はてなキーワード: 指導教官とは
学生時代の指導教官に独身で生きていくという道もあるけれど、結婚して子どもがいるとそれなりに山あり谷ありでそれくらいの負荷があったほうが楽しいよねと言われたのは覚えてる。
まあ、多くの仕事にも配偶者にも恵まれた人は子供を育て上げるという人生をしばらく送り、それもひと段落したら自分の趣味に生きるんじゃないかな。
40代くらいになってきたら社内で自分がどれくらいまで行けるか、どれくらいまで収入が上がりそうか大体の目星がついてしまうよねとは思う。
それくらいになったら、会社で偉くなる未来が描けるなら会社に全振りするだろうし、そういう未来が描けないなら会社はお金稼ぎと割り切って、自分の時間に振るよね。
今年の4月。
念願叶って非正規から正規職に転職した某私立院卒の26歳、社会人3年目。
だが、転職して4ヶ月が経った今、仕事を通して生きる目標を見失った。ここ数日、平日の朝を迎える度に「自分はなぜ、この仕事に就いたんだろう」と自問自答を繰り返し、「仕事に行きたくない」という思いばかりが頭に浮かぶ。
別に仕事が激務な訳ではない。残業なんて今のところ忙しかった時期でも月20時間程度、現在はほぼノー残業で、定時上りもザラな職場だ。
では、人間関係やパワハラ上司に嫌気がさしたのか?というと、そういう訳でもない。確かに直上の上司は少し厳しいところはあるものの、決してパワハラをするようなタチの人間ではない。むしろ僕の目線では、それなりに自分の事を思って仕事を指導してくれる良い上司だと思っている。職場の人間関係も若返りを図っているためか、自分を含め20代の若い人が多いので、比較的良好だと感じる。
傍から見る分には「なんてホワイトな職場なんだ!」と思うだろう。実際、僕も今の職場はホワイトだと思っている。
だが、それでも生きる目標を失うに足るほどの辛いことがある。それは、「仕事に対する重責に自分自身が耐えられない」ということだ。
あまり具体的には書けないが、現在、僕がいる部署は(その手の業界では)日本でもそこそこの知名度を誇る。
業界人に「今、◯◯◯で働いています」と言うと、「えー!◯◯◯で働いているんですか!?凄いですね!」とそれなりのレスポンスが返ってくるレベルの部署だ。
だからこそ、特に幹部クラスの上の世代には「ここで働いている自覚とプライドを持ちなさい」という意識が強い。
それがハッキリした形で僕に返ってきたのは、転職して2ヶ月後の忙しくなりつつあった頃。
その時、僕ともう一人の若手(1年上の先輩だが、年は僕より下)が仕事を進める上で失敗し、そのザマを見ていたトップが、
「あの子たち、仕事が出来ないね」と、こぼしたのを直上の上司が聞いたらしく、鬼の形相で事務所に飛んできて、二人共々こっ酷く怒鳴られた。その後、さらに上の上司から「アンタらは◯◯◯の担当なんだから、その事にもっと自覚と責任を持って仕事に取り組んでください(要約)」というお気持ちメールが届いた。
この時は、自分の不甲斐なさに反省しつつ、「もっと頑張らないとな…」と思った。
だが、徐々に仕事に慣れつつある中で、仕事でのミスは一向減る気配は無かった。先輩から頼まれていた仕事は忘れる始末で、これを書いている今日とかも、上司から「仕事の段取りをもっとちゃんとしなさい」と怒られた。僕自身、注意される度に「次は気を付けよう」、「忘れないようにしよう」と思うのだが、どこからか気持ちが抜けるのか、中々思うようにいかず、その度にいくら気を付けても改善できない自分が嫌になり、自己嫌悪に陥る。
「オイオイ、まだ入りたてなんだから、そのくらいのミスは誰でもあるさ」、「若いうちはミスして当然」というのは簡単だ。だか、一応2年間の社会人期間もあり、院卒としてのプライドがあるので、そうした割り切った気持ちよりも先に「なんでうまく仕事が出来ない、回せないんだろう」というモヤモヤする気持ちの方が強く出ててくる。そして、段々「この仕事、やっぱり合って無いんかな」と思えてきて、
遂に「面接の時に『◯◯◯をしたいんです!』と言い切ったあの時の思いは、受かりたいが為の啖呵だったんだな」と気付いて、仕事での目標を見失った。
だが、こうして目標を失った今に思い返せば、そもそもの話、「この仕事が好きじゃない」ってところに行きつくのかもしれないと思っている。
少しばかり話はズレるが、今の仕事は学生時代からやって来たことをそのまま"プロ"として仕事にした感じである。だから、両親や周りの人からは「好きなことで仕事しているんだから、羨ましいことだよ」と度々言われる。じゃあ学生時代どうだったかたいうと、あまりいい思い出が多いとは言えないなぁと思う。勿論、それで院まで行って論文を書いたのだから、それなりの偽らざる感情は持ち合わせていたとは思う。だが、思い返せば辛いことの方が多いなと。
院試を受ける前はあまりにもの出来なさに焦り、やる気のある真面目なゼミの同期とも対立して人間関係が拗れたこともあって、「本当にこの道でいいんだろうか」と思い悩んで、精神的に追い詰められてカウンセリングを受けた。院進後には、自分の院生としての自覚の足りなさから、やる気のある学部生の後輩から突き上げられ、指導教官の部屋で後輩同席のもと教官から説教喰らったこともあった(特に説教された件はかなりのトラウマになってる)。
結局、こうした過去を今も引きずったままだから、仕事にしている今が1番辛く感じるのかもしれない。
そして話は元に戻るが、こうやって目標を失った今、どうしたらいいんだろうかと思う。
業種を変えようにも、異業種のスキルも経験も全く持ち合わせてない。何か新しく身に着けようと思うが、なかなか体も心も動かない。では今の仕事を耐えて続けるのが最善かと言われたら、それはそれでプレッシャーに耐えきれなくて発狂する未来が容易に想像できるし、自分の本心を偽ってでもしがみ付くのも違うかなと思う。
本当にどうしたらいいんだろうか。
元々の話題に遡って、「クライアントと提案者」という関係において説明してみる。
この関係において、クライアント側は提案者に何らかの提案、新しいプロジェクト、新しい知見を期待してるんだよ。そのために金を払ってる(あるいは将来的に払うことを検討している)。
つまりクライアントは、提案者の発言に対して自分の側が「なるほど」と言いたいんだよ。そういうやり取りや進捗を期待している。「なるほど」と気づきを得て、それが自社利益の糧になり、金を払いたい。そういう関係を築きたい。
にも関わらず、提案者側が「なるほどですね」っていっていたら(特に連発してたら)そりゃ、カチンとくる場面はあるよ。その種のやり取りが定番化すると、「提案する」「新しい知見をもたらす」という自分の業務を投げ捨てて受け身でいるように感じられるからだ。「こっちは金を払ってるクライアントであってあなたの指導教官ではない。あなたがそうやって納得してふむふむうなずいてて、わたしの側は何の得があるのだ?」と思う。それが積み重なれば、「こいつ仕事する気ないな」「小馬鹿にしてるんだな」と感じたりもするよ。
だからこの問題は、言葉遣い単独の問題じゃなくて、関係性とかその時の会話の流れが絡む問題なので難しいんだ。そういう問題なので「代替の言葉」とか「言い回しを変えれば」なんて対症療法はないし、あっても無意味だ。
この問題は、上司と部下なんかにも発生しうる。上司は部下の教育も業務の一部だから、何かを部下に説明するなり指示する過程で「なるほど、わかりました」「なるほどですね」と言われても、一般論では、それが即座に礼儀知らずとまではゆかない。しかし、そこに至るまでの経緯で何度も説明したことであったり、そもそもやり取りで今は部下の側にボールがある(たとえば指示された業務が部下側にある)にも関わらず「あー。なるほどですね」って言われたら「ああ、こいつ理解してるふうなこと言ってるけど理解してないし、理解する気もないし、自分で判断する気も行動する気もないんだな」ってなる。
そんなわけで、これは言葉遣いの問題じゃないんだ。でも別にそんな単語や言い回しなんて珍しいものじゃない。たとえば「部長は聡明ですね」なんてコメントひとつだって、言って良いシーンとそれを言ったら相手を激怒させるシーンってあるわけでしょう? そんな言い回し一般会話の中にありふれてる。
それを言葉遣いの問題だと考えて言い回しや言い換えを探している時点で、コミュニケーション相手の期待や失望を理解してないっていう自己紹介になってる。そういうひとは、読解能力やコミュニケーション理解力の低さが根深くてやばいよ。
わたくしは、できるとかできないとか言われることが一番腹が立つので、わたくしは教科書を若いころに真面目にしてきただけなので、えらいもぐらから、えらいって言われるのもむかつくんですよね
確かにわたくしは文科一類に入る前は偉かったし当時の社会からは尊敬されていたんですが、もうウソだからね
いせどあきおのことは、pseudあきおって読んでるんですよ。 pseudoっていう単語ってなんですかね、駒場の英語一列の授業だったかそこで初めて出てきて辞書を引いて意味を知って、
ウソという意味らしいですね 数学でも頻繁に使用するので、使用するけど私は使ったことがないですね
どういうときに使うかというとなんか pseudoって、 仮に使用するって意味らしいのですね。使わないけど作り出すときに、その作ったものを pseudoという。まあそんな感じですね
それとコクセターが書いた初等幾何の本で、 平面上に、 2本線を引くと交点がありますっていうのは教科書なんですね
で、それはもういたるところで使う原理だから必ず勉強するように言われました。幾何だとね。 指導教官は、いはらやすたか先生だったかなあ、いはら先生は、 なんでも、説明したからな
今となって思う大学院のときに知っておきたかった知識は「論文の読み方」である。大学4回から修士一回に上がるときに研究室を変更した私は、新しい研究室である論文を渡された。「この論文を読んできてください」と。何も知らない私はその論文だけを必死に読み込んだ。分野的に一つの論文を理解するのに時間がかかることもあり、参考文献を辿ることもなかったし、イントロをきちんと読むこともなかった。
思えば、その部分が最も重要だった。なんとか研究を始めなくてはと焦っていたので、その論文だけから思いつくアイデアをミーティングのたびに話していた。なんと愚かだったことか。そもそも「論文の読み方」が存在するとは思っていなかった。本を読むように読めばいいと思っていたのだ。もし、この投稿を読んでいる学部生がいたら、今すぐ「論文の読み方」、「論文のまとめ方」で検索してほしい。
19歳から地元を離れて県外の大学に通っている。大学院に進学したため、一人暮らしは6年目を迎えた。
6年目にして、初めてホームシックになった。
小学生から不登校を繰り返して、高校も中退し、親との関係が安定してきたのはだいたい7〜8年前。
小学生の時からかなり自律神経がしっちゃかめっちゃかで、最近はプレッシャーを感じると何もできなくなってしまう。
11月にあった学外発表で無事に力尽きてしまい(発表前は60時間起きてた)、毎日18時間寝る生活になった。その後、修論に全く向き合えなくなり、バイトにも行けず、ゲームもできず、ただひたすらYouTubeと小説でやり過ごす日々。流石に指導教官から実家に連絡が行き、母親に帰ってこいと言われ実家に帰った。
私(長女)の経験を生かし、不登校に関するNPO法人を立ち上げたり、放送大学に通い心理学を学んだりと、母親が学び続けたおかげで関係が改善したと思っている。
そんな母のことは嫌いでない。好きだし、尊敬もする。
それでもこの歳になるまではとにかく家を出たくて、一人暮らしも楽しく満喫していた。
小学2年生から不登校だった。幼少期は引っ越し続きで、父は九州の田舎の亭主関白、母は全く周囲に頼れる大人がいない状況だった。その上、父は単身赴任(本社勤務とのことで家を買ったが、その後転勤が決まったらしい)。私と、弟たちを母1人で育てていくのは今思えば本当に大変なことだったと思う。
それでも、小学生の私にとっては、母が子育て等に不安を感じ続けている生活で不安を感じないわけがなく、学校で周囲と衝突し、家では激しい反抗期、とにかく攻撃によるストレス発散が多かった。
よく父に怒られて家の外に出されていたが、その時は泣きながらどうしたら死ねるだろうと、塀(といっても1m)から飛び降りるか迷っていた。飛びおりなかったが、人生で初めての自殺未遂は今でも鮮明に覚えている。
ご飯を食べなくていい、と父に子供部屋に閉じ込められたこともあった。内開きのドアの前に重たい家具を置かれて、ドアノブを紐で繋いで開かないようにされ、水も飲めないトイレも行けない状況で一晩を過ごしたこともある。
大喧嘩した時、私がダイニングテーブルをひっくり返して破壊したこともある。15万くらいするかっこいいデスクトップpcも壊したことがある。
流石にいいところも書いておく。
ピアノを小学1年生から始め、2年生の時には100万の中古のグランドピアノを買ってもらった(欲しいとは言ってないけど)。水泳やそろばんなど、習い事をたくさんさせてくれた。クリスマスや誕生日には欲しかったゲームをくれた。高校では50万の管楽器を買ってくれた。行きたいと言えば海外研修にも行かしてくれた。母は料理が上手(だと思っている)で、3食手作りしてくれたし、時にはお菓子も作ってくれた。裁縫もうまい。父も農家出身で未成年喫煙するような不良だったが、国立大学に行き20代で1000万プレイヤーだ。
やりたいことをやらせてくれる家庭だったと思う。
今は母も穏やかになり、自分のやりたいことを見つけて人生を楽しんでいる。父も亭主関白はなりをひそめ、週末は単身赴任先から帰ってきていろいろ料理をする。私が帰省するとリクエストを聞いてくれる。私がお金の心配をしなくてもいいのは絶対に父のおかげだ。
とにかく小学2年生から5年生までは攻撃的な子どもだったし、両親だった。家庭内の情緒が最悪であった。(1番の被害者は弟たちだと思っている)
私は部屋に閉じこもり、昼夜逆転生活を送り、どうしたら死ねるかを考え、なぜ生きているのか悩み、母が書いてくれた私の0ヶ月から1歳半までの育児日記を読んで母の愛を確認していた。こうして振り返るとかなり寂しい子どもだと思う。
中学生になってからは、かなり落ち着いたと思う。母が支援に繋がれたことが大きい。
そんな家庭で、形や中身は変わりながら高校まで過ごしていた。
大学はとにかく県外に出たかった。高校中退で学歴コンプレックスがあったし、弟たちがいるので国立しか視野になかった。将来の夢があり、養成の名門と呼ばれる大学を目指した。
5年半、ずっとホームシックになることはなかった。
一人暮らしは本当に楽しい。自分のペースで生活できること、家にいる限りだれも私のことを知りようがないことがよかった。今でもそう思う。
それでも、ホームシックになった。
実家から帰る日、予定があったのでどうしてもその日に帰らなければならなかった。帰ろうと朝起きて、起きた瞬間涙が止まらなかった。8時半くらいに起きたと思う。18時まで泣き続けた。結局予定はキャンセルした。
18時に、今帰らないとずっと帰れない、と覚悟を決めて帰る準備をした。泣きながら準備をした。
それを見ていた母に、抱きしめてもらった。頭を撫でられながら、がんばってるね、えらいねと褒めてもらった。頑張りすぎなくていい、いつでも応援してると慰めてもらった。
1、2分だったと思う。
そのあと、やっぱり泣きながら車を運転して帰った。
母が持たせてくれた沢山のご飯を食べながら生きている。ジップロックに書かれた母の文字を見ては泣いている。
修士論文にはまだ向き合えていない。
就職が決まっている。
なにもできない日々を過ごしている。
今の状態を完結に表現すると、ストレスフルで何一つ楽しみがなく(最近一つだけ出来た)、睡眠時間も十分取れない身体的精神的にかなり悪い状況。ストレスフルなのは先輩と同期のせいで、何一つ楽しみがないのは時間的精神的に追い詰められており娯楽を楽しむ余裕がない。じゃあ過去に戻ってこの状態を回避できたかと言われると多分僕にはできない。今とほとんど変わらない状況に収束すると思う。
弊研究室はM2一人、M1二人、B4二人の比較的小規模な研究室なのに、様々なところから来る測定の依頼や共同研究を行っているせいで常に忙しい。そもそもの人数が少ないので学生の負担が大きく、一人欠けるだけでかなり厳しい。じゃあ学生同士で協力しあって頑張ろうね!と普通だったらなるはずだし、自分もそう思うが、残念ながらそうはなっていない。M2の先輩はほとんど大学に来ないし、同期のM1は指導教官の先生が言わないと実験を行わない。幸いにもB4の二人は非常に真面目で優秀であるが、ただでさえ一人の負担が大きいのに、5人分の負担を3人で回していることになる。これは誰が悪いんだろう。誰しもバイアスがあり客観的に見るなど不可能だが、無理やり第三者目線から見るとB4の二人以外、つまり先生、先輩、同期そして僕は少なからず今の最悪な現状に負の方向で貢献していると思う。先生は単純に仕事を抱えすぎで、一学生が何を生意気なと思われるかもしれないがもっと仕事を取捨選択すべきだと思う。先輩と同期は一言では書き表せない。僕は周りに仕事を振るのが絶望的に下手なのが良くない。みんな悪くてみんな良い。以下先輩と同期の悪口が延々と続くので注意。
弊研究室に一人しかいないM2の先輩は二ヶ月くらい音信不通になって最近復帰したせいでそればかり目立っているが、そもそもほとんど実験しない人だった。じゃあ何をやっているかというと、学生の居室で延々とtwitterか違法サイトで漫画を読んでいる。本当に救いようのない人間で、こんな人間に修士号を本当に与えてしまうのかと大学制度に絶望している。M1の頃はよく覚えていないが、M2になってからは本当に数えるほどしかそもそも大学に来てないと思う。1~5月は就活云々で来てなかったし、内定が出てからも全然実験している様子はなかった。週二くらいで大学に来て↑をやって帰るだけのゴミカス大学院生。けど本人はおそらく自分が研究活動を行っている自覚はあったのだと思う。音信不通になった理由は研究室の雑用や研究活動が嫌になってしまったのが理由と先生に聞かされたときは本当に理解が追いつかなかった。雑用というのはおそらく研究に使う測定装置の作製工程のことを言っているのだと認識しているが、それにしてもおかしい。なぜなら装置の在庫管理は全て僕が行っているし、作業工程をみんなに均等になるように分配していたのも僕だし、なんなら自分には少し多く仕事を振っていた(緊急時の対応などで)。先輩がやっていたことはバイトでいうと皆同じだけのシフトをこなすだけの、週3~4時間ぽっちの作業で、それが辛くて大学に来たくないなら大学を辞めるか研究室を変えればいいと思う。研究が嫌になったというのも理解ができず、義務教育じゃないんだから大学院中退して就職すればいいのにと思ってしまう。研究はしたくありません、けど修士号は欲しいですというのは通らないということが24歳にもなってわからないのかな。最近音信不通の状態から復帰して実験室でなにか作業をしている様子だけど、相変わらず謎にPCに向かい合っている時間は長い。実験していないからデータはなく、シミュレーションなども行っていないので何をそんなにPCでやっているんだろう。更にムカつくのが、上記にある測定装置の作製はしたくないのに、測定装置は平気で使っていく。どういうメンタルしていたらためらいなく使うことができるのだろうか。無銭飲食とやっていることは変わらず、こういう人間が部下の手柄を自分のものにする上司にゆくゆくはなるのだと思うと本当にイライラする。大学院は博士を増やす前に修士をもう少しまともに審査してほしい。先輩のような人間が自分と同じ学位を持って社会にでることが何より嫌だし、修士の価値を落としていることを自覚しながら先輩には生活を送って欲しい。僕も研究結果的に特段優秀な学生というわけではないので、修論審査に落とされるのは構わないが先輩のような人間に修士号を与えないような仕組みづくりをして欲しいと切に願う。とりあえず最近のイライラの原因の9割は先輩の存在。ほかはおまけ。
次に同期。こいつはやれといえばやるが、逆に言わないと何もやらない。修士の学生って自走することを求められるはずなんだけど、それすらも僕の認識が誤っているのかな。自分の研究も考察するところは全て先生か他の人任せで、すべて用意された環境でちょっとだけ実験をしてそれで卒業するつもりらしい。先輩もそうだが、このような人種は他人が自分のために何をやってくれているのかに興味が無いのだと思う。もしほんの少しでもその意識があればやれることをやっているか、本当に性根が腐っていて何も感じていないかのどちらかだと思う。そいつが5月に実験したデータがまだ解析されておらず、急にそのデータが必要になったので何故か僕が睡眠時間を削って死ぬ気で解析をしている。なんで???。当然本人にやらせようと思ったが、本人はそもそも解析について理解していないだろうし、過去の先輩が作ったプログラムをアレンジする能力もないので言うだけ無駄と判断した。これで同期が困るだけなら僕は絶対に協力しなかったが、先生及び親しい関係者の方に迷惑がかかるのでそれは避けたかった。先生も当然解析が終わっていると思っていただろうし、僕もそう思っていた。この半年何やってたんだお前は。これで常人のフリして就活してるから本当に終わっている。やっぱり短い時間でその人が優秀かどうかなんて特に新卒採用だと見分けるの不可能。先輩ですらいわゆる人気企業に内定をもらっているわけで、もう本当にやるせない。
自分が修士に夢を見すぎていると言われればそれまでだが、それにしても限度というものがあるはずで、僕が常識知らずなだけで大学院生の平均はこのレベルなのか?
後輩が先に修了して行く様を何度も見せられ、精神的に相当参った。自分が馬鹿だからしゃーないけど。
もちろんそんな精神攻撃のほかにも、指導教官から「早よ修了しろ」と背中叩かれるのもそこそこキツい。
なまじ「お前は博士に向いていない」とか言われるより心に来るものがある。
でも応援してくれるだけかなりマシ。自分の教官はこんな劣等生にもいつも親身に指導してくれた。
でもこんな境遇になったときに一番精神に来るものは金銭面だと思う。自分はそうだった。
まず在学年数が増えるたびに授業料が発生する。
そして実家からの支援も見込めず、当然奨学金・学費免除なんてのも受けられない。
授業料だけではなく、家賃や水道光熱費といったいろいろな固定費が必要だし、まして自分が思ったときに好きなものを買えないストレスは想像を遥かに越えて重くのしかかった。
・休学制度を使う
休学期間中は学費がかからない(はず)。「金銭面の事由により」などとして休学すれば、その間の金銭ダメージはかなり減る。もちろんその間も研究は続ける。
JREC-INとかに登録したり、教官のツテを辿ったりして、何か職に就いてしまう。
将来大学関係の職に就きたいのなら、ここで特任助教なんかでもいいから博士号を要しない職を見つけて、いわゆる社会人ドクターの形をとる。
このご時世、オンラインでも研究はできると思う。何だったら最終発表会までフルリモートで行けるかもしれないし、そうでなかったとしても一度や二度くらい大学に戻れればいいや、の精神で、場所は問わず探してみる。
自分の場合は運良く事が運び、博士課程中に(任期付きではあるが)ポストに就けた。これで金銭面の心配はほぼ不要になった。
ただし、勤務しながら研究は続けることになるので、それはそれで大変。覚悟は必要。
「大学に行けるだけ贅沢」「博士なんて自分で望んで行く場所なんだし、成果が出ずに路頭に迷うのも自己責任」
なんて声が上がると思う。それは否定しない。
でもそんな脳死で石を投げられる人は、きっと人生何事もうまく行っている天才か、すべてうまく当てはまった努力家だろうし、自身の境遇と重ね合わせるべきではない。
例えば自分は陰キャブスぼっちだったので、研究の話とか遊びの話とか、他愛ない話をできる人は周りに誰もいなかった。
そういうのは……まあ自分もうまく乗り越えられたとは思えないのでアドバイスしようがないが、頑張ってほしい。
■教養を身に付けられる本を教えて欲しい。
この問いに答えるには先に「『教養』とは何か」ということをクリアにしないといけないと思うが、これを抽象的に論じ始めると喧々諤々の議論となって、増田の「本を教えて」という望みにたどり着かない。
しかし、日本の「教養人」と言われる人/自称している人たちの中で「教養」の範囲は割と共通していて、だいたい以下のラインナップに自分の専門や好みを付け加えたものになるのではないかと思う。
これはもう間違いない。およそ西洋で発展した学問は深掘りすればすぐにキリスト教にぶち当たる。
ただ日本でキリスト教について知識を身に付けようとしてもなかなか良い本が無いのが現状。(その辺で売ってる入門書は表面をなぞってるものばっかりなので読んでも誤解して終わりだと思う)
個人的には内村鑑三の一連の著作から入るのが分かりやすくて良いと思うが、古くて読みづらいかも。田川建三から入るのも面白いかもしれないけどどうかなぁ。
なお、「教養人」といえど聖書は誰も通読していないので、上記の本で引用されたところを拾い読みしておけばよい。
ひと昔前までマルクス主義はすべての学問を包括する「グランドセオリー」と言われていて、どんな問題でも切れる便利なナイフのように活躍していた。
その残滓が今でもあって、社会科学においては今でも学生が知らず知らずのうちにマル経用語を覚えさせられていたりする。
むかしは手に入りやすくてわかりやすい入門書が不破哲三のものしかなかったが、数年前のマルクスブームでたくさん良い本が出ており、個人的にはデヴィッド・ハーヴェイの入門書をお勧めしたい。(ただ抵抗が無ければ不破哲三の著作は今でも分かりやすくてよい)
みんなの憧れ『資本論』も上記入門書の傍らに置いてちびちび読んでみると良い。そこらの難解な哲学書に比べればぜんぜん読める。
マルクスをやればみんな歴史がやりたくなる。マルクス主義史観を学校で習った日本史/世界史に当てはめて、その切れ味を試したくなるからだ。
好きな時代や分野をやれば良いと思うが、「教養人」はみんな網野善彦と遅塚忠躬の著作が大好き(偏見)なので、ぺらぺらめくっておくと良いだろう(マルクス主義史観の多少の解毒剤にもなる)。
ウォーラーステインも読みたくなるが、長すぎて誰も通読していないので、川北稔のアンチョコを読んで、読んだふりをしておくと良い。
なお、第二次世界大戦については最近、川田稔『昭和陸軍全史』という誰でも読めるすばらしい本が出たので、知ったかぶりができなくなった。
文学となると何を読むか、ということになるが、サマセット・モーム先生が『世界の十大小説』というすばらしいアンチョコを出しているのでまずはこれを読むと良い。
そこで採り上げられている小説のうち、『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』は「読まなければ人ではない」という風潮があるので、せめて読んだふりはできるように。キリスト教の知識がここで生きてくる。
日本の小説では、夏目漱石についての柄谷行人の論考を読んで、日本の近代について一席ぶてるようにしておこう。
それと『失われた時を求めて』はとりあえず買って挫折するのが大事。
わが国では哲学について昔から「デカンショデカンショで半年暮らす、あとの半年寝て暮らす」という有名な言葉があり、デカルト・カント・ショーペンハウアーが昔の「教養人」の必須科目となっていたらしい。
ただショーペンハウアーがここに入っているのは少し不思議で、今ならニーチェが入るのではないかと思う。
どうせ正確な理解なんて無理なのだから、適当なアンチョコを読んで知ったかぶりができるようにしておくと良い。
なお、なんか知らんが日本人はヘーゲルが大好き(な割に誰も理解していない)なので、一応挨拶だけしておこう。
「教養」として名前が挙がることが多い一方で、まともに条文を運用できる人がほとんどいない分野。
上述してきた分野と違って、本を読むだけではだめで、指導教官のもとで実際の事例にぶち当たってトレーニングを積まなければならないので難しいのだろう。
下手に基本書を読んでも本職に知ったかぶりをすぐ見抜かれるので、時折ネットで話題になる法律問題について法曹の解説を読んで都度勉強すると良いだろう。
ここまで挙げた学問はいずれも西洋で発展したものなので、「日本にはなんもねぇのか」という気分になってくる。
こうした「教養人」が抱えるコンプレックスについて内田樹が『日本辺境論』という本で書いているので、ちょろっと見ておくと良いだろう(Amazonで1円で売っている)。
ここらで本居宣長とか丸山真男とかを読み出す人も多いのだが、どうせ不毛な作業になるので、視野を広げて中国思想・インド思想辺りに目を向けるのが良い。
「教養人」というのは大概文系であり、自然科学についてはからっきしな奴が多い。
自然科学の話題になると、トーマス・クーン『科学革命の構造』をそれらしく引用して逃げ切りを図る人が多いのだが、本職に馬鹿を見抜かれるので素直に勉強しましょう。
ヨビノリをはじめとした学習コンテンツがYouTubeに転がっているので、せめて高校数学と物理ぐらいはやっておかないといけない。
上述してきたような分野をやっていると、唐突に詩が登場したりして困惑する場面が多々出てくる。
論理的(笑)な「教養人」の中にはこれを不得手として敬遠する人が多いのだが、どこかで対決しなければならない。
幸いなことに最近、詩人の渡邊十絲子という人が『今を生きるための現代詩』という詩についての分かりやすい概論を出したので、一読した上で適当な詩のアンソロジーでも買ってくれ。
なんか知らんが「教養人」は映画が好きな人が多いので、ある程度は観ておかないといけない。
イギリスのエンパイアという雑誌が「史上最高の映画500本」という特集をやっているので、上から適当に観ておけば良い。
とりあえずこの辺を押さえておけば周囲からは「教養がある」という認定を受けるのではないかと思う。
ただ教養があったとしても「教養人」からマウントを取られる可能性が低くなるだけであり、「他人との会話が盛り上が」るなんてことはまず無いから気を付けて呉れ給へ。
Kendall (2007)に関する雑感。筆者は経済学で学位を持っていますが、因果推論は専門ではありません。なのでコアな分析の妥当性について判断を下すことはありません。あと短時間でパパっとみた結果なので、網羅的に全ての情報を集めることはできていません。それを理解した上で読んでください。興味深い部分をまとめると
1. Kendall自体はしっかりした経済学者。指導教官はヤバい経済学で有名な Steve Levitt。
2. 指導教官のLevittは自身のブログで、読んではいないけど、結果にはSkepticalと述べている。自然実験を探さないとね、とのこと。
3. Kendall (2007)は最終稿のようなものではなく、これからブラッシュアップしていく段階のように(僕は)感じる。
4. Kendallは2008年に民間に移ったので、それでこの研究は中断されたのでは。
5. ただKendall自身はこのあとも研究活動を共著者らと続けているようなので、なぜこの論文だけ宙に浮いてしまったのかはよく分からない。
査読論文ならこんな素人探偵みたいなことをしなくていいのにね!
-- 所属、時系列とともに整合的。論文のテーマから見ても同一人物でしょう。
-- 2003年にシカゴ大学で経済学の博士号を取得した後、2003年から2008年にかけてアメリカのクレメント大学に助教授として勤める。その後に転職し、現職のCompass Lexeconに勤める。
-- 最初の査読論文は2003年にSouthern Economic Journalに掲載されたもの。
-- この謝辞にGary Becker. Pete Klenow, Steve Levitt, Casey Mulligan, Kevin M. Murphy, Derek Neal, Allen Sanderson, Lester Telserの名前があることから、ここらへんの人に指導されたことが推測できる。Gary Becker, Pete Klenow, Kevin M. Murphy, Steve Levittは僕でも知っている有名人。指導教官はSteve Levittのよう(下記参照)。
-- そのあとの論文を見ていると、Journal of Sport Economicsに載せていたり、Steve Levittみたいなヤバい経済学スタイルを感じる。
-- Journal of Economic Behavior & OrganizationやJournal of Urban Economicsなどのソリッドな雑誌に論文を掲載している。一流とは言わないけど、ちゃんとした経済学者。Journal of Urban Economicsに載った論文(https://doi.org/10.1016/j.jue.2010.12.001)は2011年のものなので、転職後も研究活動自体は続けているよう。
-- どちらのバージョンもRepecを通しては見つからない。SSRN(プリプリントサーバー)にも登録されていない。
-- 2006年のバージョンはToulouse School of Economicsで発表したときのものっぽい(http://idei.fr/sites/default/files/medias/doc/conf/sic/papers_2007/kendall.pdf)。
-- けっこう雑じゃない?(僕は専門じゃないので分からないけど)
-- Placeboとか、そういうお作法が広まるはもうちょっと後な気がするので、そこまで要求するのは酷かもしれない。
-- 指導教官のLevittは2006年の段階では、It is not really fair (especially to your former student) to be skeptical without reading the paper, but I have to say I am skeptical of the empirical resultと述べている。(https://freakonomics.com/2006/10/pornography-and-rape/) ちゃんと自然実験を探した方がいいよ、とのこと。
-- このあと同じブログで他のライターがBhullerらの論文を紹介している。Bhullerらの論文は自然実験を利用しているので、自然な流れ。(https://freakonomics.com/2011/08/more-on-rape-and-porn-does-internet-access-increase-sex-crimes/)
-- サブミット前の論文だったらもっとちゃんとしたドメインにありそう。
-- 2007年の回帰表(表1から表5にかけて)がワードで作ったやつみたい…?
-- どうもStataを使っているようなので、綺麗に作れると思うのだけど…。
-- ただ大量に脚注がついていて、これはもしかしたらレフェリーに対応したのかもしれない。
-- Leamer の Extreme bound analysisを使っている人、はじめてみた。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。筆者のhesopennです。前の投稿と直接関係はなく、あくまで自分の好奇心の赴くまま、適当に調べました。あまり信用しないで、気になる部分は自身で調べて頂ければ幸いです。個人的な感想として、論文の評価を非専門家がするのはあまりにも難しいなと感じました。僕個人のこの論文の評価は「よく分からない」です。だから狭義の専門家が査読するわけですよね。
指導教官相当であるのであれば、何故ハーバード卒早稲田卒の小保方さんは論文撤回したんですかねえ。
指導教官相当って何???最前線って単語ちゃんと理解してます??
論文なんてあの手の嘘だらけじゃん。
「理系の人が研究室や実験、といいますが、そこらの学生がやる意味があるんですか?二流三流大学の研究とは、すでに発表されていることの単なる確認やトレースではないのですか?」
という知恵袋を見た。
理系は卒論というものがあるかぎり、ほとんどの場合においてどんな3流大学でも、少なくとも修士課程以降は、いや結構な頻度で学士でも、「人類の科学の領域の境界線を親指でぐっと押したぐらいは広げてる」んです。
修士論文発表した瞬間はその論文の内容に関しては指導教官と同等以上になってるよ、僕の知ってる人はみんな。その一瞬だけは人類の最前線だよ。
なので、文系には卒論がない大学もある、と聞いてびっくら仰天するわけです。ひとによっちゃあ盛大に馬鹿にするわけです。
えっ君たち大学出たのに人類の叡智とか文化とかをほんのちょっとでも大きくしなかったの????何しに大学に行ったの????って。
やりたかった分野の研究室で優秀な人が揃っているところだった。
なんとか進学できたが、実力不足をカバーできなかった。研究計画もろくに建てられず、先輩の研究を引き継いで、無理くり新規性を作っていた。
学部の研究室で研究計画やサーベイをやっておらず、研究のやり方がよく分かっていなかった。
そんな研究室に嫌気が指して、他の院の研究室に進んだが、ぬるま湯に浸かりきっていた自分にはついていくことができなかった。
ちゃんと教授に相談できていればよかったんだが、コミュ障で悩んでいることを相談がうまくできていなかった。自分の直接の指導教官のグループでの不在が多かったことで話しづらかった理由だった。
実力不足を感じていたこともコミュニケーションをうまく取れないことに拍車をかけていた。
また、私の研究は最先端のトピックから外れていて、最新の学会論文と結びつけることが難しく、最新の英語論文を読むことを怠けていた。
そんな状態で研究をしようと無駄に手だけを動かしていて、就活を先延ばしにし、見事に失敗してしまった。
なんとか受かった会社からバイト依頼が断りづらく、修論直前まで行っていた。
その研究分野には大変魅力を感じており、今でも関われたことは良かったが、本当に不甲斐ない結果しか残せなかった。そのことは本当に後悔している。
卒業できません。
友人も数人博士に進みましたが、みんな留年して何とか卒業という感じです。
何なら、博士課程4年で何の成果もなく、修論の成果がギリギリ博士課程の年限に論文が出たものを再利用して何とか卒業した人もいます。
自分はというと、学部時代に留年をしまくって、今ようやく博士1年生です。
成果は、今のところ何も出ていません。修士とは違う学科の研究室にいますので、博士課程の結果が出ないと終わりです。
しかし、自分の考えた提案手法は今のところ何の成果も得られていません。
成果が得られないどころか、マイナスの結果ばかりです。意味がわからないです。
当然、論文も書けません。
一つ、確実に言えるのは、「3年での卒業」は不可能であることです。
「提案手法が使えない」ことがわかっただけで終わる可能性が高いです。
独自テーマでやってしまった以上、指導教官からの補助は望めないでしょう。
今はただ、3年経って退学をするまで待つだけです。
ポスドク問題とか言いますが、ポスドクって博士号取ってますからね。
多分僕はこのコースです。
どうしよう。