はてなキーワード: ランチとは
1時間のうちに会話しながら飯食うのが処理しきれねえ
飯食ってるとき人の話耳に入らないし
人の話聞いて処理してかみ砕いて解答する事に意識割くと飯が食えねえ
人間むいてねえ
ちなみに今年で35歳
午前9時ちょい前に家を出て、20キロほどのサイクリングを計画していました。10時の始業時間前に到着することを期待していましたが、
実際には大幅に遅れ、10時半を過ぎていたと思います。予想外の1時間半以上かかりました。
何だったのでしょうか?一つは、山道を試してみたことです。ヒルクライムは力不足で、自転車を押して歩くことになりました。
下りは速く進めるはずでしたが、自作の自転車のブレーキが信頼できず、思うように速度を上げられませんでした。さらに、全体に登り坂が多いコースでした。
こちらも速くはなかったです。下り坂が多いので、往路よりも早く帰れるはずでしたが、ランチ休憩や尻の痛みが影響したのかもしれません。
人と上手く関われないという、この苦しみ。いえ、苦しみという言葉ですら軽すぎる。言うならば、人生を根こそぎ侵食する泥沼のようなものでしょうか。何のために、そして誰のために私はここにいるのか。職場に足を踏み入れるたび、そう問いかけてしまう自分がいます。
人が集まり、日常の会話が交わされる。おはよう、どうですか、最近は。私はその一言一言が怖いのです。その中に足を踏み入れた途端、私はどうしようもなく「余計なもの」になってしまうのです。そもそも私は、彼らの輪の中に入る資格など持っていない。私が何を話せば、彼らは私を受け入れてくれるのだろうか。いや、そんなものは最初から存在しないのです。彼らの軽やかな会話に、私の重苦しい言葉はただ沈むだけです。
ランチタイムには、さらに別の地獄が待っています。無理にでも皆と行くべきなのか、でもそこには自分の居場所などない。けれども一人で食べていると、まるで世界から取り残されたような孤独が襲ってくる。ひっそりと弁当を広げ、周囲の話し声を遠くに感じるこの時間の空虚さ。誰にも話しかけられず、誰にも見向きもされない自分の存在が、どんどんと霞んでいくようです。私には、何も語れるものがない。何も、話すべきことがない。
たまに勇気を出して、何かを話してみようとするときもあります。けれども、それがどうしてもうまくいかない。言葉が詰まり、伝えたいことが形をなさない。心の中には確かに言いたいことがあるのに、それが声となって外に出ると、途端に崩れ去る。周りの人々の無関心な表情に、私は己の無力を見せつけられるのです。どうして私はこうも不器用で、こうも無価値な存在なのだろうか。
職場の中で、ただそこにいるだけの自分。それはまるで透明人間のようであり、あるいは、誰からも忘れられた遠い記憶の欠片のようでもあります。自分が存在しているという実感さえ、次第に失われていくような気がします。このまま何も変わらないのならば、私はいっそ、どこか遠くの誰も知らない場所へと消えてしまいたい。
購入してしまいましたが、問題ありません。そのように考えます。このアイテムは使いやすく、職場での調理を控えめにしたいという点でも最適です。お湯を沸かすといろいろびちゃびちゃするの心配だし、低温調理だとモーター音が心配ですが、レトルト加熱器ならそういった問題もなく、スマートな職場ランチライフの良い結果が得られるはずです。
ああ、ひだるし
子どもが試験期間中であるため、早く帰宅するはずだが、何かあったのだろうかと思っていたところ、子どもが帰ってきた。親は有給休暇を取っている。これでようやくランチを食べることができる。ボナペティ!
下方婚とは、社会的地位や収入、学歴などのステイタスがより低い者と結婚することを指します。その逆を上方婚または上昇婚といいます。
だそうです。
私:学歴はSランと言われる国立、社会的地位は会社員、収入はボーナス入れて800万~900万 30代中盤 首都圏育ち
夫:本人が言うには馬鹿大、社会的地位は地方公務員、収入はざっくりと300万くらい 20代後半 地方育ち
趣味は被るところと全く被らないところがある。オタク趣味っぽい所は合う。
学歴と収入だけでいうなら下方に当てはまるかもしれないと思って書いてみる
社会的地位は夫は安定しているしマンションのローンも通る(結局買ってないけど)
私は今は収入はよくても年によってボーナスの額は大きく変わるし出産したら辞めるだろうしそこで逆転する可能性はある。妊娠出産するかは分からない。
でも妊娠出産後に育児しながら労働は無理。少なくとも夫が主夫にならないと無理。そして公務員の夫を主夫にする勇気は私にはない。
その辺は完全な下方婚ではないと思う。夫は仕事ができないわけではない感じがするし。
生活費は家賃ネット代等固定費が夫、食費光熱費雑費が私で残りの給与はお互い自由にしてる。
私は大半は貯金したいけど、一応仕事的に身だしなみ(服コスメメイクヘアケア)にお金はかけてる。それが面倒だと思う時もあるし、お金かけて良かったと思う時もある。
自分一人ならフルタイムと多少残業しつつ週末に作り置きと買い食い、掃除洗濯でなんとか家事も出来てたけど
結婚したら家は広くなり汚れるのも早くて家事は2倍どころか体感5倍になったので
私が料理とキッチン掃除、夫がそれ以外の掃除洗濯全部、週末は外食外出or家で何もしない という感じ。
しんどい時は料理せず買い食いか外食で、食事にお金出してるのは私なんだから文句は言うなと思ってる。言われたことはないけど。
子供生まれたら詰むかもしれないと思いつつ、まだ生まれてないし…ということで現状維持です。うっすらとした不安はある。
私が年上ということもあり、付き合い始めに夫(彼氏)をいろんな場所に連れて行ってその反応を見るのは楽しかった。
地方育ち、奨学金を返しながらのお付き合いだったので夫は倹約が基本だった。趣味はゲームや散歩くらい。
ちょっとお高いランチやディナー、エンターテイメント、一人じゃ行かない奮発した旅行
夫はなんでも「こんなに楽しいの初めて」と喜んでいたし、プレゼントで数千円の物をあげたらとても感謝された。たった数千円で!
なんでも「初めて!」と喜んでくれる様子は可愛かったし、男性がそういう女性の反応を良しとする理由も分かった気がする。
ただ、デートは私の奢りではなく自分の分は自分で払う形式で結婚した今も基本は変わっていない。
全部私が出すと「息苦しくなる気がする」らしい。言ってる意味は分かる。
それで下方婚(?)して思ったことだけど、やっぱり経験したものとか価値観は全然違う。購入するものの価格帯も違う。
私は読書、勉強、常に新しいニュースやトレンドや娯楽に接してないと不安だけど、夫は最悪ゲームとユニクロとマックがあればいいっぽい。(暴論)
同じものを見た時の感想の長さも全然違う。あの作品って過去のあれのオマージュだよね、名前もきっと由来が〇〇で~と早口オタクの私と
「面白かった」「良かった」が大半の夫。え!?それだけ!?と思うこともあるけど
後日過去作を観てたりふとした会話でぽつりぽつり感想を言うのを見て、彼なりに楽しんではいるんだなと思っている。
付き合い中~新婚時代それはどうなんだ?と思って夫にこの年齢ならこのくらいのお店や経験を…と思って連れまわしたりし、
夫も新鮮味があったのか喜んでくれてたけど、数年経って
ふと、同じ経験をさせて同じような価格帯のものを身につけさせて私と同じ価値観を持ったらめちゃくちゃ苦しいなと思った。
家に理屈っぽい完璧主義者が二人いて、仕事でピリピリして、それぞれの家事とか余暇の過ごし方に内心ケチ付け始めたらすんんんごいしんどい。
私は私が男だったらさらにモラハラになる気がしてるので、私のような男が家に居たら息が詰まる。
そして、
フードコートで千円以内で食べられるものを美味しいねって食べてることって別に悪くないよな…と思い始めた。
うわぁしみったれたな私、と思う反面、大概の高いお金払って食べたものって半年後には忘れてるし何の意味があるんだろう?と思い始めた。
静かで落ち着いた空間でこそ話せることもあるし、その時間が無駄とは思わないけど…
趣味みたいに投資してる基礎化粧品とメイク用品と香水とお気に入りのブランドの服はまだ手放せないし、
お洒落すると夫のテンションが上がるのでまだ辞めるつもりはないし、レジャーとか旅行とかは、思い出として強く残るから意味があると思うけど。
でも部屋着でごろごろして、ぼけーっとしててもいいよな…とも思えてきた。
それでも可愛いと言ってくれるし、一緒にゲームして漫画読んで非生産的な時間を過ごしてる。
2,出産育児の収入面の心配はやっぱり消えない。最低限子供の学費に目途がつくまでは産めない。大きなデメリット。
メリットは
3,私は一人の人間に「法的拘束力がある契約を結んでいい」と思われるくらいには愛されたのだという安心感を得られる。
3がでかいから下方婚したのかもしれない。夫がガツガツ仕事をしてたら、今ののほほんとした雰囲気にはなっていない。
でも子供の件があるから、下方婚はおすすめできない。妊娠後、体質変わるし前のようにがっつり働けるとも思えない。
その時に夫を責めるようになってるのか、二人で打開策を見つけているのか本当に分からない。