か問題が起きるとしてもそれは当事者が最大限の自助努力のもとで理不尽に相対しながら血反吐を吐いて解決すればいいだけの話です。事前に法が介入するべきではなくて、問題が起きた後に法が介入できる余地を残しておけばいい。それが法にできるギリギリのことです。

例えばそれで不幸になる人がいるにしても、その人から事前に権利を奪ってはならない。自らの自由意志による選択の結果として不幸になる権利をその人から事前に奪うことは悪行に他ならなりません。人は不幸になる権利があるんです。見方を変えて、社会規範の維持や社会制度の維持を願う権利は個々の市民にあるとしてもその権利範囲は強く束縛を与えなきゃいけないはず。個々の姓に関しての束縛はその権利範囲を明らかに逸脱しているし、個々の性事情に関しても踏み込んでいい範囲じゃない。それらは誰がどう考えても個人自由範疇です。

そもそも自由主義社会においては当事者同士が限りない自由の中でより良い道を模索するべきで、法律が束縛を与えるのはあまり良いことではない。法律利益調整のために仕方なくあるものなので、必ずしも必要ではない束縛はそもそも全て破棄すべきなので、夫婦同姓規定夫婦別性規定もどちらも要らない。というか本質的には私有財産接続制度以外の何者でもない法律制度の形が現行のものだと違和感が凄いとは思っているけど、これは未婚の私が言うことじゃないから言わない。市民は自らの選択で限りなく不幸になる権利すら手中に収めた。それはきっと素晴らしいことなんです。隷従のもとで肥え太ることより遥かに素晴らしいし、それを守りたいと私は思います。私は私が正しいとは思っていません。自由主義なんて最悪だと思っています、もちろん自由主義以外のすべての形態を除けばの話ですが。

2021-03-16

anond:20210315160051

長くなったのでトラバ来た。

この増田は「皆がワクチンを打たず社会が壊滅する」という見えてるヤバいリスクを忘れているか無視している。

経済的被害でも人は死ぬから健康被害と比べて軽視していいわけがないのは明らかだが、

それ以上に大小問わず影響人数が感染者より多いのでリスクの規模が大きくなる。

科学的、論理的というなら、これも人文科学範疇だろう。

それも加味してはじめの等式を見直し場合に、明らかにワクチンを皆が打った方が社会的に利益になるよね。という話は科学的に出来るだろう。

増田は暗に「個人利益」というところに話を限定している。論理的に正しいかどうかは前提条件を変えればいくらでも変わるので、増田の論が論理的に正しくみえるのは、その前提条件、「個人利益に話を限定しているから」の影響にすぎない。

一方で個人利益に話を限定したとしても「みんながワクチンを打たないリスク」は個人リスクとしても計算にいれるべきで、

これを無視できるのは「他の人がリスクをとってワクチンを打つだろう」という暗黙の前提がある。

増田は「論理的科学的に」と言っていたけど、他人リスクとってくれるだろうからそのリスク無視するというならこれは"倫理的"にまちがっている。

増田は「ワクチンを打つか打たないか個人価値観問題だ」と相対化を試みているが、価値観倫理的にまちがっているという批判普通に成り立つ。

あとは愚行権をどれだけ認めるかという話になるかと思う。

2020-12-27

anond:20201227105244

馬鹿自分が最下層のバカだと思いたくないかもっと下の馬鹿を見つけ出して叩きたがる。

なので、お股をおっぴろげるっていう動物的に見ても知性的に見ても生殖機能上みてもどうみても弱みな行為

わざわざアホな相手に許したうえに、自分は弱くて馬鹿ですというのをインターネットという無限便所落書き掲示板開陳してんだから

そらもうバカを叩いて下を作りたい馬鹿には格好の獲物ですわね。

しかし、人間として愚行権は根源的な権利として認められるべきなので、

何を言いたいかというと口を噤んで賢くなって賢い方法で仲間を助けてくしか無いんじゃないですか。

馬鹿方法でやってればまた馬鹿に足引っ張られるし

賢い方法で進んで行けば馬鹿もまたついてきて考えを改めるかもしれないし。

しかしま自分が賢いって思い込むやつが一番馬鹿なんですけどね。

そういうやつが1行目にあるように*以降ループ

2020-10-30

anond:20201030123214

自分の為に生きたいと思えないほど自分が好きじゃない人もいるじゃん

愚行権って言葉もあるし正直ギャンブルに突っ込むのもいいと思う

2020-09-14

https://anond.hatelabo.jp/20200913222754

愚行権行使するこういう女が日本フェミニズムを遅らせる。

現状に甘んじるな。

意識の低い奴らとの溝が埋まらない。助けて。女同士で分断されてるうちはダメだ。

2020-09-09

anond:20200909192901

人にはみな愚行権がある。カルト妄想に嵌るのも愚行だが、違法でない限り、そうする権利がある。増田SNSなんかで油を売るのも愚行。

ちゃんからあんた、はてななんかに出入りするのはバカからやめなさい」と言われたら「私の自由。ほっといて」と言いたくなるだろう。同様、母ちゃんには妄想に耽る自由がある。ほっとけ。

2020-08-28

こんな遺伝子を持つ子供なんて作りたくない

私はアスペルガー症候群である

今までの何十年の人生、常に苦しんできた。

普通の事が出来ない人間への世間の冷ややかさは尋常ではない

しかし、その気持ちは正しいのだ。

私は九九が出来て、それを自慢する気なんてないが、出来ない人も世の中には潜んでいて、そういう人に対してどう接すればいいのか私には分からない。

九九なんてよっぽど小学校ときに怠けてなければ身につくはずだし、身につけずに今までどう生きてきたのか想像もつかない。

しかし、そういう人は世の中にいる。

私も同じように、普通の人が小学校幼稚園で身につけていくことが身につかないままここまで来た。

普通の人からすれば、どう生きてきたのか理解もできないだろう。

端的に言えば、理解を得られないまま影で泣きながら生きてきた。

から理解されないまま生きることは苦痛だ。

こんなことを言っても多くの人は「誰しも人に全てを理解なんてしてもらえない」と答える。つまり理解されていないのだ。全く。

まさにこれは「足の骨が折れているときに、走れば足がむくんで痛むのは当たり前だみんな我慢している」と叱責されながらマラソンに参加させられ続けているのと同じだ。

もう無理だ。このレースから降りたい。早く死にたい。いっそ殺せ。なぜ誰もが私を死ぬしぐらいしか答えの出しようがない問いかけをしては何事もなかったように横を走り抜けていく?勝手死ねということか?お前たちはなぜそんなに簡単に人を全否定できる?なぜだ?その自覚がないのだろうな。死んでくれ。おまえたちが死んでくれ。いいやお前たちも今すぐ脚の骨を折ったまま走り続けろ。そのときになってお互いに助け合おうなんて言い出さず私にやったようにお互いに罵倒しあって死ねと言い合い走り続けろ。

そんな恨み言でいつも頭が一杯だった。

アスペルガー症候群遺伝する。最新の研究成果によればであるが。

そして、治療はまだまだ難しい。

西洋医学の力で症状を緩和するのも、傾いた天秤の片側に重りを載せるようなものであり、それは最初から平衡の天秤を管理するのとは全く別物として扱う必要がある。

最初からまれない方が絶対にいいのだ。

の子供、いや、誰の子供であってもアスペルガー症候群として生まれ、死を超えるほどの生の苦しみを味わう人間がこの世に生まれるのは一人でいいから少ない方がいい。

同時に、私の子供がアスペルガー症候群等の心配がない健常な脳(別の器官に原因があるとも最近は言われているがここでは取り合えす脳に問題があるとする)を持って生まれたとして、その子は私の事を理解してくれないだろう。

から異常者として蔑まれ続けることなど私は耐えられない。

こういった話をすると、「子供を増やすのは国民義務」と批判されることがある。

だが待ってくれ。

国や民が望むのは健常な子供が生まれることだろう、と。

お前たちが私の存在を心から歓迎していたことなど一度もないことを私は知っているぞ、と。

お前たちからすれば、我々にあるのはせいぜいが「子供なす権利もある」程度だろう。

それも「愚行権一種として」が頭につくような。

それならば、私はその権利放棄させてもらうだけだ。

2020-08-14

人類はこの先ずっとマスク付けて生活するの?

仮にコロナに耐性があっても

新たなウイルス病原菌は出てくるし

そもそも普通風邪インフルエンザだってさない為にはつけたほうがいい

ってことは、この先の人類はずっとマスク付けるのが当たり前ってことにならんか?

そんなん鬱陶しいだろ

そりゃわざと濃厚接触したりするデモ起きるのも分かる

マスク付けるのを当たり前じゃなく

コロナにかかる方を当たり前にするのも、愚行権行使として当然容認されるべきだろう

2020-07-16

バイクに乗るのは合法犯罪

愚行権行使楽しいですよね。

でもそれで、沢山の人が迷惑します。

そして貴方死ぬでしょう。

死ぬのは嫌ですよね。

やめてください。

バイクになんか乗るために死ぬのはやめてください

2020-07-14

スポーツ(肉体スポーツ電子スポーツを問わず)がなんで禁止されないんだろう?

ハイキューという漫画セリフなんだけどね

「金が動いて経済が回って

 沢山の人が熱狂して元気になって

  それでいて!

   人があんまし死なない!

    スポーツ

     こんなに至れりつくせりなもの

      あるかい        」

昨日の夜、コレを読んで本当にゾっとしたよ。

 あんまりに恐ろしくてどう言葉にしたらいいのか分からなくて

  一晩寝かせたぐらいだ。

今日、もう一度読んでみたけど

 本当に恐ろしいと改めて思ったね。

「人があんまし死なない!」

 こんなセリフを自信満々に言うんだもの

  そして、これが多分このキャラクター最後セリフだ。

   だって来週は最終回なんだもの

とあるキャラクター最後象徴とする決め台詞

 スポーツはすごく楽しい割には人がちょっとしか死なない

  だから至れり尽くせりで素晴らしい。そう、言っているんだ。

   こんな恐ろしいものが、あるかい

スポーツはすごく楽しいお金になるから

 人が死んでもいい。

  そんなことを

   平然と口にして舞台を去っていかないでくれ。

酒や麻薬やその他諸々のありとあらゆる反社会的娯楽

 それらの一種としてスポーツがある。

  ここにそれが証明されたようなものだ。

   まあ、実際そうなんだと思うよ。

    でもそれを清々しく言われるのは本当に恐ろしい。

リアリティショーで人が死んでも皆が楽しんだからセーフ

 パチンコ人生を持ち崩しても自己責任からセーフ

  そういったたぐいの一種としてスポーツがある

   コレは間違いなことだと思うよ。

登山なんてものはその最たるもので、

 愚行権保護するために認可されている

  なんて呼ばれることだってある。

   そして全てのスポーツにその側面がある。

トレーニングと称しては肉体や精神

  過剰に痛めつけてばかりいて

   チームワークと称してはハラスメント

    素晴らしいものであるかのように容認する。

こんなにも不健全もの

 天賦人権論時代に許されて

  そんなことでいいのだろうか?

2020-06-10

anond:20200609100055

表題は少し極端にしないと埋もれるからきつめにしたが、筋は間違ってないと思う。ブコメに 「法的な内心の自由根拠にした社会における言動自由」とか言わないと話は錯綜するばかりだと思う」というのがあって完全に同意だが、それをタイトルにしたら届けたい人にはこの記事は届かなかっただろう。

人権意識」の発達によって、肉体的、精神的、あるいは性的搾取される社会構造に対する批判が高まった結果、特に犠牲になりやす立場人間が立ち現れてきた、ということに過ぎない

これは微妙に違うと思う。人権定義運用する際には、どのような対象にどのような人権が認められるかの考慮が不可欠で、その検討の結果、判断能力が欠如した状態にある人たちには完全な自由権利責任付与するのは不適切だ、という考えが生まれたのだと思う。歴史はよく知らんから間違っているかもだけど、人権フランス革命参政権からでしょう?参政権子供にはない。

(前者・誤)「児童が劣っているから、保護管理してあげることにした(ゆえに)児童活動等の権利制限されるのが当然だ」

後者・正)「児童犠牲になっているから、様々な活動制限をかけることにした(ゆえに)大人とされる人の一部の行動には規制がかかって当然」

ちょっと私とは視点が違うな。「犠牲になっているから」っていうのは大人側の理屈であっても、子供どうしで結婚したりすることを制限する理由にはならない。愚行権人権本質に関わるし、子供人権制限には他の理屈必要だ。それは、判断能力の欠如にならざるをえないと思う。

2020-04-17

愚行権を最大限、認めようとすること」

そして、その結果

社会不快になり、美しくなくなる状態に耐えること」

 

愚行権」という言葉を目にするときにいつも思うのが「誰が」その行為を「愚行」と思うの?が気になってしょうかない。

社会不快(誰にとって?)になり、美しくなくなる(誰にとって?)状態に耐える(誰が?)こと」

 

とにかく主語もっとフォーカスしてくれよ頼むよ。

2020-04-14

ブクマカリベラルじゃない

日本では一応合法ってことになってる賭博紛いの、それも搾取する側じゃなくて自由意志自分から搾取されに行ってる奴らを叩くのはリベラルでも何でもない。

他人迷惑をかけない範囲で金をドブに突っ込むのは愚行権行使しかないし、それを辞めさせるのはパターナリズムだろう。

反論しづらい他人を叩いて気持ちよくなりたいだけの下衆。

2020-03-31

anond:20200331022752

徹底的隔離だよ

チベットとか政治犯と同じ。

患者日常から無理やり引き離され刑務所みたいなとこにいれられ「完治する」まで絶対監視され自由に行動できなくされる。

コロナかもしれないけど外食いっちゃお」とか「卒業式いっちゃお」とか1ミリでも考えられないようにされる。

人民愚行権行使できないことで定評ある政府から

日本だってもしかして外人かもと思った瞬間これだ

https://twitter.com/mainichi/status/1244398920689520641

2020-02-28

他人自由不快不快で仕方ない

電車に乗って移動する。このコロナコロナ言われてる昨今で、手で覆うだけでゴホンとかますボケがいる。でもマスクがないからってこいつの外出に制限かけられるわけじゃない。売ってないしな。

店に入って飯を頼む。店員はろくすっぽ敬語ができない。できないがそもそもコイツが俺を敬ういわれがない。コイツ個人が俺に約束したわけじゃない。だいたい敬うかどうかはコイツ個人的な行為で、俺とコイツは単なる店員と単なる客で対等だ。

店内でガキどもの笑い声が耳に障る。うるせぇ。うるせぇが狭い店で雑談くらいする権利がガキどもにある。しゃべんな。

店内のBGMが気に入らない。聴いたことあるが知らん。趣味じゃない。でも俺が決められることではない。変えられるか店員にそれとなく聞いたら不思議そうな顔で無視された。外国人店員声かけしまったのと、マニュアルにないんだろう。じゃあ給料外だ。もとより昼時に俺のワガママに付き合う人件費を費やす理由はない。

駅に着く。ミイラだかなんだかわからんババアがプルプルと階段下りる。もう少し先に行けばエスカレーターがあると言うが、大丈夫だのと意味不明な返答をする。そりゃもちろんババアは俺にキチンと受け答える義務はない。俺は話しかける権利行使して、ババアは聞き流す権利行使した。なにもない。

順当に下りればいくらかの確率ババアは転落する。だが愚行権大事権利だ。俺に理由を話す必要もない。

転げ落ちても気にならないが目の前では不快だ。可能性の存在がもう不快荷物を奪う権利はないが、渡されるなら問題ない。

しばらく頼むと階段下り最中荷物を取り上げることに成功した。持ち帰る権利がないので階段を降り次第返却した。

俺の権利は大変制約されていて、帰宅するだけで俺の自由弾圧され続けている。

俺と同乗する奴は息止めてほしいし、ガキどもは俺の入店直後にピタっと黙るべきだ。俺はそこに座っただけで人類無限の敬意を表し、ふらつくババアは真っ直ぐしゃきしゃき歩け。

俺以外の存在は俺の権利を最大限尊重して過ごしてくれ。誰かが自由なだけで目障りだ。

2020-02-15

anond:20200215102056

これらがごっちゃになってる……。

anond:20200215100709

自由にも色々あるが、現実場合愚行権」を行使するのは本人の自由だが、創作場合「愚行」と本人は直結しておらずそれを行う創作上のキャタクターを描いているという違いはあるね。この回答は参考になりましたか

2020-01-23

子供権利制限されているし、性行為に伴うリスク判断できない

子供権利は、その能力的未熟さを考慮して、当人保護のために一定レベルまで制限されてよい

元増田は「子供性的主体性を持つには未熟」が「ちょっと子供判断力をナメすぎ」とおっしゃるけれど、現代社会は性行為に限らず、子供のさまざまな権利制限しています飲酒喫煙公営ギャンブルは禁じられていますし、民法では制限行為能力といって「私法上の法律行為単独で完全におこなうことができる能力」を持っていないとみなされています。その理由は、未成年自己決定能力の未熟さを鑑みて適切に保護するという観点から未成年に対しては愚行権を含む自由権一定の制約を課すべきだという社会コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルパターナリズム保護者的統制主義当事者能力リソースの不足を社会保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない、というのが近代国家原則です。

あなた論法に則ると、たとえば未成年が法的契約の十全な主体になれない(正確には、未成年契約はいつでも無効にされうる)こと、つまり子供は法的主体性を持つには未熟」とされている現況に対しても、「ちょっと子供判断力をナメすぎ」と言えることになりますが、これに同意する人はほとんどいないでしょう。大人と同等の判断力を持つ子供もいますが、そうでない子供もたくさんいます

行為には身体精神経済的リスクが伴い、実際に多くの児童がそのコストを払っている

元増田は「一生のトラウマ」というメンタル問題のみを取り上げていますが、そもそも行為というのは適切な知識配慮をもって行わなければ様々な身体リスクがある行為です。たとえば性感染症未成年クラミジア感染率は、少し古いデータですが、15~18 歳健康高校生 6,000 人での陽性率が男5%・女子13%。そして19歳までの未婚妊婦の27.3%が感染していますhttp://www.jspid.jp/journal/full/02301/023010063.pdf また女性場合HPVヒトパピローマウイルス)のように、若いうちに感染するほど、後の子宮頸がん発症の強い因子となる性感染症もあります。そして多くの性感染症は、たとえコンドーム避妊していても咽頭経由で感染します。これらの事実を正しく認識している未成年者は決して多くありません。

そして妊娠。多くの未成年女子が正しい避妊知識を持っておらず、また力関係的に性行為の場で避妊を求めることができず、その結果として性的交際により妊娠しています未成年人工妊娠中絶数は、2014年厚労省データで約18,000件/年ですhttps://www.itmedia.co.jp/business/articles/1610/19/news017.html このように未成年中絶に到る妊娠が突出して多いのは、妊娠リスクに関する未成年判断力の未熟さの傍証だといえるでしょう。妊娠ゼロリスクではなく、母親にもそれなりの周産期死亡率がある、非常に身体負担の大きい事象です。臨まない妊娠妊娠中断(中絶)にも多大なお金がかかります。また、学校や家庭などのコミュニティでのサンクション(制裁)も発生します。そうした性行為にまつわる事実を正しく認識し、そのリスクを踏まえた上で行動できる未成年者ばかりではありません。

から私たち社会は、子供に性行為を---特に金銭的対価の伴う性行為を---禁じているのです。

https://anond.hatelabo.jp/20181106132747

2020-01-18

昔はよくキレてたインターネット経由の対戦ゲームで切断されるやつ

相手愚行権を認めることで気にならなくなった

2020-01-05

anond:20200104152006

引用先の意見には強く共感するのだが、その結果として、生きる苦痛を感じる人間が「反出生主義」を主張する理由イマイチ謎だ。

だって、「反出生主義」が実現したところで、出産する他人自由制限されるだけで、生きる苦痛を抱える本人は既に産まれているのだから、何の解決にもならないだろう。

しかに私も、「反出生主義」は新たな不幸が産まれなくなるという点で思想的意義があるとは感じるけど、でも、自身の生きる苦痛身体的重さに比べたら、そんなことマジでどうでも良くない?

私も生きる苦痛を抱える人間だが、他人及びその子供が出産により不幸になろうが幸福になろうが、自分の抱える苦痛に与える影響を考えたら、本当に心の底の底からどうでもいい。

しろ、「反出生主義」が正しいと思っていながら、在るだろう自分の老後のために、他人は(なるべく社会的費用を伴わずに)どんどん子供を産むべきだとブコメさえする。

このような隠れ「反出生主義」者はブコメにも多いと思う。要するに、正しいと思う思想をそのまま声に出して頑張って主張する必要なんて無いと言いたいわけだ。

__

から私の場合は、今流行りの正しさ感じる「反出生主義」よりも「希望安楽死」の方に関心を集め、速やかに法制化すべきだと主張する。

さっきも書いたが、「反出生主義」は本当に正しい思想だと思ってはいる。ただ、他人の不幸にはさらさら興味がない。それに対称性を考えれば、愚行権は認めておくべきとも思う。

それより何より、≪既に産まれしまった自分には、「反出生主義」はあまりにも遅すぎる≫というその一点が、私にとって一番重要事実であり、それゆえ「反出生主義」に何の価値も感じないわけだ。

から他人に対する自由制限など経由せずに、自らの生きる苦痛を直接的に除去するしか方法が無いと思うので、本人の希望により苦痛くそれを叶えることができる「希望安楽死」を実現すべきだと主張する。

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そもそも、生きることに苦痛を感じるのは、処置無く死ぬことも苦痛から葛藤が生じるためであって、その点で引用先のブコメにあった「じゃあ死ねよ」的な反論(?)は全くの的外れなのだが、

苦痛を無くす処置により死ぬハードルを下げてしまえば、生きることはもはや苦痛を伴う葛藤ではなくなる。そうすれば、産まれしまたことも容易にキャンセルできるようになり、さほど重要問題ではなくなる。

まり、「反出生主義」の呪い社会的黙殺ではなく、代替案(希望安楽死)を提示することによって初めて無効化できると思うのだ。少なくとも、生きる苦痛を感じて「反出生主義」に期待する人々を取り崩すことはできる。

そういう点で、「反出生主義」に違和感を感じる人々は、それが正しいと思っていなくても対抗手段として「希望安楽死」を主張すべきだろう。「希望安楽死」は、出産する自由を守る。

よって、生きるのが苦痛な人々にも、社会継続のために「反出生主義」を嫌う人々にも、「反出生主義」の代わりの「希望安楽死」は、幅広く共通解になり得るだろう。

__

ちなみに「希望安楽死」だと、「反出生主義」者の、そもそもまれたくないor産ませたくないという願望は叶わない。しかし、出生前子供の出生への意思確認できない以上は仕方ないことだし、

一番問題なのは、産まれる前に産まれたいと思った子供が、出生後にやっぱり産まれなければよかったと思った場合はどうするのだろう。出生後の世界も知らないのに、出生前判断に何の意味があるのか。

から出産否定するより、出生後の本人の判断苦痛くそれをキャンセルできる方が、そもそもまれたくない人々に加え、出生後に生きる苦痛を感じる人々を含めて対応できるので合理的だろう。

そういう点でも、「反出生主義」は正しいと思うけれども、産まれしまった後の人間のことを考えていないとも思う。だからこそ、産まれしまって、生きる苦痛を感じている人々が「反出生主義」に期待する理由ますますからなくなる。

それって、「反出生主義」は根本的に正しい、だからそれを主張しなくてはいけない、みたいな感情に捕らわれてるからなのかな。何かが本当に正しくても、自分の得になる別な代替案(希望安楽死)を主張したっていいと思うんだが。

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