はてなキーワード: 台無しとは
アメリカにホームスティした時にホストファミリーが自分に気を使ってかデリバリーで白米を頼んでくれたことがある。
多分、中華のデリバリーに一緒について来たんだと思うが、詳細は忘れた。
その時、我々にはちょっと味が薄いからね...みたいなことを言いながら白米にめちゃくちゃ砂糖をかけていてびっくりした。
シーナアイエンガー氏が京都で緑茶に砂糖を入れようとしたら、当店では砂糖を置いておりませんと断られたというエピソードを書いていたが、
和食の視点で言えば緑茶に余計な甘未を入れるのは間違っているように思えてくる。
アメリカには砂糖入りの緑茶があるのも知っているし、日本のご家庭にも麦茶に砂糖を入れる人のは知っているけど。
...それそのもので完成されたものにその文化を知らない人が勝手に何かを付け加えて台無しにしているように見える現象は世界共通にみられるものだろうな。
日頃運転してて思う、これだけは絶滅してほしい運転の仕方を3つほどご紹介。
・とにかく詰める
とにかく詰める。何が何でも詰める。車間空くと死んじゃう人。
多分車間不安症。
こいつらがいなくなれば世の中の渋滞の1/3は解消する。言い切ってもいい。
1台おきに合流するのは、配慮とか以上に渋滞緩和という理由があることをまず理解してくれ。
運転やめてください。
そのために色々な情報収集しながら運転をしているのだけど、誰もができてそれだけで安全性がめちゃくちゃ高くなるウィンカーを使わないやつ多すぎ。
遅いとかももちろん良くないけど、車線変更で使わないの意味がわからない。
ウィンカーはできるだけ時間的余裕を持って使って始めて意味がある。
逆を返すと、ウィンカーを付けた直後に車線変更しなきゃならんようなタイミングなら車線変更するな。
要するに、ウィンカーを使わないこと以上に、使わない人間は安全運転には予測運転が大事だという観点が抜け落ちているという点に問題がある。
・左側追い越し
左車線が空いてるからって、バンバンスピード出して詰まったら入ってくるやつ死ね。
それを差し置いても、路駐してるのわかってて左車線でガンガン追い越す車死ね。
ただ単純に危ない。本当に危ない。
車は流れの上で走ってるので、その流れを無視するスピードで、しかも左側から追い抜くとか事故を起こしたいとしか思えない。
ウィンカーつかわないで車線変更する車と出会おうものなら不幸ですよ。
路駐の度に右に戻るとか、流れが滞るだけで渋滞になるからマジでやめろ。
危険度と迷惑度合わせると、この3つの中で一番やっちゃダメなこと。
自分が載せた客のために他のすべての客とドライバーに迷惑をかけるゴミオブザゴミ。
逆に、これをやったら感心しちゃう3選
・登り坂頂上付近停止時に消灯
車体が上向きになる=坂の頂上より向こうの相手にはドライバーにライトが直接当たるということ。
要するにクソ眩しいわけで、信号見えなかったり歩行者見えなかったりで普通に危険。
それを相手のことを思いやってできるということが本当に素晴らしい。
こっちが消しても消さない車には出発時少し早めに付けて眩しさを知らせるようにしてるけど、まぁ焼け石に水だわな。
・交差点右折時にできるだけ直進
一つは交差点内に少しでも多くの車両が入れることで、一回の信号で右折できる車が増えるということ。
それ以上に、手前からとろとろ右折すると後続車のスピードも乗らないし反対車線をまたぐ時間が増えて危険。
そのために、前の車に続いて右折するときは焦ってすぐにハンドルを切るのではなく、できるだけ前に進んでから鋭角に曲がるようにすると、後続車のスピードも落ちずにスムーズに曲がることができる。
左折というのは、歩行者がいれば横断歩道手前での停車が必要になるので、後続車が直進したいときに詰まってしまうことになる。
それが早めにウィンカーを上げておいてくれれば、後続車はもっと手前から右車線に移るなどの判断ができるようになるということ。
酷い車だと信号待ち終わるまで左折ウィンカーを挙げなかったりして、左車線にごっそり直進車両がつまってしまったりする。
それは流石にクソ迷惑。
坂道譲る譲らないとか正直どうでもいい。
イギリスのBBCの例の放送から半年が経ち、ジャニーズ事務所は瓦解しつつある。夏前の雰囲気では「噂では聞いた」「当人は故人」「証拠がない」「ごめんなさい」で寸志を渡して逃げ切りそうな空気だったが、再発防止特別チームの予想以上の報告書で潮目が変わった。
国体護持の立場から、新社長は東山紀之となったが、相変わらず「噂では聞いた」としか言わず、社名は変わらず、株主も変わらず、方向性も見えず、期限も示さずではまともな商取引をしづらいのは正直なところ。
そして、東山社長が今から40年近く前に、当時のジャニーズJrに『俺のソーセージを食え』と言い放ったことが話題となった。2005年の『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』という本の一節をネットニュースが取り上げ、それが拡散した形なる。
ところで、この本を書いたのは元ジャニーズJr.の木山将吾である。現役時点は山崎正人と名乗っていた。ただ、木山は、18年前にジャニーズ喜多川からの性被害について赤裸々な著作を書いていたにもかかわらず、この半年間のムーブメントでは特にコメントらしいものを発していない。彼はどこへ行ったのだろうか。
と、ずーっと謎に思っていたのだけど、実は、木山が滋賀県に住んでいることが判明した。
https://www.city.kusatsu.shiga.jp/citysales/ouen/boosters/list/ginrara.html
この写真の右側が、GIN山崎ぎんこと、山崎正人、すなわち木山将吾だ。
山崎は1970年生まれで、15歳~18歳まで山崎正人名義でジャニーズ事務所に所属。光GENJIの候補メンバーだったが、性被害を受けて退所していく。1988年に北公次(フォーリーブス)の『光GENJIへ』などのジャニー喜多川暴露本が出版された後、山崎は1989年、山崎銀名義でアイドルグループ「新・光GENJI」に参加し、それが「SHADOW」となる。SHADOWは、アンチジャニーズを標榜していた地下アイドルグループで、北公次が印税を注ぎ込み運営し、後に被害者の会代表となる平本淳也らも参加していた。ただ、きっかけが不純だったからか、すぐに解散している。
山崎は京都などで活動を単発的にしていたが、2005年に木山名義で『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社)を刊行した。週刊文春の報道があり、2004年の最高裁でジャニーの犯罪が確定した翌年になる。
当時、鹿砦社は、ジャニーズ本を多数出していた。ただ、その多くがタレントの住所暴露本でさすがに褒められたものではなかった。社長は同年別件で逮捕されている。2007年には同じ内容でタイトルを変えて「KAT-TUNへ - 赤西仁がやめた本当の理由」と再編集本を出したあたり、同社に胡散臭さがあるのは否めない。週刊文春もこの時期は報道を控えていたこともあり、1988年の北公次のときほど話題にはならなかった。
その後、木山こと山崎ぎんは滋賀県草津市に移住し、2010年頃から滋賀ローカルタレントとして活躍している。GINLALAとして地元女性タレントとコンビを組み、地元コミュニティーFM「えふえむ草津」の出演、イベントやコンサートの司会などをしている。滋賀県のBBCには出演したこともある。
増田も以前に滋賀県に住んでいたことがあるんで、彼の顔は何度か見かけたことがある。平和堂の催しや、町内会の夏祭りの司会などもしていたからだ。名前はうっすらと記憶しているが、その顔や姿、声、話している内容は特に記憶がない。無名のセミプロタレントの一人だと思っていた。
本人は、別に過去を隠しているわけではないようだ。えふえむ草津のパーソナリティー紹介では
とある。ご本人としては「SHADOW」は黒歴史ではない模様だ。
ただ、イギリスのBBC以降のムーブメントがあるにもかかわらず、木山将吾こと山崎ぎんは、何も発言はしていない。2005年の本はかなり赤裸々にジャニー喜多川の加害を表現していたが、それを改めて言及するのは精神的にかなりしんどいものになるのだろう。コロナ禍で大変だったタレント業もようやく回復しつつある。それを台無しにしかねない。山崎はGINLALAのgooブログに登場するが、作成は相方のLALA氏が担当しているようなので、ジャニー喜多川問題への言及はない。
https://blog.goo.ne.jp/ginlala785kusatsu
思えば、ジャニー喜多川の暴露本の先鞭をつけた北公次にしても、再婚してワイドショーに登場した1994年以降、ジャニーズ事務所への言及を避けている。1999年10月から始まった「週刊文春」のジャニーズ事務所の連載。第1回目は、同じフォーリーブスの青山孝史だった。読者としては、続いて北公次も登場するだろうと思ったが、最後まで何も発言しなかった。後の裁判にも参加していない。
北としても、芸能界復帰への思惑がある中、言わずが花、という考え方があるのは理解できる。村西とおるらに煽られ暴露本を書いたものの莫大な印税はあっという間に消えた。反ジャニーズの連中が必ずしも自分の味方ではないというのも悟ったのだろう。
2002年、北は青山、おりも政夫、江木俊夫らとフォーリーブスを再結成している。当時、メリー喜多川は「北と青山はジャニーズ事務所の敷居を跨がせない」と激怒していたという。暴露本に参加したからだ。でも、フォーリーブスの名前を使うことができたのは、事務所とフォーリーブス4名で何かの手打ちをしたのではと指摘されている。タレント活動するなら、もう反ジャニーズに言及しないと腹を決めたのだろう。北は2012年に若くして亡くなっている。
おりもは今年5月のインタビューで「コーちゃんは、亡くなる直前まで『ジャニーさんに謝りに行きたい』と言っていました」と指摘したうえで、「僕も含めて被害に遭ってない人たちも多くいるわけで、ジャニーズのOBや現役を変な目で見ないでほしいです」とジャニーズ事務所擁護の発言をし、一部のファンの喝采を浴びた。おりもは解散後も長くジャニーズの世話になってきたし、北公次の発言を打ち消したい気持ちはあったのだろう。死人に口なしだ。
今年の母の日である5月14日、山崎は地元草津市のホールで「ファミリーコンサート」の司会をする一方、ジュリー藤島は東京で「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした。」と述べ、批判を浴びた。
木山将吾こと山崎ぎんは、遠く琵琶湖のほとりで、この半年のムーブメントをどう見ているのだろうか。本日水曜日は13時から「えふえむ草津」のレギュラー番組「GINLALA 午後は大銀醸」が生放送である。クルマで移動するタイミングなので一度聞いてみよう。
しゃらくせえ。初心者に寄り添って理解あるゲーマー気取ってんじゃねえぞ。
お前が言う『皆』には苦労したボスと再戦したいプレイヤーや、なかなか歯が立たないけど毎日少しずつ練習していたプレイヤーは含まれてるのか?トロフィー獲得率と満足率を混同してんじゃねえぞ。
そもそもお前らは難易度も演出の一部だと理解しているのか?ゲームが他のメディアに対して優れている点は自分が分身であるキャラクターを動かせることによる没入感なのに、作中で強敵扱いされてるボスがクソ雑魚だったらせっかくの没入感も台無しだわ。
メーカーもメーカーだよ。お前らその難易度が一番楽しいと思って作品を送り出したんだろ?ちょっとクリア率低かったくらいで手のひら返してんじゃねーよ。お前らが設定した難易度をなんとか攻略しようと頑張っているプレイヤーも居るんだから、難易度下げたいならせめてイージーモードでやれよ。
「すごい」でいいじゃん。
「すごい」でも「羨ましい」でも、言われる方にもたらす効果は同じだと思う。褒めてるわけだから。
でもさあ、言う方は「羨ましい」と思うと、情けなくなるというか、心が貧しくなるというか、負の効果をもたらすと思うわけ。
「羨ましい」は自分の現状を踏まえての言葉で、自分と比較した場合にそれより優れているからこそでてくる言葉だと思うから。
でも「すごい」なら、言う方としても単純に相手を褒めるだけであって、自分の現状と比較しなくても使える言葉なので、言っても惨めな気持ちにならないと思う。
会見までに十分な対策を取る準備しとけば、かなり収まっていたかもしれないのにな。少なくともスポンサー撤退まではいかなかったかも。
報告書までは、結構踏み込んでいたし、傀儡だから嘘と忖度に塗り固められるのかな、と思っていたけどそうならなくて感心していたのに、あの「知りませんでした会見」ですべて台無しだよ。
詐欺のニュースを見聞きするたびに「そんなので騙されるわけないだろ!」という疑問が付きまとう。
高校入試の日程が変わったという他人の話を信じる前に、なぜ自分で電話問い合わせしなかったのか?
電話かけるのも面倒で、自分で確かめるのが嫌だったのだろうか?
怠惰で無能な人間は淘汰される運命にあることは地球の歴史が証明している。
可哀そうだけど、君に騙されて人生が台無しになった友人は、バカだからいずれ他人に騙されて結局は不幸になっていたはず。
君は一生恨まれて許してもらえないけど、許してもらうことは諦めて3億円払って賠償すべき。
百歩譲ってそこは認めよう。
木村もグルーミングされた一人だったので心底からジャニーを尊敬してたと。(そうでなければこのタイミングでの擁護はあり得ない)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chunichi.co.jp/article/765094
木村拓哉、会見直後の”ジャニーズイズム”投稿が波紋「3人の会見が台無し」「推しだったけどこれはひいた」
じゃあ木村は自分の娘たちが所属事務所の社長にレイプされても、自分がジャニーを擁護するのと同じ理屈で社長を擁護するのか?
そんなわけねえだろ?
それとも現役ジャニタレは頭が悪すぎて、もう手遅れってわけ?
マスコミは木村に記者会見させて、ジャニーの性犯罪を否定させないとダメだろ。
ハッキリさせろ、犯罪者どもが!
そもそもの話として、小児性愛者であろうとも真っ当に育っていれば良心や良識は存在する。その上で自分の性愛が社会的に受け入れられない、実行してはならない、何よりも相手の尊厳を台無しにする行為にしかならない、と言うのは百も分かってる話。だからこそ良心や良識が機能している小児性愛者は自身の性愛に葛藤し苦悩する。なぜなら自身の性愛が児童の人生を踏みにじる代物でしかないから。真っ当に生きてきて真っ当に生活してるなら、そう言う考えにいずれたどり着く。
そして、そう言う前提があった上で「小児性愛者は見つけ次第処せ!」みたいな扱いを受けている、と言うのが小児性愛者への差別。図式としてはトランス女性への差別と同根で「(その人間の)存在自体が社会への脅威!だから見つけ次第追放しろ!始末しろ!」と有無を言わさず排除する対象としてしか見なされていない。そして「小児性愛」が持つ「児童への重大な加害性」と言う構造から、「小児性愛者」と「みなされた」だけで追放し迫害するのが当然の存在として扱われている。一部の人はこの構図に気がついて排除的な言動は諫めているけど、大多数はこの構図を当たり前として支持し、それを維持することを是としている。これが「小児性愛者」への差別の正体。
無論、小児性愛者の中にも性犯罪に手を染めるやつはいる。実際に児童性虐待記録物が存在する以上、そう言う行為が行なわれている事実は当然ある(とは言えこれは実親や義親、親族などの身内からの物もあると聞く)。ただし、そう言った行為が性犯罪であり、特に児童への重大な脅威となる、と言う事は「小児性愛者」であっても真っ当な環境に居れば共有できている。でなければ、COMIC LOの「YES!ロリータNO!タッチ」みたいなフレーズは生まれるはずがないし、生れようもない。またこれを是とする考えは「小児性愛」が子供を持つ親・社会から脅威として見られている事を理解している証左でもある。
ではこう言う前提があった上で「小児性愛者」への警戒を止めるのが「差別」を止めることか?と問われると、恐らくそれは違う。親であれば子を守ろうとするのは本能だろうし、社会として児童への性加害と言う危機に対策を打つのは当然のこと。これは「小児性愛者」が存在しようとしまいと別に変わらないし、変える必要もない。子供を守り育てる、と言う事は、親が子供を守る、と言う事も意味するし、逆に(虐待などで)児童への脅威となってしまった親から子供たちを守る、と言う面も当然ある。
では何を以ってすれば「小児性愛者」への差別とならないか、と言えば「小児性愛者だから危険だ」と言う考え方を捨てること。児童にとって脅威なのは子供たちへ加害しようとするすべての存在であり、「小児性愛者」だけが「子供達への脅威」ではない、と理解すること。それが「小児性愛者」に対する差別へ荷担しない唯一の方法だと私は考えています。