はてなキーワード: 大本とは
https://anond.hatelabo.jp/20241116121910
にも書いたとおりで、こういう猿以下の生ゴミが一丁前に噛み付いてくるし根本的にはこれと同じノリで大本の予算配分の方向性が決まったりして学問軽視甚だしい
OISTに金が出されてる一方でこういう生ゴミの相手しないといけないのが日本の通常の大学関係者なんだよな 残る意味は飯以外にあんまりない、マジで
なんの煽りにもなってない妄言で論破したつもりになるのは大変結構だけど、俺はこういう生ゴミが日本の社会的リソースを食いつぶしているのを見るたびに日本から離れる気持ちが少しずつ増していくし、一番最初の増田も既に日本に戻る気はないみたいだから
[B! 大学] 東京電機大学生、生協で取り寄せたらどんな本も1割引きになると凌辱物のエロ漫画を購入→大学「学内で調査を行っております。調査後、大学として厳重に対処いたします。」
いちいち引用しないが、事実を誤認した大量のゴミブコメがトップに並んでいる。
「生協でエロ本を買うのは制度の悪用であり、お目こぼしがなくなりルールの厳格化を招く」? 全くのデマである。
書店でなぜ原則本を値下げできないのかというと、日本には「再販制度」、製造元である出版社が決定する定価を書店は変えてはならない、という業界慣行があるからだ。
だが、この形態の取引方法は、独占禁止法において明示的に禁止されている。
第二条⑨ この法律において「不公正な取引方法」とは、次の各号のいずれかに該当する行為をいう。
四 自己の供給する商品を購入する相手方に、正当な理由がないのに、次のいずれかに掲げる拘束の条件を付けて、当該商品を供給すること。
イ 相手方に対しその販売する当該商品の販売価格を定めてこれを維持させることその他相手方の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束すること。
ロ 相手方の販売する当該商品を購入する事業者の当該商品の販売価格を定めて相手方をして当該事業者にこれを維持させることその他相手方をして当該事業者の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束させること。
我々の生きる資本主義社会というのは、市場での公正で自由な競争を大原則とするものであって、価格決定権は小売業者が持つべきものである。価格統制を行い、小売業者同士の競争を禁止するなぞ以ての外である。
このような掟破り行為が出版業界でおおっぴらに行われているのは、独禁法の23条4項に、著作物の発行事業者による正当な行為であれば、独禁法を適用しないという例外が定められているからだ。
なぜこのような特権が認められているのか? 独禁法の教科書を開いてみよう。
著作物に係る法定再販制度の趣旨は,必ずしも明らかではないが,戦前からの定価販売の慣行を追認したものとされている。また,著作物の種類ごとに,例えば,新聞については戸別配達の維持,書籍・雑誌については多様な出版物の発売や書店での展示販売の確保といった説明が後付け的になされているが,再販行為の必要性とは必ずしもつながらないと思われる。(『条文から学ぶ独占禁止法 第3版』p271)
「趣旨は必ずしも明らかでない」「戦前からの定価販売の慣行を追認したもの」「説明が後付的になされているが、再販行為の必要性とは必ずしもつながらない」なかなかボロクソな書きぶりではないか。
当然「商慣習の追認」なる貧弱な理由で、大原則を曲げていいはずがない。再販制度廃止の動きはこれまでも何度もあった。今もなお現存しているのは、廃止の動きがあるたびに既得権益を守りたい新聞業界が大々的に抗議キャンペーンを行い揉めに揉めたからである。政治的駆け引きの末の「お目こぼし」によって成り立っている制度なのだ。
新聞業界という第四の権力がバックにある以上、既得権益を廃止するのは難しい。されど、お目こぼしをいいことに既得権益を拡大しようとする、出版業界のイキり行為には公正取引委員会は否を突きつけ続けてきた。
1990年代を通して喧喧諤諤の大戦争となった再販制度廃止論争は、2001年公正取引委員会による「当面再販制度を存置するのが妥当」という停戦宣言により一応の終結を迎えた。
事実上の勝利にイキった出版業界が次に目をつけたのがポイントサービスの禁止である。
確かに、再販価格維持契約で定価販売を義務付けても、ポイント還元がOKであるならば、事実上値引きと言っていい。「本はどの本屋でも同じ価格」というカルテルを侵す存在であり、再販制度に当面のお墨付きを得た出版業界が禁止を目指すのは当然の成り行きであった。
されど原理原則に戻れば、現状の再販制度さえ、政治的判断による苦渋の決断として認められているにすぎないのである。
出版業界の舐めた振る舞いに激怒した公正取引委員会は、ポイントサービス禁止運動を行う業界団体に対し、「事業者団体による共同行為を禁止する」独占禁止法第8条違反を宣告。
結果、業界団体の会長は責任をとって辞任、クビを差し出して詫びる羽目になった。
ポイントサービス禁止論争で争点となったのは、1%程度のごく低率のポイントサービスであったが、
現在では、アマゾンやヨドバシなどの大手通販サイトを見れば、条件付きではあれど12%ポイント還元だとか10%ポイント還元だとか、大幅な値引きを行っている。再販価格維持契約?なにそれおいしいの?の域である。
しかし再販制度自体がお目こぼしの例外である以上は、再度「ズルいからやめろ」とヤブをつついて蛇を出したくないというのが業界の考えだろう。
再び公正取引委員会の逆鱗に触れ、今度はアマゾンの政治力を背後に一気に再販制度廃止まで持っていかれるかもしれないのである。
この事例からわかるように「イキり行為」に気をつけなければいけないのは消費者である大学生ではなく、売り手である出版業界側であって、ブクマカの認識はまったくあべこべなのだ。
ここまで述べた再販制度の縛りを、大学生協は負っていない。これは独禁法第23条5項が生協を例外の例外の1つとして指定しているからである。
つまり、書籍は例外として再販売価格を拘束する契約を結んでよいが、その例外として生協には通常の取引と同様に、再販売価格の拘束契約を結んではならないということである。
ブクマカが勝手にでっち上げていう「学業目的の特例」とかそんなものではない。実際、書籍の割引は一般の生活協同組合(例えばコープこうべ)でもおこなわれていることだ。
再販制度という大本の例外が設けられた理由を再確認すると「商慣習の追認」が定説である。ただこの理屈では再販制度は生協のみならずすべての事業者において廃止すべきという結論しか導かれない()。
なので百歩譲って少数説である出版業界のポジショントークを参照すると、再販制度なしには、書店が理念を見失い利益至上主義に陥り売れ筋の俗悪本のみが蔓延る世界になるから、らしい。
しかしこの捏ねくりだ出した理屈ですら生活協同組合に適応することはできない。生協は、利益を目的としない消費者どうしの相互共助団体であるからである。
利益の追求のために消費者に不利益を与える行為は法律で禁止されており、また組合員が持つ平等な議決権及び選挙権によって効果的に阻止される。再販制度の容認などという副作用の大きな例外を認めるだけの意義はどうあがいても見出すことができない。
前節では、大学生協で書籍が割引が「可能」である理由を述べたが、愚かなブクマカは「大学生協は学生の学業を支援するためにあるのだから、制度上可能であってもエロ本については割り引くべきではない」などと言うかもしれない。
しかし大学生協の目的なぞをでっちあげたいならば、まず定款を見るべきだ。
第1条 この消費生活協同組合(以下「組合」という。)は、協同互助の精神に基づき、組合員の生活の文化的経済的改善向上を図ることを目的とする。
(事業)
第3条 この組合は、第1条の目的を達成するため、次の事業を行う。
(1)組合員の生活に必要な物資を購入し、これに加工し又は生産して組組合員の生活に必要な物資を購入し、これに加工し又は生産して組合員に供給する事業合員に供給する事業
(2)組合員の生活に有用な協同施設を設置し、組合員に利用させる事業
というか名は体を表すというように、大学生協とは生活、「大学に属するすべての人つまり大学生/大学職員/教職員の生活」を共助する団体である。役割は学業に限られない、当然娯楽を提供することも含まれるのである。
書籍の割引販売は、それが教科書であろうと、学術書であろうと、コミックであろうと、エロ本であろうと
に一律で含まれるであろう。
(追記:id:worris 氏のブコメより、誤りの指摘があった。書籍は第3条第1号「組合員の生活に必要な物資」である。つまるところ、生協の言う「生活に必要な物資」とは日常用語の生活必需品より広い概念であり、娯楽を含むのだろう。論旨の変更は必要ない。)
もちろん、娯楽の提供は大学生協の役割に含まれると言っても、程度問題は存在する。
生協の資金力にも労働力にも限界は存在するのだから、何にリソースを投じれば「組合員の生活の改善及び文化の向上」を達成できるか、取捨選択が必要になる。
決めるのは、一人ひとり議決権あるいは選挙権を持つ、組合員である。
ブクマカは「イキるとお上のお怒りを買うぞ」という論調であるので、決定権が生協のおえらいさんとか大学経営陣とかにあるように勘違いしているように見受けられるのだが、事実は全くの逆なのだ。
組合員自治の原則を念頭に置いた上で、なぜ本が一律割引されるのかを考えてみよう。
大学生とは多くの人にとって人生で一番本を読む時期である。これは今年『何故働いていると本が読めなくなるのか』という新書がベストセラーになったことでもわかることである。
そして生協は再販価格拘束契約で縛ることのできない例外的な存在として、彼ら組合員に独自の価値を提供できる。
そう考えると書籍の一律割引販売で、組合員の合意がまとまるのは、ごく自然ななりゆきである。
仮に「娯楽本は除外」とか「教科書のみ割引」とかいう制度になったならば、利益を得る層が組合員の中で偏ってしまう。みんながWin-Winになる制度こそが、民主主義的な議論で選ばれるものである。
紙の本をほとんど買わない組合員からすれば、事業資金は「書籍を10%引きで売る」ことより「生協食堂のメニューを1品増やす」方に費やしてほしいことだろう。
「学術書読んでる同級生は応援したいけど、エロ本はな……」と彼らの票が離れることは、あり得る展開ではあるかもしれない。
しかしエロ本を割引販売することで、大学生協は何ら損をしていないことにも留意が必要である。むしろ、大学生協は新たな顧客層を開拓することで利益を得て、他の事業へ投資可能な資金を増やしたと言える。
「割引率が10%であるべきか5%であるべきか」は難しい経営判断であり組合員間での真摯な議論が求められるところであるが、割引中止とか販売停止とかになると誰のトクにもならない論上に上げるまでもない愚論なのだ。
なお大学生協に客を取られなければ、定価でエロ本を1冊売ることができたであろう一般書店は損をしたといえるが、再販制度というお目こぼしに守られているものが「ズルイ!」なんて言える立場にないことは先に述べたとおりだ。
大学生の行為を「バカッター」とか「バイトテロに等しい」だとか意気揚々と名誉毀損行為を行うブクマカたちは、
実際は、自分たちがこそが大学生協の役割を勝手にでっち上げたイキりバカブクマカであり、はてなというプラットフォームの名誉を大いに傷つけるブコメテロであることを認め、真摯に謝罪すべきである。
そして、大学生協の役割を学業目的だと誤解する人がここまで多いという事実は、「生協ではどんな本でも割引される」ということを声高く啓蒙する意義を証明している。
正直な所、今夏のパワハラ関連の話題の中で前知事の基本的な態度に非常に衝撃を受け、議会全体からの否認(後援していた維新を含む)を受けるという事態に対しこのようなこともあるのだなと思いながら、その時点では然るべき手続きであると認識していた。
公益通報の法制度上、直接直ちに該当しうるかどうかという点については微妙と思っていたこともあったが、パワハラに関してそれなりの証言(当人を含む)があったことなどから、相応に正しい手続きの末の決定だと認識していた。
だが、現況の兵庫県での状勢を見るに、再選の可能性がむしろ十分にあり得る、ということにショックを受けている自分に気がついた。
肯定的な意見の大本になっていたのは、自殺した当人の(言及は避けるが)非違行為があったこと、クーデターを目論んでいたということだった。
一番最初にこの意見を見たときには、いわば『陰謀論』の典型的なものとして、考慮に能わないと一蹴した。
だが実際には、この意見はどんどん広まり、マスコミが報道しないことで、マスコミがこのクーデターに乗せられているがために今更手のひらを返せないのだ、マスコミは信用できない、という意見を取り込んでさらに広がった。
結果として選挙情勢で凄まじい追い上げを繰り返し、対立候補もリードを保ってこそ居るが実際に猛追をされているという報道が出ている。
自分は兵庫県民ではないし、今回の選挙に対し何かを言う立場には直接的にはない。無論住んでいる国のことではあるということで、アメリカ大統領選よりは間接的にものを言える立場なのかもしれないが。
ただ、『陰謀論』という典型例について一蹴することだけではおそらく、現況の状況を見誤りかねないと感じた。
正直に言えば未だにクーデターなどの状況は疑わしいとは思う。ただ、パワハラの問題がやや問題の周縁に終始していたという感触は確かにあった。
常に全ての証明が図れるものではないのだから、これだけ周縁にパワハラの問題が一定の事実として証明できるのなら、その本丸もそうだろう、と考えた。
あとは、当人が一貫して道義的責任を否定し続けるという極めて超越的な態度を取り続けたということに対して、『普通なら』ないし『政治的には』謝罪することの利益が、しないことを上回るだろうにもかかわらず、それをしないということに、非常に反感を感じていた、というところがある。
それはつまるところ、今回の猛追において、おそらくは兵庫県民の方々が改革を推し進めた(とする)斎藤前知事を信用しうると感じたということや、自殺者が(外部に発出した内容とは無関係だが)非違行為を行っていたということをもって、その文書の内容もおそらくそうだろう、と考えたことと、大差がない。
自分で組んだプリセットに依存しているという点で、結局自分が反対しようとしている行動と大差がないという状態は矛盾していて、愚かしい。
その反対しようとしている理由が推測と感情であって、それが世間に取り残されているというのならなおさら、その感情を矯正する必要がある。
ハリスがアメリカで全面的に敗北を喫したように、自分の視界の範囲内ではなく(それが主要なメディアに収まるものであればなおさらに)、自分がアクセスできていないメディア内の状況を見た上で判断する必要がある。
例えば現在は、非公表の会議の内容を開示したであるとか、自殺者のプライバシーを侵害するであるとか、そういった適正手続きの保障ということを、おそらくは、重視していない。
世間ではパワーハラスメントについて非常に敏感ではあるが、公務員などの「不適切な行動を取っているとされる」相手に対しては、おそらくは、重視されていない。むしろ、必要なものとも認識されることがある。
久々にブコメ見たな
ちなみにTCGという単語を使わないのは、遊戯王にもTCGが存在するからで混同を避ける目的があるよ
もっと具体的に頼むは
出身だからなんて理由じゃないし、デザイナーが元遊戯王プレイヤーだから遊戯王に似せているってのなら、あんなデザインやルールにならんでしょ
kazumi_wakatsu ルールがほぼないのに裁定は大量にあるって、他に模倣が現れないのは単に運営コストが高すぎるからでは…
いまでも一週間で数個の新規裁定が出ているし、過去の裁定がブラッシュアップされている
それに大会が行われるときは電話は大体埋まっているわけで、こんなの普通の新規ゲームでやろうなんて無謀だよ
コナミが運用コストをかけても総合ルール作らないのは、作りたくても作れないからだと思う
akihiko810 ブコメ。「Force of Will」というMTGライクTCGでは、土地デッキという第2デッキを使うことによって、MTGの「肝心なときに土地を引く可能性(何もできない」というデメリットを克服してて、よく考えてるなーと思った。
だいたいはデュエマ方式だったり、ヴァンガやエヴォルみたいになってるし
ただ、共通しているのは共有リソースが常に見える状態になっていることだよね
土地自体はマイナスのデザインだったけど、現在もきちんと運用されているMtGはすげーとも思う
構造の話をしているのに対してミニマムな話だが、エクストラデッキは遊戯王の大きな発明だと思う。mtgの相棒(失敗作)なんかはエクストラデッキからの逆流アイデアじゃないかな。
エクストラが発明かはあんまりわからないが、その後のカードゲームに大きな影響は与えたかもね。ちなみに相棒システムは失敗だったが大本はEDHだと思うよ。俺はヨーリオンが好き
複雑さだけならMtGがダントツだと思う。遊戯王は複雑かというとそんなことはないよ。見たままのテキストの動きをするだけだからね。なれれば問題ない。
テキストが冗長で、1ターンで動けるだけ動けるという異質な挙動が難しく感じるのと、結局のところルールの厳密性に欠けるので裁定しか頼りになるものがないという点が複雑に見えるのかな。
裁定たくさんみてきたけど、じゃあその裁定が本当にルールとして正しいのかは実はわからないんだ。
evamatisse 裁定を覚える記憶力すご……ってなるけど、実は大会で使われるデッキの種類は数種類なのでそんなに必要ない。 “常に最新のものしか遊ばれない” / フリーだと細かい裁定は気にせずやる。知ってたら知識自慢になる。
時と場合に寄るからね。ここに書いたことなんてだいぶ抽象的だから。
murlock "遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない" というからにはよそに参考にされていない独自の良い点を挙げてほしい。いや書いてあるかもしれないけど見出しでまとめてくれないと読んでられない
良い点
悪い点
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遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない
この界隈、ほぼ遊戯王を避けて通れないんだが、遊戯王は完全にカードゲームという遊び方から外れているんだよ
野球って他の球技と比べても独自ルールや様式ばかりだし、試合展開も全く違う
たいていがサッカーのようにボールをゴールさせるか、テニスのように互いに打ち合うスタイルの中で、野球って1回ごとに攻守入れ替えるし試合自体が滅茶苦茶長くて動きもルールもわかりにくい
仮に新しい球技やスポーツを考えるってなると、間違いなく野球をベースにする人はいないだろう
カードゲームにおける遊戯王の立ち位置もそんな感じで、プレイヤー層も遊び方も価値観もルールもカードゲームという枠ではないんだよ
他が真似しようにも真似ができない
まず試合運びが異常だ
1ターン目から動けるってのは常識として、1枚が2枚3枚になるという動きは普通のカードゲームなら絶対にしてはいけない禁忌だ
それを可能にしているのがいつでも触れられる手札ことエクストラデッキ
昨今はこいつを媒介になんでも1枚初動がかなえられる
マナコストが存在しないというだけでどう考えてもおかしいが、1ターンに1度という制約がほぼ無意味なくらいには何でもできるのが遊戯王
現代カードゲームでマナに相当するコストを設けていないだけでも少数派だが、さらに1枚で複数のアドを稼ぐとかやってはゲームとして成立しない
それをしているのは遊戯王だけなんだよ
このゲームは徹底して他のカードゲームでは禁忌とする過剰な展開をする
それ自体が遊戯王の魅力ともいえるので、それに魅了されたプレイヤーは絶対に遊戯王を肯定し続ける
普通は総合ルールを設けて、補えきれない細かい部分や独自ルールとする場合に裁定を作る
遊戯王はそもそも総合ルールが存在せず、簡易的ルールの寄せ集めでしかない
「いやパーフェクトルールブックがあるじゃん」という人は総合ルールを理解していない
総合ルールは単に箇条書きではなく定義や意味が記され、各々の項目の関係性が書かれている
抽象的で網羅的に書いてあるので読みづらいが、それは暗黙の了解による解釈をできるかぎり排除する必要があるからだ
遊戯王をみればわかるが、ちゃんとした定義や意味が不明瞭なまま「こうなると思う」という暗黙の了解を元に裁定が決まっている
明確なルールに基づきつくられるはずの裁定が、裁定があるからこういうルールだという逆転現象を引き起こす
例えば「特殊召喚できない」という永続効果があるときに、未開域の共通効果は発動できるが、なぜ発動できるかは実はわかっていない
また、特殊召喚とそれ以外の処理を実行する効果に虚無空間をチェーンする場合には、カードごとに処理の仕方が変わってくる
では「カクリヨノチザクラ」のよる除外は行うのに融合召喚における素材の墓地送りはできない、という違いは明文化されていない
融合は融合召喚として定義されているからいいものの、なんで「カクリヨノチザクラ」は除外できるのか理由が見当たらない
理由付けはいくらでもできるが、結局それはプレイヤーが「そう感じているから」としか説明ができないのだ
一つ一つは理解できても、では根底でどういう区別をしているのかは何も明らかにされていない
この原因は、他のカードゲームでは「処理できない部分以外は原則処理する」というルールの黄金律が根底にあるのに対し、遊戯王はそういう思想がないままやたら裁定だけが細かく作られているからだ
明確な理由を示すことがないなら、事例をたくさん作って既成事実にしちゃえってのが遊戯王のやり方
裁定の良いところはフレキシブルに各カードに対応できることだが、そもそも総合ルールで問題ないようなものにすら裁定を作らなければならず、結局裁定だけでは総合ルールに足りない
最近は関連するカードを箇条書きにしているので非常にわかりやすくなっているが、それでもそこまでのことをしなければ成立しない手間があるのはちょっと異常だ
遊戯王は長い年月の中で裁定がルールであるという文化が築かれてきたから、こんなことができる
なので裁定をどれほど知っているかで遊戯王のルールに詳しいかがわかる
だが、結局どんなに詳しくとも本質的なルールはどこに行っても不明瞭なままだ
昨今のカードゲームは1試合の時間をある程度抑えることを前提にしている
なので1ターンごとの動きはシンプルであることが多く、ターンを進めるうちにできることが増える
この利点はターン経過とともにプレイヤーの主導権が変わり、初心者でもある程度の動きをできる点にある
けれど、最初の方は数秒で終わることも多いため、ターン数があっても試合時間はそれほどかからない
特に1ターン目は徹底した展開やサーチなどをするため、デッキや手札の入れ替えが大量に発生するしモンスターは場を行ったり来たりする
よって1ターン目なのに5分近くかかるなんてのも一般的だ
そしてようやく後攻に回っても、さらにそこから展開、妨害と続いていく
遊戯王は1ターンで他のカードゲームの5ターン分以上のことを平気でするからこうなってくる
こうなってくると初心者がカードを触れる時間は本当に限られてくる
理解している人には楽しいのだが、結局楽しさが初心者に伝わるまでに試合は終わってしまうのだ
ターンプレイヤーは常に展開をぶつぶつとつぶやき、片方にとっては退屈な時間が初手から流れる
正直、遊戯王プレイヤーはコミュニケーション能力がほぼ欠けている
ゲームがうまい下手より、むしろこういうゲーム性を否定する人の方が遊戯王プレイヤーから攻撃を受けるケースが多い
対話をしないことが標準の遊戯王では、対話をするかどうかに関して本当にもめる
これは一定期間で区切り、その中で発売されたパック等だけを使う遊び方だ
そうではなく昔からあるカードを使えるのは、レガシーなどとも呼ばれる
もちろん多くのカードゲームがずっとカードを使えることはユーザーにとってメリットになるとはわかっている
しかし、最新カードを売りたいのと、インフレを抑制して初心者にも入りやすいようにスタンダードなどの名称でフォーマットを区切ることが多い
遊戯王にこう言ったフォーマットの概念がないことは明確なメリットである
例えば昨今は禁止制限が目まぐるしく変わるが、禁止から復帰したカードで活躍しているものはどれだけあるだろうか?
あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない
もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう
ようするに現環境はドラグーン・オブ・レッドアイズが活躍できた環境をとっくに飛ばした高速環境だ
恐らく3年くらいたてばあのティアラメンツが全て戻ってきても、環境には入らないと予想される
そのくらいに遊戯王はインフレをインフレでカバーする運用がされている
本来、スタン落ちなどのフォーマットの細分化はこういった環境のインフレを抑止して誰でも楽しめる一定のレベルを確保する目的で作られる
そうすれば「最新パックを買えばとりあえずみんなと遊べる」安心感が得られるのだ
もしもフォーマットが1つなら、過去の強力なカードがなければデッキとして成立せず勝つ楽しさが味わえない
しかし遊戯王は強力なインフレによって最新カード=環境ともいえるくらいになっている
事実上、ここ数年に発売されたパックだけでも十分に環境入りしている
インフレをハイパーインフレが超えるから常に最新のものしか遊ばれない
とはいえ、古いカードすらカテゴリー化して新規を加えることでハイパーインフレの波に乗せてしまえるので、本当にフォーマットが1つだけでよい
こんなことをできるのは遊戯王くらいだ
それは25年以上かけたつくられたカードプールとインフレの流れがあってこそだ
普通のカードゲームはインフレが始まるとユーザー離れをおこし、それを調整しようとしてさらにユーザーが減ってしまう
だからこそ、一般的なカードゲームは禁止制限一つとってもユーザーへの配慮や説明を怠らない
ときに「○○はデザインを失敗しました」と言い切ることも必要だ
何の説明もなく制限リストだけ出して終わるなんて特級呪物級は遊戯王以外にはありえない
もし、遊戯王がフォーマットを分けていれば「〇〇フォーマットが死んだ」 などと「あのフォーマットはオワコン」と内部分裂しているだろう
適度なブレーキと毎年加速するハイパーインフレは1フォーマットだけで完結する遊戯王のスタイルでしか成立せず、それ以外のゲームが真似することは不可能だ
けれど他のカードゲームからすれば見えている地雷を踏みつけてジャンプしているようにしか見えないのだ
大抵のカードゲームがMtGのやり方を学んでいるのは、遊戯王を見ても何一つ真似できるものがないからだ
MtGも多くの失敗と成功を重ねているが、そのどれもが時系列で並び明確化している
最近だとナドゥやモダホラの失敗もあるが、これ自体も公式がきちんと見解を出している
こういったものが良くも悪くもカードゲーム全体に影響していることであろうことは明白だ
いったいどれだけのゲームが遊戯王のルールや裁定のみの運用をしていると思っている?
例えば「特殊召喚」という言葉を使ってるのはゲートルーラーくらいだし、あの大ヒットしたワンピカードにも Permalink | 記事への反応(14) | 02:13
あの増田(特に返信増田)について、「育児が上手くいっていない(ヨッピーに僻んでる)」って思ってる人が散見されるけど、自分はそうは思ってないです
2人とも「ヨッピーみたいにできない」とも言っていないし
彼等は単純に、ヨッピーの育児本に「期待した内容が書かれていなかった」と言ってるだけ
こういっちゃ何だが、ヨッピーの育児本を買って読むなんて、相当ヨッピー好きでしょ。期待値大きかったと思うよ
大本増田が「退屈な時間」と表現したのが食い違いの原因かなとは思うけど、それこそよく読めば「あちこち行く」とか「スマホでオーディブル」が解決策となるような話ではないと分かる
返信増田は相当苛立ってるけど、自分はこれはヨッピーの初手の返信がよくなかったと思ってる
「あちこち行けば?牧場行ったら子どもがヤギと初遭遇した時のリアクション面白かったよ」らしい
これに対して「牧場は平日に行くところではない」ということを言ったら「よく読めよ」と返されたわけで、そもそも本質でない(と返信増田が思っている)ことの例示までズレてたらカッとなるのもわかる
※今見たらヨッピーのブコメが「ちゃんと読んで」になってるけど、変わった?
その後、ヨッピーは「自分にとって牧場は身近」という旨のことをいっているが、それは一般的には身近ではないということを理解しているということだろう
「誤解を与えたならメンゴ」とでも言っておけばよかった
あと、育児の"ムダ"な時間を「退屈」と感じるか否かはそれこそ人それぞれだけど、
あれを実際に体験したうえで全くストレスと感じないと言う人がいたら、相当な強メンタルか、「たまにしかやってない」と邪推されても仕方ないと思います
自分もこのやりとりを全く噛み合ってないなーと思って見てたんだけど、どこが噛み合ってないかの見解がちょっと違うので、気ままに書いてく
※自分は上記登場人物の誰でもないです。以下は自分の想像が多分に含まれます。
「他人の意見なんて参考にならない」なんて思ってる人もいないでしょう
多分、増田2人は
とか、そういう事を言ってるのでは*ない*
そこがヨッピーと噛み合っていないのだと思う
子育てしてると
などなど、"ムダ"な時間が大量に発生するでしょ
こういうのも後々振り返ればかけがえのない時間なんだけど、毎日毎日繰り返されるとその時は本当に辛い
こういう繰り返される"ムダ"な時間を、大本増田は「退屈でずっと子どもと向き合っていないといけない時間」と言ったんじゃないかな
いつも楽しそうに生きているヨッピーだから、こういう期待はしてしまう
でも実際にはそういう話題じゃ無くて、家事の時短テクとか育児タスクで使えるツールの紹介とかだった
で、大本増田が「期待外れ」と書いたら、ヨッピーからのコメントが「子供と牧場行ったら楽しいよ」と
そりゃ返信増田もカチンとくるだろうなと思う
でもそんなことばかりしてられないし。なお、行き先の問題でもない
思うに、子供関連の"ムダ"な時間って色々考えてしまうんだよね
みたいな、そういう焦りのような感情とどう付き合っていくか
時間的な"ムダ"をどうするかで悩んでるわけではないので
でも、ヨッピーが噛み合わないのは「休日のお父さん」だからではないとは思う
育児経験すら(いろんな意味で)自身の糧にしていけるタイプの人だからではないかな
ただ、言葉の端々で「~で悩む人がいるとは」とか「~すればよいだけ」みたいなのは、育児本の著者の言葉としてはいただけない
ヨッピーは自分が"特殊"なタイプだと認識した方がよいとは思う
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全然纏まってないけど、長くなってしまったのでこの辺で投下します。
あちらに繋げるのは何かイヤなので、こちらの記事に繋げさせてください。
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[追記]
いまみたらちょうどヨッピー氏がコメントくれていたので、取り急ぎメモがてら書いておきます。
ごめんなさい。これ、どこのこと言ってますか?(思い当たる記述はあるので後で追記するかもすぐみつかったので追記)
『「~で悩む人がいるとは」とか「~すればよいだけ」みたいなの』の事だと思うので、該当箇所を引用しておきます。
僕自身は子どもと居て「退屈で死にそう」みたいなことがあんまり無いので読んだ時の最初の感想が「それで困ってる人がいるのか……」が正直なところ
[追記]
念のため明記しておきますが、自分はヨッピーが「こうできなきゃおかしい」と言っているとは微塵も思ってないです。
上で引用したような、『子どもと居て「退屈で死にそう」』な人とか『普通に手を繋いで歩いて行け』ない人(子供は歩くのが滅茶苦茶遅い)とかは普通にいるので、*育児本を書くなら*そういう人の存在を知っておいて欲しかったという意味です。
「アンパンマンは君」っていう歌詞に対してやなせたかしが何を込めたのかを意識しない。
「いや、俺はアンパンマンじゃないんで」とその部分は済ませておきながら「かぁ~~~~何のために生まれて何をして生きるのか分からないまま終わる~~~~マジで深淵~~~~」とか言ってるの。
マジで恥ずかしいだろ。
お前さあ、自分はアンパンマンじゃないと言っておきながら「かぁ~~~~時は早く過ぎる光る星は消える~~~~分かるわ~~~~」とか言ってるのな。
マジでなんなの?
つうかアンパンマンって何か本当に分かってるの?
どうせお前は昔絵本かビデオかで見た「空から二つの星が落ちてきてどうたらこうたら、つまり地球外生命体なんだよね。クリプトン人やウルトラマンの亜種みたいなもんかな」ぐらいに思ってんだろ?
それはあくまで物語の設定であってさ、それによって表現しようとした「ヒーローとはなにか?」という概念からはかけ離れた部分だから。
換喩表現が行われたものに対して比喩表現の内容そのものに対してあーだこーだ抜かすような形で迷子になってる。
アンパンマンの本質を知りたいなら後付の設定じゃなくて作者の過去作を見ろって話なんだよねつまり。
そして、「アンパンマンは君さ」という歌詞が本当に歌っているのはこっちなんだよ。
バイキンマンをぶっ飛ばす腕力とか、空を自由に飛び見回る飛行力じゃない、そういった強大な力を持たせることで実現させたかったのは何かってことなの?
「強気をくじく」って部分はそのための手段でしかないのに、いつの間にかそっちにみんなフォーカスするようになってるけどさ、本当に大事なのは「お腹が空いた人にパンを配る」って部分なのよ。
もう分かるよな?
「アンパンマンは君さ」ってのは「お腹が空いている人にパンを配るような優しさ、それが君の心のなかにもあるはずだよ」ということを指してるんだよ。
ただのパン配りだったおじさんがなんで空を飛び回れたと思う?
それは空を飛び回りでもしなければ誰か一人の中に宿る優しさで皆を救うなんて出来ないっていう現実の厳しさを知っていたからだよ
やなせたかしはいつからかアンパンマンワールドという架空の世界の中に引きこもって現実を救うのを諦めてしまったけど、それでも最初に救いたかったのは現実の世界だったんだ。
戦後の貧しくてひもじい日々を救ってくれるヒーロー、それが心優しい空飛ぶパン配りおじさんだ。
「勇気や時間や余裕や力が足りないだけで、君だってもしも条件が揃えばきっと皆にパンを配って回れるような優しい人なんだぞ」って言いたいんだよ。
都市伝説の一つ(大本はどっかの作家が作った創作とも言われているけど、その人が都市伝説をパクっただけかも)
収容所に入れられた捕虜達は自分たちの牢の民度の低さに疲れ果て、「そうだ。ここに一人の少女がいると仮定しよう。彼女に恥じないように暮らそうじゃないか」と思いつく。
牢全体が見渡せる位置に椅子が置かれ、そこに少女がいるという妄想を彼らは共有して暮らすことにしたのだ。
たとえば誰かが喧嘩すると「少女にこんなものを見せるのか!男として恥ずかしくないのか?」と諌めたら男達はふるい挙げた拳をそっと下ろしたという。
そんな彼らは過酷な収容所の暮らしの中でも倫理観や規律を守り、誰一人かけることもPTSDを患うこともなく収容所から出られたのだとか。
恋愛をしたことがある人間は多かれ少なかれ背伸びして自分をよく見せようとした経験を持っているものだ。
それは個人的な自己顕示欲による「どうだ。俺はカッコイイだろう」という中二病じみたナルシズムではなく、相手本位で考えて「この人に好かれるには、嫌われないためにはどうしたらいいのだろうか」と考えた経験があるということだ。
恋愛経験がない人間は不特定多数から褒められたいというチャチい自己顕示欲に溺れて格好つけた経験はあっても、身近にいる一人の人間、そのパートナーとして恥じない自分になるために努力した経験がないのである。
つまり、恋愛をするということは、自分の中に「一緒に居て恥ずかしくないような人間になるために頑張ろう」という意識が自発的に生まれ出るということだ。
自分を律しようという意思をもって日々を暮らすことで健全な精神が育まれていくのだ。
多くの人が恋愛を通して一皮むけるのは童貞を捨てて自信がつくからではない。
自分の中に他人の目線を持ち込んで「自分はちゃんと振る舞えているだろうか」と日夜考えるという経験を積むからなのだ。
立派なパートナーとしての自分を誰かに与えるという感覚、これはパパママから「Aクンは立派だね~~~」と褒められようと努力するのとは全く意味が異なる。
パパママに褒められたいから頑張るのは「自分が褒められたい」からでしかなく、「相手に恥じないようにしたい」という気持ちからではないからだ。
逆に言えば、恋愛経験のない人間はそういった経験をすることもなく「僕は毎日こんなに頑張ってるのに誰もいい子いい子してくれない><」と子供じみた泣き言をいくつになっても心の中で唱え続けるのである。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6513583
3人には絞られたが、プロからみても3人のうち誰になるかはわからない。
当初はフリー記者のブーストを受けて、小泉が圧倒的大本命だった。
しかし小泉は失速しつつある。理由は労働政策の雇用がかなり急進的なこと、討論会での受け答えが簡潔すぎたこと、限られた持ち時間で母に会ったなど身の上話を語りだし国家レベルの政策を語る能力に欠けるのが見えてきたこと。
こうした進次郎の能力不足が見えてきたためか、党員調査でまさかの3位転落。早期解散の恩恵を受けられず進次郎内閣の支持率が落ちたときに改選を迎えるのを危惧する参院議員の反発も予想される。
しかし石破・高市にも弱点がある。石破は議員票が弱く、高市は裏金議員に甘い姿勢を取っている。
自民党国会議員は決選投票でどう動くかかなり頭を悩ませているだろう。小泉なら労働政策、高市なら裏金で世論からの反発が見えているが、石破なら安倍派や麻生から恨まれる。
「コパカバーナ」(原題: Copacabana (At The Copa) )は、
マニロウとブルース・サスマン、ジャック・フェルドマンによって書かれた。また、同年のアルバム『愛と微笑の世界』 (Even Now) に収録されている。
コパカバーナの大本の由来は、ブラジルのリオデジャネイロ市にあるコパカバーナ海岸であるが、曲中ではその海岸ではなく、
その名にちなんだアメリカ合衆国ニューヨーク市のナイトクラブ、コパカバーナでの出来事が歌われている。この曲は『ビルボード』誌で8位を記録し、1979年のグラミー賞 Best Male Pop Vocal Performance を受賞している。
その後、2006年にはキャメロン・ディアスが出演するソフトバンクモバイルのCFイメージソングに使用され、話題となった。
よしウェブサービスを作るぞと意気込んだ。
まずCloudflare Workersが安いと聞いてるのでそれを使う。
ユーザー認証にはFirebase Authというのが良いらしい。
よし、使ってみるぞ。
えっ中国で使えないんですか?
プロキシサーバーを立てて回避?新規で選んだらアカンやつやん。日本人これ使ってるやつ多いよねぇ。だから世界で戦えないんじゃない?
さらに調べるとユーザーが増えるとコストが馬鹿みたいにかかるんですって。
なにゆってんの。日本人なら水と認証はタダじゃないと納得できない。
そういう事で、タダでできる認証を調べると、Luciaというのを見つけました。
Luciaはオープンソースの認証ライブラリ。ユーザー情報など置くDBは別途用意しなきゃいけないけどそれはしょうがないね。
あとセッションベースの認証だから安全性が高いんだって。すごいね。
ChatGPT「ユーザーセッションをDBに保存して、まだ有効期限をが切れてないかリクエストのたびにDBに聞きに行くやつや」
えっそれは・・・データベースへのアクセスがいっぱいになるよね?
ChatGPT「せやで」
あかんやん!DBのお金くらいは出したるとは言え、リクエスト毎のアクセスはあかんわ。
これもLuciaと同じくOSSだけど、Luciaと違ってトークンベース。
良いですね。私トークン大好き!
早速書いちゃうよー。ごりごりごりら。
ふう、いっぱい書いたね。もうApple、Google、GitHubの認証かけちゃった。
よし、これをスマホアプリでも使えるようにしないとね。Auth.jsとか大そうな名前のライブラリなんやから当然簡単にできるんやろなぁ。
・・・できん!え、嘘!?なんか同じ事聞いてるissueあるけど作者全然アプリに乗り気じゃない!って言うかクローズされとる!リバースエンジニアリングしたら余裕やお前らは作者様に迷惑かけるなボケとか言ってる奴もいる!
これはあかんわ・・・。そらなんとかしたらなんとかなるんやろうけど、「覚悟」がいるやん。暗闇の荒野に進むべき道を切り開く「覚悟」が。
だからアプリ開発者にもっと媚びるのが普通なのに、むしろ忌み嫌ってるフシさえある。
とりあえず今日はここまで。
明日はSupabase Authを見てみる。
そう、認証はタダでは無理だと分かったので。少なくとも命を削って良い機能じゃない。
でもSupabaseの無料枠はFirebaseの倍の量あって、課金入っても比較的安くて良さそう。
しかもCloudflare Workers が連携に公式対応!
正直それがどの程度のものか怪しいけど、見てみるで。
それにしてもサーバーサイドはつらいなぁ。
村上隆氏と左派論客の斎藤幸平氏がReHacQ(高橋弘樹氏が運営するチャンネル)で対談している動画が4連続で上がっていてすべて見た。
※以下敬称略
結論から言うとこの動画で村上隆が何をやろうとしているのかよくわかったので彼への嫌悪感はすべて消えた。
1動画40分近くあるので見るのは大変だと思うが興味深く見れたので余裕がある人は見てほしい。
一応言っておくとこれはあくまで私の個人的見解なのでその点には注意してほしい。
ざっくり動画の流れを説明すると斎藤幸平が布施英利と対談した際に村上隆が嫌いと悪口を言ったので、村上隆がYoutube?にコメントを書きそれを見てチャンネル運営者の高橋弘樹が対談に誘ったという流れのようだ。
※斎藤幸平氏はマルキストなので拝金的に見える村上氏の行為があまり好きではない
現在京都で開催中のもののけ展の展示内容を村上隆が斎藤・高橋、両氏に説明しつつ最後に対談という流れになっている。
そこで現代美術とは何か、芸術とはなにか、現代美術のマーケットがどのようになっているのかという基礎的な内容を質疑応答形式で確認していく中で村上隆がどのようなことをやってきたのか、目指しているのかという事も語られていく。
村上隆の顧客はforbes上位に入るような超大金持ちであるだとか、日本人の想像もできないような西洋のお金持ちの間でアートはある種のコミュニケーションツールとして機能しているだとか。斎藤氏や高橋氏のアート素人の目線からの質問として、アートは大衆に開かれるべきなのでそれほどの高額でアートがやり取りされるのがどうなのかという質問などもあった。
ただ、結局動画の内容を見た上で私が理解した村上隆がやっている事というのは以下のようだ。
「西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアートの文脈に日本のアニメや漫画といったオタクカルチャーのスタイルもアートであると認知させるため芸術活動をしている」ということだ。
それゆえに、彼のアートは"芸術の枠を拡張する"という典型的な現代美術ということになる。
これは別の動画(漫画家の山田玲司のチャンネル)で言及されていたが、村上隆はもともとは典型的な第一世代のオタクで宇宙戦艦ヤマトのファンであった。そこでアニメ業界に憧れはあったが庵野秀明の作品が続けざまに放映されるのを見て業界を諦めたらしい。その結果彼はアニメ以外に興味のある分野として日本画を専攻することになる。
つまり根本的な動機としてアニメは素晴らしいものなので世間に認められるべきだというものがあり、それがスーパーフラットという概念「アニメも漫画も日本画も同じような手法を使っており、同じようなシステム体系であり、アートである」という主張に繋がることになる。
だから、オタクカルチャーを世界に認めてもらう手段として、西洋のハイソサエティのコミュニティを顧客とし、自分の作品をその人たちに売るという行為につながる。
彼はしばしば「高額で売ることが重要なのではない」と言うがこのロジックを理解すると容易に彼のアートや発言の意図がわかるようになる。つまり西洋のアート文脈を支配しているハイソサエティにオタク系の作品をアートであると認知してもらうには彼らのマーケットに入り込みそれらの作品を売り込む以外に方法がないのだ。だから値段は顧客が勝手に決めることになるし、高く売ることが重要ではないという事になる。目的を達成するための単なる手段に過ぎないわけだ。
またそれが彼の作品がオタクカルチャーの作品をパクったかのような作品群が混じる理由でもある。動画のなかでドラえもんとソニックを混ぜて作った作品がある(ルックとしてはミッキーマウスに似ていたためにディズニーに買われたらしいが)
これはつまりドラえもんとソニックを混ぜて作った作品が美術マーケットで売れたということは大本であるドラえもんとソニックもアートである。という論拠になる。むしろ元ネタがある作品をあえて作ることで"漫画やゲーム作品もアートである"という事になる。
"世界のアートとはいったい何なのかという概念を決めているのは西洋を中心とした大金持ちの上位層である"という彼の視座から見ると、日本人は資本主義に組み込まれてすらいないとか、敗戦国の悲哀等という発言の意図も理解できる。
アートとはいったい何なのかというルールを決める場に日本人は存在しない。
だからその世界に入り込みその概念そのものを拡大して自分の好きなオタクカルチャーをアートであると概念を変容させる。
アニメやゲームの制作者や漫画家がエンタメとして世界に売り込むことで楽しんでもらい大衆という社会階層の下からオタクを世界に拡散している。一方で村上隆がやっていることは世界の上位層に対してオタクカルチャーを広めオタクを拡散することだ。
1990年代以降実際にオタクカルチャーは全世界に拡散し人気を得てきた。私もアニメや漫画を楽しむ人が世界中に増えることは純粋にうれしい。直近でもご当地初音ミクに感動した人もいたはずだ。
だから私は村上隆がやろうとしている事に反対しないし、もう嫌いではなくなった。
※追記
幸いいくつかブコメが付いたので補足する
昔からこの趣旨の発言はしてて、それをオタク文化の収奪と見る界隈から批判されてた。ドラえもんとソニックを混ぜた作品をアート領域で認めさせてくれたからオタクの味方!というのはむしろ議論が後退してる気が
はっきり言うが、村上隆が文化盗用だと批判されたのはオタクの部族主義(トライバリズム)が原因だと思うので"村上隆がオタク第一世代である"という部分が広まれば相当数その批判は収まると思う。もともと知っていた人はいると思うが、今回かなりのコメントで"村上隆のオタクのとしての過去の部分をここまで詳しく初めて知った"という意見が目についたので。
これもクリティカルな部分で、では集団製作のアニメはアートではないのか?アシスタントを使っている漫画はアートではないのか?
というところにロジックがバックボーンとしてある。まぁ要するに高畑勲みたいに絵を描けなくて指示して作らせても別にアートだろということ
トラバにも書いたけど、もともと王侯貴族のものだった芸術をフランス革命でルーブル美術館の門戸を開いて大衆に開いたという文脈がある。つまり展覧会とか美術館で公開するのはあくまて大衆にアートを広めるのが目的であってハイソサエティのアートを変容させるという事にはならない。日本人から見るとルーブル美術館は権威だというように見えるかもしれないが、あれは権威が"大衆"に啓蒙するという文脈がある。
コミックとかを芸術にするのってロイ・リキテンスタインがすでにやってて、その土壌がすでにあるうえでヲタク文化を単にスライドで持ってっただけに見えるから嫌われてるんでは?
コミックは西洋のものであって、日本のものではない。村上が広めたいのはあくまで漫画とかアニメといった和物(より狭義に言えばオタクカルチャー)。そして西洋人がアートを決めてるんだから西洋のものがアートとみなされるというのは当たり前だと思う。
ただ、村上隆の発言を見て分かったけど、彼の思想は明確にナショナリズム(日本)やエスニシティー(アジア人)を強調してる。これは日本のものである漫画やアニメを広めたいという思考で直線的に結びついている。今回の動画で弥助問題に言及したのは非常にわかりやすい。つまりはてなのリベラル左派と相性多分悪い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4756006318804258816/comment/Peaks315
前から思ってたけど、音楽とかエンタメ商品の売れ筋が優れているという主張に対して"マックとか日清カップヌードルが一番おいしいよね"みたいなレトリックを使用するのは適当ではないと思う。
食料品の場合は製造するのにそもそも原価代が掛かるから"一番多くの人に食べられているからと言って最も優れているとはいえない"という命題が成り立つと思う。
でも音楽で一番売れた商品が"マックのように工場的に生産されパターン化され低コストで制作された作品である"と=にはならない。
なぜなら音楽は大本を一個作ってしまえばあとはほぼコスト0でコピーできるので”A5和牛を使ったミシュラン三ツ星シェフによる極上料理を全員が食べる”という状況が発生しうるわけでしょ?
つまり一番売れている音楽が技巧的に優れ、先進的で、皆からも認められ最高の音楽で、マニアックでニッチな作品は技巧的にも劣りユニークでもなく人気もない可能性は普通にある。
個別の政策云々以前として、専決処分絡みから見える政治姿勢がやばい。
端的に言えば首長が議会を経ずに行う条例の制定改廃、予算などの処分のこと。地方自治法179条に基づく専決処分(通称179条専決)と180条に基づく専決処分(通称180条専決)がある。
基本的には議会を招集する時間のない緊急時を要件として行う専決処分であり、処分後は議会で報告・承認の手続きがとられる。他にも179条専決を可能とする要件はいくつかあるが、機会としては稀であり、今回は関係ないので省略。
余談だが、通年議会の場合は常に会期中で招集されている状態のため、(招集の時間がないことを理由とする)179条専決はほぼできない。
議会が定める軽易な事項について行うものであり、処分後は報告の手続きがとられる。換言すると、議会がわざわざ議決しなくていいと認めたために行う専決処分。なお、軽易な事項に関しては、一定の範囲に収まる損害賠償や和解、契約変更などが挙げられる。
多くの自治体において、179条専決を利用する機会となるのは年度末の税条例の改正だろう。
これは、大本となる地方税法の改正が年度末に成立・公布されることに起因する。ちなみに今回の地方税法の改正は3月30日に公布された。
税条例は地方税法の改正に基づき改正されるが、その中には算定基準の都合上、施行・適用が4月1日でないと間に合わないものもある。
地方税法の改正の確定を受けてはじめて条例の改正案も確定するわけだが、議会に諮る時間的余裕はない。この際に、最低限の必要な改正部分だけ専決処分を行う。そして残りの急を要さない改正部分は別に臨時会や定例会に諮ることとなる。
衆議院の解散はその時期について報道などから目星はつくものの、解散が確定しない限りは予算として議会に諮れない。
一方で、解散してからはすぐに資材や人員の手配をする必要があり、なんなら議会の日程調整をする間に公示日や投開票日になってしまう。
国政選挙において「議会が招集できず予算がないから延期します」とはできず、こちらも解散が発表されたらすぐに179条専決となる。
なお、衆院選以外においても急遽便乗選挙(首長選の一定期間前に議員に欠員が生じた場合に首長選と同日に補選をするときなど)が発生した場合などでは、便乗分の予算を179条専決することがある。
本来、条例の制定改廃や予算は議会の議決をもって決まるのであり、議会と同意のとれた軽易な事項でもないのに、それをスキップする179条専決は非常に強力な権限だ。その趣旨からすれば要件は厳格に解され、行使は抑制的であるべきだが、悪用される余地もあり、実際悪用された。
179条専決の悪用といえば鹿児島県阿久根市が挙げられる。当時の市長は副市長の選任、職員などの給与削減条例、補正予算などの179条専決を連発した。当時の地方自治法では、議会側に議会の招集権限がないために首長が議会を招集しない(議会に承認不承認の意思を表示させない)、また、179条専決を不承認としても首長側に何の義務も課されないなどの点から、それはやりたい放題であった。
なお、これが影響して後に地方自治法が改正され、179条専決で副市長の選任ができないこと、条例や予算に係る179条専決の不承認時に首長は必要な措置を講じて議会に報告すること等が定められることとなった。
耳目を集めたのは無印良品絡みの補正予算の179条専決である。曰く、早く予算化しないと企業が他の自治体に行く可能性があるとのことだが、それだけで緊急性があるかといえばそんなわけもない。まずはすぐに予算化できない旨企業と交渉を行い、仮に呑むにしても臨時会の招集を検討する。予算審議に際しそのスケジュール、あり方の是非を含めて議会で意見を交わすべきで、スケジュールありきかつ、不十分な説明での179条専決はいただけない。
また、最近では退任直前のこども園絡みの補正予算の179条専決も行ったようだ。敢えて言うまでもないかもしれないが、置き土産である。同様の予算案は何度か議会で否決されており、緊急性も何もあったものではない。
先の2件に関して石丸氏の179条専決は、適正な手続きに欠いた横紙破りとなっていた。
得てして議会は二元代表制を没却し、自らの存在意義を失わせ得る179条専決には厳しく、不承認は見えていた。
一応石丸氏は首長と議会が意見を戦わせる二元代表制を志向しているようだ。件の179条専決に代表される執行部側と議会側の権限の差異、人員や金銭リソースの差異などの観点からその志向には個人的に疑問符がつくものの、その心意気やよしとしておこう。
しかし、特にこども園絡みでは、既に否決された補正予算を179条専決している。意見を戦わせて、既に負けているのに、最終的には179条専決で無理矢理済ませる。これは当人の志向する二元代表制の否定ではないか。
それっぽいことを言いながら、最後には手続きを無視し、抑制的に使うべき制度をも利用して自分の意見を押し通す。目的のためには手段を選ばない。その姿勢には危うさを感じざるを得ない。
同じく最近は東大阪市の市長が自らの報酬を減額する条例を179条専決して不承認となっていた。
このことについても、「本人の報酬だから」「いい内容だから」といったコメントがされているが、問題はそういうものではない。
内容の是非以前で、本来踏むべき手続きを踏まないのが問題になっている。
https://x.com/overlast/status/1804615344960778608
このツイートが目に入った。
まず大本のSatoさんのツイートから「私はスーツ短髪でないと、ベストを尽くしておらず、受かる気がないと思ってる」と思わせるには十分なツイートにみえた。
Nishioさんがリプライで、大本のSatoさんのツイートについて疑問をぶつけていた。私も合理的な理由があるのか気になった。Satoさんは実績のある人だから面白い発見があると思った。
最後にSatoさんの本リプライで回答があると思ったら、これはなんか回答になってなくないか?と思ってガッカリしたので日記に書いた。
そもそも、何に対する言及なんだろう?発端はどれだろう?と探ってたら時系列的にこれかな。
https://x.com/SGee30418056/status/1804167831296315799
(この件の話じゃなかったら勘違いで終わるので恥ずかしい。twitterはこういうの追いにくくてなぁ。)
で、これもまた長文でアピアランスとかそういう単語を知らない私にはわかりにくかった。めちゃくちゃ端折ると「場にふさわしいドレスコードを選ぶぐらいのこともやらないのは残念だ」という感じだろうか。
でもそれはどうなんだろう。もちろんチャラそうな見た目だったら印象は悪くなるし、私も嫌な顔して投票しないと思う。
けど、私には街頭演説の動画でみた安野さんの服装は「ビジネスカジュアル」の範囲に見える。
https://x.com/annotakahiro24/status/1804436815081795927
要するに私は「この服装で票が奪われるぐらい影響あるの?」って思った。でも発端の人はそこに引っかかる。Satoさんも引っかかったのだろう。
コンテキストが少しわかったところで戻って大本のSatoさんのツイートを改めてみたが、結局よくわからなかった。
例えば何かを観戦しているところに「こうすればいいのに」と言うレベルの内容に見えてしまって残念に思った。twitterはそういう場だからするのは別によくて、私が勝手に見て勝手に思っただけだが。
ホリエモンが言ってたけど、どっかの地方のサービスエリアには500円のガチャがおいてるらしい。
そのガチャで出てくるカプセルの中には、〇〇という場所で使える何千円ぶんかの商品券が入ってるらしい。
だいたいそのサービスエリアから〇〇まで行くのには高速に乗って1時間とか掛かったりする。
普通に考えたら、そこまで行くための時間やらお金やらを考えると費用対効果が薄いと判断できる。
でも、それがどういうわけそのガチャはなかなか利用されていて、実際にその商品券は使われているらしい。
その理由はなんでか?っていうのはホリエモンの動画で見てくれ。
っていうのは不親切だと思うので書いておくと
要するに車で出かけてサービスエリアを利用するような人たちは、
「どこかに車で行く目的」を欲している人たちなんだよ、ってこと。
ただ、そんなに車で出かける理由ってあるわけではないじゃない?