はてなキーワード: 等価とは
■User
前提となる背景:
AIイラストについて、既存のイラストレーターが反発をしていると言う現状があります。
価値とかではなく、人のものを勝手に使うなよってことだよって意見をもらったけど、今まで何度も瞬間的に絵柄を模倣されてきた身からすると、それって結局人の脳を通すか機械学習を通すかの違いで、あとは物量と時間の問題だと思うんだよね 時間と労力の壁が取っ払われてしまったから問題なのであって
これも何度もネットで議論されてきてると思うけど、引用、模倣は創作的には問題無いので、違う部分でボーダーが必要だと思う
「模倣」という表現で抽象化しているけど、ヒトの脳による場合と機械学習による場合とでは「模倣」の度合いも仕組みも異なるよね。ヒューリスティックスとアルゴリズムを同列に語るのは単純化しすぎでしょう、と。
Mさんのツイートにおいて、「ヒューリスティック」と「アルゴリズム」という言葉は出ていません。何を指してるかわかりますか?
「模倣」の度合いも仕組みも異なるよね。
というコメントですが、たしかにそのとおりですがその後に続くこのコメントの主張が不明です。このコメントは何を主張していますか?異なるとなんなのですか?
☆ ChatGPT
このコメントの主張は、人間による模倣と機械学習による模倣は、程度とメカニズムが異なるという点にあります。そして、その二つを同一視することは単純化しすぎると述べています。
「ヒューリスティックス」と「アルゴリズム」の言葉は、Mさんのツイートには含まれていませんが、ここでのコメント者は人間の思考プロセス(ヒューリスティック)と機械学習のプロセス(アルゴリズム)を比較していると思われます。
ヒューリスティックは、問題解決や判断を行う際の経験に基づくアプローチや「規則」を指します。これは人間が直感や前例、試行錯誤を通じて行う思考プロセスを表しています。一方、アルゴリズムは、あらかじめ定義されたルールや手順に従って問題を解決するコンピュータのプロセスを指します。機械学習はこのアルゴリズムの一部で、大量のデータからパターンを学び、予測や判断を行うことができます。
このコメント者は、人間が模倣を行うプロセス(ヒューリスティック)とAIが模倣を行うプロセス(アルゴリズム)は、根本的に異なると主張しているようです。そのため、二つを同じように扱うことは誤りであると言っているのです。
「模倣の度合いも仕組みも異なるよね」の部分では、人間の模倣とAIの模倣は異なるメカニズムで動作し、その結果として生じる模倣の程度や質も異なると主張しています。つまり、人間が模倣するときとAIが模倣するときでは、過程も結果も異なるということです。そしてその差異を認識し、それに対する適切な対応を考えるべきだというのが、このコメント者の主張だと解釈できます。
■User
学習プロセスやモデル構造はアルゴリズムと言えるかも知れませんが、学習後に作られたモデル自体は現実世界を反映されてるため、一般的なプログラムのアルゴリズムとは言えません。
ですので、「コメント者」の指摘は根本的にAIによる画像生成に対する認識が間違っています。
と私は思うのですがどうですか?
それに対する適切な対応を考えるべき
適切な対応とはなんですか?それについてこのコメントは言及してるようには見えません。
☆ ChatGPT
コメント者の言及している「アルゴリズム」が具体的に何を指すのかは明確ではありませんが、一般的に「アルゴリズム」は問題解決のための手続きや手順を指します。AIが画像を生成する際にも、大まかにはデータの学習という手続きが存在します。ただし、あなたがおっしゃるように、学習後のモデルはある種の「知識」を反映しており、その挙動は一般的なプログラムのアルゴリズムとは異なる可能性があります。
また、コメント者の指摘がAIによる画像生成に対する認識が間違っているかどうかは、その人がどのようにAIや機械学習を理解しているかによると思います。もし、その人がAIの学習と生成の過程を単純なアルゴリズムと等価視しているのであれば、あなたの主張は正しいかもしれません。
「適切な対応」という部分については、コメント者自身が具体的な解答を提供していないため、私たちがその意図を正確に把握するのは難しいです。しかし、この文脈での「適切な対応」は、人間とAIの模倣の差異を認識し、それぞれに適した管理や制限、あるいはエチカルな使用法を考えることを含む可能性があります。
■User
Mさんのツイートに対して、どうしてヒューリスティックとかアルゴリズムと言う言葉を持ち出してるのですか?関係がないと思います。
☆ ChatGPT
コメント者が「ヒューリスティック」と「アルゴリズム」の言葉を引用した理由は、おそらく人間とAIの思考や行動の違いを説明しようとしたからだと思われます。これらの言葉は、一般的に人間の思考プロセス(ヒューリスティック)と機械の計算プロセス(アルゴリズム)を示すために使われます。
それにもかかわらず、あなたが指摘した通り、これらの言葉は必ずしもMさんのツイートと直接関連しているわけではありません。むしろ、コメント者はこれらの言葉を使って、自身の見解や解釈を表現しようとした可能性が高いです。
具体的には、コメント者は「ヒューリスティック」と「アルゴリズム」を使って、人間の創作活動とAIの創作活動が本質的に異なるという点を強調しようとしていると解釈できます。これは、Mさんが「人の脳を通すか機械学習を通すかの違い」と述べた部分への反論として理解できます。
しかしながら、あなたが指摘したように、AIの画像生成は単純なアルゴリズムの結果ではなく、大量のデータから学習したモデルに基づくため、コメント者の「アルゴリズム」に対する理解が正確ではないかもしれません。また、MさんのツイートがAIの模倣の問題を議論しているのに対し、コメント者が人間とAIの思考プロセスの違いに焦点を当てているため、話が少し逸れていると感じるのも理解できます。
■User
Mさんの主張は、AIと人間の模倣の違いは同じものとみなせる。人間が労力をかけて絵を書くことに対して今我々は直面している。
この理解でいいですか?
コメント者はMさんの主張に対して何も言っていないと言うか、「AIと人間の模倣の違い」について言及しているだけのようです。この理解であってますか?
☆ ChatGPT
はい、あなたの理解は正しいと思います。MさんはAIと人間の模倣が基本的に同じであるという見解を示しています。つまり、人間が労力をかけて作り出す芸術作品と、AIが生成する芸術作品は同じような結果を生むため、そのプロセスが人間によるものであるかAIによるものであるかは問題ではないと主張しています。
一方で、コメント者はAIと人間の模倣は異なると主張しています。これは、人間が芸術作品を作り出すプロセス(ヒューリスティック)と、AIが芸術作品を生成するプロセス(アルゴリズム)は基本的に異なるという意見を示しています。
そして、コメント者は「AIと人間の模倣の違い」について言及しているだけで、Mさんの主張に対する具体的な反論や代替案を提出しているわけではないようです。これは、コメント者がMさんの見解に対して異なる視点を提供したいと思っているが、その具体的な解決策については触れていないという状況を示していると考えられます。
■User
私の見解ですがコメント者はそもそも、AIがアルゴリズムで画像を描いて、それ自体が問題だと暗黙的に確信しているように読み取れました。この見解はあってますか?
そして、そのようなコメント者の主張や暗黙的な前提は事実と異なると感じます。どうでしょうか?
☆ ChatGPT
あなたの見解は合理的です。コメント者が「アルゴリズム」という言葉を使うことで、AIが単純な計算手順によってイラストを生成するという視点を示している可能性があります。そして、それが模倣の問題を引き起こしていると暗示しているかもしれません。
しかし、AIがイラストを生成するプロセスは、単純なアルゴリズムが直接的に結果を出すようなものではありません。AIは大量のデータからパターンを学習し、その学習したパターンに基づいて新しいイラストを生成します。この過程は、人間が何かを学び、その学んだ知識を使って新しいアイデアを生み出すプロセスと類似しています。
したがって、あなたの指摘は正当で、コメント者のAIに対する理解や前提は完全ではないかもしれません。AIと人間の模倣の違いを議論するためには、AIがどのようにして結果を生成するのか、そのプロセスがどのように人間の思考や創作活動と類似または異なるのかを理解することが重要です。
参考:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/mellco/status/1656643939330588675
全ての意見はポジショントークで、そのそれぞれが対等で、だからこそ対立が生まれる。
って考えてるけど、根底にはニヒリズムがあるんだろうなって思う。
皆さんの大嫌いな「お気持ち」を排して、大好きな理屈や客観性「だけ」で考えていったら、当然ニヒリズムに辿り着く。辿り着かないのならどっかで事実と規範を混同してる。
どんなべき論も、「それはなぜ?」を10回ほども繰り返せば理屈では言葉に詰まってしまう。理詰めでタマネギの皮を剥いでいったら何も残らなくて、「それがいいと思うから」という素朴な感性に依拠した価値判断が露わになる。
ただどんな意見もオッケーですよだとカオス状態なので、どこかで線を引かなければいけない。そこで、理屈ではないけれどまあ大多数の人が素朴に共感するであろう、個人の領域を尊重しましょうねという人権思想的な宗教が一応公理とされている。前近代は宗教という便利かつ絶対的な真理があったけれど、今やそれはない。便利過ぎて回帰したりもしているけれど。
個人主義という土台をスタート地点にして、そこから社会をやっていきましょうや、という事になってるものと捉えてる。私は。
でもニヒリズムとか言うと条件反射的に厨二病の冷笑野郎だ!死ね!って言う人がいるんだよなあ。
まあ確かに全てに価値が無い!総体的に辛いだけの人生なんて苦行だあ泣みたいな人もいるのかもしれんけど。
だからといって自殺とかする覚悟も無いし、じゃあ別に理屈なんか求めず内から発する納得に依拠して生きればええやん、というニヒリズムもある訳で。ニーチェもそういう事を言っていた訳で。
無意味でええやん。そこに意味なんか求めちゃいけない、なんて思える超メンタルの人間もいるのかもしれない。ゴータマ・シッダールタがそうだったらしい。
ともあれ、全てに意味はないんだぜ~と言ってアナーキストを気取るのに鼻白むのはわかるけど(私は別にそれでもいいと思うけど。一線超えたらしばかれるだけだし)、理屈で考えたら全てが無価値なのを否定するのは違うじゃんって思う。
この世に神様が作った正義なんて用意されてないけど、じゃあ作っていきましょうよ。って言うなら分かる。
でも人権思想はこの世の真実なんだ!政治は真実の正義を追求するものなんだ!それを笑う者は許さん!みたいなんも割と多いようだなあって思う。怖いよあたしは。
デュルケーム曰く、罪人とは共同の価値に傷をつける不届き者の事を言うらしい。
前近代は神様を侮辱するものは死ぬまでしばかれた。現代では、個人の領域を侵害した者がしばかれる。死ぬまでしばかれる事も時々ある。
と共に、人権思想も「神」と同格の共同の価値になってるんだなあって。
人権思想なんて言うけれど、よく考えたらそんなものは宗教と等価のフィクションに過ぎない。そう人々が思ってその価値が揺らいでしまうよりも、だったら絶対あるという事にしてしまった方が良いと考えているのかもしれない。そんなもんなくね?という異端者はインターネット火炙りに処す。
自民党が旧統一教会の問題に真摯に向き合っていれば、去年の辛いテロは起きなかった
(青野慶久/aono@サイボウズ@aono)
これって、サイボウズに不満のある人はサイボウズを攻撃していい(問題に向き合ってたら攻撃はされなかった)って理屈の肯定だよ?
まぁサイボウズなら、不満を持つ人は既に退社していて存在しないから実害がないのかもしれない。
でも国の場合は万人に受け入れられる施策なんてないんだから、何かしら不満を持った人は出てきてしまう。
そういった人がテロを起こしたとして、そのすべてに「そういった問題に向き合わなかったからだ」とでも言うの?
例えばオウム真理教によるテロだって正に問題(とオウム真理教が思っていること)に真摯に取り組まれなかったから起こったものだよ)。
ロシアのウクライナ侵攻のロシア側の理屈にもバッチリ当てはまる。
だからこそ、その理路に関わらずテロはダメ、だけで終わらせる必要があって、「テロはだめだが~」なんて言説を展開するのはよくないんだよね。
(「オウム真理教の要望(日本国の支配)に向き合わなかったからだ」「ロシアの要求(ウクライナの支配)に真摯に向き合わなかったからだ」って理屈と同じことを言ってるんだよね)
もっとサイボウズに引き付けて言うと、サイボウズのサービスに不満が貯まっている人がいるとする。この人がネット上でサイボウズの誹謗中傷や業務妨害をやりまくったとして、「サイボウズが真摯に対応していたらこんなことは起こらなかった」って言うことだよね?
⇒テロはテロ。それとその原因は繋げて語るべきではないってことだよね。原因が解決すべき課題と思うなら独立して意見表明すべき。絡めて話すとテロリストの思う壺
○「テロは起きなかった」は事実の推測で、「攻撃してもいい」は価値判断なので、両者は異なると思う。
○“ちゃんと問題に向き合ってないからテロが起きた”と言う命題は、“ちゃんと問題に向き合ってない相手にはテロを起こしていい”という命題と等価なのだろうか? 微妙に詭弁の匂いもするが。
⇒上で書いたように「テロと事案を絡めること自体がテロリストの思う壺」なんだよね。で、サイボウズの社長はその意味でテロにメリットを与えている(正義の問題ではなく、メリットでメリットの問題としてテロを起こした方が良いって理屈を語っている)。
○オウム真理教によるテロとカルトに人生を壊された人間によるテロを同列に語る時点で論外。こんな意見が支持される世の中では、またテロは起こるだろうね
⇒ちゃんと読んだ?「その理路に関わらず」ダメとしなきゃいけないことなんだよ。誰だって相応の理屈はあるんだから
○青野さんは続けて「Q. 御社では暴力的な手段を受け入れるということ?→まったく受け入れません。それを防ぐためにも民主的な問題解決手段を用意し、日々従業員に啓蒙して実践しています」と書いてるんだよ。
あえて「自民党が旧統一教会の問題に真摯に向き合っていれば、去年の辛いテロは起きなかった」と書いている意味はなんなの?
もう書くつもりなかったけどひとつだけ
○増田と同様の論調の人が「統一教会はとりあえず脇に置いといて」みたいなスタンスをとるのがすげー気になるんだよ。まずベースとして統一教会は問題ある組織という認識はあるの?これ追記で答えてくれないかな。
ただ、それとテロと絡めるとテロの肯定に繋がり(少なくともそう理解する人がいる)、またテロを起こすインセンティブになるから、テロの否定はテロの否定、統一教会批判は統一教会批判で別にしなきゃならんってこと。
本業はネットワーク屋なんだけど、無線LAN周りのトラブルで「いや~電波ってそういうものなんでこの環境じゃあムリっすよ」「そういうものって??」みたいなやり取りが客とあってそもそも「電波ってなんなんだ?」と思ったのでぐぐって調べた。高校では物理取ってたはずなのに欠片も記憶にないので深い睡眠学習をしていたのだと思う。
電波法では「3THz以下の周波数の電磁波」を「電波」と呼ぶ。間違っても「電磁波」の略では無いし、電磁波の中の一部を電波と呼んでいるだけ。
導体を電流が流れると磁界が生じる(右ねじの法則)→電流の向きが変わると磁界の強さが変わり電界が生じる→電界の強さが変わると磁界が生じる→…の繰り返しで空間を媒体にして飛んでいくものが電磁波。ただし電界と磁界がリングのように繋がっていく絵(が高校物理の教科書に載っているらしいが全く記憶に無い)は厳密には間違い。電界と磁界は直交して発生し位相が一致するため。
electric fieldの訳語なので同じ。慣習的に工学系は電界、大学の理学系では電場。
コンデンサの応用。コンデンサの電極を棒状にしたイメージ(=ダイポールアンテナ)。アンテナに交流を掛けると電極間で電荷が流れ(ていないが後述の通り流れていると見做す)、電界が生じる→磁界が生じる→電界が生じるのループによって電磁波が空間を伝っていくのが電波の送信。電荷が行ったり来たりする速さが周波数、流れる電荷量(電流の大きさ)が生じる電界の強さになる。
逆に、磁界がアンテナに当たりアンテナ周辺の磁界が変化すると電流が流れる(ファラデーの電磁誘導の法則)ので、それを良い感じに拾い上げるのが受信…なのだと思うが正直この辺は欲しい情報が探せず自信なし。
絶縁体を電極で挟んだもの。絶縁体なので電荷を通さず蓄えることができる。ただし交流の場合、電荷の流れる向きが変わるので見た目上電荷が流れると言える(らしい)。
「電気」のミクロな表現。原子の周りを回っている電子が飛び出すと正電荷、飛び込まれた方の原子は負電荷で異なる電荷同士は反発し合い同じ電荷同士は引き合う(静電気力)。
この静電気力が働く場を「電界」と呼び、電荷から延びる静電気力の働く方向を線にしたのが電気力線。
電荷の移動で磁界に磁力線が生じ、正電荷と負電荷の間で電界に電気力線が生じる。
電波の送信で電界と磁界が生じていくという説明は電気力線と磁力線が生じていくとも言える。磁力線は磁石のNからSへ延びる線。
送信機のアンテナ端子に電力計を繋いで測った電力。送信電力とほぼイコールだが、厳密にはアンテナまでのケーブル減衰を差し引いてアンテナに掛かる電力。よって「送信電力-ケーブル減衰」が空中線電力。
指向性アンテナによって見かけ上、エネルギーをマシマシにしてくれることをアンテナの利得と呼ぶ。アンテナに増幅作用はないので送信電力が増える訳では無い。
等方性アンテナ(指向性を持たず全方向へ等しい強度で放射される仮想的なアンテナ)と同エネルギーのアンテナ利得を基準(0dB)とする利得を絶対利得と呼び 0 dBi とする。あまりよくわかってない。
等価等方放射電力。アンテナからある方向へ放射されるエネルギーを等方性アンテナによる送信電力としたもの。
アンテナ利得 20dBi のある指向性アンテナに送信出力 30dBm(1W) を掛けると送信出力 30dBm + アンテナ利得 20dBi = EIRP 50dBm (=100W) 。これは等方性アンテナ(アンテナ利得 0dBi)に送信出力 50dBm (100W)を掛けたといういう意味になる。
1mW = 0dBm として、1mWより大きいか小さいかを対数で表現した絶対値の単位。
電波の世界ではめっちゃ小さい桁数の数字の数字になるので、常用対数を用いることで使いやすい数字にする。
対数なので 3dBm の増減は2倍または0.5倍、10dBmの増減は10倍または0.1倍。
・23dBm = 10dBm + 10dBm + 3dBm = 10mW x 10mW x 2mW = 200mW
・-60dBm = -10dBm + -10dBm + -10dBm + -10dBm + -10dBm + -10dBm = -0.1mW ^6 = 0.000001mW
といった計算が出来る。
何処まで正しいのか全くわからんが、知識皆無からぐぐって読み比べたらなんとなーくわかったような気がする段階まで持って行くことができるのは単純に凄くねと思った。
便利な時代になったんだなあ。
無能「それ私がやらないとダメですか?増田さんがやればもっと効率よくやれますよね??」
うん、そうだね。
この仕事やるのにあなたは20分かかるけど、ワイなら10分で終わるね。
それは個人の能力というよりは持っている権限や道具の違いだから、ここに関してはあなたが悪いわけじゃないね。そうだね。
でもさぁ!!!
お前、毎日クソ暇してるじゃん。
いろいろとあなたにできる仕事ないか振ってあげたけど、どれも満足にこなしてくれなかったよね。
そのクソ無能暇人が10分だか20分だかの時間を得てなにをするの???なにができるの???
茶ぁ飲んでぼけーっっっとする時間が増えるだけだろ??
言ってしまえば、俺の10分とお前の120分ぐらいが等価なのよ。
お前がクソちんたら100分かけてこの仕事したとしても、その分俺の10分間が浮けば、チームとしてはその方が"効率いい"んだよ!!
(中略)
皆さんが知っておかなくてはいけないことは、心理学というのは人間の心の秘密を解き明かすような学問ではない、ということです。
心理学者はかけがえのない個人ではなく、平均化された、つまり「データ」としてしか存在しない個人 (実は人間以外の動物であろうとロボットであろうと、心理学者にとっては全て等価なのだが) を研究しています。
心理学者はこの平均化するやり方が大好きです。
例えばある人のパーソナリティ (性格) を測定する際には、いくつかの項目への回答や、これまでの行動履歴などを平均して算出します。
あるいは、男性と女性の違いについて論じる際には、男性実験参加者と女性実験参加者の刺激への反応パターンをそれぞれ平均して比べます。
さて、平均化して (いくつかのパタンに分けて) 人間を見ていくやり方は、「モデル」という考え方です。
「モデル」という職業がありますが、あれも「どこにも存在しないような美人」という意味ですから、まさに「モデル」なわけです。
こうしたモデル型の研究パラダイムは19世紀の後半に心理学が誕生してから、われわれがずっと一貫して採用しているものです。
心理学の屋台骨を支える重要なモデルは、刺激―反応 (S-R) です。
新行動主義ではその間に媒介変数を採用することになった、なんてことはどうでもいいことです。
相変わらず心理学者がやっているのは、刺激と反応の関係についての関数の研究です。
こうした研究パラダイムは研究業績を大量に生み出すことに貢献してきました。
おかげでわれわれ心理学者は大学に講座を得て、国から研究費をいただき、多くの研究成果を蓄積していくことができたわけです。
「『タイプ』『モデル』的な結合、つまり述語結合を諸々の接合や離合の軸に置く考え方は、機能主義心理学の人間観です。
多くの心理学者にとって「機能主義」は過去のものであり、「私の心理学は単なる機能主義ではない」と主張する人が多いと想像されます。
多くの心理学の教科書では「機能主義」はウィリアム・ジェームズによる構成主義批判として生まれ、過去のものとして扱われていますが、
刺激を条件間で統制して、それへの反応の差異を検討するという最も心理学者の好きな研究手法 (=実験) が、まさに機能主義であるわけです。
「外面性の強度は、内面性の強度と『相関』しているというのが、機能主義=行動主義の論理的な帰結」 とあるように、
心理学者にとって重要なのは、外部からの刺激に対してどのような反応が観察されるか、ということに尽きます。
要するに、ある刺激をある反応に変換する「関数」がどのようなものかを明らかにするのが心理学 (機能主義) の目的です。
その意味で、心理学者にとって人間と同じ振るまいをするものは、それがロボットだとしても人間と等価だし、人間の病気と機械の故障は区別ができない。
behaviorを「行動」と翻訳するのは誤りであり、「要するに外見=外貌」が中身を決めるという考え方が行動主義であると断言します。
心理学者にとっては「外から観察可能な行動のみを研究対象にする」というところでしょうか。
確かに、私自身もbahaviorismは「行動主義」よりは「外貌主義」と翻訳した方がよいと同意します。そして、全く確かに心理学者が扱っているのは <心> ではありません。
心理学の学会でこうした機能主義批判に関わる内容が扱われることはほとんどありません。
学問の根本を成り立たせている原理についての議論は、学会では通常なされません。
「こんなところで言うかよ」という反応をされてしまうのが普通です。
じゃあどこで言うんだよ、と思うことも多いわけですが、「われわれの学問を成り立たせている最も重要な前提については疑わずに議論しましょう」というのが学会大会の暗黙のルールです。
「『先生、先生』と言われ続けて何十年にもなる。そうすると『先生』は大体がバカになる」 と言うように
論文を書けば書くほど、学会大会に参加すればするほど、学生を教育すればするほど、学者はバカになります。
専門的になればなるほど、学者がバカになる要素は増えていきます。
自分たちがどのくらいバカなのかを知るためには、自分たちをバカにする人を見つけることが重要です。
心理学者にとって、自分たちを掛け値なしにバカにしてくれる存在というのは、たいへん大きいものだと思います。
3段落目にいきなり「断言」って言葉が出てくることとか「私」がいきなりでるとか文章のつながりが気持ち悪いと思ったけど、ぐぐったらamazonレビューの引用なのね。なるほど。
正解。
このコメントが出てくるまでに430人もの人がだれもググらない。すごい。
①
女「つまり、この男たちが妻と性行為をしたということであり、男が女に性的な視線を向けている証だ」
②
女「柏木由紀は男性向けグラビアで活躍したアイドルであり、男が女に性的な視線を向けている証だ」
男「俺が性的な視線を向けているのはゆきりんであってお前ではない」
③
女「くまクッキングの人は巨乳を売りにした活動をしており、男が女に性的な視線を向けている証だ」
男「俺が性的な視線を向けているのはくまクッキングの人であってお前ではない」
④
女「セーラームーンという作品は多数のエロ同人が出ており、男が女に性的な視線を向けている証だ」
男「俺が性的な視線を向けているのはレイちゃんであってお前ではない」
⑤
女「アルトリアは元々エロゲのヒロインであり、男が女に性的な視線を向けている証だ」
男「俺が性的な視線を向けているのはアルトリアであってお前ではない」
↑俺は①~⑤は全て等価だと思う。
②~⑤のそれぞれにも『それでハアハア(*´Д`)しているキモオタを想像させる』以外で違いがあるという人はマジで違いを教えて欲しい
自己紹介。
旦那に養われながらも自分のパート代をパチンコに費やしてしまう主婦です。
パチ屋ってやっぱりお金持ってそうな人ってあんまりいないのね。自分も含め、底辺っぽい人ばっかりいる。
どういうところを見てるかっていうと、やっぱり靴がボロいとかジャケットが擦れてるとかそういうところで判断してるんだけどさ。
例えばちょっと調子が良くて2万発くらい出ると、それで7万くらいにはなるのよ。換金率悪くてもさ。
で、私のパート代。月13万とかそんなもんですよ。
その半額が半日で手に入ったりするのね。それまでいくら費やしていたとしても、最終的に勝ちなら差額を勝った金額って感じるんじゃなくて、手にした金額に重みを感じてしまう。私みたいなのはね。
それって、端的に言って狂うと思わない?
私は幸い夫が毎月100万くらいは手取りで取ってくるから、自分の月のパート代の半分が半日で手に入ってもそこまでは狂わない。普通に自分の銀行口座に入れて次に遊ぶときに引き出すくらい。
長い目で見ると当然負けてるけど。
でもさ、私も夫と結婚する前からパチンコスロットやってるんだけど、スロット等価で5000枚出した時は狂ったよ。10万だよ。当時の月給とほぼ同じお金が半日で手に入ったんだから。
あの時のお金は何に使ったのか、今では全く忘れてしまったけどね。
これが夫くらい稼ぐ人に言わせたらきっと馬鹿みたいなんでしょうね。
そんなに意外な理由ではないと思うけど、やっぱ働いて稼げない人ほど相対的にパチンコスロットで手に入るお金が大きくなるから、自分の身を持ち崩してでもお金を費やすくらい狂っちゃうんだろうね。
等価可処分所得とは、世帯の可処分所得(≒税などを抜いたいわゆる「手取り」)を世人数の平方根で割ったものを言う。
相対的貧困とは、この半分だから、等価可処分所得が127万円以下の世帯のことを言う。
で、これ以下の世帯はおおよそ16%で、これはOECD38ヶ国中ワースト7に相当する。日本より悪いのはブルガリアとかメキシコとかしかない。
また、子どもの貧困率が注目されるが、実際は老人の貧困率が20%に達する一方、子どもの貧困率は14%とそれよりも低い事などもあるので、ここらへんの統計を抑えておくと、若者VS老人みたいな雑な煽りに乗らずに済む。
ただ、相対的貧困率はどこまで行ってもミクロの指標なので、「日本は相対的に貧困である」みたいな言い方にはならない。用語はきちんと使ってくれ。
A「男が、喜ばれたいから勝手に奢る」に相当するのは、B「女性が自身を性的に扱われるようにむしろ誘導する」です。
セクシーな格好をしたり、自分のカラダを男が触ることを許容どころか促したり、本来なら男性が自分ですべき家事や雑用をすべて引き受けたり。
価値観は人それぞれですが、Aが正しいならBも正しいとしないと一貫はしてません。
女性の(下世話な)魅力とされるのが容姿やセクシーさであり、男性の(下世話な)魅力とされるのが経済力ですから、AとBは等価です。
最初は「喜んでほしいゆえのサービス」だとしても、人はサービスを受けることに慣れ過ぎると麻痺してしまい、「サービスをしない相手をマイナス評価する」ようになりがち。なので「喜ばれたいから勝手にやっている」をそのままにしておくと、「やらない人が非難される」文化が醸成されていきます。
元彼がまだ彼氏だった頃、バレンタインでそこそこ良いチョコ(個人経営のチョコレート専門店のもの)を選んだ。
職場の同僚や上司なら、それなりだけどデパートでかえるものを(モ■ゾフとかメ■ーズとか)。
みんなでワイワイするだけならスーパー・コンビニでも買えるくらい気を遣わせないものを。
があるので、それに則ってのチョイス。
翌月ホワイトデーがきて、なにくれるんやろなーとおもってたらかわいい手提げ袋にメ■ーズの文字と例の横顔。
これは私の気持ちの問題だし、私の価値観がたまたまそうだったというだけで、贈答品をもらう側としてはマジで失礼なのは承知な上でやっぱりすこししょぼくれてしまった。
わかる。クソほど失礼なのはとてもとてもわかる。いただきものにケチつけるなんてまじで失礼。だから本人には当然にっこりと「かわいいね、ありがとう」といった。
でも、私の感情は「せめて等価のものがほしかった」って言うものだ。
きっと私の贈り物は相手の価値観ではメ■ーズ相当だったんだろうし、相手の価値観ではメ■ーズはもしかしたら私の考えより上位なのかもしれない。
私が勝手にメ■ーズのポジションを(すくなくともショコラティエの手作りチョコレートよりは)下に見ているだけだ。
でも、なんていうかさ……大切な相手のためにハーゲン●ッツあげたら、相手からお礼にってガリ●リくんかえされたって気分……
私みたいに人のプレゼント値踏みするやつと別れられて正解だったなって思われそうだけどさ……すくなくとも本人には伝えてないし、こんなところでしか吐けないので容赦してほしい。
要約
つまり、「陰謀論を信じちゃうような人たち」=「暇空界隈」という定義をしているわけだね
それ「陰謀論を信じちゃうような人たち」に対して「増田界隈」って名前つけても論理的に等価だよね。
※独自定義の用語のため、陰謀論を信じちゃうような人たちにつける名前は別に「ずんどこべろんちょ」でも何でもいいが、論理的に等価であることが自明な「〇〇界隈」という表現であれば、この〇〇は「暇空」と同一となる。
なので「暇空」を「増田」に置換してみるね
…いや、違いますね
「陰謀論展開してるから馬鹿にしてるのを気に食わない人」は、単に「陰謀論展開してるから馬鹿にしてるのを気に食わない人」であって、それは別に増田信者であるかどうかを証明しないですよね?
たとえば、陰謀論を精神疾患だと捉えており、精神疾患を揶揄することを倫理上の問題だと考えているから気に食わない、とか気に食わない理由はいろいろあるよね。
そういったいろいろな理由があるはずの対象を、特に根拠もなく「〇〇信者やろ」と決めつけるのは、陰謀論に両足突っ込んでるよね?