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2024-11-18

民主主義を虚無に捧げないために――印象批評の試み

 これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。

 

 むしろ市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである

 それでも、虚言や流言罵詈雑言猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である

 

 以下に続く文章は、主語デカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。

 もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである

 この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である

 つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプ当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。

 しかし、メディアネットパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。

 

 尤も、自分最初認識そもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。

 このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。

 選挙結果が出てから兵庫県知事選立花某にハックされたということや、あるいはネット真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNS選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。

 もちろん、我々はアメリカ大統領選ロシアイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジアナティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。

 しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストラシーを実現するのか、リベラル思考をもった等質的市民たちによる思想ゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。

 

 各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通民主主義国家における市民と同じくらいの能力感覚を持ち、それなりに各候補者比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。

 ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道気持ちいから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。

 何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。

 少し前に国民民主党の玉木代表不倫問題が報じられた。不倫責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。

 その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。

 筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちから願い下げである議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。

 どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党政治資金収支報告書記載問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えからまれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベル不見識なのではないか。)。

 

 とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫家族当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取り台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見大勢を占めているのではないか

 そしてこれは、斎藤公益通報制度度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティ相通ずるものがあるのではないか

 もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉問題別にあるということにほかならない。

 このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証であるそもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義要諦なのかもしれない。

 この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。

 だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。

 

  「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」

 大人になってからのび太結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有人間であったと痛感せざるを得ない。

 立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。

 斎藤投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義レジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。

 日々の生活に汲々として自分人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。

 

 この文は、「あの時できなかった」筆者が「次こそは」という気持ちを奮い立たせるために書いたものである

2024-04-27

anond:20240422065254

てか、地質や天象が得意な出版社内部に抱えてればあの研究不正丸出し本に対して良い顔はできなかろうな、とは思った。

その状況を等閑視するのは「ふっつーにカスハラ」と呼んで支障ないでしょう。

2022-06-21

anond:20220616070902

から過失責任や過失処罰基準自動車運転の場面から持ってくるんじゃないっての。

https://archive.ph/k534q#selection-1824.0-2690.0 https://archive.ph/j3o3J https://archive.ph/wR4gp

そもそも「そうなったら消防が呼ばれる」ことを等閑視していませんか?

訴える主体は?

追記1

1個開けとく

追記2

しろ原発事故の「故障の木」をいじくり倒す風潮をおちょくってんじゃないかなあ > https://archive.ph/DXgGc

2022-06-16

https://archive.ph/G7iRJ https://archive.ph/NilOh#selection-5318.0-6057.3 https://archive.ph/NilOh#selection-2364.0-3878.0

裁判って世の中がどうあるべきかを探り出す手段でもあるからある程度はこらえてほしい。

SLAPPやらなんやらを考えるとjury本来民訴にも必要なんだろな、と。

あとはかように言われたくない方々にも頑張って頂く、無論我らも頑張る、こらえる、しか

(でなきゃ、人民裁判礼賛論か任侠再臨論になっちまう。)

追記

かように言う割には「故意」に関する評価自動車運転に対するそれか?ってレベルで入れ替わってる、のが気になるなあ……。「業務上特別義務がある者」って言葉効果等閑視している風味。

追記追記

librahackとかcoinhiveとかで疑心暗鬼になってんのかなあ……

# 乳腺外科医のアレは捜査側の研究不正事案と考えてますが。

2021-08-10

バッハ会長に対する政府コメント前例踏襲しただけ

 まあそれが酷いって話をするんだけど。

 丸川珠代五輪担当相は10日の閣議後の記者会見で、国際オリンピック委員会IOC)のトーマス・バッハ会長が9日に東京銀座を訪れたことについて、「不要不急かどうかは本人が判断すべきだ」と述べた。

バッハ氏の銀座散策 丸川五輪相「不要不急かは本人が判断すべきだ」 | 毎日新聞

 加藤氏は、新型コロナウイルス対策について「大会関係者入国後14日間は行動範囲限定され、公共交通機関の不使用などがプレーブック(規則集)で定められている。一方、入国後15日を経過した者は適用を受けない」と説明7月8日入国したバッハ氏は行動制限対象に該当しないとした。「不要不急の外出に当たらないのか」との質問に対しては「各人に、状況に応じて適切に判断していただく」と述べ、当事者に任せているとした。

バッハ氏の銀座散策 政府は問題視せず「入国後15日経過」 | 毎日新聞

 ブコメでも指摘のある通りこれは既に同趣旨の答弁がある。田島麻衣子議員緊急事態宣言中に「単身赴任をされている国民家族に会うため、県をまたいで移動」、「ゴールデンウィークお盆年始年末などに国民帰省」することなどを上げ「不要不急の外出・移動」に当たるのかと聞いた質問主意書に対する答えである

 お尋ねの「不要不急の外出・移動」については、「新型コロナウイルス感染症対策基本的対処方針」(令和二年三月二十八日新コロナウイルス感染症対策本部決定、令和三年二月二日変更。以下「基本的対処方針」という。)において、「医療機関への通院、食料・医薬品生活必需品の買い出し、必要職場への出勤、屋外での運動散歩など、生活健康の維持のために必要ものについては外出の自粛要請対象外とする。」との考え方を示しているところであるが、お尋ねの行為が「不要不急の外出・移動」に該当するか否かについては、国民の皆様において、それぞれの生活状況等に応じて適切に判断いただくものと考えており、一概にお答えすることは困難である

「不要不急の外出・移動」の定義と解釈に関する質問主意書

 今回の発言はこの考えをそのまま踏襲したものだと考えられる。しかし、問題もある。

 この質問主意書に対する答弁は一般論としての答えなのである。「それぞれの生活状況等に応じて」と答えているように具体的な状況によって何が不要不急に当たるか変わるのは当然だろう。ところが、政府にその細かい事情まで把握することは不可能である単身赴任家族に会うための県をまたいだ移動という条件を付けてもどういった事情で会おうとしたのかは分からず「一概にお答えすることは困難」だ。

 もちろん現体制では「お願い」レベルに過ぎずこう答えざるをえないという解釈もできる。結局最終判断は個々人に権限があるのだというわけだ。しかしそれはどういった行為が適切か否かを例示することを妨げるものではない。実際「医療機関の通院…生活健康の維持のために必要もの」は自粛要請対象外だと示している通りだ。

 ところで、バッハ会長銀座散策については政府事情状況様態全て把握できる立場にある。何なら国民の多くはバッハ会長散策不要不急の事情があったとは思っていないだろう。

 政府事情を把握しきれない出来事当事者が適切な判断をしてくれと言うのと、政府事情を把握している実際の個別案件について当事者が適切に判断することだと言うのではニュアンスの違いを生じることに留意しなければならない。つまるところ後者は具体的行為を追認しフリーハンドを与えたも同然である。それなら「個別事案にはお答えできない」とか言ってくれた方がマシだ。

 どんな事情があっても不適切であると言えるような事象、例えば路上飲みに対して本人が判断することだと言った時の悪影響を考えてみてほしい。今回はそれと同様なのである

 ここからが一番書きたいことなのだが、政府は場当たり的でその場逃れなメッセージを発することをやめるべきだ。恐らくメディアにこういった質問をすると事前通告された時、官僚過去の答弁をサルベージしてそのまま引用できそうなものを見つけてきたのだろう。だが文脈によって言葉の与える印象が変わることを等閑視している。確かに過去発言踏襲に過ぎないと言えば簡単にその場は逃れられる。しかしながら、今の状況ではリスクコミュニケーションとして国民にどういったメッセージを与えるかというのを第一に考えてもらわなければ困る。そうでなければ統一的なメッセージが発せられず政府見解の信用性は地に落ちる。まあ既に落ちてるとは思うが…、いずれにせよ負の「レガシー」ができてしまたことは事実だ。

2021-07-23

言うほど趨勢が変わったせいか

anond:20210722191747

「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」

今回の小林賢太郎氏への声明においても、SWCは決して解任を求めているのではなく、あくま謝罪教育が求められているのだと思っていた。

昨今の「キャンセルカルチャー」とは一線を画すものだと思っていた。

この数年で、趨勢が変わったのだろうか。

でもそのクーパー氏はかつて雑誌マルコポーロ』がガス室否定論掲載した時には広告出稿ボイコットまで呼びかけてるんですよ。

結局雑誌廃刊に追い込まれ版元である文春の社長も辞任することになった。

もちろん「自主廃刊」であってSWCは事前には廃刊を求めていなかった。しかしそれを言えば今回も当初の声明では解任を求めてはいない。

だいたい、廃刊決定後にSWCと文春は共同記者会見まで開いてるわけよ。

本当に「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすること」なら次の刊のマルコポーロで正しい内容の特集を組ませるとか色々あったでしょ?

しかSWC廃刊決定を受け入れて共同記者会見を行った。それが全てです。

もちろんマルコポーロ記事と今回の小林コントを同列に扱えるかという話はあるでしょう。

でもそれなら欅坂46BTS衣装ナチス風に見えるという話と今回の「虐殺ごっこ」を一緒にできるものだろうか?

加えて今回の件は外務省談話を発表していて一見過剰にも見える反応をしているけど、

1. オリンピックという国際的な大イベントしかオリンピックでは過去ユダヤ系選手テロに遭った過去がある)で

2. ホロコーストSWC関連という徹底的な糾弾が行われていた歴史的蓄積がある分野の問題

のどちらも重要ポイントだろう。

想像だが欅坂46BTSは内容的差異もあるところ1の要素も薄く謝罪だけでOKになったんじゃないかね。麻生さんも未だに大臣やってるしな。

しかアイドルを辞めさせるなんてことをしたら逆風待ったなしだし、「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」は過去SWCの行いに鑑みればおためごかしである種の宣伝アピールというかプロパガンダに過ぎずピュアに真に受けるようなものでもあるまい。

ところでこういう事件があると昨今の趨勢に引き付けてつい物事を語りがちだ。キャンセルカルチャーみたいな用語ができるとついその物語の中で解釈してしまう。

かにネットが発達して過去発言を拾いやすくなった影響は大きかろう。

しかポリコレキャンセルカルチャーという言葉が生まれるずっと前からホロコースト関連での糾弾・追及は凄まじいものがあったんですよ。

上で歴史的蓄積と書いたけど、例えば他のポリコレ事案で外務省声明まで出すか?女性差別とかでは出さないよね?

そういうずっと続いてきたもの最近趨勢運動での解釈に寄り過ぎてしまえば現象の一部分を切り取ってしまうことにはならないだろうか。

これまでの蓄積というか過去に行われた首級狩りを等閑視することにならんか。

それって昔もあった問題なのを忘れて懐古に浸るメンタリティとそこまで変わらなくないか

世界的には昔からホロコースト関連は厳しく論難されてたし、SWCは昔も今もたぶん未来も強力な圧力団体価値中立的言葉です)として君臨し続けるだろうよ。

かにネットの発展で細かく即時的に反応できるようになっちゃったけどね。

2020-09-24

anond:20200924182231

はぁ、

北24条

宝来 個人的には札幌ならここ

糖尿病予備軍たちがカウンターにひしめく。

男なら(女も)だまってC定食え。

山鼻

へんみ

大人数で行け。以上。

俺ここ大好き

八軒いか新川というか

晋香苑

刀削麺を食え。ふつーの、ただそこにある刀削麺を食え。

元町

この地名聞いてピンと来る人どれだけいるか知らんが。

運城飯店

食べ放題でとりあえずいい。

東のちょっと北大より

渤海飯店

コメントなし。

北大界隈

孔子餐店

孔子の子孫は奥さんの方な。北大界隈でしっかりしてるのはここ。

辛いの頼め。親父の釣り談義に付き合え。

北区 百合が原

上海

深いこと考えるな。なんらかのセットを頼め。


真駒内

大衆中華 宝来

あれ? 24宝来となんか関係あるんだっけ。

これに関してはかつてススキノ宝来系譜にやたら詳しい謎の親父に教えてもらったんだけど泥酔して忘れてしまった。

ここもうまいよ。ごめん南はあまり知らないや。

澄川

珠華飯店

マックスバリュというスーパーに車を停めていいのか? だめだ。

そんなことばかり気になってあんかけ焼きそばの味を覚えていない。

宮の沢

広龍

住所でいうと西町なのかもしれないが、宮の沢

最近こういう店が少なくなった。出前をやってる。

地元というかレペゼン対応のお店。

琴似

進龍。

飲食店激戦区の琴似。その傍らにある。

オススメカツカレー

二十四軒

閉店になった店だが許してくれ。

平成軒。

オススメインドカレー

円山

秀円 ひでまる

チャーハン麻婆豆腐春巻で満足できるぞ。あとビールな!

ザーサイレバニラもな!

ハイソな連中も街中華を食べたくなるのですわ!


平和駅界隈

聚宝

酢豚パイナップルを入れる王道を行くスタイル

南郷通の雄。

大谷地

北海

よく知らない。よく知らない名前の麺を食え。



まとめ

元増田はおそらく札幌のかなり街中に住んでいるのではないだろうか。

街中だとブコメなどで言われる名店「香州」くらいしか出てこないのだが、実は札幌には以外にそれぞれの地域の顔というか雰囲気がある。

東区はざっくり下町だし、西区ハイソ。丘側が顕著。旭ヶ丘高校近くだと若者多くて華やか。

南はなんというかどっしり。その途中の澄川あたりも独自文化がある。

北は北高あたりで一つのまとまりがあり、学園都市線沿線文化圏があり、あいの里がその文化圏の周縁になる。

東は川渡った向こうで別次元で南郷通界隈はそれぞれ文化圏が違うし新札幌は一つコアになる。その向こうは昭和の新興住宅街でそれぞれ文化がある。

札幌ドーム界隈清田区文化が異なる。

なんとなく、高校の校区とかで区切るとわかりやすいと思う。

中華はそのそれぞれに、それぞれの人々をお客として成り立っている。

ここに書ききれないお店はいくらでもある。

鉄道駅地下鉄駅界隈にはかならず街中華はあるだろう。

味は保証できないが。


今後の課題

では、本増田が街中華がない、と考える要因は何か。

一ついえることは、実は札幌は今述べてきたような各地域レペゼン」の色はあまり語られてこなかったのだ。

当然、各地域の色はある。ところが、それを論ずる人はほぼいない。

これはおそらく伝統的に札幌市が博物館構想の中で歴史系を等閑視してきたことに関係があると思う。

札幌は市内でいろいろな地域性「レペゼン」があるのだが、ついにそれを客観的に論じようとする研究者を生む余地を作ってこなかった。

札幌には街中華は、ないのだ。あるのだけれど、誰もそれを俯瞰していないのだ。あるのは公文書館だけなのだ

地元、というものを詳しく誰も研究していないのだ。

から中華希薄になるし、その背景にあるそれぞれの街の特色も誰も記録せずに時代の中で垂れ流しになっている。

2019-04-19

anond:20190418030830

元増田です。お返事その2

最初記事増田さんのようなあくまでも個人として扱われたい方を等閑視した雑なものでした。申し訳ありません。

増田さんへのお返事としてはこれだけで終わった方がよいかもしれませんが、ご指摘を受けて考えたことを書かせてください。増田さんがこれ以上議論を望まないのなら、勝手ながら、この先は無視してください。

オタク現実モテより萌えの方に向かうのだという言説は、上野非オタの誰彼が言い出したものではなく、オタク(の中のラウドマイノリティ)自身が本気で発したものだったと思うのです。『電波男』のタイトルは、(2ch書き込み群はともかく、映像作品などは)増田さんのご指摘どおりの「マイノリティからこそ消費される」非オタ受けする脱オタしてモテオタク像を描いて流行った『電車男』の向こうを張ったものではないでしょうか。同書刊行と同時期にサービスインしたはてなダイアリーはてなブックマークでは、「私」ではなく「オタク」を主語にしてモテより萌え論がさかんに語られていました。これらは所詮変わりもの戯言として無視するべきだったのでしょうか。

増田さんは、十分な数とバリエーション個人を深く掘り下げてからでないならばor掘り下げてすら、擁護であれ非難であれ放っておけであれ、ある群に群として言及すべきではないというようなお考えをお持ちに見えます。それは誠実で潔い見識だと感服しますし、この増田記事個人に読まれているのだと念頭に置いて書いているつもりです。

ただ、偏見に対抗したり社会的リソース配分の変更を求めるためには、群として主張することも時には必要。その主張を聞き入れたことを後出しで責めるのは、主張した群の信用や好意を大きく損ねるから悪手。という運動論よりの考えを私は私で持っており、その考えに基づいて発言した次第でした。

2018-10-18

[]

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/176755


morimori_68 第一論点について言えば、まずもって責めを負うべきは、ヨウ素剤をきちんと配布・説明しなかった政府自治体の側である一事が万事、このあたりが全く等閑視されている。

quick_past 過去にやったことが、今を全否定できるくらい大きなファクターだと思ってるからこそ、日本に汚らわしい過去なんてなかったと言い始めるんだろうし、現在進行系の政権の不誠実さからも逃げるんだろうな>ネウヨ

kyo_ju まぁおしどりマコさんを理由に立憲に入れないと言ってる層はそれがなくても何だかんだ理由をつけて立憲に入れないだろう。そういう層に媚びようとしたのが民主民進希望の失敗なので立憲はこれでいいんじゃね。

mujisoshina この記事から分かることは、おしどりマコには迂闊さがあり批判にもなかなか耳を貸さないことと、マコ批判する側にもろくでもない奴が何人も居ること。私はどちらも人間として信用出来ない。

Cunliffe どこに大論争があるんだろ?ヒステリー起こしたニセ科学批判教団のバカどもがマッチポンプキーキー言ってるだけじゃん。

Arturo_Ui 不正確な情報流通していた当時の過去ログを批判するより、現在認識を質す方が建設的。まして公党の候補者一方的デマ呼ばわりすれば、名誉毀損訴訟リスクすら負う。公開討論など呼びかける方が建設的では?

yas-mal キクマコ先生、完全に確信犯だよね。巧妙に『嘘』を避けつつ、おしどり氏が言ったかのような書き方をしてる。(おしどり氏についてはまだ判断保留)

hapoa なんでこんなデマに乗っかるコメントだらけなんだ?自分で調べる頭も能力もないのかよ。恥ずかしいのはお前らの頭だ。おしどりマコを知らない時点で東電会見も見ない、原発事故に興味ないってことの独白しかない

Ayrtonism EMって、ニセ科学批判界隈ではめっちゃくちゃ有名だけど、一般にはほぼ無名だと思うぞ。そして、細菌が土壌や水質の改善寄与してる、ってとこまでは嘘でも何でもない。ちょっと冷静になった方がいい。

el-condor ここでされている発言を読む限り件の氏に迂闊さはあれど悪意はないように見える。「批判」側はどうか。

2018-08-20

anond:20180820101034

個別ブコメは措くけれども、

別に女性俳優目当てで映画見に行ったって良いのに、それを腐すようなコメントがあるのに驚いた。

あまつさえそういう傾向がある、ってデータで出ているのに、その傾向をすら否定しようとしている人がいる。

あたらめて問うけど俳優目当てで映画見に行って、何が悪いんですか?

女性の方が映画を(集団で)みに行く傾向がある、というのは悪いことなんですか?

それでいいじゃん。

この辺り、はてなの女は堂々としていればいいのに、何かこそこそと「俳優目当ての女性なんて見たことない」「女でも監督で選ぶ人いますが?」みたいなかんじで女の中に線引きをしようとしている。

それ一番やっちゃいけないことなんじゃないの?

俳優目当てで映画見に行く人も多いけれども、そうじゃない人もいます、色んな人が色んな目的映画見ていますが現況はこういう状態でこういうスタイル映画が多いです(が何か問題が?)」で、良いじゃん。

あるいは「女の方が映画見に行って金払うとるんだから少し男は黙っとれ、笑」くらいでもいいだろう。

俳優目当てで見に行っている女性等閑視するはてな女性姿勢ダメでしょ、と言う話。

この辺り、実際に会って話す女性学や社会学の人々と比して、はてなフェミ界隈の浅薄さを感じるわ。

クソサブカル選民思想に囚われてんじゃねーよ。

2017-07-07

安倍昭恵スピリチュアリズム

以前ブログにも書いたのですが、

もしも私が放射能だったら・・・

人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い・・・

悲しいだろうなあと思ってしまます

嫌われ者はいじけて大暴れするかも・・・

原発肯定しているわけではなく、自然エネルギーに移行していくべきだという考えです。

しかし、放射能自体が悪いわけではない。

悪いのは人間です。

私は放射能感謝気持ちを送りますありがとう・・・

意識の持ち方は大切です。

https://www.facebook.com/akieabe/posts/10150571917471779

 安倍昭恵2012年フェイスブックへの投稿話題になっている。

 スピリチュアリズムの悪いところが前面に出ている酷い文章だが、論理の飛躍が大きいせいか、誤解にもとづく非難賛同も多いようだ。とりあえずスピリチュアリズムとしての解釈を示してみたい。

悪の問題について

 安倍昭恵記事の最大の問題は、「人間」を一枚岩で捉えて「放射能(ここでは原発関連の放射性物質のこと、以下同じ)」に「一億総懺悔&総感謝」的に反省することで、現実社会問題被害と加害の関係等閑視することにある。とはいえ、ここで書きたいのはまた別のことで、「放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です」という箇所についてだ。

 この解釈として、安倍昭恵の弟の松崎勲はこの記事におそらくは賛同の意を込めて「全ての自然物(現象)に対し、人間勝手価値観押し付けることは今すぐにやめるべき!!」とコメントしている。これは道徳的価値において人間物質関係を「非対称的」に捉える思考だ。善や悪という道徳的概念人間領域限定されていて、「善悪無記」の物質自然物)にそれを押し付けることはカテゴリーミステイクであるという発想だ。

 松崎勲と類似コメントは数多くある。しかし、これらは安倍昭恵思想根本的に誤解している。

 そもそも記事の前半の「もしも私が放射能だったら・・・」という想定が「対称性」の思考のものである。そしてスピリチュアリズムとは、人間とそれ以外(生物自然)を霊の次元において連続的・「対称的」に捉え、それらの霊の交わりを説く思想である。百歩譲って放射能人格化し、感情を想定するのは共感能力だけで可能だとしても、その感情にもとづいて現実になんらかの力が行使される(「嫌われ者はいじけて大暴れするかも・・・」)とまで想定するのは霊のはたらきを考慮に入れないと不可能だろう。

 このような「対称性」のスピリチュアリズム記事の後半にも貫徹されている。

 「放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です」という箇所は、「人間善悪無記の放射能悪用した、すなわち人間社会にとって有害に用いた」という意味ですらない。安倍昭恵の関心は、人間社会のものにはなく、あくまで「人間」が放射能にどのような心情・態度を示し、どのようにスピリチュアルな交わりを実現するか、にある。つまり安倍昭恵糾弾する悪とは、前半で想定されていた、人間放射能を「人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い」することの悪に他ならない。

 問題の箇所をわかりやすく言い換えると、「放射能といういじめられる方が悪いわけではない。悪いのはいじめる方の人間です」となる。これは紛れもなく「対称性」のスピリチュアリズムである。(いじめる方といじめられる方関係非対称的だ、と思われるかもしれないが、ここでいう「対称性」とは「入れ替え可能性」のこと。)

 要するに安倍昭恵はこの記事で一貫して霊の次元における「人間」と放射能の「対称性」を主張しているのである。したがって、スピリチュアルな感度のない弟の松崎勲の「全ての自然物(現象)に対し、人間勝手価値観押し付けることは今すぐにやめるべき!!」というコメント安倍昭恵への賛同どころか、アイロニーとなってしまっているのである

槇原敬之の「Appreciation」との比較

 安倍昭恵記事を読んで、槇原敬之2011年に発表した曲「Appreciation」(http://j-lyric.net/artist/a0005ff/l025b9d.html)を思い出した人は多いと思われる。この曲にあるのは「僕ら」の原発への態度の豹変反省し、感謝の大切さを唱える内省精神である。言うまでもなく、それは外部の現実から目を閉ざすことと表裏一体であり、発表当時に物議を醸したのも当然といえる。

 一方、安倍昭恵場合は、同じように「人間」の放射能への態度の豹変をなじり、放射能感謝を捧げるわけだが、槇原と違って単なる内省ではないところがポイントだ。安倍昭恵は「意識の持ち方は大切です」と文章を結んでいるが、ここにあるのは「(無意識を含む、思考欲望などの)意識は(霊のはたらきによって)現実化する」、つまり意識の持ち方こそすべて」という自己啓発と結びついた安直スピリチュアリズムに他ならない。安倍昭恵人間放射能感謝すると、それだけで放射能の霊が喜び、人間に良いはたらきをすると考えているのだ。

スピリチュアリズムから批判

 安倍昭恵スピリチュアリズムというレッテルを貼って終わるといかにも安易でつまらないので、最後スピリチュアリズムの内部から批判してみる。さしあたりスピリチュアル知識人として影響力のある中沢新一議論を援用する。上で用いた「対称性」という言葉中沢の大好きな概念であるが、中沢ならば安倍昭恵批判するに違いないかである。『日本の大転換』の冒頭の内容を可能なかぎり簡略化して述べてみよう。

 人間地球自然生態圏のうちに社会をつくりだし、生きてきた。地球の生態圏には、太陽からの(核融合の)エネルギー植物光合成によって媒介されて持ち込まれさら動植物の死骸の分解という何重もの媒介メカニズムによって化石燃料はつくられてきた。しかし、原子力は生態圏に太陽圏の(核分裂の)エネルギーを無媒介にもたらすものであるため、生態圏そのものを壊す危険性をもっている。

 中沢議論にもさまざまなツッコミどころがあるだろうが、ここでは措く。たとえば中沢原発一神教の神に比してもいるが、要するに、「対称性」の思考は生態圏のうちでのみ働くものであって、その外部の無媒介な導入である一神教の神・原発放射能には適用できないということである

 中沢議論にどれほど説得力を感じるかは人それぞれだろうが、少なくとも安倍昭恵のような「対称性」が大好きなスピリチュアリストならば、傾聴すべきではないだろうか。

原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたか自然事物のように扱うことは許されない。……生態圏の自然太陽圏の『自然』を混同することほど、危険なことはない」(『日本の大転換』39頁)。

2011-07-20

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20110714/221477/?P=1

今回の電力使用制限令にはもっと変なこともあってだな。

入札による調達なんかで前年度と当年度で事業者が変わると計算基礎が前年度実績でなく契約電力に変わるのだわ。

(あとは年明けに契約電力を上げたときも。)

経産省以外(例えばA省とでも)が所管公益法人行政指導かけるときにはこんな事情等閑視されるわな。

んで、その法人10年度に大規模省エネを先行させて受電能力を下げてなかったりすると。

制限令から出てくる制限とA省から行政指導に基づく制限が倍近く違うとorz

2011-06-17

http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20110616/p1

原発卒業の道筋が見えてない/わかってない/ひとまず等閑視主催者と手が出ちまった抗議者、てのがあるからなあ。

前者の意味http://d.hatena.ne.jp/noiehoie/ / @noieheie あたりもちょっとヘンだし。

2010-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20100822130639

リーダーだけじゃない。

リフレ派は経済問題にばかり目を向けて政治問題等閑視する。

これはリフレ派が歴史直視せず、歴史修正主義への批判を怠り、歴史の歪曲に加担する集団である証明に他ならない。

2008-11-22

芸術

http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20081121/grandchildren_japanese

要求される仕事がますます高度化されるため、人々は多くの時間技術学習に費やさざるを得くなる。そのため、そうした仕事に役に立たない芸術????就中近代日本文学????は等閑視されるのが当たり前になる。

このエントリを読んでてふとある同僚の事を思い出した。

文学とか音楽とかスポーツとか、芸術というか娯楽というのか分からないけど、そういう物を一切解さない人ってごくまれにいるよね。同僚がそうなんだけど。

あれ脳の一部が欠損してるのかなぁ。それとも後天的なものなのかしらん。

 
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