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2017-09-19

南朝鮮は北に吸収され、日本ひとりが狙われる可能

米国北朝鮮には攻めない。トランプ承知の助か、共産党勢力とのグルが牛耳っているかはともかく、トランプと金ビッグマウス合戦のうち、北が核装備を完了させそう。

南朝鮮は、文の主導で(表面的には米と連携しているふりをして)北に吸収合併

この時点までは戦乱なし。

そしてのこった日本が、中国からいろいろ難題をつけられて、挙句在日米軍とともに中国と戦わされる。

ところで、過去米軍は、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、勝てたのにわざと負けた。

朝鮮戦争では、マッカーサー半島をほぼ制圧していたのに、とどめをさすことを米本から中止させられて、38度線まで押し戻されて休戦。

ベトナム戦争では、戦っている最中米国からソ連に、トラックそのほか兵站で使えるような物資を「人道」支援(これらは馬淵氏の本で知った)

今回も米は戦うふりをして徐々に逃げるかもしれない。

今回も安倍氏がハメられ踊らされてか、本人もグルなのかわからないが、日本国戦争の主当事者に巻き込まれて、戦争屋・闇銀行屋に盛大に儲けさせられる可能性がある。

大手マスメディアが一番あてにならないだろう。

ひとつ言えることは、どうせ世の中はどうにかかわっていくのだから、悔いぬよう今できることは今、十分満喫することだろう。縁ある人・友との交歓も、行きたかった場所平和なうち訪れることも。

あとは、国内のいろんな分野の人でも外国居住の人とでも、日本人でも外交人でも、民間同士で親しんでおくことかな。ネット上のつきあいでも構わないと思う、メディアなんかより本当の情報が案外手に入るかも。

余力があれば、多方面の、右・左どちらからも、本や後援会などからこつこつ情報収集することかな。スカっと即効性を求めてテレビなんか見ていることが、結局は自分が一番苦しむことになると思う。連中の番組なんぞみていたら、乾いた喉に塩水を飲ませられるがごとくだ。

2017-09-17

anond:20130828023256

あなたのすべきことは3つある

・1、文明の本当の姿を知ること:学歴職業要求しつつ、意味のない活動人生を浪費させるのは誰なのか

・2、ヒトの本来の姿を知ること:文明社会が生まれる以前の暮らし方をしていたとき、ヒトはどれほど恵まれていたのかを知る

・3、心(セイレイ)の声を聞くこと:自分の本当の気持ちがわかるまでは、マスメディア教育から距離をおく

2017-09-16

政治への言説おかしくね

政治への言説、つまりはまあ話題になってる政治の動きへの賛否

おかしくね。

もう全部おかしいと思っているのに、ネット(私の活動範囲が主にネットなので)を中心に偶に見るテレビでも同じく偶に見る新聞でも誰も言わない。

けど名も無き一般市民普通にブログツイッターで書いてもまあ意味がまじで無い。

少しでも人の目に留まる可能性があるならと思って、ここで書かせてもらおうと思った。

はじめに。

私は自民党支持者ではないし、だけども他の野党の支持者でもない。

まあ支持政党無しっていうのが言い方としては正しいんだろうと思う。ぴんときてないけど。

「こいつ自民党安倍さん)に大してケチでも付ける気か」とか思ってるならもう読まない方が良い。

意味無いし、時間無駄だし。ここでは自民党にも野党にもケチをつけるので。

====

さっき書いた通り、基本的ネット上の意見を見ることが最も多いのでそこからの話になるのだけど、今のネットの中でわざわざ政治について声をあげようなんて思っている奴(の中でも声がでかい奴)は大体このどっちかに分類される。

自民アンチ

自民支持者

まあ大体このどっちか。野党特定シンパなんてほとんどいないし、いても大体その仲間内だけで完結するからその発言は私のところまで滅多に届かない。


それらを見てると、自民アンチが訳の分からんことを言うから支持者が反撃してるって感じなのかね。大体。

正直、私は安倍総理のことはかなり嫌いなのだけど、そんなことを全部放り投げて意味不明しか言いようのない発言をする奴が自民アンチには結構いる。

いや、そういう奴は笑いものにされて目につきやすいかだってのは分かるけど。

そんで、一見まともそうに見える顔して(私からすれば)意味不明なことを言い返す自民支持者。

もうどっちもどっち馬鹿なこと言ってるのに自民支持者の方は結構持ち上げられてるんだよな。

頭のおかしアンチを吊るし上げてるから賛否されやすいのか?


前置きが長いとうざいから、そろそろ本題に入る。

そもそも色々な問題があってその都度騒いでるけど、何が悪かったのかちゃんと考えてるか、と。

これはもう自民だの民進だのに限らず、お偉いさんが関わる事業はなんでもこれだ。最近の話なら五輪とか豊洲とか。


時期的に一番近しいし話題にもなったか加計のあれこれの話を例に出そう。

これが話題になってそれなりに知名度高くなって、野党積極的にこの件をぶっ叩こうと必死こき始めた頃になると、ネットでもこれについてあれこれ色々言い出す人が出てくるようになった。

野党揚げ足取り」とか「こんな問題で他の問題を審議する時間を減らすな」って話はまあ良いとして(揚げ足取り事実だし、他に優先すべき話があるというのは個々に思うところがあるだろうし)、「いや、加計別に問題のあるものじゃなかったろ」とか、「で、何が『違法』なの?」とか言い出す奴が出てきた。

で、ネットに踊らされたい人たちは本気なのか遊んでるのか分からないけどRTして「民進の方がよっぽどクソだったろ」とか言い始める。


 ちょっとだけ話が逸れるけど、強行採決の時に似たことが起こってる。

 自民強行採決をする→ネット上でも怒る人出てくる→「民進時代なんてこんなに強行採決やってるからな」って言い出すよく分からん奴が出てくる、の流れ。

 いや言いたいことは分かるよ? でも強行採決がクソって話をしてるのになんで回数だして正当化した気になってんのか分からん

 まあこんな風に話題逸らしてるのか何なのか分からんというだけの話。


私は法律に詳しい訳じゃないのでそれが違法かどうかなんてのは分からないし、そんな話をする気はない。

というか何が違法なのって言ってる連中は本当に法に触れてなければそれでいいと思って言ってるのか?

あの加計問題で一番問題だったのは何かと言ったら、それはやっぱり安倍さんがお友達の話にGOサインだしてお金出すよーって話を成立させちゃったことなんだよ。

そこは認めようよ。

もし本当に獣医学部新設は必要もので、どうしても今やるべきこと、重要ことなだって言うのならそれはそれでやり方はあった。後述。



でもこの件に関して安倍さんの行動はもう間違いだらけだ。

総理大臣というのが国の政治トップであるということは、それはつまり総理大臣という立場は誰よりも信頼される立場であるべきだということだ。

疑われるようなことはしてはいけないし、そうならないよう細心の注意を払わなくてはならない。

この件は、(もしも手続きに一切問題が無かったとして)ご友人から話があったなら、それはもう、まず断るべき話だった。

「私とあなたは友人だから、私はあなたのその提案お金を出すという決定を下すわけにはいかない」と言わなければならない。

李下に冠を正さず。

瓜田にて靴を直さず。

もう昔も昔から言われていることだ。

「そんな無体な」なんて思う人もいるかもしれないが、これは仕方が無い部分だ。

 分かりやすそうな例を出そう。多分分かりやすい。

 最近多いソシャゲに「〇〇記念に抽選で1名様に豪華なプレゼント!」なんて企画がある。

 抽選の結果、そのプレゼント先がその企業職員だったらどう思うか。

 「うわ、そういうことするのかよ」と思うのがおそらくは大多数になるし、そこで「本当に抽選の結果なんです」と言われて「ああそうだったのね、じゃあしょうがいか」なんて思う人が少ないことは想像に難くない。


 もう一歩踏み込んで考えよう。

 あなたがその企業の長で、その抽選自分が当たってしまったりしたならどう指示するか。

 「流石にねーわ、もう一回抽選して」となるのが正常ではないのか。

 何故「正規手続きでおこなった抽選にもかかわらず再度することになるのか」と言ったら、それは「顧客の信頼を損なわない為」である

 とにかく、「うちは絶対にそういういかさまはやらんよ」ということを信じてもらうためには疑わしい事をしないのが正解だ。



それをやっておいて、「正しい手続きだった」「問題は無かった」などと言っているのは全くの的外れだし(そもそもその行動自体が間違いだったのに何を言うのか)、それに対しての批判が「友人だから贔屓したんじゃねーの」とか「本当に正しい手続きだったのか」とかばかりなのはまじで意味が分からない。野党が「そもそも友達の案を受けるな、政治家は信頼されるべき立場なんだ」って言わないのはあれか、お前らもやってるからかと言いたくもなる。あ、もしかしてマスメディアも同じか……?


もしもやるなら。もうやらない方が良いのは自明だし普通にそうしろって話なんだけど、場合によってはそうはいかないってこともある。

急がなきゃいけないとかね。

だったらまずは相手方代表を代わってもらう。

友人ではないよと。例えばだよ。別にこうしたら大丈夫という話ではない。

もっと言うなら、それを許可する前に広めろ。

野党もいるところでしっかりと宣言すればいい。

「友人が関わっているけどこれだけ書類まとめてもらって許可を出す正当性があると思ってる。反論があるならどーぞ」ってな感じで。

そこで認められりゃ代表親友だろうがなんだろうが関係無い。

(正直、野党だって馬鹿ではない(バカに見えるしバカなんだろうと思うことは多々あるけど、バカから目指す目的をはき違えてるだけで目的に対しては忠実だ。学部の新設にこんな噛みついたって大して自民への支持に影響がないことくらいすぐに分かる)からそこでの審議が馬鹿みたいに長引いたりはしないだろう。)


……とすれば良かったのに蓋を開けてみれば総理はあれを言っただの言わないだの、書類があるとか偽造だとか。

与党野党的外れだ。何言ってんの。

この件を総括してしまえば、安倍総理は「不正を疑われることなんて馬鹿でも分かる案件を実行した挙句、自らの潔白を証明できるものを用意してなかった」という滅茶苦茶なことになる。

違法かどうか、とかその辺は別にして、「安倍さんはまずいことをやっちまった」。

これは認めようよ。その上でどうするべきだったのか、これからどうすんのか処理していこうよ。

これはそういう問題だろう。


安倍総理は潔白、とか安倍総理はとても優秀、とかネットでは溢れかえっているけれど、とてもそうとは言えない。

もうがっつりとしたグレーだし、政治家という立場上そんなグレーでは黒と同じで駄目なのだから

まあ、最も無能なのはこんな当たり前の話を引っ張ってこれない野党か。

ろくなのがいないな、ほんと。


他の問題についても色々言いたいことだらけなんだけど、長くなってしまうからこの辺で締めよう。

ただこんな風に、色々何かあるたびにあーだこーだと「賛否両論」があるけれど、もう全然的外れなこと言って騙されてない?という話。

他の件についても今後書くかもしれないけど、他の問題についてもこの記事を読んだ少数の人だけでも「ほんとにそこが問題なのか?」って思い直してみて欲しい。

……あんまりやるとほぼほぼ、どの問題も何でこんな時間かけてんのか意味からない加減が強くなってしんどいけれど。

とにかく、最後まで読んでくれてありがとう

この文章の内容に「いやそれはおかしいだろう」って思う人もいるだろうとは思うけど、とりあえず一回考え直してみるきっかけになったら幸い。



さいごに

政権について。

野党がとてもとてもとてもアレなので、政権については自民のままで良いかなぁというのが個人的感想

不満だらけでもあるがそれでも野党よりはまし。最悪かよ。

でも安倍さんはもう長いよ。長すぎ。

長いとやっぱり腐っていくし、安倍さんがそうでないとしても周りからダメになっていく。

少し前までいたひっどい大臣とかね。

自民党内で他の誰かに早く代わって欲しいのが個人的理想か。だめ?

P.S

否定的意見に関しては読んだ人に「なんだ、否定されてるしこの文章の方がダメなのか」と思われてしま可能性があるので、

内容がおかしければ否定していたんですが。ツイッターでよく見る「いつもの」って感じのばかりなので疲れました。

このエントリに関しては気が向くまでノータッチで行きますがもしこの文を読んで「なるほどね、一理あるよな」と思ってくれた方は、

できればご友人らともお話ししてみてください。

多くの人が考えることがとても大事なんです。勿論そのあと選挙に行くところまではセットですが。

少しでも、そういう人が増えていくことを祈っています

2017-09-11

散歩する侵略者」を見てきた。

設定に共通点があると言われた「美しい星」も、東出昌大関連で「寄生獣」も事前鑑賞済み。

上記作品も「散歩する侵略者」もなかなか面白いものであった。

話は打って変わるが今作鑑賞後からテレビでお馴染みのCMが気になって仕方ない。

それがこれだ。

「ここで、一緒に」もしも篇

大和ハウスグループ:

https://youtu.be/Y4xnGZgKN_I

深津絵里リリーフランキーシックで落ち着いた画調。

もうどれをとっても僕には宇宙人に体を乗っ取られた夫婦しか見えない。




服を見立てる冒頭のシーンや不器用ゴルフクラブスウィングするシーンは人間らしい振る舞いに苦戦する2人を表している。

同窓会の受付でハイタッチしてくる女性彼女のぎこちない表情から言い様のない違和を感じたことだろう。

旧友と談笑しているように見えてもその実、誰を仲間の宿主にするか品定めをしているだけであって目は笑っていない。

多分すでに何人かは乗っ取られている。

二次会舞台であるカラオケボックスがあのあと地獄絵図になったことは想像に難くない。

おそらく夫婦は各々違う星人に乗っ取られている。

そして互いに正体がバレてないと思っている。

僕が思うに夫が妻の動向を監視しているんだと思う。

書店ですれ違う黄色カーディガン女性や髭を剃ってあげていた理髪師は、夫と同じ星人で経過報告をしたり指示を仰いだりしていたのだろう。

しかスナックママは多分地球人だ。

カウンターを挟んで向かい合うのは「我々と対峙する決して相容れない存在」というメタファーなのだ

スナックママはふとした瞬間に彼が宇宙人であることに気がついてしまった。

そのためシガレットケース型記憶改竄機で脳内操作されたに違いない。

そして夫は妻の監視以外に、マスメディアを通し人間を徐々に洗脳するという任務を担っている。

そのために広告代理店に勤め、あるプロジェクト遂行しているのだ。

全ては順調に思えた。しかしある日妻が奇妙なことを問いかける。

「生まれ変わってもまた一緒にいるのかなぁ?」

へ?どういうことだ?何が言いたい?

夫は「難しいね」と笑って動揺を誤魔化そうとするが妻は追い打ちをかけてくる。

夫は半ば諦めたように「来世は犬になるかもしれないな」と言うが、観客にその意図はわからない。ここは原作者も明言は控えている部分。

(犬や猫に擬態している宇宙人もいるという設定はある)

とにかくこの応酬があってから妻に対する夫の監視は厳しくなり、とうとう監視区域から外れているスーパーにまで妻を追跡する。

自然スーパーへ現れた夫を見て全てに気づいた妻。

「その次はわかんねえよ」

夫はその言葉を残したのち、急所である肩を鋭く突かれて死ぬ





もはや僕にかかればダイワハウスの大きな屋根がそのままUFOになるような気すらしてならない。

2017-09-04

北朝鮮はすごい(と認めざるをえない部分もある)

北朝鮮根本において間違った国家ではあるとは思う。

もちろん好きではないし、早いところもっと普通の国」になってほしいと思っている。

だがそれを踏まえても今回、水爆まで開発したというそ根性はすごいと思った。

北朝鮮お笑い対象ではない。

歪んだ方向ではあるが、その努力は認めるべきじゃないかと思った。

やっぱりマグネチュード6の人工地震を起こしてしまうくらいの威力爆弾を作ったという実績は大きい。

これは一般社会でも同じだね。

積み上げてきた実績に勝るものはない。

どんなバックグラウンド人間であっても、最後は実績があれば認めざるを得ない。

自分も地道に努力を続けて、実績を積み上げていくしかないな、と思った次第)

北朝鮮の見る目も歪んでいるが、北朝鮮に対しては西側マスメディア上から目線扇情的物言いが多いのではないか

いったん先入観を捨てて、北朝鮮を対等な国家として、それが本当に求めていることをイデオロギー抜きで見定めないかぎり、いまの閉塞状況からは抜け出せないだろう。

2017-08-30

24時間テレビ嫌悪される理由

「皆頑張っている」という同調圧力が働くと、従わざるを得ない。

流行もそうだ。皆が流行りに乗っているから、始めなければならない。日本人はそういう自分だけ違う精神性を保つ事を嫌う。要するに、皆程々に適当に好きな事だけ頑張るのが良いよねという空気を常に背負っているのだ。

このムラ社会では、社会性ばかり重視され独立独歩が許されない構造になっている。

そういう意味では24時間テレビのような、所謂「辛い人が頑張っている」様子を放送する番組は、叩かれる要素をふんだんに含んでいる。その光景肯定してしまえば、社会で甘えている宙ぶらりんな状態自分を許して貰えなくなる。しかも、得てして努力とは日進月歩で必ず結実するとは限らない。ネット蔓延生存する民達は、その事実をよく理解している。努力し過ぎてしまったが為に、カーストの最底辺に追いやられる可能性すらある事。努力程度では、カーストはひっくり返せない事。

大体、24時間テレビ特集されるような「成果」など、自己満足に過ぎない。人間社会で生きる者が独断的に「こういう努力は善」と決め付けている。それは、マスメディア公共性からは程遠く、私が情報源に求めている物とも乖離している。容姿、才能、あらゆる面で「諦める」事を突き詰めてきた人間が何人もいる。そういう人達にとって、誰かの努力押し付けられる事は苦痛以外の何物でもないだろう。

戦争について考えようって言うが

俺らがそんなことする意味あんのかな?

国際情勢を決めるのは一国民でなく政治家だし

選挙するのはその辺の業務委託のためだし

戦争したくないって大体みんな思ってるはずだし

避難訓練とかならともかくさー

なんか俺らが細かいことまで考える必要ないよな

まあアホな定年退職者さんとか専業主婦とか

仕事しかすることのない可哀想な人たちの

ヒマ潰しとか視聴率のために時事問題ってのが

必要なんだろうけどさ(マジで可哀想だ)

そう考えたらニュースの99%はどうでもよくなるな

自分趣味関連でドル円くらいしか気にならん

どこで火事とか事故とか人殺しとか

誰がどこで何してスキャンダルとか

可愛いイヌネコ動画1%ほども価値がないよな

難しいことは税金搾り取ってる政治家がするし

俺らは楽するために選挙して税金払ってるわけだし

権力監視とか言われてもマスコミゴミクソだし

その選挙大勢を決めるのは前評判知名度

票田とかい言葉が生まれるくらいの裏工作だし

しょせん俺ひとりにはなーんにもできねーっと

ヒトラー動機はそりゃ正しいわ

俺には国がクソだから俺が変えてやろうなんて

そんな崇高な意志目的は考えられそうにない

時事問題マスメディアについて話す奴らは

途端に底が浅く見える理由がなんとなくわかった

全員自分人生を生きてないんだもんな

俺みたいにくだらんことでも趣味があって

自分人生楽しめるほうがよっぽどいいわ

結局のとこ中身のない暇な奴らが一番クソだな

そういう無能な働き者が日本をクソにする

けどすげえ有能たちがいい国作りをしてくれてる

おれはそこの恩恵に与れればいいんだわな

無能からインターネットテレビを取り上げろ

今日愚痴おわり

2017-08-23

女を差別してるのは強者男性達だ

俺は2ch嫌儲板に生息している20代ジャップオスだ

最近俺のホームである2ch嫌儲板にて、嫌儲蔓延る俺のような弱者男性を汚い言葉煽り立てる通称まんナイトフェミニストのふりをして女を擁護弱者男性攻撃するが、その実態は単なる逆貼り厨のま~ん(笑)が大好きな精子ジャップオス)とフェミま~ん(笑)が非常に多い

それは男女の対立を煽るスレを立てて論争の場を作り出すケンモメンにも責任はあるけど、やはり一番責任があるのはこいつらまんナイトフェミま~ん(笑)だろう

俺が思うに、小林ギリ子なんかをRTしてるTwitterフェミま~ん(笑)界隈やガールチャンネルのババま~ん(笑)、果てはここはてなに生息するリベラル気取りのフェミま~ん(笑)やまんナイト達は、対立軸の設定を間違っていると思うわけだ

俺達弱者男性は近年根底から問題提起されている制度的かつ文化的蔓延した男尊女卑を作り出した元凶ではない

その元凶24時間戦えますか?的マッチョイズムを是として昭和ジャップランド建設してきたジジイ共であって、俺達弱者男性はむしろそうしたジャップバブルの時代於いては、こうしたジジイ達にフィギュア萌え族等と蔑称を与えられ差別されてきたことは歴史証明しているではないか

直近の話題をあげるなら、あの牛乳石鹸CMだってそうだ

あのCM企画した奴は弱者男性なのか?

そいつ年収200万そこそこで毎日うどん食べてる俺達弱者男性の仲間だと思うか?

男尊女卑に関して言えばマスメディアの影響を無視しては語れないはずだが、マスメディアに勤めている人間年収200万そこそこで毎日うどんすすってるか?違うだろ?

あとホモソーシャルって言葉があるけどさ、ああい関係性が顕著に現れる集団って例えばラグビー部だったりサッカー部だったり所謂卓球バドミントンを陰のスポーツとした時に陽のスポーツに分類されるスポーツマン達が挙げられるわけだが、そいつらってかつてファギュア萌え族と侮蔑された俺達弱者男性の仲間なのか?違うだろ?

はっきり言うけど日本蔓延る「男尊女卑」を牽引してきたのは俺達弱者男性の対極に位置する、こうした強者男性達だろ

そんなの俺達弱者男性社会に大した影響力を有してないんだからちょっと考えれば当たり前の話なんだよ

俺達にはそんな社会全体の流れを作り上げるようなエネルギーはないんだよ

うどん一杯で得られるエネルギーには限界があるんだよ

ここまで読んだらもういい加減理解できただろ?

フェミま~ん(笑)やまんナイト共は俺達弱者男性を叩くのを今すぐ止めろ

もう社会になんの影響力も持たない弱者を虐めるのは止めろ

もっとこう体育会系のさぁ、女性性的に消費するのが日課ですみたいな広告代理店社員とか野球選手とかタレント俳優アイドルお笑い芸人とか秋元康とか責めるべき奴はいっぱいいるじゃん

そいつらを殲滅してこいよ

ばーか

追記

ジャップオスにやたら拘る奴がいるけど黒人自分のことニガーとか言うのと同じだろ

それはもうこっちの文化しか言いようがないっすわ

文句つけてる奴はもしかして自虐史観ガーとか言っちゃうタイプ同類

2017-08-09

勉強子どものうちに

 たまに「勉強よりも大切なことがある」という、大人子どもに望む幻想寝言マスメディアで流れていることがある。

しか大人は、子どもに対して、できる限り苦痛を感じないように助けながら、勉強を頑張れるように支えるべきだと思う。


 勉強ができない・苦手な子どもは、大人になったときに『効率的物事を処理する力』が身についていないため、

大人になってから自らの能力のなさを嘆き一念発起して勉強しようにも、何をするにも時間がかかり、

苦痛を感じて継続することが困難なため、何かを身につけることは並大抵のことではなくなってしまっている。


 娯楽に興じたり友達遊んだりすることは、能力を生かしてある程度の収入を確保できる人間になれれば

成人してからでもできる。


 「大人は金はあるけど遊ぶ時間が無い」とはよく聞く話だが、能力を生かしてある程度の収入を確保できる人間は、

能力を身につける過程で『効率的物事を処理する力』を身につけているので、そもそも何をやるにも要領がよく、

またそれを大して苦にすることもなくやってのけてうまく空き時間を作り出す。

2017-08-05

マスメディアのことをなぜマスコミと呼ぶのか理解できない

メディア媒介であり、情報発信者と受信者媒介して伝える手段で、

ひそひそ話からマスメディア新聞テレビラジオ雑誌など)にまでその範囲は及ぶ。


伝言ゲームの喩え通り、その間媒介者たちによって情報の取捨選択が起こり、あるいは補足が行われ(尾ひれをつけるなど)

情報は当初のものから乖離、変容していくものである。これが大前提である


その間の取捨選択、要するにふるいにかける作業言葉をかみ砕く作業なども当然のように想定しなければならないし、現実もそうである


これらの行為マスコミュニケーション行為と呼ぶのであって、

この略語であるマスコミ当事者には、情報発信から信者まで全員含まれる。


このふるいにかけたり、かみ砕いた表現をとったり、外国語翻訳したり、あるいは不要修飾語を多用したり、

悪意ある場合には尾ひれをつけたり、推測や願望をこっそり忍ばせたりする行為を、どのように呼ぶかは自由である


ある人は偏向というし、またある人は報道しない自由というし、さらに別の人は編集などと呼ぶかもしれない。




では、下ごしらえしていない食材調味料を置かれ、お好きに料理してくださいと言われたらどうだろうか。

いやここでも、食材調味料選択恣意性排除できないという人もいるだろう。



では、森に連れて行って、お好きなものを収穫して、ご自由料理してくださいと言われたどうだろうか。

いや、わたし魚介類が食べたい、森へ連れてくるなど偏向していると主張する方もあらわれるかもしれない。


閑話休題、たとえば海外ニュース恣意性排除するにはどうすべきか。

翻訳に頼らないことである自分で読むしかない。

また人間誰しも文章を書くときには修飾語や過度の強調表現をとりがちであることも論を俟たない。

修飾や強調によって表現が豊かになり、多くの文学作品が生まれたはずである

では、文学から様々なレトリック技術を取り去ったら、どうなるだろう。

無味乾燥ものばかりで辟易するであろう。

一方論説や演説ではどうだろうか。できる限り避けるべきであるが、やはり頼りたくなる、人間だもの

2017-07-31

コピペブログまとめサイトも「マスメディア

https://anond.hatelabo.jp/20170724223147

もはや、コピペブログも、まとめサイトマスメディアとして扱うべきだと思う。

通信社から配信を元に記事を作ることも、大手マスコミではよくあることだし、

本質的には似たようなもんだと思ってる。

既存マスメディアまとめサイトが決定的に異なる点は、まとめサイト独自取材を一切しないことだ。

2017-07-27

人の思想の醸成の話

ことインターネットでは、思想や支持する政治スタンスによって左から右のカラーリングを分け、しばしば自分と違うカラーリングの人をバッシングする様が観測できます

しかし、至極当然ながら、カラーリングでの敵味方のカテゴライズは非常に危険です。集団効果は、異を唱える人間がいないことから自体悪化させるため、お互いがお互いのイエスマンである関係は非常に不健全と言えるでしょう。

そして、バッシングする際に、相手バックグラウンド浅薄だと断定し、それ故の容赦のない罵倒をしている姿も散見されます

ネトウヨパヨクバカにするさまがまさにそれに当たるでしょう。

実際、ネトウヨ罵倒されても仕方ない、パヨクと罵られても仕方ない、そんなふうに思ってしまえる無茶苦茶な人もいますが、それはそれらの言葉が実際使われる頻度よりは遥かに希少なものです。

何故なら、呼称される側が、"その考えに至っても仕方がない"というシチュエーションが大半だからです。

例えば、私はここ六年ほどの韓国政府には一定猜疑心を抱いていますので、韓国政府おかしいと思うことは多々あります

原発に関する強い否定をする方々にも少々距離を置きたくて、放射能を過度に怖がる事がかえって福島の方々を苦しめている様は正視に耐えないものがあります

一方、組織犯罪処罰法の改正案の際は常に政府への不信感があり、ろくに修正されずに可決したことは心の底から落胆しました。急すぎだろあれ。

また、辻元清美と埋め立て作業員関係に関しては、私は完全にデマ判断しています

しかし、人によっては私の韓国原発への言及ネトウヨ認定するかもしれませんし、組織犯罪処罰法改正案の話や辻元清美言及ではパヨク認定するかもしれません。

しかし、それって結局、自分が信じるスタンスと違うからってラベリングして叩いてるだけじゃないですか。それこそ浅はかじゃないですか。

人がその発言をするまでには、前提として知っている情報があって、それは見たテレビチャンネル、読んだ新聞等によって変わってきますよね。

また、どんな知識を今まで培ってきたかによって、情報の受け止め方、咀嚼の仕方は違います

それらの一人一人の違いは、たった一つのイシューの違いでネトウヨだのパヨクだので判断できるものでは到底無く、物凄い幅のあるグラデーションなのです。

さっき韓国政府の話をしましたが、日本から見ると無茶苦茶に見える政府対応も、国の文化制度理解すると、なるほどと合点のいく場合も少なくありません。

ゲーム理論に基づけば、条件さえ揃えば多くの人は同じ行動を選択します。だから、何も不思議なことではないのです。自分の殻に入ったまま批判をしても仕方がないのです。

であれば、自分スタンスの違う人間が何故そんな発言をするのか、考えに至るのか、そこに至るまでの流れを、相手浅薄さと断定せず、何か理由があるのでは、と考えてみて欲しいのです。

原発放射能問題は、シーベルトベクレルと言った単位が、どの値からどれくらいの健康被害が出るのか未だにはっきり断言できず、かつ政府への不信感も合わさることでとにかく怖がっている様子が見て取れ、自民党エネルギーベストミックスと位置づけ原発廃止をする様子がないことから、恐怖感を持っている人はとても強いアレルギーを抱く様子が想像できます

それらの人の人生に、原爆スリーマイル島、福竜丸、チェルノブイリと言った深刻な事故記憶が深く刻まれているなら、尚の事です。

テロ等準備罪と言われる組織犯罪処罰法改正案も、政府立法事実にしてることが全部薄弱な根拠であることに目はつぶるとして、完璧事件を未然に防ぐには、NSAのような事前の操作能力プライバシーを侵しかねないほどの大きさで必要なのも、理解はできます

辻元清美一見も、生コン会社との献金の話は本当でしたし、籠池夫人メール修正求められてそれにメディアが応じたのも、メディア不信の人間からすると、極めて辻元清美に有利に動いたよう映るのもよく分かります。また、訂正報道をしたのも、TBSラジオであり、TBS過去石原慎太郎発言事実と違う形にテロップをつけて放送したことがあるため、信用に値しない、と判断する人もいたことでしょう。

考えはわかる、理解はできてる。

それでも、違うものは違うときもあるのですよ。でもそれは、発言者ネトウヨからでもパヨクからでもない。前提にする知識がまちがっていたり、あるいは不足しているから、事実に即していない発言になるのです。

韓国政府は、バックグラウンド法制度、政治ルールを把握すれば、行動は理解できますが、それが国際法外交の態度として適切かどうかの指摘や非難は、妥当範囲でされて然るべきです。

原発を過度に恐れるのと福島への偏見もつのは、感情論が先行している側面は否定できないでしょう。地域の測定データは常に掲載されており、農産物問題がないと断定できます健康被害は今後も観測必要はいえ、今のところ現れていません。

恐らくリスクがあるだろうと推定できるので怖がるのと、リスクゼロじゃないから怖がるのとでは、随分違うじゃないですか。この場合後者の怖がり方をしているように見えるわけで、その場合、この世に絶対がない以上、安心は得られないって事になります。それは極論だとしても、大丈夫であろうってデータが出ているのですから、それを無視して原発を恐れるあまり福島を過度に恐れるのは、差別につながるってリスクを知って頂くことで、大丈夫であろうってデータ真摯に受け止めて欲しいです。

組織犯罪処罰法改正案も、政府説明する立法事実根拠薄弱である以上、仮に荒れる議題だとしても、プライバシー犯罪抑止議論はしっかりとするべきだったはずで、その点政府は本当に不誠実であったと言わざるを得ません。

辻元清美の一件も、何故籠池夫人がその話を知っていたかという視点に当てると、メールを送ったタイミングのほぼ直前に、そう言った無根拠デマ松山昭彦氏らのブログに載る形でネットに出回っていた事を確認できる以上、それを見た夫人メールを送って、そのメールマスメディア掲載されていたであろうと言う流れを把握して、真偽を推し量ることが必要です。

もちろん、この四つの話題、私のこの書き口に批判があることでしょう。

しかし、批判されても全然いいんです。私は私の知り得る限りの情報から、これらの話の結論を持ってきました。違う結果が出たのなら、それは違う前提知識によるものです。その知識をもとに私を批判することは、私に新たな知識と知見を提示することであり、それは私にとってもとても望ましいことです。

真実の探求やより良い形を求める際、ディベートという討論方式が用いられます

これは、いわゆる言論喧嘩ではなく、それぞれの立場になって、立場をロールし、それぞれの立場知識を用いることで、より良い決断や探求を行うための会議話法なのです。

その観点から言えば、適切な言論批判は大歓迎なのです。

自分と違う意見人間がいたら、すぐに「あなたは間違っている」と言うのではなく、「何故そう思うのですか」と聞き、自分との違いを浮き彫りにしながら、相手立場なら自分はどう考えただろうと想像する。それだけで、随分言論平和になりませんか。

私の両親は共に政治思想リベラルですが、父の場合洋楽にハマってアメリカ文化に興味を持ち、その一環で公民権運動に感銘を受けた背景があります

母の場合、フォトジャーナル誌を出先の銀行で読んで衝撃を受け、以後反戦の思いが強まるとともに、中東問題に強い関心があるためであります

二人とも、共謀罪反対、自民党を快く思ってないって点では一致していますが、根っこに同じものが根ざしているわけでは、全然ないのです。それも、同じ時代を生き、長らく生活を共にしてきた夫婦であってさえ、です。

それだけ、一人一人、考えに至るまでの前提って違うと思うのです。

からネット上で自身と違う意見があっても、想像翼を広げて見てください。向こうにいるのは同じ人間です。必ずしもその人はあなたより劣っているのではなく、あなたと違う人生を送ってきただけなのです。

2017-07-24

サヨるのはホコリがないか

サヨるのはホコリが無いから。ネトサヨとか(「オルタナ左翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型

ホコリが無い、つまり尊厳自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力を引きずり落とさないと自己を保てないのである

近年は「中国共産党」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという組織がサヨサヨしている。北朝鮮ミサイルを発射したこととは相関関係はある。けれども、戦後の混乱期の頃から既に、少なからぬ人々が共産主義に傾いた。己の不安定から共産主義国家を指向した。

バブル崩壊から続く底なし不況経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする組織の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。

他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの組織は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳問題で支持している理解者はそう多くはない。だからギリシャでは共産主義者が横行し政権がサヨっている。ネトサヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。

社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトサヨっていうのは、ホコリが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説を垂れ流し、それを「表現の自由であると強弁する。

共産主義みたいに権威権力を独占する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「あかはた」とか「マルクス・レーニン主義」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴なんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己のホコリの無さを、ホコリをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。

共産主義、言い換えれば社会主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者押し付けられるシステムである簡単にいうと、共産主義というのはファシズムである共産主義かいうのは本質的に、ロシア革命から連綿とファシズム確立されてきたのであり、革命中だけの問題ではない。文化大革命ポルポト時代には、共産主義理屈が主に都市部に浸透させられていった。そうしないと統治体制治安)が保てなかったからだ。普通に虐殺が行われ、総括、見せしめスケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。

今も、文革時代文化を礼賛する言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。それこそ民主主義社会立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑

ホコリが無いから、ホコリホコリと盛んに言うのである自己にホコリが無いかサヨクのホコリとか言い、ホコリが無いか世界に認められる「箔」を欲しがり、革命革新だと言うようになる。そして多くの組織は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困比較的マシの連中は共産主義に懐く。

2017-07-23

ウヨるのは誇りが無いか

ウヨるのは誇りが無いから。ネトウヨとかalt-right(「オルタナ右翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型

誇りが無い、つまり尊厳自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力依存しないと自己を保てないのである

近年は「日本」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという企業がうようよしている。安倍政権が成立したこととは相関関係はある。けれども、東日本大震災の頃から既に、少なからぬ人々が国家主義に傾いた。己の不安定から国家という概念に懐こうとしていった。

バブル崩壊から続く底なし不況経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする企業の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。

他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの企業は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳問題で支持している理解者はそう多くはない。だからアメリカではalt-rightが横行し政権ウヨっている。ネトウヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。

マイノリティ社会的弱者)がプライドパレードとかやると、マジョリティ既得権益者層)から「俺もプライドパレードやる」とか言うバカが出てくる。なにがバカって、社会から既に尊厳を認められている奴にはアピールする意味は無いから。けど、やりたがる奴が必ず出てくる。なぜなら、そういう奴らは、誇りが無いから。

マイノリティは、誇りをもっているけれども、社会から迫害されているから、生きるためにアピールしないといけない。他方で、権威権力依存することで既得権益をもっている奴には、誇りが無いから、「俺にもアピールさせろ」となる。

社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトウヨalt-right)っていうのは、誇りが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説(ヘイトスピーチ)を垂れ流し、それを「表現の自由」(free of speechであると強弁する。

国家主義みたいに権威権力依存する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「富士山」とか「東京スカイツリー」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴はナカーマなんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己の誇りの無さを、誇りをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。

国家主義、言い換えれば封建主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者押し付けられるシステムである。そして、そういう構造によって統治が実現せられている。簡単にいうと、封建主義というのはファシズムである日本かいうのは本質的に、江戸時代から連綿とファシズム確立されてきたのであり、戦時中だけの問題ではない。江戸時代には、武家社会理屈が主に都市部に浸透させられていた。そうしないと統治体制治安)が保てなかったからだ。普通に虐刑が行われ、厳罰見せしめスケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。

今も、江戸時代文化を礼賛して日本古来の文化かいう言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。実際には古来の文化ではない。それこそ京文化立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑

誇りが無いから、誇り誇りと盛んに言うのである自己に誇りが無いか日本人の誇りとか言い、誇りが無いか世界に認められる「箔」を欲しがり、オリンピックだの世界遺産だの欲しがるようになる。そして多くの企業は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困比較的マシの連中は権威に懐く。

底辺までいって本気で死ぬところまで経験してみた人こそ、ガチになる。

2017-07-21

Twitterのクソオタク,そんなにTV局がおかしいと思うなら電話しろ

昨今,Twitter上では,マスメディアによる情報正当性について議論されることが多々ある.

最近だと,安倍総理が「選挙のためならばなんだってする」ということを言ったという切り取り報道がなされていたり,

外国で起きている暴動を一切シャットアウトして報道をしなかったり,

このような状況,確かにおかしいと思う.

しかし,それをTwitter上だけにしていないだろうか?

TwitterなどのSNSは,「見て見ぬふり」が出来るツールです.

どのような投稿がされていても,まったくと言っていいほどテレビ局は思慮のうちに入れません.

そりゃそうでしょ,意図的に「見ない」ということで情報シャットアウト出来るわけです.

じゃあなにすんのって言ったら電話

少し前,このようなことがあったの,覚えてますか?

http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/24/familymart_n_4657854.html

ファミマが,約20件ほどの苦情で,フォアグラ弁当発売中止にしたあれです.

たかだか20ちょっとだぞ?

話が極端になっていますが,「電話」というツールは,今の時代になっても有用ツールとなっている側面があります

ファミマ以外でも,昨今のクソつまらないTVPTAテレビ局へのクレームが巻き起こしているとも言われます

Twitterの画面の前でキレながらRTしているオタク,お前ら電話しろ電話

10000RTされてるんだろ?10人に一人が電話しても1000件のクレームだぜ?

世界かえられるんじゃないの?

中高生夏休みだろ?面白い番組見たいだろ?

電話しろ,クソオタクども」

お前らがTwitterで言ってたって,何にも変わらないの,TV局は見ても見ぬふりするの.

TV局の窓口は大体が電話窓口とか,インターネットフォームがある,

Twitterに書き込む暇があったら,そっちに書き込め.

2017-07-15

https://anond.hatelabo.jp/20170715095822

今まで何やってても安倍内閣批判はなかったのに、

今は何をやっても安倍批判

マスメディアが一斉にスタンスを変えるのが不自然すぎる。絶対キングメイカーいるだろ。

まり、あれだよな。マスメディアを一斉に誘導できるほどの資金力をもっている存在

もう、あれしかないよな。そんなもんなんだよ、日本社会なんて。

日本やばい

今まで何やってても安倍内閣批判はなかったのに、

今は何をやっても安倍批判

マスメディアが一斉にスタンスを変えるのが不自然すぎる。絶対キングメイカーいるだろ。

日本会議とかも全然マスコミでやんないし。

私には見える。もうすぐ安倍が何かを強行に決定した後おろされて麻生総理誕生することを。

2017-07-13

石破4条件と挙証責任の整理

高橋洋一霞ヶ関ウォッチ

総理意向」の正体 加計学園めぐる文科省の「言い訳

https://www.j-cast.com/2017/06/08300108.html?p=all

加計問題での"防衛線"「挙証責任」「議論終了」論の崩壊

http://www.huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/kake-academy-issue_b_17447858.html

とかで話題になってるところの論点を整理する。

(1)告示

そもそも国民には学問の自由があって、何らかの学問を修めるのを国が妨げてはならない。

仮に何らかの学部学生が大挙して押し寄せ、その資格を持つ人材が世に溢れてもそれは市場原理であり国が介入すべきではない。というのが今の政府の大筋の方向性

しか大学への補助金も財源が有限であり既得権益層も競争相手が増えることを望まない為か、文科省が「歯学部獣医学部船舶職員養成学部の新設申請を受け付けない」という告示を出している。(告示とは一般名詞だが、この件の議事録で登場する「告示」は暗黙のうちにこの新設却下告示の事を指している場合が割とある)

ここで暗に問題となっているのは、日本教育管轄を任されている立場であるに過ぎない文科省獣医師市場の需給バランス調整弁という市場介入をするのは越権行為であるという点だ。

(2)挙証責任その1

上で挙げた対立の内容に対して政府から文科省に対して「その新設却下告示合理的理由がないなら取り下げよ」と命じた。

これがよく言われる「挙証責任」であり、文科省はこの告示に付いてまさか「私が獣医師市場の需給バランスを調整したいという合理的理由があります」などと答えるわけにはいかない。

2015年6月8日国家戦略特区ワーキンググループ議事録によると

文科省牧野課長補佐は「関係者も納得するような、これは新しい構想だというようなものを具体的な需要の数までも示した上でお示しいただければ、こちらとしても一緒に検討していきたい(=獣医学科を新設する必要があるとあなたが立証できるなら検討する)」と言っている。

これに対しWGの原委員が「挙証責任がひっくり返っている」と評した

整理すると、文科省そもそも「新設を認めない正当性を立証せよ」と命じられている状態で「新設する正当性を立証してくれたら検討します」と反論した形になっているので「挙証責任がひっくり返っている」という表現がされた。

ここの問答が論点であり

文科省は結局「新設を認めない正当性」を立証できなかったので、そもそも条件を付けれる立場にない。よって「新設する正当性の立証」を求める事はできない。

文科省は「新設する正当性の立証」を求める事ができるので後続の閣議決定内容で立証に関わる条件を詰める必要がある。

のどちらの解釈を取るかが今回の件での論点の一つである

(3)閣議決定

2015年6月30日資料によると

1. 現在提案主体による既存獣医師養成でない構想が具体化し

2. ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり

3. かつ、既存大学学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師需要の動向も考慮しつつ

3. 全国的見地から本年度内に検討を行う。

という旨の閣議決定がなされた。これは(2)での「新設する正当性を立証」を求める際にその正当性根拠として何を求めるかという定義を行った形になっている。

これが世に言う「石破4条件」であり、獣医師会が石破さんに頼んで作らせたものであるというのは獣医師会が公開している資料からも分かる。

http://nichiju.lin.gr.jp/mag/06809/a2.pdf

『石破担当大臣相談をした結果,最終的に,「既存大学学部対応が困難な場合」という文言を入れていただきました』

これは獣医師会が行政を歪めていると言えなくもないが、そこの論点はさておくとしてここに続いて興味深い記述がある。

『ただし,今後もこの問題は尾を引いてくると思います.つまり日本最高権力者である内閣総理大臣が作れと言えばできてしまう仕組みになっておりますので,こういう文言無視して作ることは可能です.内閣がもしこれを行うのであれば私たち現在内閣に対して敵に回らざるを得ないのですが,獣医師会としては抵抗勢力にはなりたくない.抵抗勢力としてマスメディア等々で取り上げられ,獣医師会は抵抗勢力である,訳の分からないことを言っている団体だということになりますと,世論の風当たりは強いものになります.』

まり獣医師会はこの4条件に関する危うさを初めから認知しており、下手に抵抗すると世間を敵に回すものである自覚している。


(4)挙証責任その2

加計学園獣医学部新設の提案資料を提出(挙証)し、結果として認可が通ったので今治市での建設工事に着工して現在に至る。

ここにも論点があり

加計学園は4条件を正しく満たしている(感染症化学兵器などは既存大学対応できない)為、認可が通って当然である

加計学園は4条件を満たせていないので通らなかったが安倍行政を歪めたから認可が通った

の2つの立場でそれぞれ主張がある。

後者に関していうと、7/10の閉会中審査において前川平氏は「文部科学省として、そのワーキンググループで満たしていないという主張はしていることは、お読みになれば分かります」と主張しているが、ワーキンググループ議事録の残る資料を探っても

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/h28/shouchou/160916_gijiyoushi_2.pdf

ぐらいしか見当たらず、この議事録の中には前川氏の主張を裏付けるような記述は見当たらない。

実際に文科省が丁寧に4条件に基づいて却下たかどうかの真偽は別にして、医師会も認めるように特区は『日本最高権力者である内閣総理大臣が作れと言えばできてしまう仕組み』であるため4条件はそもそも無視する事が可能である

もちろん総理大臣としては穏便に済ませるため4条件に合致している上で認可を出すのが理想だろうが、わざわざ行政を歪めなくても仕組み上無視可能であるので何か別の要因で急かされてパスするという事はありうる。

民進党などは主にここを争点にして特区制度のもの批判するに至っている。

総理大臣合法的閣議決定無視して決定してしまえるならこの制度自体政府オモチャじゃないか」という論法であり、一定の理はあるように見える。

文科省内の対立等もあり、認可すべきだと考えた文科省内の人が例の「総理意向文書の中で「我々が抵抗しても総理Goサインを出したら仕組み上通るし、多分Goサイン出す(忖度)んだから大人しく従おう」と説得しておりそれが行政を歪めたとする主張に関しては当たっているところもある。総理自分責任で反対を押し切ってGoサインを出すか、文科省そもそも反対しないで進めるかで結果としては同じでも過程が異なるからだ。

実際安倍首相国民のご機嫌取りに必死なので「学ぶ権利」の最大化の方向へ進めようとするだろう事は「お友達」云々関係なくわかりきっている。

だがそもそも(2)にあるように『文科省が「新設を認めない正当性」を立証できない時点で、「新設の正当性が立証できるなら認める」という文科省側の反論無効であり(3)(4)はまるっと無意味である』という主張もそれなりに理はある。

国民の学ぶ権利」vs「獣医師会の抵抗」という構図で前者に正義がある以上は、決着は国民リテラシにかかっている。

国民の学ぶ権利」という題目を大上段に構えるなら、この対立はいずれ前者(政府)が勝って然るべきである

本来は需給バランスに国が介入するべきではないし、どうしても獣医師の需給バランスを調整したいなら学部入学ではなく国家試験合格ハードルを上げる事で獣医師の質も上がるし国民の学ぶ権利も阻害しないため合理的からだ。

今回の一件がどう決着するにせよ、仮に政権交代が起きようと「国民権利を広げる」という方向で同じ議論が繰り返されるだろう事は想像に難くない(市場原理に任せる原則小泉政権の頃から変わらない)。

論点階層構造になっているので整理すると

(2)文科省学部新設却下告示正当性を…

├─立証できないか加計学園獣医学部新設を認めるべき ← 安倍内閣の落ち度なし

└─(3)立証する義務はなく、逆に4条件に照らし合わせて認めるか否かを判断する権利があり、加計学園は4条件を満たして…

  ├─いるか現在開学に向けて建設である ← 安倍内閣の落ち度なし

  └─いないにも関わらず認可が通ってしまった。安倍内閣は直接何もしていないがどのみち安倍内閣は認可を押し通すだろうという忖度によって文科省は認可を通してしまった ← 安倍内閣によって行政が歪められた(?)

となる。

2017-07-11

オタクフェミニストは誰と戦っているのか。

 このところ永劫回帰のようにエロ表現における争いが繰り返され、オタクフェミニストラグナロク永遠につづくかのようにおもえる。


 これだけやりあっていれば普通はたしょうなりとも相互理解というものが生まれものであるけれども、それはリアルな論戦の話なのであって、不特定多数不特定多数に対してやたらめっぽうに機関銃を撃ちまくるインターネット塹壕戦ではただ人が死ぬだけであり、平和条約は結ばれず、ただ人が死ぬだけであり、憎しみは連鎖し、ただ人が死ぬだけである


 わたしたちは第一次世界大戦を生きている。

 毎日がソンムの戦いだ。



 オタクフェミニストそもそも互いに互いを認識しているのだろうか?

 フェミニストが「えっちなのは子どもによくない」と言い、オタク宮崎勤池田小のやつとエドゲインを足してニで割ったような怪物として罵る。

 オタクは「表現規制をするな」と言い、フェミニスト権力によって表現の自由を、人間尊厳を奪うヒトラーの再来として恐懼する。


 彼らにはそれぞれ「何」が見えているのだろうか。

 彼らがそれぞれ想像する「敵」とは誰なのだろうか。


 オタクにはトラウマがある。

 悪書追放運動である

 1950年代PTAが中心となって展開されたマンガに対するバッシング運動だ。

 暴力的表現子どもの情操に悪そうな表現はこどもに見せるべきでない、というスローガンのもとに当時芽吹きつつあった劇画手塚治虫などを中心として爛熟しつつあったマンガ文化に打撃を与えた。

 これによってオタクたちはDNAレベルで、「(残酷だったり過激だったりする)マンガを『わるいもの』として非難するのは保守派ファシストのおばさんたち」という了解が植え付けられたのだ。


 なぜ戦争を二十年で忘れることのできた民族が六十年前の、教科書にも載っていない出来事記憶しているのかといえば、それは語り部が優秀だったからだ。

 悪書追放やり玉にあがった漫画家たちはのちに大御所となって「漫画文化立役者」として官民両方から賞賛される身分を獲得しても、悲惨迫害を忘れなかった。

 彼らはそのとき体験エッセイ漫画にしたり、ことあるごとにマンガネタに織り込んだ。

 そういうものを読んだ後進の世代は「今は平和マンガ享受できている国なのに、過去にはこんな悲惨なできごとがあったんだ!」とショックを受け、苦難の記憶継承し、そのうち漫画家となった人々は「マンガ表現を悪と呼ぶわからずやな大人」たちを戯画化して描き続けた。先人たちを見舞った悲劇を繰り返してはならない。そう彼らは叫び続けた。

 悪書追放運動記憶継承は、歴史上のあらゆるトラウマ継承運動のなかでも最も成功した部類に入る。それはオタクが長らく被差別民だった(と少なくとも自分たちでは認識していた)せいもあるだろう。

 そういうわけで、マンガ守護者たちの末裔たちは今でも各所に見ることができる。ちょっと前にもあったよね。ほら、『マンホール』描いた人の……なんだっけ、なんとか都市ってやつ。


 さて、戦争から七十年も経てば、各国家における仮想敵も大きく変わるものだ。アメリカWWIIでは影の薄かった中東を主戦場とするようになって久しいし、そのアメリカとかつて世界を二分したソ連は国ごと崩壊してしまった。

 だがオタクたちはずっと敵は「既存道徳にしばりつけられた保守的道徳的なガミガミおばさん」のままだと思い込んでいる。自分たちの敵はヒトラーである叫び続けている。



 フェミニストたちを一言でくくるのは難しい。

 「反表現規制」の旗のもとに団結しているオタクたちに比べて、そもそも男性男性社会のもの憎悪してやまないミサンドリストからオタクとの対話を求める層までほとんど分裂状態様相を呈していて、

 そうなったときクローズアップされがちなのはラディカルな発言だ。


 しかオタク側が言い募るように彼女たちは「こどもたちを歪ませる」表現を憎んでいるのではない。

 「こどもたちを傷つける」表現をこそ問題だと言っている。

 教育ではなく、トラウマの話だ。


 フェミニストたちにもトラウマがある。

 日本にかぎった話でもないかもしれないが、マスメディアサブカルチャーにおける性的エロという意味限定されない)表現や言説は男性中心的な傾向が強い。

 ふた昔前はテレビ女性おっぱいエロティック晒すなんてのはゴールデンタイムにすらみかけられたし、

 そこまで過激ものでなくとも、女性に対するセクハラめいた言動が「ジョーク」として受容される環境があった。

 それはジャンプなどの漫画メディアにあっても同様で、男性読者からは「問題ない」描写ジョークとしてスルーされる描写であっても、そこに女性に対する男性的な欲望、ひいては暴力を読み取る多感な少女は数多い。

 そういうものがある種の社会に対する不信となって根強く彼女たちの底に残る。


 男は言う。いや、あの程度の表現で傷つくのはあまりにか弱すぎるだろう。自意識が過剰すぎるのでは? たんなる一過性メンヘラでは?


 少女たちはテレビマンガを消費するには、あまりにもセンシティブすぎるのだろうか?


 一面にはそれもあるかもしれない。しかし、傷つきやすすぎることとの何が問題なのか?

 刃のついた表現現実存在し、それで傷つけられる肌が現実にある。

 問題とはむしろそこだ。

 何も知らない無垢な肌が刃に触れたときに血が出るのだとして、たしかに近づいてきたのは肌のほうかもしれないが、刃の危険性も知らないものにあらかじめ避けておけばと非難するほうもどうかしている、根本的に事故を防ぐためには刃のほうを鈍らせておけばいいのでは? 自動車会社などはそうやって事故を軽減しようとつとめているだろう?

 私たちは次の世代を「正しく」育てようとは思わない、ただ、不慮の事故から守りたいだけだ。


 傷つきたくないこと。傷つきたくないこと。

 こうしてアイデンティティポリティクス生まれる。

 彼女たちの目的は次の世代トラウマを残さないこと。

 そういう意味では、オタク表現規制運動歴史を語りつぐことと少し似ている。


 そして、オタク同様、「敵」を認識しそこねている。


 フェミニスト場合はあまりに内部で混乱しすぎていて、個別問題の何が問題であるのか、その問題をどう解決していくべきなのかで定義統一がはかれていないことだ。

 これは攻める側の弱さでもある。

 守る方は現状を維持しさえすればよく、つまりは「表現規制反対」に各員の意志を集約させればよい。

 だが、フェミニスト側は具体的に個別問題のどこをどういった理由でどう修正していけばよいのかまでを提示しなければならず、これに関する意見を調整出来ない場合もっとも極端な意見ーーすなわちオタクたちが最も恐れる「全面的表現規制」が対立を煽る人々によってショーアップされてしまう。



 そうなってしまえば、あとは殺し合うだけだ。



 彼らはお互いに敵を「保守派」として捉えている。

 オタクの眼に映るフェミニストは「道徳を重んじて表現を認めないファシストガミガミおばさん」

 フェミニストの眼に映るオタクは「男性社会の無思慮な暴力肯定しつづけるレイピストクソ野郎


 オタクはただ表現進歩性を守りたかっただけなのに。

 フェミニストはただ表現進歩を与えたかっただけなのに。


 ここでは、もはや誰が敵か味方かもわからない。

 もしかしたら、敵も味方もいないのかもしれない。

 自分以外のすべてを虐殺しつづける戦場

 それがインターネットであり、インターネット表現規制論争だ。

2017-07-08

けものフレンズ面白さの本質

けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観から抜け出しているところにある。

少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。

もうひとつの「ガイナックス的なアニメ価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場いぶし銀技術者ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。



私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーインタビューで語っている。


「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html

放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)

たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズたつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。

「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/

ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。

―― アニメはお好きなんですか。

たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。

―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?

たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りましたhttp://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html

本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。

話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。

たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。

そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だからけものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。

シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明から”。

ガイナックス庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。

新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギーク価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任野ざらしにされ担う者はいない。

2000年代2010年代アニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観のもの形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。

もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。

これは自由の味だ。

ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識のものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。

可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。

3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチ必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。

次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的ものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成脚本たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。

「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思いますたつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバー関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題

福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚ミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。

最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しであるたつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。

1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌え主人公エヴァギミックNARUTOアクションジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通オタク価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。

続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。

第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。

4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。

5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。

ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」であるたつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。

ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマシリアスからだ、という批判も予測されるが「ストーリーシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。

『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグテーマTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。


再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。

自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァけもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう

ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。

2017-06-28

https://anond.hatelabo.jp/20170628093007

芸能界は俺達はこんなにすごいよ、ニュースだよ、話題性があるよ、ってオナニーしてるだけだからな。一般人日常には、海老蔵サルマーン・カーンも同じくらいの影響力しかないのに、マスメディアwは如何に重大ニュースか、どれだけ大変なことなのかを吹聴することで、それを伝える自分たちが如何に社会重要な役目を担っているかを主張しているだけだからな。

2017-06-14

日本の男が嫌い、それを容認する社会が嫌い

最近マシになっていた男性嫌悪日本社会への嫌悪気持ちが出てきたので吐き出す。

ネトウヨ韓国を叩くけど日本も同じ。男尊女卑年功序列(儒教のせい)で目で見てわかりやすもの(学歴収入性別など)で差別して、その結果、両方とも自殺率が異様に高い病んだ国。

日本気持ち悪いところ

・見た目で判断することを当然と思っているところ

自分たち男が視覚に頼りすぎな生き物だからって、女もそうだと思うな。「ただしイケメンに限る」って、女はお前たち男みたいにそこまで見た目にこだわらねぇよ。

男尊女卑が強い国ほど見た目を気にする、日本でも美しくないダメという男の理想の女であるための呪いが日々垂れ流されてるし、韓国なんかもっとひどくて整形しないといけない。

なんで、男の欲望を満たすために女が綺麗でいなきゃいけないのか、学生は化粧するな、社会人は化粧しろっていうダブルバインドも、社会人になったら女として男の欲望を満たせと言われてるようなもの気持ち悪い。

化粧するもしないも自由だろ、と。

男に消費されるために見た目を着飾ることが気持ち悪い。男ウケってなんだよ、オシャレは自分のためにするものだろ? なんで男に媚びなきゃいけないんだ。

若さ価値があるとすること

これは、見た目を重視する男の価値観+劣悪な労働環境大人不自由から、なのかもしれないけど、子供を美化しすぎる男が多すぎる、その結果がロリコン大国気持ち悪い。

仮にも先進国なら、未成年への性的欲求は良しとしない社会的コンセンサスがあるべき、なのに日本は、JKなる言葉を作って女子高校生カテゴリとして消費するほど未成年への欲望容認されている、気持ち悪い国。

消費する側がいるから、JKビジネスとやらが減らないんだろうが…

大人子供性的搾取してどうするよ?

小中学生犯罪だけど女子高校生への欲望ならそこまで隠さなくてよいという認識気持ち悪い。

女子高校生ヒロインとした創作物が多すぎる、女子高校生と同年代10代の少年ターゲットにした作品でそうなるのは仕方ないにしても、30代以上のおっさんターゲットにした作品でも女子高校生ヒロインが出てくるの、病みすぎだろ。

良い年をしたおっさんでも若い子を選ぶのが当然という、若さ至上主義価値観気持ち悪い。

おっさんなら社会人熟女に憧れろよ。熟女って言葉差別的だけどな、なんだよ、熟女って。

ロリコンが多すぎるのは、実際に子供ターゲットにされる犯罪が増える危険性があるという社会的な損失もあるのに、未成年性的対象として見ることへのタブーがなさすぎる。

もっと、18歳未満をそういう対象で見る人間クズと後ろ指さされるぐらいになればいい、これが容認されるのも、男の性欲が肯定されてるからか?

・男の性欲が肯定されすぎる

男の性欲が肯定されすぎた結果、レイプ被害者へのセカンドレイプや、痴漢被害に対する無責任発言を目にする。

男は全員、義務教育段階で、20代・30代の屈強な男に組み伏せられる経験をすれば、力で敵わない相手に好き勝手される恐怖を理解できるようになるのか?

想像力がない男が多すぎる。

性別での役割分担が未だ根強い

家事育児って大変なことを全て女に任せてて、そのくせ、その差別は解消せずに、労働力が足りなくなったから女も男と同じように働いてくれと、家事育児をやりながら仕事までやらせようとする。それが今の政府が目指す、女性活躍する社会。ふざけるなよ、男と同じように働けというなら家事育児介護を男が女と同じようにやれ。

そんな、女ばかりに要求される社会から子育てとかも無理、と少子化も進行。(少子化の原因には、過去の、主婦非正規で夫が正社員でというモデルが原因の男の非正規化、それゆえの貧困化もある)

非正規を女の役割としていたツケが、今の少子化ともいえる。

・女嫌いな男が多い

このような男女差別があるからこそ、男と女の分断は大きく、男嫌いな女と女嫌いな男が多い。

差別される側の女が男嫌いになるのは仕方ないにしても、既得権益を貪ってる側の男が女を叩いているのは理解できない。女に個人的に嫌な目にあった人間か、社会に出たことがないニート学生男尊女卑を実感せずにアファーマティブアクションだけを見て叩いているのか?

女優遇とかふざけんな、それだけ差別されてるからこその優遇措置だろうが。

こっちだってアファーマティブアクションがなくても問題ないような平等社会が良いわ、それなのに、そこだけを見て女は優遇されてるとかぬかす奴、バカか…。

・女の主体性を認めない社会

婚外子を認めないのだって、そういう意識があるからでしょ。

婚外子を認めれば(婚内子と同じ権利を与えれば)少子化だってマシになる可能性があるのに、女に自由を与えたくない社会では、婚外子を認めないという子供を産みにくい状況を作っておきながら、家事育児という仕事は女にやらせておいたままで、子供を産めという。無理だ。

そのくせ、少子化労働力が足りないから、家事育児をしながら男と同じように働けという、更に無理だ。

政治家の男女比率が半分半分ぐらいになれば、こんな無茶な要求をしてくる政策じゃなくなるのか?

女の方が優秀だと言うつもりはないが、経営者政治家という舵取りをする立場に男ばかりで、偏った考えで上手くいかないとは考えないのか?

それほどまでに男は優秀だと女は足手まといだと信じているのか? 理解に苦しむ。

女には男を立てて欲しいという気持ちがある男が多いから(これは男の生まれつきなのか、社会的な背景で男の方が偉いと思っているのか)、自己主張する女じゃなく、子供っぽい女が好かれる、フィクション登場人物とか見てても。

見た目だけではなく、中身まで子供っぽい方が良しとされて、気持ち悪すぎる…。

男をターゲットにした作品で、内面的に自立した女性好意的に描かれることは少ない。そもそも、男向け・女向けとターゲットがわかれていることが既に分断の現れなんだが。

男が好む女と女が好む女が違うゆえに、女に支持される女キャラと男に支持される女キャラが違う、だから作品はどちら向けか考えて描く必要がある、のだが、そもそもそれがおかしくないか

女に支持される女キャラは自立した女、男に支持される女キャラ内面が幼稚な女キャラ本来なら、男も女も自立した女キャラを支持するのが自然なのに(男キャラであれ女キャラであれ自立した人間の方が魅力的)男尊女卑ゆえに、男に支持される女キャラが幼稚な女ということでそれを支持できない女が自立した女キャラを支持する。

・男が女を差別していることに無自覚

大体の男は、自分たち既得権を持っていて女を下に見ていることに気付いていない。生まれた時から環境差別を当然のことだと思っている。

女をお人形扱いしたいやつ、可愛ければ良い、言うこと聞いてくれたらよいという意識家事育児をしてくれたら良い、性欲処理してくれたら良い、などなど…下に見て対等な人間として見ていない男が多い、自分差別していることに気付いていない人間も多いが。

気付いていない人間は、こういう主張を「女性目線すぎ」とかのたまう。

だったら普段私たちが目にしているものは全て男性目線すぎることになる、新聞テレビも。ネットは作り手に男が多いかは知らないが、女でも発信することが可能なので、既存マスメディアほど男性目線ではない、その分、男叩きや女叩きが多いが。

これも男叩きということになるのだろう、男嫌いの女が増えたと言う奴はわかっていない、昔から男に不満を抱く女は多かった、差別される側なのだから。ただ、その不満が可視化できるようになっただけ。

2017-06-05

進撃の巨人20代政治文化圏の引き写しそのものである

進撃の巨人の2期が始まってしばらくぶりに原作を読み直して、ついでに単行本最新刊も買った。

それで気づいたのはやっぱり作者がインターネットから受けた影響を作品に反映させているんだなぁと。

本人自身がそういっているので今更言うまでもないかもしれないが。


イデオロギー押し付けバックラッシュ

歴史に関しては、政府マスメディア大人等あらゆる点で信頼できるものなどなくただ自らの都合のいいように統制したり、思い込んでしま人達の愚かさと執着から解放を見事に描いている。

※壁の中の大人記憶を操られた人間であり、エレンの父はネトウヨじみた執着のかたまりであり、マーレ巨人化する主人公達の一族を統制するために歴史を歪曲している。


エレンの父とフクロウの会話から導き出された結論である事実ファクト)」までたどり着いたのは

この界隈において比較的新しい流れだろう。

少なくとも大衆的にひろがりつつある。

上手くいくとも俺には思えないところもあるけれど。

それは何かすばらしい思いつきだとか新しい何かを生み出したわけではないが世の中の流れを敏感に捉えている。

今でも常にネットから影響を受け続けているのかもしれない。

これはなるほど20代後半から30台前半が最もボリュームゾーンであると聞いたが納得である

今の20台後半前後日韓関係日中関係の影響で唯一つの真実などというものに振り回された経験を誰もが持っている。

最終的にどのような結論に至るのかはわからないけども最終回を楽しみにしておこう。

2017-06-03

マスメディアの方達に代表されるように、今時、皆働きすぎちゃう

情報が増えすぎて整理できない。だから無駄情報に左右されてしまう状況が続いてる。

ちゃんと仕事選んで、準備して、取り組もうよ。訳わからん内に死んでしまうよ。

2017-05-31

昭和ボイン

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/kagamihiroyuki/n/nea42d0f58c16

大橋巨泉朝丘雪路ボインちゃんって言った頃には日本マスメディア的には巨乳信仰だったと思うけどなー。かとうれいこ松坂季実子以降ってのはいくらなんでも…。

朝丘雪路巨乳タレントのはしりではある。

だがそこから巨乳を探してタレントしまくろうという動きには繋がっていない。

松坂季実子の登場の何が画期的だったのかというのはいろいろ背景を説明しなければいけないだろう。

松坂季実子以前にも巨乳タレントというのはいろいろいた。榊原郁恵アグネス・ラム河合奈保子柏原芳恵堀江しのぶなどなど。

しか巨乳タレントというのはある種の悪口がつきまとった。

デブ大根足。

当時はとにかくアイドル女優というのはくびれてなければいけなかった。ウェスト60cmを越える女優アイドルなどあってはいけなかったのである

あの榊原郁恵アイドル当時はウェストは60cmを公称としていた。どう見てもそんなわけはなかったがそれで通していた。

若くして亡くなった堀江しのぶも人気がある程度でてくると「もう少し細くなりたい」といって痩せてしまった。

あの山口百恵ですらアンチからは「大根足」と言われたのである

おっぱい以上に何が重視されていたか伝わるだろうか。

1989年バスト110cm(公称)をひっさげて松坂季実子が登場した。公称スリーサイズ110.7cm、60cm、90cm。ウェスト60cmは露骨ウソだったがそれを気にさせないぐらい公称110cmバスト存在感は圧倒的であった。

デブじゃんという声もそれなりにあったが、公称110cmの乳はそれに勝って人気を博したのである

そしてほぼ同時期にイエローキャブかとうれいこ細川ふみえを発掘する。

もはやある程度バストサイズがあればデブという声を怖れる必要はなくなっていた。

イエローキャブ野田巨乳モデルを発掘しまくり、世間巨乳ブームとなる。

細川ふみえ細川しのぶを間違えて書いてしまったのを訂正。ありがとうトラバ増田

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