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はてなキーワード: 経済学とは

2024-07-15

Twitter経済の話は本当に無駄

バブル崩壊後の処理が遅かった事、切り捨てるべき中高年の雇用給料、切り捨てるべき時代遅れ企業を維持した為に緩やかな衰退以外の道が無くなったこと、それだけ

結局はハードランディングを強行して再生に賭けるか、ソフトランディングを選んで国そのものの沈下(死ぬのはその当時生きてた人間では無く後の世代なんだけど)が確定するかの二択でしかなかった

しろなんで一般向けにこんな分かりやすすぎるここ30年間の日本経済の流れを書く経済学者がいないのかが非常に大きな謎ですらある

変な経済学の本は書店に山積みなのに

スティグリッツクルーグマンピケティなどの著名な海外経済学者の内、1人でも良いか日本向けに書いてくれたら飛ぶように売れる

経済学者ですらないユヴァル・ノアハラリでさえ(一般層向けなら)「正しい」日本経済の書を書けると思う

2024-07-14

anond:20240714000318

出典なんて言ってないよな?バカなんか?

歴史ソースがあると思う?人はどうやって歴史研究してるかわかる?出典出してもこの手のバカは「そいつが言ってるだけ」とか「個人意見」とか言い出しかねないからな

やっぱ致命的に知性足りねえわコイツ

さっきから言ってることが全部非論理的感情論科学的態度ゼロ医学に置き換えれば俺はワクチン必要性に納得できないからこの世の医学はクソ!を言ってるだけだよな

こんなんが科学者なわけねえよな?嘘なんだろうな

専門外の分野では自分幼稚園児並に科学素養がないと理解できねえのかもな

本当にそう思うなら自分研究して経済学政治学論文として提出したらいいだけなのにそれもやらないわけで

水銀ワクチンに入ってるからワクチン危険!!!!!とSNSで喚いてるのと同レベル

バカすぎて無視されると思うけど

2024-07-11

石丸氏のポスター訴訟敗訴こそが首長たりえない一番の問題

石丸氏が自身選挙ポスター制作費を未払いしていた問題で、最高裁が上告を棄却して敗訴が確定した。

これについて、表面的な「裁判敗訴」のみで批判している人も多数見かけるが、

この問題は「石丸氏の契約締結・履行能力」が問われる非常に重い問題に思われる。

事の経緯は、安芸高田市長選で石丸氏が選挙ポスター制作を依頼した印刷業者間との契約内容のトラブル

石丸氏は「公費」での制作を依頼し、それを印刷業者が承諾したが、肝心の「公費」の金額が明示されていなかった。

印刷業者制作後に代金(106万円)を請求したところ、「公費」で賄える金額(34万円)から超過していることが判明。

残額(72万円)が未払いとなっていた、とのこと。

この未払いについて印刷業者提訴

一審、二審ともに敗訴していたが、7/5付で最高裁が上告を棄却し、敗訴が確定した。

石丸氏は恐らく軽視しているのであろうが、

この一件は「高々72万円の支払いが確定した民事裁判」で片づけられない、非常に重大な問題に思われる。

そもそも裁判沙汰になった根本的な原因は、印刷業者との契約をしっかり詰められていなかったかである

無論、契約には双方の合意必要であるが、先般の裁判石丸氏が敗訴していることは

契約に際して石丸氏側に問題があった、との司法判断が下ったといえよう。

これが最初に挙げた「石丸氏の契約締結・履行能力」に対する疑念である

では、契約能力が無いことの何が問題なのか。

経済学では、組織は「契約の束」と表現されるが、それは自治体にも当てはまる。

自治体契約によって成り立っているのである

例えば、インフラ整備について自治体業者発注すれば、そこには契約が発生する。

自治体職員は「任用」であるため労働契約関係では無いという見方もあるが、労働の対価として給与支給という点においては

労働契約関係解釈することも可能であろう。

そして、これらの契約により成立する自治体の長が知事であり、市区町村である

石丸氏の裁判の件で問題となった「契約」は私法契約自治体の「契約」は公法契約であるため、

同じ「契約」であってもその意味するところは異なることは留意必要である

とはいえポスター制作費の契約すらもまとめられない石丸氏に、

数多の契約を締結する自治体の、その首長を任せられるだろうか??

繰り返しになるが、本件敗訴は石丸氏の首長としての能力に関して、

致命的なほどに疑問を呈する判決であるように思われる。

首長として立候補されても絶対に票を投じたくないと思っている。

もしも、この認識を変える捉え方があるとおっしゃる支持者がいるのであれば、具体的に示していただきたい。

私は頭が固いので、「ああ石丸氏は首長にしてはダメだ」となってしまっているのである

2024-07-10

anond:20240710113814

地元からと言うしかないんだろうな。

 

最近経済学の知見で好きなことの一つは、人間流動性は嘘だったということだ。

経済合理性に従えば、人間はヤバくなった職場から転職し、キツイ地域から脱出するはずであるしかしそうはならない。今まで続けてたヤバイ職場にしがみつくしキツイ地域にも住み続けて、困窮すると判ってるのに困窮していく。人間って理性で想像してたよりずっと流動性が嫌いなんだ。

 

ゴッサムゴッサムからアイ♡ゴッサム、とか言い出す描写は少ないけども。

でもそういうのが理由なんだろう。

2024-07-09

anond:20240709125536

他国の方がインフレが凄くて格差が凄いよ

アホの戯言

マジでリベラル経済感ってズレまくりなんだよな

左右ではなく知能の上下の差

世の中に不満持ってるくせに資本主義のものには疑問持たないんだから

しらん

資本主義自体格差が広がるのがデフォルトなんだわ

何故なら今の中央銀行国債の仕組みが資本家へのベーシックインカムから

財政支出するたびに国債の利子分資本家に渡してるようなもんなんだわ

あほ

あと、円安にばら撒きなんか関係ないし、海外との金利差でそうなってるわけで、金利上げるとさら社会が混乱するよ

まぬけ

経済学では利上げでインフレが止まるとか言ってるけど、金利の上げ下げは景気を不安定にさせるだけなんだわ

キチガイMMT

2024-07-05

竹中コストプッシュインフレ対策は賃下げ、リストラしかないけど、どうする?」

今のインフレコストプッシュインフレなので増税ではなく、減税や財政支出しろって意見もありますどうでしょうか?


竹中「今のインフレコストプッシュインフレかの議論は置いといて

コストプッシュインフレ対策は賃下げかリストラインフレを受容するしかないとすでに経済学的に実証されています

70年代石油危機といって世界規模のコストプッシュインフレが起きましたが、その時に賃下げかリストラをした日本イギリス北欧の国はすぐにコストプッシュインフレが治りました

ところがインフレ対策にばら撒いた北米南米の国はコストプッシュインフレさら悪化したんですよね

賃金下方硬直性甚爾色々説があります経済学的にはコストプッシュインフレは賃下げかリストラしか対策がないってのは経済学的にはすでに証明されてる事象なんですわ

2024-07-02

無脳症の子供をブラックジャックが殺そうとしてる話

こんな子供を生かしてなんになるんだ、みたいなこと言ってるけど、

実際は小さくて手間がかからなくて人間として社会保障が受けられるから家においておくだけで補助金もらえたり

税制優遇してもらえるマネーマシンの側面持ってるよな

経済学が想定する人間思考

anond:20240702230114

少し語弊があったが、人文科学経済学数学の式の通りになるとか、物理学力学的な法則に基づいて動くとかそういうことがないって意味

物理学絶対と言ってるのではなく、人文科学には数学物理法則絶対的に従うようなレベルエビデンス必要ないという話をしてる

(大体この式に従ってるとか言った後に、例外があると言ってもいいしな)

anond:20240702225852

少し語弊があったが、人文科学経済学数学の式の通りになるとか、物理学力学的な法則に基づいて動くとかそういうことがないって意味

物理学絶対と言ってるのではなく、人文科学には数学物理法則絶対的に従うようなレベルエビデンス必要ないという話をしてる

(大体この式に従ってるとか言った後に、例外があると言ってもいいしな)

2024-06-24

永田町経済学

1. 原始ケインジアン

永田町経済理論をきちんと理解している政治家は少ない。

政治家の間で経済理論として認識されているのは、景気対策財政拡大により公共投資をふやせばよい、という原始ケインジアン理論程度であろう。

これから政治家官僚もしっかり経済理論を身につけることが求められる。特にマンデル・フレミング理論理解しておけば有用だろう。

マンデル・フレミング理論とは簡単に言えば、変動相場制の下では、財政政策無効だが、金融政策有効であるという理論である

このマンデル・フレミング理論に従えば、金融緩和を行ってマネタリーベースを大幅に増やすことが景気対策として有効である


2. 日本市場の閉鎖性と貿易黒字

日本貿易黒字日本市場の閉鎖性によるものであり、したがって貿易黒字解消のためには市場を開放せよ、という主張が一時期、アメリカ議員などからなされた。

しかしこの主張は誤りである。なぜなら市場の閉鎖性と貿易黒字無関係からだ。

貿易黒字は貯蓄・投資バランスISバランス)によるものである

貯蓄・投資バランスとは、S(貯蓄)-I(投資)=X(輸出)-M(輸入)という恒等式説明される。

このISバランスが多くのアメリカ日本議員理解されていない。


3. インフレ・ターゲティング

デフレ金融現象である、という事実が多くの人に受け入れられていない。

さら名目金利と実質金利混同した議論も多い。

そのため、デフレ中国から安価製品が輸入されているからだという輸入デフレ説や、物価の下落は生産性の向上によるという生産性向上説などの誤った議論がなされている。

デフレ需要不足が原因である

そこでデフレ克服のためには日本銀行が物価安定の数値目標を定め、その目標を達成するように金融政策を行うと宣言するインフレ・ターゲティングを行い、期待インフレ率を安定化させるべきだろう。


4. 結論

経済理論的発想を持つ永田町政治家は極めて少ない。

これは由々しき事態である

これから政治家官僚も)はきちんと経済理論を身に付け、それを現実政策課題に応用できるようになることが求められるだろう。



質疑応答

Q. どうすれば政治の場で経済理論を身につけた理論家を増やすことができるか。

A. 選挙お金がかかる。選挙に強い人がしっかり理論を身につけてくれるのが望ましいが、大学できちんと理論を学んだ人のなかで資金に余裕のある人が選挙に出てくれたらよいだろう。

Q. 日々政治活動で忙しいなかで、どのようにして経済理論キャッチアップしているのか。

A. 手っ取り早い方法は、大学教授などの専門家と友人になり、その人達から直接教わったり、著作などを読んだりすることだろう。また理論を身につけるためには、きちんとした問題意識を持って勉強することが大切だ。

2024-06-22

anond:20240622101858

このような状況で価格を更に値上げした場合果たしてどの程度の人が買うのだろうか?

これは経済学用語でいうところの価格弾力性の話なんだが、オリジナリティのある商品価格弾力性は低い(値段の上下需要にあまり響かない)と考えられている。

選挙ポスター広告はそのようなオリジナリティある商品と言えるだろう。

分かりやすく言えば、値段を倍にしたって需要は半減しない。

さらに付け加えるなら、選挙ポスター広告のような反社会的広告手法ターゲットはマスではなくニッチであり、客単価が高いビジネスが主な出稿者になる。そのようなビジネスでは、広告費が1万円か5万円かというのは些細な差でしかない。

ただし5万円を超えたらという指摘は重要で、需要の壁は価格というより法規制の壁として、5万円のところにある。反社会的な出稿者にとっては尚更である

いま1万円で出品しているのは宣伝目的での割引価格であって、商品として充分に認知されたら49,999円で売るのが合理的であろう。

2024-06-19

筑波大の外山文子准教授に関するブコメの誤解

当該発言を庇うつもりはまったくないけど、事実関係が違うのはどうかと思うので。

『「そろそろ薬で男性の性欲をコントロールすべきでは」准教授の訴え』へのコメント

文系素養のある(はずの)人間素面発言できる内容か、これ

人文学アカデミズム現代司祭

この人、人文系じゃないよ。専門はタイ政治、つまり政治学者であって、政治学は社会科学系なので、文系ではあっても人文系ではない(文系は、文学哲学歴史学などの人文系と、政治学・社会学経済学などの社会科学系におおまかに分類される。もちろん境界的な研究領域はあるけど、下で書いたようにこの人は直球の社会科学系)。

Synodosでも色々タイ情勢に関する記事を書いてらして、普通に面白いのでみんな読むといいと思う(正直、これらの記事を通して認知してた人だったので、twitterでの発言を見て「Oh......」となってしまう感じ。作者と作品は……別だから……!)>https://synodos.jp/expert/toyamaayako/

筑波大の「人文社会系」というのは、人文系社会科学系の教員所属する集団という意味であって(cf. https://www.jinsha.tsukuba.ac.jp/about)、そこに所属しているからといって人文系研究者とは限らない。同大学の「数理物質系」に所属しているからといって物理学者とは限らない(数学者化学者かもしれない)のと同じ。

大学も貢献してますよ感出すためだけにジェンダー系のポスト設けてあげてるのにどんどんヘイト集めるからかなり煙たいだろうなぁ

上述の通り、専門はタイ憲法とかクーデターとかそういう話なので、ジェンダー系のポスト採用されたわけじゃなく東南アジア研究とか比較政治学とかの枠で採用されてる人。大学ウェブサイトに載ってるご本人の研究キーワードが「憲法改正と民主化政治司法化、汚職取締と民主化、新しい強権的政治リーダーの登場と体制変動、政軍関係立憲君主制の国際比較研究」だからね。ゴリゴリ政治学者ですわ。ジェンダー研究門外漢やろ……

え?フェイクで准教授名乗ってるんでなくマジでアカデミアの人間として本気で?

学者が専門外のことでいっぷう変わった発言をするの、みんな心当たりのあることだと思う。統計力学の分野で名を上げた大阪大学大学理学研究物理学専攻の教授財務省についてどんな発言をなさっているか、皆さんはよくご存知でしょう。

学者は同時に市民でもあるので、学問の追求者として厳格であっても市民としては偏見まみれみたいな人は大勢いるんすよね。ほら、国際日本文化研究センター助教の人だって本業日本中世史ではマトモだったじゃないですか。

なかなかの逸材が登場したな。ポリタスTVに登場するのも近いだろう。

上述の通り、現代タイ政治の分野では有名なセンセなので、たとえばタイでまたクーデターが起きたりしたらそういう場に出てくることもあるだろうし、それは全く問題にすべきではない、とは思う。不適切発言してる理系研究者でも、たとえばノーベル賞解説番組なんかに出るのは全然問題ないだろうし。

ブコメへの応答

「人文系」という定義の話だけで外山先生所業に関しては何も言及していないのだが、ご専門が「タイ憲法学」と聞くと、憲法学という括りではあんまり大差ないかもしれない

まんこれはこちらの説明も悪かったんだが、彼女憲法学者でもないんだ……憲法学は法学の下位区分だけど、このセンセの場合憲法のもの研究というよりも、憲法で決められたシステムがどんなふうに現代タイ政治に影響しているかを論じているので憲法学者ではなくてあくまでも政治学者なんや……

(「9条を素直に解釈すると自衛隊違憲になる」みたいなのが憲法学で、「9条規定がどんなふうに与野党対立に影響しているか」みたいなのが政治学)

いわゆるダメな人文系代表格としてあげられるのが社会学者なんだか社会科学から文系じゃないは通らないでしょ。むしろ哲学倫理学の人たちはこの手の狂い方する人少ない気がする

??????

それは、まず社会学を「ダメな人文系」扱いしてバッシングしてた人たちがカテゴリエラーを起こしていただけなのでは??????

何で他者によるカテゴリエラー責任を呼び間違えられた側が取らないといけないんですか??????

政治学や社会学ふつうは人文系には分類されない、のは単なる事実ですが??????

仮に社会学ダメであったとして、

ってだけの話ですがそんなに難しいですか??????

仮に日本人ダメであったとして、

ってなるでしょ??????

文系内部の細かい違いがわからん場合は、人文系とか社会学とか言わずに素直に文系って言っておけばよいのでは。社会学者でも何でもない文学研究者や歴史家社会学者って言われてる光景、浜の真砂ほど見たので。

社会学社会科学ではないというのは分かるけど人文科学社会科学の線引きは何なのだろう?法学政治学や経済学など社会科学は「技術」を論ずるもので、人文系は「価値観」を論ずるみたいなこと?

人文学に分類されているもの人文学社会科学に分類されているもの社会科学です(進次郎構文)

……いやマジでこれはそうとしか言えない。文学哲学歴史学宗教学ってだいぶ違うし、伝統的に人文学にまとめてます以外の説明しづらい……(アジア本質って何ですか? って聞かれてる感がある。日本パキスタンモンゴルインドネシア共通本質……? とりあえずヨーロッパアメリカではないです、あとワールドカップでは同じ地区で予選してますね、みたいな……)なので、線引きがわからんって人は、こういうもんだと割り切って「人文学に含まれ学問リスト」を丸暗記するか、無理に人文学とかの言葉を使わず個別学問名前で呼べばいいと思います

何を思って増田がこれ書いたのか分からんが、学部とかどうでも良くて差別的発言するって教育者としてどうなの?てだけの話です/コロンブスの時と良い、最近話をわざわざややこしくする人多いね

盗人猛々しいな。話をややこしくしてんのは政治学者を人文系学者と誤認した連中だろ。そいつらが間違った認識を振りかざしてなけりゃ訂正記事書く必要もねえんだよ。話をややこしくしたくないなら間違った事実認識に基づくコメントをつけんじゃねーよ。

学問カテゴリーとかどうでも良くて、人として言ってはいけない差別発言をしてしまったというだけの話。

カテゴリけがどうでも良いなら指摘されたら直せば良くないですか??????

「外山准教授人文学者やジェンダー研究者と間違って呼ぶ人がいなければこんな増田を書く必要はなかった」という当然のことを忘れないでもらっていいですか??????

初代ガンダム描写批判するのはいいけど、「これだから萌えアニメは」とか言ってたらおかしいし突っ込まれるでしょ? マジでそのレヴェルの話であるのを分かってほしい。萌えアニメ定義わからんなら「これだからガンダムは」とか「これだから日本アニメは」って言っとけよってこと。

外部から一般人視点では社会学は人文扱いされがち。

そんな「アジア系以外の一般アメリカ視点では日本人チャイニーズ扱いされがち」とか「非オタ以外の一般人視点では宇崎ちゃんエロ漫画扱いされがち」みたいなこと言われても……

スコットランド平原の真ん中に黒い羊がいるのが見えた。 天文学者:ここの羊はみんな真っ黒なんだね。 数学者:少なくとも1匹の羊が居て、さらこっち側の片面が黒いということが分かるだけさ。

ぼく「そこはイングランドです」

2024-06-17

anond:20240617181426

きちんと反駁するには、抽象的な段階ならまだしも具体的に指摘するとなると非常に時間がかかる

普段から経済学やってる教授ならともかく、経済学から離れて久しい自分程度ならそうなるし、そんな事をするほど暇ではない

イスラエル絶対悪だ!いやハマス絶対悪だ!

なんて次元の話をしている連中に、歴史から前提から過去の行いからを一から説明して是々非々結論を教えるのは本当に大変なんだよ

わからんかね、この程度の事が

やはり匿名インターネットは見る価値がない…

高卒のおじさんがTwitterで得意げに経済を語って二百もリプライがきてるのを見ると目眩がする

正鵠を射ているならまだしも、それなりの大学経済学部を出た自分からすると、大学1年の前期生より更に酷い

床屋談義、とはよく言ったものあんなのは床屋パチ屋場末飲み屋でひっそり幕を閉じるべきレベル議論しかない

ひろゆきの方がまだマシなレベル

しかしこの世界の大半は愚民なのでみんな上手く反論できないしあまつさえ賛成している人間も多い

文系学問不要だとよく言われるけど、もし経済学を学ぶ人間エリートだけになったらこういうおっさんが支持を集めて愚民社会形成されるんだろうなと思う

自分愚民の一人だけど、この分野に関しては体系的に学んだから得意だしこの分野に関しては素人と一応は弁えている

しかし世の中の少なくない数のアホなおっさん幼児的万能感の中で生きているので全ての分野において自分偏差値60くらいあると勘違いして生きている

2024-06-15

いわゆる文系常識主権者には必須

anond:20240615015742

だって文系は「社会科学」なんだよ。「社会」を生きるために必要科学なんだから主権者情報アップデートをしなかったら当然批判される。社会を広い意味でよりよくするための学問なんだから、「べき」が存在するのは当然だろう。

一番わかりやすいのは法学だ。学校刑法を読み通した奴なんていないが、刑法を知らない人間逮捕されたり罰金を払わさせられたりする。刑法は随時改正されるが、どう改正されたかニュースで把握するのは国民義務だ。

経済学もそう。たとえば、今回の、選挙目当ての一か月だけの定額税戻しがマクロ経済にどのような影響を及ぼすか正しく評価することが有権者には期待されている。少なくとも、有権者だったら、対立する言説を読み、どちらがより妥当判断できるくらいの知識を持っている「べき」だ。

今回のミセス炎上社会学の範疇になる。問題は、コロンブスが500年前に何をしたか評価アップデートがなされていなかったことじゃなくて、BLMとか、現代世界的な差別撤廃運動うねりを知っている「べき」なのに、今回のMVを見て、リスクを感じて公開前に専門家に聞こう、という判断もできなかったことだ。

差別文脈では特に「べき」が強い。なぜなら、差別において無知であることは、自分にとって不利益になるだけでなく、他人を害することになるからだ。フーリエ級数を知らなかったことで他人尊厳を踏みにじることはまずないが、差別に対する無知は、多くはその人が差別する側に存在被差別者存在を透明化していることを意味し、強い批判対象になる。

2024-06-11

[] 経済理論への力学の導入

問題: 価格調整を含むように、一般均衡理論拡張せよ。

 

経済学において、均衡価格の静的理論ワルラスによって始められ、アローとドブリューにより確立された。

単一市場からなる簡明な場合需要供給方程式で表され、自然力学が容易に分かるが、複数市場に関する状況は複雑である

需要過剰は、価格なす空間から商品なす空間への関数Z(p)=D(p)-S(p)と考えられる。

ここでDとSはともに個々の行為の合成によって決定されている。

このとき経済学個人の振る舞いに関する諸条件に根拠を与え、それらの条件はZの持つべ諸公理を導く。

すなわち Z: R_{+}^{l} → R^{l} が需要過剰写像であるとは、次の公理を満たすZを言う。

これにより、Zは境界を含まない正の象限と(l-1)次元球面との共通部分上のベクトル場とみなせる。

均衡価格ベクトル、つまりZ(p^{*}) = 0となるベクトルp^{*}の存在ホップ定理から導かれる。

この問題は、価格ベクトル状態とする力学モデルを探すということである

この理論現存する均衡理論と両立しなくてはならない。

理想的なのは経済行為者の個々の行為によって決定される価格時間発展をも含むことである

2024-06-09

冒頭ではわたくしが20代の時に上司からバカだと言われたエピソードを紹介した。かせぎをやりくりして金を止めていることを誇りに思っていたら、上司にこれから収入が増えるのだから、今稼いでる金を使わないのは愚かだと窘められた話だ。このアドバイスは場のオリジナルではない。若いとき節約よりも自由に金を使う方が合理的。という考えを支持する経済学者は多い。それは私達が大人になる過程で聞かされ、続けて来たことは違う。誰もがはっさい救済になると親から誕生日お小遣いを全部使うのでなく、少し貯金しておくべきだと教わる。大人になったらファイナンシャルアドバイザーからできるだけ早いうちに給料の一部を貯蓄に回すべきだと言われる。若い若いうちに貯蓄を優先させるのは良くないと主張する経済学者は多い。プレイクの。このミックスやばい経済学の著者として有名な経済学者。レヴィットはシカゴ大学に着任したとき社員こまんと言う年上の教授から節約などしないで積極的に金を使うべきだと忠告されたという。Sheikhマン自身シカゴ大学の有名な経済学者であるフリードマンから同じアドバイスをされている。これから給料が上がっていく!稼ぐ力は右肩上がり。デヴィッドは先輩の社員。この言葉を解消する私が上司に言われたとほとんど同じアドバイスだ。だから今は節約するのではなく、むしろ金を借りるくらいで、ちょうど良い十年後や15年後の今より豊かな暮らしを想定し、今からそのとうりに暮らすべきだ。

2024-06-08

anond:20240608153304

その引用部分がどう間違ってるのか説明しないことには「経済学んだ方が良さそうだ」という結論にはならないように思う。

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(後半)


(前半からの続きです。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093126


現代アートの不満


もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。


大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品ほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。


思い返せば2020年トリエンナーレにあった「エビSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビ水草の入っている閉じた水槽)の中でエビ酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビ生殖をしなくなる。そこでエビ生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品エビセクシーな格好をさせるとか、エビ秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶していますしかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球生態系比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています


2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家メモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。


現代芸術作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます人文学哲学歴史学経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。


かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家自由作品を作れるはずなのに、ただ社会要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります


しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。


作品」と「意味


トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。


しか問題受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケ作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります


今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています作品意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います


私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメ解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかアニメ本編とはズレているか面白い。YOASOBI の歌はアニメストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界アートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います


しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。


批判いたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレ批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーション環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感理解できますが、それとは別に芸術資本関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品意味もつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。


むすび


咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーター解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義マルボロ広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランス果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーター真剣構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います


要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます


魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風ファンになり、富山妙子画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号オブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛け作品が好きでした。


つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。


2024-06-02

転売行為需要供給経済原理に基づくものだって言ってるのはバカ

とはいえ中級ミクロ経済学くらいの知識はいるので、馬鹿といっちゃうのは言い過ぎかも。

需要供給メカニズムが正常に働くためには、メーカーや通常の流通チャンネルが得る利益が上昇しなければならない。転売ヤーは、転売行為を行っている人が儲かるだけでメーカーは儲からいか価格メカニズムによる調整が働かない。転売ヤーがいないほうが商品アクセス簡単になる可能性が高いので、流通ともみなせない。生産者からファンへの商流に介入し付加価値を与えずに上前を撥ねるという意味では消費税のほうが原理としては近い。

で、消費税がそうであるように転売ヤー存在によって消費者が支払う費用が上昇し、均衡供給が減少するので、総余剰が減少する。ゲームエコシステムは広がらず、アイドルファンのすそ野は狭くなる。消費税公共の福祉のために使われることで総余剰の減少を相殺する、ということになっているが、転売ヤーにはそういうメカニズムがない。

そもそも企業が正しい値段付けをしていれば転売ヤーの入る余地はないので転売ヤーは悪くないというのも間違っている。企業には短期的な利益最大化の価格より低い値付けをするインセンティブがあるから。一番わかりやすいのはゲーム本体のケース。ゲーム機が売れれば売れるほどゲーム機のエコシステムに正の外部性が働くから、売り出し時点の均衡価格より低い値段で本体販売することで需要を刺激できる。ゲーム機のエコシステムから得られる総利益考慮すると、ゲーム本体会社均衡価格より低く売り出すインセンティブは強くある。これは、ゲーム機の販売による正の外部性メーカーが内部化しているということなので、おそらく定価のほうが「短期均衡価格」よりも経済学的な意味効率的(総余剰が高い)可能性が高い。逆に、転売ヤーみたいに販売最初の一週間は定価の五倍から始めて一年かけて落としていく、みたいなことをされるとエコシステムの成長が阻害される。

おそらく、アイドルチケットなどもそう。市場均衡まで価格を上げるより、あまり値段を上げすぎないで、現在収入が低いが熱心なファンにもチケットがいきわたるようにすることで、ファンのすそ野を広げ長期的な利益の最大化が図れる。

転売は悪だが、別に個人利益の追求の結果としてエコシステムの成長が阻害されたって犯罪ではないし、犯罪とすべきでもないとは思う。マスクとか、全国民外部性があるようなケースを別にすれば、法律違法行為とするのは正直疑問感ある。不正競争防止法文脈なら考えられなくもないけど、あれって具体的な対象特定必要だし、そこの建付けを転売ヤーのために変えるのか、というのはパターナリズムが過ぎるかなという感じ。反社勢力資金が流れてるとかなら別だけど。

もちろん、自分利益のためにエコシステムに害を与えているので、ファンから非難されるのも、メーカーが工夫を凝らすのも当然だと思う。善か悪かだったら悪だよね。

anond:20240602135523

規制のない自由経済暴走して混乱を産みやすい」ってのは経済学の基本だぞ

2024-06-01

anond:20240531060924

ブルデュー説明する文化資本引用するのであれば、社会資本定義ブルデューから引用するべきで、美術館などは社会資本には含まれないのでは?

美術館社会資本に含めるのは経済学の方で、意味美術館と言う物が存在します以上の意味は無さそう。

自分wikipedia読んだだけだが

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