はてなキーワード: 企図とは
anond:20220702054142の追記。基本引用元は元記事ブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220702054142)。
frothmouth 公権力でないから規制でない、ってのも今の時代の実態にそぐわない気がするなあ。キャンセルカルチャー批判とか考えるとね/真面目に書いた増田に「精液で全身ドロドロ〜」みたいなブコメ付けられて気の毒
ここで問題にしているのは一般人の抗議運動やボイコットのことで、その手のものは「規制」と考えることは不適切だということである。公権力でないから規制ではないとは言っていない(私人間効力の論点はもう半世紀以上前からある)。せっかくだから書いておこう。
2022年現在、公権力以外の「規制」を論じる意味があるとすれば、デジタルプラットフォーマーの問題だろう。我々の言論はあまりにも出版・放送・通信のインフラに依存している。たとえばツイッターやフェイスブック、「マンガ・アニメ」の類を配信しているプラットフォーム、pixivなんかの同人投稿サイト。こうしたプラットフォームに言論は依存しているので、もはや作者の書く自由を擁護するだけでは何の意味もない。その手のプラットフォーマーが恣意的な管理をすれば言論は生き残れない。一方で、こうしたプラットフォーマーもまた出版の自由を有するから、「持ち込まれた言論は絶対に出版しなければならない」義務を政府が課すことは許されない。そして実例として、SNS各社はプラットフォーム内でのヘイトスピーチを禁止しているし、pixivも同様である。みんなプラットフォーマーというとGAFAしかイメージしないが、もっと小規模なレベルのプラットフォーマーに目を向けるのが大事だ。
言論の流通過程全体を保護するためには―わかりやすく言えば2chの削ジェンヌみたいな滅茶苦茶な「管理」をされないようにしないとけない―プラットフォーマーが私人とはいっても、その行動を公権力によって規制する必要が出てくる。そしてプラットフォーマーのもつ出版の自由との慎重な調整が必要となる。その繊細な調整が表現の自由論の課題にますますなっていくだろう。
なぜ繊細慎重な調整と必要となるか。DPへの介入は、プライバシーや名誉毀損にあたる言論を裁判所が差止めるのと同じ構図だし、言論の分野ではないが、旅館業法が、ホテル・旅館(これも私人だ)に宿泊者を原則として拒否できないとする義務を課すのと同じ構図がある。似たような調整はこれまでも行われてきたわけである。ただ、後者の営業の自由は、もともと社会権を保障したり公平な自由を確保するために制限することが幅広く認められると観念されているのと違って、前者は、差止めの要件がかなり厳しく設定されている(『宴のあと』事件などを見れば明らか)。それは表現の自由がそれだけ「重い」権利だという観念があることによる。プライバシーや名誉毀損と営業に対する介入を比較すれば分かるように、表現の自由(就中送り手の自由)を重視すればするほど、プラットフォーマーのもつ「表現の自由」へ介入するのは困難となる。ブコメした多くの人が「表現の自由」はとにかく大事なんだという観念を持っているようだが、果たして一般論として表現の自由を称揚すればするほど、プラットフォーマーの地位が向上していき、利用者の立場は低下していく関係にある。DPに限らず、出版社も独自のポリシーを持っていて、刑法175条の要求とは別に、原稿に対していろいろな要求をして、修正しないなら出版を拒否する。表現の自由を称揚し、表現の自由の地位を向上させればさせるほど、出版の拒否に対して裁判所が介入するのは困難となっていく。皮肉な話である。「表現の自由」を称揚すればするほど、公権力以外の「規制」はつよくなりうる。私人間同士の対立場面で「表現の自由」を登場させないことには、それなりの理由がある。
なお、私は一般人の抗議運動を「規制」と言っているような人に調整作業をやらせたいと直感的に思えないところがある。その人こそが削ジェンヌになるのではないか。
minominofx66 まずは宇崎ちゃんにしろたわわにしろ、萌え絵やアニメが規制されるべき「エロ」なのか、健全な表現の範囲内なのか、この際だから徹底的に議論して白黒はっきりさせるべきだと思う。
第一に、さしあたって規制されるのは「わいせつ」(刑法175条)である。「エロ」ではない。そして「エロ」とか「健全」かそうでないかという問題は、表現の自由を擁護する上でどうでもいいことである。重要なのは「不健全」でも公権力によって規制されないということではないか。「不健全」なら規制しても良いという観念が前提にあるように見えるのは驚くほかない。アニメ・マンガの類の少なくない作品が不健全とか不道徳とか退廃的とか言わざるを得ないのは確かだろう(少なくともハード・コア・ポルノ的なものなら、だいたいどれかには当てはまるだろう)が、だからといって公権力が刑罰をもって発売頒布を禁止することは許されない。それが表現の自由論ではないの。
第二に、「規制」がどんな規制かも考えなければならない。仮に刑法175条が廃止されたとする。そうすると性器修正処理などは全廃されるだろうが、成人向けの書籍・ビデオ等は依然として年齢制限が課せられる(公権力が法律・条例をもって年齢制限を課すこともあれば、出版業界の内部協定として行うこともある)。販売頒布は禁止されなくても、流通過程が制限されることがある。それは言論の内容に着目したものではなく、付随的害悪(たとえば見たくない人の目に偶然触れるのを防ぐため)の阻止するための規制(内容中立規制というやつだ)である。一般論としてそのような規制は認められなければならないだろう※。付随的害悪を阻止するための規制もいっさい認められず、街路に成人向け書籍の広告を出したり、街頭モニターでビデオを上演したりすることも制限なく認められなければならないというのなら、もはや見解の相違としか言えないが。
第三に、宇崎ちゃんの欠缺ポスターやたわわのポスターに対する抗議や批判は、いかなる意味でも規制ではない(国連からという声もあるが、それは「日本の」公権力ではないし、日本国に対して強制力を持ったなにものでもない)。批判や抗議は、表現の自由がもともと予定するものであろう。「不健全な表現は規制せよ」と主張することすら(私はそうは思わないが)、表現の自由である。それに反論するのも自由だが、そういう主張自体が「規制」と言うのは馬鹿げている。
※
とはいってもこれがかなり厄介で、そのような規制によって出版社に過剰な経済的負担を課し、実質的に内容規制をしていこうという方法がないではない。しかし、付随的害悪の阻止のために合理的な規制を行うことは、一般論としては認めなければならないだろう。あとは個別事例による。
(1)
daydollarbotch 用語はそれっぽいが内容が所々おかしい。嫌がらせがあるなら不法行為たり得るし、間接適用説の下で表現の自由は考慮され得る。判決の引用部分では特にわいせつ表現が表現の自由の保護範囲外とは読み取れない(2階へ
①「わいせつ」に該当してもただちに保護範囲外にならないと最高裁が認定しているという趣旨か。だったら以下は何なのだろうか。なお、これはわたしやあなたが考えているところのあるべき「わいせつ」概念ではなく、最高裁の判例法理では「わいせつ」がどういう扱いを受けているかという問題である。
ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物的存在の面を明瞭に意識させるから、羞恥の感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心を麻痺させ、理性による制限を度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務は教育や宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである。刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳に違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。そして刑法一七五条が猥褻文書の頒布販売を犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである。
②間接適用説のもとで「誰の」表現の自由を考慮するかが問題である。抗議者の言動を裁判所が差止めれば、それこそが表現の自由の制限となるから、裁判所が差止の権限を行使するにあたっては、表現の自由の趣旨を取り込んで適用しなければならない、というのが間接適用説だろう(ドイツのリュート判決はこれとそっくりな構図だった)。表現の自由の私人間効力は、抗議者に対して、一般論として相手の表現を一切抑制しないように注意する義務を課すものではない。もしそうだとすれば、あらゆる抗議の類が不法行為になるはずである。
③嫌がらせがあるなら不法行為なのは違いない。それは個別事例による。
関連して。
type-100 175条にしても猥褻物の作成・所持を禁じているわけではない。猥褻性を持つものも表現言論の自由の保護を受け、他の権利との綱引きで規制されている。
確かに、刑法175条はわいせつな文書・図画等の作成・所持を禁じていない。その限りであなたのいうとおり、「保護を受け」ると考えてみよう。しかし、販売・頒布は禁止される。警察が刑法175条の取締りの方針を変更して、性器が露出したり、性行為を描写するあらゆる作品を取り締まったとする。そこで作成・所持だけが保護されたとして、何の意味があるのか。「保護されない」という言い回しが気に入らないなら、「保護のレベルが著しく低い」という風に言い換えた上で読んでいただきたい。加えて、最高裁は作成・所持の禁止まですれば違憲となる、とも言っていない(アメリカなら、Stanley v. Georgia, 394 U.S. 557 (1969) 判決がそう言っているが)。
(2)
CocoA "一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである"<-えっ、廃止に賛成している表現の自由の戦士たちを知らない・・・?
「戦士」なら刑法175条を廃止する署名運動なり政治運動なりをやるべきであろう。あるいは「戦士」とはただのネット弁慶か。廃止が提案されたら賛成するが、そうでなければ特に何かしないのか。
(3)
hom_functor これだけ長文書いても表現を規制する合理的な理由は絶対に説明しないんだよな。「抗議をやめる~ように請求する法的資格を有する」なんて見かけない主張を創作したり反論しやすいブコメをチェリーピッキングするだけ
「規制」なのかという問題か否かを読み取っていただけてないらしい。上記で書いたように、抗議運動なりボイコットなりは「規制」ではない。政治道徳的な観点からそれに理由があれば正当だし、理由がなければ不当だというだけのことである。むろん嫌がらせの類は、不法行為である。抗議運動なりボイコットに理由があるかという部分はともかく、「規制」というおかしな問題設定をしていることが馬鹿げているということだけはくみ取っていただきたいのだが。
(4)
sirobu 表現の不自由展に対する街宣カーも自由を制限する不当な圧力だと思ってるんだけど、増田はそう思わないってことかな?
あなたが街宣カーで街宣される時点で表現の抑圧だと考えていることはよく分かった。そういうレベルから見解が異なるのなら、議論がかみ合うことはないだろう。以下は参考まで。街宣カーで道路を走りながら何か言うだけなら、それは自由である(馬鹿なことを言っているなとは思うが)。問題は街宣カーそれ自体ではなく、殺害予告だったり大量電話のような嫌がらせだろう。また、名古屋市長の支出拒否しかり、大阪府知事の会場施設利用不許可しかり、公権力が規制に乗り出していることを考えれば、表現の不自由展では「不当な圧力」どころか、ズバリ「規制」が問題だった。公権力が嫌がらせを煽っていることも見逃せない(特に名古屋市長の愛知県知事リコール運動)。
(5)
thesecret3 憲法は法律ではないので専門家や判決がどうでも各自が独自の解釈で主張してもいいと思う。自由を保障すると言ったら基本は保障されなければならないのであって政府が邪魔しなければいいってもんではないと私は思う。
なんか進次郎構文っぽいトートロジーが・・・。
https://b.hatena.ne.jp/agricola/bookmark
「法律で禁止されていない」を振りかざして散々オラついてたんだから、自演も詐称もこういう理論展開で正当化するのはごく自然だよね。その割に女性が安全ピンを所持する合法的な行為はご不満らしいけど(嘲笑
日頃「法律で規制されていなければ自由なんですドヤァ」と言ってた連中が「最低限の信用すら失った」とか言い出す無様。それってあなたのお気持ちじゃないですか(嘲笑
回線切ってチーズバーガー食ってろよ。ところで、法律で禁止されていないなら何をしてもいいセクハラ萌え豚の皆さんまさかパパミルク太郎を批判なんてしてないよね?どの面下げて良識派ムーヴかましてるのさ? パパミルクさん チーズバーガー二個分
流石のツイッター日本も「臭いでわかる」みたいな露骨なヘイトスピーチのプラットフォームにはなりたくなかったということでしょうかね。他者の著作権を侵害するコンテンツを拡散したこともあったよな。 パパミルクさん チーズバーガー二個分
数年前に女性声優がCDアルバムのジャケット写真だったかを積み重ねたパレットに乗って撮影していたときは非難囂々だったと記憶していたが……やっぱり「ヌケる」表現にはズルチンよりも甘っちょろいのな(侮蔑
さすが産経上がりのカスは言うことが違うwどんだけ社会人経験が不足してるんだ?(嘲笑
「エロゲとコラボするのは公式の自由」「not for me」「表現の自由はみんなが不快感を我慢することで成り立つ」でしょ?お気持ちをぴぃぴぃ鳴き喚く豆腐メンタルに一発キツいのかまして来い(嘲笑
長年病気で苦しんできた患者が自分が担当してから死んだら病気のせいではなく自分が殺したんだと判断するんですね。 あほか
犯罪沙汰は増えていなくても「こいつマジでゲームのしすぎで脳細胞が破壊されたゲーム脳なんじゃねーか?」と疑いたくなるレベルで知的能力に問題を抱えた大人が量産されてますよね。今後加齢で脳がさらに衰えたら… 萌えは脳神経を壊す
「サイゼデートで喜ぶ彼女」に対応するのが「ショボスペPCで喜ぶ社畜」なんだよ。せっせと社畜ちゃんの萌える絵をばら撒け(嘲笑)
なぜこのツイートの前にあんなことをしたんだ……。セクハラ萌え豚は「他者を勝手な判断で性的だと判断し、性消費する行動や言葉を押し付け」るな、という声明がツイフェミを掣肘すると思ってるのか。やべぇ。 セクハラ萌え豚
おや?「こういう場合は"コメントを求めたが回答はなかった"と書いてはいけません」と法律で禁止されてましたっけ?禁止されていない以上は表現の自由、なんでしょ?(嘲笑
ヤマーダ無双じゃね?プレイヤブルキャラクターとして他にレドマツ、スンシャックなどオタク政治家界隈が結集!押し寄せる不倶戴天の敵「ポリコレ」「フェミ」をなぎ倒せ!!最後は夢オチで裁判沙汰回避!!!(嘲笑
石川優実のTwitter引用裁判原告敗訴に「倫理」を持ち出して不平を垂れていない者だけが石を投げなさい案件。キャンセルカルチャーも法律で規制されてないけど何に依って批判するのかな。倫理?(嘲笑
その調子で戦車の方向指示器もとっぱらってくれ(嘲笑)↓え、ムッソリーニとヒトラーって戦犯として訴追されて有罪判決を受けて処刑されたんだっけ?(正解はリンチと自殺)お前らホント歴史を知らんのな(侮蔑
をお気に入りに入れてるのが168人もいる。はてなブックマークはヘイトスピーカーばかり
ほぼ毎日こういうはてなブックマークをしているためまともな人間はこの人物をお気に入りに入れていない。
にもかかわらず以下の3名は毎日のようにはてなブックマークを使っていてこの人物のヘイトスピーチを日々見ているにもかかわらずお気に入りに入れ続けている。
https://b.hatena.ne.jp/agricola/follower
D_Amon
the_sun_also_rises
cinefuk
偶然入れてしまった可能性もあるが、なぜこの人物をお気に入りに入れているのか、これからも入れ続けるかについて弁明が必要だろう。
しかし「図に乗る」を「読経の転調に由来する」と説明したのは金田一春彦からで、どうもそれ以前には遡らないみたいなんだよなあ。
金田一春彦に権威があったから広まってるだけで、説明自体にはそれほど信頼性が無さそうなんだけど。
「図に当たる」はどこでも「図=狙い・計画」の意味で説明しているのに、
「図に乗る」のほうだけぜんぜん別の由来だということがあるかな?
わざわざ迂遠な説明をしなくても「物事が計画どおりに進んで調子に乗る」というのが素直な解釈じゃないか?
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B
一般に若年者など関係が下位にある者が、自分の企図していたとおりに事が運ぶのに気をよくして、分を超えた言動をすること。
表記のゆれ:「図」に替えて「頭」を用いることがあるが、「図」はもともと「企図すること」の意なので適当な用字とはいえない。
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B-539406
精選版 日本国語大辞典
自分の思うように事がはこぶ。
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B-539406
とっさの日本語便利帳
今ウクライナ事変での状況は
ロシアは十分な準備と兵力を集中させており軍事的に失敗する可能性は低い。無血で降伏→包囲封鎖から降伏→武力制圧ぐらいのオプションは考慮してるのだろう。
一方でイデオロギー的に派兵の大義はないがWW2の教訓も踏まえ西側の結束は素早く十分強い制裁に出た。
設定された目標は2つ
ロシアは早期にウクライナを併合し政権の求心力を戻し経済的に困窮しても長期で回復できればよし
ウクライナは侵攻遅滞させ制裁と情報を駆使してプーチン政権の政治力を削ぎ交代か転換を促したい
ロシア軍は脆弱でウクライナを占領できないというプロパガンダは一時的な士気には関わるが、占領完了し傀儡ウクライナ国民がロシアを支持する形になった際にあの情報はなんだったのか、勝てない戦に賭けてた無力感で日本でも悪影響があるのではないか。
最終目標は「軍事侵攻を選択した国には数倍の代償を払う結果を保証し二度と企図する国を出さない」だろう。
同じ力による屈服なのではないかという批判には単独で実施しうる軍事行使より多国間協調が必要な封鎖のほうがシステムとしてより良いと考える。
ほいよ、撮り鉄叩きに心を痛めるkyo_juさんの詰め合せね。強調部は増田による
独占企業を儲けさせようとは微塵も思えないし、撮り鉄なのにわざわざ鉄道で移動してくれる人や中高生鉄ヲタ向けのサービスが無さすぎじゃねとも思うし、それに何より鉄ヲタに特に顕著な"ヲタのヲタ叩き"に食傷する。
ヲタク
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4676880875058546594/comment/kyo_ju
競技性も営利性もほぼないに等しい鉄道写真の分野でそこまで過熱する要因が理解し難いが、課金要素(時間や移動費用の投入)と狭い人間関係内での優越感ゲームかねぇ/一方撮り鉄をむやみと叩く連中の心理は解り易いが。
ヲタク
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4679420308038475522/comment/kyo_ju
24日までの人の集中が更に激化するだけじゃね/廃止日後の地元民向け列車はいいがそれだって撮り鉄が集中するでしょ/なおTwitter上での賛成論は他の鉄ヲタを見下して悦に入りたいヲタのヲタ叩きが大半なので無視するが吉
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4684351463175229026/comment/kyo_ju
一介の鉄ヲタとして、撮り鉄のなしたすべての害悪について切断操作することなく連帯責任をとらなければならないのだろうと思うが、どうすればいいですかね。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686610981988358114/comment/kyo_ju
はてブに限らないが、撮り鉄だけはいくら叩いても良しみたいな文化いい加減何とかしろよと思うところはある
ヲタク
kyo_ju 2021/01/26 06:08
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4697566870805007490/comment/kyo_ju
乗り鉄サイドが撮り鉄を悪なる存在だと信じているからこういう撮り鉄妨害目的の行動に出るのだろうけど、撮り鉄サイドが怒ってるのも危険だからではなく撮り鉄への乗り鉄による挑発行為だからだよね。
ヲタク
kyo_ju 2021/02/15 14:51
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4698531276641072386/comment/kyo_ju
新幹線不通区間は那須塩原-一ノ関に短縮/車両によってはこれにもヲタ殺到で撮り鉄と乗り鉄の非難合戦展開に?/那須塩原-仙台間はどうなのだろうと思ったが代替の"ひたち"仙台延長は1日何本なのだろう
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4698573704495411522/comment/kyo_ju
日頃差別に敏感な人からかわいそうランキングガーポリコレガー言う輩まで天下御免の殴っていい対象"撮り鉄"。鉄道会社のイキリ社員がこんなネットの"スカッとした話"みたいな貼り紙を業務で拵えるところまで来たか。
ヲタク
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4699378765362551714/comment/kyo_ju
これだからヲタは…/↑解説すると、"俺は18切符乞食とは違う!鉄道会社に金落としてる!"みたいに、脳内鉄ヲタヒエラルキーを作ってアイデンティティ維持してる人が多いのよ。撮り鉄や葬式鉄への過剰な叩きも概ねそれ。
ヲタク
kyo_ju 2021/03/26 16:19
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4700343162058597410/comment/kyo_ju
最近一部の撮り鉄の行為の報道が妙に増えてるの、それが自浄だと勘違いしたヲタによる通報、鉄道会社側の意向、体感治安悪化感を維持したい警察の意向、何かの理由で焦って撮影する撮り鉄が増えてるのどれかしらね
ヲタク
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4700997671340742370/comment/kyo_ju
"電車などの撮影を趣味とする「撮り鉄」と呼ばれる鉄道ファン"とわざわざ説明を付けてまで"撮り鉄"の語を使おうとするあたり、NHKも"撮り鉄"を(「鉄道ファン」などから)切断操作して社会的抹殺する企図に一枚噛む考え?
ヲタク
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4701782545274473154/comment/kyo_ju
撮り鉄のパブリックエネミー化現象の中での、いや他の趣味者も大概やぞという指摘/多くの撮り鉄は、他人に自分と同じ絵を撮らせないよう妨害するまで及んでいない分まだマシなのかも?
kyo_ju 2021/08/09 18:15
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4706646443122274722/comment/kyo_ju
被写体になるようなレアな列車を運転しなければいい(車種や列車の種類を規格化、パターン化。甲種回送は機密保持徹底、災害不通や倒産以外で廃線にしない等)
ヲタク
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4702655095150333250/comment/kyo_ju
撮り鉄関連、人は公然と差別して良い対象を与えられるとどれほど堕ちていくか観察できる見本市よな/JR東の意図がこの連中の考えるような撮り鉄の分断支配なら団結して抵抗して欲しいがまぁ実際には困難かもなぁとは
たましいがわるい
ヲタク
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4711006280052604226/comment/kyo_ju
なんか個人の感想なんですが、左の人ほど自説を批判されたときの反発が「表現の自由がないのか」とか言うんが不思議なんですけど、逆なんですよね。表現の自由があるから批判してるんですが。
批判が即ち規制・抑圧とイコールになっちゃってる?ように見える。誰と戦ってるんだ?
逆に言うと「お前の口から出る批判は、批判でなく他者の表現の抑圧を企図したものである」と言う自己紹介ってこと?で合ってるのかな。
「トーンポリシング!トーンポリシング!」とか喚く人ほどトーンポリシングしているというか。特権階級にしか表現させねーよ?を推進してるのって誰なんですかね?
お前の言う表現の自由とやらは"誰"に"限定"したものを念頭に置いているんだい?言ってみろ。
名誉棄損にならない甘受すべき範囲の物言いはあるでしょう、表現の自由のコストとして。撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけ。
いうてリョナとかグロとかも個人的にNotForMeなんですが、稀に遭遇してしまってショック受けてしまいますがそれも自由のコスト支払いでしょう。じゃけん適切にゾーニングしましょうね~。有名税じゃないけど、自由税。
なるほど。なにを企図しているかは知らんがリスクとベネフィットは見積もっているのかな?
リスクとして弱者女性には弱者男性と同様の孤独と貧困が襲い掛かり、強者女性にはマチズモが求められ「稼ぎ」の尺度でしか評価されなくなる
これが女性全体のコンセンサスとなってから元増田のような行動を取り給え
それまでの間は他の女性を巻き込まず、自分一人で髪を切り、化粧をしない生活を送るがいい
一流企業に就職したと思ったらいきなりアフリカの奥地に飛ばされたり、公務員試験に合格したら初任地がし尿処理場だったとかいうのは男では普通にあるが、これを受け入れる女性にはお目にかかったことはないので
Twitterをみていたら、高校時代によく遊んでいた友達グループの5人が、なんとなく同じくらいのタイミングで帰省を企図している雰囲気があった。
こんな機会を捉えなきゃ、たぶん二度と会わずに死ぬことになるよな、と思ったので、俺はあまり社交的なタイプではないんだが、エイヤっとばかりにみんなに声をかけてみた。「今度集まらない?」
意外とみんな乗り気で、なんと5人とも集まることになった。
場所は、森だ。町のハズレに神社があって、境内が鬱蒼としているので、なんとなくみんな「森」と呼んでいた。神主が常駐する感じでもなく、参拝客は全然おらず、人気がないのがよくて、ときどきみんなで行っていた。
青春の思い出に浸ろうぜ、っていうことだ。
当日、森にきた俺たちを出迎えたのは、ゲロだった。
ゲロが吐かれていた。
森はゲロでいっぱいだった、というと言い過ぎだが、まあ目立つ位置に、イヤな感じにそれはあった。
俺たちは集まった。久しぶりに集まった。
集まれどーー
汚物の、森だった。
いわゆる野党共闘のことをそう言ってるみたいだけどさすがにカマトトすぎんか?
小選挙区の導入は結局二大政党制を企図してのものだったし「民意の反映より民意の集約を」がコンセプトだったわけでしょ?
反映については比例代表の方が担当するわけだけど小選挙区の方が定員は多いから当然全体としては集約機能が強めに出る。
つまるところ、いわゆる野党共闘は小選挙区制の民意集約機能が期待するところでしかない。予期されてたものをハックと言うのもおかしいでしょう。
けどまあこういう政局的な話になるから小選挙区制って嫌いなんだよなあ。
中選挙区制よりも小選挙区制の方が政策論争になるって話全くの嘘だったと思うわ。
こういうこと書くと「民意を得られない(?)のを民意の反映ができてないとか言って選挙制度のせいにするな」と反論されたものだが…。
女性にとって男性は基本的に「すごい怖い」存在なんだと思う。恒常的、潜在的に。
だから、完全な対等を企図してフランクなコミュニケーションを行ってしまうと、男性から女性へ恐怖を与えることがある。
男性は常に女性に対して気を使う(暴力性を見せない、それを想像させる言動も避ける)べきだと思うよ。
これは男と女の根本的な違いからくるもので、男性女性も飲みこむべき作法の使い分け。
男性にとっては面倒を感じるかもしれないし、
女性は男性同士の本当にフランクなコミュニケーションを見て、羨ましさや疎外感を感じるかもしれない。
「すごい怖い」と思われてしまったんなら、それは当該コメントが男性には感知しにくい恐怖を与えているんだと思う。
男性には「平等平等言ってる奴らになんでそんな気を遣わなきゃいけないんだよ」と
女性には「わたしたちはそんなふうに感情的にものを言っていない」と
男女平等を本当に実現したければ、「何が違うのか」をはっきりさせた上で、
違いを違いとして握り合わないと前に進めないと僕は考えます。
さらにタレントでソフトウェアエンジニアの池澤あやかからは「ここ数日、表現の自由と児童ポルノ規制に関する話題で日本共産党が炎上していたが、主張に矛盾はないのか」との質問が出た。
吉良氏は「矛盾はない。ジェンダー政策の部分で言っているのは、子どもに対する性暴力は絶対許さないということだ。児童ポルノも子どもへの性暴力だから許されないということだ。ただし、児童ポルノという言葉を使った表現規制ということに対しては明確に否定している。表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」と答えた。
氏の見解が共産党の見解と一致しているのであれば、共産党は実在しない青少年を対象にした二次元ポルノも「児童ポルノ」であると素朴に定義しており、ゾーニング(実際に一部の例外を除けば既に大部分の店舗や商業施設では18禁コンテンツのゾーニングは完了していると思うが)や、児童ポルノはマズイよね(実在の児童を対象にした児童ポルノなら当然であるのだが)、儲からないよね(これがよくわからない、その手の漫画やアニメのニーズを欲求ベースで消滅させる=その手段に民主主義的な合意形成を用いるということなのか?どうやって?)という合意(これ本質的には合意というよりも市場)が形成されることによって、児童ポルノクリエイターの自然消滅を企図している様子だ――このマニフェストを俺は【児童ポルノ自然消滅計画】と仮称したい
【児童ポルノ自然消滅計画】、字面だけ見れば素晴らしい計画の様に思われるあたり皮肉が効いててええじゃないか
俺は震えた、なぜなら俺の命とは陽と血と詩と「さよならを教えて」によって満たされた器に他ならないからだ
この共産党の見解に基づけば、「さよならを教えて」は確実に児童ポルノとして認定され【児童ポルノ自然消滅計画】による滅殺対象にされてしまうではないか
俺にとって「さよならを教えて」は人生のバイブルだ、信仰の対象だ、憲法第20条だ
俺にとって共産党は確かな野党だ、国政の安全装置だ、憲法第25条だ
俺は迷っている、選挙権を獲得して以来常に比例は共産、小選挙区は立憲民主党に投じてきた
俺は第二次安倍帝政以降の自民党政治が嫌いだ、そして資本家も投資家も嫌いだ、ぶっちゃけ資本主義が嫌いだ、ヨハンモストによって物されマルクスが改訂した「資本と労働」を読んで以来俺の自意識は真っ赤に燃えている
だが共産党は今回の選挙において野党第一党である立憲民主党とその他の泡沫政党と協力して候補者を一本化し、政権交代の果ての果てに【児童ポルノ自然消滅計画】の実行という青写真を描いているんだ
俺にとって「さよならを教えて」は共産主義者にとってのマルクスの「資本論」、マルクス&エンゲルスの「共産党宣言」と同等以上のバイブルなんだ
俺の世界にとって「さよならを教えて」は日本共産党よりもよっぽど世界の真相なんだ
日本共産党がもし本当に「さよならを教えて」を児童ポルノ認定するような政党であるというなら、俺は今回の選挙、共産党に「さよなら」を告げざるをえない
この文章は、慶應の湘南自治会が十一月に行われるSFC生総会の議題の一つとしてあげた「ジェンダー平等についての声明文」に関して、それまでの流れを簡単にまとめ、批判することを目的としたものである。多くの人に読んでもらうために煽るようなタイトルにしてしまったことを先に謝っておく。
まず、湘南自治会の始まりに遡って話を始める。SFC(湘南藤沢キャンパス)に自治会ができたのはつい最近のことである。(自治会準備会のほうは長く準備されていたように思うが)
いわゆる本キャンの方にはずっと昔からあったのだが、SFCの自治会は今年の夏あたりに、賛成221票、反対14票で承認され成立した。総合政策と環境情報の学部生だけで4000人近くいるので、SFC生の関心度がどれくらいだったか、という部分に関しては数字で察して欲しい。もちろん、こんな文章を書いているくらいなので増田は投票したのだが、まさかここまでの数字になるとは思っていなかった。世界の未来を語っておきながら自分たちのキャンパスのじちに関してここまで無頓着というのは恥ずかしすぎる。
SFCに対する愚痴はこの辺りにして、今回の「ジェンダー平等についての声明文」を見ていきたいと思う。
https://docs.google.com/document/d/14S5q-AGOPt_Utp4DWpChxTfTrpBA_73rZ08agTzsYK4/edit
これに対して、あるSFC生がnoteで危険性を指摘してくれている。
https://note.com/ya2020sfc/n/nf14ebe8b9113
データの偏りであったり利活用であったりの話はnoteに書いてある指摘の通りかな、と思う。安宅研の方らしいので、その分野に関しては増田よりもよっぽど精通していると思うし。
なので、そこら辺は簡単に触れるだけにしておく。
『本年9月末から10月初頭にかけて弊会が実施した「キャンパスの生理用品設置にかかるアンケート」では、SFC以外の学部生を含めて161名、SFCだけでも155件の回答がありました。本調査は、弊会が取り組む生理用品の設置に向けた実態・需要を調査することを主眼に置いていましたが、回答の分析の結果、SFCにおいて、「ジェンダー平等実現」を念頭においた行動が必要だと結論づけられました。』
「キャンパスの生理用品設置にかかるアンケート」は、主にツイッター上で行われたものである。そもそも、この161人という回答者グループには大きな偏りがあると考えられる。なぜなら、このアンケートのリンクが貼られた湘南自治会のツイートは、現時点(10/18 13時)で81のいいねと57RT程度のインプレッションにとどまっており、SFC生に広く届いているとは言えないからである。それ以前に、このようなアンケートに時間を割いて回答する層というだけでもバイアスが大きい。というかもう確認できないのだが、アンケートの設計自体が適切だったのか、という問いもある。
そういった問題を孕んだアンケートのみを根拠としたこの声明文が、あたかもSFC生の総意であるかのように執行部に提出されることは危険、としか言いようがないのである。
【現状批判 Criticism】
わたしたちは、現在のSFCにおいて、次に掲げるジェンダーに関する問題があると評価する。
これらの不平等に対し、多くのSFC生は関心が無いか、あるいは気づいていない。またこのことから、学生以外のSFC関係者においても同様の状況であると推定できる。
世界共通の課題という重要性にも関わらず、ジェンダーを主題とする授業及び研究会が無い。
性にまつわる理解、受容、共存共栄、人権意識について知る機会が不足している。
上記のようなSFCの諸問題について、専門に検証し改善を施す公式の仕組みが存在せず、それゆえにSFCにおける潜在的なジェンダーの問題発見ができていない。
以上の諸問題が連鎖し、SFCの現状を作り出していると考察する。
【要望 Demands】
わたしたちは、この目標を実現するべく、慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部に対し、次に掲げる事柄を要望する。
ジェンダーに関する学問的知見を生み出し、社会に還元することを目的に、SFCにおいてジェンダーを研究する場を創設すること。
前項に掲げる研究の場を主導することを目的に、相応しい研究者を配置又は雇用すること。
ジェンダーに関する教養を提供することを目的に、ジェンダーを主題とする授業を開講すること。
ジェンダーを含む人権に関する基礎教養を提供することを目的に、心身ウェルネス、総合政策学・環境情報学その他の適切な必修科目において、同内容の授業を組み込むこと。
SFCにおけるジェンダー平等の実現状況を検証し改善することを目的に、同内容を所管する委員会を指定または設置し、毎年SFCのジェンダー平等の現状を資料化したうえで改善を施すこと。
上記の要望を実現するため、湘南自治会ジェンダー平等特別委員会と共同で取り組むことを歓迎する。同内容は、学生と教職員との対話のもとに順次実現されることを企図するものである。
なお、看護医療学部、政策メディア研究科、健康マネジメント研究科においても、各学部・研究科の事情を勘案しながら同様の目的に適う措置を講ずることを希望する。
①SFCのジェンダー問題に関する無理解・無関心の要因を無知であると断定している点
②執行部に対する要望が、ジェンダー問題を解決するための施策として適切とは言えない点
①について
根拠となるデータの公平性が不確かであるにもかかわらず、ジェンダー不平等が存在し、解決に向けた取り組みが行われていないことを断定しているだけでなく、その要因を、SFC生がジェンダー問題に関して無理解・無関心であると言う推論で片付けてしまっている。少なくとも、SFC全体のデータとして適切である量のサンプルを集め、十分な分析を行なってから提言を進めていくべきだと考える。必要であれば、専門知識を持った教授なり学外の専門家なりに教えを乞うことも検討すべきである。
②について
ジェンダー問題に関して学ぶ場所がSFCにないから作れ、と言う簡潔かつ横暴な要望である。SFCに問題が存在していて、それを解決するためにはその問題について学ぶ必要があるから、新しい先生を呼んで授業や研究会を作ってくれないと困る!と言う話が成り立つのならば、今後大変なことになるだろう。行動計画にあったような自主勉強会をまずは発足すること。そこから少しずつ、ジェンダー平等への取り組みを学生主体で行っていく。こういう地道な活動を続けていくことでしか、今までずっと持っていた考え方を変えることはできないし、キャンパス全体の意識を変えてくことはできないと思う。
「ジェンダー」というテーマは、どこまでもデリケートに扱うべきものであるし、謙虚に勉強を続けていかなければいけないものでもある。
声明文を読む限り、自治会のメンバーも性にまつわる理解、受容、共存共栄、人権意識についての勉強が不足しているように思える。
ジェンダーに関する活動が話題になりやすいのはわかるが、プロセスを軽視しているし、目的と手段が入れ替わっている感じが否めない。
湘南自治会は、一定の権利を持つ大学の公式な団体であり、適切な知識を持つ第三者を介入させながら、慎重かつ適切に議論を重ねていくべきであると思う。
増田もまだまだ知識が不足しているとは思うが、ジェンダーを勉強しているひとりとして、自治会のジェンダーモラルについて散々批判にもならないようなお気持ち表明をしてしまった。
総会での質疑や請願等で、今後意見は直接伝えていくつもりである。長くなったが、放っておけばいい話題に喜んで首を突っ込み、壮大に騒いで物事を大きくしたがるのはSFC生の悪い癖なので許して欲しい。
奥さん→わたしから見たら境界線パーソナリティ障害、アダルトチルドレン、アタッチメント障害。しんどそうだが、そばにいる人間の方が大変だろう。
夫さん→長年のセックスレス、また奥さんの人間性に苛まれ愛情を失うも、くだらん見栄やプライドから自らは離婚に踏み切れないまま惰性で結婚生活を続けてきたバカ。
今まで2回離婚危機があったものの有耶無耶にされ、3回目があったらかならず離婚しようと決意していたらしい。
わたし→昨年末より夫さんと想いを通わす。正直夫さんに対して下心はあるものの、不倫する勇気がないため肉体関係は持たず。
この春くらいにいつものように奥さんに絡まれ、喧嘩腰の脅し文句で離婚を突きつけられた夫さんは、増田ちゃんもいるし乗ったれ〜つって離婚を快諾した。奥さんも「せいせいすらぁ!」と一致したらしい。
その足で夫さんはわたしの最寄り駅まで来て、「離婚することになりました!好きです付き合ってください」と告白してきた。
わたしは願ってもない展開に気持ちはついていけないまま、あとは届を出すだけだという夫さんの言葉を信じて快諾する。
初めて何も嵌っていない彼の左手を見て、わたしはえもいわれぬ幸福感を確かに感じていた。
しかし、その後何週間経っても届出を出した様子がない。
ちょいちょい様子は聞いていたのだが、
「協議で揉めてる」
↓
「やっぱめんどくさいし離婚しなくてよくない?って言い出した」
↓
「別れたくないって泣かれてる」
と、どんどん状況悪化している様子。
わたしから、「離婚しないことにするんならわたしたちの関係も精算しましょう。無かったことにしてあげますから。」と助け舟を出すも、「増田ちゃんを失うなんて無理だ!」とのこと。
わたしがそんなふうに夫さんを刺激したせいで、夫さんはより厳しく奥さんに対して離婚を迫った。
彼のネクタイで、彼がローンを支払ってるお家で、首を吊ろうとするらしい。
結果として、両家の両親も巻き込んで離婚と奥さんの自殺企図について話し合う事態に。
わたしは、「しんどいならもう諦めますか」と提案するも、わたしを失うことを極端に恐れる夫さん。
わたしが身を引くのは、ただでさえ抑鬱状態の彼から大切なものを奪うようで気が引ける。
わたしはさいわい、自身が機能不全家庭育ちでアダルトチルドレンだった過去を乗り越えた身分であり、彼から聞く限りの情報を元にではあるものの奥さんの状態についてなんとなく想像が及んだ(結果先述の人物紹介)。
「まず、自殺企図を繰り返すのと離婚は本質的には表裏一体のものではありませんから、自身を責めるのはやめましょう。
自殺企図を繰り返す人間は精神疾患があると見てほぼ間違いありません。かといって何も起こってない時に心療内科の町医者に行かせても、奥さんの状態ではまともに自分の問題点について適切な相談を医者に持ちかけることはできないでしょう。
そこで、次に首を吊ったら、119してください。警察も多分きてしまいますが、そうしたほうが然るべき医療につながるはずです」
実際彼はそうしてくれて、奥さんは搬送され精神病院につながった。
わたしはそれで措置入院になると思ってたのだが、保護入院扱いで、ヒステリーを起こし激昂しつつ入院を拒む奥さんを前に彼はサインができなかったようだ。
結果として自宅療養。通院は必ずさせると約束を取り付けているものの、彼の精神も限界だし、わたしもどこまで付き合うべきか悩ましい。
夫さんは恋愛感情ぬきにしても大切な人だから、彼を苛みたくはないんだが。
こういうの詳しい人いたら知恵を貸してくんねー?
ありがとうございます。やはり
しか道はない、とおっしゃってるということで間違い無いですかね?
認識に違いがあったらご指摘ください。
できれば奥さんの寛解を見届けるのがベストかとは思いますが、それは夫さん次第なところかなあ。
入院すると、離婚協議や離婚調停に後見人を立てる必要があること。また、入院中に離婚となった場合に費用面で先に奥さんの実家とある程度相談が必要なことからも、あの日は即断できなかったところがあります。
昼練前、いや昼から車で遠征する予定になっている、出発前の駐車場。白く粗い砂利。S津とH地が乗る車の隣りにつけた。H地は後から来たが、なぜか以前より顔が良くなっている。
会話をしないと関係性が悪いと察せられそうで、無理に会話を始めようとした。彼は「今までろくに喋ってきてないのに、なんで急に話しかけんの」と思われたような丸い目をした。私は親の手前はぶられているのを気づかれたくなかった。
駐車場は入り口から前方から右側に大きく駐車スペースが広がっていた。上から見れば、棒に括りつけるひも付きの四角い旗の絵みたいな形だ。
入り口の左には崖のような急な斜面があるが、そこに10人×3列くらい並んだ保護者、主に父兄連中が白装束で立っていた。
その様はある種壮観だった。
何かの信者のようで、一目見てうすら怖い奇妙な光景だったが、そこにいる私はそんなはずはないと心のざわつきを抑える仕様が施されているので例によってそれが発動した。あそこにいるのは父兄連中であるのは顔を見てわかるから、あの姿で大人数で立ち並んでいるのを怖がってはけいない、と。そこを疑ってはいけない、なぜなら認識がブレるから、と。
そういえば駐車場での車上荒らしが複数回起こり、見張り役を作ることになったなどと親が口にするのを聞いた。チームを運営する上(うえ、かみ)が企図した策が下達され、現場で実行されるまでの間に、生の意思や思惑がぶつかりあった結果こんな形に変形したんだろう。なんでこんな人数多いんだよ、こんないらねえだろ。見張りは今日一日やればいいわけじゃねえだろうに。ローテはどう組んだんだろ、大丈夫かな。そう思った。
女子2人が来て、ノートpc持ってるかと問われた。持ってはいるけどと答えたら、貸してくれない?」怖いので、「何に使うの?」「動物の写真みるの」何か嫌だったが引けないので、「もう少しで出るからそれまでなら」と答えた。貸す前に起きる。
ガウガメラの戦いは、紀元前331年ヨーロッパ東方のペルシアにおいて、当時のアケメネス朝ペルシャの本軍と、アレクサンドロス率いるマケドニア軍が激突した戦いである。
これまで取り上げている二つの戦いから分かるように、戦争芸術の定義は「圧倒的な戦力差、戦略的不利を、指揮官の機転によって打破する」ことにある。このガウガメラの戦いはそのような意味合いで、戦争芸術の極致と言える。
当時ギリシャの一小国に過ぎなかったマケドニアは、アレクサンドロスの父であるフィリッポス二世の尽力によって急速な軍事・政治改革を遂げ、瞬く間にギリシャ全土を手中に収めると、フィリッポス二世の死後マケドニアの実権を握ったアレクサンドロスの指揮下、紀元前334年ボスポラス海峡から小アジアへと渡り、東の大国アケメネス朝ペルシャに対し征服戦争を仕掛けた。これが世に名高い東方遠征である。
その後十年の長きに渡って続いた戦いは、アレクサンドロスが企図した、アレクサンドロスによる、アレクサンドロスのための戦いであった。
アレクサンドロスは紛れもない西方世界の英雄であり、破壊者であった。当時アレクサンドロスが破壊し、虐殺・略奪を行った都市は数多に渡って存在している。
アレクサンドロスの猛進を前に、時のペルシア王ダレイオス三世はペルシア西岸のイッソスにて、王自ら率いる五万以上の軍勢をもって決戦を挑み、敗北した。数的優勢に立ったペルシア軍は川を挟んでマケドニア軍に対峙し、防衛を試みるが、果敢にも渡河を遂げたアレクサンドロスを前に有効な機動戦法が取れず、壊走したのである。ダレイオス三世自身が率いるペルシア本軍敗北の衝撃は余りあるものであり、敗戦の後、ダレイオス三世は堪らずアレクサンドロスへと講和を願い出ているものの、アレクサンドロスはこれを一蹴している。
それから二年、ダレイオス三世はアレクサンドロス本隊を壊滅させるべくイッソスの戦いを上回る規模の軍勢を招集し、ガウガメラの荒野にてアレクサンドロス軍を迎え撃とうとしたのであった。これがガウガメラの戦いである。
この一戦のためにダレイオス三世はありとあらゆる準備を重ねた。
第一に、(当然のことながら)数的優位を築くこと。マケドニア軍五万弱に対して、この時ダレイオス三世の招集した軍勢は傭兵を含む十万以上であり、つまりアレクサンドロス軍の二倍以上に当たった。この規模の軍隊は当時の兵站で維持可能な最大レベルの軍隊と言え、当時におけるペルシア軍の威信の程が推し量られる。
また、彼らの戦いの数百年の後に行われたカンナエの戦いにおいて、勝敗を分けたのは騎兵戦力の優劣(とハンニバルの用兵)であったことは先述の通りであるが、マケドニア騎兵七千に対してペルシア軍騎兵の数は一万を超えており、質はともかくとして量においてはペルシア軍はマケドニア軍を圧倒していた。ここにおいても油断は無かった。
更にダレイオス三世は当時最新鋭の兵器の一つであった戦車(チャリオット)を陣中に大量に配置した。これは複数の軍馬によって牽かれる戦闘用の馬車のようなもので、車輪の左右には鋭利な刃物が取り付けられると共に、車上には弓兵が配置されており、通常の歩兵戦闘において絶大な威力を発揮する筈であった。ダレイオス三世はこのチャリオットの突進力によってマケドニア軍を圧倒しようとしたのである。
また、ペルシア軍は戦場の整備をも欠かさなかった。チャリオットの機動を阻害する石や木の根などの障害物を、決戦の事前に排除しておき、イッソスの戦い(ペルシア軍は閉所にて有効な機動ができず壊滅した)で舐めた辛酸を繰り返すまいとしたのである。
相手に倍する軍隊、奥の手としての秘密兵器、駄目押しにその秘密兵器の機動を有利にする戦場整備、限りなく万端に近い準備の上で、ダレイオス三世は決戦の時を待った。
紀元前331年10月1日、ペルシア軍とマケドニア軍の双方はガウガメラの地にて対峙し、戦闘を開始する。
この時、マケドニア軍の司令官であるアレクサンドロスの立てた作戦はシンプルなものだった。それは、緒戦から防衛に徹し、敵の隙を見て騎兵を突撃させ、敵の本陣を陥れるというものであった。
言うは易しだが、何しろマケドニア軍とペルシア軍の数的差は一対二であり、言い換えれば、敵軍には五万以上の余力があった。そんな状況で、本来であれば隙など生まれる筈はなかったのである。
開戦直後、アレクサンドロスは全軍を緩やかに右斜め前方へと斜行させる。本来であれば軍隊の斜行は自陣に綻びを生む可能性の多い行動であり、採用されることはまず無かったものの、アレクサンドロスは自軍の機動に合わせてペルシア軍の不用意な機動を誘った。案の定、折角整備した戦場から離脱されることを恐れたダレイオスは、三方(正面、右左翼)から雲霞のごとき兵数を動員し、マケドニア軍を包囲しに掛かった。
その大軍の王道とも言うべき用兵に対抗するべく、アレクサンドロスは自軍を純粋な横列ではなく、左翼と右翼を折り曲げた弓状に変形させており、この鉤状になった右翼と左翼を持ってペルシア軍の猛攻を受け止めようとした。
しかし兵数の差が決定的であったことから、持久戦となればマケドニア軍の敗北は自明であった。左右のいずれかを突破され、後方にペルシア軍の進撃を許した時点で、マケドニア軍の崩壊は決定づけられる。更には、マケドニア軍正面にはペルシア軍の虎の子であるチャリオット隊の猛攻が迫っていた。
とは言え結論から言えば、このチャリオット隊の猛攻をマケドニア軍は退ける。
曰く、マケドニア軍は軍馬というものの持つ本能――顔面に鋭利な物体(槍など)を突き付けられると足を停めてしまう本能や、チャリオット特有の旋回能力の低さを突いたと言われている。つまり、チャリオットの突撃を部隊の散開によって躱し、その後方から弓などの武装によって攻撃を仕掛けたのである。恐らくは事前の情報やこれまでの戦闘から、マケドニア軍は対チャリオット戦術を磨き上げており、どのような場面においても遅れを取ることはなかったのであろう。
これらの柔軟な対応によって、マケドニア軍に対する有効な戦果を挙げることのできないままチャリオット隊は壊滅することとなる。
さらには、マケドニア軍両翼はその圧倒的な数差にも関わらず極めて堅陣であり、容易に抜かれることは無かった。強いて言うならば、アレクサンドロス本人が率いる右翼騎兵に比べ、左翼を指揮するパルメニオン将軍は劣勢を訴えていたものの、それでもペルシア軍の猛攻をひたすら受け止め続けていた。
ダレイオス三世の予想に反し、戦況は膠着状態に陥る。ダレイオス三世は本来であれば本陣の防衛に充てるはずであった予備兵力の騎兵を動員し、マケドニア軍両翼の騎兵に対する圧迫を増大させようとした。短期決戦によってマケドニア軍を壊滅させようとしたのである。
この決戦から二千年以上もの時が流れた後では詮無い事だが、この時ペルシア軍が持久戦に徹し、その両翼での戦闘を維持し続けていれば、ガウガメラの戦いにおける帰趨は逆になっていたかもしれない。
アレクサンドロスは超人的な直感によりペルシア軍の崩壊を予知した。右翼の防衛に当たっていた自ら率いる騎馬隊を突如ペルシア軍正面へと転換させ、両翼へと予備兵力を割いたために手薄になっている、ペルシア軍本陣のダレイオス三世を狙ったのである。当時、マケドニアの率いる騎兵部隊、いわゆるヘタイロイ騎兵は世界においても有数の練度を誇っており、その突進力は歩兵にとって純粋な脅威であった。ヘタイロイ騎兵の突進により、ペルシア本陣のダレイオス三世の位置を告げる軍旗が大きく揺れる。ペルシア軍を支える精鋭である親衛隊は敢然とその侵攻を阻もうとするが、アレクサンドロスの猛進は止まることはなかった。
やがて、ダレイオス三世の本陣の上に翻る軍旗は逃走を始め、アレクサンドロスはその追撃へと移った。ガウガメラの戦いの勝敗はここに決したのである。
参考文献:ttps://www.youtube.com/channel/UC5dzkTCM0Jxnc5widb8arDw