「学業」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 学業とは

2024-07-26

anond:20240725204237

ほならお前だけ、それらの利益享受せずに、しっかり田舎学業もそこそこに伝統農業をしてもらって

2024-07-25

anond:20240725113733

女性学力は高いが、それは生来のものではなく、学校教育女児最適化されているからだと考えている

たとえば学業の始まりである小学校低学年には女性教師が多く、また授業も精神の発達が早い女児親和的カリキュラムになっている

学業は積み重ねであり、最初の段階でついていけなかった男児はその後の学校生活においても苦手を意識を持ったまま学業と向き合うことになる

結果として学力(not IQ)においては女性の方が男性より秀でている(ジェンダーギャップ指数教育面においては日本は上位)

しか女性はその力を社会で発揮しない

女性は矢面に立つことを拒否しているように感じる

他国女性と比べ、頑張っていないように感じる

それはなぜか、という煽りではない純粋学問的興味がそこにある

2024-07-18

カンニングした理由からカンニングをやめるまで1

カンニング卑怯であり、姑息であり、やってはいけないことだ。大前提である

長いけど吐きたくなった。本当は墓場まで持って行くべきだと、ずっと思っていた。

だけどカンニングニュースを見て以来、ずっとモヤモヤしていた。過去清算をしたくなってきた。そんな年齢なのかもしれない。

.

カンニングしたことがある。小学生中学生くらいまで。

私にとってテストの点数なんかどうでもよかった。友だちと遊べて、学校行事に楽しく参加できればそれでよかった。だけど親は違う。成績が全てだった。普段は優しくて褒めてくれるのに、点数を見たときは怒ってる。だから低い点数なんか取るわけにはいかなくてカンニングした。誰にもバレない上手いカンニングをしていた。

こんなことを言えば「カンニングをするなんてクズ」「性根が腐ってる」「カンニングした奴はぶん殴れ・退学」みたいな意見が出ると思う。そうだろう。自分もそう思う。そう思っててもカンニングはやめられなかった。やめたら点数が悪くなる。そうすると親に怒られる。第三者から指さされるより、自分の母に怒られるのだけは死ぬほど嫌だった。

「なんでこんな低いの?」「なんで勉強もっとしないの?」「遊んでいるからだよね?」と責められる。

でも当時の私はそれに「はい、ごめんなさい」しか言えなかった。小学生だった当時の自分は「なんで?なんでがわからない」としかならなかった。しかし言えば「ふざけてんの?」と絶対に怒鳴る。怒鳴らなかったとしても頭悪いと思われるという事実が嫌だった。怖くて怖くて怖い。母が自分否定してくるという事は、小学生自分にとって死ぬことの次に嫌な事だった。母がキレたときの金切り声が嫌だった。

そして勉強しようと机に向かう。何もわからない。何をどうすれば覚えられるのかわからない。あ、そうだ、聞けばいい、そう思っていたのは最初だけだった。今思えばやらなければよかった。

小3くらいの時、学校先生に「これがわからない」と聞く。先生は小ばかにしたように「こんなのがわからないの?!」と大声で驚く。クラスメイトに丸聞こえ。クスクス声が聞こえた。「わかんねーから聞いてんだよボケカス」と思った。「ひたすら書けばいい」と言われた。どうしても根本的な説明が欲しくて何度も聞いたが「あー、はいはい。これは教科書のここみて」と言われただけだった。先生はそのまま1軍のグループと一緒に遊んでいた。

また塾で算数範囲簡単でどんどんレベルアップして、学校で習っていない割り算に突入した時がある。初めてみる記号でわからない。いつも親切に教えてくれる信頼していた大人休みだったので、別の人に「教えてください」と言ったら「は?!こんなのわからないの?!」と言われたのが今でも鮮明に思い出す。「えと、初めてみる記号で…」と怯えながら言うと「ぷwwww割り算なんて簡単だよ。ほら6÷2は、鉛筆6本を2人で割るんだよ」と。明らかに面倒くさそうな態度だったから「あ、はい、わかりました」と切りあげた。"割る"という概念すらわからなかった私は適当に解いて採点に出す。全部バツだった。泣きたくなった。全部バツ人生で初めてだったからだ。

中学受験期、受験用の塾に通い始めた。わからないことを塾の先生に聞いた。「この程度で質問しにくるの?こんなとこスルーしていい」と言われた。「この程度もわかんねーから聞いてんだよ」と思った。教えてくれたけど「こんなの簡単。余裕だよ。試験になんかでないよ」と言う。私にとっては本気で悩んで本気でわからなかったことだった。それは簡単なことで質問する質じゃない。自分質問することは簡単すぎて馬鹿にされる。そう思うようになった。

親に聞く。「塾(または学校)の先生に聞きなさい」と言われた。怒られるかもと思い何度もお願いした。しかし母は上から目線で「ねぇ、なんでわからないの?こんなに説明しているのに?聞いてる?」と言った。私が「どうしてそうなるの?」「なんで?」と聞きすぎたのかぶち切れた。「理由より覚えろ!」

そこからかに質問するのをやめた。

積み重ねによって、わからない→この程度もわからない・簡単と言われるだろう→自分馬鹿→なら勉強したって意味ないじゃん。といったループになってた。

解説を読んで「なるほど」と思っても、何も見ていないと何もわからない。テキストを解いても見たことある問題だなで終わってしまう。そして解説を見て「あれと同じ問題だったのに覚えていない。自分記憶力はダメなんだ。自分馬鹿なんだ」と自分が嫌になる。もっと勉強が嫌いになる。自分も嫌いになる。間違えちゃだめだと普段勉強試験並みのプレッシャーを感じていた。そしてもっと勉強が嫌いになって机に向かっても宿題に答えを写す作業だけしてた。

また、父は「遊んでこそ人生。いろいろ遊べ!」そんな人間だったので、私は父親っ子だった。それもあって母に内緒で父と一緒に出掛けたり、買い物をした。バレたときは怒られたが父はヘラヘラしていた。母が父に怒らないようにカンニングをしていたのもあった。私の点数がよければ母は怒らない。父も怒られない。兄弟に飛び火がいかない。

.

理科だけは楽しかった。星とか断層とか自然には興味があった。だから塾のテストでも理科だけは点数がよかった。全国順位も高かった。だけど一個だけ点数がよくても塾のクラスは上がらないし、母は「理科ひとつできたところでねぇ…」と言う。中学受験のメインは算数国語から特に褒められなかった。理科のみの受験なんてないからだ。

父は勉強のことを「お母さんに聞いてね」としか言わないのでテストの点数を見せても「点数なんて気にしちゃいけないよ」と言う。励ましだと思うけど当時の自分は母と父、どちらも点数を褒めてはくれなかった。

はいつも比べる。○○さんは、兄は、テレビのあの子は、同い年なのに、あんたも同じ塾通っているのに。そして仲の良かった友人を嫌がっていた。あの子のお母さん嘘つきだから、あの子貧乏で意地汚いから、あの子小学生テストすら0点だから別に仲いいなら良いけどというが、そんな言葉は嫌いだから言うのだ。

ある時、酷かった国語テストの点数を書き換えたこともある。先生と同じペンを使ってバレない程度に書き換えた。と思ったがうっすらとバレた。「こんなに間違えているのにこの点数なの?」その時の母の目を今でも覚えている。

母に疑われている。怒鳴られる。○○さんは×点なのにと比べられる。なんで?責めされる。また遊びが規制される。兄弟と比べられる。この子は頭がよくなくてと紹介される。こんな子に育てた覚えはないと言われる。塾の金が無駄だったと言われる。教えてもくれないのに勉強を傍で監視してくるようになる。趣味バカにされる。

そんなことがドッと脳内を襲ってくる。おぼれて死んでしまいそうな罪悪感と恐怖で吐き気が喉元まで来るが、飲み込む。「そ、そんなことないよ」と答える。大きなため息をされた。冷や汗が止まらなかった。塾のラウンジでみんなが帰宅だと盛り上がる中、テストを見られて責められていた。小学生の頃のある日の記憶だが、今でも思い出すと頭痛吐き気がする。

.

カンニングがひどくなる。塾で一回遠回しに指摘された。親に連絡入っていなかったが、でもやめられない。「バレない方法は」と考え、バレない方法にたどり着いた。でもカンニングには限界があって多少は点数がよくなっても多少で止まる。

でも楽だった。カンニングさえすればちょっと点数が上がる。本当は自分の実力で勝負しようと勉強を頑張った。でもわからない。わからないのにやらなきゃいけない。怒られる。怒鳴られる。金切り声が響いてしまう。頭に全く入らない。やらないといけない何かをこなしているだけだった。

勉強する→わからない→宿題が進まない→進捗を見に来た親に「これしかやっていないのか」「なんで?」と責められる→わかんないと言えば「解説をみてもう一度解くの」と言われる→解説を見たとき理解する→また自力で解くがわからない→解説をみると同じ系統問題だと気が付き自信を無くす→やる気がそがれて進まない→進捗を見に来た親に…と責められる時間自己嫌悪時間になる。

勉強なんて嫌いで仕方がなかった。答えを微妙アレンジして写すだけの日々だった。勉強時間なんて写すだけなので10分で終わる。10分で終わると親が怪しむので、父が持ってた漫画を借りてこっそり読んでいた。自分の部屋があって良かったと思う。

「私、そばで見ているから」と母が監視しながら塾の宿題したことがある。しか問題を見てもまず何をすればいいのかすらわからない。ずっと悩んでいると「寝てる?」「集中しなさい」としか言わない。怖い。責めてくる。「全然進んでない。なんで?」「なんでわからないの?」と責めてくる。私は「ごめんなさい。わからない」しか言えない。解説バンと渡される。解説が難しすぎてわからないと母に言う。「文章の通りでしょうが!」と怒ってくる。ますます頭が痛くなって解説が頭に入らない。文字が嫌になる。責められる。そして私は限界に達し「わかんない!うるさい!ババァ!」と叫ぶ。母と喧嘩をして「親になんて態度だ!」と家をつまみ出される。そして「私が悪かった」と泣きながら家のドアをたたく。「勉強しないあんたが悪い」「勉強すればこんなことにはならない」と責めながら家に入れてもらう。そんなのばっかりだ。兄は第一子だから母は優しかった。弟は末っ子だったから母は優しかった。私だけいつもこんなんだった。

でも優しいところもあるからすべてが嫌いになれなくて嫌だった。誕生日は祝ってくれるし、お年玉だってくれる。私の好きな食べ物もわかっていて「あなたが好きな食べ物よ!」と夕飯を豪勢にしてくれることだってある。「男たちには内緒ね」と高級なお菓子をくれることもある。旅行にも連れて行ってくれる。だからなおさら怒らせたくないとプレッシャーがかかった。小学生の頃、勉強の話を家でしたくなかった。みんなで楽しく生活しているのに私のせいでぶち壊れる。勉強して追い込まないとと思っても全然できない。そして誰も見ていないお風呂で泣いてた。勉強のできない自分なんて。何で覚えられないんだ!バカだ!バカ!と自分が大っ嫌いだった。枕が濡れることもよくあった。

小学生の頃には戻りたくない。社会人になった今でも思う。社会プレッシャーの方が何倍もましだ。

.

小学校テストは授業を聞いていれば簡単ですぐ解けたのでいつも満点だった。でも母は「学校のはあたりまえじゃん」と笑っていた。塾のテストだけを見て、塾のテストだけで怒っていた。

結局、中学受験面接が重視されるところに受かった。おしゃべりは得意だった。

他の筆記だけの場所は全部落ちた。筆記だけのところはカンニングしていた。でも落ちた。そんな程度の能力だ。私は。カンニングしておいて落ちる。クズバカだ。

親としては微妙ライン学校だったらしく「受かって良かった」と言う裏では明らかに嫌がっていた。反抗期がくっそ尖っていた時期に「やっぱそんな学校いれるんじゃなかった」と言われていたのを覚えている。私が大好きな学校のせいにするなと私は怒ったから覚えている。

.

中学に入っても母はテストの点数を見てきた。英語が酷くてすごく嫌な顔をしていたのを覚えている。英語は将来必要だとかどうでもいい必要性を1時間述べて、英語を教えてあげると言われたが上から目線だったので、案の定私はキレて断った。

そんな中、中学一年先生は優しかった。一年が終わる時の面談勉強が苦しいと相談した時こう言われた。

「君はどんなタイプの子でも仲良くなれる。これほどまでいろんなグループの人と仲良くなれるのは僕の教師人生40年で初めてだ。確かに成績は良くないけど、そこだけで落ち込まなくていいんだよ」そこで初めて勉強以外を褒めてくれる先生出会った気がする。

「君の友人の**って子は成績がいいから、その子相談してみたら?」と目から鱗だった。自分小学生のころから同級生と比べられていたせいで同級生に聞く=恥だと思っていた。人に質問する=恥だとも思っていた。

そこからカンニングをしなくなった。した記憶もないし、していないと断言できる。

成績は悪かったが、学校生活はとても楽しかった。先生たちは私の成績に頭を抱えていた時もあったが「まぁ、君は学校を楽しんでいるからいいか」みたいな感じで責める人はいなかった。学業以外で頼られることも多かった。追試会場でも追試仲間と一緒に先生に「授業が面白くない・わかり辛い。こうしてほしい」と相談することも増えた。そこの校風職員室がカフェのようなノリで入れるため、おしゃべりが好きだった自分先生に遠慮なく雑談を仕掛けた。そこからテストの点数が悪いぞお前→じゃあテストどうすればいい?→ここを山にして覚えればいいんだと教えられる→山なら授業のあそこがわかり辛いなどを相談する。

追々々々試くらいまでしょっちゅう行ったことがあるが、先生バカにしてきたことは一度もなかった。むしろ「君はよく逃げずに会場に来るねぇ」と感心していた。そこから追々々々試に来る、忍耐だけあるバカ共に一から丁寧に教えてくれた。ありがとう先生

そこから母への反抗期が激しくなった気がする。父方の祖母が亡くなったからのもあった。祖母戦争体験者で父と似ていて「自由笑顔であることが一番」な人だった。私はそっち派だった。母からしたら姑としていつも喧嘩していたのは覚えている。

から何を言われても「うっせぇんだよ!」で返した。小学生の頃は母に怒られたら怯えるしかなかったが、中学高校は「世の中は勉強だけで評価されるんじゃないんだ」と感じ、勉強のことしか言わない・認めない母と時には殴り合いになった。

後半→https://anond.hatelabo.jp/20240718233140

anond:20240716233144

ちゃん民主主義原則に従い対応すればいいんじゃない

ジェンダーに関しては、

多数派は男女なんだがら、安全面が心配されるトイレ銭湯などは、多数派利益として、女性スペースを優先する

マイノリティは少数なんだけど、少数の尊重として、学業仕事などにおいて、性別格差がないようにする

移民問題などは、

多数派日本国籍なんだがら、日本価値観法律を優先して、法律違反価値観蔑視などがあればお帰りいただく

少数の尊重として、学校社会において人種差別がないように啓蒙していけばよい

ソフトバンク選手逮捕 神奈川、600円窃盗疑い

野球選手

・塁を「盗む」

投手の癖を「盗む」

・モーションを盗む

と褒められるから



富山第一高校では2年にして4番左翼手

甲子園出場。準々決勝まで進む。

2014育成ドラフト1位指名

2018年引退


中学校時代には学業成績で校内の上位に入っていて、富山第一高校では特別進学コース所属していた。

幸山自身も、現役引退大学受験を決めた直後の取材で、「勉強することは嫌いではない」と語っている

富山県内の高校硬式野球部監督になることを目標に、

日本学生野球協会へ加盟する高校大学野球部での指導必要学生野球資格回復に向けて、2018年12月講習会を受講した。

2019年4月からは、教員免許の取得に向けて國學院大學へ進学[27]。

日本プロ野球選手会によるNPB選手経験者へのセカンドキャリア施策の一環で、

2017年から高卒の元選手に限って実施している入学試験合格したもので、この試験による入学者は幸山が初めてとされる[28]。



大学出て高校野球指導者の道半ばにして

金銭に困窮?

千葉県松戸から横浜の元バイト先まで窃盗に?

合鍵を持っていたり、内部事情レジ状況等知っていたのだろうけど)


神奈川県警青葉署は17日、横浜市青葉区の飲食店侵入して約600円を盗んだとして、建造物侵入窃盗の疑いで、千葉県松戸市、高校非常勤講師

山一容疑者28)を逮捕した。容疑者富山第一から2015年育成ドラフト1位でソフトバンク入団した元選手。18年に退団した。

 逮捕容疑は今年3月22日午前3時ごろから午後3時ごろの間に、横浜市青葉区の飲食店侵入し、現金約600円を盗んだ疑い。「間違いありません」と容疑を認めているという。

 署によると、当時店に従業員はおらず、出入り口から入ったとみられる。幸山容疑者は昨年3月までこの店でアルバイトとして勤務していた。

2024-07-16

裕福に生まれたゆえに目的を見失った

裕福な家庭に生まれた。

港区で生まれ育ち、幼少期から不自由なく暮らし、いくばくかの愛情も与えられた。

多少要領も良かったようで、小学校から高校までをエスカレーターで過ごしたのちに一流と言われるような大学へ進学した。

容姿や周囲の人間にも恵まれ、当時は気がつかなかったが思い返せば幸せ時間をおくってきた。

こう聞けば羨ましがられるかもしれないが、これらと引き換えに失ったものもある。

人生における目的、生きるモチベーション、そのようなもの

多くの人は、お金持ちになりたい、いい家に住みたい、素敵な家庭を築きたい…多かれ少なかれ何かしらの目的原動力として学業仕事に励んでいるだろう。

自分にはそれがない。というよりも全て達成していた。

裕福がゆえに、およそ目的となるようなあらゆる体験を幼いうちに済ませてしまっていたから。

そんな空虚な中で仕事だけは小さな動機となっていたが、それなりの才があり欲しい評価をすでに手に入れてしまった。

残った人生動機親孝行だったが、数ヶ月前に父が亡くなってしまった。

母は幼い頃に他界したので、自分天涯孤独の身となったことになる。

莫大な遺産と共に、形容し難い喪失感に襲われた。

程なくして退職し、数ヶ月無意時間を過ごしている。

成し遂げたい目的があれば立ち直れたのかもしれないが、そんなものは残されていなかった。

社会の中で実現したい欲求があれば良かったのだが、前段階となる自己欲求消失している自分に見つけられるはずもなかった。

まだ20代も半ばだが、おそらく自分人生はすでに終わった。このまま朽ち果てていくことを薄々感じる。

だらだらと書いているうちに何が書きたいのかもわからなくなってしまった。

同じような幼少期を過ごした仲間が自分のようにならないことを祈っている。

2024-07-14

ワイと先公

小中ともにろくな先生ではなかった

 

小学校先生はワイのことは可愛がってはくれたけど、正直、教師社会人としての質はあまり高く無かった

ただ、ワイ個人にはとても良くしてくれたので、何かあったら名誉を傷つけるようなことは言わないであげたい

 

中学校先生ゴミだった

教師社会人としての質がゴミだったのはもちろんの事(実際、刑事事件で捕まったとんでもねー奴もいるし)、

特に可愛がってくれたわけでもなかったので、名誉を守ってやる必要性ねーなって思ってるけど、

キッズならともかく、中年が遠慮なく言いたい放題言うと、え〜ヤダーあの人ー💦ってなるので、

何かあったらよく殴られたことだけ言おうかなって思っている。べつに殴られたはくらいはいいよなぁ、殴る方が悪いんだし

しかし、あの当時のワイは殴られて、なぜ訴えると言う発想がなかったのかと非常に悔やまれる。思い出したら腹立って来た😡

 

高校はなんか知らんけど前世で命を救った?レベルで非常に良くして貰った

教師としての質も異常に高くて、今でもそのご恩に報えていないことに、ちょっとモヤっとなったりする

(もちろん教師全員ではなく8割くらいはゴミだったが、数人ガチ聖人がいた)

 

・・・と、こんな経験をして来たので、べつに公立中学校なくていいのでは?(名推理)ってなるんだよなぁ (高校ガチ聖人いたのであっても良い)

実際、不愉快な思いしただけで時間無駄だったし

かに今も付き合っている友達の1人は小中で出来たわけだが、別になんらかの子ども集める施設であれば同じ結果になっていたと思う

べつに学校である必要なくね????みたいな

 

たぶん程度差はあれど、似たような思いして来た人が多いから、教師待遇上げろって言われても、

ハァ???????????塾講師呼んできてオンライン授業でも受けさせておけやボケ!!!!!!!!!!ってなるんじゃねぇかなって

 

なので、小学校教育大事だよ~~~人生の基盤だよ~~~~親のフォローを受けられる子ばかりじゃないんだから~~~って言ったて、

家が荒れてるなかで、あの小学校中学校だったら、今頃檻の中だわ😅としか思わんわけ

 

まぁ小学校先生はワイ個人には良くしてくれたから、無理矢理良かった探しをするなら、ワイの通ってた小学校は何かのモデル校になっていて、

発言すること自体インセンティブがある取り組みがあって、どんなどうでもいいことでも臆せず言えるようなったのは、もしかしたら小学校の影響もあったかもしれない

(でも、同じ小学校出身で同じ中学に進んだやつは、中学校行ったら発言しなくなったので、元の性格の方が強そうな気もしないでもない)

 

ゴミだけではなく、聖人みたいな まさに聖職者にも(高校でだが)出会っているので、学校は恵まれない子の人生の基盤だよ論に、ほんのちょっと興味もあって、

滅私奉公で、オンライン教育に尽力されたり、学業不振者をフォローされたり、限られた予算で障がいを持った子の可能性を広げようとしている先生方もいるのは存じてるし、

映画『みんなの学校』みたいな取り組みは素晴らしいなぁと思ってるけど、

聖人先生と呼ぶに値する人だけ給与を3倍にして、あとのゴミはクビにしろめっちゃ正直な気持ちなのよね

 

まぁ、どうしようもない先生にも生活あるだろうから、クビはやりすぎにしても、

どうしようもない先生能力で出来る範囲のことだけやってもらうと誰も嫌な思いしなくて不幸がないよね

それこそ、基本は塾トップ講師オンライン授業で、それでも理解できない子に個別フォローだけするとか、学校関係・授業準備関係雑務だけやってもらうとか、

他は能力を超えていると思うから一切しなくていいよ

 

素晴らしい取り組みをしている先生だけ的確に評価することは、現実的には不可能なので、聖人先生と呼ぶに値する人に報いようとを考えたら、全員給与3倍くらいにする他ない

あと、競争が働く仕組みが無いと残念ながら優秀な人材を得るのは難しいので、やはり給与を3倍くらいに上げるしか無い

福祉教育分野にいがちな聖人にだけ頼ってたら、公共教育はどうにもならなくなるだろう

 

ただ、頭では分かっていても、あのどうしようもない教師たちのことを思い出すと悪感情しか湧かない

ヘイターやす前に、サクッと教員給与をあげて競争ができる仕組みを作っておいた方がよかったよなぁ

2024-07-13

田舎中小企業・30代

新卒求人媒体に100万円以上払ったが、新卒は1年も経たずに辞めた。残るは行き場のない年食った中堅社員のみ。ここに明日はあるか。

     

・ここは中小企業

  ・売上規模5億円にも満たない中小企業

  ・人口規模5万人に満たない田舎

  ・研修もなく、ぶっつけ本番で4月1日から電話応対させられる新卒新入社員

  ・年功序列のため出世してしまった割合計算が出来ない40代管理職

  ・30代の求職者を中途雇用するも入社半年も経たずに身体に支障が出て休職

  ・60歳~30歳の男性社員が30代の女性社員を「女の子」呼び

   ・それをセクハラ非難するわけでもなく純粋に喜ぶ女性社員

       

負担選択

  ・お子様の学業・心身の事情により唐突休日および早退申請を行う社員

  ・サビ残してまで代打業務をこなす独身実家暮らし社員

   ・缶コーヒーと共に労いの言葉をかけるも反応は風になびく向日葵

  ・入社3ヵ月で退職した新卒新入社員

   ・電話応対後の内容を指導先輩に報連相するも溜息をつかれたとの事

   ・トイレに篭り30分~1時間出てこない日が何度かあったとの事

     

    

それでも、ここには明日があるさ。

2024-07-10

anond:20240710075344

バカみたい。日本だってフツーにパクられるよ

薬以前に基本的なことやったら死ぬのだろうか

素直に海外旅行いきまちた、バックパッカーやりまちたやれば良いのにな

 

あとこれも再放送

で、下記に該当すんの?

しんど目の知的障害がある、カッとなったら人殴る・壊す・自傷する、虐待いじめにあった

 

ブクマカブクマ狙い嘘付き増田みたいなのが増えたら、マジで障害者手帳出なくなるぞ。下記みたいに厳格化される

絶対知的障害ないとダメ絶対二次障害ないとダメ絶対自傷暦・犯罪歴ないとダメ

 

嘘つきに言いたいこと

マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ

 

上記のどちらでもないのなら、『発達障害からお仕事困るんでちゅ~』『お友達関係困るんでちゅ〜』は端的に言えば嘘ですよね?

極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできます

2024-07-07

皮膚むしり症って知っている?

病名は今知ったけど、俺はこれだと思った。

定義としては「かゆみが生じる身体疾患や皮膚疾患ではないにもかかわらず、自分の皮膚を繰り返しむしることを止められない障害です。」

人口の1~2%ぐらいいて、広い意味精神障害らしい。

ひどい人は「皮膚むしり行為をしたり、むしることを考えたり、むしりたい衝動抵抗している時間は1日数時間におよび、仕事学業生活に支障を来します。」と社会生活に影響があるらしいが俺はそこまでではない。

皮膚にぽちっと何かができると中身を出したくなる。

カサブタができたら剥がしたくなる。

その結果、いわゆる「肌が汚い」という状態だ。

肌を見せるような仕事ではないし、あまり悩んでいないのが幸いだ。

バカでも分かる日本の停滞の原因と処方箋

日本経済って


石油がない

ドル石油を購入して輸入する

ドルを得るために製品を作る

製品を強くするために市場を大きくする

⑤上で得た利益のあまり公共サービスに使う


の5つの論理で成り立ってんだよ。

で、これに当てはめて現在の停滞を説明すると、


少子化市場が小さくなっている

国内市場が小さいので、製品大量生産できずコストが上がり、競争力が弱くなる

製品が弱いので得られるドルが少なくなり、石油の値段も上がる


っていう現象が起きてるんだよね、つまり全ての根本少子化にあるわけ。



じゃあ少子化改善するにはどうしたら良いか

答えはカンタンで「高校進学率を10%、大学進学率を5%まで下げる」ことしかない。

これ聞いてドン引きしたやつも少なくないと思う、理由を下で説明しようか。


理由は2つある。1つ目は教育コスト問題だ。

カンタンに言えば、今って子供一人に掛ける金が多すぎんだよ。


公立高校国立大学でも総額数百万はかかる。私立だったらその3倍だ、受験させたいんだったらそれに塾代も加わる。

別に金が掛かるのは学業だけじゃない。金稼がない人間を家に置いておくだけで数百万の出費になる。

国民の9割が中卒で社会に出るようなシステム想像してほしい。そのような問題ほとんど発生しないだろ?


2つ目の理由出産適正年齢の問題だ。


まず人間出産適性年齢は15歳から30歳で、20ピークに下がり始める。

まり人間って15から結婚を前提とした恋愛経験して、18までに第一子を作るのが一番効率良いように出来てんだよ。

でも15ってみんな学校行ってるだろ?そんな状況で現実的恋愛なんて出来るわけねぇよな。


しか大学まで卒業したら既に22だ。そこから恋愛したらどう頑張っても30くらいで子供を産むことになる。

もう全盛期の半分くらいの出産能力しか無いわけだ。

母体へのダメージもでかいし、産児のリスクも若干上がってる。良いこと無いだろ?



で、ここまで聞いてて分かったと思うが、この主張は人聞きが悪すぎる。だから誰も言えないし実現しない。

でも確実に事実だ。先進国社会が軒並みこの症状に陥ってることもそれを裏付けてる。

みんな教育は良いものだと思い込んでる。でもどこかで規制しないと社会が持たないところまで来ているんだ。


良かったらこの主張を拡散してほしい。その議論の場を作ることが大事だと思うんだ、もちろんコメント大歓迎だ。出来るだけ返信する。

anond:20240707122948

で、下記に該当すんの?

しんど目の知的障害がある、カッとなったら人殴る・壊す・自傷する、虐待いじめにあった

 

ブクマカブクマ狙い嘘付き増田みたいなのが増えたら、マジで障害者手帳出なくなるぞ。下記みたいに厳格化される

絶対知的障害ないとダメ絶対二次障害ないとダメ絶対自傷暦・犯罪歴ないとダメ

 

嘘つきに言いたいこと

マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ

 

上記のどちらでもないのなら、『発達障害からお仕事困るんでちゅ~』『お友達関係困るんでちゅ〜』は端的に言えば嘘ですよね?

極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできます

 

 

発達障害でも主婦シェフ大工スポーツ大好きもおしゃれ命もいる

から発達障害からまったく料理できませんとか、発達障害からまったくDIYできませんとか、

発達障害からスポーツ出来ませんとか、発達障害から人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、

そういうこと言ったらフツーにブチ切れなのに、

なんだってお仕事・お友達関係だけ、『できまちぇ~ん』が、『わかるぅ~~~』になるんですかね?

2024-07-06

anond:20240706122259

またお前かって思ってるけど増田くんとITの話するの疲れるから別の人にするね

アインシュタインは息子や息子嫁を煽りまくったり、特定人種を煽ったりしてたけど、

その人らが物理学者としてアインシュタインと同じ土俵に居て戦闘モードだったからではないと思います

倫理観と自制能力問題

 

アインシュタイン書ききれないクズ伝説 (ほかにも盛り沢山)

2024-06-28

貸与型奨学金より、スポーツ特待生のほうがマシだよ

勉強ピカイチだけど家が貧乏って、あんまりたこと無い。

そもそも、本当は東大に行きたいけど家が貧しいから家から通える地方国立大みたいな人を救う必要があるのかと。

地方国立大でも通えればいいだろ。

もっとさ、家計的に家から通える地方国立しか進学できないけどそこには偏差値が足りない、かといって私大は無理、くらいの家庭を救うべきなんじゃないの?

学業優秀だけど貧困家庭っていうケースをみんな救いたがってるけど、貧困家庭学業優秀ってそうそうないからな。

だってハンデしょってるもん。

優秀な中高生を救ってあげたいのはわかるけどさ、じゃあそうじゃない中高生は死んでいいみたいに聞こえるわけ。

優秀な成績を残さないのは貧困のせいで、学業成績で支援の可否を決めたら、本当に援助が必要な家庭に届かないよ。

2024-06-26

anond:20240625191650

ワイの周りにもいたわ競プロブリリアントジャーク

そいつは赤コーダー飛び級できるほど学業は優秀だったが、性格が最悪だった。

すぐ不機嫌マウントとるしなんかあったら正論パンチを周りに撒き散らしていた。友達も少ないタイプ

新卒外資系に入ったのだがPIPでクビになって転職活動している。だが、悪評があまりにも広まっているのか未だに就職できてない。

anond:20240626161037

しかありませんでした。書き起こす必要性感じなかったのでコピペ

フツーに読んだら嘘しかないけどな

 

パパもママも親戚も彼氏くんも(夫くん)も友達も『増田ってすごいね』って認めてくれるの!

でもそれじゃあ満足できないんだぁ🥺って

 

こんなんどうしたら真に受けることが出来んのよ

 

 

このどちらかですよ

マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ

 

上記のどちらでもないのなら、『発達障害からお仕事困るんでちゅ~』は端的に言えば嘘ですよね?

極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできます

医師の診断も受けずに自称で名乗るはもちろんのこと、

発達障害自体詐称ではないが何でもかんでも発達障害の箱にぶち込みたがるやつ

そしてそれで、SNS芸人エッセイスト芸人やってるやつな

 

こういうクソどもは知能面でかなりしんどい結果が出ている人と能力かわってやればいいのにって思いました

あるいは犯罪犯して刑務所行きルートしかないようないっさいの支援を受けられなかった人と環境かわってやればいいのにって思いました

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543# https://anond.hatelabo.jp/20240618222241#

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951#

2024-06-23

カンファレンスメモ

賢い人は1時間ある某大手ベンダー企業トレーニングビデオ10回以上見ている。→会社シニアエンジニア等、賢い人でも理解には誰でも時間がかかる。

プログラム修正には解決方法の推測に時間をかける。検索試行錯誤時間をかけない。

時間をかけて理解できたから素早く仕事ができる。

最高の勉強

思い出す時に記憶が定着する。

テストエンジニアからソフトウェアエンジニアになった。他の出来る奴から学んだ。→観察して真似してやる。

差別化意識を持とう

自分の2つ上の人とone on one するといい。その人がやりたいことを質問して聞き取る。他の人がやりたいことを自分仕事にした。新しいプロジェクトアサインされた。

Job description をsatisfy するようにする

アプリ開発

まずデモを作る

ストーリーを作る。

悩みどころがストーリーを作る。

これめんどくさいよね~だからこれ作った。

極限まで始めやすくする。

自動で動くようにしたり等

他人視点からは始めにくい可能性があるから気を使おう。

Reputation

周りの開発者から推薦が得られるように仕事をする。周りから信頼を得る。使う側の気持ちになれ。

→細かい努力値する。しっかりした製品を作る。

日本 政治半分、技術半分、心理学ぶほど政治大事

アメリカカナダ 技術だけで勝負

大学

夏のインターンは冬から応募

ポートフォリオ作る

先輩の前例から学業以外も学ぶ

大学入る前からインターンしてた人が居た。

ソフトウェアエンジニア以外のポジションにも応募すると違うキャリアパスも見える。

自分の適性は変化する。

2024-06-21

日本女性子供産むと罰を受けるんだから最下位は当然

子どもない女性割合、日本が最高 OECD加盟国で | 共同通信

男性と同じように学業に励み

男性と同じように仕事をし

男性と同じように年収を得ても

子供産むだけですべて台無しになるのが日本女性

はてなじゃ「女が大黒柱になる気がない」の大合唱だが、数値は嘘をつかない

男が絶対育児しないので「女は出産のもの放棄した」が正解だった

大黒柱になる気がない」だけなら子どもがいない割合高まるわけないもんな

日本男性が「自分だけ」育児から逃れ続けた結果だな

2024-06-20

[]やブクマ狙いは今日も嘘つき

たまたま特技が仕事になり

かつ

自分のペースで仕事ができる自営業

という選択ができる人間けが

生き残ってて残酷やな…

今の世の中でお金に変えにくい能力を持つ人たちがいる事実や、

支援を受けるどころか、まさか故意妨害を受けることがある事実、悪気はないにしろ何かしらの妨害を受けることがある事実

それらを別に無視しているわけじゃないよ

 

 

たださぁ、あんまりにも嘘つく人多すぎるのよ、これらのブクマ狙いしてもそうだけどね

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543 https://anond.hatelabo.jp/20240618222241

 

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951

 

母親か、中学時代女友達か、総務部女性結婚したい

https://anond.hatelabo.jp/20240626154759

 

 

SNS芸人エッセイスト芸人やるなら下記やりたくなる気持ちもわかるし、そうじゃなくても下記がまったく頭によぎらなかったか?って言ったら嘘になるけど、

 

  • メンサ入れる数値でした~⤴️😺(映え良)

 

  • 聞いてくださいあたちは境界知能ってやつだったんです⬇️🥺(映え良)

 

ここから『だから仕事に困るんでちゅ~』とか『いっぱい頑張ったか仕事できてるの~』とかマジで続けることができるの、

お仕事(SNS芸人エッセイスト芸人)でやってるんじゃなきゃ、フツーにどうかしちゃってるでしょうよ

 

マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ

 

上記のどちらでもないのなら、『発達障害からお仕事困るんでちゅ~』は端的に言えば嘘ですよね?

極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできます

 

 

発達障害でも主婦シェフ大工スポーツ大好きもおしゃれ命もいる

から発達障害からまったく料理できませんとか、発達障害からまったくDIYできませんとか、

発達障害からスポーツ出来ませんとか、発達障害から人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、

そういうこと言ったらフツーにブチ切れなのに、

なんだってお仕事だけ、『できまちぇ~ん』が、『わかるぅ~~~』になるんですかね?

 

 

こういう嘘ついてる人らに共感寄せたいなら寄せりゃいいと思いますけど、下記みたいのと同じであなたと同じじゃないと思います
信じるなら人のプラス面を信じましょう

anond:20240620213112

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-17

熱血部顧問

熱血部顧問

熱血部顧問(ねっけつぶこもん)は、日本学校において一部の教員が持つ特殊役職キャラクターである。主に部活動情熱を燃やし、自分の好みに合った活動子どもたちに強要することで知られるが、近年では批判を避けるために自己防衛的な手法を取り入れつつ、部活動生活のものとする宗教的な教えを導入している。

特徴

自己満足の追求

子どものため」と言いながら、実際には自分がやりたい部活指導する。たとえば、野球好きな顧問野球部の指導に熱心である一方、他の部活動には無関心。

過剰な情熱

朝練習、放課後練習休日練習など、部活動スケジュールをびっしり詰め込む。生徒たちの体力や学業配慮することなく、ひたすら練習強要する。

目指すは全国大会

全国大会出場」を目標に掲げ、生徒たちに過剰なプレッシャーをかける。たとえ実力が伴わなくても、「努力が全て」と信じて疑わない。

独裁的な指導

生徒たちの意見を聞かず、自分の指示に従わせる。異議を唱える生徒は厳しく叱責されることが多い。

自己陶酔

自分指導で生徒が成長する姿に酔いしれる。結果が出ると「俺の指導のおかげ」と自己満足に浸るが、失敗すると「生徒の努力不足」と責任転嫁する。

自己防衛的な手法

近年、熱血部顧問批判を避けるために次のような自己防衛的な手法を取り入れている。

自治的な部活動の導入

生徒に主体性を持たせる形で部活動運営する。表向きは生徒が自主的活動しているように見せかけるが、実際には影で指導方針を操ることもある。

表面的な配慮

表向きは「生徒の意見尊重する」としつつも、実際には自分意見押し付ける。批判を受けにくいように、生徒との対話を重視しているふりをする。

責任分散

生徒に役職責任を与えることで、自分責任を薄める。何か問題が起きた際には「生徒の自主性に任せている」と言い訳できるようにする。

活動内容の多様化

複数活動を取り入れ、一見多様性を重視しているように見せる。実際には自分の得意分野や好きな活動に重点を置き、他の活動形式的に取り入れるだけ。

宗教的な教えの導入

部活生活部活動を単なる課外活動としてではなく、生活の一部と位置づける。生徒たちは「部活精神」を日常生活にも持ち込むことを求められる。

部活で学んだことは人生の教訓になる」という教えを強調し、道徳教育の一環として部活動を利用する。

絶対的規律忠誠心

部活動を通じて、規律忠誠心を叩き込む。部員顧問部活動のものに対して絶対的服従を求められる。

部活動精神家族や友人関係にも適用するよう指導され、「部活動の信念」を共有することが強調される。

共同体意識の強調

部活動「家族」や「共同体」として捉え、全員が一体となって目標に向かうことが求められる。

部員同士の絆を強調し、個人よりもチーム全体の利益を優先するよう指導する。

熱血部顧問名言

「君たちのためにやっているんだ!」

全国大会を目指そう!」

努力は必ず報われる!」

「休むな、走れ!」

部活精神人生の教訓だ!」

生徒たちの反応

最初感謝しているが、次第に「またか…」と疲労感が漂う。

部活楽しいという感覚を失い、ストレスを感じることが多くなる。

練習の過剰なスケジュールにより、学業成績が低下することも。

部活動宗教的な教えに対しては、賛同する生徒もいれば、反発する生徒もいる。

総評

熱血部顧問は、一見すると情熱的で頼もしい存在に見えるが、実際には自己満足の追求が過ぎることが多い。生徒たちの成長と幸福第一に考えることが重要であり、顧問自身欲求押し付けことなく、バランスの取れた指導が求められる。批判を避けるための自己防衛的な手法宗教的な教えの導入も、表面的な解決策に過ぎないことが多い。

2024-06-14

anond:20240613200534

ほんとこれ

若干名とか10名とか、出す側は精一杯やってくれてるとは思うけど通る気がしないよね

100名だって全国から応募があると絶望しかない

募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?

anond:20240613200534

最後提言もっともだけど学業への情熱が感じられない文章すぎて、大学生支援が贅沢だと否定する声を全然打ち消せない。

2024-06-13

[]anond:20240613200534

https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

h抜きする意味が解らないのでリンクしておくね

地方母子家庭出身の女さんが東大博士号を取るまで

生活保護博士号ニキとか授業料値上げの報道かに触発された。

残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。

長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。

東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。

それから東大意識するようになって、現国問題で毎回おもしろ文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機東大第一志望にし始めた。

金のことはあんまり考えてなかった。

高校私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金支給されていた。

学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ

大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?

父親ギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親非正規雇用で働き始めていたというのが数年前から我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。

自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。

A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃん免除される保証がどこにあるの!?)、格安学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。

給付型奨学金地方のしょうもねえ高校全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。

自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金勘定から外していた。

募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?

そんな不確かなものを頼みにできるわけがない。

地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。

制度存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。

結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体同意を得たのは高3の12月浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一目的に変わっていた。その上で大学おもしろそうなことを勉強たかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。

無事に受験できて、合格した。合格たからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。

翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。

大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?

こんな感じ。臆病な自尊心合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。

ていうかみんな発言ちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。

慣れない電車通学、週20コマの授業、母親言葉フラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師震災サバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。

毎日何とか自殺先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろ講義を聞いている時だけは生きている感じがした。

そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。

2年生になって少しメンタル回復してようやく友人ができた。ようやくふつう大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。

優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身ゴリゴリ強者ではなく、地方中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。


仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。

毎年授業料免除のために母親源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親年収200万に満たない程度である。たまに母親仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。

ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたか給付型奨学金に応募できた。


3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつう東大生がやるものなので。

自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分ふつう東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。

考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年ぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費授業料

特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。

しか留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除対象から原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。

結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。


「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。

成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内カウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。

院進後は授業料免除奨学金も復活し、博士課程では生活費研究費付きのプログラム採用してもらえたから何とかなった。


博論書けない無理とふつう院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと生活費のあてがないこと、研究アルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。

彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しか授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。

それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。

しかし、自分人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。

これがいかにして地方母子家庭出身の女が東大博士号を取ったかだ。要するに学力幸運に恵まれていたから。

高校民間公益財団法人東大の奨学制度博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者感想


まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。

学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。


博士課程の最後一年ふつう東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活保障されていても勉強研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。

もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除から奨学金から対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。



授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争資金はクソ。

しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生アルバイトで賄える範囲授業料を下げるべきだとさえ思う。

第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票アルバイト先・RA先生に書いてもらう収入関係書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分家族書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?

第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。

第3に、高い授業料を払う層と授業料免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構崩壊

第4に、親との折り合いの悪い人々が制度狭間に陥る。学部生の場合独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親から仕送りが全く存在せず、世帯から恩恵を全く受けずに自分アルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料免除対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援必要学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。

第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。


他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。

高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しか学歴理由に彼ら彼女らが下に見られること、さら生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。

最後、一番言いたかたこと。

結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。

ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

ちなみに税額控除対象政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度税額控除だ!

理想を実現するためには金がいる。金もさないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。

6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。

この数字が増えることを楽しみにしている。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん