はてなキーワード: 規律とは
フランス革命のように、弱者が強者に物申して実力行使して社会を変えたことがない。
明治維新も大政奉還の形をとり、敗戦もGHQによる外部の力による改革だった。
今のヨーロッパで行われている大規模な農家のデモにしても、フランス革命やドイツ革命の成功例を持っているから実践できるのだろう。
現地の人達は、ベルリンの幹線道路がトラクターで占拠されて日常生活に支障が出てきても、「これは彼らの権利だから」と温かい目で見ているらしい。
日本で同じことをやったら、「自分たちを注目させるためにパフォーマンスしている面倒くさい人達」扱いされて終わりだよ。
要するに、日本では社会的弱者が強者・マジョリティに対して抗議するという文化自体がない。
社会に対して不満を持ったとしても、「世間の目」を気にして声を上げるハードルがものすごく高い。
日本の社会が欧米と比べて、非常に規律正しく、安定していて、治安も良くて、(人種的にも)同質性が強いことも原因だろうか。
人生の地獄はきっと誰にでもあるが、自分にとっては「健常な社会」こそが人生の地獄だった。
「健常な社会」に適応するくらいなら犯罪を犯すか自死した方がまだ自分の人生を手に入れられる。そう思う人間が生まれる必然は「健常な社会」を維持するシステムに組み込まれており、つまるところ何をしても堂々巡りな訳で、やっぱり世の中の未熟さと本能のどうしようもなさに揺さぶられながら、忘却を繰り返して日和見主義で他人に干渉しすぎず生きていくのが幸せなんだろうなという結論に達する。
健常な社会が設けた「児童養護施設」というシステムは、内部で虐待が横行しており、児童の中でもイジメがあり、「何のための施設なのだろう」と気を病んだ私に何度も「そんなんじゃ社会でやっていけないよ」と声をかける健常な社会人であるところの職員は、気を病んだ私から見てもキチガイであった。
養護施設では勉強時間が確保できないので勉強して逆転するような子は少ない。
施設の規則に従って規律正しい生活を送れば、自由時間などほとんどないに等しい。
自分の部屋でダラダラ夜更かししてゲームしたり、本を読んだり、そんな時間も個人の発達には必要であることも全く理解されていない。家畜や囚人以下の扱いである。一般家庭の人間の特権が羨ましくて仕方ない。
さて、こんなひねくれた性格であったせいか、基本子供嫌いな施設職員からも取り分け嫌われていた私は、さらに人に対する恨み辛みを募らせて、どんどん人格が歪んだ。
信頼できる人間に悩みや苦痛を打ち明けても、「辛かったね、大丈夫だよ」と声をかけられても救われない事は明白で、というかあの時の私にアドバイスをするなら「悩み相談をするなら優しい人間ではなく、態度が悪くても解決する能力を持った人間を見極めて選べ。それ以外は屑のようなもの」という事だろうか。こういう境遇の人間は頷くと思うが、「人に優しくしよう」なんて考える人間にロクな奴はいない。
自死を何度も考えた。正直、世に生きる価値があるとは全く思わなかったし、自分より恵まれた人間から受ける説教ほど価値のないものはなかった。恵まれた人間に、人を救済できるだけの知性があればこんなことにはならなかった、肥えただけだろうが。頼むから今後、人命に関わる組織の運営は全てAIとかにやらせて欲しい。その方がまだマシな社会になるだろう。
「普通の人間」にアレルギー反応が出てしまった私は、行政や福祉や一般就労のようなものからなるべく遠い所で生きて行きたいと思い、案の定水商売を始めた。
あらゆる業種を転々としたが、1番面白かったのは性産業で、取り分け「客もキャストもどんな職種の人間でも脱げば同じ」「美人でもブサイクでもどんな人間にも扉が開かれている」という世界が、私に人間性を取り戻させた。ここは誰に対しても優しく、最も平等で、寛容で、安心をくれる社会そのものだ。
私の在籍していた店は多様で、子供に当たり前の生活を渡すために稼ぐシングルマザー、奨学金を返すために働く高学歴の大学生、障害があるけど作業所で働きたくない女の子、銀行に頼らず起業資金を集めたい50代の女性、若いうちに好きに海外に行きたいアラサーの女性など、あらゆる年齢の人が自分の自由と自立のために働いていた。そんなキャストさん達と話す穏やかで豊かな時間が私は好きだ。
ネットでは風俗業の過激さに目が当てられがちな為、ふとこういう話もしてみたくなった。
「死ねば同じ、脱げば同じ」
この仕事で体得したそんな精神は、私の人生にとって大きな慰めであり、今は生きる意味にもなっている。
私の指名客は官僚からホームレスまで様々だ。普通の人間なんて、私の幻想だった。
幼い頃の痛みも恨みも悲しみも、きっと一生癒えることはないけれどしばらくここで頑張ってみようと思う。
熊代亨先生、先日梅田ラテラルにて行われた『「推し」で心はみたされる?』のトークイベントおつかれでした。せっかくなので感想というか、お手紙を書いてみたいと思います。
私はあの日の観客の一人です。子どもが3人いて最近ラグビー観戦にはまった者といえばわかっていただけるでしょうか。本来ならメールやDMの方が良いのでしょうが、あえてこちらにしました。迷惑だったら申し訳ありません。また、こういった文章に不馴れなので読みにくい点もあるかもしれませんがお許しください。
普段、私はトークイベント等にはほとんど行った事はないのですが、思いきって参加してよかったです。インターネットや著書で知っていても、実際に目の前にすると「遠くから眺めていた人がこんなにも近くにいるぞ」と妙に感慨深いかったです。2時間程度ではありましたが、同じ時間、同じ場所にいられて嬉しく思います。
トークイベントでは新刊のテーマである「推し」について先生や他の参加者の話を聞きながら考えていたのは「ヒトはどこまでいっても社会動物である事実から逃れられない」ということです。今回推しの話から時代ごとの世相の変化、承認欲求と所属欲求の比重の移り変わり、果ては社会福祉までと誰かが無理やり話題を変えた訳でなく自然と話が膨らんでいきました。推しという個人の感情を語ってもどうしても社会に接続されてしまうような、そんな気がしました。ヒトが解脱し娑婆から抜け出す日はまだまだ遠そうです。
私はいま35歳ですが、ラグビーというボールすら触ったことのないスポーツ観戦になぜはまったのかわからないとお話しました。その際先生は自分の心の鍵穴にうまく刺さったのではないかとおっしゃりました。鍵と鍵穴のたとえはいいですね。確かに観戦するという行為が自分の中にするりと入ってきた気がします。鍛え上げた選手達が荒々しくも規律を守って(ペナルティを出さないで)プレーしている姿に心躍らせますが、もしかしたら力のある者が正しく力を行使する様に憧れがあるのかもしれません。実際強いチームはペナルティが少なくスマートにプレーしていますし、それがまた格好良いのです。
一方で家族に対してはどこか一歩引いたような気持ちがあります。少なくとも周りのお父さん達と比べるとどう家族に思い入れが足りないのではと感じます。妻にもたまに文句を言われます。先生はむしろ子ども推しにのめり込みすぎるより全然いいんじゃないかと言ってくれました。思い悩んでいたわけではありませんが、ちょっとほっとするような、励まされた気持ちになりました。
どうして家族をうまく推せないのだろう考えると、私の両親も同じく「推し」がへただったからだと思うのです。
両親はとある同じ地方の出身で、父は貧乏農家の三男、母は貧乏大工の娘でした。地方出身の先生ならお分かりでしょうが、50年以上前の農家の三男ともなれば扱いはさんざんなものだったそうです。また幼くして母親(私からみた祖母)を失くしており、ずいぶん寂しい思いをしていたようです。母も自分の親がずいぶん厳しかったようで、成績が少しでも下がろうものならヒステリーと言えるくらいに叱られたと聞いています。
そのせいなのか両親はお互いにうまくリスペクトし合えてなかったし、子どもの立場から見てもナルシシズムを充たすには不十分でありました。社会に出てから子育てをしている人をみて、こんなにも子どもにかかわり合うんだととても驚いたのを覚えています。
無論、大人になった今では両親にとっての精一杯だったのは理解できます。彼らなりに「推し」ていたのだと。
ただ、私は4人きょうだいですが他の3人も親に対してどこか一歩引いているように見えます。もしかしたら私は家族、あるいは血縁という概念にいい感情がないのかもしれません。
実際、妹は結婚していますが、子どもは絶対に作らないと明言しています。自分の遺伝子は残してはならないと考えているようです。実は私もその意見には共感します。もしかしたら子持ちのくせにうっすらとした反出生主義者なのかもしれません。
それでも生まれた命がある以上ちゃんと育てて社会に送り出さなければなりません。幸い、知人や会社の同僚に子ども推しの参考になる人達とたくさん出会えました。なにより妻という心強いパートナーがいます。見よう見まねではありますが、たとえ擬態であっても良き親、良き「推し活」でありたいと思います。
今回のようなトークイベントをまた大阪でされるのかはわかりませんが、いつの日かお目にかかるのを楽しみにしています。短い時間ではありましたが、言葉を交わし合えた者として、ささやかながらこれからも先生を「推し」として応援しています。
海外でも学部以前に大学行ってないのゴロゴロいますけど?就職から逃れるためにトンチキなこと言うのはやめてもろて
IBM のエグゼクティブ チェアである Ginni Rometty は、2016 年に「ニュー カラーの仕事」という用語を作り出しました
IBM はまた、多くの職位から教育要件を取り除くことで、新しいカラー ジョブの波を推進しました。ロメッティとチームが最初に学位よりもスキルを優先したとき、IBM の職務の 95% で 4 年制の学位が必要でした。会社の手紙によると、2021 年の時点で、必要とするのは半数未満です。
米国国勢調査局によると、25 歳以上の人の 40% 未満が学士号を持っていません。これは、就労資格のある人の過半数 (62%) が、1 つの学位要件だけでジョブプールから除外されることを意味します。
「企業は、大学の学位を必要としない役割、仕事、規律、および責任があることをようやく理解しています」と Herrera 氏は言います。「彼らは、才能ある人を惹きつけたり採用したりすることに関して、自分たちの思い通りになっていないことに気付きました。」
「彼らは、履歴書に学位しかないエントリーレベルの個人を採用するのではなく、実績のある仕事、ボランティア、およびスキルの経験を持つ候補者をターゲットにしています。」
2016年にニューカラーの雇用モデルを採用して以来、Rometty氏はフォーチュンに、IBMが学士号を取得していない従業員は、学士号を取得している従業員や高度な博士号を取得している従業員と同じくらい成功していると語った. スキルを持った学位を持たない人材を採用しても、企業のビジネスに悪影響を与えることはありません。雇用にかかる時間を節約し、多様な労働力を育成するための資産となる可能性があります。
New Collar Jobs: Why Companies Are Prioritizing Skills Over School
バリバリの学歴主義で移民もハッスルしてて新卒枠などなく席取りゲームが苛烈なアメリカですら
データサイエンティスト・データアナリスト・データエンジニアって呼ばれる職に
高等教育を受けていない人も就いている
オーバークオリフィケーション(overqualification)という概念は持って欲しいが、
(日本のオーバークオリフィケーションの割合は31%、OECD加盟国の中でオーバークオリフィケーションの割合がもっとも高い国)
日本でも研究所にいるのはフツーに理系の学部出身の院卒が多いと思います
まぁ研究開発やみんなが知っている有名プロジェクト・プロダクトに院卒どころか大卒でもない漫画みたいなgeek・ウィザードもいますけど
日本人って「人様に迷惑をかけない」ってルールが全ての道徳規律の一番上にあるけど、そういうことを考え出すとどんどん自分のチャンスを失っていく。
この増田もそうだと思う。「話しかけようかな」と思った瞬間、頭の中に「居酒屋で飲んでたらきもいおっさんに話しかけられてうざかった」って涙目のうさぎのアイコンのツイートが頭の中に浮かぶ。その下にぶら下がってる賛同のリプも浮かぶ。
それで、自分が話しかけたら間違いなく相手を不快にさせてしまうから、という理由で話しかけず終わる。
でも本来のところは、話してみなきゃ相手がどう思うかなんてわからない。意外に話が弾む可能性もある。もしめちゃくちゃ嫌そうなら、そこで会話を切り上げればいい。
話しかけなきゃ、自分が話しかけなかったことを正当化するために、「話しかけてたら絶対に相手にキモがられてたから、ここは話しかけなくて正解だった」と、キモい自分像を強化していくだけになる。それで永遠にチャンスを逃す。
ていうか正直おれは人に多少なら迷惑をかけてもいいと思ってる。好きになってストーカーするとかは論外だけど、「ここ食べ物お持ち帰りできますよ」って言ってそれで余計なおせっかいだわって思われるくらいのことはべつにいいと思う。
迷惑をかけても、その分代わりに、別のタイミング別の人に優しくしてあげればいいと思う。ちっちゃいのだとおばあちゃんに席譲るとか、部下を褒めてあげるとか、大きいのだと車内でゲロ吐いた人いたら介抱してあげるとか。他の人に優しくしたら、その優しさが回り回って迷惑かけてしまった人にもいつか届くと思う。まあちょっとスピった考えだけど。でも皆んな一回くらい他人の優しさに人生救われたことあると思う。そういう優しさが、回り回って迷惑かけた人に届くようにしてけばいいんじゃないかな。
これは、べつに女の人に話しかけるってことに限った話じゃない。みんな人の迷惑はあんまり考えすぎず、どんどん自分の人生にイベントを起こしたほうがいいと思う。イベントを増やすことは、人生の可変性を上げることだから。ただ迷惑をかけたその分、人には優しくする。
7年半を振り返ったのでメモ
WS-20エンジンも量産が始まり、中国軍の航空機エンジンの国産化はヘリなども含めてほぼ完了したと見て良さそうだ。
中国軍は、第3次台湾海峡危機の際に米海軍空母を前になす術がなかったという屈辱を糧に軍の近代化に励んできました。
今や中国軍は1996年当時とは比較にならないほど近代化されており、針ネズミのように配備されたミサイル群は、米空母でさえ迂闊に近付けば撃沈されかねない。
中国空母の直援艦は全部中華イージスになりましたね(別動で054A型はいますが)。
今や中華イージスの就役数は、055型6隻、052D型24隻、052C型6隻の36隻まで増えている。
052D型と055型は10年前には1隻も就役していなかった。
055 ×16
052D ×37
052C ×6
051C ×2
052B ×2
ソブレメンヌイ級 ×4
051B ×1
中国海軍2012年からの8年だけで以下の艦艇が進水してますからね、規格外の拡張と言って良い。
002型空母 1隻
075型強襲揚陸艦 3隻
055型駆逐艦 8隻
052D型駆逐艦 25隻
056型コルベット 72隻
渤海造船所に新設された世界最大規模の潜水艦建造施設で、初の建造中の原潜が確認されました。
存在が噂されてきた093B型、095型攻撃型原潜もしくは、096型戦略原潜である可能性が高い模様。
J-10CやJ-20もWS-10エンジンに切り替わったので中国の戦闘機エンジンの国産化は成功したと言えそうですね。
ただ、輸送機や爆撃機向けのWS-18やWS-20はまだ量産されておらず、中国軍用機のロシアからの自立はまだかかりそうです。
2000年代初頭に052B型、051C型、052C型、956EM型を2隻ずつ建造して、技術的に成熟してから大量建造に移行したというのは多少知識がある方なら知っているでしょうが、表にしてみると分かりやすいかと思います。
大連造船所で052DL型駆逐艦23番艦と055型駆逐艦6番艦が進水。
ひとつの国が1年間で駆逐艦を9隻進水させたのは1946年以来、73年ぶりです
駆逐艦工場と化している大連造船所と上海江南造船所について。1年間に最大で8隻の駆逐艦を進水させる能力があります。
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中国の空母建造地である江南造船廠と大連造船廠は、どちらもドックの拡張や新ドックの建設、建造能力の強化を図っている。これは空母および護衛艦である055型駆逐艦の量産体制の確立を目指すものと見ている
>大連ではこの拡張工事が終われば、空母二隻の平行建造、そして055型五隻の同時建造が可能になると推測している。江南造船廠では、現在建造中の003型空母のために新たな船台を建設している。
>漢和では、今後両造船所が複数空母を並行して建造する可能性を示すものとして注目している
国産エンジンを搭載したJ-10CとJ-20の生産が始まり、戦闘機のエンジンをロシアに依存していた時代がいよいよ終わると。
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>大連に到着したワリヤーグは海軍技術陣による調査を受け、主船体の状態は良好で船体の腐蝕も少なく新造船に近い状態で、今後40~50年間は問題ないと評価
>完成度は40%と判断し、建造を続行し就役させるための基礎には十分であると判断
>建造作業は2004年8月13日に着手。そこで遭遇したのは予想以上の困難であった。一つの例を挙げると、ワリヤーグの設計段階ではSu-33の制式化前だったので予定スペックに基づいた格納庫設計が為されていたことが判明した
>設計作業ではSu-33の折り畳み状態での翼幅は7.4mであるとして設計されていたがこれは実際には8.4mになっていた。Su-33の情報をもとに開発されたJ-15も折り畳み状態の翼幅は8.4mになるので、格納庫はそれに合わせた設計変更を余儀なくされた
>改装作業では、甲板や格納庫の調整、船体構造の設計合理化、失われたパイプ系統などの配置と各種方面で元々の設計の問題点があれば設計変更や換装を行っていった
>アレスティングワイヤを含む着艦拘束システムについても国内開発されたものが搭載
>全長65mに及ぶ艦橋があったが、それでも各種アンテナ、通信機器、電子戦装備を電子干渉を起こさずに搭載するには不十分
>ホイップ状の倒立アンテナを開発し、舷側の各部に配置することでこの問題を解決した。以後の空母では、中国のアンテナ集積技術の発展に伴い、アイランドの形状は簡潔化
>遼寧は2004年の再生工事着工から、8年の時間をかけて2012年9月25日に制式に部隊配備
>遼寧は、艦内のSSM用VLSを撤去して格納庫を拡大したのではないかと推測されてきましたが、最近になって面積拡大はなされていないという結論に達しています
>36機の搭載機数は6万トン級空母としては少ないと指摘されていますが、無理に搭載機を増やしてもSTOBAR式空母である遼寧ではその数を有効活用するには問題があり、36機というのが最も合理的な数字であるとなったのはよく理解できる話です
(終わり)
アメリカで空母を作れるのはニューポート・ニューズ造船所だけですが、中国は上海と大連の2ヶ所で建造可能なのですよね。
質問なんですけど中国って軍艦や大型船建造のドックがある造船所ってどれぐらいあるんでしょうか
>中国の主な造船所
>2、江南造船所(上海長興島):駆逐艦、空母、揚陸艦、通常動力型潜水艦、掃海艦など
>4、中華造船所(上海浦東):フリゲート、コルベット、揚陸艦、偵察艦、補給艦など
>5、黄埔造船所(広東広州):フリゲート、コルベット、公務船など
>6、武昌造船所(湖北武漢):コルベット、通常動力型潜水艦など
中国は8個の大型造船所を保持してて、空母建造可能造船所が2個ある・・・
やっぱ劉華清のおかげやな(造船所強化にも力を注いでたし)
中国の渤海造船所で建設されていた世界最大の原子力潜水艦建造施設はほぼ完成したようです
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/37992/1533086155/706
>大連と長興島だけで、055型6~7隻、052D/E型16隻+6を建造/建造中
>全世界に展開する米海軍に対し、中国は全艦艇を自国海域に投入できる点で有利であり、艦艇間の性能差もそこまで大きなものではなくなってきている
>空母艦隊の戦力、経験の蓄積、戦闘機や原潜の数や質、ASW能力の差などの面で、中国海軍が追い付いていない点も多い
>055型はアーレイ・バーク級を上回る戦闘力を備え、米タイコンデロガ級巡洋艦に近い立ち位置の艦。055型の増勢に対して米海軍のタイコンデロガ級は段階的に退役が進む
>今後10年以内に、大型水上戦闘艦艇の数で対米5割に達することは充分に考えられる
>11隻の空母を要する米海軍に対し、中国海軍は陸上航空機や弾道ミサイルの支援を受けることが可能な海域で対峙することになろう
>西太平洋での台湾有事など局地戦勃発に際して、台湾東岸を封鎖して、展開する米空母部隊に対峙する能力を獲得することになる。このほか、空母戦闘群を世界各地に展開し、洋上航路の安全や海域の封鎖、邦人保護や陸上施設の打撃など多様な任務に投入されることになろう。
>その際には、YJ-18巡航ミサイルの艦対地型による内陸打撃も想定される。2019年以降、水上艦艇の建造と並行して攻撃型原潜の大量建造も進められることになる。
渤海造船所に新設された世界最大の原子力潜水艦建造工場がすでに稼働しているらしい。同時に6隻が建造可能。
中国のジェットエンジンが世界水準から立ち遅れを生じた理由について、北京航空航天大学の劉大響教授の見解
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/37992/1533086155/566
>国家経済の相対的立ち遅れにより、研究開発費がはなはだしく不足していた(続く)
>開発リソースに対して、開発の規模が大きすぎ、リソースが分散し、低レベルでの重複が生じた
>管理モデルが時代遅れで、科学・民主的な政策決定機構と安定性に乏しく、権威ある中長期的な発展計画が欠けていた
>アメリカを例にとり、IHPTETやVAATEなどの予備研究に数百億ドルを投じたこと、両国の技術格差を示すものとして、F119エンジンの寿命が12,000時間に達するのに対して、WS-10は1,500時間に留まることを指摘、この差が生じる主な原因としては素材の高温環境における耐久性にあるとした
>中国のエンジン開発は、模倣―改造―自主開発と段階を経ており、2016年8月には中国航空発動機集団が成立し、「両機専項(ジェットエンジンとガスタービン事業)」が始動しており、中国の航空機エンジン開発は新段階に入った事を示す事例であるとしている
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/37992/1533086155/458
>052C型は「型號H/ZBJ-1」システムを初めて搭載。同システムは、高い自動性を有した先進的な戦場管理システムであり、この開発成功により中国は初めて「真のエリアディフェンス防空システム」を獲得(続く)
>052D型は052C型をベースに「プラットフォーム共通化、装備のモジュール化」を進め、防空能力を含む多用途性能改善を図ったタイプ。作戦システムは、先進国艦艇で採用される分散・開放式を取り入れており、高い分析処理能力を有すると共に、将来のアップグレードや新装備との統合も容易に行える
>米Link-16に相当する的「全軍綜合數據鏈系統(「聯合網路作戰系統」)」データリンクシステムを搭載しており、各軍種を超える情報連携を実現
>VLSが各種ミサイルの混載を可能とするタイプに変わったことも見逃せない
>055型駆逐艦は、抜本的に設計を改めた新型駆逐艦として開発された。これは米海軍がアーレイ・バーク級駆逐艦の改良を続けているのとは対照的
>055型の特徴は①COGAG機関の採用、②デュアルバンドフェイズド・アレイ・レーダーの採用、③統合マストの採用、④112セルのVLS搭載、にあると指摘
>055型は、中国海軍の駆逐艦能力を世界でもトップレベルに高めた画期的なものと評価。その能力や技術水準は米ズムウォルト級駆逐艦と比較しても遜色なく、優位に立つ所もあるとする。米専門家の「嘆息美國難以追趕(嘆息して、アメリカも追いかけるのは難しい)」というセリフを引用
>055型の発展潜在性は高く、今後は、統合電気推進システムの採用、電磁砲搭載などさらなる改良が施されるであろう
>055型は中国海軍の外洋化を象徴する兵器であり、台湾側への圧力はさらに増すことになり、厳重な警戒と深い分析が必要であるとまとめている
今年進水した中国海軍水上戦闘艦は駆逐艦6隻、フリゲート1隻、コルベット10隻、合計17隻。これはとんでもないペースですよ。
中国海軍は、052D型×22、055型×8の計30隻の中華イージス艦を建造しているようだ。052C型を合わせると中華イージスは36隻。
近代的な駆逐艦の総数は、052A型×2、051B型×1、現代級×2、052B型×2、051C型×2の計9隻を合わせた45隻になる。
かつて中国海軍は、2隻新型艦を建造して試験した後、さらなる新型艦2隻を建造するという工程(小歩快跑と呼ばれた)を繰り返して技術力の向上に勤め、052D型駆逐艦からようやく大量建造に踏み切りました。彼らは自分達の技術レベルを理解した上で相当先まで見据えて事を進めているんですよ。
上海江南造船所の空撮映像(別角度)。海上自衛隊が10年くらいかけて建造した数の艦を1つの造船所で同時に建造している。凄まじい光景ですね。しかも、大連など他の造船所でも大量に作っているのだから・・・。
江南造船所
・055型駆逐艦 ×3
・052D型駆逐艦 ×6
大連造船所
・055型駆逐艦 ×3
・052D型駆逐艦 ×5
002型空母 ×1
055型駆逐艦 ×6
合計 ×27
儲かることは簡単なことも多い
それもあるけど
が出来てれば、甲斐性が少しずつついてくるし、
健常者として見られると思う。
あとそれだけでなく、ルールと規律と現実主義が好きな人を心から理解できるかが大きい。
今の社会はまだ優しさだけではご飯を食べさせてもらえない社会だ。
体育会系のメンタリティに片足を突っ込んで、適度な距離を取りつつ向き合う気持ちが必要。
生きづらさ界隈とか(コミュニティによって当たり外れは大きいがw)。
分かる気がするわ。
俺の場合はこう。
俺の性格はMBTIで言うINFPに当たる。
それで、自分の語る主張はESTJやそれに似た性格の人にとっては、理解不能だったりする。
同じ日本語でも、ルールや規律を重んじる人と、慈悲や赦しを重んじる人では、違う言語で主張するようだ。
『親の知能の問題』と『学校のお勉強とテストは得意だけど一切の働くための訓練してなくてワープーや無職になる問題』はあるの見本のような回答やね
強いて言えば、国公立のオンラインと図書館オンライン化は進めるべきくらいで、ほんましょーもな
教育に社会選別以上の意味がないと思っているからこういうことが平然と書けるのでしょうけど、学歴コンプは下記を噛み締めてもろて
バリバリの学歴主義で移民もハッスルしてて新卒枠などなく席取りゲームが苛烈なアメリカですら
データサイエンティスト・データアナリスト・データエンジニアって呼ばれる職に
高等教育を受けていない人も就いている
現代社会では、国ガチャに勝利し、高値で売れる能力があるからこそ、高所得を得られる
そういう人々は、ご家庭に問題がなければ学歴を得やすい、ただ、それだけのことであり、以上でも以下でもない
だから、低学歴でも高所得者も存在し、高学歴でありながらワープーや無職の人も存在する
しかし、ご存知だろうか?世の中には、高所得者や有名企業に在籍している人々、ある界隈で有名な人々(価値があるかどうかは別として)でも、
- 低所得で学歴コンプを抱えている人たちの目には、高所得の学歴コンプがどう映っているのか気になる(興味1)
- 高所得の学歴コンプに、大卒ですら無い世界的富豪がどう映っているのかも知りたい(興味2)
研究活動を主目的としない場合、一般的には高所得を得る為に高学歴を得ようとするもんだからな
ちなみにポンコツだけどペーパーだけ得意って人もいるが、就活はクリア出来ても、ちゃんと大企業に入った後に落ちこぼれているので、
みんな落ち着くべきところにちゃんと落ち着いている感はある
ご家庭のご両親のお仕事です
それから、大学は就職予備校ではなく、大学は専門家を育成するところです
IBM のエグゼクティブ チェアである Ginni Rometty は、2016 年に「ニュー カラーの仕事」という用語を作り出しました
IBM はまた、多くの職位から教育要件を取り除くことで、新しいカラー ジョブの波を推進しました。ロメッティとチームが最初に学位よりもスキルを優先したとき、IBM の職務の 95% で 4 年制の学位が必要でした。会社の手紙によると、2021 年の時点で、必要とするのは半数未満です。
米国国勢調査局によると、25 歳以上の人の 40% 未満が学士号を持っていません。これは、就労資格のある人の過半数 (62%) が、1 つの学位要件だけでジョブプールから除外されることを意味します。
「企業は、大学の学位を必要としない役割、仕事、規律、および責任があることをようやく理解しています」と Herrera 氏は言います。「彼らは、才能ある人を惹きつけたり採用したりすることに関して、自分たちの思い通りになっていないことに気付きました。」
「彼らは、履歴書に学位しかないエントリーレベルの個人を採用するのではなく、実績のある仕事、ボランティア、およびスキルの経験を持つ候補者をターゲットにしています。」
2016年にニューカラーの雇用モデルを採用して以来、Rometty氏はフォーチュンに、IBMが学士号を取得していない従業員は、学士号を取得している従業員や高度な博士号を取得している従業員と同じくらい成功していると語った. スキルを持った学位を持たない人材を採用しても、企業のビジネスに悪影響を与えることはありません。雇用にかかる時間を節約し、多様な労働力を育成するための資産となる可能性があります。
New Collar Jobs: Why Companies Are Prioritizing Skills Over School
某市長が差別発言をしたというニュースのブコメ欄でスター集めて上位ブコメになってるブコメが市長発言以上の差別発言で凄い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsdig.tbs.co.jp/articles/-/905525
75歳に被選挙権があるのがまずおかしいんだよ。もうアップデートなんてできないんだから65歳以上は選挙権だけでいい。もっと若い人が立候補すべき。
ブコメ『75歳に被選挙権があるのはおかしい』は差別とは違う。65歳から高齢者で、それ以下が現役世代という法律もあるんだし、フルで働ける年齢って普通はそこまでという身体能力観点のコンセンサスに従った規律の話
・政治に反映されるべきでない考えを持ってる人が多い層だから、層ごとまとめてパージすべき、という主張に対して
→ 人を1人1人見ず、ある一定の基準で集団として区別して「こいつらは〇〇の傾向があるから社会のため排除・公的権利が制限されて当然、仕方ない」という考えは差別そのものです。
(例・黒人は犯罪率が高いから、黒人全体が警官から犯罪者扱いされても仕方ない、貧困層は犯罪率が高いから富裕層が多く住む地域の公共の場所の立ち入りが制限されても仕方ない、等)
→ そもそも日本では思想信条の自由が保障されていて、ある思想や信条を持っているからと言って選挙権を奪うことは許されていません。
参政権は人権の中でも生存権等に次いで高位の権利で、例外的に公職選挙法違反の前科があるもの(民主主義の侵犯者)が
一定年数に限って制限されるくらいで、殺人犯でもレイプ犯でもヘイトスピーチによる名誉棄損犯でも武力クーデーターを起こした内乱罪犯の前科者でも選挙権はフルで認められてます。
ある思想を持っていることが確認された個人の選挙権を制限することすら思想信条の自由を侵害する差別なのに、
「ある思想を持ってる率が高い集団に属しているから」というだけで、その後死ぬまでずっと被選挙権をはく奪する」なんて、ド直球の差別そのものです。
・高齢者という区切りは法律でも認められている。それは現役世代ではないという趣旨であり、それは身体能力(←思考能力のこと?)が劣るということだから被選挙権の制限は許される、という主張。
→ 違います。法律の「高齢者」だとか「後期高齢者」というのは、介護が必要になる可能性が高い年齢として社会保障上のサービスが受けられますよ等の各項別の法律上での権利を定めたもので、
権利を制限する趣旨ではないし、「現役ではない」という趣旨でもない。
そもそもブコメの「現役」というのが何を指してるのか不明だが、「定年退職せず労働している年齢」だとすると、定年退職の年齢なんて雇用主が自由に決められるもので、
70歳80歳でも「現役」で雇用して働かせてる会社もあるし、自営業で死ぬまで「現役」の方もいるし、逆に自衛隊の幹部でない士のように2~30代で定年になる職業もある。「現役」は人によりけりで、法律の高齢者の区切りは現役と何の関係もない。
そして「身体能力」により選挙権を制限することを是とするなら、高齢者だけでなく身体障碍者や精神障碍者・知的障碍者の選挙権も制限してよいことになってしまう。
・まともな人が見れば誰がどう見てもド直球の差別なのに、なぜ「差別ではない」なんて言い訳するの?
「俺たち、私たちは老人が嫌いで、老人を差別します」と堂々と宣言すりゃいいじゃん。それくらい醜い差別的な主張、ヘイトスピーチをしてるんだから。
「これは差別ではない」が認められれば通る主張だとでも思ってるの?ちっと感覚が現実離れしすぎてて引くわ…
1万歩譲って老人の選挙権(投票権)は認めたまま被選挙権(立候補権)だけ制限しても意味ないよ。
どうしても政治家になりたい若者・中年が、老人の票田を狙って老人受けする公約を掲げて立候補して、老人からの票を集めて当選して、老人の感覚を反映させた政治をしていくだけ。
そうなったら「被選挙権の制限だけでは意味がなかった、選挙権もはく奪すべき」と主張しだすんでしょ。
最初から「老人の選挙権はすべて認めない。投票所に行って投票するのも認めない」と主張したらいいのに。それが最終的な望みなんでしょ?
最初から全選挙権はく奪だと反発が強そうだから、徐々に少しずつなし崩し的に制限を拡大していこうという手法?汚いね。
最終的には「生かす必要もない社会のお荷物だから全福祉・全社会保障を受ける権利をはく奪しよう」まで言い出しそうだね。
(余談だけど、安楽死制度を主張してる人たちも目指すところは同じだよね…自分が死にたいなら自分で好きに勝手に死ねばいいだけなのに、社会的な制度として自死を認めさせて他人を巻き込みたいってのは
老人とか障碍者とか回復見込みのない病人とかの「社会のお荷物」を自ら死ぬように誘導したい、死を選ぶよう追い込みたいって意思があっての主張だよね)
他人の差別発言を糾弾するブコメ欄で、こんなド直球の差別ブコメが批判されるでもなく、無視されスルーされるでもなく、大量のスターが集まってトップ・4位ブコメになるんだから驚きだよ、はてブ。さすがだよ。
「あいつは叩いてもいいやつ」認定したらポリコレ棒を武器にして集団リンチで加害欲を満たす、っていうアンチポリコレ層が持つ偏見そのまんまの行動してて顎が外れる。
これだから「反差別を声高に叫ぶ人間は自らも差別してて信用ならん」て言われるんだよ。自覚できる?無理かな?
前前から何度も指摘されてるのに、ちっとも改善(アップデート)しないんだよね、ブクマカのこの性質。
https://anond.hatelabo.jp/20201122013307
https://anond.hatelabo.jp/20201210074954
https://anond.hatelabo.jp/20210205102112
「はてブ、相変わらず酷すぎない?」
https://anond.hatelabo.jp/20220113170251
「弱者問題で「丁寧に暮らせ」というアドバイスはありなの? 」
https://anond.hatelabo.jp/20210503143456
https://anond.hatelabo.jp/20230511153747
「普段「差別反対」「少数弱者を尊重しろ」と言ってる連中の本音、本性がこれか」
https://anond.hatelabo.jp/20230306112334
女性は「かわいそうリスト・差別しちゃダメリスト」に載ってるから、差別したやつはポリコレ棒でブッ叩く。
高齢者はリストに載ってないから、連帯責任で全員を遅れてる未開人認定して、被選挙権のはく奪という「合理的な差別」をする、と。
その自分らの差別性が全く自覚できてないし、その差別性を指摘されても「いや、これは差別ではない」と開き直る。
「私は差別と黒人が嫌いだ」を地でいってるんだよね。そしてその自覚がない、指摘されても自覚(改善)を拒む。終わってる。
老人よりも、この手の「合理的な差別排除」を主張する連中こそ「選挙権をはく奪するという合理的な扱い」をしたほうが世の中のためになるんじゃない?(皮肉)
子無しに被選挙権があるのがまずおかしいんだよ。自分が死んだ後を想像できないんだから子無しは選挙権だけでいい。もっと次世代に貢献できる人が立候補すべき。/ まあ古代ローマは実際こうだったけどな
このブコメは皮肉が効いてていいね。「老人の被選挙権なくせ」より理屈が立ってるし、「老人の被選挙権なくせ」にスターつけてる連中の多くに刺さりそうだし。
日本の教育は画一的で、横並びの軍事教育のようだと聞くことがある
そのせいで個性が潰され、生きづらさを感じる子がいて突出した天才が生まれにくい とか
この辺がそもそも客観的事実なのか という議論はあるが、まぁ感覚的にはたしかにそうだ とも思う
学校は平均的に色んなパラメータを伸ばそうとするから、そつなくこなせる子 以外は辛い部分もあるだろう
リソースが限られている以上、今まで平均的にやっていた何か を削って個性を伸ばす時間にあてるんだろうか
画一的な教育は天才を生みづらいが、苦手なものを放置しないので結果的に落ちこぼれ救済になっているんじゃないか
まぁここも、苦手なら伸ばさなくてよくね?という議論もあると思うが
日本経済的には個性を伸ばす方がメリットあると思うけど、アメリカのような格差社会に近づく気もする
あと、規律を重んじるまるで軍事的な教育は、日本の治安の良さにも結構寄与してるんじゃないか と思うこともある
知らんけど
として、標準的経済学では(他の条件を一定とした時に)以下のように考えるのではないだろうか。
重要なのはこの"const"という部分で、一定の値を取ることを意味する。つまり、aが増加すればxは減少する。
である。この場合、aは減少も増加もしないので、xを増やせば増やすだけyが増加することになる。
これでMMT信者が言いたいことが大体分かってくる。以下は、標準的な考えからMMTを批判するとどうなるのかというのを書く。
MMT(現代貨幣理論)は、政府が貨幣供給を増やすことで経済全体の価値を増やすことが可能であると主張する。しかし、この理論にはいくつかの問題点がある。
まず、インフレーションのリスクである。MMTは、貨幣供給を増やすことで経済活動を刺激すると主張している。しかし、貨幣供給が増えると、通常は物価が上昇する傾向がある。つまり、インフレーションのリスクが高まる。これは、貨幣の価値が下がり、生活費が上昇するという結果をもたらす。
次に財政規律の欠如である。MMTは、政府が無制限に貨幣を発行できるという考え方を推奨している。しかし、これは財政規律を欠く可能性があり、長期的には経済の安定性を損なう。
外国為替レートへの影響も懸念される。国が大量の貨幣を発行すると、その国の通貨の価値が他国の通貨に対して下落する。これは、輸入費用の増加や投資の流出を引き起こす。