はてなキーワード: 企図とは
まず最初に、全世界のゲーム開発者の皆さんに声を大にして訴えたいのは、「オープンワールドとパズルの相性は最悪だ」ということである。
オープンワールドの面白さは「どこにでも自由に行けること」だが、パズルは基本的に「制作者の企図する唯一の正解を見つけるもの」である。
つまりそれを組み合わせると「どこにでも自由に行っていいけどパズルを解くにはこのルートに沿って進まないとダメですよ」ということになる。
二つの要素が完全に干渉しあっていることがわかるだろう。そこに「オープンワールドでパズルをやる意味」は無い。
Marvel's Spider-Man 2(以下MSM2)が犯したミスというのはまさにこれだった。
このシリーズは、オープンワールドアクションの模範作として1作目・2作目が大絶賛されたものの、その時点でシステム的にはほぼ完成されていた。
よってマンネリを防ぐにはとにかく大量の要素を注ぎ込むしかないということで、その広大なフィールドの密度を上げるためにパズルをばら撒いたのだ。
ゲーム制作でよく使われる言葉に「掛け算の面白さ」というのがあるが、MSM2で行われたのは「大量に足し算する」ことだったわけだ。
さらに、ストーリー上の演出を派手にしようとして単調なQTEも増えている。
シナリオに力を入れた反動で「ただ指示されたルートをなぞるだけ」「指定されたポイントを調べるだけ」のクエストも増えた。
確かに1作目・2作目にもそういった要素はあったが、あくまで補助的なものとして抑制はされていたように思う。
MSM2ではその歯止めが効かなくなっている。
とにかくボリュームを増やそうとして足し算をしまくった結果、良くない要素も増えまくってしまった感がある。
MSM2では「ウェブウィング」というウイングスーツ的な新能力が用意されている。
ビル風に乗って加速したり、上昇気流に乗って高度を稼いだりできるのだが、その気流が特定のポイントにしか設置されていないのもよくなかった。
MSM2がたとえば「特定の壁だけしか登れない」「特定の建物でしかスイングできない」だったらどれだけつまらないゲームに成り下がるだろうか。
「特定の場所でしか気流に乗れない」というのはそれと同じだ。まったくオープンワールド的ではない。
今回の新要素で本当に最高だったのは、「ウェブライン」という宙空に自由に糸を張ることができる能力である。
これにより、頭上からステルス・キルを狙うときに、プレイヤーの思い通りに自由なポジションを取れるようになった。
まさにそれこそがオープンワールドの面白さ、自由度の高さによる面白さである。
総じて、MSM2は「マンネリの打破のために考えなしに要素を詰め込んだ作品」だと言える。
1 事案の概要
本件は、東京都板橋区前野町5-38-2所在の村山マンションでルームシェア
事業を営んでいる原告の富澤佳代子およびその父が、平成30年3月中旬頃に、被
告Aが、原告がインターネットの「ルームシェアジャパン」(http://roomshare.jp/)
という、シェアハウス等の紹介を目的とした掲示板サイトに自己の物件について紹
介をしていたのを見つけ、Aから同サイト掲載のメールアドレス宛てに、「今すぐ
‐2‐
住みたいんですが住めますか」というメールがあり、富澤が当初、「他に内見希望
者がいるのでその人が辞退すれば住めます」と返信し、Aが様子を見ていたところ、
原告が、「内見希望者が辞退したので内見可能になりました」というメールをAに
送り、Aがルームシェア契約ができる可能性が高まったものと考えて、平成30年
3月28日に板橋区前野町所在の村山マンションに行ってそのまま原告と契約し、
207号室でルームシェア契約をしたが、原告は、契約当時、被告の外観上、特に
問題のないような人であり、危険性や精神疾患を抱えている者ではないと判断した
ため、契約してしまったが、後日になって、Aが同シェアハウス内で様々なトラブ
ルを起こしたり、精神疾患を抱えているような様子が分かるようになったが、そも
そも自己が管理する物件が、賃料さえ払ってもらえれば多少のルール違反には目を
つぶって事業をしていたため、被告Aに対しては、形式的なことを言って居住させ
ていたが、被告Aが、夜中に隣室の者に対して「(生活騒音が)うるせえんだよ、
ぶっ殺すぞコラ」と大声を出したり、Aが隣室の者の生活騒音を抑えるために条例
に基づいて警察官を呼んだりした件について、営業妨害であると考えて、当該事件
が起きた4月中旬の時点で、「あなたはうちは無理だから出て行ってちょうだい」
と強く申し向けて退去を要請したこと、これに対してAが丁寧な謝罪を重ねて、も
う二度としないから何とか住まわせてもらえないかと電話で言ったため、原告がこ
れを憐れんで同情し、「分かった、でも次警察を呼んだら出て行ってもらうからね」
と言って、Aを同所に継続して住まわせることとしたが、6月頃に、Aが205号
室の者が出す生活騒音に激怒して「ガタガタうるせえんだよお前、次やったらぶっ
殺すからな、覚えとけよボケが」などと怒鳴り散らした件で、205号室に居住の
細川真作および204号室の者が同時に原告に苦情を行い、原告がAに注意のメー
‐3‐
ルをしたものの、その時は、Aの怒声があまりにも強く、205号室の細川及び2
04号室の者、および原告とその父が恐怖を覚えたため、形式的な注意のメールを
しただけで終わった。しかし、6月中旬頃に、Aが、同シェアハウスに志村警察署
の警察官を呼んで、このシェアハウスの住人は生活騒音がうるさいからどうにかし
てくれ、と言って警察官に指導を要請した件で、同シェアハウスの多くの者から原
告に苦情のメールが入り、先日Aが激怒して怒鳴り散らした件も含めて、原告が遂
に堪忍袋の緒が切れてAに対し電話をし、「また警察を呼んだよね?もう出て行っ
てくんない?」と言われたことから、Aが強気に出て「205号室の者がわざとこ
っちに嫌がらせしてくるんでこっちも我慢の限界なんですよ」などと反駁したとこ
ろ、原告が、自分ではAを説き伏すことができないと考えて、同所の実質的なオー
ナーである父親に電話を交代し、父親が「お前何モンや?うちは安いところやから
多少生活騒音があっても許しとるんや。それが嫌なんやったら出て行けやオンド
レ。」「出て行かんのやったらワシが今からお前のところに行って追い出すぞ」など
とAに言ったことから、Aと喧嘩になった。しかし最終的に、「もう警察は呼ばな
いな?男同士の約束だぞ」ということで、紛争は納まり、Aは引き続き同所に居住
することとなった。 平成30年9月4日にはじゅりちゃん、9月20日には延岡のサンタナでトラブルがあった。
しかし、平成30年11月に、209号室に住む篠原直樹との間で口論があり、
篠原が振るった暴行等の件で、Aが前野町交番に通報したため、前野町交番の巡査
がオーナーである原告に電話で色々と事情聴取をしたことで、原告である富澤が個
人的なストレスを抱えるようになり、パニックに陥って、仮にAが篠原から犯罪被
害を受けたにせよ何にせよ、Aが同シェアハウスに入居したせいで様々な混乱が起
きており、Aが邪魔だと考えて、原告は、父親と相談してAを追い出すことに決め、
るのは当然であり、契約を解除した上、被告を同シェアハウスから退去させられる
ア 原告、富澤佳代子は、板橋区前野町に所在する淑徳大学の児童発達障害に関す
る研究を行っている大学教員であり、これと同時に、板橋区前野町5-38-2所
在の昭和49年建築の村山マンションの2階に存在する部屋を8室にパーテーシ
ョンし、また、共同ベランダ、キッチン、トイレ、個室シャワールームなどを完備
し、ルームシェア事業を実施しており、他にも、足立区の西新井など数か所にもマ 西新井にいったのは結局令和元年8月17日である
ンションを購入しており、同様にルームシェア事業を行っている。
記載内容は、部屋の写真などがついていて、家賃は38000円であり、「ベッドあえい」という記載もあるなど、諧謔に富むが、一
オ 被告は、e ルーム自体は、賃料も安価で、インターネットも利用でき、ビル外に4分100円の個室シャワーもあり、コインランドリーも近く、都心部にあるため、周辺にスーパーがたくさんあり買い物には事欠かず、白山まで歩けばすき家もあるため、朝食にも困らないし、2か月に一度振り込まれる障害基礎年金の16万円があれば、そこでも生活していけると考えたものの、床が硬く、寝ると腰が痛くなることや、入居当初日の3月はじめ、同ルームでそのまま横たわって寝たところ、空調があまり質が良くなく、厳寒期なのに対して室内が極寒だったことから寒さで震えて起きてしまい、空調があまりに酷いと考えたため、最初は上野にあるニトリエクスプレスで適当な寝具を買おうと思い立ち、山手線で上野のニトリに行ったものの、高級布団しかなく、寝袋は売っていなかったので、適当に秋葉原の方面へ歩いて行ったところ、たまたまドンキホーテがあり、店員に聞いたら1500円の寝袋があることを知ったので、この寝袋とパソコンを置く台を購入して、e ルームに帰宅した。
ケ 被告は、そもそもシェアハウスでは生活保護は無理だという頭があったので、はてなブログのコメント欄に書いていた「えごいすた」という者と連絡を取り合い、匿名チャットなどで談合し、生活保護を受けるために居候させてくれないか、などと話を持ちかけていたが、えごいすたから、今は実家に親がいるから無理だから、一旦帰郷してまた東京にきたときに、マンションを買うから居候の件はそのときに考えてくれないか、ということでその話は終わった。
シ そのまま、2階に上がり、207号室に案内されて、契約書を受け取ったが、契約書記載の、身分証明書のコピーの提示は要求されず、初月家賃の支払いとサインを求められただけで、その他は、共有ワイファイの暗証番号などが伝えられた。その後のメールでも、契約書は渡したが、うちのハウスには特にルールはないから適当にやってほしいといった趣旨のメール返信があり、また、「えと」こと富澤も、被告において極めて上品で淑徳な印象を受けたので、安心できる人物と信頼し、しばらく同ハウスで日数が過ぎた。
ス 被告は、3月28日に入居したときから、隣室の者が、やけにうるさく、床に物を置いたりして、ガタガタと生活騒音を立て、その回数も相当数に上ったため、次第にイライラを募らせるようになり、4月中旬に、遂に我慢できずに、夜中に目が覚めて、隣室の方に向けて、「うるせえんだよ、ぶっ殺すぞボケが」と叫んでしまった。被告は、4月中旬に、隣室の者の出す音が、東京都の迷惑条例に違反している
と考えて、志村警察署の警察官を呼んで指導してもらったところ、隣室の者が卑怯にも居留守を使って警察官の対応に応じず、部屋に閉じこもってオーナーの富澤に苦情を入れ、これを聞いた富澤が、被告が警官を呼んだ行為を営業妨害ととらえて、直ちに被告の携帯に電話し、「警察を呼ぶなら今月末で出て行ってくんない?」などと言われたため、被告において、富澤が、淑徳で大人しい女性ではなく、面前で会うときの態度と、裏での日常生活で、人格を使い分けるタイプの精神障害者であることが分かって裏切られたとの感を抱いたものの、散々インターネットを検索した挙句に同ハウスを見つけた矢先に、同所を追い出されると、実質的には他にいくところがなかったため、富澤に精神疾患がある点については言及せず、富澤が分かるような穏やかな口調で「もう二度としませんからなんとかここに住ませてもらえないでしょうか」「お願いします」などと繰り返し説得し、富澤の怒りを鎮め果せて、富澤から「分かった。でも今度警察を呼んだらそのときは出て行ってもらうからね」と言われて、事なきを得た。また、富澤が、被告の説得を聞いて憐憫の情を抱いたのか、被告に対して、「206号室が開いたから移る?」などと持ちかけ、
被告がこれに応じて、転居を決定し
ソ 被告は、そのまま206号室で生活を開始したが、今度は205号室に居住する細川真作が、激しい音を立てて居室のドアを閉める、ガサツで他人の迷惑も気にしない男であり、また、部屋でも、壁が薄いのに壁に物をぶつけるなどする行為が、相当回数に及んだために、被告がイライラを募らせ、6月頃に、被告が激怒して、「ガタガタうるせえんだよ、次やったらぶっ殺すからなこのクソガキが」などと叫
んでしまったことと、被告が、細川及び同シェアハウスの他の生活騒音がうるさい者に報復をするために、スピーカーで大音量で音楽を流していた件で、細川と204号室の者が個人的に嫌気を感じたために、富澤に、迷惑をしているといった電話を入れた件で、富澤が、被告に注意のメールをした。
タ 被告は、6月頃に、同ハウスの多くの者が、あまりにも節度がなく、ドアの開
け閉めの音、床を歩く音の大きさ、室内で出す生活騒音があまりにもうるさく、ス
トレスが蓄積して、志村警察署に相談し、警察官を呼んで生活指導をしてもらうこ
とを企図したが、ハウスに来た警察官が形式的にしか仕事をしなかったうえ、同ハ
ウスがあまりにも無法地帯であることから、被告がパニックを起こして一時騒然と
なり、同ハウスの者が、自分たちに都合のいい野放図な生活を、被告が警察を使っ
て邪魔しており不都合と考えて、一斉に富澤に苦情を言った件で、実態としてはそ
の当時、同ハウスを安い賃料で多くの者に利用させ、その代わりに特にルールを設
定せず無法地帯を許していた富澤およびその父が、同ハウスに警察を入れられると、
‐11‐
退去者が出るのではないか、営業妨害であると思料して、被告に電話をし、「また
警察を呼んだね?もう出て行って」などと言ったが、たまたまその時は被告も強気
に出て「こっちもこのハウスの色々な者から迷惑を受けている。生活騒音がうるさ
くて仕方がない、生活できない」と反駁したことから、富澤が、自分の力では被告
を説き伏すことができないと考え、通常は高度のパニック障害と精神疾患を抱え、
日頃から発狂しているため、同ハウスの者には正体をさらしていなかった真の管理
者である富澤の父親に電話を交代し、父親が「お前何モンやコラ」「うちは安い賃
料で貸してるから多少の生活騒音は見逃しとるんや」「嫌なんやったら出て行けや」
「出て行かんのやったら今からワシがお前のところにいって追い出すぞ」などと、
滅茶苦茶なことを言い、被告とヤクザ者同然の喧嘩となったが、最終的には「もう
警察は呼ばないな?男同士の約束だぞ」などといって決着して、以降も被告は同所
に住めることとなった。
チ その後も、205号室の細川は、相当回数生活騒音を立て、204号室の者もうるさかったが、被告は、警察沙汰になると退去しろと言われるし、裁判所が機能していないから訴えたところで無駄であると考えて8月の夏までは我慢して生活し、東京での生活が一段落したことから、宮崎県の実家で暮らしている母や祖母が病気なのでその様子を見に行くと言って、ケースワーカーに、帰省の要請をして、
9月5日に、新幹線で延岡市に帰省した。帰省後、富澤に、帰省していて部屋を使っていないから、家賃をまけてもらえないかとメールをしたら「共益費の8000円だけサービスできます」との返信があり、被告は9月分の家賃を実家の最寄りの郵便局から富澤の口座に振り込んだ。
ツ 被告は、10月10日まで延岡市で過ごした後、同ハウスに戻った。一か月、田舎に帰省していたことから、同ハウスでのストレスも和らいでいたため、205号室の細川に対し、ドアの開け閉めや生活騒音を出さないようにすることを狙って、「以前は怒鳴り散らして申し訳ありませんでした」云々といった手紙と共に2000円を封筒に入れて、細川の部屋のドアに挟んでおいた。細川は素直にこれを受け
テ 10月中は特に何もなかったが、富澤親子の気が代わり、玄関先にルール表が貼付され、生活騒音を出さないことなどに関して注意書きが設けられた。
ト 11月6日に、被告が洗濯をするためベランダに出ていたところ、被告が同ハウスで自分に喧嘩を売っていたことなど、かねてより積年の恨みつらみを募らせていた209号室の篠原直樹が、被告が共同ベランダにいて人目につかない場所にいるのをいいことに、「おい、ドアの開け方がうるせえんだよ」などと因縁をつけて喧嘩となり、もともと会社などで上司などからいじめを受け、ストレスを抱えてお
り、そのストレスを被告に当たり散らそうとした篠原がこれに激して、被告がして
いた洗濯の洗濯機のスイッチを止めて被告を突き飛ばし、「お前は気持ち悪い」「こ
のシェアハウスのみんなから嫌われている」「キッチンのゴミ、片づけていなかっ
たのお前だろ」「ぶっ飛ばすぞ」「さっさとこの家から出て行けや」などと、諸般の
実質ないし形式的な因縁をつけて、被告の服を破り、暴行、器物損壊、脅迫、侮辱
の犯罪行為を行った。その後も、篠原が被告を玄関に誘導し、ルール表を手に取っ
てこれを被告の首元につきつけ、「このルールはお前のためにできたもんだぞ、音
楽をかけるときはイヤホン使えや、ねえならヘッドホンを買えや」などといって暴
行を行った。
ナ 被告は、上記犯罪行為を受けたことから、前野町交番に110番したが、かけ
つけた警察官が形式的にしか仕事をしなかったために、現行犯逮捕に至らず、篠原
も居留守を使ったために、警察も対処ができなかった。その後も、被告は、本件に
関する予想判決文を作成して、セブンイレブンの印刷機で印刷し、これをもって志
村警察署や前野町交番に何度か足を運んで、どうにかしてくれと言ったが、いずれ
の警官も、なお形式的にしか対応しなかったため、捜査は進展しなかった。
ニ 前野町交番の地域2係の巡査が、被告からオーナーの電話番号を聞いていたた
め、巡査とオーナーが電話でやり取りをした件で、富澤も次第にストレスを募らせ
るようになり、確かに被告が篠原から犯罪被害を受けたが、富澤親子は、同ハウス
は安い賃料で売り上げを上げたいし、ハウス内については細かいルールを設けず、
今時の若者の好き勝手に任せておけばいい程度に考えていたため、法律やルールに
やかましい被告が同ハウスに入ったせいで、様々なトラブルが起きており、被告を
邪魔だと感じるようになったため、かねてより被告に精神疾患があって神経質だと
思っていたことから、ルームシェア契約書の条項を利用して、被告と契約を解除す
ることにした。
https://anond.hatelabo.jp/20231007213757
戦争とは何かといえば、古典的定義はクラウゼヴィッツ的な「政治の延長線上の実力行使」だし、
当世の建前としては国連憲章的な「現状変更を企図した武力行使というルール違反行為」になるのだろう。
定義の仕方は文脈により様々あれど基本的にはユニフォームを着た戦闘員同士の戦闘が戦争であるはずだ。
その限りにおいて戦略爆撃や無制限潜水艦作戦や無差別ロケット攻撃は戦争ではなくその副産物としての戦争犯罪だ。
いまイスラエルとハマスがやっているのは戦争ではなく純粋な「相互虐殺」だ。
なんともいいようがない。
まあしかし。ここ数十年少なくとも我々日本人は戦略核による抑止のもたらす平和に浴して来たわけで、とっくの昔に戦争は「ユニフォームを着た兵士の戦闘」などではなくなっていた。
まったくその通り!
なんかあんまりにもわかってないやつが嘘松よばわりするからかなしくなっちゃった
行政文書である命令に基づいて行動するんだから幹准曹士関係なくペーパーに理解がないといけないんだよね。訓練するってことは訓練を受ける人間のほかに、訓練を管理する人間、組織を運営する人間がいないとできないことで、訓練の目的の中にはできるようになったやつができないやつに教えるというものがある以上、階級が低かろうが訓練管理に係るデスクワークにかりだされない訳ではないんだよ。
使えないやつを使えるようにするということの内訳は部隊の行動の企図を理解してないやつが戦場にいても、絶対に一人で行動しない(させない)からなんとなく戦力になっているようみえるだけで、実際は状況も部隊の企図も理解ないんだからそんなスタッフになった瞬間にやばいのは火をみるより明らかだよね
こういった生え抜きのBさん問題もあるけど管理運営側に回ったとき、ひとりの兵士として優秀でもその状況ではBさんになっちゃうひとがパワハラに走ったりするのが難しいよね
(1)平成30年11月6日に、篠原がかなり大きな付け火をして、富澤が山田朋美のように恫喝したといっていたが本当か分からない
(2)12月6日に年金等級が下がって、支給額が16万円から13万円になった
(3)令和2年11月27日に大分県警の地頭に保護されて嫌がらせうけて晴生が正体だしてさらに悪化し
(4)令和3年は、イオンでもめて、大怪我して、尾崎正和が出てきて、次に14階が殴ってきて、わらびで保護
で、どんどん悪化している。 (6)5年6月1日には、金光ゆうふうと志村署の地頭が何かを企図している気配があり、7月24日11時10分に、地頭から電話があった
このような経緯からまだ社会を信用してなく、拡声器による夜間における警戒活動は停止していない。
黒羽刑務所の長谷川と森脇という言葉が大量に出てくる。周辺からのアドバイスはなし。どこかのマンションの15階に住んでいるしらちゃんから、あなたは殺されました、と今更になってアドバイスが
ある。(なお、しらちゃんは、平成30年に東京高裁刑事3部にいたが今は不明)
地頭の指揮で消防の器具を用いて部屋の中に侵入されている形跡があり、拡声器は対人攻撃用に室内に置いている。横のアパートの中に奇声を発するきちがいがいる。
室内の所持品の整理が終わり、文化的生活は安定しているが、それが安定すればするほど地頭からの反感を買って110番通報が急増する。
福祉事務所関係 中谷&城戸の時代は盛んだったが異動により、高橋と健康管理士しかいなくなってからほとんど行かない。
現在の係長 二杉 似すぎといってるが、なにと似すぎなのかが分からない。
グランデータとの関係 電気代が 2万→3万で推移していた時代があったが、現在は、 5800円
(1)5月3日に猪股辰之が自転車窃盗を作っている。志村署の地頭の指示で罠にはめるため。
(3)110番通報で臨場する警察官 きもと 戸田 肘井 中村 松重豊 山本
きもと とにかくしつこい。必ず帰宅するまでしつこく追いかけてくる。
戸田 23歳。
肘井 スタディサプリで980円で英語を教えている感じのみすぼらしい警官
山本 鼻の角度。
母親がためこんでいたティッシュ箱をもってきたが、まだ使い切っていない。
プリンターは置いているが、使いにくいため使っていない。
年 | 名称 | 概要 |
---|---|---|
463年 | 吉備氏の乱 | 雄略天皇が吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。 |
479年 | 星川皇子の乱 | 雄略天皇と吉備田狭の妻のあいだに生まれた星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。 |
527年 | 磐井の乱 | 朝鮮半島へ出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州の豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。 |
587年 | 丁未の乱 | 仏教の布教を巡って、大臣・蘇我馬子と、大連・物部守屋が対立し、戦に発展した。蘇我氏が勝利した。 |
645年 | 乙巳の変 | 中大兄皇子・中臣鎌足らが、朝廷を壟断していた蘇我入鹿を暗殺、続いて蘇我氏を粛清した。 |
672年 | 壬申の乱 | 天智天皇の後継者争いが発生し、皇太子・大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子が挙兵した。大海人皇子が勝利して天皇となった。 |
729年 | 長屋王の変 | 皇族の長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王は自害した。藤原四兄弟による陰謀とされる。 |
740年 | 藤原広嗣の乱 | 藤原四兄弟の死により藤原氏の勢力が退潮し、九州に左遷されて不満を持った藤原広嗣が太宰府で挙兵したが、朝廷軍により討伐された。 |
757年 | 橘奈良麻呂の乱 | 橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、藤原仲麻呂を疎んでクーデターを企てたが、事前に発覚して逮捕され、獄死した。 |
764年 | 藤原仲麻呂の乱 | 孝謙上皇と対立した太政大臣・藤原仲麻呂(恵美押勝)が反乱を企図したが失敗、討伐された。 |
780年 | 宝亀の乱 | 朝廷に帰順して功績を上げていた蝦夷の族長・伊治呰麻呂が、陸奥按察使・紀広純を殺害して反乱を起こした。 |
782年 | 氷上川継の乱 | 天武天皇の曾孫で臣籍降下していた氷上川継が、光仁天皇の崩御に乗じて謀反を企んだが、事前に発覚して流罪となった。 |
807年 | 伊予親王の変 | 藤原宗成の謀反計画が判明し、その首謀者の嫌疑をかけられた伊予親王が自死したが、のちに冤罪と認められた。 |
810年 | 薬子の変 | 平城上皇と嵯峨天皇の対立が激化し、平城上皇は挙兵を決断するに至ったが、嵯峨天皇が先んじて兵を差し向け、平城上皇は出家した。 |
842年 | 承和の変 | 嵯峨上皇の崩御に伴い、皇太子・恒貞親王を擁立する側が謀反人とされて失脚、藤原良房の支持を受ける道康親王が皇太子となった。 |
866年 | 応天門の変 | 応天門に放火があり、大納言・伴善男が「左大臣・源信の仕業だ」と告発したが、逆に伴善男が真犯人だとされて流罪になった事件。 |
878年 | 元慶の乱 | 長年の苛政に不満を抱いた蝦夷の民が蜂起して秋田城を襲撃した。朝廷の軍はいちど敗れたが、蝦夷を懐柔・慰撫することで鎮圧した。 |
889年 | 寛平・延喜東国の乱 | 関東の治安が低下し、群盗の蜂起が相次いだ。その鎮圧に功のあった平高望が勢力を広げ、いわゆる坂東平氏の礎となった。 |
901年 | 昌泰の変 | 右大臣・菅原道真が失脚し、大宰府に左遷された事件。左大臣・藤原時平の陰謀だとされる。 |
938年 | 天慶の出羽俘囚の乱 | 朝廷に服属していた蝦夷たちが反乱を起こして秋田城を襲撃した。その後の経過は不明。 |
939年 | 承平天慶の乱 | 東では坂東平氏の平将門が、西では藤原一族の藤原純友が、ほぼ同時に反乱を起こしたが、朝廷により鎮圧された。 |
947年 | 藤原是助の乱 | 伯耆の豪族・藤原是助が、前任の国司だった物部高茂・忠明父子を襲撃した。物部忠明が追討軍を率いて鎮圧したという。 |
969年 | 安和の変 | 謀反の計画が密告され、それに関係したと見なされた左大臣・源高明が太宰府に左遷された。藤原氏による陰謀だとされる。 |
986年 | 寛和の変 | 皇太子の外祖父であった右大臣・藤原兼家が、孫の即位を早めるために、当代の花山天皇を唆して出家させた事件。 |
995年 | 長徳の変 | 「花山法皇が自分の恋人に言い寄っている」と勘違いした藤原伊周が法皇を襲撃して左遷された。政敵の伊周が失脚したことで藤原道長が台頭していく。 |
1028年 | 平忠常の乱 | 坂東平氏の有力者だった平忠常が反乱を起こし、三年に渡って争いが続いた。元・主人の源頼信が追討に差し向けられ、忠常は戦わずして降伏した。 |
1107年 | 源義親の乱 | 源義家の子である源義親がまず九州、次いで出雲で乱暴狼藉を働いていた。平正盛が追討に向かい鎮圧、のちの伊勢平氏の繁栄のきっかけとなった。 |
1113年 | 永久の変 | 千手丸という童子が鳥羽天皇暗殺を企んでいると密告があり、輔仁親王の護持僧・仁寛が首謀者とされ、流罪となった。 |
1156年 | 保元の乱 | 後白河天皇・藤原忠通派と、崇徳上皇・藤原頼長派が対立して戦に発展し、後白河天皇派が勝利した。頼長は死に、崇徳上皇は流罪となった。 |
1160年 | 平治の乱 | 信西の権勢に反発した藤原信頼・源義朝がクーデターを起こし、信西を死に追いやったが、のちに平清盛に敗れ、信頼は処刑された。 |
1180年 | 治承・寿永の乱 | いわゆる源平合戦。平清盛を筆頭とする平氏政権が打倒され、源頼朝によって鎌倉幕府が樹立された。 |
1184年 | 三日平氏の乱 | 平氏の都落ちのあと、伊賀の平田家継、伊勢の平信兼・藤原忠清といった平氏残党が蜂起したが、鎌倉軍に鎮圧された。 |
1189年 | 大河兼任の乱 | 奥州藤原氏の家臣だった大河兼任が出羽国で反乱を起こし、藤原氏の残党も取り込んで暴れたが、鎌倉幕府の追討軍に敗れた。 |
1199年 | 梶原景時の変 | 源頼朝の死後、その腹心だった梶原景時が有力御家人に弾劾されて鎌倉を追放された。のちに謀反を企てたが敗れて一族は滅亡した。 |
1201年 | 建仁の乱 | 梶原景時に恩のあった城長茂が京で兵を挙げ、本拠の越後でも城一族が反乱が起こしたが、鎌倉幕府に鎮圧された。 |
1203年 | 比企能員の変 | 将軍・源頼家の舅として台頭した比企能員が、政敵の北条一族に謀殺され、比企一族も滅ぼされた。それに反発した頼家も将軍の地位を追われた。 |
1203年 | 三日平氏の乱 | 二十年前の三日平氏の乱で敗れた藤原忠清の孫・若菜盛高が再び伊勢・伊賀で反乱を起こしたが、幕府軍を率いる平賀朝雅に鎮圧された。 |
1205年 | 畠山重忠の乱 | 平賀朝雅および北条時政の謀略で、彼らと対立していた畠山重忠とその一族が討伐された。直後に時政は失脚し、朝雅も誅殺された。 |
1213年 | 泉親衡の乱 | 北条氏打倒の企みが発覚して和田義盛の息子などが捕縛された。首謀者の泉親衡は合戦ののち行方をくらませた。続く和田合戦のきっかけとなった。 |
1221年 | 承久の乱 | 後鳥羽上皇が北条義時追討を宣言して挙兵したが、鎌倉幕府はそれを打倒した。後鳥羽上皇は隠岐に配流された。 |
1293年 | 平禅門の乱 | 平頼綱は北条氏の執事として権勢を振るったが、その権勢を危ぶんだ執権・北条貞時に討伐された。頼綱とその一族は滅亡した。 |
1305年 | 嘉元の乱 | 得宗・北条貞時の命令として北条時村が誅殺されたが、続いて「それは北条宗方による陰謀だった」として宗方が誅殺された。 |
1325年 | 安藤氏の乱 | 津軽で起きた蝦夷の反乱と、蝦夷代官・安藤氏のお家騒動が重なり、それを幕府が上手く調停できなかったため内乱に発展した。 |
1324年 | 正中の変 | 後醍醐天皇の側近たちが鎌倉幕府打倒を計画したとされ、日野資朝が佐渡へ流罪となった。後醍醐天皇は不問となった。 |
1331年 | 元弘の乱 | 後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を計画し、いったんは失敗して隠岐へ配流されたが、その後に盛り返して幕府を滅ぼした。建武新政が開始された。 |
1335年 | 中先代の乱 | 最後の得宗・北条高時の息子である北条時行が幕府再興を掲げて挙兵、いったんは鎌倉を占領した。足利尊氏に追討されて時行は逃亡した。 |
1336年 | 建武の乱 | 後醍醐天皇と、そこから離反した足利尊氏の戦い。尊氏が勝利して室町幕府が成立するも、後醍醐天皇も吉野に逃れて南北朝時代が始まった。 |
1366年 | 貞治の変 | 室町幕府で権勢を振るった斯波高経・斯波義将父子が、周囲の不満の高まりにより失脚した。追討の軍が送られ、斯波氏の領国は没収された。 |
1375年 | 水島の変 | 九州に派遣された今川了俊が、同じ北朝の少弐冬資と対立したため、彼を暗殺した。了俊の仕打ちに反発して島津氏や大友氏などが離反した。 |
1380年 | 小山氏の乱 | 鎌倉公方・足利氏満と下野守護・小山義政が対立し、小山氏が滅ぼされた戦い。小山義政は自害したが、遺児・若犬丸はその後も抵抗を続けた。 |
1387年 | 小田氏の乱 | 常陸の小田氏が小山若犬丸を匿っていたことが発覚、鎌倉公方・足利氏満が小田氏を討伐した。小田氏は降伏し、所領を没収された。 |
1389年 | 土岐康行の乱 | 有力守護の弱体化を図る将軍・足利義満が、土岐氏の後継争いにつけこんで当主の土岐康行を討伐した。康行はのちに許されて伊勢守護となった。 |
1392年 | 明徳の乱 | 一族で十一カ国の守護となり権勢を誇った山名氏が、将軍・足利義満の挑発に乗って反乱を起こしたが敗れた。山名氏の所領は三カ国まで減らされた。 |
1395年 | 田村庄司の乱 | 白河結城氏と対立していた田村庄司氏が反乱を起こし、そこに小山若犬丸が逃げ込んだことで、鎌倉公方・足利氏満が出陣して田村庄司氏を滅ぼした。 |
1399年 | 応永の乱 | 六カ国の守護である大内義弘が将軍・足利義満と対立、鎌倉公方と手を結び、土岐氏・山名氏の残党と手を結んで挙兵したが敗れた。義弘は戦死した。 |
1411年 | 飛騨の乱 | 飛騨国司・姉小路氏は三家に分裂しており、その内紛から姉小路尹綱が挙兵、幕府の追討軍によって鎮圧された。尹綱は戦死した。 |
1413年 | 伊集院頼久の乱 | 島津家の後継者争いをきっかけに、当主・島津久豊と対立した重臣の伊集院頼久が反乱を起こした。一進一退の末に両者は和睦した。 |
1416年 | 上杉禅秀の乱 | 関東管領を更迭された上杉氏憲が、諸将を味方につけて鎌倉公方・足利持氏に反乱を起こした。幕府が持氏を救援し、氏憲は敗れて自害した。 |
1422年 | 小栗満重の乱 | 室町幕府と鎌倉公方が対立するなかで、幕府と結びついた小栗満重などの北関東の武将が、鎌倉公方・足利持氏に対して挙兵したが鎮圧された。 |
1423年 | 越後応永の乱 | 室町幕府と鎌倉公方が対立するなかで、幕府側の越後守護・上杉頼方が、鎌倉公方側の守護代・長尾邦景を討伐しようとしたが、邦景が勝利した。 |
1429年 | 大和永享の乱 | 幕府との結びつきが強い筒井氏と元・南朝の越智氏の長年の争いが激化し、最終的に室町幕府の追討軍に越智氏は敗れた。 |
1438年 | 永享の乱 | 鎌倉公方・足利持氏と関東管領・上杉憲実の対立から、室町幕府が持氏討伐を決めた。派遣された追討軍に敗れた持氏は自害した。 |
1441年 | 嘉吉の乱 | 三カ国の守護である赤松満祐が、酒宴に招いた将軍・足利義教を暗殺した。幕府軍の追討により赤松氏は滅亡した。 |
1443年 | 禁闕の変 | 南朝復興を唱える勢力が御所を襲撃し、三種の神器のうち剣と勾玉を奪った。すぐに幕府軍に鎮圧されたが、勾玉は奪われたままとなった。 |
1455年 | 享徳の乱 | 足利持氏の息子・成氏により鎌倉公方が復活したが、関東管領との争いも復活してしまい、二十八年にわたって両者が争った。最終的には和睦した。 |
1457年 | 蠣崎蔵人の乱 | 陸奥国田名部の領主・蠣崎信純が反乱を起こし、南部氏がそれを鎮圧した。蠣崎信純は北海道に逃れて、のちに勢力を築いた。 |
1457年 | 長禄の変 | 赤松再興を目指す赤松氏の遺臣が、禁闕の変で奪われた勾玉を奪還した。その功績により赤松氏は再興を許された。 |
1467年 | 応仁の乱 | 畠山氏の跡目争い、斯波氏の家督交代、赤松氏再興、将軍の後継問題などから、東軍・細川勝元と西軍・山名宗全が戦った。東軍有利で和睦に終わった。 |
1476年 | 長尾景春の乱 | 関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春が待遇への不満から挙兵したが、太田道灌によって鎮圧された。これをきっかけに享徳の乱も和睦に向かった。 |
1479年 | 毛利次郎の乱 | 赤松氏らの支援を得た因幡の国人・毛利貞元などが、山名氏に対して反乱を起こした。鎮圧されたが、国人たちの勢力は保たれた。 |
1486年 | 江戸城の乱 | 扇谷上杉氏の当主・上杉定正が、麾下の名将・太田道灌を誅殺、その居城である江戸城を占拠し、道灌の息子の太田資康を追放した。 |
1487年 | 長享の乱 | 享徳の乱を経て、関東管領の山内上杉氏とその分家の扇谷上杉氏が対立し、太田道灌誅殺をきっかけに戦乱となった。最終的に扇谷上杉氏が降伏した。 |
1487年 | 長享・延徳の乱 | 将軍・足利義尚が自ら軍を率いて近江守護・六角氏の討伐に向かったが陣中で病死した。後を継いだ足利義材が再び六角討伐を行った。 |
1489年 | 山名新九郎・小太郎の乱 | 前伯耆守護・山名元之の息子である山名新九郎らが、赤松氏の支援を得て伯耆守護・山名尚之に反乱を起こしたが、鎮圧された。 |
1490年 | 佐竹の乱 | 佐竹宗家と以前から断続的に争っていた佐竹庶流・山入氏らが、佐竹義治の死去を機に佐竹氏の本拠を攻撃したが、最終的に山入氏は滅ぼされた。 |
1502年 | 伊庭氏の乱 | 長享・延徳の乱の後、近江守護に復帰した六角高頼に対し、近江守護代・伊庭貞隆が二度に渡って出奔・挙兵するが、最終的に鎮圧された。 |
1507年 | 永正の乱 | 越後守護代・長尾為景が謀反、越後守護・上杉房能とその兄である関東管領・上杉顕定を敗死させた。関東管領の後継争いから関東を二分する戦いに発展した。 |
これは犯罪学的に正しい。
この性犯罪者を排除するような、個別の犯罪者にフォーカスした犯罪原因論が、実際の犯罪抑止にあまり効果がなかったんですよね。
その反省の上に、犯罪機会論という、個別の犯罪者ではなくて、犯罪の起きやすい環境などにフォーカスした理論が出てきたというのが犯罪学の基礎の基礎。
構造的に性犯罪が起きないよう、教室にカメラつけたり、必ず教員は2人ペアでしか子供と関われなかったり、そんな対策の方が絶対大事
これなんか、ド直球の防犯環境設計(CPTED)で、これが正解なんですよ。
遠ざけることを、CPTEDでは「接近の制御」と言いますが、これは、例えば学校への闖入者を防ぐために、門扉を閉めて施錠するといった対応を指します。
この場合でも、「あいつは前科があるから排除する」というものではなく、単に、オーソライズされていないと入れない程度の意味であって、小児性愛者を小児から遠ざけるという趣旨ではありません。
防犯環境設計のキモは、誰が犯罪企図者かわからないが、犯罪を起こしにくい環境を作ることができるということであって、小児性愛者のような属性を犯罪企図者に結び付ける議論は、犯罪原因論の一種と言えるでしょう。
id:Domino-R そうだけどコレ犯罪者目線の話で、更生ためには罰より環境をって正しいけど、一方で(潜在的)被害者側にしてみれば、ストーカーに接近禁止命令を出すのが自由の不当な侵害かって話にはなる。
ストーカーに対する接近禁止命令は、具体的で実際の犯罪に繋がる蓋然性があるから許容されているのであって、抽象的な犯罪の脅威を理由として行えるものではありません。それは、予防拘禁というべきものであって、人権的に大きな問題のある対応になるでしょう
トランス女性による女子トイレの利用や、性的な表現を含む広告等に関する議論でも散見されますが、一部のフェミニストの主張するような抽象的な危険や危害の概念などというものは、自由な市民の人権を制約する根拠にはなりえないと考えられます。
退職代行サービスを利用する人間に対し「クズ」「社会人としてなってない」「非常識のゲボカス」「退職の申し入れや交渉くらい自分でしろ」「料金の無駄」というネットでの意見をよく見かけるが、常識があってクズでないまともな社会人ならそもそも退職代行なんて利用しないのだ!
当方は新卒一社目でメンタル休職ののちに退職し、その後正規非正規職を転々としてきた。そのうちクビ3件、職場バックレ4件、うち退職代行使用が3件というどこに出しても恥ずかしくない経歴のクズである。こんなクズでものうのうと生きている経緯と現状とお話しし、もし今の職場のことで悩んでいる誰かの参考になったら幸いだ。また、こんな開き直り底辺ゴミにだけはなりたくないという意味で皆さんの癒しになれば嬉しい。
・なんでそんなゴミなの?
1社目でメンタルをやってか以降当日欠勤しまくり、朝起きられない、寝込む日が激増し勤怠不良の積み重なった結果です。心療内科でも相談し改善を試みたが現在も全快はしていない。ASDやADHDの検査もしたけれど健常域と結果が出て、社会性のないウンコ健常者になってしまった。
また、性格的にもストレス耐性が低くキャパ狭なのと、コミュ障以前の人嫌いが災いし、どの職場でも基本的に孤立してしまう。他人に興味がなく無関心のため、みんなでの昼食や飲み会や、職場の噂話や世間話が苦痛に感じる。人間関係の難の大部分は自分の傾向にすべて起因する。勿論申し訳ないが本当に合わない職場、上司同僚もいた。
何社か非正規で食いつないだが、その後正社員に転職した。経済的安定も目的だったが、世間体が主な転職理由だったと今では思う。仕事は生産支援の窓口部隊だったが、その部署は真夜中までの対応が多く、上記の当欠癖も治らず、致命的なミスをして現場の人に怒鳴られ修復不可能なまでに信頼を損ねた。リカバリーとか善後策など考えられず、自分のミスのせいなのにパニックになり保身に走り、「もう二度と出社できないから辞めるしかない、だがもう退職を伝える勇気も気力もない。そもそも会社の人ともう話せないし顔など合わせられない。絶対に無理」という状態になった。
その際、無い知恵を振り絞り「便利屋」という単語を思いつき、退職の電話などを請け負ってくれる便利屋をネットで探した。当時は2010年代中盤で、まだ「退職代行」に特化したサービスや企業はなかった記憶だが、不倫の密告や興信所や探偵まがいの業務をしている便利屋の中に退職の電話代行というものがあり、実家の母親のなりすましで体調不良を理由に退職の意志を伝えてもらった。その間は職場に連絡できず、無断欠勤していた。なお、現在の退職代行ではおそらく親族やパートナーなどのなりすまし設定での電話はNGだと思う。また、今も自分が依頼したような類の電話代行の業者は存在するが、どちらかというと、不倫やクレームの密告代行の意味合いが強い。
・使ってどうだったか
上記の当時利用したサービスでは、今の退職代行のように「利用したら最後まで会社の人間とやりとりが必要なく、代行経由で連絡可能」というシステムはまだなかったが、それでも「引継ぎもせず、最低限のやりとりで会社をやめられた、逃げられた」ということは自分にとって本当に救いで、命と心が助かったことに感謝した。料金も、会社の人に顔を合わせたり、謝罪をしたりという精神苦痛を鑑みれば、タダのようなものだと感じた。時を経て、退職代行会社が雨後のタケノコのように出現し世間で話題になった際も、「やはり自分のようなダメ人間がこういったサービスを利用するのだろうな」という納得感があり、ニーズが形となって顕現したのだと感じた。
なお、その後2社でも業務についていけない、ミスの連発、人間関係、勤怠不良などが原因で退職代行を利用させてもらった。加えて1社もブッチしたが、その際は貯金が少なくお金をケチって自分で辞めると伝えたが、資金に余裕があったら絶対退職代行を利用したかった。
・コロナ禍、そしてテレワーク普及という僥倖により長年のバックレ要因が偶然すべて解決
書いた通りなのだが、その自分で辞めると伝えてバックレた職場の次に決まった契約社員の仕事が始まったとたん、コロナによるテレワーク普及が起こった。すると、長年のバックレの原因だった「朝起きられない」と「職場で孤立してしまう」という問題が解決してしまった。例え朝起きられなくても、始業ギリギリに起きパジャマ姿でPCに勤務開始の報告をしてちゃんと業務をすれば、ひとまず出勤したとされる。そして、コロナ禍では会食なんてもってのほか、職場での飲み会やランチもNGになり、いつも頭を悩ませていた食事の場でのコミュニケーションと、会社での雑談自体消滅した。そのため、いつでもどこでもボロボロだった勤怠が他の社員と何ら変わりない状態になり、偶然だが仕事ぶりを評価され、現在正社員となっている。
何の努力も改善もしていないのに、環境だけで社会的に助かってしまった気分だ。現在は在宅リモート半々で働いている。たまに心身の不調で起きられず寝込んでしまい病欠になる日もあるが、それでも昔に比べると勤怠は飛躍的に改善した。
これはクビになった職場で担当していた業務で実感したことだ。フェイクを入れるが人材会社で就業開始するスタッフの勤怠管理業務に関わっていた。すると、自分より遥かに優秀で立派な経歴の人でも、第一印象がいい人でも、家族や子供がいても、突然会社に来なくなる、無断欠勤をする、試用期間終了前に合わないと泣きながら電話してくる、まるでかつての自分のような人を結構な頻度で見た。Z世代とかゆとり世代はおろか、年代や性別や家庭状況は関係ないようだ。また、勤怠不良や能力不足で試用期間終了前に雇用主から契約終了にされる人も多く見た。
以前は自分のような人間はネットでは観測すれど現実ではなかなか見ないから、異端の社会不適合者なのだと確信していたが、同類はいるところにはいるのだなと肌で感じた。
・退職代行を使うべき人
ここで、退職代行を使ってもいいんじゃないかなと想像する人の特徴を挙げる。
仕事や職場の人間関係だけが自●の原因なのなら、使ったほうがいい。できれば心身が完全にやられる前に、体力気力があるうちの利用を推奨する。一度完全に折れると、その後の社会復帰が困難になるし時間を要するためだ。ただ、増田は自●自体は仕方ないんじゃないか派なので、仕事以外にも持病や家庭の悩みや慢性的な生きづらさを抱えた人が、己に鞭を打ってまでつらい状態のまま生きる必要はないとも考えている。
「あの人は退職代行を使った」と噂されたり、それを知られた関係者にはある種の偏見を抱かれることは間違いないので、それが気にならない人は役職や雇用形態問わず利用していいと思う。逆に自分の挫折や失敗を受け入れ難い、プライドがある人はまず退職代行は利用しないんじゃないかな・・・自分はプライドがないので、バックレた職場の方々に対し本当に申し訳ない気持ちがあれど、二度と生きてお会いしたくないので、自分は練炭自●などで死んだものと思って忘れて生きていってくださいと念じている。
・退職代行を使うべきでない人
上記のように、心身が死の淵に追いやられている人はまず命を守る行動を取ってほしいが、使うとリスクがあると想像する人を列挙する。
増田は現在都市部在住だが地方での暮らしも経験している。その際近所の無職の人が外で散歩するだけで恥だから家の中にいろ!という親御さんに叱られている話を聞いたことがある。退職代行を使ったことが近所や職場に広まり、今後の就職どころか生活に支障をきたす、あるいは詰むレベルの支障が出る場合はそのリスクを考慮したほうがいいのではないかと思う。
増田が退職代行を使ったのはいずれも一人暮らしの時期だ。バレなければいいと思うのだが、同居家族やパートナーに知られて干渉されそうな人は警戒しておいたほうがいい。5ちゃんの職場バックレに関するスレッドで、バックレ常習犯は緊急連絡先の家族の住所は電話番号はでたらめを書いておくというアイデアを参考に、増田も緊急連絡先は最寄りの水道局の住所電話番号に設定している。
①②と同じ種類だが、例えば仲間と企業したけど逃げたくなった・・・という場合も人間関係にしこりを残すと想像する。現代ではなかなかないと思うが、同族の小さい企業や少人数のベンチャーなど、職場の人間関係が密で後々の人間関係がトラブりそうな方も要注意だ。(辞めたあとに電話やSNSなどでDMが来るとか)
退職後に休養するのも再就職するのも自由だけれど、その後の人生の責任は自分以外誰も取ってくれない。中には医療や福祉に繋がるほうがいいケースもあるかもしれないが、勤め人を続けたい場合はその後も工夫や行動し続けることが大切だと感じる。男女問わず、経済的に頼れるパートナーを探すというのも生存戦略としては立派なひとつの方策だ。下記リンクは以前ネットでも話題になったもので、今回の趣旨とは異なるが、早いうちから行動することの大切さについては参考になるかと思う。
http://www.carpefidem.com/column018.html
・環境や適性をもう一度考えてみる
職場との相性は、入ってみたら人が定着しない魔窟のようなポジションだったとか、ホワイト大企業だけどその部署だけ何故かモンスターのようなストレッサーだらけとか、運で決まってしまう要素も大きいと感じる。ただ、ある程度自分の向いてる環境や適性について検討し、判断することも必要だと思う。向いてなくて耐えられなかったら、また退職代行を使えばいい。
人付き合いの苦手な人は、できるだけ接客から離れた上流工程の業務内容の企業に応募する(コミュ障も突き抜けると接客適性無双、他人への関心がないのでクレーマーをしゃべる人糞とみなせるという意見もあるが、限られたエースだけの才能だと思う)とか、マルチタスクではパニックになりがちな人は定型業務メインの仕事を探すとか、お子さんや家族のケアで早退や欠勤が続いてしまうひとはフレックス制や裁量労働などで調整できる職場を探すとか、できるだけ自分の苦手に直面する機会の少ない仕事を選んでほしい。
お前が言うなが過ぎるが、テレワーク可能な職場という環境面での選択肢が無かったら自分は社会的に詰んでいた。また、当座の給料のためにコミュ力に自信がないのに、客先/社内問わず大量のストレスフルな交渉が発生する職場や自分のスキルに見合わない仕事内容に考えずに飛びついた経験が少なからずある。
増田は現在「やりたくない仕事は星の数ほどあれどやりたい仕事はない」というドクズ思考で、自分にできる仕事ならありがたく精一杯やって、ダメなら逃げようというスタンスだ。
「好きなこと/やりたいことを仕事にする」は覚悟がないと危険だと思う。インドア派やオタク気質の人は、アニメーターやゲーム会社やエンタメ企業や出版社関連企業への志向性が強い傾向だと思う(かつて自分も就活病で何社か説明会を受けたことがある)が、大手でない限り土日昼夜問わず働かされ、期限納期の厳しいブラックな環境の職場も多い。エンタメやサービス業は、みんなが楽しんでいる休みや余暇の時期が繁忙期だ。また、ブラック企業はある程度公式に開示されている情報や労働条件で判断できる。
たったいま歌舞伎役者の市川猿之助がおそらく無理心中?で両親が死亡するという痛ましい事件が発生した。
この事態を引き起こしたのは間違いなく週刊誌の行き過ぎた報道だ。
弟子にセクハラをしたという正義の旗の下に当該人物の性的志向がアウティングされた。猿之助氏の自殺企図は自分がしたことに正面から向き合わない卑劣な行いであったと言わざるをえない。
ところで、これと全く同じ構図で、左翼やLGBT活動家が同性愛者への人権被害の実例としてキャンペーンを張っている事件がある。一橋大学アウティング事件だ。
この事件ではアウティングされて自殺したと言われている同性愛者はLGBT活動家に被害者として喧伝されているが、死んだホモにつきまとわれていた被害者がやむを得ず同級生に相談せざるをえなかった苦しみはLGBT活動家のネガキャンによって全く隠蔽されている。
今日の市川猿之助の事件で彼が罪を追求されるなら、一橋大学アウティング事件でクズのLGBT活動家に「アウティングの加害者」とされている男性の名誉も回復されるべきと考える。
の元増田です。
東京都若年被害女性等支援事業(前回のColaboを除いた、若草プロジェクト、BOND、ぱっぷすの事業が対象)に対する監査結果が出ました。(https://www.kansa.metro.tokyo.lg.jp/PDF/08jumin/5jumin/5jumin2.pdf)
4月から久々に仕事に復帰してみたら妙に忙しい部署に放り込まれてしまい完全に乗り遅れましたが、今までの経緯もあり最後まで付き合うつもりです。
1.本監査結果が全面的に正しいとした場合、以下のことを導くことができる。
(1)事業者の実施状況報告書は重要なものであるにも関わらず、誤記や記載方法の不統一など不備が非常に多い。これを漫然と見過ごしていた事業実施部局の責任は重く、これを監査委員に指摘させただけでも、本監査請求の意義は高い。
(2)同実施状況報告書の内容を信じた者(ここでは請求人)が、本事業の会計に不備があると判断することは自然である。
2.本監査請求結果は、監査委員が直接会計を確認したものではなく、監査対象局の言い分を監査委員が全面的に受け入れて成立したものである。なお、監査委員が直接会計を確認しなかった理由は不明である。
これまでも書いてきましたが、本論に入る前に私のスタンスを書いておきます。
〇住民監査請求や不服審査請求、情報公開請求などについて、それを乱発するなどして行政のリソースを過度に費やすような状況ではない限り、どのような者でも実施することができる。
これは当然でしょう。これをとがめるとなると、左派系市民団体やオンブズマンの活動はかなり制約されてしまいます。
〇住民監査請求や不服審査請求(また住民訴訟や国賠訴訟、行政事件訴訟等)については、請求人(原告)側が100個論点を立てたとして、そのうち1件でも認められたら請求人側の大勝利。
行政相手の不服審査や訴訟について、このように評価・報道されることが一般的です。行政側が専門性を持ち、また巨大なリソースを抱えている以上、これも当然でしょう。
(監査結果26ページ)
(2)意見
本件各契約に基づいて都に提出することとされている実施状況報告書は、概算払の精算の基礎であり、また事業の履行状況を明らかにするための書類であることの重要性に鑑み、監査対象局は受託者に対して、数値や文章に誤記がないよう正確に記載させるとともに、相談人数等の集計方法を統一させるよう、契約時及び履行期間中において指導を徹底することを求める。
事業者の実施状況報告書に不備が非常に多かったことが伺えます。これを指摘させただけでも本監査請求には重要な意味があったと思います。
また、仮にこれが単なる不備であったとしても、その情報が公表されていない以上、この点において、公表資料を信じて会計に不正があると判断した請求人には何ら落ち度はないと考えます。
ちなみに、本監査結果において実施状況報告書に不備があったと結論づけられているのは以下のとおりです。
はっきりいって事業実施部局は何のチェックをしてるのか、というレベルですね。
※ちなみに、本当に単なる誤記であったのかどうかは本監査結果からは読み取れません。
前回のColaboの監査請求では、監査委員が自ら関係人(Colabo)の調査を行い、帳簿、領収書等を確認していました。(https://www.kansa.metro.tokyo.lg.jp/PDF/08jumin/4jumin/4jumin5.pdf 14~18ページ)
今回の監査請求結果では、関係人調査は実施していないため、監査結果の各項目に「監査対象局の説明により確認した」などという文言が繰り返されます。
少なくとも、本監査請求結果を読む限りにおいて、監査対象局の説明が正しいとする合理的な根拠は認められませんが、監査委員には領収書等が提示されたということなのでしょうか。
例えば以下のとおりです。
同支援のうち相談については相談窓口の拡充により当初の計画額を上回ったということを監査対象局の説明により確認した。
(監査結果22ページ)
監査対象局において再調査を実施したところ、本件事業に要した経費は2,601万円であり、その内訳は、第1四半期が453万円、第2四半期が543万円、第3四半期が706万円、第4四半期が899万円で、領収書も全て確認したとの事であった。こうした説明により、第4四半期のみが殊更に過大な支出であることはなく、また経費全体で本件委託の上限額を超えているということが確認でき、当該説明に特段不合理な点も見当たらない
家財道具代や引っ越し代、不用品の撤去や医療機関に対する支払を年度末にまとめて行っており、支出の根拠となる領収書も全て確認したということを監査対象局の説明により確認した。
今回、監査委員がなぜ関係人調査を実施しなかったかは不明ですが、少なくとも監査委員がこの説明をもってよしとした理由は訴訟で明らかになっていくでしょう。
2と似ていますが、「監査対象局の説明により確認した」としている点以外の部分でも監査委員が判断をした基準が全く示されていませんので、本監査結果が妥当であるか否か、外部から確認をする術がありません。
例えば、請求人に「LINE相談の人件費が過大である」と指摘された部分について、このように記しています。
(監査結果21ページ)
請求人は、(略)東京都最低賃金である時間額1,072円を考慮しても高額である旨主張する。このことについて、オンラインアウトリーチは自殺企図等の対応など慎重かつ精神的な負担も大きい業務であることを監査対象局の説明により確認した。様々な困難を抱えた若年女性を支援するという業務の性質からすれば、こうした説明に特段不合理な点は見当たらず、また、このような業務内容を考慮することなく、最低賃金との比較において当該金額の当否を論ずることは適当とはいえない
通常、役所で人件費を積算する場合、役所内部で持っている単価表や一般社会における求人の標準的な数字(例えばハローワークや求人広告)を参照します。しかし、本監査結果では、「業務の性質」というのみであって、本件で計上された金額が妥当であるかという点には一切触れていませんので、説得力の欠ける文章になっています。
(ちなみに、個人的には請求人の主張はこの点では妥当ではなく、有資格者(公認心理士や臨床心理士、社会福祉士などとまでは言わなくとも、民間のカウンセラー資格など)による実施であれば、十分に見合う金額だとは思いますが、本資料からそれを読み取ることはできません。)
4.その他多数の疑義
夜間見回りについては、事業計画では、秋葉原界隈を月1回、御茶ノ水界隈を年4回、神保町界隈を年4回、赤羽界隈を月1回行うこととしていた。
御茶ノ水、神保町については、コロナ禍で対面でのアウトリーチが難しい中、有効な手段は無いかと検討したところ、中学校、高校、専門学校等が多い地域特性を踏まえ、11校、9図書館に対してアプローチを行い、生徒に団体の活動を紹介するリーフレットを配付してもらう方法に変えたものである。
赤羽については、地元消防団等の協力を得てアウトリーチを実施する予定であったが、協力が得られず、また、客引き行為などの検挙が続出し、治安が悪化したことから、実施を断念したものである。
結果として、アウトリーチは秋葉原での13回となったが、その人件費は、事業計画で300万円のところ、実績に基づき、支出額は877,100円となっている。
一方、利用者の要望を踏まえ、当初計画以上にまちなか保健室の開催日及び開催時間を拡充したことから、まちなか保健室の人件費は予算額400万円に対し、実績額は653万円となっている。
当初計画との若干のずれではなく、根本的にやり方を変えているわけですが、このようなやり方をするのであれば当然担当部局(今回の監査対象局)の事前の承認が必要でしょう。
本文章では事前の承認があったようには読み取れませんので、おそらく事後承諾なのでしょうが、このような事後承諾を認めていればなんでもありになってしまいます。
バラ色の計画書を提出して事業者に選定され、「〇〇の協力を得て事業を実施するつもりだったが協力を得られなかったので代わりに××をした。事後承諾してね」なんてのが認められたら委託事業は全く成り立ちません。
かかった経費がオーバーしていればOKというものではありません。これを認めると事前の計画が無意味となり、いくらでも経費の横流し(例えば事業者に関係性の深い者の雇用等に切り替えるなど)が可能になります。
※この部分に限らず、事業者の言い分を事業実施部局がそのまま鵜呑みにしている部分が多いんですよね。事業実施部局は何のために存在するのかってくらいに。
(監査結果14ページ)
再委託については、委託契約書第3条において、「委託業務の全部又は主要な部分を一括して第三者に委託することができない。ただし、あらかじめ委託者の承諾を得たときは、この限りでない。」と定められている。本事業における主要な業務とは、アウトリーチ支援・居場所の提供に関する支援・自立支援であり、報告書の作成・会計業務は主要な業務の範囲外である。
(監査結果22ページ)
再委託について委託業務の全部又は主要な部分を一括して第三者に委託する場合には、あらかじめ委託者の承諾を得ることになっているところ、法人Aが法人Xに再委託している業務は、事業の報告書作成及びこれに係る会計業務であり、これらの業務は委託事業を履行するための補完的な業務であって、本件事業の全部又は主要な部分ではなく、都の承諾を得る必要はない
第 1 条 委託者及び受託者は、標記の契約書及びこの約款(以下「契約書」という。)に基づき、別途添付仕様書及び図面等(以下「仕様書等」という。)に従い、日本国の法令を遵守し、この契約を履行しなければならない。
(令和3年度仕様書)
受託者は、受託者が行う業務の全部又は主要な部分を一括して第三者に委託し、請け負わせることは出来ない。
第2 受託者は、個人情報の適正な安全管理が図られていることを都が確認し、都の許諾を得た場合に限り、再委託を行うことができる。再委託を受けた者が更に再委託を行う場合も同様とする。
監査対象局と監査委員は、報告書の作成は「主要な部分ではないから事前の承諾は不要」としています。
・契約書の「委託業務の全部又は主要な部分を一括して第三者に委託することができない。ただし、あらかじめ委託者の承諾を得たときは、この限りでない。」というのは、仕様書の12を打ち消すために行われたもの
と読み取ることができます。
※ここで持ってきた仕様書は令和3年度のもので、令和4年度は変わっている可能性があります。ないと思いますが。
いずれにしてもこういった点は、訴訟になれば根拠資料も含めて裁判所から提示を求められるものなので、裁判の結果を見ないと何とも言えない、という結論にしかなりません。
監査委員がこのように判断した根拠資料も添付してくれるのが一番わかりやすいのですがね。(おそらく監査対象局はそこまで資料を作りこんで説明しているはずなのですが)
○こいつも中立面してるが初手から既におかしいからな。普通はHP上の数字があってなかったら「誤記かな?」って思うもんなんだよ。自分で自分の不正の証拠をネットにアップする奴なんかいないって普通わかるだろ…
監査ってのは事業者ではなく、事業実施部局に対して行うものなんですよ。
で、事業実施部局が、そんな誤記だらけのものを通している時点で大問題なんですよね。
また、請求人の立場としては、事業実施部局が、そんな誤記だらけのものを通してるとは思わないでしょう。
確かにゲームシステムの改良とか新アイデアとかの導入が殆ど無いゲームで、それで飽きて数ヶ月前に引退したんだけど、多分運営は根っからのゲーム開発者とかじゃなくて、それほど「ゲーム制作」自体には熱心じゃないんじゃないかなと思ってる。
多少追加された要素はあるけど、ほとんど評価されてないし、実際に評価にも値しない小変更だったしね。 イベントの度に「難度・ゲームバランスの悪さ」は指摘されてきたし。
元々がキャラありきのゲームで、システムが優れてたので当たったというものではなかったから、ゲームの更新=新キャラ投入と不具合修正って世界になって、積極的なゲームシステムの更新とか追加には、リスクも高いのでやらないって印象がある。
ゲームのシステムを色々考えるよりも、元々打ち出していたメディアミックス的な仕事の方に運営が魅力を感じて努力した結果が、アニメ化やリアルでのイベント、様々な企業とのタイアップ企画として実った訳で、そちらの方がゲームよりも優先されたのはしょうがないことではある。
艦これ運営に「イベントよりもゲームの改善に力を入れろ」と言った所で、当の運営が「それ程ゲーム制作が好きなわけではない」って部分がある以上は、どうしようもない話だ。
それでもDMMゲームでは未だに人気上位のコンテンツだから大したもの。 古参は飽きて引退しても、新規プレイヤーが楽しくプレイできているから人気が維持できている訳で、商売としては運営は真っ当にやってるんだと思う。
実際、今日新規加入できるサーバが二つしかない訳で、去年のアニメ二期が始まった頃はサーバが全部ふさがったという話だしな。
(そういえばアニメも悪評ばかり目にする。良かったって感想が少ない)
この、アニメ「いつ海」に関連する運営ツィート https://bit.ly/3nmIKt6 にある
「艦これ」のプロモーションや新規加入を企図したものではないのですが……」
って発言で伺える様に、運営に「プレイヤー数が多すぎる」って認識があり、その状況で不具合のリスクを負ってゲームシステムの改善を熱心にやる動機が無いだろうとも思う。
ただまあ、人気が衰えてアクセス数が下がる時には急激じゃないかって予感もあり、その時にゲームシステムの改善などのテコ入れが間に合わないんじゃないかな。
影でこっそり「艦これ ver2」を制作中っていうのなら良いんだけど、先述した通り運営はそれ程ゲームが好きな訳ではないと考えてるので、やっていないかやっていても大した努力・コストが組まれていない、システム的な新味は少なく、やたら重くてゲームバランスは相変わらず悪いという劣化版艦これが投入されるんじゃないかなあって、悲観的に見てる。
この文章からは、「俺」が自分勝手で自分の欲望を追求する傾向があることがわかります。彼は自分の妻との関係が冷め切っていることを理由に、独身女性に恋をし、妻との離婚を考えています。また、彼は妻が自殺企図を繰り返しているにもかかわらず、彼女との関係を優先し、妻の両親に離婚を告げるという自己中心的な行動をとっています。一方で、彼は自分自身に対しても矛盾している思考を持ち、自分がこんなに彼女に惹かれることに驚いたり、自分の妻が自殺企図を繰り返すようになったことに疲れ果てていることが示されています。
総合的に見ると、「俺」は自分勝手な一方で内面的には葛藤を抱えた人物といえます。しかし、文章全体から彼が周りの人々のことを理解しているわけではないことが伺えます。
既婚、31歳。結婚7年。
俺たちは愛し合ってた。
まるで10代みたいに心がときめく恋だった。
俺の中にこんな心が残っていたのかと驚くくらい彼女に恋していた。
長年セックスレスと会話レスで妻からの愛情を感じない暮らしをしていた俺にとって、彼女は女神だった。
幸せだった。
離婚してこの娘と一緒になりたいと思った。
そんな折にちょっとしたことで妻と諍いになり、妻の方から離婚だと言い出した。
渡りに船と思った俺は、互いに自分の両親に報告し、これから資産の処分について話し合いをしようということになった。
そこで妻は「やはり離婚したくない」と言い出した。
俺に対して「もう好きじゃないし、今後好きになることはありえない」と言ったくせに。
「触られたくない。セックスしたいなら外でしてきて」と言ったくせに。
「一緒に寝たくない。寝室は別にして」と言ったくせに。
「仕事だ」と嘘をついて他の男と県外のテーマパークに行ってたくせに。
何を考えてるのかわからない。こんな妻より素直に愛情を伝えてくれる彼女がいい。
ひとり寂しい思いをシている彼女をこれ以上待たせたくない。早く離婚しなければならない。
夫婦カウンセラーに行った。妻はカウンセラーからも不審がられていた。
俺は妻に嫌気が差していた。
他に好きな人がいるということを伝えた。
それ以降妻のヒステリーが増えた。
彼女をこれ以上待たせたくないのに、話し合いすらできない。
俺は家では妻に無関心を決め込んだ。
ある晩、妻とは別室でゲーム仲間とゲームを楽しんでいた。その中に彼女もいた。
談笑しながらゲームを楽しんでいると、二階から妙な物音がして、不審に思って見に行ったら妻が首を吊っていた。
すぐに縄を切り助けた。妻はすぐに目を覚ました。
その日から妻はヒステリーが収まった代わりに首吊を繰り返すようになった。
妻から目が離せなくなった。外出も満足にできない。
一度救急車を呼んだ。医師からは保護入院を勧められ、俺もそれがいいかとおもったが、妻がヒステリーを起こしたので断った。
入院したくなかったらしい。
俺はすっかり疲れ果てていた。
妻の両親を呼び出し、離婚したいことと妻が自殺企図を繰り返して辛い、申し訳ないがひとりでは面倒を見きれないということを伝えた。
殴られる覚悟だった。が、殴られはしなかった。
妻の母親が同居してくれることになり、俺は仕事に復帰することができた。
彼女ともしばらく会えていなかったので、仕事にいくふりをして会いに行った。
彼女と会うと、妻からの苛みで感じていた苦痛が全て吹き飛んで幸せな気持ちになった。
両親はもとから妻のことをあまり気に入っていなかったので、離婚に関しては応援すると言ってくれた。しかし人命最優先だから、妻の精神異常が落ち着くまでは離婚を強行しないこと、と話し合った。
実家から帰る前、路肩に車を止めて俺は彼女に電話をかけた。彼女が逃げてしまわないか不安だった。
彼女を失ったら生きていけない。離婚を諦めていないこと、時間はかかるかもしれないが待っていてほしいということを伝えたくなった。
彼女は優しくうんうんと話を聞いてくれた。怒るどころか、俺の心配までしてくれた。彼女の妹も自殺未遂をしたことがあるらしく、側で介護していた母親の苦労を見ていたらしい。
増田くんがそんなふうに苦しんでいないか心配だと言ってくれた。
俺はこんなに心優しい彼女が愛しくて仕方がなかった。
「正直、疲れている。もう俺が見てないところで死んでほしい」と彼女に打ち明けてしまった。
良くないことを言ってしまったかと思ったが、彼女は「そんなふうに思ってしまうのも仕方がない。自分を責めないで、抱え込まないで医療や周りの人を頼るんだよ」と言っていた。
俺は癒やされた気がした。
数日後、俺の仕事中に妻はまた首を吊った。妻の母親が助け出し、一命はとりとめたものの、意識が戻ることはなく、10日後に亡くなった。
ついに助けられなかった。
妻が首を吊った寝室からはパソコンが見つかった。それから買ったばかりのSDカードリーダー。
俺と彼女の会話を聞いて、俺が居ないときに首を吊ったのだろう。
俺はようやく自由になって彼女とずっとしたかったお泊り、旅行、買い物、デート、セックス、たくさんした。
彼女の横にいるだけで幸せだったのに、不思議なくらい、彼女に心が動かなくなった。
お前が居なければ妻は死ななかったと思ってしまう時があった。
あんなに煩わしく憎んでいた妻のことを、美化して思い出すことも増えた。
そして、彼女に恋愛感情を向けていた頃の自分を思い出すと寒気がする様な、忌まわしく感じるような、そんな気がした。
今となっては、あの頃の俺は恋愛に狂っていたと言わざるをえない。
彼女に対して優しくなれなくなった。
そして彼女は少しずつ壊れていった。
あんなに強く優しく寛大だった彼女が、ちょっとしたことですぐ不安になり、俺を責め、泣くようになった。
自傷するようになった。彼女のきれいな真っ白のふとももが、目を覆いたくなるような傷だらけになった。
そして彼女も首を吊るようになった。
俺は慣れたもので、冷静に縄を切って失神から目覚めさせ失禁した彼女を風呂に入れた。
彼女のことは入院させた。彼女の母親に連絡をとって保護入院にサインしてもらった。
それが去年のこと。
先月、ついに彼女も助けきれなかった。
ある日帰ったら、冷たくなった彼女が居た。
妻が首を吊ったのと同じ場所だった。
俺何してるんだろうな。
妻に死なれて、彼女にも死なれて、俺は何をしてるんだろう。
俺が死んだほうがいいか。
ふむふむ。5回読んでなんとなくわかってきた。
朴は朝鮮人の無政府主義団体である黒濤会を結成して中心となっていたが、大正天皇の写真を壁に張り、ナイフで刺したのを尾行の刑事に見られたことから、関東大震災後の1923年9月3日に金子とともに検挙され、上海から爆弾を入手し天皇暗殺を計画したとして1925年10月20日に起訴された。
1923年9月1日に起きた関東大震災の2日後、戒厳令下に朝鮮人が民衆によって私刑を受けた
震災後の混乱期に、朝鮮人無政府主義者・朴烈と愛人の文子が治安警察法に基づく「予防検束」の名目で検挙され、東京淀橋警察署に連行された。
当時の警察・司法当局は、かねてから朝鮮民族主義と反日運動を主催してきた
朴烈が「朝鮮人暴動」を画策し、爆弾テロを企図していたとして、
朝鮮人殺害に対する国際的非難を浴びた場合の弁明や私刑に参加した日本人が起訴に至った場合の情状酌量を与える大義名分とすることで事態を収拾する
ことを計画していた。
親はあの手この手で食べさせようとするが、今思い返せば悪手ばかりだった。
ビンタの痛みと恐怖の方が口腔内に広がる腐敗物に等しい味覚臭覚に勝る。
お蔭で今もセロリは食べられない。
臭いと味が嫌いなのもあるがビンタされた時の不快感をあの青臭さを嗅ぐたびに思い出すからだ。
更に父親と食事すると叩かれるかもしれないという恐怖や不安から他人に笑われるぐらいの早飯の悪癖までついてしまった。
母親が試みた古典的な手法は細かく刻んで好物のカレーやハンバーグに入れるというものだ。
子供の味覚を甘く見過ぎだ。
余談だが、太平洋戦争時に殺処分命令を下されたかわいそうな象のジョン、トンキー、ワンリーは毒入りジャガイモに手をつけず飼育員達はその賢さに驚かれた。
果たして巨獣達は毒殺を人間が企図したと認識しての抵抗ではない。
単純に臭いが変わるのだ。
なぜ相殺できると思うのか。
賤しい人間共が実に短絡的で愚かだったのだ。
話を戻すが、ハンバーグに明らかに嫌いなピーマンのエグみが充満して食えたものではない。
よくも好物を美味く食べるという喜びを奪い、穢したな!
湧き上がる憤りと悲しみは至極当然の感情であり、抗議は正当なものである。
母親は自らの浅薄な企みを恥じ、謝罪とともに不純物のないハンバーグを作り直して赦しを請うべきだ。
結果は
「文句があるなら食べるな!」
大学進学時に親元を離れたが、仕送りもなく困窮した学生生活を送っていた。
いい加減飽きてきた。というより明らかに体が拒絶反応を起こしている。ウンザリだ!と。
一応カロリーは保っていたが飢えていた。
そう、飢餓であったのだ。
生卵も大嫌いだった自分だが、その学生が食べる卵かけご飯がとても美味そうに見えたのだ。
値段もカップ麺と変わらなかった事もあって、翌日勇気をだして頼んでみた。
ご飯の真ん中に玉子を乗せる穴を箸でほじくり、玉子の殻を割ってのせる。
昨日まではただ気持ち悪いネットリとした生卵が今や米の一粒一粒に纏う金色の衣だ。
若干の逡巡の後に貪り食う。
なんて美味いんだ!
今も進んでは食べようとは思わないもの、やはりどうしても苦手なものは残れど、あれよあれよと偏食を克服できた。
体が大人になって味覚が変化したという要素も多分にあるとは思う。
ところで、かなり後の事であるが、久しぶりに母の料理を食べて衝撃の事実を知った。
反出生主義まではいかないが、産むんならそれ相応の親ガチャに当たったと言わせるだけの自信持ってる者のみが産めよと思ってる人間なので、当然ガイジが産まれるような婚姻はNG
ていうか恵まれた家庭でもちゃんと幸せな人生を歩ませられる算段がない奴らは全てNG
生老病死。生きてるだけで四苦八苦。人生は苦しみの連続だが、子供に苦しみを背負わせるために産んでるの?嫌がらせ?安楽死施設もない状況で?首吊り失敗して障害残ってもう二度と自殺企図することすらできない身体になったらどうするの?
「配られたカードで勝負するしかない」そのカードを配るのは親なんだわ。初手でガイジカード配ってる親は何がしたいのか?害悪だから死ね。子供が可哀想すぎるだろ。子供に同意とって産んでないよね?君はこれからガイジとして一生を歩みますよという同意取ったの?親のエゴで一生苦しむガキが一人でも存在しなくなりますように