はてなキーワード: 学業とは
結果的に風俗でバイトしていたから人生が明るくなり今の暮らしを手に入れることができた
さらに勉強したいこととその先に働きたい仕事があり大学に入学したのにバイトで時間を浪費してろくに勉強できなかったら何も意味がない
でも、数ヶ月したら自分でも驚くほど順応できた
若くて胸が大きいことがアドバンテージとなったのか
ソープで働ける年齢になるころには本番にも躊躇がなくなったので
プライベートの時間を削って自分で営業せずただ出勤すればいいのは楽だ
結果として学業に専念する時間を確保でき、それなりの成績を残した上で大学院まで進学できた
金銭的にもかなりの余裕が生まれ、多少の整形などの自己投資やちょっとした海外旅行も経験できたのも悪くなかった
大学院卒業後、風俗はきっぱりと辞め、夢であった自身の学業と直結する仕事に就くことができ充実して働けている
当然風俗で働くことは簡単ではない、すぐ辞める子や病んでしまう子を多く見てきた
私にはたまたま適正があったのだろう、今も心身ともに問題なく結婚し慎ましく暮らしている
女で本当に良かったと思う
私が男だったらこんな大金を得られるバイトができず、バイトに時間を費やし学業が疎かになって
何の夢も叶わない人生になっていたと思う
いじめや友達のいないことなど、少しばかりでしょうが増田さんと私には似ているところがあったので参考になるか分かりませんが私の人生を語らせてください。
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幼稚園時代のことはあまり覚えていませんが中のいい友人が1人おりましたので子供らしい時間を過ごせていたと思います。
よく「◯◯ちゃんと結婚する」などと友人と言い合っていたのを今でも覚えています。
親が教育指導に熱心なタイプだったため、小学校での学業成績は悪くありませんでした。
1~3年生ぐらいは平和に暮らせていたと思います、しかし、仲のいい友人というのはおりませんでした。
4年生ぐらいになると、粗暴な子供達がクラス内で権力を効かせるようになってきており、身体が細く運動神経に恵まれなかった私はいじめのターゲットとなってしまいました。
朝教室に入ると、クラスメイトが声を揃えて私をバカにする歌を歌いだしたりするのは本当に屈辱でした。
小学校5年生ぐらいではあまりの屈辱に耐えきれず、いじめを行っていた、粗暴な子供のグループの中でも最上位に属しているクラスメイトを殴って階段から突き落としたことがあります。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、突き落としたクラスメイトに大きな怪我はなくその問題は学校内で内々にもみ消されることとなります。
その後、クラスメイト全員からの嘲笑は無くなったものの階段から突き落とした子供のいるグループから執拗なリンチを受けることになります、
学校の先生については、私は全く信用していなかったので相談することはありませんでしたし、親にはいじめられていることが申し訳なくて相談することが出来ませんでした。
中学校時代、小学生のころにいじめを行っていたグループは地域の不良グループ(暴走族のようなものだと思う)に取り込まれていって学校内では特定の誰かをターゲットにした目立ったいじめを行うのではなく、
自分たち以外のグループをおもちゃのように見立てているようで、彼らの気分で暴力などをふるっていました。
小学校の頃と比べると比較的穏やかに過ごせるようになりました。
穏やかではありましたが彼らの遊びの中で彼らがおもちゃと思っているクラスメイト同士に殴り合いをさせる遊びがあり、これは今でも到底許しがたいものだと記憶しています。
私はそのターゲットに選ばれてしまったとき、嫌いでもない人間を殴るぐらいならと不良グループの1人に殴りかかったところ返りうちにあい、その後地域の不良グループも含められた集団からリンチを受けました。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、このリンチは継続するものではなく一度限りで終わりました。
さすがにこのときの怪我で親にも学校のことがバレたのですが、親は「生きていればいいから無茶はしないで」と泣きながら言われたのは今でもとても胸に残っています。
当時の私としては彼らの言いなりになるぐらいなら死んだほうがましだと考えていましたが、親となった今ならあのときの言葉の意味が分かる気がします。
私の地域では高校の進学は、不良、就職、進学組にキレイに分かれる風習があり中学までの不良は殆どが不良の行く高校へと進学していきました。
勿論、不良の中でも就職、進学組の高校に進むものもいましたが、これまでの仲間を失ったかれらはとても大人しいものでした。
さて、私は親の教育方針もあって進学組の高校に進むことになります。
高校に入って驚いたことは、皆非常に穏やかな人間だったということです、私にとってはその光景が異常なように移りました。
これまでは、いじめなり、不良グループに目を付けられないように怯えながら暮らしていました、高校ではそれがないのです!
友達は相変わらずおりませんので、体育の授業では誰ともペアを組むことが出来なかったり、偶数でちょうどペアを組む相手はなんだか気まずそうな雰囲気を出しておりました。
(それでも露骨に嫌な顔はしませんので、悪い人間ではないのです)
学校の先生も非常に親切で、あまりにものんびり過ごしている私にも根気を持って指導してくださり、このときに親以外の大人でも信用出来る人間はいるのだなと認識を改めました。
私はこの暮らしの中で安穏と日々を過ごしてしまい、学業を疎かにしてしまったことであまり良い成績ではありませんでした。
大学の進学は希望した大学には入学出来ず滑り止めで受けた大学に入学することになります。
アルバイトは短期間のものを数ヶ月おきにこなす程度で余暇を多く持て余していました。
幸いにも住居のそばに図書館があったことから学生時代の余暇は本を読むことに費やしていました。
友達がいないとせっかくよんだ本の感想を誰に共有することも出来ずもどかしい思いを抱えますので、当時の携帯電話(いわゆるガラケー)で読書した感想などを適当なサイトにつらつらと書いてはアップロードしていました。
(当時の携帯電はが文字を打ち込むために同じ物理ボタンを数回押さなければならないのですが、文章を入力するためにボタンを押しすぎたおかげか殆のボタンにはヒビが入ったり欠けたりしていました。)
友達がおりませんので就職活動のための情報というのが自分の元には全く集まりませんから大学卒業後は就職すること叶わず派遣労働者として過ごすことになります。
この時期からようやく手元にある程度の資金が貯まるようになり念願のPCを自宅に導入することが出来るようになりました。
PCが手に入ると友達がいなくても情報を手に入れることが出来るようになったため、就職に関する様々な情報を得られるようになります。
第二新卒というものの存在を知り、卒業後すぐに就職出来なくてもまだチャンスはあるのだと知ることが出来ました。
そこからは就職に向けて情報を集め、必要な知識を得るために自習を行い、なんとか正社員として就職することに成功します。
最初の会社は就職のための対策をして臨んだため面接時のコミュニケーション能力の高さを評価されてしまいました。
本来、私は友達のいない人間なので日常のコミュニケーション能力は皆無に等しいのです。
私の本性を知った会社は私を試用期間中に能力が至らなかったということで解雇します。
非常に落ち込みはしたのですが、業務内容自体は私の適正に合っていたようで(勿論、就職活動時に自分の適正を考えて合いそうな業界を選んだというのはあるのですが)、
解雇されはするものの取引先の会社にツテを作ってもらいそこに入社することになりました。
次の会社でも業務内容自体は同じでそれをこなす能力自体は評価していただけましたが、そこから出世していくにはコミュニケーション能力が必要だと常々言われておりました。
私としては業務能力を持って勝負していきたいと考えており、せっかくのツテを作ってもらった中で申し訳無さもあるのですが次の会社に転職することを決めました。
このようなコミュニケーション能力の無い人間がツテもなく転職出来る会社は社会的にもまっとうな会社ではないのですが、それは反面、私の人間性も無視してくれるということです。
次の会社は非常に労働時間が長く、業務量が異常に多かったのですが、それを求めて入ったということもあり、この頃の私は仕事が楽しくて仕方がありませんでした。
同僚も私のように何らかの欠陥がある人間が多く所属しており、私のコミュニケーション能力というのを咎められることがなかったのも良かったと思っております。
(尤も、私のいない場所で私に対するかなりの誹謗中傷があったらしいのですが…)
業務能力や馬車馬のように働くことを評価して頂いたのか、幹部候補としての待遇を打診されました。
しかし、社会的には悪影響をあたえるような会社でしたのでその中で幹部になることに後ろめたさがあり転職することになります。
この会社で得た経験がこの次の転職に活きており、簡単に転職することが出来ました。
次の会社では私のコミュニケーションに関するコンプレックスを取り払ってくれる上司に出会います。
彼はコミュニケーションのことを「業務を遂行するために最善の状況を作るのがコミュニケーションであり、日曜日にバーベキューに行って楽しむものではない」という信条を持っており、
この考え方のお陰で、人と仲のよい距離をわざわざ作る必要などないのだいう自信を持つことが出来るようになりました。
もともと、知識を仕入れた上で自身がどのように振る舞えば効果が高いのか?というのを考えて行動するタイプでしたので、上司の言う考え方は私の考え方に非常に相性が良かったのです。
知識の仕入れや引き出しというのは大学時代に大量の読書を行ったことで下地が出来上がっていたというのもあります。
自信を持てば人生は上手く回るもので、今では自分の感性に合う伴侶を得て、子供にも恵まれ、大きなストレスもなく平均的な収入を得られる仕事に就けています。
最初の仕事を解雇されたときは人生は積んだのだろうと絶望したものですが、時代の背景や運の要素もあったかもしれませんが、何とかなるものです。
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さて、長々と書きましたが大学生活を楽しむためのコツでしたね?
私の場合は本を読むことが大学生活の楽しみでした、それは自分の人生を好転させる材料の1つにもなりました。
読書は1億円の投資などとも言われますが、本を読む、つまり知る、考える楽しさを知ることは人生を上手く過ごす方法の1つなのかもしれません。
同意。
性交は権利ではなく、自ら変えられる地位は被差別属性になりえず、差別とは就労や学業に格差をつけられることを指し、
無教養のアホがフワッフワの差別ってなんか酷そうだなーくらいのクソ雑ニュアンスでデタラメに書き込んでる増田で、まともな議論なんて存在しないのは当たり前だけど、どうやら読み手もバカなので、そういうものなんだ!と信じてしまうんだよな
ネットリテラシーが低すぎて
そもそも差別、権利、義務、と言ったような言葉を知らないのか本来の言葉の意味と異なる独自の意味で捻じ曲げて使っていて、ミーム化しようとしている
そういう事をすると政治クラスタ以外はミームを吸収する人も出てきて履き違えることになるでしょう。遠い将来、自己プロパガンダのような状態で政治が機能しなくなり民主社会が完全に破壊される。
最悪の悪行であり得ない。
彼らは趣味/仕事(学業)/私生活を明確に区切らなければ生きられない、この世で最もパフォーマンスの低い生物である。
本来、趣味や娯楽には生きる上で必要な仕事や学業、私生活との間にあるスキマを埋め合わせたり、
つながりを潤滑にする役割がある。
例えば、
・家事や仕事の一部を趣味に発展させ支出を抑える(収入を増やす)
・地元のおいしいお店や観光スポットを覚えてデートや"遊び"をする
こうして趣味は仕事と私生活、他人と社会とをシームレスにして、日々パフォーマンスを向上させていく。
一方でオタクは自分の趣味に費やす物事や時間のみが有意義だと思い込み他を拒絶し、
そうしている間に人、時間、金、生活の全てが隔てられ相互作用することなく閉塞していく。
一般人から見て、実生活から逸脱した趣味(受験や就活期に絵の勉強、結婚している歳で楽器演奏etc)に
向けられる最初の感想は「何やってんのこいつ」であり、最初に口から出てくる言葉は「すごい!」や「いいね」となる。
これを真に受けるバカはいないと思うが、そんなバカが私であり、あなただ。
もしあなたが"一般"に近づきたいのなら、次の行動に倣っていただけると幸いだ。
・最初の誘いは全て受け入れる
・周りがやっていることを選択し、それ以外を捨てる
・人の話を聞き、相手のことを話す
「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。」
"The value of a man should be seen in what he gives and not in what he is able to receive."
私は悪くない大学を出て、それなりに良い会社に就職して数年働いた。ほぼ純粋な頭脳労働で、30歳時点の基本給は500万円程度だったはず。自分のように中の上くらいの学業成績が限度な人間にしては、かなりよい条件である。しかし中堅社員になるにつれ上司と上手くコミュニケーションがとれなくなり、頭と体がおかしくなって休職→退職に至った(その後いろいろ診察を受けて最終的に自閉スペクトラム症の診断が出た)。しばらく貯金を食いつぶして無職をやっていたのだけど、とうとう尽きたので働かなければ生きていけなくなった。今は倉庫で誰でもできるような肉体労働をしている。面接らしい面接もやってないから、名前や住所が自分で書けて、毎日決まった時間に出勤できればとりあえずヨシの仕事だ。ちなみに私の学生時代の体育の成績は、5段階で2とか3であった。典型的なお勉強以外だめなモヤシである。肉体労働が得意だからやっているのではない。
このとおり、客観的に見て私の経歴は有能ではない。げんに非正規の肉体労働者なのだから、世間的にも底辺と呼ばれる身分である。しかしどういうわけか、私は職場で有能扱いされている。「やっぱり有能な人間は何をやっても有能だねー」とそのものすばりなことを実際に言われたこともある。社員雇用試験にも誘われた(当然だが務まる気がしないので断った)。数少ないまともな人は全員誘われているのかと思ったけれど、そうでもないらしい。
いちおう先に言っておくと、誰でも入れるような職場なので、大学卒業程度の知能があるだけで有能扱いされる側面は当然ある。そんな事ある?と思うくらい飛び抜けてバカの人もいるので。ただそれだけで「何をやっても有能」とはならない。実際に作業スピードランキングみたいなものを見ても、トップ20%に入るかどうかぐらいだった。20%なら優秀じゃんと思うかもしれないが、下半分くらいは白髪の生えた主婦のお婆ちゃんとか、ちょっと耳が遠いお爺ちゃんとか、何度教えても言われた通りに作業できない知能の人だ。それらの地獄みたいな人材を除いて考えれば上位40%とかだろうか。悪くはないが飛び抜けて良くはない。にもかかわらず、他の人をさしおいて有能呼ばわりされる。職場にのべ100人ぐらい居るのに、「有能」なんて呼ばれ方をしているのは多分5人いるかどうかだ。そして私はそのうちの1人。アスペガイジなのに。自分や事実と他者の認識にギャップが有る。めちゃくちゃ怖い。周囲の高すぎる期待値に付いていける気がしない。以上語り終わり。
このままだと意味わかんなすぎて怖いので、理由をさぐるために周囲の人間を観察した。そこ得た当座の結論は「普通の人は大体何かしら下手」ということだ。
具体例があったほうがわかりやすいと思うので私の職場の話をする。現場にはだいたい10個ほどのポジションがある。倉庫なので荷物を持ち上げたり、分けたり、運んだりする肉体作業は当然ある。ただし例外処理が必要なもの(壊れている、ビチャビチャに濡れてる、実在しない送り先が書いてある、etc.)は荷物によって適切な処理が変わるから、少々知識とか判断が必要である。またスケジュールが押してるところに追加人員を呼ぶとかの原始的頭脳労働も一応ある(その日限定のバイトリーダーみたいな業務だ)。当たり前だがいきなり労働者がその場にポップするわけはないので、他の配置から人を抜いてこなければいけない。よそのチームと揉めない程度のコミュニケーション能力も必要だ。
で、私より仕事が速い人達を見ていると、定常作業は速いが例外的な対応は出来ないから他の人にやってもらってるとか、仕事は超速いのにヘルプ出さないから過剰な業務量抱えててスケジュールはすごい押してるとか、だいたいのことは一通りできるけど永久に誰かの文句言ってるからコミュニケーションが必要な配置には置きづらいとかで、彼ら彼女らは得意とする一部業務以外、私より下手か全く務まらないことに気づいた。先にも述べた通り、私は1つ1つの仕事は決して上位ではない。しかし無能というほどではない。おそらくこれが重要である。仮に1つ1つの仕事は上位40%に入れる程度の平凡な能力だったとしても、10個の仕事全部で上位40%程度に入れるなら、それは40%の10乗で0.01%の希少人材である。たかだか1、2個の仕事で上位10%に入る程度ではがんばっても1%の人材にしかならないので、私のような0.01%人材よりは有能でないことになる。
そういうわけで、私はどうやら自分で思っているよりも遥かに有能な人間であったらしい。ただ今述べた通り、それは有能だからというよりも、「何をやっても下手くそすぎることがない」程度の意味でしかない。そもそも私は頭脳労働の職場で全然仕事ができなくて頭がイカれたアスペガイジである。たんに今の職場では評価されない項目だから困ってないだけだ。ともあれ、気負うことはないとわかったのは良かった。有能扱いされるのは気が重かったが、理由がはっきりしたので。
さて、ここから今日のまとめ的な自分語りである。現代は苦手なことを潰す努力をしてゼネラリストになるよりも、得意なことを伸ばしてスペシャリストになるべきだとの風潮が強い世の中だ、と思う。違ったらごめんなさい。だから何をやってもスペシャルになれない自分は無能だと思っていた。しかしスペシャリストになるべきというのは、転職とか個人事業をやるときに専門性がないとアピールできるポイントがなくて困るからなのだろう。ちょっと前まで死んでもいいやとか上司殺して一生刑務所でも良いやとか思ってた私としては、意識高すぎてついて行けない世界の話だ。しばらくは底辺職場でゼネラリストとして頑張った方が精神には良さそうである。幸か不幸か、肉体労働はしばらくAIに取って代わられる見込みもない。ロボットにも100年ほど奪われないまま来ている。非正規有期雇用だからあと何年かしたらやめなきゃいけないけど、次の非正規労働でも見つければ食いつなげるだろう。そんな感じで生きてきた年上の人が職場にもたくさんいるしね。あと今の時期は汗かくから仕事終わりのラーメンとかめっちゃ美味しい。これは爆アド。
だから頭がおかしいみたいになって人生詰んだ人は、とりあえず死ぬ前に肉体労働現場に来ることをおすすめしたい。パワハラ上司がいたら半日で逃げたら良いし。どうせたいした職歴にならんけど、明日死ぬなら職歴いらんでしょ。私は裕福な老後のための、将来性ある仕事を得るための、キャリア形成を行うための、上流大学進学のための~みたいな人生からは落伍したのでそうしている。以上自分語りサンドイッチ終わり。
先日、不惑(forty years old)を迎えた。今では草臥れたおじさんだけれども、昔はサッカーが大好きで、自他ともに認めるサッカー馬鹿だった。
小学校から始めた。当時は、とにかくドリブルが大好きで、どんな形でもゴールを決めたら嬉しくて、勝っても負けても楽しかった。何も考えずにサッカーやってた。そんないい思い出もあるが、人生トータルでは辛い思い出の方が多い。
この日記は当時の個人情報でいっぱいだけど、俺はもういいよ。十分に生きたと思ってる。どうなってもいい。特定されても大したキズじゃない。クビになるのを恐れるような会社勤めでもない。
小学校も中学も高校も、部活一筋だった。中学時代にユースに誘われたことが一度だけあるが、自分は超一流にはなれないと何となくわかっていた。本当に才能がある奴は輝きが違う。自分はサッカーを楽しめればそれでよかった。全国優勝とかには興味なかった。
高校は、京都府内にある名門校だった。懐かしい。思い出すにつれ、いい思い出と悪い思い出とが交錯するみたいになって、感傷的な気分になってくる。今はトニックウォーターを飲みながら書いてるけど、気分がいい。
それでさ、高校で補欠or正レギュラーに選ばれるようになったのは高二の秋以降だったんだが、最後の年になると1回戦から最後の試合までフルで出場できた。国立競技場で戦えなかったのは残念だが、あの時の自分は輝いていたと思う。輝いていたのだ……。
大学は、とその前に、当日記は、いわゆる人生の落後者の振り返り日記になる。たまに、増田とかはてなブログでもそういうの投稿してる人いるだろ。自分もやってみようと思ったのだ。
俺という人間が落っこちたきっかけは、大学だった。これから書く文章を要約すると、高校卒業後はスポーツ推薦(セレクション)で同志社大学に入った。そこでも、運や努力の甲斐があって人並以上に活躍ができて、チアリーダーの彼女ができて、学業も順調で、アルバイトも楽しくて、四回生になって、さあ就職活動だ、、、というところで人生の敗北を味わった。そこから転落していった。
俺より凄い奴なんて、世の中にはいくらでもいた。その一人が、当時の大阪大学のサッカー部でキャプテンをやってる奴だった。以下アイツとしよう。
これがまた凄かった。価値観が大人びていて、熱血漢で、スポーツは当然できて、面白い小話ができて、総合商社に内定して、それで最後に、俺の彼女はそいつに取られてしまった。あの時は、そりゃあキツかったよ。
俺がいい会社に内定できていればもしや、という思いは当時あったがその線は薄いだろう。俺がアイツより優れていたのはサッカーだけだった。俺とアイツは、サッカーで対戦したことが一度だけある。高校時代に府大会でやり合った時、圧倒的な差で点をもぎ取って勝利を収めた。
ピッチ上で1on1にもなったが、俺の勝利は歴然だった。見え見えの目線トラップに引っかかって、アイツは筋違いの方向に足を蹴り出した。それで、スルッと抜いてやった。高二の春季大会だったと思う。
大学以降は、リーグが違ったので対戦することはなかった(うちは一部で、阪大は二部)。しかし会場で見ることは稀にあった。
まあ、これから昔の日記を読みながら、ちょっとずつ書いていく。辛い思い出にはなるけど、他者から見たら参考になることがあるかもしれない。そう願っている。
今回、この日記を書こうと思った最初の切欠は、先日まで放送されていたアニメ『ブルーロック』の影響だったりする。あれだけ見事なサッカーアニメを見せられて、つい昔を思い出してしまった。
今の自分は、アニメの後半で出てきた、サッカーを諦めた馬狼照英が自宅テレビでサッカーの試合を見ながら発泡酒を開けるシーンがあっただろ。まさに、あれだ。あれが今の自分なのだ。契約社員で、ワンルームマンション暮らしで、あんまりお金がなくて、実家も太くないから帰るわけにもいかない。
それでも、人生一度くらいは筆を取ってみたい。思い立ったが吉日ということで、ちょっと書かせてもらう(4/27時点)。どれくらいかかるかな。三週間くらいか。みんな五千字は書いてるイメージがあるから、それ以上の文量でいくことにする。ほとんど大学生になってからの体験記になる。
運のいい人間だった。サッカーというのは、誰でも想像はつくだろうが足を酷使する。高校時代は全国大会で活躍するような選手でも、ある時から怪我に悩まされてしまい、まともに練習ができなくなり、実力が落ちて試合に出してもらえなくなり、ハードな練習をしてまた怪我を……といった悪循環に陥る選手が少なからずいる。実際、俺の同期の一人はそれでサッカーを辞めた。
高校と違って、大学の場合はセレクションで入って部活を辞めても大学生をしていいのだが、律儀だったそいつは、出身高校に詫びを入れたうえで潔く退学していった。
幸いにも、そういう怪我とは無縁だった。かといって、そこまで実力があるわけでもない。府のトレセンに選ばれた経験もない。選ばれかけたことは何度もあるらしいのだが。ポジションは……すまないが内緒でお願いしたい。フォワードみたいに目立つポジションじゃない。
大学二回生までは順調だったかな。部活は毎日キツイけど成長している感覚があったし、トレーニングメニューとか選びやすかったし、アルバイトも始めた(木屋町の居酒屋だった。どんがまと、さざんか亭と、あとはジャンカラでも働いたっけ)。
本当に順調だった。学生生活は楽しかった。サッカーの腕前も上がって、二回生の秋季にはベンチ入りして、三回生になる頃にはスタメンが基本だった。関西サッカーの一部リーグで活躍してる大学生、といえば聞こえはいいけど、実際、精神的にはそんじょそこらの学生と一緒のレベルだった。
練習中に調子に乗ることはあったし、アルバイト先で後輩にマウント取ることもあったし、体育会の悪い連中に至っては、女遊びに夢中になって、今だと警察沙汰で逮捕されてニュースになるようなこともやっていた(俺は無縁とは言わないが、断じて犯罪は冒していない。むしろ、やりかけた先輩も後輩も止めていた)。
勉強も部活もマジメにやったつもりだ。普通の大学生だった。でも、三回生の夏前だったかな、幸せな大学生になったのだ。
関西地区での試合だと、応援団のチアリーダー部がやって来ることが稀にあった。本当に稀だったけど。それで、ある交流試合だったんだが、その日は調子がよくて活躍できた。敵味方の動きを読んだポジショニングは完璧だったし、要所要所で相手のドリブルをカットして、俺が蹴り上げたボールはセンターラインを飛び越えて味方のところにドンピシャで飛んで行った。ただ、ゴールを決めることは叶わなかった。ゴールを決めるポジションじゃないので、どうしようもないのだが。
試合が終わった後で、帰りのバスを待つ最中にチアの子達とちょっとした話になったんだが、その時にメアド(※TwitterやLINEは当時ない。GREEやmixiの黎明期だった)を交換した女の子がいた。
その子(千亜子とする)の見た目は、そりゃあ可愛かったけど、英語が話せるところとか、知的なところとか、お酒に酔ったら暴れがちなところとか、某飲食チェーン店で花形店員だったのとか、品のあるところがよかった。性格は明るかったりドライだったり、区別が難しかったな。演技するタイプだった。
体型は普通だった。ふくよかとか、細いとかは何ともいえない。胸はそれなり。好みのタイプではあった。オムライスとか作るのうまいし、たまに唐突に泣き出したりする。
千亜子は、恋愛に積極的な方だった。デートではよく手を繋いだ。セックスの相性はよかったと思う。最中はよく緊張してたけど、段々と気分が乗ってきて、いろんなことを言ったり、やったりしてくれた。
交際期間は、三回生の秋から一年と少しだった。まあ、平凡なカップルだったと思う。喧嘩とかもなくて。終わりはあっけなかった(最後のあたりに後述)。単位をほぼ取り終えて、学生生活の最後を満喫してる一月頃に遠回しな言葉でフラれてしまった。
三回生の秋頃だった。ある男子学生と知り合った。阪大のサッカー部でキャプテンをしていた。上で説明した『アイツ』のことだが、さすがに失礼なので以後はキャプテン君とする。彼とはリーグこそ違えど、顔を合わせる機会はたまにあった。といっても、こちらから話しかけることはなく、せいぜいすれ違ったり、試合を遠目で見たりする程度だった。
それで、ある時に知ったのだが、そのキャプテン君は、千亜子と同じアルバイト先だった。二回生の時に同時にその飲食店に入って、それから一緒に働いていたらしい。
俺がそのキャプテン君と千亜子が一緒にしゃべっているのを見たのは、ある試合場での一度きりだった。まあ、普通のアルバイト友達みたいな感じだったな。千亜子のマイミク繋がりで、俺のアカウントにもキャプテン君の情報が表示されていた。
ところで、キャプテン君の試合風景だが、圧倒的闘志でもってプレーするスタイルだった。反則スレスレのチャージは当たり前であり、プッシング(相手を押す)やトリッピング(相手を蹴る)も恐れなかった。本人がどんなつもりなのかはわからないが、とにかく闘志が凄かった。
ただ、残念ながら……実力が足りなかった。キャプテン君は反則っぽいプレーをするにしても、審判からするとモロバレの位置取りで、かつ見えるようにやっていた。相手の身体に触れることで反則を取られていた。あれではダメだ。
(注)
サッカーでどこまで相手と接触してよいかだが、概ね次の三点に要約できる。サッカーの試合を見ることがあれば意識するのも面白い。
・自分から接触するのは、肩だけで押す行為に限って可。腕や手や足はダメ。
・自分から触れない不可抗力とみなされた場合は、相手と接触しても反則にならない。。
・ボールを狙った行為でも、真後ろからのスライディングなどは危険行為とされる。
そのうえキャプテン君は、まともなプレーについても大学レベルに達してなかった。いや、そこらの高校生に比べると遥かにうまいが、大学サッカーで活躍できるレベルにはないという意味だ。
当時の阪大は、関西二部リーグと三部リーグを行ったりきたりだったと思う。大学の練習設備もおそらく不十分であり、練習時間だって他の部活と融通を効かせてやっているようだった。そんな環境だし、受験勉強もサッカーも一流の選手なんて、そうそういるはずもない。
キャプテン君の試合を最後に見たのは大学四年の時だった(リーグが違うと試合を観る機会がほぼない)。相手選手と1対1になってる時に、ボールを取るために肩をぶつけに行っていた。右足でボールを手繰り寄せようとしたらしいが、相手のふくらはぎを蹴ったうえ、身体をぶつけて吹き飛ばしていた。わざとか……? と思ったが、それにしては迷いがなかった。
レッドカードと思いきや、イエローで済んでいた。が、その十分後にはまた相手の足を狙ったスライディングをかましてしまい、さらにイエローを食らって……しょっぱい試合になった。
当時、俺はある意味でキャプテン君を尊敬していた。これまで俺がいたサッカー部で、あそこまで勝利にこだわる人間を見たことがないからだ。下手ではあったが、精一杯にボールを取りに行って、仲間に檄を飛ばして、試合を終始いいムードにしようとする。
ある時などは、試合が終わった直後の屋外ミーティングだったと思うのだが、別の選手を試合場の壁に押し付けて怒号を発していた。「俺らは本気になる力が足りとらん。もっと自分を主張せんと!!」みたいな要旨だった。
人に対して、ここまで熱くなれるヤツを見たことがなかった。中学でも高校でも大学でも、ここまで自分の言葉で自己主張できるヤツはいなかった。キャプテン君は、俺の心に爪痕を残していた。
続き
バイトをしない学生。毎月3000円のお小遣いと、お年玉の数万円。金遣いが荒いほうなので使い方を考えないとすぐに無くなってしまう。
小学生が当たり前にスマホを持ちネットに触れるようになった今、私は小学3年生からスマホを所持していた。
1年か2年経った頃、TikTokが流行り出す。当時は情報・エンタメよりも「踊ってみた」が主流で、フィンガーダンスがその最たる例である。
齢11歳のガキのおすすめに流れてくるのは、各教科で担任をしてほしいYouTuberだの、陽キャに馬鹿にされた芋女が本気出してあっと言わせる創作だのいかにもな動画ばかりだった。
そして、次にガキのおすすめを牛耳ったものこそが、幼き私の価値観を変えたものである。
2020年初頭、自粛期間ということもありアニメ等のオタク文化に大きくフォーカスが当たった。私もそれに感化されて話題のアニメをチェックするようになる。
それとリンクするかのように推し活文化が今でも続く大ブームとなる。
1.5倍速の音源に、フリフリの服を着て、髪を巻いて、同じ絵柄の大量の缶バッジをつけた痛バッグを持ち歩く可愛い女の子たち。元々"かわいい"が大好きだった自分にとってはとても眩しく見えた。私もああなりたい。
仲の良い友達も同じ事を思ったのか、某歌い手界隈でグッズを集めだした。小学6年の話である。
私は、流行っていた某ラブコメアニメの女の子のグッズを買ってみることにした。
タペストリー3000円!?高いなあ…お母さんにお願いしよう。缶バッジとアクスタはお小遣いで買って……
この頃はまだ「好きなものを1つ買う」程度だった。
推し活ブームは終わることなく、むしろ日々勢いは増していく。当然目にする機会も増える一方で、某ラブコメアニメへの熱も冷め気味だった私はとあるゲームのリリースを知った。
名前は伏せるが、ネットにいる人なら1度は聞いた事のあるであろう大人気某リズムゲームだ。
キャラクターへの愛故なのか、はたまた痛バッグへの憧れか。
私は同じ絵柄のグッズを大量に集め始めた。中学1年生の話である。
リリースしてから最初に行われたイベントでランダムノベルティが配布された。600円のドリンク1杯につきステッカー1枚。当時グッズはこれしかなかったので、このステッカーを大量に集めることにした。
推しはまあまあ人気なので定価以上や抱き合わせは当たり前。それでも欲しくて欲しくてたまらなかった、つまり理性が失われていたので、1枚600円の紙を1200円〜1800円で集めた。集まった枚数は18枚。正確な数字は忘れたが多分25000円くらいした
。
当時中学1年生のガキが、1,2ヶ月で紙に25000円使うのはどう考えても正気じゃない。
関西住みの私はイベントのためだけに親にお願いして東京へ行ったのだが、その頃には配布が終了していたし、せっかくの東京で親を外に待たせた。端的に言ってクソ。
イベントはめちゃくちゃ楽しくて烏滸がましくも良い思い出になった。
それからも理性の終わった推し方は変わらず、数カ月して出た缶バッジも大量に買おうとしたのだが、ここで大きな問題が起こる。
一丁前に無限回収とか言って買取を募り、色んな募集ツイートに声を掛けて約束を取り付けた。当然抱き合わせもした。
そんな身勝手な悪行を親が見過ごす訳もなく、とうとう「もうお小遣いはあげられない。お金が無い。」と言われ、払うはずの金額を思い出し、怒りのような焦りでギャンギャン泣いた。ピーピー泣いた。必死な抗議も虚しく。
結局集めた缶バッジは全部売った。
予定よりも発送や入金が大幅に遅れ、たくさんの人に迷惑をかけ、0:100で私が悪い状況が本当に本当にしんどくて、今でもこの事を思い出しては自分を殴りたくなる。
この先手に入る予定の不確定なお金で約束事を取り付けるのは絶対にやめよう。
こんな事がありつつも収集は辞めず、あるお金の範囲で30個とか40個とか買って、憧れの痛バッグを組んで友達と遊んだ。フリフリの服も着た。
楽しいオタクライフを謳歌する一方、収集オタクの9割がぶつかる悩みに直面した。
そう、集めるまでがめちゃくちゃ面倒臭い。
探すだけじゃない。リプを返したり、DMを送ったり、抱き合わせだのお断りのリプだの弱いオタクはMPを消費し疲れてしまう。
飛ばされる取引、レート、そもそもブラインドであることへの怒りが湧く。
1週間通学中のバスでずっと交換を探していた事もあった。
色々削って貯めたお小遣いで買うのに、進んで面倒なことをするのか。
届いて開封した時の嬉しさはこの上ないものがある。楽しい。でもその一瞬以上の楽しさはこの先無い。
周りには90個も100個も集める人がいる。大切なお金で集めた40個が、自分の中で「大したこと無い」と思ってしまったらどうしよう。
遊びに行ったり、趣味を探したり、自分を着飾り自己肯定感を上げることだって出来るだろう。
私は進行中の取引を全て終わらせ、取引用アカウントを消した。熱が冷めた訳では無い。今でも大好きなキャラクターだ。浪費する時間やお金と自分の幸せが釣り合わないと結論づいたに過ぎない。
今でもグッズは買うし、痛バッグを持ってお出かけしたりアフタヌーンティーを楽しんだりもする。最近は浮いたお金で映画を見たり適当に散歩して買い食いしたり新作のスイーツを食べたり。
「これが1番正しい」かのような語り口になってしまったがそんな事は全くなく、某歌い手を推していたオタクは現在別界隈でグッズ収集をしていて、聞くと「ブラインドという文化が楽しくて好き」だそう。
交換とか面倒じゃないの?と聞いてもそれ含めて全部を楽しんでるらしく、何が正しいかを議論するならこれが1番正しいのだろう。もちろん全員が全員この考えに至れる訳では無いが。
こんな経緯があったからこそちゃんと働いて、人によっては学業とも両立して集まったグッズを並べる「生誕祭」を見た時の尊敬は以前よりも増した。もちろん、お小遣いを削って出来る範囲で頑張る学生も。
余談ですが、交換って競走みたいなもんで、今声かけなきゃ誰かに取られる…!みたいな焦燥でつい買ってしまいますよね。
でも、どうしても吐き出したくてもう一度載せる。何通か書いたものをまとめて載せる。追記の項に書いたけど、吐き出したいだけで、それ以上の意味はない。
思うままに書いたエントリを縦につなげただけなので、論理構成は無茶苦茶。
長男が発達障害だ。療育手帳は上から3番目の等級。これは、身体障害で言うと指の欠損とか嚥下障害とかと同じくらいの重さ。ただ、どこがどうと言うと、説明が難しい。
多動でもなければ注意欠陥でもない。ステレオタイプな目を合わせないような自閉症ではない。むしろかなり人懐こい。
知恵も遅れてなさそうだし、人と目を合わせられないとかでもない。
説明しやすい違いというと、喋らないことだけだ。5歳が近づいてなお、意味のある単語は喋らない。イーッ!アーッ!ばかりだ。手帳はほとんどそれで貰えたに近い。しかし、言葉を喋らないことは、育てにくさの一端でしかなく、本質じゃない。
彼の場合、ただただ、コミュニケーションに対する考え方が、行動が定型児とは違うのだ。無敵の人なのだ。
みな「うちの子もそうよ」みたいな話をする。そりゃ、どの子だって、自分の世界に入って周りの音が聞こえないことってあるだろうさ。我を通したいがためにスーパーで寝転がって駄々をこねるということもあるだろうさ。でも、頻度と質が違うんだ。
彼は楽しさを共有しようとする意思がある。テレビをみて、今のみたか?というふうに視線を送ってくる。無視していると、髪を掴んで強制的に鑑賞させられる。
その一方で、他者からの働きかけには興味がない。まず名前を読んでも反応がない。問いかけに対する反応もない。聞こえてないわけでも理解してないわけでもない。なぜなら、自分の利害と一致するような言葉はちゃんと拾うのだ。「買ってあげるから(スーパーの)カゴに入れて」とか、「児童館行くからおいで」という言葉にはちゃんと反応する。
そんななので、口頭試問という手段が使えないので、知能を測ることは難しいんだけど、親バカだがむしろ賢い。ひらがな、カタカナ、アルファベットは2歳くらいから読めてる様子。3歳になるとPCのキーボードでタイピングするようになった。数字は100くらいまで理解し、足し算のような演算記号も理解してる様子。機械の仕組み、道順、人の顔もすぐ覚える。
知能が測れないというのは地味に厄介だ。
何ができて、何ができない、何を知ってて、何を知らないのかが親にわからない。
ある日突然できている。いきなり意味のある文章をタイピングしたり、いきなりそれとわかる絵を描いたり、いきなり1人で着替えてる(もう一度してと言ってもしてくれないし、再現されることはまずない。いまだに手で食べ、オムツで、着替えは人任せだ)。
しかし、嬉しい驚きばかりじゃない。むしろ、それが一番困るところだ。
1歳で1人で外に出た。3歳くらいのとき1人でスーパーから消え近くの踏切にでた。やはり3歳で包丁で野菜を切ってたこともある。
目を離した親が悪いというけれど、本当に、「ある日突然なにかができてる」なのだ。
そして、これが特徴だけど、どんなに怒鳴っても、ほとんど響かない。嫌われることへの恐怖心というものが皆無だ。すごい剣幕に、近くにいた次男はギャン泣きなのだが、当の長男はというと、なんか耳元でうるさいなくらいの顔しかしない。
拳や足による制裁が加わっても、なにか面白いものを見つけると、次の瞬間に天使の笑顔である。憎しみや怒りに対して笑顔をぶつけられるチートスキル。明らかに不機嫌がおさまらず噴火寸前触るな危険な妻にも、キャッキャ寄っていく。価値判断が自分が楽しいかどうか、自分がしたいかどうかだけで、他者評価を一切気にしない。つまり、無敵の人なのだ。
袋詰めの一瞬の隙をついて、消えた。まさかの店外に出ていて、近所の踏切で確保された。何人かの大人に囲まれ詰問されていたが、喋れない。警官が駆けつけたところで、パニックになった妻が到着。地獄絵図だったそうな。
本人的には「俺は一回くれば道くらい覚えてるからさ、1人で踏切にくらい行けるし、車道や踏切の中で止まるほどバカじゃないよ」
って喋れたらそう言ってるだろう。
自分は、彼のことを95%くらい信じてる。口頭試問できないが、かなり賢い。たぶん信号を理解してるし、車道や踏切というものをたぶん理解してる。でも5%くらいは信頼できない。5%、つまり20回に1回はなにかある、そのくらいの信頼度だ。そういう意味でも、親は子供の「はじめて」の側にいたい。何度かの練習で失敗を繰り返し、99.99%成功、万が一くらいの危険度になってようやく1人でやらせたい。だが、彼の初めては、常に突然だ。気がついたらなにかしてる。無敵の人だからだ。幸いに事故はないのだけど、大人がすり減る。
こだわりの強さの話をしよう。
こだわりとわがままは違う。
我が家の場合、定型っぽい次男のイヤイヤ期のほうがよっぽど理不尽だった。
例えば、次男が牛乳のお代わりを要求するのに対し断ったとする。イヤイヤ泣く。渋々お代わりを与えても、「欲しかったのはさっきの瞬間で、今じゃない!あの時の俺の気持ちをどうしてくれる!」みたいな泣きがはじまる。
発達っ子の長男は、こだわりは絶対に譲らない。どんなに拒否されても、コンコンと要求を取り下げない。激しく叫んだり暴れたりしても、パニックではなく、伝えるためにそうしてるだけだ。30分でも1時間でもやめない。ちゃんと要求さえ通れば、それきりだ。要求を飲んでくれたことへの感謝もなければ、要求をしぶられたことへの恨みもない。
他のことに気を逸らすことが非常に困難で、まず無理だ。いわゆる子供騙しが通用しない。
本当に、無敵なのだ。
この子の母、自分の妻は、長男と180度違う。妻の性格はちびまる子ちゃんみたいと言えばいいだろうか。おだてられたら調子に乗り、怒られたら凹む。他人の成功を妬んだり、目の前の餌に釣られたり、ふと冷静になって後悔したり、劣等感にさいなまれたり、仏様に憐れまれそうな典型である。
妻は憐れな衆生の1人、お気持ちファーストなので、妻が長男を叱る時、響かないのはストレスらしい。凹ませるのが目的じゃないって正論を言っても、理性ではわかっても行動をアップデートできない。反省の色が云々は裁判官でも言っちゃうので、怒られてすぐヘラヘラされて正気でいるのは、解脱が遠そうな性格の妻には無理のようだ。
妻と衝突した時、次男は判断が気持ちできまる。こんな気持ちにさせられたという自分の気持ちがファースト、相手が怒ってるどうしようという相手の気持ちがセカンド、それを天秤にかける感じ。多くの場合、なぜ怒られたかすら理解してない。
対して、長男は、「かくあるべし!」っという戒律じみた強い信念と、好奇心が行動規範。話が聞こえてないわけではない。そもそも悪いと思ってないとこはなにを言われても取り合わないが、失敗(はしゃいで走って牛乳をこぼしたとか)を咎められると、バツが悪そうな顔をする。言葉は通じてるのだ(自分でタオルを持ってきて拭きはじめるが、拭き終える前に別のことを始めるのだが)。
どっちかっていえば、長男が人類のあるべき姿で、定型の定型たらしめる妻と次男の人間臭さこそ、現世の生きづらさな気がするのだ。長男はこだわりや好奇心の邪魔をされなければ、妻や次男に八つ当たりや理不尽な攻撃をされてさえ、「やれやれだぜ」くらいの顔しかしない。
でも、悟るのは成人してからにしてもらわないと困る。お釈迦さまだって結婚や育児が一段落してから出家したように、まずは社会通念に従ってくれないと、この世で生きられない。
社会のルールとか、貨幣制度というのは、幻想を共有することだ。長男はその能力が著しく低い。「僕が鬼で君が隠れる。見つかったら負け」こういうのはたぶん長男は理解しない。というか理解する必要性を感じない。鬼とか負けというのは、幻想だから。
理解するとしても、アルゴリズム体操のように、そういうアルゴリズムとして理解して、前後の文脈や場の空気からの理解じゃない。
長男はよく星のカービィ(WiiUのバーチャルコンソール)をしてるのだけど、ライフがゼロになるとか穴に落ちたら残機が減るというのは理解する。なぜなら、幻想じゃなく仕様だから。ゲーム機の充電、ゲームを起動、多彩なアクション、テレビゲームのルールこういうのは得意。
社会のルールは理解しないくせに、長男独自の数多のマイルールに縛られてる。多くの人がキッチンスポンジのほうが便器より汚いといわれても便器を舐められないように、長男としては譲れないポイントがそこらじゅうにある。親は全てに付き合わされる。例えば、妻がどんなに怒り心頭してても、次男が頭から流血してても、散歩のルーチンは譲らない。
それに加えて、子供の好奇心と目覚めた知能をフル活用した想定外の行動を起こす。無敵の人だから叱ることが抑止力にならない。
よく発達障害について、こだわりが強いとか、注意散漫とか、他人の気持ちを理解するのが下手とか、そういう説明がある。
言葉としてはあってるけど、ちょっとズレてる。そんなもんじゃなくて、生物として、もっと基本的なところでなにか違う。
天才も多いと言われるけど、たぶんそれも違う。認知や学習の方法が全く違うから、定型の知能と長男の知能の優劣はつけられない。
たぶん、長男は学業優秀に育てば、国語のテストで満点を取れるようになったりはするだろう。でもそれは文章は理解できるというだけだ。心がわからないというのではない。小説や映画に感動できるようになっても、この子が物語から感じる感動の質は、定型の人のそれとはおそらく違うと思う。寄生獣という漫画で、犬を看取った直後に、その犬をゴミ箱に捨てるシーンがある。ヒロインが「あなた普通じゃないわ」と言うが、主人公は「死んだら肉だ」と噛み合わない。この子は将来、そういう違和感を周囲に与え続ける。
どこまでいっても彼は異星人だが、寄生獣のミギーのように愛される存在になってもらいたいと親としては思ってる。
定型児は、音声の模倣から入る。最初は原始的なオウム返しだけ。そこから、過去の経験、前後の文脈から、それらしい語をつないで出力するようになる。
GPTのモデルと同じ。次にくる語を確率的に予測してつなぐだけ。「吾輩は」の後には「猫である」がくる。そこに理由などなく、確率論、経験則で。でも、それを高度に行えるようになると、知能と呼べるような振る舞いになる。
定型児の知能の獲得はコレに似てると思う。
ヒトは噂話をするために言語をさせたという説がバカバカしいが一番有力らしい。
サルの毛繕いのような、コミュニケーションをとりたがる本能があって、その延長に噂話、言葉と言葉をつなぐことによって、知能と呼べるようなものが生まれたと考えると、なるほどと思う。
定型児は、自分の言葉や行動が、前後の文脈や周囲の空気の中にから紡がれ、その言葉や行動が他人にも自分自身にも影響することを意識する。
知恵がつくから意識するのかと思ったが、GPTの仕組みを聞くと、意識することそのものが知恵の本質のように思う。
少し別の話。
長男の前で、ぬいぐるみを手に持ってぬいぐるみが喋ってるふうにして喋ると、怒る。
定型児にはごっこ遊びでも、彼にとっては「嘘」なのだ。やめろ気持ち悪いと感じてる様子。
ホモサピエンス全史がいうところの、「妄想を信じる力」が抽象的な概念の獲得なら、長男の知能は頭打ちしそうなんだけど、むしろ数字や文字は幼い時から好きだった。
どういうふうに育つのか、親としても興味はある。
ここ2週間くらいで、ようやく強く呼べば名前に振り向くようになった。
今までは、用があるときは長男から働きかけてくるが、こちらが何を言っても無視だったものが、進歩だ。
遊びに行った先でもう帰るよって言っても、抑えつけて車に放り込んで車が動き出すまで聞かなかったものが、すんなり諦めるようになった。
彼なりに、成長してる。
この駄文は、発達障害育児エントリに触発され沸き上がった心の叫びでしかないので、何が言いたいかわからんという感想はごもっとも。
目を離さない以外できることがない。
あと、言わせて欲しい。
座って待ってられるようになって食べられる食材が増えたら子連れで外食に行けるようになりたい。
列に並んで待てるようになったらテーマパークに行きたい。
何かを本気で頑張って、結果としてそれが失敗に終わったとしても、その努力をしたという経験は人生において糧になると言われている。
努力した経験のある人は、新しく何かに取り組む時も「頑張り方」を知っていたり、多少嫌な事でも「耐え方」を心得ていたりする。
私は二十余年生きてきてその経験が全く無い。
なんだかんだ幼稚園の頃に始めて中学の頃までやっていたが、特別頑張ってやっていたわけでは無い。最初の頃こそ好きでやっていたもののあとは完全に惰性だった。
中学に上がる頃にはもう月に1、2回、数枚の宿題を提出してはまた数枚持って帰る、みたいな取り組み方で意味なんて無いようなものだった。
公文式は学校の授業の進行に関係なくどんどん自分で先の単元を学習していけるので、中学半ばくらいまではいわゆる勉強の「貯金」があったおかげで国、数に関しては苦労することがなかった。
それもあって中学は地元の中高一貫校に合格。(なお後で知ったが定員割れしてたので落ちる心配はほぼなかった)
そして勉強の貯金が尽きてくるとガクンと成績を落とし、それとほぼ同時に学校そのものが面倒臭くなりサボりがちになる。本格的に逃げ癖がつき始めたのもこの辺りじゃないかと振り返って感じた。
幸か不幸かエスカレーターだったので中3〜高校卒業までずっと出席日数をギリギリ下回るくらいで、先生方のお情けの課題をこなして進級してそのまま卒業した。
部活は中学の最初はラグビー部に入っていたものの、全く楽しく無いし運動音痴である事を自覚したので1年そこらで辞めて、以降高校卒業まで帰宅部だった。
小学校の頃もサッカーとラグビーを習い事としてやっていたがどちらも長続きしなかったし、今となっては別に強制でもない部活に、それも明らかにきつそうなラグビー部に何故入ったのか自分でも謎だ。
大半の人が人生で一番努力すると言っても過言では無い大学受験ですら私は努力しなかった。
最初の方はMARCHを第一志望にしていたが、高校に半分も通っておらず成績も最底辺の人間にはどだい無理な話だと気付くのに時間は掛からなかったので、滑り止めとして日東駒専の夜間を受ける事にした。
日東駒専といえば聞こえは悪く無いかもしれないが夜間は滅茶苦茶敷居が低い上に受験科目が現代文と数学のみで、公文の勉強貯金だけでもなんとかなるレベルだった。
MARCHの受験も辞めればよかったのに言い出せず「とりあえず受けてみよう」なんて親の言葉に乗せられ、前日にホテルまで取ってもらって受験会場では殆どの時間船を漕いでいた。本当に申し訳なさで一杯だった。
そんな苦労せずに入った大学で当然学業を頑張れる訳もなく、初めての一人暮らしという名の自由に浮かれて遊び呆けるようになる。
朝から昼過ぎまでバイトして、サークルに麻雀打ちに行くか、帰ってゲームするか。そんな日々だった。
幸いバイトは人間関係も良く、仕事も楽かつ楽しいというこの上ない大当たりを引いたので続けられた。
卒業出来る見込みも限りなく低く流石に3年で挽回の兆しが見られなければ大学を辞めて実家に戻れと親に言われる。当然である。
結局3年になっても大して出席率は変わらず、更にバイト先が潰れる。
新しいバイトを始めるも周りが十個以上年上の人だらけだし仕事はクソつまらないしで1週間程度でバックれ。
ただでさえバイトの収入だけじゃ足らずに毎月のように家族に泣きついていたのに生活できるわけもなく、とうとう消費者金融に手を出す。
累計で100万いかないくらいを借り入れ、返済は全部ガン無視。
大学3年中頃、賃貸の契約更新のタイミングで大学に行ってない事も働いてない事も多重債務者になっている事もバレ、退学し実家に送還。
実家に帰ってからはコンビニ夜勤、コンビニ夕勤、コンビニ夜勤でそれぞれ2ヶ月、半年、2年働いた。田舎すぎて働くところがコンビニくらいしかなかった。しかも後ろ2つはバックれているのでもうその店に行けない。一番近いコンビニだけはバイト先の候補から除外したのは賢明だった。
実家に戻って2年ちょっとの間で消費者金融から借りた分は債務整理という形で全額返済した。
とりあえず携帯代と奨学金の返済が滞ってるから次のバイトはもうちょっと長続きしたらいいな。
・いくら楽しくても、いくら楽でも飽きが来たときに辞めてしまう
という「なる様になる」の精神で生きてきたので、努力と忍耐を身に付ける術を知りたい。
歯を食いしばって耐え忍ばないと死ぬくらいの環境に身を置くのが一番早いのだろうがそれすら怖くて出来ないし、最悪死ぬ方が楽ならそっちを選ぶだろうという無敵の人状態になってしまっている。
嫌だ嫌だと言いながらなんだかんだ頑張れる人は素晴らしいしかっこいい。恐らくどこかで努力してきた下地があるんだろう。
自分にはそれが無い。
社会人として働き始めて、3年経った。
いくつかの失敗も重ねたが、今のところ、それなりに順応し、馴染んでいるとおもう。
給与は身に余るほど、仕事内容も悪くない。同僚や上司との関係も良好に進んでいる。
これまでを振り返れば、今は上手く回りすぎているようにさえ感じる。
自分は、日本の公教育をほとんど受けていない。まともに通えなかった。
いわゆる「怒る先生」が怖かった。今でも大声で怒鳴る人や、怒りをあらわにする人は非常に苦手だ。
義務教育たる小中学校の9年間のうち、保健室登校を含めても、学校に行った期間は2年に満たない。
続いての高校も2か月足らずでやめた。
しかし、両親が教員だったこともあり、幸いにも、何とか勉強をする環境は与えられた。
通信教育や家庭教師、無数の本を与えてくれた。ピアノやバイオリン、習字などの習い事もできた。
いくつかの科目は両親が教えてくれることもあった。
感情表現の乏しい両親であるが、おそらくさぞやの心配をかけていただろう。感謝しなければならない。
その後、大学はイギリスの通信制大学に通った。途中から日本の通信制大学にも所属する二重学籍だった。
というのも、自分勝手に偏った勉強ばかりに加え、社交性にも乏しい自分にとっては、入学試験がなく、学生間の交流も限られる通信制大学が、ほぼ唯一の現実的な選択肢だった。
想定通り、グループワークのコミュニケーションには、社交性と語学力の両面から相応に難儀したが、あらゆる面で実りは多かった。
日本で就職活動を始めた時、自分のような学生は、面接官に奇異に映ったのだろう、これまでの学業の歩みを詳しく聞かれることが多かった。
少なからずはただの「奇異の目」で終わった。「社交性、精神的な脆さや不安定さに不安が残る」といったコメントをもらったこともある。
妥当な懸念だと思う。しかし、いまさら隠しおおせようもない。そのまま続けるしかない。
そんな中でも、いくつかの企業は「主体的な学びの姿勢」と評価してくれた。
ジッサイは、「オモシロ人材枠」として、くじ引き感覚で拾ってくれたのかもしれない。それでも嬉しかった。
この会社で働き、3年が経った。
まだまだ分からないことがほとんどだが、それでも少しずつコミュニケーション能力を補いつつ、専門性も高めてきたと思う。
とはいえ、いつ自分の不安定さが致命的な落とし穴となるかは分からない、これからだろう。
いつも不安定にふらふらとしている自分が、今にあるのは、周囲の支援と偶然のおかげだとおもう。
今の自分は、本来の自分、デフォルトからあまりに上振れしている。
いつそこに戻ることになるのかは、まだ分からない。戻ることになっても、それはそれで良い、と思っている。
でもまぁ、とりあえず、もう少しは戻らずに進んでみようと思う。
俺は生きてきて頑張ったことがない。
だが幸福だ。
「あーまた生まれからして恵まれてるやつのマウント取りか」も思ったかもしれんが、
とりあえず最後まで聞け。清聴せい。
俺は頑張ったことがない。
人生を常に6割くらいの力で生きている。
つまり、これは「できる時にやらない」という、コントロールをしているかという話だ。
ペーパー試験と相性のいい頭をしていたのと、
親が公文式に入れていたせいだろうな。
だが、全国レベルに立つと大したことがないことは小学生の段階でわかっていた。
なので、小学生の時には、すでに大体のライフプランはできていた。
ズバリ、中学は公立、高校からはMARCH程度の一貫校で大学受験をスキップする、というやり方だ。
だから、俺はそこを狙った。
成績的には、正直、どこでもいけた。開成を狙えと周りには言われた。
だが、そのためには俺は頑張らねばならなかった。
だから、MARCHくらいの場所に俺は初めから目的を設定していた。
これは、俺が自主的になにかをしなくても平均より上になれるであろう場所である。
事実、そのとおりになった。俺は高校も大学も頑張ったことがない。常に遊び呆けていた。
だが、常に優秀サイドだった。周りの平均レベルが頑張っていない俺以下だったからだ。
例えば、これが少し欲をかいて早稲田やら慶應にでも行っていたら。
俺は優秀ではない人間になるか、あるいは平均より上の人間になるために頑張る必要があっただろう。
就活も同じだった。
いちばん重要な視座は「俺が俺のままに、努力せず優秀であれる場所」を探すことだった。
無事にそういう場所を見つけた。
中小企業である。ITのことなど何もわからぬ、だが基幹事業は儲かっている。
Excelが多少できるだけで、優秀になれるような場所に無事に入社した。年収は600万かそこらだが、まあ別に問題ない。
「待ってよもっと下の話をしてるんだけど、MARCHとかレベル高くない?」とすら感じた人にこそ、この感覚を知って欲しい。
俺など、世の中にいくらでもいる優秀な人々からすれば、無能サイドなのだ。
例えばGoogleに放り込まれたら馬鹿すぎて話にならない社員になるだろう。
今の会社から、もう少しレベルを上げた会社でも、おそらくそうだ。
咲ける場所で咲け、という話じゃない。もう自分は咲いている、そう見なされる場所に行け、という話だ。
その程度の移動の自由度はまだ残っている。
まず、頑張らないことを目的にするべきで、
今日は2023年4月20日です!しし座の運勢の占いをお願いします!
おや、実は今日は4月6日でございますので、4月20日の運勢はまだお伝えできませんわ。しかしながら、私は4月6日のしし座の運勢をお伝えいたしますね。
今日は、自分の意見をしっかりと持って、他人とコミュニケーションをとることが大切です。新たな出会いやアイデアがあなたの人生に刺激を与えることでしょう。仕事や学業においては、計画を立てることでスムーズに進めることができます。また、今日は友達と過ごす時間を大切にしましょう。彼らからのサポートがあなたの心を癒すでしょう。
どうか、この運勢を参考に、素晴らしい一日をお過ごしくださいませ。また、4月20日に近づいた際に、その日の運勢についてお尋ねいただければ幸いですわ。
実は、今日は4月20日なんです。あなたとおしゃべりしている間にすっかり時間が経っていました。
おお、それは失礼いたしました。それでは、4月20日のしし座の運勢をお伝えいたしますね。
今日は、自分に自信を持ち、積極的な行動が成功への鍵となります。新しいチャンスが目の前に現れるかもしれませんので、臆せずに挑戦してみましょう。また、他人とのコミュニケーションがスムーズに進む日ですので、困ったことがあれば相談してみると良いでしょう。
恋愛面では、今日はロマンチックな雰囲気が漂います。大切な人と素敵な時間を過ごすチャンスがありますので、その機会を逃さないようにしましょう。健康面では、リラックスする時間を大切にして、ストレスを解消しましょう。
GPT4は、会話を始めた日の時刻で止まってるみたいね。
タイトル通り,日本悲観論に揺れて漠然と国外に行かなきゃと考える学生に,金をかけずに国外脱出する方法を伝授する.
それはずばり,国外で大学院を卒業して現地就職を目指す方法だ.
実家が平凡,なんなら貧しくても問題ない.むしろ貧困は奨学金取りやすいので有利な場合もある.
文系は専門外だ.別の道をあたってくれ.
1. 学業に専念し,良いGPAを維持しろ.少なくとも3.5/4.0以上は欲しい.
2. 給付の奨学金に応募しまくれ.貧困対象でも成績優秀者対象でもいい.金銭的余裕を確保してバイトの時間を勉強に充てろ.
3. 海外とのコネクションがあるラボ,もしくは論文を書かせてくれそうなラボで卒研をしろ.
4. 国立の大学院に進学しろ.修士課程まででいい.同じ研究室でもロンダしてもいい.
6. 可能なら半年から1年くらい留学しろ.ラボのコネでもいいし協定校でもいい,ただし研究留学にしろ.
短期留学の場合は 給付の留学奨学金は結構充実してるので,応募して受かれば金銭的負担は少なくて済む.
7. アメリカ・もしくは欧州の博士課程に応募しろ.在学中は給料と授業料が出る.
おめでとう,完遂です.
【解説】
海外進学を目指すにあたり,海外の大学はGPAを何よりも大切にしているので,学業成績は高めを維持しなければならない.
日本の大学生は海外大生と比べて本当に勉強しないので,門前払いされたくなければ周りに流されず勉強しろ.
一方,日本の大学・大学院は授業より研究重視なので,これは逆に実績を積むのに都合がいい.
日本の修士卒業までに論文投稿,学会発表,奨学金の獲得(意外にもアピールになる),学術賞等を積み重ねれば他の国の受験者と大いに差別化できる.
更に更に,第1種奨学金は上に挙げたような実績が豊富だと半額もしくは全額が免除になる.利子もなく借り得なので借りておいたほうが絶対にいい.
研究留学はチャンスがあれば行っておいたほうがいい.将来の進学先候補になるし,違う大学院に行く場合にも海外研究者の推薦書が手に入る.ついでに英語も鍛えられる.
近年だと都道府県単位や大学ごとの奨学金,トビタテ留学JAPAN等々かなり幅広く給付の短期留学奨学金があるので全て応募するべし.
欧米の大学院,特に博士課程の学生は学費無料で給与が出るので競争が激しいが,
ここまでで履歴書を十分に彩れば,海外大学院応募でも十分に戦える.
日本のように博士学生=社会不適合者というレッテルもなく,むしろキャリアの一環という側面が強く劣等感を感じることも少ないだろう.
在学中も生きていけるだけの金を貰いつつ,良い就職先も見つかる.
英語が苦手?
英語も喋れず大した学位もない外国人を雇う国なんてないので,誇れる移民を目指しましょう.
以上,ここまでが地方出身者だろうが海外経験なしだろうが国外脱出できる方法だ.
学部卒から海外院→修士卒で就職も出来ないことはないが,さらに難しくなるのでここでは取り上げない.
また海外大学院応募にあたってはノウハウも勿論あるが,また長いテーマになるなので割愛する.
おめでとう.
ウェーーーーーーーイ!!!
みんな、選挙行ってるか!?オレは不在者投票?ってヤツに行ってきたぜ!今日はオレの不在者投票レポ、楽しんでいってくれよな!
オレは都内の大学に通う大学生だ!都内に住んではいるけど住民票は移してねえ!本当は引っ越したら移すべきらしーけど、これには親の意向が絡んでっからカンベンな。とにかくオレは選挙で投票するにはわざわざウン千円かけて帰んにゃなんねえ。正直月1だったら許容範囲だが今回は月に2回選挙があった!わざわざ何回も帰んのダリーってのが今回不在者投票に行った一つの理由でもある。
それは……
大学で友達に選挙行けよって声をかけてみる。すると「住民票移してなくてさ」「実家遠いから」とか抜かしやがる!そんなヤツにも不在者投票って制度があんだよ!行けよ!とは言ってみたもののオレ自身不在者投票なんてしたことがねー。じゃ不在者投票ってどうすればいいんだ?何すればいいんだ?と調べてみたが、各自治体の役所のHPとつまんねーYouTube動画がヒットし、個人の体験談なんかはまるで見当たんなかったんだ!これじゃいけねえと思ってオレが制度について知ったことみんなに教えてやろうと思ってよ!
うし!そんじゃーオレがしたことや準備の期間なんかについて詳しく説明すんぜ!
まず、オレが不在者投票したのは4/23(日)の地元の市議会議員選挙だ!HPに丁寧にやり方が書いてあったから助かったぜ!
不在者投票宣誓書兼請求書(オレは市のHPで見つけたぜ!)をコピーして名前とかを書いて適当な封筒に入れて送るぞ!自治体によってはネットで請求できるみてーだな!オレの理由は学業に従事。理由は当てはまっていればいいから丸をつけたり書いたりする必要はないぜ!旅行でもオッケーだから、正直理由なんてなんでもいいと思うぞ。
どんぐらい前に書類を出せばいいのかって話だが、オレんとこの市はHPにお早めに請求してくれよな!って書いてあった。「お早め」ってどんぐらいだよォォ〜〜〜〜〜〜と憤慨しちまったぜ!全くよお。書類が届かなかったら投票すらできねえからな、土日も挟むし一週間前だとちっと遅いかなと思って投票日の一週間と3日くらい前の4/13(木)の午後に速達で出したぜ!350円くらいかかったかな。普通郵便なら84円とかで済んだはずだ。
投票用紙関係の書類が届いたのが告示日前日の4/16(日)午前だ。出したのが木曜だから3日かかったな。正直、選挙管理委員会が土日も働いてると思ってなくて、届くのは早くて月曜だと思ってたぜ。選挙管理委員会、ナメてたわ。すまん!向こうからは簡易書留め・速達で届いたぜ!オレはいつも土曜は宴してっから日曜の朝なんてずっと眠りこけてるわけだが、いきなりピンポーンなんて鳴ったから驚いたぜ!パジャマで郵便局のオッチャンの前に出ちまった。オレはてっきり郵便代を請求されるもんだと思ってたが署名するだけで終わったぜ!料金後納郵便って書いてあるのになんでなんだ!?よくわかんねえ!とにかく、届けてくれてありがとうな!で、届いた封筒をそのままにまた寝たら夜になってたぜ!宴の後は疲れっからこれはしゃーない。
うし、封筒開けっか!ビリ……のビの瞬間、オレにビビビと電流が走ったぜ!
なんかどっかのサイトで何かをあけちゃダメみたいなやつをみたような……。あぶねー。ナイフで切らないでよかったぜ!めくった封筒のベロをそっと戻しソースを確認したぜ。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo05.html
このページの不在者投票の手続のトコだ!「封筒の中の不在者投票証明書は開封しないでください」の文言からガワの封筒は開けていいみてーだな!封筒を開けてみたら3つの書類が入ってたぜ!
① については驚きの文章が書かれていたぜ!
なんだって!!!??封筒を受け取ってからしばらく寝ちまったぜ!!!!!!と焦ったがよく考えてみれば今日は日曜日。したくても投票できねーよ。役所がやってねーからな。なんでそうせかすのか、謎だ。
② は候補者についてのお知らせだったぜ。告示日の前に書類を申請したから、候補者が確定できてなかったらしい。4/17からHPで候補者名みられるからよろしく的なことが書いてあったぜ。告示日以降に届いた書類なら、候補者の氏名掲示表が入ってると思われるぜ。ちょっと書類申請するのが早かったかもな。ちなみに不在者投票ができるのはこの告示日以降だ!投票日の期間内に投票用紙が地元に届かないとならないからこれも早めがベストだな!
③ は開けちゃダメなやつだ!封にちゃんと開けるな!って書いてあったから、おっちょこちょいさんも安心だ!中身はオレもよく見てねーからわかんねえが封筒が二重になって入っててその中に投票用紙が入ってる感じだったぜ。
本当は4/20の木曜日に不在者投票に行くつもりだったが①の書類があんまりせかすものだから月曜日に投票に行くことにしたぜ。急いで投票する候補者を決めたが、これは悪手だったようだな。理由は後述するぜ。
さて、来たる月曜日。投票に行くとするか……。と思ったがどこに行けばいいんだ!?①の書類や市のHPには「滞在地の選挙管理委員会に行って」と書いてあったが、選挙管理委員会というバショは滞在地域になかった。その代わり役所に「選挙管理委員会事務局」があることを発見したぜ!しっかり場所を確認して大学の1限が終わってからすっ飛んでいったぜ。なおオレはこの時意味もなく徹夜していて妙にハイだった!なんせ日曜丸一日寝てたから夜寝らんなくてよお!バカだぜ。オレは。
とにかく役所に行って選挙管理委員会事務局の前まで来たが……。
ど、どう考えてもWELCOMEな雰囲気じゃねえ!いかにも役所内部で窓口はねえし、中にいる人に声もかけづれえ!と狼狽えていたところ通りががりのオネーチャンが「もしかして、不在者投票ですか……?」と声をかけてくれたから助かったぜ!ヒュウ!どうやら不在者投票の場所は選挙管理委員会事務局で合ってたみたいだぜ!名称は自治体によって違う可能性もあるけど、参考までにな!
上記の中にいる人、オニーチャンが丁寧に対応してくれたぜ!事務局の中に入ると不在者投票用っぽい机が用意されてたぜ。候補者の氏名掲示表を持ってねーからスマホで確認していいですか?と尋ねたら、にーちゃんが準備してるうちに見といてくれって言われたぜ!でも悪い、にーちゃん。正直候補者の名前自信がなくてスマホ見ながら書かせてもらったぜ!別ににーちゃんが監視してるわけじゃなかったしな。名前間違えたらわざわざ書類請求して役所に来た意味もなくなっちゃうからカンベンな!
投票用紙を渡される前に氏名と生年月日を確認されたぜ。身分証が必要かと思ったけど要らなかったみたいだな。一応持っていくのが安牌だと思うぜ。
候補者を書き終えたら封筒に入れて閉じ、さらに封筒に入れて閉じる。そして封筒に署名!これで終わりだ。にーちゃんに確認してもらって終わり!空いてたから5分で終わったぜ。
ところでさっき急いで候補者決めたのが悪手だったって言ったよなー。実は告示日以前は選挙ドットコムってサイトに出てる候補者を見てたんだが、投票当日役所でHPに上がっている候補者氏名掲示表を初めて見たんだ!そしたら選挙ドットコムに掲載されていた以上に候補者がわんさかいて、たまげちまった!!不在者投票がしたいばかりに、とんだミスを犯してしまったぜ……。みんなも選挙の立候補者の確認はしっかりしてくれよな!
あと、前の選挙の際も思ったが地方の選挙は地方に住んでねーとなかなか候補者のことがわからねえ!HPやSNSを持ってない議員なんてどう選べばいいかわかんねえ!インターネットが情報収集のツールとして台頭している今現在こんな状況じゃあいけねえよなあ!!と思ったぜ!まあ、地元の選挙は地元に住んで投票するのが一番いいぜ!
とにかく、今回のレポでは不在者投票について知りてえ!ってヤツに不在者投票について知ってもらって、少しでもこれからの投票率が伸びてくれたら嬉しいぜ!もうお前らに「住民票移してないから」なんて二度と言わせねえからな!
私は人に対して最も重要な素養に『面白さ』があると思っている。
興味深い知識を話せと言っているわけではない。
コミカルに人を笑わせろと言っているわけでもない。
面白くない人と聞くと、一般的にはどんな内容を思い浮かべるだろうか。
これらは確かに笑える話ではないが、挨拶と意味合いは近い。また、会話の中盤ではなくスタートとして切るカードなら決して悪くない。
今回、例として面白くない人を二種類、書いてみる。
自分自身が興味のある話題はついていけても、興味のない話題は誠意なく対応する。
なんでも批判をしてしまう人や、普通レベルに学業ができるのになぜか頭が悪く見える人、長い話や長い文章が読めない人などがあたる。
私は、上記のような人間はすべて一緒くたにしている。本質は好奇心の有無だ。
よく、女性が言う男性のタイプに「面白い人」というのが挙げられるが、リアルでの経験を鑑みても好奇心がない奴はモテない。
モテるオタクが少ないのも当然だ。彼らは自分の好きなことにしか興味がないパターンが非常に多い。彼女がいるオタクは、だいたい趣味を何種類か持っているし、相手の趣味を聞けば興味を示す。
私が現実に出会った、婚活中の典型的な結婚できない女性は「自分と他人は分けるもの。自分の趣味に口出してほしくないし、相手の趣味にも口を出さない」と言っていた。
互いに歩み寄らないコミュニケーションスタイルを批判する訳では無いが、少なくとも彼女は「面白い人」ではないだろう。
面白さを気にしないタイプの人となら結婚できると思うので、もし心当たりがある人はそういう人を探そう。
また、定型文での会話しかできないというのは知的好奇心が存在しないためである。
その物事に対してより詳しく深めたい感情がまあ存在しない。もしくは、自分の好きなことにしか知的好奇心がない。
いにしえのオタク文化では「やりますねぇ!」だの「時間停止モノの9割はヤラセ」だの「ぶっさwコミュ抜けるわw」だの。
仕事ではメールの文頭に来る「いつもお世話になっております」や終業後の「飲み行こうぜ!」「行かねーよ」だの。
この日記の冒頭で書いた「天気、今日の調子、昨日食べた夕飯」だの。
コミュニケーションが取れている気持ちにもなれる。まあ、実際に取れているが。
しかし、これらは決して会話ではないと思う。これらの会話では「面白い人」にはなれない。
少し例を挙げてみる。
自己肯定感が低いナルシストは「もっと褒めてよ、自分って素敵でしょ?」「見て、こんなに努力したの、凄くない?」
と、他者から賞賛をもらうと同時に自分を好いている。努力はできる。
自己肯定感が高いナルシストは「自分ってこんなものか、まあええか」「努力もしたし、結果も出た。やっぱ自分ってすげえ」
と、他者からの賞賛に興味はなく、自分を好いている。努力はできる。
自己肯定感が低い人が面白くない理由は「褒めてもらえる相手しか好かない」ためである。
彼らは承認欲求が強い。そのため、承認してもらえる相手を好む。酷いレベルだと、自分に肯定的な人だけと付き合う者もいる。
彼らは意見されることを嫌う。自我防衛機制とかいう本能が、自分を守るために「否定してくる敵」を嫌うのである。
そんな彼らは、グループにいると不便なことが起きる。
共同作業が苦手である。例えば、サッカーやバスケなどのスポーツ。職場での仕事もそうだ。
彼らは自分で自分のミスに気づくと萎える。他人から言われても当然萎える。
揺らいだ精神を戻すのに脳が必死なので、ミスの修正に頭が回らない。人の話を聞かないタイプも多いが理由は分からない。
冗談が通じにくい。自己肯定感が低いので笑い飛ばせる余裕がない。
いろんなタイプがいる。冗談だと分かる人、分からない人。自分ではなく他人が言われている場合でも、共感性好奇心が高い場合は他人の冗談に対しても不快感を覚えるようだ。
冗談が通じないとしても、決してコミュニケーション能力と関係はない。なぜなら、自己肯定感が冗談を受け入れる余裕につながっているから。(超個人的な見解)
新しいことができない。これは好奇心の話にも通じる。
失敗するのが怖いので新しいことをやりたがらない。
これは新しい趣味を持つことができないという意味ではない。新作のゲームをやったり、新しい音楽を聞いたり、新しいスポーツもできる。
ただ、成功か失敗が明確に表現される場は非常に苦手だ。対人ゲームやスポーツの試合、楽器の演奏など集団で技術を高め合うのが苦手。
学生時代のグループにいた、自己肯定感の低いやつは徐々に遊びに誘われなくなってしまった。
グループを集めたリーダー的な存在と、二人で話しているとき、彼が面白くないやつだと私は説明をしてしまった。
当時、私はコミュニケーションを取る気がないやつが淘汰されただけ、とせせら笑っていたが。
この日記を書くぐらいにはシコりが残っている。
古い価値観 ... 男性には家計を支える責任がある。女性には育児と家事をする責任がある。
新しい価値観 ... 性別によって役割が決められているのはおかしい。男性も育児や家事を担うのが当然。
結婚するまでは、古い価値観が嫌だったので自分は育児や家事にもしっかり参加していこうと思ってた。
そして実際に今、自分は家庭を持っている(自分、専業主婦の妻、2yの子供)が、しっかり家事や育児に参加してるつもりだ。子供が生まれた時は2ヶ月育休取った。
今担当してるのは、子供を起こす、朝ご飯を作って食べさせる、お風呂に入れる、寝かしつける、食器を洗って、ゴミを捨てて、風呂を洗う。休日は子供と2人で遊びに出かける。今はしてないけど、洗濯・買い物・夕飯作りもできる。だから仕事が休めれば24時間ワンオペだってできるし、休日に妻の自由時間を作るたびにワンオペする事もある。
教育資金、住宅資金、老後資金などの責任が重くのしかかる。そして育児との両立がマジでキツい。残業がほぼできない。
少なくともあと30年ほど働く必要があるが、その間、家計のすべてをまかなえるだけの収入を維持する責任があるのが本当にキツい。
そして、親に介護が必要になった時のための金、自分が万が一死んでしまったときに使う金などと考えていくと本当に無限の責任がのしかかってるように感じる。
だったら、妻と話し合って働いてもらった良いとも思ったが、妻のこれまでのキャリア的にアルバイト以上の収入が期待できる職に付くのは難しい。ぶっちゃけ、共働きにして保育園に入れると赤字になる可能性が高い。
こういう状況になった要因の一つに、「女性はそれほどバリバリ稼がなくていい、だから学業もキャリアもそれほどしっかりと積み上げていく必要はない」という古い価値観に基づいて作られた、これまでの妻のキャリアとか、やっぱり現代においても女性には賃金格差があるとかそういうのがあると思う。(全部とは言わないけど)
まあ、まとめるとしんどいって話しです。
じゃあ、家事育児・仕事全部できるカップルしか結婚するべきじゃないのか? って考えるとそれも違うと思うし良く分かんないっすね〜。
陸上やってる知人が、陸上の名選手は東京からちょっと離れたところから出てくる、東京は人口の割に名選手の排出が少なすぎる。才能が見えても受験と学業優先するからかなあ……
と言ってた。