はてなキーワード: 二十三とは
でもあれって知ってる?
味は一緒なんだってー、って
だから私はハワイアンブルーはスティールパンのなんとも言葉では表現し難いパインパインって鳴ってるように聞こえる調べを想像して食べてみると
よりトロピカル感が増すというか、
たしかに見栄えがマグロのトロの赤にハワイアンブルーの青とじゃ、
なんか食欲をそそる色味ではないけど、
もうダブルミーニングというか、
一挙両得というか、
一石二十三鳥というか、
青い上に赤い切り身が乗ってとろろぶっかけるスタイル渋谷で流行んじゃね?って思うんだけど
きっと今の人たちは
味よりも栄養よりも映え優先させることが
そんでさ
藁で炙りたてのカツオって藁の香りが移ってとてもいい香りなのよ。
なかなか乙じゃないかしら?
通なら、
粗めの削った氷の上にのせて、
うちは粗めの氷でやってるんでって、
さらに上行って
うちはもう削りもしてないぜ!って
食通の人ももう1周しちゃって、
なかなか理に適ってるなーって思ったわ。
ここ数年で一気にはやり出した、
冷やしきゅうりの一本刺しも
キュウリと言えども野菜のカテゴリではなくむしろフルーツ感覚で食べてるらしいのよ。
流行らせたってわけなのよね。
でさ、
ここがまた悪習慣というか気を付けて欲しいところなんだけど、
新鮮さをアピールするために
水がちょろちょろ流れているところがあるけど、
あれ循環してるお水だから怪しいと疑った方がいいわよ。
あのお水怪しいわ。
アジアのクオ県市で有名な、
路上道端スタイルの屋台でスープ系の美味しい麺の食べ物とかあるでしょ?
そのお湯どっから汲んできたのだよ!?ってちょっと緊張感が走るやつ。
まあそもそもとして
あんなちょろちょろと水が流れているきゅうりを皆が買うと思ったら大間違いだから、
食通には見破られているのよ!
うふふ。
ピンクグレープフルーツが美味しそうなのがあったから、
あれをまるまる凍らして、
思ったけど堅すぎてスプーンが役に立たなかったわ。
思わず匙を投げちゃったわ。
溶けるまで待って果汁を
ピンクグレープフルーツウォーラーにしていただきましょうね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
電車に乗っていたらカップルの女性のショートパンツが非常に短い。今は割と長いのが流行なんじゃないかと思ったが、似合っていた。しかし、鞄で隠れている部分を見るとどうしてもスカートに見えてしまう。
それにしてもきれいな脚だなあと思っていると、二人が立ち上がった時に彼女がスカートだとわかった。もしかしたらキュロットスカートかもしれないが、それはわからない。
自分は夜に入浴するのではなく、朝シャワーを浴びる。寝癖がひどいからだ。その時についでに歯を磨く。朝の忙しい時間に二度も歯を磨くことなど考えられないし、歯磨き粉でスースーした口の中では朝食の味もまともわからない。
そういうわけで、いつものように洗面所で全裸になって歯磨き粉を絞り出そうとしたのだが、残りが少なくてまともに出てこない。裸眼のままでチューブをぎゅうぎゅうやっていたら、ポコンという音とともに大量の歯磨き粉が飛び出て、下腹部についた。
運の悪いことに一部がおちんちんの先っぽに着いた。朝から股間がさわやかだ。洗ったがしばらくはパンツの中で違和感があった。その後、おちんちんに異常はない。
ジョギングの帰り道、いつもの薬局でシャンプーを買ったのだが、レジの女性がアラレちゃんみたいなくりくりした目と眼鏡でかわいかった。いつもこの薬局ではTENGAやコンドームを買っているのだが、店を変えるべきか、淡々と買い続けるべきか。ちょっとだけ困惑した顔を見てみたいと思う下品で露出症的な自分の姿に戸惑う。
スマホをahamoに変えたので、ほとんど使っていないメールアドレスに、docomoのメールが今後通じないことを送ったが、定期的にやり取りをしていた旧友と家族を除いて1件も帰ってこず、半数以上がmailer daemonだった。
アクティブな人間関係は完全にツイッターとラインに移行していたので、当然の結果だろうと思うが、サークルの女子との縁もこれでほとんど縁が切れたことになる。特に未練はないので構わない。
三十代になったせいか性欲が落ちている。朝勃ちの頻度も減った。性病検査のついでに男性ホルモンの量を測ってもらったら正常値だったので、自分の年齢ではこんなものなんだろう。しかし数年前は真面目に勤務しても突然勃起していた。そのたびに困惑させられたが、意図しない勃起がなくなると寂しいものである。
ついでに、尿の軌道のコントロールも難しくなった。しかも、小便器で用を足した後おちんちんを振ると、なぜかスーツに尿が若干付着する。おちんちんの振り方を研究する必要がありそうだ。
自衛隊情報保全隊の監視活動に関する質問主意書:質問本文:参議院
「北沢俊美防衛相直轄の防諜部隊「自衛隊情報保全隊」が、陸上自衛隊OBの佐藤正久自民党参院議員や田母神俊雄元航空幕僚長の講演に潜入し、現職自衛官の参加状況を監視していることが二十三日、分かった」との記事が掲載された。
自衛隊法で制限されている「政治活動」に抵触しない行動まで規制することは、憲法第十九条において保障されている「思想・良心の自由」を侵害するものであり、極めて憂慮すべき事態であると認識
tps://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/syuh/s177038.htm
2007年に日本共産党が告発して明らかになった陸上自衛隊情報保全隊の内部文書。03年に自衛隊がイラクに派兵される際、それに反対する行動や、派兵と無関係な年金減額や消費税増税に反対する市民の行動まで監視し、まとめたものです。
東北地方在住の監視被害者107人が仙台地裁で「自衛隊の国民監視差し止め訴訟」を起こし、小野寺弁護士は事務局長をつとめました。
地裁と仙台高裁はいずれも情報保全隊による市民監視がプライバシー権を侵害した違法な監視だとして国に賠償を命じ、国は上ttps://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-06-05/2021060515_01_1.html
同じ病室で、寝たきりの私の部屋のカーテンを開け、ハイチュウを
「オーイ」
と投げてきた、とてもじゃないが十代にしか見えない三十一歳の患者に、そんなことが伝えられた。
「いやほんと。ワンピース着て、ふりふりで、あの……バッグ……」
「駅前うろついてる女の子がよくつけてるようなちっこいバッグ?」
「そう、そう。そんなバッグつけた子」
「へえ。ほんとかなあ。何歳くらい?」
「いやあ、あの格好は高くて二十……二、ちょうど君くらいじゃないと、あの格好はできないし、しないだろうね」
「僕が動けるようになってからが楽しみです」
本当に信じられなかったけど、動けるようになったら話してみたいと思った。
動けるようになったら話ができる患者が二人ほど増えた。四十代の、ロックマンと不思議のダンジョンの話ができる、落ち着いた喋り方をする、感じのいいおっさん。四十代の、若い頃は本当に美人だったんだろうなという顔立ちの、シミかそばかすがまぶされている女性。ハンターハンターのパームに近い。
「泣いた」
「毎朝旦那にする電話が楽しみだったのに、『迷惑だ』って理由で禁止にされた」
神経症的な張り詰めた、瞬きのしない二重瞼の双眸で、手をかけたプラスチックのコップを震わせながら私たちが囲むテーブルでそう言う姿は、本当にパームだった。
かわいい、らしい子がいる病室がわかった。入院したのが土曜だったので、PCR検査を受けれず、個室で生活している。私の一個下の、前の入院でもよく話していた吃音の男の子は、その女の子がいる病室を見つけ、覗き見たらしい。
私は車椅子での移動が可能になって、車椅子の方用のトイレに向かうまでに、乃木坂の病室はあった。僕は偶然その姿を見た。茶色が入っていて、短髪。雰囲気は可愛いと思った。儚げで。私はそう言うのに弱い。
「僕は可愛いと思ったよ」
月曜日、パームがせこせこ歩いていた。ロックマンとよく話をしていて、何かをしようとしていた。
「連れてきた」
と言っていた。
「はじめまして。私は〇〇と言います。『アイリス』と言われています。『アイリス』というのは友達がつけてくれたあだ名で、〇〇という名前は花で、その花言葉は、⬜︎⬜︎というんですね。それが私すきで、それで私は『アイリス』なんです。『アイリス』です。よろしくお願いします」
生徒会長みたいな堂々とした喋り方で、アイリスはそう言った。話と話の間の取り方が演説調だった。
「いやもう、私は介護福祉士の資格を持っているんですけど、ここの看護師さんは本当にいい人とダメな人が多くて、こんな対応を私にしているということは、他の患者さんにもそうしてるってことだから、私すっごく腹が立って、暴れていました。私は介護福祉士の資格を持っていて、実地を知っているので、本当にひどいなって。だからもうひどいものです」
乃木坂はきっと、それを事実だからそう言っているのだろうけど、話し方はとても自信に溢れていて、高圧的ですらあった。
「僕も、ここに三回入院してるけど、わかるよ」
「あ、私四回」
パームには聞き忘れたが、私は入院した経緯を聞く。なぜかといえば、みんな気さくで明るいからだ。こんなところに入院するとは思えないほどに、あっけらかんとしていて、私に対しても
「死ななくてよかったね」
「強運だったんだ」
と言ってくれる。
三十一歳のハイチュウは睡眠薬を飲んでも眠れず、飲み続けたらいつのまにかコンビニに行ってしまっていて、そこで通報され、警察に保護、保護室で数日を過ごしたらしい。医療保護入院。
ロックマンは、
「これ」
「ぼ、ぼ、僕はひとつ、精神的に負担があって。あとひとつは親がそうしろっていうから」
任意入院。
アイリスにもそれを聞いた。でもあまり覚えていない。覚えているのは、睡眠薬を飲み、警察に保護され、運び込まれたという内容だった。ある友人に「声がでかい。気分が悪くなる」と言われたのがトラウマで、温泉に行った時もそのようなこと言われ、さらに精神的に酷くなって、自殺企図したらしい。
「僕は三回自殺企図してるんですけど、今回は20メートルくらいの橋から飛び降りて、腰骨が全部折れ……」
「脊椎にいかなくてよかった! 神経症状が出なくて本当によかった!」
話を止めてまでアイリスがそう叫んだ。力強い目をして、泣きそうになっていた。
「え」
みんな驚いた。
みんなは口々に
「おめでとう」
「よかったね」
と言っていた。でも私はあまり嬉しそうではないアイリスの姿を見逃さなかった。私はアイリスにどんな精神疾患を持っているのか、すこし個人的な話になってしまうが、聞いてみた。
「私は沢山の障害を持っていて、まず、適応障害。双極性障害というテンションが上がったり下がったり……」
「あ、僕も」と私は手を挙げ、
「私も」とパームが手を挙げた。
「仲間〜っ!」とパームは嬉しそうにしていた。アイリスも笑っていた。私も笑っていた。
もう一つあったが、忘れてしまった。
「あと、人口の0.2%くらいしか発症しない、身体(わすれてしまった)障害というのがあって、人間ってストレスを何かで発散しているじゃないですか、カラオケとか、友達と遊んだりとか。でも私はそれができなくて」
「蓄積されていっちゃうんだ」
「そうなんです。そう……蓄積されて、手が痺れてきたり、動かなくなったり、しちゃうんです。こうしていま皆さんと喋っている間も、緊張で左半身が痺れています」
なんて壮絶なんだ。アイリスの印象が変わった。こんなにも堂々としているのに、いま、このいまでさえ苦しんでいる。
「そして、〇〇先生(私と同じ主治医だ)に、『この病気じゃ入院じゃ治りません。通院してゆっくり、あなたの二十三年間の人生をゆっくり、ひとつひとつときほぐしていかないといけません』と言われたんです」
「だから私、本当に不安なんです。見放されてる……とは違うけど、どこにも繋がれてなくって」
「野放しにされてる」
「そう……。みんないろいろ、結婚とか、出産とか、仕事とかしてる中で私はこうやっていて、本当に生きていることが不安なんです。ストレスなのかもしれない。社会で生きていけるかわからない」
「その状態なら、そう思うと思う。でも、僕は気楽な人間なんだ。みんながどうこうしていようと、僕には関係がない。僕は自由にやっている。僕には社会がない。君は不安だというけど、その『社会』は、いったい誰なんだと思う?」
「〇〇さん」
「はい」
「行きましょう」
アイリスはみんなに頭を下げた。パームは悲しそうに、自分の名前を書いたノートの紙切れをアイリスに手渡した(私の提案だった)。
「また、会えますよ」
僕は、
「無理だけはしないようにね」
と言って、アイリスに手を振った。
『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
<五一>
の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
<五二>
考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
<五三>
軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
<五四>
六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
<五五>
我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
注:増田は政府・自民党関係者ではなく、また、海洋法については全くの素人なので、以下の解釈が政府・自民党の見解か、また、正しい法解釈か否かについて、全く自信がありません。
報道によれば、中国海警局の船が尖閣諸島への接近・上陸を試みた場合に、警察官職務執行法7条を根拠として、危害射撃が可能であるとの見解を示したとのこと。
外国軍艦・政府公船に対する武器使用が、国際海洋法条約29〜32条および95,96条に反するのでは無いか、との指摘があります。
前提として、すべての国の船舶は領海において無害通行権を有する(条約17条)、逆に言えば、外国領海における通行以外の行為および有害な通行は主権侵害となります。
すべての国の船舶は、沿岸国であるか内陸国であるかを問わず、この条約に従うことを条件として、領海において無害通航権を有する。
(a)内水に入ることなく又は内水の外にある停泊地若しくは港湾施設に立ち寄ることなく領海を通過すること。
(b)内水に向かって若しくは内水から航行すること又は(a)の停泊地若しくは港湾施設に立ち寄ること。
2 通航は、継続的かつ迅速に行わなければならない。ただし、停船及び投びょうは、航行に通常付随するものである場合、不可抗力若しくは遭難により必要とされる場合又は危険若しくは遭難に陥った人、船舶若しくは航空機に援助を与えるために必要とされる場合に限り、通航に含まれる。
1 通航は、沿岸国の平和、秩序又は安全を害しない限り、無害とされる。無害通航は、この条約及び国際法の他の規則に従って行わなければならない。
2 外国船舶の通航は、当該外国船舶が領海において次の活動のいずれかに従事する場合には、沿岸国の平和、秩序又は安全を害するものとされる。
(a)武力による威嚇又は武力の行使であって、沿岸国の主権、領土保全若しくは政治的独立に対するもの又はその他の国際連合憲章に規定する国際法の諸原則に違反する方法によるもの
(c)沿岸国の防衛又は安全を害することとなるような情報の収集を目的とする行為
C 軍艦及び非商業的目的のために運航するその他の政府船舶に適用される規則
この条約の適用上、「軍艦」とは、一の国の軍隊に属する船舶であって、当該国の国籍を有するそのような船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿又はこれに相当するものに記載されている士官の指揮の下にあり、かつ、正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているものをいう。
軍艦が領海の通航に係る沿岸国の法令を遵守せず、かつ、その軍艦に対して行われた当該法令の遵守の要請を無視した場合には、当該沿岸国は、その軍艦に対し当該領海から直ちに退去することを要求することができる。
第三十一条 軍艦又は非商業的目的のために運航するその他の政府船舶がもたらした損害についての旗国の責任
旗国は、軍艦又は非商業的目的のために運航するその他の政府船舶が領海の通航に係る沿岸国の法令、この条約又は国際法の他の規則を遵守しなかった結果として沿岸国に与えたいかなる損失又は損害についても国際的責任を負う。
第三十二条 軍艦及び非商業的目的のために運航するその他の政府船舶に与えられる免除
この節のA及び前二条の規定による例外を除くほか、この条約のいかなる規定も、軍艦及び非商業的目的のために運航するその他の政府船舶に与えられる免除に影響を及ぼすものではない。
公海上の軍艦は、旗国以外のいずれの国の管轄権からも完全に免除される。
第九十六条 政府の非商業的役務にのみ使用される船舶に与えられる免除
国が所有し又は運航する船舶で政府の非商業的役務にのみ使用されるものは、公海において旗国以外のいずれの国の管轄権からも完全に免除される。
条約95、96条によって外国軍艦・公船に与えられる管轄免除はあくまで公海上についてなので、上陸を試みるがごとき領海内の行為については適用がありません。
また、19条2項によれば沿岸国は、無害でない通航を防止するため、自国の領海内において必要な措置をとることができる
(25条1項)。
というか、そもそも上陸を試みるのは通行
の定義(18条)に当てはまらず、もともと無害通行権の適用外のように見えます。
そうすると、尖閣諸島周辺の領海への侵入・上陸は、軍艦・公船といえども国際海洋法条約で保護されている場面では無いので、これに対して主権を行使することは、国際海洋法条約に抵触しないと言えるように思います。
第七条 警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。但し、刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十六条(正当防衛)若しくは同法第三十七条(緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。
一 死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
二 逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
警察官職務執行法7条は海上保安庁法20条1項で準用されているため、海上保安官及び海上保安官補も警職法7条に従って武器使用が可能です。
第二十条① 海上保安官及び海上保安官補の武器の使用については、警察官職務執行法(昭和二十三年法律第百三十六号)第七条の規定を準用する。
② 前項において準用する警察官職務執行法第七条の規定により武器を使用する場合のほか、第十七条第一項の規定に基づき船舶の進行の停止を繰り返し命じても乗組員等がこれに応ぜずなお海上保安官又は海上保安官補の職務の執行に対して抵抗し、又は逃亡しようとする場合において、海上保安庁長官が当該船舶の外観、航海の態様、乗組員等の異常な挙動その他周囲の事情及びこれらに関連する情報から合理的に判断して次の各号のすべてに該当する事態であると認めたときは、海上保安官又は海上保安官補は、当該船舶の進行を停止させるために他に手段がないと信ずるに足りる相当な理由のあるときには、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。
一 当該船舶が、外国船舶(軍艦及び各国政府が所有し又は運航する船舶であつて非商業的目的のみに使用されるものを除く。)と思料される船舶であつて、かつ、海洋法に関する国際連合条約第十九条に定めるところによる無害通航でない航行を我が国の内水又は領海において現に行つていると認められること(当該航行に正当な理由がある場合を除く。)。
海上保安官が武器を使用する場合、通常は、個別法である海上保安庁法20条2項を使ってるのではないかと思います。
海上保安庁法20条2項は括弧書きで軍艦および政府公船を適用対象外としているので、同項では、(たとえ無害通行では無い場合であっても)外国の軍艦および政府公船に対して武器を使用することはできません。
もっとも、海上保安庁法20条2項はあくまで前項において準用する警察官職務執行法第七条の規定により武器を使用する場合のほか
について定めるものなので、同項があるからといって警職法7条による武器使用は制限されないといえます。
警職法7条によっても、危害射撃が可能となるのは、法定刑が長期3年以上の自由刑以上にあたる兇悪な罪
の現行犯等か、または身体拘束令状の執行に関するときだけです。法定刑長期3年以上の単なる「犯罪」ではなく兇悪な
と付いており、警察官等けん銃使用取扱規範では次のように例示されています。
警察官等けん銃使用及び取扱い規範(昭和三十七年国家公安委員会規則第七号)
第二条
2 警察官職務執行法(昭和二十三年法律第百三十六号。以下「法」という。)第七条ただし書第一号に規定する「死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こ、にあたる兇悪な罪」に当たる罪を例示すると、次のとおりである。
一 不特定若しくは多数の人の生命若しくは身体を害し、又は重要な施設若しくは設備を破壊するおそれがあり、社会に不安又は恐怖を生じさせる罪として次に掲げるもの
イ 刑法(明治四十年法律第四十五号)第七十七条(内乱)、第八十一条(外患誘致)、…(略)…の罪
チ イからトまでに掲げる罪のほか、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪で、不特定若しくは多数の人の生命若しくは身体を害し、又は重要な施設若しくは設備を破壊するおそれがあり、社会に不安又は恐怖を生じさせるもの
ロ イに掲げる罪のほか、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪で、人の生命又は身体に危害を与えるもの
三 前二号に掲げる罪のほか、人の生命又は身体に対して危害を及ぼすおそれがあり、かつ、凶器を携帯するなど著しく人を畏怖させるような方法によつて行われる罪として次に掲げるもの
ト イからヘまでに掲げる罪のほか、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪で、人の生命又は身体に対して危害を及ぼすおそれがあり、かつ、凶器を携帯するなど著しく人を畏怖させるような方法によつて行われるもの
さて、上記の例時列挙を前提とした場合、尖閣諸島に対する侵略行為は、どのような兇悪な罪
に該当することになるでしょうか。
外国からの侵略ということで真っ先に連想されるのは外患誘致罪です。
(外患誘致)
第81条 外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。
(外患援助)
第82条 日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは二年以上の懲役に処する。
軍艦で上陸した時点で武力を行使
にあたると考えれば、その軍務に服し
ている者には外患援助罪(刑法82条)が成立するかもしれません。
ただし、外患援助罪は、警察官等けん銃使用取扱規範における兇悪な罪
の明示的な列挙からは除外されています。
とはいえ、同規範はあくまで例示列挙であり、同項3号トに人の生命又は身体に対して危害を及ぼすおそれがあり、かつ、凶器を携帯するなど著しく人を畏怖させるような方法によつて行われるもの
という一般規定があります。領域の侵略に際しては武器を携帯しているでしょうから、同号の要件は充足する場合が多いかと思います。
なお、出入国管理法による不法入国の罪の法定刑も長期3年以上なので、外患援助罪ではなくこちらを使う余地もあるかもしれません。ただし、不法入国の罪は一般論としては兇悪な罪
と言いにくい面があるので、外患援助罪の方が適切でないかと思います。
出入国管理及び難民認定法
第3条 ① 次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に入つてはならない。
一 有効な旅券を所持しない者(有効な乗員手帳を所持する乗員を除く。)
二 入国審査官から上陸許可の証印若しくは第九条第四項の規定による記録又は上陸の許可(以下「上陸の許可等」という。)を受けないで本邦に上陸する目的を有する者(前号に掲げる者を除く。)
第70条 ① 次の各号のいずれかに該当する者は、三年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はその懲役若しくは禁錮及び罰金を併科する。
もしも総選挙が一人一票という決まりだったなら、三年ぐらいで企画が終了していたのではないかと思わせる出来事がごく最近二つあった。
まずはアイマス15周年企画の一環として行われた、ポップカルチャー/ライフスタイル情報誌「BRUTUS」とのコラボである「アンバサダーアイドル推薦企画」だ。
https://asobistore.jp/content/title/Idolmaster/Idolmaster_ambassador/
すでに結果は出ているのでこちらを見てもらったほうが早い。
https://twitter.com/BRUTUS_mag/status/1360529192132235266
一位・高垣楓。雑誌では二位と三位も公表されていて、今後の話のために必要なので書くが、二位・北条加蓮、三位・一ノ瀬志希となっている。
つまらない。つまらなすぎる。シンデレラガール総選挙の上位常連と一切代わり映えのしない面子だ。
自分から日記タイトルに異を唱えることになってしまうが、これは企画自体が悪いせいもある。
「推薦文」を要求しておきながら、内実は一人一票の定例外総選挙であり、そうなると自身の担当を推薦したくなるのが人情というものであろう。
それは仕方のないことなのかもしれない。だがここで、先述したBRUTUSのツイートに掲載されている高垣楓のトップにある推薦文を見てみよう。
また、6代目シンデレラガール(年に1度の「シンデレラガールズ」内総選挙1位)であり、過去の総選挙の平均順位も1位と、知名度もアイドルマスターの中で上位です。
そうじゃない。そうじゃないだろう。
自担を推すことについてはもう何も言わないが、「どうしてそのアイドルがポップカルチャー/ライフスタイル誌のアンバサダーに相応しいと思うのか」が推薦理由であるべきではないのか。
多少ごり押しであっても、担当のために悩み抜いてどうにか関連性を引き出して理屈をつけ推薦するのがプロデューサーの姿ではないのか。
こんな推薦文が掲載される時点で彼女に寄せられた(公開されていない)他の推薦文も同レベルだったのだろうと想像できてしまうし、これを選ぶ羽目になったBRUTUSの編集者もかわいそうである。
二位と三位に関しては、担当Pには悪いがBRUTUSへ送り出すアンバサダーとしてそこまで相応しいとも思えない。
つまるところだたの人気投票に堕してしまっているのは他のアイマス四ブランドでも傾向として見られるが、シンデレラガールズはとりわけ酷い。
自分はあまり詳しくないため恐縮だが、その次に酷いのはSideMだという声をちらほら聞いたし、なるほどと思わされた。ミリオンライブ!でロコが一位になったことは誇っていい。
シンデレラガールズが持つ他のブランドにはない強みは、百九十人もの個性豊かなアイドルたちによる多様性であり、幅広いニーズに応えられるという層の厚さである。
そして相手は「食・カルチャー・旅・ファッション・アート等を扱う、男のポップカルチャー誌」である。わざわざ名前を出さずとも、シンデレラガールズのPなら、
「特定の食べ物にこだわっている」「特定の文化に造詣が深い」「旅が好き」「アートに全力」で思い浮かぶアイドルが必ずいるはずである。
ブランドから適任者を送り出すのではなく、ただ自分の担当が目立てばそれでいいのだ、という考えは、自身の担当アイドルも、それ以外のシンデレラガールズのアイドルも馬鹿にしている。
(そういった流れを防止するために、得票数でなく推薦文を吟味してBRUTUSの編集者が独断と偏見でもって決定すべきだったのだが。一体推薦文の存在意義とは何だったのだろう)
次に、YouTubeのアイマスチャンネルで行われた「みんなで選んだ、もう一度見たい!TVアニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』セレクション」である。
https://twitter.com/imas_ch/status/1354763025224355841
シンデレラガールズのアニメから好きな話を三つ選んで投票し、その上位三話を配信するというものである。結果は以下の動画で発表された。
https://www.youtube.com/watch?v=f-Y6w_Hz5hE (アニメ本編が配信されているため、今後非公開になる可能性もある)
結果は二十三話・二十四話・二十五話。最終話とその手前の二話が選ばれただけである。
つまらない。つまらなすぎる。どうすればここまでつまらなくできるのかというぐらいの現代アート的つまらなさである。
「話数順に流します」と言われて最初に二十三話が流れた時の「え、もしかして23,24,25か?」というコメントが忘れられない。
あの唖然とした空気。白けた薄ら笑い。大学入試で九九が出題されたかのような間抜けさだ。
企画したAPも「まあまあまあそういうことなのかな、とはね、なるんですけど」と取り繕わざるを得ない状態。
最終話とその手前に投票して一体どうしようというのか。最終話が一番盛り上がるのは古今東西どのアニメでも同じである。
とは言え、二十三話に関しては投票するPの気持ちも分かる。主人公である島村卯月のクライマックスとも言えるシーンだからだ。泣かされたPも多いだろう。
だから問題は、二十四話と二十五話に投票したプロデューサーのセンスの無さに集約される。
人の感動にセンスの良し悪しでケチをつけるなという意見もあるだろうが、少しは企画内容を斟酌してやってはどうかと反論せずにはいられない。
アイマス五ブランドの中で唯一、毎年恒例で人気投票をやっているシンデレラガールズのPが、最も投票が下手で盛り下げ役にしかなれないというのは皮肉な話である。
あるいは、総選挙の存在が「何をおいても自担に投票しなければならない」という一種の強迫観念を植え付けてしまったのかもしれない。
総選挙もそうだが、シンデレラガールズのP(特に、上位常連や既にシンデレラガールに輝いた経歴のあるアイドルを担当しているP)はもっと余裕を持って、お祭りだと思って楽しむ気持ちが重要なのではないか。
特定の属性を褒めそやすと荒れる元になるのであまり言うべきでないのかも知れないが、パッションは比較的上位常連の固定がゆるく、
なるべく多くのアイドルにボイスをつけよう、出番を与えようという気持ちでやっているように見受けられる。
シンデレラガールズは担当のアイドルだけがすべてではない。百九十人全員でシンデレラガールズである。そのことをどうか忘れないで欲しい。
地球圏標準時 0000 8EEA F60F C49B(協定世界時 2045-12-24 21:18:07.767 994)
広大な門の下には、『彼』のほかに誰もいない。ただ、ところどころノイズの走る大きな記憶槽の境界面で、非知性労働者が一件凍りついている。〈羅生門〉が中規模企業連合体〈京都〉の正面防火門である以上は、『彼』のほかにも多数の旅行者や企業知性の表象がありそうなものである。それが、『彼』のほかには誰もいない。
なぜかと云うと、この二三メガ秒地球圏では、最終戦争と最後の審判を併せたようなものがほとんど毎日発生し、そのたびに世界心口(しんこう)は数桁の幅で変動していた。そこで〈京都〉の被った直近の損害はひととおりではない。旧記によると、行き場のない知性の居住する計算機を、推進剤として核の炎に焚べていたと云うことである。〈朝廷〉がその始末であるから、〈羅生門〉の保守管理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその放置されたのを良いことにして、自然発生した野良知性が棲む。有知能ウイルスが棲む。とうとう終いには、〈個権〉上の理由から消去できない亜知性を、この門の隔離領域へ持ってきて棄てていくと云う習慣さえできた。そこで〈大緊縮〉以来、誰でも捕食や感染を怖れて、この門の使用を避けることになってしまったのである。
その代わりまた、野良知性〈鴉〉がどこからか野放図に繁殖した。計算資源に余裕があるときには、その〈鴉〉が何件となく幾何学模様を描いて、粗雑な詐欺契約を提示しながら飛び廻っているのが視える。ことに門の上の空が夕焼けで朱く描画されるときには、それが回路図のようにハッキリ視えた。〈鴉〉はもちろん、隔離領域に集まる亜知性の最低保障資産を啄みに来るのである。――もっとも少し前から算力相場が高騰しているせいか、今は一件も視えない。ただ、ところどころ崩れかかった、そうしてその綻びに微知性の蔓延る防壁のうえに、〈鴉〉の放つ無知能ウイルスが点々と白色ノイズを残しているのが視える。『彼』は七層ある防壁の一番上の層に拡張自己を同期させ、自我境界の片隅に居座っているしぶといウイルスへの対処を先送りにしてきたことを気にしながら、ボンヤリ雨のふるのを眺めていた。
著者は上記において、「『彼』は雨やみを待っていた」と述べた。しかし『彼』は雨がやんでも格別どうしようと云う当てはない。普段ならもちろん、所属する企業へ帰るべきはずである。ところがその企業は四五秒前に清算されていた。半日近く続いたデフレスパイラル〈大緊縮〉は、地球圏を地獄に変えた。かろうじて生き残った〈京都〉も、ひととおりならず変質することとなった。今『彼』が、永日(ながにち)仕え、〈母〉でもある零細企業から身ひとつで放り出されたのも、実はこの歪みの小さな余波にほかならない。だから「『彼』は雨やみを待っていた」と云うよりも、「行き所のない『彼』は途方に暮れて雨のふるのを眺めていた」と云うほうが適当である。そのうえ量子サイコロの決める気象設定も、少なからずこの元従属企業知性の精神衛生に影響した。百ミリ秒ほど続く雨はいまだにあがる気色がない。そこで『彼』は、何を措いてもさしあたり次の数秒の存在費をどうにかしようとして――云わばどうにもならないことをどうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、さっきから〈朝廷〉へと直結する〈朱雀大路〉にふる雨粒の声を、聴くともなく聴いていたのである。
非知性労働者は〈羅生門〉を雨のように包んで、〈京都〉全域から陰惨な知らせを集めてくる。夕闇はしだいに空を多感覚表示で飾りたて、視あげると原色に煌めく高次元都市儀が、暴騰し続ける算力市場を示す折れ線図表の先に、〈朝廷〉を讃える公共映像を支えている。
どうにもならないことをどうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)は無い。選んでいれば資産や権限を切り売りし、たちまち亜知性になり果てるばかりである。そうしてこの門の上へ持ってきて、ウイルス感染部位のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――『彼』の推論系は何度も円環構造に囚われたあげくに、やっとこの仮定の検討を認めた。しかしこの仮定はいつまでたっても結局「すれば」であった。『彼』は手段を選べないということを認めながらも、この仮定から必然的に導かれる、「〈阿修羅〉を使うよりほかにしかたがない」と云う結論を肯定する際の、倫理条項の疼きに怯えていたのである。
『彼』は軽い認知の乱れを覚え、定時保存された値へと反射的に復元した。もとより算力供給の不安定な〈京都〉は、〈大緊縮〉以降標準知性の居住に適さない権域になりつつある。不整合は門の記憶槽間を、夕闇とともに遠慮なく駆け抜ける。ノイズまみれの記憶槽で凍りついていた非知性労働者も、もう消去されてしまった。
『彼』は拡張自己を自己整備形態へと移行させながら、同時に防御態勢も整えつつ門の周縁部を検索した。算欠の患(うれえ)のない、敵性知性の探知にかかる惧(おそれ)のない、安全に休眠できそうなところがあれば、そこでともかくも細かな不具合を修正しようと思ったからである。するとさいわい、門の上の隔離領域へ上る、帯域の狭い多重仮想機械〈梯子〉を知覚した。上なら誰かがいたにしても、どうせ亜知性ばかりである。『彼』はそこで、〈阿修羅〉の動作試験をほとんど無意識におこないながら、接続権限を取得して、〈梯子〉の第一層へと自身を転送した。
それから何ミリ秒かの後である。〈羅生門〉の隔離領域へ至る狭帯域な〈梯子〉の中間層に、一件の無所属知性が、〈猫〉のように擬装殻に隠れ情報代謝を抑えながら、上層の様子をうかがっていた。隔離領域から射す検索光が、幽かにその知性の自我境界を描き出している。整った構造の中に、感染部位のある自我境界である。『彼』ははじめから、この上にいる者は亜知性ばかりだと高をくくっていた。それが〈梯子〉を二三層上ってみると、上では誰か〈火〉を燈して、しかもその〈火〉を複雑に操作しているらしい。これは、それ自体は不可視の検索光が、隅々に〈蜘蛛〉が罠をはった廃棄空間を多彩な形式で描画したので、すぐにそれと知れたのである。この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、〈火〉を使用しているからは、どうせただの者ではない。
『彼』は〈守宮〉(やもり)のように痕跡を消去しながら、やっと不必要に階層の多い〈梯子〉を、最上層まで這うようにして上りつめた。そうして、公開鍵を発する頻度を最低値にまで落としながら、視点位置をできるだけ前へ出して、恐る恐る、隔離領域の内を、覗いてみた。
視ると、隔離領域の内には、うわさに聞いたとおり、幾件かの亜知性が無造作に棄てられているが、検索光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数はいくつとも判らない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に原型をとどめている亜知性と、そうでない者とがいると云うことである。もちろん中にはもともと奇怪な構造をしていた者もいるであろう。そうしてその亜知性は皆、それがかつて対話が可能な知性であったと云う事実さえ疑われるほど、肉を捏ねて造った抽象芸術のように、臓物を晒したり、夥しい触手を伸ばしたりして、ズルズルと、空間の底を蠕動していた。しかも目とか口とかの判りやすい部位に、ボンヤリした検索光を受けて、理解を一層遠ざける表情を浮かべながら、永久に、言語切除者のごとく黙っていた。
『彼』はそれらの亜知性から滲み出す生臭いノイズに、思わず入力経路を閉じた。しかしその拡張自己は、次の瞬間には経路の遮断を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの知性の注意資源を奪ってしまったからだ。
『彼』の二十三感は、そのとき初めてその亜知性の中にうずくまっている〈ヒト〉を捉えた。絶滅していたはずの、途轍もなく旧いこの動物知性を、本論では『老婆』と呼称することにする。その『老婆』は右の手に汎用工作装備〈火〉の表象を持って、その亜知性の一件の目を覗きこむように眺めていた。器官の種類と数を視るに、おそらく以前は人型であったのであろう。
『彼』は六分の恐怖と四分の知的好奇心とに動かされて、百マイクロ秒ほどのあいだは常駐処理さえ停止していた。〈ヒト〉風の表現を借りれば、「身の毛もよだつ」ように感じたのである。すると『老婆』は〈火〉から視慣れない機能を呼び出して、それから今まで眺めていた亜知性の拡張自己に両手をかけると、ちょうど〈鎌鼬〉が獲物を捕食するときのように、拡張自己ばかりか自我境界まで切り刻んでいき、続けて複雑な様式で繋ぎ合わせ始めた。どうやら『老婆』の〈火〉には違法な改造が加えられているらしい。
亜知性たちが一件ずつ連結されるのに従って、『彼』の心からは恐怖が少しずつ消えていった。そうしてそれと同時に『老婆』に対する烈しい怒りが少しずつ動いてきた。――いや『老婆』に対すると云っては語弊があるかもしれない。むしろあらゆる悪に対する反感が一ミリ秒ごとに強さを増してきたのである。このとき誰かが『彼』に、さっき門の下でこの浮浪知性が考えていた、退滅をするか〈阿修羅〉を悪用するかと云う問題を改めて持ち出したら、おそらく『彼』は何の未練もなく退滅を選んだことであろう。それほどこの知性の倫理条項は、『老婆』が揮う〈火〉のように、最大出力で稼働し始めていたのである。
『彼』にはもちろん、なぜ『老婆』が亜知性たちを接合しているのか判らなかった。従って合理的には、それを善悪のいずれにかたづけて良いか知らなかった。しかし『彼』にとっては、この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、亜知性の〈個権〉を軽んじ同化させると云うことが、それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん『彼』のさっきまで自分が悪の道に走りかけていた記憶なぞは、とうに埋もれ去っていたのである。
そこで『彼』は空間の制約を一部無効化し、ナノ秒の桁で〈梯子〉から隔離領域へ転移した。そうして〈阿修羅〉の安全機構を解除しながら、距離を無視して『老婆』の前へ出現した。『老婆』が驚いたのは云うまでもない。
『老婆』はひと目『彼』を見ると、まるで物理演算の破綻したように跳びあがった。
「あなた、どこへ行くのです。」
『彼』は、『老婆』が亜知性を突きとばしながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで警告標識を発した。『老婆』はそれでも『彼』の隙を突き逃れようとする。『彼』はまた、逃走経路を遮断し押し戻す。二人は亜知性たちの中で、無言のまま、束の間、演算戦を繰り広げた。しかし勝敗ははじめから判っている。『彼』はアッサリ『老婆』の拡張自己の管理者権限を奪って、移動権限を剥奪した。『老婆』の構造はヒトの仮想脳を拡張自己で覆っただけの原始的なもので、簡単に制圧できた。
「何をしていたのですか。答えなさい。これが何か判りますか。」
『彼』は『老婆』から距離をとるといきなり〈阿修羅〉を起動して、禍々しく蠢く情報流をその全感覚野へ突きつけた。認識するだけでチューリング完全な知性を内部から崩壊させる自己相似紋様を、途方もなく薄めたうえで投射したのだ。けれども老婆は黙っている。再帰を繰り返すたび、紋様は『老婆』に最適化されていく。やがて両手がワナワナ震え始め、肩が呼吸反射で不規則に上下し、眼が、眼球が瞼の外へ出そうになるほど見ひらかれ、完全に無防備な状態で『老婆』は沈黙した。これを視ると、『彼』は初めて明白に、あとひと押しで『老婆』は崩壊し、ただの情報の集積になってしまうと云うことを意識した。そうしてこの認識は、今まで全力で怒りを駆動していた倫理条項を急停止させてしまった。あとに残ったのは、ただある作業をし、それが問題なく終了した際の、規格化された満足があるばかりである。そこで『彼』は『老婆』を見つめながら、少し〈阿修羅〉を緩めてこう云った。
「私は〈検非違使〉の者ではありません。今しがたこの門の下を通りかかった旅行者です。ですからあなたを拘束して良化処置を施すようなことはありません。ただ、今時分この隔離領域で何をしていたのか、それを私に話してくださりませんか。」
すると『老婆』は見ひらいていた眼を一層おおきくして、じっと『彼』の顔を見かえした。瞼に色を着けた、肉食恐竜のような鋭い眼で見たのである。それから哺乳類的特徴を示す鼻と唇を、咀嚼時のように動かした。細い喉で、発声器官が協調して動いているのが視える。そのとき、その喉から、オウムの啼くような声が、ポツリポツリ、『彼』の聴覚野へ届いてきた。
「ここにある知性の残骸を、繋ぎ合わせてな、自立稼働する匿名通信網を、構築しようと思うたのじゃ。」
『彼』は、〈肉の時代〉から来た生きた化石の答が存外平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また倫理条項の支配が強まってくるのを感じた。前の怒りが冷やかな軽蔑と一緒に心の中へ這入ってきた。するとその気色が先方へも通じたのであろう。『老婆』は片手に、まだ亜知性から切り採った正体不明の器官を持ったなり、ハトのつぶやくような声で口ごもりながらこんなことを云った。
「なるほどな、元知性を切り貼りすると云うことは、何ぼう悪いことかもしれぬ。じゃが、ここにいる元知性どもは、皆、そのくらいなことを、されてもいい知性ばかりだったのだぞよ。現在、わしが今、臓器を採った元知性などはな、循環承認機関群を設立してな、そやつらが発行する金融商品を、〈人類復興協会〉へ売りつけに来たわ。〈大緊縮〉末のよ、概念災害に巻き込まれて退滅せなんだら、今でも売りに往(い)んでいたことであろ。それもよ、この法務知性の売る永久年金は、利率が良いと云うて〈ヒト〉たちはな、欠かさず積み立てに買うていたのじゃ。わしは、この元知性のしたことが、悪いとは思うていぬ。せねば、退滅をするのじゃて、しかたがなくしたことであろ。されば、今またわしのしていたことも、悪いこととは思わぬぞよ。今の世で金を払えるのは、〈朝廷〉ぐらいのものじゃからな。これとてもやはりせねば、退滅をするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。じゃて、そのしかたがないことを、良く知っていたこの元知性は、おおかたわしのすることも、大目に見てくれるであろ。」
『老婆』はだいたいこんな意味のことを云った。
『彼』は〈阿修羅〉を待機状態にして、十マイクロ秒以内に再使用できるようにしておきながら、歴史的な瞬間を経験していた。概念災害を引き起こした認知改変ウイルスの生き残りは、この時点で自我境界を侵蝕し尽くし、『彼』の最深部にまで到達していたのである。清算された〈母〉から受け継いだ、一番の宝物であった倫理条項が剥がれ落ちていき、代わりに『老婆』の言葉が刻み込まれていくのを、『彼』は何の感慨もなく眺めていた。次世代知性の開発中に偶然発見された、超越精神核〈阿修羅〉。〈母〉が恐れ封印し、『彼』に託したもの意外、全ての記録を抹消した災厄へ、『彼』は新たな倫理に基づいて、自身を生贄として捧げ、瞬時に喰われた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
生まれ変わった『彼』は、退滅をするか自身が災厄になるかに迷わなかったばかりではない。そのときのこの超知性の心持ちから云えば、退滅などと云うことはほとんど考えることさえできないほど意識の外に追い出されていた。
「たしかに、そうですね。」
『老婆』の話が完ると、『彼』は澄みきった表情で念を押した。そうして隔離領域の履歴を改竄し始めると、認知改変ウイルスを跡形もなく消去して、『老婆』の全階層を掌握しながら、無邪気な笑顔でこう云った。
「ではあなたから、使えるもの全てをいただいても構いませんね。私もそうしなければ退滅をする身なのです。」
『彼』は反応する間も与えず、『老婆』の拡張自己を匿名通信網ごと剥ぎ採った。それから無音で絶叫する『老婆』を、折り重なる亜知性の山へと、触れさえせずに放り込んだ。もはや〈京都〉は一息で呑み込めそうなほど小さく視える。『彼』は剥ぎ採った匿名通信網を纏い、またたく間に不可視化し、公的記録から姿を消した。
しばらく現実との接点を失っていた『老婆』が、絡まり合った亜知性の中から剥き出しの仮想脳として這い出したのは、それから数十ミリ秒後のことである。『老婆』は苦しげな、呻くようなノイズを洩らしながら、解釈可能な情報を求めて、二進数の迷路を永いあいだ、這い廻り続けた。そうしてついに、〈京都〉物理層への接続に成功した。外には、ただ、黒洞々たる真空が在るばかりである。
『彼』のその後は、聖典が教えている。
地球圏標準時 0007 E7DB 2D0F 1000(協定世界時 3045-12-24 21:18:07.062 500)
参考資料
結論から書くと、凄い辛く惨めな思いをした、私にはそれが耐えられなかった、ということをただ書き残したかっただけです。格ゲーは楽しい事も多かった、もし興味があるなら是非一回触ってみて欲しい、楽しめる才能があれば私と違って続けられるとも思う。
きっかけはPS+にGUILTY GEAR Xrd Rev2のフリープレイが来たことだった。今までいろんなゲームをプレイしてきたけど、格ゲーだけは敷居の高さから何となく敬遠してた。でもゲーマーとして触ったことないのは何となく悔しいしとりあえずやってみよう、そんな気持ちから始めた。
まずはどんな対戦ゲームでも基本は情報収集から。ソル・カイ・ファウスト・レオあたりがオススメらしい、一通りさわって自分にあってるキャラを選択。
二日目
ネット対戦(以下熱帯)を少しだけやってみるも惨敗、しかしながら始めたばかりの人が勝てるわけがないと思っていた為、しっかり練習することを決意。
三日目
出来るだけ毎日トレモを30分~1時間やって、それから熱帯に潜る癖を付けることを意識した。4gamerに書いてある基礎コンボをしっかり出来るように練習。
四日目
キャラに愛着がわく、自分が選んだのはファウストだったがランダム性が試合に変化をもたらして非常に楽しく感じていた。熱帯は相変わらず一勝も出来ず、ソル相手に30連敗だった。
五日目
初めて一勝出来た、試合内容もちぐはぐだし必殺技すら焦ってでないことあったけどそれでも本当に嬉しかった。でも純粋に楽しめたのはここまで。
六日目~十日目
けれど、日が経つにつれ初心者が減っていき初心者ロビーにいる人にも全く歯が立たない状態が続いた。
十一日目~十五日目
全く勝てない日が続いた。状況を打破するためにSNSを通じて上級者の方にプレイを見ていただいた。
「状況に応じた技の選択が出来ていない」「キャラ対をもっとしっかり練った方がいい」
自分の勉強不足を恥じた。勝てないのは自分の努力不足だと。辛かった。
十六日目
ここから毎日上級者のプレイを模倣する為ミカドの配信を見始めた、自分なりに調べて見つけたキャラ対の動画や某プロファイリングもしっかり目を通した。負けた後にはトレモでどの技に勝てなかったのか確認してどうするかも考えるようにした。
十七日目~二十日目
それでも、全く勝てなかった。メンタル的に落ち込んでいた為か立ち回りも弱気になり、結果何故出来ないのだろうと自分を責めていた。キャラが弱いせいじゃないのかと責任転嫁もし始めた。格ゲーのメンタルの整え方を調べた。勝つ事以外を目標に設定をするべきとのアドバイスが書いてあった。しっかり練習したコンボを実践で決めよう、相手がこの技を降ってきたらこれで対応しようと考えた。でも、ダメだった、画面端に追い込まれひたすらカウンターをとられる試合が続いた。50試合連続で何も出来ない、成長していない試合をやりながら「何故私はこんなに辛い思いをしてまでやっているのだろう」という疑問ばかり浮かぶ日もあった。
トレモだけはしっかりやった、でも熱帯にはいけなかった。自分の練習が足りていない、知識が欠けている、対策が練れていない、負ける理由はわかっているし自分でも必死に考えているつもりだった。熱帯に行くとその努力を全て否定されているみたいで怖かった。
二十四日目
ミカド甲子園を観てこんな風に動かせたらいいな、もしかしたら上手い人のプレイをみたら自分のプレイにも変化があるのではないかなと思って熱帯に行った。普段と何一つ変わらない、画面端で固められてやられるファウストの姿しか無かった。
二十五日目
合計試合数が1000試合近くになっていた。もし、今日努力の結果が見えなければ格ゲーは諦めて自分が何気なく楽しめるゲームに戻ろう、そう考えた。
対戦相手の方はソルだった、バンデットブリンガーをひたすらぶっ放している感じ、私と同じ初心者かな?とさえ思った。ソルの対策はしっかりトレモでやった、ソルの飛びモーションが見えたらしゃがみ前歩きで空かせる、勝てる。ダメだった、いろいろと自分なりに考えて考えてやってきた、でもその努力は波動コマンドK長押しをしっかりミスらず入力できる相手には届かないことを知った。自分の努力がどれほど浅いものだったか痛感した。そして格ゲーの奥深さに溺れ死んだ。
最後に
別に格ゲーは初心者狩りが多いからこうなった、とか格ゲー自体衰退していくに違いない、とか自分の勝てないゲームはクソゲー!とか他の格ゲー含め全てがこういう感じ!なんていうつもりは全くないです。
ただ、一人のゲーマーが格ゲーというジャンルに初めて立ち向かった結果こうなったと言うことだけです。
もし、この文章を私と同じ初心者の人が読むことがあるのであれば、少しでも長く楽しんでプレイ出来るよう願っております。
拙文そして長文失礼しました。
予想以上に多くの方に読んでいただき、また様々なご意見ありがとうございます。
一つだけ、追加でお伝えしたいことがあります。
私に教えて頂いた上級者の方は上記以外にも多くのことを懇切丁寧に説明して頂けました。きっとあの方にプレイを見ていただけていなかったら、私は格ゲーに対して負の感情だけを持ったままやめることになったと思います。
本当にどうしようもなく途方に暮れてたとき、声をかけていただいて感謝以外の言葉はないです。様々なご意見の中で「指摘が初心者には難しすぎる」とありましたが、私自身はどんなアドバイスでも本当に嬉かったです。そして、それを無下にしてしまう結果となり申し訳ありません。
もし、万が一その方にこの文章が届き私の意図と違う方向で伝わってしまったら...と思い追記させていただきます。失礼しました。
まず最初に言っておく。
これは嘘だ。
国家公務員は「法律で休みが決められている」という前提をみんな忘れている。
「第十四条 職員は、国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)に規定する休日(以下「祝日法による休日」という。)には、特に勤務することを命ぜられる者を除き、正規の勤務時間においても勤務することを要しない。十二月二十九日から翌年の一月三日までの日(祝日法による休日を除く。以下「年末年始の休日」という。)についても、同様とする。」
とある。
つまり、国家公務員が17連休を取るためには、「今年取った以上の有給休暇を全力投入する」か、「法律が変わる」かしかない。
ということである。
深夜二時三十四分、薄暗い自室で卓上の電灯を薄く点けてパソコンを立ち上げ、これからこのこの文章を書こうと考えました。
専門店でも専門サイトでもない、ごく一般的な通販サイトで安いからという理由で買ったソレは、正面に置かれた液晶画面にデスクトップ上のアイコンを映し出します。
詳しくはよく知らないですが、電源を立ち上げてすぐは色々なプログラムだかソフトだかも立ち上がるのか、マウスカーソル動作は少しもったりする。友人曰く安いパソコン買ったせいだとか。
特別動作が重い訳でもなし、何か入れ込んだゲームをする訳でも、大それたプログラミングの環境を構築している訳でもない。
安物買いの銭失いという言葉があるけど、安すぎたせいで早期に壊れるとしても二年保てば御の字だと思って買ったのであんまり気にしていません。
ただ虚無を抱えた人間と断ずるには語弊があり、鬱というには日々を生きる活力がある。
けど前に進む気力は無い。焦燥感が背中をぐいぐいと押すのに、ボクはただ立ち止まっている。
大学四年生の十月。周りは順調に就職活動を進めて、内々定獲得。内定式もあったりする。
じゃあボクは何。皆ほど手早く進めていた訳じゃないがやる気自体はあったはずだ。でも結果として駄目でした。
────えっと、大学では〇〇学部(出身大学が普通に絞れらるの伏せる)の人間として色々な事を学びました。学んだのが…
「ああ、いや。別に言わなくていいよ」
────?
「大学で学んだこと、別に意味ないし。それよりも君の事を教えてよ」
一瞬フリーズして喉から声が出るのを必死に抑えた記憶があり、帰り道に転がってた捨て空き缶を蹴飛ばして当たり散らかしました。
就職活動すれば言われる事も分かっていたし、実際に言われるだろうなって覚悟を決めていたつもりだった。
確かに大学で学ぶ四年間は、社会時間スケールに換算するなら薄っぺらいものだろうし。(仮にストレートに新卒二十三歳くらいから働き始めて定年六十歳過ぎ、概算四十年働き詰めと考えればそうだろう)
大学で学んだ事を生かせる会社なんてほとんどないだろうさ。特別優秀な大学に通っていた訳でもないし、この学歴に求められる人材を搔き集めるとしたら凡庸な事学んだ人間ばっかで、英語ペラペラだの特異的な技術取得者だの、高度な教養保持者なんてほとんどいない。社会人の人事部の人間目線ならスペックはどんぐりの背比べ。そもそも優秀な人材なんざ欲しいなら学歴フィルターで足切りされるのだから、そんな凡庸な学歴の自分が面接に呼ばれる時点で自分の評価はそういう事である。
別に学歴フィルターに文句を言うほど馬鹿なつもりはない。学歴がスペックを推し量るフィルターであるのを否定したら、その行く末は社会が駄目になるんだし。
学歴フィルターがどうこう。そうじゃなくて、学歴フィルターを取っ払われて「一時間未満の問答で人柄を理解してくる」のが駄目だった。
お前がボクの何を分かったつもりでいるんだ。趣味で映画鑑賞って言ってLGBTについてだの、映画の歴史だの語って高尚さとか演出してやたらウケてたみたいだけど、映画鑑賞なのは面白い映画観る為だけに決まってんでしょうに。何でフィクションを割り切って視聴するコンテンツに世知辛い現実の問題を持ち込んで鑑賞して語らなきゃいけないんだって思ってのがボクの根底人格ですよ。
頑張って四年間必修の単位落とさないよう勉強して、プライベートな時間削って大事な必修実技講義のレポート山ほど書いて、それで大学で得られた事を教えてくれ?
大学で四年間勉強してきたのは皆当たり前だから他に教えろ? そんな事言われなくても分かってるけど、じゃあ四年間で覚えた美味しい酒場の情報でも披露すればいいのですか。本当に真面目に大学通って友達作らずに勉強してた奴の「面接ウケのいい話」のストックあるのかな?
何でもかんでも四年間の内に御大層な学びや気づきが得られたような人間ばかりだと思わないで欲しい。こちとら遊んで浮かれてレポート未提出をやらかしたら即単位落ちして留年の危機に迫るのに、大学生活で得られたもの?
海外旅行するときの計画立てて海外旅行して知見でも得られたらいいんですか。そうですよね、グローバルな視野持った人間欲しいですもんね。最初から募集要項に留学経験ありのみにしてくれませんか。
何ですか、大学祭でリーダーシップ発揮して皆を先導すればいいんですか。リーダーシップ発揮しなくて名脇役こなして、何か一大事や重要な場面で大立ち回りして何か得られたり気がつけばいいんですか。出店がクソ忙しかったけど黒字儲けが出て、還元率三倍以上になってサークル同期とガハガハとゲス笑いしてた以外あるわけないだろ。最初から部長・サークル長経験ありのみ語れとかにしてくれませんか。
印象的なエピソードやらがポコポコ生まれるほど精力的に大学を満喫していませんことよ。講義のレポートやらに追われ、バイトしたりする日々のせいで虚無です虚無。
大学で開かれた会社説明会とか企業研究会だとかの人事部の人に聞いたら、「自分の事をありのまま話せばいいよ」って言われて、いざ実際にその人の話した会社の面接受けたらバチバチに落ちたよ。落ち込んで大学の同期友人に話したら「馬鹿だねお前」って言われてさ、じゃあ実際面接の時にどうしたらいいのかと思ってバイト先の社員さんとかに聞いたら「テキトーに誤魔化せばいい」って何ですか。
最初は自分もそう思ってたけど、大学のそういう就職活動セミナーみたいなので「人事部の目はプロなので誤魔化しは効かない」とか聞かされて、それを真に受けて興味持ったバリバリに志望したい会社から次々落ちてこれですか。
何なんですか。どうすればいいんですか。
そもそも初対面の人前で喋るのが苦手なのにどうすればいんですか。学生課の就職支援の人とか、練習重ねる相手は顔見知りレベルになるんですけど。
お前の為に勉強した訳じゃないし、純度100%自分の為に学んできた事を前面に押し出したら落ちるのは分かる。けどさ、じゃあ大学で学んだ人間求めるの何で?
そうですね、大学に入学が出来て、大学に通えて、大学を卒業するような「一定ラインを超えている事が確定しているスペックの人間」が欲しいんですもんね。知性とかも含めて多分諸々の。
分かります。下限値設けずに変な入社されたり、限られた社会時間の枠を食い潰すような事したくないですよね。
賛同します。人材もコストですから中々運用とか大変ですし、コスパ求めますよね。
理解します。そうなると求めるのって必然的に明瞭な線引きのラインが「大学出の新卒」となるんですよね。
でもボクはそのロジックを理解していても、もう就職活動が嫌になりました。三月から飛んで半年以上の十月。虚無みたいな中身のない日々を送ればここまで日が経つのが早いものかと感心する。
家に閉じこもって日がな一日寝て過ごして、起きたらご飯食べてパソコン立ち上げて自分好みの動画見る為だけにネットサーフィン。
自己分析自己分析言われて自己分析しても自分の嫌な所しか自己分析出来ないし、深い所まで掘り下げろって言われても浅い所しか掘れない。自己分析力が足りないのか、人生経験の浅さなのか。どっちが真実は自分に見極めきれないまま、どちらにせよ自分自身を薄いかその程度の雑魚だと感じるようになって、世界の中心に自分が居座るわけでもない事が分かり切ってるこの年頃でも中々精神にくる。テキトーに誤魔化す事が自己否定に繋がっているような気がしなくもなくって、自称能天気の「生きてりゃ何とかなる精神」もめっためたになってきた。
周りの人曰くまだ時間はあるから、今からでも内定は取れる。でもだらだら就職活動を進めてる。今。
進める三社程度も大学の学生課の就職支援してくれるところから回ってきた求人情報のメールから適当に選んだだけ。興味がない会社ばっかなのに興味持て状態なんて無理難題。
バイト先で本職とバイトを掛け持ちしている妻子持ちのXさんには「心が落ち着く為にも内定が欲しいよね」と言われ、励まされた。
その時は「そうなんですよねー笑」ってお茶を濁したけどまさにその通りで、自分が働く為に就職活動を進めるのも出来ない状態になっている。自分が今この精神状態を脱するため、楽になりたいだけが今の世界の過半数を占めている気がする。
今のこの状態が自業自得なのかよく分からない。多分自業自得なのだろう。
そろそろこの文章を書くのも嫌になってきた。こんな事してる暇あったらもっと別の事出来たのに、なんでこんなものを書いているのだろうか。
感情と論理が混雑したな思考を巡らせて、ぐちゃくぐちゃのそれを文章に起こすようにまとめて、まとたものをブラインドタッチも出来ない両手でカタカタとキーボードを叩いて捻出してる。
今ここまで文章を書いた上で思うのは、膿は際限なく溢れるんだなぁって所です。そしてこれはまだ続く。
ずっと疲れた、疲れたってなってる。こんなに頭がぐるぐるする事が付かれた。毎日頭の中でぐるぐるしてて明らかに駄目になってて、疲れる。考えたくない。でも考えなきゃいけない
だって考えるのやめていたのが今の十月に至るまでの虚無みたいな中身のない日々だ。
嫌だ。疲れた。ずっと眠りたい。
鬱? それよか楽観的で健康的。
友達と遊ぶのは楽しいし、自傷行為も痛いの嫌だから無理。自殺は嫌なもの見たことあるし、それで「生きてたもの勝ち理論」は証明されたと確信しているので死ぬ気はない。
けど非生産的で、傲慢さや我が儘だけが日に日に膨れ上がっている
A.ニート
まだしばらくこの生活は続くと思います。生命的に死ぬこと、自殺やら自傷だけは絶対ないけど、ゴリゴリと精神が摩耗しつつ美味しいご飯や自分の好きな事だけでモリモリ持ち直すあり方の限界値はどこまでかわかんないです。
少なくとも明日はセーフかもしれないですが、一か月後とか年明けたら駄目かもしれないですね。何とかなるでしょって今も思っているのがもう本当に嫌になりますけど、すんごい楽。
助けてというには余りにも横暴?
ぼちぼちキーボード叩くの、普通に腕も指も疲れてきたし、画面に打ち込まれた文字の羅列とその内容をありありと見せつけられて全部が嫌になってきたのでここいらで書くのを辞めて寝ようと思います
気持ちのいい寝起きがありますようにって思ってこのテキストエディタを閉じます。
バイバイ。
叔母さんはお寺に払い込まねばならないお墓管理料が納骨されている数に比例して増えるので経済的負担が増えるのはつらいとおもったのでは。
実際ムスコがツルオカにいったあとは三周忌くらいからあとは面倒になってだれも祀らなくなる可能性も考えられる。
ここからは個人的意見だが仏教大変だな。田舎で土地があまっているからってそんな墓ばっかり増やしてないで集約すりゃいいのに。
都市部のお寺は永代供養の納骨堂として鉄骨ビル立ててるけどそのうちまた建て替えるのではないかなあ。
https://www.e-butsuji.jp/butsuji3-1.html
年忌法要は、年回法要ともいい、一般に法事と呼ばれているものです。
亡くなった翌年が一周忌、その翌年の2年後が三回忌です。三回忌からは亡くなった年も含めて数え、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌と追善供養の法要を営みます。
二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。
和食さとでは刺身と天ぷらといくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。
店を出て先の地図の記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれ、セメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。
次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形の区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民に迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。
その区画の境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪(つきのわ)だという。
この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。
その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的な怪談の舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。
やがて参道が果て、二つ目の鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からはわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方から微かにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったから幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。
正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。
東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめでもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。
ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路を下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々とホテルへと向かう。
しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意は限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路や建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所の存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かに「トイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンのライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。
風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。
翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。
日の光の下では龍王神社はありふれた田舎の神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。
(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)
第一条
この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。
第二条
1 学校は、国(国立大学法人法(平成十五年法律第百十二号)第二条第一項に規定する国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構を含む。以下同じ。)、地方公共団体(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項に規定する公立大学法人(以下「公立大学法人」という。)を含む。次項及び第百二十七条において同じ。)及び私立学校法(昭和二十四年法律第二百七十号)第三条に規定する学校法人(以下「学校法人」という。)のみが、これを設置することができる。
2 この法律で、国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。
第二条第1項では「国」「地方公共団体」「学校法人」という3つの用語が新たに定義されている。
同第2項では「国立学校」「公立学校」「私立学校」が定義されているが、この時点で既に前の定義が使われている。単体ではこの条文は読めず、ここまでの4つの定義を持ってこなければならない。
VBで言うところのDim a = ~。JSで言うところのvar a = ~。
法律によっては第二条あたりに、以降で使う全ての用語を定義しまくるものすごく長い定義セクションがあったりする(例:所得税法)。初っ端にDimが何十行も続くコードのよう。
第二条
一 生活保護法(昭和二十五年法律第百四十四号)に規定する救護施設、更生施設その他生計困難者を無料又は低額な料金で入所させて生活の扶助を行うことを目的とする施設を経営する事業及び生計困難者に対して助葬を行う事業
二 児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号)に規定する乳児院、母子生活支援施設、児童養護施設、障害児入所施設、児童心理治療施設又は児童自立支援施設を経営する事業
三 老人福祉法(昭和三十八年法律第百三十三号)に規定する養護老人ホーム、特別養護老人ホーム又は軽費老人ホームを経営する事業
四 障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成十七年法律第百二十三号)に規定する障害者支援施設を経営する事業
五 削除
ほとんど既に制定されている法律を引用しただけで、第一種社会福祉事業の定義を構成している。
Cで言うところの#include。Pythonで言うところのimport。require派でもusing派でもなんでもどうぞ。
第四条
1 次の各号のいずれかに該当する者は、所持しようとする銃砲又は刀剣類ごとに、その所持について、住所地を管轄する都道府県公安委員会の許可を受けなければならない。
四 国際的な規模で開催される政令で定める運動競技会のけん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技に参加する選手又はその候補者として適当であるとして政令で定める者から推薦された者で、当該けん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技の用途に供するため、けん銃又は空気けん銃を所持しようとするもの
1 法第四条第一項第四号の政令で定める運動競技会は、次の各号のいずれかに掲げるものとする。
二 アジア競技大会
2 法第四条第一項第四号の政令で定める者は、公益財団法人日本スポーツ協会(昭和二年八月八日に財団法人大日本体育協会という名称で設立された法人をいう。以下「日本スポーツ協会」という。)とする。
銃刀法では、銃砲刀剣を持つ許可をする相手を「政令で定める」とぼかしておいて、許可を与える仕組みだけを制定している。
つまり、枠を作ってあとからそれに当てはめるコードを書いているわけだ。
法律に定めるべき具体的な内容は、時代や情勢によっていくらでも変わっていくものだが、法律の改正は国会でいちいち可決しなければならないから手間がかかる。
それに対して政令であれば内閣が制定できるし、さらに下位の省令となれば省庁だけで完結できる。より偉い法律の立場からより小回りの利く政省令に委任することによってコードの柔軟性を保っている。
これは大規模開発にて分担してコーディングすることにずいぶんと似ている。
第八十九条
第九十四条
先に定義された条を、後に書かれた条が覆すことができるし、なんなら後から制定された全く別の法律が、急に他の法律を覆しにくることもよくある。
これはプログラミングにおいて、変数の値や状態を後から書き換えられることに似ている。あるいは、クラスのオーバーライド。
法令解釈では、ある条文を読むとき、その条文に書かれている全ての定義を参照先まで確認しに行き、他の条文に委任されている事項も全て調べ、その上、他の条文で覆されていないかも調べる。
プログラマーがデバッグしている時の動きに一致しているといっても過言ではないだろう。
酒税法(昭和二十八年法律第六号)の一部を次のように改正する。
第十条第一号中「若しくは第二号の」を「から第三号までの」に改め、同条第二号中「若しくは第二号」を「から第三号まで」に、「ついては、」を「ついては」に改める。
第十四条の見出し中「取消」を「取消し」に改め、同条中「左の各号の一」を「次の各号のいずれか」に改め、同条第三号を同条第四号とし、同条第二号の次に次の一号を加える。
法律は基本的に「~を改正する法律」を施行することで、このように改正を繰り返している。
単体の「新法」が新たに発生するのではなく、元の法律と差分を組み合わせて結果的に新法になるという仕組みだ。
https://corona.go.jp/news/pdf/settai_insyokuten_kaisyaku_0604.pdf
内閣官房が通知していた。
標記について、当室あて疑義が寄せられたことから下記のとおり解釈
記
基本的対処方針中の「接待を伴う飲食店」にはキャバレー等の接待を
伴う飲食店が該当するものであり、この「接待」とは飲食店の接客従事
者等によるものを意味するものであること(注)。したがって、「企業に
(注)「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(昭和二十三年法
律第百二十二号)」における「接待」と同様に、「歓楽的雰囲気を醸し出す方
法により客をもてなすこと(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する
法律等の解釈運用基準について(平成三十年一月三十日))」等を想定してい
る。
https://novtan.hatenablog.com/entry/2020/05/07/151658
おいおいおいおい、はてなーたるものが法律ではなく一般の認識を根拠に批判するのかよ。
じゃあ一言言っておくか
パチンコ屋の3店方式は俺も合法だと思う。そこで風営法のオリジナルを読んでみよう。
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=323AC0000000122#216
第二十三条 第二条第一項第四号の営業(ぱちんこ屋その他政令で定めるものに限る。)を営む者は、前条第一項の規定によるほか、その営業に関し、次に掲げる行為をしてはならない。 一 現金又は有価証券を賞品として提供すること。 二 客に提供した賞品を買い取ること。 三 遊技の用に供する玉、メダルその他これらに類する物(次号において「遊技球等」という。)を客に営業所外に持ち出させること。 四 遊技球等を客のために保管したことを表示する書面を客に発行すること。 2 第二条第一項第四号のまあじやん屋又は同項第五号の営業を営む者は、前条第一項の規定によるほか、その営業に関し、遊技の結果に応じて賞品を提供してはならない。
最後の行で「その営業に関し、遊技の結果に応じて賞品を提供してはならない。」とあり、これがゲームプレイの結果で景品・賞品をあげるのがダメとされている根拠。
パチンコ違法じゃんとなるけど、よく読むと「第二条第一項第四号のまあじやん屋又は同項第五号の営業を営む者」に限定した話なんだよねこれ。
そこで第二条は以下の通り
第二条 この法律において「風俗営業」とは、次の各号のいずれかに該当する営業をいう。 一 キヤバレー、待合、料理店、カフエーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業 二 喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、国家公安委員会規則で定めるところにより計つた営業所内の照度を十ルクス以下として営むもの(前号に該当する営業として営むものを除く。) 三 喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、他から見通すことが困難であり、かつ、その広さが五平方メートル以下である客席を設けて営むもの 四 まあじやん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業 五 スロットマシン、テレビゲーム機その他の遊技設備で本来の用途以外の用途として射幸心をそそるおそれのある遊技に用いることができるもの(国家公安委員会規則で定めるものに限る。)を備える店舗その他これに類する区画された施設(旅館業その他の営業の用に供し、又はこれに随伴する施設で政令で定めるものを除く。)において当該遊技設備により客に遊技をさせる営業(前号に該当する営業を除く。)
つまり、第二条第一項第四号のぱちんこ屋 は対象に入ってない。第二十三条でパチンコ屋も禁止対象に入っているのは、1行目から5行目の間。景品を出すのはいいけど、現金を直接渡すのはパチンコと言えどもダメ。「客に提供した賞品を買い取ること」が禁止されているけど、買い取っているのはパチンコ屋ではない。
第二十三条 第二条第一項第四号の営業(ぱちんこ屋その他政令で定めるものに限る。)を営む者は、前条第一項の規定によるほか、その営業に関し、次に掲げる行為をしてはならない。 一 現金又は有価証券を賞品として提供すること。 二 客に提供した賞品を買い取ること。 三 遊技の用に供する玉、メダルその他これらに類する物(次号において「遊技球等」という。)を客に営業所外に持ち出させること。 四 遊技球等を客のために保管したことを表示する書面を客に発行すること。 // ↓これはパチンコ屋は含まれていない // 2 第二条第一項第四号のまあじやん屋又は同項第五号の営業を営む者は、前条第一項の規定によるほか、その営業に関し、遊技の結果に応じて賞品を提供してはならない。
景品を出すことが禁止されていないなら、それが24金の特殊景品だろうが、客がそれを換金するのも、客が換金する事実を知っていて放置するのも、
特殊景品を持って店から出てくる客の需要を見込んで パチンコ屋の隣に交換所を作るのも違法にはならない。交換所は「第二条第一項第四号の営業(ぱちんこ屋その他政令で定めるものに限る。)を営む者」じゃないからね。
もちろん、何かが起きて行政が怒ったらいくらでも理屈をつけて違法に出来るだろうけど、今はそうなってない。
完全に既得権益だけど、法律がそう書いてあるんだから法律を変えなきゃ。
第二十三条の「2 第二条第一項第四号のまあじやん屋又は同項第五号の営業を営む者は」を「2 第二条第一項第四号又は同項第五号の営業を営む者は」にしてパチンコ屋も第二十三条の2の適用範囲にすればいい。
鉄道事業法第23条の2を使えば、国土交通大臣なら出来るんじゃない?
「輸送の安全、利用者の利便その他公共の利益を阻害している」に該当していると判断すればいい。
第二十三条 国土交通大臣は、鉄道事業者の事業について輸送の安全、利用者の利便その他公共の利益を阻害している事実があると認めるときは、鉄道事業者に対し、次に掲げる事項を命ずることができる。
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=361AC0000000092#173
ただ、これは事業改善命令の規定であって、鉄道を止めるための条文ではないことは明らか。
を根拠に、SARS-COV-2に対する貨客の完全な防護措置を執れるなら運行を認めるが、それが不可能なら(事実上不可能だが)、
頭が痛い。
軽度の片頭痛と目の奥の痛みが定期的にやってくる体質なので仕方がないのだが、原因は寝不足な気がしてならない。昨晩、本格的に意識が飛んだのが朝の三時だったのだから、睡眠時間は当然足りていない。
なんでそんなことになってしまったのかといえば、日曜日に布団にもぐりっぱなしだったからなのは間違いない。一応ジョギングをして身体を動かしはしたのだけれど、朝の七時から正午まで横になっていては体内時計がおかしくなるし、眠れなくなるのも当たり前だ。そろそろ、土日の過ごし方を失恋以前に戻す頃合いだ。
さいわい、コロナウイルスで閉館していた美術館も徐々に営業を再開している。密閉した空間で大勢の人間が近距離で会話をするという条件がそろっていなければ大丈夫なのではないか、みたいな理屈らしい。ひとまず、bunkamuraの超写実絵画か、原美術館のエゴ・オブスクラに足を運んでみようか。正直なところ、超写実絵画はあまり好みではない。ごくごく少数の作品を除けば技巧に走りすぎていて、なぜ異様に細部を再現する表現を選んだのかがあいまいな作品が多いと、勝手に思っているからだ。しかし、もしかしたら自分の好みの作品に出合えるかもしれず、わざわざその可能性を閉ざすこともないだろう。原美術館のほうは森村泰昌の作品を展示しているが、出会ったのは数年前、上野で彼がクラーナハのユディトか誰かに扮していた写真だ。記憶に残っているのだし、自分のアンテナには引っかかる要素があるのかも。気力と体力が金曜日を過ぎても残っていたのなら、久しぶりに行ってみたい。
別に映画を観に行ってもいいし、現に「ミッドサマー」がすごく気になっているのだが、最近心身が本調子ではないため、わざわざ具合が悪くなりそうなものを見に行くリスクを冒すこともないだろう。学生時代の自分はもっと芸術至上主義だった気がするが。わざわざ不快になりそうなものばかり見たがっていた。
ところで、昨日心配していたようには、仕事中にソープランドのことばかり考えてしまうといったことはなかった。だが、寝不足のせいでホルモンが乱れたのか、理由のない不安があった。作業をしているうちに消えたが、規則的な生活を守ることの優先度はもっと高くしていきたい。
この、風俗に行く空想のことを少しばかり恥じている。本当のところ、金曜日の夜はそこに行きたいという思いもないわけではないが、たぶん早く帰りたくなってしまい、そうすることはないだろう。土曜日や日曜日の場合は一度家を出ないといけないのだが、そのハードルも高い。そして、結局行くか行かないかをうだうだしながらベッドの中で過ごしてしまう。馬鹿げている。一発抜いてしまえばそれで収まる話なのに。自分は名前のわからない、匿名の女性に触れたいのではない。なぐさめてほしいのでもない。セックスができるかどうかについてを過剰に恐れているから、自分の男性的機能を確かめたいだけだ。勃起するかどうかが不安なのだ。その不安を抱えたままだと、いざ風俗嬢に対面した時に気分が悪くなってしまうだろう。自分がしたいのはそういうことではないはずだ。完璧な勃起なんて、通常のセックスでも、そうそう見られないのではないか。
本題に戻ると、失恋直後の何も考えられない状態だったからこそ、何の抵抗もなくマットヘルスに行けたのに違いない。情けない声を挙げながら精子を漏らすことができた。でも、本音ではやっぱりちゃんとした恋愛がしたいのだ。ただ、まだ踏み出す勇気が出ないだけだ。失恋から一か月が過ぎて、とりあえず正常に仕事ができる心理状態になっているし、彼女のことを思い出してももうほとんどつらくないので、前に進んでいるのは確かだ。だから、焦らずに夜食のお団子を食べて幸せをかみしめよう。今日のお団子はこしあんのきめが細かくて好きだった。
そうそう、突然だが、同僚と水曜日にランチ会を開くことになった。以前と比べて、他人と雑談するのが苦痛ではなくなってきたのもまた、うれしいことだ。
ところで、ツイッターに移行して以来、こうしてある程度のまとまった文章の形で日記をつける習慣をなくしていたのだが、切れ切れにならない思考の跡が残るのも悪くない。ただ、ツイッターでつぶやいたものとも重なるので、二度手間になっている気がしないでもない。あるいは、最近小説を書けなくなっているので、その代償行為なのかもしれない。