はてなキーワード: 制裁とは
妥当な点
1. 社会的圧力と道徳: 人が道徳的に振る舞う理由として、社会的な圧力や制裁の恐れが重要な要素であるという指摘は心理学的に妥当です。これは、社会的規範を守らなければ罰を受ける可能性があるという「社会的抑制」の観点に基づいています。特に、行動経済学や社会心理学では、他者からの承認や非難を避けるために道徳的行動をとることが広く認められています。ルールを破ると罰を受けるという考えが人々の行動を規律づける役割を果たしているため、この部分は現実に即していると言えるでしょう。
2. 利己的な動機による道徳: 自分が助けを必要としたときに他者からのサポートを得るために道徳的に振る舞うという発想も一部妥当です。互恵的利他主義(reciprocal altruism)という進化論的な考え方は、他者を助けることで将来的に自分も助けてもらえるという期待に基づくもので、社会的な結びつきや協力を促進します。
1. 道徳心の育成についての認識: 「道徳心は育たない」という主張は一面的です。実際、道徳は教育や文化、家庭環境によって大きく影響されるという心理学的な研究結果が多数あります。例えば、コールバーグの道徳発達理論では、道徳的判断は発達段階に応じて高度化していくとされています。つまり、道徳的行動は単に制裁を避けるためだけでなく、道徳的原則や共感に基づくこともあると考えられています。この意見は、道徳の多様な側面や学習のプロセスを見落としている点が問題です。
2. 反道徳的行動と道徳的要請の関係性: 「理不尽な苦難に見舞われている人間は道徳的であろうとし、他者に対し道徳的であることを要求する」という主張には一部妥当な側面がありますが、それが全ての人に当てはまるわけではありません。社会的に困難な状況に置かれている人が他者に道徳的規範を強く要求することもありますが、必ずしも全員がそうするわけではありません。道徳的行動や規範の要求には個々人の経験、文化、信念が影響を与えるため、この点も一面的です。
3. 道徳を嘲笑する行動についての理解: 「道徳が面倒を生じるときにその道徳を嘲笑し踏みにじる」という見解は、道徳の役割を狭く解釈しすぎているかもしれません。実際、多くの社会では複雑な道徳的ジレンマが存在し、場合によっては道徳的原則が対立することがありますが、それでも道徳自体を軽視するのではなく、問題の解決方法を模索しようとすることが一般的です。
この意見は、道徳が社会的圧力や制裁に強く影響されているという観点においては妥当な側面がありますが、道徳心の育成や道徳的行動の多様な動機を見落としている点で限界があり、一面的に解釈している部分が見られます。
親から聞いて、マンガで読んで、教科書を見ても、大したものは育ってはいかない
ではなぜ人は道徳的に振る舞うのかというと、社会の成員が道徳的であれば社会に問題が起こらず面倒がないので、社会の道徳的な状態を崩さないために自分も守る、という考え方をするからだ
ゆえに、道徳から外れた振る舞いをすると、制裁され、あるいは自分に理不尽な苦難が降りかかってきたときに助力してもらえなくなると薄ら信じている
だから、制裁をうまいこと回避できる、あるいは他人の助けなんていらないしイザとなれば誰かが助けてくれるもんだとタカを括ってる人間は平気で反道徳的な振る舞いをするし、理不尽な苦難に見舞われている人間はしばしばマゾヒスティックなまでに道徳的であろうとし他者に対しサディスティックなまでに道徳的であることを要求する
アメリカの「アバクロンビー&フィッチ(アバクロ)」における性的搾取問題と日本のジャニーズ事務所の問題には、いくつかの相同点が見られます。それぞれについて説明した後、想定される懲罰の違いについて比較します。
相同点
1. 権力の乱用
両ケースともに、強大な権力を持つ人物(アバクロではCEOや幹部、ジャニーズでは故ジャニー喜多川氏)が、自分の地位や影響力を使って若者や未成年に対する性的搾取を行ったとされています。権力関係の上下によって被害者が抵抗しにくい環境が形成されていたという点で類似しています。
アバクロとジャニーズの問題では、共に若者がターゲットとなっていました。アバクロではモデルや従業員が、ジャニーズでは少年たちが、夢を追いかける過程で性的に搾取されたという点で共通しています。どちらも「未来のキャリア」や「成功」を餌に、性的搾取が行われていました。
アバクロとジャニーズの問題はいずれも長期間にわたって隠蔽され、内部告発やメディアの調査によって初めて表面化したという特徴があります。これにより、被害が長期にわたり続いたという点が類似しています。
両方の問題とも、社会に大きな衝撃を与え、企業や組織の評判に大きなダメージを与えました。アバクロはブランドイメージが大きく傷つき、日本のジャニーズ事務所も同様に社会的批判を受けています。いずれも、長年の信頼を一気に失う結果となりました。
懲罰の違い
1. 法的対応
アメリカでは、性的搾取問題に対する法的対応が非常に厳しく、特に性的虐待に関する訴訟が頻繁に起こされます。アバクロの場合も、被害者による集団訴訟や、企業全体に対する法的な責任が問われる可能性があります。アメリカでは、企業がこうした問題に対して莫大な賠償金を支払うことが少なくありません。また、関与した個人は刑事責任を問われる可能性もあります。
一方、日本のジャニーズ問題に関しては、性的虐待に関する法的対応が遅れがちであり、特に過去の行為に対する訴訟があまり進展していない傾向があります。これは、日本では性的虐待に関する法的な訴訟文化がアメリカほど発達していないためです。また、ジャニー喜多川氏がすでに故人であるため、個人としての法的責任追及が難しいという点もあります。
アメリカでは、企業やブランドがこうした問題に巻き込まれると、社会的な制裁が厳しく、消費者の不買運動や企業価値の急落が発生します。アバクロはブランドイメージを修復するために大規模な改革を行う必要があり、CEOの辞任や経営陣の入れ替えが行われることもあります。
一方、ジャニーズ事務所も社会的な制裁を受けているものの、芸能界やメディアとの結びつきが強いため、ブランドの再建が複雑である可能性があります。ただし、日本でも近年は社会の関心が高まり、事務所の経営陣が責任を取る形で変革を迫られています。
両者に共通する問題点としては、権力の乱用と被害者の若年性、そして長期間の隠蔽が挙げられます。しかし、懲罰においては、アメリカの方が法的対応が厳しく、賠償や企業改革が強制される傾向がある一方で、日本では社会的批判はあるものの、法的対応が緩やかで、再建のプロセスが異なるという違いがあります。
以下は、ブラジルによるX(旧Twitter)禁止に対する反応を肯定派、否定派、その他の意見に分けた要約です。
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日本の法制度において、企業犯罪への懲罰が他国と比較して軽いと言えるかどうかについては、いくつかの点からその傾向が見られると言えます。以下、理由と背景を説明します。
1. 罰則の軽さと実行の不徹底
日本では企業犯罪に対する罰則が軽く、企業や経営者個人に対して適用される処罰が他国に比べて緩やかであるという指摘があります。たとえば、企業の不正行為に対する罰金が低額であったり、責任者個人に対する刑事罰が適用されにくいという特徴があります。これにより、企業にとっては不正を行うリスクよりも利益が上回ることがあり、不正行為を抑制する効果が薄いとされています。
日本では法人そのものが刑事責任を問われる場合、その罰金や制裁金が企業の規模に対して十分な抑止力を持たないことが多いです。欧米諸国、特にアメリカやヨーロッパの多くの国々では、法人に対する罰則額が高く、企業の経営に大きな打撃を与えるレベルの制裁が課されることが一般的です。
日本の法制度では、司法取引や内部告発者(ホイッスルブロワー)保護制度が他国ほど発達していません。アメリカでは、司法取引制度が広く利用されており、企業やその関係者が不正を告発することで刑を軽減するという仕組みが普及しています。内部告発者保護の強化は、企業の不正行為を明るみに出す上で重要な役割を果たしているため、日本の制度的な不備は企業犯罪の摘発に対する抑止力を弱めています。
日本のビジネス文化や社会的な背景も、企業犯罪に対する寛容な態度を助長している側面があります。特に、企業に対して「社会的な信用」を重んじる文化が強いため、不正行為が発覚した際に公に処罰することが少なく、内部処理や口頭での注意などで済まされるケースが多いです。また、政府や官僚との密接な関係(いわゆる「癒着」)が、企業に対する厳しい規制や罰則を妨げる原因になっているとも言われています。
他国に比べて、日本では企業経営者個人に対する刑事責任の追及が難しいとされています。経営者や上層部が直接的な不正行為に関与していない場合、下層の従業員や中間管理職にのみ責任が及び、経営者自身は処罰を免れることが多いです。
• 罰則の強化: 企業犯罪に対する罰則を厳しくし、特に大企業に対しては高額な罰金を課すなど、抑止力を高める必要があります。
• 内部告発者保護制度の整備: 内部告発者が報復を恐れずに不正を告発できるよう、より強力な保護制度を整備することが重要です。
• 法人の刑事責任の明確化: 法人に対してより厳しい刑事責任を問う規制を整備し、企業全体としての不正行為を防ぐ仕組みを強化する必要があります。
• 司法取引制度の活用: 司法取引制度をさらに推進し、企業関係者が積極的に協力して不正を暴露できるような環境を作るべきです。
これらの対策が実施されることで、日本における企業犯罪に対する罰則の厳格化が期待され、他国と同様の水準まで引き上げられる可能性が高まるでしょう。
多くの人が考えているが、口に出すのをためらっていることを言う。
ウクライナは現在戦争に負けつつあり、抜本的な対策を講じない限り状況は悪化するだろう。
何が敗北で何が勝利かという議論はあり得るし、確かにこれまでのところウクライナが生き残ったことは大きな勝利だ。
しかしたとえロシアが攻勢を止めて守勢に回ったとしても、クリミア侵攻前の国境どころか、2022年の国境まで領土を取り戻すためのリソースはない。
これには多くの要因がある。
動員の遅れ、援助の不足、制裁の弱さ、西側諸国の政治的意思の欠如、軍事的判断の誤り、エスカレーションへの懸念による援助の遅れ。
そしてウクライナの4倍の人口を持ち、ほぼすべての領域で優位に立ち、世界最大級の軍事産業を持つ国と戦っているという純然たる現実だ。
もちろんウクライナ政府はこの問題に対する責任の大部分を負っている。
しかし西側諸国がゼレンスキー大統領が要求した14個旅団の装備を供給できないのであれば、数十万人の徴兵を行っても武器がない。既存の部隊に大量の補給をする必要もある。
正直に言うと、米国や欧州にはこれに資金を提供する意欲はもはやない。
ロシアが領土を獲得すれば、武力による現状変更は許されないとする欧州の安全保障の基本原則が損なわれることになる。
2014年ロシアはこの原則に反し、2022年の侵攻につながった。
そして次の失敗はウクライナだけではない。ロシアを倒せなかったウクライナ、米国、そして西欧諸国の失敗になる。
ウクライナと西側諸国が動員支援のための援助を大幅に増やす真剣な計画を立てない限り。
つまり西側が適切な武装と訓練の提供し、ウクライナがより多くの人々を動員することを約束し、米国がイスラエルに対して行っているのと同じくらい強力な装備を提供しない限り、ウクライナは消耗戦に負けるだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20241001083551
という増田記事を見た。これに対して「もうしてるよ何言ってんだお前」みたいな反応が散見されたが、私としては「よくぞ言ってくれた」である。ちょっと書かせてね。
イスラエルに対してすでに世界中で不買運動(ボイコット)が起きているのだが、その前にBDSと南アフリカのアパルトヘイトについて少しだけ触れさせてくれ。ご存じ南アフリカのアパルトヘイトは人種隔離政策と呼ばれ、法律で白人とそれ以外(主に黒人)を差別していた。当時のアパルトヘイト政策と南アフリカは世界中から非難され国連でも非難決議が出るのだが、一向に終わる気配がない。その原因の1つは、一部の大国がアパルトヘイトを支持していたからだ。たとえば、アメリカ、イギリス、イスラエルなどは非難決議に最後の最後まで反対して南アフリカの後ろ盾となった。そう、今のイスラエルと状況がそっくりでしょ?つい先日もパレスチナ国が国連総会でイスラエルの占領撤退を1年以内に求める国連総会の決議案を出した。賛成多数で可決されたが、反対は14か国(アメリカ、イスラエル、東欧2国、南米2国、南太平洋8国)だった。
南アフリカのアパルトヘイトも一部の大国がバックについて守っていたが、最終的にこれを終わらせたのがネルソン・マンデラ元大統領。そして、彼らの活動をしっかりと後方支援していたのが世界中で行われたBDS運動なのだ。BDSの内訳は、B=ボイコット(不買)、D=ダイベストメント(投資の引き上げ)、S=サンクション(制裁)となっている。このうち最初のBのボイコットが不買運動で、特に個人が日常の中で貢献しやすい抗議運動である。
ようやく本題である、イスラエルに対する不買運動・ボイコットなわけだが、大事なポイントを書きたい。まず「不買運動はゼロか100かで考えてはいけない」ということ。イスラエル擁護派や冷笑系が「じゃあインテルCPUは使うなよ、じゃあグーグルは使うなよ、お前それできんの?ボイコットなんて無理だろ」と絡んでくるのだが、まったくの的外れ。
個人だけのレベルで言えば「不買できるものを不買する」だけでいい。当たり前でしょ。まずはイスラエル企業をボイコットする。はてブでも出ているソーダストリームは使わずに別企業の似たようなものを選ぶ。また、イスラエルから輸入した農産品を避ける。たとえば、柑橘系のフルーツ、トマト加工品、デーツはイスラエル産が多い。まったく買わないのではなく、イスラエル産レモンを使ったポッカレモンを買う代わりに、別の液体レモンを買う(スーパーには数種類ある)。缶入りのレモンサワーはシチリア産と書いてあるものやサッポロ製品を選ぶ。デーツを買うときにはパッケージの裏の原産地をみてモロッコとかなら買う、とか。うっすらとイスラエルってやばいんだな、って思う人はこのくらいのレベルで不買をしたらよいと思う。
イスラエルとその行動が世界秩序にとって悪影響だと思う人や、もう少し積極的に不買をしたいという人はレベル2。ここでは、イスラエル、その占領、入植を積極的に支援している企業を不買する。最近の例だと、イスラエルの違法入植地にあるサッカーチームのスポンサーを務めていたプーマに対する不買運動が起こり、プーマは(契約が切れるタイミングで)スポンサーを降りた。伊藤忠商事の子会社は熱心な抗議活動を受け続けイスラエルの軍事企業との提携をやめた。詳しく書かないが、ほかにもスターバックス、マクドナルド、ディズニーなど多くの企業がイスラエルや入植を支援しているとされる。こうした企業はBDSの影響で世界中で売上を落としている。アパルトヘイトのときと同様に、BDSが効果を上げている。でも、スタバがどうしても好きならスタバに行けばいいし、やめられないものはやめなくていい。せめて、有名な企業の中にはイスラエルを支援するところがあるというのは知ってほしい。不買は「避けられるものは避けていく」というスタンスでオッケー。
SNSやリアルでBDSについて話し、広めていくのも立派な不買運動。不買は個人でできる経済制裁、黙ってできる経済制裁が良いところでもあるが、周囲に広めて1人が3人に、3人が5人に、そして10人に広がればその効果はとても大きくなる。あと無料でできる運動っていうのもいいよね。
必ず聞くのが「不買は意味ない」という意見。そう思う人は不買をしなければいいし、(仮に感じていたらだけど)別に罪悪感も感じる必要もない。イスラエルへのBDSによって今すぐにパレスチナが自由になるはずはない。10年後に自由になる保証だってない。しかし、BDS運動が南アフリカ本国の運動を後方支援し、アパルトヘイト撤廃の大きな要因になったという歴史的事実があることは否定してくれるな。アパルトヘイト撤廃もとてつもなく長い時間がかかった。繰り返すが意味ないと思う人はやらなければいいだけ。他人の自由を侵害しているわけでもないボイコッターたちを腐すのはやめてくれ。個人は無力ではない。ただ、微力すぎるのでゼロに見えるだけだ。ゼロをゼロのまま放置しておけば、いつまでたってもゼロのままだ。
ちょっと話が前後するのだが、個人がバラバラに不買運動をしているだけだと効果が限定的になる。多くの人がまとまって、特定の企業や製品を大々的にボイコットすることで企業の姿勢や方針を変えさせることができる(上記のプーマや伊藤忠の例を参照)。BDS運動の情報を見て、特に対象となっているものをボイコットし、周囲に呼びかけ、活動に参加していくとよい(BDS Japanで調べれば出てくる)。あと、グーグル、アマゾン、インテルをまったく使わないという選択は難しいが、これらの企業に声を届けて圧力を掛けることはできる。
また、企業や大学がイスラエルと提携することにノーを突きつけて変えさせることもできる。那覇市や名古屋市がイスラエルと提携することに抗議し、自治体議員や首長に要望を出していくことができる。該当自治体の住民であれば特に熱心に動くとよい。とても効果があるぞ。日本の大学がイスラエルの大学と連携協定を結ぶのをやめさせる、破棄させる、更新させない、などの声を上げていく。たとえばヘブライ大学ではシオニズムに大きく貢献している。学問領域だからといってBDSから外すべきではない。
アパルトヘイト撤廃の時もそうだったし、そして効果的だったのが、経済だけでなく文化やスポーツの面でもイスラエルをボイコットすること。文化イベントに呼ばない、スポーツイベントに呼ばないというものがある。文化やスポーツは関係ないと思う人もいるだろうし、ある面では正しい。ちなみに、イスラエルはパレスチナのプロサッカー選手やサッカー関係者を意図的に狙って足を撃ち抜きまくり、選手を次々とスポーツができない身体にしてきた。あまりにも被害が多いので、パレスチナ国内だけで手足が欠損した人だけが参加するプロのサッカーリーグができてしまったという、漫画でもあり得ない展開になった。不屈の人々であるが、これを美談やトリビアで終わらせてはいけない。そして、ユダヤ系イスラエル国民のほとんどがこうした行為や占領と入植を当然視しているという現状で「スポーツは別だ」という甘い考えは甘い、甘すぎる。たとえば一部の独裁者が悪行を働いていて、虐げられている国民のサッカーチームをボイコットするのとはわけが違うのだ。
リアルな抗議運動に参加しよう。自分の身近なもの、興味関心のあるもの、影響力が大きくシリアスなもの(たとえば軍需産業とか)、気になる運動に気軽に参加しよう。そして自分で主体的に組織していこう。自分の特技を生かして参加していくのがお勧め。だいたいどんな特技でも生かせる。特技がないと思っている人も参加するだけでとても意義がある。
南アフリカのアパルトヘイトは実際に変わった。大国がお情けをかけて改心したからではない。ひどい犠牲を払い続けて不屈の人々が抗議をやめなかったからだ。そしてその後方支援として、世界中でBDS運動が広まったからだ。もうすぐ1年になるガザのジェノサイドも、もうすぐ80年になる民族浄化も、変わるし、変えられる。ガザでは今も市民が頭を撃ち抜かれ、家族を爆撃で文字通り"蒸発"させられ、町を破壊し尽くされている。西岸地区でも侵略とパレスチナ人の追放が加速している。遠く離れた日本にいる人が、いやシオニズム支持者が少ない日本だからこそ、皆が「なんとなく買わない」を始めるだけで大きな意味と効果がある。
私はこの分野の専門家ではありません。毎日うっすらとBDS運動に参加している通りすがりのおじさんの個人的な意見で、レベル分けとか思いつくままに書いた所存です。ちなみに増田のBDSレベルは3.2くらいです。忙しいので当面はここからレベルを上げる予定はありません。
間違いや補足や蛇足は増田のツリーやはてブでどんどん書いてください。
1)元増田のブコメを見ていると、冒頭で書いた「不買運動はゼロか100かで考えてはいけない」にそっくり当てはまる人ばかりがワラワラ湧いていて笑笑する。避けられないものや買いたいものは買ってええんやで。
2)id:blueboy 氏がユダヤ系企業をすべて不買にしろと書いているが、これは危険な差別思想。たぶん知ってて書いているはず。ユダヤ人が創業した企業やユダヤ人が要職に就いている企業は、何にも罪がない。何にも悪いことをしていない。ユダヤ人であることを理由に不利益をもたらそうとするのは純粋な差別。BDSの不買は、イスラエルのシオニズム、すなわち国際法違反の侵略と占領と入植に加担している、国際法違反に加担している、人倫人権道徳を無視し続けている、犯罪幇助の企業に経済的なダメージを与えようという運動。これをユダヤ人差別に矮小化するのは、逆にシオニストによる「これは反ユダヤ主義だ」というお決まりの反論を可能にしてしまうので注意。
3)id:catsnail id:lex010 id:hobbiel55 「BDS 日本」でぐぐると出てくる。世界的な不買リストは日本に関係ないものが多いので、日本版のリストを見た方がいい。
https://anond.hatelabo.jp/20241002005940
演芸会は比較的寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。
それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎が広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由を説明して聞かせた。三四郎は承知した。
夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。
「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しかし三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。
「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから」
先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである。
「雨になるかもしれない」
「降ると困るでしょう」
「出入りにね。日本の芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」
「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかないからでしょう」
三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。
「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋で簡単な芝居ができそうなものだ」
「先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」
「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」
「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」
また与次郎の悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しかつ斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかわからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。
先生はそれからギリシアの劇場の構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいうドイツ人の説によるとアテンの劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうである。もっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。
さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である。
「いやはいらない」
先生はまた暗い方へ向いて行った。
三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである。
入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする。自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである。
舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっとも与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎の記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇や聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。
幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かいの談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物の本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどももし与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。
あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである。三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。
隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。
すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。
そのそばにいる男は背中を三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいぐあいにその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎のあいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。
すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎の背中をたたいた。与次郎はくるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。
この連中の一挙一動を演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分もひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。
そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎は広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレットの写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。
このハムレットは動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。
その代り台詞は日本語である。西洋語を日本語に訳した日本語である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎はハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうである。しかし三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。
したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。
ハムレットがオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなものに結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。
幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下から出はいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。
本来は暗い夜である。人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。
夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……
あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎がはいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。
「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」
三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。
「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」
「演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」
「しかたがないったって、いけない」
三四郎の言葉はだんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、
「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである。
「風邪だろう」
「風邪だろう」
両方で同じ事を言った。しばらくしてから、三四郎が与次郎に聞いた。
「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」
「美禰子さんの事を? どこで?」
「学校で」
「学校で? いつ」
与次郎はまだ思い出せない様子である。三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、
「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。
「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか」
「きまったのか」
「きまったように聞いたが、よくわからない」
「野々宮さんの所か」
「いや、野々宮さんじゃない」
「じゃ……」と言いかけてやめた。
「君、知ってるのか」
「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。
ウクライナならまだ助けるところもありそうだけど、ロシアが負けたらロシアにヤバい賠償請求くるよねたぶん。
それってさ、3次大戦の引き金にならんかね?
当然現総統は死罪になると思うのだが、彼亡き後にそれこそナチスみたいな政権が勃興する可能性って大いにあると思うんだよね。求心力をいきなり失いつつ恐ろしいレベルの賠償でしょ?国民ずっとタダ働きでしょ。
そこに口の上手いヤバいヤツが乗っかってきて(現代にあっても悪い言説でも独自論理でも持ち上げられ続ければ支持を集めだすのはSNSで証明済み)、仮想敵を作り上げて戦争に至る、みたいな。
日本なんて隣だし、ロシアにのっかった中国がソッコー狙ってくるのでは?
日本人も今は「裕福」(異論は認めません)だから治安いいけど、戦争になって貧しくなればすぐにヤバい奴の支持が拡大して治安なんてなくなんじゃないかな。
戦争なんて早く終わってほしいけど、終わり方もすごい大事なんじゃないかなって。当事者じゃない冷静に考えられる周りが、国民レベルで共通認識しておかないと、「ロシアへの制裁が甘い!」みたいなのが出てきて混乱すると思うんだよなぁ
この辺りは駅前でバスが多いわりに道が狭く、車道を走るには危ないので、やむなく歩道を通行せざるを得ない。
安全のためと、駅も近く後は信号もなく時間的余裕はあるからと、ほとんどペダルを漕がず、歩きより少し早い程度の徐行で、歩道の車道寄りを時折左足で地面を蹴って進んでいた。
通勤だろうか、通行人らがほぼ横一列に広がって向こう側から歩いてくる。
避けようにも隙間が無さすぎる。困った。
まあ、歩道だし、こちらの肩身が狭いのは致し方ない、止まってやりすごそう。
そう思って止まった矢先、なんとすれ違いざまに肩をぶつけて舌打ちしてくるではないか。
だからと言って何かするわけではない。
大方、歩道は歩行者優先だ、自転車が相手なら自分の進路を1ミリも譲る必要はないとでも考えているのだろうが、円滑な交通と公共という考えはないのだろう。
優先権を自分勝手に振りかざすのではなく、譲り合いをした方がお互いに気分がいいだろう。
周りの状況を見れば、横に広がって通行人がおり、自転車が避けるスペースがないのだから、隣の人の後ろに入るなどして隙間を空けてかわせば足り、わざわざ肩をぶつけに行く必要はないわけで。
どうもこの件に限らず、ネット炎上だとかの折に触れて「何か自分に正義があると思えば相手へ制裁して良い、それは正義の鉄槌なのだ」という歪んだ正義感の持ち主がしばしばいらっしゃるように思う。
自分の正義に反するものをすべて敵とみなして排除する、そのような力の行使のぶつかり合いの不毛さをいい年した大人が学んでいないのか。
自分と日常的に会う相手ではないからどうでも良いと思って、身勝手な言動をするのか。
自転車は車道の通行義務がありますが[道交法17①]、通行可の標識ある場合や[道交法63の四一]、車道又は交通の状況により安全上やむを得ない場合は[道交法63の四三]、歩道を通行できます。
歩道を通行する場合は、徐行し、歩行者妨害になる時は一時停止する義務があります[道交法63の四②]。
まず、当該歩道は自転車通行可の標識があるので通行できることは当然として[道交法63の四一]、標識を認識していなかったとしても車道の交通状況を見れば歩道通行もやむを得ないと理解できるはずです[道交法63の四三]。
先進国というか、第二次世界大戦後の世界秩序を決めてる国々、俗ないいかたをすれば西側イコールG7なわけだが、すでに7位までを独占はしていない。
中国は世界二位につけてる。かつては、人口が多いだけでとバカにされたが、今じゃ技術も上で名実ともに世界2位だ。
ロシアはあんなに制裁されても、経済成長率はアメリカ以外には勝ってる。西側が絞り上げても、インドと中国と貿易できれば痛くない。
経済成長で敵わないうえに、困ったことにBRICsは資源国でもある。BRICsから石油を、ガスを、鉄鉱石を、レアメタルを買わないとG7の商売が成り立たない。
あとはもうわかるな?
俺たちがルール、みたいな態度をとってると、もっと貧しい国々、南米とかアフリカとか、アジア諸国とか、みんなBRICs側につくわけ。
石炭火力禁止とか、内燃機関禁止とか、守ってられっか!じゃん?
じゃあ高性能な原発くれよって話だけど、核開発されると困るからうんぬんだろ?
そりゃ、対立もするよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2436751
正当防衛が認められるのはかなり限定的であり、ここで書かれているのは正当防衛の範囲を超えている。
せめて私人逮捕のためなら、取り押さえることが認められるはず。
それでももちろん私人逮捕系YouTuberのような逸脱はしてはならない。
これはぶつかりおじさんを擁護してるわけではない。
そして反撃をしたら反撃した側も暴行罪になる。
・ただし、エロコンテンツでも「わいせつ」と「児ポ」は保護されない
・「わいせつ」かどうかはそのコミュニティの平均的な人が明らかに不快でハードコアな性的趣味だと思えば「わいせつ」
・「児ポ」にはいわゆる二次元は含まれないが、二次元でも「わいせつ」と思われれば違法
ということでvisaとかmastercardの本拠地のアメリカでは、伏字による表現規制だと騒がれているジャンルはどうやら違法になりそう
以下の流れは推測
・visaは合法コンテンツの価値判断は行っていないとのことだが、上記のようなアメリカでの違法コンテンツの決済は許していないはず
・違法コンテンツの決済が見つかれば、visaはその違法コンテンツを売っている加盟店を管理しているアクワイアラに制裁を行う(またはアクワイアラを通じて決済代行会社にも制裁)
・アクワイアラ(または決済代行会社)は加盟店に対して同じく制裁する
国際ブランドにアメリカ基準での違法コンテンツの決済がバレちゃうとBANされるか制裁金を課せられるので、アクワイアラか決済代行会社が「伏字にしてね」「このコンテンツは決済やめてね」と加盟店に依頼している感じなのかな
逆に言うと、加盟店がこれを断ると、早晩制裁金を払うか、決済停止になるかなので、抜け道を教えてくれてるアクワイアラや決済代行会社は何も悪くはない(国際ブランドにとっては悪い)
国際ブランド側もアメリカの法に従って違法なコンテンツを取り扱わないようにしているだけだから、何も悪いことはしていない
アメリカで買ったら(買えるようにしていたら)違法なのであれば、アメリカでは買えないようにすればいいだけかもしれない
ただ、国際ブランドがアメリカに本拠があるので、「我々のブランドの名の下に決済するのであれば、どこに売ったとしてもアメリカの基準で違法/合法を判断してくださいね、われわれもそれでモニタリングしますね」であれば、日本国内取引でもまずいわけで