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2017-11-18

ブラタモリ見ました。

無駄閘門連呼はどうかと思いましたけど、それは置いておいて

日本にも閘門ってあるんですよ。

閘門位置図

現存するのは松重閘門のように保存されているものや遺構を含め100程度かと。

堰と一体のものが多いので、今回の閘門のように単独閘門もっと少ないです。

松重閘門ビジュアルがいいですよね。

京都にも三栖閘門ていう同じような塔型スタイル閘門があります

この二つのデザインは他にはないので保存されているのも納得です。

タモリさんたちが通過した閘門オーソドックスデザインです。

あのタイプ閘門といえば宮城県石井閘門愛知県の船頭平閘門茨城県の横利根閘門などです。

これらは明治大正まれですけど今でも現役なんです。

レンガとマイターゲートという両開きの扉が特徴です。

普通水門のように上に出ている部分がないのでインスタ映えみたいなインパクトはあまりないですが。

でも、船が通るには高さ制限はないし水もたれてこないしいいんですよ。

逆に新しいやつは東京荒川ロックゲートや大阪道頓堀川水門です。

とくに道頓堀川水門デザインはすごいので検索してください。

水門イメージが変わります

水門って名前だけどちゃんと閘門機能がありますので挙げさせてもらいました。

現役閘門の中には観光船で通過できるものもありまして、道頓堀川水門もそうですが、 他に富山県中島閘門東京扇橋閘門(今は耐震補強工事で通れません)、千葉県加藤閘門などなど。他にもイベントごとで通過できることがあるところもあるみたいです。閘門通過体験を一度されてみてはどうでしょう

近江さんがエレベーターみたいって言ったのは個人的にはよかったですね。

機能的に船を上げ下げするのでまさになんですが、それだけではなく

閘門って水位の調整に水の出し入れがあるので先客がいると待つんですよ。

からもうちょっとで入れる船を待って扉を閉めることがあるところがまんまエレベーターだなって思ってます

2017-11-09

肉食系男子草食系男子ドSドMの関連性

あるとおもう。

「おかず娘」ってぐぐったら一番最初に出てくる二次元エロサイトがあるんだけど、これは結構な老舗だ。以降このサイトを「おかず」と呼ぶ。

この「おかず」はセリフ付きエロ画像というのがメインのコンテンツなんだが、その中に版権キャラを扱った「エロパロ」というのがある。

現在さくらレンタルサーバーを借りているため、容量が限界に近づいており、公開を終了しているものがある。

それらを一つのイラスト集にして、さらに5つの管理人のリテイクを同梱したものが先日発売された。

このサイトの大ファンである私はすぐさま買って、エロ目的ではあるのだが、昔の作品をみて「あぁ、懐かしいな」と酒を飲みながらたそがれた。

 

そして一つ気がついてしまったのだ。

明らかにジャンルドSドMに移行していると。

最初のうちは確かにM向けのものもあるのだが、基本的に、何か作業中で動けない相手セクハラや、後から本番を匂わせるようなものがあるのだが、最近というか、管理人のリテイク集と、現存コンテンツは完全にドM向け。哀れなオタクいじめる「完全女性優位」なものが多い。もちろん、本番を匂わせることもない。

 

思うにはこれは、草食系男子が増えてきたかなのだと思う。

草食系男子自分から女性を追いかけないものなので、必然的シチュエーションも受け身になる。自分からグイグイと攻めていく肉食系シチュエーションはノーセンキューなのが多い。

 

もう一つの裏付けとして、DLsiteDMMエロCG集は現在かなりの割合NTRが多い。

NTRは昔からトラウマとして精神を刻むものなのだが、今ではかなりの割合NTRだ。これもそうなのだ自分女性メチャクチャにしてしまいたい肉食系男子が少なくなってしまったがために、肉食系男子女性NTRさせることで自分の心情と竿役の心情をマッチさせなくて済む。

 

まり現在の男はとても弱い。

そのため、「おかず」の管理人ドM向けに移行したのだろう。

時代と共にエロジャンルも廃れていく。アダルト産業に身を投じていく人(男性女性関わらず)は、消費者目線に立ち、時代にあったもの提供していく必要があるのはいつでも変わらない。

2017-11-05

サンプリングミュージック

10ウン年前って著作権めんどくさいっつってサンプリングミュージック凄く減ったじゃん。

いまなら半世紀前くらいのジャズとかクラシックって著作権切れてサンプリングやりたい放題なんじゃないの?

現存する音楽アーカイブが少しずつリサイクルできるようになってくる?

2017-11-02

anond:20171102163728

帰れる時に帰るべきは同意だけど、裁量労働残業という概念存在しない。一瞬でも会社に顔出せばその日は出社したことになるし、24時間いても扱いは同じ。だから24時間いて、翌日は一瞬で帰る、という働き方もあり得る。それが嫌なら裁量労働をやめて残業代はらうべき。

それが理解できてないか上長いるから帰りにくいなんてバカバカしい雰囲気現存している。

anond:20171102141631

昨年は、VIP会員制と哲也@東風荘が終了となりました。やめることになった理由は、運営コストを賄う売上があげられなくなってきたことと、サーバが古くなって更新必要状態なのに費用を捻出できなかったことです。哲也@東風荘の終了によりネットカフェ対応も終了となりました。現存サービスPC版とモバイル版ですが、PC版は売り上げはゼロですので、モバイル版に頑張ってもらって運営していこうと思っております

今はもうカツカツみたいだな

ついでに私の略歴も書いておきます中学2年~3年で精神面のトラブルを抱えつつも何とか通い卒業高校へ行くも1週間で挫折中退。そこから訪問販売、測量、ホテルの清掃、などいろいろなバイト経験しました。いずれも数日から数ヶ月程度の期間。ホテル清掃はいわゆるラブホですが15歳でよくラブホの清掃ができたなと思います訪問販売はやろうと思えば何でもできるなという気持ちをもたせてくれた貴重な経験でした。

 15歳の終わり頃にソフトウエアハウスバイトをし、ここで3年間仕事としてのプログラミングを覚えました。CPMからMSDOSUNIXなどいろいろと経験できました。15歳の私をよく雇ってくれたものです。この経験はでかいです。

 19歳頃から1年くらい寮住み込み新聞配達バイトしました。この寮で、朝の配達から夕方配達までの暇な時間毎日のようにバイト仲間と麻雀をしていました。ここで覚えた毎日麻雀経験もでかいです。

 

 で、その後フリープログラマーになり、それまでの経験が生きて、東風荘が完成したと。めでたしめでたし

昔はこういう人はたくさんいたな・・・

ソシャゲ以外のゲームだって後に残らない

何が「ソシャゲサービス終了したら遊べない」だよ。

ソシャゲに限った話じゃないだろうが。

だいたいのゲームはその時遊ばなきゃ遊べなくなっちゃうから、今遊ぶべきなんだよ。

30年以上経っても遊べるゲームがあるファミコンの方が珍しいんだよ。

アーケードゲームにはアーケードゲームからこそ実現できた遊びであるが故に、二度と遊べないであろうゲームもある。

俺は花博ギャラクシアン3をやってみたかった。

けど今この世に花博版=28同時プレイギャラクシアン3は現存していない。全ての設備解体・廃棄されてしまっている。

当たり前だよ。あんなもん維持するだけでいくらかかるか。

再び作るにもいったい何億かかることか。

これってソシャゲ同様に後に残ってないよね?記憶しか残ってないもう遊べないゲームなわけですよ、花博版は。

今でも遊べる移植版はある。4人プレイで通常のゲームパッドを使うやつが。

椅子(床)も動かなければ、円筒形のスクリーンプロジェクターも無いやつが。

これをプレイすれば花博ギャラクシアン3が遊べたことになるんでしょうかね。ちなみに今年は花博から27年。

家庭用ゲームだって精密機械である以上は壊れていく。壊れたらもう遊べない。

実機が壊れたらVCでやればいいじゃない。移植すればいいじゃない。ごもっとも。

でも他の機種に無い独自機能を使ってたゲーム移植されてもそのままのスタイルで遊べないんだよ。

移植はそういうものをバッサリと切り捨てていくんだよ。

GB通信という遊び方はVCでほぼ切られた。ケーブルはもちろん赤外線も。

サテラビューも……これこそ後の時代に残ってないゲーム代表例じゃねえか。BS探偵倶楽部!お前が歴史に消えた過去になってどうする!

あと64のポケモンスタジアムみたいな他ハードソフトデータを使うゲームもその遊びをどう再現する?

ポケステとかビジュアルメモリもこの部類だよな。あとDSGBAカートリッジ挿すやつ。

似たようなところでマリオテニスだかゴルフってGBケータイ通信できたけど、移植してもその要素は削除せざるを得ないよね。ポケモンクリスタルにもあった気がする。モバイル通信

ゲームボーイカラーアドバンスみたいな互換性あるハードごとに違う挙動をするソフトなんかもどう再現するんだろうか。遊びの中身が変わっちゃう。

64のレフトポジション。あの独特の操作感を再現することは一般的ゲームパッドじゃできないよね。

コントローラと言えばダンレボのマットとかガンコンとか釣りコンとかも。あの辺の遊びってコントローラ自体を現行ハード用に作らないとダメよね。

まあアーケードゲームの話と同じで、ボタンポチポチやればダンレボプレイたことになるというなら、それで問題ないんだろうけど。

周辺機器で思い出したけど、ポケットプリンタって来年2月20周年らしいね。まだ印刷遊びできるのかな。これ、ファミコンよりずっと新しい機械なんだけどね。

俺のゲームプレイ遍歴の都合上かなり任天堂に偏ったけど、他社でもいっぱいあるでしょ、こういう事例。スワンの縦持ちとか。キネクトとか。

PSVRソフトだって時代の徒花に終わっちゃえば、後の時代で遊べないゲームの仲間入りよ。

そんな特殊装置付けてないプレーンなプレステ2Xboxソフト10年後に自由に遊べる気がしない。

ハード自体が経年でヘタってきてるし、後方互換性も限界があるし、中古流通数にも限界が出てくるだろうし。互換機なんか出るとは思えない。

この世代になると現行ハードへの移植だって気軽にできるもんでもないのか、アーカイブサービスもそれ以前の世代ソフトに比べて本数が無い。

これまでのタイトル追加ペース見るとこれから10年で急激にそのハードソフトが充実する図も浮かばない。

そうなったらこハードで出たソフト、これからどうやってプレイするんだろうね。

正直もうサターンドリキャスなんかはそういう遊ぶ方法自体模索する時期に入ってんじゃないの。マニア自分で遊ぶために実機の予備機を確保する時期というか。

あとこれが一番致命的なんだけど。

友達の子がいないと遊べないゲームね。

一人でハード二台持ちカセット二個持ちしてポケモン交換すれば何年後からでも一人で図鑑埋めできるかもしれないけど、

そんなことできるのは一部の人だけですよ!だから今みんなが盛り上がってる内に交換するんですよ!対戦相手がいるのも今だけですよ!

そういう環境含めての「ゲーム」でしょ!?ただ動くハードソフトがあれば良しじゃないでしょ!?

RPGはまだいいよ!一人格ゲーもまだ遊んでる気分になれるよ!でも一人FPS対戦用マップ散策!これは虚しい!ただひらすら虚しい!

独りぼっちなんだよ!サービスが終わったのにネトゲアクセスできちゃうのと同じだよ気分的には!俺しかいない!誰とも共有できない!

からゲームは出たてホヤホヤの熱い内に遊ぶしかないんだよ!ソシャゲに限った話じゃねえんだよ!

こうやって独りでコンシューマの旧作を遊ぶ虚しさを文章にぶつけてたら、もう3時半だよ。

カードポン。イマクニ?レッドしかやったことないんだよ……。

2017-10-30

anond:20171030155901

マジレスすると、宗教呪術存在自体を「差別助長につながる」として本気で怒ってる、超リベラル勢もいる。日本にもいる。

個人的には、個々の固有の信仰文化について口出しすること自体が、外部に対して差別的であると考えるので、

たばこ呪術として強制されている民族がまだ現存してるとしても、その文化を外部から否定することは差別につながると思う。

ただ、「たばこをたしなむことは呪術的に重大なことである」とする民族の内部で、それに従わない者を差別する、という構図もあり得るね。

2017-10-28

文明の衝突回避で月面基地を活用

現存する人類文明が、今後10万年以上続くために今我々がなすべきことは何か?

フィンランド語で空洞・深い穴の意》フィンランドで、原子力発電所使用済み燃料を高レベル放射性廃棄物として地層処分する施設建設するにあたって、精密な現地調査を行うために、オルキルオト島に建設される地下特性調査施設名称。将来は処分施設の一部として利用される。

[補説]最終処分施設2020年運用開始予定。2120年までに出る廃棄物を、地下約500メートル施設に埋設し、約10万年間閉じ込める。

フィンランドオンカロ計画のように、日本10万年後まで今の文明を持続させるための施策を実行したい。

そのための方法をみんなで話し合いたい。

 

から10万年上前文明が、現在に伝わっていないのは、記録する技術がなかったか努力を怠り文明が衰退したからだろう。

地球の40億年の歴史から見たら、たったの10万年は短いものだ。

自分希望としては、月面に基地を作り、人類の記録を残す図書館にすること。

月面の図書館は、各国が協力して運営して、たとえ人類全面戦争が起こっても、月面基地不可侵条約を結ぶ。

 

俺が国連ダボス会議に呼ばれたら、月面の活用計画提言したい。

 

2017-10-12

anond:20171012072108

そんな精強な国なら現存するんだよね?

2017-09-17

anond:20170916180720

みわけを差別といってしまうのは違うことだ。

 

バス電車など公共機関

また人生というPRG的な旅で最初に通らざるを得ない初等教育

これらでの差別はすみわけができない。

本人がいくらわきまえていても差別による危害を避けきれない、

また必要とされる「わきまえ」の限度が(一般的個人にはストレス鬱不可避なほど)限りなく高く設定されている。

こういったもの差別という。

 

外部者はモスクに入らないで、というのはすみわけの知恵でしかない。

外部者はモスクに入れないことでストレス鬱不可避状態にされることもなく、

もし中がどうしても見たければ改宗することだってできる。

モスクという例はイスラム社会における現存する差別とは全く違う話だし、

差別正当化にすみわけの努力程度のもの引用しないでほしい。

 

さらコミケ民は自分パチンコと同じような娯楽のための努力をしていること、

から法律常識のまえでは一歩ひかなければならないことをわきまえ(させられ)ている。

これも政教分離していない国家での宗教とは性質が異なるものだ。

 

===

ところで、公共機関のすみわけといえば男女逆差別論者をネットの一部だけに大量発生させたことで有名な女性専用車両とかあるんですが。

痴漢(といつでも名指しされかねない性欲ある普通男性の乗車)の自由

男性特定車両からおいだす自由

を両立させることは大義名分として「差別解消のため」が必要だったのかもしれないが、

実施始まってみればたんなる「すみわけ」になった。

したがって、すみわけとは差別の発生を予防した状態であろう。

差別とは(野放しにすべきでない)問題の発生しやすい混在状態で発生しているであろう。

とすれば、すみわけでなく差別という言葉をつかうときはすでに「重大な問題なので自由差別してはいけない」ことが内包されているとおもう。

2017-08-21

https://anond.hatelabo.jp/20170821165707

うん、低能らしい本筋からズレた反論で俺は嬉しいぞ低能

出力機というのはまさしく文にない言葉だがそれは説明上俺が使っただけなのを

文脈から察せないのか前頭葉ゴミすぎて一般的感覚が欠如しているからなのか

それとも低能らしく噛みつきたいだけにあえて理解できてないフリをしているのか

理由は分からないが単なる低能の察しの悪さが原因だぞ

法を現実適用させる際に全てが文の中に書きこまれていると考えているならアスペすぎるからやめた方がいいぞ低能

裁判官現実への適応する際に解釈を変えるから運用していけるのを理解するにはまだ低能には早かったかな?

それともこの世に現存する出力用機器固有名詞を全て並べないと低能には理解できなかったかな?

だったら謝るぞ低能

ごめんな低能気づいてやれなくて

 

さて、低能の本筋ずらしも終わったから話を戻すけど

アンテナがあるだけでは契約は結べないぞ低能

その説明が主でそれ以外に焦点を当てたがるのは単にお前が低能からだぞ

2017-08-19

https://anond.hatelabo.jp/20170818225406

ラノベ作家商業作品

現存のあらゆる哲学書より優先されるほど素晴らしいとは恐れ入った

2017-08-14

https://anond.hatelabo.jp/20170812210056

現状ではテスト的なもので配布してる感じだろうけど、今後は施設現存施設以外)を使ったりする時や

今ある手続きではない他の手続きなどの簡素化として証明書として使うようになったりするんじゃないだろうか。

何にしても、あれ自体差別だなんだ言っているような人たちの半分以上は普通に働けるような輩が文句言っているだけに見える。

2017-07-29

うちのカルデアメモ

年始めて、ストーリーも追いつき、キャライメージが固まってきたのでメモ

ぐだ子

基本的方針決めて突っ走るタイプリーダー。細かいところはあまり考えてない。

人間関係的には恋多き女自称特定恋愛関係にある相手はおらず、男女問わず仲良くやっている。

マシュのことは「仲のいい妹」ぐらいの感覚でいて、「いまは一緒だけども、いつか独り立ちして大きくなっていくんだろうな」と思っている。

マシュ

ぐだ子のざっくりした方針現場で実行可能な内容にブレイクダウンする参謀タイプ

ストーリー通してぐだ子への依存度が徐々に減っていっているものの、他の人物との関係性が極端に薄いため、周囲からは少々心配されている。

ロマニ、ダビンチちゃん

良き保護者チーム

沖田さん

最初にやってきた星5鯖。槍王戦など数々の激戦で活躍した歴戦の剣士

他のメンバーにはない「善良な素直さ」をもっていて、天真爛漫に振る舞うことが多い。

土方さん

数々の戦いで散った鉄砲玉。

強いことは強いが粘り強くなく、守勢に立つと踏ん張れず玉砕しがちで脆いという欠点がある。

戦闘以外では比較的話の通じる大人であり、それなりに頼られているが、やはり押されると弱い。

アルテラ

女神。寡黙で口数が少なく、「何を考えているのかわからない」と思われている。

実際は何も考えていないことが多く、何か考えたときはおずおずと発言する。

大抵沖田さんとペアになるので、沖田さんが延々話しているのを黙って聞いている。

周囲は若干ハラハラしているが、本人たちはそのコミュニケーションを好ましく思っている。

イシュタル

話の通じる方の弓女神

七章直後に召喚されたため、ぐだ子から人物的に信頼されている。

本質的に真面目な性格のため、奔放なメンバーとりまとめる苦労人側の鯖。

オリオン

話の通じない方の弓女神戦闘では強い上にちゃんと粘り強く、現存鯖最強である

しかしながらオリオンアルテミスの間で話が完結してしまい、周囲からの話がほぼ通じない。

多くの場合イシュタルが引率している。

玉藻(術)

メンバー無責任な姉的存在。実はいい人。

意見をいうのは好きだが集団意見にとらわれるのは嫌い、というタイプのため、

自分意見が通るときはチームプレイ積極的だが、そうでないときは反応が悪い。

はいえ、メンバーの姉貴分である、という認識はあるので本当に困っているときは助けてくれる。

ルナ

英雄。若干状況に流されやすものの、土方や女神勢に比べるとTPOわず話が通じる。

外見的なインパクトからぐだ子は若干敬遠しており「もう一枚服着てくれないかなあ」と思っているが、

その気持ちが伝わることはなく、お互い若干ぎくしゃくした関係である

アルトリア(弓)

島編で唐突に出現したうえ、そのまま召喚された。

それまで全く存在しなかったのにも関わらず、異様に厚かましい感じで絡んでくるので、

「この人誰だっけ・・・月島さん?マンソン?」的な感想を周囲の全員に抱かせている。

とりあえず、どうやってチームに参加させていこうか、イシュタルが頭を悩ませている。

2017-06-29

日本にまともなノートPC全然売られてなくて日本に生まれたこと後悔

まともに、っていうのは釣りだけど、

『最高画質とはいわずともGTA5やFallout4がそこそこ遊べて持ち運び可能範囲薄型軽量ノートPC

っていう条件で新しく買うノートPCを探してるんだが、本当になくて困ってる

まとめると以下な感じ

Macbook

現存する最高スペックを買ったとしてもグラボしょぼい、BootCampWindows専用機にできるにせよゲーミングとしての選択肢はないか

Surface

こちらも最高でもグラボがしょぼい、あと高い

HP

ゴツいゲーミングノート薄型ノートも両方あってそこそこコスパ良い感じなんだけど薄型でかつゲーミング可能、という条件を両方満たしている製品は今のところ存在しないみたい

ASUS

ないことはない、ただし日本での販売は下手すると米尼の5割増しレベルで高い。

高いだけならまだしも良モデルほとんどがそもそも日本未発売。

ノートとしてはそこそこの良いゲーミング用なグラボ積んでるのに日本ではSSD128GBモデルだけだったりどの層に売ろうとしてるのかよくわからんかったりする。

ゲームだけじゃなくこんなところでもおま国に悩まされるとはとは……

Lenovo

ASUSと似たような感じ

日本販売製品選択肢ASUSより少ない

LG

上に同じく

ただそもそも日本未発売の製品含めてもグラボ積んでる製品がないっぽい。

東芝

なんとなく金落とすのが嫌

Xiaomi

コスパは良いけどグラボはしょぼい

ドスパラとかマウスコンピューター

軽いのはなさそう

Huawei

そもそもスペックモデル現存しない。

今のところ、日本で上記の条件を満たす製品って、どんだけお金をかけても選択肢そもそもないんだよね 

技適警察の目をかいくぐって輸入品買うか、中韓メーカーの今後に期待するって感じになるのかなぁ

割りと隙間状態だし、売り出せば結構需要あると思うのに

米尼や英尼見てると本当に良い製品が安くあるよね、スマホにせよノーパソにせよ、

「え、なんで日本だけこんなに高いの!?」「え、こんな良い製品なんで日本だけ売ってないの!?」みたいに驚かされるばかり。

おま国は仕方がないとは言え、こういうの本当に日本人に生まれたことを後悔したくなってくるからLGやらASUSには早く頑張って欲しいですね……

2017-06-07

ネトウヨだけど

ぶっちゃけ責任者安倍だろうがはてな民が好きな知らない誰かだろうが別にどうだっていい。滅ぼすなりはてな民のいう戦時下になるなり好きにしてくれ。

天皇制もどっちだっていい。本人の意思尊重して好きにしてくれ。

LGBTだって別にどうだっていい。色々大変なんだろうけど所詮そうでない自分にはとてもそんな苦労わかったなんて言えないし、そんな同性が好きだったり現存の単純な男と女ってカテゴリと外れたくらいで個人的にはどうでもいいけど別に一緒に戦う気力もない。頑張ってください。

男尊女卑も大体上と同じ。

世の中の人ってはてなーみたいに常に考えて常に何かに憤りを感じてたりしないで,例えその結果直接降り掛かってこようがどうでもいいとしか思ってないし何も考えてないよ。きっと。

2017-06-05

ラブプラス彼女を養ってた人は

ラブプラス彼女を養ってた人は今もあの彼女を養っているのか、もう別れてしまったのか、後妻を迎えたのか。

どんな別れ方をしたのか、今の心情で彼女をどう思うのか。

あの熱狂はどこへ移ったのか、まだ現存しているのか。

最近とても気になっている。

自分特に関わってないけれど、初期の3人がいた事と熱海で何かイベントがあった記憶しかもう残っていない。

 

2017-05-26

女性宮家の何がやばいか、大河ドラマ『直虎』をベースに考えてみる

民進党女性宮家の創設を進めようとしている。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H4O_X10C17A5PP8000/

ぶっちゃけ、何が問題いまいちピンと来ない人が多いと思うので、自分なりに考えをまとめてみたい。

日本における天皇とは憲法にも明記されているとおり、国の象徴である

そして、その天皇家血筋を絶やさないために連綿と受け継いできた、不敬な言い方をすればバックアップにあたるのが皇室である

ここで本質的重要なのが「血筋」を絶やさないことである以上に「家」を絶やさない、ということ。

なぜ「家」を絶やしてはいけないか、について皆さんにしってもらいたくて、この文章を書いているので、最後まで読んでもらいたい。

皇室日本において、約2000年続いてきた伝統である

そして、その基本的ルールが「万世一系」、つまり男系宮家を維持し続ける、ということだ。

これはざっと分かりやすく言えば、皇室以外の完全な民間出身男性宮家に迎え入れない、ということ。

我々日本人は、このルールを千年以上守り抜いてきた。

そして、その歴史の上にはじめて、現在民主的国民国家象徴として祀り上げられて然るべき「天皇」という存在国民誰もが(程度の差こそあれ)尊重することができている。

日本の歴史上、天皇家に娘を嫁がせて「外戚」として権勢を奮った人物は多数いるが、「息子」を天皇家の婿に入れた人間はいない。

蘇我藤原・平・徳川といった、時の最高権力者でさえ、息子を天皇家に婿入りさせようなどとはしなかった。

これは、現代日本法規範である皇室典範まで受け継がれており、典範には、女性皇族皇族以外と結婚した場合皇室から離脱すると規定している(女性皇族結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設には皇室典範改正必要になる)。

ここで素朴な疑問として「でも、皇室男子が少ない現状、バックアップを増やすはいいことじゃん」と思う人も多かろう。

一見すれば、昨今の男女同権思想立場からも、賛同の声が聞かれると思う。

だが、これは現代日本という国の歴史における今この一点の判断で、安易に変えてしまってもいいルールなのだろうか。

これを分かりやすくするために、大河ドラマ『直虎』を例に出し、女性宮家を認めることのリスク説明したい。

ことの重大さが伝わりやすくなるよう、ある程度設定を改変するがご了承いただきたい。

・・・

ここに、1000年以上、自分たちを「井伊の民」と自覚してきた民と、そしてその領主である井伊家がある。

井伊家は相次ぐ争乱により、直系の跡取り男児は、先代当主直親(三浦春馬の子、虎松(寺田心)しかいなくなってしまう。

そこで、井伊家では虎松が成人し、当主を名乗れるようになるまで井伊家の血を次ぐ先々代当主の娘・直虎(柴崎コウ)に任せることにした。

ドラマではこの時点で直虎は既に出家し「生涯結婚することはない」という状態であったが、今回は直虎が出家をしていなかった場合を考えよう。

直虎は当主の重責を果たす中で、いつもそばにいてくれた幼馴染で小野家の現当主・政次(高橋一生)との愛を育んでしまった。

しかし、小野家は元々井伊家と敵対していた今川家の家臣。そのまま結婚し、子が生まれれば小野家の第一子となり、井伊家の名字は無くなってしまう。

そこで政次を井伊家に婿入れさせることになり、井伊政次と井伊直虎の子・政虎(仮)が生まれてきた。

さて、ここで、考えてみよう。井伊家の跡取りは虎松か政虎か。

から言えば、前領主の子であり本家本流の虎松が跡取りとして正当であるはずだ。

しかし、もう一方の政虎は現当主嫡子である。井伊の民にとっては「自分たち象徴」「井伊のアイデンティティである直虎の一人息子が政虎なのだ

これは、井伊という国を真っ二つに割りかねない、致命的な問題なのだ

井伊の民は、政虎を当主として認めることができるだろうか。

自分たちを「井伊の民」と名乗らしめるのは「井伊家」という一つのストーリーであり、1000年に渡る自分たちアイデンティティの中心にあるのは井伊の「家」である

政次は井伊の血筋とは全く関係のない小野家の人間であり、その子・政虎には井伊家の血が入っていたとしても、小野物語を受け継いだ人間である

もちろん、婿入りはしていたとしても、人が生き、人が伝え、人が託した物語とは、制度上の言い訳で誤魔化しきれるものではない。

もっと、肌で感じる「何か」のはずだ。

虎松ではなく政虎が当主になるとは、その瞬間1000年の歴史ある「井伊のストーリー」が、「井伊と小野ストーリー」あるいは「井伊のストーリー小野編)」に変わってしまう、ということだ。

日本では馴染みがないが、イギリスフランス王家では、女系宮家が婿に迎えた男子やその子王統を継いだ際に「●●朝」の名前が変わる。1000年続いた井伊谷の「井伊朝」が「井伊・小野朝」あるいは「小野朝」に変わる。間違いなく日本の「大和朝」は一つのターニングポイントを迎える。

しかも、小野家にはなんと先代当主を死に至らしめた事件黒幕という噂もある。

であれば、今回の一連の騒動は、小野による井伊家乗っ取りだと誰もが思うだろう。

さて、今回の例では、井伊の人々の思いも虚しく、最終的に息子への情愛に流された直虎が、自らの子である政虎に井伊家を継がせ、小野家臣団と井伊家臣団は統合されてしまう。

その後、反発した井伊家譜代の家臣団は弾圧を受け、排斥。井伊の民にとって「井伊」という言葉はその土地意味するだけのものとなってしまった……。

つまるところ、史実通り井伊家が井伊家として徳川末代まで残ったのは、この時の直虎が出家をしており、子を為さず、直系の後継者・虎松を育てたかなのだ

・・・

皇室女性宮家を認める、というのは近い将来この事態を受け入れる、受け入れてもよいと認めるということである

認めるか、認めないか判断を下すのはもちろん、主権者である我々日本国民一人ひとりだ。

女性宮家民間男性からまれ子供が、将来天皇になる、というのは、約2000年の間、我々日本人が連綿と受け継ぎ、守り抜いてきた1つの大きなストーリーを終わらせるということに他ならない。

あまつさえ女性宮家が迎え入れた民間男性外国人だとすればどうなる。イギリス皇太子や、韓国大統領中国共産党書記長の息子とも結婚することさえ可能なのだ

その可能性は、日本人として、認めていいのか。受け入れていいのか。

いざその瞬間、女性宮家婚約者を発表したときに、過去現在未来全ての日本人絶句するような相手でないと、誰が言い切れよう。

少なくとも、その時点から先にある「日本国象徴としての天皇」は、遡ること2000年間の全日本人が知り、崇敬し、仰いだ「天皇」ではない。別の何らかの意味合いを持った「天皇である

その物語を「日本の象徴」と認めることは可能なのか?

私は、女性宮家の創設には断固反対である

天皇家が今のかたちで現存しているのは、過去全ての日本人が「天皇家に取って代わる」という最後の一線を踏み越えることのなかった歴史の上に成り立っている。

自分たちにとって、神聖ものを、神聖なままに、尊び、敬う」という我々日本人の心の歴史が「万世一系なのだ

女性宮家の創設とは、過去あらゆる時点における日本人尊崇の念が無に帰す、不可逆の一手であることを知ってほしい。

2017-05-21

国宝級曜変天目のまとめコメント気持ち悪い問題

なんでも鑑定団国宝級曜変天目だと鑑定した問題について、ネットまとめサイトなどのコメントが九代目長江惣吉に対する誹謗中傷であふれている

それが単に理路整然とした批判なら何の問題もないけど、意味不明コメントばっかりだ

気持ち悪いと思うほど批判がひどいので自分なりの考えを書こうと思う

今までの流れ

中島鑑定団国宝級だと鑑定

長江惣吉や専門家が偽物だと批判

奈良大科学的に鑑定した結果、単一釉薬であり化学顔料は検出されなかった

長江BPO申し立て

長江奈良大の鑑定方法機器で正確な鑑定ができないと指摘

具体的にどういったコメントがあるかというと…

翻訳曜変天目第一人者である俺様無視して番組を作ったのが許せない

嫉妬しすぎ

陶芸マニア()公共の場責任持って鑑定士てる人間に何を言うか

自称専門家長江惣吉さん(54)って自分では何もしないなテレビ見て文句言うだけ

必死過ぎるわ自称専門家

再現したい専門家って、、開き直った贋作家じゃん。

引っ込みがつかなくなった感

この人、自分自分格下げて何したいのかな。私は盲目ですいうてるようなもんです。

番組最後に「番組見解であり…真偽のほどはわかりません」みたいなテロップなかったっけ?そこまで必死になって模倣品にしたいのは何故?

現存3つしかないのに、それの専門家って?しか再現できてないし。万が一似たようなもの再現できたら、それって模倣品って鑑定にならない?

九代目っていうところが怪しい

もし本物だったらこの方、今の商売は辞められるんですよね。男が一度言ったんだ、その覚悟で訴えてもらわないと。

事の始まり曜変天目が出品された際は(自称第一人者である自分鑑定団としてのオファーがあると奢ってた部分だろ、自分蚊帳の外でやられた事への不満がこういう行動に動かした。

そのまとめサイト

http://arutopi.net/archives/655

http://topic-intro.net/?p=2448

上記のサイト意図的批判的なコメントを多く掲載しているようにも思える

ただ、ネット上にはこういった意見ばかりではなく、偽物だとする意見も多いことをことわっておく

批判コメントの中でもひどいもの

嫉妬しているだけ 必死 奢ってる

自称○○ 素人扱い なにもしてない

陶芸家より鑑定士のほうが見る目がある

中島責任もって仕事してるから、本物だったら陶芸家やめろ

再現贋作作り

テレビ越しの鑑定だから云々

①についてはよくあるコメントからどうでもいい

②については無知であるしか言いようがない

というのも長江は親の代から「完全」再現を目指して取り組んでいる

https://www.youtube.com/watch?v=FY_2FHh6wrY

彼の作品も「完全」ではないが光沢に関してなどかなり再現が進んでいることが容易にわか

少なくとも曜変天目に関しては中島よりスペシャリストであることは間違いない

③についても同様である

彼や専門家はただ再現するだけではなく本物の茶碗の調査なども行っている

陶芸家から鑑定士だからという話ではない

別にどちらもやめる必要などないと思う

自分中島先生の鑑定やしゃべりが好きだし、長江が間違っていたとしてもやめる必要などない

⑤アホ

長江など専門家は「明らかに」贋作だといっている

日本語わかる?

「明らかに」贋作だと判断たからこそテレビ越しに批判したんでしょ

ちゃんと言っておきたいこと

中島あくま伊万里専門の鑑定家であるということ

ネットでは中島ものすごい鑑定家であり、骨董全般知識がすごいという扱いを受けている(実際そうかもしれないが)

から絶対に間違いがないとでも言いたいのだろうかしらないが、間違いもあるかもしれない

骨董も分野がすごく広いのですべての骨董品について詳しく知っているとは限らないと思うのが普通ではないだろうか

②天目茶碗のうち最上級の物が曜変天目である

そもそも天目茶碗というのがあってその中でもある条件を満たしたものけが曜変天目と呼ばれている

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%9C%E5%A4%89%E5%A4%A9%E7%9B%AE%E8%8C%B6%E7%A2%97

国宝級にしては2500万円はやす

国宝なら何億円、何百億もするはず

もちろん、税金対策ということもあるかもしれないけど

批判しているのは長江だけではない

孫建興や謝道華といった中国研究者も偽物であると主張している

⑤「国宝級かどうか」「曜変天目かどうか」「本物か贋作かどうか」は別である

どういうわけか「本物か偽物か」ということばかりに論点が行ってしまうが

そもそも(本物の)天目茶碗のうち、特に優れているもの曜変天目と呼ぶのであれば、本物の天目茶碗という可能だってあるのではないだろうか

⑥鑑定の結果は偽物か本物かということとは直接関係ない

どうしてこうなったのか

考えつくもので、

日本人の出る杭は打つ心理

なんでも鑑定団およびテレ東がいわゆる愛されている番組テレビ局であること

中島がいわゆる愛されているキャラ名物キャラだということ

④上記による中島の鑑定に間違いはないという思い

⑤本物としたい人による工作

⑥いたずらによるコメント

というのがあげられるのではないだろうか

とにかく

言いたいことはこの茶碗が本物かどうかとかそういうことではない

叩き方、批判の仕方が明らかに幼稚であるということだ

たとえ、長江が間違っていても中島が間違っていたとしても、だれも彼らを叩く必要など全くない

参考までに

https://matome.naver.jp/odai/2148611572478652601

ちなみに皆さんはこの茶碗、なんだと思いますか?

国宝級曜変天目

普通の天目茶碗

曜変天目贋作

④わからない

ちなみに僕は②の普通の天目茶碗ではないかなと思います素人目ですが)

からこと贋作との批判でごたごたしているのではないでしょうか?

どのみち、いつかは決着がつくので楽しみですね

2017-05-19

三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。

目次 [非表示]

1 概要

2 平安初期の仏教

2.1 法相宗と徳一

2.2 天台宗最澄

3 論争の経緯

3.1 論争の発端について

3.2 著作応酬

4 最澄激昂の理由

4.1 最澄孤立

4.2 南都教団への対抗

4.3 中傷者徳一に対する怒り

4.4 蝦夷征討との関係

5 その後

6 注・出典

7 関連項目

8 参考文献

概要[ソース編集]

「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便真実理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗根本経典である法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗声聞乗・縁覚乗)・大乗菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこ真実であると主張した。このように三乗一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。

ただし、徳一と最澄の論争は三乗一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作執筆しており、これは徳一から批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗空海774年 - 835年)への論難である真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である

いずれにしろ論争は著作応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。

平安初期の仏教界[ソース編集]

奈良時代興隆したのは、法相宗華厳宗律宗などの南都六宗である本来南都六宗教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである

この時代日本における仏教は中国と同様、鎮護国家思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇737年 - 806年)が平城京から長岡京平安京遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家宗教として最澄天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教牽制する意図もあった。

法相宗と徳一[ソース編集]

日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国飛鳥法興寺でこれを広めた。

徳一は一説には藤原仲麻呂恵美押勝とも。706年 - 764年の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。

前述のごとく、徳一の著作ほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。

天台宗最澄[ソース編集]

天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。

最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇天台宗学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年帰国した。

帰国後、最澄桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである最澄さらに同じく入唐した空海師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教既得権益との対立を深めていた。

論争の経緯[ソース編集]

論争の発端について[ソース編集]

論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。

ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要役割果たしていた存在であった[6]。

筑波山を開山し、会津拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。

著作応酬[ソース編集]

三一権実諍論に関する著作としては、

≪徳一側著作

『法華肝心』2巻

『法華権文』1巻

『中辺義鏡』20巻

『慧日羽足』3巻

『遮異見章』3巻

『義鏡要略』7巻?

法相了義灯』11巻

『通破四教章』1巻

最澄著作

『照権実鏡』1巻

『依憑天台集』1巻

守護国界章』9巻

『決権実論』1巻

『通六九証破比量文』1巻

『法華秀句』5巻

などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、

徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論

徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論

最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。

となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。

一連の論争の内容は難解で、一乗三乗の権実のみならず、教判論における法華経天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論のものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。

天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。

最澄激昂の理由[ソース編集]

下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。

最澄孤立[ソース編集]

最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海師事することになる。

最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年806年)に帰国していた。最澄空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海高雄山寺において灌頂を受け、正式空海弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。

しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さら最愛弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。

天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。

南都教団への対抗[ソース編集]

最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇設立など、天台宗確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗理論である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

中傷者徳一に対する怒り[ソース編集]

徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義のものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。

蝦夷征討との関係[ソース編集]

宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。

最澄東国に下った際に活動拠点としていたのは亡き道忠が活動拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野上野両国から陸奥出羽両国に対しては国司から課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗東国鹿島神宮香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗公認を得たばかりの最澄東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄東国行きに随行した弟子円仁下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。

これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。

開基(創立者)は大友与多王、本尊弥勒菩薩である日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである三井の晩鐘」でも知られる。

なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。

目次 [非表示]

1 歴史

2 伽藍

3 黄不動

4 文化財

4.1 三井寺秘仏

4.2 国宝

4.3 重要文化財

4.4 その他

5 御詠歌

6 前後札所

7 交通

8 周辺

9 脚注

10 参考文献

11 関連項目

12 外部リンク

歴史[編集]

三井寺7世紀大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学円珍天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺平安時代以降、皇室貴族武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。

三井寺」の由来となった井戸「閼伽井屋」(重文

三井寺起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇の子大友皇子弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱大友皇子敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。現在三井寺には創建時に遡る遺物ほとんど残っていない。しかし、金堂付近からは、奈良時代前期に遡る古瓦が出土しており、大友氏と寺との関係史料から裏付けられることから、以上の草創伝承は単なる伝説ではなく、ある程度史実を反映したものと見ることができる。

三井寺では、他宗で「管長」「別当」などと呼ばれる、一山を代表する僧のことを「長吏」(ちょうり)と呼んでいる。貞観元年(859年)、三井寺初代長吏就任し、その後の三井寺の発展の基礎を築いたのが、智証大師円珍である円珍は、弘仁5年(814年)、讃岐国那珂郡香川県善通寺市)に生まれた。俗名は和気広雄、母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたる。幼時から学才を発揮し神童と呼ばれた広雄は、15歳で比叡山に登り、初代天台座主義真に入門。19歳の時に国家公認正規の僧となり、円珍改名した。その後、比叡山規定に従って「十二年籠山行」(12年間、比叡山から下りずにひたすら修行する)を終えた後、大峯山熊野三山を巡って厳しい修行をする。このことから三井寺修験道とも深い繋がりを持っている。仁寿3年(853年)には唐へ留学して6年間、各地で修行青龍寺の法全(はっせん)から密教の奥義を伝授された。天安2年(858年)、円珍は多くの経巻、図像、法具を携えて日本帰国した。翌貞観元年(859年)、大友氏の氏寺であった三井寺に「唐院」(とういん)を設置。寺を整備して修行道場とすると共に、唐から請来した経典や法具を唐院に収蔵した。貞観8年(866年)、太政官から円珍伝法の公験(くげん、証明書)が与えられた。顕教密教に加えて修験道を兼学する円珍伝法は、これによって政府公認を得たわけであり、天台寺門宗ではこの時をもって開宗と見なしている。貞観10年(868年)、円珍天台宗最高の地位である天台座主就任。以後、没するまでの24年間、その地位にあった。

円珍の没後、比叡山円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになった。円珍の没後1世紀まりを経た正暦4年(993年)には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山下りて、三井寺に移った。比叡山延暦寺を「山門」と別称するのに対し三井寺を「寺門」と称することから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと呼んでいる。比叡山宗徒による三井寺の焼き討ちは永保元年(1081年)を始め、中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。

三井寺は、平安時代には朝廷貴族尊崇を集め、中でも藤原道長白河上皇らが深く帰依したことが知られている。これら勢力から寄進等による荘園多数を支配下におき、信州善光寺荘園末寺として記録に著れる。中世以降は源氏など武家信仰も集めた。源氏は、源頼義三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代尊崇が篤く、源頼政平家打倒の兵を挙げた時にはこれに協力し、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。頼朝意思を継いだ北条政子もこの方針継承し、建保元年(1214年)に延暦寺に焼き払われた園城寺大内惟義・佐々木広綱・宇都宮蓮生ら在京御家人に命じて直ちに再建させている。しかし、園城寺僧侶として育てられていた源頼家の子公暁叔父である源実朝暗殺するという事件を起こしたために、以後鎌倉幕府より一時冷遇を受ける。だが、北条時頼の信頼が厚かった隆弁が別当就任すると再興され、続く南北朝内乱でも北朝足利氏を支持したことから室町幕府保護を受けた。両幕府のこの厚遇は、強力な権門である延暦寺勢力牽制するために園城寺に対して一定支援をすることが必要であると考えられていたからだと言われている。

文禄4年(1595年)、三井寺豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領没収事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである

明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっている。

2017-05-14

[] せめんだる

「せめんだる」は、山口県山陽小野田市のつねまつ菓子舗が製造する菓子

  

昭和27年より製造

当時、セメントは樽に詰めて出荷されていたことより、もなかをたるにセメントを餡に見立て山陽小野田市代表する銘菓

北海道産大納言使用し、職人の手によって粒よりにていねいに炊き上げられた餡がすきまなくたっぷり詰まっている。

昭和30年代にたる最中から「せめんだる」と改称し商標登録された。

  

他に産業に因んだ銘菓として横浜市久里浜に「発電もなか」、山陽小野田市火薬工場があることからダイナマイト羊羹」が

あったが、いずれも現存しない。

http://www.e-densuke.com/tsunematsu/html/semendaru.html

http://www.zenkaren.net/archives/12778

2017-05-10

海保氏の「動員の少ないバンドライブやめて」記事査読したよー

海保けんたろーさんという人がちょい炎上しているようですね。なんだか楽しそうです。

まぁ事情はよく分かりませんが,著者は論理的反論をご希望とのことで,なんというか,職業研究者としての腕が鳴ります

ということで,以下の記事査読してみました。長いので,お好きな方だけ読んでください。

動員の少ないバンドはライブするのを止めてもらえないだろうか | 海保けんたろーの思考集積場

論文は,ライブハウス業界の抱える諸問題を指摘し,それらを解決するための手法提案したものでした。

著者が強い問題意識を有していることは理解できますし,音楽業界当事者からこういった提案がなされる事自体には一定価値があるもの評価できます

しかし,残念ながら論文としての質は掲載するレベルに達しておらず,今回は【不採択】とさせて頂きます

全般的に術語の定義曖昧であり,推論の根拠も乏しく,論理展開には問題が多いと言わざるを得ません。

また,社会に大きな影響を及ぼすことが予想される手法について,そのメリットのみを強調するのでは,あまりにも議論一面的です。

さらに,そのメリットも,どういった基準によって評価されたものなのか明示されておらず,了解することが困難でした。

ただし,ライブハウスサービスを向上させるという目的については,一定価値を認めることができます

将来的な再投稿に向けて,以下に示すコメント有益ものとなることを祈ります

以下,コメントです。ご確認ください。

動員の少ないバンドライブするのを止めてもらえないだろうか

こんばんは。海保けんたろー(株式会社ワールドケープ代表ドラマー)です。

言いたいことはタイトルに書いてしまったが、要は「動員数がとても少ないバンドライブを減らしてほしい」というぼくからのお願いである。

#1

主題文が明示されており,本論文趣旨を読者に提示することができています

しかし,タイトルでは「止めてもらえないか」と述べていますが,ここでは「減らしてほしい」と述べており,既に論旨の不一致が認められます

止める,と,減らす,が同一の行為を指すとは考えにくいことです。正確な記述修正して下さい。

以下、その理由説明したい。

趣味バンドノルマなしバンドはい

まず、先に誤解を避けておきたいのだが、

「オレたちは別に売れたいとか、プロとしてやっていきたいとかは思ってない!社会人として働きながら、趣味としてライブをしたりしたいんだ!」

というバンドは、この件に該当しない。

そういう音楽活動は大いにアリだと思うし、そういう人たちにつべこべ言う気もない。

大いに趣味を楽しんでほしい。

あと、「チケットノルマいらないから出演してくれ」と言われてライブハウスに出演しているバンドもこの限りではない。

そういうバンドは、お金以外の何かしらの理由ライブハウスに求められているから、問題ない。

問題なのは、いわゆるプロ志向でありながら、チケットノルマを課され、それ以下の動員しかできない、というようなバンドである

#2

ここで著者はバンドを3類型していますが,各類型を簡潔な名称表現してくれれば,可読性が高まります

#3

これは定量的に分類可能類型でしょうか。もしくは,定性的ものでしょうか。その点を明らかにしたうえで,類型正当性について根拠を補強してください。

#4

特定バンドが収まる類型は,時間的空間的要因によって変動しうるものだと推測されます

たとえば,ライブハウスAではノルマ無しでブッキングされているバンドが,その他のライブハウスではノルマを求められるといったことは無いのでしょうか。

この点を明らかにしたうえで,その場合評価について明言してください。

はっきり言おう。

そんなバンドたちが、今のライブハウス業界を腐らせているのだ。

#5

著者の立場を明示しているのはよろしいかと思います

「今のライブハウス業界が腐っている」,という評価を前提に書かれているようですが,この評価裏付け引用文献など付け足してはいかがでしょうか。

立場専門性の異なる読者も前提を共有できるよう,この評価根拠を補強し,それがどの程度普遍的ものなのか説明してください。

なおその際,「ライブハウス業界」と「腐っている」という術語の定義明確化すると了解可能性が高まるでしょう。

ライブハウスを取り巻く問題

普段ライブハウスに出入りする習慣のない人はピンとこないかもしれないが、

ライブハウスを取り巻く問題は色々ある。

よく声が上がるのはこのあたりだろうか。

スタッフが愛想悪い、分煙がされていない、ドリンクが薄い、食べ物がない、などの「ライブハウスサービス悪い問題

集客についての努力ほとんどせず、出演するバンド集客全面的に頼っているという「ライブハウス集客しろ問題

本来は協力関係にあるはずの出演するバンドからお金を取ることで、商売を成立させているという「ライブハウスチケットノルマ問題

どれもずっと言われている根の深い問題だ。

#6

「ずっと言われている」とありますが,査読者はこの前提を共有していないため,了解できません。

「ずっと」という表現過去一定時点からの永続性を意味するものと推測されます

その時点がいつのことを指すのか明確化したうえで,それが永続的であるという根拠を示してください。

また,ここに挙げられている3つの見解について,引用文献を付け足すなど,根拠を補強してください。

加えて,この3点をあえて選択的に取り上げることの正当性についても,説明必要です。

#7

そもそも論になりますが,上記3点はライブハウス自体問題であり,

それらが著者が言うところの「業界」を含む社会全体にどのような影響を及ぼしているのかが述べられていません。

そのため,上記の問題解決されると,誰に・どのようなメリットが・どの程度生じるのか分かりません。この点を明確化してください。

しかし「チケットノルマ以下しか動員できないバンド」がライブをやめることによって、これらはすべて解決する。

#8

問題定義あやふやですが,著者なりの提案手法を明示していることは評価できます

しかし,提案手法以外の方法レビューされておらず,他手法比較した場合の利点が分かりません。

こういった複雑な社会問題にあって,解決手法が1つしか無いということは考えにくいことです。

ある手法選択することの正当性は,その効率性や有効性等の相対的評価によって担保されます

以上の点について,論述を追加してください。

#9

1つ前のコメントとも関連しますが,問題(preintervention)の状態明確化されていないため,

介入によって期待される結果(postintervention)がどのようなものなのか分かりません。

少なくとも,手法提案する前にこの点を明らかにしておく必要があります

#10

「すべて解決」という表現は,上に挙げた問題が根絶されるという意味でしょうか。

そうした劇的な効果は,劇的な変化でもありますので,かえって別のところに問題が生じる可能性は無いのでしょうか。

手法による正の効果と負の効果を天秤にかけても,なお正の効果が大きいと考えられるのであれば,この手法選択される可能性は高まります

この点について説明を加えてください。

問題解決の流れ

例えばチケットノルマ分も動員できないバンドが、来月から一斉にライブをやめた場合、どうなるか考えてみてほしい。

#11

チケットノルマ分も動員できないバンド」は上記3類型における,「プロ志向でありながら、チケットノルマを課され、

それ以下の動員しかできない」バンドのことを指しているもの理解しました。

類型名称が変化していることで,了解可能性が損なわれています統一してください。

少なくともキャパ100〜300くらいの都内ライブハウスは、出演者が激減してスケジュールの7〜8割が空くことになるだろう。

出演者がいないということはもちろん集客もできないので、売上が立たなくなる。

結果、家賃人件費が支払えなくなり、つぶれる

ぼくの感覚では、おそらく7〜8割のライブハウスが成立しなくなると思う。

都内ライブハウスが、一気に4分の1程度まで減るのだ。

#12

この予測に用いられたデータを明示してください。二次情報であれば,出典を明示してください。

データ確認できない以上,この予測が正答なものなのか,評価することができません。

また,「ぼくの感覚」を結論根拠としていますが,これは根拠薄弱と言わざるを得ません。

この結論正当化するために,客観的根拠を追加して下さい。

#13

上記3類型に収まるバンド数の比率は明示されていませんが,スケジュールの7-8割程度が空いてしまうということは,

現存するバンドの7-8割程度が「プロ志向でありながら、チケットノルマを課され、それ以下の動員しかできない」バンドだということでしょうか。

この点についても正確なデータを報告して下さい。

#14

多くのライブハウスが閉店することで生じる負の影響についても予測しておく必要があります

仮にそれがメリットと比べて過大なものであれば,この手法積極的に用いることは勧められません。

たとえば,ライブハウスで働く人々の失業など,提案手法による負の影響は容易に予測できます

この点は提案手法評価に直結するものですので,明確な論述必要です。

#15

本論は,100-300程度のキャパティを有する東京都内ライブハウス限定したものということでよろしいでしょうか。

では、この「残るライブハウス」はどんな所だろうか?

それは、音もいい、立地もいい、スタッフの愛想もいい、分煙がされている、飲食物がおいしい、集客努力もしている、そんなライブハウスではないだろうか?

ライブハウスの生き残り合戦を引き起こせれば、

その過程ライブハウスサービスレベルはぐんと向上し、

向上できなかったライブハウスは消えるのだ。

そして当然、ライブハウスが激減するということは、そこに出演できるバンドの数も激減する。

音楽的にも素晴らしく、集客もできる、レベルの高いバンドしかライブハウスに出演できなくなるのだ。

そうなるとチケットノルマなどの制度を設ける必要もなくなる。

「今夜は暇だから駅前ライブハウスに寄ってってみようかな」というお客さんだって増えてくるはずだ(今は皆無と言っていい)。

理想的ではないだろうか。

#16

多くのバンドライブをやめれば,ライブハウス間の競争が引き起こされ,その結果としてサービスの質が向上する,というロジックだと読めます

非常に単純化された図式ではありますが,検討に値する予測だといえます予測される結果を,前述された3つの問題対応させた形で記述すれば,よりわかりやすくなるのではないでしょうか。

FigureやTableを利用するなど,提示方法を工夫して下さい。

#17

音楽的に素晴らしく」とありますが,これは定量的評価可能性質でしょうか。この点は,提案手法の結果を事後的に評価する際に重要観点となります

#18

理想的」という全般的評価を述べていますが,この評価はどのような観点から下されたものなのでしょうか。評価基準を明示して下さい。

#19

3類型のうち,「プロ志向でありながら、チケットノルマを課され、それ以下の動員しかできない」バンドが多数であることを前提に議論が進んでいるようですが,

その根拠が示されていないため,上記のような「激減」や「競争」が実際に発生するのか,判断がつきません。

仮に3類型比率が著者の想定と異なる場合(たとえば趣味バンド過半数を占める,など),提案手法の実行によってどのような結果が得られるのでしょうか。

提案手法が有するであろう社会に与える影響の大きさを考慮すると,その実行を正当化するためには,より綿密な論理展開と,データによる裏付けが求められます

仮に現段階で3類型比率定量的に測定していないのであれば,測定を行い,データを追加すべきです。そうしないのであれば,結論トーンダウンすべきです。

#20

提案手法の実行可能性について,一切の評価が行われていません。手法の具体的な手続きとともに,その実行可能性について説明して下さい。

仮に実行可能性が低いのだとしたら,それは提案手法手続き運用上の問題があることを示唆します。

それが予め分かっているのであれば,はじめからその点をクリアできる手法提案すべきです。

 

しかし、残念ながら現状はそうなっていない。

なぜなら、動員できないバンドが喜々としてチケットノルマを支払うことによって、ダメライブハウスを生き残らせてしまっているからだ。

#21

ダメライブハウス」とは,前述された3つの問題を抱えるライブハウスのことでしょうか。明確な記述をお願いします。

#22

著者の言う「ダメライブハウス」が存在することの,何が問題なのでしょうか。

言い換えれば,著者による提案手法によって3つの問題解決した場合に,得られるものは何なのでしょうか。

それらが現存することで,どういった問題が生じているのか明らかにしたうえで,解決必要性を論じて下さい。

提案手法は多くのヒトに影響を及ぼす大規模なものです。なかには,負の影響を受ける者もいることでしょう。

それでもなお,提案手法の実行を正当化したいのであれば,よほど重大な効果必要になります

本当にやめてほしい。

#23

減らしてほしいのか,やめてほしいのか,論旨を一貫させてください。

以下、ありそうな反論

Q.駆け出しのバンドが場数を踏むための場所必要だ!

A.そうですね、広めの練習スタジオにお客さん入れてやったり、ライブバー的な狭いところでやればいいと思います

→駆け出しのバンドがそのようにしなければならない理由,もしくは,著者の提言に従わねばならない理由が分かりません。

 この提言正当化する根拠を補強して下さい。

#24

趣味バンドが出演するライブハウスについては不問とのことですので,そのような店舗が受け皿になる可能性はあるでしょうか。

その可能性があるとしたら,この提言は不十分なものだと考えられます

Q.数が少なくたって楽しみにしてくれるファンがいるんだ!

A.同上です。

#25

適切なサイズの会場でライブを行えば良いという提言でしょうか。むやみに省略せず,正確に記述して下さい。

 

Q.ライブ本数減らしたら新しいファンを掴む機会が減る!

A.自分の動員が少ないなら、対バンの動員も大抵少ないですよね?だとするとそのやり方は効率悪いので別の宣伝方法考えたほうがいいと思います

#26

1文目の推論について,根拠を明示して下さい。

#27 

一度に行える宣伝方法一種類とは限らず,これを別の宣伝方法と並行させることは可能です。

いくつかありうる方法のうちの1つを特定的に実施不可能にする必要があるのでしょうか。

Q.そんなライブハウスばかりじゃない!●●はとても素晴らしいハコだ!

A.そうですね、例外はあります。そこはきっと生き残るから安心してください

#28

ここで言う例外について,具体化して下さい。

#29

2文目の推論について,根拠を明示して下さい。

ぼくのTwitterは @kentaro_kaiho です。フォローお願いします。

※誤解をまねきそうな表現を、一部修正しました(2017/5/8 13:30)

#30

修正箇所が明示されていません。どこをどのように修正したのか示して下さい。

※追記記事はこちら &gt;&gt; 謝罪反論(動員がないならライブ止めろ記事について) (2017/5/10 7:04)


以上です。

この度は,ご提案いただきまことありがとうございました。著者の今後のご活躍に期待します。

2017-05-07

西郷隆盛鈴木亮平

来年大河西郷どん。つい先日新キャストを発表したおりクランクアップが夏と発表していました。

去年の真田丸、そして今年の直虎は秋口に撮影を開始していたがなぜ早めの撮影なのだろうか。

以前聞いた話では戦国時代より江戸時代の方が現存している建物が多いためセットを新しく作る手間が多少省けるらしい。

今の時代CG活用も考えられるためそういった所に時間をかけるのではないとすると憶測だが幼少期から大人になる過程で俺物語の時のようながっしりした体格にするトレーニングのために早めの撮影をするのではないかと。

だとすれば鈴木亮平の体格の変化も楽しみだが過度なトレーニングで体調が大丈夫かとても心配です。

とにもかくにも来年大河明治維新150周年で正当方西郷隆盛、楽しみだ。

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