はてなキーワード: 大凡とは
若い頃はそのことに気が付きにくい。身の回りに「学び」が溢れているし、なんなら強制されている。だから気が付きにくい。
大凡のエンターテイメントコンテンツはハイティーン向けに作られているので、歳を重ねると、当たり前だけど消費ターゲットから外れる。
あんなに楽しかった、アニメ、漫画、ゲームが楽しめなくなる。「変わっちまったな」なんて、違う違う、あっちが変わったんじゃなくて、こっちが歳をとってターゲットから外れたのよ。
だいたいのことは既に見てきてるし、経験しているし、すでに知っている。なので、歳をとると、「学び」が面白い。「未知」があるとワクワクする。
そこで、高校数学や地理を勉強しなおしたら、これがまぁ!面白いのよ。「なるほど!」や「そっかぁ!」が溢れてる。
いい時代になったよ、ほんと。
まず、消費税は
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=363AC0000000108
消費税の収入については、地方交付税法(昭和二十五年法律第二百十一号)に定めるところによるほか、毎年度、制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする。
(これらの予算のための国債の支払いにも使われているので国債の償還にも使われているのでそこを勘違いしてよくそれ以外にも使ってるじゃないか!という人がいるけどまぁ気にすんな)
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/d05.htm
詳細は上でも見てみてくれ
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-09-07.html
推移がこれで
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21509.html
でまぁ、消費税って非現役世代にも社会保障負担をさせられるっていう意味があるんだけど、それは分かる?消費税は社会保障に使われてるからね。
消費税を減税したらどうなると思う?公費負担維持するのに国債の発行を増やすのはまぁありえそうだね、その上で足りないなら社会保険料上げるしかなくなるよね?
どっちがいい?消費税減税して社保上がるのと消費税を現状でどうにか維持しつつ社保も挙げないようにバランスとる戦略とるのと。
(最近あった65歳以上の高齢者の社会保険料負担させるっていう議論もバランスとる戦略の一環)
でさ、社会保険料を考えてみるとね
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/~/media/Files/shared/hokenryouritu/r4/ippan/r40213tokyo.pdf
まずは健保、若者によくいそうな17等級195,000 ~ 210,000で全額が19,620円、労使折半で9,810円
これが18等級210,000 ~ 230,000になると全額21,582円、労使折半10,791円になる
https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/hokenryo/ryogaku/ryogakuhyo/20200825.files/R05ryogaku.pdf
14等級195,000 ~ 210,000で全額36,600円、労使折半18,300円
15等級210,000 ~ 230,000になると全額40,260円、労使折半20,130円
賞与については千円未満切り捨て年金も健保もかかるのでまぁ額が増えれば負担額も増える
なのでまぁ2万円一気に昇給すると仮定した場合に会社の負担金額としては23000円増える
これが面白いことに3000円ずつ昇給していった場合に残業なしと仮定すると超えた年の456月を過ぎた後に昇給分打ち消しちゃうんだよね
更にねんきん定期便をちゃんと見てる人ってあまりないと思うんだけど、会社負担分があるにも関わらず
支払って積み立てたと計算される分は本人負担分だけで会社負担分は積み立てた扱いにならないんだね
どこに行ってるか?それは今の年金支給の補填にガンガン回されてるよ!
ちなみに、それだけじゃ足りなくなってきたから本人負担分も補填に回すって議論もされてるよ!
今年、娘が小学生になった。都内の公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校楽しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。
娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度と先生が嫌いになっていった。
平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較的若い住民が多く、大きな電機メーカーの工場などが集積していたので、所得や教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。
その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。
この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。
1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子も女子も関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代の最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。
2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。
こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。
とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスでいじめられている子がいて、僕は転校生でクラスのヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスにいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。
この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋が趣味で将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。
30代半ば/男性
この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校の先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザーに理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。
決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一の学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語、算数、理科、社会の通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。
ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿の評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。
それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題を最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。
学校の簡単なテストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単な宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。
ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかいう広告の問題は全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成?筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。
当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。
まず第一に、制度の問題。日本の公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用で無駄な不平等を生み出している。
そして先生の問題。先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事の過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。
しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡、他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。
考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校の教員や大学教員になった奴はいても小学生の相手をしている奴なんて殆どいない。
そんなことを考えると、子供を私立の小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達が大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。
娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人が先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。
「子ども欲しくない」半数 若年未婚男女
https://nordot.app/1013827502317699072
だよなーー既婚だがすごいわかるわー
自分は結婚した方が色々生きてく上で便利そうってことで早めに婚活して、嫁と方針が合って入籍して5年なんだが、一切子どもが欲しいと思えない。まぁ額面だけ見れば2人まで育てられんこともないくらいお互い正社員で稼いでると思うし、自分はフレックスタイム制で嫁はテレワーク。世間的にいかにもな家ではあるが…
子育てってさ ただでさえ少ない空き時間すら全部子どもに吸い取られるんだろ。リアルで子育て中の同年代の奴らは「大丈夫大丈夫」て言ってるけど実際は…
https://anond.hatelabo.jp/20230330173858
https://anond.hatelabo.jp/20230511191354
びびった。カラ元気じゃん。全然大丈夫じゃない。仕事だったら速攻で辞めろ・転職しろとコメントつく労働環境なのによく狂わずにやってるよな。
カネだって、必死に稼いでも国に吸い取られるし諸々払って残った分も子どもに全部吸い取られてるじゃん。
自分と同じように倹約してたやつらが、子ができた途端に金使いだして、お金がない〜お金がないよ〜とこぼしてるのを見てきた。自ら作ったもんで自分の首を絞めてるの訳が分からん。子がどう成長して自分に還元してくれるのか分からないし、何も返ってこないのに。
うちは稼ぎが大凡半々だし生活費はワリカン。基本嫁と財布を別にしてるが、節税できる科目や貯蓄は二人で協力してやってる。お互い勉強して、ガンガン働いて、投資して、貯めて、自分で稼げなくなっても生き残るために必死だ。でも自分のために生きてる実感がある。正社員共働きでもこのくらい危機感持ってんだからそりゃ非正規は子を持ちたがらないわな。
「子供は“嗜好品”“贅沢品”だと」“異次元”の少子化対策の陰で・・・結婚・子供を諦め始めた若者たち
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6458879
子どもがいる奴ら、なんというか、
ボロボロなのにニコニコ笑ってんのが不気味だ。なんで笑ってられる?
子どもができたらなんとかなるよお…子どもかわいいよお…愛は理屈じゃないよお…て口揃えて言うが、カルトに金注ぎ込んでる信者と変わらないように見える。子どもっていう神サマの信者。クソ高い壺買って、買ってしまってから壺のありがたみを殊更にアピール。
周囲の子育ての愚痴は黙って聞いてるし知人の子の遊び相手もやるが、子持ちの考えが正直全然分からん。後継ぎとか介護要員のために産んだならまだ分かるが「子をあてにするな」「子は親の所有物ではない」「社会貢献のために産んだ訳じゃない」が散見されるし、こっちが何か言ったら「私の子が将来あなたの年金払いますけど」「あなたの介護は私の子が…言う奴が出てくるのなんなんだよ。
子育て勢さぁ
自ら作った存在に全部吸い取られて消耗して何も返ってこない上に、沈み行くこの国に放流するのが確定してんのに笑ってられるのはなぜなのか、御題目で誤魔化さずにそろそろ具体的に教えてくれよ。
ひたすら不気味なんだよ。なんとかなる・子がかわいい・愛は理屈じゃないの御題目3点セットを唱えて、やつれた顔で笑ってるのが。別に、未来の納税/介護要員を確保するために産んだんじゃないんだろ?「子は親の所有物ではない」もんな。
ほんとはさぁ、子どもなんか産むんじゃなかったと思ってんじゃないの?
とか聞いてもどうせ、負け惜しみ・酸っぱい葡萄・年金も介護も医療も受けるな・お前に分られたくないとか言われるんだろうな。
別に嫌われても構わないが…自分みたいな「少子化を進める非国民」な夫婦が今、とんでもないスピードで日本に増殖してってる気がする。
GWが開けたことで、「退社時にアプリで炊飯開始して、家に着いて玄関開けたら2分でご飯」という本来訴求されていた使い方を試せる機会となった。
が、まだ慣れていないせいか帰宅途中(ほぼ家に着きそう)で炊飯開始を思い出す感じになってしまう。しかも自宅まで30分程度なので仮に退社即炊飯開始しても30分程度は待つことになる。
なので遅くとも21時には帰るとか、事前に帰宅時間の目処を付けてセットしておくのが上手い使い方になりそう。
やっぱ曜日毎に炊飯時間をセットできるとか、IFTTTでAPI連携させて指定の場所から出たら炊飯開始とかが出来るようになって欲しい。
なんてことを考えながら本日はちょっと早めに帰れそうだからアプリで炊飯開始させようとしたら何故か通信エラー表示となり炊飯器へ指示を飛ばせない。
家の回線か無線LANか。家を出た時点ではどちらも特に問題なかったはずだがと思いながら帰宅後に炊飯器本体を確認してみると、無線LANの接続状態を示すLEDは点灯状態で問題ないように見える。
ならば炊飯器側が怪しいのでマニュアルを見ながら無線LAN機能のオンオフを複数回してみるが状況変化無し。
ならばと電源コードの挿抜を行って再起動を図るが状況変化無し。
すると残る手段、というかできることはアプリから「無線LAN再設定」をするか「炊飯器の登録」を消して再登録をするか。
問題はこのどちらの手順であっても、無線LAN接続のために炊飯器背面のQRコードを読ませるというクソ手順が必要になるということ。
本体質量4.8kgに残ってるお米が大凡半分程度の1kgはなので合わせて6kgの重量になる訳だが、それを持ち上げて回して後ろを見ろという訳だ。
どう考えても面倒くさいし憂鬱だ。
取り敢えず飯を食いたいので本体操作で炊こうとするが、本体だと0.5合単位でしか炊けない。
0.5合、0.75合、1合それぞれ炊いて食べてみた感想としては0.5合は物足りない、1合は多い、なので0.75合が自分は食べたいのだ。
多めに炊いて冷凍などという面倒な手段は、そもそも「食べたいときに食べる量だけ炊く」というこの炊飯器のコンセプトに共鳴した自分には毛頭無い。
今日も見合い、その前に別の人に翌日の予定をキャンセルの連絡が来たのでその人をどうするか考えていたら
予定はなんだろうな
大凡別の並行してる人の予定と被ってこっちの優先度を落とされたのだろう
優先度低いならこっちも熱意出しても仕方ないのだがどうするかキープ扱いなら切ってくれて良いんだけど
時間より30分前に来て店を見ているとどうも自分と同じ見合い組がちらほらといた
内容的に当たり障りない会話で見合いでよくあるテンプレ質問のみ
俺はだいぶ澱みなく説明できるようになったのに気づき悲しさを感じていた
何回同じ話を俺はするんだろうな
テンプレ質問で分かったことは共通点が無い、会話が拡がらない、互いに興味が無いのかもしれんな
これは共通点が無いなら互いの新領域を学べる機会だがあんまり興味ないしな
ゴルフや登山て気軽に始めれる競技でもなし勝手にどうぞという感じだ
バチクソ高いパン、一個400円近くするパンを3つ買った訳だが正直高すぎだろと
断りを入れておくか
しかも長期戦になるので、長期計画、行動計画、目標などが必要になる
難しいのは察せるだろう
ダイエットで失敗するのはそこらへんに由来する
・長期的な行動ができなかった
・個人差を受け入れられない
・学んでいくと難しすぎる
それなりに無茶なダイエットをしても
最初の結果が見えるのに1週間以上はかかる
そして安定した結果が出るのに3ヶ月はかかる
1日に減る体重は、よほど脂肪が余ってない限り多くても0.1kg前後だけど
人間は水分の変化で3kgは変動する
情報は氾濫してる
ダイエットは金になるから、情報発信側も少しずつ本当のことを言っていないし
たとえ本当のことを言っていても、個人差があるため自分に適用できるかわからない
耳障りの良い「頑張らなくても良い」という声も出てくるし
健康を考えて「やりすぎは良くない」という声も出てくる
やりすぎなかった場合、誤差を脱するまでに2ヶ月はかかる
その期間信じて突き進むわけだけど、例えばカロリー減少量1日300kcal(≒脂肪40g)くらいの緩いダイエットをする場合
300kcalというのはファミチキ1個ちょい分くらいなわけで
例えばカロリーの記録を1個忘れたくらいで消える
自炊する場合はカロリー計算も大凡になるわけだから、「実は減らせてなかった」ことに2ヶ月後気づくかもしれないし
基礎代謝も最大25%変動するから、ここでも「実は減らせてなかった」になることがある
人間、2ヶ月位頑張ってだめだった時は結構絶望するものだ、ダイエット中はイライラしがちなので尚更
それでやめちゃう
かと言って過激なダイエットをすると、途中で体調を崩し、体調を回復させるために食べなきゃいけなくなりそれでも失敗する
取り入れた方法論のことを他の人に話すと「それはよくない」とか言ってくる
何故かといえば、個人差があるからか、健康に悪いから(目標が異なる)からか、誰かがそう言ってたからか、本当に良くないからのどれかだ
大体肯定されない
それでやめちゃう人も居ると思う
頑固すぎてもいけないし、意見を聞きすぎてもいけない
仕事か?
というわけで初めてやる人が気をつけるべきは
・個人差を受け入れる
・誤差を受け入れる
・できるだけ記録を厳密につける
・緩すぎるダイエットも、きつすぎるダイエットも失敗リスクが高い
・外野の言うことに耳を貸しすぎない
ここらへんの認識だと思う
「子ども欲しくない」半数 若年未婚男女
https://nordot.app/1013827502317699072
だよなーー既婚だがすごいわかるわー
自分は結婚した方が色々生きてく上で便利そうってことで早めに婚活して、嫁と方針が合って入籍して5年なんだが、一切子どもが欲しいと思えない。まぁ額面だけ見れば2人まで育てられんこともないくらいお互い正社員で稼いでると思うし、自分はフレックスタイム制で嫁はテレワーク。世間的にいかにもな家ではあるが…
子育てってさ ただでさえ少ない空き時間すら全部子どもに吸い取られるんだろ。リアルで子育て中の同年代の奴らは「大丈夫大丈夫」て言ってるけど実際は…
https://anond.hatelabo.jp/20230330173858
びびった。カラ元気じゃん。全然大丈夫じゃない。仕事だったら速攻で辞めろ・転職しろとコメントつく労働環境なのによく狂わずにやってるよな。
カネだって、必死に稼いでも国に吸い取られるし諸々払って残った分も子どもに全部吸い取られてるじゃん。
自分と同じように倹約してたやつらが、子ができた途端に金使いだして、お金がない〜お金がないよ〜とこぼしてるのを見てきた。自ら作ったもんで自分の首を絞めてるの訳が分からん。子がどう成長して自分に還元してくれるのか分からないし、何も返ってこないのに。
うちは稼ぎが大凡半々だし生活費はワリカン。基本嫁と財布を別にしてるが、節税できる科目や貯蓄は二人で協力してやってる。お互い勉強して、ガンガン働いて、投資して、貯めて、自分で稼げなくなっても生き残るために必死だ。でも自分のために生きてる実感がある。正社員共働きでもこのくらい危機感持ってんだからそりゃ非正規は子を持ちたがらないわな。
「子供は“嗜好品”“贅沢品”だと」“異次元”の少子化対策の陰で・・・結婚・子供を諦め始めた若者たち
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6458879
子どもがいる奴ら、なんというか、
ボロボロなのにニコニコ笑ってんのが不気味だ。なんで笑ってられる?
子どもができたらなんとかなるよお…子どもかわいいよお…愛は理屈じゃないよお…て口揃えて言うが、カルトに金注ぎ込んでる信者と変わらないように見える。子どもっていう神サマの信者。クソ高い壺買って、買ってしまってから壺のありがたみを殊更にアピール。
周囲の子育ての愚痴は黙って聞いてるし知人の子の遊び相手もやるが、子持ちの考えが正直全然分からん。後継ぎとか介護要員のために産んだならまだ分かるが「子をあてにするな」「子は親の所有物ではない」「社会貢献のために産んだ訳じゃない」が散見される。そのくせこっちが何か言ったら「私の子が将来あなたの年金払いますけど」「あなたの介護は私の子が…」とか言う奴が出てくるのなんなんだよ。
子育て勢さぁ
自ら作った存在に全部吸い取られて消耗して何も返ってこない上に、沈み行くこの国に放流するのが確定してんのに笑ってられるのはなぜなのか、御題目で誤魔化さずにそろそろ具体的に教えてくれよ。
ひたすら不気味なんだよ。なんとかなる・子がかわいい・愛は理屈じゃないの御題目3点セットを唱えて、やつれた顔で笑ってるのが。別に、未来の納税/介護要員を確保するために産んだんじゃないんだろ?「子は親の所有物ではない」もんな。
ほんとはさぁ、子どもなんか産むんじゃなかったと思ってんじゃないの?
とか聞いてもどうせ、負け惜しみ・酸っぱい葡萄・年金も介護も医療も受けるな・お前に分られたくないとか言われるんだろうな。
別に嫌われても構わないが…自分みたいな「少子化を進める非国民」な夫婦が今、とんでもないスピードで日本に増殖してってる気がする。
自称・ベンチャー企業に来て後悔している、というか恨んでいる。自分のいたベンチャー企業なんて、反社会的勢力 隠れ蓑でしかなかった。そこで得たもの、というものはなくて、むしろ父親と学歴と情熱を失った。 だからベンチャー企業とか NPO なんかに社会的な価値を見出して入社する必要なんてない、むしろ新卒採用では JTC に入れよーという話をしていこうと思う。
元スレは
https://anond.hatelabo.jp/20220613020726
https://anond.hatelabo.jp/20220614002648
です。
国立医学部を目指して多浪し挫折したあとに入った大学は早慶未満マーチ以上の偏差値の大学だった。そのため、周りは年が若くなじめないままサークル勧誘期間が終わってしまったのであった。まちがいなく大学内では浮いた存在であったし、自分も馴染む気がなかった。当時の言い方をするならば「ボッチ」であったか。大学に入ってすぐに、一緒に入学した同期の入るだろう会社には入社できないのが自覚できたので、授業が終わったら大学図書館 or バイト先にそそくさとむかっていた。幸いにして、高校時代はプログラミングを部活でしていたので、どこにいっても「卒業したら、うちにこない?」と言ってもらえた。自分は富士通とか野村総研なんかは年齢制限で入れないけど、飯を食べるには困らないだろうな、という確信はその当時に得た。大学の情報工学の内容は高校時代に習得した内容よりも劣っていたので馬鹿にしていたのは、後でボディブローのようにこの怠慢は効いてきた。ここまで書くと大凡のスキルはコーダー程度であることは察していただけると思う。当時に十分にかけていたのは Ruby, JavaScript, Java, PHP と Objective-C、MySQL といった応用領域ぐらいで、大学でやるような R や Haskell なんかの基礎領域は習得してないで、アルゴリズムの勉強はさっぱりだった。まぁ、あんまり優秀な学生ではなかったと思うが、それでも情熱はあったとは思う。真面目な学生ではなかったが、教授には可愛がってもらった。
これが、当時の自分の心境とスキルである。ここから冒頭に書いたような人生がスタートする。あれは、記憶が正しければだけれど、twitter のリプライだっただろうか。当時の自分は他人の設計書を基本として書くということにうんざりしていた。いつの日にか自分の書いたコードで上場するという目標のために本物のベンチャー企業で上場する時を共にしたいというのに、どうやったらそんな会社を見つけ出し、入り込めばよいのか皆目見当がつかなかったのだ。それで、twitter のアカウントを手がかりに、あらゆる募集サイトに「プログラミングする企業に入りたいです」という書き込みをした。なんなら、増田にすらその書き込みをした。それで、色々な人から「うちに来ない?」というリプライをいただいた。正直、嬉しかった。それで、そのうちから「選ぶ」という選択をしなかったのは間違いだった。当時の自分は、それをせずに「サイバーエージェントに紹介しますので、とりあえず勉強会に来ませんか?」という書き込みをみて、ふらふらと雑居ビルの一角にある共有オフィスへと出向いてしまったのだった。タイムマシンがあればこの日に戻って止めると思う。それぐらい後悔する日々が始まるとは当時は思わなかった。
もうすぐ真冬になろうという頃、「サイバーエージェントの正社員になれるかも」という期待で、列車に揺られて前記のビルへ向かった。期待とは裏腹に、妙に古臭いビルであった。ベルを押して、勉強会だという部屋に通してもらうと、若い学生たちがそこにいてプログラミングを勉強しているという。正直、自分も医学部さえ目指さなきゃこういう生き方もあったのだろうな、とは羨ましく思った。自分をオファーしたという人(O氏)は、この勉強会の座長だという。「私は人工知能を研究しており、アメリカで博士号を取得した『天才』数学者で、日本を活気づけるために母国にもどり、この会社を立ち上げました」という。サイバーエージェントではないらしい。あれ?、とは思った。まぁ、無下にはできないので、そこで課題を出されたのを5分ぐらいで終わらせた。伊達に何年もプログラミングをしているわけじゃない。ループで書くべきところを、再帰で書いた。すごいでしょ、オレっちとね。「できました、見てください」というと、O氏はこう言い出した。「ナニコレ?」とO氏。「ええ、再帰ですよ、漸化式みたいな?」と自分。出力は合っているので、O氏も認めざるを得なかったらしいが顔が険しくなっていく。どうも機嫌を損ねたらしい。そうすると、O氏は自分を別室に呼び出して「履歴書は?」と聞いてきた。「勉強会ですよね?」と返すと、「いいから、履歴書!」と言う。にっちもさっちも行かなくなったが、共有オフィスの他社の中国人職員の方が機転を利かせて仲裁してくれた。「そんなに言うのなら、彼にポートフォリオを作らせてみて評価してはいかがでしょうか」と。
イライラしながら帰宅したあと、もう二度と見たくもないO氏の顔とサイバーエージェントの正社員というものを天秤にかけたとき、やっぱりサイバーエージェントにいきたいなーと思った。というか、実は当時に DMM のオファーもあったのだけど、サイバーエージェントの方が良いと思って辞退した。このクソ人間(O氏)を認めさせたら、サイバーエージェントで働けるというのは魅力的だった。それで、Android(Java) + iPhone(Objective-C) でマルバツゲームを作り、 Bootstrap + jQuery と Ruby on Rails と MySQL で集計させてスコアを比較させる、そしてサクラVPSで CentOS で運営するというプロダクトを持っていった。時代を感じますね。閑話休題。ソレを持っていたら、O氏は今回は前回と性格が違った。いきなり、怒鳴りだすのだ。ポートフォリオを見ないで。いわゆる「良い警官・悪い警官」というやつをやろうとしたのだろう。当時はそれがソーシャル・エンジニアリングだと気がつけなかったが、いま思えば以前からナンパとかで良い思いをしていたのだろう。後で書くが、彼はロリコンだ。専門に人工知能を掲げているが、本当はチヤホヤされたいだけで自分は努力せず、インターンの学生にタダでプロダクトを作らせて「弊社は凄いです!」「あわよくば上場して金と名誉はゲット」、そんでもって若い学生のインターンとセックスしたいという真正のクズ野郎だった。自分の深層意識で「こいつはヤバいやつだ」というアラートはビンビン鳴っていたが、「サイバーエージェントの正社員」というニンジンが目を曇らせた。
そのあと、一月ぐらいはそのクソ会社でタダで自社サの修正をやっていた。こんなのもできねーのと思いながら。ある日「別の会社に行こう」といわれ、面接をうける。なぜか O氏も同席で。話を聞いていると、派遣させられるらしい。派遣登録もしてない会社が。「サイバーエージェントじゃない!」と抗議をすると、「俺に恥をかかせるのか!東京で働かせなくするぞ!」と脅され、派遣きまったあとで、履歴書を無理やりかかされた。給料はホームページに書いてあった額の半分、社会保険は無し、年金もなし、保険書もなし、という最悪な条件だった。派遣先はキツかったが、優しかった。それに、派遣当日から転職のオファーをもらった。記憶が正しければ、平日に働いて、土曜日は帰社日、日曜日は勉強会に出席という日々だった。本当に休む暇がなかった。平日はほぼ終電だったのに、土曜日に東京の端っこにこいとか、日曜日は勉強会だから出席しろ、とか本当に辛かった。それでも派遣先の会社には迷惑をかけたくなかったので、期間が終えるまでは必死に働いた。そして、O氏から逃れるために「あなたとは信頼関係が築けない」という文を書いて退職した。そのあと、自分は大学にも行かないで、別の会社に就職した。あと、O氏は給料を払わなかったので、辞めた後に圧力をかけて支払ってもらった。
プログラミングのスキルは働いてもスキルが付くということはなく、自学自習を続けないと上場するのに必要なスキルは身につかないというのもわかってきた頃、父が死んだ。事故死だった。自分は医学部に行けなかったことの申し訳のなさに、東京の大学に行った後は父を邪険に扱っていた。とても後悔した。それで、半年ぐらい真面目に勉強して私立の医学部に入学し、医学部生として留年しない程度には進級はした。しかしながら、ふと寝る前に「プログラマーでいたかったな」と思うことは毎日のようにある。もう医師になるつもりで、プログラマーに戻るつもりは無いが、それでもプログラミングのことは好きで、毎日1時間は時間をつくって勉強している。好きなんだよな、プログラミングが。
最後に、O氏についてだ。あまりに犠牲者が多すぎるのでネット上で事実を書いていったら、裁判所から開示請求が来てしまった。だからここでは本名と社名は書けない。だけれども、若者たちに「ホイホイベンチャー企業にいくと辛い目にあうかもよ?」っていう事例を例示しなきゃ、とは思うので「ヤバいベンチャー企業の実態」について書いていこうと思う。
...という感じ。だから、基本的にベンチャー企業に期待しないほうがいいよ。下手をすると、犯罪の手助けをするようなつらい思いをするよ。もし、仮にベンチャーに行くなら、高給かストックオプションはマストで行こうね。おじさんとの約束だよ。
検索してたらたまに公人に対する愚痴垢がひっかかるけど、対象の名前をアルファベットの伏字にしてたら大丈夫とかそういう独自ルールはいつ頃形成されたんだろう。(全然大丈夫じゃないと思うんだが)
だいたい前後の内容は勿論、アルファベットの組み合わせや時折挟まれる絵文字の読み方なんかでちょっと考えたり調べたりしたら、大凡誰の事か察せてしまう。だというのに、それを忘れてるのか結構過激なことをツイートしてるのも見かける。
この時気になるのが、
①明確に対象の名前は出ていないがだいたい察することができる時、愚痴垢の(第三者からみて過激だなと思うような)ツイートは誹謗中傷になるのか。
②界隈Aのaについての愚痴ツイートが、全く関係ない界隈Bの bについてだと誤読(他にいい表現が浮かばなかったのであえて誤読とする、)され、最終的にbが精神的にダメージを負った時に、誰に責任があるのか。
である。
例えば鈴木とか田中とか、スポーツ選手なのか芸能人なのかどこかのアイドルなのか、名前だけではわからない。音の括りでいえば、「ウエダ」さんは「上田」か「植田」か、“ued”だけでは分からない。aへの愚痴がbへの攻撃に代わっているかもしれない可能性は決してゼロではない…と思う。
親にも明かしてないの!
じゃあアレか、増田の親はいい歳なのに結婚もしない娘を結婚させられたと思ってて
増田の旦那は結婚はしてないけど顔は好みな優良物件と結婚できたと思い込んでて
何にも伝えてない増田は自分の性的傾向からくる不快感の、その許容範囲を超える濃いめのセックスが嫌だからセックスを断ってるって感じか
まぁ普通に結婚する際に伝えること伝えてない増田さんが悪いので、誠実な俺は普通に旦那さんにコレコレこういう事情だからこんな私が無理なら離婚してください、慰謝料が発生するなら払いますって言っちゃうな
勿論ズルい方法もあるにはあるだろうけど、そういうのはガールズちゃんねるとか発言小町とかに載ってそうだし
上方婚とかでワーワー言われるはてな匿名ダイアリーでは「普通に元増田の失敗だからちゃんと両親にも旦那にも謝って離婚した方がいい」としか言えねえです。
子供は諦めてください。
それか、旦那と相談して、それでも子供は作りたいという話なら大凡作業的だと思われるセックスを想像されてセックスをされればいいけれど
多分どうあっても異性特有の気持ち悪さからは逃れられないと思うし、産んでも男が産まれた場合だとか女が産まれた場合だとかで感情の働く場所が変わりそうなのでやっぱオススメできないっすね。
それ以上に母性が勝ればなんとか子育ては出来るかもしれないけど、多分どちらにしても途中で旦那さんとは別れると思う。
一番の理由は親族が土地を持っていたから(最寄り駅が都内ターミナル駅15分圏内。最寄り駅徒歩5分)。
お金に余裕があればマンションが良かったなーと思っています。(都内の4LDKマンション価格を見ているととても買える気がしません)
元々駅直結マンション、2LDKに夫婦+未就学児の3人で暮らしてましたが、2人目が産まれ2LDKが手狭になったので引っ越しを考え始めました。
マンションの利点は立地と、管理をお金を払って外注できることだと感じました。
ただ購入する場合、管理組合の存在がコミュ障の私にはハードルと感じていました。共用施設の運用や修繕等のメンテナンス、そういったことを決めるのに管理組合で決めなければいけないことを想像すると…私には難しいかもしれません(短期間で住み替える前提であれば良いのですが)
でも24時間ゴミ捨てができるのは最高でしたし、駅チカの恩恵はすごかったです。
賃貸購入問題は家に対する価値観が「終の棲家」だったので購入一択です(どっちが正解とかなく価値観の問題)。
土地について
・立地:郊外だけどそこそこ商業施設もある地域。通勤ドアドア1時間以内だったので良しとしました。(コロナで夫は今後もほぼフルリモートになった)
・子育て環境:大小公園がそこそこある。中学卒業まで医療費無料。若い世帯も増えており保育園も多い(足りてはいないが)。小学校が近い(中学校は遠い)。」
・土地:60坪程度の変形地。接道は所有権有りの私道。第一種住居地域。
ただ、SUUMOに掲載されていたら選ばなかったと思います。(金額的に買えないというのもある)
メーカー選定の流れ
ざっくり予算を設定してハウスメーカーや工務店に見積もりを貰いに行きました。
何も知らなかったので、ふらっと住宅展示場へ行きましたがスーモカウンター等からの紹介の方が良い担当が付くという噂を聞き後悔…(結果的に良い担当に出会えましたが)
さっくりと要望はこんな感じ。
・建坪40坪~の2階建て
・1F LDK+和室+水回り 2F 主寝室+子ども部屋+書斎
・洗濯は室内で完結させたい。
・パントリーがほしい
複数社から見積もりをもらって、どこにするか決める流れです。(メーカーによって見学会があったり、色々お金がもらえたり…)
ハウスメーカーの決め手
某大手ハウスメーカーには私達の属性や土地代が必要ないことを理由に予算を大幅に超えた提案をされたり、某SNSで人気のハウスメーカーにはとにかく性能アピールをされて要望が聞かれなかったり…そんな中、ふとした一言すら覚えて提案してくれる担当に出会えたので決めました.
結果としてその判断は間違ってなかったと思います。なぜなら、注文住宅は本当に決めることややることが多くて絶対になにかが抜けてしまったり、あれ?って思うことが発生します。これがあのハウスメーカーの担当だったら…と思うとゾッとします。シビアな話(間違いの指摘とかお金とか)でも遠慮なく話せる担当を選ぶことは大事だと思います。
営業担当なんて家造りで関わるうちのたった一人…というのも正解だと思います。でも例えば設計担当が気に入らなかったら、誰に交代をお願いするか?営業担当です。営業担当さえ誠実に対応してくれれば、大凡のトラブルは解決できたりする、それがハウスメーカーの営業担当だと思います(大変な仕事だ)。
※個人の感想ですが、同じメーカー内だと皆人柄は何となく似通っていました。(支店長、設計、IA、現場担当、庶務etc)
・アフターサービス の充実度
建てて終わり!というのはイヤだったので、ある程度大手でアフターサービス専門部署があるメーカーを選びました。
保障もできるだけ長い(60年)メーカーを選びました。もちろんメーカー経由だと何でも高いし、メンテナンスにもお金がかかることは承知の上です。それも込みで予算を設定しました。
・予算
契約後に仕様を詰める中でかなり総額は上がりました。…なのでそれも含めて最初に予算を伝えるべきだと思います。(500万くらい上がった。建坪アップと外構のせい)
ローンをどこで借りるかという問題もあるので、月の支払いイメージをしっかり持っていたのは良かったかなーと思います。
良かったこと
・こだわりを実現できる
1階で生活が完結できる間取り、を目指していました。特に洗濯動線は、洗う/干す/収納 が一部屋で完結する間取りが実現しました。これズボラには最高!
夫は書斎を好きなように出来ててとても嬉しそうで良かったです。(書斎に引きこもられると寂しいですが…)
・子供が嬉しそう
走り回っても怒らなくて良いし(破壊されそうな時は怒るけど)、公園に行かなくても庭で楽しく遊べるし、楽器の演奏も気兼ねなく出来る(防音性能が高い)。
良くなかったこと
ハウスメーカーの方も配慮してくれて自宅に来てもらって打ち合わせしてたけど、実物を見るためにはショールームや展示場に行かなくてはいけなくて、赤ちゃん連れだと本当にしんどかった…
間取り、キッチンやお風呂等の設備を決めて、内装の打ち合わせ(それこそドアの取手や手すりの金具の色迄自分たちで決めるので本当に長かった。私達は合うIAさんだったので、ある程度お任せしましたが)、照明やカーテンを選び、外構も打ち合わせをして家具も選び…並行してローンの事前審査をしたり、毎週末打ち合わせしてました。
次は施工が始まるので可能な限り現場を見に行って、差し入れもして…振り返っても本当に疲労困憊でした。
子供が産まれる前に建てた方がそういう意味では楽かもしれません。
・高い
建売と比べると高いです。やっぱり。私達も土地がなければ今のメーカーとはご縁がなかったかも…?
でも敷地内に2台分駐車場もあるし、都内賃貸時代と比べると月々の支払いは半分以下になりました。(固定資産税等の税金や修繕費の積立分を考えても)
工法によっては実現できない間取りや構造もあります。本当にこだわりを実現するなら、ハウスメーカーでめちゃくちゃお金を掛ける(展示場の建物は高額オプションだらけ)か、工務店や設計士さんとゼロから創り上げる必要があります。
ハウスメーカーはある程度標準品があり、その中で選ぶことを前提としているので、壁紙でも気になるメーカーがあれば自分で探したりする必要があります。(が、標準品でも我が家は十分満足でした!)
総括
総じて大満足です。
子供がいる場合の注文住宅、ということでは保活問題は大きかったです。区外への転園、しかも二人同時、という高難易度ミッションでした…
共働きで頑張ってローンを返済していきたいですね。
(いくら?っていうのが一番気になると思うので参考までに、我が家の場合は約100万/坪でした(外構・諸費用込)。高い!。これに土地の価格を入れると…親族に感謝です)
MMTを根拠に「日本は永年デフレに苦しんでいるんだから、インフレの心配なぞしている場合ではない。バンバン国債を発行するべき」という意見がネット上で散見されるが、そんなワケないと思うので理由を書く。
需要が牽引して発生するインフレ(良いインフレ)が発生しているかどうかは物価を見れば大凡把握できるだろう。
しかし、通貨の信用毀損によるインフレ(悪いインフレ)については、通貨以外の価値保存手段を容易に選択できる現代において物価で把握することはできない。
仮想通貨の高騰やコロナで経済が低迷している中での株高がインフレでないなら一体何なのか?
利上げでインフレを制御できるのは「良いインフレ」の場合だけ。
景気が良くなれば全てが解決する可能性もあるが、金をジャブジャブさせたとて景気がよくならない事こと、日本がこの十年で散々経験したことではないか。
信用毀損は利上げでは改善しないし、そもそも金利の低さに甘えて国債を増発しているのに利上げできるとは思えない。
じゃあ国債の発行を急に止められるかというとそんなはずもない。それで誰も困らないなら、そもそも国債を発行する必要なんてないのだから。
『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
<五一>
の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
<五二>
考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
<五三>
軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
<五四>
六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
<五五>
我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
休みの日インターネットしかして無いから、インターネットで楽しめる幅を増やすために抵抗なく英文を読めたり外人とチャットや掲示板で雑談したり出来るようになりたいと思うようになった。最近中古パソコンにUbuntuを入れたので、cuiで「ギャッ、英語!」とならない様になりたいと強く思ったのが最終的な後押しになった。英会話や海外旅行などは望んでいない。
英語力は限りなく0に近くて、現在形や過去形の意味はなんとなくわかるが、現在形と現在進行形の意味の違いや、3単現や過去分詞の意味すらわからないとか、それぐらいレベルが低い。bとdの書き分けに自信すらない。
英語学習について調べてると、何よりもボキャブラリー。英文法がわからなくても単語さえ分かれば英文の大凡の意味がわかるようになるし、文法は後回しでいいという事で、速読英単語の中学版を買って寝る前と朝起きた時に進めている。
俺は中学時代から頭が悪くて勉強が出来ず、運動神経も悪くて運動も出来ず、何よりも他人に比べてとりわけ不細工な上に、メンタルが弱く人に対して強く怒れなくてヘラヘラしてしまうタイプで、同級生や教師からゴミのような扱いを受けていた。廊下を歩くと後ろから蹴られ、向かいから歩いてくる同級生にはキモいと笑われ、授業中は学力不足の大義名分の名のもとに馬鹿にされ、休み時間筆箱を廊下に投げられ、教科書を教室内のキャッチボールの球として使われていたので、勉強をしない割に勉強道具はいつもボロボロだった。自分の自尊心を守れるようなものが何一つない俺は生きる気力が次第に失われていった。父は拘束時間が長いうえに傾斜産業に従事していたので給料もあまりよくなく、母が家計を支えるために2つのパートをかけ持ちしていた。学校に行きたくはなかったが、「もう学校に行きたくない」と泣きながら母親に零してしまった時、母親から「お願いだから普通の子みたいに学校に行って欲しい」と泣きながら言われた事があった。今思えば母もパートで肉体的にも精神的にも疲れきっていたんだろう。学校に行くのも辛いし、母親に学校での生活を打ち明けるのも辛いし、母親に泣かれるのも酷く辛くて、思考放棄しながら中学に通い続けて卒業し、惰性で家から一便近い偏差値30代の高校に通った。
そんな経緯があるせいか、単語帳を読んで英単語を覚えていると、突然中学時代の嫌な記憶がフラッシュバックしてきて不快な気持ちでいっぱいになってくる。馬鹿にされた記憶が掘り返されて、馬鹿は勉強しても無駄だと言われてるような、そんな気分になってくる。英単語の勉強をしてからよく中学時代の夢を見るようになってきた。周りから嘲笑され、縮こまり、恐怖とも怒りとも似つかない酷く嫌な気分になる、そんな夢ばかり見るようになってきた。
英語の学習が三日坊主になるケースはよく見るが、英語の勉強が中学時代の記憶のトリガーになって酷く嫌な気持ちになるケースを見聞きした事が俺は無かったので、もしも経験者がいたらどうやって乗り越えたか教えて欲しい。