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はてなキーワード: 警備員とは

2017-11-20

AIが発達したら警備員も危うい。

人間警備員おじいちゃんばっかで弱いし。立ったまま寝てるし。

anond:20171120034324

かの斎藤一最後職場はアルソック警備員女子高校の前に突っ立ってただけ

2017-11-17

ビル警備員立ったまま寝てた

日中立ってるだけだもんなあ…つらいわなあ

交通誘導員警備員のそばを一声かけ礼儀正しく通り抜けたい

「通りまーす」

「すいませーん(フェードアウト)」

「(会釈したあとに相手脳内感覚を直接注入)」


別にこれでよくね(3番目はちょっと難しいが)

特段いい気はしなかろうが悪い気もすまい、通り抜ける宣言にもなって先方の役にも立つ

フラットであることは結果的相手尊重にもなろう

感謝届けたいなら「いつもありがとうございます」と素直な感謝言葉を送ればよろしい、なぜそこで捩れる

2017-11-15

anond:20171115161053

マジレスすると昼勤務の警備員だな

日焼けで異様に黒くなる

駐車場の照り返しで両面焼き

紫外線しわしわになる

低賃金

使い捨て

最悪の仕事

2017-11-13

覆面かぶってたら防犯カメラ意味ないじゃん

宝石強盗でも中古車強盗事件でも完全に開き直った相手に防犯システム機能してない

警察24時で威張ってる万引きGメンも柔剣道優勝のアルソック警備員もこういう時には出てこないし

非武装の客が店員土下座させるようなしょうもない事件の時だけやあやあ我こそは

2017-11-12

anond:20171112113754

から店がヤクザには特別対応するように客だって弱そうな店員を選ぶしそもそも自衛隊上がりの警備員が銃持って駆けつける店内では揉めない

anond:20171111212437

逆だろ

店内では警備員監視カメラがあって強気になれても外出たら身一つなんだから

2017-11-08

乃木坂ファン民度

会場に入れないファンが外で動画の様に騒いでいると。

で、「東京ドームで今後出来なくなる」と警備員に注意されてもやめなかった。


自分にこれと似たような経験があるとすれば、十代の頃夜中にスケボーしていて体育館警備員に怒られても滑るのをやめなかったことだろうか。

その時の自分は、「警備員に止められても滑る俺マジストリート」っ気分でかなりかっこいいと思っていた。

会場に入れなかった乃木坂ファンも、

「会場には入れなかったけどこうやって外でコールして警備員にも止められて応援する俺達マジカッケーし乃木坂を本気で愛しているメンバーも喜ぶ」

と思っているのだろうか。

夢中になると周りが一切見えなくなる気持ちは分かるが……。

2017-11-05

土日祝が休みなだけなんだよ

俺の友達役所が土日祝やってない事に文句いう人が結構多いんだけど、

単に土日祝が休みなだけで一般企業となんら変わりはない営業体制なだけなんだよ。

しろ、年中無休で営業してる方が問題なんだよって話。

役所に限んないんだけどさ、手続きするのに休日もやってろよってブーブーたれてるヤツの手続きって自己都合のばっかりじゃないか

自分の都合で手続きしなければいけないものだったら、有給とるなり午前休や午後休とるなりして手続きしろよ。

そういう奴らに限って、自分休みの主張だけはうんざりするほどしてて呆れるんだよ。

昨日も飯でも食うかって話になって、飯食いなら雑談タイムしてたら

役所休日にやってねえから警備員どなってやったわってドヤ顔で言ってるのを見てうんざり

土日祝を休みってのが不便な時もあるってのもわからないことはないんだよ。

なんでやってないんだ…って思うことも稀にある。

でも別にその営業体制おかしくないんだよ。一貫して昔から続けてきてるだけなんだから

その辺の企業が昔から続けてるのとなんら変わりない。

新しく出来た企業スタートシフトから現在シフト制を続けててもおかしくないだろ。

それと同じなんだよ。ただ、昔から営業体制が変わってないだけ。

周りの企業と同じなんだなと。

それを自分手続きできないって理由だけで文句を垂れるのは筋違いじゃねーかなと思うんだ。

医者だってそうだろ、休日診療所に行くって知恵もってないヤツは土日祝に具合悪いわってなったら

医者やってねえなぁ…平日に時間とって行くか…ってなって終わりだろ。

そうやって時間取れるんだから自分で取らんと駄目なんだよ。

「なんでやってねーんだよ!」

「そこは、土日祝が休みなだけだよ」

これしか言い様がねー。

2017-11-01

社員証って常備してないものなの?

大きい会社なので警備員さんが毎日社員証の確認してるんだけど、毎回会社に置いてあるって言い訳する人いるんだよね。

警備員さんも仕方ないから他の顔写真付きの証明書見せてって言ってるんだけど、そう言われると怒り出す人もいて

「俺は社員だってわかるだろ」

って怒鳴ってて先に進まない。

毎回こいつが居ると怒鳴りまくってて中に入るのが遅くなるんだけど、こいつの他にも結構そういうのがいる。

普通社員証って常備するもんじゃないの?

2017-10-29

travel note

9/25-9/29、夏季休暇を取得し、憧れの国ドイツ旅行してきました。

前夜。

トランジットのため成田から北京国際空港へ。海外で初めて口にした食べ物ピザハットピザ政治的事情から各SNSにはアクセスできず、乗り継ぎまで人生の貴重な8時間出国せず空港内で過ごしました。

中国国際航空を利用しました。何故か機内モードでも電子端末は一切電源を消すよう命じられたため、退屈な機内でした。本を読んでは眠くなるため機内ではほぼ寝てました。また機内食はお粗末なもので、一緒に出されるパンフルーツの方がずっと美味しく感じました。

9/25

フランクフルト国際空港着💢やはりメルケル氏が当選していました。

新秋のドイツは気温10~15度と寒いので、空港から降りてきた薄着の漢民族は凍えていたようです。

ドイツ鉄道が発行している「ジャーマンレイルパス」を事前に購入していたので、ヴァリデーションを済ませフランクフルトからベルリンへ移動。しかしながら自由席指定席もほぼ満席状態で、後から乗った私は車内で立ち往生してしまうことに。ベルリンまでの移動時間はおよそ4時間半。全日一等席に乗れる権利を有していたのに惨めな旅だと思っていたら検札に来ていた乗務員が空いている自由席を見つけてくれ、さらに隣に座っていたウルリッヒミューエ似のおっさんスーツケースを上の棚に入れるのを手伝ってくれました。この時感謝気持ちを述べた言葉ドイツに来て初めて使用したドイツ語でした。

ベルリン

インターシティホテルベルリンにチェック。このホテルは2日間滞在していた。一人で予約しているのに何故か掛け布団が二つあったのが気に障りましたが快適に過ごせました。いかんせん成田搭乗から今まで風呂に入る機会が無かったので、ガラス張りのシャワー室でシャワーを浴びる。

行ったところ。

ブランデンブルク門。言うまでもなく、ベルリンの壁象徴する建造物。これを見るためにドイツに来たと言っても過言ではないくらい見たかったもの。なお、この日から8日後に東西統一27周年を迎えました。東西融合を祝して、記念に橋を架けました。興味深かったのが、門周辺はイギリスフランス等各国の大使館がひしめき合っていて、門の直ぐわきにアメリカ大使館では警備員が厳めしく立っていたました。そして、『舞姫』で豊太郎が闊歩したウンター・デン・リンデン通り沿いを100m程歩くと今度はロシア大使館が見えてくるのですが、アメリカ大使館の2倍の敷地で厳重な警備と邸宅さながらの荘厳さがありました。当時ソ連東ベルリン統治する上で、東側諸国リーダーたる威信を発揮しようとしていたかがうかがえますね。

次。DDR Museumという旧東ドイツ博物館。じっくりねっとり展示品を舐め回すように見ながら1時間半くらい経ったところで閉館のアナウンスが。まだ全部見終わってないんですが。

アレクサンダー広場ベルリンテレビ塔、に行く前に広場周辺でカリーヴルストを夕食。正直ケチャップは苦手なのですが、これはケチャップと合いますねぇ!!!!これだけでお腹一杯になってしまいました。

テレビ塔。夜景を期待してわざわざ22時に入場したのですが、ちょっと想像と違っていましたね。

2日目。朝から特急に乗ってチェコに行こうとしたのですが寝過ごしました。ただ、片道の移動時間がこれまた5時間も掛かるので仮に朝一の列車に乗っても、宿泊の都合上、日帰りで帰るとなるとろくに滞在できず一日を列車で過ごしかねないスケジュールでもあったので、正直フイにして後悔はしませんでした。

テレビを点けたらチャンピオンズリーグバイエルンアンデルレヒト試合が中継されていました。2-0でバイエルンが快勝していて流石FCバイエルンでした。

昼。電車に乗ってシュタージ博物館へ。これも東ドイツ関係。『善き人のためのソナタ』にも出てきた建物写真ネクタイは、よく見ると小さな穴が開いていて、この穴を通してカメラ反体制派の行動を盗撮していたというのですから恐ろしい。

夕方オーバーバウム橋からシュプレー川沿いの「イースト・サイド・ギャラリー」を見学。これも東ドイツ時代遺産写真男性二人(ブレジネフとホーネッカー)が交わしているアツいキスは決して男色を表しているのではなく、共産圏における挨拶の一つだという…。その後はポツダムに移動しサンスーシ宮殿見学するつもりでいましたが、気付いたら閉園時間が近付いていたため断念。片道1時間電車を引き返すことに。

夜。ポツダムプラッツレストランで夕食。ベルリンピルスナーを堪能。ドイツビールは飲めるけど、日本ビールは何であんな苦くて不味いんでしょうか。クネーデルズッペ。ブイヨンベースに牛レバーの肉団子というシンプルスープ料理なのですが、これが非常に美味しかったです。スープ料理で初めて感激しました。最後ベルリン名物アイスバイン塩漬け豚肉を茹でたもので美味しかったのですが、ボリュームに屈し食べきれずギブアップ。すいませんでした。

帰路。連邦議事堂。丁度議会選挙の直後だったのか館内見学の予約が取れず外から見学

ホテル内。ビールを飲みながらテレビドルトムントレアルマドリード試合を観戦。やはりピルスナーは飲みやすい!それでいて1.03ユーロ(約137円)という驚きの安さ。なお試合は3-1でレアルドルトムントボコボコにしてました。

3日目。6時にチェックアウトを済ませ、西方シュトゥットガルトへ。メルセデス・ベンツミュージアム見学しに。ルイス・ハミルトンは好きじゃないですが、メルセデス・ベンツは好きです。前からSLS AMGやAMG GTのロングノーズのボディが気に入らなかったのですが、300SL等歴代の車種を見ていくにつれてこのノーズが力強さが感じられるようになり好きになりました。あと、AMG GTって写真で見るより意外と車体が小さかったです。

博物館を後にし、ケルンへ移動。2時間程移動してケルンホテルマテルヌスハウスチェックイン。受付は愛想が良く好感を持てましたが、部屋がツインダブルベットで虚しさがこみ上げてきました。加えて、もともとコンベンションホールホテルにした作りなのか、浴室の作りが人工的でこれまたムードダウン。

ケルン大聖堂。二つのアーチがそびえるゴシック様式ローマ・カトリック教会ブランデンブルク門と並んで見たかったものその2。駅からライン川を渡った先が撮影ポイントで、道行く外国人スリの恐怖に怯えながら100枚くらい写真を撮っていました。

夕食。『地球の歩き方』にも掲載されている有名店なレストラン。ここではケルシュという地ビールを堪能。フルーティーな味わいで飲みやすいけど、水だと揶揄されてもいいくらい苦味が薄く刺激が弱い。でもボクは好き。

4日目。最終日。朝食はフルーツポンチばかり食べてました。ゆっくりしてからチェックアウトを済まし、フランクフルトへ。

フランクフルト証券取引所。入口前に雄牛と熊の銅像ブルベア。DAXは8月以降ずっとブルってやがる!館内ツアーガイドドイツ語で何を言ってるかさっぱり判らなかったです。取引所を後にし、しばらくフランクフルト金融街を闊歩してからフランクフルト国際空港へ。ドイツ旅行はこれにて終わり。

魔の5日目。トランジット北京行の便がまさかの遅延で予定の日本行の便に乗れず。後にトランジットカウンターに行って出発便を振り替えればよいとわかったのですが、何せ初めての事態でかなりアプセット。何とか便を振り替えてもらいましたが、中国人の話す英語が判らず聞き取るのにかなり苦労しました。

19時頃羽田空港着。成田じゃなくてよかったです。ここでクイズ東京に着いて一番最初に食べたものは?そうですね、ラーメンですね。

初めて一人で行く海外旅行でしたが、正直旅行というより社会科見学に近いものでした。博物館で2時間も3時間も過ごすのでもし人と一緒に来ていたらうんざりするでしょうし、この点は一人でよかったです。完全に自分時間が流れていました。

しかしながら、やはりトラブルがある時はやはり一人で対処しないといけないですし、当然コミュニケーション外国語なので言葉がわからないと辛いものがありますね。幸い身振り手振り肉体言語でも伝わるのでこの点は何とかなることはありますが。意外にも滞在期間中一切日本語を喋らなかったのが精神的に辛かったです。

また行きたいですね。今度はルフトハンザ航空の直行便ファーストクラスで。

2017-10-26

日本人にはお上がいる(と思ってる) 

 主語が大きい問題いきまーす。

 日本人お上がいるという現象に慣れすぎていると思う。お上というか、自分問題他人問題解決するべき他人存在すると信じている。

違法駐輪問題行政がなんとかすべき

・いきいきママ問題管理職がなんとかすべき

飲食店いじめがあったら→店員がなんとかすべき

 みたいなね。どれも問題を感じているのは自分なのに。

 それなのに自己責任論も同時に広く信じられているんだから信じられない。

 いや、わかるよ。それをするべき権限を持った人間がそれをするのがスマートだって。そういう問題を扱う資格責任もない人間がそれを解決しようとすると余計に混乱するだけだって

 でもさ、その権限ってどうやって決まるんだろうね。職業としてそういう権限を持つ人がいるのは否定しないよ。だけど、飲食店いじめがあったら店員がなんとかすべきって、そこまで一店員押し付けるの?そういう、誰がやるべきかはっきりしてないことまでそれっぽい他人押し付けること、あなたはやったりしてない?

 例えば、東日本大震災ショッピングセンターに取り残された人たちに「奴隷」にされたっていう警備員の人の話、あったよね。それって問題解決する他人を求める人の傲慢さがもろに出た話だったと思うんだ。

 だからさ、自分問題だと思ったことで、自分対処するんだって思うこと、もうちょっと増やさない?道が雪かきされてなくて危ないと思ったら自分でやりに行く、くらいのことでいいんだ。

 頭で考えた「正しいこと」でも、実行されなきゃ意味がない。それをするのが自分自身で悪いこと、滅多にないと思うよ。

2017-10-25

外で声をかけてきた印象深い人達を思い出して書いていく

 

・えんこう目的リーマン

渋谷のまだBook1stがあった時、その前を歩いてたら後ろから

「ボソボソ…3万…ボソボソ…1万5千円でお茶だけでも…ボソボソ…」と

聞こえてきて振り返ったら身長160cmくらいの顔色悪いガリガリの若いリーマン

きょどりながら値段を言ってきてて「いえ、遠慮します…」と言ったら

「そうですか…すみません…」と言ってさらっといなくなった。

えんこうの切欠ってこういうのなのかーと思った。

普通に値段下げてんじゃねぇよと思った。

 

ナンパしてきた男の子

ハタチくらいの時、ぶんかむらの近くで向かいから来た10代後半からハタチくらいの若い男の子

2人で歩いてきてて少し前で止まって何か喋ってて、なんか嫌だなと思ってたら一人が小走りで寄ってきて

「急にすみませんめっちゃ好みなんですけど、良かったらお茶でもしませんか、もし嫌なら連絡先だけでも…」

的なことを緊張した感じで言われたけど嬉しいとかより先に普通に怖くて断ってしまった。

立ち去るとき特に暴言を吐かれることも無く「あ、そうですよね、なんかすみません」みたいな感じで良い人だなーと思った。

 

水商売勧誘のお兄さん

0時までバイトして帰宅時に歩いてたら向かいから来たスーツも肌も真っ黒いお兄さん?おじさん?に

「どこかのお店で働いてる?」と聞かれて「?いえ?」と答えたら勧誘された。

「良かったら連絡してね」と名刺を渡された。

道歩いてて水商売勧誘されたのはこれが最初最後

 

ナンパしてきた男の子

友人に呼び出されて夜かまたの駅前を急いでいたら声をかけてきたハタチくらいの男の子

結構しつこくされたけど、でも軽い調子冗談交えながらで、

友人でこういう人がいたら楽しいだろうなーと思いながら断った。

 

仕事場までついて来た酔っ払い

しぶやで働いてたとき、朝の10時くらいに細い路地のところに立ってた20代前半くらいのお兄さん。

しかけられて「これから仕事で急いでる」と早歩きしながら答えたらそのまま着いて来てしまって、

会社まで送るよー」と言われ、結構おかたい感じの仕事場で働いてたのでそれは困ると思い

色々と理由をつけて諦めてもらおうと思ったけど結局最後まで着いて来て、

警備員さんにじろじろ見られながら気まずい思いをしたけど、最後職場を見られて満足したみたいで

「じゃあねー」と言って帰っていった。

ずっと空のグラスを持ってついてきてて本当に大丈夫かなこの人って思ってた。

2017-10-24

anond:20171023123956

そういうイデオロギー的な話じゃないんだよな…

単純に民主自民経済再生しているんだからそこ認めないと話にならないと思う

左翼の人はタイミングが合っただけだって言うけど

実際民主の期間じゃダメだったわけで

はてなでscopedogとかがクソみたいな理屈こねてるの見るとほんと頭にくる

俺は今年二十歳になったばかりの地方大学生だけど、

正直民主のままだったら今みたいにのんびり大学なんか行けなかった

船に積む機械を作っている親父は

リーマンショック以降の円高放置仕事をごっそり韓国中国に持ってかれて

アベノミクスで円が戻るのがあと1年遅かったら

中国人に持ちかけられていた工作機械を安く譲り

2年ほど中国に使い方を教えに行くって仕事を請けて

日本に戻ったら土方とか警備員でもやるしかないなと思っていたらしい

地方第2次産業裾野やってるようなところではけっこうある話だと思う

実際あの時期に畳んでしまったところもそれなりにあったし

まだその傷が癒えているわけでもないのに

元請け労組連合支持で立憲民主なんてやってんのやっぱフザケンナってなるよ

まずお前らの政権時の反省を見せろやって

砕かれた鏡

(この日記は、「副業風俗レポを連載していたのだが、」https://anond.hatelabo.jp/20171023190844を「俺が編集者ならこう書き換える」という内容に無断で編集したものです。)

お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!

某月某日、夜。駅前商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。

中国式マッサージ 60分¥6000

インターホンを鳴らすと、異様に背の低い白髪の老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡された。メニュー表には複数コースが書かれていたが、婆さんは大きな目をさらに大きくして90分一万円のコースゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。

部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長めで、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじセクシーしかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。

ナナ「初めてですか?」

僕 「はい

ナナ「先にシャワー浴びますか?」

僕 「あ、はい

ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」

ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山

一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。

ナナ「うつぶせになれますか?」

僕 「あ、はい・・・

ナナ「・・・やっぱり、あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから

うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太もも感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!

まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来うつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだしかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡フュージョン国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアフィギュアスケーターユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。

本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。

🌑

これは、ある風俗系のサイトのために書いた原稿である。そのサイトが突然閉鎖してしまい、行き場所がなくなった。自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は二年近く、こんな文章ばかり書いていた。この記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。

あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社倒産させた後だったのだ。単なる地元中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部裏切り横領大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。

いよいよ金が尽きてきたので、警備員バイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員仕事高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。

件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語ジブリアニメ勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本出稼ぎに来ていたのだった。

僕も自分のことを話した。地元中小企業の二代目社長社員は26人。趣味スキーテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。

ナナちゃんと話した翌日から、僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人で、オレンジワンピーススニーカーを履いて、髪はポニーテールにまとめていた。相変わらずちょっとツンとしていて、喋らなければどこからみても普通若い女性だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子限界まで目深に被り、ばれないようにした。

午後になって、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。彼女は僕の前を通り過ぎて、その先の角を右に曲がっていった。彼女は僕の視界から消えた。

数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるもの破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安状態が続いた。

僕はやることもなく、ふと思い立って再びあの店に行ってみた。当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中からあの大きな目の老婆が顔を出して、「やってませんよ」と言った。

僕 「いつごろ再開しますか?」

老婆「もうやらないよ。おしまい

僕 「・・・

老婆「みんな中国に帰ったよ」

僕 「ナナちゃんは?」

老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」

当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクション就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステ体験レポを書くようになった。

最初のうちは、アジアンエステ取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初最後だと思う。

地震で粉々に砕かれた鏡の上に今は別々の人生が映し出されている。ナナちゃん、元気だろうか。

2017-10-23

おれがおまえでおま

けの中身が知りたくてー

浜松市東区内のショッピングセンターで、ポテトチップスのおまけのプロ野球選手カードの入った袋25個に、

はさみで切り込みを入れたとして、浜松東署は6日、愛知県豊川市中条町宮坪、無職松尾容疑者(51)を器物損壊容疑で逮捕したと発表した。

巨人軍カードが欲しかった」と容疑を認めているという。

同署によると、松尾容疑者は5日午後1時55分ごろから約20分間、同センターで、

おまけのカード付きのポテトチップス25袋(1袋90円、計2250円)のおまけの袋をはさみで切った疑いがある。

容疑者は、計35袋のおまけの袋を切り、中身のカード確認して気に入った10袋を購入した。

それ以外の25袋を商品棚に返してセンターを出たところを警備員に呼び止められたという。

副業風俗レポを連載していたのだが、

諸般の事情サイトが閉鎖されてしまった。原稿が一本無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。

🌑

お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!

某月某日、夜。駅前商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。

中国式マッサージ 60分¥6000

インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数コースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。

部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長くて、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじセクシーしかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。

ナナ「初めてですか?」

僕 「はい

ナナ「先にシャワー浴びますか?」

僕 「あ、はい

ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」

ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山

一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。

ナナ「うつぶせになれますか?」

僕 「あ、はい...」

ナナ「あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから

うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太もも感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!

まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来うつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだしかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡フュージョン国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアフィギュアスケーターユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。

本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。

🌑

自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は某風俗サイトで二年近くこんな文章ばかり書いていた。先の記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社倒産させた後だったのだ。単なる地元中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部裏切り横領大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。

いよいよ金が尽きてきたので、警備員バイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員仕事高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。

件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語ジブリアニメ勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本出稼ぎに来ていたのだった。

僕も自分のことを話した。地元中小企業の二代目社長社員は26人。趣味スキーテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。

この話には後日談がある。翌日から僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子限界まで目深に被り、ばれないようにした。午後になると、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。

数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるもの破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安状態が続いた。再び店に行ってみると、当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中から背の低い老婆が現れて「やってませんよ」と言った。

僕 「いつごろ再開しますか?」

老婆「もうやらないよ。おしまい

僕 「・・・

老婆「みんな中国に帰ったよ」

僕 「ナナちゃんは?」

老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」

当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクション就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステ体験レポを書くようになった。最初のうちは、アジアンエステ取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初最後だと思う。ナナちゃん、元気だろうか。

2017-10-11

遺産で6000万入った貧乏婆さんの末路(追記の追記有り)

俺の母親なんだが、6年ほど前に俺の祖父(母から見て父親から遺産で6000万ほど入った

遺産相続した時、俺の母親の年齢は62歳。警備員で月に10日ほど働いて数万稼いで、生活保護もらって何とか生きてる状態

そこにいきなり大金が転がり込んだ。

それでどうしたか

まず家を買った。

これでまず1100万ほど消えて残り4900万。

俺が貸してた200万を返還させた。一生帰ってこないと思っていたが、これはラッキーだった。

残り4700万。

中古の車を買った。100万くらい。

残り4600万。

住んでた家を引き払って買った家に引っ越した。

退去の修繕と引っ越し家具家電で300万ほど使う。

残り4300万。

それでも62歳で貯金4000万超ってありがたい状況やん?家具家電新品だから10年は壊れんし、家も無借金リフォーム済だ。

生活保護期間は国民年金払ってるカウントされるらしく、6万くらいは年金出るらしい。

リフォーム済持ち家、貯金4000万、月に10日くらいは働ける、3年後には毎月6万入る。豊かに暮らせずとも、人生終わりまで何とかなるくらいやん?

でも違うのよ。貧乏人が棚ボタで金持つとアホになる。

まず20歳年下の男を作った。

仕事休みの日はパチンコ、そして毎日外食

何故か毎週ホームセンターに通って使わない物を買い漁る。

美容整形フェイスリフト?とかいうのやって、ラスベガスにも遊びに行った。

何か俺にも旅行お土産とか買ってきてたから、多少の付き合いは有ってさ。

まぁ大金入ったか最初ははしゃぐのも仕方なしと思ってたけど、いつまでたっても落ち着く気配が無い。

それで俺もちょっと言った訳ですよ。

「お前、もう金稼げないのだから、持ってるもの使い果たしたら終わりやぞ。節約せぇや」ってね。

そしたらこう言い返すわけです。「私のお金や、お前が何言おうが関係無い」と。

まぁその通りですわ。俺の金じゃない。

そんでこう言い放つわけです「遺産目当てか?私は使い切って死ぬ。どうせ長生きせんし」と。

ああそうかい勝手にせえやでその場は終わり。


そんで当然のように金が無くなるわけですよ。4年位で。

6000万を4年で使い切るのすげーなと思うけど、まぁ使うつもりになったらそんなもんだわな。

残念なのは、4年で母親が死ななかった事だ。

使ってる最中に梗塞でもおこしていれば、幸せなまま逝けたかもしれんのに。

ちなみに男は、金がなくなったら出ていった。まぁ金のない婆さんにつきあう必要無いわな。

遺産が無くなる数ヶ月前には深刻さに気がついたみたいで、警備員仕事増やしたり、外食ランク落としてた。

カウンター寿司屋じゃなくてスシローに行くみたいな感じ。

4000万から100万消えてもインパクトは少ないが、500万から100万消えたら怖いわな。

でも身についた贅沢癖は簡単にはなおらない。月100万使う所をなんとか80万には出来ても、金がある間は月10生活には戻れない。

から見れば月80万使う生活とか意味わからんし、贅沢出来て結構な事じゃねとしか思わん。

当人は相当なストレスが有ったみたいで、みるみる顔色が悪くなって身だしなみも崩れていった。

調子こいて呼んでたダスキンの家政婦や、毎月行ってたペットトリミングもやめた。

でもパチンコ外食遺産が無くなるまでやめられなかったみたいだな。

で、小金持ちの婆さんは、めでたく金無しの婆さんになりましたとさ。

で終わらないわけですわ。


口座に金が有るとクレジットカード作れるやん?

口座に一時期6000万とか有って、持ち家だっつー事で枠100万くらいのカードが有ったらしい。

金がなくなってクレカ生活。その枠もMAX使い切り。

66歳、警備員貯金無し、100万を年利15%で借りて利払いだけで年15万。

他にも信販から100万くらい借りてるらしい。

まぁ無理だわな。


現在母親は68歳。

何か自己破産はイヤみたいで、今は月に25日くらい警備員してる。死んだ顔しながら。

家賃無料だと、何とか借金の利息分は払えるみたいだ。

給料入ると借金の利息を入れて、余った金でパチンコ外食をして、給料日前は半額になった麺類を買ってきて凌いでるらしい。

パチンコ外食をやめて、借金全部返したら使える金が毎月数万増えるぞと言ったが聞く耳は持ってない。

バカジャネーノとしか思わんが本人の感想は違うのかもしれん。

まぁ俺が見た所によると、遺産を貰う前より無くなった後の方が不幸そうだ。

一時期にでも贅沢出来て良かったねというのが普通感性だと思うのだが、本人は違うもよう。

俺には理解できないが、金が最初から無いより、持ってたのが無くなる方が厳しいみたいだぞ。

宝くじに当たった人が不幸になるメカニズムを目の前で観察出来たっぽく、貴重な体験だったのでシェアしとく。

お前らも急に大金が入った時には冷静になるんやぞ。

追記

すげー読んでくれてるみたいでありがたい。こんな話、顔出して出来ないしな。

冷静に見えるみたいだけど、当時は俺によこせ有効利用したると思ってたよw


爺さんは貧乏暮らしに見えたんだが、昔商売やってた時に貯めてたらしい。

たまに食うアイスが好きで、俺がハーゲンダッツ持っていったら喜んでたよ。小遣いはびた一文くれなかったけどなw

俺はそんな金持ってるとは全く知らず、爺さんが死ぬ1ヶ月前に入院した時に、銀行から金降ろしてこい言われて残高見てビビった。

「ホンマはお前に残すのが正しいかもしれんが、お前はまだ貯金1000万くらいか。ほなこんだけ入ったら人生うから遺言は書かん。」て言われて、300万だけもらった。(生前贈与枠で処理済み)

実際に目の前で狂ってる人見て、ちょっと納得した所も有る。全額欲しかったけどねw

相続税はかからんかったらしい。払ってないだけかもしれん。

母親お盆墓参りにも最初の2年くらい行っただけで、最近無視してる。

俺のお盆の恒例行事の一つに、爺さんの永代供養墓にハーゲンダッツ持って墓参りが入ってる。

そんなに仲が良かったわけじゃなく、会うのも年に1回くらいだったけど、300万もらった義理が有るからね。よほど遠方へ転勤にならん限りは続けるよ。

今年は抹茶味を持っていった。来年は何味持っていこうかな。


追記の追記

何か相続税とかのブコメがチラホラ有るので調べた。

俺が爺さんの口座見た時に入ってた金額は6400万少々。

俺にくれたのが300万

入院費や爺さんが住んでた家の片付けでかかった費用100万を少し出るくらい

相続税は当時6000万まで無税だったみたいだ。

爺さん・・・死ぬ前に税金まで計算して俺に金くれたのか?

本当に食えないジジイだな。盆のアイススーパーカップにしてやろうかw

2017-10-10

[]Gメン

アメリカ合衆国連邦捜査局 (FBI) 特別捜査官の通称(Government Man、「政府役人」の略)。

よって、警察官ではない特別司法警察職員・民間警備員麻薬Gメン公害Gメン、万引きGメンなどをGメン(正しくは単数形でGマン)と呼ぶのは、本来意味ガバメントマンから大きく外れる。

Gメン - Wikipedia

2017-10-08

戸籍

最近戸籍の届けを役所に提出する機会があったので夜間に出してきた。

ー実際の経験に基づいて夜間に戸籍の届けを出す人へー

  1. 戸籍の届けの時は必ず身分証明書印鑑を持っていく(どんな届けでも)
    • ただし訂正印を事前に押してあれば、印鑑は持っていかなくても大丈夫(押すべきところを押してあるのが前提)
  2. 婚姻届場合自分本籍が受付の役所区域じゃなければ戸籍謄本を事前に用意する。
    • 忘れたら後日提出すればいいとのこと。
  3. 夜間の受付の人は職員じゃなく委託業者なので専門的な事は聞いても答えられない。(答えちゃいけないとのこと)
    • ほとんどが警備員があずかるだけ(稀に窓口のような受付をする場所もあるらしい)
  4. 夜間に提出すると、平日にまた役所にこないといけない可能性がある。
    • 書類に不備があって訂正が出来るか出来ないかで窓口に行かないといけない場合があるらしい。
    • 身分証明書を忘れるとほぼ確実に呼び出しを食らう。
    • 印鑑も同じ。
  5. 夜間に一度提出すると、もし日を改めたくなって一旦キャンセルにししたいと申し出ても届けの返却はできないとの事。
    • その日に提出してその日にキャンセルかけるって話であっても、窓口で職員対応して返却じゃないといけないらしい。
    • これは夜間の受付が職員じゃないからという理由と教えてくれた。


今回は婚姻届で行ったんだけど、警備員さん曰く「受付するなら時間を作って昼間に受付をしたほうが確実ですよ」との事。

他にも「役所に来る前に一度電話必要ものを聞いたほうが良い」とも言っていた。

あれ忘れたこれ忘れたって感じで何度も来る人が結構多いんだって

何度も来る人に限って、急いで手続きしてほしいって言う人も多いらしい。

警備員が「市民の人から怒鳴られてしまったりして困ったこともあります」って苦笑してた。

まあ、理不尽な怒りをぶつけられるのは…たまったもんじゃないよね。

こういうのは余裕をもって提出するようにしたほうが良いかも。

2017-10-02

LINE婚活相談した女性に裏切られた話

今、人間不信女性不信をなんとかしたいと思って婚活相談している。相手ビジネススクールで知り合った、コミュニケーションについて学んでいる女性だ。

スクール内の彼女講義で、カウンセリングを受け付けている旨を聞いて相談した。

結果、裏切られた。いや「裏切られた」は自分勝手言い草だが敢えて言う。裏切られたと。

 

俺は深刻な女性不信を抱えている。小1から小6までクラス女子全員に避けられ、1年の時のBBA担任些細なことで教室の後ろや廊下に何度も立たされて晒し者になった。3年の時は一時期クラス女子遊んだことはあったが、些細なことで詰られて泣きながらゲロ吐いてそれ以降女子と遊ばなくなった。当時のBBA担任には往復ビンタされたこともある。4年の時はいじめられたが、担任(また別のBBA)に相談しようにも、担任いじめ対象だった。5年の時は転校生女子に惚れて体育のマラソンちょっかい出したら担任(男)にこっぴどく怒られた。調理実習の時は女子の間で「【俺】に食品を触らせるな」がクラス暗黙のルールだった。2年と6年の時は目立った事件はなかったが、2年の時には確実に「女は信用できない」と思っていた。

中学に入っても状況は変わらなかった。小4でいじめられた影響で完全に人間不信になったので、喜びと悲しみの感情が死んでいた。中3で祖父他界したとき「何で俺だけ涙が出ないんだろう。悲しまなきゃいけないのは分かるけど辛い」と思っていた。悲しむのが苦痛しかなかった。

大学時代ちょっとした意見の違いでサークル内で揉め、その時に法学部の先輩がわざわざ携帯メアドを「◯◯◯.2ch.net@docomo.ne.jp」に変えて匿名を装って悪口中傷メールを何度も送ってきた。俺はサークル内で孤立し、あるときサークル裁判事態収束するために俺がクビになった。

大学卒業後に入社した会社が4年後に倒産して、その後すぐに就活したがまったく決まらず、貯金が底をついた頃にクレカの督促の電話口でオペレーターの姉ちゃんにこっぴどく怒られた。今考えても姉ちゃんの言い分がまったくの正論だが、その言葉のキツさに耐えられずに就活も休んだ。

普通バイトも決まらないので仕方なく警備員をやったら、新人いびりで支社長いじめられ、こいつを殺したいと本気で思ったことがある。現場凶器を物色しようと思ってたときに高熱で寝込み、その後しばらくして支社長左遷されたので実行には移さなかった。

「人はいつか必ず自分を裏切る」と信じて疑わなかった。そんなときに数少ない友人や知人と色々話して、女性不信と人間不信解決しようと決めた。

 

以上の内容を、女性不信の部分に絞ってざっくり相手女性に話した。返答はこうだ。「そんな(ネガティブに捉えること)ないと言おうと思ったけど、私も最近信じてた人に裏切られたので共感しかできない」

俺はこう返した。「共感してくれてありがとう。そんなことないと言われたら信用できなくなるところだった」

その後、3週間ほど返答がなかったのでこう送った。「同じ悩みを持っているなら、協力して解決するのはどうだろう」

そしたらこう返ってきた。「今は愛のある優しい彼氏がいるのでちょっと違うかなと思います

 

は? 意味が分からないんですけど。

何で裏切られたばっかりなのに彼氏がいるんだよ。自分彼氏ができたら用済みかよ。いやそうじゃない、裏切られたっていうのはいったい何だったんだよ。

後日「私はこのようにした」旨の返答が来た。前彼に捨てられた後に大変な努力をしたということで、きっとものすごい苦労をしたんだろうなというのは分かるんだが、違うそうじゃない。たった2、3ヶ月で解決たこ自体似非男性不信だったことの証左じゃねえか。それで共感したつもりかよ。こんなの騙し討ちじゃねえか。

非常に自分勝手自分本位クズな考え方なのはわかってる。でも溜め込んでちゃ仕方ないし、かといって本人に言ったらそれこそ終わりなのでここに吐き出すしかなかった。悔しい。どうしようもなく手が震えて涙が止まらない。これほどの屈辱を味わったことはない。許せない。

 

ああそうさ、俺は弱いさ。こんなとこに不平を言うだけのどうしようもないクズだ。だけど頼むから相談受けるならもうちょっと女性不信を勉強してきてくれ。それくらいのことは言ってもいいだろう?

 

今俺はこうやって悲劇ヒーローぶっているが、学ぶこともあった。彼女悲劇のヒロインにならなかった。それだけは糧にしなきゃいけないと思う。ただ、あとは返答とかを顧みてほしい。もっと勉強してきてほしい。彼氏を気にして手を抜くようなことはしてほしくない。ただそれだけを願う。

一度は裏切られた。でも信じない理由にはならない。だから何度でも相談させてもらう。願わくば結婚までお付き合い願いたい。

2017-09-19

anond:20170918224650

マンションセキュリティサービスに加入していると

ALSOKとかの警備会社マンションのどこかに全住戸の鍵を保管してたりするので

管理会社電話して警備員さんに来てもらって鍵を借りるのが安上がり

2017-09-17

anond:20170916213941

いろいろ返事ありがとう

同居は義父が亡くなって義母が寂しがった・・と言う流れで始まったんだけど

義父が健在の時は義母も義妹も普通に礼節のある人達に見えてたんだよね

から同居も大丈夫だろうと思いきや、やりたい放題

大黒柱みたいな義父の存在が大きかったから皆おとなしくしていたんだなって今頃気づいてきましたわ・・

義妹は専業主婦、その旦那警備員からそんなに大変な仕事じゃないと思う

うちの旦那の方が残業多くて大変かと

2017-09-16

交通整理警備員の爺さんを怒鳴る人

昨日横浜の端っこにある安売りスーパーの出口で見かけた

20分くらい前に店内でうろうろして携帯すみませんすみません謝っていた

少しばかり大柄だったから目立っていてなにかやりそうな雰囲気があった

買い物終わって店の外に出たら案の定やらかしていた

警備員の爺さんのミスを大声でバカだのおまえは警察じゃない警察でもないおまえのいうことをなぜ聞かなきゃいけないだのと罵っていた

きっと電話いじめられてた八つ当たりだなと思って冷めた目で見ていた

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