はてなキーワード: 吟味とは
おれが「お金」と認識してるのは100円玉までで、10円50円は100円の減りを遅らせられるやつ、それ以下はお釣りのジャラジャラを減らせるやつと思っている節がある。
金に余裕があるかと言ったらむしろ逆で、カツカツだったからこそ100円の壁に敏感だった。
小学校は月500円、中学までは1500円の小遣いで買い食いや娯楽に興じてた。まあ小遣いの額は普通くらいだったろうけど、文庫本やCD1冊選ぶにも吟味が必要な時期だ。
お年玉もあるけどそれはゲームとか楽器とか数万以上のデカい買い物をするためのもんで、チマチマ切り崩して良いものではない。
100円あればACゲームが出来る。スーパーならジュースが買える。菓子パンも買える。緊急時に文具も買える。今は食えなくなったがハンバーガーも食えた。ブッコフの100円コーナーもいい。
100円と50円とでは可能性の幅が段違いに変わる。50円以下じゃせいぜい駄菓子を1〜2個買えるくらい。駄菓子そんなに食わんし。
それはせいぜい10年くらい前のことで、大学上がってバイトして数万の靴買えるようになっても、今に至っても変わらず色濃く残ってる。
じゃあケチなのかといったらそういう訳でもないと思う。数万の靴買うし。
好きな事には糸目をつけないけど、変なとこでケチりがちかもしれない。典型的なオタク気質。
流石に自販機やコンビニを贅沢とは思わなくなった気がする。スーパーまで行くダルさを知ったし。
50円以下でも寄せ集めれば100円になる。それを理解はしてた。でもいくらコマモノ集めた所で100円の輝きは生まれないんだよなあ。
ガキの頃は口座なんか持ってないから、100円玉が崩れる事があっても小銭がまとまる事はない。一方通行の不可逆的なものだったから。
念のためファクトチェックしてみたけど、やっぱ間違いでしたね。
アカデミア崩れの暇人かと思ったけど、スピンで雇われた三文ライターかも?
やはりアホが釣れても、叩いてみたら時間の無駄でしかなかったと。
https://anond.hatelabo.jp/20230912131603
不健全な自己愛は、健全な自己愛の展開を阻まれたり踏みにじられたりした経験を通じて、
思春期青年期のある局面で均衡を欠くほど高い自己愛性を顕わにするという形成過程を持つのが普通なので、
自身でプライドの使い方って書いてる通り、なにか思い当たることはあるのでしょうか?
ただ、下記のエントリーに、『心理的安全性の確保』って付けたのセンスあるって思った
自分の言葉を語ることができない https://anond.hatelabo.jp/20230911215816#
知的障害を伴う自閉症の人の言語習得・コミュニケーションの向上を見ていると、
何を言っても大丈夫、向上すると家族が喜んでくれて、自分もより楽しくなるってのが大前提にあるよなって見てて思った
でも、家族関係に問題がなく高等教育受けてようが苦手な人は苦手だし、家族にも教育にも恵まれてなくても得意な人は得意だし、
やはり単純にこれだけすればいいはないのだろうね
↓
https://anond.hatelabo.jp/20230912192124
↓
https://anond.hatelabo.jp/20230912192334
間違えてないぞ
https://anond.hatelabo.jp/20230911215816
よくTwitterで「言語化ありがとうございます」って言ってる人いるよね?あれマジで良くないと思う
自分の父親は頭の回転が良いんだけど、いかんせん話を聞かないところがあって、夕食時の会話なんかでも父親の講演会か?みたいな感じになっている
何か家族が話題をピックアップして一言二言話すとそれを父親が敏感に察知して独演会を始め出す また父親の守備範囲が広いからどんな話題でも拾ってボールを投げ続けることができる
家族はそれを黙って聞いている そうしたら自分が何か考えている気になれるけど実際は何も考えていない そう、人の話を聞いたくらいじゃ何も考えなんて起きないのだ ショーペンハウアーも読書は人にものを考えてもらう行為だと言っていたけど、それはこの種の人間との対話にも当てはまると思う
一度反抗期のときに父親に「父さんは話を聞いてくれるようで聞いてくれないよね、ずっと自分が話してばかりだよね」と言ったらマジで怒られた。しかも両親二人から。「そんなこと言って許されるのは自分の子ども(つまり俺)だからで、赤の他人だったら鼻で笑って反論をガンガンぶつけて会話を断ち切るレベルの言葉だ」って言われた
自分はその時、「あぁ自分って何も考えてはいけないのかなぁ、ちょっと相互的なコミュニケーションを取りたいだけなのになぁ」って思った。飛躍してるけど、そう思った
その後もガンガン話のボールをぶつけられて、「さぁ意見を言ってみなさい、反論してみなさい、出来ないでしょう」と言われて、そんな相手の陣地に無理やり引き込まれて無理に戦うんじゃなくて、もっと相手の境界も守る、自分の境界を守る、そしてその上で意見を交換したり、交換せずともお互いの領域を守りながら意見を吟味して受け取るかどうか決めたり、そういうことがしたいだけだった
でも自分の言葉を語るには幼すぎた 気軽に話せる友だちも居ないし(居たらこんなところに日記書いてない)内省をひたすら深められる才能も無い
結局父親の言うことを聞くだけの機械に成り下がってしまった 姉はまだ友だちが多かったから色々話すことは出来るが、自分は全くダメ。
気軽に話せる友だちをTwitterのスペースとかで探した方が良いのかなぁ でもマジで頭に文章が浮かばないんだよなぁ
とにかく自分の意見を交わし合える友だちが居ない人でインフルエンサーの呟きや長文ポストにうんうんって言って考えた気になってる人は一度立ち止まって欲しい
自分みたいな化け物が生まれる前に、もう一度「考えて話す」っていうことに気付いて欲しい
自分から何かを発信することで、自分の枠をもう一度固めといて欲しい そうじゃないとこんな自他の境界ゆるゆるの化け物になるから
https://anond.hatelabo.jp/20230819062728
この増田にも「心理的安全性の確保」と名付けたエントリーはないね。
増田は匿名だから横増田がちゃちゃを入れてツリーを攪乱できるので
とかだろうね。
念のため勘違いした増田を探してみたけど、直近だと該当がないかな?
https://anond.hatelabo.jp/keyword/%E5%BF%83%E7%90%86%E7%9A%84
もしも御本人なら、君は基地外認定試験に合格です。おめでとう。早めに病院へ行って、頭を修理しましょう。
真面目な話、頭がおかしい人は、記憶力とか認知症の検査をしたり、脳に出血や腫瘍がないか検査した方がいいよ。(早期発見・早期治療)
よくTwitterで「言語化ありがとうございます」って言ってる人いるよね?あれマジで良くないと思う
自分の父親は頭の回転が良いんだけど、いかんせん話を聞かないところがあって、夕食時の会話なんかでも父親の講演会か?みたいな感じになっている
何か家族が話題をピックアップして一言二言話すとそれを父親が敏感に察知して独演会を始め出す また父親の守備範囲が広いからどんな話題でも拾ってボールを投げ続けることができる
家族はそれを黙って聞いている そうしたら自分が何か考えている気になれるけど実際は何も考えていない そう、人の話を聞いたくらいじゃ何も考えなんて起きないのだ ショーペンハウアーも読書は人にものを考えてもらう行為だと言っていたけど、それはこの種の人間との対話にも当てはまると思う
一度反抗期のときに父親に「父さんは話を聞いてくれるようで聞いてくれないよね、ずっと自分が話してばかりだよね」と言ったらマジで怒られた。しかも両親二人から。「そんなこと言って許されるのは自分の子ども(つまり俺)だからで、赤の他人だったら鼻で笑って反論をガンガンぶつけて会話を断ち切るレベルの言葉だ」って言われた
自分はその時、「あぁ自分って何も考えてはいけないのかなぁ、ちょっと相互的なコミュニケーションを取りたいだけなのになぁ」って思った。飛躍してるけど、そう思った
その後もガンガン話のボールをぶつけられて、「さぁ意見を言ってみなさい、反論してみなさい、出来ないでしょう」と言われて、そんな相手の陣地に無理やり引き込まれて無理に戦うんじゃなくて、もっと相手の境界も守る、自分の境界を守る、そしてその上で意見を交換したり、交換せずともお互いの領域を守りながら意見を吟味して受け取るかどうか決めたり、そういうことがしたいだけだった
でも自分の言葉を語るには幼すぎた 気軽に話せる友だちも居ないし(居たらこんなところに日記書いてない)内省をひたすら深められる才能も無い
結局父親の言うことを聞くだけの機械に成り下がってしまった 姉はまだ友だちが多かったから色々話すことは出来るが、自分は全くダメ。
気軽に話せる友だちをTwitterのスペースとかで探した方が良いのかなぁ でもマジで頭に文章が浮かばないんだよなぁ
とにかく自分の意見を交わし合える友だちが居ない人でインフルエンサーの呟きや長文ポストにうんうんって言って考えた気になってる人は一度立ち止まって欲しい
自分みたいな化け物が生まれる前に、もう一度「考えて話す」っていうことに気付いて欲しい
自分から何かを発信することで、自分の枠をもう一度固めといて欲しい そうじゃないとこんな自他の境界ゆるゆるの化け物になるから
実話怪談とは、四谷怪談のような古典怪談ではなく現代の怪談だ。というとトイレの花子さんのような都市伝説を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、そのような出所不明の噂話とも違う。
まず大前提として「実際に不可解な体験をした人というのは、この世の中にいるんだ」というところから始まる。そして、それら体験者から聞き取ったものを語ったり、あるいは執筆という形で記録されたものが実話怪談である。
と、基本的な説明としてはこれで十分ではあるのだが、多くの人が疑問に思うことだろう「それが実際にあった話だとする根拠は?」と。
ここははっきりと申し上げておくが「そんなものはない!」である。
ないんスよ。というのも怪談は超自然的なもの、未知のものを扱う分野だからだ。最新の科学技術や物理知識を以てして証明できてしまったなら、その時点で、もはやそれは「怪談だったもの」となってしまうからだ。
うん、わかった。
もう少し突っ込んで説明しようか。
つまり、実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話」のことだ。
そんな根拠の拠り所となる体験者は、実際に語られるさいには、諸般の事情により匿名として扱われることが多い。
…はい、お察しのとおりだ。実のところ、受け手側に実話であると判断する材料はほぼない。
ここまで読まれた皆様におかれましては「せめて、なにか実話を担保するものはないのか?」とお思いかと存じます。
まあ、その、あるにはあるんですよ。お気に召すかはわかりませんが。
というわけで、以下が令和最新版だ。
実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話…としたいけど、事情により身元は明かせない以上、聞き取ってきた私という実在を仮の根拠とした話」のことである。
あきれちゃった人には申し訳ないが、こういった回りくどい手順を踏むことで、かろうじて実話と呼べるものになっているのが実情だ。ゆえに実話怪談はその性質上、二重の信用が必要となる。
つまり、怪談話者(著者)は、取材において体験者が事実を話していると信用し、受け手は話者(著者)が嘘を言っていないと信用したときに、初めて実話怪談を楽しむことができるのだ。
もはや新手のカルトのように聞こえるかもしれないが、事実そうなのだ。とはいえ実話怪談愛好家がなんでもかんでも受け入れているかというと、そんなわけではない。聞いていて、あるいは読んでいて「なんかこの話うさん臭いなぁ」と思うことは多々ある。
なぜなら、それぞれが自分なりの実話怪談観を持っており、常にそれをもとにこの話者(著者)を信用するかどうかを推し測っているからだ。また、これは怪談の取材時でも吟味される事柄である。(興味があるなら『忌み地 怪談社奇聞録』あたりを読もう)
こういった部分も含めてこのジャンルの楽しみ方となっている。
個人的に言えば、実話怪談とは少額の霊感商法だと思っている。騙されたとしても、実害は、文庫本なら数百円ていど、新書なら千円か二千円ていど、映像ならタダから数千円ていど。イベントもそれくらいのものだろう。
これは受け手側としての心持ちについて論じているが、同時に話者(著者)側にある程度の倫理観を求めるということでもある。
実在する人物を扱うこともそうだし、死を扱うという点においてもそうだ。タブーをかき分けた先に真の恐怖はある。根本的に不謹慎なジャンルなのだ。
だからこそ信用される優れた話者(著者)となるためには、細心の注意を払いつつもギリギリを攻めるという綱渡りを行わなければならない。
ともかく、信用を重視する点からわかる通り、実話怪談というジャンルは意外なほど属人的な性質を孕んでいる。そしてこの属人性こそが、昨今の実話怪談ブームの一因であるように思う。
分かりやすく言うと、怪談師と呼ばれる人々が出てきたことによって盛り上がったのだ。
実話怪談の始祖を『新耳袋』とするなら、最初の媒体は書籍であり文字媒体だった。(ちなみに稲川淳二御大の語る怪談を、実話怪談の枠に当てはめるのは無理があるので割愛)
まだ怪談師という言葉はなかったが、初期のころから属人的な気質は垣間見れた。とはいえ、この時代の実話怪談はエピソード至上主義であった。
私は00年代の初期からの愛好者だが、この時代は怪談にとって冬の時代だった。それでも『新耳袋』や『「超」怖い話』がシリーズとして刊行を続けてきたことが、今日の盛り上がりの土壌となっている。
「怪談師」という言葉が出だしたのは10年代の中頃だろうか。怪談師とは怪談話者のことだ。彼らの活動範囲は音声のみならず、映像やイベントなど大きく広がっていった。
そのため必然的に話者の存在が前に出ることとなったが、属人性の強い実話怪談と非常に相性がよかった。
昨今の怪談人気は、すなわち怪談師の人気と言って差し支えない。
さて、それに加えて、去年あたりから呪物が盛り上がりを見せている。
いわゆる呪物ブームだ。
事情を知らない人からするとマンガ『呪術廻戦』人気に乗っかったものだと思われるかもしれないが、それは半分くらいは正しい。マンガの影響はでかい。
とはいえ呪物コレクターと呼ばれる存在が昨日今日で誕生したわけではない。もっと言えば、呪物と呼ばれるものは大昔からあり、怪談好きに限らず、多くの人から認知されていたはずだ。
そもそも実話怪談においては、エピソードが重要視された。実話の「話」とはお話(エピソード)のことだから当然と言える。ゆえにエピソードの乏しいものは主流から外れていく。
怪談ジャンキーには「ここの木陰に恨めしそうな女の顔があります」だけではお話として弱く感じるのだ。
「出ると有名な廃墟を探索しました。すごく雰囲気があって怖かった」だけでは怪談欲は満たされないのだ。
呪物もその性質上エピソードに乏しい。「これが丑の刻参りで有名なご神木に刺さっていた藁人形です」だけでは情報不足も甚だしく、消化不良を起こしてしまう。
とはいえ、これらは実話怪談という評価基準において物足りないというだけで、それぞれに違った魅力があり、愛好する者が一定数いる。
また、怪談師という存在が実話怪談を発表するメディアを広げたことにより、別媒体として点在していたそれらが、集約されつつある。その中でもビジュアルに優れた呪物は、具体的なイメージに乏しい実話怪談を補佐する存在とも言える。
だが、それは本質ではない。
呪物ブームの最大の理由は、呪物コレクターの所有する呪物のエピソード性の高さだ。いつの間にか呪物はお話を手にいれ、怪談そのものとなっていたのである。
むろんこれにはカラクリがある。そして、それこそが先般の木札に関連した炎上事件の原因ともなっていると考えられる。
具体的な手口は単純で大したことではない。呪物の定義を限りなく押し広げた、それだけ。
一般的な「呪い」や「呪物」といったもののイメージは「恨みを持った人間が、儀式などの間接的な方法で怨念を晴らそうとする行為=呪い」であり「その儀式で使用される道具=呪物」ではなかろうか。すなわち丑の刻参りを行うことが「呪い」であり、そこで使用された藁人形が「呪物」であると。
・呪われるわけではないが曰くのあるもの
・心霊現象に関わる物品
・念のこもったもの
これらをまとめて呪物として扱ったのだ。
呪物という語にそれらを無理やりに詰め込んだ結果、呪物のミーム化といった現象がこの界隈で起こった。これによりエピソード性は強いが呪物と呼びがたい物すらもその範疇に納めることに成功する。
どこまで意図的に行われていたかは分からないが、そういった呪物コレクターの戦略が奏功し、折よくマンガの人気と合わさったことで、呪物ブームが巻き起こったのではなかろうか。
あくまで個人的な考察ではあるが、あながち的外れでもないかと思う。
というのも、今回の炎上には特徴的な温度差が見てとれる点からも、それらを裏付けているように感じたからだ。
今回の件はジャニーズ性加害問題と似ている。すなわち、内部においては問題意識がほとんどなく、外部の人間が指摘することで初めて問題化したという点だ。
そもそも木札のエピソードは2022年の時点ですでに紹介されており、それこそ祝祭の呪物展というイベントでは2年連続で展示されていた。しかし木札について問題視する声は(自分の観測範囲内では)なかった。
私自身はイベントに足を運んではいないが、動画にてその存在を知った一人である。だが、やはりその時はまったく問題意識はなかった。
事が明るみになったさいも、初めは事情の分かっていない人が騒いでいるだけだろうくらいに思っていた。しかし実際に内容を確認するにつれ、そういった次元の出来事でないことに気付き、心地よい夢から叩き起こされたような気分となった。
この件に関しては、はやせ氏に非があることは間違いない。
問題は複数あるが、やはり東日本大震災の被災者と関連のある物品を「呪物」というくくりに入れてしまったことに尽きる。呪物コレクターとしての戦略が裏目に出た形だ。
だが、本当に非があるのははやせ氏だけだろうか。
これは出自不明と説明された木札の出所が判明し、そのエピソード自体に疑問が持たれた今だからこそ言える話などではなく、最初の発表時からあった問題だ。
しかし自分も含め誰も指摘できなかった。受け手側も麻痺していた部分があったのだ。間違っても「はやせさんがあんなに謝ってるんだから、許してあげてください」なんて言える立場にない、どころか一緒にごめんなさいしなくてはいけない立場にあると言える。
…とはいえ、頭では理解できるものの、心の奥底では引っ掛かりを感じている。
それは結局のところ、不謹慎さも含めて楽しむというスタイルが染みついているせいだろう。
自分は高潔な人間などではない。心の奥底にドロドロとした薄汚いものを秘めた、しょうもない人間でしかない。
冒頭に戻るが、今、実話怪談が盛り上がってきている。
文字媒体くらいしか発表の場がなかった時代は終わり、怪談師の活躍により発表の場は増えていった。賞レースも盛んとなり、多くの怪談師と無数のファンを生み出した。
今日、ほぼ日手帳の新作ラインナップが発表されてテンション爆あがりしてサイトやレポ動画を見漁っていた。
あれもこれも素敵で目移りしてしまう…けど、手帳を何冊も併用してちゃんと使う能力はないので、ちゃんと吟味しないといけないなあと思いつつ。
なんかここで外勤に異動させられる兆しがあるから、スケジュールやタスク管理の方法また見直さないといけないんだよね。新しい業務ある程度こなしてから考えて買わなきゃと言う理性が4割、どうせ迷走するから気になるの売り切れる前に買った方がよくない?という悪魔の囁きが6割。
まだ8月なんだけど、すでに別ブランドで完売した手帳があるとか、発売日に万越えの手帳が争奪戦になるとか、文房具界隈以外の人にとっては意味わかんない話だろうなあ。
低身長アスぺアラサーに理解のある彼女ちゃんができるまで(追記あり
https://anond.hatelabo.jp/20220805003819
前に似たような増田、いやもっと酷いのが居たけど大絶賛だったの思い出した。
この増田は「成し遂げた人」だから「過程」として不問にされる。
これが「恋愛がうまくいかない…」みたいな増田だったら総叩きになるのは仰るとおり。
100人にとっては加害でも1人が受け入れれば、
100人の受けた害は「努力」として評価されてしまうのだから。
これは結局のところ、真面目に「加害」だなんていう言説を信じてる人なんてほとんど居ないってことなんだと思う。
ある意味そういう言説の成立可能性を吟味して反論してる人たちが一番真面目に向き合ってるとも言える。
悲しい感じがするね。
ワシはダーク仙人。
WEBをダーク化するためにお前たちをダークトゥルゥース戦士として育て上げる指名を受けた。
ダークコミュニティノート術は闇の秘術であり、現代社会においては一歩間違えれば犯罪者となってしまうので用法用量は守って欲しい。
まず獲物となる著名人を探し、賛否両論になりそうな発言をダーク吟味する。
その後、その発言を完全にひっくり返せそうな根拠をダーク検索する。
ここで重要なのは「あとから法律が変わっている」だろうが「その論文がガセである」だろうがどうでもいいということだ。
内容をバカでも分かりやすくして貼り付ければバカはソースにちゃんと当たらないのでダーク振り下ろした拳を下げられないモードのダーク民兵達が結成され相手はダーク論破される。
ダーク論破とは多数決によって構築される真にトゥルゥースな論破であり、令和における真なるファクトチェックとして機能するので、相手がどう反論しても多数決で押し切れる必殺のダーク交渉術である。
もしもちょうどいいデータが見つからなかった場合はダーク捏造術によりそれっぽい内容の論文をダーク生成して、ダーク画像ツイート化して貼り付ける。
どうせバカはソースを洗わないのでダーク捏造画像を真実だと思い込み、結果としてダーク論破は完成する。
ダークコミュニティノート術は闇の秘術であり、現代社会においては一歩間違えれば犯罪者となってしまうので用法用量は守って欲しい。
だが君が真のダークトゥルゥースファクトチェッカーズならば、現代社会の歪んだ方の元で懲役刑を食らっても気にならないはずだ。
「自分は優れた存在である」「他人から良く思われたい」という感情があると、他人の目を気にしてしまい、他人の価値観に合わせて生きるようになりがちだ。
例えば、好きな子に自分を好きになってもらいたい場合、相手の好み(ストライクゾーン)を調査して、自分が相手の好みにピッタリになるように努力すれば、結果的に相思相愛になれる。
もちろん、自分を変身させる演出をするにしても限界はあるので、ど真ん中になれるのは稀かも?身長が180cm以上のモデル体型が好きという子がいた場合、170cmぐらいならシークレットブーツを履いたり、人工的に足の骨を折って伸ばす手術で数センチなら伸ばせるけど、身長が160cmとかだと20cm盛るのはきつい。その場合は他の部分でカバーするしかない。せめて髪型を変えるとか。
でも相手の好みと自分の好みが違い過ぎた場合、無理して相手の好みに合わせても、途中で演技がつらくなってメッキがはがれて終わり。
完璧に相手の好みに合わせることができたとしても、そのときには自分の好みを全部捨てて合わせているわけだから、自分の価値観(好み)ではなく他人の価値観(好み)に合わせて生きるロボットみたいになってしまう。全然楽しくないよね?
プライドの役に立つ使い方は、「他人から良く思われたい」ではなく、「自分で自分を見たときに、自分を良いと思えるようにしたい」という形に転換した方が、メンタルヘルスを維持できる。
つまり、プライドは外側=他人に向けるのではなく、内側=自分の内に秘めて使う分には、向上心の材料にできる。
他人から良く思われたいという感情を減らせば、他人から誹謗中傷されても平気になってくる。「おまえに私の何が分かるというのだ!全然分かってないじゃないかバカ野郎」と喝破できるだろう。
の3つで構成されている。
数学などの純粋な論理の世界では、好きか嫌いかで真偽が決まっているわけではない。また多数決で真偽が決まるわけでもない。
(ペアノの公理を採用して)「1+1=2」が正しい話とした場合、偉い人が「1+1=3」と言っても間違いだし、貧乏人や悪党が「1+1=2」と言っても正しいということになる。
あるいは、人類70億人のうち69億9999万9999人が「1+1=3」と言っても間違いだし、たった1人が「1+1=2」と言っても正しいということになる。
つまり、真偽は誰が言ったか(発言者)によらず、内容(命題)だけで決まっている。
これを誹謗中傷に当てはめて考えると、内容だけを吟味して、実際の当人とどれほど合致しているかだけを見ればいい。誰が言ったかはどうでもいい。
例えば、長期間風呂に入れず体が臭い人Aさんがいた場合、「Aさんの体臭は臭い」と言われた場合、これは現実のAさんと合致しているので正しい指摘ということになる。臭いことが良いか悪いか、という感情による価値判断とは切り離して事実か否かを検証しよう。
(相手の話をよく聞くと、良い悪いという言葉は、好きか嫌いかの言い換えになってる場合が多い。論理ではなく感情を表明してるだけと分かる)
もしも、Aさんからアンモニア臭がして何かの病気の兆しだった場合、専門の医師が診察すれば病気の早期発見につながり、Aさんは死なずに助かるかもしれない。そうすると体が臭かったことを指摘されたことは、Aさんにとって不利益ではなく利益だったということになる。
このようにして、誹謗中傷の内容を検証して、指摘の正当性を確認する作業と、その後に発生する価値判断(有用/害悪)は切り離して扱うべきだろう。
なので私の場合、アンチの批判は無料のコンサルタントを雇っていると考えるようにしていて、役に立つ情報だけを拾い上げ、その他自分にとって役立たない情報は不採用にしている。
誹謗中傷の大合唱になった場合も、アイデア出し1000本ノックのつもりで、「もっと良いアイデア持って来いよ?もうお終いか?」ぐらいに見ている。
物理的に殴られて骨折するわけじゃなければ、言葉で何を言われても平気になろう。
自分のことを知らない匿名の相手は、予想で自分のことをプロファイリングしてもたいていは的外れなので、バカが喚いているぐらいにしか見えない。
たまにコールドリーディングが上手い人がいて、プロファイリングが正確な場合もあるけど、自分に役立つ情報を提供しなかった場合は無能として切り捨てるだけ。本当に役立つ指摘・情報を提供してくれた場合は感謝してる。
(物は言いようで、相手に受け入れられる言い方ができない/下手な人もいるけど、上述のようにプライドを出さなければ、きつい言葉でも平然と聞けるようになる)
戦争の歴史を学ぶと、自分の周りに言うことを聞くイエスマンばかりを集めてしまうと、自分に不都合な情報を提供してもらえなくなり、判断ミスを犯す場合がある。
cf. [asin:4478117047] 「東大生が教える 戦争超全史」
戦争の話はわりと詳しいのだが、脱線するのでここでは割愛しよう。
もしも、リーダーが自分の周りに反対意見をガンガン言ってくる生意気な部下であっても登用することができれば、戦争で負けそうになったとき生意気な部下は隠さずに報告するだろう。
「○○方面で、武器が補充できなくなったので陥落するのは時間の問題です」と聞けば、被害を最小限に食い止めるための損切りもできる。分からないと突っ走って玉砕=負けが確定。
このように自分の周りに、美辞麗句を並べるだけのイエスマンしかいなかった場合、適切な判断材料となる情報が得られなくなる弊害がある。
自分の周りに批判的な意見を述べるアンチのような部下でも置いた場合、適切な判断材料となる情報が得られやすくなる。
このようにイエスマンとアンチのPros/Consを検討すると、アンチの誹謗中傷があっても、むしろ役に立つということが分かる。
この段階に至ると、自分からアンチを探して対話ができるようになる。
改善案がセットで提示されていない場合、その指摘は価値が低い。点数をつけるならば50点以下だ。よって無視しても良い。
もしも自分が他人を批判する場合は、GOサインの基準として、本人を目の前にして(=実名で)言えるか?という基準を設けている。
本人を目の前にして言えないなら、それは陰口であり、悪口になってしまうので言わない。
本人を目の前にして言えるなら、それは陰口ではなく、相手に利益をもたらす=親切で言ってるつもりなので正々堂々と言う。物理的に遠距離とかでなければ、直接会いに行って伝えるのがベスト。その方が誤解が生まれにくい。
直接民主主義の基本は対話であり、ソクラテスも対話は魂の産婆術と言って重視していた。
人々の間にある齟齬を解消して、利害関係を調整するには、武器による戦争ではなく、言葉による対話が重要であることは言うまでもない。
従って、アンチが誹謗中傷してきた場合は、自分の場合は直接会って話を聞くように心がけている。
しかし、頭が悪い連中が相手だと、直接会って話すことを怖がり面会を拒否してくる場合がある。ヤクザの脅しと勘違いするアホが多い。こういうアホとは直接話をしても得られる利益が少ないので捨ててOK。
現代人はインターネットで遠隔のコミュニケーションに慣れており、直接会って話すという機会が減っている。
コロナの影響もあるので、一概に直接会わないことが悪いとは言えないのだが、それでもやはり大事なことは直接会って話す方が伝わると思う。
(思考実験:もし直接会うことが重要ではないと言う人がいたら、君の父親と母親が直接会ってなければ君は存在していないという事実をどのように評価するか説明しなければならない。インターネットでメッセージを交換するだけでは子供は生まれない)
その発想が既に病気なんよな
増田がコミュニタリアンもどきなら理解できなくもないがおそらくは違うでしょ
患者は大きな業績という空想(圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、名声や影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験すること)にとらわれています。自分が、普通の人とではなく、自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えています。患者はこのような並はずれた人々との付き合いを、自尊心を支え、高めるために利用します。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は過度の賞賛を受ける必要があるため、患者の自尊心は他者からよく思われることに依存しています。このため、患者の自尊心は通常は非常に壊れやすいものです。患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており、自分がどれだけうまくやっているかを吟味しています。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は、他者による批判、また恥辱感や敗北感を味わう失敗に敏感であり、これらを気にしています。怒りや軽蔑をもって反応したり、荒々しく反撃したりすることがあります。または、自尊心を守るために、引きこもったり、表向きはその状況を受け入れたりすることもあります。患者は失敗する可能性のある状況を避けることがあります。
診断
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛への欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。
- 自分の重要性や才能について、誇大な、根拠のない感覚を抱いている(誇大性)。
- 途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または素晴らしい恋という空想にとらわれている。
- 自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
- 無条件に賞賛されたいという欲求をもっている。
- 特権意識をもっている。
- 目標を達成するために他者を利用する。
- 共感性に欠けている。
- 他者を嫉妬しており、また他者が自分を嫉妬していると信じている。
- 傲慢かつ横柄である。
名画の凄さって何よ?って言うと、歴史的な位置づけがスゴイんだという人もいれば、理屈抜きの迫力があるという人もいるらしい。
おれが超うっすら聞き齧った方法論に、作者の意図に基づいて作品に設定された目的を想定して、その達成の度合いをなるべく客観的に吟味しつつ出来を評価するって考えもあるらしい。妥当といえば妥当な感じもするし、この理屈そのものの自明さを考えれば果たして客観的と言えるのかとも思う。
そもそも美術って明確な目的を持つ道具でしかないのかよ。そんな割り切っちゃっていいのかよおれたちはよ、みたいな素朴なアレも感じる。
この間どっかで贋作展みたいなのがあったらしいけど、純粋に絵としてのスゴさなるものがあるなら、精巧な偽物をまじまじと眺めた時の感動は本物から得られるそれと変わらないはずだよねって思う。
それはそれでスノビズムから距離を置いて感覚的なものと向き合っている感じがするし、どこか誠実にすら思う。ただその光景に一切マヌケさを感じないかと言えば嘘になるし、この違和感が名画の名画たる所以へのヒントの一つかもしれない。
金という物差しを持ち込むのも無粋だけれど、純粋にイラストそのもの、物質としての絵にだけ価値があるのならオリジナルもコピー品も同じ値段がついてないとおかしいしね。
ただこれは名だたる画家が直々に絵の具を乗せたキャンバスという物質込みでの話で。更に周縁を捨象して、純粋に視覚情報?にまで抽出した時、絵の価値を問うたらどうなってくるんだろう。
全然詳しくないけどNFTってこういう話をしてたりするんだろうか。
まあ素人がぱっと見でスゴイ作品だと思えるほどの何かを秘めているのなら、ゴッホだってもっと早く評価されてたでしょって思うよね。
素人が、とは言ったけど絵の専門家でもあんまり変わらないんじゃねって思う。
自分で絵を描いているから、沢山の絵を見てきたから正確な審美眼を持つ、というのは単に技術面における話に留まると思う。何を感じ取るかは鑑賞する主体の問題、客体との関係性が噛んでくるから、単に絵が持つ特性だけでは語りきれないものになるだろうし。この絵はこの辺がこうだという叙事的なディスクリプションまではある程度客観に立てても、名画かどうかまで踏み込めば一個人の感想になってしまう訳で。
絵の技法や歴史に詳しいから、真に感情を揺さぶる名画か否かのジャッジにも正当性があります。ってのは理屈としてあんまり成立してないよねって思う。これはおれが勝手に名画の要件を決めちゃってるけど、じゃあ誰が決めれば正当なんだよって話で。
ナイトホークスを見て「人をブチ殺して回りたいという作者の情熱を感じました」と思うのはズレてるかもしれんけど、孤独を感じるのと心安らぐ静けさを感じるのではどちらが正解とも言い切れんと思う。
素朴に良い作品だなと思えるか、そういう感覚的な部分以外で絵を語るのってなんか無粋な感じがしてあんま好きじゃない。言葉の先を期待してるからこそ言葉以外の媒体で表現しているのだろうし。
でもそうなってくると自動生成の絵も人が描いたものと全く対等で、やたら時間をかける分人間の方がカスですって話にもなるのかもしれないな。今まさになってるのかもしれんけど。
そう考えると、おれは人の手のヌクモリティがさァ!と言いたいかもしれない。歴史を踏まえた斬新さとかにはあんま興味ないけど。
カメラと写実主義とかで色々あった頃とかも新しい道を模索したんだろうし、今後も人が絵を描く事の意義というのは問われ続けていくんだろうか。
おれは別に絵を描かんけど、他人にどう言われようが本人にとって描く事に意味があると信じられるなら、それだけで価値がある事だと思う。その価値はその人だけのものだけど、人生なんて自分の信じる価値に従えるかどうかが全てだろうし。
多分元増田より少し下の21世紀初頭社会デビュー世代なんだけど(もっと辛い氷河期、とか言い出すと角が立つからやめよう。)
この世代の人の就活のハガキが届いた企業で、合否を分けるバイトを大学の部活の先輩がやってた。
大学名と学部で指定が出ていて、それ以外はゴミ箱に入れるらしい。
東大・早慶と指定の国立、Marchや関関同立の一部で学部は理系はOK、文系は文学部や芸術学部いくつかはNG。性別では分けてなかった。
ハガキに名前と住所と学部大学と資料請求の言葉が書いてあって、対象なら合格の箱に。
観光学部の人がすごい小さな字で熱意原稿用紙5枚分くらいある内容をハガキに書いて送ってきたらしい。が、対象外なので苦しいながらもゴミ箱側に入れたと言っていた。
高校時点で、自分の頃には就活がもうダメかもしれない、と言われていたので、どっちにも行けるようにしていたが理転して工学部行った。東工大は落ちた。
最初は楽しかったものの、途中から好きな勉強じゃなかった。本当に辛かった。固体の上を電子がどう動こうと知らん。なぜもっと得意な化学か楽しそうなバイオにしなかったのか。後悔した。途中で辞めてフリーターになろうとして親と殴り合いの喧嘩した。一留。
アルバイトは家庭教師と、短期バイトの事務所に登録して20種類くらいやった。そんなに稼ぎは良くなかった。
就活、いくつ受けたが覚えてない。リクナビとマイナビを駆使して、予定表をYahoo!カレンダーにいれて、ドコモのP158のアドレスに届くように設定して手帳に書き込んで管理してた。
自己PR欄でキャッチーな言葉と文章を書けば目に止まるのは当時日記猿人でも読者がついてたことからわかってた。(ついでに何人かの友達のも書いた)
大手はダメだったが、大手子会社や聞いたこともない会社には刺さったらしい。
面接に呼ばれて、SPIは何も予習してなかったが高得点をマークしてたらしい。(面接で言われた)
二つくらい内定出た。
会社入れた。同期は早稲田、慶應、上智、MARCH、首都圏の国立大学、慶應行ってる弟が出身校リストを見てお前だけ一人おかしくないか?と笑ってた。確かにこの並びならなぜ入れたのかわからない。高校の同級生が撃沈しているのを見て、就職するには好きを学びに行っては行けないと思った。自分の5年も大概無駄だったとは思うが。
入った会社はしばらく採用はなかったが、合併で経営母体の大手から別の大手に変わり新卒枠ができたらしい。
会社のすぐ上はいなくてその上は専門学校卒。少し上に院卒。そのバブル世代が、ハガキなんか出さなくても勝手に入社案内が来たと笑ってた。
仕事は入社前に聞いてた話と職務内容も違い、勤務地も23区勤務と聞いたのに関東の僻地に飛ばされ、頗るつまらなかった。
昭和時代にできたものの保守。効率の悪いオペレーション。倫理観や躾の悪い敬うに値しないおっさんたち。残業は平均70時間。うんざりした。
何の役にも立たないグループ会社の健康保険医の面談。うんざりした。
地獄だった。
知っているか。睡眠不足が続いてくるとだんだん味が濃いものが欲しくなる、変な動悸がする。生理の血液が7日過ぎても10日過ぎても止まらなくなる。
一度目が覚めたら腕も足も切り落とされて月を見上げている夢も見た。やたら綺麗な月だった。
まだ20代だったけど、大規模地震かSARSか、ただただ苦しくて、天変地異が起きるか隕石直撃で殺して欲しいと思ってた。
ああ、正直に書くけど27過ぎたあたりから、グループ会社の結婚サークルに入らないのかと言われた。女性の会員が少ないから入れと。
つまるところ自社グループはおっさんが多いから、あてがう女が必要で女性社員を多く入れてたんだなと。ちょーメイクセンス。
だから同期だけ女、しかも見た目が読モみたいな女が多いのな。あてがうためか。ずっと男社会にいたから衝撃的だった。
当時付き合っている彼氏はいた(非正規社員)のもあるが、給料は少ないが、自分の事が自分でオーガナイズ出来るし会話も成り立つ。
この会社の自分のいるレイヤーのおっさん達は自炊も自分の服の身だしなみの管理も仕事の工程も機器の発注も何も管理できず英語も話せず
キャバクラパチンコがメインでしかできない癖に人の外見にはケチをつけるし会話が成り立たない知性を感じないクズどもだった。
こんな奴らと私生活まで一緒とか殺す気か。
同期は鬱で会社を辞めた。
先輩は職場で倒れた。救急車が来た。そのうち救急車が来ることにも慣れた。他にも倒れる人がいたからだ。
俺らより更に働かされてた隣の部署のチームリーダーがある朝起きたら冷たくなってた。葬式に会社の人はこないでくれというのが遺族からの伝言だった。
リーマンショックの後、大規模リストラがあって、職場でワイヤーで首吊りが発生した。
そりゃそうだろ。ずっと会社以外のことを考えられないような生活を強いられて、全てを犠牲にして、給与も据え置きで
(親会社から合併して降りてきた人たちへの調整金という名目で額面より1万円毎月勝手に俺らの給与から引き抜かれてたが逆らえる人などいなかった)
ずっと発狂しそうな寸前を首を抑えられながらスキルにもなりもしない仕事をメンタルヘルスがボロボロになりながら働かされてた。
俺たちはまだ別に移る余裕があったけど、もう転職するにも40手前で厳しい年齢の人だった。当時は。
心じゃなくて寿命が折れることもあるだろう。
そこまでしたのにニュースはすぐにかき消された。
同級生も野郎ばっかりだったが似たようなこき使われ方だった。自分の周りはもうほとんど連絡元っていないけど、誰も新卒の会社でそのまま働いている人がいない。
氷河期の頃の20代、フリーターや非正規の友人がスーパーが開いている時間に家に帰り、必要なものを店で吟味して買うことができ(当時は通販事情が違う)趣味に時間を持てて楽しそうだった。
週末も有給休暇も体調不良で消費していた自分の選択が間違ったように感じた。そこまで自分を切り売ったのに手取りは同世代のの中でも大してよくなかった。
職歴は持てたかもしれないが、あんな思いまでしないと得られないものでは本来ないはずだ。
この会社を辞めた後、午後5時の新宿駅で家路に向かう人の背中を見て、20時より前に帰る自由がある人がいる同じ時間軸でサビ残盛って奴隷のように無駄に働かされれ、20代を棒に降った生き方を強制されたことの怒りに気づいて叫び出しそうだった。
その後も、途中無職になったり、死にかけたり、入った会社の倒産や合併やリストラや色々煽りを喰らい転職を重ね
今は誰も知らないような外資に入って、つつましい仕事やってる。専門は専攻と全然関係ない情報系機器。肩書はengineerだがコンサルに近い。給与も高くはないが悪くない。やっと今人として必要なものを全部払って息が出来る状態。
月間残業時間もしなくてもいいくらいだが10時間くらいやっている。金があると少しいいものが買える。嬉しい。
会社でのキャリアは上げようとは思わないけどレイオフの対象にならない程度には維持しつつ、同僚も多国籍で物知りで礼儀正しい。差別発言とか出るはずもなく、すごく呼吸がしやすい。
ここまでに生じた持病の通院の時間もちゃんと平日内に調整できる。本当素晴らしい。
いつまでこの状態でいられるか分からないけど、やっと生きている実感がある。
もう年齢的にはここから伴侶を見つけようとか思えなかった。けど、同い年でやはり時代に殴られまくったズボラ料理が上手な人と一緒にいられいている。
この歳になると結婚にメリットも大してないから特に法的な手続きは考えていないけれど、向かい合う人がいるだけでどれだけ救いになっているか分からない。
そして今オフの時間は通信制の大学に入学して、何年かかるかわからないけどやりたかった経済学の勉強をやってる。
他の学部の法律関係授業とったりしている。そのうち余裕があれば心理学も勉強したい。
この後の望みは健康。20代の何も結実しない無理は確実に体を蝕んで、色々できないことが増えた。
とはいえまだ検診の数値はいいけど、ほんとこれ。死守していきたい。
ーー
就職できたからと言って労基法が全然今と違ったので地獄でしたという話。
事件のあたりは探せば出てくるよ。嘘松だと思いたいだろうけど。
本社の屋上は飛び越えられないように数メートルの柵があるって話だったよ。
就活の時、コネがあるから言えと親に言われていたが、それが嫌で絶対就活で得た仕事に就こうと思ってた。
それがこんな酷いところ。しかも上の人はコネで入った奴らだった。
最初の会社を抜けれてやっと眠れるようになったのに、何度も職場に連れ戻される夢を見て叫びながら起きた。
あんなに苦労して入った会社だったのに、PTSDがあるんだと思う。
36協定派当時からあったけど徹底が促されるのはその後のこと。
就職前に聞いた話と給与面・職務面・勤務地などが異なったら会社を訴える権利が出てきたのもその後のこと。
転職が少しずつし易いものになったも、ベンチャーが増えてきたのもの氷河期の後だったように感じた。
少なくとも第二新卒のときは転職先もなく第二新卒転職フェアに行っても主業で売るものがパッとしなくて、転職しても別の地獄があるようにしか見えなかった。
仕事していて嫌なことがや理不尽を感じたら、地域のハロワと同じところか近所にある労働基準監督署には相談できる人がいるから困ったらすぐに行くんだぞ。
近所すぎて噂になったらどうしようと思ったら、少し越境しても資格は一緒だから大丈夫。一人で悩まず相談しよう。お姉さんおばさんとの約束だ。