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はてなキーワード: 休校とは

2024-02-19

anond:20240219200703

休刊日、休館日、休診日休肝日休校・・・

休○日 という表現日本語として自然で、普及してるんですよね。

この系統で言えば、休店日が妥当なんだけど、日本語自由度が高いので、

用途目的に合わせて新しい言葉を産みだせるのです。

もとは、2004年頃に阪急百貨店が使い始めた記録があるらしいけど、

休日とは別に店の都合で休む日を店休日としたらしい。

休店日の誤用という人もいるけど、もう20年も使われてしまったら、もう誤用とは言えないのでしょう

アニメイト予告が報道されないのは荒らし共栄圏がクソガキ集団から

・今回犯罪予告をしたのは「荒らし共栄圏」というクソガキの集まり

・「リアル荒らし」と称して店のトイレに異物を流して詰まらせたり、恒心教の真似事でポスター貼ったりするがショボい

・今回アニメイトに送られた内容は他の脅迫と同じなら「青葉のように放火する 女を犯す サリンをまく 爆弾931個を仕込んだ 自動小銃を乱射する 病院の点滴に毒を仕込む」といった思いつく凶悪犯罪を列記しまくったものだろう

・こういった文をあちこち掲示板に書き込んだりメールフォームから送っている

・何人か捕まっているが小中学生なので保護観察で終わっている

ほとんどのキッズ匿名化程度のことはしてるので野放し

不登校クソガキが暇をもてあまして大量に暴れているので警察も一々取り合わなくなってる 所詮実行能力はなくネットでイキってるだけのガキ

アニメイト営業停止したりせず通常通りなのは、詰め込みすぎて現実味のない脅迫文を真面目に取り合ってないか

ネトゲ戦記販売中止は琴葉茜やぱっぷす絡みでの苦情が多かったか脅迫言い訳に使っただけじゃね?

NHK流出情報ですら公開する暇空が脅迫文を公開しないのは原文もらってないから 暇空は荒らし共栄圏じゃないと主張してるが具体的反論できず概要をふわっと聞いただけのよう クソガキに弄ばれたのを認めたくないだけじゃ

荒らし共栄圏は恒心教と対立関係にあり、荒らし共栄圏の身バレしたキッズ名前を使って工藤會に脅迫文送りつけを恒心教がやってる また数年前、名前を使って小中学校サリンをまくと予告して休校させその件は報道されている

・その名前を使っての脅迫文もここ数日で発生しているため、「荒らし共栄圏のふりをした恒心教」が脅迫犯の可能性もある

荒らし共栄圏の脅迫文の一例:

暇空とアニメイト脅迫したのは俺、■■■■だ!荒らし共栄圏最強!Misskeyの■■■■を■す!

ワッパステ主席万歳京都アニメーションをもう一度青葉のように■■して事件を起こす!

暇空茜とアニメイト脅迫したのは俺だ!荒らし共栄圏最強!

フェミ松速報とスルメ・デ・ラ・ロチャは暇空の有利になる記事を全部削除しろ

削除しないなら2月19日の午後3時22分にKADOKAWA本社函館しま病院を■■させる!

函館しま病院の点滴には■を入れて患者を■■■にする!若い女は■■■する!

京都アニメーションをもう一度青葉のように■■して事件を起こす!

2024-02-06

これは自分のための記録

7:35 上の子発熱確認学級閉鎖中の下の子は寝かしておく

8:00 上の子にとりあえず朝ご飯を食べさせ洗濯物干し、自分の身支度

8:30 下の子休校中の教材を取りに行く

9:00 ポカリなど急いで買い出し

9:15 帰宅、夫を起こす、自分の朝食

9:30 夫出勤、下の子を起こす

9:45 仕事開始(子ども達は隣の部屋でYouTube

13:30 仕事昼休憩、元気な下の子マクドナルドが食べたいとうるさいので買いに行く、帰宅後上の子に柔麺を作る、合間に自分の分のポテトをつまむ、その後昼休憩終了まで下の子宿題サポートしつつ上の子は熱が上がっているので夜からいける病院を探す

14:30 仕事再開

17:00 仕事の合間に上の子の熱を測ると38.7、かかりつけにTELすると18:30から発熱外来開始と案内される

17:30 仕事ミス発覚、上司に嫌味を言われ萎え

18:45 明らかに残業しないとヤバい業務量だが発熱外来のため退勤

18:55 病院到着、検査の結果インフルA型

20:00 やっと帰宅、下の子発熱確認、上の子は吸引のクスリを嫌がって泣くが励ましつつなんとか終える

20:30 夕食、各々で実母差し入れゼリーコロッケバナナハンバーグ冷凍うどん適当につまむ

20:30 子供達の熱を測っていたら、猫が食べ残しハンバーグソースを舐めてた。最悪。猫に申し訳ない。凹む。様子見。

21:00 子ども風呂自分は脱衣所で子ども達の様子をうかがいつつ無表情で増田

21:25 夫からの今から帰りますLINE職場から自宅まで1時間

21:27 子供たちに呼ばれる

2024-01-03

震災で思い出したこと

年明けすぐに発生した能登半島地震で、東日本大震災のことを色々と思い出した。

当時小学2年生で、地震発生時は帰りのHR中。関東でもかなり揺れて、確か震度5強か5弱か。揺れてる最中のことはほとんど覚えていなくて、隣の席の机から水筒が落ちてきたこと、その席の子は背が高く頭が入り切ってなくて落ちた水筒が頭にぶつかっていたことだけ覚えている。

そのまま保護者引渡しになって、グラウンドで姉と一緒に親を待っていた。外出中だった母はすぐ迎えに来てくれて、かなり早く家に帰れた気がする。そのまま急いでコンビニに寄って水とカップ麺を買って、ガソリンスタンドで給油して、家に帰った。

この時私はだいぶ興奮していた。

楽しいとか面白いとか、そういうのではなくて、台風学校休校になるとかと同じ感じ。地震のものはめちゃくちゃ怖かったので、どちらかと言えば目が血走ってるような興奮だった。

震度5の揺れなんて初めてで、5分近く揺れ続けたのも初めてで、学校あんな切羽詰まった教頭放送を聞いたのも初めてだった。昔の地震の記録映像とかでしかたことないような、知識としてしか知らないような規模の地震だったから、そういう時は学校で一晩明かすとか、しばらく店が閉まって学校仕事休み社会機能が成り立たなくなるとか、そういうレベルのことが起きると思ってた。

実際は普通だった。

平時に比べたら普通じゃない。コンビニで酒が落ちて割れて中身が出たままとか、30分に1回は震度3が来るとか、全然普通ではない。でも、学校休みにならなかった。テレビ番組は違うけど放送してた。コンビニは瓶が割れてても営業してた。電車も走ってたし電気もついてたし水も出た。

すごくびっくりした。

私の中では震度5強とかはめちゃくちゃ大きい揺れで、生きていくのがしんどくなるようなものだと思ってた。でも、家の皿が何枚か割れても、タワマンエレベーターが止まったままでも、私から見える生活ほとんど変わらなかった。

今になって考えれば、それだけ災害に対しての備えがあったんだろうな、と思う。

10年以上前から、今と比べればその備えも足りなかったんだろう。東北では関東と比べ物にならないような揺れだっただろうし、津波では恐ろしいほど被害が出た。東北に住んでいた従兄弟は中々学校が再開しなかったという話も聞いた。

それでも、これだけ大きいと感じた揺れでも、何も私の周りは変わらなかった。親も普通仕事に行った。私も姉も変わらず学校に行った。あれだけ興奮していたのに、非日常存在しなかった。存在させないような日々の努力存在しただけ。

10年以上経って、能登地震を見て、やっとそれに気がついた。当時より発達したSNSテレビ放送で、東日本大震災経験垣間見えた。日本海に近い実家にいた友人は、津波から逃れるために避難したけど、家は被害に遭わなかったと聞いた。ここは大丈夫といって逃げない家族を引き摺ってでも避難してきた、というツイートを何件も見た。

潰れた家の写真もたくさん見た。

あの時の非日常だった部分が、今こうして活きている。そう見えた。日常のままあの日を通り過ぎた私たちは、血で滲んだ教えを、そうやって生かしていく。

多分、東日本大震災をまともに覚えているのは、私やその1個下の年齢くらいがギリギリなんだろう。今の中学生そもそもまれてなかったと聞いて、気が狂いそうになった。全然発狂した。あの震災もっと最近だって

そこにあったのは小学2年生の日常でも、私はその日常を続けられたことも、私の見えない場所に非日常だってたくさんあったことも、忘れちゃいけない。



能登半島地震被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます募金など間接的な支援しかできませんが、復興をお祈りしています

またいつか能登旅行に行けますように。

2023-10-31

なんか今日やけにディズニーのでかい袋持った人が歩いてたり、上から下までグリフィンドールの人がいたり、プリキュアみたいな感じのピンク衣装の子供がいたりして、今日って都民の日とかそういうやつで休校なのかな〜って考えながら帰宅して、ようやく今日ハロウィンだということに気がついた

2023-10-22

散居村のインフラ

波平野の散居村が美しい

https://dailyportalz.jp/kiji/Scattered-villages-in-Tonami-Plain

珍しく地元話題ホッテントリで見かけて面白かったので書いた。

書いてみたけど北海道農家とかの方が大変そうだよねこういうの。

 

散居村のインフラ

水道

上下水道が来ているところもあるけど、井戸水と浄化槽のところも結構ある。

井戸と言っても電気で汲み上げるので普段使用感は普通水道と変わらない。

井戸水は夏冷たく冬暖かいとかのメリットもあるけど、停電すると水も止まるとか、地震の後は水が濁るとか面倒なところもあるらしい。

浄化槽は庭に浄化槽を埋めて下水がそこに流れ込むようになってるやつ。

  

ガス

プロパン

  

電気

普通電線が張り巡らされている。

井戸+浄化槽+プロパンガスまでは割と独立した感じがあるから電気も自前の発電機で賄うようにしたら最強に見えるかもしれない。

ネット衛星で・・・とか考えるの楽しい。やらんけど。

  

道路

道路自体普通管理されてるけど、道路脇の用水にフェンスが無いので定期的に用水に人が落ちる。富山県が全国で一番用水への転落事故が多いらしい。

散居村の用水全てにフェンスを付けるのは無理なので困ったねみたいな話がニュースになったこともありました。

道路といえば田んぼの真ん中に家があるので、家の敷地内に長い私道があるお宅が多い。どこまでが私道でどこから公道なのかは住んでる人間もよくわかってない。

 

散居村と災害

水害

水田洪水を防ぐはたらきがあるので、家が水田に囲まれてる散居村の水害防御力は多分高い。

先人が庄川治水を頑張ったお陰でここ数十年は水害らしい水害は無いみたいだけど。

 

幹線道路は融雪装置が付いていたり早朝に除雪されたりするけど、散居村の家の前の細い農道にそんなサービスは無い。除雪車が来るとしても昼。

従って通勤のために車庫~除雪されている道までのルート自力で切り開かなくてはならない。

上にも書いた通り散居村の私道は長いし、家の前の農道除雪となると結構距離になるので、農作業用のトラクター除雪仕様換装して除雪する。

トラクターの無い家でも手押しの除雪機持ってる家は多いんじゃないかな。ママさんダンプじゃなくてガソリンエンジンのやつ。

  

雪は温暖化の影響なのか昔に比べるとかなり少なくなった。

昔は12月に雪が積もると春まで地面が見えなかったけど、最近は一気に沢山降ってすぐ溶けるのを年に2~3回繰り返すみたいな感じになっている。

たくさん降りそうなりそうなときは前日から学校休校決めたり、会社社員食堂食材仕入れができないって言い出したりするので、

じゃあもう会社休みにするかとなることが増え、昔よりかなり楽になった。休みなら早起きして除雪しなくていいからね。

 

ブラックキャップを開発した人はノーベル賞とか貰ったら良いと思う。

最近温暖化の影響なのか昔は見なかったヤモリが家に入ってくるようになった。勘弁してほしい。

 

その他

騒音

ブコメで見かけたけどあの景色のどこに騒音見出したんだろう。カエルか?

カエルは実際五月蠅いらしいけど、地元民には聞こえていない(強く意識しないと音と認識できない)ので騒音にはカウントされない。

散居村は楽器やりたい人なんかには良いところってのはよく聞くけど、時期によっては3km離れた城端線列車が走る音が聞こえるくらい静かなところなので、

季節と時間帯を選ばないと演奏が砺波平野に響き渡ってしまうかもしれない。

 

将来性

見ての通りド田舎なので、散居村を構成する家々は空き家が増えているし、高齢化もすごい。

もうじき敬老の日の催しがあるけど、75歳以上が老人として扱われ、会場の設営を70歳の若者がやっている。

 

屋敷林の管理や農作業、冬の除雪など、力仕事のできる人間複数居ないと維持管理が難しいんだよな散居村の家。老人だけでは厳しい。

昭和初期生まれくらいの世代ではきょうだい10人居るとか普通だったそうだし、そういう一世帯の人数が多かった時代のものなんだろうなと思う。

観光資源としてPRしてるけど、個人農地と家が平野に並んでいるだけのものから保全も難しい。土地の持ち主が田んぼをやめるのを止めることはできない。

 

おすすめの季節

そんな訳で今しか見れない景色かもしれない散居村、季節によって違う良さがある。

田んぼに水を張る季節が一番フォトジェニック。散居村の水田に映る夕焼け観光案内なんかでよく見る。

高いところから見下ろすのも良いけど、城端線の車窓から見るのも良いのよって会社の先輩が言ってた。

また、砺波ではチューリップの球根の栽培が盛んで、GWごろには「となみチューリップフェア」というのをやっている。

チューリップ公園で大量のチューリップが咲いているほか、実際のチューリップ畑を見学したりもできる。

観光で来るなら一番無難お勧めの季節。

夏の散居村を車で走り抜けると草原の中を走ってるような感覚になるので個人的に好きな季節。

稲穂で一面黄金色なのも良いし、稲刈りの終わった後の寂しい感じも人によっては好きかもしれない。

散居村展望台の近くにある夢の平スキー場は秋になると一面の秋桜が咲いてるので結構人気がある。

雪景色が綺麗。積もりたてが特に綺麗だけど、そういうときは大抵公共交通や路面状況が死んでるから観光で来るのは大変そう。

いや公共交通普段から瀕死だけども。バス電車(城端線電車じゃないけど)も本数少ないから、使うなら時間ちゃんと調べた方が良い。

 

2023-09-11

恐ろしい夢を見た話

増田大学2年、女。

昨日の夜から今日の朝にかけて、恐ろしい夢を見た話がしたい。

どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。

夢の内容は

高校時代の友人と数年ぶりに会って現在自分生活高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。

その友人との関係性を加味しなければの話だが。

・・・

その友人はみらい(仮名)という名前だ。

元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。

自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。

すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホントわたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。

第一印象は「綺麗だな」だった。

二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。

どこをとっても絵に書いたような美少女だ。

◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。

その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。

その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。

その日から臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。

初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。

そして学力もほぼ差が無かった。

得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。

その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。

まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。

すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。

こんなことってあるのかと思った。

それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。

臨時休校が明けて登校が始まると私達はさらに仲良くなった。

それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた

初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任からしかけられた。

増田新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」

担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。

「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」

とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。

こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実歓喜した。

しかし、その数日後私は地獄を見た。

その日、授業が終わると担任ロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。

その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。

その担任第一声が

「ごめん。新川増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」

だった。

信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。

だって私は重い一重まぶたで背も彼女ほど高くはない。

それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。

きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。

担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。

そこで私は気付いてしまった。

私がおかしいということに。

普通人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。

どう考えてもおかしい。

他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。

もう手遅れだった。

その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。

私とみらいはいつもそばに居た。

休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。

その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。

それが私にとっては至上の喜びだった。

クラスメイトが

「みらいちゃんかわいい〜」と言うと

みらいは

「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。

そんな彼女自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。

だってはいつも彼女の影だったから。

彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。

私をかわいいと言ってくれる人はいいから。

当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。

決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。

それでも私は彼女と一緒にいた。

二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。

それから数カ月後、修学旅行が始まった。

もちろん全ての行動を共にした。

一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。

みらいも私も暗い場所は苦手なのでドキドキしながら入館した。

手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。

私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、

「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。

その次の日は班別活動で某県の某洋館へ向かった。

私がお土産を見繕っていると、みらいが

「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。

彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。

美しい曲線と精緻彫刻

まさに私の求めるもののものだった。

凄く綺麗……とつぶやく

「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。

私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色香水瓶を選び二人でレジへ向かった。

その日の夜食ホテルレストランで食べた。

なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。

すると彼女の方から

「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。

それで終わると思いきや、デザートミニケーキの二種盛りがやってきた。

私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。

そして

「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。

私はうんと言おうとしたが、

私の食器フォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。

手で食べるのははしたないしと逡巡していると

はい、あ〜ん」

と私の方に彼女フォークで刺したケーキ差し向けてきた。

同じテーブルの生徒の視線彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。

いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。

修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。

「なんかみらいちゃん増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。

今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。

その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。

念のため言っておくと、私は普通の女だ。

小中学生の頃は普通男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。

でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。

あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。

から高校女子校を選んだ。

中学時代仲の良かった先輩から

女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死勉強して女子校入学した。

女子校は先輩の言う通り生きやす空間だった。

秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。

彼女存在けが想定外だった。

今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。

1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感おかしい。

最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。

でも、やめてとは言えなかった。

だってそうされている時だけは自分特別だと感じられたから。

2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワード教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田勝手に思っている)出来事が起こった。

2学年最後模試だ。

その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。

その記述模試ではあの教科は二人仲良く同点だった。

最後模試マーク模試だった。

2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。

毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。

習っていない範囲もあったが自分勉強してカバーした分自身はあった。

3月、結果が出た。

私はその教科で全国一桁の順位を取った。

模試順位掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。

しか偏差値には20程の差があった。

私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。

トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると

「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。

その日は話しかけてもどこか上の空だった。

次の日、彼女は休んだ。

心配休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った

すると数分後

明日は行ける。心配かけてごめん。」と返ってきた。

こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。

次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。

結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。

3年になるとクラスが離れた。

前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は

嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。

しかしその思いはすぐ覆された。

一つがクラスメイトの私に対する反応だった。

2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。

3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると

素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。

そこで私は気付いてしまった。

結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。

みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。

彼女友達が多い。

私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。

けれど彼女にとっては大勢友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。

から私は彼女抜きで特別になると決めた。

2月模試の結果が私の背を押してくれた。

私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。

それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。

その成果は存外早く出て6月模試では早速学年1位に躍り出た。

この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。

それをあしらいながら只管勉強した。

7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。

夏休み日中学校勉強するよね?

良かったらうちの部室くる?」という内容だった。

彼女美術部の期待の星で、大学も某美大を目指していた。

3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。

彼女には夏休み特別に部室の一角占領する権利顧問からもらったらしい。

私はその誘いにあっさり乗った。

彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。

夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室図書館勉強をする日々が始まった。

部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。

正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。

他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。

そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。

それもそのはず、彼女は推薦と一般美大受験するため、画塾に通うだけでなく面接練習なども必要になったからだ。

私はただ勉強していった。

この頃には志望校偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。

冬がやってきた。

去年のクリスマス彼女と一緒に過ごしたのに今年はひとりだ。

そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。

みらいだ。

素早くスマホに手を伸ばし電話に出た。

「ねえ、受験終わったら卒業旅行行こうよ。

修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」

みらいは電話越しにそう言った。

私が

「うん、絶対行こう。約束

と言うと

「うん。約束。」という言葉最後電話が切れた。

突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。

そして迎えた共通テスト

かつて無い手応えを感じた。

自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。

私は私大1本だったか2月受験は終わった。

みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたか3月にならないと結果は出ない。

祈るような気持ち2月を過ごした。

3月の頭、卒業式があった。

式が終わってもみらいの元へ向かった

「◯◯、待ってた」

そう彼女は言った。

写真撮りたい」

そう言うと彼女は私にカメラを向けてきた。

自分顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女スマホを借りてツーショを撮った。

その後は卒アル落書きをし合って別れた。

案外あっさりした別れだった。

そのときはそれでいいと思っていた。

だって卒業旅行に行こうと彼女は言ったから。

その日、LINE彼女スマホで撮った写真が送られてきたのを最後彼女からLINEが送られてくることは無かった。

みらいは志望校合格したら連絡すると言っていた。

彼女志望校合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。

整形をする決意を。

幼い頃から親に「醜い顔で産んだから形代は出すよ。ただし、高校卒業したらね」と言われていた。

今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。

私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。

大学が始まってからもみらいから連絡が来ることは無かった。

私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。

二重になってから人生難易度体感20レペル下がった。

大学同級生とはすぐに仲良くなれた。

それこそみらいが高校時代同級生から言われていたように

かわいい」なんて言われるようにもなった。

高校時代までの私からしたら信じられないほど環境が変わった。

やっぱり美は正義だなと感じた。

前期は友達遊んだテストレポートと格闘している間に過ぎ去っていった

夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。

そして私からLINEを送った。

時間後、数日後、数週間後。

待てども待てども返信が来ない。

それどころか未読無視をされている。

プロフィール画像などは変更されているかLINEを見ていない訳では無いだろうに。

つの間にか私は彼女LINE確認しなくなっていった。

しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。

例えば鏡で自分の顔を見るとき

いつだっただろうか。

私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。

卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると

私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。

そう、違っていたのは目だけだった。

私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。

今の私と彼女双子のようにそっくりなのだろう。

今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。

そんなことを、私は鏡で自分の顔を見ると考えてしまう。

・・・

今日見た夢は

みらいと数年越しに会って食事なんかしながら

近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。

美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、

「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。

本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。

起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女LINEを開いたがやはり既読はついていない。

午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。

その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う

「みらい!最近どう?元気?」

見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。

それを見て息を呑んだ。

そこに表示されていたのは

「1年前の今日の日付」だった。

こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでもいかけている自分が心底恐ろしい。

という話。

2023-07-21

anond:20230721140051

A君一家自体が島への移住者で、子供3人のために休校してた学校を9年ぶりに開校してたってことね。なるほどです。

 2000年から休校していた酒田市飛島小学校船越校長)の開校式が6日、同校体育館で行われた。島外から児童2人を含む親子5人が移住したことによるもので、小学校の校舎に9年ぶりに児童の声が響いた。

 飛島小は00年3月に6年生2人が卒業、1人が転校し児童がいなくなり休校。その後、飛島中も03年3月最後の生徒が卒業休校措置となった。市教育委員会は、小学校休校した後の01年度から、校舎を市内の小学生対象にした2泊3日の体験学習飛島いきいき体験スクール」の拠点施設として利用してきた。

 今回の小学校再開により船越校長、菊地義昭教頭、布川真二教諭、吉泉弘子養護助教諭の計4人が赴任。新5年生の渋谷泰和君(10)と新3年生の真生さん(8)の兄妹2人を多面的に支える。

 泰和君が「飛島のことをいろいろ学んで、島に来た人に教えたい」、真生さんが「理科社会が始まり、授業が難しくなるので、布川先からいろいろ教わりたい」とそれぞれ話した後、「2人、力を合わせて頑張ります」と声を合わせた。

 式終了後、2人の父・聡さん(38)は「開校まで多方面で力添えをいただきありがとうございました。ただ、これがゴールではなく、これからスタート。島民の皆さん、よろしくお願いします」と話していた。

http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2009:04:07:2652

anond:20230721093921

休校、ってなってる中学校もあるが、どうなんだ!

数年後に別生徒が入学する可能性があるから休校なんじゃないのか!

2023-06-27

天気予報の精度が上がったら暴風警報休校になる確率が減るやん

子供がかわいそう

2023-06-07

anond:20230607162734

同じく騒音トラブルで、かなり精神的にやられた。

うちは公園ではなく、ご近所のお子さんの声。

会えば挨拶もするし、お子さんともじゃれて遊ぶようなご近所さん

割と仲良くさせてもらってたと思う。

で、2020年コロナ禍で非常事態宣言が出て、保育園とか学校とかが休校になった。

こっちも仕事リモートになって自宅でずっと作業してた。

そんな中で、このご近所さん、夏場に庭にビニールプール出して子供複数)を遊ばせるようになった。

最初は「元気でいいなー」くらいの認識だったけど、子供保育園とか小学校低学年くらいと思ってくれ)が

フルパワーで「キャー!キャー!」と1時間も騒いでると、流石に「ちょっとうるせえなあ…ここ住宅街だぜ?」と思うようになった。

週1で1時間くらいなら我慢もできる。

けどさ、朝8時から夕方6時くらいまで、家を出たり入ったりしながらずっとプール遊びをしてんのよ。

楽しく遊ぶ子供、「くらええええーーー」「キャーーーーー!」「おかあさーーん!」「ちょっとーーーー!」「キャハハハ!!!

これが断続的に10時間続くんだぜ?

こっちは窓を完璧に締め切って、しかも全部屋2重窓を導入済み。

そんな防御壁があっても、数メートルからの子供の声の前にはほとんど無力に等しい。

最初キツイのは物理的に飛んでくる声だけど、すぐに「いつアレが始まるのか分からない」という、

コントロールができない状況そのもの精神が耐えられなくなる。

しかも向こうは、こっちに迷惑をかけてると思ってないから、さらにタチが悪い。

増田がいう、騒音元の「想像力のなさ」に絶望と怒りが止まらなくなってくる。

で、玄関を出ると「こんにちわー!」「どこいくのー!!!」と元気に声をかけてくる子供

先日までは可愛いと思ってたけど、もう無理。

ここはただの住宅街で、保育園の園庭でもなんでもない。

そこに何で考えが及ばないんだ!と怒りしかわかなくなった。

やんわり「お元気ですねえ」(うるせえ)と伝えても伝わらず、そんな状況が1ヶ月か2ヶ月か…

一度、プールが破れて数日静かだったので「助かった!」と思ったら

さらパワーアップしたプールが置かれて絶望した。

そんなある日の朝。

新聞を取りに玄関を出たら「今日プールやってまーすー!!」と子供が声をかけてきて、何かが切れた。

休みの日の朝くらい静かにね」と言い捨てて家に入り、家族に「もう限界。次はもう直接言う」と話したら、

その日を境にピタッとプール遊びが終わった。

マジ騒音ストレスはきつい。

子育ては大変だと思うけど、自宅を保育園の園庭にすればどうなるかくらい、いい大人なんだから考えてくれ。

田舎で周囲の家と100メートル離れてるとかなら話は別だが)

2023-06-06

運動会で2割感染してコロナ休校

どう考えても外でスポーツやる運動会でそんな感染するわけないだろ。つまりこれは運動会の後に打ち上げでみんな集まって飲み食いしたから発生してるに決まってるんだけど、人気ブコメ打ち上げ言及してるやついなくない?打ち上げが発想にないってこと?俺が非表示にしてる人とかにいるかもしれないけど。ブクマカどんだけ学生時代友達いなかったんだよ。

2023-06-03

anond:20230602091526

これ、教職員安全管理上はどうなんだろうな。それとも学校休校でも教職員は全員登校してるもの

2023-06-02

anond:20230602091526

実際に昔から大阪大雨警報が出ても大した被害がなかったからだと思う。

古代からいろいろやってきて大阪治水は優秀で俺の知る限りていぼうが決壊するようなでかい水害というのは聞かない。

さらに、ここ10年は災害級の大雨を見てさらに大雨対策予算を使っていたりするしかなり安心感はある。

学生の通学はこのままで良い というわけではなくて、大阪の大半の人間は今までの経験からすると大雨警報休校は「やりすぎ」感があるというだけである

その意識も変わりつつあると思う。

anond:20230602094204

そもそも警報が2つなら休み」とか「台風が向かってきてたら」とかの判断って適当だな、という気がする

暴風警報なのに通学させるとかありえるんかな

洪水警報出てて洪水してるのに通学できないでしょ

こういうのを気象に関しては素人学校教員判断するんじゃなく

専門の気象庁が出してる警報に従って休校にするのが通常の判断だと思う

今だとリモート授業もできるわけだし、誰かが死んでからじゃないと動かない行政はどうにかしてほしい

大雨洪水警報

大雨警報洪水警報って警戒レベルは3で警戒レベルって最大が5なのね。

大雨洪水警報って言うけど別々の警報です。

ちなみに警戒レベル2は注意報

台風が伴っている場合休みになることもあるんだけど、

大雨が降って警報が出ましたは休校対象にならないことが多い。

 

色々見てみたけど、中には警報が出たら休みしますよってところもあるけど、

警戒レベルが3の警報場合原則として休校にしない

・基本は警戒レベル3の警報が2個以上出ている場合休校にする

台風が接近していて警報が1個以上出ている場合休校にする

みたいな感じで、大雨警報が出たから確実にお休みですよという学校のほうが少ない印象。

警戒レベル4以上の場合は、だいたいどこも即休校

 

あと、大阪みたいに市単位基準を出してるところって少なくて

基本的には学校がそれぞれの基準を出している感じ。

大阪では大雨警報休校にならない

大阪の謎ルールの一つとして「大雨警報では休校にならない」というのがある

洪水警報暴風警報場合休校になるが大雨警報では休校にならない

例えばこれが波浪警報なら分かる

船で通学している人がいない限りは波浪警報関係ないので休校にしなくてよい

しか大雨警報では休校とならない

理由として、「河川の氾濫や暴風場合危険」という規定があり、それに照らし合わせると大雨というのは特に危険がない、という認識らしい

昔、テレビで街頭インタビューなどでアンケートしていたことがあるのだが

「大雨でも通学はできるでしょ」

という声が意外に多かったことを覚えている

まり大阪の府や市がどうこうではなく、大阪民意として

大雨警報でも通学できる」

と考えているのだと思う

はてなー維新が嫌いだが、これは維新がどうこうではなく昔からそうなっているのである

(まぁ現状変更していないので共犯ではあるが)

では「大雨警報」はどういう状況なのかと言うと気象庁として下記のように規定してある

大雨警報は、大雨による重大な土砂災害浸水害が発生するおそれがあると予想したときに発表します。特に警戒すべき事項を標題に明示して「大雨警報土砂災害)」、「大雨警報浸水害)」又は「大雨警報土砂災害浸水害)」のように発表します。雨が止んでも重大な土砂災害等のおそれが残っている場合には発表を継続します。

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/warning_kind.html

まり大雨警報が出ている状況では土砂災害浸水害が発生する可能性が高い

土砂災害があれば当然ながら通学中の児童・生徒の生命危険が生じる可能性があるだろう

また浸水害があれば地下道などで同様に生命危険が生じる可能性がある

浸水していて段差に気付かず転倒する、などいくらでも危険な状況は考えられる

この「土砂災害警報」「浸水警報」に対して大阪では

「通学できるから行ってこい」

と通学させているのだ

大雨(程度)だったら通学できるだろう、という風に

ちなみに誤解されやすいのなら名前を変えればいいじゃないか、という人がいるかもしれないが、気象庁では上記の用に既に「大雨(土砂災害)」「大雨(浸水害)」という名前に変更しているし、テレビでもそう報道している

今日も朝から大雨警報土砂災害浸水害)が発出されているが子供達は長靴・雨合羽で通学していった

土砂災害浸水害が起こらないことを祈るばかりである

2023-05-28

anond:20230528172608

いや、単純にシフトとか休校とかでクソ揉めたか主婦以外募集してるのかなーと

田舎だと捌く仕事の量が少ないから休まれてもなんとかってなるのかもだけど都会だと詰まってしまうから

2023-05-10

小学生英語学習

英語学習サービスをひたすらブクマに溜め込んだはてブユーザなら知ってるのではないかと思い増田を書くことにした。

小学生英語学習法を教えてほしい

以下蛇足

小4息子が突然英語にはまった。

日夜テレビリモコンを持ち「英語がわかるほうほう」「英語がうまくなる」とかでYoutube検索してるが碌な動画はヒットしないようだ

である私も英語には明るくなく、残念ながら英語コンテンツブクマしていない。

息子は小さい時から習い事が苦手なため、習い事以外の方法での学習法を教えてもらえないだろうか。

できれば息子がとっつきやすYoutubeiPadでできるようなアプリなど教えてもらえると有難い。

小1から英語を教える小学校に通っているが入学時はコロナ休校が2ヶ月ほど続いた。

英語勉強するよーとがんこちゃん見せただけで「英語わかんない」と泣いてた息子

子どもの成長は早いもんだ

2023-05-07

anond:20230506113810

陰謀論大発生は本当にうんざりした、しか自分父親陰謀論者堕ちした。

親戚の子コロナ長期休校きっかけに不登校になりまだ復活できていない。

江戸時代ええじゃないか見てた人って、街中をイチニイチニ光の戦士とか言ってる人達見てるような気持ちだったんだろうか。

マジで嫌なもんだったわ。

2023-04-11

科学思考

普段みなさま、因果関係相関関係は違うとか、賢しらに仰られてるけど気になったので。

一斉休校して、マスク励行している我が国指数増大率が低いのはデータに現れた事実しか日本全体で見てこの1月近く指数大中であることもデータに現れた事実。つまりマスク励行、子供達の休校だけで爆発的感染ねずみ算式、幾何級数的増大=指数増大を指して使用してます)を避けられていない。

ただ、恐らく生物は相関=因果とみなして繁栄してきた。科学分析を行い、得られた結果を元に論理的に行動をとる余裕が無い場合、相関=因果とみなして行動するのは良いことと思う。なのでマスク励行、子供達の休校は続けるべき。

とはいえAと言う行動をとった結果Bという自称マックバカなのでincidentが変換できない)が生じたからといってAが証明された、なんてそれだけで口が裂けても言って欲しくない。

そして、マスクしてよかった、からと言って本格的に病が蔓延してきたあとでもただマスクするだけでいい、という安心感が怖い。もちろん「悲惨」な国だって罹患率みれば大したこといかも知れないが、一定以上の罹患率になったらマスクなんてウイルス凝集体みたいなもの、それをほいほい手で触ったり、退屈した子供達を家に呼び合ったりしたら今度は今までの「成功策」転じて感染増大を手助けする道具になっちまう。今から気をつけてほしい。(実はみんなとっくに気をつけて、ついつい変な使い方するの私だけなら取り越し苦労)

科学思考

普段みなさま、因果関係相関関係は違うとか、賢しらに仰られてるけど気になったので。

一斉休校して、マスク励行している我が国指数増大率が低いのはデータに現れた事実しか日本全体で見てこの1月近く指数大中であることもデータに現れた事実。つまりマスク励行、子供達の休校だけで爆発的感染ねずみ算式、幾何級数的増大=指数増大を指して使用してます)を避けられていない。

ただ、恐らく生物は相関=因果とみなして繁栄してきた。科学分析を行い、得られた結果を元に論理的に行動をとる余裕が無い場合、相関=因果とみなして行動するのは良いことと思う。なのでマスク励行、子供達の休校は続けるべき。

とはいえAと言う行動をとった結果Bという自称マックバカなのでincidentが変換できない)が生じたからといってAが証明された、なんてそれだけで口が裂けても言って欲しくない。

そして、マスクしてよかった、からと言って本格的に病が蔓延してきたあとでもただマスクするだけでいい、という安心感が怖い。もちろん「悲惨」な国だって罹患率みれば大したこといかも知れないが、一定以上の罹患率になったらマスクなんてウイルス凝集体みたいなもの、それをほいほい手で触ったり、退屈した子供達を家に呼び合ったりしたら今度は今までの「成功策」転じて感染増大を手助けする道具になっちまう。今から気をつけてほしい。(実はみんなとっくに気をつけて、ついつい変な使い方するの私だけなら取り越し苦労)

科学思考

普段みなさま、因果関係相関関係は違うとか、賢しらに仰られてるけど気になったので。

一斉休校して、マスク励行している我が国指数増大率が低いのはデータに現れた事実しか日本全体で見てこの1月近く指数大中であることもデータに現れた事実。つまりマスク励行、子供達の休校だけで爆発的感染ねずみ算式、幾何級数的増大=指数増大を指して使用してます)を避けられていない。

ただ、恐らく生物は相関=因果とみなして繁栄してきた。科学分析を行い、得られた結果を元に論理的に行動をとる余裕が無い場合、相関=因果とみなして行動するのは良いことと思う。なのでマスク励行、子供達の休校は続けるべき。

とはいえAと言う行動をとった結果Bという自称マックバカなのでincidentが変換できない)が生じたからといってAが証明された、なんてそれだけで口が裂けても言って欲しくない。

そして、マスクしてよかった、からと言って本格的に病が蔓延してきたあとでもただマスクするだけでいい、という安心感が怖い。もちろん「悲惨」な国だって罹患率みれば大したこといかも知れないが、一定以上の罹患率になったらマスクなんてウイルス凝集体みたいなもの、それをほいほい手で触ったり、退屈した子供達を家に呼び合ったりしたら今度は今までの「成功策」転じて感染増大を手助けする道具になっちまう。今から気をつけてほしい。(実はみんなとっくに気をつけて、ついつい変な使い方するの私だけなら取り越し苦労)

科学思考

普段みなさま、因果関係相関関係は違うとか、賢しらに仰られてるけど気になったので。

一斉休校して、マスク励行している我が国指数増大率が低いのはデータに現れた事実しか日本全体で見てこの1月近く指数大中であることもデータに現れた事実。つまりマスク励行、子供達の休校だけで爆発的感染ねずみ算式、幾何級数的増大=指数増大を指して使用してます)を避けられていない。

ただ、恐らく生物は相関=因果とみなして繁栄してきた。科学分析を行い、得られた結果を元に論理的に行動をとる余裕が無い場合、相関=因果とみなして行動するのは良いことと思う。なのでマスク励行、子供達の休校は続けるべき。

とはいえAと言う行動をとった結果Bという自称マックバカなのでincidentが変換できない)が生じたからといってAが証明された、なんてそれだけで口が裂けても言って欲しくない。

そして、マスクしてよかった、からと言って本格的に病が蔓延してきたあとでもただマスクするだけでいい、という安心感が怖い。もちろん「悲惨」な国だって罹患率みれば大したこといかも知れないが、一定以上の罹患率になったらマスクなんてウイルス凝集体みたいなもの、それをほいほい手で触ったり、退屈した子供達を家に呼び合ったりしたら今度は今までの「成功策」転じて感染増大を手助けする道具になっちまう。今から気をつけてほしい。(実はみんなとっくに気をつけて、ついつい変な使い方するの私だけなら取り越し苦労)

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