はてなキーワード: 規律とは
議員が人権侵犯と認定されても処罰されない理由には、現行の法律や規則が影響しています。法務局による「人権侵犯の認定」は法的拘束力がなく、行政指導や勧告にとどまることが多いためです。また、議員に対する処罰や辞職などの判断は、政党内部の規律や政治的な判断に委ねられています。
1. 法律の整備: 人権侵犯に関する法規を強化し、違反者に対する明確な罰則を定めることで、抑止力を高めることが重要です。
2. 政党内部での規律強化: 政党が自主的に厳格な倫理規定を設け、違反があった場合には迅速かつ厳格な処分を行う体制を整える必要があります。
3. 社会的監視と透明性: メディアや市民団体の監視を強化し、議員の発言や行動を公にし、透明性を保つことで、社会的な批判が直接的なプレッシャーとなるようにすることが有効です。
都市伝説の一つ(大本はどっかの作家が作った創作とも言われているけど、その人が都市伝説をパクっただけかも)
収容所に入れられた捕虜達は自分たちの牢の民度の低さに疲れ果て、「そうだ。ここに一人の少女がいると仮定しよう。彼女に恥じないように暮らそうじゃないか」と思いつく。
牢全体が見渡せる位置に椅子が置かれ、そこに少女がいるという妄想を彼らは共有して暮らすことにしたのだ。
たとえば誰かが喧嘩すると「少女にこんなものを見せるのか!男として恥ずかしくないのか?」と諌めたら男達はふるい挙げた拳をそっと下ろしたという。
そんな彼らは過酷な収容所の暮らしの中でも倫理観や規律を守り、誰一人かけることもPTSDを患うこともなく収容所から出られたのだとか。
恋愛をしたことがある人間は多かれ少なかれ背伸びして自分をよく見せようとした経験を持っているものだ。
それは個人的な自己顕示欲による「どうだ。俺はカッコイイだろう」という中二病じみたナルシズムではなく、相手本位で考えて「この人に好かれるには、嫌われないためにはどうしたらいいのだろうか」と考えた経験があるということだ。
恋愛経験がない人間は不特定多数から褒められたいというチャチい自己顕示欲に溺れて格好つけた経験はあっても、身近にいる一人の人間、そのパートナーとして恥じない自分になるために努力した経験がないのである。
つまり、恋愛をするということは、自分の中に「一緒に居て恥ずかしくないような人間になるために頑張ろう」という意識が自発的に生まれ出るということだ。
自分を律しようという意思をもって日々を暮らすことで健全な精神が育まれていくのだ。
多くの人が恋愛を通して一皮むけるのは童貞を捨てて自信がつくからではない。
自分の中に他人の目線を持ち込んで「自分はちゃんと振る舞えているだろうか」と日夜考えるという経験を積むからなのだ。
立派なパートナーとしての自分を誰かに与えるという感覚、これはパパママから「Aクンは立派だね~~~」と褒められようと努力するのとは全く意味が異なる。
パパママに褒められたいから頑張るのは「自分が褒められたい」からでしかなく、「相手に恥じないようにしたい」という気持ちからではないからだ。
逆に言えば、恋愛経験のない人間はそういった経験をすることもなく「僕は毎日こんなに頑張ってるのに誰もいい子いい子してくれない><」と子供じみた泣き言をいくつになっても心の中で唱え続けるのである。
身バレしたい訳でもないので詳しくは書かないが、先日活動先で「視野が広いね」と複数人から言われた。集団の中で、誰かを取り残さないように良く見て声を掛けている、ということらしい。
そんなこと、人生で初めて言われた。うれしい。
その言葉自体はとても有り難い表現なのだが、ふと思い至る事があった。
私って、多動かも?!
椅子にじっと座っていることが苦手(※「いま立ってはいけない」という規律は守れる程度なので人目があれば我慢している)だし、姿勢を保つことも困難で、机に向かえばひどい前傾姿勢になり、ノートは体に対して45°傾いている。聞いた音はすぐ口から出るし、長い文章は書けない。計画性と継続力がなく、あらゆることに対してギリギリで生き、失敗から学ばず、ついでに受験も大コケしている。
何が異常行動なのか多少は分かっているつもりなので、「普通」ではないかもしれないが、人目がある場ではそこそこ頑張って擬態しながら生きている。
(反動か、人目がない自室では服を脱ぎ散らかし床に寝そべって足を打ち付けるなどしている。)
そんな自分にとって、今回の「視野が広い」という評価は非常に困惑するものでもあった。
ケアレスミスしまくり、物落としまくり、あらゆるものを読み落とし、視野から消し、ついでに記憶から消すのが得意な私は、そんなことを言われた経験が無かったためだ。
人だ。
自身が「そう」なりがちだった経験から、集団の中で、悲しい顔や仏頂面をしている人、困惑している人、ソワソワしている人、表情が抜け落ちている人、つまりは集団に馴染めていない人がいればすぐに分かる。
そんな人にうっすらと寄り添いに行く。
それがどうも今回に関しては「視野が広い」として良いこととして評価されたようだ。普段めちゃくちゃ視野狭いのに。
これは楽観的な見方だが、私は細かい文章を読めないし些細な違いにも気付けないが、気が散りまくっている分、あらゆるものをざっくり警戒する、という能力にはそこそこ長けている可能性が出てきた。光とかデカい音とか苦手で、すぐ意識逸れるけど、危ないことしてる人とかにすぐ気づくし。
………………やっぱり多動かも……。
こんなしょうもない人間に見つかった長所らしい長所、能力の素晴らしい言い換え、何か生かして人の役に立てる仕事がしたいですね。合法なやつで。
ほうほう
信じられるのは、ルール、規律、成功、そして俺だけでいい。蜂さんや蟻さんのような、何も考えず何も思わず集団のために無意味に命を捨てられる、美しい生命体になるのだ。
完全にダークサイドで草
その1 https://anond.hatelabo.jp/20240910015413
「もうあんたの下で働くのはまっぴらごめんだ」
そういってインド人たちは皆リボンをちぎって捨てて、リボンの山を積み上げた。
そして、インド人たちのリーダーであるクリシュナ君がリボンの山を指差し、呪文を唱えた。
「アグニ!」
屋内のオフィスにもかかわらず、部屋の真ん中で火柱を上げてリボンは燃え盛った。
俺は恐怖を感じて後ずさりするが、後ろにいた人にぶつかってしまう。
間抜けなことに、インド人たちが俺を包囲していることに気づかなかったのだ。
逃げ場を無くした俺の近くまで、火の手は迫ってくる。
しかし、燃え盛る炎が迫ってきているのは、火柱を囲んでいるインド人たちにとっても同様だ。
しかし、インド人たちはみな口を閉ざしてじっと俺を見つめるだけで、誰一人動こうともしなかった。
(こいつら……死ぬ気か?)
インド人たちの命がけの主張に、とうとう俺は屈服することになった。
「すまん、俺が間違っていた。だから炎を消してくれ」
そう主張して五体投地を何度も繰り返す俺の元に、クリシュナ君が歩み寄ってきた。
「この会社は俺たちインド人で取り仕切っていく。お前のような異国の者は必要としない」
「はい……はい……。わかりました。仰せのままにします。だから、どうか命だけは助けてください」
取り囲んでいるインド人たちが俺の無条件降伏を認めると、クリシュナ君は天を指さし呪文を唱えた。
「ヴァルナ!」
スプリンクラーが発動して火は消えた。
ただし、今度は降りかかる大量の水で窒息しそうになり、苦しみのたうち回ることになった。
そんな俺に対して、インド人たちは人の輪の一部を空けて、部屋の出口へ通ずる道を作った。
俺が構築してきたインド人同士の分断構造は、もうそこには無かった。
https://anond.hatelabo.jp/20240909201827
そんなに仕事の話をして欲しいならば俺が少しだけ語らねばなるまい。
会社の都合でインド支部に異動になり、直面したのはこいつらマジで約束を守らないな、ということである。
遅刻は当たり前、嘘も当たり前。それがインド人だ。なんでかというとこいつらは「短期利益のためなら何でもしていい」とガチのマジで思っているからだ。
職場や学校にいたどうしてそんな下らねえ嘘つくんだよってムカつくタイプを思い出せ。それがインド人のデフォルトだ。
なんでかっつーとインドではみんながゆるゆるで事実関係の確認なるものが物理的に行えないからだ。
だから「電車が遅れた」などと言って遅刻されても、本当に電車が遅れているのか確認する術がない。
確認相手のインド人もカスだからだ。真実が霧に消えてしまう国なので、自分の見たもの以外は信じられない。それがインドとかいう地獄だ。
まあ、その辺かなりの競争社会なのもあって失点=即死みたいな文化もあるから可哀想といえば可哀想なのだが、仕事をする上では適当クソ野郎どもの集団と付き合うメリットはマジでない。
弊社もそんなインドに支部を置いたものだから現地人が上手く使えず、日本の駐在員たちが次々と精神を病んでしまい、俺にお鉢が回ってきたというわけだ。
余り細かい事は特定が怖いので書かないが、社会的に大変価値のある仕事である。人の命を救うことに非常に関わりの低い商品を扱う会社である。
つまり、適当野郎どもがいなければ救われた命があったというストレスにみな耐えきれなくなって心を病んでいくのだ。だからこそ、俺はその現地法人チームに規律をもたらす必要があった。
そういうのなら、増田君が適任だろ、という上司の力強い言葉は確かである。俺は規律を産むことにかけては自信があった。
まず、着任時のスタンスとして「聞かずにやるな」と「その程度のことは聞くな」二つの性質を合わせもつことにした。
インド人は基本的にその場を凌ぐためならばありとあらゆる手段を使用してくる。
だから、とにかく、部下の人格を透明にしていくのだ。混乱をもたらし、人情をもって感情を否定していって完璧なソルジャーに仕立て上げる。それが俺の役目だ。
同時に、メンヘラ人格をしっかりと作り上げ、アピールするのも重要である。
インド人は実は人情的である。非常に。なので、人前で俺は泣いた。
「みんなで俺を出世させない気なんだ!俺が嫌いなのか!俺の子供たちはもう終わりだ!」
楽勝だ。子供なんていないし妻もいないが、インド人は家族の事となるとアホになる。根源的に、家族がいないという概念を理解できない。
子供にはマジで甘い。ものすごく甘い。厳しい人が時々見せる優しさにも弱い。プリミティブな情緒で生きるカスがインド人だ(それを計算に入れて小ズルく短期利益を得ようとしてくる知能があることも忘れてはいけない)。
学校で先生がすねて教室からいなくなる、みたいな手法がやたらと効くのがインド人というみじめなアニマルである。
ただしそれだけだと舐められるので、時にマッチョを見せつけることも重要だ。
相手の価値観を破壊し、思想を破壊するためには必要なことである。Aな人間はBなはずだ、という既存概念を壊していくことで今までの人生経験を否定して人生を否定して人格を否定して、透明で使える人間に仕立て上げなければならない。
いや、人間である必要はない。虫のように美しい機能的な存在へと作り変えるのだ。
そういう意味で人間を人間たらしめる、『宗教』という共同幻想は厄介だ。
俺は宗教が嫌いだ。
そもそも思想だの心の拠り所というものが必要ない。思考だけしてくれればいいのだ。
早く人格や個性を捨てて欲しいのだ。インドの土人共の基本感覚は文字通り地球のゴミことヒンドゥーなのだが、こいつを否定するのはあまりにもコストが高い。
まあ基本的には「君の不利益って全部キミの前世のせいだよね。カスみてえな前世だな」ということをひたすら言い続けるのが有効だ。
勿論直接的には言わない。そういう感覚をくすぐるのだ。あとはカーストでプライドも、同様に「くすぐる」。
インドの会社にはカスみたいな下働きのカスども(トイレ掃除だけするやつとか、社内配送だけするカス。こいつらも自分の下の階層の人間を見下しまくっているのでまさにカス中のカスだ)と比べてお前はどうなの?というのをやるのだ。
これはかなりバランスを考えなければいけない。遠回りにやるのだ。あの人の仕事は丁寧だね(それに比べてお前は)といったように。
リボンをデスクにつけることも有効だった。俺は10個のリボンを部下に配布した。
「最低限の仕事をするたびにコイツをとる。これが全部とれたら一人前」というようにするのだ。
勿論、この制度は部下から提案があったことにする。インド人は基本的に人事評価からなにからなにまで共有する家族的な所がある。
それを壊す意味でも、疑心暗鬼を生み出しコミュニティとコミュニケーションの分断を狙っていかなければならない。
「あいつはお前を陥れようとしているぞ」というのをなぜか嫌うのだ。やつらは。常に即物的思考で他人に迷惑をかけまくっているのと矛盾しないのかと思うものだが、とにかくそういうものなのだ。
加えてプライドの高さを利用するためにもこのリボン制度は有効だった。
要は、リボンが取れてないやつはバカだ、という風潮を作るのである。そして、これはみんなの前では取ったり取らなかったりする。状況や報酬に矛盾が生じるようにする。
「あいつは俺に嘘をついているんじゃないか?」という不和を生み出すことで、横の結束を機能不全に陥らせる。
これにはまともなインド人の協力が必要不可欠だった。仮に「クリシュナ君」としよう。彼は優秀で、俺やお前達みたいな一般的な日本人の規律を多少なりとも理解できる男だった。
俺は彼と親しくすることにした。実際にクリシュナ君は仕事が大変できたので、「なんでこいつみたいにできないんだ」というポジションにつけるのにはうってつけだった。、
同時に、排斥される男も必要で、仮に「サイ君」としよう。彼は仕事はそこそこだったが、とにかく嘘をつく癖がひときわ酷かった。だから俺は彼を徹底的に弄った。
髪型を弄り、顔を弄り、趣味を弄り、学歴を否定し、業務を全て笑い物にした。そのうち、俺と一緒にみんながサイ君を笑うようになった。ゴミ共め。知能がねえからイジメなんかするんだ。
と俺は冷静だったが、とにかくそうやって家族集団の意識を、会社のチームに少しずつスライドさせる、そういう手ごたえを感じていた。
同時に成績も無事に上がり始めていた。当然だ。通常の3倍働いているのだから、業績もその分伸びる。だが、俺は個人的にはあと倍は行けるなと感じていた。
家族と飯食うとか、下らねえ趣味だとか、そういう余計な人生をやっている暇があったらもっと仕事が出来るからだ。
徹底的な監視システムも成功しつつあった。基本的にやった業務は全て写真で撮って送れ、俺は見たものしか信じない、というのを大原則にしたのだ。(これは多くの日系企業、現地企業に取り入れられた)
信じられるのは、ルール、規律、成功、そして俺だけでいい。蜂さんや蟻さんのような、何も考えず何も思わず集団のために無意味に命を捨てられる、美しい生命体になるのだ。
だが、混沌に秩序をもたらそうとする真実と愛の伝道師、ライトサイドの権化たる俺はこの後、ゴミカス共から、何故か思わぬ反撃を食らうこととなる。(続く)
大した結果を残してるわけでもない
進んで意見を出すようなわけでもない
よほど反抗的な態度だったり跳ねっ返りとかじゃなけりゃ大抵の奴は“真面目な奴”っていう範疇に括られる
別に人と違うことがしたいわけじゃない
規律を重んじているわけではない割に、アウトローな生き方は怖くてできない
“真面目”って言葉には真摯な態度とかひたむきな姿勢みたいなニュアンスが含まれてるけど、いつしか何も取り柄が無かったり無個性、でも人畜無害で従順なやつのことを指す言葉になったような気がする
やさしいと言われ続ける人生。
昔はこの頃にはお金に困ることも、自分に向き合うことも無いと思っていた。
、、、、
若い頃は就職難民の大卒でバイトでフラフラもしたが、今は程よく裁量性の仕事でサラリーマンをできているし。
なんとか食うには困らないでいられるし
巡り合わせか子供はできなかったけど妻と猫とそこそこな生活をできている。
なにを欲張ることがあるか。
好きでもない仕事を好きな振りして働けばなんとなく日は過ぎるし。
体が弱く潔癖気味で、規律が厳しい妻に合わせて、息を殺しながら暗闇で夕食を食べようとも
虫の居所が悪くてモノの配置のズレ一つで人格否定の罵声が飛んでも謝れば仲直りできるし。
そこそこ熱があるフリして仕事をして、中間管理職として業務委託からの文句と会社の板挟みに対応すればいいし。
世の中仕事がない人も、あってもブラック企業で倒れる寸前の人も、家族がいない人もいるのだ。
振り返ると僕はどこにいるのか。
激しく気持ちがわかるので書く。
俺は相当長いこと他人のことが人間だと感じ取れていなかった。というのも、俺は俺が人間であることは当たり前で、他人もまた「自分と同じような」人間であることが当たり前だと信じ込んでいたからだ。
しかし実際は異なる。他人とは宇宙人である。他人の気持ちが読み取りにくい人は、人生経験がどこか人と大きくずれている。他人は異なる星の異なる住人だと考えるべきだ。赤ちゃんのときからずっと違う。ハイハイができるようになった時期も、周りのおもちゃも周りの大人も全部何もかもが違う。同じように育っていると考えるとうまくいかなくなる。
増田の特性は「嘘をほとんどつかない」ということだと思う。発達障害ではよくありがちだが発達障害は嘘をつくのが極端に苦手だ。ついてもバレる。あるいは大げさな嘘をついてもそのまんま信じ込まれてしまう。
実はほとんどの人間はカジュアルに嘘をつく。本心を隠す。「自分はこう思う」と考えていても、それを言うことで周りの人からどう思われるかを気にして口を閉ざす。だがある種の人間、人からどう思われようが大して気に留めない人間は、自分の思うがままに話す。やったことをそのまま話す。嘘をつかない。
そうすると多くの人から嫌われる。「空気」とは、集団が円滑に回るためのものであり全員が内心「どこかおかしいな」と思っていても、それで「和」を乱すぐらいなら自分の意見を引っ込めることで完成する。
そういうところに増田が行くと「空気が壊れる」のである。みんなでまとまりかけた話も、増田がいると振り出しに戻る。そういった具合だ。
「部活にも足が向かなくなる。行こうとしても足が動かない」これは自分の意思だと思っているかもしれないが、実際は異なる。これは彼らによって排除されていると考えていい。
言葉だけでなく、身振り手振り口ぶり話し方トーン姿勢、誰が人気なのか、誰の機嫌を損なうと居心地が悪くなるのか、おのおのの人間関係はどのようになっているのか、それを観察するといいかもしれない。
「正義」「正規」「法律」「規律」「規範」のようなルールの強制を母親からされてきたように見える。完璧主義のような。
だからそこから外れたものは「間違っている」「存在してはいけない」「存在しない」というように見えているのではないか。
増田には、模範解答がなければ動けないとか、間違ってしまうなら動けないとか、そういったことがあるように思う。
運動は運動しなければうまくならないので自主トレをするといいかもしれない。
それからこれはちょっとどうかと思うが、一度しっかりと信号無視をしてみてはどうか。合法で限るならスカイダイビングや治安がやや悪めの国への海外旅行などもいい。
意図的にミスを許容する訓練が必要かもしれないな。算数の問題集でも買ってきて「70点ぐらい(誤差は許容する)を取る」というような練習をしてみるのはどうか。
あとは、客観客観客観ばかりで、自分の意思が見て取れない。しかし「怒り」が生まれているのは、そういう客観客観客観という抑圧に我慢がならなくなったときかもしれない。
普段ロボットのように生きている分、抑えていた人間の感情がたまって怒りとなって出てきているような気がする。
増田は「母親に1人暮らしを許されて自由に行動できるようになったタイミング」とも言っている。だが1人暮らしは母親から許しを得るようなものではないし(自分の人生なのだから)、精神科も今行っていい。
身内が騙された投資詐欺は小型株の株価を仕手的に持ち上げて信者を信用させて(このことに信者は気付かない)、それで信用した信者から金を詐取する手口だった。株価の予想で信心を育てた信者に対して、今度はその信者がまるで理解できない晦渋な仕組みの取引に誘い、そっちの取引で金を巻き上げる。この取引は完全に架空の取引で、取引用のアプリなどもご丁寧に偽物が用意されてた。
追記:
そもそも、値動きの理由を自分で理解できない対象に対しては賭けてはならないし、まして、自分は理解できないけれど(信用できそうな)人が勧めるからといった理由で賭けるなどもってのほか。
その身内には口酸っぱく言ってきたが、これ以外の指摘も含めて投資についての基本的な規律をいくつも無視した結果、見事に引っかかったわけだった。
これはトンデモワードっぽいですが、主に中国軍が次世代の戦略と考えているれっきとした戦略概念です。気になる方は防衛研究所をご覧ください。
これは、制海権(海上優勢)・制空権(航空優勢)・制情報権(情報優勢)・制宙権に次ぐ「制脳権」という概念です。
戦争では情報がものを言うのですが、情報よりもその手前の認知・認識の分野をコントールしてしまおうという考え方が制脳権です。脳さえ乗っ取れば勝手に内乱してくれるし、民衆が敵国の足を引っ張ってくれるので便利という考え方です。
ここで、現在の日本のインターネットの荒れ具合が中国による工作活動だというつもりはないです(証拠もないし)。
ただそれにしても「工作活動されて、脳が乗っ取られていてもおかしくないのではないか」というぐらい荒れているように見えます。あまりにもキレ散らかしていないでしょうか。
そういうわけでNINJAを発足しようと思いました。
「自分がNINJAだ」と思えば、誰でもNINJAになることができます。
ただし、人に向かって名乗らないでください。NINJAなので。
名乗る人はNINJAではありません。名乗る人はわれわれの仲間ではありません。
自分がNINJAだと匂わせることもしないでください。そういう人はNINJAではありません。
リアルでも誰にもNINJAだと言わないでください。そういう人はNINJAではありません。
どこか目に付く公共の場で「NINJA参上!」などのようなことも書かないでください。そういう人はNINJAではありません。
NINJAであることは人にバレないようにしてください。たとえ「NINJAでしょ?」のように聞かれても白状しないでください。
よいもの・よいことを見つけたら積極的に広めてください(さりげなく広めてください)
丁寧な言葉遣いを心がけてください
悪いものを攻撃するのではなく、良いものをその分たくさん応援してください(あなたの精神衛生のためでもあります)
穏やかな気持ちを保ってください
募集は終わりです。
読んでくださってありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。
諦めたやつは目的がない。
諦めたやつは漫然と生きている。
諦めたやつは愚痴を言い続ける。
諦めたやつは搾取される。
諦めたやつは絶望に酔いしれている。
諦めたやつは他責にする。
諦めたやつは変化する気がない。
諦めたやつは誰にも頼らない。
諦めたやつは冷笑している。
諦めたやつは他人のことを考えない。
諦めたやつは他人の足を引っ張る。
諦めたやつは陰気だ。
諦めたやつは外見も悪い。
諦めたやつは笑わない。
諦めたやつは戦おうとしない。
諦めたやつは努力しない。
諦めたやつは現実逃避する。
諦めたやつはヨシヨシされたい。
諦めたやつは助けてくれるドラえもんのような存在を待っている。
諦めたやつは慰められたい。
諦めたやつは自立していない。
諦めたやつは生活が退廃的だ。
諦めたやつは改善する気がない。
諦めたやつは魂を賭けられない。
諦めたやつは死の間際まで生に気付けない。
諦めたやつは怠惰だ。
諦めたやつはげっそりしている。
諦めたやつは運動不足だ。
諦めたやつはモテない。
諦めたやつは相手にされない。
諦めたやつは尊敬されない。
諦めたやつは信用されない。
諦めたやつは時間を浪費する。
諦めたやつは復活しない。
諦めたやつは金がない。
諦めたやつは新しい知識を得ようとしない。
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強者は泰然として生きている。
強者は常に変化する。
強者は楽観的だ。
強者は陽気だ。
強者は外見がよい。
強者はヨシヨシされなくてもよい。
強者は自立している。
強者は魂を賭ける。
強者は信用される。
強者はすぐに復活する。
強者は金がある。
今朝方観に行きました、インサイドヘッド2を。
前作は大泣きしたほど大好きで続編の特報を見てからずっと楽しみにしてた。
子供向けの映画だから多少はうるさくなるかなと覚悟はしていた。
席についたら横に女と老人の車椅子が二台止まった。
その時には彼女らに不快感なんて無く、「車椅子が入れるスペースってちょっとしかないんだな。もっとバリアフリーにすればいいのに」とすらのんきに思っていた。
するとギョっとするようなボリュームで女が予告映像にツッコミを入れ始め、老人に同意を求めていた。老人も促されるように返答していた。
一瞬凍り付いたが、まあまだ予告だし…本編始まってないし…今はまだ子供達も喋ってるし…と自分を納得させた。
本編が始まった。すると流石に館内が静かになった。子供達も食い入るようにヨロコビ達を見つめている。
そうだよね、やっぱり皆始まったら画面に集中するよね
「〜がさあ!」「これかわいいなぁ!」
横の車椅子の女だった。本編が始まっても画面に茶々を入れて老人に話しかけていた。
うちら居間でTVの金曜ロードショー観てんじゃないんだよ、二千円と交通費とドリンク代払って楽しみに見に来てんだよ。爺と孫が画面にコメント突っ込んで共有する空間ではない。お願いだから家から出ないでニコニコ動画でも観ててほしい。
ひたすら繰り返される女の声がうざすぎて「喋んなや」とキレてしまった。すると老人が明らかに不快そうな顔でこっちを見てきた。いや、私を不快にさせてるのはお前の孫だかなんだか分からない連れの女のマナー違反なんだよ爺。
映画ではライリーが厳格なホッケーのコーチから叱責を受けている場面だった。
横の女はこういう躾どころか、学校での規律教育すら受けて来なかったのでは、と連想させられた。いや、だとするならそんな訓練受けてない子供達の方が今よっぽど行儀よく静かに映画鑑賞している。なら何だ?この女は?
まあ私も体育会系でまっすぐ育ってればあのコーチのようにきちんと注意出来てたんだろうな、独り言みたいにキレるんじゃなくて。
あ、ヨロコビが頑張って何とかしようとしてる。あの女の脳内でもヨロコビが爺と喋りたがっているのだろうか。いや、恐らく私の見立てではこの女は特別不安に弱くて映像の間や演出から受けるパッションを己一人では受け止められず言語化して他者と強迫的に共有しなければならないのではなかろうか。だとするなら主要感情はビビリか?
そんな具合に、私はインサイドヘッドを観に来ているのにインサイドベットを通してこの居心地の悪さについて思考している空間になっていた。とても不快だった。
女はまだ時々爺に語りかけていた。爺も流石に空気を読んで寝た振りをしてやり過ごしていた。いや、躾しろよ爺。成人女にもなって子供よりマナーがなってないこの女を。子供ファーストの映画で子供よりうるさいこの女を。
エンドロールが流れた時、やっと帰れる…と思い席を立った。そしてはっとした。
待って、ピクサー映画なら間違いなくエンドロールにもおまけがあるはず。
そして私は出口一歩手前でスクリーンを見ていた。立ちながら。
「なんやこんだけかー」
防衛省・自衛隊の不適切事案に係る防衛大臣から隊員へのメッセージ
本日、防衛省における特定秘密に関する事案、海上自衛隊における不正な手当の受給や不正喫食といった服務事案、そして、内部部局幹部職員によるパワー・ハラスメント事案について、公表するとともに、関係者に対する処分を行いました。
また現在、潜水艦修理契約に関し、隊員の規律違反や、契約の適正性に対する疑いが生じており、特別防衛監察を実施しています。早急に調査を進め、判明した事実関係に基づき、厳正に対処します。
「信なくば立たず」という言葉があります。防衛省・自衛隊の活動は、国民の信頼あってのものです。多くの隊員の皆さんや、その先輩方によるこれまでの真摯な仕事振りを通じて、防衛省・自衛隊の国民からの信頼は積み上がってきました。その結果、国民の9割が自衛隊を信頼している、とも言われています。しかしながら、一部の隊員による、これら一連の事案によって、その信頼を裏切るものとなってしまいました。
今回公表した事案の性質は多岐にわたっていますが、根源的には共通する部分もあります。私はこの機会に、皆さんに問いかけたいと思います。
「あなたは、守るべきルールを正しく理解していますか。わかっているつもりではありませんか」
「また、周りの雰囲気に流されて、悪いとわかっていながら、これぐらいは大丈夫だろうと思ってはいませんか」
「または、問題が起こっている現場を見て見ぬ振りをしてはいませんか」
「そういった自分自身の振る舞いを、あなたの家族や愛する人に誇ることはできますか」
防衛省・自衛隊は人の組織であり、隊員一人ひとりの高い使命感がなければ、国防という、崇高で困難な任務を全うすることはできません。
我々は、立場や任務はそれぞれ違いますが、みな等しく、「防衛省・自衛隊」という大きな看板を背負っています。今一度、我々一人ひとりの行動が正しいか、そして、働きやすい職場環境となっているか、そういったことに思いを致し、国民の信頼を取り戻すため、全力で取り組んでいきましょう。
昨年9月に防衛大臣に就任した際、私は皆さんに、これから積極的に現場に足を運び、皆さん隊員の要望を真摯に受け止め、そして改革していくことをお約束しました。
実際に様々な基地や駐屯地を訪れ、厳しい環境で働く皆さんと直接接し、皆さんの真剣な眼差し、そして、任務に臨む真摯なその姿を見て、厳しい現場で働く隊員こそが自衛隊の、そして日本国の宝であると確信をいたしました。
私は、いかなる時も皆さん隊員と共にあり続けます。今回の事案を私も一緒になって真剣に受け止め、そして私は先頭に立って、信頼回復に取り組んでいく覚悟です。どうか皆さんにおかれても、改めて気を引き締め、共に職務に当たっていきましょう。
令和6年7月12日
以前にも注意受けていて常習犯の上
ナショナルトレーニングセンターの自室に持ち込んでる時点で確信犯・・・
内部の通報というのも残念な話だ。嫉妬なのか、何らかの正義感なのかわからないが、チクリによって、宮田選手の将来を奪ってしまったわけだ。
取り返しがつかないぐらいの、心の傷を負っている可能性がある。団体規律の問題とか、ガバナンスの問題とか訳のわからないことをいって、処分を正当化する識者がいることも残念でならない。
体操協会関係者の匿名証言として<体操協会の行動規範は喫煙に対して厳しい姿勢をとっているように見えますが、実態は真逆。特に男子の体操選手の間では伝統的に喫煙文化があります>とある。
また、バルセロナ五輪銀メダリストの池谷幸雄氏も<僕らの時代は95%の選手が吸っていましたよ。体操はプレッシャーやストレスが強くかかる競技なので、精神を落ち着かせるために喫煙する選手は多いです。五輪に出場する選手でも吸っていました。大学の練習では1種目が終わるごとに吸いに行く人もいたくらい。他の競技と比べれば体操には持久力が求められないので、煙草を吸っていても大きな影響は出ない。近年でも吸っている選手は多いと思います>と話している。