はてなキーワード: マスメディアとは
例えば、
英語版ウィキペディアには各国の人口10万人あたりの強姦発生率が掲載されているが
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Rape_statistics
2005
India🇮🇳…0.35
Japan🇯🇵…1.6
2010
India🇮🇳…0.45
Japan🇯🇵…1.0
暗数がって言ったら、女性差別の激しい日本の方が女性の声をあげにくいから暗数は当然多いし
(男女平等ランキングでは、インドは108位、日本は110位)
一体なんでインドにレイプや強姦大国ってイメージがついたんだ?
珍しいことが起きたら、ニュースバリューが高いのでマスメディアが報道しやすい、結果的にそう言ったことが多く起きてるように感じるってやつなんかなあ
(例えば少年犯罪が珍しいから、少年犯罪のニュースを流してたら少年犯罪が多くなってるように感じてしまいやすい
「日本人が犬を噛んでもニュースにならないが、犬が日本人を噛んだらニュースになる」っていうやつ)
インドでは強姦事件が珍しいので、インドで強姦事件が起きるとニュースになりやすく、インド=強姦大国って日本人が考えるようになったのかなあって思うわ
自分の政治的主張に今起きてる災害を利用するなよ。普段の首相がどうとかキャンセルされた原発の計画がどうとか、人を叩くのは楽しいかもしれないが今話すことじゃないだろ。
現場では色んなことが現在進行形で行われているのに、その表層だけをすくって自らの主張に利用していく神経がわからない。
Xで情報集めてたらそういう発言が引っかかって本当に邪魔。マスメディアはこういうときに被害状況をしっかり伝えていて頼りになるなと思う。
今年こそ俺はXをやめたい。
その主な要因は、PCであれば画面右側に常に示されている「いまどうしてる?」、スマホなら🔍の"For you"である。
そこに「〇〇のトレンド」と称して様々なキーワードが表示されているが、ポスト数は低いものだと1,400程度だったりする。
Xのユーザー数から考えたらトレンドとは呼べないような数に過ぎず、一部の人達が騒いでいるだけの内容だ。
どういう内容なのかとクリックしてみると、全く面白くない団扇の盛り上がりに過ぎないことがよくある。
いや「全く面白くない」だけなら問題は少ない。もっと問題なのは、誹謗中傷やヘイト、差別的ポストがうじゃうじゃ出てくる場合である。
例えば野党の女性政治家などの名前が「政治のトレンド」と称してPCの「いまどうしてる?」スマホの🔍の"For you"に登場し、試しにクリックまたはタップすると、ネトウヨ、ミソジニスト、レイシスト達による誹謗中傷、ヘイト、差別的ポストが大量に現れるのである。
そういうアカウントは片っ端からブロックまたはミュートするのだが、それだけでも結構な時間を取られる。
なぜ最も見たくない差別ヘイト投稿が"For you"のなるのか?を推測すると、差別ヘイト投稿を通報したり、差別ヘイト投稿に対する反論をリポストしたり「いいね」したりしていると、「この人はそういう話題に関心がある」と判断されて「いまどうしてる?」や"For you"にますます差別ヘイト誹謗中傷トピックが上がってくるようになるのだろう。
去年の暮れのある時期は「いまどうしてる?」や"For you"のトップが何日間も「アンミカ」で、その中身の大半がアンミカさんに対するデマ差別ヘイト誹謗中傷であった。
そうやって意見の対立する人々を焚き付け争わせてインプレッションを稼ぐ、というXのクソシステムなのだろう。
以前のTwitterにもそういう傾向はあったが、イーロンマスクが乗っ取ってからはさらに酷くなった。
では、Twitter→Xがずいぶん前からクソだと分かっていたのにやめられなかった理由は何かというと、
事件や事故の現場の映像が、テレビやニュースメディアよりも先にXに上がってきて、それを目にすることができる。しかし、これは結局、「マスメディアよりも先に俺は現場の状況を知っている」という優越感に基づく快感に過ぎないのであり、俺自身がその現場に瞬間移動して超人的能力を発揮して問題を解決できるわけではない。「マスメディアよりも先に俺は現場の状況を知っている」という優越感に基づく快感は煩悩の一種である。この煩悩に囚われてX世界にとどまり続ければ、上で書いたように大量の差別ヘイト誹謗中傷を目にすることになり苦しみが増す。釈尊の言う通り、煩悩は苦しみの原因なのである。
好きなアニメや「スポーツの生中継」を見ながら公式ハッシュタグで実況ポストをして、そのハッシュタグの他の人のポストも見ると言うのは実に楽しい。見ず知らずの赤の他人と共に「優勝!」「ゴール!」「落車!」「ホームラン!」「トライ!」「バルス!」とか騒ぐのは現実世界で孤独でもネット上では大勢の仲間と共にいるかのような思いを味合わせてくれる。
しかし、そのような架空の連帯感も所詮は煩悩である。アニメやスポーツといった娯楽によって作られる連帯感は偽の連帯であり、これらは歴史的に見れば「パンとサーカス」の「サーカス」のように権力者が大衆を扇動するために利用してきた。
志を同じくするもの同士が集まった時に生まれる本物の連帯とは違うものである。
架空の連帯によって孤独感を癒そうとするのも煩悩の一種であり、釈尊の言う通り、煩悩は苦しみの原因なのである。
では、人間の苦しみの根本原因であるXを絶つためには、具体的にどうするべきであろうか。
まず、朝起きて充電の完了したスマホを手に取った時、「いま世間では何が話題になっているのだろう?」という低俗な興味からXの🔍の"For you"見ることはやめ、TBS NEWSDIG のようなニュースアプリでちゃんとしたメディアが吟味した重要な最新ニュースを読むべきなのだ。又はマストドンやスレッズで新聞社や通信社のアカウントをフォローすれば、そこが報じる最新ニュースがタイムラインに流れてくる。
Xからメディアが報じていない事件の衝撃映像を見て「俺はまだマスコミが報じていない事件を知っているぞフハハハ」と優越感に浸るのは無意味な快楽に過ぎず、それを求めるのは煩悩に過ぎない。メディアが報じていない事件事故災害の現場を知ったからといって俺が偉くなるわけではなく、それを知ったからといって何かできる訳でもない。そのような煩悩でXにとどまる事こそが苦しみの原因なのである。
現在のところスレッズにはハッシュタグの機能はないがマストドンはハッシュタグが有効である。そして幸いなことにマストドンにはXのPC「いまどうしてる?」スマホ🔍の"For you"のような、あえて不快なヘイトや差別や誹謗中傷を目の前に吊るして対立を煽るようなシステムは現状は存在していない。だからマストドンに多くの人が流入してマストドンのハッシュタグが盛り上げれば万々歳なのだが、現状ではマストドンのハッシュタグは閑古鳥が鳴いている。分散型システムのややこしさから今後の大量流入は無さそうだ。でもそれはそれで仕方ない。ハッシュタグによる架空の連帯感に酔いしれたい、というを煩悩を捨て去り、ただXを去るのが涅槃への道である。
スレッズとブルースカイには現状ハッシュタグのシステムは無いが、スレッズがハッシュタグを導入すれば利用者数の多さを考えるとX並みに盛り上がる可能性はある。そしてスレッズもマストドン同様、XのPC「いまどうしてる?」スマホ🔍の"For you"のような、あえて不快なヘイトや差別や誹謗中傷を目の前に吊るして対立を煽るようなシステムは現状は存在していない。
だからスレッズがハッシュタグ機能を搭載すればこの問題は解決すると思われるが、現状スレッズがハッシュタグ機能を実装する気配はない。
能登方面の大きな地震被害、今回も大きな計測値と少ない被害報告数・内容と、後から振り返れば緊張のなかににのんきさを求めていたようにさえ見える初期数時間の報道の雰囲気だった。
まさか「悪いことを言うと本当になる」と思って控えているわけではないはずだが、なまじっか官邸からの発表などがあることもあってか(またそこにすでに死亡者数が含まれていたこともあってか)、「実際の被害は現在把握可能な報告と大きな乖離があると考えるべきだ」との態度、あるいは発言には、それを静かにでも強く示すものには、最初期数時間では私はほとんど出会わないままであった。そのことは、その時点でさえ見聞きしていてゾッとするものだった。今回もまた繰り返されてしまったと感じた。
「少しでも少ない被害でおさまってほしい」との心中の願いと、災害初期対応で必要な具体的な行動とは別のものである。それは当然だが両立するものであるのは疑う必要のないことだが、SNSでの個人発信はさておき、マスメディアでは後者こそが強く求められるものだ。
すでに発災から丸一日以上経ち、被災地以外の地域においても、状況はより複雑である。この点ひとつにこだわる必要がある段階ではない。次にこのことが思い出されるべきは、次の発災の折になるだろう。「まさかこんなことになるなんて」は個人の感想に任せておけば良い。それで、十分すぎるほどに足りる。
また、このこととセットになる問題意識として、他地域や首都機能に向けての現地被害の報告や報道の現象や風化についてのそれがある。こちらはまだその段階にいたっておらず、しかし、すぐ次に必ず来る問題ということができるだろう。(そしてこのことは、これまでの大被災地と能登地方・北陸地方とを体験や記憶を通して繋ぐ機会になり得るだろう。そのネットワークの繋ぎ手のひとつに、直接の被災者ではない私たちもなることができる。)
今は、現地の物的・人的そして情報リソースの不足が問題になっていて、そのことはしばらくの間、振り返りのトピックになるかもしれない。それは間違いなく大きな問題であるが、私たちは、それひとつにとらわれてしまうべきというものでもない。
新聞やテレビといった大衆向けメディアは、若者文化や学術・ビジネス等の後追いしかできてないのでまるで参考にならないという揶揄は何十年も前から聞かれているが、
観戦型スポーツ特有の「感動の押し売り」って結局はマスメディア主導の誇大広告だよな
「番組」を素晴らしい物にするために、ありのままを許せず「感動」というワードで「糊塗」することを始めた
だけどここ最近で一番やばいのは、日本のスポーツ選手自身がマスメディアに感化されて「感動の体現者」として立ちふるまい始めたところ。
たかが数秒、他人より早いかどうかくらいで順位決めるようなエゴイスト共なのに、それで世界を救ってるような気で居るのが怖すぎる。
もちろん、ファンが居て彼らに影響力がある、ってのは別にいいんだけど。
マスメディアは多数を取り込んだほうが儲かるからって、「ファン以外」への影響力を強めようとしてるんだよな。
さすがにそれは不遜だろと。おまえは俺の神でも指導者でもないだろと。
「生きていて欲しかった」
800人の患者のうちの一人として5分間診療で薬もらう程度の仲で
飼っていた犬とか猫とか
経済効果をもたらしてくれてたとかなら
悲しいのわかるけど
もしも自分にほんの少し関係ある程度の人の死にもグリーフケアが必要なのだとしたら
みんな仕事を休んでカウンセリングでグリーフケアして生き方を変える文化にしていかないといけないよな
そんな頻繁には無理だとは言わせない
その気になれば「ウクライナに寄り添う」くらいのことはできるはず
もしも本当に寄り添うと言うのなら経済援助もできるはず
「生きていて欲しかった」