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2024-09-26

anond:20240926213715

照準を合わせて狙い撃つ行為楽しいから

ゲームってのはリスクとリターンのバランスなんだけど

撃つまで集中してる間は無防備のもの

からこそ標的を倒した時の快感があるっていう

原始的な楽しみなんだよな

2024-09-25

白人酋長って、純文学作家様なら土人が書いてる転生モノで新しい作品が書けるはず、って発想のことだよね

「異世界×日本スゴイ」に秘められた“欲望”とは...ラノベ界→純文学界へ“転生”した市川沙央が読む『大転生時代』(島田雅彦 著) | 文春オンライン

この記事代表的なんだけどさ、ブコメがすでに多数指摘してる通り、「なろう系」を語る批評家って、「なろう系」全然読んでなさそうだな……ということがありありと伝わってくるよね。

まあ、なろうなんて安っぽい娯楽でごぜぇますから一生読まなくてもいいと思いますけども、それでも読んでもない人には「なろう系は〇〇ばかり」とか「なろう系にはない発想」とかい表現は使ってほしくないわけだ。

純文学というハイカルチャーの一員だから、遥か下に位置する(ナ)ローカルチャーなんて数作読めば語れると思ったか白人ましゅごいです!!!

市川沙央の書評ツッコミを入れていく

(主に男性向けを念頭に置いて解説する。実は2024年小説家になろうほぼほぼ女性向けサイトなのだけど、歴史的には最近まで女性向けは傍流であったし、「なろう系」などという言葉を使ったとき女性向け作品イメージされることはおそらくまれからだ。)

その「小説家になろう」に投稿されていた『転生したらスライムだった件』が異世界転生ブーム火付け役と言われる間違いなくように

2013年連載開始の転スラが火付け役なわけねーじゃん。

俺はログホラが書籍化されたあたり、2011年くらいからなろうを眺めているんだけど、そのころにはとっくに「異世界転生」がテンプレとして確立して流行してる。

定説では、ゼロ年代に隆盛を極めた二次創作文化からの輸入設定だろうといわれていわれてるな。

「好きなマンガ世界に行ってキャラたちと交流したい」という素朴な欲望を実現するために「マンガ世界に転生」という設定が流行り、それがWeb小説読者の中で当たり前のお約束として定着したあと、誰かがオリジナル作品でも「異世界転生」が使えると大発見したわけ。

異世界転生」に限らず、Web小説文化とは、お互い設定をパクり合う一種生態系を通して、お約束を研ぎ澄ましていくもの

転スラが火付け役なんて言っちゃうのは、出版界で一番売れた作品しか見てねーんだろうな。

俺は一般小説も読むから、転生と聞いて「異形の設定が突然現れた!」と興奮して世代論を語りたくなるのもわかるけどさ、海面から顔を出した氷山の一角を見たところで、氷がどのように成長してきたかわからん

お約束形成過程を知ろうとすれば、そう異形でもないということがわかるはずなんだけどな。

ここまでパワフルな大転生時代が招来された要因はひとえに、読者の欲望ダイレクトに満足させるストーリー展開にある。主人公チート能力による問題解決連続、いわゆる無双状態快感を求める若者層(実質的中年層という説もある)

俺TUEEEモノというジャンルのことだな。なろう小説は決して俺TUEEEモノだけの世界ではないので「ひとえに」とまで言うと嘘だが、Web小説で人気を得るためには必ず意識しなければいけない、大本の土台的なジャンルであることは同意できる。

ただ一つ付け加えると、俺TUEEE小説の魅力というのは、現代日本大谷旋風や藤井竜王名人ブームと全く同一のものであり、決してなろう系特異なものではない。

大谷ファン藤井ファンも、野球将棋ルールすら知らない人が大多数だろう。ただ大実績を積み重ねるという情報、「クソ強えー!」ただそれだけの情報原始的で荒々しい魅力は、他の洗練された娯楽コンテンツのどれよりも普遍的に我々を惹きつけるものだ。

よく大谷藤井を称賛するのに、「マンガだとリアリティがなさ過ぎてボツになってしまう」という言葉が使われるが、これはなろうの俺TUEEEモノがなぜ受けるかという理由でもある。

それは転生とか異世界とか、リアル現代日本から舞台を変えてしまうことで、読者が求めるリアリティ基準を下げ、摩擦なく最強キャラを出すことができるからだ。事実として、大谷より強い野球選手も、藤井より強い将棋棋士も、Web小説界には人気作品として普通に存在する。

なお、なろう系を読んでるのは若年層か中年層かという話は、お金のない若年層がWebでタダで小説読んで文化を盛り上げて、お金持ってる中年層が書籍化された本を買い支えている、という見方定説のはず。

われわれにとって理想世界はつねにどこか遠くにある異世界ガンダーラ)であり、理想世界を構築するための力とは、上から与えるものか、与えられるものであり、落差を利用した一発逆転の魅力の前では、内発的な自立心と漸進性など相手にされない。私はこうした異世界転生ジャンルの発生原理を、ギブミーチョコレート症候群と呼んでいる。

俺は『異世界食堂あんまりきじゃないんだけど、この批評はさすがに『異世界食堂』を読めていなさすぎる。

異世界食堂」とは、1週間に1度だけ異世界から来客が訪れる、現代日本食堂を指している。誤解しやすいが舞台異世界ではなく日本だ。

そして小説異世界食堂』も1週間に1度だけ更新された。作中設定と、小説更新頻度の一致は何を意味するか。

小説更新異世界食堂開店見立て、読者を異世界住民見立てているのである

なろう読者は毎日毎日異世界主人公が大活躍する小説を読んでいる。異世界冒険者であったり、国王であったり、魔王であったり、感情移入しながら読んでいる。

そして、感情移入継続したまま、週に一度、異世界食堂入店する。直前まで読んでいたなろう小説では戦場無双していた竜王も、異世界食堂の中では特別人間ではない。庶民食堂常連の1人として料理が運ばれてくるのを待つのである

そして、洋食屋で食べる料理の素朴な美味しさを追体験したあと、感情移入を解いた読者は、冒険者になったつもりで小説を読み耽るのもいいけど、気になる食堂を訪ねるのも楽しそうだなと思うようになる。

そして、異世界食堂は平日5日、どこかにあるはずの現実のお店として、読者である日本あなたが訪れるのを待っている……、これが小説異世界食堂』の仕掛けである

異世界食堂』の毎話に挟まれる、

・一応ファンジーです。

・剣も魔法存在しますが、あまり活躍しません。

・店主は普通おっさんです。料理以外できません。

という但し書きは、このアンチなろう性をわかりやすく読者にアピールしている。

よって「理想世界はつねにどこか遠くにある異世界ガンダーラである」という市川沙央の読みは完全に誤読だ。

遠い異世界に夢中になってないで、身近な幸せにも目を向けようよというのが『異世界食堂』のメッセージなのだ

(ついでに言うと「一発逆転」もおかしい。異世界食堂は、異世界関係なく日本ちゃんと繁盛している店という設定だ)

なお余談だが、「ギブミーチョコレート症候群」というような、人を病として勝手に診断しレッテルを貼る行為は、10年後には炎上ネタになってそうな気がする。

——巷に出回ってる小説なんて自分に都合のいいユートピアを作りたいだけじゃないか。何の障害もなく、他者存在していないから、どんなヘタレも無敵になれる。本当の異世界あんゲームみたいにイージー世界じゃない。

これは小説から引用であるので正確な文脈はわからないのだが、こういうこと言う人には、「あなたはリゼロスバルくんになれるんですか?」と聞きたくなるな。いや転スラのリムルくんでもいいし、他の主人公でもいい。なれるの?

かに、彼ら主人公は都合のいいチートを持っている。しかし、同じチートを与えられれば、あなたにも同じことができますか?と問われれば、間髪入れず無理と答える程度には英雄的だ。リゼロスバルくんは死んでも生き返るという能力を持つが、何十回と死に続けても諦めず立ち上がり続けることなぞ、常人には絶対不可能だ。

この島田雅彦の書く一文からは、島田異世界転生の表面的な部分しかメタれていないことがありありと伝わってくる。

真に、異世界転生を突き詰めて考えるならば、問題として提出すべきなのは「都合のいいチートを得た、ただそれだけなのに、なぜもともと平凡だった現代日本人が英雄になれるのか」である

転生系ライトノベルの型(パターン)においては「わたしは突然前世記憶を思い出した」の一言存在と一回性の人生尊厳をまるごと抹殺されてしまう転生先本来人格について本作は透明化することなく、むしろ転生という事象から生じうる共存理想をいくつかのかたちで示している。

世界設定のお約束の共有によって発展したライトノベル異世界転生にはない、前世や転生先となる異世界設定および各キャラクターの奥行きとオリジナリティバリエーションの多彩さはまさしくSF醍醐味であり純文学の風格。

?????

それ、転生モノの一大テーマですけど?????

かにスルーして単純化する作品もたくさんあるよ。一方で、転生モノの見せ場と言えるくらいには、問われ解答されてきたテーマでもある。

島田雅彦『大転生時代』の解答は、2つの魂が1つの身体共存するとのこと。

なろう視点で見ると、身体共存モノはそう珍しい設定ではない。というかそれ転生モノじゃない。いわゆる脱法転生モノという類のもので、なろう運営異世界転生転移モノに対しランキングで不利になる規制をかけたとき特にかなり流行っていた印象だ。現地人を主人公にしつつ(規制回避)、日本視点を都合よく設けることができるからな。 09/26 00:50追記:有名なろう作家の丘先生がそれだと規制回避できないし、当時流行っていた印象はないとコメントされていた。私も薄っすらとした記憶で書いていただけなので、当時人気作を連発して書かれていた丘先生のほうが間違いなく正しいであろう。訂正する。

(09/26 02:20追記:勢い余って筆を滑らせたので、精神同居モノってなろうではどういう立ち位置なのか少し考えてみる。記事の本筋に関係ないので小文字とする。まずなろうは巨大すぎて、全体としてどうなのかというのは語るのは困難だ。自分所属するクラスタから見ればこうとしか言えない。自分TSF(性転換)ジャンルクラスタにいたので、その視点で見るとTSFでは精神同居はさほど珍しくない。『果ての世界で』とか『銀髪巫女』とか『二人で一人の剣姫』とか?R-18で言うとせなちかさんの作品とかがあるよね。ただ、TSFは主流派ジャンルではないのでこれを以て「精神同居はよくある」は言いづらい。次に、なろうでいくつかのワード検索して、上位のものを見てみると『取り憑かれた公爵令嬢』とか『悪ノ令嬢シャーロット中の人は、彼女を護りたい』とか女性向けでいくつか人気作がヒットする印象だ。広い意味で見れば超人気作の『悪役令嬢の中の人』も精神同居系女性向け作品のうちに入るかな。ただ、冒頭に主に男性向けで考えるぞと書いてしまったので、スタンダード男性向けだとどうだろう……。『みつばものがたり』は精神同居の転生モノだがキワモノが強いなぁ。「実は日本人だった先祖の声が頭に聞こえる」とか、そういう設定の作品あったような気がするが、なかなか見つからない。なろう創作者の気持ちで考えれば、男性向けで精神同居させるなら、TSFにする気がする。精神同居ジャンルにかなり近い設定としては、器物転生ジャンルが挙げられるだろう。『転生したら剣でした』『黒姫の魔導書』とか。主人公である転生者は、持ち主と心で会話し、時には体を乗っ取って動かすこともある、みたいな、これは精神同居と外形的にはほとんど一緒かな。こっからはもう全く関係のない話。奇遇なことなんだけど、この数日間、精神同居系ジャンルたくさん摂取しとったなと気がついた。自分は実は最近ずっとWeb小説読んでなくて、ここ2週間くらいのときに少しだけ読み返した程度なんだが、『みつばものがたり』は該当だし、なろう系以前の作品2008年のArcadia連載の二次創作から生モノに含めるのは出来ないんだけど、『聖なるかな』の二次創作THE FOOLは転生、人格乗っ取りの是非、精神同居、全て要素として含まれている作品だし、イッキ見したアニメ戦国妖狐』はまさに精神同居と共存のあり方について描いた作品であるはてブ経由で読んでた『絶対死なないステラ姫』とか『スパイダーマンオクトパスガール』も精神同居だよな……。)

「転生=人格塗りつぶし問題からは、「主人公は、前世自分とどこまで連続していて、どこから不連続なのか?」「主人公地球存在か? 異世界存在か?」「主人公の本当の両親は地球の親か? 異世界の親か?」など、物語面白くする様々な問いが派生する。名作と呼ばれる転生モノは、少なくとも部分的には答えようとするものだ。

島田雅彦の『大転生時代』は、市川沙央の書評を読む限り、問いに真正から取り組むのではなく、ただ回避しただけにしか見えない。

(4ページ目から5ページ全体)

市川沙央氏の文章は全体的に意味が取りづらいが、4ページ目から特に何が言いたいのかわからない。連想ゲームで思いついたことを繋げているだけに見える。いくつかわかるところだけコメントをつける。

異世界転生ジャンルが、経済的文化ギャップから生じうる植民地化の欲望を下敷きとしていることをすでに述べた。

「すでに」というので、前の文章を読み直したが、ただのチェリーピッキングだ。

市川沙央は『異世界食堂』を誤読していることは先に述べたが、一方で『異世界食堂』が「日本スゴイ」モノであるのは正しい。「食」という文脈で、日本異世界より文化的に上回っているという設定であるのも正しい。

しかし、『異世界食堂』が、転生/転移モノの代表的作品か?というと、全く違う。

先に引用した、「一応ファンジーです」「剣も魔法存在しますが、あまり活躍しません」「店主は普通おっさんです。料理以外できません」からわかるように、『異世界食堂』は正統派的なろう系作品の逆を行くものである

まり正統派とは「主人公が剣と魔法で大活躍」する作品のことだ。

となると、はて、日本に剣や魔法があっただろうか? そう、異世界とは剣と魔法先進世界であり、日本は剣と魔法後進国だ。ギャップ上下が逆なのである

よって、大多数の転生モノにおいて、主人公無双する力を身につけるのは異世界においてである。転生者だから強いわけではない。超一流の戦士の家に転生したかであるとか、転生設定を完全に抜いても成り立つような作品が多い。

1ページ目の、

無双状態を引き起こすチート能力とは、主人公異世界人たちつまり世界世界ギャップによって生じるもの

という表現ときは、「主人公日本では活かせない巨大な才能を持っている」という風に善解すればギリ意味は通るかなと考えたが、4ページ目で「経済的文化ギャップ」とギャップの中身を限定してしまったところで、市川沙央は言い逃れ不能な馬脚を露わにしたと言える。

(正確に言えば、「日本古武術を修めていたから強い」とか、「魔法イメージが力の源泉であり、日本人は水などをH2O化学式レベル理解しているから強い」とか、文化ギャップ無双する作品もないわけではないが、稀な設定だし、説得力があまりないのでかなり昔に廃れているはず)

ポストヒューマンSF

俺は序

2024-09-17

anond:20240917085723

修学旅行はなんか毒親から青春を守る手法としてもいつまでも原始的よな

全員行かなくすれば一人だけ行けない悲しい思い出とかにはならんやんけと思う

2024-09-01

anond:20240221152929

鉄 銃 疫病 みたいなタイトルの本を書いたやつが

大人になるまでお金というもの出会たことがなかった

原始的暮らしをしていた部落の人たちに対してインタビューをしてた

ずっとお金というものを知らずにその原住民同士の小さなコミニティ暮らしてたんだけど

その地域文明化されたことで初めてお金というものに触れてその概念理解して実際に貨幣経済の中に組み込まれ生活するようになった

そういう人に話を聞くと

お金というものを知る前の自分経済的感覚というものがどういうものであったか 

最早よく思い出せないと言うんだ。

かに ずっと お金というものがない社会 で 長い間暮らしてきたんだけど

お金というものを知って 実際に使うようになって それから以後のことは

はっきりとわかるんだけど

それ以前の お金がなかった頃の

自分の中の 経済的観念というものがどういうものであったのか

それが自分でも よく理解できない

そういう何だか恐ろしい ことが書いてあった

それほど お金というものシステムは 私達人間にとって

ものすごく馴染みやすい精度で すぐに私達の心は 貨幣経済と 混じってしまうということなんだと思う

かに 私達も 小さな子供の頃は お金という概念理解できていなかったと思う

その頃の 間隔がどういうものか 確かに 説明できない

それは幼少の頃だから というのも もちろん あるけれど

それだけではない なにか 混じってしまって以後は純血を取り戻せない なにかが あるような気がする

2024-08-24

人間を「子どもたち」と思うと寛容になった

ネット上では様々な暴言が溢れているように見える。ある人は「チー牛はタヒね」と言い、別の人は「弱者男性キモい」と言う。これらの言葉は、現代社会の深層に潜む闇を映し出す鏡だ。人間本質的攻撃性や、社会の歪みが、匿名性という仮面の下で露わになる。しかし、最近はこういう低俗な連中にも寛容になってきた。彼らを「子どもたち」と思うようにしたのである

この視点の転換は、ある日突然訪れた。自分地域のbakusaiを覗き込んだときのことだ。そこには頭の悪そうな書き込みが溢れていた。その瞬間、啓示のように一つの考えが浮かんだ。愚かなことを言うのは頭が悪いからであり、頭が悪いということは、精神子どもだということだ。

この洞察は、人間本質に対する深い問いを投げかける。我々は本当に理性的存在なのだろうか。それとも、理性という薄皮の下に、原始的衝動感情が渦巻いているのだろうか。ネット上の暴言は、文明社会という仮面の下に潜む人間の野生性の表出なのかもしれない。

子どもたちは社会責任を持って育てていかなければならない。この命題は、単なる教育論を超えて、人間存在根本的な在り方を問うている。我々は、自らの内なる「子ども」とどう向き合うべきなのか。社会は、その集合的な「子どもらしさ」をどのように昇華させ、成熟へと導くべきなのか。

人間意識は、表層と深層が複雑に絡み合った多層構造を成している。表面に現れる攻撃的な言動は、その人の内面にある深い葛藤不安の一端に過ぎない。我々は、この意識の深層にまで降りていき、そこに潜む真の欲求や恐れを理解しようと努める必要がある。

さらに、個人意識の奥底には、人類全体が共有する原初的イメージ衝動が眠っているのかもしれない。この集合的無意識は、時として社会全体の行動パターン価値観を形作る。ネット上の暴言は、この集合的無意識現代社会という文脈の中で歪んだ形で表出したものだと考えることもできる。

しかし、この「症状」を単に抑圧したり、無視したりするのではなく、それを社会の成長のための機会として捉え直す必要がある。子どもたちが成長過程で様々な試行錯誤経験するように、社会もまた、こうした現象を通じて自己を再定義し、より高次の段階へと進化していく可能性を秘めている。

結局のところ、我々一人一人が「子どもたち」なのかもしれない。完璧大人など存在せず、皆が日々成長し続けているのだ。その意味で、ネット上の暴言を発する人々も、我々自身も、同じ宇宙船地球号に乗った旅人なのだ。互いの未熟さを認め合い、寛容さを持って接することで、人類全体がより成熟した段階へと進んでいけるのではないだろうか。

2024-08-19

賽って何?

クイズ番組に出て来た賽子の読み方が解らなかった。

賽銭の賽と子でなんて読むんだろ、さいす?

答えはさいころ

そう言えば賽は投げられたとか言うな。

でも賽銭賽の河原、賽する、等々宗教的な使われ方の多い賽の中で、賽子はとても浮いている気がする。

漢字意味を調べても、賽、神にむくいること、さいころ、と意味がちぐはぐに感じられる。

ゲームギャンブルの道具だし。

そこで調べてみたらさいころは元々投げた結果で吉凶を占う神事に使われていたらしい。

原始的な賽子では生け贄の動物のくるぶしの骨で作られていた物もあったとか。

宗教にぐっと近づいた。

賽ノ神、塞ノ神などと道祖神や、正月開けの焚き火行事を呼ぶ地域もあるらしい。西日本で言うところのどんど焼だ。

https://www.kanko-kubiki.jp/season/winter/sainokami/

このページによると名前の由来は

邪霊の侵入を防ぐ神→さえぎる神→さえの神→サイノカミ(賽の神)

遮=賽はなんだかとてもしっくりきた。

言われてみれば賽の河原あの世とこの世を遮っている場所なので同じ由来かも知れない。

神も悪い物を遮ってくれるのと同時に、我々と神の間も遮られている。

さいころ成功と失敗の間をさえぎっていると言えるかも知れない。

しっくり来たのでこの辺で考えるのをやめた

2024-08-18

anond:20240817105121

いつも思うけどさ、セックスってここまでサルでも虫でもできる原始的な行動なのに

セックスしたら子供できるじゃん

セックスしかできないじゃん

現代人間の子育てとかマジ理性とか経済力とか色々要求されるハードモードじゃん

本能のままに行うセックスと、理性や経済力が大いに必要とされる子育てが密接に結びついてるのってもうバグなんよ

バカクズほど本能のままにセックス本能のままに虐待するんよ

マジで人間社会生殖との相性悪いんよ

2024-08-17

anond:20240817105121

まず原始的で野蛮な食べることをやめて点滴で栄養摂取するところからはじめないと説得力に欠ける

セックス原始的すぎる

どっかの洞窟壁画で、二人の人間が後背位でセックスしている姿を描いたものがあるらしく、レディットですこし盛り上がっていた 世界最古のセックスビデオリークだとか、stonelyfansだ、とか言って

そんで思ったんだけど、セックスってマジでサルでもできるじゃん

簡単とか頭を使わないとかってことじゃなくてさ、洗練されてないってことなんですよ

洞窟壁画時代セックス現代セックスって絶対そんなに変わらねえじゃん

厳密にいうとエアコンが効いてるとかベッドにサスペンションが入ってるとかあんのかもしれねえけど、現代だってクソあっつい野外で、地べたでセックスしているような輩はいるし、そのセックス体験はたぶん屋内でシビルにやるセックスとそう大きく異なってはいない

一方でよ、食事なんかについて考えると、昔はその辺でぶっ殺した謎の野獣をロクに調味料なんかもつけないで食ってたわけじゃないですか

それを今やれって言われたら、お断りでしょう

今後一生野外でセックスしろ、はまだ受け入れられる

石器時代のメシを食えとか、石器時代の住環境で暮らせとか石器時代の娯楽で過ごせ、というのははかなりキツい

まりセックス進歩してねえ 石器時代の水準から大きく変化していないから、石器時代に戻ったって受け入れられる

原始的なんだよマジで

何が言いたいかって、そんな娯楽にのめり込むなってこと

プロジェクトヘイルメアリーを読み、鬼滅の刃を視聴し、レッドデッドリデンプション2をやれってこと

日常的にセックスしてる人間より、日常的にレッドデッドリデンプション2をプレイしている人間のほうが知的に高度…とは言えないが、すくなくとも人間文明をより享受してる

石器時代レッドデッドリデンプション2をやることは絶対にできないが、セックスをやることはできていた

2万年前の、基礎教育のキの字もない、サル同然の雑魚でもやってたような娯楽に人生の貴重な時間を捨てるな

現代でなければできないことをやれ

先人の偉大な努力無駄にするな

セックスをやめろ

レッドデッドリデンプション2をやれ

2024-08-15

anond:20240815095854

トラック軽自動車自転車

夜は裸の変質者など。

外には様々な危険があるけど、それを避けて走るのもトレーニング

エアロバイクなんて、ぬるい環境よりも原始的な外でのランニングの方が遥かに君を強くするだろう。

今日から走ろうか!

2024-08-06

やす子がかわいそう

「生きてるだけでみんな偉い」みたいなみつをだかみつるの亜流みたいな投稿をバズ狙いで繰り返す者が居り、それにいちいち信者みたいなフォロワーが「首がモゲるほど」同意を表明するみたいな予定調和的なかったるいやりとりはよく見るし、唾棄したくなる。いちいち水を差さないのは水をさすべきでないからではなく関わっても仕方ないからというだけだ。リアル知り合いがその手の拡散リツイートしてた時には何やってんのお前とは言ったことがある。

ところでしかやす子は100%の本気でそういう説教臭いバズツイートするタイプではない。実はアレでけっこう尖ったセンス芸人なのだ。半分素のまま・半分シャレでステレオタイプ純真・善人キャラに沿った行動してたら留保無しにそういうキャラ消費されるようになって売れたので、それもまた面白いかと自分からステレオタイプに合わせに行ってるフシがある。

気持ち悪い共感押し売りツイートに対する本気の唾棄の部分と、やす子があえてやってる部分も理解した上での身も蓋もないツッコミを合わせたものとして、フワちゃんのアレは別に意外性はない。

でもすぐにあっこれはダメだと思っただろう。「いい人がいいことを言ったら、悪い人が気に食わなくて罵倒した」という平板文脈しか受け取られないと。

DT浜田が大物タレント相手に「死ねばいいのに」といった身も蓋もない暴言ツッコミを発するときは、それが字面通りの本気の自殺教唆ではないんですよという事前の地均しがある。そういうわかりやす説明を省いてしまったという意味での「これはダメだ」である

浜田のそれも字面だけで本気の自殺教唆だと受け取る、あるいは受け取りたがる人が少なくない昨今である

空気を読めないのは正義!みたいな連中こそ異論存在すら認めない同調圧力でギチギチなんだけどな。

まあ世間的にはフワちゃんは単なる悪者で、アレは裏アカの切り替えミスだという平板まりない話としてのみ受け取られるのだろう。

消えるのかな。フワちゃんが消えるのは別にどうとも思わないが、そうなると一番損をするのは単なる善人で被害者という役柄を着せられるやすである

今後は一層、面白くもなんともない善人キャラとして消費され、やす子も早晩消えていくだろう。

タイマン森本とか見てみるといい。面白いし単なる善人じゃないから。

とりあえず純真天然バカキャラみたいなオファーに応じて足場を築いておいてそこから本当のいかれた味を出していく、ゆりやんみたいな感じで行けたらいいんだけどな。


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「いい子だし腐った芸能界に流されない気骨の人」みたいな勝手思い入れで持ち上げる、こういうの↓に潰されるんだ。

https://anond.hatelabo.jp/20240806022152

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自分なりゆきを案じるのはやす子の方だけでフワちゃんがどういう扱い受けても別に…というのは既述の通りだが

フワちゃんを全力非難する側はふだんあの程度の悪罵はあたりまえにやってたり攻撃発言用に裏アカ持ってたりするタイプも多いんだろうなとは思う。

フワちゃんはなんかポリコレづいたイメージもあったからざまあみろって思うやつもおおいだろうしな

ちょっと前にはフワちゃんが「気骨の人キャラで持ち上げられてたのである正義の人たちは飽きっぽい)

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「『きれいごとを言うのはつまらない、人前で死ねとかホンネをぶちまけるのがセンスいい』と言い張る、頭の古い人たちがいるんだよね!」みたいな単純な捉え方をしてる人はフワちゃんを許さないだろう。

でもそんな主張は元々ない。何のひねりもないただ単なる罵倒いじめがかつては商売になったというのはフィクションだ。そしてそういう悪しきお笑いに対抗する「人を傷つけないお笑い」という光の勢力が台頭してるというのもフィクションである。そんなものを目指してる芸人はいない。

お笑いというのはバカにはわからないものだ。エンタ五味プロデューサー非凡さは「全部わからなくてもいい、ふんいきで誰でも楽しくなれるのがいい」と、チンドン屋みたいなプリミティブな芸能の要素を復活させて見せたところにある。

その一方でお笑いはより精緻化している。M1なんか「ながら見」では何一つ面白さがわからない。

そして「善悪」というのは人間にとってもっと原始的な大ナタである

やす子は正しいから好き」という解像度世界が見えている野蛮人に、千万言かけても何かを伝えられる気がしない。

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バカにはわからない」とかに反応したらしく「自分けがわかってるというのか!」と反感を剥き出しにする人はいるが、そのなかに反論として見るべきものは皆無。「だったら〜〜するはずだろ!」←いまおんもでバタバタしてもロクなことないくらいの状況判断できないわけないだろ

お笑いイジメ商業化! でも◯◯さんだけは人を傷つけない笑い!」みたいなヒステリックなの、どうやったらブレーキかかるんだろうな

2024-07-29

Aさんにまでならないためには自尊心を粉みじんにすることが大事

 自尊心とか、自己肯定感とか、そういったものをできる限り破壊し続けることで、せめてAさんまで悪化は防ぐことができると祈っている。

 少なくとも、もし自分にまだ自尊心とかがまともに残っていたのなら、Aさんのようになっていたとしか思えない。別に、Aさんのようになっていないか自分が生きていていいとは特段考えられないし、自分他人迷惑をかけていないだなとと口が避けても言うことはできないが、それでも、まだ、多少は迷惑をかけていない、と思いたい。

 いくつかブコメに上がっていたけど「暴力で躾ける」ことで解決できていた、といった意見が見られたが、きっとそういう意味なのだと思う。Aさんが上司に対しては恐怖を理由接触せず、しか敵対的ではない増田を傷つけ続け、迷惑をかけ続けたのだから

 まともに効かない理性の代わりに原始的な恐怖で支配し、自分大事にされ得べきであるといった観念を持ち得ないようにする。これでようやく、他人積極的に関わろう、といった行動を示さなくなる。少なくとも、自分などのようなまともな発達の見込めない人間は、他人と関わることは他人を傷つけることと同義であって、そのようなことは許されるべきでないことは明らかだ。

 しかしながら自分のような理性も弱く衝動に駆られてばかりで他人気持ち理解できない間違った存在は、そうした躾をいつまでも身に刻みつけるのは中々困難なことで、産まれてすぐに徹底的に尊厳破壊しておいて、決して二度とそうしたことが望めないような状態にするか、あるいは途中で自ら尊厳を定期的に破壊しておくようにするかくらいしか選択肢は思い浮かばない。

 少なくとも、自分判断で選べるとすれば後者しかありえないだろう。自分が気を付けて実施しているのは以下のとおりだ。

◯失敗した場合自分貯金募金する(現時点で300万円ほど)

 自分のような人間が今の職場で働き続けることができるかは極めて疑問で、貯金というのはいざというとき命綱でもあるから、それを断ち切ることで恐怖を心身に刻みつけ、自分大事にされ得る存在などではないことをはっきりと臓腑に感じさせることが出来る。

◯失敗した場合他人との距離感リセットする

 自分という人間は何をしても結局学ぶことができない。失敗し続けるしそれを改善することも殆どできない。他人との付き合いも中途半端な形で失敗し傷つけ迷惑をかける事しかできない。失敗するたびに、初対面のように謝罪し初対面のように感謝し初対面のように対応することで、常に自分の誤った距離感を訂正し続けることが、まだ、比較的マシであるという認識を持つことが大事である

 そうしなければ、増田のような人を徹底的に苦しめ続けることになる。そんなことは絶対にあってはいけない。

◯贅沢しない(ケアはする)

 自分を甘やかすことをしない。贅沢と呼ばれる行為は行わない。趣味で金がかかることはしない。ただ、精神的に余裕がなくなったりストレス業務差し障りが出るような自体は、他人迷惑をかける行為であるから、金のかからない程度にケアはする。マルチビタミンサプリを飲むとか、軽い運動をするとかといったことはする。娯楽は、適当ネット小説を読んだりするのが他人迷惑をかけないためとても良い。

◯常に毎日自分が間違っていることを言い聞かせる。

 例外なく毎日自分肯定する意見は常に間違っており、自分否定する意見が正しいと唱和する。

 自分否定する意見を丁寧に読み、自分が如何に間違っていて、自分価値がなく、自分が常に排斥されるべきであるかを考え、その上で行動するようにする。

 とにかく、自分自尊心破壊し続け、決して他人否定するような行為を取らないこと。自分迷惑をかけていることを自覚し続けること。自己奴隷化とでも言おうか。

 それくらいしか、できることがない。なかった。

 それでも許されるのかどうかなんてことは、俺が決める権利を持っていないのだから、結局許されることはないのだと思うし、本当は今すぐに死んだほうがいいのだと思っているが、死ぬのが怖いので死んでいないだけではある。

2024-07-23

anond:20240721230441

男だけど。

自分子どもができるまでは小さい子どもが嫌いで仕方なかった。

うるさいし理解不能だし、近づいてきたら蹴っ飛ばそうかとすら思ったこともある。

でも自分子どもができてから、小さい子どもを見る目が変わった。

もちろん自分の子どもは可愛いし、園にいくと他の子どもたちもみんな可愛い

街中で自然子どもを目で追っている。思わず目が合うと自分もにこにこしてしまう。

ネットテレビで、子どもが亡くなったニュースを見ると、自分のこと以上に胸が痛む。

子どもは宝」なんて月並みフレーズが、理屈を超えてなんとなくわかってくる。

なんていうか、子を持ち育てるということはやはり生物として最も原始的な部分に刻まれている本能のようなものなんだと思う。

楽しいことばっかりではないのは言うまでもないし、中には子どもを愛せない人もいて、それを否定する気はない(その子どもは可哀想だが)。

それでも、増田のこれから先の人生がより充実することを願ってるし、きっとそうなると信じてるよ。

2024-07-18

  吉崎佳弥が自らの公務に当たって書いているいわゆる判決書と呼ばれるものは、 既に立法され解釈が終わった法律判例を、 三段論法、という程度の低い原始的論法によって

 事実にあてはめて結論を出しているものであり、三段論法自体は程度の低いもので、立法解釈については、幾何学的な意味でも高度なものが多く、裁判官には、法令解釈権も与えられているが、

  吉崎佳弥と任介辰哉の書いたものは、平成2年以来、数件しか公開されておらず、特に、吉崎佳弥の書いたものは、平成16年に、右の陪席裁判官だった時代に、古物商取引に関して書いた

 民事裁判一件、 任介辰哉の書いたものは、数年前の、破産法違反被告事件判決書一件しかインターネット上になく、その書類全体を見ても、技術的にみるべきところはないというべきである・・・

     この数件の判決書に対し、 令和6年7月3日大法廷判決前身となる平成元年12月21日最高裁判決解釈技術は、民法724条の立法趣旨踏み込み

   民法1条3項はこれに適用されるかという、ハイレベルな話をされており(愛犬の横田もぐらの言い方)、

2024-07-12

anond:20240710182611

自分の脳の欠点認識したら、

その欠点問題が起きないような仕組みやルールを考えるんだ。

付箋でタスク管理して、自分の脳は1つのタスクだけに集中するみたいな。

無くしやすものは必ずこの場所しか置かないルールを決めるとか。

他人の話は相手に゙迷惑かけてでも時間をかけてメモするとか。

他人からみたら、原始的おバカなしくみやルールでも、

それさえ守って行動していれば、致命的な事故が起きないという形にしてゆくしかない。

2024-07-11

世界の果てに東出昌大ひろゆき置いてきた、というabemaでやってる番組を見ている。

普段日本で東出は山で生活していてなんか動物狩猟しているらしいというのを知る。

ひろゆき普段フランスに住んでいてなんかIT関係仕事をしているらしい。

番組では南米の貧しい国々を旅しており、リャマを買うところから解体して食すというところを前回やっていた。

現地の人が手伝うのかと思いきや、どういう話になったのかひろゆきリャマを固定し東出がリャマを失神させるという構図からスタートした。

東出は普段シカとかを撃ったり食べたりしているそうだが、なぜか豚やモルモットのとさつにはかなり抵抗を持っている印象を受ける。

しかしたらそういう演出編集で施されているだけかもしれないが。

今回はリャマなのでシカよりでかい大きな動物だ。東出は覚悟を決めた様にひろゆきに指示を出していた。

リャマをさばいて食べようというアイディアを話し合っているシーンで、ひろゆき自分も携わることをしぶっていた。

ひろゆきサイコパスだが、そういう猟奇的な面とか、暴力性は全然ないんだなと知った。

東出はいわゆるちょっとめんどうくさい考えというかポリシーみたいなのがある人で、普段肉を食べているのは誰かが動物を殺しているからだ、そのとさつの負担を知らずに普段肉を食べるのはどうなのか…ということを真面目に考えていたりする。

ひろゆきなら冷笑しそうなところだが、そうでもないのか、シーズン2にも入り寝食を共にしてきているからか、その考えを理解してとさつに参加することになったようだ。

ネット番組とはいえさすがにきつい映像なのでリャマを失神させる瞬間以降はリャマは映らず、とさつを行う二人だけが映像には映っていた。

何かをよけて何かを刺すとか何かを切る切れないとかそういう生々しい会話が二人でなされ、主に東出がひろゆきに指示していた。

ひろゆき普通にきつそうな表情をしており、やっぱり大型動物をとさつするともなるとサイコパスひろゆきでもきついよなぁと思った。

一方東出は慣れていることが分かる落ち着いた態度だった。

最終的には食料としての肉となった状態から映像に肉が映るのだが、その頃には色々慣れというか麻痺しているようで普通に肉として切り分けたり食べたりしていた。

私はなんだか、共犯、という言葉を思った。

リャマのような大型動物をとさつともなると大量の血が出てきて骨格も内臓もそれなりに大きく、ネズミウサギとは訳が違う。

普段フランスに住んでいてパソコン画面ばかり見ている人間をその行為に加担させる東出って結構えぐいなと思った。

東出は、とさつした実感は後になってから出てくると話していて、自らの経験普段そういう行為をしない人間行為をした後どうなるかを知っていることも、えぐいなと思った。

実際は犯罪行為でもなんでもないのだが大型動物の命を奪い解体して食す経験を共有するって、悪いことを共犯している感じがする。

日常とは離れすぎていて原始的というか動物的な部分に近すぎて、とんでもない経験を共有してしまっているのではないかと思った。

私なら、一生忘れられない経験だ。というとキラキラした思い出みたいな表現だが、忘れたくても忘れられないし、おそらく死ぬまで繰り返し思い出す。

東出はひょっとしたら、この動物をとさつする痛みみたいなものを、誰かにも分担させたかったのかもしれない。

心を痛める負担のある行為を、これを知っている人間が身近に実在していることが救いとなるから共犯は生まれるのかもしれない。

2024-07-10

anond:20240709125141

その論理でいくと最も原始的とされる社会にこそ文化極致存在するということになるか

いや現在における全ての文化の素がそこに濃縮されているという見方可能かもしれない?

2024-07-05

anond:20240705220102

開始1日目で分かるのは「好みにあってるかどうか」、そういう不変の芸術的感性の部分だな

それを「面白くない・楽しくない」って言葉評価するならそうかもしれんが…

ゲーム面白さってのは序盤では絶対にわからない、序盤では諸要素がシンプルすぎるから

各種のギミックやら効果やらを踏まえた上での合理的な立ち回りとかを詰める段階になってようやく評価できるレベルになる

そういうゲーム的調整の深みを知ろうとしたら、運営ゲームならたとえ原始的札束トルソシャゲだとしても一ヶ月くらいはやり込まないと判断できない

2024-07-04

神の存在を感じてみたい

すなわちヌミノーゼ体験してみたい

ミノーゼとは?

ヌミノーゼ - Wikipedia

神への信仰心超自然現象、聖なるもの宗教神聖ものおよび、先験的なものに触れることで沸き起こる感情のことを指す。

ミノーゼ体験の特徴として以下のような点が挙げられる。

宗教体験により原始的感情が沸き立つものである

概念の把握が不可能説明し難い

・畏怖と魅惑という相反する感情を伴い、身体内面から特殊感情が沸き起こるものである

絶対他者存在を感じさせ、人間本来備えるプリミティブな感覚により直感するものである

この概念をさっき知って、ぜひとも体験してみたいと思った

これが要は「うまく言葉にはできないけれど人知を超えた存在=神の存在を感じた」ってことなのであれば

私にもアブラハム宗教信者気持ち想像することができるようになるかもしれない

神を信じるということがどのようなことか、の肌感覚を知ることができるようになるかもしれない

どんな体験なのだろう

「ヌミノーゼ 例」とかでぐぐってもあんまり具体例がヒットしない

『聖なるもの』という本を読むしかないのか

kindleにないぞ

岩波文庫電子化してくれ

日記 おわり

2024-06-30

自衛隊入るのやっぱ辞めれば良かったなと思う

「俺は正義だぞ。正義マンの俺は正しいんだぞ」

×

「俺は悪だぜ。昔みたいにまた暴れてもいいんだぞ」

この2つの特性を併せ持つ最悪のクソイキリモンスターが若年・中年・高年と全世代にわたって大量に居るのがキモすぎる。

マジでヤバイね。

なまじっか筋肉という最も原始的武器を持ち合わせているせいで誰も止めてくれないまま怪物なっちゃった連中が多い。

マジで雰囲気悪いなこの職場

さっさと辞めるか。

頭のおかし人間しか残らないって話は聞いてたけど、誇張じゃなくてマジだったんだなあ。

なんか大麻とかも流行ってるっぽいしコイツらとあんま関わらんほうがいいわ

2024-06-28

anond:20240628220617

マジで言ってんの?

あいつ等にはマジで悪魔に見えてるんだぞ

立場が違う奴を嫌いになって嫌いになると、もう悪魔しか見えないっていう原始的脳みその奴らがいるんだよ

現実でもそういう厄介者たことあるだろ

2024-06-26

anond:20240626004823

当初はGPUとして開発され、事実上開発の失敗からオマケ程度までスケールダウンされたPS3SPEは今のNVIDIAGPU原始的な形そのものだし、

当時すでにGPU存在したし、GPUを他の目的使用する行為(GPGPU)も行われていた。機械学習に使われ始めたのは2010年くらいからだと思うけど。

ちなみに、SPEGPUスケールダウンしたものではなく、計算に特化したCPU複数載せようという設計思想なので、今の膨大なコアで行列演算をぶん回す戦場では勝てない。メニーコアCPUはそれはそれで発展する余地はあったと思うけどね。

ベクトル型とスカラー型のハイブリッド」とはGPU複数機搭載したサーバーのもの。つまりきわめて大ざっぱに言えば基本設計は十年以上先のトレンドを正しく捉えている。が、どちらも実際の開発や予算の都合に失敗しているし、NECベクトルスパコンなど需要ゼロだった。

ベクトルプロセッサGPUアーキテクチャが全く異なる。

日本ハードウェア部門存在感を示すには、GPUの開発に研究費をぶっ込む必要があったわけだが、GPUのような不真面目な分野には研究費が出なかっただろうな(偏見)

anond:20240625224440

NVIDIAみたいに売れてれば間違いなく勝てた。売れる物を作らない、作った物を売らないから負けた。当時の日本の常として外部要因や部外者、つまり売上と顧客効率的排除たから滅んだ。

当初はGPUとして開発され、事実上開発の失敗からオマケ程度までスケールダウンされたPS3SPEは今のNVIDIAGPU原始的な形そのものだし、「ベクトル型とスカラー型のハイブリッド」とはGPU複数機搭載したサーバーのもの。つまりきわめて大ざっぱに言えば基本設計は十年以上先のトレンドを正しく捉えている。が、どちらも実際の開発や予算の都合に失敗しているし、NECベクトルスパコンなど需要ゼロだった。

いま「時価総額世界ナンバーワン」を標榜しているNVIDIAスパコンと、NECが当時作っていたスパコンはまったく同じものなのに、00年代末期の日本が作ればそれは「失敗の象徴」にしかならない。そしてそのことを誰も知らない理解しない。つまり日本問題はそこにあって、その差について反省ができていない所にある。

2024-06-16

『トラペジウム』公式の絶賛公開中が虚偽になったのはなぜか

Disclaimer: 刺さる人に刺さればよいので、「こうすれば良かった」「ここが悪かった」という意図はありません

『トラぺジウム』が連日満員になるには、見終わった人が満足し、リピートしたり口コミでおススメ!と広めたりする必要があった。なぜそうならなかったか

仮説1:主人公(東)のキャラクター

1-A:共感できるキャラクターではなかった

    主人公欲望が冒頭では謎、なのは構わない。東西南北集めたい、というのは観客を引き付ける謎だろう。

    だが、なぜその欲望が生まれたか、源がわからない。 アイドルになりたいという表層の奥に、原始的普遍的欲望存在する必要があった。 

    ”すべての登場人物には、一杯の水でもかまわないので、何かを欲しがらせること。” という格言に含まれているのが、水を欲しがるというの原始的欲望であることに注意すべき。

    オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにしたい、という欲望の奥に、他人幸せにしたいとか、自己実現したいとか、生き残りたいとか、そういった欲望がなければ観客は共感できない。

1-B:応援したくなるキャラクターではなかった

    主人公努力をしていない。計算ノートを書いたりテニスをやらされたりC言語勉強してる人と会話できる知識を身に着けたりプールを借りたりダンス練習するのは努力カウントできない。正確には葛藤選択をしていない。

    文化祭ライブを3人に見せアイドルに興味を持たせることを失敗するのも、ボランティアグループが分かれてしまうのも、メンバー恋愛バレも、失敗は天災のようにやってくる。(成功青空のように自然現象のように迎えにくる。)

    南の高校ダサい制服で入ったら死ぬテニスをやらされたら死ぬプールを借りられなかったら信用を失う、高専萌え袖付け焼刃知識がばれたら仲間に入ってもらえない、アイドルになれなかったら〇〇しなくてはいけないとタイムリミット付きで母親に迫られる、メガネ男子に協力と引き換えに何か犠牲を払わなくてはならない…

    そういった成功するかしないかからない場所に立たされないし、選択もしない。観客が応援するポイントハラハラするポイントがないのだ。失敗は選択の結果であるべきだ。

    そして成功したと思ったらさらに悪い事態に結び付くエスカレーションが望ましい。

1-C:悪人だった

  東も完全な悪人ではなく、最後の方の回想で「小学生のころいじめられっ子を助けた」という観客には開示されていなかった過去が明らかになる。これをもっと前倒しし拡張する。

  例えば、最初ガラガラローカル線で(そこそこ露悪的な要素も入れつつも)困っているおばあさんを助けるシーンを入れておけば、いじめられっ子を助けたシーンも生きてくるだろう。

  主人公悪人作品でもヒット作はある。主人公よりもっと悪い人物を出すという手段もある。芸能事務所とかテレビ局大人にその役割をあてるとか。

仮説2:主人公が成長しなかった

  誤った欲望が潰えて、正しい欲望に気づくというのが王道シナリオであろう

  アイドルになりたかったのは子供のころ見たアイドルAさんが素晴らしかった>私もあんアイドルになりたい>東西南北(仮)を踏み台にしてなるアイドルはAさんとは程遠いものだと気づく>間違いだった>初心に帰る とか

仮説3:

  ハッピーエンドではなかった

  ハッピーエンドだったので、この説は却下 (アンハッピーエンドでもヒットする映画はある)

anond:20240615221004

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