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はてなキーワード: 家庭裁判所とは

2021-04-10

法律って最悪だな

 平成に入ってから裁判所に誰も尊敬できる人がおらず、相当前から内容が悪かったからその流れで悪化するのは当然だが、もはや平成人間

    誰も食いつかない理解不能かつ自己中心的で身勝手怪文書しかない。 

     なんでこのような誰も食いつかない怪文書作成にまい進できるのか分からない。ましてこのご時世に意味もないのに60歳や80歳の遺産相続などの

  問題家庭裁判所でだと?

     地獄にも程があるわ

2021-03-18

anond:20210317131201

「長女がダウン症なんです。とても育てられないので特別養子に出したいと思うので、お願いいたします」

 

岡田は親が育てないと言っている以上やむをえないと判断し、その子を引き取って不妊症夫婦に託した。その後、家庭裁判所申し立てをしたが、調査官が実親のもとを訪れて調査をした。家が経済的に豊かであり、長男を育てていること。それに長男が「妹に会いたい」と言っていることなどを突き止めた。そして、特別養子を認めるまでの理由にはならなず、実親が責任をもって育てるべきではないかと指摘された。

なるほどね。

いくら親が育てられないと言っても、本音は単に育てたくないだけで経済的には豊かだったのか。

そりゃあちゃんと育てさせなきゃ。

しろ本音では育てたくないと思っている親にこそその子を育てさせることで、嘘を吐いたことに対するペナルティ効果も発生しそうだ。

裁判所も考えたものだね。

2021-03-17

増田では優生思想(笑)ネタしょっちゅうやってる 1億回目 anond:20210317181259 anond:20210317181705

IQ2のブクマカが好きなネタから

 

ただし自己選択から徹底的に逃げるのでこういう話題は嫌いでスルーだよ

○ 育てられない子供を引き取るNPO法人が感じている「ある変化」

この特別養子縁組に出される赤ん坊に占めるダウン症の子の率が年々増えてきているという。Babyぽけっとの代表岡田卓子は言う。

「当団体を立ち上げた当初は、今ほど障害児の割合は高くありませんでした。けど、特別養子縁組を行う団体認知が広がったことで少しずつ増えてくるようになり、最近では出生前診断で異常がわかったあとでうちに問い合わせをしてきて、『産んでも育てられないので、そっちで引き取ってくれないか』なんて言ってくる人も出てきました。赤ちゃんの顔を見る前から特別養子に出そうとするのです」

 

夫婦ダウン症の子育児負担だと思うのは自由です。でも、何カ月か育ててみてダメだという結論に至って特別養子に出そうというのならわかるんですが……出生前診断の結果だけで判断したり、保育器越しに何回か見ただけで育てられないというのはちょっとちがう気がする。出産直後に目に見える障害だけで判断しないでほしいというのが本音です」

障害は、生まれてすぐに判明するケースだけにかぎらない。知的障害にせよ、発達障害にせよ、二歳くらいになってようやくわかることも珍しくない。

また、五歳、六歳になって先天的病気が見つかったり、難病になったりすることだってある。

多くの夫婦は、障害病気が後からわかっても子供をかわいがるし、育てていこうとする。こうしたことを考えれば、なぜ出生前診断の結果だけで簡単に手放してしまうのかと岡田が感じるのも当然だろう。

裁判で認められなかった例

その夫婦はそれなりの仕事についていて高給をもらっていて、一軒家を構えて暮らしていた。長男が一人おり、その下に生まれてきた長女がダウン症だった。

母親ダウン症の長女を授かったことに動揺を隠せなかった。幼い頃にきょうだい事故に遭って障害を抱え、苦労した体験があったのだ。この子を引き取れば、家庭が崩壊してしまう……とまで思ったという。

 

母親は夫を説得してから、Babyぽけっとに連絡をした。そしてこう頼んだ。

 

「長女がダウン症なんです。とても育てられないので特別養子に出したいと思うので、お願いいたします」

 

岡田は親が育てないと言っている以上やむをえないと判断し、その子を引き取って不妊症夫婦に託した。その後、家庭裁判所申し立てをしたが、調査官が実親のもとを訪れて調査をした。家が経済的に豊かであり、長男を育てていること。それに長男が「妹に会いたい」と言っていることなどを突き止めた。そして、特別養子を認めるまでの理由にはならなず、実親が責任をもって育てるべきではないかと指摘された。

 

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58860?page=2

2021-02-26

夫婦別姓のせいで家族を失った、別姓論者は死ね

3年前私は夫婦別姓選択して結婚した、といっても法律婚ではない別姓なので事実婚

周りから同棲と何が違う?と言われないように結婚式もあげた、合計300万くらいかかったが夫が全部出してくれた

結婚生活には大きな不服は無く子供は出来たらいいね~程度でセックスをして子供ができた

結婚する前の事前調査事実婚だと子供は私の姓になることがわかっていたので当然のように子供は私の姓にすると思っていた

だが生まれる直前になって夫が子供自分の姓にしたいと言い出した、

そっちが姓を変えるならするよと答えたが夫は拒絶した、当然だろう、それがお互いできるなら初めから法律婚選択している

そこで夫が出してきたのが家庭裁判所許可があれば夫の氏にできるということだ

そんな簡単許可下りものなのか私は疑問だったが夫はできると強弁した

ならばと一人目は私の姓で、二人目は夫の姓にしてはどうだろう?と提案もしてみたが夫は逆が良いという

私は結婚から子供は私の姓になるとお互い了承していたじゃないか絶対に譲らなかった

から考えるとなんでそんな事にヒートアップしたのかわからない

結局離婚実家に戻って子供を産んだ

もうすぐ育休が明ける、私は仕事に戻らなければならないが保育園は決まっていない、だが保育園が決まったら実家を出て東京に戻らないといけない

仕事にも東京にも戻りたくない、まだ立ち上がったばかりの子供を預けて自分仕事をしなければならないなんて気が狂いそうになる

そもそも仕事もそんなに好きじゃない、月末月初は毎回残業になり年末は12月31日まで仕事があるような状況に戻るとか正気の沙汰じゃない

なんであの時私は意地をはったんだろう、私がずっと欲しかったのは自分の姓じゃない、家族だったはずなのに

何故姓にこだわり家族を手放したんだろう

いや夫だってもっと早く法律婚じゃなきゃ絶対だって言えばよかったんだ、理解あるふりして今は夫婦別姓でいいと思うよなんて言わなければよかったのだ

でもそれだと私は結婚しなかったし子供もできなかった

子供ができたことは後悔していない、子育ては嫌いだが子供好きだ、いや他人の子供は嫌いだが自分の子供は好きだ、子供と別の姓になることは今でもやはり考えられない

どうか私と同じ底辺女性にだけは聞いてほしい、こんな状況になったからこそわかる

夫婦別姓はすべての女性のためにあるものじゃない、あれは強者女性強者性を維持するためのもの

私たちのような経済弱者夫婦別姓選択しても、私たち強者女性になることは無い

誰もそうしろなんて言っていない、お前がそう選んだだけだ、男が悪い、男を見る目がない、どうせ散々叩かれるんだろう

だけど私が家族が失う結果になった社会を育てているのは別姓論者だよ、私は社会被害者でお前らが社会加害者

2020-12-07

陰謀論のお手本

不倫とか納税とか、家庭裁判所税務署任せでいいゴシップ執拗に悪く見せて芸能人仕事させまいとせん勢いの報道、あれは国力を削ぐ目的をもった海外諸国の息がかかった策略だぞ。

世間に対して「悪いこと」と再確認させる以上に本人への制裁の側面を強くして、高額納税が見込める日本国籍日本企業所属芸能人をどんどん減らしていくんだ。そうして日本への納税額を減らしていく。

他方海外企業が連れ込んできたアイドルをどんどん活躍させてジャパンマネーをどんどん海外送金するんだ。そうして日本エンタメを「日本の国力を減らしつつ諸外国資金生産装置にしていく」壮大な計画なんだ。週刊誌ときに騙されて踊らされるなよ!

これくらい「ちょっとあるんじゃないかなー」と思わせるくらいじゃないとだめだよ赤木夫人だまくらかした野党左翼の元アベガーさんたち…

2020-11-30

結婚ってそんなに良い物なんだろうか?」と思ってしま理由

結婚に対して、思った事を思うまま日記に書き記していきます

はじめに、私は今現在誰かと結婚している訳ではありません。

結婚という物に憧れがなかった訳ではないけれど、ある時期に「あ、私にはきっとこれは無理だ」と自然と悟るようになりました。

人間が最も身近に知る結婚している人間というのは、自分の親だと思います。私にも両親が居ました。

両親は夫婦として数十年生活を共にして、離婚こそしてはいなくてもお世辞にもあまり夫婦仲が良好だったとは言えませんでした。

私が小さい頃に私は良く知らない理由家庭裁判所のお世話になった事も、数年別居していた事もあったそうです。

世の中には様々な事情で片親だったり親が居ない家庭で育った方も居ると思います

そういう人達の中には、自分が親の愛情を知らないからこそ誰かと幸せな家庭を築きたいという強い願いを持つ方も少なくないと聞いた事があります

私は両親のどちらも欠ける事の無い家庭で育ちましたが、両親の姿を見て結婚夫婦が素晴らしい物だとはとても信じられませんでした。

父は私の目から見ても父の母、私から見れば父方の祖母とべったりでいつも伴侶より自分の親を思いやり大切にしているように見えました。

母はそんな父の事が嫌だったらしく、性格の合わない姑と時には掴み合い殴り合いの喧嘩までする事もありました。

から見れば父も母も祖母も皆大切な家族なのに、三人にとってはそうでもなかったようでした。それでも、三人とも私には優しかったです。

父は変則的勤務形態関係で、毎日家に居るという事がありませんでした。朝に家を出て、次の日の朝に帰ってきた父は疲れて良く自室で寝ていました。

休日自分習い事旅行に使って、自分パートナーに対する家族サービスを行う事はあまり無かったと思います

時々父と母が二人で旅行食事に行ってもどうしても意見性格の不一致から喧嘩を始めてしまうので、もう関わる事が嫌だったのかもしれません。

母は父に対する恨み言をいつも言っていました。私は母と過ごす時間が長かったので、その母の恨み言を疑う事なく受け止めていました。

その恨み言の真偽は私が生まれる前の事や記憶曖昧な幼少期の物も多いのでよく分かりませんが、概ね母の言う通りなのだろうと思っています

母は結婚してから何度も父に裏切られたと言い、父と結婚した事を後悔しているように見えました。別居の事もそうですが、離婚真剣に考えていたようです。

私は母に「もう父さんと離婚したいけどどう思う?」と聞かれた時、「お願いだから離婚しないで」と泣いて言いました。私は家族は仲良く暮らす物と信じていて、離婚したらもう父とは会えなくなると思ったからです。

ひょっとしたら一番の理由は母が父と離婚したら、きっとこれから生活に困窮するかもと心配だったからかもしれません。まだ義務教育を受けている最中だった私は、学校を出てすぐに働く自信がどうしてもありませんでした。

私が強く反対した事で母も思い留まってくれましたが、それからも母は嫌っている夫と姑と同居する生活を送らなければなりませんでした。私の我が儘のせいであの時母の人生を棒に振らせてしまったしれない、と今でも思っています

私は物心が付いてから数年間、父が傍に居ない生活を送っていました。夫と別居をしている間母は地元に戻っていて、私にとっては母方の祖父が数年だけ父親のような存在だったのかもしれません。

どういう事情があってか母がまた父の元に戻って、そこで初めて自分父親意識した気がします。確かに自分父親である筈なのに、何故か少し距離を感じました。

「この人は自分父親なんだろうな」と思っているのに、どうしても「この人は本当に自分父親なんだろうか?」とも感じずに居られませんでした。

父は私の母はともかく、自分の子である私は可愛がってくれました。私に父から怒られた事はあまりありませんし、自分でも居心地が悪いと思うほど甘やかされました。

祖母自分の孫である私は可愛がってくれました。母と折り合いが悪かったらしいですが、私にとっては優しいお祖母ちゃんでした。その事が、母には私を取り込もうとしているように感じられてとても不愉快だったそうです。

父には母の他に好きな女性が居たらしく、その女性と遊びに行くのに幼い私を連れて行った事があったそうです。もし母と離婚したらその女と再婚する気だったのだろう、と母は言っていました。

私は幼かったので覚えていないのですが、父に連れられてその女性と遊んで家に帰って来た私が「今日知らないおばちゃんと一緒に遊びに行って一緒にお風呂にも入った」と言った時、家の中の空気は凍りついたそうです。

母も父が浮気している事は勘付いていたらしいのですが、まさか子供浮気相手の所へ連れていくとは思わなかったし、まず間違いないと思っていても疑惑確信に変わるのはとてもショックだったらしいです。

その事が原因で母は父と大喧嘩し、それが数年間別居する原因だったそうです。私は物心が付くか付かないかの時期にも余計な事を言って母を苦しませました。

母は父の元に嫁いでから、折り合いの悪い夫と姑と小姑に囲まれ精神的にとても追い詰められていたそうです。ある時パニック障害発症してからは、母は薬を飲まずには外出も出来なくなりました。

そこまで母を追い詰めた父と祖母は、少し前に亡くなりました。祖母は年齢相応に老衰で亡くなり、父は自分母親が無くなったショックからかその数年後に後を追うかのように癌で亡くなりました。

私は聞いた事が無かったのですが、本気か冗談か父は若いから母に「もしお母ちゃんが死んだら俺も死ぬ」と言っていたらしく、そこまで母親にべったりくっ付いている事も伴侶であるからしたら面白くなかっただろうな、と思います

父は進行性の癌でじわじわと弱っていきました。病院は嫌いだ、手術なんて嫌だ、延命治療なんて絶対しないという主張を曲げず癌が発覚した時からまり病院には行かず自宅で過ごす事を選びました。

体に癌が出来た父は固形物が喉を通らず、柔らかい物や液体以外は口から物を入れる事が出来なくなりました。体もどんどん弱っていき、最後は寝たきりで自分の力で喉に詰まった痰を吐く事も出来なくなりました。

母は、こういう事は子供には任せられないと、お風呂に入れない父の体を拭いてあげたりトイレのお世話をしていました。その時期になってから父はよく母に「すまんなあ」と言うようになったそうです。

その後父は日本人の平均年齢よりずっと若く、年金受給出来る年齢になる前に亡くなりました。本人の希望通り自宅の自室で穏やかに逝く事が出来ました。安らかな表情に見えました。

祖母が亡くなった時も、父が亡くなった時も、母は泣いていました。幾ら恨みがあっても長年一緒に暮らした人が死ぬとどうしても涙が出てくると、母は言っていました。

こうして私の母は数十年連れ添った夫とその母と死別しました。父は平均よりは大分早く亡くなりましたが、それでも自分の生きたいように生きられた満足な人生だったんじゃないかな…と私は思っています

私は母に「お父さんと結婚した事を後悔していないの?」と尋ねた事があります。母は「結婚する相手は間違えたかもしれないけど、私は子供が欲しかったし、今自分分身がこの世に居るから満足している」と答えてくれました。

そう言ってくれる事は子供としては救われるような気持ちになりますが、私には父と連れ添った母の人生がとても幸福とは思えませんでした。物心が付いた時から、私は母の夫と姑への恨みを聞いて育ったからです。

私は父と祖母には甘やかされて育ったので、自分感情としてはどうしてもこの二人を嫌う事が出来ませんでした。ですが、母の視点から母がされた事を考えると、父と祖母は母にとって良い人では無かった事も分かります

母は一度友人や父の知り合いに自分の悩みを訴えた時、「まさかあんな良い人がそんな事をするなんて嘘でしょう?」と信じてもらえなかったそうです。父は人付き合いが上手く、外面もとても良かったらしいです。

私も父とは距離を感じながらも、自分に優しくしてくれる父の事は嫌いにはなれませんでした。何だかこの人に親しみを感じるな…と思ってしま男性はいつも、父と同じように煙草匂いがして眼鏡をかけている人でした。

子供が出来たから満足だ、と言ってくれましたが私には母が父と結婚した事で人生台無しになった人のように思えてなりませんでした。母は今でも、父は付き合い始めてから子供が生まれるまでは優しかった、とも言います

父に母以外に好きな人が出来たのは、性格の不一致だったり夜の営みだの相性だったり、何か事情があったのだろうな…くらいの事は思えますパートナーに不満が無ければ、簡単浮気などしないような気がするからです。

から見ると母も父も祖母もそれほど悪い人には思えませんでしたが、この三人が嫁と夫と姑という関係性になると途端にギスギスと険悪な関係になってしまう事が不思議でした。何で結婚したんだろう?といつも不思議でした。

ところで私には年の離れた姉が二人居て、姉達も結婚をそんなに良い物とは思っていないようでした。この姉達は私が生まれる前、父が一番血気盛んだった時期に生まれたからか、父に虐待のような事もされた、と言っていました。

何故末っ子である私だけが甘やかされたのか、父も年を取って落ち着いたのと、二人の姉が母と一緒に私の面倒を見てくれて相対的に私が一番手のかからない子供だったから、という理由が大きいのだろうなと思っています

私達は煙草の煙を吹きかけられたり煙草の火を押し付けられた事もあるのに一人だけ甘やかされて良いね、と姉達に言われた事があります。父が生きていた頃、私一人だけ贔屓されたという事に罪悪感を持っていました。

この姉達も結婚という物に不信感を持っていて、特に一番多感な思春期父親浮気していた事に酷く傷ついて、父親男性に対して強い不信感を持ったそうです。私達はきっと結婚なんかしないんだろうなぁ、とも話していました。

その姉が、父が亡くなる前後に二人とも結婚しました。「え?」と思いました。だってお姉ちゃん、二人とも結婚なんてろくでもないって言ってたよね…?何で…?と思いました。

二人とも数年間お付き合いしていたお相手が居て、アタック男性の側から行ってきたそうです。妊娠を機に籍を入れたとかで、今では二人とも子供が居ます。私にとっては甥姪になります

姉達のパートナー家事育児も手伝ってくれる優しい人のようで、そういう意味では父とは真逆の人だと思います。父以外の夫・父親を知らない私には、そういう男性が居る事が少し信じ難い気持ちでした。

結婚したって、どうせすぐに相手の事を嫌いになって、違う人の事を好きになって、それから離婚するなり仮面夫婦を続けるなりどっちにしてもも夫婦には愛情が無くて…結婚って、そういう物じゃなかったの?

自分結婚して欲しい」と言ってくれる人が居れば、結婚したくなる物なんでしょうか。私が結婚という物にどうしても肯定的になれない理由は、私には結婚なんて無理だよな…という諦めがあるからかもしれません。

2020-11-25

anond:20201123215327

名義変更にかかる金銭的・時間的コスト

名義変更にはコストがかかる。資産名義変更にかかる多大な手数料金銭コストと言えるし、クレジットカードや各種証明書等の名義変更にかかる時間や手間は時間的コストとも言える。

現状の戸籍制度では結婚時に(国際結婚でない限り)同氏にすることが要求される。法律的には夫妻どちらの氏でも良いのだが、現状として妻側が改氏をする例が96%を占めることから夫婦同氏を求める現状の戸籍制度女性負担を強いる制度であるとして批判され、主に女性社会進出観点から選択夫婦別姓推進運動の大きな動機となっている。

しかしだ、よく考えてみて欲しい。名義変更にかかるコスト結婚時の改姓にとどまらない。離婚時にも改氏をする人はいるし、性同一性障害等の理由家庭裁判所許可を得て改名する人もいる。氏名変更により生じる多大なコストそもそも氏名を個人識別子として用いる社会問題がある。金融機関が悪いし、証明書やその証明に氏名を用いる多数の機関が悪い。選択夫婦別姓派は左翼だと揶揄されることがよくあるが、自分の姓をキープすることでこれらのコスト回避しようというのは極めて現状社会に対し迎合的であり皮肉にも保守的であるとも言える。選択夫婦別姓が実現するのは結構だが、それだけでは問題解決しない。選択夫婦別姓が実現した後もこの社会コストとの戦いは続けていってほしい。

キャリアリセットされる問題

現状の氏名変更によりキャリアリセットされる問題が指摘されている。しかこちらに関しては通称使用対応できるのでわざわざ戸籍制度をいじる必要性はない。よって選択夫婦別姓要望の論拠としては弱い。

研究者の業績がゼロになるといった誤った考えを持っている人も多いようだ。研究者論文本名を使う必要性特に法的に定められてはおらず、科研費申請等も旧姓研究名で行うことができる。業績一覧が必要になる機会、たとえば就職などにおいては氏名が変わろうが自分の業績であれば業績リストに入れておけばきちんと評価される。氏名の変更は日本だけの問題ではなく世界中どこでも発生しており、対策も色々と講じられている。結婚したらいきなり業績がゼロになるというのは嘘である

伝統家族観 v.s. 多様な家族観

同姓維持派は選択夫婦別姓により別姓の家族が生まれると「家族の絆が弱まる」と主張している。この論はバカにされることが多いが、実は否定のしようがない。これを頭ごなしに否定すると自分の靴も撃つことになるのだ。「姓が違うから家族の絆は弱まらない」という主張はある人にとっては真でも、そうでない人達もいるわけで、この論自体否定をすることは傲慢であると言える。同姓の方が家族の絆が強まると考える人は同姓を選択すれば良いという意見もあるが、別姓が可能になると本当は同姓にしたいと思っていても別姓を選ぶという人も出てくるだろう。

子供の氏を考えると話はさらにややこしくなる。法務省答申では結婚時に子供がどちらの姓にするかを選択できるようにするという方式が考えられているが、世界を見渡すと実に色々なものがある。子供一人一人に別の姓を付けることが可能なところもある。これは一体どこまでやるつもりであろうか。進歩的な国では子供の姓をどちらにするかで揉めることも出るだろうし、兄弟の中で一人だけ違う姓にされ疎外感を感じる子供も出てくる。家族の絆が弱まる可能性があるというのは子供も含めてのことだと言える。

2020-11-24

anond:20201124175651

定期的に子どもがどっちの姓を選ぶかでもめる話でるけども、とりあえず今の日本戸籍制度では、夫婦子どもが生まれたら「戸籍筆頭者の子ども」ということになる。夫婦別姓であっても、戸籍筆頭者は夫婦のどちらかなので、子どもの姓は好き勝手ものは選べず筆頭者側の姓に確定されるよ。もちろん、将来的には子どももどちらかの姓を選べるようにしろという意見はでると思うけど、そうなると戸籍制度自体の大幅な見直しが伴うから難しいのではないかと思う。

ちなみに、戸籍上の親子関係って離婚したとき親権とか養育者とかとは全く別もので、離婚すると配偶者戸籍から抜けて新しい一人の戸籍ができ、原則元の姓に戻るが、子どもは筆頭者の戸籍に残る。配偶者親権を取ってもそれは変わらない。家庭裁判所手続きしないと籍は抜けない。

今は婚氏存続って制度があり、離婚しても元の姓に戻さなくてもよくなった。これによって無理に裁判とかで子どもの籍を抜かなくとも同じ姓のままの親子でいられるようになったので離婚へのハードルは一つ下がったとも言える。昔はシングルマザーでお母さんと子どもの姓が違う家がわりとあって、それがかわいそうだっていうので離婚我慢する事例も結構あったから。

まあ、夫婦の間で別姓にできるようにするだけであれば大きく制度変更のコストはかからないし、親と自分名字が違う理由子ども説明するのも「おじいちゃんおばあちゃんの子どもだからおじいちゃんおばあちゃんと同じ名字なんだよ、結婚するときにどっちか選べるんだよ」ですむ。

子どもが混乱するかな?世の中には違う名字親族と同居してる子もたくさんいるけどな。サザエさんパターンの家の子が「XXちゃんちはおじいちゃんおばあちゃん名字一緒なのに、うちはどうして違うの?」って疑問は当然持つと思うけど、それは別にかわいそうな話ではないと思うし。

2020-11-20

夫婦別姓からどんどん選択肢を増やしていこう

夫婦別姓選択肢を増やすだけで別姓にする選択肢を選ばない人には無害だとする論がある。選択肢は多ければ多いほど良いのだと。現在ある制約を緩くして選択肢を増やしていく思考実験をしてみよう。

夫婦は姓を夫妻どちらかから選ばなければならない

これにチャレンジするのが現行の夫婦別姓案。

夫婦の姓は別姓としても元のものから選ばなければならない

選択夫婦別姓が達成された世界であっても田中さん鈴木さんが結婚した時には田中さん田中さん鈴木さんは鈴木さんに留まるだけであり新たな姓を作ることはできない。新たな姓を作ることができる世界だとどうなるだろう。田中さん鈴木さんが結婚して同じ超合金という姓を名乗ることも、田中さん鈴木さんがそれぞれ超合金さんと木材さんになることだってできる。選択肢を増やすのは良いことだ。多様な名前楽しい世界になるだろう。

新たな姓を自由に設定できる世界では更にややこしい制約が発生することだろう。どんな文字を使えるのかという制約だ。現行法では子供名前に使われる文字に関して戸籍法が定めている。

戸籍法第五十条には

1 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。

2 常用平易な文字範囲は、法務省令でこれを定める。

とあり、この常用平易な文字というのは戸籍法十条において以下のように定められている。

戸籍法第五十条第二項の常用平易な文字は、次に掲げるものとする。

一  常用漢字表平成二十二年内閣告示第二号)に掲げる漢字(括弧書きが添えられているものについては、括弧の外のものに限る。)

二  別表第二に掲げる漢字

三  片仮名又は平仮名変体仮名を除く。)

これを鑑みるに、姓が自由に決められる世界では次のような制約が発生するだろう。

新姓には常用平易な文字を用いなければならない

新姓を設置できる新たな世界は素晴らしいが現状では常用漢字プラスアルファカタカナひらがなしか使えない。これは不便だ。新姓をつくる際に使えない文字存在するのは不便だ。外国人結婚した際にその外国人の姓を名乗ることを決めた場合であれば発音が違うのに無理矢理カタカナを使うことを強制される。不便だしアイデンティティー喪失につながるだろう。

文字制約を緩めるのは非常に難しい問題だ。どこまでの緩和を認めるのか。ローマ字も良いのか、漢字簡体字も含めるのか、アラビア文字も許すのか。現状世界中の文字を一手に扱え最も普及しているものとしてはUnicodeがある。最新のUnicodeに含まれ文字は全て許すとすれば制約はかなり緩まると考えられる。新姓も子の名もUnicodeに含まれ文字なら許されるというように変えれば自由度は格段に上がるし選択肢も増える。選択肢の多い世界は素晴らしい。例えば㍻㍍くんという名前合法だ。人種配慮した名前の付け方もできる。👋🏿くんも👋🏻ちゃん存在可能だ。多様性配慮選択肢の広まった素晴らしい世界だ。

姓の変更には家庭裁判所許可必要であり裁判では日本語使用必要である

夫婦別姓、新姓の自由を手に入れ、文字選択肢自由も手に入った世界になったは良いが未だに問題は残っている。別姓を名乗っていたのに同姓にした場合、またはその逆、または新姓を名乗りたくなった場合はどうするのだろうか。現状の世界では戸籍上の氏の変更には家庭裁判所許可必要だ。そして裁判所法第七十四条には「裁判所では、日本語を用いる」とある。せっかく文字自由を手に入れたのに日本語以外の文字だと問題が起きてしまう。より選択肢の多い自由世界を手に入れるためには家庭裁判所許可要請廃止するか、裁判所法を改正する必要があるだろう。

面倒なのでこの際どちらも変えてしまおう。戸籍の氏の変更に家庭裁判所許可必要ないし、裁判では日本語を使う必要もない。素晴らしい世界だ。選択肢が増え世界は良くなった。

2020-10-21

anond:20201021184716

手放せば?

増田みたいなゴミカスクズは最初から子ども作らないのが一番だけどそれは優生思想になるから

○ 育てられない子供を引き取るNPO法人が感じている「ある変化」

この特別養子縁組に出される赤ん坊に占めるダウン症の子の率が年々増えてきているという。Babyぽけっとの代表岡田卓子は言う。

「当団体を立ち上げた当初は、今ほど障害児の割合は高くありませんでした。けど、特別養子縁組を行う団体認知が広がったことで少しずつ増えてくるようになり、最近では出生前診断で異常がわかったあとでうちに問い合わせをしてきて、『産んでも育てられないので、そっちで引き取ってくれないか』なんて言ってくる人も出てきました。赤ちゃんの顔を見る前から特別養子に出そうとするのです」

 

夫婦ダウン症の子育児負担だと思うのは自由です。でも、何カ月か育ててみてダメだという結論に至って特別養子に出そうというのならわかるんですが……出生前診断の結果だけで判断したり、保育器越しに何回か見ただけで育てられないというのはちょっとちがう気がする。出産直後に目に見える障害だけで判断しないでほしいというのが本音です」

障害は、生まれてすぐに判明するケースだけにかぎらない。知的障害にせよ、発達障害にせよ、二歳くらいになってようやくわかることも珍しくない。

また、五歳、六歳になって先天的病気が見つかったり、難病になったりすることだってある。

多くの夫婦は、障害病気が後からわかっても子供をかわいがるし、育てていこうとする。こうしたことを考えれば、なぜ出生前診断の結果だけで簡単に手放してしまうのかと岡田が感じるのも当然だろう。

裁判で認められなかった例

その夫婦はそれなりの仕事についていて高給をもらっていて、一軒家を構えて暮らしていた。長男が一人おり、その下に生まれてきた長女がダウン症だった。

母親ダウン症の長女を授かったことに動揺を隠せなかった。幼い頃にきょうだい事故に遭って障害を抱え、苦労した体験があったのだ。この子を引き取れば、家庭が崩壊してしまう……とまで思ったという。

 

母親は夫を説得してから、Babyぽけっとに連絡をした。そしてこう頼んだ。

 

「長女がダウン症なんです。とても育てられないので特別養子に出したいと思うので、お願いいたします」

 

岡田は親が育てないと言っている以上やむをえないと判断し、その子を引き取って不妊症夫婦に託した。その後、家庭裁判所申し立てをしたが、調査官が実親のもとを訪れて調査をした。家が経済的に豊かであり、長男を育てていること。それに長男が「妹に会いたい」と言っていることなどを突き止めた。そして、特別養子を認めるまでの理由にはならなず、実親が責任をもって育てるべきではないかと指摘された。

 

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58860?page=2

2020-10-15

anond:20201015200943

それがどこまでも追いかけてくる親ってのはいるのですよ

5ch や お悩み相談コーナーで見るな

 

親が犯罪者犯罪者じみていなければ、分籍して連絡先を教えないだけで絶縁出来る

分籍は20歳以上なら他に条件は要らない

下記を役所に持ってくだけで出来る

 


親が犯罪者じみている場合は下記かね。お悩み相談コーナーでは姓を変えられないとかやってたけど

フツーに変えれた判例あるので実績ある弁護士さんにまずは相談してみて

あとは海外へ行くか


氏名を変えたい


 > 具体的には、親から幼少時に暴力行為性的虐待などを受けた場合 など



判例大阪家裁 平成9年4月1日審判平成8年(家)574号、575号

 本件申立人は、小学生当時に実兄から継続的性的虐待を受け、その被害の影響が心に深く、

長期間にわたって残り、そのことを想起すると強い心理的苦痛を感じ、

激しい感情的変化や外界に対する鈍化や無力感といった生理的反応を示すようになっている。

そのため、精神的に安定した生活を送ることができず、定職に就くことも困難で、完全な社会復帰ができない。

申立人は、戸籍上の氏名で呼ばれることで、同じ呼称である加害者被害行為を想起して強い精神苦痛を感じている。

申立人が指名の変更を求めるのは、加害者ひいては被害行為を想起させる氏と、忌まわしい子ども時代象徴する名前を変更して、

被害行為過去のものとし、その呪縛から逃れて新たな生を生きたいと考えているかである

 上記事実によると、申立人が氏名の変更を求めるのは、珍奇であるとか難読・難解であるとか、

社会的差別を受けるおそれがあるといった社会的要因によるものではなく、

主観的しかも極めて 特異な事由(申立人の上記のような心理状態は、心理学的に見てあり得ない事象ではないことが推認される)」である

主観的事由ではあるが、「近親者から性的虐待を受けたことによる精神的外傷の後遺症からの脱却を目的とするものであり、

氏名の変更によってその状態から脱却できるかについて疑念が残らないでもないけれども、上記認定事実に照らせば、

戸籍上の氏名の使用を申立人に強制することは、申立人の社会生活上も支障を来し、社会的に見ても不当であると解するのが相当」である として、

申立人が氏を変更するについて、戸籍107条1項の「やむを得ない事由」があるものと認めるのが相当であり、

また名の変更についても、単なる好悪感情ではなく上記のような事由に基づくも のであること及びその使用年数等を併せ考えると、

同法107条の2の「正当な事由」があるものと解するのが相当であるとした。


子どもの虹 情報研究センター

http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/h17_bunken2.pdf

2020-09-06

10年かけて父は死んでいった

私が30歳の時に両親が離婚した。

その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか

両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金借家更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。

そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。

私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつ飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。

大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由アルバイトを辞めた。

就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態かいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟けがあった。

私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。

父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。

それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。

10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単ものだった。

ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初メッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。

次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。

次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。

2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしかさない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。

父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。

最初コンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。

そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってから再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要書類を集めて回り、家庭裁判所相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。

相続放棄の申立は無事受理された。

父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから

父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。

家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。

長くなりました。読んでくださってありがとうございます

2020-09-04

これでも結婚して子を持ちたいですか?

離婚紛争に伴い、親の一方が別居にあたって子を一方的に連れ去ったり、別居している非監護親が子を連れ去ったりするなどの事態がしばしば生ずる。本来、子の監護をめぐる紛争協議によって解決するか、協議が整わないとき家庭裁判所手続によって解決すべきものであり、そのような手続を経ないで子を一方的に連れ去るのは違法であるしかし、わが国では、このような違法な連れ去りがあったとしても、現状を重視する実務のもとで、違法行為がまったく問題とされないどころか、違法に連れ去った者が親権者の決定において有利な立場に立つの一般である

日弁連60年記念誌279頁 第2章人権課題の取り組み」2「子の奪取」

2020-07-30

父の話

きょう、父が死んだという報せが来た。

わたし中学生の頃、修学旅行に出かけるのを見送ってくれたのを最後に姿を消した父だった。

父が姿を消して以降当時住んでいた土地を離れるまでの約2ヶ月間(その後もだけど)、母が大層苦労していたのはなんとなく覚えている。どうやら父は働いていた会社にさまざまな迷惑をかけていたようで、会社の人が行方を探していたのだ。(母は捜索願を出すよう強く頼まれていたし、引っ越したあとお世話になった不動産屋さんに父の会社から私たちの転居先を訪ねる連絡が何度もあったと聞いた)

その後両親は無事に離婚をし、そこにいたる過程とある土地に住んでいることを知った。会いたいという気持ちが湧くことは当然なく、どこかで生きているのだろうとだけ思って過ごしていた。

当時未成年だった私は父の戸籍から抜けることが難しく(家庭裁判所申請必要だった)、急がなければならぬことでもないとそのままにしていたけれどそれが今回報せがくるきっかけになったのだろうと思う。成人してからさっさと抜いておけばよかったと今は後悔している。

役所から来た手紙には父が死んだこと、独居で身寄りがなく、すでに火葬が終わっているので期日までに遺骨と家財の引き取りをするか否かの申し出をし、残った財産等で葬儀をあげて良いか答えて欲しいという旨が書いてあった。

遺骨の引き取りをするつもりはもちろんないし、家財など送られてきても困るので拒否をしようと思っている。相続についても書かれていたので、もしかすると借金などあるかもしれないし放棄するに限るなと一枚の紙を見ながらぼんやりと思った。

住居の所在地が書いてあったので、なんとなく調べて察しがついたことがあった。

おそらく父は、その土地福祉関連にお世話になっていたのだろう。大層ご迷惑をかけてしまったに違いない。これからさらにご迷惑をかけてしまうのだな、と申し訳なく思ったが正直もう関わりたくないので早めに返事を出さねばならない。重ね重ね自治体の皆様申し訳ない。

明日から相続放棄手続きも取らねばならないので気が重い。

身寄りもなくたった1人で死ぬとはこういうことなんだなということを突きつけられた気がした。いつかは私にも同じことが起こるだろう。独り身で一生を終える可能性が高いわたしは、どれだけ周りに迷惑をかけずに死ぬことができるのだろうか。

同じように独り身の兄の後始末はわたしがすることになるだろうが、わたしはどうなるのだとふと不安になった。

そう考えると、父はまだ幸運だったのだろうか。そんな思いが頭を巡ってしまっている。

2020-07-24

吐き出させてくれ

追記(1):07/25 09:14

・嘘の話なのに優しい言葉が並んで朝から涙腺がああああああ、ありがとう。いくつかレスします。

・つまり今はどんな状況?>親権を持っているが、私が元夫に養育費ものを払い子供に会えない

弁護士は?>ついてます親権もってるなら会いに行っても問題ないとのこと。でも今回のことはまだ相談していません。子供に嫌いって言われると強引には会いづらいよな……

堂々巡り思考再婚した人がいたら子供母親に会いたいっていいづらい説ないかな、いや、それは私に都合のいい考えであって本当に会いたくないのかもしれない、いやいや(無限ループ)→身動きとれない

ピザ食った手でコントローラ持つな>ポテチも箸

チンニング>正しくはドアのふち?のほうで行います、歪みますのでおすすめしないです

事実上誘拐>そうですね。親権を持ってシングルマザーに戻れるかというと本文の通りです。本当に悩ましい、金・体力・時間、頼れる親戚、精神力がないとシングルマザーはこなせない。私だって本当は子供と過ごしたいが自分事故にあったらどうなるか、考えると怖い。合理的判断するのも冷たい人間かと思いますが、子供は見る大人の目が多いほうがいいのでこの状況には納得していますが、やはり定期的に会いたい。もちろん全部私の体験主観です、やれる人はやれます。その方は尊敬します。まさにこれ、です。代弁すみません

ブコメ引用: 子は親権的には取り戻せるけど取り戻して育てる自信や体力がもう尽きてるんでしょう。 (略)

・変なところに句点があったのを修正

・「大変な子育てをしている自分」というポジションを失いたくないのでは?>いやいや、ないです。なんでしたっけそういう症候群みたいなのありますよね。ミュンヒハウゼン症候群?違うか。ないと思いたいです。むしろ周囲に大変な状況というのは見せたくない、というほうが強いです。それも性格上、問題なのでしょうけど。誇れるもの仕事趣味です。そこらへんの承認欲求は満たされています

・生い立ち嘘だろ>設定、盛りすぎですよね、奇妙な人がいるもんですね。

子供が現妻に話していることや、現妻、元夫のことには触れないように書いているため情報の偏りすみません

以下本文

子供誕生日前日に離婚したんだ。

元夫が二人目が欲しいというので、それは無理だと答えたら「僕は傷ついたか離婚したい」と。

セックスレスではない。

二人目が無理だという理由には、40日あった有休が消えるほど予防接種病院保育園イベントに目まぐるしかたからだ。

二人目がいたら有休が倍あっても足りない。身体がいくつあっても足りない。よくわからないけど耳から血が出たのは初めての体験だった。

医者ストレスだろうと。ちな元夫の有休は余っていた模様。

私はこのことを重くならないよう、冗談めいて元夫に伝えたつもりの結果がこれだ。

とにかく離婚の流れは意味不明だったが、離れた人の気持ちにすがっても仕方ないので了承し、離婚提示から二週間で財産分与引っ越し離婚をした。

子供小学生に上がる直前の話だったので、交友関係リセットされるタイミングだったのは都合がよかったのか悪かったのか。

母子ともに不安で慣れない環境子供にもストレスがあったのだろう。

もともと発達障害のグレーだと診断されていた子供は、自分気持ちの伝え方がうまくできなかったようで、喧嘩した友達道路に突き飛ばし危うく事故になるところだった。

親歴6年生、子供の成長に応じて接し方もこんなに変動的だとは思わなかった。

毎年親歴1年生にリセットされている気分だ。

から私も𠮟り方がわからなかった。

校長先生学校先生の前で子供を突き飛ばし「お前がやったのは、これだ。人殺しのようなものだ」と叱った。

かに喧嘩を振ったのは相手の子からだった。

それは悔しかったね、と認めたうえで「でも、暴力ダメだと」と私も子供に手をだしてしまった。わかってる、無茶苦茶だ。

こうしないと伝わらないのか、相手の子は怖い思いをしていないかもっと別の叱り方がったのではないか

でも突き飛ばした先に車がいたら取返しがつかなかったのでは?さまざまな思いが過り、不覚にも人前で泣いてしまった。

校長先生から「お母さんは頑張ってます」という言葉をもらって救われた。

子供は泣きもせず、黙ってうつむいていた。

私に親族はいない。いや、いるが刑務所にいるのでノーカンだ。

身近に頼れる人がいない。

頼れるのは己の身体と金インターネットだけだ。筋トレをし、仕事で金を稼いだ。

困りごとがあればセーフティーネット各所、ネット検索相談をした。

安定した大企業に入り込めたのも運がよかったのかもしれない。

友達にも恵まれた。足りないものがあればAmazonリストからいろんなものを送ってくれた。まだお返しはできていない。でも感謝はしている。

だが友達は頼れるとは違う気がする。相手にも生活があるからだ。

弱音は吐けず、とにかく友達の前では明るく(SNS上)ふざけた投稿ばかりをしていた。今もそうしている。

で、なんだっけ?そうだ、気ままに吐露させてくれ。

はいつもイライラしていた。

シングルマザーからとしっかりやらなきゃと。

同時に期待する相手がいないというのはとても楽だということにも気が付いてしまった。

元夫がいるのに動いてもらえないと思うとストレスが溜まるが、端からからいなければ期待もしないし家事育児自分のペースでできる。

とはいえ、なぜイライラするのか。

シングルマザーからとしっかりやらなきゃと(大事ことなので2回)。

力の抜き肩を知らないんだ。

つーか気ィ抜いたらシングルマザーなんて餌食っしょ(誰の?)。

子供学校の授業にぜんぜんおいついていないので宿題のほかにドリルやらせた。

家のことをしながら宿題を見る。イベントプリントも多い。

そう、ランドセルの奥底でぐちゃぐちゃになったプリントを持ってくる。

工作トイレットペーパーの芯が必要ね、なるほどなるほど。

え、あれ……このプリント先週のじゃん!てことは、明日必要ってことー!?

(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!)

ああ、これが小学校の壁か。

ここで振り落とされたら、子供の将来がどうなるか。

私はスラムまれで親が犯罪者、中卒、ヤ〇ザに連れていかれそうになったこともあるがなんとか生き延びた。

それはすべてタイミングと運がよかっただけなのだ子供はそうとは限らない。

Luc値なんてどうやって増やすんだよ、クソが。

そうだInt、少なくともIntなら目に見えてわかる!そう思いながら子供宿題ドリルやらせた。

そんなばかりの毎日は疲れる。たまにはピザを頼んで子供ゲームしながら食った。楽しかった。毎日こうだったらいいのにな。

日々ピリピリしていたのには間違いなかった。私が倒れたら詰むからだ。

シングルマザー金も時間も限られている。ジムなんか通えないから部屋のドアを使ってチンニングする35歳。

元夫とは月1で会わせて、家庭裁判所提示する一般的養育費をもらった。

月5万円で子供が育つわけがないんだけども。

私が欲しかったのは金じゃなくて手伝いでもなくて、当事者意識だった。

子供病気意識をなくし、救急隊が部屋の中をドタバタの入っていく中、元夫は寝ていた。

私が不安からそばにいて欲しいといっても仕事中だからと断られた。

救急車に運ばれること4~5回。全部、私が対応した。

この記事自体、私の視点しか書かれていないので、元夫にものっぴきならない睡眠(?)事情があったのだろう。

たとえば、救急隊員と目をあわせたら死ぬとか、そういう事情が。

あくまでも私の体験主観だけで述べる。

元夫の悪口のつもりもない。対話をしてこなかった自分にも非がある。

元夫にもいいところだってあった。例えば……ええとつまり結婚前と結婚後、人は変わってしまうんじゃない。

それ以前の人の本質。そういうのを見極めて結婚することは難しい。その差分を埋めていくのが結婚なのだと思う。しらんけど。

話を戻そう。離婚した元夫とは関係が良好だった。

元夫は一人暮らししたことがなく、家のことがこんなに大変だったなんて知らなかったよ。ごめんね、という言葉が出てきた。

離婚後2か月、それは嬉しかった。

しばらくして『今度こそうまくいく。よりを戻したい』といわれて、悩みに悩んだ。半年くらい保留にした。

半年くらい保留にしていたら、私が体調を崩して家庭のことが詰んだのでよりを戻してしまった。

やはり身体を壊すとメンタルも壊す。メンタルも壊すと身体も壊す。

よりを戻すためにすぐに再婚はせず同居をはじめた。

子供は喜んでいた。

そうだよな、子供の前でわかりやす喧嘩をしていたわけでもなく突然の離婚だったからな。

『また一緒に暮らすの?やったー』と喜んでいたよ。

でもダメだった、期間にして3か月。

「お前は親に向いてないから出ていけ」だと。

どうやら元夫が帰宅するタイミングで、わたしイライラしながら宿題を教えていたのが親に向いていないと判断したそうだ。

なぜイライラたか、それは前述のとおりだ。

(1)戦力になると思っていた人がいない→(2)全部自分でやる→ちゃんとしなきゃ→思い通りにいかない→イライラ子供が怖がる。

(1)がなくてもシングルマザー状態の(2)でも詰むんだ、この場合は。

それを伝えたが、ダメだった(あれ、(1)の時点で助けてと言ったつもりなんだけど?)。

とにかくかばひとつで家を追い出された。子供には月1で会うことはできた。

元夫は家事はできるようになったが(同居の時には週末のみの家事だったけども大きな進歩や!)子供イベントは参加できているのだろうか?

子供イベント関連にほぼ出たこともなければ結婚離婚保育園学校年末調整書類を書いてこなかったのに!?

大丈夫か?

だが、元夫から報告する言葉安心に足るものだった。

私だけが夫婦生活子育て向いてなかったんかーい!

そう納得するしかなかった。

「じゃ、子供にはたまに会わせてくれないかな。何かあれば全力でサポートするから。」

そう言うしかなかった。

親権者は私だが別居しているという謎の状態から1年が経過したある日、

知らない番号から「うちの夫に手をだすのはやめてください!」という電話がかかってきた。

はて、人違いでありんしょう?わらわはひと様の殿方と戯れるほどの悪趣味はござりんせん。

通話相手の話を聞くと 元 夫 が 再 婚 し て た 。

私を家から追い出し、すぐに再 婚 し て た 。

元夫は現妻にも私にも良い顔をしていたのだ。事実小説よりも奇なり。

私は追い出された背景や、勝手浮気相手にされた怒りもあったが、何より子供に隠し事をさせたことが許せなかった。

ある時期からお母さんいつ戻るの?と言わなくなったこと、それは現妻から配慮だろう。優しい子だ。

子供が間違えて再婚相手名前を言ったとき、私がそれは誰?友達?と聞いたら少し間をあけて「うん」と言ったこと。

子供だって大きくなれば隠し事や嘘だってつく。だが、それはこういう状況ではないだろう、もっとこう違法アダルトサイトをみたときとかさ……

とにかく、子供大人事情で隠し事をさせるな、嘘をつかせるなと怒った。

現妻には、私だって再婚は寝耳に水だと事情を伝えたら納得したがあちらはあちらで修羅場だったがそれがしらん。夫婦なら話し合ってくれ。

で、だ。

子供にはCovid-19のせいでで会えていないんだ。5か月も。

あちらにも生活があるから写真をくれ、子供に会いたいメッセージを送りあぐねいていたら5か月経過した。

それまで手元に残ってる子供写真を眺めて過ごした。

だが先日、写真を欲しいと伝えたらくれたので、調子にのってビデオ通話したいと言ったところ「子供が嫌がっていますのでできません、子供意志尊重します」だそうで。

そうか、小学校中学年でもはっきりと自分意志が言えるんだ、そうか。成長に感動しつつも、母親権利としても認めていただけませんかね?と伺うと「子供曰く、お母さんは怖いから嫌」だそうで。

そうか、現妻(はもともと優しいのかもしれないが)や現妻と修羅場を経て夫婦生活できている元夫は子供に対して優しいのか。

よかった。

よかったけど悲しかった。私は怖いお母さんだったのか。

いつもピリピリしながら宿題を教え、軍隊の如く、今日タスクは終わったのかと詰め、関係各所に頭を下げつつ、ドアで懸垂していたお母さん。

子供にとってはそんな思い出しか残せなかったのか。

そりゃそうだ、セクハラパワハラだって被害者加害者しかいないもんな。

最後に、よけいないことは言わないから「おやすみ」だけ言いたい、聞きたいと頼んだが「子供は嫌がってます、やめてください」で終わった。

そりゃそうだ。「相手と直接 離せばわかる!」なんてSNSでもやばい発言上位に入るやつだもんな。

私は引くしかなかった。

親権を持っているなら、お前が引き取ればいいじゃねーか。

そう思うだろ?

だがシングルマザーやってみ。マジ大変だから。ヤ〇ザの非じゃない、別のベクトルやばい

有り余る金と時間と体力、あらゆるトラブルに動じない精神力ががあればシングルマザーをやりたいよ。

割とメンタルゴリラゴリラ、本当は繊細だからね。隠喩だよ)だと思ってたけど、訪問者のノックですら怖いかダンベルを隠し持ってドアをあけたもん。

余裕がないんだよ。

シングルマザー、出来る人はいる。だがそれはそれこれはこれだ。

私は直接言われたわけではないものの、現妻伝手に「お母さんは怖いから会いたくない」と言われたのにまた子供を親として見る自信がない。(人伝手のほうがダメージでかいね?)

合理的に考えて、何かあったときのための大人の目は多いほうがいい。

子供の今が幸せならいいだろう、とも。

別に悲劇のヒロインになるつもりもない。いやちょっとだけ悲しいか吐露してんだけども。

現妻と話したあと、私はこのまま子供に会えないのだろうかと思ってちょっと生きるモチベーション下がった。割と修羅場くぐって生きていたけど自死が過るくらい。

でも死んだらそもそもチャンスもなくなるじゃん。子供と同じ空気を吸ってるだけでも嬉しいかなくらいに思わないといけないね

いつか会えるのだろうか?いつか会える……か。

かに期待することは辛いことだって十分体験したよな。

子供と過ごした8年間の思い出と写真を見ながら過ごすかー。

子供親孝行は生後数か月っていうし、十分に幸せ体験をさせてもらったよなー。

私が残せるのは金くらいかなー仕事がんばろーっと。

これって(もちろん両者に非、ネグレクトがない前提で)共同親権みたいなのがあれば解決されるのかなー。

でも、制度に期待してもダメか。いつかお母さんに会いたいって言われるといいな。いやー、ちょっと辛いなー。

世の中最後に頑張っているシングルマザー/ファザーの皆様、尊敬していますあなた方はすごいです。

あー書いて多少なりともすっきりしたわ、長々とご清聴ありがとうございました。

ま、全部嘘なんだけどね。

anond:20200724034953

親権停止させよう

民法

第820条 親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

 

第822条 親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育必要範囲内でその子懲戒することができる。

 

第834条 父又は母による虐待又は悪意の遺棄があるときその他父又は母による親権行使が著しく困難又は

     不適当であることにより子利益を著しく害するときは、家庭裁判所は、子、その親族未成年後見人

     未成年後見監督人又は検察官請求により、その父又は母について、親権喪失審判をすることができる。

     ただし、二年以内にその原因が消滅する見込みがあるときは、この限りでない。 

 

(1)申し立てできる人

親権喪失申し立てを行うことができるのは、次の立場にある人です。

 

 

(2)必要もの

親権停止の申し立ては、次の書類等を揃えた上で、子どもの住所地を管轄する家庭裁判所で行います

 

 

このほか、窓口で申立人の身分証明書提示する必要がありますので忘れないようにしましょう。

https://best-legal.jp/loss-of-custody-13903#

2020-07-22

anond:20200722083620

親が犯罪者犯罪者じみていなければ、分籍して連絡先を教えないだけで絶縁出来る

分籍は20歳以上なら他に条件は要らない

下記を役所に持ってくだけで出来る


親が犯罪者じみている場合は下記かね。あとは海外へ行くか


氏名を変えたい


 > 具体的には、親から幼少時に暴力行為性的虐待などを受けた場合 など



判例大阪家裁 平成9年4月1日審判平成8年(家)574号、575号

 本件申立人は、小学生当時に実兄から継続的性的虐待を受け、その被害の影響が心に深く、

長期間にわたって残り、そのことを想起すると強い心理的苦痛を感じ、

激しい感情的変化や外界に対する鈍化や無力感といった生理的反応を示すようになっている。

そのため、精神的に安定した生活を送ることができず、定職に就くことも困難で、完全な社会復帰ができない。

申立人は、戸籍上の氏名で呼ばれることで、同じ呼称である加害者被害行為を想起して強い精神苦痛を感じている。

申立人が指名の変更を求めるのは、加害者ひいては被害行為を想起させる氏と、忌まわしい子ども時代象徴する名前を変更して、

被害行為過去のものとし、その呪縛から逃れて新たな生を生きたいと考えているかである

 上記事実によると、申立人が氏名の変更を求めるのは、珍奇であるとか難読・難解であるとか、

社会的差別を受けるおそれがあるといった社会的要因によるものではなく、

主観的しかも極めて 特異な事由(申立人の上記のような心理状態は、心理学的に見てあり得ない事象ではないことが推認される)」である

主観的事由ではあるが、「近親者から性的虐待を受けたことによる精神的外傷の後遺症からの脱却を目的とするものであり、

氏名の変更によってその状態から脱却できるかについて疑念が残らないでもないけれども、上記認定事実に照らせば、

戸籍上の氏名の使用を申立人に強制することは、申立人の社会生活上も支障を来し、社会的に見ても不当であると解するのが相当」である として、

申立人が氏を変更するについて、戸籍107条1項の「やむを得ない事由」があるものと認めるのが相当であり、

また名の変更についても、単なる好悪感情ではなく上記のような事由に基づくも のであること及びその使用年数等を併せ考えると、

同法107条の2の「正当な事由」があるものと解するのが相当であるとした。


子どもの虹 情報研究センター

http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/h17_bunken2.pdf

2020-07-20

anond:20200720004508

増田でもそうだけど「欠席裁判キモチイイイクイクアーっ」てのは単なる自慰だよ

家庭裁判所でいえとしか

それに大事表現力や時間をつかおうという時点でお察しだし

それでもレディコミとかなろうとかで売れる人もいる

あんなくだらない欠席裁判が楽しくて買うくらいの知能だったりストレス餅の人は男女どちらにもいるんだなとしか

2020-07-16

anond:20200716041434

一応、親子の縁を切る分籍してさらに氏を変えた人の判例も書いとく

親が犯罪者犯罪者じみてなければ分籍するだけで事足りるんだけど

5chで見かけた家族ガチャ大当たりしている人は分籍だけだったためか

親がどこへ逃げても追ってくるってあったな


氏名を変えたい


 > 具体的には、親から幼少時に暴力行為性的虐待などを受けた場合 など



判例大阪家裁 平成9年4月1日審判平成8年(家)574号、575号

 本件申立人は、小学生当時に実兄から継続的性的虐待を受け、その被害の影響が心に深く、

長期間にわたって残り、そのことを想起すると強い心理的苦痛を感じ、

激しい感情的変化や外界に対する鈍化や無力感といった生理的反応を示すようになっている。

そのため、精神的に安定した生活を送ることができず、定職に就くことも困難で、完全な社会復帰ができない。

申立人は、戸籍上の氏名で呼ばれることで、同じ呼称である加害者被害行為を想起して強い精神苦痛を感じている。

申立人が指名の変更を求めるのは、加害者ひいては被害行為を想起させる氏と、忌まわしい子ども時代象徴する名前を変更して、

被害行為過去のものとし、その呪縛から逃れて新たな生を生きたいと考えているかである

 上記事実によると、申立人が氏名の変更を求めるのは、珍奇であるとか難読・難解であるとか、

社会的差別を受けるおそれがあるといった社会的要因によるものではなく、

主観的しかも極めて 特異な事由(申立人の上記のような心理状態は、心理学的に見てあり得ない事象ではないことが推認される)」である

主観的事由ではあるが、「近親者から性的虐待を受けたことによる精神的外傷の後遺症からの脱却を目的とするものであり、

氏名の変更によってその状態から脱却できるかについて疑念が残らないでもないけれども、上記認定事実に照らせば、

戸籍上の氏名の使用を申立人に強制することは、申立人の社会生活上も支障を来し、社会的に見ても不当であると解するのが相当」である として、

申立人が氏を変更するについて、戸籍法107条1項の「やむを得ない事由」があるものと認めるのが相当であり、

また名の変更についても、単なる好悪感情ではなく上記のような事由に基づくも のであること及びその使用年数等を併せ考えると、

同法107条の2の「正当な事由」があるものと解するのが相当であるとした。


子どもの虹 情報研究センター

http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/h17_bunken2.pdf

2020-05-23

anond:20200523150651

戸籍法113条

戸籍記載法律上許されないものであること又はその記載に錯誤若しくは遺漏があることを発見した場合には、

利害関係人は、家庭裁判所許可を得て、戸籍の訂正を申請することができる。

2020-03-20

後見申立に関する覚書

親族横領するので、後見人に選任しません。」

「 有資格第三者を選任します。 」

「 それが裁判所最近方針です。」

N家庭裁判所

2020-02-11

両親が不仲だった自分語り

02/13 23:36 追記ちょこっとしました。

床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。

物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場転々としていたのを覚えている。

つの職場に留まらず、職場を変えるものからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間喧嘩していた。

それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。

でもほとんどがお金問題で、まだ小学生自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。

父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。

その車の中でもお金の話で揉めていた。

夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。

両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。

今も昔も趣味ゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコン仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。

コンポジットケーブル繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ

小学生になって私以外にもゲーム好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。

父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。

F1 RACEhttps://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。

でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。

幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲーム理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。

ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。

小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。

私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。

パズルゲームスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。

どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママ喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。

その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し

放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフト気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。

その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。

「返すの?友達は盗まれたこと気づいてないよ?」

母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋手段として盗みを働いたつもりだった。

盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校卒業するまで一緒に遊んでくれた。

夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。

正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。

引っ越ししてマンションに住み始め、落ち着いてきたあたりで

とうとう父は働かなくなってしまった。

マンション引っ越し中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。

妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。

あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。

母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。

初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。

ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンション駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。

私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。

そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。

家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。

でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。

養育費は二人分。私と妹が高校卒業するまで。その養育費最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。

私と母と妹はアパート住まいに戻った。

私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの必要もの自分で賄った。

たまに妹を連れて原宿かに連れて行ったりもした。

アルバイトというのが地元ショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナー社員おっさんにとても良くしていただいた。

絵を描くのが好きと知れば誕生日画集画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。


ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。

私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。

でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。

本当に「うわーーーーん」だった。


私は高校卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)

母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。

スーツ用意しなきゃねとも言った。

高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。

そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。

どきっとした。

わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。

勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」

ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校デザイン学科があるよと教えてくれた。

資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。

「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」

その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。

それでも母は奨学金手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校デザイン勉強をすることができた。

2年制だったから、うんと居残ってphotoshopillustratorを覚え、プレゼン勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社


もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセン音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが

無事社会人として安定してきて、switchスマブラ友達と遊んでいた時の事。

友人と二人でいろんなキャラオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで

「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。

これは高校生の時よく遊んだスーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。

格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと

幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。

ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格明るい人間になってしまった。


なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども

なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。




-----------

今。妹は素敵な旦那結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスぽぽちゃんベビーカーポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。

妹は育児四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。

私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らし満喫し、フラダンスにハマった。

父はしらない。

>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った

金銭的な事情きっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。

その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。

今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう

まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。

>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね

私達と真逆環境に居た人ではあった。

>落ちがないのがなんかい

落ちてないから落ちがない…という落ち…

たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい

ありがたや

2020-01-30

anond:20200130020419

じゃあ今度は下の名前もやってみ?

こっちは家庭裁判所での審理(っていうのかなあれ)が必須から面倒臭さで言えば姓変更よりはるかに上回るぞ

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