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はてなキーワード: 違法状態とは

2017-09-05

売春解禁運動を誰も展開しない謎

売春合法化20世紀終わり頃から世界的な流れになりつつあるんだけど、日本では微塵も話題になってないよな

アジア圏ではタイ台湾が既に合法化されてるし、西ヨーロッパでは殆ど合法になっている

というか先進国売春違法な国ってアメリカ日本くらいしか残ってない

個人的に、売春の一律違法状態日本女性差別根深さと関係あるんじゃないかと思ってたりするんだけど、マジできちんと研究してる人がいない

社会運動としては誰一人として手を付けてないブルーオーシャンなんだけど、どうして誰も参入しないんだろうな

2016-12-15

[] H23行政コメント(アンサー)

H23メモ

・この年の設問2(2)は過去問で最も誘導が分かりにくく難しい問題らしく、これ以上はでない(加藤)。これをおさえてれば、H2627は余裕らしい。

設問1

・とても読みやすしわかりやすいと思う。

しいて、いうことがあるとすれば、4、切り出しのところで最後のあてはめの規範に、採点実感とかがいってる通達(139号1(1)①)の解釈を盛り込んで、通学道路の部分を規範にしてもいいかも、くらいです。

設問2(1)

・内容はあってます。が、ここは比較検討に主眼があるので、要件のあてはめはあんまりかちっとしなくてもよい、要件規範を一個一個書く必要はない、そうです(加藤)。

設問2(2)

・①について

問題文にどのくらいの期間が開いたかとか、事情が書いてないかあんま考えずあてはめちゃってもいいかなと思う。問題文に事情いから、条文が引用できればそれで十分っていう問題かなと思う。

・②について

取消措置適法といえるためには、許可要件にない通達事情考慮していいこと、行政指導に反しないこと、職権取消の要件を充たすこと、が必要である、ということが前提だと思う。職権取消しができるためには、そもそも何らかの違法がないとだめなはずだから(ただ、ここんとこ教科書とかで書いてあるのを見たことはない…でも、そう考えないとこの問題説明ができないかなと思う)。

その中で、そもそも法5条1項の許可を与えてはいけない事情があったんじゃないの?通達事情違反あるけどこれで拒否するのはいけないんじゃないの?いけないとなるとそもそも違法状態じゃないからと職権取消しはできないんじゃないの?っていう問題であって、通達問題効果裁量問題だと思う。俺は要件裁量で書いちゃったけど、今作法とか読んでたら効果裁量かなって思います

会議録の誘導読んでても裁量問題通達のことを書いてほしいのは明らかなので。これで回答になってるでしょうか?

設問3

こんな問題はもう出ない(加藤)ので、もはや復習してもしょうがない(絶望)そうです。

2016-10-17

きのう宿泊拒否をされた話のつづき

先週、「きのう宿泊拒否をされた話」(http://anond.hatelabo.jp/touch/20161010101352)を書いた元増田です。

遅くなりましたが、たくさんのブックマークトラックバックツイートなど、まずはありがとうございます

かなり多くの人に読まれしまって、ビビってしまっております

厳しいコメントも多かったですが、優しい言葉をいただいた方、嬉しかったです。

あれからラブホテルの立地自治体大阪府池田市大阪方面へ帰る途中で寄ったのです)の保健所の衛生課に、ホームページメールフォームから問い合わせをしたところ、宿泊拒否をしたホテルに対して指導をしていただけることになりました。

17:55あわてて追記

先ほど保健所衛生課から指導実施のご連絡をいただきました。以下メールより抜粋

本日、「ホテル 〇〇」に立入検査実施しましたので、

報告のため連絡をさせていただきました。

男性二人での宿泊拒否することは旅館業法違反であることを指導し、

現在施設にて対応策を検討中です。」)

問い合わせから時間もしないうちにメールで返信があり、指導するにあたり、私たち拒否された日付けや男性同士だったことなどをホテルに話してもいいか確認通報者の特定を避けるため)もしてもらって、

まりスムーズかつていねいな対応に拍子抜けしたほどです。

仕返しが目的ではないので、ここでホテル名を書くことはしません。

通報匿名しました。

というか、あれから自分でもいろいろ調べてわかった事は、ラブホテル業界では長らく男性同士の利用を禁止しているホテルが大多数であったという事実でした。

書かれている理由は様々で、ベッドや部屋が汚されるからであるとか、

むかし部屋中を汚物で汚されたから、であるとか、

薬物の取引に使われることが多く、男性二人での利用をやめさせるようにむかし通達がきたらしい、であるとか、

盗難暴力事件の防止(?)であるとか、

自分ホテルだけゲイをOKにすると、ゲイが押し寄せて(!)男女カップルが逃げるからであるとか。

ほんとうに様々でした。

関係者から聞いた話」のように、間接的に「〇〇らしい」という話が多く、真偽はわかりません。

ただ、ゲイセックスでは部屋を汚すようなセックスをするのではないか、というような、偏見による誤解や、

ゲイが使うホテルだと思われるとイメージダウンだという考えは広く業界の間で根強く信じられている様子なのがわかりました。

ラブホテル研究金益見さんの経営者への聞き取りによると、

「一人以外には、男性同士も断られる可能性が高く、(中略)男性が二人いると犯罪危険性が高まることと、一般カップルに対してのイメージがよくないからだという。」(金益見ラブホテル進化論文春新書、2007)

現在ラブホテル風営法営業許可を受けていないホテルがおおくを占めているということも、調べていてわかったことです。

85年の風営法改正以降、あたらしいラブホテルの多くがビジネスホテルとして旅館業法適用範囲営業しているということです。

ラブホテル進化論から、多くのラブホテル建築に関わったコンサルタントインタビュー部分を引きます

適用除外要件という言い方をするんですが、収容人数によってかわるんですけど、ロビーレストランがそれぞれ五十平方メートル以上あれば、ラブホテルにはあたらないんです。/最初建築段階において、ラブホテルの届け出が不必要なように設計します。それが一般的です。風営法の届け出が必要建築設計しません。九九・九パーセントホテルがそうですよ」

ビジネスホテル申請下りた段階で、レストランなどは改装するそうです。へぇー、でした。

そのため、現在男性同士の利用を禁止している「ラブホテル」の多くが、結果的に(おそらく意識せず)違法状態にあるということです(旅館業法では性別理由にした宿泊拒否が認められていないため)。

僕たちを断ったホテルも、なんの悪意も違法性の意識もなく、これまでの業界の慣例にしたがって、当たり前に「宿泊拒否」をしたのだろうと思います

でも、たった数十年前はスーパー盲導犬が入るのも断られることがあった思います。万が一他のお客さんに噛み付いたら、とか、食品の衛生上問題からとか、「合理的理由」をたくさんつけて。

それが変わったのはたくさんのひとの努力があったからだと思います

今回のことでたくさん勉強になりました。

法律のことは、まあそれとして、いちばん大事なのは偏見や、知らないことからくる誤解を、すこしづつといていくことなのかな、とおもいました。

これから、すこしでも男女のカップルだけではなく、男同士、女同士のカップルでも利用できるラブホテルが増えてほしいとおもいます

それが当たり前の時代になってほしいです。

http://anond.hatelabo.jp/20161017114949

国籍法に基づいた催告が行われた例は過去存在しない。

からと言って違法状態放置していいという道理はない。

2016-04-11

著作権侵害をせずに書影を載せる方法としてのAmazonアフィリエイト

http://anond.hatelabo.jp/20160410220410

増田は「引用する上で出展を明示しろ」と著作権法上での公正な利用を求めている。

それに異存はない。

さて、アフィリエイト画像でもって出展とする方法、これにも文字を書け、まあそうだね。

だがこれは、<本の表紙にも著作権があり、本を紹介するのに書影必須ではなく、無断で表紙を掲載するのは

著作権侵害に当たる>という割と誰得司法判断を、真面目に本を紹介したいブロガーたちが

本を売るためのリンクを貼る商行為からセーフ、と回避するために編み出されたもので、

アフィでうまうまアフィブログが始めたものではない。

Amazon 表紙 著作権」とかで検索検索

ついでに言うと、マンガコマ引用法律上引用として成立するブログほとんどない

(本の紹介に書影不要だ、さてそのブログ記事マンガコマ画像がどうしても必要

公正な引用として?ちょっと無理なので著作権者に許諾をとってね)

ことから、何巻何ページまで出展を書こうが違法状態でありアフィ画像よりはるか問題と言えよう。

2015-12-24

パチンコがどうして違法状態解説する

とうとう大手新聞にまで取り沙汰されたので何が違法かを解説する。

ただ、内容の性質上どうしても一般的ではない概念必要になる。

そういう人は「整理して比較」の部分まで飛んでも差し支えはない。

パチンコ勝負を決める3つの要素

パチンコっていうのは、3つの要素で勝負が決まる。

1.通常時の玉の戻り

2.100玉あたりの抽選始動入賞)回数

3.大当たり時(確変中も含む)の出玉の増加

この3つだ。

なぜなら、大当たり確率確変突入率、平均連チャン回数などは店側が手を出せない予め決められている内容だからだ。(スロットは逆に大当たり確率が変更できる。ここで遠隔という人間はこれ以降を読んでも時間無駄である。)

勝負を左右する1000円あたりの抽選回数

パチンコをやる人間なら気にするであろう「1000円でn回まわった」というのは、じつは1と2の要素によって決まっている。

例えば、250玉(1000円分)あたり50玉戻ってくる場合と、100玉戻ってくる場合では、最終的に打ち込める玉数が変わってくる。

当然多く戻ってくる方がお金の減りが少なくなるというわけだ。

つぎに、関わってくるのは100玉あたりの抽選回数だ。

例え玉が多く戻ってくる台を見つけたとしても、そもそも抽選しなければ大当たりはない。

どちらも1000円分打ち込んだとして、300玉打ち込んで18回抽選した場合と、350玉打ち込んでも17しか抽選しない場合では、前者の方が優秀と言えるのだ。

(前者は100玉中の抽選回数が6回。後者100玉中の抽選回数が約5回)

何故前者が優秀か

それは、それだけ大当たりまでの投資金額が少なくなるからにほかならない。

例えば大当たり確率1/240の機種を遊んだ場合、前者は平均して約13000円(240÷18回×1000円)で大当たりするのに対し、後者は約14000円(240÷17回×1000円)が必要になってしまうからだ。

1000円あたりの抽選回数は、普段の玉の戻りと、始動口回数によって決まるわけだ。

勝負を決定づける大当たり出玉

そうしてやっとのおもいで獲得した大当たり。

パチンコはここから勝負といってもよい。

もし、大当たりまでの平均投資金額換算よりも、大当たり出玉が上回ればシメものだ。

その台を打ち続ければ、出玉は増え続けるということを意味しているからだ。

逆に大当たり出玉が平均投資金額換算を下回る場合、大当たりを重ねる度に追加投資必要になることを意味している。

この場合の大当たり出玉とは、大当たり一回の獲得玉数ではなく、平均連チャンを終えた時の一連の出玉を指している。

少しややこしいが一般的計算式はこうだ。

(1回の大当たり出玉×スペック上の平均連チャン回数+確変中の出玉増減)

この計算にも、先ほどの1000円あたりの抽選回数が関わってくる。

前者であれば3250玉(13000円÷4)を超えればよいのに対し、後者であれば3500玉(14000÷4)を超える必要がでてくることがわかる。

この点においても、前者の方が優れていることが証明されるわけだ。

少し乱暴な説明ではあるが、これがいわゆるボーダー理論を考える上での基本的計算方法でもある。

今回の問題はどこにあるか

今回の報道を要約するとこう書いてる。

テスト状態よりも、始動口が開けられ、一般入賞口が締められていた。」

まりこれは、先ほどの前者、後者比較した状況になっていたといえる。

それぞれ、前者は一般入賞口が締められ始動口が開けられた状態であり、後者は一般入賞口が開けられ始動口が閉められた状態だ。

今回問題とされているのは、検定時に後者認定を受けたにも関わらず、販売時には前者の状況で利用されていたということになる。

しかも、それをホール側の責任調査を開始したにも関わらず、なんとメーカーホール販売する段階で行われていたというのだから驚きだ。

パチンコ絶対ルール1分間=100玉

まり知られていないことだが、パチンコの玉の打ち出しには制限がある。

それが1分間に100玉までということだ。

まり、どれだけ頑張ろうとも1分間に100玉以上の玉を打ち出すことはできない。

これによって守られているものは、ずばりギャンブル性だ。

打ち出すことのできる玉の上限が決まっていれば、時間あたりに投資できる金額が決まるからだ。

では大当たりまでの時間はどうだろう。

前者と後者とを比較した場合、1回の大当たりまでに必要時間は、それぞれ前者は40分(大当たり確率240÷100玉あたりの入賞回数6)であり、後者は48分(大当たり確率240÷100玉あたりの入賞回数5)になる。

まり前者の方が短時間で大当たりする=ギャンブル性が高いということになってしまうのだ。

ここで記事に戻ると10分間に数十個の入賞が求められるとされている。

仮に50個だとすると1分間に5個だ。

1回の入賞辺り払い出しが10玉だとした場合、1分間に50玉の払い戻しが必要になる計算になる。

まり1000円を投入すれば少なくとも375玉(250玉+2.5×50)が打ち込める必要があるということになる。

通常であればここにさら始動入賞の払い出しもあるので、おおよそ400~450玉の打ち込みが可能になる計算だ。

仮に450玉とした場合、この状態で先ほどの前者と同じボーダーに設定すると、1分間あたりの始動入賞回数は4回(前者の1000円あたりの抽選18回:450玉あたりの抽選回数)になる。

まり、同じボーダーに設定した場合でも、大当たり1回あたりに必要時間は60分まで拡大するのだ。

整理して比較

ここまでの内容を整理してみる。

違法とされている状態をA、検定時の状態をBとする

どちらも共通して1000円あたりの抽選回数が18回だった場合

A、1000円で打ち込み可能な玉数300玉の場合

1分間辺りの抽選回数6回、大当たりまでの平均時間40分、1時間に負けられる最大金額2万円、1日の平均初当たり回数約10回、獲得可能な平均出玉32500玉

B、1000円で打ち込み可能な玉数450玉の場合

1分間辺りの抽選回数4回、大当たりまでの平均時間60分、1時間に負けられる最大金額約1万3千円、1日の平均初当たり回数7.5回、獲得可能な平均出玉24375玉

これにより、Aのほうが圧倒的にギャンブル性が高いということがわかってもらえただろうか。

まり違法とされているのはギャンブル性が高くならないようにBで許可をしたにも関わらず、現実的にAで利用されていたことにあるのだ。

しかし、ホール側がそれほどまでに極端に釘を曲げていたかというとそれはノーだ。

盤面に対して概ね垂直に打たれるべき釘の状態でBだったから騒ぎが大きくなっているのだ。

そもそも検査の時はどうなっていたのかという疑問を残したままである

注意

今回問題視されているのは、あくまギャンブル性が高いことにあるということをお忘れなく。

業界擁護するつもりはないが、計算して比較したとおり勝敗という面において不利益があったわけではない。(負けやすくもあり勝ちやすくもある状態だった。)

しかし、昨今の業界を取り巻く問題依存症問題がある以上、ギャンブル性が高い=刺激が高い状態を法を破ってまで保とうとしていたことは問題であり、それ故、早急の解決が求められているというわけだ。

さら責任所在という話になるとまたかなり複雑なことになる。結局は顛末を待つ以外にないのだ。

2015-06-10

満員電車撲滅キャンペーン実施

それも全部鉄道会社責任だよ。

違法状態で運転してる鉄道会社経営者や運転手を即逮捕すればいい。

2015-04-05

警察官職務質問違法」 宮崎地裁延岡支部

 平成27年3月19日午後10時過ぎ頃、宮崎県延岡市内の城山の石碑付近から音声拡声器により一般市民に対して怒鳴り散らしていた者が、市民からの110番通報を受けた延岡署の警察官から人定質問等の職務質問や自宅帰還の際執拗なつきまといを受け、精神的損害を被ったとして、国に対し、国家賠償請求を求めていた裁判で、今月3日、宮崎地裁延岡支部の塚原裁判長は「原告が音声拡声器を用いて一般市民に対して怒鳴り散らしていた目的は、近年国家行政機能していないため、親による虐待誘致的違法命名の放置、親による子供虐待インターネット上における子供騒擾誹謗中傷等、社会違法行為蔓延しており、警察署機能していないため、これを見るにかねて一般市民として警察に代位してかかる違法状態を払いのける為になされたものと認められ、一般市民行為としてその目的が正当であり、手段態様としても、このような違法状態蔓延しているという事情の下に、たとえ午後10時過ぎという夜間であるにせよ、周辺に行政司法機関の集中する同市内城山の石碑付近から、主として行政司法機関及び違法行為助長していると目される同市船倉町方面にたむろしている一般市民に対し、その主張が十分に伝わるように音声拡声器を用いて、単に行政司法機関機能すべきこと、一般市民に対して違法行為を止め、誠実に生活すべきことを呼びかけていたというものであることに鑑みると、まことに止むを得ないものであり、社会通念上相当な行為であったというべく、110番を受けたにせよ、これを漫然違法行為と目して職務質問原告帰還の際に原告執拗につきまとったことについては、警察官職務として許された範囲を逸脱したものであったと言わざるを得ず、当該警察官行為国家賠償法違法であり、原告が当該行為目的警察官に説明したにも関わらず、これを肯定せず原告を石碑に囲い込んで監禁し、執拗職務質問継続し、自宅帰還の際にも送り届けると称して執拗につきまとったといった事情鑑みると、その違法性も高い」と指摘した上、原告に対し、国家賠償として10万円を支払うよう、被告国に命じた。

宮崎日日新聞

2014-12-24

果実和酒に関するまとめ

ネット梅酒その他果実を混和するお酒話題になると、いつまでたっても間違った理解をしてる人がいなくならないのでまとめ

みなし醸造

酒税法

第43条(みなし製造) 酒類に水以外の物品(当該酒類と同一の種類及び品目に属する酒類を除く。)を混和した場合において

混和後のもの酒類であるときは、新たに酒類を製造したものとみなす。

第一項の規定にかかわらず、酒類の製造場以外の場所酒類と水との混和をしたとき政令で定める場合を除く。)は

新たに酒類を製造したものとみなす。

ようするにお酒に何かを混ぜて出来上がったものお酒であればそれは酒造にあたるということです。免許なしにやれば違法です。

よく新たにアルコール発酵が生じたかどうかが問題である理解している人がいます関係もありません。

アルコール発酵が生じなくても酒造です。

・じゃあカクテルや水割りはどうなるんだよ?

酒造に当たります。ただし

四十三条十項 前各項の規定は、消費の直前において酒類と他の物品(酒類を含む。)との混和をする場合政令で定めるときについては、適用しない。

四十三条第十項 に規定する消費の直前において酒類と他の物品(酒類を含む。)との混和をする場合政令で定めるときは、酒場料理店その他酒類を専ら自己の営業場において飲用に供することを業とする者がその営業場において消費者の求めに応じ、又は酒類消費者が自ら消費するため、当該混和をするときとする。

ようするに、飲食店が客の注文を受けてその場で提供したり、消費者自分で飲むために作る分には例外とするということです。

ボトルに詰めて持ち帰り用に売ったり配ったりしたら違法です。

・じゃあ梅酒は?

酒造に当たります。ただし

四十三条十一項 前各項の規定は、政令で定めるところにより、酒類消費者が自ら消費するため酒類と他の物品(酒類を除く。)

との混和をする場合(前項の規定に該当する場合を除く。)については、適用しない。

酒税法施行令 第五十条 14項

法第四十三条第十一項 に該当する混和は、次の各号に掲げる事項に該当して行われるものとする。

一 当該混和前の酒類は、アルコール分が二十度以上のもの

酒類と混和をする物品は、糖類、梅その他財務省令で定めるものであること。

三 混和後新たにアルコール分が一度以上の発酵がないものであること。

酒税法施行規則十三条

3 令第五十条第十四項第二号 に規定する財務省令で定める酒類と混和できるものは、次に掲げる物品以外の物品とする。

一 米、麦、あわ、とうもろこし、こうりやん、きび、ひえ若しくはでんぷん又はこれらのこうじ

ぶどう(やまぶどうを含む。)

アミノ酸若しくはその塩類、ビタミン類、核酸分解物若しくはその塩類、有機酸若しくはその塩類、無機塩類、色素、香料又は酒類のかす

令第50条《みなし製造の規定適用除外等》第13項に規定する「自ら消費するため」には同居の親族が消費するためのものを含むものとし

他人委託を受けて混和するものは含まないものとする。

ようするに禁止されている以外の物品をアルコール度数20度以上のお酒につけて自家消費する場合については例外とするということです。

自家製梅酒とか出してるお店があるけど?

平成20年4月30日に設けられた特例処置により一定の条件を満たせば旅館飲食店免許や納税なしに梅酒等を提供することが可能になりました。

https://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/qa/06/33.htm

所定の手続きをふめば20度以上のお酒に禁止物品以外の物を混ぜた物を店で提供することができます

サングリアは?ワイン20度未満だお

ワイン果物を漬け込んだ場合は上記例外規定に該当しないので酒造にあたります

厳密に言えば自家消費であろうと違法になると思いますが、基本的に作ったらすぐ消費してしまう物なので

しかしたら消費の直前と解釈可能かもしれません。でもお店で出すのはアウトです。

ただしカクテルのように消費の直前にワインと果汁と果物を混ぜて出来上がり、という作り方であれば例外規定に当たるので

自家製サングリアを出しているかただちに違法であるとは言えませんが、多くの店では違法状態だと思われます

そのうちどっか摘発されそう。

2014-07-12

放送ネット“文字おこし”は問題あるの?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140711-00000015-wordleaf-sci

 

この記事中で、ラジオ番組書き起こしサイト「ラジおこし」の運営者の言葉として

著作権としては、たしかにグレーといえばグレー。ただ、著作権親告罪で、ご本人からの申し出があって初めて問題になります。削除の要望があれば、すぐに消します。

とある。ある種の定形文句みたいなもんだけど、権利者の削除申請にハードル事務的もの、心理的なもの、諸々含めて)があることを踏まえた上で、上手いこと逃げられているような気がしてならない。

最近のこの手のサイトに関しては、先に違法状態を作っておいて、後から権利者に認めさせる、みたいな一連の流れが出来つつあるが、もっと正統な方法では物事を進められないものか。

2014-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20140601024103

あんたが言ってることが全部事実であんたがホント東大行ってたとして、

素直に賞賛され奨励される雰囲気があった。ほんとに良い環境にいたと思う。

の中で

でも、自分の中では、おおっぴらにできない感情も抱えていた。

になってたとか。

でもそれは親のせいだーーー、とかほざいてるくせに、何故か東大に入ると大丈夫とか、意味不明じゃん?じゃあ、それまでの環境は糞だった、ってことじゃん?

意味無いじゃん?

アホなの?結局何学科に入ったの?で、今何やってるの?やっぱり屑なの?ただのミサワなの?

http://anond.hatelabo.jp/20140531232920

高慢だと思われるんじゃないかって恐れはどこかにあった。東大入ってから、ああ自分にとって普通にしてていいんだと思えた。

矛盾しまくりなんだが、

結局、

庶民には「環境」が大事だけど、俺みたいな天才にとってみれば環境なんて関係なく、教科書読んじゃうし自分で全部できるし円周率覚えちゃうし」

ってことでいいのかな?

確かに駒寮に居る人間は癌だったからな。おっさんがどの時代だか知らんが、相当上で無い限り違法状態だったんだが、

法律おかしてて反省するつもり無いの?

2014-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20140424223012

にも関わらず仕事の量は減らず、PC持ち帰って家で仕事したり

Gメール転送して返事をしたりしていた。

これがあるから残業代ゼロ法案が叩かれるんだと思うけど。

今あんがたいる会社が今でもホワイトで、ホワイトカラーエグゼンプションが導入されてもたぶんホワイトのままだってのは本当なんだろうが、前の会社みたいなサビ残上等のブラック企業が、違法状態(だが是正する気はさらさらない)のサビ残地獄合法化するために制度悪用するリスクがあまりに大きいからみんなギャーギャー言うんだ。

2013-01-13

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合、激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩プロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。

3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治的恫喝やドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法から」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまことに遺憾です。

8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ(学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。

終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を高度に形式化して使える人がいるのは、正直こわいです。

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者も平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田の風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学を臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力は刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合、激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまいます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます。子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩プロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパスは一定の割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定の確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定の割合でどの職業にも発生します


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります。日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法から」。その通りですね。日本は法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞が破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本で奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなた効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供がゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供の教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供のパーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしまう

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつのは勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつのは勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ(学名なので差別語ではない)は子供も障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12のQ

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12のQ

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰は暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰は暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰=暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法は特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールだから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものだから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力のプロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからないから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります。体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法を継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰は必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田元投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかねます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理は論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから、体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですから。あなた効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですから、ひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文が体罰を要因として組み込んでいないのはまことに遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成・指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰をダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰は必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者の定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思います。しかし、「自分は常識として正しいから論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12のQ

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰は暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰は暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰=暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法は特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールだから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものだから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力のプロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからないから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります。体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法を継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰でスポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰は必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田元投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかねます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理は論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから、体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですから。あなた効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですから、ひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文が体罰を要因として組み込んでいないのはまことに遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成・指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰をダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰は必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者の定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思います。しかし、「自分は常識として正しいから論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12のQ

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&A

高校のバスケットボール教師が生徒を30発、40発殴って、自殺に至らせた事件がありました。ただ、こういう乱暴な教師はいるのだろうな、とそれほど驚きはなかったのですが、それより驚いたのは、マスコミ世間一般にも体罰を容認する声があるということです。正直、「え?本当に同じ文明人なの?」と愕然とした気持ちになりました。しまいには、子供やその親を「軟弱だ」とか「ケアが足りない」と攻める論調すら出てきています

そこで、体罰容認論によくある擁護論にまとめて反論してみました。世間の人の言う「ある程度の体罰」でも「子供のためを思った体罰」でも、教育体罰は認められません。

そもそも、すべての体罰容認論は、次の一言論破できます

議論の前提…体罰暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなた効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

おわりに

 「何を当たり前のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。でも、そんな「当たり前」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識脳みそがあれば、体罰ダメだというのはわかると思いますしかし、「自分はやられてきたから正しい」という謎論理によって体罰正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、教師が殴ったのが30発ではなくて、3発だったら、子供の方を攻める論調が勝ちそうな気がします。

 仮に体罰正当化される場面があるとしたら、モヒカンの子供が火炎放射器を持って「汚物は消毒だぁぁ〜〜」と乗り込んで炎をまき散らしたときくらいで、火炎放射器を持ち込む子供がいない以上、普通の教師が体罰をふるうことは正当化されません。

2012-11-18

日本Webは残念2012

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/inouetakuya/20121117/1353145846

Web生業としている人って、こういうのどう思ってるの?

著作権っていう概念は知ってる?

Nico動もYoutube最初違法状態だったんだからOKっていう感覚

ブックマークコメントポジティブものばかりだし何考えてるのか全然わからん

誰か教えて下さい。

2012-06-01

クラブ規制問題の論点&私見まとめ

http://anond.hatelabo.jp/20120601011200

なんか法律手続き論と中身の話、経営上の問題がごちゃごちゃな気がするので勝手に整理するけど

<法内容の問題>

床面積規制なんかは犯罪防止という立法目的との間に合理性があるか、大いに議論の余地がありそう。

(実際の裁判とか法改正の上では、ここが一番の争点となりそう)

<法的手続の問題>

司法俎上に乗せるならば、それは誰かがお縄についた上でとなるし、時間もかかるわな。

ちなみに警察法律を執行する人なんだから、「現に存在する」法律に基づいて捕まえるのが仕事

(未だ立法化されていない非実在青少年規制とは、ここが大きく異なる)

警察には逮捕時に立法趣旨を説明する義務なんてないよ。

ましてやお目こぼしなんて職務怠慢だし(今までがそうだった)、それをクラブ側が求めるのも筋違い

猶予期間なんてのも、どこにも法的根拠ないしね。

経営上の問題>

んで、現に法律があって違法状態経営している以上、クラブ側としては

 1.お店としては犯罪者になるのを覚悟で(その後の裁判法律違憲無効になる方に掛けつつ)営業続けるか

 2.お店を閉める。もしくは踊らせない店として法改正まで様子見する

しか選択肢ないよね。可哀想だけど仕方ない。

文化上の問題>

一旦クラブは全滅するんだろうけど、法律的にクリアになった上でまたやればいいんじゃね?

本当に求められているものなら、なくならないでしょ。

法律規制がかかるということは誰かに迷惑をかける可能性があるから

他人に迷惑かけても守るべきと言える程の説得力が現行のクラブ文化にあるのか甚だ疑問。

それに現行のクラブ文化が廃れても、また形を変えて似たようなものが生まれるだろうし、それはある意味進化と言えるのではないかと。

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