はてなキーワード: 貶めるとは
インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。
シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間も馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります。
もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。
シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事のパワハラと全く同じです。
ビバ! デモクラシー!
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800
斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上の指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。
小学生を含めて(個人的な感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。
「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。
以下、具体的に指摘します。
「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。
なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しましたか?
今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。
他の支持者との一体感を体験しやすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。
「自分は、いいねやシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?
なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現にしましたか?
他人の選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。
SNSや動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸なコメントでも、論理的に破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判や非難のコメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったかも重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。
「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的に破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったかが重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?
どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?
なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?
他人のコメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。
それらは従来型のマスメディアが機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットがテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。
「それらは従来型のマスメディアが機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネットが機能した結果として起こった。だからインターネットがテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?
もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディアの機能とは異なり、より積極的に他人に干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?
従来型のマスメディアを超えることによるなにがしかに危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?
「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネットを貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。
特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか?
その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。
「投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?
馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。
単独の文言では無く、前後の文脈から、この文章を読み取った相手が「投票や選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?
「なるほど、コイツはインターネットで情報収集したり、いいねで応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?
真摯に相手の人格を尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子の文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います。
インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的で必要不可欠なことでしょう?
段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。
民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。
その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。
(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストクラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)
「民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?
前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度の限界だ」としか読み取れません。
それ以外の意図を持つ文章として文脈を構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり、文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。
(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねます。ナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定の了解があるはずです)
いまどきの民主主義の理念を作り上げた人というと、ロックやルソーやジェファーソンといった近世~近代の思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆の選択までもが民意にフィードバックされる民主主義を想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?
少なくとも、ジェファーソンの名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。
このall men (すべての人々)に、大衆(シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。
トーマス・ジェファーソンが、いかにマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、
ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままでは不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。
彼らが、貴族や選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆(シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民や奴隷、犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。
(その後の段落は、シロクマ先生の想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います)
個別の選挙結果が未来の制度設計の材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義のドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。
この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。
ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。
(私はそれをアリストクラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います)
「ただし、制度設計が改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?
「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。
「未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。
また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか?
シロクマ先生の「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。
これを、面白おかしいものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)
パワハラをする側にとって、されたものが右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。
齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上の指導や注意を厳しくした」と表現しています。
前知事時代のパワハラを問題視した人は、この「業務上の指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法に問題があったのだと認識しているはずです。
愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これからの社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います。
その意味で、シロクマ先生の「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています。
そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。
(バカだと呼んだのは立花氏であるとか、選挙から排除すべきとは書いていないという、言葉遊びをするべきではありません。本当にその意図が無いのであれば比喩や暗喩の使い方が致命的に間違っています)
もっと言えば、記事全体が記事中に貼られた立花氏と同じことを言っており、そこから一歩も外に出ていません。
制度設計で排除すべきでは無いかと暗に書いている分、また「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」と記載している分、なお悪いと考えます。それは選良主義や陰謀論と具体的に何が違いますか?
そして、バカや犬や猫と同じと言われた側とすれば、率直にそう表明する立花氏に好感を持ち、シロクマ先生に嫌悪感を持つと思います。率直さは美徳であり、当てこすりは悪癖です。
なぜならば、立花氏は返す刀で「バカじゃ無くなればいい、キミはいまバカじゃ無くなった、立派な選挙民になったんだよ!」と導くからです。
シロクマ先生が、「自分はマスメディアが一定正しいものだと思っている。それを大きく超える力をインターネットが持つと証明されてしまったようで怖い。こんな選挙結果になると思わなかった」と思うのであれば、そう表現してください。
投票に行った国民を「お前らにはどうせこうやって書けばわからないだろう」という書き方で馬鹿にするのは即刻止めてください。
その積み重ねが、インテリ層への嫌悪に繋がり、わかりやすく自分を肯定してくれる者への同調に繋がります。
よい県政になりさえすればパワハラが許されるわけでは無いのと同じで、民主主義の問題だと思う点や選挙への在り方を指摘するのに他者を馬鹿にして良いわけではありません。
別に何を面白がろうが自由だけど、二言目には自浄作用が無いだの、パワハラは現代にはそぐわないだの言っておいて、中身が正しけりゃ表現は些末な問題と言う立場をとるなよ。
読み取り方の問題じゃないし、皮肉だから何しても許されるとか無いの。そういう表現は、お前らがバカにしているネットde真実と1ミリも変わらねえよ。
この記事
https://natalie.mu/owarai/news/599602
に対するブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/natalie.mu/owarai/news/599602
“絶対に批評してはならない松本人志を崇拝する芸人の皆さん(若手はそうでもないのかな) ”はさすがにズレすぎてるどころか無知すぎてイライラした
このラインナップでなんでそんな発言出るの?吉本勢マジで誰もいないんだが
若手がどうとかそういう話以前にさ…
せいぜいにぼしいわしがNSCにいたくらいで、特に大島が例の件に限らずXや他の媒体でどういう立場の発言をしてるかくらいちょっと見てから書いてほしい
舌鋒鋭いコメをする人はてブでは少なくないけど、よく知らないことで皮肉コメとか書くとズレてるどころかストレートに貶める形になってしまうことある気がします
非よしもとお笑いに好きなネタや活動をやる芸人が多いのでさすがにひっかかりました、以上
(「お笑い」がでっかい一枚岩かなにかで、統一された意思や構造がたったひとつしかないと思ってるのだろうか?そんなことはない)
>ノイズ加工について「自分の絵を汚している」と愚かな行為のように貶めるのは本当に卑怯だと思う。好きでやってるわけじゃないにしろ、原画に泥ぶっかけてるんじゃないんだから汚してるとは思わんよ、個人的には。
Glaze後のゴミクソみたいな画質のノイズが分からない人は絵のセンスないから即刻筆折ってくれた方がいいわ。
泥ぶっかけた後の絵を公開して自分の作品だと鑑賞させてることが理解できてないならなおさら。
ウォーターマークは作者のサインみたいなのなら好きにしたらと思うんだけど、意味のないノイズ付与でゴミ絵にするのだけは勘弁してほしい。
まず、「反AI絵師様たちの集団自滅記念日」などと攻撃性むき出しの言葉を使っている増田の方がよほど冷静さを失っていると思う。落ち着いてほしい。
まあそれはおいといて、反論というか雑感。
・完全な対策など求めていない
誤認というか決めつけなのが「絵師は15日からAI学習されると思ってる」「絵師は完全に学習されない対策を求めてるor信じてる」ね。
ほとんどの人はとっくに自分の絵は学習されてるとわかっているし、ウォーターマークにせよノイズ加工にせよそこまで効果を信用していない。それでも一応はやっておくだけ。
完全な効果がなければ対策は無意味というのは極端にすぎる。無断転載禁止と書けば無断転載されなくなるわけじゃない。でも書くでしょ?それと同じ。
みんな自分なりに考えて個々に行動しているの。それを愚かな思想に染まった集団のように言うのは明確に間違っているよ。
・そもそもXに愛想をつかしている
よそのSNS移住の話題はいまにはじまったことじゃない。AI関係なくXの現状にうんざりしてよそを利用する人は増え続けていた。検討しつつもXを使い続けていたけど今回の規約変更をいい機会と捉えた人は多いんじゃないかな。規約変更は最後の一押しであって単独の理由じゃない。
・画像加工について
ウォーターマークについては、昔から入れたほうがいいと言われていたのね。基本的にあれは無断転載対策なの。自分の絵であることを証明して勝手に販売されるのを防いだり、転載先からでも作者を辿れるために入れるのね。面倒がったり気にしなかったりする絵描きが多かったんだけど、これを機に入れるか、てことね。AIだけが相手じゃない。
面白いのが、工夫して自分の絵に合うウォーターマークを作る絵描きがたくさんいること。クリエイティブだしその人らしいサインにもなるしいいよね。
ノイズ加工について「自分の絵を汚している」と愚かな行為のように貶めるのは本当に卑怯だと思う。好きでやってるわけじゃないにしろ、原画に泥ぶっかけてるんじゃないんだから汚してるとは思わんよ、個人的には。
・嫌だと声をあげることは重要
歌手や声優の声をAIで再現して曲を歌わせたり、ジブリ風や漫画家風AIで◯◯を描いたとかの動画はたくさんある。そうした動画には、すごい!感動!みたいな素朴なコメントが溢れている。
アイドルのファンが推しの写真をAIで加工して「◯◯くんかわいい♡」とかやって他のファンも褒める、みたいなのもよくある。
それが悪い(当人に望まれていない)可能性に気づいてないんだよね。だから嫌だと表明する必要がある。わかればAI使用をやめたり見ないようにする人も増える。嫌がられてるならやめようと思うよ、たいていは。
AIにまつわる問題なんてまだまだ広く知られてるとは言えない。ほとんどの人はなんとなく便利ですごいものだと思ってる。そういう悪気のない利用に対して、それは私たちの作品や技能や人格を傷つけているとはっきり言って知ってもらわないといけない。
法や利益の問題というより、それを望んでいないという気持ちの問題は大きい。とかくお気持ちと揶揄されるけど気持ちを訴えることはすごく大事なんだよ。
絵描きがこぞって対策をとるのは「私(たち)は生成AIの現状を肯定しない」という表明になるし、そういう風潮を形成することにもなるんじゃないかな。もちろん強要であるべきではないし、なにもしない絵師、AIを利用する絵師、いろいろいて当然だと思うけどね。
これ何言ってんの?お前が理解できないからって、システム全体を貶めるのはおかしいだろ。少しは仕組みやセキュリティについて勉強したら?お前の方が「わかってるふりしてるバカ」じゃないか。
まず、SMS認証が基本のセキュリティ強化策としてあるのは当たり前だろうが。特にお前みたいにeSIM再発行をするやつには、ちゃんと本人確認が必要なんだよ。それを「馬鹿じゃねーの」って、ただの逆ギレだって気づけよ。
で、待てど暮らせどコードが来ないとか、そういうミスが起きたら普通にサポートに問い合わせればいいだけの話だろう。チャットサポートに行くのも面倒なのは分かるが、お前のためだけにラクなシステムにしてくれるわけじゃねえだろ。大体「本人確認せずに解除した」とか言ってるが、それはお前が申請したからだろ?全く他の方法が無いわけじゃないんだし、対応してもらえただけありがたいと思えよ。
「真面目にやれ」だの「セキュリティを分かってない」とか偉そうに言ってるけど、楽天モバイルはお前みたいな一部の例外対応のためにリソースを無駄にしてられないんだよ。大多数のユーザーにとってちゃんと使える仕組みがあれば十分なんだよ。自分の使い方が特殊だからって全体を批判するのは筋違い。
そもそも、何かあってもセキュリティ的には別に致命的な欠陥じゃないし、「自分は何も確認されずに通ってしまった」って、いやだからお前が確認して手続きしたんだろ?それを勝手に悪い例みたいに騒いでどうするよ。
恋愛というのは他者への依存であって自立しない薄弱未熟な精神ゆえにそれに浸っていられるものだ
もちろんその依存システムを利用してつがいを作り遺伝的多様性を維持しながら繁殖する生物である以上恋愛を求める心理を必要以上に恥じる必要はないのだが
キャラクターはそもそも生殖する必要がないのでキャラクターに恋愛させたがるのはエゴでしかない
そして愛されるキャラクターというのは依存心を超越した自我を確立しており人間として尊敬できる生き様をすでに持っているものであり
それに対して未成熟な読み手は恋愛という体で精神的依存をしている場合ではないのである
キャラクターに感銘を受けたならばそれと同じような高潔さを己の中に取り込めるよう努力すべきなのである
尊ぶべき徳性をもつキャラクターを教え広めたり行いそうなことを想像・創作したりすることは一定の意義があるものの
最終的には己に帰ってきて血肉となってこそフィクションに価値が生まれることを忘れてはならない
ひたすらにキャラクター同士の関係性に耽溺するばかりではそれは相対的な自傷行為の様相を呈すようになる
そのような刹那的コンテンツ消費の対象物としてキャラクターや作品を貶めることもなりかねない
ゆえに「単体か恋愛か」という嗜好はこうした心得の大小によって分かれてきそうな部分ではあるものの
最終的にどうキャラクター作品に向き合うべきかという大きな問題の前では小さな違いにすぎない
つまるところその嗜好形態に拘泥する意味はないであろうということが主旨である
単にクオリティが低いからダサいものを「多様性」と呼ぶのを辞めろ。
そうやって「多様性」という言葉を「ダサイ」「キモイ」「出来が悪い」「雑」「センスがない」「無能」「無気力」「手抜き」「バカ」といった言葉と同じ領域に貶めることが目的なんだってことはもう見え透いてるんだ。
やたら有名なバズ・ライトイヤーのソフビ人形みたいなブス女はコンセプトアートにおいては「金属質な鎧を身に纏った質実剛健の女戦士」だった。
3DCG班の出力したクオリティがゴミだったのか、コーダーが設けたポリゴン数の制限がカスだったのか、ライティングが酷すぎたのか、あんなゴム製の宇宙服を纏うことになっただけだ。
そもそもCONCORDのキャラは大部分が宇宙人であり、地球基準の美醜を当てはめる必要なんてないようなデザインが多かったはずだ。
だが、制作スタッフの能力が低すぎて「簡単に再現できて使い回せる動き」としてどいつもこいつも地球人のボーンに縛られてしまった結果、「地球の美醜で判断される程度に無個性な宇宙人集団」というどうしようもない連中が誕生したのだ。
そもそもゲームのクオリティからして、どんなによく言っても「既存の少数チーム制FPSに慣れている人ならすぐにルールを把握できる」が限界で、ハッキリ言えば「既に存在するもっとずっと出来の良いゲームと比べて目新しいものも優れているものも一切なく、ただ一つの存在価値が「最新作」であることだけなのに、客寄せのための無料キャンペーン等をまともにやることもなく、その強みを「致命的な過疎」以外の何物でもない状態にしたゴミ」である。
マジでこんなものの失敗に「多様性」なんて言葉を絡める必要は1ミリもない。
「全てにおいて出来が令和における最低ラインを下回っていた」以外の言葉は必要ないのである。
以上!
まず最初の一歩として頑張って基本情報を取ったのは偉いと思います。
この調子で努力を続けて、少しずついろんな結果を出していけば、少しずつ未来が明るくなっていくと思います。
上から目線で、もっと若くに取ったとか、その程度じゃまともな就職無いとか、貶める人って何なんだろうね。
この資格を取ったからと言って、すぐに就職が簡単に決まったり、IT業界で活躍できるわけでも無いのはそのとおりだけど、
何も就職について書いてもないのに、なんでけなしたがるんだろう。
誰でも最初は素人なんだし、スタートは遅かったと思うけど、コツコツ努力をしていく事ってとても大事だし、頑張る目標を作ってまず1つクリア出来たことを祝ってあげたら良いじゃないと思う。
まだ32歳だったらまだ人生諦めるような歳でもないし。
今の状況を打開するのは、地道に努力を続けて、少しずつ能力を上げていくのが王道だし、それしかないと思う。
ひとまず、おめでとう。
引き続き頑張れ!
私はトランスジェンダーで、「性自認って結局何?」とよく聞かれるから、私の理解する限りで書いてみる。と言っても、専門家でも何でもない当事者の一人が本を読んだりして考えたことなので、正確性は保証できない。
まず「性自認」はgender identityの訳語だ。identityは「自己同一性」と訳したり「アイデンティティ」とカタカナで書いたりするが、高校現代文のキーワードとしてお馴染みだからよく知られてる言葉だと思う。もともとはエリクソンという心理学者が提唱した概念。エリクソンは難しくてちゃんと読めてないけど、解説とかを見ると、要は安定して持続的な「自分はこういう存在だ」という意識のことらしい。
アイデンティティの確立は青年期の課題だとエリクソンは考えていた。思春期に自分は何者なのかという課題に向き合い、それを乗り越えるなかで自分のアイデンティティを確立していく。それがうまくいかないと同一性拡散という自分が何者なのかわからない崩壊状態になり、様々な精神的な疾患を生じさせる。
このアイデンティティだが、単に個人の内で完結するものではなく、社会との相互交流の中で、社会に自分自身を位置付けるようにして形成される面も大きい。それは例えば、自分自身を特定の言語と結び付けるとか、特定の国と結び付けるとかして、「自分はこの国の人間だ」というアイデンティティを形成する場合などに起きる。性別もこの関連で扱われる。
この社会には主に二つの性別グループがあって、良し悪しはともかくとしてそれぞれ違う扱いを受け、違う行動傾向を育んでいる。思春期の体の変化に気持ちが追いつかず、いきなり「男」や「女」を期待されて苦痛を覚えた人は多いと思うけれど、そうした人はアイデンティティの確立が始まる時期にまさに自分と性別グループの結び付けという課題の解決に困難を覚えていたのだろう。でも多くの人は思春期を過ごす中で遅かれ早かれ少しずつこの課題を乗り越え、安定した仕方で自分と特定の性別グループを関連付け、その性別の人間としてのアイデンティティを確立する。
gender identityというのはこの話だ。多くの人は青年期にアイデンティティを確立する過程の一部として、葛藤を乗り越えながら自分と特定の性別とを結び付ける自己理解を発現させ、それで心理を安定させる。
性別に関してややこしいのは、こうした青年期の課題としてのアイデンティティの確立とは別に、子供の頃に決められ、周りからの識別に使われるラベルとしても性別が機能している点だ。だから、gender identityの確立は単にアイデンティティを安定させるだけでなく、すでに与えられているラベルに即したアイデンティティ形成を期待されるという面もある。多くの人は多少の葛藤はあれど、これらをいずれも遂行していく。こうして人はシスジェンダーに育っていく。シスジェンダーの中にも葛藤が他の人より長引いたり強かったりする人もいて、そうした人は性別違和に似た感覚を覚えたことのあるシスジェンダーになるのだろう。
けれど、ごく稀に何らかの理由でそれがどうしてもできない人がいる。つまり、性別に関してあらかじめ与えられたラベルに従おうとするといつまで経ってもアイデンティティが拡散し続け、心理的な症状を生じさせる人だ。言い換えると、性別違和を感じる人だ。そうした人の中には、周りから期待される性別と異なる性別に自己を結び付けて初めてアイデンティティが安定する人もいる。ただ、その場合でもそのままでは周囲がそのアイデンティティを承認してくれず、社会と摩擦が生じ続けるし、自分のアイデンティティもその都度疑われて安定しづらくなる。だから、摩擦が生じないように見た目を自分と結びついている性別の人間として周囲に承認されやすいものに変えていくことがある。これがトランスジェンダーだ。
中には、どちらの性別グループとも安定した結び付きを形成できない人もいる。そうした人たちの中には、ノンバイナリーという新しいグループの一員として自己を理解したらアイデンティティが安定する人もいる。
一人の当事者に過ぎない非専門家の素人意見だけど、性自認というのはこういうものだと私は考えている。
この考え方だと、反トランスの右派がトランスを攻撃する中で持ち出してくる「トランスエイジも認めないとならないのか」という議論の馬鹿らしさも見て取れる。特定の年齢や年代であることというのは常に流動的で、青年期における安定したアイデンティティ確立の課題には関わりようがなく、例えば18歳としてのアイデンティティを葛藤を乗り越えて獲得するなどといったことはなされない。なので、そもそもアイデンティティには年齢という要素は入っておらず、それゆえ割り当てられた年齢と年齢自認のギャップなどというものは生じない。性自認を単なる自称に貶めるためのレトリックに過ぎない。
トランスレイスも反トランスのレトリックで頻繁に持ち出されるけど、こちらについては人種アイデンティティのことに詳しくないからよくわからない。ただ、人種が養子とかでなければ多くの場合で親から子へと引き継がれるがゆえに、その家庭の人間としてアイデンティティを形成することとその家庭の人間にはない人種の持ち主としてアイデンティティを形成することが矛盾し、安定したアイデンティティに向かわないとかはあるかもしれない。そうすると、性別の場合と違ってトランスが、不可能かはわからないけどかなり困難になるだろう。
絵師やその取り巻きの界隈がよくいうセリフに「絵柄パク」ってのがあるけど、あれマジで意味わからん概念だよね
AI関係の議論が活発化したのと比例して「絵柄をパクるなー!盗むなー!」みたいな主張も増えたようだけど、そもそも反AIが蔓延る前から絵師界隈ではよく絵柄パクについて学級会が行われていたように思う
本気で不思議なんだけど、絵師様って自分の絵柄は自分だけのものだと本気で思ってんの?
もっと言えば、自分の絵柄は過去のどの絵柄も模倣していない唯一無二のものだと本気で信仰しているの?
芸術全般に言えるけど、あらゆるアートはスタイルの模倣から始まっている
例えば文学なら自然主義とか新感覚派とか派閥の中で相互にスタイルを模倣し合ってそのジャンル内で色々な創作物を作り上げてきた
映画だってヌーベルバーグとかヒッチコック風とかスコセッシ風とか基本的には先人の作った映画のスタイルを模倣してそれを受け継ぐことで新しい芸術を生み出している
絵師様はダリはキリコのパクリ!とかヒプノシスはマグリットのパクリ!とか言っちゃうわけ?
今の絵師様の描いている絵なんて大概は大友克洋の丸パクリだよ?
大友克洋が切り開いた漫画における写実表現の先に桂正和がいて、そして桂正和が切り開いた「顔はアニメ調で体はエロテックな写実表現」って画風の先に今の絵師様の絵柄があるわけで、そこらの絵師様の絵柄ってのは先人たちの模倣の域から全然脱していないわけじゃん
先人たちの積み重ねてきた画風を丸パクリしておきながらそのことを自覚せず「絵柄パクは犯罪!」ってのたまう絵師様は流石にいくらなんでも傲慢が過ぎると思うよ
じゃあ今すぐ自分がこれまで読んだ漫画の作者なり見てきた画集の作者なりに謝罪しなよ
自分の糧になっているはずの先人たちの芸術作品に敬意も持たず自分の絵柄を自分だけのものだと思い込むのは大げさに言えば芸術活動を貶める最低な振る舞いだよ
AIなんかよりもその振る舞いのほうがよっぽどイラストの価値を毀損しているし、何なら一般層に嫌悪される最大の要因だとすら思うわ
絵師様やその取り巻きが模倣という行為に対して発揮する敵愾心は本当に異常
あれって一体何なんだろう
まがりなりにも『絵師』を自称するなら絵柄をパクられたときには「俺の芸術のスタイルに追従者が現れた!やったー!」って喜ぶべきでしょう
俺自身、AIについては色々と議論すべき部分も多いだろうとは思ってる
でも、絵師様特有のこの内向きに閉じた教養のなさ、傲慢な思考ってのが垣間見えるたびにAI規制論は絶対に支持されないだろうなって暗澹たる気持ちになる
言葉が差別的だと言うなら、その言葉は特定の社会集団の社会的地位を貶める働きをしないといけないはずなんだけど、「キモい」って別に元々男性に限って使われる言葉とかでないから、それを使うことで男性という集団の社会的地位が落ちたりしてないと思うんだよね。そういうのを差別とは言えない。
これが社会的弱者に配布された指紋認証のスタンガンとかなら本当に弱者に配られた弱者だけの武器かもしれないけど、キモイなんて言葉なんだから弱者の武器!強者は使っちゃいけませーんとかいくら言っても強者も普通に使うでしょ。
で、キモイって言葉は被害者の言葉だから使っていい、使われた方が悪いのだから態度を改めないといけないって風潮がネットの中だけでなく現実にも広まったら?
キモイって言ってる方が被害者なんで。キモイって言わせるお前が悪いんで。キモイやつにキモイって言って何が悪いの?事実でしょ?悪いのはキモイお前だろ?謝れよ。
弱者が強者に渾身の拒否として「お前キモイよ」って言い返しても「は?お前の方がキモイよ。みんなそう思うよな?wwwホラお前の方がキモイってよwww」で無効化される。それができるのが強者だから。
実際自殺の理由の一つにキモいと言われたことを挙げてる遺書だってあるだろうよ。
強者の男が弱者の女にも弱者の男にも使うし、強者の女が弱者の男にも弱者の女にも使うし、弱者同士でも使われるだろうね。
結局弱者を苦しめるのに使われるだけ。
だから原則としてキモいやそれ以外の他人を貶める悪口は使っちゃいけない言葉、使う方が悪い言葉にしなきゃいけないんだよ。
仲間内の悪ノリとかは構わないし、痴漢にあった人とか咄嗟に取り繕えない極限状態にいる人がが言うのは仕方ないと思うけど。
キモイなんて呼吸のように使ってるw俺は傷つかないから言っていいwとか言ってる奴は他人の悪口を躊躇なく言うような下品で軽蔑される人扱いして使う人を減らさないと、弱者が攻撃されるの。
弱者なんかいくら苦しんでも知らんから俺僕私は武器として自由に使うって主張はいくらでもしていいと思うよ。実際禁止はされてないし、主張するのは自由だし。