はてなキーワード: 論理的とは
世の中のあらゆることに使われているとかそういう話ではなくてですね、個人が仮に数学を学ぶとしてその必要性は何なのでしょうかということです。
よく"論理的な思考が手に入る"や"割引の計算に必要である"と言った内容のものが散見されますが、それらはただの論点ずらしであり国語力の無さを露呈しているだけですので、数学を学ぶより国語を学ぶべきだったと言わざるをえません。
こちらは英語を学ぶ際に「外国の人と話す勇気が手に入るよ!」と言っているのと何ら変わりはありません。
ましてや、数学を学んだから論理的な思考が手に入ったのか・論理的な思考が出来るから数学もできるのか、因果がどちらなのかさえはっきりしないではないですか。
それは算数です。もう一度言いましょう、それは算数です。どこの小学生が「足し算引き算割り算掛け算って学ぶ意味あるの〜?」と言っているのでしょうか。居ませんよね?会話のレベルを地面スレスレまで下げるのはやめにしましょう。
夫婦間のコミュニケーションについて、ブクマカの意見を聞きたい。
我が家は夫がよく気が利くタイプの察してちゃんで、妻(私)はあまり気が利かないタイプで「自分の気持ちは口に出すべき。人それぞれ思っていることは違うので、同世代の日本人同士と言えど、口に出さないと伝わらない」と心から思っている。夫に対して怒りが湧くことは、「意味不明にキレられる」状況以外ではほぼ皆無。
我々の夫婦仲は良く、夫はよく働きよく稼ぎ家事育児も非常に協力的な自慢の夫である。親戚や友人に「いい旦那さんだね」とよく言われるタイプ。唯一の(私から見た)欠点は、察してちゃんで短気で狭量ですぐ不機嫌になることだけ。不機嫌な人間がいると家庭内の空気が悪くなるからすごく嫌です。
私からするとよく怒られるけど、理由を言ってくれないし、怒られたけど何で今怒られてるのかよく分からない、頭の中ははてなマーク、という状況がよくある。
ちなみによく怒るけどそんなに長く引きずることはなく、よっぽどの事でもない限り、こちらが謝らなくても放っておいたら30分後〜半日後には機嫌が直っている。基本的に話してくれないので相手が怒っている理由は分からないが(自分なりに推測はするが)、よっぽど怒りが強かったり、再現されたくなかったり、こちらの行動を改善してほしいときは、後で冷静になってからこれが嫌だったと理由を話してくれることもある。
そーいうアレコレを改善したいなぁとずっと思っていたところ、Twitterで興味深い言説を見た。目から鱗だった。詳しくはリンク先を見てほしい。
https://twitter.com/miyukimaruyama/status/1654207267422756864?t=3n81PBWvl7hakQQsEpLPdQ&s=19
世の中にはAsk culture(尋ねる文化)の人とguess culture(推測する文化)の人がいるというのだ。まさにアスクカルチャーの私と、ゲスカルチャーの夫。
私は相手に負担になりそうなことでも遠慮なく「できる?やってくれる?」とダメ元で尋ねるのに対し、夫は(正当な理由がない限り)、相手の負担になることをダメ元で尋ねることはしない。
私が夫に何かちょっと負担感の強い頼み事をするとき、「(負担感が強いかもしれないけど)これ、お願いできる?」と聞いたときに、OKなら快くOKしてほしいし、無理でも感じ良く普通に断ってほしいと私は思っている。
だが、夫はそれができない。「わかったわ!💢(俺がやればいいんだろやれば😡)」となってしまうのだ。
その反応をやめてほしい、無理なら断ってくれていいから、話し合いで他人同士の落とし所を見つけるのがコミュニケーションだと思っている、という話を上記のアスクカルチャーゲスカルチャーの話とともに落ち着いた状態の時に夫にしたら、「言いたいことは理解できるけど、それは難しい」という反応が返ってきた。
「無理めなお願いを耳に入れた時点でこっちは負担だし、断るのも俺にとってはすごく心に負担のかかる行為。だから嫌々YESと言うのと、NOという返事をするのとは実質ほとんど俺にとっては違いがない」と言われてしまった。Oh…
察してちゃんを続けたい夫と、それを止めたい妻。お互いにwin-winの落とし所を見つけることはできるのだろうか。
私ははっきり言って、夫が私に甘えてると思う。当たり前だけど、仕事上では察してちゃんではないみたいだし。ずっと察してちゃんを続けてても、妻から離婚を突きつけられたりすることはないから、甘えてるんだ。
ただ、夫側からすると、「俺が頑張ってguessじゃなくaskするようにしても、どうしても遠慮が出てしまうし、無理めなお願いをすることは他人の権利を侵害するようで耐えられない。尋ねられるだけでもすごく不快。貴方にもっと察してほしい。俺が超絶guess側なのは自分でも分かってる。だから俺が世間一般の標準だと言うつもりは一切ない。ask側に行くのはすごく負担。どうか俺に合わせてほしい。でも絶対ask側の方が人生得してるよねぇ…(笑)こっちはguessしてしまうもん。」とのこと。
私は論理的にはask側が正しい、ask側に合わせるべき、とは思うが、何せ他の面では良い人だし、愛する夫でもあるので、感情的には譲ってあげてもいいんじゃないかと思ったりする。だがこちらにguessする技術が足りない!
ブクマカ諸氏は、合理的な人が多い印象なので、私側に付いてくれる人が多いと予想する。だが私はあえて、Guess側の人の意見もどんどん頂戴したい。
何か良い解決策があれば教えてほしい。
今思いついたんだが、私も察してちゃんになって、察してちゃんの鬱陶しさを分からせるという手段はどうだろうか???
と思ったが、「夫が意味不明にキレる」以外で怒ることってなかなか無いなぁ…(guess派の気が利く夫は日常生活でも何でも察してくれるし)
俺だ
昔は統計より論理だろという時代だったんだが、案外統計がうまく行っちゃったので、結果そうなってる
厳密には理解していない(論理的で出した結論ではない)が、「皆が言ってるからそうなんだろう」の精神で答えを出している
と言うか実は人間の脳も案外統計的なのでは?という説まで出ている
仕事をする際に、体系化された知識ではなく、統計的にやってるケースが有る
いわゆる「経験と勘」がそれだ
何事もそうだと思うが、体系化=論理というのは非常に難しい
しかもそれを覚えて実際に使うのは非常に困難が伴うし
それができてしまうと、一気に誰でもできるようになるし、今なら自動化されてしまうので
結果残る仕事が「経験と勘」なものになっていくという事情がある
本当はよくないと思いながら、「まあいけるやろ」の精神でやってる
世の中の専門家の結構な割合が経験と勘でやってるが、そんなことをおおっぴらに言ったら信用が落ちるので誰も言わない
言わないどころか知ったかぶりをする
世の中には3種類の人間が居ると思う
C 体系的に理解できる
Aは無能、Cが本物、Bは偽物だ
俺はBだ、Cにはなれそうにない、なれたとしてコストが掛かりすぎる
ひっ算はできるけど、意味が分かっていない。
43を40と3にわける。
29を20と9にわける。
3から9は引けないから、43を30と13にわける。ここで分からなくなる。
ヒントに片方だけ与えてみる。引く数を19でどう。
分からない。
足し算して。
31+19は40。
30+10は?40。
おかしいよね。
大体こんな感じ。
算数の塾に通わせるか迷う。
多分今まで答えを聞かれて、正解するまで適当に答えて、正解したときに分かったって言って過ごしてきたと思う。
まだあきらめる時間じゃないと思いたいが、算数一問説明するだけで、娘の家での自由時間が無くなってしまう。
それもかわいそうかなとも思う
B「人間が三段論法を確率的に捉えているという可能性をなぜ否定できるのですか?」
A「ではあなたは人間が確率的に捉えていると主張しているのですね」
A「あなたはどんな確率を計算してその書き込みをしているのですか?」
B「仮に人間が確率的に捉えているとしてもそれは深層意識下のことで、表層意識でいちいち計算したりしないでしょう」
A「ではあなたは人間は表層意識で確率計算をできないと主張しているのですね」
A「自明です、なぜなら学問は論理に基づいているし、あなたも論理的に書き込みしているからです」
B「確率に基づく学問もあるし、私はこの場で確率を計算することもできますが、それだと『人間は確率的に捉えている』ということになるんですか?」
A「さっきは表層意識で確率を計算できないと言っていたのに、今度はできると言っているのはおかしい」
私の視点ではこうですね…
向こうが「おまえの書き込みも論理に基づいているじゃないか!だから人間は論理的に捉えているというのは自明なんだ!」って言ってきてるから、「いやこの場で確率計算も書けますが、そうしたら人間は確率で捉えてるってことになるんですか?(反語)」って言ってるわけじゃん。
「学問は論理的思考に基づいている」は「人間の思考は論理的である」とイコールではありませんよ。
私はいまこの場で確率を計算することができるし、学問のある分野は確率計算に基づいていますが、では「人間の思考は確率的である」は成り立つんですか?
本人は論理的思考をしていると思っていても論理的でない事例がいままさに発生していますが、あなたがあると信じている「論理思考能力」って本当に論理思考能力なんですか?
「三段論法を確率的に捉えていないという根拠は?」と訊ねることが「人間は論理的思考せずにchatgptと似たように確率的に文章書いてる」と主張することにはなりませんね。論理的に考えればわかることだと思いますが、もしかしてChatGPTに代理で書き込んでもらってます?
仮に人間が確率的に思考しているとしてもいちいち表層意識的に確率計算しているわけないだろという話なんだが、そもそも「人間の思考が確率的でないことを証明しろ」という要求に対して「では確率的であることを証明しろ」が反論になっていると考えている時点で人間の論理的思考というものがまったく論理的でないことがわかるぞ。
「iPhone使ってるんだ」→Androidの方が安くて性能いいのに情弱だなの意
「なかなか趣味の時間取れなくて」→おまえと違って仕事バリバリやってるんだぞの意
「マックなんて何年も食べてないな」→そんな安い食事をするのは若い頃だけだよ。大人はもっと良いもの食べないとの意
相手「最近Youtubeでみた◯◯っていうキャンプグッズを買ってさあ」
返答「ああ。あれね。俺は△△を使ってるよ」→おまえより高級な品を使っているの意
返答「あー。学生のころ俺もやってたわ」→俺はとっくに習得してるぞ、今頃やってるんだの意
「ボーナス去年より相当下がったな」→自分より小さい会社の男にだけ言う、俺は大企業勤務だぞの意
「嫁がうるさくてさ」→ニコニコしながら発することで夫婦円満かつ嫁の意見も聞く理解ある夫だぞの意
これがいわゆる男性の会話。
言葉を交わすたびにマウントを挟める隙を見つけてはマウントしていくという行為を意識せずに行える。
もちろん直接マウントする男もいるが、そういう男は敬遠されるので意外と隠れマウント会話の方が多い。
ただ女にはほぼ通じないアピールなので女相手だと焦って直接的なマウント会話を披露してしまう。
そのため女に「さしすせそ」で返させるだけで喜んじゃう。
さ→さすが
し→しらなかった
す→すごい
せ→センスいい
そ→そうなんだ
「へー。iPhone使ってるんだ」→ Androidの方が安くて性能いいのに情弱だな
「そうそう。やっぱ見た目がいいからさ」→ Androidはダサい
「スペックはどんな感じ?」→ Androidの方が性能いいのに
「A15だからかなり速いよ。ゲームもサクサク」→必要なスペックは満たしてる
「ふーん。iOSって最近どんな感じなの」→Androidに多少は追いついたのか?
「最新バージョンだとこういうのとか、こういう感じかな」→ AndroidはカスタムしなきゃいけないけどiOSは最初から使いやすい