はてなキーワード: マチズモとは
Xの論客さん達が「リベラルは格差とインフレを見てなかった。だからトランプに負けたんだ」と主張しだしているようだ。
そもそもこの意見も周回遅れな感じが否めないが(前回前々回の選挙で言われてた事だし)、ぶっちゃけこれすらももう聞こえの良い敗北理由であり、リベラルにとってもっと絶望的な敗北理由の可能性から目を背けちゃいないか?
それは、リベラルの推し進めてきた「男女平等」 「移民やLGBTの権利保護」 「人工妊娠中絶の権利」 と言った理念が、選挙結果を左右するレベルで大多数のアメリカ人から拒絶されているという可能性である。 トランプ支持層を見れば、マチズモで、黒人とアジア人の差別主義者で、pro-Life派で、と言った人間が目立つわけだが、実はそういう人たちがリベラルが思うほど過激な少数派というわけでもなく、アメリカ国民の半数が根本的にそういう思想に賛同してるという可能性である。
格差とインフレが原因というのは、リベラル側は上記の絶望的な可能性を受け入れずに済む理由付けだし、トランプ支持者側もそういうことを公言するのを躊躇しない一部の過激派を除き、極めて表に出しやすい理由だ。 「本当は女性や移民を差別したくてしたくて仕方がないからトランプ支持をしたが、公言はできないし、格差とインフレのせいにしておこう」 そういう人達が実はもうとんでもなく多くなってるんじゃないかという気がしてならない。
まあそうかもなあって読んで感銘受ける部分もあったけど、あの記事がドラクエのポリコレから繋がるのはよくわからんので自分は文盲かもしれない。
ただ増田を読んでつらつらと考えたことを残したくなった。ありがとう。
クオータ制についての批判で「本来の評価基準で選出されるべき人が排除されることが許されない」というものがあった。大変共感しやすいし道理だとも思う。ただ一点だけ目を背けているか見落としていることがある指摘とも思う。
それは評価基準自体が差別的な結果を生みやすいものかちゃんと批判しているかということ。
この点において自分の意見として入試の点数評価と選挙の得票数評価はかなり平等な評価方法だと思っている。性差による不利が全くないとは言わないし、女性議員の増加によって性差が減らすための政策が増えると思うので女性議席が必要って話では妥当とは思う。あくまで選挙制度単体で見るなら偏りを生み出すこともあるが差別的な手続きではないということです。
じゃあどういったところでクオータ制が必要なのかというとやっぱり会社や職場だと思う。理由は成果で評価する場合、フルタイムの男性労働者が最も有利な属性だから。経営者が労働者を評価するのは原則として安定性と成果の二点が主になるからだ。
毎日出社して安定してパフォーマンスを出す社員なんて誰だって最高だ。自分が管理する立場ならなんて楽だと思うことだろう……。
この評価基準に最も合致する属性が健康的な男性になる。ちょっと抽象的な表現になるが不健康な男性は不利になってくる。そしてもちろん女性は不利だ。毎月ある生理や妊娠といった身体的なハンディキャップ持っているからだ。(あえて育休は無視してる。女性に押し付けられがちだが特有ではないため)
評価されるのはこのハンディキャップを乗り越えるタフな女性になる。上に上がれるのはマッチョな人ってこと。そうしてつくられる評価基準は結局マチズモに満ちたものになりかねない。
構造的に成果物で評価されるビジネスの場はマチズモに支配されやすいのは理解しやすいと思う。経営者自身もエネルギッシュにガンガン働いて稼いでいる人も多いし。それだけだと労働者が破壊されるので労働法によって保護されているのだと思っている。でもそれだけだとまだ足りないから今の現状なんだと思う。
それをより改善するためにクオータ制は推奨されるべきと思う。
評価基準をよりハンディ持ちが不利にならない様にしたりそういった環境を用意するためにはそういった目線が必要だしそういった人たちが評価を作る側にいなければ話にならない。
ビジネスの効率は悪くなるしマッチョだろうが成果を上げるために頑張った人からしたら不満も当然のこと。
とはいえやらないと女性が不利な現状は変わらないと思うね……。
自分の職場でも、ある種のクオータ制で不遇を見た出来る後輩がいたよ。
作業着をきて汗だくの現場営業とスーツで大企業相手の花形法人営業。後輩は実際に抜群の成果を出したけど異動希望出しても通らず、女性営業を増やすためと女性新入社員を取るも現場は力仕事で不利だからと即法人営業。三年目で転職してたよ。誰が悪いわけでもない。強いて言うなら早くそんな会社に変えなかった経営陣が悪いんだろうな……。
まあそうかもなあって読んで感銘受ける部分もあったけど、あの記事がドラクエのポリコレから繋がるのはよくわからんので自分は文盲かもしれない。
ただ増田を読んでつらつらと考えたことを残したくなった。ありがとう。
クオータ制についての批判で「本来の評価基準で選出されるべき人が排除されることが許されない」というものがあった。大変共感しやすいし道理だとも思う。ただ一点だけ目を背けているか見落としていることがある指摘とも思う。
それは評価基準自体が差別的な結果を生みやすいものかちゃんと批判しているかということ。
この点において自分の意見として入試の点数評価と選挙の得票数評価はかなり平等な評価方法だと思っている。性差による不利が全くないとは言わないし、女性議員の増加によって性差が減らすための政策が増えると思うので女性議席が必要って話では妥当とは思う。あくまで選挙制度単体で見るなら偏りを生み出すこともあるが差別的な手続きではないということです。
じゃあどういったところでクオータ制が必要なのかというとやっぱり会社や職場だと思う。理由は成果で評価する場合、フルタイムの男性労働者が最も有利な属性だから。経営者が労働者を評価するのは原則として安定性と成果の二点が主になるからだ。
毎日出社して安定してパフォーマンスを出す社員なんて誰だって最高だ。自分が管理する立場ならなんて楽だと思うことだろう……。
この評価基準に最も合致する属性が健康的な男性になる。ちょっと抽象的な表現になるが不健康な男性は不利になってくる。そしてもちろん女性は不利だ。毎月ある生理や妊娠といった身体的なハンディキャップ持っているからだ。(あえて育休は無視してる。女性に押し付けられがちだが特有ではないため)
評価されるのはこのハンディキャップを乗り越えるタフな女性になる。上に上がれるのはマッチョな人ってこと。そうしてつくられる評価基準は結局マチズモに満ちたものになりかねない。
構造的に成果物で評価されるビジネスの場はマチズモに支配されやすいのは理解しやすいと思う。経営者自身もエネルギッシュにガンガン働いて稼いでいる人も多いし。それだけだと労働者が破壊されるので労働法によって保護されているのだと思っている。でもそれだけだとまだ足りないから今の現状なんだと思う。
それをより改善するためにクオータ制は推奨されるべきと思う。
ITエンジニアはマチズモから遠く離れているような気がしたのだが、話を聞く感じミソジニーみたいな言説が多いなと感じる。
全体的にプログラミング関連のことしか知らない世間知らずという印象。社会がいたずらにITをちやほやし始めたからかどこか勘違いしている人が多い。
正直プログラミング自体は好きだが、根本的な思想が底辺ヤンキーと同じでつらい。力が無いうちはペコペコしているが力を持つとやることはヤンキー。
ようやく得た力でイキっている人を見かけると、大人として、社会人として、人間として、それってどうなのと言いたくなる。
オタクカルチャーなんかがそう。全然関係ない文脈で騒いでいるのを見ると本当に勘弁してほしいなと思う。
あと人の気持ち考えない人。人の気持ちを考えないわりに自分が言われると簡単に傷付いてすぐ被害者ぶる人が結構いるように見える。どういうことなんですか。
SNSのいいねをはじめとして、はてなでさえスターシステムによって共感が力を持っている時代。
いかに「それわかる、いいね」と言いあい、いかに連帯するかが数値となって現れる世界では、共感こそが力であり発言力といっても過言ではない。
そうそう、ここからは全ての主語に「多くの」がつくが省略することをあらかじめいっておこう。主語論で争うのは本筋じゃないからな。
さて、突然だが男は共感というものを持っていないわけではない。持ってはいるが、自分と他人に境界がある。相手は相手、自分は自分。
だから、相手の気持ちはわからなくもないが、それはお前の感情であってオレの感情ではない。お前に何かあればお前の責任だし、オレに何かあればやはりオレの責任だ、というように。
男は良くも悪くも自己責任論の中で生きている。自己責任論の世界では男は自ら救われるもので、他人に救われることはないと考えられている。
比較的少数ではあるが、誰かに救われたいと助けを求めることもあるが、マイノリティ故にその声はどこにも届かない。
逆に、女は女の世界の中で共感を生存戦略にしている。共感が武器となり仲間を増やし、一方で共感できないものを排除さえする、まさに共感が支配する共感世界の住人だ。
共感こそが精神的な互助会として機能し、女として生きていくことの困難をシェアしながら生き抜いてきたのだろう。
さて、先に述べた通りSNSでは共感することで数値がバズることに直結する。誰かが共感を求め共感をする時、それは具体的な形となり世論を形成する。
女性による女性固有のトピックに対していいねが数万単位で集まるのを皆さんも見たことがあるだろう。
小さくは主婦の夫に対する不満から、大きくは女性議員数の話まで。まさに、個人的な悩みが社会的な悩みに昇華されるのだ。
一方、男性固有のトピックについてはいいねが千単位でさえつけられることは稀である。むしろ炎上する。かく言う自分でさえ、そういった他人の愚痴に対して、自分のことは自分でなんとかしろと思ってしまうように、男とは他人の悩みに対して一見ドライである。
勘違いしてほしくないのは、ドライだから心動かされず単に見捨てているというわけではない。苦しみを乗り越えればお前はより強くなれる、だから頑張った方がいいとか、そう言う考えを本気で内面化しているから、心の中で応援しているのだ。少なくともオレは。
なぜ、男がそんなふうに思うかというと、男は子供の頃から、弱くても苦しくても男からも女からも大人からも助けてはもらいづらく、そもそも強くあらねば生きづらいからなのだが……この手の話は、じゃあまずは男がマチズモを捨てればとかそういう話にすり替えられてしまうのだが、いよいよ趣旨がズレるのでやめておこう。
何が言いたいかというと、男は共感力がないというよりも、共感という行為を具体的なアクションとして実行しない傾向があるということだ。
いいねなんて今すぐすればいいと思うかもしれないが、むしろいま誰の助けも借りずに乗り越えなければ将来より辛くなるぞ、今頑張れ!と思うだけである。
思うだけの男と共感連帯して大きな声となると女では、数値のレベルで敵うわけがない。
共感の訓練を続けた女は基礎体力が違う。
男は女に勝てない。
ただし、覚えていてくれ。悩んでる男たち、オレはお前らを応援している。ただし、するだけだ。
う〜んなんかどれもちょっと違うというか…
強いて言うなら共産主義なのかな?
もっと企業という存在の有害な側面や、企業労働がしばしば人の尊厳を踏みにじることについて、
例えば広告表現にまで踏み込んでプレゼンスを発揮してくれる団体があればいいなと思う。
そういう意味じゃ「今日の仕事は、楽しみですか」広告はもう少し頑張れたと思う。
理論や用語を整備して、問題を問題だと感じられるようにみんなに広めてほしい。
労働中なんてマイクロアグレッションだらけだし。共感の輪を広げて、ちゃんと許されないことだというのを広め伝えたい。
(追記:ごめん、文体がちょっとフランクすぎたので男性に見えるかもだけど女性が書いてます)
大丈夫だよー
ここで女がどうたら男がどうたらぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ言ってる時点で
男からはもうとっくに降りられてるよ!
女どもが何言ってもじっと黙って耐えるのが男らしさだって言うんだから。
文句言いたいっしょ?
自分だってつらいんだそうやって責めてくる女なんかみんな死ねって言いたいでしょ?
いいんだよ。
これからは男も女も今自分が突き当たっている生きづらさは一体何が問題なのか?っていうのを正しく言語化できる能力と
どうすればいいのか?っていうことを落ち着いて話し合える能力を身につけていこうぜ。
そんで今気づいたんだけど
そういうことから男の人たちを解き放ってあげられるのは、やっぱり女の人なのかもしれないって思った。
何が問題だと思っているのか、お互いにちゃんと話そう?って言い出せるのは
まあでも多々覚えがあるけど、マチズモの呪いがかかってる男の人からそういう話を聞き出すのは難しい。
何に苦しんでるのか聞かせて?って言ってもマチズモ男性は口をつぐむ
違うんだよ、お互いどうしてもできないことがなぜできないのか
そういう言語化がとても苦手だったから無意識に避けてたのかな?って思うけど
そこをうまく聞き出すようなうまいやり方が
これ、擁護派が「性交は立場の非対称性を排して合意されるべき」というリベラル的な規範に引きずられて「松本はそんな無理矢理はしてない筈なので文春は偏向報道」と主張してる。だがもう無理筋。リベラルの価値観に引きずられてるんだから。更に「ホテルに行った時点で性行は予測できる」とか雑魚な主張。擁護派がすべきは「女は嫌がっても体は欲するもんだ」「多少乱暴なほうが気持ち良いもの」という伝統的マチズモな主張。これをしない時点で逃げてるし負けてる。現代においてこんな主張するのはアタオカに思われるリスクあるが、そういう価値観を主張すべきじゃないかな。今の流れはフェミやリベラル優勢への違和感だろ。