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2024-07-24

投資で2,000万円以上ものカネと、6年間という膨大な時間無駄にした

投資ブームだ。日経平均過去高値更新して久しい。

歴史的円安は、物価上昇への警戒感と共に投資への興味を駆り立てている。

国もNISAの枠を拡充するなどして投資を後押ししている。

 

ひとつだけ言いたいことがある。

株だろうとFXだろうと仮想通貨だろうと、扱う商品は問わない。

 

「とにかくデイトレはやめとけ」

 

レバレッジをかけたデイトレ特にやめとけ。

デイトレと言っているが、スキャルピングスイングもやめとけ。

なぜなら普通人間には無理だからだ。

ちなみに、普通より少し賢い人間には、もっと無理だ。

 

長期投資を余裕資金でコツコツやるのはいい。バイフォーゲット。

でもそれ以上の夢は見るな。

短期間で資金を稼げる可能性のある、デイトレだけはやめておけ。

俺みたいになる。

 

俺は6年以上デイトレをやっている。

膨大な時間と労力をかけて手に入れたものは次の通り

 

・2000万円超えの損失

・6年間にも及ぶ空虚時間

長期間精神的苦痛

・ゆがんだ金銭感覚

・まじめに働くことへの拒絶反応

人間関係の薄い孤独生活

・この先どうなるかわからない人生

 

俺は、2018年からデイトレを開始し、多額のカネを失ってきた。

寝る間も惜しんで勉強し、視力が悪くなるまでチャートをみて、すべてを捨てて取り組んできたが、全て無駄だった。

 

自分で言うが、人生を振り返ると、俺は決してアホな方ではなかった。

 

学校ではあまり勉強しなかったが、要領はいい方であり、少し力を入れて勉強するだけでクラストプレベルの成績を取ることができた。

比較的難しい国家資格を一発で取り、難なく就職できた。その後の仕事も卒なくこなせた。

グループではたいてい中心的な人物で、リーダーを任されることも多かった。

自己管理能力比較的高い方だ。

おそらく客観的にみても、平均的な人間より全体的な能力は高かったといえる。

 

まり何が言いたいかというと

「平均以上の能力がある俺みたいなヤツは、金融市場ではむしろ絶好のカモになる」

ということだ。

 

金融市場では、そこそこ成績優秀だったヤツ、医者弁護士バリバリ理系ちょっと自頭がよかったヤツ...こんなヤツらが多額のカネを失い続けている。

 

考えてみてほしい。

そこそこ人生での成功体験を積んできたやつが、自分金融市場でまんまとカモになるなんで思うだろうか?思うワケがない。

そこに落とし穴がある。

から絶好のカモになる。

 

金融市場への参入は、この「そこそこの能力のヤツ」が圧倒的に多い。

投資の事を積極的に調べ、余裕資金もあり、そこにチャレンジできるような人間は、内心「自分なら出来る」と思っているのだ。

それに人生で大きな失敗経験もないから、投資でも多少の努力成功できると錯覚やすい。

 

そして悲しいことに、こんなそこそこのヤツら全員をカモにするような魔物が、金融市場には存在する。

(ちなみに、だからといって普通能力のヤツの方が勝てるというワケでもない。普通のヤツも普通に負ける)

 

考えてもみてほしい。

例えば超一流大学トップのヤツらが希望する就職先のひとつに、金融機関がある。

カネが儲かるところには優秀な頭脳が集まる。

そしてその組織の中のさらトップ層が独立し、自分資金を活かして金融市場トレードしたりする。

だがその中でさえ多数の脱落者があり、優秀なヤツだけが金融市場で生き残る。

上澄みの上澄みだけが生き残る。

その生き残りは、簡単にいえば化け物だ。

 

これに限らず、野生の猛者たちも最終的に金融市場に集まりやすい。

パチプロでズバ抜けた成績を叩き出し続けてた意味不明なヤツ、ゲームに関してとんでもない才能を発揮するヤツ、1つの事に没頭しまくり異常に能力を発揮する引きこもり金銭感覚トチ狂った天才博徒、自頭が死ぬほどいいヤツ等...

  

パソコン1つ隔てだ先に、こんなヤツらがウヨウヨいる。

  

特にデイトレでは、ごくごく一部を除いて成功することな絶対にできない。

なぜならデイトレという戦場では、間接的、あるいは直接的にこんな化け物と対峙することになる。そういう仕組みになっている。

 

からデイトレで勝ち続けるためには、相当運がいいか、それか自分が上位0.1%以内に食い込めるような化け物でないといけない。

頭の良さ+精神面の安定性、簡単にいえば人間力が相当高くなければならない。良い意味で頭がオカシクないとダメだ。

  

 

だらだら書いたが、簡単にいえば、デイトレガチでムリゲーなのだ

短期間で資金を増やしていくことを狙ったトレード特に無理ゲーだ。あきらめた方が良い。

  

これが6年間で2000万円以上溶かした俺がたどり着いた答えだ。

一般人レベルの人たちが、金融市場無駄な損を出さないことを願って、本当のところを書いた。

俺の費やしてきたものが、せめて無謀なチャレンジへのブレーキとして機能すればありがたい。

 

こんなこと書くと「人の可能性をつぶすな」という旨の意見が出そうだが、仮に100人チャレンジしても成功する人間が(良くて)5人以下のような確率チャレンジに対して警告を発することは、決して悪い事ではないと思う。

 

俺が最も後悔していることは

「この失ったカネをコツコツ長期投資しておけばよかった」ということだ。

少ない資金からでもいい。コツコツと長期投資をすることをおすすめする。決してレバレッジをかけた短期トレードには手を出さないように。

長期投資に関して言えば、投資のものは、良い事だと思っている。

 

あなたの大切な時間お金無駄にならないことを祈っています。 

 

2024-07-20

ドラマ七夕の国」の原作改変がそろそろ限界突破

ネタバレ含む原作設定

神町という架空の町では、代々超能力者が生まれ

その能力者「手が届く者」とは、空中にシャボン玉のような球体を作り出し、その球体をぶつけられたモノは球体と同じサイズだけ消失する

まり人間の頭に野球ボールサイズの球を投げつければ、野球ボールサイズの穴が空いて死ぬ

神町の者はこの能力を駆使して乱世では9人の能力者だけで数万の敵勢を返り討ちにした

現代では能力者は片手で数えられるほどしかおらず、非公開の神事で並べた石をバチンバチンと消すぐらいにしか能力を使っていない

能力を使うほどに能力者の容貌は変形して「鳥のような羽毛を持つエイリアン」みたいな顔になり、手指は1本追加で生えて6本になる

作中の推測では、まさに「エイリアン」がかつて丸神町に降り立って植民地実験地にしようとして町民に能力を与えたと推測される

またエイリアン能力だけでなく、町民を「窓を開いた者」にした

「窓を開いた者」は夜毎に「怖い夢」を見る

それは宇宙の果てか地の底のような場所で永劫の孤独を強いられ、苦しんでいると「エイリアン」のような存在けが手を差し伸べてくれるというもの

町民はその夢によって、エイリアンを切望し隷属しなければいけないという衝動に駆られる

球はモノを消す際に強い光を放つ。山頂で石をバチンバチンする神事は派手な光を出すことで「エイリアンよ、私達はここにいるのでまた来て下さい」というメッセージが込められている

でもエイリアンは何故かもう何百年も現れず、町の人々にはただ超能力と怖い夢だけが残されている

頼之さんと幸子

神町では能力がなく夢も見ない普通人間が最も多く、次に夢だけ見る者がけっこうな数いて、能力者はごくわず

頼之さんは夢を見るし能力もある稀有存在で、球のサイズ建物一つ飲み込めるほど大きくできる歴代最強の能力

10代の頃から神事を行う若き神官」と称されているので、多分まだ20代だろう

頼之さんは能力を使いすぎて容姿はもう人間離れして、見た目では年齢不詳

エイリアンとのつながりを保たなければいけない」という怖い夢による強迫観念のもとで、頼之さんは神事の山を切り崩す開発工事提案したヨソモノを能力殺害してしま

怖い夢に支配されている一方で、頼之さんは「何百年も前に我々を見捨てたエイリアンに縛られ続けるのはおかしい」「あんな山なんかぶっ壊して解放されるべきでは?」とも考えるようになった

町には「山里を守るためだけに能力を使え、外部に能力を知られるな、外部のために能力を使うな」という掟がある

頼之さんは、その掟を破って能力を外で派手に使いまくれば、掟を押し付けたであろうエイリアンが出てきて対峙できるのではと思い、町を飛び出して反社とつるんで船舶飛行機、巨大ビル、著名な政治家らを次々と球で消去する

それでもエイリアンは現れない

頼之さんには幸子という同郷の幼馴染がいる

幸子は怖い夢は見るが能力はない

彼女は兄が能力者で、幼い兄は能力を遊び半分に使って小さな球を幸子の体に投げつけて背中はえぐられた傷跡が大量にある

頼之さんはエイリアンのような容姿を隠すため常に覆面の怪しい人間として登場するが、幸子のことを「さっちゃん」と呼んで気さくに接する

怖い夢に縛られ兄から虐待過去にも苦しむ幸子は常に陰気なのだが、頼之さんは幸子の頬にそっと手で触れて「俺がいつか悪夢から解放する」と話す

そのために頼之さんが凶行を重ねていると知り、幸子はそっと涙を流す

幸子は怖い夢の中で手を差し伸べるエイリアンを見るうち、あれは本当は実在も定かではないエイリアンなどではなく、頼之さんじゃないのか、頼之さんがどん底世界から救ってくれる人ではないかとうっすら考えている

この二人の関係恋愛未満であるが、だいぶ恋愛に近いものだと思う

わけのわからない夢に縛られている、よそものにはわからない同郷者同世代同士で苦しみを分かち合う者

人間を球で消去しまくって大量殺人を重ねている頼之さんに呑気にラブコメする時間はなかったが、お互いに他の同郷者とは別格の思いを抱き合っている

頼之さんと幸子の関係ドラマで改変

ところがドラマ版では色々改変があり、まず頼之さんが幸子と同世代若者ではない

頼之さんの俳優40歳山田孝之で、頼之さんはエイリアンみたいな姿なので特殊メイクしており役者実年齢は関係ないと思いきや、

数年前の回想シーン山田孝之が顔出しをしてしまった

山田孝之は有名な俳優だ、せっかく起用するなら特殊メイクだけでなく顔を出させたいのは人情だろう

だが、数年前のシーンで幸子が子役を使う一方で頼之さんは40歳山田孝之で、親子ぐらいに年の差が開いてる設定になった

頼之さんは幸子の母親と同世代で、幸子の母と恋仲だったがお家の事情結婚できず、幸子母は他の男と結婚したという設定が生えた

幸子父は頼之さんとの関係嫉妬して妻子を愛せず、幸子が兄から虐待を受けたのは、兄が父から虐待を受けておりそれが連鎖したという設定になった


原作関係のない一つのドラマとして見ればシナリオにそんなに破綻はないし、球による人体破壊描写容赦なくグロくしたりがんばってくれてはいるのだが、

頼之と幸子の関係が様変わりしたのはショックだった

山田孝之はずっと特殊メイクのまま20代若者設定でいてほしかった

幸子の母と恋仲とかなんだよそれ


頼之さんは結局、暴れまわってもエイリアンが現れず、とうに人間たちは棄てられているのだろう、

なのに呪いのような怖い夢だけ残され、エイリアン降臨を待ちわびる神事をするのが馬鹿らしくなり、

最後には神事を行う山を巨大な球で破壊自分もまたその球によって消えようとする

しかしたらエイリアンはとっくに手を差し伸べてくれていたのではないか、球は「扉」であり、巨大な球に丸ごと体を飲み込ませればエイリアンのもとへ行けるのではないかという仮説を提唱し、

それが真実である根拠はなく、もしかしたら死ぬだけかもしれないのに巨大な球に触れようとする

幸子は自分も一緒に行きたい、自分にとって手を差し伸べてくれていたのは頼之さんであると述べて頼之さんに駆け寄ろうとする

結果的に死んでもいい、心中になってもいいというのが頼之さんと幸子の関係

これが幸子母に恋してた疑似親子みたいになるのはなー違うんだよなー

2024-07-17

anond:20240717011813

ここ数日のYouTubeライブとか、abemaとか見てると割とつつがなく会話出来てるから

自分支持層向けにオールドメディアはとことん対立するというポーズを取ったのかもしれない

上手くいったかはこの際おいておくが

(まぁabemaについては番組のもの批判めいた声を浴びつつも西村博之をはじめとした

ネット界隈の海千山千対峙し続けた平石直之個人スキルオールドメディア界隈の

キャスター陣を大きく引き離してた可能性もあるが)

2024-07-16

立憲民主党は一貫して自民対峙するリベラル勢力であるみたいな扱いになってるが

そもそも民進党解党して小池希望の党に入れてもらおうとして排除されたメンツ互助会である

えっ民進党?なんで民主党民進党になったんだったかというと維新野合たからだ。

そもそも民主党政権取った時も中心的役割を果たしたのは元々自民にいた小沢鳩山である

いまは連合を取るか共産党と協力するかで分裂している。

要するに一貫して迷走しているのだ。

2024-07-15

anond:20240715232930

https://www.city.akashi.lg.jp/seisaku/citysales_ka/minnna.html

https://www.city.akashi.lg.jp/seisaku/citysales_ka/naitoufamiliy.html

石丸信者馬鹿過ぎてググる事すら出来ないんだな

マジでなんで馬鹿って自分から負けたがるのか意味不明

こいつら最初から勝つ気ないだろやっぱり

普通に泉房穂批判したいなら絶対に悪であるパワハラの件を持ち出せば良いだけ

まぁ自分議会メディア対応パワハラ紛いの行為してた石丸じゃ不可能だったんだろうがな

から最初から余計な事言わずゼロサムゲームガーとか馬鹿デマ対峙しなけりゃ恥を晒す事無くやり過ごせてた

馬鹿の行動原理が謎

2024-07-12

Thomas Lockley Author

2020年3月23日

荒廃した世界で苦しんでいるすべての人へ

アフリカサムライ人生から学んだ教訓。

これは私たち時代には前例のない状況です。私たち私たち愛する人たちの多くにとって、フラストレーション、痛み、苦しみ、そして最終的には死の時代です。先進国特にその富裕層は、最近世代を通じて比較スムーズ生活様式とより良い生活水準に慣れてきました。

これは歴史的な標準ではありません。

人類歴史を通して、私たち時代はほんの一瞬です。99%の人間は、自然災害医療の欠如、食糧不足、または紛争とそれに伴う病気飢餓奴隷制などの悲惨から、混乱した、短く、しばしば残酷人生を送ってきました。

ヤスケの人生はそのような人生でしたが、彼はそれをうまく生きました。

彼は少年時代家族から引き離され、両親が虐殺されるのを見たかもしれません。

彼は十代の頃、残酷な扱いを受け、少年兵プロ殺し屋として訓練された。

彼の人間性がこれを乗り越えたことは、彼の生涯に関する歴史的記録に明らかであり、私たちが彼を人間として尊敬する理由さらに与えてくれる。

彼は雇い主によって16世紀日本戦場に連れて行かれ、現代ほとんどの人が考えられないような危険を冒すことを求められていた。

1581年、日本中央地方を巡業していたとき、彼は暴徒に襲われ、暴力で死にそうになった。他の人々はそれほど幸運ではなく、黒い肌の神だと信じていた男を一目見ようと騒ぎ立てる群衆に押しつぶされて死んだ。

その後15か月間、彼は2回、あるいは3回も戦争に行き、戦闘忍者対峙した可能性があり、何千人もの虐殺された民間人や焼け落ちた集落、致命的な病気死体をむさぼり食うカラスに遭遇したことは間違いない。

知られている最後の戦いは、13,000対30の戦いで、彼は主君切腹に立ち会い、切り落とされた首を主君の息子に与えた。主君の息子は、父の首が差し出された1時間後に非業の死を遂げた。弥助は屈辱を受け、敗北し、歴史から消えた。彼の日本一族はほぼ消滅した。彼の財産地位永遠に失われた。

それは混乱と危険苦痛人生だった。おそらく、ここ数週間、数か月の間に私たちの多くが突きつけられた人生と似ているだろう。

しかし、私たちは、弥助がユーモアがあり、礼儀正しく、行儀の良い人物として同輩から見なされていたことを知っている。他の人から尊敬される人物であり、450年経った今でも尊敬されている。彼は悲劇的な若さにもかかわらず、自分運命自分で切り開いた人物だった。彼は、地球の反対側で自分の居場所を見つけ、運命が与えてくれたわずかな可能性を掴み、誰も想像できなかった輝かしい人生を切り開いた男だった。少なくとも、彼自身は。

彼の苦しみの果てには、輝く不滅の光があった。彼は日本で愛する家族と安らかに余生を過ごしたとさえ考えられている。

今日、彼の人生記憶に残り、世界中の多くの人々にとっての道しるべ、いや英雄と見なされている。私たちの中に、このような偉業を夢見ることができる人がどれだけいるだろうか。

これから数週間、数ヶ月、私たちはみんなヤスケだ。私たち危険で死に至る世界を切り抜け、全力を尽くしてそこから抜け出さなければならない。

ヤスケがしたことをやろう。

家族愛する人安全のために、必要リスク以外は、愚かなリスクを冒さないように。

医療専門家や熱心な公務員アドバイスに従ってください。

自分の再選だけを気にする利己的な政治家アドバイス無視してください。

ヤスケになりましょう。生き残りましょう。 向こう側までたどり着いた人になりましょう。

アフリカサムライ

https://www.facebook.com/AfricanSamuraiYasuke/posts/pfbid02VjiXjiowvtvPLBxTbLhD6rmp3E8uzgUMDnjyfbrW7K76xy3PsaoX589hUuEPdvmrl

2024-07-11

伯母が他界した

実家に行ったら遺影じみたものが置かれていたので、父に聞いたら「ああ、10日ぐらい前に」とサラリと言われた。葬式とかやらないの?てかなんで私に連絡が来ないの?と思ったが、父と伯母の兄妹は、互いが寡黙な性格で連絡を取り合わないような希薄すぎる関係性だったか別に違和感はなかった。私も冷たい人間からなのかもしれない。


伯母はずっと独身だった。伯母は実家祖母暮らしていて、私は数回しか会ったことがない。実家家族で行ってもただ黙ってお茶を出すぐらいの人だったので彼女性格はよくわかっていなかった。子どもとしても少し不気味で、祖母の家に行くのは気が進まなかった。祖母20年ほど前に他界し、それから一人暮らしをしていたと聞く。


様子が変わったのは10年ぐらい前。深夜、突然伯母が我が家にやってきたのだ。「ごめんくださーい」みたいな感じで。相変わらず無表情だったけれど、目の焦点があっていないような。「隣人が私を監視しているから逃げてきた」「電車に乗っててもドローンで追いかけてくる」「ずっと私の悪口を言っていて本当に怖い」などと言うので、瞬時に「あ、統合失調症だ」と悟った。父は伯母の異常な雰囲気を前に絶望したのか、通常運転なのかよくわからないけれど、寝室に戻ってしまった。父の淡白さに呆れながらも、私はこの夜初めて伯母とまともに対峙した。彼女リビングにちょこんと座りながら淡々自分体験したことを語った。そして最後に「結婚していないというだけで、どうして私は責められなくてはいけないの。あなたなら、わかってくれるわよね?」と言われた。


心底驚いた。ずっと独身なことに劣等感を覚えていたということに。


彼女が私に同意を求めたのは、独身仕事に追われる毎日を過ごしている私の近況を父から聞いていたからだろう。自分の姉は早々に結婚して専業主婦になっていたから、私に対して余計に共感する点があったのかもしれない。そして、伯母と私は同じ大学を出ていた。


私はそれまで「1人で生きられるようになりたい」と強く願っていたものの、その果てにあるのは伯母の姿なのかと思うと、ぞっとした。私は結婚や家庭を持つことが成功だとは思わない。でも、伯母の世代だとそうはいかないかもしれない。伯母は大学を出てから仕事についたものの、ぱったり仕事をやめてしまい、ずっと実家祖母暮らしていたらしい。彼女が私の前でずっと無言だったのは「兄の成功の証」である「家庭」を見せつけられて、じりじりと自尊心が削られていたからなのかもしれないし、祖母から「お前はなぜ結婚できないのか」と問いただされていたかもしれない。テレビワイドショー芸能人結婚ニュースで溢れているし、ドラマを見れば結婚こそがゴールのように描かれる物語跋扈していた。おそらく伯母にも友人はいたはずだが、多くが結婚していき、疎遠になったのだろう。実家に取り残された伯母は、少しずつ精神が崩れて、病に至ったようにも見える。すべて想像しかないけれど。


幸か不幸か、私は心療内科に通っていたのですぐに伯母を向かわせ、その後病院転々とした。さら認知症発症し、施設に入っていたというわけだ。ここ10年は、意識が混濁状態でほぼ意思疎通はできなかった。それでもしぶとく10年を生き抜いたのだから生命力は強かったのだと思う。


そして、先日息を引き取った。伯母とはほとんど会話したことがなかったものの、自分人生観を大きく変えられた。彼女はどれほど「結婚」の呪いに蝕まれたのだろうか。想像すると胸がぎゅっとしめつけられる。あなたを悪いなんて思っている人なんていないよと言ってあげたかった。彼女人生幸せだったのか? そんな野暮なことを考えては、自分もっと関わるべきだったかもしれないと後悔の念が湧き上がる。


孤独は人を狂わせ、人は独りでは生きていけない。伯母は私の肉体に深く刻みつけた。

2024-07-10

anond:20240709085631

噛み合おうとすれば誰が相手でも噛み合えたでしょ

マスコミ関係者対峙する姿勢じゃなくて、マスコミの向こうにいる有権者言葉を届ける機会を

揚げ足取りで空転させる姿勢を見て多くの人はダメな人だったんだと気づいたの

tiktokyoutube shortsで切り取られた信者向けの勇姿だけで今後の政治活動ができるってんなら問題ないんでしょうね

政党政治はそれぞれの政党対峙して激しくやりあったり妥協したりするダイナミクスを通じて集合知抽出する仕組みだと解釈できる。

対立共闘のやり方の妙が命だ。

うまく対立軸を設定できず、腐れ縁にかかずらってるといまの立憲みたいに生気を失う。

対立軸を作らせない自民にしてやられてるとも言える)

既存政党の鈍くささは「それで食ってる」専業性によるのではないか

いまのところただの妄想だが政治家の専業を禁止して、都度有志チームが軽やかにつながったり対立したりして政局を作っていくシステムはあり得ないものだろうか

攻撃性が利益になるケースで、攻撃性を抑えるにはどうしたらいいのだろう?

俺は自身攻撃性で悩んでいる。

俺は普段温厚と言われているんだけど、特定の場面ではとても攻撃的になる。

具体的にはこんな場面だ。

俺は、リモートワークのため自宅で仕事している。

自宅は住宅街だ。

そして自宅の横には、コインパーキングがある。

そのコインパーキングは、夏になるとアイドリングの車がひっきりなしにやってくる。

そのたびにイライラ

アイドリングがあまりにも長いと感情爆発

運転手に当たり散らしてしまうのだ。。。

警察を呼ばれたことも何度かある。

直接的な脅迫などはしていないのだが、「アイドリング禁止看板が見えないのか!」とかなり高圧的に言ってしまうのだ。


俺は自分が心底嫌になる。

俺は何故こんなにも攻撃的なんだ。無視すればいいだろう。なぜ放っておけないのだ。と。

からない。。。我慢できないのだ。。。



アイドリング回避はいろいろと試した。

管理会社に「アイドリング禁止」の看板デカデカと付けさせた。

最初管理会社看板の設置に消極的だった。

だが、俺が駐車場地主の家に押しかけてブチ切れた騒動の末に、ドデカ看板が立つことになった。

これはかなり効果的で、それなりにアイドリングは減った。


それでもドデカ看板無視してアイドリングする輩もいる。

俺はそのたびに管理会社電話をした。

警備員を呼び寄せ、運転手に注意してもらっていた。

ただ、警備員が来るまでにそれなりに時間がかかる。

30分で到着すればかなり早いほうで、たいていは1時間、2時間かかる。

俺は、それまで我慢できればいいのだが、たいてい爆発してしまい、運転手と直接対峙していた。

googleマップ口コミは、「車の中で休んでいたら変な人が来てキレられた」、「近所の人に囲まれた」等の悪評が書かれるようになった。

そうした攻撃性を発揮させた結果、今年の夏はアイドリングはかなり減っている。

静かな夏が戻ってきた。


しかし、それでもたまにやってくるアイドリング野郎イライラして切れ散らかしてしまう。。。

俺はこの攻撃性とどのように付き合えばいいのあろうか?

攻撃性を理性で抑えようと思ってはいる。

でも攻撃しないと、自分不利益を受け続けてしまう。

「なぜ俺が!」とブチ切れてしまう。。。

温厚に生きてみたい。

2024-07-07

政治の話をもっとしよう!」と言ってる人たちの真意

昨今、職場の人や友人と政治の話をもっと活発にしようという風潮があるが、その裏にある真意に気づいているだろうか。

それは、「推しの話で盛り上がろう」というものだ。

推し政治的な手腕、将来性、他の候補より優れているところを語って盛り上がりたいというオタク気質の発露にすぎない。そして、投票してもらうために、いわゆる「布教」もしたい。「政治の話をしよう」というのは、政治オタクたちの推し活動にすぎないのだ。

これだけだと健全ものにも見えるが、推し活が実態なのにその建前が「活発に議論しよう」というものになってるのが、タチが悪い。

 

まず、こう口では言う人でも、相手の話を聞く気が一切ないと断言できる。なぜなら自分推しを語りたいだけなので、相手推しことなんてどうでもいいし、あわよくば布教を狙っているので、話の方向性は、オタク論破、すなわち、いか相手趣味趣向を変えるかが目的となってるからだ。当然、自分趣味と異なる相手対峙した時、社会政局政治思想の解釈いから、嫌悪感を覚える人も多いし、論理的理性的コミュニケーションには決してならない。これを「話し合い」という体裁をとらせているのが、タチが悪い。

まあ、ほかにも、話し合いという建前なのに、意見の異なる「推し」だった場合人格否定されることや、マイナスレッテルを貼られることのリスクがかなり大きいことや、そもそも政治思想はプライベートな話なので、あまり話したくないという面もあるが、今回はそこは置いておこう。

以上より、「政治の話をしよう」という言葉は、議論という建前をとってるが、その実はただの推しであることがわかってもらえたと思う。

みんなに呼びかけているわりに、「政治の話をしよう」という言葉の持つ、寛容で知的イメージとは真逆で、そこには人格否定レッテル貼り、人間的に見下されるリスクがあるのを隠すのはフェアじゃないと私としては思う。

現代人は、自己評価より幼稚だし、他人へのリスペクトほとんどないので、理知的議論など、ほとんどの人には不可能だろう。

それなら、地道に街頭でのビラ配りしたり、かつてネット揶揄されていた、公明党支持者の「投票先決めた?投票行こう」と直接呼びかける手法の方が、まだストレートで好感が持てる。

2024-07-06

anond:20240706023024

毒親判定が出たところで、その言葉を作った書籍「毒になる親」をお勧めする。増田ははからずもこの本で勧められている方法(毒親と直接対峙する)を一部実践できたように見えるが。

ゴミを捨てなきゃ部屋は綺麗にならないように、毒親は捨てなきゃ人生は前に進めない。お互いに頑張ろうな。

同僚の契約を喜べなくて苦しい

 新築建売の住宅営業をしている。

 新卒入社して今は3年目、最近ようやく上司接客を手伝ってもらわなくても契約ができるようになってきた。まだまだ知識スキルも足りないけれど、自分なりに勉強をして、お客様に寄り添って相談を受けたり、提案をしたり、日々頑張っているつもりだ。

 

 とはいえ、その頑張りに対して必ずしも数字がついてくるかというと、そうではないのがこの仕事で。ノルマを課されるこの仕事では、個々の成果が評価ほとんどを占めるが、対人であり、大きな金額を動かす買い物であるが故にそう易々と契約に繋げることはできない。

 簡単じゃない仕事であるのに、常にノルマに追われ、他の営業と業績を争うなんて、よほど強靭な心でなければ続けられないなとプレイヤーとしてはいつも思う。

 

 

 私の所属する支店には、私を含めて6人の営業がいるのだが、うち1人は新卒で一緒に配属された同期だ。

 私は女で、同期は男性だけど、体育会系らしい苦楽を共にしてきたのもあり、仲は非常に良い。最初のころは、一緒に褒められて怒られて、純粋切磋琢磨していたけど、3年目となった今、会社から契約棟数という個人数字を重視されるようになり、明確なライバルになったように思う。

 

 そこで、最近よく私を苦しめている事柄が【同期の契約を喜べない】ということだった。

 同期が契約することに対して、素直におめでとうと思えない。彼も彼で努力していて、やっとの思いで掴んでいる契約だと頭ではわかっていても、受け入れられない。嫌だ、悔しい、私だって契約したい、私より棟数を上げないでくれと思う。それが本当に苦しい。

 それなのに彼はいつも、私が契約をすると自分ごとのように「よかった」と安堵して、それから「おめでとう、頑張ってたもんね」と言ってくれる。私とは大違いだ。私は契約をめぐって彼と対峙するたびに、自分人間としての醜さを感じる。実際、素直にお祝いできないなんて、人として駄目なんだろうなと思うけれど。辛い。本当は私も彼のように「おめでとう」と言わなくてはいけないと思う、けれど真っ先に出てくるのは「悔しい」という気持ちばかりだ。

 

 自分は元々負けず嫌いな方で、学生時代からテストの学年順位を争ったし、剣道部でも負けると堪らなくていつも泣いていた。私はもっとできる、悔しい、悔しい、悔しい!そう思ってやまなかった。

 

 社会人になっても変わらない自分が苦しい。大人から、みっともないから、同期が契約してもデスクで泣くことはできない。でも本当は悔しいし羨ましいし苦しい。悔しさでいっぱいになって、上手く感情コントロールができなくなって、いつか理不尽に当たり散らすようになったらどうしようと思う。怖い。

 

 こういう感情を、どうしたらいいのか。こう思うのは普通ではないのかもしれない。気持ち落ち着け方を知りたい。

同僚の契約を喜べなくて悔しい

 新築建売の住宅営業をしている。

 新卒入社して今は3年目、最近ようやく上司接客を手伝ってもらわなくても契約ができるようになってきた。まだまだ知識スキルも足りないけれど、自分なりに勉強をして、お客様に寄り添って相談を受けたり、提案をしたり、日々頑張っているつもりだ。

 

 とはいえ、その頑張りに対して必ずしも数字がついてくるかというと、そうではないのがこの仕事で。ノルマを課されるこの仕事では、個々の成果が評価ほとんどを占めるが、対人であり、大きな金額を動かす買い物であるが故にそう易々と契約に繋げることはできない。

 簡単じゃない仕事であるのに、常にノルマに追われ、他の営業と業績を争うなんて、よほど負けず嫌いでなければ続けられないなとプレイヤーとしてはいつも思う。

 

 

 私の所属する支店には、私を含めて6人の営業がいるのだが、うち1人は新卒で一緒に配属された同期だ。

 私は女で、同期は男性だけど、体育会系らしい苦楽を共にしてきたのもあり、仲は非常に良い。最初のころは、一緒に褒められて怒られて、純粋切磋琢磨していたけど、3年目となった今、会社から契約棟数という個人数字を重視されるようになり、明確なライバルになったように思う。

 

 そこで、最近よく私を苦しめている事柄が【同期の契約を喜べない】ということだった。

 同期が契約することに対して、素直におめでとうと思えない。彼も彼で努力していて、やっとの思いで掴んでいる契約だと頭ではわかっていても、受け入れられない。嫌だ、悔しい、私だって契約したい、私より棟数を上げないでくれと思う。それが本当に苦しい。

 それなのに彼はいつも、私が契約をすると自分ごとのように「よかった」と安堵して、それから「おめでとう、頑張ってたもんね」と言ってくれる。私とは大違いだ。私は契約をめぐって彼と対峙するたびに、自分人間としての醜さを感じる。実際、素直にお祝いできないなんて、人として駄目なんだろうなと思うけれど。辛い。本当は私も彼のように「おめでとう」と言わなくてはいけないと思う、けれど真っ先に出てくるのは「悔しい」と気持ちばかりだ。

 

 自分は元々負けず嫌いな方で、学生時代からテストの学年順位を争ったし、剣道部でも負けると堪らなくていつも泣いていた。私はもっとできる、悔しい、悔しい、悔しい!そう思ってやまなかった。

 

 社会人になっても変わらない自分が苦しい。大人から、みっともないから、同期が契約してもデスクで泣くことはできない。でも本当は悔しいし羨ましいし苦しい。悔しさでいっぱいになって、上手く感情コントロールができなくなって、いつか理不尽に当たり散らすようになったらどうしようと思う。怖い。

 

 こういう感情を、どうしたらいいのか。こう思うのは普通ではないのかもしれない。気持ち落ち着け方を知りたい。

同僚の契約を喜べなくて悔しい

 新築建売の住宅営業をしている。

 新卒入社して今は3年目、最近ようやく上司接客を手伝ってもらわなくても契約ができるようになってきた。まだまだ知識スキルも足りないけれど、自分なりに勉強をして、お客様に寄り添って相談を受けたり、提案をしたり、日々頑張っているつもりだ。

 

 とはいえ、その頑張りに対して必ずしも数字がついてくるかというと、そうではないのがこの仕事で。ノルマを課されるこの仕事では、個々の成果が評価ほとんどを占めるが、対人であり、大きな金額を動かす買い物であるが故にそう易々と契約に繋げることはできない。

 簡単じゃない仕事であるのに、常にノルマに追われ、他の営業と業績を争うなんて、よほど負けず嫌いでなければ続けられないなとプレイヤーとしてはいつも思う。

 

 

 私の所属する支店には、私を含めて6人の営業がいるのだが、うち1人は新卒で一緒に配属された同期だ。

 私は女で、同期は男性だけど、体育会系らしい苦楽を共にしてきたのもあり、仲は非常に良い。最初のころは、一緒に褒められて怒られて、純粋切磋琢磨していたけど、3年目となった今、会社から契約棟数という個人数字を重視されるようになり、明確なライバルになったように思う。

 

 そこで、最近よく私を苦しめている事柄が【同期の契約を喜べない】ということだった。

 同期が契約することに対して、素直におめでとうと思えない。彼も彼で努力していて、やっとの思いで掴んでいる契約だと頭ではわかっていても、受け入れられない。嫌だ、悔しい、私だって契約したい、私より棟数を上げないでくれと思う。それが本当に苦しい。

 それなのに彼はいつも、私が契約をすると自分ごとのように「よかった」と安堵して、それから「おめでとう、頑張ってたもんね」と言ってくれる。私とは大違いだ。私は契約をめぐって彼と対峙するたびに、自分人間としての醜さを感じる。実際、素直にお祝いできないなんて、人として駄目なんだろうなと思うけれど。辛い。本当は私も彼のように「おめでとう」と言わなくてはいけないと思う、けれど真っ先に出てくるのは「悔しい」と気持ちばかりだ。

 

 自分は元々負けず嫌いな方で、学生時代からテストの学年順位を争ったし、剣道部でも負けると堪らなくていつも泣いていた。私はもっとできる、悔しい、悔しい、悔しい!そう思ってやまなかった。

 

 社会人になっても変わらない自分が苦しい。大人から、みっともないから、同期が契約してもデスクで泣くことはできない。でも本当は悔しいし羨ましいし苦しい。悔しさでいっぱいになって、上手く感情コントロールができなくなって、いつか理不尽に当たり散らすようになったらどうしようと思う。怖い。

 

 こういう感情を、どうしたらいいのか。こう思うのは普通ではないのかもしれない。気持ち落ち着け方を知りたい。

2024-07-04

anond:20240704142459

レスバ以前から支持層はいるだろうがSNSで公開バトルしてるんだからそうでない観戦者もいるやろ。

R4が何かは知らないが暇空氏に関しては支持派だが熱狂的に支持するべきではないとは思うし、暇アノンアノン言ってる中身のないレッテル貼りしか出来ない奴らや暇空氏の対峙してる相手無謬で何の問題もないかのように言ってる奴らもどうしもない奴らだと思うがな。

アリスとテレスまぼろし工場

登場人物アリスもテレスもいない。ただアリストレテスの哲学の中枢をなした「エネルゲイア」という術語が一度だけ出てくる。

アリストテレスはみずから哲学事象をデュミナスからエンテレケイアへ至る過程なかにとらえ、その変化を生じさせる動体そして動態をエネルゲイア定義している。

作品内でエネルゲイアは人のこころを動かし物語をつくり未来をつむぐ動力であり、動態として単独または相互作用する複数意思の累積として描かれている。

アリスとテレスアリストテレスに因むことはあきらかだが、デュミナスとしての個々の二人分の名を合わせることではじめてアリスレスというひとつのエンテレケイアに向かうよう意図されているように見える。エネルゲイア恋人たちの、あるいは現実であろうとまぼろしであろうと、変化と変遷に自らの意思対峙しようとするものたちの輻輳する意思をあらわしているのかもしれない。

2024-07-03

略したつもりが別の意味になってしま漢字

少し前にアリアナ・グランデが「7つの指輪」という意味で手に「七輪」ってタトゥーを彫って日本で笑い者になったことは、覚えている人もそこそこいるかもしれない。

その出来事でたぶん、「アイシールド21」に出てきた外国人選手が「大きくて便利」という意味で「大便」というタトゥーを彫っていたことを思い出す人もいた。

 

こんな感じで、略したつもりでひどい、もしくは全く違う意味になってしま漢字を集めておいたらいいんじゃないかと思った。


みたいなね。

 


 

さらには、

みたいな、日本語ではそれでいいけど中国語だとやばいぞ、もあるのかもしれないけれどね(愛人から思い出した)。

「わからない」が耐えられるようになった方が楽しい

anond:20240702122142

こういう言説って、とどのつまり「世の中のことに対して"わからない"状態であることが耐えられない」ということに尽きると思う。

自分の目で確かめられないのであれば、嘘に違いない」というメンタリティ科学対峙した結果、陰謀論に走る例なんかは最近お馴染みだよね。

例えば、写真みたいに見える絵に「これこそが真のアートだ」とか、抽象画に対して「こんなの俺でも描ける」みたいなコメントが付くのをよく見かける。

結局それも「分からない状態が耐えられない」「分からないもの評価されていることが耐えられない」( = 私に分かるものこそが本物なんだ)」という心の動きの表出なんだよね。


自分理解できるものしか認められなかったり、「世の中に分からないものがある」ということを受け入れられないことは、何かを理解しようとする努力放棄すること。

それは新しい知識視点を得る可能性を捨てることだし、現在地からそれ以上進むこともできなくなってしまう。(陳腐な言い方だけど)貧しいことだよね。


何が言いたいかっていうと単純に「分からない」を楽しめる方が人生も豊かになるんじゃない?って話。

今度の休み恋人現代美術を観に行って、わけわからん作品に対して、「ああいうことかな?」「こういうことじゃない?」って意見交換してみなよ。分からなくても楽しいよ。

ま、もちろん「分からないことに耐えない」っていうのも一つの生き方だけどね。

2024-06-20

運命論を信じるようにしたら生きるのが楽になった

理不尽なことや嫌なことがあっても、もともとそういう運命なのだから仕方がない。

そう考えるようにしてから無為に苛立つこともなくなり、現状に対する不平不満が和らいだ。

たとえ自分がどんな行動を起こしていても現状はなるべくしてなったのだと、そう思うことで生きやすくなったのは間違いないと思う。

以前なら泣き叫びたくなるような事態対峙しても心は平穏で、凪のような冷静さを持って対処べきる術を身につけられた。

運命論というのは未だ世間では受け入れられていないと思うけど、良い面が多いことも知ってほしい。

2024-06-12

anond:20240612221735

違くね?

その例えで言うなら、「犬を扱うために犬のように振る舞うのはおかしいじゃん、奴隷の発想じゃん」って言ってるんだと思う。

その忌むべき女というものを飼い慣らすために、女と同じような犬畜生レベル人間になるならそれは結局、増田自身が蔑む女の奴隷になっているのと同じなのではないのか。

人間自覚するなら対峙する女の性質がどうであれ、自分だけは人間らしく高邁であるきじゃねえの?ってことだと思うけど。

やっぱり旦那は夜の街に行っていた (追記あり

なんて事はない、前に使っていた携帯電話居間にあったものから

記憶の中でロック解除している指の軌道を思い出すと、パスワードはなんとなく想像がついた。

そのままタップしたらロック解除されたものから何の気なしにSNSを見てしまったのだ。



予兆はあった。


数年前、その時も見なければ良かったのにロックを解除してしまった。

ネット検索エンジン履歴にはメン工スのURL

これ以上ないくらい、心臓バクバクしたが検索だけで済んでいた、とその時は判断したのでひとまず写真だけ撮ってそっ閉じした。

それから何かあった時の為にと残しておいたけど、ある日、心が苦しくなって削除してしまった。

仕事に行く前、必ずキスをしてくれる旦那を疑いたくはなかったから。

レスになったのも、自分に魅力が無くなったからだと一人で慰むようになった。


今日旦那仕事に出かけていった。

目の前には機種変したばかりの旧携帯

「世の中には知らなければ良い事もある」と何かのキャラクターが言っていた気もした。

でも、ちゃん安心したいという気持ちが勝ってしまった。


あとはもうお察しの通り。


良かったなと思うのは、浮気はしていなくて、プロのお店に行っていること。

(恐らく)SNS上のやり取りだけで留めていること。

おじさん構文的な内容は送っていなかったこと。


心がギュっとしたのは、今日仕事前にお店で嬢の方に会いに行くこと。

今まさに、この瞬間。旦那気持ち良さで心と身体を満たしている。


私ではない女性と。





どうしてこんなに悲しいんだーーーーーーーーー???????????????別に一緒に居過ぎるともう「女」として見れないって記事は何回も見て来ただろ?!?!?!?!?!?!?!そういうもんなんだって!!!!!!!!!!!!割り切れよ!!!!!!!!!!!!別に浮気じゃないから良いだろ!!!!!!!!!!お前で満たせない部分をプロに満たしてもらってるだけだろ!?!?!?!?!?!?!?!?!?仕事先の同僚からお土産貰ったからお返ししたい」って言われて一緒に選んだプレゼントが、実は同僚じゃなくてお店の女の子に渡すプレゼントだったのが悲しいのか!?!????!嘘つかれたのが悲しいのか!?!?!?!?!?!?そうなの私?!?!?!?!どうなの!!?!?!?!?!?!!



あーあ明日からどうやって生きようかな、もう知らない頃には戻れないな。

みんなどうやって立ち直ってんだろうな。お金さなくてもいつでも家には「女」がいるのに。

それでも、お金を出してでも通いたいと思った原因は私にあるだろうから、せめて私の何がいけなかっただけ教えて欲しいな。

別に行くこと自体否定しないけど、実際に行ってるとなるとちょっと、いや多大にクるものがある。


世の中にどれだけ同じ境遇の人がいるか分からんが。

とりあえず、これから携帯パスクラしようとしてる方へ。


めっちゃしんどいぞ。気をつけろ。




[以下、追記]

様々な意見、目を通しました。

大多数の方が気になっていそうなことだけ追記します。


そもそもパスクラすんな

これは本当にまじでそう、本当にそうです。500%私が悪い。

プライバシーを蹴破って、ぎゃーぎゃー喚いているキモ女という自覚はあります

からこそ誰にも言えず、勢いで文章を書き殴りました。


★なんの気あったじゃん

冷静に読み返すとSNS見るあたり、何の気しかないじゃんね。すまん。


★なんで伏字使ってんの?

直接的に書くとBANされるかもと思ってしまった。すまん。


レスの原因ってどっち?

文章を書いているのが妻側なので、そっち目線の内容しか書けないけれど。

まあよくある話で、ずっと一緒に住んでいて回数も少なくなり、こっちから誘うも「仕事で疲れている」 「今はそのタイミングではない」と断られ。

いつも旦那タイミングで致して、私のタイミングでは致した事がないので、「流石に私のタイミングでもさせて欲しいかもしれない」と4年前ぐらいに話し合いを設けた際、言われたのは「やっぱりお風呂あがりとかに恥じらいがなくなると…」だったので、流石に全裸で歩き回ったりはしていないにせよ、Tシャツ下着で歩き回ったりはしてしまっていたか反省し、そういった事をなくしたのだが、結局「仕事で疲れている」と言われ、もう5-6年レスです。

そら毎日しゅきしゅきセックスたかったよ。いつ致しても良いようにVIOつるぴかにしてたよ。

なので、私目線だと旦那かなと思うけど、旦那は多分私のタイミングが下手だからって思ってそうだなって書きながら思った。

からきっと、原因はどっちも。


そういや書きながら思い出したけど、「そろそろ(年齢的にも)勃たなくなってきた」って事も話し合いの時に言っていたな。

後出しが嫌われることは重々承知なのだが、ここ半年、軽いうつ状態の時があり(今回の件とは関係がないので詳細は省かせてくれ)、それで迷惑をかけてしまっていたという自責の念がいつもある。

薬で治療をしているが、そりゃあ、どのタイミングで気分が浮いて沈むか分からない女の相手をするのって本当に大変だよなあ。

癪に障る様な書き方だったら申し訳ないが、多分旦那は私の事も好きで、でも性欲の対象ではもう無くて。

プレッシャーの捌け口」というコメントを見て、しっくりきたよ。元従業員の方から最後の一文も非常にくるものがあった。

全部わたしが原因じゃんねえ。何被害者面しているんだか。


ちなみに、どこまでが許せる?っていうのは非常に難しい問題で、風俗店に詳しくないので検討違いの事だったら申し訳ないが…。

認可?が降りてる店でプロの方と対峙するなら問題ないと思っていて、例えば家庭のお金を使い込むとか嬢の方に対して痛客になっているとかだったらちょいちょいちょいってなるかも。

今回「ウワーーーッ」となったのはやっぱり、「同僚からプレゼント貰ったからお返ししたい」のくだりかな。

そのプレゼントキッチン周りの実用品でありがたく使ったんだ。だから、同僚じゃなかったか~~~ってのが1番つらいかも。

嬢の方に貰ったものを使っていることが嫌という事ではなく、嘘をつかれたことがまじでこたえた。いやどうだろ、嫌だったのかな。もう分からない。

結論パスコードかけてる携帯を見て、知らなくて良い事を知って、ネットで喚いている愚かな女であることに変わりはないです、仰る通り。

もう旦那携帯は見ません、何も知らなかったことにして、愛想つかされない様に生きていきます



ただ流石に今日、出勤出来ないぐらいには見てしまった真実に、自責の念も相まって体が動かんので、今だけはちょっと泣かせてくれ。

2024-06-09

anond:20240608172013

増田他人粗大ゴミだって評することが人間をモノ扱いすることで傷つけるってことがよくわかってるから他人に向かってそう言ってるわけじゃん?

それはもはやただの例えじゃなくて、そこに悪気がないわけないんだよ。

その元夫はその時思い浮かんだ具体的な誰かしらを粗大ゴミと評して、その上でその増田ヴィンテージだって持ち上げてたわけで。

具体的な誰かがそこに存在しないなら比較対象曖昧なので嘘くさいし、そこまで気にいる例えにはならなかったはずで、その増田もその例えをよく聞かされることにはならなかったと思う。

他人にそういう部類の悪意を持ってる人間対峙するときは気をつけなきゃなんないし、あるいは場合によっては付き合うのを諦めるより他ないこともあると思う。

少なくとも自分がその人の敵になったときに同じ扱いをされることは覚悟する必要があるってこと。

そういう自分の都合で相手に対する態度を変えるってことが他人をモノ扱いするってことだよ。世の中にはよくある話だけど。

本当に相手人間だと思うなら、自分と同じようにいろんな事情があるはずだから例えだとしてもそこまで雑でぞんざいな扱いはできないんだよ。

人間を本当に人間として扱えてる人のほうが稀有なのではないだろうか。

2024-06-04

とあるアラサーの釈明あるいは弁明

若い人たちへ。

ごめんな、初めに謝っておく

これから書き連ねるのは、くだらない懺悔言い訳だ。

若い人、といってもどのくらいの年代に向けてのもの

これを書いている俺にもわかっちゃいない。

ただただ、世の中の分断というか、世相の居心地の悪さに、いたたまれなくなっただけのこと。

いわゆるデジタルネイティブとか。

コロナ禍を高校大学生または社会人成りたての頃に経験したとか。

そういう世代対象にはなるとは思う。

もちろん、これは地域によって異なる可能性もあるだろうし

その時に受けた教育やら環境やらも影響するだろうから

二十歳±5くらいが基本の対象で、

何か共感できる部分があるのなら、対象だと思ってくれていいと思う。

さて。

謝罪、というからには、何かについて後悔や悪いことをしたという思いがあって

それをするということが一般的だろう。

けれど、例えば知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまったような場合

例えばそれが、20年、40年前のことだったとしたら。

これはもう、ただただ、とにかく、謝っておくしかない。

謝っておくしかないし、その何十年か前に起こしたこと

回りまわって今になって何か悪い結果を残した、ようなときも同様だろう。

今回、書いていくのはそういった類のことだ。

けれども、これに関して何が悪かったとか、どうすれば防げたとか、

そういったことを語るには少々難しい問題でもある。

から、これからどうやって生きていくのがベターなのか、

そういうことを書いていけたらと思う。

まあ別に、俺が世代代表というわけでもないか

N=1の戯言だと思って適当に聞き流してくれていい。

前置きはこれくらいにして、本題に入っていきたいと思うが

その前に軽く自己紹介をさせてくれ

俺はアラサーのおじさん。

最近話題実家ちょっとだけ太い系のおじさんだ。

太さに関して言えばそれほどでもない。

上位1%か0.1%とかそういうレベルだ。

別荘があって、クルーザーがあって、継いでもいいと思える家業があるレベル

毎週のように一人数万数十万の外食に行って、毎月ヴィトンを買って、連休海外旅行に行く、そういうレベルではない。

やろうと思えば、いずこかのブラック企業のように従業員を絞り上げて

自分たち一族の私腹を肥やすこともできるだろうし、

廃業して、どこか海外治安の良いリゾート地に移り住むこともできるが、

数十年ほど続く家業でそれをやる理由も意義も見いだせない。

そういうわけで、自分はいわゆる中高大一貫校に通い

大学では2年ほど海外留学経験し、大手上場企業入社した。

10年ほど馬車馬のように働いて丁稚奉公を済ませ、家業に舞い戻った。

給料は半分。仕事量も半分。

どういう人間が書いているのか気になる人もいるだろうから

以上で最低限の自己紹介とさせてもらう。

そして、本題。

働きたい若者だっているだろうに、なぜ働いてはいけない風潮になったか

ということだ。

いわゆるJTCにおいて、若手を大切にし過ぎる風潮ができている。

この際、今の管理職指導力がないとか、そういった話はもうどうでもいい。

人のせいにするな。お前がどう成長したいか物事を語れ。

元気なうちにたくさん働いて、様々な経験知識を吸収することが許されない。

間違ったときに、その内容を丁寧に言語化して教えてくれない。

経験もさせてもらえなかったとしたら、どうなるだろうか想像して欲しい。

それから先の、彼ら彼女らが担うべき最前線管理者管理職

自分がそれに就いた時のことを考えてほしい。

別に管理職にならないからいい?

家業など継ぐつもりないか別に関係ない?

まあ、そう言われてみればそうだ。

けれど、結局誰かがやらなくちゃならないのなら、嫌々ではあっても、出来るようになっておいても損はないんじゃないのか。

インターネットに巣くうこどおじや氷河期世代の亡霊たちが

ジジイどもをもっと働かせろだとか、

そういうことを発信しているのを見かけることもあるだろう。

そんなことは賞味どうでもいい。

そんな、もうあと5年か10年かで引退するジジイどもに、

貴重な経験の機会を奪わせてどうする。

これからは維持していくだけの社会だ。

新しいプロジェクトも、研究も、全て先細りになるだろう。

若者たちよ、お願いだからそんなたわ言に耳を貸さないでほしい

もちろん、反社会的行為ギリギリ商売で5年だか10年だかで

メンタル崩壊するような経験を積めばいいと言っているわけではない。

真っ当な商売で、まともな感覚を持ち、何かあったときにケツを拭いてくれる管理者がいる組織

自分の体力と精神力健全に保てる範囲で、最前線で頑張ってほしい、ということ。

これから先、経験値の奪い合いの時代がくる。

ジジイババア死ぬまで働かせられる。

老若男女問わず働かせられる。

脳みそと腕と足がついていれば、何が何でも働かせられる。

学の無い人間やらせていた単純作業ロボットが代わりに行う。

自由だ?民主主義だ?

赤紙が無いだけで、マクロ経済蛇口を開けたり閉めたりするだけで

好きなだけ調整が出来るのが中央銀行がある国家本質だ。

そんな中で、気力体力が十分で、

インターネット妄言に騙されずにスタートアップ外資系海外

馬車馬のごとく働いて経験値を十分に積んだ人間と。

はたまた、インターネット妄言に騙され、働きたくないでござると

成長期たる30歳まで時間を浪費し続け、

60代のジジイと同じような仕事のんべんだらりと過ごした人間と。

当然、格差が生まれるに決まっている。

もちろん、現実すべてがこうまで両極端ではない。

それらは多く見積もったって数パーセントずつしかいない。

ではそれ以外の九割の人間はどうしているか

JTCでほどほどにパワハラを受けながらしょうもない仕事をやらされているか

ほどほどに守られながら蝶よ花よとぬくぬくと育てられた結果何もできない人間に育つか。

FIREだって?お前たち、本当にFIREした人間が羨ましいか

お願いだから、一度でいいから、まともな人間FIREしたいか聞いてみてくれ。

そんな人間一人だっていないから。

稼ぎ切った人間こそ、どうやって社会お金経験還元するか、考えているはずだから

大人に、期待を、するな

ほとんどの、9割9分の日本大人たちは、事なかれ主義だ。

自分が定年になるくらいまで、自分の子どもたちを大学まで育て上げ、社会に出せるくらいまで何事もなく、両親と子供たちが無病息災、とまではいかないが

五体満足に生きていられればそれでいいと考えている。

それを間違っても口に出したりはしないが、ほとんどがそうだ。

そうでなかったら、今のようになってはいない。

俺がオギャーと生まれた30年ほど前。

バブルがパーンと弾けたり、Windows日本上陸するかしないかと言った頃。

それから10年経ったころ、「失われた10年」、そういわれていた。

おれはインターネットHTMLを書いたりUOに勤しんでたりした。

それから10年経ったころ、「失われた20年」、そういわれていた。

おれはアメリカ留学したり、ネットゲーム外国人煽り合いをしていた。

それから10年経ったいま、「失われた30年」、そういわれている。

おれは体力の衰えを感じ、家業へ逃げた。ゲームは積むか観るかだ。

おれがオギャーと生まれて三十年間、何ごともなかったらしい。

かに、何が変わったかと言われれば何も変わっていないようにも思える。

100円だったお水やジュースは、買おうと思えばコンビニに売っている。

うまい棒10から12円くらいになったんだっけか。

3,000円持たされて買いに行っていた赤マルはそろそろ倍か。

物価以外はどうだ。

FAXはもうそろそろ無くなりそうか。ハンコは早く無くなれ。

リュックサラリーマンが増えたようには思える。

地下鉄ホームドアほとんど設置されたか

25年前、南北線けが未来的だった。

ゲームお金を稼げるなんてな。日本でも最近FPS格ゲーも勢いがあるな。

MMOは全部3Dになった。スマホで出来るのは正直にすごいと思う。

けれど、やっていることは当時からそれほど変わってないよな。

遅延は少なくなったとは思うけれど。

こうして振り返ってみると、対して変わってないようにも思える。

そう、本質ほとんど変わっていない。文字通り変わっていなかったのだ。

そうして昨今、ようやく変わりつつある。変わらなければならない、と言った方が正確だろうか。

何となく肌で感じているのではないだろうか。

これはもう日本人の、というより人類お家芸だ。外圧しか変われないという。

だが、これから先の変化はとんでもないものになるだろう

高齢化少子化社会AIの台頭。ロボット化。宇宙開発競争

そして30年間、失われていた社会の中でのうのうと暮らしてきた自分たち

氷河期世代からゆとり世代くらいまで、だろうか。

正直、これから先の変化に着いていける気がしない。

と考えるのは無責任だろうか。

後進のために、ラッダイト運動よろしく半導体製造装置を壊して回るべきだろうか。

そりゃあ俺たちだって、これからは読み書きそろばん時代から

英語クリティカルシンキングコンピュータ時代だ、とかなんとか世間で騒がれていて、

中学校から多少は意識してただろうさ。

ほとんどの親世代は分かってなかったと思うけど。

けれど、これから待ち受けているのはそういうレベルのちゃちな変化じゃない。

一部の超天才たちがAIIOTで繋がれた機械コンピュータを操る時代

産業革命で一部の資本家が全てを手にしたように、

彼らがこれからの数十年か百年ほどを牛耳っていくのだろう。

いや、もう牛耳られているのだろうけれど。

それは止めようがない。

から申し訳ない。謝りたい。

その一部の超天才たちを日本国内で育てるような体制を作ってこなかったこと。

しろ、超天才たちをないがしろにして、

日本が嫌なら海外勉強したら?と言わんばかりに対立を煽ってしまって。

そこについていけない、残された人間たちも、

いーよいーよ、そんなに無理してはたらかなくて。

と言われて経験値を全く積まずに育ったのちに、

ごめーん、あとはまかせた!とばかりに後進に残された負の遺産対峙させる。

ごめん。確かにその期間、何もせずのうのうと暮らしてきていた。

先人たちに下駄を履かされていたことにも気づかず。自分たち権利だけを主張し、

ただただ、社会歯車であることだけで、義務を果たしたかのように。

もっと声を上げるべきだった。

ももう、こうなってしまたからには仕方がない。

世界第二位経済大国だった30年前の日本で生まれておきながら。

30年間何もしてこなかったせいで失わせてしまった。

30過ぎたおじさんに何ができるだろう

ひとつ言えるのは、若者よ、若い時の苦労は買ってでもせよ。

これを伝えるくらいしか俺みたいな無能には思いつかない。

おれは、おれに下駄を履かせてくれていた従業員に報いるくらいしか思いつかない低能だ。

あと20年か30年かくらいは零細企業経営者という名の、

雑用係、兼謝罪役として仕えるつもりだ。

人にもよるが30を過ぎると、色々なところにガタがくる。

厄年、という風習があるが、これは至極的を得ているように思える。

おおよそ30~40歳で不調が出るものなのだ

から、それまではどうか馬車馬のように働ける環境に身を置いてほしい。

さてこれから先、日本世界20番目か30番目くらいの規模の経済力で

飯と油を何とか買って食いつないでいくのだろう。

日本人の気質的に、皆で一緒に貧乏になろう、という形で収まることだろう。

江戸時代までとは言わないが、人口は今の半分くらいで

細々と生きていけるくらいの形で没落していくのではないかと思う。

ただ、別にこれはネガティブなことではない。

これはただのこれから起こるであろう仮説であり、単なる現象だ。

そんな中でも、何かに楽しみや嬉しさを見出して生きていくことは可能だ。

どうか、インターネットなどに惑わされず

あなた自身と身近にいる人、これから出会う人を大切に、対面コミュニケーションを密にして。

失われた30年が無かったことになるくらいの、次の10年を目指していこう。

最後にもう一度。

失われた期間が30年に膨れ上がるまで何もできなくて申し訳ない。

けれど、「そうだよふざけんな、お前らのせいで○○」

ということを前の世代、親世代人生の先輩たちに投げかけるようなのは

日本人ではないし、今回の文章で謝りたい対象ではないことは強調したい。

世の9割くらいの人間は、長幼の序を大切にしつつ、

これからの激動の世代を生きる若者たちの味方だということを

ここに伝えて筆をおきたいと思う。

長すぎだよくそジジイ

2024-05-31

あるさぽのチラ裏

先週土曜日ホーム戦、対福岡にあっさりと負けて今季黒星はいくつになったのでしょうか。わかりません。数えておりません。三節が終わったあたりから順位表も見ていない。降格の危機にあることと、今の首位くらいしかからない。

そして次節はその首位との対戦と相成っております

開幕前、現在首位を降格筆頭候補に挙げていた人たちは何を思うのか。

はいいつつ、自分首位試合全然見ていない。

理由監督です。別に黒田監督が悪いわけではない。ただ嫌いなだけ。黒田監督に似た人が。小学生とき担任黒田監督激似で、本当に本当に、視界にいれることが無理。

その担任メタクソに贔屓をするクソだった。気に入った生徒にはニコニコして何をしても叱らなかったけど、気に入らない子に対しては冷徹のものだった。どちらかといえば自分は気に入られていたほうで、ひどいことをされたりはしなかったのだが、あまりにひどい贔屓っぷりが気持ち悪くて仕方なかった。

贔屓クソ野郎が贔屓するのは、比較勉強のできる子や、明るくてクラスの中心になる子可愛い子。それは女子ばかりだった。学年で一番可愛いような子が同じクラスにいたのだけど、その子と仲良くしていたある男子に、いきなり冷たくあたりはじめたときには本気で引いた。可愛い女子には媚びへつらうと言ってもいいくらいに猫なで声になるのに、女の子と仲良くした男子や、大人しめの男子勉強出来ない子にはあからさまに冷たかった。これ、小学二年生ときの話だよ。そんな、右も左もわかんない年齢の子どもに、明らかなエコヒイキしてたんだよ。本当に最悪な担任だった。そして学年の主任だった。

そんな担任と、黒田監督・・・似ている・・・・。

黒田監督は何も悪くない。悪くないのはわかっているけれど。でも、黒田監督を初めて見たとき、あれは何年だったか忘れたけど、高校サッカー選手権の中継で。

???あいつ今高校サッカー監督してんの????と一瞬にして吐き気を覚えた。

でも名前違うし、そもそも年齢も遥かに違う。

まったくの別人だとわかってもだめだった。生理的に無理だった。脳が拒否する。青森山田サッカー部試合は見られない。

そしてその黒田監督がJ倶楽部監督になった。

でも入れ違いのような形で昇格できた。やったね。

やったね。と思ったのに、あれよあれよと快進撃で黒田監督一年目で昇格を決めた。

そして今首位だよすごいね

一方こちとら降格の危機だよ。

あ、今の首位には、テクニカルコーチがこっちから行ってます。結果に結びついているようで何よりです。いや、何より悲しい気持ちなのだけれども。

テクニカルコーチを持っていかたからこっちが~とかそれだけではないのも重々承知しています

だってそんなのは開幕する前にわかってた話なので

開幕して数試合移籍しまっすバイナラしたわけではないので

ああ、別に移籍したことをここでごちゃごちゃ言いたいのでもないです、それは本人が決めたことだし、そういう人だったということで。この話は終わりです。

話を戻して

重要ピースが抜けたとしても開幕前ならそこへの対応はしておくべきなわけですね

てか今のテクニカルコーチが云々と言いたいわけではな・・・・・くもないけど

ルベルさんが残してくれたものを食いつないでいくにせよ、そこに今の監督コーチ陣がプラスして研鑽して結果に出せていけるのか、いけそうなのか、がちょっと期待が持てなくなってきている現状ということです。

ここ数試合の有り様は如何ともし難く希望もなにも持てなくなってきている。

なまじ、攻撃の形ができてしまっているだけに、惜しいシーンが手の中をすり抜けていき、気がつけば先制され、失点を重ね、最後最後になんとか一矢を報いて終わる。

ボールを保持するのもパスを重ねているのも、一体何を目的としているのか。ボールキープもパス成功率も、それが目的ではない。ボール保持もパスもゴールに繋げるための手段しかない。その基本的な部分を見失っているとも思わないけれど、ボールを受けてから判断が遅い、悪いケースが多すぎる。

それは勝ちから遠ざかっているための消極的さや焦りからなのか、パスを繋げることに意識が行き過ぎているからなのか。でもパスを受けても、対峙する相手やスペースも見えてないのになんでその判断になる?ってのも多い。

パスを繋いで組み立てていくのは生命線のはずだけど、今シーズン開幕してから逆にその生命線を自ら断ちにいっている気がする。最終ラインボール回すところをプレスされて狙われてというのを何回見たか

と、まぁ、不満を書き出せばきりがないのでやめます

2003年11月23日の初昇格を決めたあの日からJ2降格経験し、再度の昇格を果たし、石にかじりつき辛酸を嘗め耐え難きを耐え忍び難きを忍び、やっと手が届きそうだった、ひとつ上の段の「縁」。

上りきれるかはわからない。でも、やっと、そこへ、手を指を掛けられるかも、と

ずっと壁しかなかった視界に、乗り越えた先の風景が、少しでも遠くにでも見えるのかも、と

そんな前途の拓きを抱いて迎えた今シーズンだったわけです。

でも、黒田監督が率いる昇格クラブは、あっさりとその「縁」に、手どころか足を乗せた。いや、飛び越えていった。あれだけ羨望し焦がれた「段」を、「縁」を、それはもう軽々と。

大宮が無敗記録を作ったとき思ったのは、うちはそういう記録めいたものには程遠いなということと、そういう意識もないなということだった。

いま、自分はどんな感情を抱いているのか、

たぶん悔しいんだろうとは思います。悔しい、勝てなくて弱くて悔しい。なんでこんなに弱くなってしまったんだ。

そして、後発クラブにあっさり追い抜かれたことへの嫉妬

嫉妬とは、自分努力していない・しても勝てないと理解している・理解しているのに認めたくないという心理が働き、自分よりも優れている人に対して抱く感情

完全に壊れてはいないものを治すのは難しいね

J1昇格を成し遂げてくれて、アルベル監督サッカー継承してきた松橋監督に対し、監督交代とかそういうことを少しでもつぶやくと

轟々と非難されるのもナンダカナとは思ってしまう。

結果を出さなければならない立場にいて、結果が出ていないなら、厳しい目を向けられるのは仕方ないし。タヒねとか誹謗中傷罵倒は論外ですが。

反町監督いたころ、当人が苦言していた「俺を肩たたきする人がいない(クビと決断する人がいない)」という状況は好ましくはないと思いますね。感謝と、現場としての結果から判断は、やはり切り離して考える必要がある。

札幌京都みたいに、クラブも何らかのアクションを起こしてもいいんじゃないですかね。残留を最優先とする戦い方へ切り替えなければならない時機は過ぎたんじゃないかなあ。

今、チームに一番必要なのは勝利勝ち点なのだけれど、

去年までのうちなら、首位だろうがなんだろうが臆することもなかったし、むしろ「勝てるっしょ」と思えたのだろうけれども

すみません、この状態で「首位食ったるで!」と思えない自分は弱いです。強気をくじき、とか、中位力、とか、そんなのを拠り所にできる心の余裕がない。チームを、監督を、選手たちを、信じていないわけじゃない。信じていても、「でも」が出てくる、それは自分の心が弱いだけ。弱いのは私の心です。

そんなわけで明日首位との対戦だよ!ヤッタネ!

幸か不幸か仕事からリアルタイムでは見られない。帰ってからだぞんを見るかどうかは、まだ決めかねている。

三戸ちゃん代表選出おめでとう!

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