「知性的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 知性的とは

2019-02-28

anond:20190228093839

逆に言えるかどうかは、韓国人の親たちが孫欲しいみたいなことを子に思ってないか、彼らに質問してみたいとわからない。

 

俺は韓国って家族愛とかすごい気にするお国柄だと思うけどな。

 

データだけみて全体の感情を読もうとするのは、感情について質問するのをサボってるだけで、非知性的だよ。

2019-02-22

トロフィーワイフってなんでマイナスイメージなん?

女はトロフィーアクセサリー扱いされることは忌み嫌うくせに、外見レベルの向上(自動的トロフィーアクセサリーとしての価値も上がる)に余念がなく、その変化に気付かれないことに不平不満を述べるというのはいささか自分勝手であると感ぜざるを得ない。

表現のしかたや程度の差こそあれ、男は誰でも「トロフィー」「アクセサリー」を手にしたいものなのだよ。

手にした自分価値ある相手を、どこまでも誇りたいものなのだよ。

そんな男の本質を女は理解しなければならない。

「女をわかっていない」などと憤る女ほどな。

それは媚びることでもなんでもなく、上手に生き抜くための女の知恵であり知性である

そしてそのような知性的な女こそ、男どもが最も好むタイプなのだ

こんなにも価値のあるトロフィーワイフってすばらしいと思うのだが、どうも多くの人はマイナス意味で用いているようだ。

単にトロフィーを手にすることができた男が、トロフィーとしてまんまと社会的地位経済力に溢れた男をつかまえられた女が、妬ましくて創り出しただけなのではないかという気さえしてくる。

解せぬ。

2019-02-02

anond:20190202032629

同胞よ、反応があって嬉しい。おれは野良哲学愛好家だ。知的生命体の邂逅を描いたSFが好きだ。人類学が好きだ。歴史が好きだ。地学が好きだ。知的駆け引きが好きだ。研ぎ澄まされた統制術が好きだ。肉体的限界を超えようとする挑戦が好きだ。地道な研究による技術の発展が好きだ。ユーモアが好きだ。人類の英知が好きだ。親が好きだ。兄弟が好きだ。兄弟家族も好きだ。妻が好きだ。質や量を問わない様々な情報の統制機構がおれだ。おれは公私があって、人格を持っている。特に説明のない語は、現代日本語の辞書をググってなんとなく多数派なふわっと一般的意味で捉えてほしい。誤解の可能性のある語や別の定義を仮託したい語は、云々とは、と書く。

早口っぽくて申し訳ないが、これはまもなく命を失う可能性のあるおれ個人遺書であり、遺伝子であり、知性の漣を発生させる小石であり、財産相続であり、ディープインパクトであり、ネット上の記号であり、図書館ガラクタであり、くだらない承認欲求衝動的発露なんだ。紙媒体にも書いたが近親者しか読まないだろうし、読まない可能性もある。肉体的末裔を遺せない知性的個人としては私(し)を遺しきれないと思ったんだ。悪く言えば知性的通り魔だ。すまない。

野良なので語の定義ガチャガチャだ。批評してもらえると嬉しい。

 

世界とは、場、範囲。すべての社会。ここでいうすべてとは、意識上、無意識下のみで、不可知を含まない、限定的意味社会とは、複数個人の集まり。まるで機械のようにふるまったり、大きな個人のようにふるまうこともできる。個人とは、人類のうち、外的要因を受けて認知し、内的要因を加えて表現し、社会取引する主観個人社会の主であり、友であり、子でもある。個ではなく個人とした理由は、時代的背景として保留したい。肉体的生命人間新人ほ乳類動物生物とその無生物的ふるまい、無生物生物的ふるまい、ミーム、知性体、人工主観、共有された主観などを考慮する必要性もあるが、保留したい。主観とは、客観に対する語であり、subjectや主体とは別け、現代日本語的に理解してもらいたい。機械とは、入力に応じて定まった出力を行う機構

平和とは、状態。穏やかで、かつ調和が保たれている状態。穏やかとは、①不信、不満、不可逆性、不確実性を内的要因に含まない、個人状態。②主体性をもち、共感しうる、個人状態。③肉体的闘争の無い、社会状態。不信とは、信用や信頼のないこと。不満とは、欲求権利などが満足しないこと。主体性とは、意識上の表現を実現する能力可能性。肉体的闘争とは、個人の臓器や器官の機能を減退させる、個人個人個人社会社会社会干渉現象犯人逮捕、子の虐待、直接的死傷者が出る国家間戦争などを含むガバガバ定義闘争とは、場の範囲を別ち干渉し合う現象。関連して、個人闘争とは、感知と認知表現の隙間や意識無意識の隙間や主観と肉体の隙間などの、個人の内的な場に起こりうる干渉現象教育先入観体感的獲得、気分障害倫理観などを含むガバガバ定義思考個人闘争である意識とは、感知して統制できる一部の主観調和とは、①主体性をもって個人たりうることを保証し合う社会。②内的要因と表現された自己疎外が正の関係にある、個人状態

狭い意味としては、調和の①の意味複数個人まり社会が、互いを外的要因として認知し合い、内的要因を加えて表現し合うことに合意した状態。広い意味としては、調和の①の意味に加えて、穏やかの③の意味を含める。別の意味としては、すべての個人人権が実現する世界状態世界平和観測者は個人である。おれとあなた世界平和は別だろうが不可知だ。

 

ちなみに狭義の社会現実的社会は、定義を荒く削り出すと、人権対秩序の闘争だ。

以降は省略する。訂正加筆する。最後まで駄文を読んでくれてありがとう

2019-01-22

Unpopular opinions 中国遺伝子を色々やっちゃった学者批判されてるけどさ

今の人より優秀な人間を作ることの何が問題なんだ?

 

 

少なくとも、個人間では知力や体力の格差は当たり前で

みんなそれを暗黙の了解としつつ生きてる訳じゃん?

教育の機会は近東に与えられても、

個人の地の頭で文系理系

低学歴高学歴分かれてしまう訳じゃん?

 

アインシュタイン と 今この文を眉をひそめながら読んでる負け組理系四十代の君 

が同等の知性だとは、ひいき目な両親でさえ思わない訳だよね?

 

 

 

じゃあ新しい人類を生み出したところで何が問題なのか? という

男VS女、白人VS有色人種みたいに新たな闘争を生み出すデメリットよりも

人類知性的前進し、いずれ問題解決するというメリットの方がずっと科学的には有意義だろう?

 

それともなんだ、

現に男は自分の上に立つ存在が気に食わない、ワガママな連中なのだろうか?

感情論科学進歩を阻害するのだろうか?

2019-01-01

2019新春に「はてリベ」の未来を考える

1

まずこれはちょっとどうかと思ったよね。

原宿 竹下通り 車が暴走 歩行者はね8人けが うち6人重傷か | NHKニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190101/k10011764661000.html

自己責任論の行き着く先は自爆テロからね、無敵の人の母数がどんどん増えていく

2019/01/01 リンク Add Starwisboot129mrescape

まりにも軽々に我田引水しすぎ。

自分の望むストーリー押し付けすぎ。

そしてあまりに迂闊に犯人犯行共感を寄せすぎ。


厳密に言えばそういう解釈や読みは事件から何年か経っても難しいのに

第一報でこれは蛮勇過ぎるでしょう。


それで案の定というか

続報で犯人の「オウム死刑に抗議する」とかい

イカレポンチな供述が出てきて困ってしまって以下略


ついでに言うと現在加藤の乱の時に比べれば相当な上向きの景気であって

どこだって人手不足犯人ぐらいの年齢の若者就職なんか売り手市場もいいとこだから

自己責任論の行き着く先は自爆テロからね、無敵の人の母数がどんどん増えていく 」

これは単体でもやや滑稽味のあるコメントなっちゃってる。


また

今よりずっと先の見えない長い不況当時でも加藤一しか起きなかったことを考えれば

自爆テロがどんどん起きる」というのは予測ではなく願望、もっと酷い言い方をすれば遠吠えになる。


リベラルはこんなんではだめだろう。

augsUK 最近ブコメは、初報でとにかく自分の主張とする底辺の反乱説をひたすら主張し、続報で動機が違うとわかるとそれで「真実」底辺からだと叫ぶ。

2019/01/01 リンク Add Star

ほんとこれ。


2

リベラル思想リベラルな人の存在意義ますます重要になっていくものだし、

はてなリベラル気風もむしろ頼もしく感じる。

はてなネットでの存在意義ってもう「リベラルホーム」ってとこだけだと個人的には思うし)。


けどなんか最近はてなリベラル言論見てると

思考挙措が雑というか簡単に好ましい結論に飛びついちゃうような

知性的堕落や疲れのようなものを感じる。

「昔からそんなもん」とか「はてなに期待するな」とかそういうのはいいから。


考えてほしいけれども

世界的にリベラルバックラッシュを受け始めてる現実もあるし

日本ネットだとリベラルってはてなtwitterしか場所がないし

twitterは大声で攻撃的なヘイターほど目立ってイニシアチブ取っちゃう地獄から

穏健で理知的な賢いリベラルを輩出できるのってはてなだけだ。


はてなは外部の口さがない手合いからは「反日左翼が多い」等と言われてるが

韓国ウヨク日本ヘイトレイシストしかないはてサとそれ以外のリベラルのことは分けて考えるべきだし、

リベラルの皮かぶって日本ヘイトしてたはてサ勢が盛大に自爆して退潮してる今こそ

ヘイトナショナリズムの混入していないはてなリベラル勃興の元年になると思う。


からこそテロ待望論や革命待望論のような雑な感情自重してほしいと思う。

それは容易にあほな人とか対日レイシストとかを寄せ付けてしまう。

そうするとまた堕落が進行するだけだし。

社会は良くならないし。

2018-12-03

anond:20181203005118

なんかその経歴見てて思うのは多分頭の回転が良くなくて話してても面白くなかったんだろうなって…

LGBT女性差別が解消されたのは不当に知性的価値が低く評価されてたものが実は迷信だったことが分かったからなんだと思うけど、あなたみたいな人の場合そもそも価値が不当に低く評価されてるんじゃなくて本当に価値が低いか自己責任論で片付けられるのでは…?

2018-12-01

どんなに罵られようとも自分欲求だけを正直に並べる

・顔が自分好みにかわいい

小顔

スレンダースタイルがいい(巨乳じゃなくていい)

・連れて歩いて自慢になる

知性的である

一見育ちがよさそう、でもベッドの上では豹変する(自分から求めてくる)

2018-11-13

フェミニスト本音がついに明らかになった




フェミ韓国人に逆らう者から言論の自由剥奪せよと言ってるわけだが。

男性日本人へのヘイトオタクへの表現弾圧Twitterに溢れている。しかしそちらは全スルーあくま在日女性への発言けが対象である

恐るべきことにこのクソフェミは履いているほどいるそこらの無名ツイフェミではなく、都議選立候補した事もある有力なフェミである。仮にも政治家を志した者が基本的人権を奪え」とは。

いかフェミ反社会的かつ反知性的思想か明らかになっただろう。

これからフェミニストを自称する者は覚悟せよ。お前はこの人権侵害に加担する事になるのだ。

2018-09-26

ゲイはザイニチなんだから杉田水脈を叩くのをやめろ

杉田水脈氏の「LGBT生産性はない」から、先日の新潮45擁護論文に至る流れについて。

そもそも立ち返ってみれば、杉田論文の主張は

LGBT生産性はない」「故に税金を注ぎ込む必要はない」

といったものでした。前段が差別的であるためそこにばかり焦点が当たりましたが、本来の論旨は後段であったと思われます。雑に言ってしまえば、「(生産性がない)LGBT国民血税を掠めとるのを許すな」ということでしょう。

これは「在日特権を許さない会」とよく似た構図のように思われます

せっかく匿名日記があるのだし、陰謀論に踏み込んでみますと、杉田氏が自民党から大きな叱責を受けなかったのは「国民間の分断を煽り権力に都合の良い状況を作り出す」方向にあるから、といった見方もできようかと思います。また、その背景にアメリカのような「ポリコレへの反発」があるのだとすれば、ターゲットLGBTのものではなく、その支援者理解者、あるいは「直截の利害関係には無いが政治的に正しくあろうとする市民(以下ポリコレ勢)」、ということになるのだと思います


在日特権」ならぬ「LGBT特権」を想定し攻撃を加える。その結果、特定層の溜飲を下げたり、権力への批判をそらすことができる。何よりも、特定層とポリコレ勢は分断され、両者はその党派性から団結した政治活動ができなくなる…。

今後、杉田氏が「子育て支援もっと手厚く」といった主張をした時に、「杉田LGBTに謝るまで認めない」とのブコメはつかないのか。逆もまた然りで、杉田氏を支援するである「若くてお金のない夫婦」が、ポリコレ勢と手を取り合うことができるのか。そう考えると、分断がもたらす「大きな政治機運の成立しにくさ」は、権力者や富者といった既得権益層の意向にかなうものではあるでしょう。今回の流れは安倍晋三こそが黒幕!、などといった陰謀論的飛躍は自重し、偶発的なものと考えるにしても、自民党安倍政権はその受益者の一人であるとは言えそうです。



陰謀論を続けちゃいますけど。

差別発言をまといつつも、目的LGBTへの差別感情社会敷衍することではなく、分断そのものにあるのであれば、「差別やめろ」「特権などない」といった反論は、問題解決には寄与しないということでもあります在日コリアン問題においてそうであったように。

杉田論文に対しては

https://www.buzzfeed.com/jp/shibunnagayasu/sugita-stop-lgbthinan?utm_term=.qtWenBANE

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14032

のように、「LGBTへの支援は度が過ぎるというが、そんな支援はないぞ」といった反論もありました。きちんと構成された丁寧な内容だと思いますしかし、「分断を喜ぶ悪い奴ら」の目的は、国民を分断し政治的に無力化することです。特権実在や、論理ファクト、正しさは関係ありません。むしろであるほど、一種の「ツッコミ待ち」」として反撃を誘いやすいとも言えます攻撃と反撃とが1往復すれば、その時点で分断は明らかになり、目的は達成されています。「黒幕」は論戦に勝利してLGBT在日コリアンから特権剥奪することに、大して興味はありません。はした金ならくれてやってもいいだろ、と考えているかもしれません。

上の記事には論理ファクトも正しさもありますが、同時に攻撃性が隠れていない「反撃」です。LGBT当事者が「生産性がない」などと中傷を受けた心情を慮ればやむを得ないにしても、それもまた分断を煽る側にとって喜ばしい結果に収斂するとすれば、残念としか言いようがありません。


杉田氏の主張に対して、ポリコレ勢がとった反応は「差別主義者とは話さない」といった冷淡な態度に見えました。これを受け、杉田氏を擁護する小川論文は、LGBTと、犯罪行為である痴漢を同種と見なすなど、杉田論文と比べて攻撃性を増しています。つまり、「ザイニチを殺せ」ならぬ「LGBTを殺せ」に一歩近づきました。この行き着く先は泥沼と化した在日コリアン問題の二の舞、にしか思えません。自分観測範囲しかなく何らエビデンスの無い反知性的な総括、すなわち「※個人の感想」にすぎませんが。

新潮休刊となったそうです。この先、杉田氏にも相応の処分が下るかもしれません。しかしこれは勝利なのでしょうか。杉田氏や小川氏やその支持者は、持論を撤回したのでしょうか。新潮休刊に追い込んだポリコレ勢を言論封殺と詰るのではないでしょうか。砲撃は未だ鳴り止まず、勝敗は彼方にたゆたっているのではないでしょうか。


必要なのは攻撃ではありません。勝利でもありません。対話であり、相互理解です。自分が思うに、ポリコレ勢には、相手、つまり差別主義者や反ポリコレ勢の心情に寄り添う義務があります。そしてこの義務一方的自分にのみあることも、同時に理解されるべきです。差別主義者や反ポリコレ勢は「ポリコレ野郎はお家でミルクでも飲んでな」と放言したところで、その思想信条とは相反しませんが、多様性内心の自由を尊ぶポリコレ勢にとってはそうではないからです。

あるべき姿は、相手が誰であっても、穏当に対話を続け、団結できる着地点を探し続けることです。ネットを見ていると、当初はそのような志を持っていたにも関わらず、あまりの「話の通じなさ」に放棄した人たちが、ウヨにもサヨにもいるような印象です。マンガアニメでよくある「闇落ち」的なね。しかし、「分断を煽る黒幕」にとっては、団結を模索し続けるプロセスこそが脅威であり、団結できたかどうかは、そこまで重要ではないように思われます


だとすれば政治的に正しくあろうとするのは修羅の道ですねえ。話の通じない差別主義者どもと結果の出ない対話を続けるしかなく、そこに相手論破したり、分かり合えたり、尊敬を得たりする、快楽や達成感など求めてはならないのですからAIあたりに代行してほしいところです。いや、そもそも人間にできることではないと諦めるべきかもしれません。


まあ釣りタイトルから陰謀論まで持ち出して長々と書いたのは、あんまり強い言葉攻撃するのは自重しましょうよ、というだけなんですけどね。ウヨさんもサヨさんもどっちもだぞ。真紅バスローブを来てブランデー揺らしてる「分断を喜ぶ黒幕」がほくそ笑んでるかもしれないぞ。

思うままに書いてみたら、なんだか「国民よ団結せよ、真の敵は他にある!」みたいな話になってて自分でも戸惑ってますが、言いたいことは以上です。

2018-09-04

anond:20180904083613

つ【鏡】

こういうまとまりのないスノッブ文章を書くキミが所属できている集団知性的だと思うかい

2018-05-29

anond:20180528230604

増田恋愛する人に知性がないと言っているのではなく、恋愛知性的な営みではない(容姿割合が高すぎる)と言っているのに、この程度も読めない反応が多いとは。

容姿恋愛重要ファクターだろ。現実を少しは認めなよ。

2018-04-18

anond:20180418165735

えっ検索すらしないで印象論で決めつけちゃうんだw 知性的()っすね

2018-04-02

若い女を性的対象として見ることはそんなにいけないことなんだろうか

仕方ないじゃん本能だよ?

35過ぎて羊水腐った女よりはるかダウン症とかの障害のない健康子供が生まれてくるんだよ?

選ばない理由ないじゃん生物的に

精巣を除去すればいいのかそれとも

男の自由は失われるけどそれが知性的人間のやることなんだろうか

やっぱり無理だよ不自然なことを続けるのは

2018-02-22

anond:20180221195103

逆にいうけど、あなたあなたナウシカに肩入れしすぎている。

しろ神の視点からこそ読者として客観的評価するべきだ。

読者なんて結局のところ神の視点以外の視点なんて持てない。

それは感想評価に対する批判になってない。

墓所側の言い分はどうなんだ。

人類の行きつく先として巨神兵王蟲を作るほどの高度な科学技術を手に入れたが

ヴ王ナウシカの好む人間としての闇が強すぎた結果、滅びの道に進んでしまったのが旧人類ではないか

滅びに進むにつれて旧人類はナウシカたちが想像するよりもずっと大きな絶望と失敗を繰り返した。

ナウシカのいうような「血反吐を吐いてまで」という経験旧人類側はもう既に十分すぎるほど経験している。

今を生きる、今だけしか生きてこなかったナウシカからこそ、

墓所側の歩いてきた歴史を信じられないし、同情もできなかった。

反吐を吐いて進んだ道の答えが新人類であり、現生人類たちが例え環境適応し生き残ったとしても、

最後には旧人類の歩んだ道をなぞるだけだ。

まったく徒労でしかない。

人間性の闇を捨てる計画を立て、自分たち破壊した環境を取り戻すために尽力した行動と選択は、全部旧人類の流れた血によってつくられている。

神の視点に立たずともナウシカには墓所側の行動と動機推し測るだけの情報は十分すぎるほど得ている。

ナウシカエゴが贔屓されたのは、それは自分たちに向いていたからだ。

ナウシカ庇護を受けているからこそ心酔するのだ。

ナウシカ自己犠牲や時には反知性的犠牲行動を、「良い」と思ってやっている。

からこそ危険まりない。

やりたいから、やっているだけであり、その行動の結果がどうなるか推し測る能力にたけているわけではない。

トルメキアの兵士を怒りに任せて殺した場面でも仲間をより危険さらすだけだ。

しかナウシカはやった、やりたいから。

彼女ヒトラーと同じことをしている。

 

墓所側が攻撃してきたか交渉決裂。

墓所側が攻撃するのは当たり前のことだ。

旧人類の悲願は人間性の闇を捨てることだ。

現生人類死滅させたいのも当たり前だ。

それが残っていては計画が水の泡になる。

交渉する余地など最初からない。

旧人類は徹頭徹尾新人類を次の星の覇者にしたいのであって、現生人類はずっと捨て駒としてしか見てない。

からこそ武力で負かして交渉テーブルに無理やり着かせる必要がある。

あの時点で武力衝突するのは当たり前のことだし、それで和平が成立しないというのも早計すぎる。

交渉の主導権は武力で勝っている側にしかない。

交渉戦争が終わってからしかできない、墓所現生人類戦争はあの時点では何も終わっていない。

しろ墓所からしてみれば現生人類約束を守ってくれるなんて信じられるわけがないんだから

真実を話せば殺される、なら戦うまでだろう。

実際その予想は当たっていてナウシカという現生人類に殺されたわけだ。

 

王蟲は変わったけど、新人類が変わるわけがない。

それもまた思い込みにすぎない。

旧人類の計画では新人類現生人類死滅した浄化された世界ではじめて活動を再開する生き物であって、

現生人類共生しながら生きる環境など想定していない。

それが一体新人類にどういった影響を与えるかはそれこそ神ですら分からないことだ。

完全に未知の領域であり、王蟲のようによりよい変化が起きる可能性もあるし、

現生人類に対しても変化をもたらす可能性がある。

そういった可能性のある未来を確かにナウシカはあの場で殺したのだ。

ナウシカ道化との問答で自然に生きて自然死ぬべきだといっていたが、

それはナウシカが産まれるよりずっと前から存在し何百年も経過した後の結果である

王蟲の心という、それこそ旧人類の計画で産まれた上澄みだけを掬い取って悟ったつもりになっているだけだ。

新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。

はるかかなたの未来に生きる人類たちだ。

ナウシカエゴ自己犠牲狂信者範疇を超えている。

人々はナウシカを見て心動かされるかもしれないし、ナウシカのおかげで助かった人間もいる、

墓所までたどり着いたのも事実

だがそれは、そこまでは正しかっただけであり、この先もナウシカという暴力カリスマが正しくあり続ける保証などない。

ナウシカ聖人性の反証として最後新人類虐殺があったわけだ。

どれだけ偉業を成し遂げたとしても虐殺虐殺

人間性の闇に疲れて果てた旧人類側からしてみれば成し遂げられそうだった計画台無しにして、

生みの親どころか抵抗すらできない子どもを殺す悪魔しかない。

あの世で彼らは環境変化を生き延びた現生人類が再び科学技術を再興し、二度目の火の七日間に進むまでじっと見てるだろう。

ナウシカ行為正当性を産むことができるとしたら

現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。

しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。

誰もが森の賢者のようにはなれない、それを実現しようとしたのが墓所の願いだった。

ナウシカを読んだからこそ、愚かな人類と決別しようとした旧人類の思考理解できるし、

現生人類側で誰もそれに歩み寄ろうとしなかったのは単にお互い戦争だったからだ。

ナウシカは決着がついたのに戦争をやめなかった。

現生人類のみんながナウシカに心酔してたわけではないように、

人間凶悪さを誰もが喜んで従っているわけではない。

2018-02-20

まだナウシカダブスタを認めようとしないのか

お前こそ読んでないだろ

将来的に死ぬかどうかじゃなくて生命として認めるかどうかって話で

王蟲環境を綺麗にする生体兵器だったのが長い年月で魂や精神性を身に着けた

まり最初はまがい物の生命でも長い時を過ごせば生命としての自然な姿へと回帰していくのがナウシカ世界観

これはナウシカ自身が言ってるんだぞ

ところが産まれてすらない新人類の卵に対してナウシカ一方的

「こんなの人間じゃない!生命ではない!」

と決めつけたわけだ

それで焼き殺したと

 

何様なのこいつ?

 

王蟲ナウシカが産まれるよりはるか前に誕生

何百年という長い年月をかけて生命体として成熟していったんだぞ

まれる前の新人類の卵相手にお前は生命じゃない、ノーカンな、ホイ焼き卵(ブォオオオ)

とか暴君がする暴挙のものじゃねーか

本当に調和を愛するなら新人類の1人でも育てて経過を見たらどうだ

と、思ったら自分のことを母親だと思い込んだ赤子同然の巨神兵を使い潰して捨てる女だった

悲劇のヒロイン気取り

こんなやつに子育ては無理だ

 

墓所戦争ときはみんなテンション高かったかナウシカマンセーで済んでた

しかしことが全部済んで振り返れば自分らがしたことにゾッとするだろうし

ナウシカ存在危険視するだろう

何度もいうがナウシカナウシカ教の教祖特殊性癖持ちのテロリスト

ナウシカがいなければ現生人類は敗北していたが

勝利したとも言えないような状況になった

一体、森の賢者のところで何を学んできたのか

ただの休暇、完全に無駄だった

 

新人類の卵に対して王蟲という前例があるからこそ

ナウシカのやったことは暴挙であり反知性的行動であり

本人が王蟲の知性の芽生えを崇拝してるにも関わらず

新しい者にはチャンスを分け与えない

どんな行動をしているのか客観的に整理しろ

当時は正しければ何やってもいい世の中だったが

今はその間違いにみんな気づいてるだろ

人は必ず間違える

から寄り添って生きてるんだろうが

 

その点、もののけ姫はちゃんと最後調和という答えを出した

人間の悪しき一面も自然の悪しき一面もどちらも見せた上でだ

からもののけ姫ナウシカ焼き回しでは決してない

そこを勘違いしてるやつは大嫌いだ!

 

anond:20180220163742

2018-01-23

anond:20180116025753

ももクロというかアイドル文化全般についてはまったく興味ないマンだけど、この文章を興味深く読んだ。

論理展開が明晰だしことば選びも的確、しかも読みやすくて、伝わる。強い。とても知性的文章だと思った。こういう文章を読むと自分かしこくなったような気分になれるよね。

女性書き手で、ここまで「エモーションロジックに落とし込む姿勢」を持った人はなかなかいないのではないか

2018-01-21

anond:20180121095336

過激極左のやることはいつも感情で訴えかけてくるのが本当にまずい

放射脳」というワードを作ってしまたこともそうだし、

風説の流布のような害悪的行動をとる原発反対者が多く現れたのが反原発運動に致命的だったんだろう

でもあのあたりのことは東電自作自演でやろうとしたらできたことで

過激極左が金を貰う先が事故を起こした東電からならいくらでも反原発=反知性的演出を仕掛けられたよなと思う

何故なら過激派極左でさえ東電のもの責任追及は一切してないからな

まあ、これは妄想だけど結局東電は何の身銭を切らずに電気料金をあげたり国に税金で後処理をさせたりしたわけだ

悪魔会社がのうのうとしてるのがただただすごいなとしか

2018-01-04

はてなの乗りこなし方(議論が苦手な人向け)

今年も年末年始議論政治社会が大好きな人たちが盛り上がりそうなネタがたくさんありました。

私にも考えや思いはあるけれどけどそこまで論理的じゃないし、他人議論で詰められたるのはつらい。

正直議論は苦手だし他人を打ち負かすのは嫌だと思う、でもはてなをしたい。そんな時ありますよね。

そういう論争や論理の詰めあいはそういうのが好きな人たちに任せておきましょう。スターを稼ぐのもそういう人に任せましょう。

そしてあなたなりにはてなを楽しみましょう。


1.怒りは悲しみやジョークポエムで表す

   ひどい記事を見て怒りに打ち震えるときありますよね、そんな時は怒れる人にお任せしましょう。

   怒りは正当なものですが、怒りは他人をより気づ付けやすく、自分もまた傷つけやすものです。

   その怒りを悲しみやジョークポエム表現しましょう。深い思いは必ず言葉にできます

ダジャレ知性的だと思います


2.矛盾ダブルスタンダードダブルバインドはそのまま受け取る

   矛盾ダブスタというのは生きていて必ずあるものです。

   普通の人はアレキサンダーが結び目を切るがごとく判断できるものではありません。

   論理を詰められないときは詰めなくていいです。

   まずは今そういう状態だなというのを認知しておきましょう。

   即解決する必要がなければ解決しなくて大丈夫です。


3.どうしようもない思いは匿名か非公開で書きましょう。

   それでも抑えきれない思いは匿名か非公開で書きましょう。

   いろいろな表現があると思います


4.知性も感情論理直感大事しましょう。


5.自分謙虚になりましょう。でも卑屈にはならないように。

   そこまで人間賢くもないし、立派でもありません。でもかけがえもありません。


それではよいはてなライフ

2017-12-10

嫌なら見るな・読むな”の罪

嫌なら見るな・読むな”という言葉をよく見かける。

この意見ある意味で正しい。

作品が嫌で嫌で仕方ないのに、何の生産性もない誹謗中傷粘着質に続けるやつは、

さっさと病院にいけばいい。

一方で、私はこの言葉膾炙たことで生じる・または生じるであろう弊害が、

恐ろしくも憎い。

弊害とは何か。

正当な道理のある意見批判封殺するための手段に、この警句を用いる輩の発生である

輩はつまり信者揶揄されるもので、作家作品を退廃させ、堕落させ、

文化の先鋭的なきらめきを貶める俗物にして最低の悪性。

ある作品を語る際、人は往々にして下のいずれかのカテゴリーに柔らかく属する。

批評・・・作品の良し悪しを根拠を以て説明評価を定める。

感想・・・作品好き嫌い根拠の有無に関わらず語り、主観的評価を定める

批判・・・作品改善点や嫌いな点を根拠を示して説明し、作品あるいは作者に諫言・あるいは低い評価提示する

誹謗・・・作品あるいは作者を根拠を示さず、あるいは根拠すら捏造して貶める

誹謗を除き、批評感想批判はあるべきものだ。

批評作品の良さも悪さも根拠のもの論理説明される高度な作品への知性的愛情だ。

感想も良い。好き嫌い自由に語ること。それは大いに大事にされるべき一人ひとりの感性だ。

批判。さて批判はどうか。私は批判誹謗に巻き込まれ大いに疎外されている事象をあまりに多く見すぎた。

私はこれが許せない。批判とは作品という刃に打ち込まれる鍛冶師の槌であり、

時に作品の強度を高め、時に実用に耐えない刃を折る、厳しくも愛ある鍛刀技術だ。

なぜ愛があるか分かるか?それはそうだ、根拠を以て作品の未熟さや改善点を提示するなんて、

愛がないとできる訳がない。

さて、そのような批判に対して、実に多くの人はこの言葉を投げかける。

"嫌なら見るな・読むな"と。

批判と誹りの区別もつかない敬虔なる信者が、ただ良い評価だけを貰えれば良いというクリエイター堕落した願望が、

批判作品を育て、作り手は更に良い作品を作る、という厳しく果てしなく尊い循環の連鎖を阻み、

その結果、ただ賞賛けがまれユートピアのようなディストピアが生まれ

その強すぎる光の影には知性の欠片もないアンチ誹謗中傷が渦巻き、

作品を愛する知性ある批評言葉を発する賢人は、静かに筆を置くのである

2017-11-19

やはり変化を感じなかった

https://anond.hatelabo.jp/20171112173034

これを書いた者だけど、今日その人と2人でデートしてきた。

(前回は従妹夫妻他紹介者も含めて複数人で会ったため)

相変わらず

 ・小顔

 ・細身

 ・色白

 ・落ち着いている

彼女で、今日デートさらになかなか知性的であることも感じられた。

なおのこと非の打ちどころがない彼女なのは間違いないが、やはり「何かが足りない」という感触だけは変化がなかった。

そして何が足りないのか、言語化できないことも変わらず。

言語化はできないのだが、今までに人を好きになったときのことを思い返して、少しわかったことがある。

今までに好きになった人は、「何らかの自分好みの条件」を有していることに加え、「見るだけで、思い出すだけで、自分を虜にする/夢中にさせる要素」を有している人だった。

「見るだけで、思い出すだけで、自分を虜にする/夢中にさせる何か」とは、外見的な魅力はもちろん、頭がいいとか特技があるとか、外見以外の要素もあった。

それだけの大きなインパクトがある感情自覚しなければ、人を好きになることがなかったのだ。

その人にはこの要素が欠ける…だからといって魅力がないわけではなく、上記の通り自分好みの魅力はたくさんある。

結局、来月に日帰りで隣県の某スポットまで出かける約束をして今日はわかれた。

このまま恋人として付き合っても、きっと落ち着いた関係が続くだろうとは容易に予測はできるが、それでもなお「何かが足りない」のである

2017-11-11

anond:20171111184120

不文律って言葉が知性の外側の言葉でありながら、知性的言葉の面してるからだよ。

そういうエセ知性に騙せれないでって言ってるだけだよ。

不文律イジメられるって何?こっちが聞きたい。

2017-09-24

anond:20170924090223

安部崇拝するのがウヨ」みたいな感じでネトサポ誘導するようにしてるから、かつてウヨ名乗ってたやつもだいぶ離れていってる。

もはや「ネトウヨは味方ですべて安部のいうことに賛同するやつ」「パヨクは敵で安部に少しでも批判的なことをいうやつ」という定義誘導されようとしている。

そもそもウヨサヨ言ってる時点で「俺はあんたの敵じゃないかウヨだが云々」みたいな、理論じゃなく敵味方でスタンスを決める非知性的な行動指針にしかすぎないし。

2017-09-14

体育会系部活動日本の病巣

最近部活動顧問強要される学校教員ブラック労働についてよく目にする。本当に嘆かわしいことだし、全ての先生達がどうか救われてほしいと思う。

そこでふと、自分中学生だった頃の部活動を思い出してみると、ロクなもんじゃなかったなという記憶しかない。

大して強くもないのに毎日3〜4時間練習し、少しでも休めば「サボってる」と烙印を押される相互監視社会で、コーチからは今ならモラハラと言われるような罵声を浴びせられ、たった1年早く産まれただけの先輩は「お前らも過去の私達と同じ苦しみを味わえ」と言わんばかりにコキ使ってくる。辛い、辞めたい、本当は美術部に入りたかったと親に訴えたら、「逃げるな、3年くらい続けろ」と言われた。

就職において、運動部経験がある人間は有利、と聞いたことがある。この、理不尽でインモラルで反知性的な「運動部」を肯定した、あるいは生き抜いた人だけが会社ものし上がれるとしたら、日本社会のクソな部分が延々と再生産されるのも頷ける。

先生方を救うためにも、負の連鎖を止めるためにも部活動なんか即刻なくすべき。

2017-08-22

今の社畜社会と昔のヤンキーって似てるような気が……

今の社畜社会と昔のヤンキーって似てるような気がするのですが……。

一言言って反知性的で、批判すると仲間はずれにされたり。

昔の旧日本軍のように敗戦まで駄目な構造が守られたり。

など他にもたくさんあるのですが、

早い話、トップ絶対で、都合のいいように洗脳されていて、大人は何よりも組織が一番と洗脳されていた。

一般人迷惑しているにもかかわらず、面子を気にしていた。

ヤンキーの敵は公権力で、社畜行政医療だ、という構造的なことを言っているのではありません。

あくまでも精神性というかマインドのことを私は指しています

「劣悪社会万歳!!」と彼らが叫んでいる光景

気合入れていくんでヨロシク!!」とかぶってるような気がします。

みなさんはどう思われますか?

2017-07-26

ニセ科学批判ネトウヨが結び付けられるようになったことについて

 最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。

 先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界科学だろう、という思いは変らない。

 余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分積極的フォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。

 あらかじめ書いておくと、自分見解は、「ニセ科学批判とネトウヨ本来、つながらない」であるしかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。

 なお、あくま自分観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンス統計的根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。

 あと、話は基本的ツイッター世界が中心である

3.11以後の動き

 ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。

 3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリ左派左巻健男石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたか想像に難くない。

 元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なから割合がただのウヨアカウントであり、人権問題危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。

多層的な「ニセ科学批判者」

 ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベース意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的ニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。

 こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報割合的にはごくわずかということになる。

 俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分であるデマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。

 この層、とひとくちにいっても、いくつかある。

(1)善意悪用して、自分イデオロギーをのっける層

 まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。

(2)人を叩くのが好きな層

 言っちゃあ何だが、科学正義であるしかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。

 正義暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。

(3)理系としての選民思想の持ち主

 一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。

 ところが、ネット理系研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタアニメ談義が話が合うという理由高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。

 これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである

 しかし、本来意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想親和性を持つのはまあ時間問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。

 そうすると、本来関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。

 (この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。

 後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要カテゴリーかもしれない。

こじらせびとたちの罪

 ネトウヨ定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近人間大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベル定義みたいなものだ。物語シリーズラノベかとか三毛猫ホームズラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。

 しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由ネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供ももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間京大生でなければ狂人である京大生でも狂人かもしれない。

 菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。

 ジャンルは違うけれど、所謂キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。

フィードバックはめぐる

 ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。

 RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。

 ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイート文章のものであるツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。

 さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイート自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うからニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。

 ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい

 でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。

 「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。

 それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。

 2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。

 ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。

そして深まる左右対立

 このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来意味も、日本独自派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。

 よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。

 「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタけが受けるものではなく、左派いちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。

 しかしその結果、溝はますます深くなるのである

 こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。

経済をめぐる対立

 先日ツイッター問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーリフレニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨ定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。

 経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。

 ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。

 なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字勘定してイメージやすい「ロジカル」なものからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。

 これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレ経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。

おわりに

 昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。

 それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。

 ここ10年くらいのインターネット歴史は、ノンポリ政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。

 1970年ごろの学生運動だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。

 俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。

(追記しました→https://anond.hatelabo.jp/20170802040735

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん