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はてなキーワード: 等価とは

2020-05-27

anond:20200527151612

普通」とか「大多数」っていうのは、都市部住みのシングルマザーも含むし、田舎住みの両親ダンナと持ち家実家暮らしの人も含む、広汎な概念なんだ。

 

ちゃんとケースを見ないとだめだし、ケースをちゃんと見るためにはすべての事実等価に見ないといけない

anond:20200527145613

キャリア=金は無いと生きて行けないけど、出産しなくても生きて行けるので等価じゃないよ。

その女性本人の人生からしたらキャリアの方が優先で当たり前。

そこで出産を優先しろという時点で、女性人生などどうでもいい後で失業して食い詰めようがどうでもいいからとにかく産めよ増やせよと言いたい層だけ。

そういうのはそうやって騙して出産させて、子供抱えて生活立ち行かなくなったら自己責任糾弾するだけだしな。

anond:20200527142307

悪者にしたらそりゃあダメだけど、ならそれは、高齢出産を非推奨するコメントを出す、とかとは区別しないとだめだわ。

キャリアの話も出産年齢の話も現実の話であるという意味等価だ。

 

要するに、発言トーンによる。 受け手お気持ちがどう反応するかによるということだが。

パナの「ジアイーノ」みたいな次亜塩素酸水ミスト装置が叩かれてるけど

まぁアレ、塩素濃度が0.1ppmを超えない様に塩素ガスを噴霧する装置と大体等価なわけだから、呼吸器被害心配する声はもっともなんだけれども、基準の0.1ppmが守られている限りは、それ程深刻な健康被害は無いだろうと思われる。 今慌てて導入している所は脱臭防臭などの効果はどうでも良くて「コロナ対策してます」というエクスキューズのために入れてるだろうから臭いが消えなくても文句はないだろうしね。

そもそもメーカーでは「健康被害のない濃度でも除菌効果確認してます」と、実験データー付きで主張してるので、あまり健康被害を生じない濃度なら、除菌に対して全然意味がない!」との決めつけに対抗してメーカ訴訟に出たとしても、それを濫訴とは言えないんじゃないかなとも思うんだよな。

2020-05-25

6行で要約してみた

ラブドール廃止させようとする動きが見られる。

本質的署名派はラブドール幼児代替品としてみているようだ。

しか元増田人間ではなく「人形性愛者」である

一方で署名派は人形愛好者すらも児童性愛者と同様にみなしている節がある。

言論を離れて個人立場から言えば、ラブドールは愛すべき個人のような存在である

その意味人間等価だ。しか上記理由から人間人形性愛者が危害を及ぼすことはない。

anond:20200523115226

2020-05-22

YES,New generation Optimizer STL/C++ Level Code Optimizer.I think too. you can!

X86以前のコードレベル自動的コード最適化をかけた後にX86最適化を行う。このさいに文法的最適化ではなくX86が最速になるようにCのコードを並び替える。

これはたしか新時代オプティマイザーなんだろう。だれが発案したの?

 

みんなx86で最適化を考えるがCのレベル等価コードであれば並び替えたほうが、さらX86最適化されるケースはあり得る。

たとえば、ライナーサーチだと判定できたら、さらに最速なアルゴリズムにCを置き換えることは不可能ではない。

 

コンパイラアルゴリズム最適化まで許可された場合 Pythonなどで培われた技術を使ってアルゴリズムコード最適化をしてCのコードアルゴリズムごと改変してもよく、その後X86最適化を行うことは、次の時代にはふさわしいと私は思う。

例:ライナーサーチをもっとはやいサーチアゴリズムに、このC言語コードライナーサーチだと判別して、コンパイラ自分関数化した後に、もっとはやいサーチに関数ごと置換する。

その考え方はすごい。

さすが。これは日本も負けてられない。(結構前の技術らしいです)

2020-05-21

ゲームにおけるこの心理

例えば2種類の防具がある。一方は物理防御力重視の鎧A、もう一方は魔法防御力重視の鎧B。

どちらにも長所短所があり、この時点ではどちらがいいか判断が難しいとしよう。

ここで鎧Aに軽い追加効果を加える。例えば敵のドロップするお金+3%とか。

するとあら不思議。鎧Aが強くなったはずなのに鎧Bの方が強く見えてくるのである

これは2つの鎧の総合的な性能が同じであるというプレイヤーからゲームバランスへの信頼があり、

追加効果プラスされて同じなら、追加効果抜きではBの方が強いはず!という心理が働くためである

 

これならばまだいいのだが、この心理は全く理に合わない形で働く場合もある。

あるキャラクターの育成で、A、Bの2つのルートの中からプレイヤーがどちらかひとつを選べるとする。

そのキャラクターには終盤に専用の装備品が用意されていて、これはどちらのルートでも装備できるがAの方が相性が良いとする。

プレイヤーがA、Bのどちらがいいか考える時、専用装備との相性を根拠にAを選んでしまいがちになる。

まりA、Bが等価であり、そこに専用装備という条件を加えた時にAが上回るからAが良い、という心理である

しかしA、Bが等価であるというのは、そもそもつの優劣を考えていたことと矛盾している。

専用装備との相性は実際は根拠ひとつにはなるだろうが、開発は専用装備との相性が悪い分Bを強めに調整するかもしれないのだ。

このように部分を作為的抽出しておきながらバランスを期待してしまうのは面白い心理の働きである

2020-05-19

anond:20200519174903

意識的政治参加と、無意識的な政治参加がある、という分析はとても良いと思った。

 

しかし、「無意識的な政治参加があまりに多くなりすぎると政治が悪くなるかもしれない(大意)」という分析を軸にするのは、それ自体は間違いではないが恣意的であると言わざるをえないと考える。

意識的政治参加の結果として政治が間違うこともあり得る。その二つは分析の上では等価だ。

お前自身も、どんなに勉強しても知り切ったことにはならない、と発言しているし、ならば意識的であることもまた間違いに繋がるであろう。

それに、政府ではなく、僕たちに"意識的政治参加"をアジテートしてくる側が、だましているかもしれない。

 

そこのところどう思うのか?

2020-05-17

anond:20200517150948

こがねもちの嫁が顔さえよければだれにでもできるなら苦労はしない

等価だな

2020-05-13

プライベートコミュニケーションにおいて(知的)自信を与える

公的私信

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tl;dr

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前提

  • その場で個々人が「自信を与えられた」「自信を傷つけられた」と感じること自体相手によって尊重されなければならない。「あなたがそう感じるのが誤っているのだ」という考え方は、そこにどのくらいの誤解や無理解があるかに関わらず、表題文脈において無意味である

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「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。

基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判非難の違いが一般理解されにくいのは、批判否定的な口上は例えばその場が学問であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf.SPEED今井絵理子議員の「批判なき政治発言)。その意味で、プライベートコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすにの配慮して放置することは相手反論したり、追加情報提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定バイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕改善するものではない。そうならないためには相応の努力知識必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である

ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質バランス改善を図るということも視野に入れるべきであるしかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さな人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的ものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。

少し話をもどして、プライベートコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティック対応は、相手尊重しているのですか、と。

2020-05-09

辞書定義は完全ではないということをわかっていない人が多い

たとえば「募る」と「募集」のこと。

これを「同じだろ!」と言っていた人は多い。

定義が循環しているから同一だということらしい。

だが言語学では形式が違えば意味も違うと考えるのが基本的思考なので、「募る」と「募集」はたしか意味的に類似はしているが完全には同一でない、等価ではないと考える。

具体的にどう違うかというと、「寄付を募る」とは普通に言うが、「寄付募集する」はそれよりもやや使いにくい(使わないということではないが、やや間の抜けた印象になる)。少なくとも完全に同じ感覚では使えないという点に気づくことが重要だ。

この例では「募る」の方がフォーマルな印象があり、「募集する」はややカジュアルな印象になっているように思える。

これは当然私の主観なので、他の人にとってはまた別の印象にはなるだろう。

だがとにかく完全に同じというわけではないと気づくことが重要だ。

別の例を出すなら、「アルバイトを募っています」とはあまり言わないが、「アルバイト募集しています」は頻繁に使われる表現だ。

このように同じ意味に見える「募る」と「募集」だが、運用上明らかに区別されている。重要なことは、どの状況でも交換可能というわけではないということだ。

もちろん「そんなの屁理屈だ! 意味は同じだ!」と言うことは可能だ。

だが、言語学ではこうやって区別している。

さらに例を挙げると、よく言われる例だが、「ピッチャー」と「投手」は違うということ。

これについても「同じだろ!」と言う人は多いかもしれない。

だが、実況において「ピッチャー第1球を投げた!」とは言うが、「投手第1球を投げた!」とは現代ではまず言わない。

ダルビッシュ投手」とは言うが、「ダルビッシュピッチャー」とはまず言わない。

このように指示の対象が同じであっても、実はほとんど無意識のうちに使い分けがされている。

ただ、世の中の人はこういったことにあまり価値を見出さないかもしれない。

からすぐに「同じだろ!」と言う。

辞書に載っている定義が循環してるから同じなのだと言う。

「曇り空」と「曇天」は違う。

「同じだろ!」と言う人は多いだろう。「曇った空のことを曇天って言うんだよ!」と世間の人は言う。

もちろんその通りなのだが、「曇り空」と「曇天」は明らかに出現する文脈が異なる。

外に出て友人と会って空を見ながら「今日曇天だね」なんてまず言わない。

人々は「今日は曇りだね」とか「今日は曇り空だね」と言う。

曇天」は比較書き言葉寄りの語彙であり、「曇り空」と完全に等価ではない。

こういった言葉運用上の差異に敏感でないと言葉を使いこなすのは難しい。

ネットでは「ソースは」などといって辞書定義引用する人たちがとても多い。

そういう人たちは自分が極めて知的科学的な人間だと思っているのかもしれないが、実は無教養さらしているだけだ。

ただ、ネットには無教養な人が多いので、こういうやり方が支持されてしまう。

これがネットにおける議論限界でもある。

今日は「目安と基準は同じ! 辞書に書いてある!」などと言っている人がいたのでこんなことを思った。

当然、「目安」と「基準」には差異がある。この差異を捉えられない人が言語を用いて何かを精密に語ったり考えたりするのは難しい。

さらにいうと、こういった差異を捉えられない人が小説を読むのは難しいし、詩ならさらに難しいだろう。

専門書を精密に読解できることもないし、簡単実用書すら誤読するのではないだろうか。

辞書定義確認をするという習慣は大事だが、それが絶対ではないということも同時に知っていなければいけない。

こういったことは翻訳練習をするとより実感としてわかるようになるので翻訳で遊んでみることもおすすめしたい。

2020-05-01

anond:20200501181431

まずはちゃんと話せるレスありがとう

 

いや、女に、つまり人類の半分に参政権を与えないのはもう無理だと思うんだよな。だって銃に筋力関係ない。工場労働にもパソコン仕事にも関係ない。家電と巨大物流があるから家事に専念させる意義も薄い。そういう意味民主主義と男女同権ってのは、情報化と同じように、技術発展がもたらした必然だと思うわけ。

から男女同権から逃れることは長期的に不可能

 

生ませた社会が勝つっていうのは、当面その通りだと思う。でもそれをひっくり返すのがA Iなので、そこまで凌ごうって話。

ていうかこれは今思いついたけど、無理やり生ませるような社会継続させていく、っていう非西欧的な作戦採用するのも、移民と同様に、一時凌ぎの一種なんだろう。その点で、移民を入れることと女に無理やり生ませることは等価だ。

立川談志の「らくだ」が凄いっていう事は

上方の六代目(=笑福亭松鶴)が凄い」というのと等価なのだが、(談志松鶴の「らくだ」に衝撃を受けて自分でも高座にかけるようになった)

この辺の話を立川流ファン(気持ち悪い)に嗾けると決まって噺を逸らそうとするの本当にムカツく。

2020-04-27

anond:20200427164935

ゼロサム的なやつはたとえとしておかしいと思う。不利益利益等価ではないからね。最後もなので積極採用しますとでも言えば善とも悪とも言い難い。

2020-04-23

マイルドなجهاد

生と死が等価になる可能性はあるなあ

2020-04-16

anond:20200416033126

批判ってのはやったほうがいいこと、やればできることをあえてしない場合にだけなりたつんだ。

おまえのやった批判小学生なら騙せる程度には一見そのとおりのことをいってるんだろうが、

実際は資材や人員がたりなくてできないからおまえのは批判でなく泣き言だ。

批判ってのはやったほうがいいのにあえてしない場合になりたつ。

「できない日本が嫌なら北朝鮮でもいけば」はおまえのやりたかった「批判」そのものだ。

代案があるのにやれないいじめられたってごねるおまえ。批判をうけてしかるべきだな。

おまえも妄想の中の政府とおなじわがままちゃん批判されてしかるべきなんだ。

自分がやったことをやりかえされていやがらせされたとおもうのは正直いって知能が足りないからその等価性を理解できてないぞ。

2020-04-12

ブコメが100文字って短すぎるのでここに

関連URL

https://twitter.com/itoi_shigesato/status/1248078798798483457

https://twitter.com/itoi_shigesato/status/1248079489684267008

ttps://www.ongakunojouhou.com/entry/2020/04/11/185446

関連ブコメ

mi_ki_ri 糸井さんのツイに反応したものとしてこのエントリは受け止める必要があると思うが、彼は続きに「責めるな。じぶんのことをしろ」と書いておりこれを批判をするなと言う意味に取るのは仕方ないのでは / 2階も

aa_R_waiwai id:mi_ki_ri そうやって「僕たち悪くないもん」「紛らわしいコクミンが悪いんだもん」「自民党支持者が悪いんだもん」を続けてきた結果が「リベラルの敗北」なんだろうな。 政治

2F

mi_ki_ri id:aa_R_waiwai リベラルが勝とうが負けようがあまり興味ないな。そして批判しながら協力することも可能だろう。ゼロイチじゃない。で「責めるな」と「批判するな」はどう違うの?

2Fは現時点で返答なし

気になった点

批判自粛ゼロサムの関係なのか? > スガさん、糸井さん

厳密に言えば時間という有限のリソース批判に分けるか、自粛に分けるかという選択になる場合もあるかもしれない。

でも、だいたいの人は批判しながら自粛もすることができる程度のリソースの持ち主じゃないか

批判するより自粛その他に神経を注げというのは、分からないでも無いが、

両立も可能な内容なんだから対立するかのように挙げることに違和感を感じる。

政治批判は含まれていないのか? > ブログ主(外部の個人なので名前は伏せとく)

政治的な意図があると確定していないのに、政治的な意図ツイートしたと邪推されているという主張が展開されている。

でも糸井さんのツイートを見てほしい。糸井さんが辛いのは一般的に誰かが誰かを責め立てていることであり、

政治批判も(糸井さんの意図がどの程度であれ)そこには含まれる。

あとのほうのツイートに至っては「主語」がない。

主語かい」の亜種、「主語がない」問題だったのだ。

主語がない」言論は「主語がでかい言論と同様、射程範囲が広すぎる。

意図せずかもしれないが、糸井さんのツイートには十分に政治批判制限する「機能」があったと思われる。

ブログ主は糸井さんの2番めのツイートを読んでいるのか? > ブログ主

引用は1番目だけで、2番めに含まれている「批判制限する」部分を認識していないように見える。

俺がブコメでそこを書いたのも、1番目だけを見て判断されては公平ではないと思ったかである

俺のブコメ自己正当化か? > aa_R_waiwai さん

「僕たち悪くないもん」「紛らわしいコクミンが悪いんだもん」「自民党支持者が悪いんだもん」といった文章と俺のブコメ等価に扱われているが、

ちょっとショックなんですけど。

まず俺は「このエントリは受け止める必要があると思うが」と限定付きながら責任を負う意思を示している。

「このエントリは受け止める必要がある」

「おっ、自己正当化ですか」

会話になっていない。

そもそも、「悪い」のか > aa_R_waiwai さん

ブログ主の人が引用していたような誹謗中傷になる書き込みは俺も悪いと思う。

でもそれはその人らが自分責任でもって書いたことで、

誰かが炎上して意地悪な誰かがひどいことを書くという、まあ見慣れた流れだ。

仮に、糸井さん批判の流れをリベラルが作ったとしても、

それをもって誹謗中傷勢の責任までリベラルが負うのはおかしくないか

責任は、あくま発言者誹謗中傷者)自身にあるのでは?

別にリベラル代表じゃないんだけど… > aa_R_waiwai さん

はてなブックマークで見るいわゆる「はてサ」の人たちはむしろ嫌いだし

自衛隊はさっさと憲法に明記したほうがいいと思うし、

たぶんリベラル側で俺を受け入れてはくれないと思う…

ていうか今思ったけど、これidコールで書く意味なくね? > aa_R_waiwai さん

2020-04-07

anond:20200407045131

男→女と女→男は等価じゃないので酷い裏切りにはならないのでは?

2020-04-05

anond:20200405101142

女の方が優勢な職場はいくらでも存在するけど、女の方が好まれパターンも含めて「就職差別」と言っているのかな。

 

そうすると、ありとあらゆる観点で見て一切男女による差が存在せず等価とみなせる職業なんてないんだから

他が似たような条件なら意識的にせよ無意識的にせよどちらかが好まれる(≒ありとあらゆる職種性別による就職差別がある)のも当たり前である

2020-03-21

あなたはやがて物語で人を焼くようになるだろう。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217


はじめにいっておくが、私もワニの拙速な売らんかな主義は気に入らない。それはおそらく「お人形だと思っていた異性に性器が生えていた」ショックと似たようなもので、私の気質以上の理由はないのだと思う。

「もうちょっと”上手に”しかけてくれよ」に尽きる。

そういう意味では


そこで「金」と答えられるのは、私の価値観では嫌だ


には同意する。


だがそこ以外はすべて同意できない。


私は物語の力を信じている。フィクションが人を支え、鼓舞し、規範となり、揺さぶり、人生に決定的な何かをもたらす効力があると本気で考えている。


この言葉に嘘はないのだろう。

そして嘘がないゆえに過っている。

キャラクター(の死)を現実人間(の死)と等価に扱うのは内心の自由であり、それはいい。

ならばなぜ、「キャラクター現実人間のように思いやること」をやれているのに「現実人間のものを思いやること」はできないのだろう。


作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう、そこがもうヘドが出るくらい嫌だ。


恐れながらきくち先生がそのような趣旨発言をどこかでなさったのでしょうか。きくち先生しろ広告代理店の連中」にしろ「要はフィクションを信じていない、フィクションによって支えられていない人間」だとする根拠は?

しろフィクションを信じていないとああい物語を100篇描いて毎日投稿するなどできないのでは? 人の人生物語ではないし、それをやさしく見守る読者のような天使実在しない。読者の反応を受けとめつつ、テーマにそった物語を書く。それも命に関係にする話を。それはまさに「フィクションを信じる」以外のなにものであるだろうか。

広告代理店の連中」に関しての不信感は正直共感する。だが、世間に流布しているイメージそのままに彼らを悪魔化することはすなわち「現実人間フィクションキャラクターのように扱っている」ことにならないだろうか。

フィクションキャラクター世間でのイメージと実際に接したときイメージが一致する(というか、それらの差がない)。しかし実際の人間はそのシンプル原理がなかなか通用しない。

特に職業的イメージ」で語られるときほど実際とズレることはない。

なぜ現実人間には内心や人格がないと思いこんでいるのだろうか? フィクション現実区別がついていないから?


作者が、自らがクリエイションしたキャラクター思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いでいるのが伝わってくるのなら私はすごく共感


繰り返しになるが、作者が「自らがクリエイションしたキャラクター思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いで」いないとなぜ断言できるのか。

それは起こっている事象ではなく、作者の内面の話なのに。

100日目の「死者への敬意のない」扱いを見ればわかる?

それはあくまで外形的に現れる事象を見てあなたが”そう”感じたにすぎない。


描かき方が下手、売出し方が下手、それらはすべて技術問題だ。

なぜ人間問題にするんだろう。

なぜ他人のせいにするんだろう。


単に「起こっている現象が気に食わない」なら、それが気に入らない自分と向き合えばいいだけだ。なのに、いや作者が公式人格的に最悪だからという問題に持っていってしまう。


クレーマー気質オタクありがちなのだが、起こっている出来事から勝手に作者(芸能人とかでもいいよ)のお気持ちを推測して、その自分が作り出した仮想お気持ちをあたか現実のように捉えて勝手に涙したり怒ったりする。

なんなんだ。

怖いよ。

言語化にこだわるあまり人間として捉えるべきはずの対象悪魔に変えてしまう。

物語」に中毒した人間はだから危険なんだ。

ストーリーがあれば、なんでも信じてしまうから

なんでも殺せるようになるから

私も「物語」が好きだ。だから自分が怖くなるよ。


蛇足

トーチとか毎日開いているリイド社の熱心なフォロワー諸君なら、きくち先生がその才気に比していかに不遇をかこってきたかはおわかりのことと思う。

私は『スーパーどうぶつ―ズ』がミリおもしろいと思ったことはないけれど、ああいう誰もベットしないようなポジションから有馬記念の一番人気にハネあがったのは、なんだかいいなあと思います

それもまた物語ではないですか。

100日後に死ぬワニの商業展開に激怒されてる人達がいるようだが

http://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217

↑なんか珍妙文章読んだんで感想感想っぽいのを一つ。

思い入れ貴方自由ではあるが、作者にも生活があるだろう。

作者の意に反して商業展開したなら俺も怒るが、なんで読者の思い入れのために作者がボランティアせなあかんのよ。

なろうが書籍化マンガ化した時に「イラストイメージと違う!」と思う事はあっても、

そこはイラストレーターの「分かってなさ」をぶっ叩く事はあっても作者を責める事はできまい。

それは読者として一線を越えている。


現実お話等価・あるいは近いレベルで考えて生活している」

に至っては、だから何やねんであって、マジなら自らの異常性を告白してるだけだし、そもそもマジじゃないだろう。

現実お話等価だったら火垂るの墓鑑賞後は世を儚んで出家してもおかしくはない。

賭けてもいいが、あなた映画館から涙ぐんで出て来てインタビュー受けてる女性と同レベルであり、ワニの死より安倍総理一挙一動の方が気になっているであろう。

そもそもグッズのために本編の展開を変えたというのならいざ知らず、

本編終了後に出たグッズなんて作品本体関係ない存在であって、それこそ嫌なら無視すりゃいいだけのオプションに過ぎないだろう。

綾波邪神像がどこぞで発売されたとして、それに対して「俺の綾波に何をする」的な反応する人を見たら貴方はどう思う?

今の貴方の姿がそれだ。


だいたいアブドゥルだって皇帝と吊られた男戦で死んだものが、読者人気に押されて死んでなかった事にされたキャラであって、

それこそ「死を不誠実に扱う」の最たるものではないのか。

彼より不誠実に扱うとなったら、死亡シーンを忘れたかのように続編で登場するヤマトの乗組員くらいしか例があるまい。

はっきり言うが、貴方はワニの死を悲しんでいるのではない。

ワニの死で悲しみたいだけだ。

要するに盛り上がりたいのだ。

良い気分で盛り上がりたがってた所に、水を差されて怒っているのだ。

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