はてなキーワード: 大量発生とは
父方の実家が嫌いだ。
最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。
緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父が会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。
いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。
その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。
家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシが大量発生する。
敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。
畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。
その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。
祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないものを大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金そのものだ。
正月や盆にはその親族が大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画のサマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)
私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地に暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)
家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。
その頃にはすでに人口の過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。
長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりのファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。
家業は建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植えや稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。
当然ヒマだったし、それなりに成長してからは仕事が振られるがそれも嫌だった。
小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植えや稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。
仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事のときには父母揃っている姿をよく見た。
羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。
一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家に連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。
運動会頑張ったから今日はレストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族がドラマの世界のようだった。
田舎の自然環境や農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。
道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。
そして田舎特有の距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。
私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。
姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。
しかし田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供は子供、と一括りにされている。
そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。
妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。
中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。
母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。
ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃんと対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。
私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。
人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。
そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。
「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。
上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)
更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。
親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。
高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。
父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)
なんで夫婦の問題に祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質が気持ち悪かった。
元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。
それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分は祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。
幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚そのものにダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。
離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。
(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)
離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。
父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったときが最後だった。
私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。
その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台のチケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。
誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。
私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初で最後の私の怒声だっただろう。
嫌味おばさんが人生終了レベルのトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。
父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。
姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。
数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。
姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母の病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。
最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。
姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。
自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしまう可能性があるかと思うとボケたときなんかが恐ろしくてたまらない。
別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社とかにお願いしておくから適当に無縁仏とかに放り込んでおいてほしい。
最近はそういうことを考える。
たまに弱者は滅べだとか自然淘汰されろとか弱者なんて救う必要ないみたいな言説見かけるけど、弱者や社会の競争に敗れてきた敗者からしたらただでさえ過酷な人生を送ってるのにお前みたいな奴らは子供を持つなだとか遺伝子を残すなだの他者から抑圧されて石を投げられたらそりゃ無敵の人が出来るわ。
弱肉強食だの自然淘汰だの都合が良い時だけ自然の摂理を持ち出してくるけど、そんなに弱肉強食が好きならアフリカのサバンナにでもいけば良い。
人間なんて自然に出れば一瞬で捕食されてあっという間に弱者に転落するだけだし、なんか弱肉強食だの自然淘汰だの偉そうに高説垂れて自分1人の力だけで生きてる気になってるみたいだけど、所詮は人間の文明に守られて生きてるだけに過ぎない。
そもそも本当に弱肉強食の世界ならまず警察なんていないし無法地帯があたりまえ体操だし。
犯罪の被害にあっても警察に泣きつけば助けてもらえるけど、弱者切り捨て論者や自己責任論者が大好きな弱肉強食の世界だったら警察みたいに都合良く助けてくれる存在なんていないし、無敵の人に襲われて被害にあったとしても弱い方が悪い、自力救済は当たり前と言われておしまいやろ。
海外だったら貧困だったら無敵の人が大量発生して治安が悪くなるから貧困層に施しを与えたりするし、フランスか何処かでは徒党を組んで大衆がデモを起こしてそれで賃上げが起きたって例もある。
日本の弱者はおとなし過ぎる、貧困に苦しんでても自責の念で自分を責めたりするだけで自分の衝動や感情が外に向く事なんてあんまり無い、ましてや弱者に対して冷酷無慈悲で強い者に媚びへつらい自分より弱い存在を棒で叩く国民性なんだから大人しくて反撃してこない存在ならなおさら放置されるだけでしょ。
たまに弱者は滅べだとか自然淘汰されろとか弱者なんて救う必要ないみたいな言説見かけるけど、弱者や社会の競争に敗れてきた敗者からしたらただでさえ過酷な人生を送ってるのにお前みたいな奴らは子供を持つなだとか遺伝子を残すなだの他者から抑圧されて石を投げられたらそりゃ無敵の人が出来るわ。
弱肉強食だの自然淘汰だの都合が良い時だけ自然の摂理を持ち出してくるけど、そんなに弱肉強食が好きならアフリカのサバンナにでもいけば良い。
人間なんて自然に出れば一瞬で捕食されてあっという間に弱者に転落するだけだし、なんか弱肉強食だの自然淘汰だの偉そうに高説垂れて自分1人の力だけで生きてる気になってるみたいだけど、所詮は人間の文明に守られて生きてるだけに過ぎない。
そもそも本当に弱肉強食の世界ならまず警察なんていないし無法地帯があたりまえ体操だし。
犯罪の被害にあっても警察に泣きつけば助けてもらえるけど、弱者切り捨て論者や自己責任論者が大好きな弱肉強食の世界だったら警察みたいに都合良く助けてくれる存在なんていないし、無敵の人に襲われて被害にあったとしても弱い方が悪い、自力救済は当たり前と言われておしまいやろ。
海外だったら貧困だったら無敵の人が大量発生して治安が悪くなるから貧困層に施しを与えたりするし、フランスか何処かでは徒党を組んで大衆がデモを起こしてそれで賃上げが起きたって例もある。
日本の弱者はおとなし過ぎる、貧困に苦しんでても自責の念で自分を責めたりするだけで自分の衝動や感情が外に向く事なんてあんまり無い、ましてや弱者に対して冷酷無慈悲で強い者に媚びへつらい自分より弱い存在を棒で叩く国民性なんだから大人しくて反撃してこない存在ならなおさら放置されるだけでしょ。
たまに弱者は滅べだとか自然淘汰されろとか弱者なんて救う必要ないみたいな言説見かけるけど、弱者や社会の競争に敗れてきた敗者からしたらただでさえ過酷な人生を送ってるのにお前みたいな奴らは子供を持つなだとか遺伝子を残すなだの他者から抑圧されて石を投げられたらそりゃ無敵の人が出来るわ。
弱肉強食だの自然淘汰だの都合が良い時だけ自然の摂理を持ち出してくるけど、そんなに弱肉強食が好きならアフリカのサバンナにでもいけば良い。
人間なんて自然に出れば一瞬で捕食されてあっという間に弱者に転落するだけだし、なんか弱肉強食だの自然淘汰だの偉そうに高説垂れて自分1人の力だけで生きてる気になってるみたいだけど、所詮は人間の文明に守られて生きてるだけに過ぎない。
そもそも本当に弱肉強食の世界ならまず警察なんていないし無法地帯があたりまえ体操だし。
犯罪の被害にあっても警察に泣きつけば助けてもらえるけど、弱者切り捨て論者や自己責任論者が大好きな弱肉強食の世界だったら警察みたいに都合良く助けてくれる存在なんていないし、無敵の人に襲われて被害にあったとしても弱い方が悪い、自力救済は当たり前と言われておしまいやろ。
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たまに弱者は滅べだとか自然淘汰されろとか弱者なんて救う必要ないみたいな言説見かけるけど、弱者や社会の競争に敗れてきた敗者からしたらただでさえ過酷な人生を送ってるのにお前みたいな奴らは子供を持つなだとか遺伝子を残すなだの他者から抑圧されて石を投げられたらそりゃ無敵の人が出来るわ。
弱肉強食だの自然淘汰だの都合が良い時だけ自然の摂理を持ち出してくるけど、そんなに弱肉強食が好きならアフリカのサバンナにでもいけば良い。
人間なんて自然に出れば一瞬で捕食されてあっという間に弱者に転落するだけだし、なんか弱肉強食だの自然淘汰だの偉そうに高説垂れて自分1人の力だけで生きてる気になってるみたいだけど、所詮は人間の文明に守られて生きてるだけに過ぎない。
そもそも本当に弱肉強食の世界ならまず警察なんていないし無法地帯があたりまえ体操だし。
犯罪の被害にあっても警察に泣きつけば助けてもらえるけど、弱者切り捨て論者や自己責任論者が大好きな弱肉強食の世界だったら警察みたいに都合良く助けてくれる存在なんていないし、無敵の人に襲われて被害にあったとしても弱い方が悪い、自力救済は当たり前と言われておしまいやろ。
海外だったら貧困だったら無敵の人が大量発生して治安が悪くなるから貧困層に施しを与えたりするし、フランスか何処かでは徒党を組んで大衆がデモを起こしてそれで賃上げが起きたって例もある。
日本の弱者はおとなし過ぎる、貧困に苦しんでても自責の念で自分を責めたりするだけで自分の衝動や感情が外に向く事なんてあんまり無い、ましてや弱者に対して冷酷無慈悲で強い者に媚びへつらい自分より弱い存在を棒で叩く国民性なんだから大人しくて反撃してこない存在ならなおさら放置されるだけでしょ。
ジャニーズをアクロバット擁護して被害者を叩くジャニオタ、無茶苦茶なセクハラ狂言を無条件で信じて草津町・草津町長を誹謗中傷したフェミ、宝塚でのパワハラを沈黙でサポートし続けてきたヅカファン、羽生さんの結婚相手への誹謗中傷。
そして今回真っ向から法律違反行為である「法的根拠の曖昧な私人逮捕系Youtuber」を擁護する女どもが女の中で多数派だということが判明した。
https://twitter.com/takigare3/status/1723295812124606852
これは大ニュースだろ。
実際には監禁罪や逮捕罪、暴行罪にあたる可能性が高い行為を繰り返しているだけの犯罪者だ。
ましてや冤罪を生まないように設計されている法律を無視して行動してるから、どんどん冤罪を生む。
実際に冤罪の人も出てるみたいだしな。他にも私人逮捕系Youtuberが被害者とした人物が被害を否定してる動画も見たことあるぞ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsdig.tbs.co.jp/articles/-/846980
しかし、それでも女の大多数は支持している。
女は反社会的だと言わざるを得ない。
さらにヤバいのが、「どちらかと言えば反対」に投票してる男性を痴漢支持者だと勘違いしてる女が大量発生してる点だ。
これを見て「やっぱり男は痴漢するような奴らばかりなんだ」と完全に陰謀論になってしまってる。
法治国家を何だと思ってるんだろうか。バカなんじゃなかろうか。
女は法治国家に住むには早すぎた。
追記:
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.news-postseven.com/archives/20231107_1918284.html?DETAIL
https://twitter.com/GVdFrnRWbN18944/status/1722000365397422317
ここまで分かってるmRNAワクチンで、癌が増えるのは当たり前を通り越した当たり前の話。
ワクチンが人類を救ったとか、利権側の物語を信じてるだけで、お前ら無知なんだろ?
「反ワクじゃないが」
無知だからワクチン推進して、それで被害者が大量発生して、いま取り返しがつかなくなってるんだろ?
そろそろ誠実になれよ。君たちこそ、もう信用ないよ。
今日公開される、すみっコの映画『ツギハギ工場のふしぎなコ』のチケットを予約してたからだ。
俺がすみっコの魅力にやられたのは、妻の影響。
1作目・2作目はアマプラで視聴し、その可愛さと感動のストーリーに悶絶した。
それなのに、妻からは「映画館で観るとまた格別やから」と聞かされた。
アマプラでさえこんなに可愛くて感動するんだから、映画館で観ちゃったらもう幸せすぎて宇宙まで飛んでいっちゃうんじゃないかな、と心配してた。
公開初日の今日、映画を見終わった妻と俺は、2人とも言葉を失っていた。
せっかくのすみっコの映画なのに、しかも69分しかない短い映画なのに、途中で「はよ終わらんかな・・・」とすら思ってしまっている自分にドン引きした。
個人的に、なぜ今回の映画がこんなに残念だったのかを考えてみた。
もちろん、本作を観て心から満足した方もいるだろうから、以下はあくまでも俺の主観。
Xの投稿を観る限りでは「感動した」「かわいかった」っていう声が大多数だから、俺の感覚が正しいとは思わない。
俺と同じように本作にモヤモヤしたっていう人にとっては、多少なりとも共感できる要素があるのではと思う。
すみっコに必然性を求めるなと思われるかもしれないが、そういうことじゃない。
1作目・2作目はファンタジー要素がありつつも、ストーリー全体として「なぜ物語が始まるのか」「なぜこんな展開になるのか」がはっきりしていた。
しろくまのもとに、ぺんぎん(本物)がぬいぐるみを持ってくるところから、話は始まる。
ぬいぐるみは、しろくまが実家で大切にしていたという設定になっている。
俺が記憶している限り、ぺんぎん(本物)がしろくまのもとにぬいぐるみを持ってきた動機がはっきりしない。
いや、まぁ「しろくまが大事にしていたぬいぐるみだからしろくまの元に届けてあげよう」と考えたんだろうとは思う。
ぺんぎん(本物)としろくまが親友のような関係であることは、にわかすみっコファンの俺にでもわかる。
けど、なんでぺんぎん(本物)がしろくまの実家に行ったのか、なんでしろくまの親御さんや兄弟からぬいぐるみを預けられたのかが、全然わからない。
このぬいぐるみは本作の中でけっこう大切なポジションなのに、そのへんの背景がわからないから、ストーリーにいまひとつ没入できなかった。
それから、工場でおもちゃ作りに励むことになったすみっコたちが、なぜ文句を言わずに働き続けるのかもわからない。
企画会議でも活発に意見を交換し、新商品の開発に積極的に取り組んでいた。
くま工場長から課せられるノルマは日々増え続けていき、持ち場を少しでも離れればロボットアームで定位置に強制連行される様は、お世辞にも楽しそうには見えなかった。
すみっコたちがおもちゃ作りを頑張る明確な理由は、なにひとつなかった。
一応、食べ放題の社員食堂があったり、豪華な寝室が用意されていたりと、福利厚生は充実していたように思う。
でも、別にすみっコたちって食いしん坊でもなければ、住処に困ってるわけでもないじゃないか。
(第一、工場のすみっこにあるソファでみんなで固まって寝てたから、寝室に関してはほぼ使ってないし)
たとえば、「すみっコらんどに帰れなくなっちゃった・・・!」的な理由があるなら、工場で頑張って働くのもまだわかる。
けど、そもそも徒歩でたどり着いた工場なんだから、帰りだって徒歩圏内のはずだ。
なんでくま工場長の言いなりになって働き続けているのか理解に苦しむ。
ひょっとしたら、「仕事が苦しくても辞められない日本人」的なところを投影しているのかもしれない。
でもそれなら、「苦しいけど、くま工場長に悪いから辞められないね・・・」的なすみっコたちの葛藤があってしかるべきだ。
そのへんが描かれていないので、すみっコたちがあたかも自分の意思なくただひたすら奴隷のように働いているように見えてしまった。
俺はすみっコの可愛い姿を見たいのであって、可哀想な姿を見たいわけではなかった。
必然制の希薄さ、という点と少しかぶるが、とってつけたような展開が続いたことも、映画に没入できなかった理由のひとつだ。
途中、何度かアクシデントが発生した。
たとえば、とんかつが大量発生したり、おもちゃがすみっコらんどを席巻したり。
でも、各アクシデントが次の展開につながることはなかった。
アクシデントを解決して、ホッと一息ついたら、また次のアクシデント・・・という感じで、脈絡のない小話が延々と続いているような印象だった。
とんかつの増殖については、ロゴマークを消すとおもちゃが命を失う・・・という設定が明らかになる伏線になってはいるが、このロゴマーク設定もけっこう雑だった。
おもちゃ工場でロゴマークをつけると、おもちゃに命が吹き込まれ、自分の意思で動くようになる。
で、そのロゴマークをこすって消すと、動かなくなる。
この設定はけっこう大事な気がしたが、割とあっさり無視されていた。
たとえば、くま工場長が実はおもちゃだった・・・という衝撃の事実が判明するシーン。
くま工場長は動かなくなってしまっていたが、ロゴマークははっきりと印字されたままだった。
細かいところでは、しろくまが持っていたぬいぐるみにもロゴマークがはっきり印字されていたのに、なぜ動かなかったのかという謎も残る。
まぁしろくまのぬいぐるみに関しては、経年劣化で動かなくなったという見方もできるけど。
でもそれなら、ロゴマークが薄れてしまってるなどの工夫は必要なのではと思う。
おもちゃ作りを放棄したすみっコたちに激おこになり、工場が暴走する。
で、その暴走が実は苦い過去の思い出によるものだったと判明する。
そのとき、すみっコたちは「役に立たなくたって仲間だよ」と言い、工場を笑顔にする。
なんつーか、唐突な流れすぎて感動が追いつかなかった。
ありがちな感動展開でうまくまとめようとした感じが拭えない。
てか工場に対して仲間意識を持つなら、くま工場長への心配があってしかるべきだろと思うが、すみっコたちは全然くま工場長のことは忘れているようだった。
そのあたりのアンバランスさも、すげー気になった。
そして何より、すみっコたちが楽しくなさそうだった。
これは俺の主観かもしれないが、少なくとも俺はそう感じた。
本作のすみっコたちは、楽しそうじゃなかったのだ。
「自分たちがやりたいから、これをやる」っていう、前向きな雰囲気が感じられなかった。
もしかして、くま工場長からの褒め言葉に縛られているのでは・・・?と心配にすらなった。
くま工場長は、すみっコたちを工場にスカウトする際、みんなのことを一人ひとり褒めた。
だけど今思うと、すみっコたちを思い通りに働かせるために操作しようとしているようにしか思えない。
っていうネガティブな感情をもってるわけだが、映画館の来場者特典として「くま工場長のほめスクラッチカード」ってのがもらえる。
硬貨でこすると褒めのセリフが浮かび上がってくるという代物だ。
俺のカードは「だいじょうぶ!みんな、すごいから!」、妻のカードは「サクサク!」だった。
(サクサク!がなぜ褒め言葉になるのかは、映画を観た方ならお分かりになると思う)
いや、この話の流れで、このカードもらって喜ぶお客さんっているんだろうか。
このあたりの細部の手抜き加減も、すげー残念だった。
とまぁ、今回の映画は本当に心底残念だったわけだけど、俺がすみっコ好きなのは変わらない。
今のところ2年周期で映画が出ているから、また2年後、2025年に4作目のすみっコ映画が公開されたなら、俺は間違いなく公開初日に観に行くだろう。
なんで、流行語大賞の話題が出ると、ワイは審査員よりも流行に詳しいことに絶対の自信があるニキが大量発生すんの?
積極的に異文化に触れてるわけじゃないし、スポーツも毛嫌いするし、若者文化にアクセスするルートも持たないのに。
しょうがないやん、オッサンになると新しいことを触れなくなるんだから、精々時事ネタか、時間差で入ってくる情報しかわからないんやし。悲しいけど、新しいことがわからなくなるのも年を取った証拠やで。俺も今回のノミネートは1/3くらいは初耳の単語なんや。
そうやって、新しいものをどんどん否定すると、俺らが嫌う老害が完成するんやから、そういうのもあるんだくらいの心持ちでいようさ。
あ、そうそう。ついで言うと、流行語大賞叩きがあると、ネット流行語の方が実感的に近いって持ち上げるやつがいるけど、ほんまにそう思うのか?
Wokeという言葉がある。最初は単に目覚めし者たちのような意味でネガティブな意味はあまりなかったが最近は行き過ぎたリベラルをバカにする文脈で使われることが多い。目覚めすぎちゃったアホどもという程度の意味である。Wokeの人達が信じる宗教のことをwokeismと呼ぶ。ジェンダーや人種などの問題に異常に興味を示す愚か者たちが世の中に大量発生してしまった。
本場ではwokeはすっかり下火になっている。例えばアメリカの最高裁はアファーマティブ・アクションを禁止した。ところが日本ではアファーマティブ・アクションが近年盛んになってきている。完全にアホである。
英語がわかる日本人は日本嫌いのwokeが多いのでwokeな価値観が周回遅れで伝わってくる。アメリカのwokeはアメリカを完全に破壊した。日本のwokeは日本を破壊しようとしている。Wokeを全力で止めることが必要だ。
秋に「蚊」大量発生か…“足裏の除菌”が効果的?刺されにくくするハウツーまとめ【Nスタ解説】 | TBS NEWS DIG (2ページ)
ある場所を拭くと効果大ということなんです。それが足の裏で、抗菌シートで拭いてください。
というのも、足には多くの常在菌が住んでいて、蚊というのは常在菌のにおいで寄ってくることがわかっています。