はてなキーワード: 固執とは
もしかして、意図的に話をずらしてるんじゃなくて、ホントに視野が狭いだけなのか?
「不謹慎な言葉を身内で流行りとして使う空気が対戦ゲーム界隈に多い」って話をしてんのに
「プロが失言した実例を上げろ」ってズレてるにも程があるだろ。
クソみたいな身内の流行りも、ただのゲーマーなら別に問題にするほどの事でもないよ。
ただ、そういう身内の流行りにどっぷりつかってるゲーマーをいきなりトッププロに引っ張り上げるe-Sports界隈の状況が問題なんだよ。
他ジャンルで言えば、プロだけじゃなくてアマチュアから階層がきっちり組みあがってるから、プロになったルーキーの時点でそれなりに篩に掛けられてるし
最下層からプロの階段を上がっていくにつれて、稀にいるプロにふさわしくない言動をするヤツは篩にかけられて消えていく。
それに対して、e-Sportsはプロの階層が薄いからそれが出来ないんだよ。いきなりトッププロ階層もしくはそこに近いところに担ぎ上げられる。
e-Sports界隈特有の事情というかなんというか、1社で1競技をバラバラに担いでるのが最大の問題だと思うんだよね。
他ジャンルの競技のプロ階層が何故厚いかというと、複数の企業が1競技を支えてるからe-Sportsより各競技のパイがデカいし競技の寿命が長い。
e-Sports界隈によくある「競技を支えてる1社が予算を削ったらその競技は廃れていく一方」っていう問題が他ジャンルでは起こらない。
トヨタやホンダが撤退してもF1は消えないし、もしナイキがランニングシューズ作るの止めてもトラック競技は廃れない。
LoLとかCSのような単一タイトルを長く支えている企業だって、今は上手くやっているように見えても同じ問題点を抱えてる。
そこがおそらくe-Sportsの根本的な問題点だし、それがプロ競技シーンが広がらない原因になっていて、最終的にプロ階層の薄さにつながっていく。
e-Sports界隈では有名なLoLのユーザー数がいくら増えてもそれは「街中の草野球まで含めた全野球競技人口をカウントしてる」みたいなもんだ。
車メーカーがレースレギュレーションの車とは別に市販車を作っているように、ナイキがトッププロ用の靴とは別に一般客向けの靴を作っているように
ゲーム会社もプロ用の競技タイトルと一般消費者向けのタイトルを分けて、プロ用の競技タイトルは複数社で仕様決めて作るべきなんだよ。
1つの競技シーンを広げて、息の長い競技を立ち上げて層を厚くしてプロとしての階段を上っていく中で自然と篩に掛けられたトッププロが高い技術で競い合う環境を作るべきなんだよ。
それがプロゲーマーの身を守ることにもつながる。今のように「せっかくプロになったタイトルが廃れたから他タイトルに移る」なんて下らん問題は起こりにくくなる。
でも、e-Sportsを担いでる各社は、そんな遠い未来の話より目先の利益を優先するんだよ。
一時期、かなり大暴れしてたブクマカいたんだけど、急に見なくなった気がする
フェミ的な立場でジェンダー系のニュースにかなり固執して男性に対して攻撃的なブコメしてたイメージ
何かあったんだろうか?
映画のアフィブログとかもやってたんだけど、それも閉鎖されてるんよね
流石に垢バンになったんか?
先日、ガーナのアグボグブロシー地区の特集をテレビでやってた。世界中から電子機器のゴミが集まってくる「電子ゴミの墓場」と呼ばれている地区だ。
その番組の中で、現地の人は有毒ガスが充満するゴミの山からせっせと金属類を取り出してお金を稼いでいるといっていた。それが普通に働くよりもかなり稼げるらしい。だから生命・健康に害があってもやめない。やってることはゴミを拾ってきて、燃やして、金属類を回収して売ることだけ。文字を書けなくてもいいし、特別な技能も不要だ。支援の手を差し伸べる人もいるがそれを拒絶して現状の危険だが稼げる仕事に固執する。
これ見てて構造がパパ活とか風俗とかそういうのと同じだなと思った。
生命や健康に危険があるけど、体を売った方が稼ぎがいい。一般的な仕事で使えるようなスキルは一切身につかないけど、お金は稼げる。だからやめない。一時的に一般的な仕事についてもスキルがないから賃金が低く、長く続かない。そしてまた体を売る仕事に戻ってしまう。やめられなくなってしまう。
手っ取り早く稼げるが危険で何のスキルも身に付かず将来性のない仕事は麻薬みたいなもんだ。
で、女にとってそれは体を売ることで、男にとっては毒ガスの中で働くことなんだな。
それってある意味セーフティネットでもあるのはないだろうか。何のスキルもなくても誰でもありつける仕事でそれなりに稼げるから生きてはいける。
先進国では上記のような毒ガスの充満する中での危険な仕事は高度技能職になって、何のスキルもない男には到底ありつけない仕事になってしまった。まぁいいことなんだろうけど、何のスキルもない男が生きていくには不便になったともいえる。
女の方の体を売る仕事はまだ健在だ。でも将来的にはなくなっていくのかな。それとも買う男がいる限りなくならないのかな。まぁなくならないよなぁ。
なんだよね。
「ここは俺たちの考えた素晴らしいルールのもと運営されているんだ。古参はここでは新参より格上なんだ」って意味だと勘違いしてるアホが稀にいるから困るんだけどさ。
独自のルールが蔓延っていて、それにやたら固執するキチガイのノイジーマイノリティっぷりに配慮しないと成立しなくなった場なんて本当はもうとっとと捨て去りたいんだよね。
ただ他にもっと適した場所がないから仕方なくて使っているだけで、造語症と俺ルール拗らせた糖質の相手を新規にまでさせたくないから「客観的に見てどう思いますか?」と尋ねる意味で「半年ROMれ」と言ってきたわけで。
10年近く「2~3年程度で効果が出る、過去に例を見ない大規模金融緩和」を続けたうえで
現状の景気なわけだけど、「目先の円安のために金融施策を動かすのは愚の骨頂」って意見を目にすると
なんか微妙な気分になるんだよね。
主張が間違っていたって実証されててなおかつその策に縋ってんのどうなのよ、と思う。
ホントなら足引っ張られる前に効果が出て打ち切ってなきゃおかしいんだよね。
ただまぁ、日銀総裁になる前の威勢の良かった黒田さんと今の黒田さん見てて思うのは
今の黒田さんを引きずりおろすために昔の黒田さんみたいな真似してくれる人なんか出てくるんだろうか、とは思う。
「動かない日銀が諸悪の根源」から「日銀だけが動いてもたかが知れてる」に一歩前進したことだけは成果として認めざるを得ないと思う。
前提を共有する努力を怠った。いくら私の中で自明だからといって説明しないとそりゃ誤解されるのは当然だ。
反論で「フェミニズム」は負けてないし勝ってるっていう意見が多かった。これについては完全に同意。
格ゲーでいうと「フェミニズム」は使用キャラで、「ツイフェミ」はプレイヤー。
ツイフェミは「フェミニズム」という強キャラを使って自分な嫌いな表現をたたいてる連中のことを指す。
具体的に言うと今回の国連たわわ問題の准教授さんや、突撃オタクの車いす対策!問題の伊是名さん。ローザ・パークス気取りで行動したけどただの迷惑客になってしまったのは、根本的に差別というものについて理解が足りないからだろうね。
あと、彼女たちがやっていたことを擁護している人たちもツイフェミさんと認識してる。
この人たちは、明確に自分がルール違反をしたのに「フェミニズム」を印籠としてその不正行為に開き直ってるのが良くない。短期的な勝ちに固執していると感じた。
かぐや様は告らせたいの藤原書記がやるんだったら可愛いねですむんだけど、現実で同じことやるなら石上くんにネタにされるのは当然かなと。
アンチフェミ側にも同じようなやつたくさんいるというのは元増田でも述べたとおりだよ。でも攻め入る側はただの蛮族で終わりたくないならもう少し賢くないとね。
男社会がどうして労働搾取に満ちてるのか、専門性や当事者性が無くても分かるように男が語ってみるわ。
日本の子供達の多くは、死ぬ気で一番になれと急かした父母への思慕から脱皮できずに大人になったからだよ。
そうやって育った経営者達はその「一番」に固執し、身の丈を考えない無理な経営に走ってんだよ。
労働者達も共に会社を一番にするため、経営者に脅されながら出世競争に乗せられ、無理な労働を強いられている。
こうした無理強いの結果として、労災や職場いじめが頻発している。
それで、その「一番」の文化に、全く女性が加担していないと思う?
最近は減ったが、ママ友に馬鹿にされるのを恐れて、勉強しろ、出世しろと過剰なプレッシャーをかける母がまだまだ多いだろ?
一方、子供と共にのびのびと、子育てに必要十分な収入で幸せに暮らしている夫婦も大勢いる。
2人で抱え込まずに、親戚ないしは地域、インターネットで助け合えば、なんとかなるしな。
雑記になりますがなるべく整理して話そうと思います。読みにくかったらすみません。
以下本文
最近、街中で以前より多くの頻度でスポーツタイプの自転車を見かけるようになりました。その最も大きな要因としては、やはりコロナがあるでしょう。「密にならない交通手段」として注目され、加えてこのような接触しないタイプのレジャー注目されました。また、スポーツタイプの自転車が比較的安価で手に入るようになったこともサイクリングが人気になっている要因の一つだと思います。エントリーモデルのクロスバイクなら、メーカーにこだわらなければ5万円前後で買えるようになりました。(今年に限ってはなんか値上がりしてますね)また、サイクリングロードの整備等自治体もこのような変化を後押ししています。(つくばりんりんロードなど)
これらの影響によりサイクリスト人口が増加している現状ですが、問題も少なからず発生しているようです。例えば、多摩川サイクリングロードでは自転車による接触事故が過去に発生していました。また、レジャーとしての”サイクリング”には当てはまらないと思いますが、危険運転を繰り返す某宅配サービスの自転車について最近TVでよく取り上げられていました。更に、具体的な事例や重大事故のみならず、これを読んでいる方が車を運転したことがある方であれば車道で中途半端な速度で走っているロードバイクに対し邪魔だと感じたことがあるでしょう。とにかく、自転車というのは二大交通者たる”歩行者”と”自動車”のどちらにも属さない中途半端な性質上、公道で走る際には多かれ少なかれ問題が発生します。
さて、ここまで現状のなんとなく私が感じている現状を主観的に書きましたが、これらはロードバイク乗りが「ルール」を守って乗れば解決する話なのでしょうか?私は、そういう単純な話では無いような気がします。というかそもそも、レジャーやスポーツとしてのロードバイク乗り(以下ローディー)はルールを守っていないのでしょうか?私は、一般的にローディーは"ルール"に対して厳格であると考えています。例えば、サイクリングロードに行くと分かると思うのですが、彼らの多くはかなり自身を守るための装備のみならず、自身の存在を周りに伝えるための鈴やライトをしっかりと装備しています。また、車道を走る際にはほとんどの自転車はしっかりと二段階右折を実施しており、さらに「原則として車道のここを走りなさい」というような法律上の規則も守っています。そして、車道で彼らはよくハンドサインを使い、車とも積極的にコミュニケーションを取ります。更に、走るという部分からは外れてしまいますが、輪行の(自転車を電車に積んでどっか行く)際には、JRが定めている大型荷物の輸送の規則に厳密に従っています。そしてこれらのルールについて、ローディーは彼ら同士がそれを守っていない人を見つけるとそれを互いに指摘しあえるような自浄作用を持っています。これらのことから、私はローディーは一般に”ルール”に対してはかなり厳格であり、更に自浄作用も良い感じで機能していると思います。
一方で、”マナーの良さ”はあまり感じられないような気がします。まずそもそもですが、どこをどう走ろうが「30 km/h巡行」のようなことは邪魔です。車道にいたら、それはそれで車からしたら邪魔ですし、歩道にいたら歩行者からは恐怖でしかありません。また、多くのローディーはこれらの自分以外の交通者(歩行者・自動車)がどう感じているのかに対して極めて無頓着であり、彼らの多くは車が来ても頑なに車道の邪魔になる部分を走り続けています。車を運転する皆さんは、抜かせそうだけど抜かせない微妙な速度で走るローディーにフラストレーションを感じた経験が一度はあるでしょう。また、先ほどは「歩行者のいるサイクリングロードでは鈴やライトで自身の存在を周囲に知らせる」と言いましたが、これ自体がそもそも怖いと感じることもあるでしょう。ピチピチのサイクリングウェアを身にまとった人間が猛スピードでライトを点滅させ、鈴を鳴らして来るわけです。怖いですよね。そして、そもそもですが彼らの多くが交通手段としてロードバイクに乗っている訳ではなくレジャーや競技として乗っているため、「公道で練習すんなよ~~」という気持ちになることもあるでしょう。
ただ、これらの”マナー”も何も彼らの民度が終わっているからそうなっている訳では無いと思います。例えば「ローディーは車が来ても少しも内側に避けてくれない」と言いましたが、歩道と車道の境目には排水溝が多くありそこには雨水で流されてきた多くのゴミが溜まっています。パンクを避けるためにそういう場所を通るのをローディーは避けたいのです。また、単純な話ですが自転車での加減速はかなり大変ですから、歩行者のいるサイクリングロードであってもいちいち人を発見するたびに減速・加速をしてられないのです。そして、車道を走っているローディーの多くはそもそもルールを守って車道側で走っているわけで、「40制限の道路で60とか出してる車こそ」という言い分もあるでしょう。周りからしたらあまり”マナーが良くない”と思われてしまうようなローディーの動きも、彼らが彼らなりに見つけた最適解である可能性が高く、これらは彼らなりに周りに気を遣った結果だと思います。
このようなマナーについての認識のギャップが生まれてしまう原因として、ローディーは”ルール”という形而上学的なものに固執しすぎている点にあると思います。例えば、公道でハンドサインを利用しているローディーを見たといいましたが、そもそもそのようなサインが分かる交通者は少ないでしょう。(一応車の免許持っている人は知らないとまずいのですが)また、自転車の通行場所についても、誰もいない見通しのいい歩道があるのに態々幅の狭い白帯の付近を走ることもないでしょう。ろくにスピードの出ない上り坂であれば尚更です。また、彼らは”ルール”を守るということについての自浄作用が強いと言いましたが、少しその”ルール”に固執してしまう傾向があるようです。以前、「輪行警察」というようなものが少しネットで流行ったことがありますが、満員電車にやばい梱包して突撃するようなレベルでなければ本人に何も言わずにネットに晒すことも無いような気がします。確かに、当然そのような”ルール”に対して厳密であることは自己防衛の一種でもあり、昨今の自転車乗りにとって窮屈な現状に対してそのような対応をすることは重要です。しかし、もう少し上手くできないのかと思わなくもないものです。
そもそも法律に代表される”ルール”というのは慣習というか公序良俗に即した形で尤もらしい形で形成されていくものであり、それに対して成文的な形が付加されているということに過ぎません。ですから、紙に書いてある”ルール”を守っていても現状の交通事情に照らし合わせて明らかにまずいことをしていたら、やはりそれはまずいことに変わりはありません。このような場合が続けば、いくら”ルール”を守っていても更に規制を強化するということになりかねません。(軽車両通行禁止等)
と書きましたが、正直現状の交通事情がそもそもロードバイク乗りに対して半端すぎるということも否めません。この前驚いたのが、横須賀一周ことスカイチで通る三浦海岸の道は、そのほとんどが片側一車線のあまり広くない道に申し訳程に青い自転車通行帯の表示がされていたことです。こういうのを見ると、「流石に酷いなあ」と思ってしまいます。私は基本的には、交通量の多い道はそもそも行かないか当たってしまった場合は迂回します。ただ、サイクリスト側の人間としてはもう少しどうにかならんのかなあ~と思います。なんというかルールに加えて”マナー”まで守ると逆に立場を危うくしそうな感じがするのです。
細谷 雄一(ほそや ゆういち、1971年8月13日- )は、日本の国際政治学者。慶應義塾大学法学部教授。(法学)立教大学法学部卒 慶應義塾大学大学院法学研究科修士・博士
伊勢崎 賢治(いせざき けんじ、1957年7月6日 - )は、平和学研究者。東京外国語大学総合国際学研究院(国際社会部門・国際研究系)教授 早稲田大学理工学部建築学科卒 ボンベイ大学大学院社会科学研究科博士前期課程修了(後期中退)早稲田大学大学院理工学研究科都市計画専攻修了
https://twitter.com/isezakikenji/status/1514555737267404801
”自分たちは戦うのは怖いから 武器だけあげてウクライナの人々に戦わせて これは代理戦争じゃない 国際秩序のための聖戦だって賞賛するの なんか自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者みたいだな そこの学者”
https://twitter.com/Yuichi_Hosoya/status/1514567243836932098
”開戦前に、ブリンケン国務長官が直前までロシア政府に、戦争に突き進まぬよう交渉をして説得していたのにもかかわらず、アメリカの「代理戦争」という陰謀論に固執する根拠を、大学教授という学識がある専門家である以上、きちんと一次資料を示してほしい。”
”そもそも学部時代の学位が建築学で、大学院の修士号が都市計画専攻と、学部でも大学院でも一切、学問的に国際政治学や平和学を研究した経験がない方が、なぜそこまで断定的に「陰謀論」を流布しておられるのか、なかなか理解が難しいのですが。もう少し専門家の知見から謙虚に学ぶ姿勢を示すべきでは。”
”そして、やくざじゃないので、大学教授が、「なんか自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者みたいだな そこの学者」という相手を煽るような言葉を使うべきではないのでは。私が「そこの学者」に該当するかどうかは興味ないですが。”
”そして、「自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者」って、おそらくはイスラム教聖職者を差していると思いますが、大変失礼な言葉ではないでしょうか。平和構築や和解を職業とする仕事をしていた方の言葉として、とても残念です。”
https://twitter.com/isezakikenji/status/1514613172480577543
””代理戦争”がお気に召さぬなら「史上最も卑怯な代理戦争」と言い直しましょう。既にNATOとは綻びが出始めております(↓)。まだ米国は頼られているようですから武器供与の停止を人参にバイデンが「停戦」に向けて動けばいいのです。オデッサが奪われ内陸国化する前に。”
”お。なんか声届いているんだね。よかった。”
もしかすると正しくは「みんな違ってみんなダメ、雁首揃えて全員ダメ」だったのではないかと思うのだ
同性愛傾向を自覚してからの鬱に転げ落ちた自分は、ある日突然なぜか
「俺はダメ、お前もダメ、あいつもあいつもあいつもみーんなダメ、そしたらもうダメなりにやっていくしかねえな」
と変な方向にスイッチが入り、その勢い(と家族のサポートと薬の力)で社会復帰したのだけど、
標語という形で外の人間に「お前はいいのだ」と肯定され、どうしてもいいとは思えない自分を肯定しなければならなくなる辛さというのは、
-----
「あいつは平均的で一般的な"正常なセックス"に固執する倒錯した変態」
「じゃあもうしょうがないな! 法には触れてねえし好きに生きていこうぜ!」
アイドルをほめるときに「アイドルのレベル超えてる」とか「アイドルじゃなくてアーティスト」って言葉をファンでも使う
歌手に歌手のレベル超えてるとか使わないし、芸人に芸人のレベル超えてるとか俳優のレベル超えてるとか使われているのをあまり見かけない
それって結局ファンすらも「アイドル」をいろいろな物事の"下"に位置付けているということだと思う
アイドルを潜在的に嫌っている人が多いのか、むしろ好きだからこそ…なのかは知らないが、なぜそこまでアイドルを超えることに固執するのだろうか?
すごい=超えてるっていったい何なんだろう?
アイドルがちょっとかわいい曲をやるとアイドルなのに"アイドルっぽい曲"とか言われたりするし、最早無茶苦茶である
声優も歌で"声優のレベル超えてる"とか似たようなこと言われてるけど、また声優もアイドルを見下す発言をしているので、結局アイドルはどこでも見下されている
これは被害妄想じゃないと思う。