ねぼけている
最近は忙しくてちょっと控えているけど、前はほぼ毎日ツイッターやpixivで推しCPを検索して、いいねやブクマをしたり推しCPの絵師さんや文字書きさんをフォローしました。
特に作品がめちゃくちゃ好きなのにフォロワー数が少ない人がいたら、絶対やめないでください!の気持ちで必死にマシュマロとかで匿名の感想を送ったり、rtやいいねをしてこの作品の評価を上げようとすることもあります。
時々応援していた人の作品が何かのきっかけで注目されて、フォロワーがめちゃ増えることをリアルタイムで見たこともあります。とても嬉しいことだと思いました。
私が悩んでることは、そうしてフォロワーが増えた神はもはやリプやマロで感想をいっぱい貰ってるのし、そこに返事するのも大変そうだけど、そこにさらに私の感想まで送るのは迷惑ではないかな?ってことです。
私の感想に返事することよりあなたの大切な時間をもっと大事にして欲しい!ということでしょうかな。
なので、フォロワー数がある程度の数を超えた方には感想を送らないようにして、どうしても気持ちが抑えられない時だけ返信不要で感想を送ってますが、時々優しい方々はへんふよのものにも返事をしてくださるので申し訳なくなります…
でも、最近は逆にこうして距離を取るのがよくないのかな?!とか考えたら、もう何がどうしたらわからなくて…
私はそこまでフォロワーが多かったことがないので、実際にいっぱい感想を貰ってる方がいらっしゃるのなら是非ご意見を聞かせていただきたいところです。
狭小住宅ってことは戸建てエリアだよね?私は各家の表札をみては、どういう人がその素材と字体を選んだのか考えてる。この家はおしゃれ奥さんが選んだっぽいな、そういやカーテンも北欧やな〜エアプランツは飾り窓から見えそうだな、とか観察して誰が住んでいるのか考えている。あと、同じ建材や工法を見つけるのも楽しい。特に駐車場の地面のつくりはバリエーション豊かでチープなものも手が込んだものもある。ハウスメーカー当てながら散歩するのも楽しいよ。これは積水だなとか。
オタクは自分の世界、フィクションの世界に没頭する事により現実社会の競争から一時的に免れる事がかつては可能だった。
しかし、Twitterの台頭により、オタクですらも才能や魅力での優劣で分別されてしまい、自分の好きなようにアニメや漫画の世界に没頭するだけでは物足りなくなってしまった。アニメや漫画、映画を見て何か上手い感想を言ってみんなにもてはやされたい、或いはそういう人がもてはやされているのを見て、自分も何か言おうとするが喉に詰まる言葉に辟易する。
そうして何も言えない自分に嫌気が差しながらも、自分もちやほやしてもらいたいからソシャゲに多くの金額を注ぎ込む。ゲーム内ランキングの上位に行く事を目的とし、その目標が達成できればTwitterのオタクに多少なり尊敬される。そのゲームをやりこみ、攻略情報を見出してnoteに長文なんて書いてみれば上出来だ。仲間のオタクだけでなく、知らないオタクにまで「スキ!」と言われ舞い上がるだろう。
あるいは、自分の好きなVtuberにたくさんのお金をあげるのはどうだろう。毎回多額のスパチャを送れば名前を呼んでもらえる。Twitterで絡めばリプライがもらえる。名誉リスナーとしての称号を得れば同じオタクに見てもらえる。自分はただ人に金を投げただけなのに、何かした気になってみんなに見てもらえるのだからそりゃ舞い上がるだろう。
私はそんなオタクばかりになっていくのを見たくない。劣等感に苛まれながら安酒を飲み、ソシャゲに課金をし、推しの配信を見ながら将来のことを頭の片隅に追いやりながら眠りにつくだけのオタクに。
競争で勝つためにオタクになったわけではないはずだ。かつては好きなアニメや漫画、映画があり、そこからオタクになったはずだ。その時を思い出して誰かから認められるために何かをするのではなく、自分が何をしたいかという事を思い出してくれ!!!!頼んだぞ!!!!!!!
それ聞かされてもどうとも思わないんだが
イヌイットはエスキモーの中の一集団ではあるけど、イヌイットではないエスキモーもいる。
現地語の名前を他言語 (主に英語) の習慣で違う意味をあてることこそ文化を理解しようとしない差別的態度だという考え方も今では主流のひとつ。
現地・当事者の習慣を大事にするという国際的習慣ができつつある。
国際的な潮流もあるし、かといって日本で続いてきた習慣を否定するのもそれはそれで日本の文化に対する否定的な態度であるし、色々あって良い感じの落としどころがないかというのはずっと模索し続けるしかないんだろう。
スポンジたちを休ませる風呂なら常設してある。
夜に漂白剤を少し垂らすの。
雑菌も黄ばみもスッキリして朝には新品みたいになるの。
これにより激落ちくんは常に真っ白なままだ。
当たり前のことを当たり前のようにできると集団では重宝される例