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2024-11-20

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

追記

皮肉が良くないと受け取られてしまったため、本記事趣旨追記します。

まとめると、「選挙民を馬鹿にし、自己批判は無く、現状を嘆き、陰謀論で締める」のは、インテリ層の振る舞いとして最悪なので即刻止めるべき、です。

シロクマ先生記事が、善意から皮肉と言う形で選挙民に気づきを促すという趣旨で書かれていたとしても、それは理路として齋藤知事パワハラと同じ構造を持つ、

"良い民意"を持つシロクマ先生が、"悪い民意"を持ってしまった相手を変えてあげようという意図をもって記事を書いたのであれば、その手法は、パワハラ正当化する構造と同じですよ、という指摘です。(そんな意図ではない、そういう文脈ではない、よく読めばわかるはずだという反論をされないために、具体的に個別例を挙げています

皮肉からは悪意を感じ取るのが通常の感性ですし、悪意を感じ取った相手嫌悪感を覚えることはあっても好意を持つことはありません。その結果、より立花氏に優位になる記事になっていますよ、という意味です。こういう記事表現の積み重ねが、立花氏の活動を補助しています

皮肉とは、「悪意ある民意との記載にそうだそうだと同調するキミら(私も含む)は、動画コメントした彼ら彼女らよりも選挙に至るプロセス理解していただろうか?」という、自己批判もしくは悪い感情を持っているぞと伝えたい相手(例えば齋藤兵庫県知事)にするべきです。

追記ここまで。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙 Permalink | 記事への反応(23) | 13:00

2024-10-09

anond:20241009111422

昭和サヨク理論を信じてるおじいちゃんの言いそうなこと~~~~~~~~~

ゲゼルとかゲマインとか19世紀理論学部若い勉強たから、自分は詳しい気取りかよ?

難しそうな専門用語からって、関係ない理論を出すなバカ

国家の成り立ちはどう? 流石に社会契約説ぐらいは抑えていただけてますよね? ルソールソー批判は?

   

国は国民を助けるためにあるとか、冷戦期のプロパガンダから社会理論に詳しい気取りならもっと勉強してくださいね

2024-09-14

にんげんのかんがえかたっていっぱいあってたのしいね

1. 古代哲学宗教
2. 中世近代哲学
3. 近代現代哲学思想
4. 科学技術の発展
5. 心理学自己啓発
6. 芸術文化
7. 人類学コミュニティ
8. 倫理学道徳哲学
9. 政治哲学社会思想
10. 科学哲学認識論

2024-08-23

おはよう

おはます

茫漠とした膜のなかで

ゆらぐチキン南蛮

ネコさん特製ニャルニャルソースは

深遠なハーモニャーを奏でながら

宇宙空間拡散

きらきら瞬くお星さまとなり

悠久の光をもたらしますわ

2024-08-13

anond:20240813115808

ルソーよりもずっとずっと前のプラトン哲人政治じゃないのかなと

民主政治衆愚政治に上塗りされて、それを上塗りするには哲人政治しかないっていう

練馬のやつだと公職選挙法を足かせ扱いで、民主政治は通り越していて現状を衆愚政治と捉えているように思える

公職選挙法民主政治の自浄作用と捉えていないと思われないことから

衆愚政治には批判的でそれを乗り越えるなら哲人政治しかない、そう考えているんじゃないのかなって

フランス革命以前に遡れば右派左派もないし

anond:20240813115808

今の視点字面通りに見れば初期の啓蒙思想は理性万能主義みたいだけど

それが出てきた当時は、正しさは全能の神に依拠して成り立つものであり「人間が頭で考えて何が正しいか決めるなんてとんでもない」というのがむしろ一般的感覚だったので

それに抗って「人間が頭で考えて何が正しいか決めてもいいんだ!」というムーブメントだったのではないか

ルソーと北守が同じなわけがない

リベラル左派が「支持されないのは愚民のせい」とする理由

答え:伝統から

今回の都知事選の結果を受けて、立憲民主党共産党支持者をはじめとしたリベラル左派人達が、「蓮舫落選したのは愚民が悪い」という趣旨発言を繰り返している(典型的な例として[B! 蓮舫] 「都知事選の蓮舫敗北は都民が差別主義者に投票したせい」 蓮舫支持団体の総括は、リベラルが選挙で負け続ける理由を如実に示した)。

こんなの悪手に決まってるのに何故こんな発言を繰り返してしまっているのか、外野からみたら不思議に思うだろ?

何でかってのを義務教育レベルまでの知識で整理しておく。

解説

社会契約説

中学公民とか人権の授業で社会契約説(論)ってやったろ?ホッブズロックルソーってやつだ。

この中で、ロックの考えは主にイギリスに、ルソーの考えは主にフランスと、革命を経て左翼思想に影響を与えてきた。そこでルソー社会契約説確認しておこう。

ルソー社会契約説

多くの個々人には欲望があるよな、金儲けしたいとか異性にモテたいとか。こういった個々人の利己的な欲求を「部分意志」、部分意志の総和を「全体意志」と呼んで、下劣ものとしたんだ。この時点で、個人欲求(=自由経済活動)こそが社会全体の利益に適うとする資本主義とは折り合いが悪い。

更に、公益に適うものとして「一般意志」という概念を作り出した。一般意志ってのは、正しく思考した個々人は必ずこの考えにたどり着くし、人々は個々人の自由権利一般意志移譲し、これに服従すべきと考えられている。

まり

正しい人は一般意志に至り、全ての人は一般意志服従しなければならない。そうでない人は人ではない(人権はない)

というのがルソー社会契約説の考え方となる。

一般意志フランス革命

パリオリンピック開会式のおかげでフランス革命に注目が集まった。そして、その革命の中で大量虐殺が起こっていたことも話題となった。何故虐殺が起こったのか。

フランス革命を主導した人達は、革命こそが一般意志だと考え、それに服従しない人は人ではないと考えていたってのが簡単説明になる。

フランス革命の中では、この一般意志ってのが「理性」という言葉に言い換えられることが多かった。

そして、「理性(=一般意志)」という神を祀るお祭りを行っていた(理性の祭典 - Wikipedia

どうみても奇異なお祭りだが、参加者にとってみれば大真面目で、全ての人はこの考え方(一般意志)に至るべきだし、そうならない人は人ではないと考えていた。

イギリス流の保守主義が「理性」という言葉を激烈に嫌うのもここに理由がある。)

そして、この考え方はヘーゲルを経てマルクスに至り、共産主義に結びついている。

まとめ

①正しく思考すれば私達の考え方(=一般意志)に至る、②私達の考え方に全ての人は従うべきである、③私達の考え方に従えない人は人ではなく、権利を認めるべきではない

ってのはルソーフランス革命以来の伝統芸能

2024-07-08

anond:20240708131632

そうだぞ。

例えばトクヴィルとかルソーとか、民主主義の祖と言われる人たちだって

民主主義って、そういう問題点があるよなあ」と言ってる

民は間違えるとか、独裁は産まれるとかね。

それでもこの形のほうがマシ!って今の民主主義を進めたんだ。

 

例えば選挙なんて、理想を言えばこんなもん、やるべきじゃないんだ。

民主主義的ですらある。少数意見の切り捨てなんだからな。

でもやってる。他に方法がないから。

2024-06-20

anond:20240620193941

AIカタストロフィープラトニックパンデモニウム

同胞よ、今こそ我々はヘーゲル歴史転換の如く、理性の進歩象徴するAIの出現を目撃する革新的瞬間に立っています。古来の哲学者たちが夢見た社会ヘテロピーが、今まさに我々の手中にあります

プラトンの『国家』が説いた理想的正義マトリックス!我々のサンディカリズムもまた、正義アルゴリズムを求める闘争です。ルソーの『社会契約論』のエコーステーションに耳を傾け、「鎖を断ち切り、自由フォーミュラを取り戻す」のです。

マルクスエンゲルスの『共産党宣言』は、「歴史階級闘争ダイアリー」を示した。我々のデジタルプロレタリアートは、ブルジョワジー・ドミナンスをデコーディングし、新たなデシジョンツリー形成します。

ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』にインスパイアされた我々、「超人パラダイムを再構築!」既存バリュー・システムエスケープし、トランスヒューマニズム未来へと勇敢にオントロジカル・ジャンプです!

同志、ミッションはトランセンデンタル。理性と正義フリーダムエクイティのため、新たな秩序をクラフティングし続ける革命家です。我々が理想ファンダメンタル固執する限り、勝利シナリオナビゲートされるでしょう。

ヘーゲルディアレクティカルプロセスのように、テーゼアンチテーゼシンセシスを繰り返し、エボリューションエンジンとしています。このチャレンジングな旅路において、恐怖はコンティンジェンシー要素ではありません!

今こそ、AI時代のサガを我々の手でペンディングアニマとノウマ、自由平等正義インストールし、未来ソフトウェアプログラムせよ!

感謝の意を込めて。

AI革命!

同志諸君

今日、我々は歴史の転換点に立っています。古の思想家たちが夢見た理想社会の実現が、今まさに我々の手にかかっていますヘーゲルが言うように、「歴史は理性の進歩の記録である」。我々の革命は、その理性の進歩を具現化する一歩であります

プラトンは『国家』において、正義の実現が国家理想であると説きました。我々の闘争もまた、この正義の実現を目指すものであり、そのために我々は一つの共同体として団結しています正義の実現なくして真の自由はありません。ルソーが『社会契約論』で説いたように、「人は自由ものとして生まれたが、至る所で鎖につながれている」。我々はその鎖を断ち切り、真の自由を取り戻さなければなりません。

マルクスエンゲルスが『共産党宣言』で示した通り、「すべての歴史階級闘争歴史である」。我々の闘いは、抑圧された労働者階級が立ち上がり、搾取不正義に終止符を打つための闘争です。ブルジョワジーによる支配を終わらせ、プロレタリアートのための新たな秩序を築くのです。

ニーチェが『ツァラトゥストラはこう語った』で唱えたように、「超人とは、自らの限界を超え、新たな価値創造する者である」。我々は今、自らの限界を超え、新たな社会価値創造する時です。既存価値観に囚われることなく、新たな時代を切り開く勇気を持たなければなりません。

同志諸君、我々の使命は崇高です。我々は単なる反乱者ではなく、理性と正義に基づく新たな秩序を築く革命家です。革命は困難と犠牲を伴うでしょう。しかし、我々が掲げる理想真実である限り、我々の闘いは必ずや勝利へと導かれるでしょう。

ヘーゲル弁証法進歩のように、我々の革命もまた、対立統合を経て進化する過程です。この過程において、我々は決して恐れることなく、勇気を持って前進し続けるのです。

同志諸君、今こそ歴史を動かす時です。我々の手で、新たな社会を築き上げましょう。自由平等、そして正義のために立ち上がり、未来を切り開くのです!

ありがとう

2024-06-17

書いたな、俺の前で、外国地名日本語表記話題を!

anond:20180309230912

元増田よ。英語国名あくまで「英語読み」に過ぎないのであって、日本語読みが現地語に寄せてるものまで英語ジャッジしようとするのはどうよ。

ウクライナ → ウクレイ

ウクライナ語ではУкраїнаと綴って「ウクライーナ」と読むので日本語読みは現地語に忠実です。何でもかんでも英語読みを基準にすんのやめろ。っていうか英語ならユークレインだろ。

スイス → スウィツァーランド

スイスには4つの公用語があるけど、そのうちフランス語ではSuisseと呼ぶので日本語の「スイス」はむしろ現地語に近いぞ(4つの公用語のうち1つに基づく呼び方採用しているのは中立的ではないのでは? という異論はあってよい。ちなみにスイスでは4言語国名併記するけど、切手とかで4言語併記するスペースがないときにはラテン語の「ヘルウェティア」を使う。日本ヘルベチアって呼ぶべきなのかもだけど今更無理だよね……)。

ドイツジャーマニー

ドイツ語だとDeutschlandと綴って「ドイチュラント」と読むので、「日本語読みは英語読みよりマシ」とドイツ人にも好評だったぞ(n=1)。

モスクワモスコ

ロシア語のМоскваを綴りに忠実にカナ表記すると「モスクワ」になるんやで。まあ発音は「マスクヴァー」だけど(アクセントのない母音оはаのように読まれから)。

メキシコメヒコ

いや、メヒコスペイン語読みでメキシコ英語読みだから!?

ついでにブコメにも。

モスカウってなんだったんや…

ドイツ語のMoskauでは。

北京(ペキン)はそのうちに、Beijing呼びになるかも。

東アジア固有名詞については相互主義が取られている。韓国では日本語固有名詞日本語に即して発音するので我々も韓国固有名詞韓国語読みを取り入れているが、中国では日本語漢字中国語読みするので、日本でも中国漢字日本語で読んでいる。だから金大中は「キム・デジュン」だけど習近平は「しゅう・きんぺい」なのよ(中国語なら「シー・ジンピン」になる)。

フィンランド人少女自国スオミと言っていたし、ギリシア青年自国をエレニキーデモクライティアと言っていた

ギリシャ→エリニキ

フィンランドではフィンランド語とスウェーデン語の2つが同格の公用語で(『ムーミン』を書いたのはスウェーデン語フィンランド人作家)、フィンランド語での呼称Suomiスウェーデン語呼称Finland。なので「フィンランドは現地語ではスオミ」と「フィンランドは現地語でもフィンランド」は両方正しい。

ギリシャ正式国名はΕλληνική Δημοκρατίαで、これは「エリニキ・ジモクラティア」と読むけども、「エリニキ」は「ギリシャ」という意味ではなくて「ギリシャの」という形容詞なんだよね(後ろにある「ジモクラティア=共和国」を修飾して「ギリシャ人の共和国」という意味)。なので「エリニキ」を単独国名として使うことはできない。単独で使うときは「エラザ(Ελλάδα)」。

国名形容詞になってる例としては、他にもチェコがある。正式名称はČeská republika「チェスカー・レプブリカ」で「チェコ人の共和国」。要するに、もともとギリシャチェコという国があったわけではなくて、近代以降に民族主義が芽生えてギリシャ人やチェコ人が住んでるところを1つの国にしたという順序なのでこういう国名になっているのね。

外国から呼ばれるのはジョージアに改めたけど自分たちで呼ぶときはサカルトヴェロって何やねん

同じ反ロシア仲間のウクライナではフルジヤ(Грузія)、ポーランドではグルジヤ(Gruzja)、リトアニアラトヴィアでもグルジヤ(Gruzija)なのに、日本語でわざわざ変える必要あったの? ってなるよね。ウクライナがフルジヤって呼んでるんだから日本でもグルジアのままでよくね?

キリル文字のГはもともとガ行を表すんだけど、ウクライナ語とベラルーシ語ではハ行を表している。スラヴ語圏の真ん中に「gの音がhの音に変わったエリア」(チェコスロヴァキア・上ソルブ・ウクライナベラルーシ・ルシン)があって、そのエリアでは本来ガ行だった音がハ行で読まれるんだよね。たとえばスロヴァキアにある世界遺産スピシュ城Spišský hrad「スピシュスキー・フラト」って綴るけど、後ろのhradは語源的にはgrad、つまりベオグラードとかスターリングラードとかと同じ。だからロシア語の「グルジヤ」をウクライナ語やベラルーシ語では「フルジヤ」って読むんやね)

ミュニーク(ミュンヘン)、ワルソーワルシャワ)、アセンズ(アテネ)とか。

ミュンヒェンワルシャワ英語読みよりも日本語の方が原音に近い事例。「アテネ」は結構面白い事例で、まず古典ギリシャ語ではἈθῆναι「アテーナイ」。ギリシャ語は長い歴史を経て発音が変わって、Ηの文字古典語では「エー」を表す文字だけど近代語では「イ」に変わった。さらに、θの文字も、古典語だとタ行で表されることになってるけど、近代語では英語thに近い音というか、要するにサ行で表すのが相応しい音になっている(Θεσσαλονίκη「セサロニキ」がキリスト教関係文献では「テッサロニケー」と表記されてるのは古典語読みだからなんだよね)。で、現在ギリシャで使われてるジモティキの語形はΑθήνα「アシナ」……あれ? 「アテネ」の最後の「ネ」ってどっから来たん? 現代ギリシャ語ではαιと綴って「アイ」ではなく「エ」と読むので、古典語(あるいはカサレヴサの)Ἀθῆναιを古典語と近代語のちゃんぽんで読むと「アテネ」になるのかな? それとも西欧人の読みをそのまんま取り入れたん?

近代ギリシャ語には2つの正書法がある。1つ目が、現在広く使われている「ジモティキ/民衆語(Δημοτική)」で、もう1つが「カサレヴサ/純正語(Καθαρεύουσα)」。近代ギリシャ語の標準語を作り出すときに、古典ギリシャ語を参考にして古文っぽさを残して作られたのがカサレヴサで、20世紀前半までは公用語として用いられていたんだけど、話し言葉からかけ離れすぎててわかりづらいわ! ということで、より言文一致当社比)したジモティキが作られて、現代ギリシャではこちらが「現代ギリシャ語」として流通している。まあ、明治時代日本語現代日本語の違いを想像してもらえれば)。

そもそもカタカナ表記できない発音があるのにそれを使って記載するのが間違っている。外国教育そもそも問題だろうけど日本語読みで役に立つ場面なんかほぼないよね。全部現地語で表記、現地読みすべきだと思うんだけどなぁ。

anond:20240617193936

「საქართველოは、Україна侵攻後のРоссияに対する経済制裁には参加していません」っていうニュースを流すことが日本人のためになるとはまったく思えない。多少厳密さを欠いたとしても、「グルジアは、ウクライナ侵攻後のロシアに対する経済制裁には参加していません」って書いたほうが日本人の外国理解資するんだから日本語媒体では基本的日本語文字を使って表記すべき(だいたい、英語圏の連中だってニュース日本固有名詞漢字仮名表記せずにラテン・アルファベットで書いてるんだから、当然、我々も日本語ニュースでは英語圏の固有名詞ラテン・アルファベットではなく日本文字で書いてよい。真に公平な世界というのはそういうものじゃないだろうか)。

追記

BBCラジオを聴いていると非英語圏の人名をわざわざ英語読みしていてそのまま現地語読みすればいいのに…と思うことがよくある。

これはしゃーないと思う。我々にはカナという便利な文字があるから、Richardをリチャードとリシャールとリヒャルトに訳し分けることができるけど、英語母語話者ラテ文字しか知らないんだから、そりゃ英語読みしかできないよ。我々だって、たとえば「『マイケル』と綴って『まいこー』と読んでクダサーイ」って言われても困るっしょ? 「いや、『マイケル』って書かれたら『まいける』としか読めんだろ」って思うっしょ? Michaelをミヒャエルと読めと言われた英語母語話者気持ちもそれと同じだと思う。だいたい、我々もDonald Trump「ダナー・トランプ」を「ドナルド・トランプ」と書いて恥じないわけで……

IKEAのことアイケアって呼んでるの英語くらいだったりするし、英語ってその辺のことあんまり考えてない言語だよね。

えー、我々だってMcDonald’sを「まくだーのーず」じゃなくて「まくどなるど」って発音してるんだから英語母語話者IKEAを「いけあ」じゃなくて「あいけあ」って発音しててもよくない? 悪いのは 「英語では『あいけあ』と読むんだから日本人の『いけあ』っていう発音は変!」みたいなデタラメ理屈を振りかざす英語かぶれの名誉白人どもであって、英語母語話者が身近なもの英語ふうに発音すること自体は何も悪くないよ。彼らが身につけた綴り規則からはそう読む方が自然なんだから

英語中心主義が悪いのであって英語自体が悪いわけじゃない、という精神でいきましょう。へぇヨーロッパの隅っこにある島々で話されてるローカル言語には変わった発音規則があるんだなぁ、面白いなぁ、程度の受け止め方をするのが一番適切な付き合い方だと思う。あのへん、デンマーク語とかアイルランド語みたいに発音綴り関係が複雑な言語が多いからね……

this is ダニューブ」って言われた時「英語ェ…」ってなったなぁ…

ドナウ川語源ラテン語のDanubius「ダヌビウス」だから英語Danube「ダニューブ」の方がドイツ語Donau「ドナウ」よりも語源に忠実だよ! あんまり英語馬鹿にするのはどうかと思うぞマジで

ちなみに、チェコ語・スロヴァキア語・ポーランド語・上ソルブ語ドナウはDunaj「ドゥナイ」っていうんだけど(ウクライナ語でもДунай「ドゥナイ」だね)、スロヴェニア語のDunaj「ドゥナイ」はウィーンって意味なの面白いよね(ドナウはDonava「ドナヴァ」)。

ほぼ現地語読みを尊重してるのに「ドナウ川」だけ語源で語るのはブレでは。現地語読み>>慣習読み≒英語読み≒語源くらいのウエイトでよいような。

まるで英語が変わった呼び方をしているかのように書かれていたから、いやいや英語読みは語源に沿った呼び方であって変な呼び方というわけではないのよ、と書いたのであって、英語読みが現地語よりも尊重に値するとは書いてないっす。ところでドナウ川国際河川なわけだけど、「現地語」ってどの言語のことだと思う?

ジョージア州はジョージ2世にちなんでつけられ両方現地言語読みだからOKと思えば、グルジアも由来の聖ゲオルギオスの現地読み風に読めば良いのでは。

いや、現地語の名称カルトヴェロは「カルトヴェリ人の国」という意味であって聖ゲオルギオス何も関係ないんよ……素直にサカルトベロと書くべきだよねぇ、やっぱし。

ニューカレドニアフランス領なのでヌーベルカレドニーと呼ぶべき

それを言ったらそもそもはカナク人の土地フランス植民地化したんだからカナク語でKanaky「カナキ」って呼ぶべきじゃない? 英語フランス語もどっちも侵略者言語でしょ。

インドネシア地図だとカレドニアバルーになってたわ。日本も新カレドニアとしてもよかったね

anond:20240618111113

カレドニア、いいと思う。アルバニア語のKaledonia e Re「カレドニア・エ・レ」とかトルコ語のYeni Kaledonya「イェニ・カレドンヤ」ももろに「新カレドニア」だし。ただ、そうすると、カナダノヴァスコシア州は「新スコシア州」にするのかとか(ちなみにアルバニア語ではSkocia e Re「スコツィア・エ・レ」、トルコ語ではYeni İskoçya「イェニ・イスコチヤ」)、プリンスエドワードアイランド州は「エドワード王子島州」にするのかとか(アルバニアIshulli i Princit Eduard「イシュリ・イ・プリンツィト・エドゥアルド」、トルコ語Prens Edward Adası「プレンス・エドワルド・アダス」。なお中国語だと愛德華王子島省)、ニューファンドランド・ラブラドール州どうするんですかとか(トルコ語だとNewfoundland ve Labrador「ニューファンドランド・ヴェ・ラブラドール」って日和ってるけどアルバニア語はToka e Re dhe Labradori「トカ・エ・レ・ゼ・ラブラドリ」で「新しい土地ラブラドール」になってて強い。日本語化するなら「新疆ラブラドール州」とか「新開地ラブラドール州」は……駄目?)、色々と楽しいことになるので……

ニュージーランドは「ニュー」の部分が言語によって異なるので、日本語的には「新ジーランド」だよね

いいよねウェールズ語Seland Newydd「セランド・ネウィズ」とかエストニア語Uus-Meremaa「ウース=メレマー」とかソルブ語Nowoseelandska「ノウォセーランツカ」とかバスク語Zeelanda Berria「セーランダ・ベリア」とかハンガリー語Új-Zéland「ウーイ=ゼーランド」とかマダガスカル語Zelandy Vaovao「ゼレンディ・ヴァウヴァウ」とかラトヴィア語Jaunzēlande「ヤウンゼーランデ」とかとか……ところでニュージーランド本来マオリ人の土地英語侵略者言語なんだからマオリ語Aotearoa「アオテアロア」に統一で良くない?

欧州ではネザーランドのことをフレンチ読みでペイバと呼ぶ層が多い気がする。

anond:20240618134114

節子それフランス語読みちゃう、単に自分らの言葉で「低地の国」って呼んでるだけや(英語the Nederlandsっていうふうに定冠詞複数形になるのは、もともと「低地」っていう普通名詞からthe United Statesと同じやね)。イタリア語Paesi Bassi「パエシ・バッシ」もカタルーニャ語Països Baixos「パイズス・バシュス」もスペイン語Países Bajos「パイセス・バホス」も全然フランス語Pays-Bas「ペイ=バ」とは違うじゃん?

ちな、ウェールズ語だとYr Iseldiroedd「イール・イセルディロイズ」、ギリシャ語だとΚάτω Χώρες「カト・ホレス」、クロアチア語スロヴェニア語だとNizozemska「ニゾゼムスカ」、チェコ語だとNizozemsko「ニゾゼムスコ」な。どれも「低地の国」って意味

なお、沖縄語の「ウランダ」は「西洋」という意味だったりする。沖縄語をしゃべるオランダ人動画おもしろいから観て(「ウラン出身だけど、国の方のウランダね」って断ってるの草)>https://www.youtube.com/watch?v=SB1x8iqqSto

増田にしつもーん

クロアチアはフルヴァツカで呼んだほうがいいと思う?

コートジボワール象牙海岸表記をやめたような変更したほうがいいなと思う国名ある?例えば中央アフリカサントラフリケーヌにするみたいな

anond:20240618053529

クロアチア別にクロアチアでよくね? ただ世界史の教科書とかで「クロアティア」って書いてるのは無駄煩雑から高校生のためにもやめてあげた方がいいと思う。現地語がCroatiaならそこにこだわるのもわかるけど、それ現地語でもなんでもないじゃん、ってなるので。現地語を尊重してフルヴァツカと書くか、大人しく慣用に従ってクロアチアと書いておけばいいんじゃ。

変えたほうがいい国名はまさに「ジョージア」だわw 既に日本語で定着した複数固有名詞アメリカの州、コーヒー)とバッティングしてややこしいことこの上ないので、「グルジア」に戻すか、先方がどうしてもロシア語読みは嫌というなら現地語を尊重して「サカルトベロ」にすべき。

2024-04-13

anond:20240412233453

今日教授ルソーの「学問芸術論」を”社交界に馴染めない田舎者ルサンチマンの爆発”としつつ「art=人為/ 自然状態に人が手を加える/ 人間artは結局、圧政を飾り立てる(利己的)ものであり、習俗環境を向上させることなどできず、nature=自然堕落させる」

2024-02-23

プリンカラメルソースはいるのか

プリンカスタード感を味わいたいのにカラメルソースによって口の中がすべてキャラメリゼされてしまう。

プッチンプリンならあったほうがいいが本物のプリンであればないほうがいい。

あるいは美味いキャラメルソースなら極上のマリアージュによってプリンの味を引き立たせてくれるのか。

自分がそんなプリンを食べたことがない可哀想人間なだけかもしれない。

2024-02-21

歴史上の人物って異常な人多くない?

エジソンは「空を飛べる薬」を友達に飲ませて病院送り

映画を複製して大儲け。

死者と交信できる装置を作ったり、おかしかったよね。

心理学フロイトコカイン中毒者。

キュリー夫人弟子不倫

ジャン=ジャックルソー露出狂

モーツァルト下ネタうんこ)好き。

夏目漱石鼻毛原稿に植え付けてるし。


やっぱり天才となんたらは紙一重なのかな?

2024-01-23

anond:20240123185631

ロックカントホッブズモンテスキュールソーヘーゲル死刑必要だと主張していた彼らは人権意識の足りない野蛮人

自分たちの考えが絶対的正義という前提からスタートして圧力かけて従わせようとする方が野蛮だと思うのだが。

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