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はてなキーワード: 企図とは

2017-11-26

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「かはく(国立科学博物館)で古代アンデス文明展がやっているらしいですぞ」「あんですって!?わたくし行っていインカ?ですわ。えっ?行っていいんですの!?サンクスコですわ」

なんて会話はありませんでしたが今日行って参りましたわ。

アンデスのなんたら文明の出土物とかミイラとかがありましたわ。それと合わせて文明文化等を解説してましたわ。この文明たち文字がないんですのよ!

わたくし正直あまり興味がなかったので、増田様の興味を引く文を引用させて頂きますわ。

ピサロによりインカ帝国傀儡皇帝として擁立されていたマンコ・インカがクスコを逃れて反乱を企図し、10万の兵でクスコを包囲する。

ピサロが、ピンサロだったら一発アウトですわ。頭がマチュピチュしそうですわ。あとシカン文化とかもありましたわ。

恒例の展示最後デカ画面上映で流れたウユニ塩湖が素晴らしかったですわ。会場を出た第二会場ではウユニ塩湖体験VRが500円でできるようでしたわ。わたくしもう疲れてたのでやりませんでしたわ。

とりあえず図録は買って帰るのですが何回か前から500円値上がって2500円、音声ガイド500円、特別展入場は友の会会員なので一回は無料なのであんまりお土産を買ってる余裕がありませんわ。インカコーラを買いましたわ。350缶130円でしたわ。


こちらはまだまだ2月までやっていますわ。その後の特別展『人体』も期待してますわ!

2017-10-18

議員に「転職」する候補者投票してはいけない

私の友人に市議会議員がいる。彼は日本某産党員としてかねがね活動していて、ある時、周囲から「某市の市議会議員になってくれ」と頼まれ立候補することになった。

彼には実家和菓子屋を継ぐという責任があった。このまま行けば二代目として間もなく家業を継ぐ、という頃であった。だけど、彼はそもそも「こんなレールに乗った人生でいいのか」とかねがね疑問に思っていたらしい。

立候補に際しての決起集会において彼は「『このままでいいのか、何か始めなければ』という悶々とした思いがあって、今回思い切って立候補した」と言っていた。約一年半前「レールに乗った人生は嫌だ」とたった数ヶ月で大学を辞めて起業企図した石田某を思い出す人もいるだろう。

 

彼が家業を継がずに選挙に出ると聞いて、例外なく誰もが驚いた。息子が跡取りになることを想定して事業計画を推進していた両親もいきなりの事に驚愕しただろう。彼は少し前に「一緒にやっていこう」と友人を会社入社させており、その友人も驚いたに違いない。彼を跡取りとして会社が存続するものだと思っていた数多くの社員も驚いた。ローンで家を買ってしまった社員もいた。

 

選挙に出ると決まってから彼はその政治思想喧伝するようになった。人が変わったようだった。例えば「選挙棄権するなんてもったいないですよ」とタクシー運転手説教をし、「是非とも次の選挙では日本某産党に投票してよね」と友人たちに触れ回り、与党たる自由民主党投票したという者に対しては「某産党にしか未来はないよ。それは誤った選択だよ」と諭した。

 

投票日が来た。若さもあって彼は2位で当選した。任期は4年である

 

議員になって1ヶ月後、彼は言った。「やー、本当にやりたかたことって、これじゃなかったみたいなんだよね。何で選挙になんて出たんだろう」

議員になって半年後、彼は言った。「議員なんてもうやりたくない。○○市にいるのが恥ずかしいよ」

議員になって1年後、彼は言った。「金は超貯まるよ。ボーナスも出るし。でもなぁ、議員になんてなるんじゃなかった。某産党になんてもう全然興味がない。隕石でも落ちて地球が滅べばいいのに」

 

彼には議員としてのウェブサイトがありフェイスブックも開設しているけれど、ウェブ上で熱心に情報を発信したのは議員になって初めの1ヶ月だけで、それ以降は殆ど更新していない。飽きてしまったようだ。従って、政治家としての彼の活動を知ろうにも有権者には何の手立てもない。

 

私たちがここから学ぶべきことはたくさんあるけれど、集約すれば「議員に『転職』する候補者投票してはいけない」ということである

 

要するに彼は「選挙に出てみたかった」のであり、「政治家になりたかった」のではないのである。にも関わらず、当該者が当選してしまったらその後数年間、何のプランイデオロギーもなく衝動立候補たまたま当選した暁に「議員になんてなるんじゃなかった」なんて宣う者のために税金から多額の給与が支払われる(法外な額のボーナス議員年金である)。「なんとなく」議員になった者が行き着く先は、某仁多議員のように「なんとなく」無責任に突然辞めるか、某今井議員のように「なんとなく」不倫に陥る(可能性が大いにしてある)。そういう者に私たち税金生活費として渡してはいけない。

突然辞職したり不倫に走ったりしなくとも、「なんとなく」議員になった者が突然に政治に目覚める、なんてことは決してない。「なんとなく」代議士になった者は、その衝動の度合いが凄まじかったとしてもそれは単なる衝動であり、結局は「なんとなく」議員としての期間をやる気のないサラリーマンさながらにやり過ごすことになる。それでもサラリーマンはやる気がない・生産性が低いとみなされれば常時監視している上司に叱責されるが、代議士不祥事でも起こさない限り叱責されることはない。「なんとなく」で金が貰える職業代議士以外にない。

 

比較すれば、特にフリーランスという働き方は自らの人的資本を全力で金融資本に変換する作業を日々行っている。だけど、代議士には生産性はないのであり、税金という金が空から毎月降ってくる。私はフリーランス対義語サラリーマンではなく、代議士であると考えている。

結論私たち議員に「転職」する候補者投票してはいけない。私たちが真面目にひいひい言いながら働いているのが馬鹿みたいだ。あなた過去投票した候補者も、もしかしたら議員に「転職」した者のうちの一人かもしれない。今頃、「議員になんてなるんじゃなかった」なんて愚痴をこぼしながら何の仕事もせず、空から降ってくる税金を懐に収め、あまつさえ不倫でもしているかもしれないのだ。

2017-09-30

ゲイが口うるさく抗議するわけ

「なんでゲイだけ目くじら立てて抗議するのか」って意見散見されるので書く。今回の抗議って自分たちのためという以上に、今同性愛で悩んでいる子供達のためって側面が大きいということを知ってほしい。

自分40代ゲイで、正直この歳になったら保毛男に直接傷つくということはない。でも、自分子供の頃はメディアゲイが「ホモ」として堂々とバカにされていて、それですごく悩んだんだよね。自分は異常なんだ。この先この世の中で生きていけるのだろうかって。実際、同性愛者の思春期自殺企図率はヘテロの子供の2倍程あるという調査結果も出ているし(http://www.nhk.or.jp/heart-net/mukiau/shirou4.html)、周りにも子供の頃同性愛で悩んで死ぬことを考えたってゲイもすごく多い。誰かが書いていたけれど、セクシャリティって自分アイデンティティと直結しているので、社会からそれを否定されるのって、特に思春期の子供にとってはかなり辛い。

例えば容姿いじりって、いじっている方も芸能人ばりの容姿なわけではなく、どこかに容姿欠点があったりするわけじゃない。言ってもお前も鼻の形変じゃん、みたいな。でもヘテロ同性愛って1-0で、ヘテロの人は揺るぎない絶対正義立ち位置から批判できるから強いし、批判される側は反論のしようがないんだよね。同性愛かどうかは目に見えないから、同士がどれだけいるのかがわからないってのも辛い。(あ、別に同性愛けが特別辛いんだって言いたい訳じゃないですよ。マイノリティマウンティングしても誰も幸せになれないでしょ。)

特に子供の頃は接する社会が狭いから一人で悩みがちになるので、周りはみんなヘテロなのに自分けが異常なんだと思って自殺を考える子も多いんだと思う。そんな中で同性愛者を「ホモ」とバカにするキャラクターテレビで堂々と流れてたらそれは怖いよ。明日学校で「保毛尾田保毛男」て言われたらどうしようって思うよ。この先ずっと社会からバカにされるんじゃないかって思うよ。だからゲイである僕達は口うるさく抗議の声をあげる。これはおかしことなんだよって。おかしいのは向こうなんだから君が思い悩む必要はないんだよって。死ぬ必要はないんだよって。

口うるさく思われようが、今後もこういうことが起こったら抗議するよ。自分が今の日本で、堂々と、まではいかないにしろ迫害を受けることなゲイとして暮らせるのは、先輩達がしつこく抗議してきてくれたからだと思っているから。そして、同性愛者の思春期自殺企図率が高いってことはもっと世の中の人に知ってもらいたいなと思う。

2017-09-20

anond:20170920012328

えっとですね、まず自殺念慮自殺企図定義について。

自殺をしたいと考えることが「自殺念慮

自殺念慮により自殺するため具体的な行動を行うことが「自殺企図

(「精神科救急医療ガイドライン3(自殺未遂対応)」より)

漠然と「死んでしまいたい」「消えてしまいたい」と思うのは、希死念慮といって自殺念慮の前の段階です。

なので、

(1)自殺企図・切迫した自殺念慮のある場合

には当てはまりません

(2)療養・休息に適さない家庭環境

についてですが、彼氏一人暮らしですので親との関係が悪くなければ実家に帰るか、親御さんに来てもらうという手段が考えられます

(3)病状の急速な進行が想定される場合

これについては元増田に書かれた状況だけでは分かりませんよね。

精神病性の特徴が見られたり、昏迷状態に陥ってるとかならまだしも、抑うつ状態であることしか分かりませんので、今後病状が急速に進行するかどうかは分からないはずです。

なぜあなたはこれに当てはまると思ったのか知りたいくらいですね。

そしてガイドライン15〜16ページ

自殺リスク評価に際して、最も注意すべき点が、 自殺企図が切迫しているか否か(Holma et al, 2010) の判断である自殺念慮が強く、自殺企図の切迫しているような場合は、家族に十分注意して見守ることを伝えた上で、入院治療考慮する必要がある。自殺計画を具体的に考えている場合は、特に切迫性が高いと考えられるので、非自発的入院も含めて本人の保護に重点を置いた対応をとるべきである

元増田記事の内容からは「自殺計画を具体的に考えている」ようには読み取れません。

よってあなたの言うように、彼氏は非自発的入院医療保護入院)相当である、という根拠は薄いと思いますが、いかがでしょうか。

任意入院であれば精神保健指定医である必要はありませんし、なんでそんなに精神保健指定医にこだわるのか、私には分かりかねます必要であれば任意入院から医療保護入院に切り替えることもできますし)。

少なくともガイドライン元増田記事を参考にする限りでは、入院必要であるとも、家族間の信頼関係にヒビが入る可能性が高い非自発的入院最初から考慮にいれるほど切迫した状況だとも思えません。

私は他科の医師経験に基づいた意見よりは、最新のガイドラインのほうがよほど信頼できると考えております

まだなにかご意見はありますか?

【追記読みました】

病識がないことがうつ病が重い証拠だとお考えなのですね。

ですが病識がないこと、またはうつ病であることの否認医療機関受診消極的であることはかなり典型的なうつ病の症状です。

ガイドライン20ページより

多くのうつ病患者が適切な医療を受けていない (Kessler et al, 2007)という知見の背景には、うつ病に伴う否定的認知によって、「自分状態改善させる上で、医療は役に立たない」という発想が生じがちで、それが医療受診に対する消極さにつながっていると考えられる。「医療機関受診消極的なうつ病患者であるが故に、「治療者-患者関係形成」がうつ病診療において、とりわけ重要といえる(American Psychiatric Association, 2000, 2010)。

からこそ、うつ病ではそのような考えに陥りやすいんですよ、という心理教育(疾病教育)が重要になってくるんです。

病識がない、病気否認しているというだけでは入院適応にはなりません。

ガイドライン21ページに書いてあることも元増田記事に書かれてるまんまですよね。

例えば「仕事へのやる気が失せ、注意も集中できず、業務がはかどらない状態では、『みんなに迷惑をかけている』と自分を責めてしまうことも、無理のないことだと思います」といった「承認である関係が構築できた上で、「やる気が失せること」、「注意の集中ができないこと」「自責感」もうつ病の症状であることを説明 し、「何が症状か」を伝え、患者うつ病客観化してとらえることを促すことも重要である

2)診断確定後の治療導入時での配慮

抑うつ相では「病気ではなく怠けである」「性格であるから治らない」「どうせ薬なんか効かない」、「こんな状況(例:身体病気を持っているから、職場問題があるから)では医療は助けにならない」といった、 否定的認知に傾きがちである(Hirano et al, 2002)。 うつ病の診断が確定した後は、この否定的認知がある ことを念頭に置きながら、治療へ導入する必要がある。

こういうのってうつ病典型的な症状なんですよ。

外来通院で心理教育などを行いつつ病気の受容を促すことも治療ひとつです。

繰り返しますが病識がないこと、それだけでは入院適応にはなりません。

2017-09-16

他人を道具として使うな!相互了解のためのコミュニケーション重要なんだ!とかいハーバーマスを信じてる人って頭悪くね

そのコミュニケーションに引きずり込もうと企図する欲望自体操作性を志向してるので道具化してることにほかならないし、都合よく道具として使うために自分の得意なコミュニケーションという場に連れ込むその正当化として相互了解を持ち出してくるクズの発生を免れないので現実に適合しない穴だらけの理屈だわな

anond:20170915200426

2017-08-04

https://anond.hatelabo.jp/20170803234117

レス元の増田だよ。

別段おかしくはないと思うよ。

まず第一に、「完全に実現出来ないと無価値である」というそちらの主張は、そもそもその時点そちらがおかしいと思うよ。100点の理想を掲げて2点しか取れない。別にそれでもいいじゃない。人類歴史なんてそういう小さな進歩の繰り返しだよ? 今ある社会は100年前のそれに比べて弱者配慮されていると思うけれど、それは先人たちがそういった小さな歩みをしてきたからだよ。もし先人たちが「人類は小さな一歩しか踏み出せない存在なのだから、遠い理想を語ってはいけない」って、そういうふうに自縄自縛をしていたら、今の社会はもともっと差別にあふれていたはずだよ。この主張のおかしさはわかるでしょう? 実現が少しづつでも理想は語って良いんだよ。

第二に「共闘」っていっても様々な段階やグラデーションがありうるんだよ。別段すべてを救った最期しか女性は救われるべきではない、なんて元記事にも書いてないでしょう? もっともっとはるか手前の話だよ。共闘以前に「弱者男性フェミニズムの扱う問題ではないし私たちは関わるつもりがない」なんて言っちゃえば、共闘どころか、相手から手も差し出されてないうちから絶縁状を勝手に送ってるような話だよ(この話題リーそもそも最初はそういう話だよね?)。

増田自分が指摘したのは「フェミニズム問題とは、弱者差別という大きな問題の一部であって、他の弱者差別問題とは無関係はいられないし、その関係フェミニズムの側から切断してしまったら、フェミニズム倫理的正当性は確保できなくなる」という素朴な指摘だよ。そしてそういった自己認識を持つことや、他の問題自分から拒絶しないことが、そんなに高いハードだと自分には思えないよ。

第三に、自分は「高いハードル要求」したことなんてないよ。「フェミニズム自身倫理的正当性を確保しようと望むのならば他の弱者差別問題接続していく他無い」というのを理路として解説しただけであって、もしそれを要求する人がいるのだとすれば、フェミニストたちが自分自身に対して要求するべきものだよ。そちらが言うように、内部からこそ出てくるべき自制だよね。そしてまっとうなフェミニストの人は、もうそんなことは百も承知だしそういう自制もたくさんしてきてるわけ。

そもそもフェミニズムを利用して自分利益拡大を企図する人」はフェミニストでもなんでもないでしょ? ただたんに道端に落ちてた武器自分の都合で振り回してるだけの人でしかない。生活者の行動としてはそれでいいかもしれないけれど、それは思想ではないという当たり前のことを言ってるだけだよ。

自分はコアなフェミニストとは言い切れないけれど、穏当な範囲リベラリストではあるので、弱者差別は少ないほうがいいと思ってるしすべての弱者差別問題に前記のようなスタンスで臨んでいるよ。別段難しくもないし、おかしくもない。実現が遠いと言うだけで、自己矛盾を抱え込んでテロに走るよりよほど楽だよ。

2017-06-21

すべての人間には自殺する権利がある

身近な人が自殺した!自殺は良くない!死んだら終わりだぞ!とか言う人。

自殺からしたら「知らんがな」でしょ。

おまえが、自殺者の不幸を解決してくれるのか?

解決できもしないのに、自殺を止める権利あるの?ないでしょ?

自殺者が不幸かどうかは知らん!生きてほしいだけ!ってただの我侭じゃん。

我儘に自殺を止める説得力ないよね?

じゃあ言う必要ないよね?

生きるのが耐え難い不幸の中にあるなら、

生きるのを捨てる権利は、すべての人間にあるよ。

自称遺族も自称友人も偉そうだよな。

私があのときああしていれば・・・

おいおい。

オマエごときがでしゃばって解決するような、

くっそレベルの低い問題で死んだんですか自殺者は?

病気と一緒。

メスを持って手術できないのに、私にできたことは~とか考えるか?ないだろ?

自殺だけを特権化するな。あれはただの死だ。

政府自殺企図者になにかできる!自殺はやめよう!と呼びかけるのは悪だ。

自称遺族がそれをすれば…と悔やんでるだろ。

それに、まっとうに生きられない人間社会的に見下して排斥するのは当然だ、

社会が言ってるのに、自殺ダメだと禁止するのは筋が合わない。

今ある問題解決してもどうせムダだ、どうでもいい、

精神科なんて多量服用を勧めておきながら数年でルールが変わった途端言うことが変わって平然としてるクズの群れだ、意味がない、

そう確信に至るような脳をお持ちの連中からしたら、

不幸から抜け出せないのは当然で、

抜け出せないなら自殺するしかないのは当然で、

不幸から脱すれたなら幸福なのだから

自殺権利は当然だ。

想像力のない人からすると、自分で好きに固定化しているように見えるらしいが笑

自殺予防総合対策センター

https://anond.hatelabo.jp/20170621210910

いやでもおまえの言う「作家がそれを企図していなくても多くの人がラノベレーベル認識するレーベルから作品を出したならそれはライトノベルになるのだ」って、「みんながそう思えばライトノベルです」を迂遠に言い換えただけじゃん。それロジックなの。

もう遠い昔のトラバリー最初の方で示した気がするが、たとえば「ライトノベル漫画アニメ的な想像力要求するためにそうしたイラストを配している」みたいな意見はよく見かけるけど、それはロジックじゃねえの。

さらに言えば「イラストが付いてるのがライトノベルでしょ」って言う人はたくさんいるんだからある種の常識性を備えているということにもなる。

https://anond.hatelabo.jp/20170621185748

いや、だから作者の企図がどうとか持ち出さなきゃいいんだよ。

出版社や作者がどう言おうが読者がそうだと認識していればラノベレーベル)だ」。

最初からこれでいい。

シンプルで、おまえの意にも沿う結論だろ。

で、ラノベレーベルかどうかで意見割れるのは当然。

何がラノベレーベルかの共通認識なんてないんだからな。

ラノベの命名者が名指しでライトノベルだと言っていたレーベルが、いまでは多くの人にラノベレーベルだと認識されていない、というエピソードは知ってるだろ?

ことほどさようにラノベレーベル認定は難しいもの

でも、たとえば個々の作品イラストが付いているかどうかなら小学生でも判断できる。

から意見割れないという理由を重視するなら、そっちのほうが良いよと言ってるんだよね。

(もちろん俺はイラスト説は支持してないよ。「意見割れないという理由を重視するなら」という仮定付きね。)

https://anond.hatelabo.jp/20170621174515

「少なくともガチガチラノベレーベルから出ている作品ラノベだろう」というのは分かるが、

その根拠を問われて、

「作者がラノベだと企図しているから」

「いや作者が企図していなくても企図しているとみなす」

レーベルで分ければ意見割れない」

意見割れレーベルはたくさんあるけど無視する」

みたいにふらふらしてっからなんだかなあってなるんだよね。

「よーしパパがラノベレーベル指定ちゃうぞー電撃とスニーカー富士見と…」

って強引にでも挙げてったほうが、変な理屈をこねるよりよっぽど分かりやすいし、まだ反論もされにくいよ。

2017-06-20

https://anond.hatelabo.jp/20170620225925

じゃあ作家企図とは関係なく、そのレーベルの主張とも関係なく、

読者がライトノベルレーベルである認識していることが重要なのか?

あるレーベルライトノベルレーベルであるという認識はどうやって形成されているのかは気になるが。

https://anond.hatelabo.jp/20170620181142

その人間カリスマがあると世間が認めたらな。

どちらにしろ「作者が企図していたらラノベ」とは単純化できないわけだ。

https://anond.hatelabo.jp/20170620171513

ライトノベル」は読者側の呼称なので作者の企図を認める必要はないんだなあ。

てか、そんなこと言ってたら電撃文庫作品なんかライトノベルと呼べなくなるし。

作者個人で「ライトノベル」と言われるのを嫌がられることもあるしね。

https://anond.hatelabo.jp/20170620165518

そらどういう点が評価されて売れたにしろ、ラノベレーベルからラノベとして刊行される予定で書いたものラノベになるだろ。ラノベでありミステリである、みたいな評価を受けることはあっても、まずは出版時点の作者の企図は認めないとダメじゃん。

2017-06-11

30代童貞の咎、無職の罰

30代童貞無職でも優しくされたい!を書いた増田だ。

http://anond.hatelabo.jp/20170529064047

最初に謝罪なのだが、実は元の記事は二、三年ほど前にここに書いたが全然反応がなかったものの再投稿であった。

黙っていてすまん。

でも相変わらず30代童貞無職であるので、釣りではない。

相変わらずどころか、加齢のぶん状況が悪化してるわ。

ザッと見た反応には共感も叩きもあるが、とりあえず前と違ってガン無視されなかったというだけでいくばくかの慰めを得ることができたので、そこんところに大いに感謝したい。

それでも叩いたり説教した奴はとても憎いがね……。

ところでこの記事のタイトルイリヤの空UFOの夏が元ネタだ。


俺の発言がかつてないほど話題になって調子づいたので、その反響に対する自分語りを長々追記する。

悪いが、提案や説教に対して、でもできないよおと拗ねる内容だ。

返事しやすいことにだけ返事しているから、クリティカルな指摘はスルーしてるかもしれん。

この追記に含まれ話題は以下の通り。

・俺の求める優しさとは何か

・俺から他人に優しくすべきだという話

フェミニズム

宗教

メンタルクリニック

ボランティア

創作

風俗

・会おうかと言ってくれる人について

無職で生かしてもらってんのがこれ以上ない優しさ

・働け


沢山ツッコまれている、「お前の求める優しさってなんだよ」ということを考えてみた。

自分の中でもふわっとしてるので、とりとめなく羅列する書き方になってしまうが。

たぶん俺が欲しているのは、物理(経済)面と、精神面の両方とで、自分の生存に罪悪感と不安を覚えなくていい状態ができてほしい、ということに近い。

居場所を作ってほしい、支えができてほしい、許しを与えてほしい、関係を持ってほしい。

こんな存在価値のない無能が生きていて申し訳ないとか、人と会話して申し訳ないとかの自罰的な気持ちと、その反動で貯まる攻撃的なルサンチマン、更にそれらからくる社会活動経済活動のうまくできなさから解放されたい。

生きている現在と、生き続ける将来に安心したい。なんとかいい感じに暮らしていけそうだとほっとしたい。

物理面の安心は、セーフティネットや、俺でもつとめられる安定した職や、日本の将来の暗さの解決なんかが欲しいってことだろうか。

精神面の安心は、流行っている言葉で言えば自己肯定感が欲しいとまとめられるかもしれない。

個人でも、思想でも、社会システムでもいいから、俺に優しくすることで自己肯定感を育て直す手助けをしてほしい。

俺が幼稚だという感想も見たが、育て直しを手伝ってほしいってのを望むくらいだから、そりゃ幼稚なんだろうな。

他人を頼るなって意見も多く、そうできるにこしたことはないけど、自己肯定感を独力で育てるのそうとう厳しくないか

厳しくてもやるんだよ、甘えるなっつーのが現実人生ですけどね。

ついでに言えば、自己否定感をもたらす色々なものから守ってもほしい。

守ってほしいというとお姫様気取りかよと言われそうだが、思想信仰も密な人間関係も、外部の影響で精神が動揺するのを防ぐファイアーウォールになるというのが役割の一つだと思う。そのせいでそれらにハマった人は意見を変えづらくもなるのだが。

ネット越しのあれこれを見てると、ファイアーウォールの十分でない俺の精神はどんどん腐っていくのを感じる。

だが他に気軽に寂しさを紛らわす手段もないので延々ネットを見ている。

そもそもこういう記事を書くこと自体、優しい言葉と厳しい言葉を両方飛ばされるかただガン無視されるかのどちらかだから、俺みたいな拗ねてこじらせた脛齧り野郎はやらないほうがいいんだ。

共感が10個あっても叩きが1個あったら叩きばかり印象に残る性格の奴が、運がよくても半々、そうでなければ袋叩きになるような愚痴ネットに書いてその反響を追うのはよくない。カウンセラーにでも愚痴るべき。それはわかる。

カウンセラー愚痴っても淡々と聞かれるだけで虚しさが募ってきたから、我慢できず書いちゃうんだけど。

言ってみりゃ、BUMP OF CHICKENリリィみたいな存在出会いてえんですよ。

弱音と苛立ちをこぼしても「そういうところも全部かわいい人ね」って言われてえよ。

無職なのでスポットライトも浴びてないしがんばって自分を唄ってもいないけど。

いやこの増田が俺にとってのステージだ。


人に優しさを求めるならまず自分が周囲に優しくしろ、というコメントも多かった。

この場合、俺が他人に送るべき優しさってなんだろうな。俺が求めてる優しさは上で書いた感じだが。

俺には、ただのオタクとしての名義や、リアル本名もある。

オタクリアルの方では、人の愚痴にはできるだけ親身に乗っているつもりでいる。いいと思った創作者に長文感想を投げたりもする。落とし物を拾う手伝いとかする。

どれも迷惑な押しつけかもしれないし、性根の腐り具合が滲んでるかもしれないけど、いちおう些細な優しさだとする。

でも、それが相手の救いになってるかというとたぶん全然ダメ

たとえば仕事がきついとか、上司セクハラしてくるとか、金がないとか、親との関係が悪いとか、モテないとか、ネットで叩かれたとか、そういう愚痴に俺ができるのは「大変だよな」「そいつマジクソファッキン口からウンコ漏らし」「思いつめない方がいいよ」などを言うだけ。作品への感想も結局は面白かったと言ってるだけ。

しばらく泊めてやるし旅費も出すからろくでもない家と会社からは逃げてきなよと言うとか、出版関係者コネがあるから紹介してあげるとか、そういうちゃんと役に立つ対応はできない。

俺は地方民なので、知人はみな地理的に遠く、日常的に会って一時的ストレスを紛らわしあうこともできない。(俺と会ったらむしろストレスが溜まるかもしれないが、一般的にはそういう優しさもあるだろうってことで)

生活に将来性がないので、他人自己肯定感を育てられるほど長く密な関係を築くこともできない。

お金も社会的安定も能力甲斐性ない人間は、責任のある優しさ、問題解決能力のある優しさを人に与えられないんじゃないか

から俺も優しくされないのか?

服を買いに行くための服がない問題みたいだな。


フェミニズムについて書いた部分もあれこれコメントされている。

元の記事でフェミニズムマチズモの双方を俺の敵対陣営として書いたが、根源的にはフェミニズムは悪ではなくむしろ公正さを目指すって意味では善なる思想だと思っている。

しかし、昨今俺に最も自己否定感や罪悪感をもたらしてくるのがフェミニスト的な言説だから敵視しているのだ。

俺のガバガバメンタルファイアーウォールを突き破ってくるんだよ。

そういうのは真っ当なフェミニストではなく一部の過激派だとか、フェミを名乗るミサンドリストだとか、脳内フェミだとか言われるのだが、とりあえず確かにツイートブログが見えるから脳内妄想ではないとして、一部過激派ミサンドリストと「真っ当なフェミ」なるもの区分するのは非常に困難である

自己否定を煽られたならミサンドリーだとするなんてのは、俺に/男に都合のいい意見しかフェミニズムと認めないなどという傲慢極まるスタンスになるのでありえない。

そしてフェミニズムも色々な考え方があるっぽいから、明らかに罵詈雑言を投げてるタイプくらいしかミサンドリーだと断じきれない。

そもそも疑問なのだが、ミサンドリーの入ったフェミニストが見分けられたとして、フェミに耳を傾けましょうって立場人間が「ミサンドリーフェミの主張は無視していい」なんて言うのはアリなのか?

ミサンドリーの奴らは、男によっぽど嫌な目にあわされたとか、別に大した理由はなく性格が歪んだとかで男に憎悪を抱き破壊的なことを言うわけだが、そこで他人聞く耳を持たなくていいのは破壊的な部分に限られていて、あいつらがどんな被害にあったとかどこに男女不公平を感じるとかの指摘を無視することに正当性はないのでは?

たとえて言えば、テロリストテロ行為は許すべきでないが、なぜテロリストテロ思想に走ってしまったのかという部分は着目するに足る、みたいなのと近い。

ミサンドリーフェミニスト言論テロリストだしその論調と主張手段は責められて然るべきだが、あいつらが語る己がテロリストになってしまった理由については、ある程度の誇張を割り引くとしても聞いてやるのが、フェミ親和派としちゃあ正しいのでは?

男性への不公平感や抑圧感が嫌悪憎悪レベルに達することで「あいつらはミサンドリストからフェミニストではない」と切断処理の対象になってんのって変な気がする。

などとやたら長く書いたが、どっちにしろミサンドリストフェミニストも嫌いなんだ俺は。

だって俺が男である以上、体格がいいとか化粧しないでいいとかヒール履かなくていいとか生理がないとかガラス天井がないとか性暴力を受けづらく与えやすいとか性別由来の既得権益を得てはいるし、どんなフェミニズムであれその権益の使い方や再分配をよく考えましょう配慮しましょうと啓蒙してくるわけで、それは公正ではあるけど「ああ、男である俺は不当な利益を貪ってんだな、反省しなきゃな」みたいな気分にさせられるから、そりゃあ嫌いになる。

そのくらいの自省要求にすら耐えられないほどクズなんすわ、悪かったな。

痛いところを正しく突くな。回避不能な罪悪感で縛るな。

フェミニズムは公正で善かもしれんが、俺には精神有害なんだ。

しかし考えてみれば、ネット議論は幾らでもある中で俺が特に精神をかき乱されるのがフェミ主張ってことは、否が応でも目に入ってしまうくらいフェミニズムネットに行き渡り無視できない勢力にまで育ったわけだからフェミにとっちゃ順調っちゃあ順調なんじゃないの。


さっきちょっと信仰と書いたが、宗教を勧めるコメントも多かった。

わかる。

持たざる者精神的救いを求めるなら、宗教が王道と言っていいと思う。

自分でも、上手くハマれればとても楽になれそうな気はずっとしている。

でも俺は宗教めっちゃ嫌いなんだよ。

結婚式チャペル行くのも葬式で数珠握るのも地鎮祭も、もちろん新興宗教の類も、くだらないしキモいと感じられる。

から楽になるだろうことは分かっていてもやりたくない。

この場合宗教はいわゆる神様を拝む系の宗教を指しているので、科学信仰宗教嫌いも宗教であり~みたいな話は今回はなしで。


宗教の他には精神病院に行けという話もあった。

実はすでに、病院カウンセリングには学生の頃から通っている。

病名はついているが、憂鬱イライラ胃弱くらいしか自覚症状がないのでピンと来ていない。

延々経過観察されている。

薬は全然効かないので、現在憂鬱が激しい時にその場で飲む薬しか処方されていない。

障害年金はもらえそうにない。


ボランティアを提案する人もいた。

実はこれも嫌々ながらやったことがある。

某NPOの臨時作業員というかお手伝いみたいな感じで数か月混ぜてもらった。

でも、NPOの人らが輝いた眼をして、力強い握手と共に「増田クン、まずは元気な挨拶からがんばろう!」と言われた一日目の時点で内心もうダメだった。

いや挨拶はしていた。どっちかというと丁寧にしていたつもり。小学校クラス挨拶名人賞を受賞していた杵柄だ。

ただ全盛期を過ぎた今の俺の挨拶はオドオドさも香るスタイルになってるから、エネルギッシュな人たちからすると元気よくと言いたくなるのは分かる。

でも俺とは求める心地よさが違うのだなと感じた。血圧が俺より30くらい高そうだった。

あと単純にボランティアの具体的な活動でも俺はグズで気が利かなくて、役立たずとして混じってるのがキツかった。

ワンシーズン活動が終わったあと、臨時お手伝いの立場ながら打ち上げに呼んでもらえたので優しくしてもらったとは言えるんだろうけど、その最後打ち上げの席も辛かった。


創作ブログも多少やったが、しんどくてやめた。

気力体力行動力の消耗がヤバかったし、がんばって書いても読者が少なくてあんまり褒めてもらえないので悲しくなった。

小さいものを一つ作ることはできても、それを複数作ったり書き続けていくのはひどく大変だ。

内容が多少まずくても創作できる人はそれだけですげえよ。42.195kmを走らず歩ききるだけで凄いようなもんだよ。


風俗

俺の「童貞」という悩みを噛み砕いて言えば、「コミュニケーション能力と、アイデンティティのかなりの位置を占める男性という属性の二つが、他人(特に男性から被害を受けやすい女性から受容されたことがないことによる、不全感や許されていない気持ち」が問題なので、お金で受け入れさせたところで解決になる気がしない。むしろその手段を取ることで罪悪感が増しそうで怖い。金という暴力で女を従わせたってことになる。

なんて言ってみたが、風俗でいいから一回ヤってみてーという即物的な気持ちもモチロンある。

でも実家暮らしだと、家族風俗行ったとばれないかという心配事もありなかなか行けない。

男性性なんかにアイデンティティの重きを置くなって意見も見るが、その重心バランスセルフコントロールムズイでしょ。


はてなの内外で、首都圏だったら飯奢ったり遊んでやるよと言ってくれる人をちょっと見た。

とてもありがたい。だがすまないことに、前述の通り俺は地方民である

まあそうじゃなくても、こんなクズ of クズな記事書いといて非匿名で会うなんて、恥ずかしさと怖さでできやしないが。

知人に首都圏在住者が多いのもあり、そっちで暮らしたい気持ちは大いにあるが、以前親に話を振ったところ良い反応をもらえなかったので無理だ。

自殺企図したことがあるため、離れた場所に行かせるのは心配らしい。

「30代になって親の顔色をうかがうとか幼稚すぎる」と言われるだろうが、親と話し合ったりお願いしたりということが物凄く苦手でダメだ。一度話を振っただけでとても勇気を出したくらいだ。


無職でもその年まで生かしてもらえてることが最高に優しくされてるだろというド直球。

就職しろというド直球。

あなたたち、その通りです!!!! 

養ってくれているお父さんお母さん、医療保険を使わせてもらってる社会ありがとう! 年金くらいは払ってます!

腕力なくて荷物を落としそうになって迷惑かけたバイト先、一回寝過ごしたらもう顔見せるのが怖くて連絡を絶ったバイト先、寝坊した上道分かんなくなって面接キャンセルした就活先、集団ディベートで変なこと言う俺と同じ組になった就活生、興味ある職種を答えられず困らせたハロワ相談員さん、ごめんなさい!

こんなに迷惑をかけても、直接的な刑罰とか咎は負わされてなくてこの社会クズにも優しい!

その辺はマジその通り。

なのに、こんなに優しくされてるのに、なんでか人生がうまくいかねえし外に出るのが辛いし社会他人と関わるのも不安だし心身落ち着かねえしで自分じゃどうしようもねえし辛いので、もっともっと優しくされたらうまいこといかねえかな、誰か救ってくれよっつー夢想を書き殴ったのが元記事なわけ。

自分じゃどうしようもないとか甘ったれてんじゃねーよ人は自分で何とかするしかないんだよとか、むしろ優しくされすぎたのが悪いんだよとかの声も拝聴しております。



書きたかったのはだいたいこんな感じだ。

自己卑下してかわいそうぶることで批判を避けようとしているのが鼻についたら申し訳ない。

卑屈さによる防御は卑怯なのだが、いったん頭に浮かんだ卑屈さや恐れを脱臭するのもこういうクズ人間エッセーみたいな文章ではニュアンスを損なうのでは、と考えるとよくわかんなくなった。

よくわかんなくなったということを言い訳にして、卑屈さを大量に残して責めづらくする予防線を張り、そして予防線を張ったことについての予防線を更に張る卑怯な書き方申し訳ない。

薄っぺらく心にもない謝罪を繰り返していて申し訳ない。

2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

2017-04-02

母親自殺を止めた。

今日母親階段首吊り自殺をしようとしていた。階段のところにあるオペレーター式の窓のチェーンに首を括り付けてそのまま階段から滑り落ちて首を吊ろうという魂胆だったらしい。

私は二階にある自室にいて、やたらバタバタ階段の方が騒がしいな、と思ったので様子を見に行ったら、無表情でチェーンを首に巻いた母親がいた。母親首には赤い跡が付いていて、「もうこうするしか方法がない」と言った。私は驚きよりも悲しみや怒りや呆れといった感情を強く抱いた。

母親自殺未遂をしたのは、たぶんこれで5回目。たぶんというのは、嫌な記憶忘却されつつあって覚えている範囲でも曖昧な部分があるからだ。5回という数字客観的に見ると、多いなと思うし、でもその数字以上に考えさせられることはたくさんある。

今回の自殺企図をする前も、私は母親明日通院している心療内科にかかりに行くことを約束した。私の記憶が正しかったら、前にこういうことがあった時にも、もうしばらくは自殺しようとしないと二人で決めていた。「自殺しないとはっきり約束してもらう」という対策法をどこかで見てから実践している。けれど、その決まりごとはは毎回破られる。その度に私の心は折れる。

自殺をしようとする人に対して、掛けてはいけない言葉がある。自分意見押し付けずに話を傾聴しましょう、とかこういう対応の仕方をしなければいけないみたいなマニュアルのようなものがあることは知ってる。でも、それを遵守できるのは、心が病んでいない人間だけのように思える。少なくとも私は、繰り返される自殺未遂に疲れてしまって、母親希死念慮を強く持つたびにもういっぱいいっぱいで、抑えていた気持ちが怒りとなって爆発してしまうようになった。自分ダメなことは分かっているけど、それをどうしていいかからない。

母親は「うつ気持ちうつになってみないと分からない」と言うけど、うつ病患者の近くにいる人の気持ちもも、その立場になってみないと分からないと思う。

躁鬱とまではいかないが、母親は気分の変調が激しい。数週間前まではテレビを見て、家事をして、と日時生活普通に遅れるのに、少し躓くと抑うつ傾向になってどんどん気持ちが落ち込んでいっている。体調が良いときはどこにでもいる普通母親みたいなのに、体調が悪くなると過去に何度も自殺未遂をした希死観念の強いうつ病患者の顔になる。その変容の激しさも自分の心の波が一定にならなくなってしまった原因のひとつだと考えている。

明日たぶん母親はかかりつけの精神科に行く。

そして私は、母親自殺未遂をしたなんてことを微塵も感じさせない笑顔を作って新学期を迎えて、友達に会う。

自殺を試みる人は、何度だって自殺しようとするし、止めることができなくても、それがその人の寿命なんだと捉える考え方もあるらしい。

自殺を止めて、それで苦しみながらも生きて、また死にたくなって。死んでしまうのとどっちの方が辛いんだろうと最近になって考え始めた。

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321004616

免疫が低下してるのは一時期のことで、安静にしてたら回復するような人にまで悪影響を与えてるって言ってるの。

そういえば、感染ると言えばリストカットなんかも伝染性があることで有名。

自殺企図リストカットなど、やらなくて済む人までも巻き込むような言動をし続ける人は看過できない

2017-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20170131111705

http://anond.hatelabo.jp/20170131113842

ほんとこれ

非表示ってのはあくまでもそれをする人(見たくない人)の都合のために用意されたものであって、される人に(それがどんな間抜けコメントを書くような人であっても)影響を及ぼすことを企図した機能ではない。

2017-01-07

自殺企図

昨年の10月から、心が不健康だ。

調べるとだいたい、

ADHD不安障害、鬱

と書いてある。

まともな判断力を持てていないと感じる。

3が日はふつうっぽく過ごしたと思う。

ふつうっぽく見えていると信じたいが、何気ない会話をしていても、死にたいな、という心の囁きのようなものが突然現れる。まっとうな考えじゃないと思うから、それに抗う。この時間が非常に辛い。抗うほど元気がないときは、自殺方法を調べる。首吊りロープ、本気で欲しくなる。

今日から連休

何もしたくない。1日中、ベッドにいた。食事、していない。チョコを少し食べた。何か食べたほうがいいと思いつつも、食事の準備をする面倒のほうが空腹感に勝る。のどが渇いて、少しポン酢を飲んだ。あとは水。

3日前からシャワーをあびていない。

みっともないから、髪は洗って仕事に行っていた。

明日は出かける予定がある。心配させたくないから、今夜はシャワーを浴びるだろう。

こんな鬱々としたことを知り合いに喋っても、関わらないように距離をとられるか、巻き込んでしまうだけだ。

巻き込みたくない。

それは、本当に自殺する段になったとき、この気持ちを喋った人は、止められなかったと後悔するかもしれないからだ。

思い返せば、一昨年も夏頃に心が不調で、友人に鬱なのではと言われた。

大学時代も、バイトがうまくいかなくて死を考えた。

高校ときも、親との折り合いが悪くて首吊りするための木を探して歩いていた。

高校ときは、友人に言いふらしてたから、構ってほしかっただけなのかもしれない。

大学ときは、大学カウンセリングルーム相談に行った。大変な思いをしたがバイトをやめることができ、解決した。

社会人の今、どこにも相談できずに、匿名からこそここに書き込める。昨年は、職場健康相談電話してみた。

「消えたいという気持ちがある…」

電話の向こうの医療従事者は、困惑していた。

絞り出すように告白したのだが、仕事に行けているのならこのまま様子を見よ、と言われておしまいだった。

どうしたらこの心の不健康が解消されるのか…。

仕事

学生ときのように、行けばどうにかなるというものでもない。日々こなさなくてはならないことがある、終わりはない。

転職結婚

様々な事情で、あと一年は無理だ。

それを越したら…越したら、もしかしたら楽になるのかもしれない。

から今はなんとかやっていこう。

と思えるときもあれば、

一年我慢してもその先の保証がないのだから死のう。

と思ってしまうこともある。

こうなると、また囁きとの戦いだ。

もう疲れたよ。

2016-09-09

ナコルルの件 あの人にとてもガッカリした話

http://anond.hatelabo.jp/20160908185445

デ、デター!

ついにこういうのきちゃったかあ。

とっても残念ですはてこ氏。



元のゲーマーも、この増田も、要は無自覚ボンボン普通に世間で苦労してる社会人に怒られて逆ギレしてる、それだけの話。

この場合ボンボン」とは、ただ「日本人」として生まれ島国の中で特段「民族」を意識することなく育ったことを指している。「自民族中心」どころかそもそも圧倒的に無自覚に日々を安穏と暮らしてるこの子らは、自分という存在立場暴力性やら何やらに対しても全く無自覚だ。過去歴史も知らず、「日本人であること」が「アイヌの人々」に対して何を意味するのか全くわかってない。そのせいで、「ドイツ人ユダヤ人」というごく分かりやすいたとえを出されても理解できず、それが「ヘイトスピーチになり得ること」の意味が分からない。「日本人であること」の上であぐらをかいているのに、「民族性とかオレたち知らないしかんけーない」が通用すると思っている。

へ~~~~~~え。

私が述べたのは

ゲームの話してるメンションに突っ込んでいって、「殺す」のような言葉遣いを咎めるならまだしも、

アイヌ民族へのヘイトスピーチとして起訴するのは違いますよね?

実在アイヌ民族への悪意なんか無かったのわかってる以上はさ。

という論理ね。


これに理屈で言い返せなくなったら

ジャップアイヌ様では身分が違うのだから!」

身分の違いも弁えないものを知らない子供が!」

って言い出しちゃったよ。

これ反論になってるか?知性終了のお知らせしかねーだろ。


理屈で言い返すなんて生意気だぞう!」

ってか。

ダメだこりゃ。


まさしく「踏んだ人には踏まれた人の痛みは分からない」。だから「踏まれた人の反応」から推測するべきなんだよね。

ああもう私ははっきりこれには反対だ。

だってそれもう「踏まれた人」を無敵の王様にせよってことじゃん。

しかも今回のゲーマーは踏んでねーだろって話だしそもそも。


踏んでねーだろに反論できず

「「論理反論するな、身分が違うのだぞ、弁えろ!無制限のマーダーライセンスをよこせ!」

ってか。

それが通用すると思ってる方が妄想に生きてる一種ボンボンなんじゃないの。

私はこうやって逐一突っ込むけど、世間殆どの人は冷笑して通り過ぎると思うけどね。


凍結されたゲーマーポリコレ寄生虫への敵意と軽蔑だけを持ったと思うよ。

私みたいに寄生虫を解剖してその腐った了見を深く知ろうとする人間世間では少数派。


この件について、アイヌの人の側から、当該発言者の余りの無思慮・無思想っぷりについて、むしろ知らないがゆえに/知らないことそれ自体批判されるのは、全く当然のことと思うし、知らないで許されるという筋のことではない。

当該発言実在人物や実在民族への悪意や抑圧を企図表現したものではなく

それどころかナコルルというキャラ自体への敵意ですらなく

ナコルルを使って嫌がらせをする」と述べた友人への言い返しでしかない。


それはアイヌおじさんも、くたびれはてこ氏も理解出来ることだし、理解していた。

はてこ氏が理解してるということはこの増田理解してる。

ゲーマー氏はその言葉遣いについて「おじさんアイヌから字面だけでギョッとしたな」という抗議は受けてもいいが

アイヌ民族ヘイトスピーチを行ったという起訴をするのは無茶苦茶だ。


この当然の論理を非論理的威圧と脅しでひっくり返そうっていうその了見から腐ってんだよお前らは。

お前等のその了見や活動によって実在アイヌの人が何か助かる訳ですらない。

お前らが誰かを攻撃して説教したいだーーーけーーーー

ってもうバレバレからな?w


アイヌの人がどのような目に遭ってきて、いまどのような境遇にあるか、そのことへの想像力私たちがもたないで「よい」という主張であれば、これはもう政治的主張だ。本人がどういう意図で語っているのであれ、増田と元のゲーマーの彼の言っていることやっていることは、そういう政治的意味なる。その上で批判されているのだ。

なりません。

実在アイヌを全く指していないのが明らかでも「アイヌ」という文字を使っただけで政治主張になるのだー

アイヌ様側から論理破綻した滅茶苦茶なヘイトスピーチ認定に一切反論はまかりならんのだこの身分の低いニッポンジンが!

っていうルールはお前らポリコレ寄生虫オナニーオカズ生産以外のなんのポジティブ意味も持たない。

差別されてるかわいそうな人を救う効果すらない。

お前等のような邪悪人間の為だけのルールには善良な市民コミットする意義がない。



アイヌ様」側に立つことの権威パワーを過大評価してるみたいだが

権威ってのは冷笑する相手に誇示すればするほど裸の王様になっていく。

私は困ってる人を助けたいし、社会をよくしたいし、差別には大反対だけど、

悪いけど「アイヌ様」の風下に立つ気はねーわw

人類平等って信じてるからね。


さいごに

とっても残念ですはてこ氏。

あなたは理性に踏みとどまれなかったな。

自分達を批判してくる奴は全部差別者」。らくちんだねー。


もう堕ちていくだけだね。

2016-07-14

増田って結局

文章として本当にいいものを書いたな、という手応えがあるときにいい反応は絶対にない。

マイナスかけるマイナスがわからない馬鹿にでもなったつもりで、趣旨も一貫しないような、主観をまき散らすだけの、「思う」連呼小学生の作文みたいな稚拙落書き推敲一切無しで書き散らすと簡単につまら説教がしたいアホが釣れる。

増田に限らず、ネットで話題になるものって全てこう。

みんなただマウンティングがしたいだけなんだよね。

本当に興味があるとか感動したとかそういうものに対する反応を大きく取り上げるシステムになってないんだよ。

しろ、誰にとってもクズしかないものほど、クズを利用して相対的自分を立派に見せたい承認欲求を吸い寄せる事で成立する仕組みになってる。

これはそもそもいいものを素直に褒める習慣のない日本人性質問題もあるのかも知れない、とは思う。

まあでもそれもたぶん程度問題だ。

自分英語しか読めないが、英語話者の言論空間で繰り広げられる世界的なやりとりを眺めていても、多少の自制心は感じられるが、本当にしょうもないものほど無視出来ずに衆目が集まり、結果として逆にクズ存在感を高めてしまうだけという現象はそれなりに見られる。

日本場合は、それをある意味で『薄める』効果を持った、「ほんの些細ないいものでもとにかく褒める」というカウンター熱量相対的に足りないだけだ。

 

他人に教えてあげたい新情報を盛り込み、読みやすさを考えてきちんと順を追って説明し、一読諒解でスッと頭に入って来るように文章を整えると、まあ、まず酔っぱらいの気まぐれくらいな無差別なクソレス以外は、トラバブクマもつかない。

スッと読んでうむ、と納得して終われるように読者への配慮を怠らない事は、通常の作文技術で言えば必要不可欠の基礎技術に当たる。小学生算数が覚束ない状態で高度な数学へ手を出そうとしても、計算間違いばかりで教科書を読み進めるのすら難しいのは誰にでも想像がつくことだ。

しかしこれがネットで発表するブログSNS記事となると、むしろそんなことをしない方が生存戦略としては正しいという現実になる。

違いはたぶん評価タイミングにある。

古来文章というものはそもそもリアルタイムメディアではない。

読んですぐ、どころか読みながらすらすでに反論や混ぜっ返しを構想しつつ出しゃばる計画企図し、吸った息を吐くようにそのままノータイムで書き込むなんてことは従来の文章の使い方としてなかったことだ。単なる口頭会話の置き換えのつもりで軽く見ている人もいるかも知れないが、文章には口から発する言葉と違って一息(一文章)で長々と演説が出来たり、本当のリアルタイムというにはタイムラグがあったり、それらに起因する割り込みや訂正の難しさがあったりして、現実としてこれらネット上の文字コミュニケーションは音声と文章、両方の悪いところだけを引き継いだような最悪のコミュニケーションツールになっている。

文章は、書き、読み、思い、反論でもそれを踏まえたまったく別の場所での言及や自説の開陳でも、それらステップの間にいくらでも考えを改めたり気づき直したりという猶予があるものだった。

からこそ、文章術とはまずすんなりと理解させることに重点を置いていた。

スッと読んでうむと納得して、まとまった形で頭に残っているからこそ、検討検証も出来る。わかりやすさとは頭に残り、こころに残り、読み手のその後の人生の中でじっくりと「対話」をしてもらうための絶対条件だったのだ。

感情空気に流されがちな体面の問答と違い、ひとつ思想パッケージとして読み手の中に取り込み、そのあとでじっくりと自問自答という形で葛藤してもらうことこそが文章と言うメディアを用いた「対話」のやり方だった。

 

増田でバズった記事に、名文と呼べるものがあるだろうか?

「逆に名文。」「むしろ名文。」?そんなありきたりの逆説は要らない。

から折りに触れじんわりとその一行一行を噛み締めたり、何度も読み返したくなったりする深みがあるか?

せいぜい「日本死ね」が大喜利的にバズワードになるだけじゃないか

バズワードと心に残る言葉は違う。

日本死ね」はレトリックとして死なないものの死を願うという無常感、絶望感を含有した良い捨て台詞だと思うが、バズワードにはそういう文脈考慮されない。ただ字面上同じであれば単に自分の気に入らない相手普通に死ぬ比喩になってない相手)を死ね罵倒するのにも平気で使われる。

皮相的な反発の応酬で起こせる波の、これが限界だ。

あくまでそれはただ大海原の表面が鳴動しているに過ぎない。船を転覆し浅瀬の生態系をかき乱す力はあるかも知れないが、人のこころの深いところを揺り動かし、大きな変化をもたらすような津波にはならない。…変な比喩だが。

自分こころの深いところに入り込み、そこに不可逆な変化をもたらしてしまうようなものを読まなければ、書かなければ、知は停滞する。

停滞し、後退する。それが生体としての脳の摂理からだ。

 

文章がただの文字列という刺激になっている。

まとまったものを読み、読み切った後に意識の中に残った断片あるいは芯のようなもの、それらの感触、反芻、自己言及的な葛藤を通して得られる新しい自分

そういう一種コース料理のようなひとつづきの体験文章という表現に当たり前に付随するものとして認識されなくなっている。

いきなり俗な話になるが、これはエロゲーシナリオ文章物語として扱う層への違和感と似ている。

ひと文字いくらで量を書いてナンボなんて世界で書き増されるだけのテキストデータに芯や内容なんて生まれない。エロゲーシナリオには「読み終わり」すらない。

ただカネを納得させる「量」と水増しを誤摩化すための「刺激」でエロシーンまでの間を前戯的に埋めているだけのものだ。さながら増田が、ネットバズるブログSNS投稿が、文字として表された思想人格葛藤するよりもただ愉快な炎上を持続させるための刺激としての埋め草であるように。

ネット言論空間というのは、本当に「脊髄反射」という言葉が相応しい。

文章の、言論の装いを纏ってはいるが、その実いっさい論者の芯の部分を経由していない、ごくごく皮相的な反発の応酬で成り立っている。

その場で読んで、その場で反発して、三日経てば何を読んだのか何が書いてあったのかその一節すら思い出せないようなインクメモリ)のカス右往左往して、白熱した議論かなにかを装いながらどんどん使われない脳味噌が退化していっている。

これがネットでだけならいいのかもしれない。使い分けが出来ているのなら良いのかも知れない。しかし実際のところ、刺激としての文字列に慣れた脳味噌はまとまりを、芯を感じる力を明らかに加速度的に低下させている。

2016-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20160605111806

自殺企図者に辛いのは君だけじゃないとか言い出す空気読めないタイプ

相手を気遣ってるんじゃなくてただ言いたいだけなのが駄々漏れ

そのサラリーマン犯人100%断定はできないし(たとえば電車の背もたれや壁についていた可能だってゼロではない。気づかないうちに服についていたのが、どこかで髪の毛についたのかも)、周囲にどのくらい人がいたのかもわからないが

同情を表現するのに事実がなにかわざわざ言わなきゃいけないあたりバランスを取って考えてる俺様ドヤァが駄々漏れ

相手より言ってる自分に目が向いてるからこれは余計だとか想像すらできない

悪意をまき散らした屑については、どこかでひどい目に遭うだろうことを想像して溜飲を下げておくといいいと思う。そういう人間はいずれ必ずひどい目に遭うから心配ない。断言するが、道端に屑をまき散らす人間自分の心の中に屑をまき散らし続けて、いずれ心の中が屑で一杯になるに決まっているし、ましてや邪な気持ちで「イタズラ」をする人間は周囲の人間への不信を募らせた結果どんどん社会のはみ出し者になって禄でもない人生を送る。

自分がつらいめにあったときにこういう理想論ぶちまけてくるクズのウザさを体感したことがないひいては大した人生経験がないことも明らか

お水にありがとうレベルキレイ

そういう人間に怒りの矛先を向けたり思い悩んだりしてあなた大事人生時間を浪費する必要は全くない

時間を割くかどうかは本人が決めること

終電まで飲む」ということに、常にそういうリスクがあるということは、体験的に覚えておいてもいい。...最低限できる自衛ゼロだったとは思えない。

極稀の事例にも関わらずリスクをいちいち説いて犯罪にあったばかりのキズをえぐる想像力に欠けるゴミ証明

いついかなるとき終電を常に避け続けることは可能かどうかといった状況も無視してただお説教したいだけなのが明らか

最後に、あなたのかわいそうな髪先にお悔やみを申し上げる

髪を擬人化した上にお悔やみという葬式レベル表現さらに苛立ちを増させる

ナチュラル人間として腐ってないとこんな文章は書けない

君さ、上の増田因果応報論的(?)なパートを「理想論」と表現したり、なんかところどころ非常に理解しにくい文章になってるから、もうちょっと分かり易く書いてくれると嬉しい。

因果応報が実現することを理想として望んでるって話だろバカ

からお水にありがとうといえばお水がおいしくなるとか言い出すレベル現実にはありえないキレイ事と同列に置く次の文章があるわけだ

理解力のないバカにはちょっとむずかしかたかな?削除逃亡しててウケる

2016-01-29

何が先進国若者テロリストへ変えるのか

 20世紀初頭、英国経済学者であるケインズ卿は、主著の中で「考え方ほど強力なものはない」と説いた。つまり、人の行動要因のうち、最も影響力が強いものは、外部的要因よりもその人の内部要因、すなわち考え方だというわけだ。

 ひるがえって現代英国では、中東出身者の2世3世となる若者たちイスラム国(という名のテロリスト集団)へと帰属すべく、混乱を極める中東へと世代を超えた里帰りをしている。こうした若者たち常軌を逸したテロリスト集団に忠誠を誓う要因は何だろう。ある人は欧米社会における中東系への差別が原因であるとし、ある人は貧困が原因であるという。しかし、これはあまりにも皮相的な見方ではないだろうか。どの国にも貧困差別存在する。それにも関わらず、なぜ一部の人々、特に豊かな先進国若者海外の狂信集団への参加を企図するのだろうか。

 ここでケインズ卿の金言を思い出してほしい。何よりも人を駆り立てるのは考え方だ。もちろん、乾燥した砂漠地帯へと向かう若者たちの中には自意識をこじらせ、過激思想に染まった狂信者もいることだろう。だが、その多くは渡航直前まで通常の市民生活を送っていた一般人である(と報道されている)。ということは、通常の市民生活に浸透するごく一般的常識の中にこそ、彼らを破滅的な行動に追い込む何かが潜んでいるとは考えられないだろうか。

 健全若者たちを追い込んだもの近代社会の「一般常識」とは、「人は役に立たなければ生きている価値がない」という考え方だ。このあまり妥当に思える考え方にこそ狂気が秘められている。

 中東渡航した若者の多くは、同国の他の若者と同等の高等教育を受けており、言い換えれば社会的に役立つ(と見なされるべき)存在である。彼らは教育によって社会常識能力を身につけ、社会への参加と貢献を望む(ごく健全な)精神性を身に付けていたはずだ。だが、彼らはその意欲と能力を十分に活かすことが出来ない環境下にある。

 無論、こうした差別貧困けが問題ならば、例えば南米東南アジアスラム民のごとく、それを人生既定路線として別の生き方適応することも出来ただろう。だが、彼らは私たちと同じように近代的な市民としての精神性を埋め込められた「一般人」なのである

 資本主義であれ社会主義であれ、近代社会おいて市民は、「人の役に立たなければ生きている価値はない」と考えられている。言い換えれば、人の役に立つことが人生意味・意義・目的である。それは経済活動本質でもある。だが、英国をはじめとする欧米社会は、中東系の若者たち近代市民としてごく一般的健全希望を満たすことを許さなかった。結果として「人の役に立ちたい」という健全な欲求は、全く不健全狂気の塊とでもいうべき集団への参加・貢献へと姿を変えてしまう。なぜなら、イスラム国はそうした近代市民として望ましい欲求の全てを満たしてくれるからだ。

 あなた人生には意味がある。あなたは人の役に立つことができる。あなた必要とされている。だからこそ、私たちに参加・貢献してほしい。

 こうしたメッセージ実存的な欲求を満たせずに鬱々とした日々を過ごす若者に届き、その心の隙間に棲みついたとき、彼らを押しとどめる要因、すなわち彼らを暴走させない「考え方」を欧米社会提供できていたのだろうか。事実イスラム国はすぐれて近代的な精神性を持つ集団であり、表面的な暴虐性と狂信性を剥ぎ取れば、そこにあるのは英国と全く同様なもう一つの近代社会であり、宗教というフックによって近代市民を惹きつける別種の帰属集団たりえるわけだ。よって、若者たちの豊かな社会から貧しい狂信団への「宗旨替え」という一見奇妙な現象は、単純に欧米社会の失敗と敗北の証左なのである

 ところで、これは私たち日本人にも無縁の問題ではない。むしろ喫緊問題でもある。中東系の若者には(擬制はいえ)神への信仰が残されているようだが、私たちには一体何が残されているというのだろうか。この社会による無言の死刑宣告に抗うため、私たちにはどうふるまう余地があるだろうか。自身社会的価値の欠如を自覚し、世間という名の集団圧力に圧迫され、閉塞し、窒息したとき私たちは静かに(そう、「誰にも迷惑をかけない」ように!)命を棄てる道しか残されていないのだろうか。

 かつての武士階級にとって自死は、名誉を守る行為だ(という共通理解があ)ったが、近代市民たる私たちにとっては疑いなく、何の疑いもなく、言葉通りの犬死でしかないだろう。それとも、これも一つの考え方に過ぎないのか?

2016-01-09

最も凶悪精神病

双極性障害

http://www.psychiatrictimes.com/articles/suicide-attempts-and-completions-patients-bipolar-disorder

50%自殺企図を起こし、19%は完遂する。

II型に限ればもっとリスクは高く、診断のついていない患者統計にのらないため、本当の自殺リスクさらに高いと思われる。

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