はてなキーワード: 主義主張とは
共同親権と言った元々リベラル寄りの女性が敏感になる問題に対して、感情的な意見や活動が目立って議論が成り立たないのはまぁそんなものかなと思う。いつもの女性仕草だからね。
しかし、何かにつけて理性に基づいた議論で妥協点を探るべきと主張しがちなオタクネトウヨ寄りの男性が、こと生成AIの話になると、クソみたいなお気持ちパブコメを連投したり、生成AIのみ著作権の非親告罪化とかのぶっ飛んだ話を持ち出して来たりして、それに対して少しでも異を唱える人は議論の余地がない敵認定をして叩きのめしているのを見ると、主義主張の一貫性ーーーーーーーーーーーーーーーーってなる。
政府を敵と設定し、力を合わせて悪政に立ち向かおうって言う反政府活動は、中毒性の高い薬物のようなものなのかなと最近思う。一度、その快楽を覚えてしまったらもうやめられないんだろうね。そこには性別や常日頃の主義主張による差なんてのはないのかも知れない。
でも議席を持ってる政権与党が積極的に推進する事案に対して、絶対反対、議論も拒否、議論に参加する奴も敵って態度を取ってれば与党案がそのまま通るサポートにしかならないことはもうちょっと考えようよ。
「陰謀論と大差ないことを本気にするバカで愚かなんだけど、多少の常識はあるから自分たちはまともで普通というスタンスを守りたい」
的な
「なにかグループとかいいだす暇空先生にもなれなし、暇空先生に賛同してるのにその責任を取らされるのは嫌だというどうしようもない卑怯で無責任で反省もしないゴミカスみたいな人々」
ってのが世の中結構いるんだなぁと感じる。
なにかグループとか認知プロファイリングとかいって、他人がアップした写真勝手に収集し「こいつの嫁は妄想。根拠は俺の妄想」ってノリでレッテル貼り動画作って銭を稼ぐっていう暇空先生は個人的には賛同しないし批判されて当然、むしろ少しでも信じる奴がどうかしてるってスタンスなんだけど、あの人一応腐っても
ってことはしてるんだよ。
それに対して
「なんか俺が嫌いなやつを攻撃してるぞ」
「みんなと一緒に吊し上げたいわ」
みたいな薄っぺらいその場のノリで暇空先生の他人への攻撃に賛同する奴が多いこと
その癖なのかだからなのか、暇空先生がなにかグループとか言い出すと手のひらクルーとして
「私は云々云々。関係ないです。そこは支持してません」
と中身がない薄っぺらい言い訳でさっさと離れて、まももに反省もせず私はまともな人間です批判されるいわれはありませんみたいな顔しはじめる人間が多いこと多いこと。
まぁインターネットでは日常的な光景なんだろうけど、こういう奴等が反省せず次の暇空が見つかると無責任に応援して増長させ他人に迷惑をかけるんだろうなと思うとこうなんか辛い
私は国民民主は一部の有権者を除いて、存在を認識されてすらいない空気政党で、人気商売である政治屋において存在を認識されていないと言うのは、最高の無能の証拠なので、主義主張に関係なく、貴重な自民批判票を分散させない為に消滅した方がいい政党だと思っている。
しかし、Xで見ると国民民主の代表である玉木のフォロワー数が37万人に対し、立憲民主の代表である泉は4.4万人のフォロワーしかいない。野党第一党の立憲民主の代表である泉は、空気政党である国民民主の玉木以上の空気、もはや虚無ですらある。
Xでの投稿を見ても当たり障りのない活動報告に終始しており、自民党の不祥事を党をあげて追求していくと言う決意表明すらしていない。これじゃ、どれだけ自民党の不祥事が明らかになっても、立憲民主に政治を託そうと思う有権者は増えないだろう。
独立独歩の野党としてやっていく気も能力もないなら、志井院政の支配下に入って、共産党の別動鉄砲玉として生きる方がまだマシだろう。泉のようなやる気がない党首を掲げているようじゃ、日本の政治の未来は暗い。
在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ
「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代のおっさんの自分語り。
地方私立大学の理系に入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学の文系学部に転学し、言語学を学んだ。
良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学の就職は壊滅的に悪かった。同じ学部の卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。
これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部の新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区のマスコミの二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業からの内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区の企業を受けるという発想が無かったり、都市部の学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。
就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。
閑話休題。大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学の大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。
そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス『資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。
別の教員からは「国立大学の学生は私立大学の学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値があなたの研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。
ある日、大学院の師から「研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。
大学院時代の就職活動の結果、インフラ関係の会社からと、その旧帝大の事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料は月並みでも図書館等の設備があって都市部にアクセスしやすい後者を選んだ。学部時代の経験で、地方より都市部の方が学問しやすそうな気がしていた。
アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベルの大学に教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学で語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育や研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運だからだ。私には、そこまでの熱意はなかった。
大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論、経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義や社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。
仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。
ここ数年どの上司との1on1でも大体上司の語りの時間になってるなー、と感じている。
個人的に人の主義主張自分語り大好きなので時間いっぱい聞いてしまってそれはそれで楽しいんだけど、多分本来吸い上げるべきこっちの意見や相談や苦情みたいなものは伝わらずに終わってるなぁと思う。
1on1難しい。
……と、思っていたんだけど、最近のことを思い返すに「その要望は分かる。自分もそうなるのが理想(※長時間語り)だと思っているが、こういう事情(※長時間語り)でできない」を言われてるだけなんじゃないかと今増田書いてて薄々気づいてきた。
つまり『できない理由』を並べて「だから黙ってろ」と言われているだけなのでは、という。
なので意見も相談も苦情も基本的には全却下(上司的には丁寧な説明による説得)されてて、いつだって伝わってないなぁと感じるのは実際そうな気がしてきた。
問題は私側に説得された認識が全くなくて(やりたくなかろうとも理想に向かおうとしてはいると思ってた)、ちょくちょく蒸し返すから、上司としては「こんだけ説明したのにまだ言う???」みたいになってそうなことだろうか。