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2021-06-09

anond:20210609100711

同意があったとは言えないけどレイプじゃない」が通用する中世ジャップランドと一緒にすんなよ

日本もようやっと近世くらいにはなりつつあるけどな

2021-05-31

anond:20210531233814

「申す」の未然形「申さ」+尊敬ほかの助動詞「られる」が付いた「申される」は、現在謙譲語尊敬語の混用とされて、明確に(辞書的な意味で)誤りです。

しかし、「申す」は「言う」の丁寧語でもあった時代がありました。というか、そうであった時代の方が、謙譲語一択になった時代よりもよほど長いのです。

例えば、「平家物語」の巻一・鹿谷には「新大納言成親(なりちか)の卿もひらに申されけり」(新大納言成親卿も(欠員の左大将の職を)ひたすら(ご所望なさると)おっしゃられた)とあります

その他にも用例は多々あり、つまり中古中世近世を通じて、「申さる」は「アリ」な使い方だったのです。

近代になって、明治期の標準語政策が始まると、「日本語の統括的な文法」というもの必要になってきました。ここで初めて敬語には三つのカテゴリ(言うまでもなく尊敬・謙譲・丁寧ですね)があると定められ、「申す」は謙譲語であるとされたのです。

ことここに至って「申される」は規範文法的には誤りだということになり、戦後教育では教科書にも明記されるようになり、現代に至ります

ですから現在でも60代以上の方には、この言い方に違和感のない方も多いのです。数年前の「国語世論調査」で、「『申される』という“誤った”敬語を使っている人は高齢者層に多い」というリポートがありましたが

それはそうで、彼らの感覚にしてみればアトヅケで「間違ってる」と定められた使い方なのですね。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496376054

だって

2021-05-10

anond:20210510142445

これって日本城下町とセットになった近世城郭価値観ヨーロッパの城にあてたナンセンスツッコミだよなぁ

ゲームの中身に言及してるだけだゾ☆

吉幾三×バイオハザード歌詞で「村なのに城がある」って言うけど

これって日本城下町とセットになった近世城郭価値観ヨーロッパの城にあてたナンセンスツッコミだよなぁ

日本でも中世なら町に関係しない山城がたくさんあったし

ヨーロッパではその手の城が石造りで割合残っている上に

近世王侯貴族によって別荘に改修されたり懐古主義で新設されたりしているのだから

村に城があっても何ら不思議ではないはず

逆に明治時代に城が破壊された日本で、これだけ近世城郭価値観が通じていることを興味深く思うべきかもしれない

天守は破却されても城の痕跡はそれなりに残っているから?

追記

ゲームの内容を反映した歌詞ってだけなのか。すまん。

追記

わかりにくかったかもしれんが本文は、日本で「村」に城がなくなったのは近世江戸時代に入ったから(一国一城令)と書いていて、明治では近世城郭の多くが潰された現代でも城下町意識が残っていることが興味深いと書いているので一部のブコメ混同しないでくれ。

ちなみに一国一城令は徹底されず伊達黒田領地などには機能する支城が残っていたとの話。

2021-03-30

anond:20210209190902

簡単な話で、方言話し言葉から地域時代による違いが激しいだけだよ。書籍に使われる言葉書き言葉って言われる比較的全国共通の経年変化が少ない言葉。(あと書き言葉話し言葉文語口語は違う。書き言葉の中に口語文語包含されている。文語はいわゆる近代小説みたいな堅苦しい表現方法で、ネットはそれと反対の口語。)

浄瑠璃狂言台本が例に出されていたけど、それで方言が使われているのは、台本は「話し言葉を書き起こすもの」だから。だからこそ地域だけでなく時代中世近世とか)すらも反映した言葉文字という媒体によって記録として残される。

まりネット方言使われないのは書き言葉から地域時代による違いが少ないってだけです。ネットスラングに関しては「口語書き言葉」を前提とした集団が細分化され、またその集団の中で共有される言語形成されたから…だったと思う。(論文もあるらしいけど私は読んでない)

2021-03-28

anond:20210328181915

近世までの日本の定年は70歳前後

死ぬまで働くのが普通だったらしい

2021-03-25

価値観アップデート

しかし、1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度上下関係存在しないことが、実証研究から明らかとなり[3]、

2000年代には「士農工商」の記述は、文部科学省検定済教科書から削除される様になった。

これに関係して、「四民平等」も本来意味(すべての民は平等)ではなく、「士農工商身分制から解放」という認識を前提に用いられたものであったため、教科書から消された[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/士農工商

anond:20210325140658

2021-03-24

anond:20210323153614

同性愛が苦手」でもいいと思う。

ただ一方で、文章読むとその原因は「価値観としてそう教えられてきたから」という点に帰結しているように見えた。

もっと言うと「保守的価値観」といってもいいかもしれない。

その点では、「教えられた価値観に束縛されない、もっと自由人生を歩むといい」と思う。

あなたの教えられた価値観なんて、絶対的な真理とは言えない、移ろいの中の途中経過のものしかないと思う。

同性愛について歴史を通して見るてみると、日本では中世から近世まで同性愛は今ほどのタブーではなかった事実が厳然としてある。(稚児とか衆道とか)

海外に目を転じても、古代ギリシャでは「少年愛義務」だったりする。プラトン著作とか読むとわかるけど。

同性愛タブーになったのは、キリスト教禁忌とし、かつ西洋文化支配的になったからに過ぎないとも言える。(イスラム教でも禁忌か)

日本価値観に絞って考えたとして、ここ百年やそこらの「俄か」の価値観に縛られる必要ない、と言っても言い過ぎではないと思う。

価値観なんて、もっと多面的に考えればいいんじゃないのかな。

2021-03-23

anond:20210323101934

また独り言(笑)

近世以前の

ジャップ国内小国間の

領土争いや略奪を村八分

議論の中に持ち込んだのは

お前だよな?

それに対して、村八分

戦争は別問題だと返したのだぞ?

理解しているか

こんなに確認しないと

論点ずれるって、お前

相当だな

anond:20210323025132

いから分けて返信するが、

まず戦争村八分とは別問題な?

ジャップ国内では近世に入るまで

小国に分かれて領土争いがあった訳で

それを、アイヌだけ切り取って

侵略だの差別だの言うのは

違うと思うぞ (笑)

2021-03-02

日本建築空間』における建築百選

anond:20210301191826

 

増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。

同種の百選としては2005年新建築臨時増刊『日本建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。

https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/

2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。

 

古代 592-1180

法隆寺西院伽藍飛鳥時代奈良
新薬寺本奈良時代末期 奈良
山寺八角763年奈良
平等院鳳凰堂 1053年 京都
浄瑠璃寺本堂 1107年 京都
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) 平安時代後期 鳥取
高蔵寺阿弥陀堂 1177年 宮城

中世 1180-1543

浄土寺浄土 1194年 兵庫
東大寺南大門 1199年 奈良
長寿寺本鎌倉時代初期 滋賀
西明寺本堂 鎌倉時代初期 滋賀
熊野神社長床 鎌倉時代初期 福島
法界寺阿弥陀堂鎌倉時代初期 京都
厳島神社社殿 1241年 広島
永保寺開山堂 1352年 岐阜
東福寺龍吟庵方丈 1387年 京都
正福寺地蔵堂 1407年 東京
吉備津神社本殿拝殿 1425年 岡山
慈照寺東求堂 1485年 京都

近世 1543-1853

妙喜庵待庵 1581年 京都
園城寺勧学院客殿 1600年 滋賀
園城寺光浄院客殿 1601年 滋賀
妙法院庫裏 1604年 京都
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 1607年 宮城
三渓園聴秋閣 1623年 神奈川
二条城二の丸御殿 1626年 京都
西本願寺飛雲閣 1628年 京都
西本願寺書院 1633年 京都
延暦寺根本中堂 1640年(再建) 滋賀
三渓園臨春閣 1649年 神奈川
曼殊院書院 1656年 京都
桂離宮 1663年 京都
慈光院書院 1672年奈良
江川住宅江戸時代前期 静岡
閑谷学校講堂 1701年岡山
東大寺大仏殿(東大寺金堂) 1705年(再建) 奈良
大峰山寺本 1706年奈良
大国住宅 1760年岡山
岡山後楽園流店 江戸時代後期 岡山
栗林公園掬月亭 江戸時代後期 香川
角屋 1787年京都
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) 1796年福島
大徳寺孤篷庵忘筌 1799年京都
渡邉住宅 1817年 新潟
羽黒山三神合祭殿 1818年 山形
高野住宅江戸時代後期 山梨
金比羅大芝居(金丸座) 1835年 香川
岩根沢山神社本殿庫裏 1841年 山形

近代 1853-1945 ※は現存しないもの

柏倉家住宅座敷蔵 1866年山形
旧大明寺聖パウロ教会堂1879年愛知 ブレル、大渡伊勢吉(棟梁)
宝山寺獅子1882年奈良吉村太郎(棟梁)
風間住宅1896年山形
武徳殿 1899年京都 松室重光
花田家番屋 1905年北海道
吉島住宅1907年岐阜西田伊三郎ほか(棟梁)
古谿荘 1909年静岡
高松城披雲閣 1917年香川清水
住友ビルディング1926年大阪住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造)
聴竹居1927年京都藤井厚二
大倉精神文化研究所本館 1932年神奈川長野宇平治
軽井沢 夏の家 1933年長野 アントニン・レーモンド
※両関第二工場酒蔵 1933年秋田
日向別邸 1936年静岡ブルーノ・タウト
近江神宮1940年滋賀 角南隆、谷重雄
前川國男1941年東京前川國男
吉田五十八1944年神奈川吉田五十八

現代 1945-2005 ※は現存しないもの

神奈川県立近代美術館 1951年神奈川坂倉準三
斎藤助教授の家 1952年東京清家清
コアのあるH氏のすまい 1953年東京 増沢洵
南台の家(吉村順三邸) 1957年東京吉村順三
八幡浜市立日土小学校1956年愛媛松村正恒
香川県庁舎 1958年香川丹下健三
スカイハウス(菊竹清訓邸) 1958年東京菊竹清訓
ホテルオークラのメインロビー1962年東京谷口吉郎
日本生命日比谷ビル(日生劇場) 1963年東京村野藤吾
国立屋内総合競技1964年東京丹下健三
大学セミナーハウス1965年東京 吉阪隆正
千代田生命本社ビル1966年東京村野藤吾
白の家 1966年東京篠原一男
塔の家(東孝光邸) 1966年東京東孝光
※虚白庵(白井晟一邸) 1970年東京白井晟一
KIH7004 1970年東京鈴木
中銀カプセルタワービル1972年東京黒川紀章
大分県医師会新館 1972年大分磯崎新
プロジェクトマグネット1973年店舗模型倉俣史朗
阿部勤邸 1974年埼玉阿部
北九州市中央図書館1974年福岡磯崎新
幻庵 1975年愛知石山修武
上原通りの住宅1976年東京篠原一男
中野本町の家 1976年東京伊東豊雄
小篠邸 1981年兵庫安藤忠雄
弘前市斎場1984年青森前川國男
SPIRAL 1985年東京槇文彦
バーオブローモフ1989年福岡倉俣史朗
海の博物館1992年三重内藤廣
豊田市美術館1995年愛知谷口吉生
ウィークエンドハウス1998年群馬西沢立衛
せんだいメディアテーク2000年宮城伊東豊雄
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル2002年神奈川アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ
金沢21世紀美術館2004年石川妹島和世西沢立衛

2021-02-01

社会学は滅びるべきなのか

 以下の文章は、社会学客観性が無いか学問の体をなしていないか解体すべき、という暴論を見かけて、趣味社会学を学んでいる人間イラッとして書き散らしたものです。専門家によるまともな読み物としては、盛山和夫社会学方法立場: 客観性とはなにか』(2013)、佐藤俊樹社会学方法――その歴史構造』(2011)(たまたまですがどっちも東大系の人ですね)、あるいは以下で紹介する「客観性論文」やそれ関係論文などがあります。ちなみに「岩波科学科学論文」の人に関しては擁護のしようも無いと思います

 たとえば、この宇宙スパゲッティモンスターによって創作されたという誤ったイデオロギーを抱えた科学者がダイナマイト発明したとして、ダイナマイトは誤った発明であるとか、あまつさえ存在しないということにはなりません。それはそれ、これはこれ、という態度が科学的というものでしょう。しかし、誤ったイデオロギー社会学者が抱えることは望ましくないとされます。なぜでしょうか。

 それは社会社会問題が、原子DNAが「存在する」のと同じ意味では「存在する」と言えないことに根本的な原因があります。たとえばホームレス現在社会においては色々な意味問題とされていますしかし、ホームレス人類の定住以前においては間違いなく問題概念として存在していませんでしたし、中世近世においても今日と全く同じ問題としては存在しなかったことでしょう。原子がこの宇宙の始まりから今と同じように存在していたのとは対照的です。ホームレスを扱う社会学が、物理学生物学と比べて胡乱なものに見えがちな理由はここにあります。誤ったイデオロギーを抱えた社会学者は誤ったもの存在するとみなしてしまいかねないのですね。

 しかしだからといって、今日ホームレス問題としてまったく「存在しない」と言い切ることはできないのもまた確かな実感でしょう。原子の「存在」とは別の意味とはいえ社会社会問題は確かに存在」する、と言いたくなります。「実在」と「非実在」のあいだの独特な在り方。社会学者はそのことを「社会実在」のような言葉で表してきました。これはいかにも怪しい物に思われますしか今日における我々が「ホームレスになりたくない」、「ホームレスが怖い」、あるいは「そうしたホームレスに対する差別的見方こそが問題なのだ」と思っているのもまた確かなことです。およそ100年前、そのことを単に思うだけでなく、その思い自体を当時隆盛しつつあった科学方法分析しようと考えた人々がいました。

 マックス・ウェーバーの「社会科学社会政策にかかわる認識の『客観性』」(以下、客観性論文)という1904年論文がありますウェーバー社会学におけるビートルズであり、この論文イエスタデイくらいの重要さと著名さを誇ります。要するに、まともに社会学をやっていればなんとなくは知っているべきもの、という位置づけでしょう。(ちなみにLet it beは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。読んでいないのは許されない)

 とか言いながら私は手元にその本が無いので、ネット記述に頼りつつ思い出した記憶で以下のことを書くことをお許しください。

 ウェーバー客観性論文のなかで社会学者がよって立つべき「価値自由」という概念提唱します。この主張はしばしば「価値判断をしてはならない」とか「価値判断に影響されないデータだけを虚心に扱うべきである」といった主張として誤解されていますしかしそうではなくウェーバーはここで「社会学者もまた人間である以上、何かの価値判断を持ってしまうことは避けられない。そして価値判断は時として認識を狂わせる。しかしだからこそ、社会科学的に取り扱う社会学者は価値判断認識区別しなければならない。そのためには自分の持っている価値判断に対して敏感でなければならないのだ」といったことを主張していたはずです、たぶん。客観性論文については多様な読解や批判がなされている(上に私の手元にその論文が無い)ので客観性論文の内容についてはこれ以上立ち入らないことにします。以下ではその代わりに、客観性論文に関する微かな記憶を頼りにしながら、社会学客観性について考えてみたいと思います

 たとえば次のような主張がなされることがあります。「数字は嘘をつかないが、数字を使う人(社会学者!)は嘘をつく」。けだし名言でしょう。しかし、社会学であるならばもっと深く考えなければなりません。ここでは「ホームレスの人数」について考えてみましょう。ここで名言に従って単純に考えるのであれば次のようになるでしょう。ホームレスの人数は、数学物理における定数のように誤ることなく(それを測り間違うことはあるかもしれないが)存在しているが、それを多いとか少ないとか、それを減らすべきだとか主張する人は誤ることがある、と。

 後半は確かにそうでしょう。しかし、前半は間違っています。たとえば、日本政府ホームレスについての統計を発表していますしかし「国民税金を使ってホームレスの人数を数えよう」という時点ですでに何かしらの価値判断が働いています。そのことは政府サイトに「ホームレス実態に関する全国調査」が載っていて、「鼻くそをほじって鼻血を出した人の実態に関する全国調査」が載っていないことを考えてみればわかるでしょう。こうした極論を言うと、「どちらも数字としては存在するが、後者はただ(未発見物理性質のように)見つかっていないだけだ」と言われるかもしれません。しかしたとえば日本政府ホームレスに関する調査は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法第2条に規定する「都市公園河川道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」」を対象にして行われているようですが、ここからはいわゆる「ネットカフェ難民」がその統計から漏れています。これは単なる「測り間違い」なのでしょうか。そうではありません。「ネットカフェ難民」をホームレスに入れるべきか、あるいはそもそもネットカフェ難民」をそもそも問題」とすべきかこそが、ひとつ価値判断であるのです。「ネットカフェ難民」を入れたホームレスの人数と入れないホームレスの人数、どちらが正しいでしょうか?それは重力加速度として2m/s^2と9.8m/s^2のどちらがより正しいか、という問いのようには答えが出そうにありません。

 社会についての数字は、自然科学における定数のようには存在しないのです。つまり社会における事実は、自然科学における事実のようには存在しません。そのような状況で、いかにして社会科学的に扱うことができるでしょうか?

 もしかしたらそもそも可能かを問う以前に、そんなことを目指す必要があるのか疑問に思う人がいるかもしれません。あるいはより直裁に「社会科学的に扱う学問社会学って何の役に立つの?」と聞かれることはしばしばあります。それには多様な答えがありうるでしょうが、私は次のように答えることにしています。「何かの役に立つわけでもないのにやらずにはいられないのが科学の出発点なのだ」と。人間が持つ認識能力や、何かを書く/描く、喋るといった能力は、生存する上での必要から発達したはずです。自分の周囲を見渡す能力や、自分が見た物事他者に伝える能力は、それを持っていない種よりも生存上の有利をもたらしたことでしょう。しか人間は、その必要性を越え出たところまでその能力を、あるいはその能力によって生み出すものを発達させました。それは、芸術とか哲学とか、あるいは科学とか呼ばれるものです。存在しない風景を描くことに、どんな必要性があるでしょうか?死後の世界を思い描くことに、どんな必要性があるでしょうか?そして宇宙の星々の表面を調べることに、どんな必要性があるでしょうか?こういうことを言うと、次のように返されるかもしれません。「芸術哲学生存に不必要かもしれないが、いまのわれわれは科学無しには生きられないではないか」と。まあ、確かにそうです。でも、それは科学根本的な不必要性を否定するものではありません。人間ホモサピエンスは、ニュートン万有引力発見する以前からずっと世界覇者であったではないですか?それでもニュートン万有引力発見したのは、「世界のことをもっとよく知りたい」という、ただ生きるためには不必要知的欲求、こういってよければ人間特有本能からであったはずです。「ただ生きる」ことに飽き足りないのが今の人間であり、そうした人間が生み出したのが芸術哲学科学です。そのうちの科学欲求が、これまた不必要に複雑化した社会のありように向かうことも、私は自然なことだと思っています。先のような問いをする人には、正直に言えば「なぜあなた社会について科学的に分析したいと思わないでただ生きていられるのですか?」と私なんかは思うのですが、これはさすがに社会学に頭をやられてしまった奴の意見でしょう。ほかの社会学者はもっとうまく説明することができるはずです。まあ、そんな可哀想な奴もいるんだなと思っておいてください。でも実際、「社会に対する科学認識って必要?」と言われたら、究極のところ「認識したいんだから仕方ないじゃん?」としか私は返せません。なのでこの問題放置して次の段落に向かいます

 さて、いか社会科学的に扱うことができるかという問題でした。その問題は、社会に「存在する」もの数字が、ふつう科学が扱うもの数字と同じようには「存在しない」、というところから発生しているのでした。より明確に言えば、社会実在は、それを観測する人や社会価値判断を抜きにしては存在し得ないという独特の性質を持ちます。たとえば「ネットカフェ難民」は、ここ二十年ほどの日本労働環境ネットカフェの事情抜きには科学的な意味で「存在しませんでしたし、さらに言えば科学的な意味で「存在」していても、支援団体の人々などが発見ニュース等で取り上げられるまでは社会的に「存在」しえませんでしたし、いまだに政府ホームレス統計には「存在」していない、という状況にあります。そのことは万有引力宇宙の始まり以来、ニュートン発見しようとしまいと科学的な意味で「存在」していた、あるいは今現在未知の物理現象生物現象が、まだ発見されていないだけですでに世界のうちに「存在」していることとは対照的です。

 価値判断抜きで存在し得ない対象を、いか科学的に扱うか。それこそがウエーバー客観性論文のなかで考えたことでした。ここでよくある誤解は、そして絶対に避けられるべきなのは、「社会実在は実は価値判断抜きに存在しうる」と考えたり「価値判断抜きで存在するもの社会学は扱うべきだ」と考えたりすることです。前者が存在しないことはすでに説明しました。社会実在は――それが単なる数字統計であっても――価値判断抜きには存在し得ません。であるからして、後者社会学根本的に否定する思想です。そういう価値判断に影響されざるを得ないもの、すなわち社会社会実在をよりよく知りたいと考えるのが社会学なのですから。それを否定する人に対しては何も言えないということはすでに述べました(あくまで私個人からは、の話ですが。ほかの社会学者はもっとうまく説得するかもしれません)。

 そこでウェーバーが述べたのが「価値自由」でした。社会学者は自分価値判断をわかっていなければならない。より分かりにくく論文に忠実な言い方で言えば、「存在する」ことと「存在するべき」ことを区別しなければならず、科学は「存在する」ことしか明らかにできない。このウェーバーの主張に対しては、それもまたひとつ価値判断ではないか、という主張を投げかけることが可能ですし、一見ただのいちゃもんに見えるその問いは、社会学の中で大真面目に議論されてきました。私の見たところ、この問題は答えが出ない種類の問いなので、取り扱わないことにします。いいじゃないですか、どんな学問だってドグマの一つくらいありますよ。それより重要なのは、「自分価値判断をわかる」ことが、本当に社会実在を扱う上での十分条件であるのか、ということです。それが必要条件であるのは確かにそうであると思います。ある社会学者が「ホームレス問題についての社会学分析」という論文を書くとして(テーマが広すぎますがそれは置いておいて)、その人が「自分ホームレスを望ましい人間の在り方ではないと考えている」とか「というかホームレス気持ち悪い」とか「ネットカフェ難民をホームレスに含めていない日本政府問題である」とかい自分価値判断自覚していなければ、それは社会学研究として成り立たないでしょう。しかし、それだけで十分なのか。社会実在というものは、もっと慎重に取り扱わなければならないものではないか。(実際、客観性論文より後の後期ウェーバーも、そう考えて「理解」を社会実在根本に据えたと私は理解しています[詳しくないので間違っているかもしれません])

 と、ここまで書いて疲れたので一旦筆を置きます。続きは最初に挙げた二冊を読んでください。でも、ここまで読んでくださったあなたに問いたいのですが、私の書いたことは多少なりとも興味深くはなかったですか。社会学はこのような根本的な問いを抱えながら成長してきましたし、まだその途中にあるのかもしれません。私の考えるまともな社会学者はこの文章における中心的な問い「社会実在とはどのようなものか?」に対する、この文章以上に説得的な答えをそれぞれ持っています。そこが人によって違っていいのか、と思われるかもしれません。もしかしたらそこが社会学の駄目なところかもしれません。しかし、おおよその社会学者は確かにウェーバーや(この文章では触れませんでしたが)デュルケームなどが作った社会学歴史の上で考えている、という点では一致していると思います。それこそが社会学共通性であり、知的伝統であるとみなしてはもらえないでしょうか。よろしくお願いします。

2021-01-26

anond:20210126012231

皆さん騙されてはいけません。

私も西軍が勝った世界線に住んでいますが、元記事歴史修正主義者が書いた悪質なプロバガン増田です。

順を追って訂正していきます


その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す


後述しますが、冒頭から近世日本の歴史観の中で最も悪質なミスリードです。

大名は「定着せず」ではなく「定着させなかった」が正確ですし、「関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎」は極めて恣意的表現になります


戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。


この部分はある意味で正しいですが、重要事実が省かれています。確かに日本列島内での大名間の大きな争いは起きませんでしたが、関ヶ原後の豊臣氏はかつて秀吉が行った朝鮮出兵を再開したのです。

石田三成が中心になって行われたこ出兵、いわゆる「元和の唐入り」は簡単に言ってしまえば外敵を作ることによる諸大名の結束を図るものでしたが、結果として成功を収めてしまます

朝鮮半島支配下に置いた豊臣政権は、万暦の三大征で国力を失っていた明との間に戦わずして講和条約を結びます。その後朝鮮半島現在に至るまで日本領地となっており、そのため元和の唐入り対外戦争ではないという風潮(沖縄北海道みたいな扱い)が強いのは事実ですが、現代人に都合のいい歴史観ではないかという議論存在します。

こうしてアジア大陸進出した日本が当時の国際貿易において強い存在感を発揮し商業により発展していくのも事実ですが、ここでも重要な部分の言及が省かれていますキリシタン大名南蛮豪商存在です。

当初は秀吉バテレン追放令を引き継ぐ動きを見せていた豊臣政権ですが、交易重要性が増すにつれてキリスト教宣教師活動制限することに無理が生じていきます。またこの頃、日本での貿易事業で一旗揚げようとポルトガルスペインから移住してきた事業家、いわゆる南蛮豪商が急増したことキリスト教信仰の活発化につながっていきます

政権はなし崩し的にキリスト教を認めていくことになりますが、そうした流れで力を付けていくのがキリシタン大名です。彼らは表立って政権や4大大名権力争いをすることはありませんでしたが、着実に海外とのコネクションを強めていき、国内キリスト教勢力の強固な後ろ盾となります


武士がいなくなっていくにつれて神道儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない


冒頭の部分にも関係して、ここも悪質なミスリードです。たしか武士消滅神道儒教の衰退は同時期に発生しましたが、そもそもこの2つ事柄に直接の因果関係はありません。

しかしこれらが同時に発生したのには明確な同一の原因があります。それが前述したキリシタン勢力の台頭なのです。

政権貿易政策キリスト教容認に対して、元よりキリスト教対立していた朝廷はもちろん、元東軍を中心とする従来の武家社会に重きを置く大名勢力は当然反感を高めていました。これは感情的な部分だけではなく、元西軍派が中心となった貿易事業利益享受できなかったという側面もあります

そんな中、細川家、井伊家を中心として天皇を旗印に政権を打倒しようとする動きが見られるようになり、寛文になる頃には挙兵寸前まで緊張感が高まっていたと言われますしかし、そのタイミングで寛文近江若狭地震が発生し、天皇の住む京都も大きく被害を受け、挙兵どころではなくなってしまます

それに対してすかさず政権が取った対応は、表向き地震被害から避難理由にした江戸への遷都(寛文の遷都)でした。遷都といっても移ったのは天皇住まい形式上朝廷機能だけで、政権機能大阪を中心とした関西圏に残ったまま…つまり政権は目の上の単瘤だった朝廷を体よく遠ざけた形になります。元東軍はこれに乗じて江戸に集結・再度の挙兵を試みますが、キリシタン大名による牽制南蛮豪商による経済的妨害もあり叶うことはありませんでした。この頃から旧来の武家勢力神道信仰は急激に衰退していくことになります

ではこれで豊臣政権キリシタン勢力の共同支配は盤石のものになったかといえばそういうわけでもありません。形式上の都である江戸やその近辺の関東では都野伏(みやこのぶせり)、隠れ神道といった形で反南蛮勢力が生き残りつづけます。そして18世紀入ってしばらくした頃、天皇不可侵元首とする「大和帝国」として独立を果たします。その後も色々ありましたが、現代において大和帝国はの国際社会にも認められた独立国家となっています。そういう背景がありますので、現代日本領土として残っている関東地方には「ほとんど人が住んでいないド田舎」という表現が当てはまりますが、関ヶ原当時の関東地方の大部分は現代においては大和帝国領土となりますので、そこを隠すのは悪質で不誠実な表現であると言わざるを得ません。

他にも訂正が必要な部分はありますが、長くなってしまったので今回はこの辺にしておきます

東軍世界線みなさんは西日本人の悪質なプロバガンダには騙されないように気をつけてください。

2020-11-12

anond:20201111124055

近世には、エスタブリッシュメントまり支配階級資本家経営者)と労働者しかなく、支配階級は常に労働者と'区別'されていた。

社会が豊かになって、労働者がウジャウジャ増えてくると、今度は労働者からホワイトカラーが現れ、(従来型の)労働者と'区別'し始めた。元々同じ労働者だったにも関わらず、だ。

そして従来型労働者、これを下級労働者とでも言おう。

下級労働者がウジャウジャ増えると、今度は下級労働者が「派遣」「アルバイト」といった形で'区別'するようになった。元々同じ下級労働者だったにも関わらず、だ。

我々は何処まで人同士を'区別'すれば満足するのだろうか?

2020-10-25

anond:20201023231024

近世近代ローカル偉人」は珍しくないんだよな

中世以前のローカル偉人がいると、その町歴史あるな~ってなる

ローカル伝承すぎて伝説なっちゃっててエピソードの真偽の判定に迷うレベルが多いけど

2020-10-10

ガチ中世ジャップランド

中世ジャップランドとか言ってる連中が思い浮かべてるのは所詮近世とか近代とかじゃん?

平安鎌倉室町スピリッツが生きてるリアル中世なら、しょうもない炎上案件ネット揉め事になる前にどちらかが投石で死ぬと思うんだよね。

2020-09-21

anond:20200921050627

何か、文章が長くて、全体として何を言いたいのか読み取れなかったけど、とりあえず最近というか直近世代(PS4/swicth/XboxOne)は、どれも原価割れしていないとされているよ。

この少し前の世代(PS3/GC/vita辺り)から徐々に汎用パーツを中心にしたパーツ構成になってて、直近世代は完全に汎用パーツになったから、比較的安上がりに出来たんだと思う。といっても、PS4はGDDR5の8GBとか、肝となるところにはお金掛けてるけど。

んで、今回の新機種世代(PS5/XboxSX)は汎用パーツではあるがリッチ構成されている。確かに赤字前提での価格に見えるけれど、これは今までと違ってサブスクリプションサービス収益を見込んで、ってのが大きい気がする。_

2020-08-18

山川世界史

教科書に良い表現があったので残しておく。

近世ヨーロッパでは、カトリック教会神聖ローマ帝国がかつてもっていた普遍的権威が動揺した。諸国自国の利害を求めて戦争妥協をくりかえし、恒常的な緊張状態にあった。しか戦争は長期化・大規模化し、軍事技術進歩していた。増大する兵員軍事費調達のために、各国は徴税機構を中心に官僚制を備えた行政組織を整備し、国内統一支配を強める必要があった。

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