はてなキーワード: 戯言とは
毎年吹奏楽コンクールがあるおかげでどちらも盛んで良い文化だと思う。
アマチュア吹奏楽団がコンクールに出る際、「職業演奏家」の参加はチーム失格となるほど大きな罰となっている。
近年、演奏家はYoutuberとして現役の音楽学校に通っている学生や、その後フリーランスで頑張っている方々が投稿していたりする。
自称プロ、という方もいれば、やってみた、という方もいて様々だ。
時代の認知の差でもあるが、私は、難易度の高いソロコンクールの受賞歴があったり、伝統あるオーケストラや吹奏楽団に所属しているプレイヤーはプロだと思っている。
前者はソリストやプレイヤーとしての腕が認められている結果、後者は狭き門であるオーディションを突破し、生業に出来た人たちだ。
定期演奏会等での演奏の質で「さすがプロ」と思いたいところだが、
最近は集客の懸念からゲーム音楽や歌謡曲ばかりを大きなコンサートホールで聴いている。
ゲーム音楽も歌謡曲ももちろん好きだが、何かが知らないうちに変わっていた。
特に吹奏楽は吹奏楽コンクールでの課題曲とゲーム音楽等で1年間の演奏会を回している印象が強い。
若手への教育教養や文化を育てる方法が、少しずつ変化している。
私はそういった演奏会が決して嫌いではない。
しかし、鬼滅の刃やその他の歌謡曲を演奏するために芸術大学や音楽学校は存在するのだろうか?
クラシック音楽だけで生計を立てるのは難しいのは十分に理解しているが、クラシック音楽を普及させない政治が悪いのだろうか?
アニメソングを吹いてすごい、と言われるには将来西洋楽器は必要ないのでは?と思うととても不安である。
先週、とあるプロ吹奏楽団のプレイヤーとお話する機会があった際に
その方の楽器のクラシック音楽がとても好きなので、あれこれ会話が盛り上がると思ったら
前回、小説家のSNSは宣伝程度にとどめるべきではないかという戯言を書いた気がする。その際有難いことに記事の反応として三件頂けた。
正直、こんな酔っ払いのような中身のない話にいくつか意見を頂けたことに対して有難いと感じた。
届いた三件の言葉から引用して、今現在どう思っているかについて軽く触れておきたい。
<言うて三島由紀夫を挙げるまでもなく小説家なんて政治に物申してなんぼやろ。むしろそれが教養人としての責務やで。>
小説家が政治に関わり、意見を述べることについては良いことだと思う。教養人として言論人として政治に介入することはある程度の責任を負うことだが、
自らの立ち位置を明確にしたうえで発言することが教養人の責務であるという点に私は感嘆した。
<小説家だろうが誰だろうが、SNSを使うのは別にいいと思う。言いたいことを言えばいい。ただ、その結果、責任は本人が取らなくてはいけない。 あとはフォローする側が、相手に対して...>
言いたいことを言えばいいというのはもちろんのことだ。ただ、社会的ステータスの高い立場からデマ情報をファクトチェックせずに流す行為について、ある程度責任的な所在を明確にすることや、明確な悪意が認められた際に法による裁きを受けることは当然ではないだろうか。一時的な謝罪もそうだが、悪質な場合は法の判断が必要ではないか。その場合、司法機関は阿鼻叫喚になる気がするが。
<言論自由だろ ツイッターでネトウヨ判定されて知名度が良くない意味で増えたとしてもそれも含めて漫画家の魅力である>
言論は確かに自由であるべきだが、かといって大多数の人間は「自由」の意味をはき違えているようにしか思えない。ただ、炎上商法という点については成功の部類だし、魅力として売りに出すことに特別に異議を申し立てるわけではない。
補足しておくが、私は言論弾圧がしたいわけではない。既存の政治に対して立場から意見を述べること。社会の時事問題に関する個人の見解。多様な視点から意見として集約されることは良いことだ。重要なのは、社会的立場からデマ情報を流布することに対する責任所在の明確を求めるべきではないか。
どこからともなくそのような声が聞こえた方へ目をやると散歩するかのように歩む男居た。その手には刃物。薪割り用だろうか。
男の視線はテントを物色するイノシシへ向けられた。
ご存知だろうか?野生動物は意外と人馴れしている。ただ人馴れしていると言っても野生動物は野生動物へ無関心な農夫などに馴れているのだ。
当然ながら自身へ危害を加えそうな者には警戒をするし、怯えから予測不可能な行動を取りそうな者にも野生動物は警戒を示すのだ。
男の歩みは驚くほど緊張感がなく自然体だった。キャンプ場という自然へ溶け込むような、まるで男が置かれている環境を利用するかのような歩みで、確かに目の前にいるはずの男、その男の存在感が希薄なのである。
ついに男はイノシシへ手を伸ばせば届きそうな距離まで肉薄し、一閃。
都合の良い餌場を得たと油断していたイノシシは急に身体へ走る痛みへ驚き、その痛みを与えてきた者がいつの間にか直ぐ近くへ居ることに驚いた。
イノシシは親から子へ受け継がれる本能のまま、考えるよりも速くすかさず体当たりを選択したものの男は後ろ歩きで軽く回避する。
メガネをクイッと動かしながら傍観していた別の男が言葉をこぼした。
「運動において蹴り足は重要でアスリートも蹴り足にこだわりを持っている人が居るくらいです」
男が体当たりを回避したことによりイノシシの思考は現実へ追いつく。初撃で蹴り足の力を奪われ体当たりの威力を削がれていたのだ。
男は刃物を振り回し、冷静にイノシシの視覚、聴覚、嗅覚を奪って行く。
ピギィッッッ!
光がなく音も無い暗黒の世界でしっかりと大地を踏みしめイノシシは雄叫びを上げる。気道にたまる血を雄叫びと共に吐き捨て息を整える。
コイツは強大な敵だ。負ければ死n・・・思考が急な衝撃によって遮断される。息をついたスキを狙う男の強烈なキック。
五感が制限される状態で平衡を維持するのは難しくイノシシは転倒してしまう。
現代格闘技においても蹴り足の重要性はもはや語るまでもなく、蹴り足を軽視することはボクシングに蹴り技が無いと主張してしまうような思春期中学生の戯言と同様であり、高校生ともなれば恥ずかしさのあまり訂正するのが普通です。
男は気配を自然へ溶け込ませ接近しイノシシの蹴り技を奪ったのです。
気配を消すことや視界を奪うこと、脱力した姿勢の有用性は、とある闘技場で立証されていることは非常に有名な話で、この男はかなりの「使い手」であることがわかります。
https://anond.hatelabo.jp/20220422113730
別に燃えたたわわも宇崎とかも別に好きじゃないしどうでも良いんだよね。
というかあの手のしょうもないエロコメは寧ろ嫌いだし、フェミが主張している「エロ」「巨乳」とかも好みでは無いんだよ。
俺の人生の中からたわわな宇崎が消えようが本質的にはどうでも良い。
じゃあ何故反対するのか?
一番には、表現の規制狂戦士の言い分には正当性が無さ過ぎるから。
現状では法律にも出版コードにも特に引っかかっていない他者の表現及び経済活動をキャンセルするには
キャンセルするに至る正当性且つ合理的な理由が必要なんだが(それこそ作者が逮捕されたとか)
女性搾取がー差別がーTPOがーパリポリコレがー🍤がー国連(の方)が抗議をー(ごく一部の)女性達が不快感をーとかさ
ってなるのよ。
まあクレームしてる本人達も根拠なんてお気持ちベースな自覚あるから、データ出さずに世間のお気持ち感情に訴えかけているんだろうけど。
繰り返すが別に宇崎の月曜日なんてまず読まないし明日打ち切りになっても本当に俺は困らないんだけど、勿論困る人は大勢いるよね?
作品のファンとか、勿論作者や出版社も。その程度の想像力も無かったりする?
それにジェンダークレーマーの嫌がらせクレームを一々聞いていると、その矛先はいつか自分の好きな作品、好む表現に向いて燃やされるかも知れない。
毒にも薬にもならない様な癒やし漫画が規制されたら、俺は全力で悲しむしキレる。
フェミさんは審査機関を設けて審査させろだの編集部にフェミニスト雇えだのフェミ漫画を連載して推せとか戯言吐いてるけど
そういった無駄な事にかかるコストはどこかで自分達消費者が負担しなければいけないだろう。
何故、ヘイトスピーチを繰り返すフェミニストとか言う気に食わない連中の為に、消費者が損をしなければならないのか?
後、マジでそこらの表現が燃やされる様になったら、グラビアやってるフェミのグラビアとか、表現規制賛成派BL作家の作品とか、腐れ腐女子の二次創作とか
キモいオッサンを晒す動画とか、革靴履いてドヤ顔で腕組みしてる例のポスターとか、お前らの表現も差別的で性的で搾取として、規制しなければいけなくなるけど、それで良いのかな。
まさかーポリコレ性差別TPO基準が自分達に限り適用されないなどと思ってないよね?
いやフェミやBLは無罪とか真面目に思ってそうだから救いようが無いんだけど。
キャンセルカルチャーの応酬になっちゃうけど、余りにも不毛で合理性無いからそんな未来は嫌なんだけどね個人的には。
でも想像力に欠けたお気持ちヒスの1bit脳で行動しているヘイトスピーチモンスターなフェミニストのクレームを一々聞いてたらそんな未来になっちゃうのよ。
だからたわわが燃やされている内に、反対しなきゃいけないんだよね。
ぶっちゃけ巨乳フェチ過ぎてキモいけど、あれが性差別だの搾取だの言われても困る。論理が飛躍し過ぎなんだよマジで。
それに女みたいなもんオ○コするだけの道具やんけ、なにムキになっとんねん。
https://twitter.com/ynys_afallon/status/1514258768804032515
”NATOは人類史上最も成功した軍事同盟のひとつであり、発足以来70年以上にわたって、NATO同盟諸国の間で武力紛争を起こしておらず、域外の国家からの攻撃も許していない。日本がNATOに接近し、より緊密な関係を構築しようとするのは安全保障上当然のこと。”
https://twitter.com/isezakikenji/status/1514584654527209472
”NATOが史上最も成功した軍事同盟だというような戯言は、あの最悪の敗走で終わったアフガン戦を経験し、NATO軍事委員会副議長を務めた友人の米陸軍中将でも言わないでしょう。日本の御用学者ぐらいでしょう。”
作中で10回ぐらい「劇中に描き出されているのは制作者たちの一部分だけであり、故意に切り出されて誇張、もしくは削除されている部分が多数あります」って話してたよな?
その話読んだ感想が「つまりこの作者は~~~」になるのはおかしいだろ????
作品を見て感じ取った制作者の印象は、制作者が相手にそう思わせるように故意に抜き出したもの、もしくは意図してはいなかったがそうやって伝わってしまったものだって話をずっとしてたよな?
それ読んだ直後の感想でなんで「この作品によると作者の人となりは~~~」になるんだよ?????
感想って基本的にどんな内容でも自由だと思うんだが、文盲がランダムにキーボード打っただけみたいな戯言だけは流石に勘弁してくれ
去年だったか、ブックマーカーが遭遇したと告白してくれた事件だ。
たしか、クルマで通りかかった男が横断歩道に立っているミニスカートの女の子に「勘違いしてんじゃねえよ」みたいな暴言を吐いたという事件だ。
人気コメントを眺めていた俺は、あまりに驚いてしまって、ブクマ先の記事に何書いてあったか、すべて吹っ飛んでしまった。
後日調べた限りでは嘆かわしいことに、こうした暴言は、どの法律・条例にも引っかからない。
こんなこと言うと貴方たちは、またぞろお得意の表現の自由とやらで擁護するんだろうけどさ。
道徳の授業は寝てたのか?? モラル感覚は一体全体どこに置き去りにしてきたんだ??
マンガだってプライドをかけて一生懸命描いてるんだろうが! そうした人間性もプロフェッショナリズムも無視して安全な外野から心無い罵倒を投げておいて、感想だから無害です、だと?
キモいと言われる覚悟があるなら、キモいと言っていい、みたいな戯言を吹聴してる奴もいるな。
アニメのセリフを現実と混同してるんじゃあない。覚悟は免罪符にならねーんだよ。
人を傷つけるようなことは、言っちゃいけない って小学生以前の小児でも解ってることだぞ。
クルマで通りがかった暴漢が、横断歩道のミニスカートの女性にかけた悪辣な言葉。
それは彼女を傷つける言葉だということは、議論の余地はないはずだ。誰にでもわかる、言語道断の事態だよ。
貴方たちの「キモい」はマンガ作家を傷つける恐れはない? 傷つけるつもりはなかった? まさかそんなことを言い出すんじゃなかろうね?
この世の中がミニスカートを探して徘徊する邪悪なクルマだらけじゃないのは、それを止めているモラルがあるからだ。言っとくけどモラルを投げ捨てちまったら、横断歩道に立てなくなるのはミニスカートの子だけじゃないんだからな。
■いい人はなぜ女に選ばれないのか
いや、そもそも優しくていい奴こそがモテるに決まっているだろうと思う人もいるだろう。
女の子に好みのタイプを聞けば当然のように「優しい男」がまず挙がる。
実際、女の子からは「暴力を振るう男は絶対無理」、「チャラい男は苦手」、「浮気をする男なんてサイテー」という言葉もよく聞くだろう。
やはり優しい男こそモテるのではないだろうか。
女は決まって優しい男が好きだと言い、優しくない男を侮辱した言葉を使う。
あえて直接的な表現を使うならば、彼女らはどんな男とヤってしまっているだろうか。
そもそも暴力を振るう男が最低と言われるのは、男に暴力を振るわれたか、そういう男の存在が身近にいたからだろう。
つまり、わざわざ最低であると言われる程度には女と深い関わりを持っているのである。
これは浮気をする男やチャラい男についても同様で、女側が浮気をされたり、チャラい男に遊ばれたり、もしくはそれに準ずる体験をしたからこそ、そういった男たちが悪く言われるのだ。
まるでそういった所謂「悪い男」たちの肩を持っているように思われるかもしれないが、伝えたいことの本質はそこではない。
女に暴力を振るってしまうような悪い男でも、女性から男性として認められ、身体の関係や交際関係を許されている時点で、男性としての魅力やモテ力という意味においては、優しくていい人だけど恋人とは違うかもなんて戯言を言われ続け、交際やセックスへとたどり着くことのできない「いい奴」よりも数段格上であるという事実なのだ。
ここまで言ってもおそらく、ほとんどの人間はこの事実を認めようとはしないだろう。
特に女性と、女性に媚びてしまっているタイプの去勢された非モテ男は絶対に認めることはない。
もしくは仮に認めたとしても、「正しいかもしれないけどそんなことを言って何になるの?」と決まりの悪い顔をするだろう。
実際は人間の幸不幸を決めかねない、とてつもなく重要な問題であるのにも関わらずだ。
しかしこれは本能に裏打ちされた感覚であるため、それは仕方のないことである。
理屈によって議論を進めることもできるが、ここではまず、あえて例を挙げつつ「優しくていい奴はモテない」という現実を直視するところから始めていこうと思う。
男女の集まりでよく見かける光景の一つとして、男の彼女いないアピールとそれに対する女性側の慰めがある。
「○○くんは優しいし、いい人だから絶対すぐ彼女できるよ」、こんな言葉を聞いたことがある人や、言われたことのある人もいるだろう。
ここでまず疑問に思われるのが、じゃあそれを言っている女の子はなぜその男の彼女に今すぐ立候補しないのだろうかということだ。
そして、優しくていい人であるはずのその男には今現在なぜ彼女がいないのかということである。
この疑問に対する答えとして、「いい人だと思うかどうかと恋人にしたいかどうかは違う」だとか、「その女の子は別に今恋人を欲しいと思っていない」だとかが考えられるが、これらは建前でしかない。
「単なる社交辞令」というのも正解のようで説明がしきれていない。
この疑問に対する解答として的確なのは、「そもそもその男に男性としての魅力や雄としての力が一ミリもない」だろう。
男性としての魅力がないから女の子から彼氏にしたいとは思われないし、雄としての力がないから彼女を獲得するだけの行動をすることができないとすると、完全に説明がつく。
そもそもの話をすると、女性の前で彼女ができないアピールをするのは恋愛的な面では百害あって一利なし、言語道断な悪手である。
「自分には男性としての魅力がない」ということをわざわざ表明しているようなものなのだ。だからこそモテない奴は、その言動によってよりモテなくなる。
一度女性の言うことや、一般的な常識から抜け出した視点で現実を見てみよう。
大学の課題に困っている女の子に課題を教えてあげている優しい男はその子と付き合えているだろうか。
デート代を毎回払って三回目のデートで誠実な告白をした男が振られているのを見たことはないだろうか。
「優しい人なんだけどね」と女に陰で言われている男を見たことはないだろうか。
筆者は女の子の死にたいラインを一年間ほど精神をすり減らしながら優しく慰め続けた経験があるが、ついぞ男として見られることはなかった。
一方で、一見不誠実な男たちを見てみよう。
チャラついた男の経験人数が何桁もあったり、サイコパスな男でも彼女が出来ているのを見たことはないだろうか。
女性に対して舐めた態度をとっているのに、なぜか自分よりモテる男を見たことはないだろうか。
自分の方が真面目でいい奴なはずなのに、何人もの女性から選ばれ浮気をしている男を見たことはないだろうか。
学生中にデキ婚する男を馬鹿だと見下しつつ、そんなことができる相手がいることを疑問に思ったことはないだろうか。
仲のいい女の子が明らかなクズ男の沼にハマっているのを見たことはないだろうか。
こういった、一般的な常識や女性の意見と現実との乖離はなぜ起こるのか。
これを説明する答えは単純明快だ。女性は本能的に優しくていい奴には男性としての魅力を感じないようにできているのである。
しかしこういった疑問を持つ人もいるはずだ。
「ではなぜ口では優しい人が好きだと言うのか」、「女性が本能的に優しい人に魅力を感じないのであれば、その形質が現代まで保存されているのはおかしいのではないか」と。
これについてはgood genesとgood dadの概念や、男と女での形質の非対称性によって説明できる。
どれだけ文明が発達しようが、理性を持っていようが、ヒトは動物であり種を保存しようという性質があることは事実だ。
ずっと遡って、言葉ができ始めたぐらいのちょっと賢いサルの時代のことを考えてみよう。
ヒトは通年繁殖可能であり、今で言えばナンパのように見知らぬ個体に声をかけて性行為を交渉していたのだろう。
そんな環境では自分から声をかけられなかったり、雌に対してグイグイ押していけない優しい個体はきっと性行為にありつけなかったはずだ。
逆にレイプまがいのことをするような個体の方が遺伝子を残せていたのではないだろうか。
しかし、群れの繁栄という意味で見た場合は、優しい個体にも有用性がある。
群れが存続するためには新しい世代を育てなければならない。
産むだけであればなりふり構わず性行為を行う形質のみが有利に働くだろうが、子育てとなると母性や優しさや、育て続ける誠実性も重要になる。
セックスのことしか考えないような個体ばかりの群れは近親相姦によっても崩壊するだろう。
なぜ雄が雌に求愛するという仕組みができたかはわからないが、そういった仕組みである以上、優しさや誠実性といった形質は、雄に受け継がれた場合は遺伝子を残すのに不利に働き、雌に受け継がれた場合には子を育てやすいという意味で遺伝子を残すのに有利に働く。
この雄と雌での形質の非対称性によって、強い雄の性質であるオラオラ形質と、弱い雄や良い母の性質である優しさ・誠実性形質が絶妙なバランスを保って保存され続けてきたのだとすると説明がつく。
弱い雄が遺伝子を残せなくても、良い母が遺伝子を残すことによって優しさや誠実性といった形質も保存され続けるのだ。
運が良いのか悪いのか、弱い雄に生まれてきた個体は、おそらく本人は子を残さずに群れの子どもの世話役をしていたのではないだろうか。
これが所謂、good genesとgood dadの関係である。
そして雌は雄の性質を本能的に嗅ぎ分けており、遺伝子を残す(=性行為)に値する個体かどうかを見極めているのである。
この仕組みは現代でも変わらない。実際、托卵(遺伝的な子ではない子をそうだと知らずに育てている)の割合は日本では20人に1人程度らしい。
これを聞いてそんな酷い世界があるかと思う人もいるかもしれないが、むしろ現代社会は弱い雄に優しく、弱くても子を残せるようになっているぐらいなのだ。
皆婚制度や一夫一妻制なんかは、強い雄が女性を独占できないようにする、まさに弱者男性を守るための制度である。
文明の発達によって誠実さのある人の方が仕事で成果を出して収入を得ることができ、結果として結婚などに結びつくようになっている。
だがしかし、収入や肩書き、優しさや誠実性が評価されるのは女性が結婚を焦るようになる30代前後での話であり、しかもそれは肩書きを抜きにした男性的な魅力を評価しているわけではないのである。
少なくとも大学生や社会人になりたてぐらいの時期では強い男の方がモテるし、優しくていい奴がモテることはないのだ。
そして雄としての力が弱い状態で結婚をしても、十分に女性を魅了することができずに不倫や托卵をされるという事態につながることもある。現実は残酷だ。
そして現実は優しい男なんて選ばないのにも関わらず、優しくていい人を褒め称えるような行動を女性はとってしまう。
これも群れの繁殖に都合がよいからなのだ。強い雄はその強さ故に群れの和や秩序を乱してしまうし、そんな暴力が完全にまかり通ってしまっては群れが崩壊してしまう。
一部の強い雄の遺伝子を残して弱い雄に育ててもらうという戦略を女性は本能で取り続けているのだ。
実際に言葉で説明できる女性はほとんどいないだろうが、それを感覚で理解しているからこそ、男を優しい非モテに仕立て上げようとしつつも、それを破ってくる男の遺伝子を残そうとするのである。
優しくていい奴、つまり結婚するにはいいけど彼氏にはしたくない(=遺伝子を残したくない)と思われる人は基本的に男性としてモテることはない。
これはヒトという動物が採択した生存戦略に基づくものであり、社会制度や女性側に期待をしてどうにかなるものではないのである。
男が恋愛や結婚といった男女の関係において充実し、人生を幸せにするためには、まずこのことを理解しなければならない。
そして強い雄へと成長するしか道はないのである。このことを理解するためにも、男として成長するためにも、行動や実践に挑むことは必要不可欠だ。
最後に、何もクズ男になれとか、ただグイグイいけるようになればいいとか、そんな次元の話をしているわけではない。
優しくていい奴に甘んじて、若いうちに沢山遊んできたけどそろそろ結婚を考えてドキドキを妥協してでもいい人を選ぼうなんて女性の魂胆に乗せられるしか救済のない人生を送るか、good genes性とgood dad性を使いわけて真に好きな女性と幸福を分かち合う人生を送るか、その選択の話なのである。
・はじめに
優しくていい奴はモテない、とことんモテない。これはいったい何故なのだろうか。いや、そもそも優しくていい奴こそがモテるに決まっているだろうと思う人もいるだろう。女の子に好みのタイプを聞けば当然のように「優しい男」がまず挙がる。実際、女の子からは「暴力を振るう男は絶対無理」、「チャラい男は苦手」、「浮気をする男なんてサイテー」という言葉もよく聞くだろう。やはり優しい男こそモテるのではないだろうか。これはとんだ誤謬である。
女は決まって優しい男が好きだと言い、優しくない男を侮辱した言葉を使う。だが現実、彼女たちは普段どんな男を選んでいるだろうか。あえて直接的な表現を使うならば、彼女らはどんな男とヤってしまっているだろうか。そもそも暴力を振るう男が最低と言われるのは、男に暴力を振るわれたか、そういう男の存在が身近にいたからだろう。つまり、わざわざ最低であると言われる程度には女と深い関わりを持っているのである。これは浮気をする男やチャラい男についても同様で、女側が浮気をされたり、チャラい男に遊ばれたり、もしくはそれに準ずる体験をしたからこそ、そういった男たちが悪く言われるのだ。
まるでそういった所謂「悪い男」たちの肩を持っているように思われるかもしれないが、伝えたいことの本質はそこではない。女に暴力を振るってしまうような悪い男でも、女性から男性として認められ、身体の関係や交際関係を許されている時点で、男性としての魅力やモテ力という意味においては、優しくていい人だけど恋人とは違うかもなんて戯言を言われ続け、交際やセックスへとたどり着くことのできない「いい奴」よりも数段格上であるという事実なのだ。
ここまで言ってもおそらく、ほとんどの人間はこの事実を認めようとはしないだろう。特に女性と、女性に媚びてしまっているタイプの去勢された非モテ男は絶対に認めることはない。もしくは仮に認めたとしても、「正しいかもしれないけどそんなことを言って何になるの?」と決まりの悪い顔をするだろう。実際は人間の幸不幸を決めかねない、とてつもなく重要な問題であるのにも関わらずだ。しかしこれは本能に裏打ちされた感覚であるため、それは仕方のないことである。理屈によって議論を進めることもできるが、ここではまず、あえて例を挙げつつ「優しくていい奴はモテない」という現実を直視するところから始めていこうと思う。
・優しい男の悲惨さ
男女の集まりでよく見かける光景の一つとして、男の彼女いないアピールとそれに対する女性側の慰めがある。「○○くんは優しいし、いい人だから絶対すぐ彼女できるよ」、こんな言葉を聞いたことがある人や、言われたことのある人もいるだろう。ここでまず疑問に思われるのが、じゃあそれを言っている女の子はなぜその男の彼女に今すぐ立候補しないのだろうかということだ。そして、優しくていい人であるはずのその男には今現在なぜ彼女がいないのかということである。
この疑問に対する答えとして、「いい人だと思うかどうかと恋人にしたいかどうかは違う」だとか、「その女の子は別に今恋人を欲しいと思っていない」だとかが考えられるが、これらは建前でしかない。「単なる社交辞令」というのも正解のようで説明がしきれていない。この疑問に対する解答として的確なのは、「そもそもその男に男性としての魅力や雄としての力が一ミリもない」だろう。男性としての魅力がないから女の子から彼氏にしたいとは思われないし、雄としての力がないから彼女を獲得するだけの行動をすることができないとすると、完全に説明がつく。
そもそもの話をすると、女性の前で彼女ができないアピールをするのは恋愛的な面では百害あって一利なし、言語道断な悪手である。「自分には男性としての魅力がない」ということをわざわざ表明しているようなものなのだ。だからこそモテない奴は、その言動によってよりモテなくなる。モテないスパイラルに陥ってしまうのである。
一度女性の言うことや、一般的な常識から抜け出した視点で現実を見てみよう。大学の課題に困っている女の子に課題を教えてあげている優しい男はその子と付き合えているだろうか。デート代を毎回払って三回目のデートで誠実な告白をした男が振られているのを見たことはないだろうか。「優しい人なんだけどね」と女に陰で言われている男を見たことはないだろうか。筆者は女の子の死にたいラインを一年間ほど精神をすり減らしながら優しく慰め続けた経験があるが、ついぞ男として見られることはなかった。
一方で、一見不誠実な男たちを見てみよう。チャラついた男の経験人数が何桁もあったり、サイコパスな男でも彼女が出来ているのを見たことはないだろうか。女性に対して舐めた態度をとっているのに、なぜか自分よりモテる男を見たことはないだろうか。自分の方が真面目でいい奴なはずなのに、何人もの女性から選ばれ浮気をしている男を見たことはないだろうか。学生中にデキ婚する男を馬鹿だと見下しつつ、そんなことができる相手がいることを疑問に思ったことはないだろうか。仲のいい女の子が明らかなクズ男の沼にハマっているのを見たことはないだろうか。
こういった、一般的な常識や女性の意見と現実との乖離はなぜ起こるのか。これを説明する答えは単純明快だ。女性は本能的に優しくていい奴には男性としての魅力を感じないようにできているのである。しかしこういった疑問を持つ人もいるはずだ。「ではなぜ口では優しい人が好きだと言うのか」、「女性が本能的に優しい人に魅力を感じないのであれば、その形質が現代まで保存されているのはおかしいのではないか」と。これについてはgood genesとgood dadの概念や、男と女での形質の非対称性によって説明できる。
まず第一に、人間だって動物なのである。どれだけ文明が発達しようが、理性を持っていようが、ヒトは動物であり種を保存しようという性質があることは事実だ。ずっと遡って、言葉ができ始めたぐらいのちょっと賢いサルの時代のことを考えてみよう。ヒトは通年繁殖可能であり、今で言えばナンパのように見知らぬ個体に声をかけて性行為を交渉していたのだろう。そんな環境では自分から声をかけられなかったり、雌に対してグイグイ押していけない優しい個体はきっと性行為にありつけなかったはずだ。逆にレイプまがいのことをするような個体の方が遺伝子を残せていたのではないだろうか。
しかし、群れの繁栄という意味で見た場合は、優しい個体にも有用性がある。群れが存続するためには新しい世代を育てなければならない。産むだけであればなりふり構わず性行為を行う形質のみが有利に働くだろうが、子育てとなると母性や優しさや、育て続ける誠実性も重要になる。セックスのことしか考えないような個体ばかりの群れは近親相姦によっても崩壊するだろう。
なぜ雄が雌に求愛するという仕組みができたかはわからないが、そういった仕組みである以上、優しさや誠実性といった形質は、雄に受け継がれた場合は遺伝子を残すのに不利に働き、雌に受け継がれた場合には子を育てやすいという意味で遺伝子を残すのに有利に働く。この雄と雌での形質の非対称性によって、強い雄の性質であるオラオラ形質と、弱い雄や良い母の性質である優しさ・誠実性形質が絶妙なバランスを保って保存され続けてきたのだとすると説明がつく。弱い雄が遺伝子を残せなくても、良い母が遺伝子を残すことによって優しさや誠実性といった形質も保存され続けるのだ。運が良いのか悪いのか、弱い雄に生まれてきた個体は、おそらく本人は子を残さずに群れの子どもの世話役をしていたのではないだろうか。
これが所謂、good genesとgood dadの関係である。良い遺伝子であることと良い親であることは異なるのだ。そして雌は雄の性質を本能的に嗅ぎ分けており、遺伝子を残す(=性行為)に値する個体かどうかを見極めているのである。
この仕組みは現代でも変わらない。実際、托卵(遺伝的な子ではない子をそうだと知らずに育てている)の割合は日本では20人に1人程度らしい。これを聞いてそんな酷い世界があるかと思う人もいるかもしれないが、むしろ現代社会は弱い雄に優しく、弱くても子を残せるようになっているぐらいなのだ。皆婚制度や一夫一妻制なんかは、強い雄が女性を独占できないようにする、まさに弱者男性を守るための制度である。文明の発達によって誠実さのある人の方が仕事で成果を出して収入を得ることができ、結果として結婚などに結びつくようになっている。
だがしかし、収入や肩書き、優しさや誠実性が評価されるのは女性が結婚を焦るようになる30代前後での話であり、しかもそれは肩書きを抜きにした男性的な魅力を評価しているわけではないのである。少なくとも大学生や社会人になりたてぐらいの時期では強い男の方がモテるし、優しくていい奴がモテることはないのだ。そして雄としての力が弱い状態で結婚をしても、十分に女性を魅了することができずに不倫や托卵をされるという事態につながることもある。現実は残酷だ。
そして現実は優しい男なんて選ばないのにも関わらず、優しくていい人を褒め称えるような行動を女性はとってしまう。これも群れの繁殖に都合がよいからなのだ。強い雄はその強さ故に群れの和や秩序を乱してしまうし、そんな暴力が完全にまかり通ってしまっては群れが崩壊してしまう。一部の強い雄の遺伝子を残して弱い雄に育ててもらうという戦略を女性は本能で取り続けているのだ。実際に言葉で説明できる女性はほとんどいないだろうが、それを感覚で理解しているからこそ、男を優しい非モテに仕立て上げようとしつつも、それを破ってくる男の遺伝子を残そうとするのである。
・おわりに
優しくていい奴、つまり結婚するにはいいけど彼氏にはしたくない(=遺伝子を残したくない)と思われる人は基本的に男性としてモテることはない。これはヒトという動物が採択した生存戦略に基づくものであり、社会制度や女性側に期待をしてどうにかなるものではないのである。
男が恋愛や結婚といった男女の関係において充実し、人生を幸せにするためには、まずこのことを理解しなければならない。そして強い雄へと成長するしか道はないのである。このことを理解するためにも、男として成長するためにも、行動や実践に挑むことは必要不可欠だ。
最後に、何もクズ男になれとか、ただグイグイいけるようになればいいとか、そんな次元の話をしているわけではない。優しくていい奴に甘んじて、若いうちに沢山遊んできたけどそろそろ結婚を考えてドキドキを妥協してでもいい人を選ぼうなんて女性の魂胆に乗せられるしか救済のない人生を送るか、good genes性とgood dad性を使いわけて真に好きな女性と幸福を分かち合う人生を送るか、その選択の話なのである。
レベルが低い、フェミニストの方(なのかどうか不明だが、こう書かないと伝わらないと思われるため、便宜上このように書く)の評価に対するオタク側の反応も、それに対する反応も含めて、全部レベルが低い。
余りにレベルが低過ぎて真面目に書くと書く事が多すぎる、要点だけまとめる。
フェミニストへの反論として進撃の巨人世界の残酷さ等を持ち出す等、オタク側のレベルの低さも目立っている。
問題とされているのは「その描写がどのようなメッセージを放っている(と解釈されるか)」だ、幾ら残虐描写があっても、それが好ましくない物として描かれるならメッセージは問題無い。
それより、彼らは自分で結局何に反感を覚え、何を言いたいのかが分かっていない。
彼らが不満に感じているのは当然ながら「進撃の巨人が褒められた事」ではない、「進撃の巨人を褒める事をダシにして他の作品が貶された事」だ。
だから浅いレベルで反論したいなら進撃の巨人ファンとして「進撃の巨人を他作品を貶す道具として使用しないで欲しい」と言っておけば良い。
まずは「その描写がどのようなメッセージを放っている(と解釈されるか)」の前提が本当に正しいのかを考えるべき。
よく言われる事だが、作品の解釈は多様である。巨乳キャラやスカートめくりが出てくるキャラクターは「女性蔑視的なメッセージを発している」とされる訳だが、「本当にその解釈は正しいか?」「唯一絶対の物か?」と疑義を突き付ける事は可能。
作品に対する「女性蔑視的なメッセージを発している」という解釈は、結局数ある解釈の内の1つに過ぎない。「作品のメッセージ」なるものを決定する事は読者はおろか作者にも出来ない、まずはその点を強調すべき。
作品を貶そうと褒めようと、それがただの感想なら、そんなものは表現の自由の範疇内。
元になったツイートを見る限り、これはただの感想の域を出ないだろう。なら出版社や作者は気に入らないなら無視すれば良いだけだし、とやかく言う事でもない。
勿論他人の感想に対して感想を言うのも自由だが、出版社や作者に対応を求めるような抗議であればもっと発言した側の責任は重くなる、まずはどちらか見極めるべき。
貶される側の作品は具体的にどれか、他の増田で例として挙げられていたのでここでも「ぼく勉」を採用すると、
確かにあの作品はラブコメである性質上、スカートめくりや女性キャラクターの描き方周辺は「フェミニズムの視線で見れば」脇が甘い。
ただ、作品の価値を決めるのは当然ながら「フェミニズムの視線」だけではない、
萌え文化の文脈で見れば、漫画にマルチエンドを採用した意欲作として評価する事も可能な作品である。
オタク達が結局気に入らないのは、「フェミニズムの視線」だけで作品を評価しようとする偏狭さだろう。
しかし相手方は「フェミニズムの視線だけで評価する」とも「「フェミニズム的価値だけが作品の価値である」とも言っていないのだから、そんなものはただの邪推、ただ黙々と「フェミニズムの視線」とは異なる別の価値観の存在を見せ続ければ良いだけである。
スカートめくりに対するエクスキューズとして「ぼく勉」のやり方が十分か、足りないか、も同じ、そんな物は採用する尺度によって変わる相対的なものでしかない。十分とする尺度も有れば、そうでない尺度もある、それだけ。(その上で尺度同士の優劣を付ける事も可能ではあるが、そのレベルに達している者は殆ど居ない、無視して良い)
ただの感想だからそれで良いのだが、もし「自分の不愉快に配慮された作品が作られるべきである」とまで主張するなら、その「自分」に自分以外の他人を代入した場合も考慮すべきなのは言うまでもない。
もしかしたらAさんはあなたにとっては理解不能な理由で進撃の巨人が「安心して読めない」かもしれない、あなたの「安心して読める数少ない作品」はAさんから見れば「唾棄すべき悪」かもしれない。
そうやって常に自分とは異なる他者への想像力を働かせるのでなければ、他人にとっては他者であるあなたへの配慮を求めるのも、自己中心的視点しか持てない子供の戯言に過ぎない。
最終的にオタクたちが警戒しているのは作品が褒められる事でも貶される事でもない、規制されたり消費者の(または消費者ですらない)声によって作品が修正させられたり消去される事だろう。
しかし以上検討したそれぞれの点を見れば、ただの感想レベルとしては問題ないが、出版社や作者に何らかの対応を求めるには理屈も根拠も足りない物であることは明白である。
だから、それがただの感想でいる内は別に自由なのだから放って置けばよく、どうしても気に成るなら自分も感想の範囲で釘を刺せば良い。
作者の権利を制限したり、作品の改変を求める等の「強い要求」をする為には、作品が与える影響等を分析した科学的根拠や統計的根拠等の「強い根拠」が必要になる、それを出せるレベルにはないのだから、「強い要求」をするまでは放って置けば良いのである。
進撃の巨人という作品が「フェミニズムの視線」だけで批評しきれるような作品でない事は確かである。
既に長くなっているので詳しくは自重するが、
例えば壁の中の人類は過去に外へ侵略という行為に出たことにより人種丸ごと差別されている。これを大日本帝国による罪責を抱える日本の立場と重ねて論じる事も可能であろう。
そのような観点からすると、過去・祖先の罪の適用をどのように考えるか、優生学的な種の根絶による贖いすら含めて議論するこの作品に対し、高々「巨乳キャラが存在しない」程度の事でこの作品の危険さ(とそこに潜む魅力)を見過ごして、フェミニズム的な観点に易々と乗っかって「セーフ」判定してしまう軽さは(日本の立場に批判的であろう左翼なら尚更)滑稽に見える。
進撃の巨人はフェミニズム的な観点から見れば「安心して読める数少ない作品」かもしれないが、この作品の危険さは、そしてその危うさに伴う魅力は、そんな所には無いし、
そんな観点のみで「安心して読める」等と言ってしまう軽薄さは失笑物である。
"科学的根拠や統計的根拠等の「強い根拠」が必要" こうした意見に対する疑問を以前に投稿したが、納得のいく(科学的な)返答が得られなかったのでこの機会に再掲してみる https://b.hatena.ne.jp/entry/4711623874155541026/comment/B2igwzEE
そもそも「表現の自由」自体、科学的根拠のもとに存立したものではないのでは。主張には常に科学的根拠が伴うべきであるなら、まず「なぜ科学的根拠なしに表現を批判してはいけないのか」を科学的に説明してほしい
このコメントは興味深かったので、自分なりの見解を書いてみた。
・性被害。
「深夜にスラム街でブランド品ぶら下げてたら、強盗やスリに合いました!」程度の戯言かなと。
女体そのものに価値がある時点で男からしてみればチートみたいなもんです。寝言は寝て言って欲しいなぁ。
とりあえず自衛しましょうね。坊主一歩手前の金髪ベリーショートにしたり、ヒジャブ代わりにフードでも目深に被れば?
・ルッキズム。
裏を返せば見た目さえ良ければ、身分不相応な能力評価を得られます。
男は2時間メイク頑張ったところで能力が無ければ、容赦無く間引かれます。
良かったですね。家で化粧頑張るくらいで昇進できる恵まれた環境で。
あなたが2時間早く起きる代わりに男性陣は2時間遅くまでサビ残してますね。
・賃金格差。
裏を返せば非正規でも男に寄生さえすれば生きていけることの証左。自立しましょう。
今のご時世、1日10万稼いでくる男と1日30万稼いでくる女が居たら確実に後者が優遇されますよ。
資本主義だから当然でしょう。良かったですね。非正規だろうが左団扇で暮らせる環境で。
出ませんよね。この時点で至って公平ですね。
女がすぐに辞めなければこんな事は起きてないですね。男女というより単なる意欲の差です。
あなたがコンビニ店長だとして「基本いつでもシフト出ます!誰か急遽休んだ時も家が近所なので極力出ます!絶対に○年は続けます!」って奴と、
「うーん、週一で2〜3時間くらい働きたいです。あ、その週一出勤も子供の都合で直前で休むかも...あと突然辞めるかもです!」ってふざけた奴が居たとして、
結構な有名進学校に通っていたのに受験に失敗し、その喪失感があまりにも大きく、周りの友達に見下され、今思えば必要以上に自暴自棄になって、殻に閉じこもって大学生活を過ごしてしまった。
引きこもりというのは少し語弊があるかもしれない。生真面目な性格だったので授業にだけは通っていて、でもそれ以外のことは本当に何もしなかった。
当然友達もできず、コミュニケーション能力もまともに育たなかった。
教員免許のみ取得して、でもあまりにもコミュニケーション能力がなく教員としてやっていくのが怖すぎて、
コミュニケーション能力がない究極の指示待ち人間なので会社に多大な迷惑をかけたが、なんとかクビにはならなかった。
ただ、仕事へのやる気はなかった。
私の友人はもれなく名だたる有名企業に入りバリバリ働いており、大学受験に失敗し就活すら逃げた私のコンプレックスは増すばかりだった。
もう一度みんなと同じ土壌に乗りたいと遅ればせながら思ってしまった。
だが、こんな状態の私を雇ってくれる有名企業はもうない。案の定転職活動は難航した。
そんな折、半年前に、大学時代も唯一交流の続いていた友人からLINEが届いた。
その友人は大学卒業後数年ニートをしていたのだが、ついに一念発起して国家公務員専門職試験を受け就職が決まったとのことだった。
私の心は揺らいだ。
私もそうなりたいと強く思った。
今の会社はまあまあなブラックなので、国家を目指すとなればやめるしかない。
周りは反対した。
お前にできるはずがないとか、専念して勉強して落ちたらどうするんだとか、めちゃくちゃ言われた。
でも、私は辞めることにした。
私は大学時代、何度も死のうとした。勉強しか無かった人生なのに勉強で失敗して、この先の社会で適応できるわけなんかないと何度も何度も絶望して泣き叫んだ。
大学時代は、自分は30になったら絶対に死ぬんだと固く心に誓っていた。
その思いは今でも変わらない。
ならば、最後に思いっきり挑戦して、だめなら死ねば良いじゃないかと思った。
結局、逃げているから辛いのだ。逃げているから、諦めがつかないのだ。まあ、これは性格によるかもしれないが。
負けるならちゃんと負けようと、心に誓った。