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2017-10-12

2017 台湾旅行第一部分

台湾に行って来た。

一人での海外旅行は初めてだ。

台湾であった事、感じた事つらつらと書く事にする。

長いし、起こった順に書いていて、特に脈絡もないので、ドラマは期待しないで欲しい。

取り留めない旅行記だ。

もし文書の中で一文でも、行ってない人の興味を唆れたり、行った事のある人に「あ〜、あるある」って思ってもらえたら嬉しい。




出発前


そもそもなぜ台湾に行こうと思ったかというと、少し前にちょっと凹むを事があり、いつまでも気に病んでも仕方ないし、何か面白い自分の興味を引かれる事がないかなぁなんて考えてたところ、「そういえば、台湾料理で気になってるものがあるんだけど、実物を食べた事がないんだよなぁ」と思い出し、休暇の予定も決まってなかった事もあって、「じゃあせっかくだから行ってみよう」となった訳である

初めてなので、ツアーを予約して、飛行機ホテルの世話だけをして貰うつもりだった。


いざ行くと決まれば、何より問題なのは言葉で、元々日本でもコミュ障気味なのに、別の言葉が話されている国で過ごすのは甚だ不安だった。


でも出発当日が来て、フライトをまつ夜の羽田空港国際線ターミナルで、簡単中国語を暗記していてた時にふと気付いた。

そうだ、俺、イラスト描けるじゃん。

普段から言葉より絵の方が伝わる事があるのは分かってる。

言葉の通じない国に行くんだ、使えるスキルは何でも使わないと。



格安ツアーの出発は変な時間だ。

午前4:50、タイガーエアに乗り込んだ。

台湾のLCCとはいえ、機内はほとんど台湾人

ツアーなので、自分の他にも出発する日本人いるかと思ったが、日本人は少数派のようだった。

ちょっと不思議に思ったのは、機内の台湾人男性はほぼメガネ

なんでどいつもこいつも目が悪いんだ。

から更に不思議だったのは、台北の地に着くと男子メガネ率がむしろ低いのだ。

台湾人飛行機に乗る時だけメガネをかける決まりでもあるのか?






1


1日目 午前


LCCの狭いシートで変な姿勢に耐えながら3時間フライトを終え、朝の桃園空港に降り立った。

空港でキョロキョロしてると、いきなり兄ちゃんに現地の言葉で話しかけられた。

バス?とか言ってたので、行き先に迷ったと思われたらしい。

一瞬どう答えていいか迷ったけど、オレンジベストを着てゲートのすぐそばに立っている女性を指差し、「大丈夫」と言うふうに手を振ったら、彼は「なんだ」という顔をした。

あ、言わなきゃ。

「謝謝」


ベスト彼女自分の到着を待って立つツアーガイドだった。


実はツアーガイドはすぐに見つけていたのだけど、他のツアー参加者が集まってから声をかけようと思っていた。

しかし、誰も集まる気配がない。

どうやらこのツアーの申し込み者は自分一人らしい。

機内に日本人が少ない筈だよ。

「すいません」と日本語で言うと、ちょっと訛った日本語で「どこにいたの?すぐに声かけてよ〜」と笑顔で言われた。


ツアーガイドは黄さんと名乗ったが、「エリと呼んでね」。

台湾の人は英語の二つ名を持っている人が多いという。

より覚えやすくする為に、勝手に「エリーさん」と呼ぶ事にした。ちょっと伸ばしただけだから大きく違わないだろう。



ホテルに向かうミニバンエリーさんに「何かみたいものある?」と聞かれたので、「九份に行きたい」というと、「どう行くか調べてますか?」

「ざっくり」と答えると、「ざっくりじゃダメよ!」とひどく呆れられた。

エリーさん曰く、九份は凄く人気、今は祝日台湾人も行くから人でごった返している、行くなら早くいけ、と。

さらにはついでに十分も行くべきで、こんなこんなこんなツアーがあって・・・説明が止まらない。


「実は蚵仔煎と肉圓を食べに来た。あとお茶も買う予定」と言いうと、彼女は「それだけ?」とまたもや呆れ顔で言った。

「それだけじゃ量が少ないよ!」

さらっと書いているが、この会話の中で、エリーさんは料理名前を何度も聞き返している。

曰く、「発音メチャクチャから何言ってるのかわかんないよ!」

日本人とは随分テイストの違う接客なので思わず笑ってしまった。


夜市にも詳しいエリーさんによると、蚵仔煎の様な夜市料理行列の店で食べるべきで、それは味の問題というより、回転の早い店の方が素材が新鮮なので、当たる事が少ないかであるとの事だった。

台湾人がよく行列するのは、そういう理由もあったのか。なるほど。


エリーさんの勢いに呑まれかかってたけど、会話が少し止まって、ふと窓の外から街を見れば、台北市建物が密集しているのに気付く。

その中にセブンイレブン

漢字コンビニも人の背格好も一緒なのに、行き交う人は全然別の言葉を話している。

それは不思議な感じだ、と言おうかと思ったけど、それを言うとエリーさんが凄いエネルギーで何かの説明をしそうなので言わないでおいた。


ホテルに着いたらチェックインの15:00まで、荷物を預けて自由観光

エリーさんは、台湾での見所と注意をまくしたてたあと「わからないことがあったらLineで連絡して!」と事細かに連絡方法を教えてくれた。

「あと折りたたみ傘を持って行って!今の台湾は天気が変わりやすい!」

どうやら手が届く限りは面倒を見ないと気が済まないらしい。

台湾人親日とよく聞くが、接した感じでは、どうもナショナリズム問題ではなく、何か人間が親切というか、お節介焼きであるように感じた。



エリーさんと別れてしばらく歩くと、南国の陽射しの下、台湾国旗がはためいている。

明日がちょうど建国記念日国慶節からだろうか。

そういやエリーさんに「暑いな、さすが南国」と言うと「ここは南国に入らないよ!台南の方が亜熱帯!」って言ってたっけ。

急に冷え込んだ東京から来たら、十分暑いエリーさん。


すぐに暑さに耐えかねて、冷房の効いてそうな店に飛び込んだ。台湾で食べたかったものの一つ、豆花を食べていると、店内ラジオからはB'zが流れて来た。

日本アーティストなのに、なぜかより台湾を感じさせる。

かい注文が出来ないので、かき氷ピーナッツの甘煮だけをトッピングしてもらった豆花はとてもアッサリしていた。



台湾はとにかくスクーター乗りが多い。

大通り信号が青に変わるたび、びっくりするくらいのライダーが駆け抜けて行く。

この台湾光景を収めようと交差点歩道カメラを構えたら、後ろから「前方!」という様な声をかけられた。

振り向くと、自転車にのったおじさん。

「前危ないよ」とでも言われたのだろうか?ひょっとしたらもっと荒っぽい表現なのかもしれない。

台湾人は親切だけど直接的でもある。




1日目 午後


ホテルチェックインの15:00にはまだ間があったが、台北は午後になって更に気温が上がって来た。

エリーさんが言ってた事には、日中は36℃になると言う。

当て所なく歩き回るにはキツい時間だ、せめて目的が欲しい。

本来は2日目の午前にこなす予定だった、台湾茶の買い出しを前倒す事にした。


エリーさん曰く、祝日台湾人は勤勉では無いらしく昼頃にようやく起き出すとの事だったので、一抹の不安を抱えてはいたが、しばらく歩くと、お茶のいい香りが漂って来た。

通りに面した倉庫の様な店。

林華泰茶行。

上質なお茶が卸値で買えるとの事で、予め来ると決めていた店だった。

実際に来て見ると、その倉庫の様な空間に微かに漂う不思議で素敵な香りに心が踊る。


ただ、少し計算が狂ったのは、店が思った以上に小ぢんまりとしているし、本来問屋なので、店員もぶっきら棒。

タンクトップから腹を放り出したオッさんが茶葉のチェックなどしていて、ゆっくり見るのは場違いだった。

そこでは吟味しながら4種類買う予定だったけど、実は到着直後の免税店で、エリーさんの勢いに押されてすでに高山茶を1つ買っていたので、3種類にした。


金萱

東方美人

蜜香紅茶


20代とおぼしきにいちゃんに、それぞれ「1/4斤」とメモして伝えると、「150?1300元」とぶっきら棒に返して来る。


台湾店員さんは人がよく、自分言葉が変でも何とか必死コミニュケーションを取ろうとしてくれていて、それが返って不甲斐なく、少し凹んでもいたのだけど、さすが問屋のにいちゃんにそんな忖度は無い。


今が出す時だ、と思い、空港で描いたメモを見せた。

一杯の茶のイラスト

「喜歓的香味(とても好きな薫りです)」

「謝謝。」にいちゃんは微笑んで言った。

初めてエリーさん以外の台湾人とちゃんとコミニュケーションが取れたと思った。



昨日から大して寝ずに動き回ってるので、良い加減疲れて来たけど、ホテルチェックインにはそれでもまだ時間がある。

台北101に向かう事にした。


地下鉄にのっていたら、博愛席(日本でいうところの優先席)に座ってたばあさまが、乳幼児を抱いている母親に気付いて、手招きして席を譲っていた。

台湾人はほんとうに人が良い。

うっかり降りる駅を間違えて、次の電車を待っていたら、地下鉄ホームロードバイクを押す人がいた。

台湾輪行ダイナミックだ。


ブルータス台湾特集の表紙が台湾人には不評だったらしい。

曰く、あんな古くさい台湾ではなく、もっと近代的な今の台湾を見てくれ。

でも、実際歩いてみると、やはり台北の街は自分イメージするアジアエネルギーノスタルジーに溢れている。


そうかと思えば、台北101東京で言うところの押上ソラマチの様に、周囲から浮いて急に出現した近代モールだった。

台北という街は混沌の中での変化の真っ最中なのかもしれない。



さて台北101の地下はデパ地下であり、フードコートだ。

このデパ地下も、旅の目的の一つだった。

その地にはその地の食い物が有る。

よくわからない果物料理ディスプレイされてるのは最高だ。

乾麺のコーナーで、刀削麺と同じ棚に讃岐うどんが並んでるのには何だか笑った。

うどん台湾では烏龍麺と書く。


大して腹も減ってなかったけど、疲れを癒す意味で、ここのフードコートガソリン補給をする事にした。

加油、俺。

頼んだのは排骨魯肉飯のセットで排骨には八角の強い風味が有る。

これが中華な味だ。

魯肉飯をかっ込んでふと顔を上げると、半袖シャツを着た対面のにいちゃんの袖から綺麗な花柄が覗いていた。

そういえば林華泰茶行に行きすがら、通りかかった裏路地でも、書き描けの紋紋を背負ったおっちゃんが上半身裸で何かを食っていた。

台北では割とカジュアルに紋紋にでくわす。


デパ地下と紋紋に満足したので、人でごった返した展望台には登らなかった。

良い加減、ホテルチェックインしてシャワーを浴びたい。




1日目 夕方〜夜


やっとホテルチェックインできて、シャワーも浴びてさっぱりできた。

一休みしたら晩飯だ。

どこで何を食うかは決まっている。

寧夏夜市で蚵仔煎を食べるのだ。


実はエリーさんに、この暑くて食品が傷みやすい時期に牡蠣を食べるのは勧めないと止められていた。

私たち台湾人間は胃が大概のものに慣れている。でもあなたたちは違うでしょ」と。

一理あるんだろう。

でもこの旅行重要目的の一つが本物の蚵仔煎を食べて、どういうものか知る事だったのだ。これはマストなのだ

から、せめてエリーさんの忠告を一つ守ることにする。

屋台料理行列の店で食え」

日が落ちて、明かりが灯った台北の街。

地下鉄を乗り継ぎ、寧夏夜市の行列の店を目指した。



道中驚いたのは、街中に野良犬がいた事。

少し遠巻きにしてる人もいたが、同時に野良犬を気にするふうでも無く、すぐ脇で座ってなんか食ってるおっちゃんもいて、日本ではもうない風景日常なんだなぁと驚いたりもした。



やがて、台北B級グルメ天国寧夏夜市が見えて来た。

日本で伝え聞く喧噪はちょっと盛ってるんじゃないかなんて疑っていたが、実際に行くと日本縁日以上の人、人、人。

屋台が軒を連ねる通りは真っ直ぐ歩くのも難しいくらい。

食習慣が全然違うのを肌で感じる。


夜市を一回りすると、一番行列のできてる店がわかった。

ここに決めた。

朝にエリーさんに酷評された付け焼き刃の台湾語は捨てて、筆談だ。

蚵仔煎を描いたメモを見せて注文する。

やがて店内に通されて、目当ての品が運ばれて来た。

おお、これが蚵仔煎か。

まず写真を一枚。

そして口に運ぶ。

プルプルしている!台湾風にいうとQQだ。

牡蠣オムレツと言いながら、片栗粉ような生地の方が主で、それに卵が絡み、その中に青菜と小粒の牡蠣が旨味を添えていた。

かかっているタレは甘酢か。テーブルに置いてある辛味噌を添えると更に風味が増す。

エリーさんの忠告は忘れてないが、ひょっとしたらヤバいものを食べているのかも知れないというスリルもまたスパイスのようなものだった。

「很好吃!」メモを見せると、店員のお姉さんはサムズアップした。



>>2日目



2017-10-10

田舎の道が暗すぎる

同棲家賃を抑えるために品川から横浜まで引っ越ししたのだが、田舎の道って暗すぎじゃないか

街灯が全然ない

ちなみに引っ越したのは渋谷まで東横線で30分ほどのところ

18時になって歩いてるともう暗い。明るいのは駅前ぐらい

田舎の18時は東京で22時ぐらいの感覚。むしろ東京の22時の方が明るい

引っ越してきたばかりだから毎回時計見てビビる

たとえ大通りでも別に明るくはない。たまに街灯あるなって程度

小道に入ると「ここで殺人あってもあんまり気づかれなそうだな」と思える明るさ

街灯なくても車で移動するからライトつけるよってことなのかもしれないけど、車でライト照らしても全然暗い

人飛び出してきたら轢くだろって感じ。なのに車の速度速すぎ。なんでそんな飛ばせるのか

歩いてたらマジで怖い。田舎で夜に歩くなってことかもしれないが……

それでもってみんな懐中電灯持って歩く習慣も特に無いのなんなんだ。暗い道で猛スピードの車が後ろから来たら怖くない?

俺はiPhone懐中電灯のやつつけて歩いてるけど、これは逆に俺が不審者っぽいのか?

ググってもあんまり俺と同じようなこと思ってる人いないみたいなんだが、俺が異常なだけなのか?

もしくはここで暮らしてたら俺の視力がよくなって解決したりする?

2017-10-03

うちの住宅街が車の抜け道にされている

ナビが最短ルートだと教えているんだろうけれど、

歩道路側帯もない道を車がビュンビュン飛ばしていて怖い。

朝は車の横スレスレ子供が登校している。

緑のおばさんが頑張ってくれてはいるが、それでも一歩間違えたら死ぬ

どうにかならんもんかな。

場所はここ。

ウェルカムパーク練馬早宮II

〒179-0085 東京都練馬区早宮2丁目10−7

https://goo.gl/maps/6UgtHe6pQjm

恐らく、環八から目白に抜けたいとかそういう理由で使われているが、大通りでも行けるので、そっち使って欲しい。

傷つくのは弱い人達なんだから対応して欲しい…。

助けて増田

2017-09-24

[]太陽系:2日目

12時〜17時(5時間)計112

太陽+1

水星+8

金星+4

地球+3

火星+13

ケレス+28

木星+16

土星+16

天王星+21

海王星+2

祝日なのを忘れていたので今日コンプリートはできなかった

・駅周辺は自転車だと面倒なので徒歩

・週末なので親子参加者多し

(両親+子だと夫が妻が子どもを見ていると思って両方とも子どもを見てなくて子どもが飛び出すケース

(父+子パターンマナーが良くて羨ましい

特許申請中のスタンプ台に感動した(弊社はテプラで「開けたら閉める」

・杏林大は駐輪場がないので叔母の家から徒歩

モススタンプ押すとポテトS無料

消防大通りお好み焼き屋さんは夕方に行くのが吉(自転車なので呑まない

2017-09-20

anond:20170920050000

どっちも求めてるのは仲間と自由に語らえる自由な引き篭もり所じゃなくて

大勢の観衆の前で俺オンステージするための人の多い大通りからね…

2017-09-19

保育園バス送迎が辛い

私は、保育園の送迎バス添乗員をしている。

保育関係資格を持っていないアラサー子無し主婦

時給は700円程度。最低賃金である

受け持ちの子は、2歳から6歳まで。

1コースあたり20から30人程度、時間にして約1時間。1人で1日3コースまわる。

それを行きと帰り1日2回。

朝は園児一人一人の家の前まで迎えに行く。

時間通りに行っても、園児がいない事も多い。勝手に先に行くとクレームの元なので、暫く待ち、それでも来ない場合電話を入れてから行く。

バスが遅れると、それはそれでクレームの元になる。

一度バスに乗せたとしても、遊び盛りの子供はけして黙ってはいない。

やれ誰と誰が喧嘩しただの、やれ誰が叩いただの、喉が渇いた具合が悪いトイレ行きたいだの。

実際に吐いたり漏らしたりする子もいる。もちろん泣く子もいる。

軽くパニックである

けれども他人の事などあまり関知しない子供の事、お喋りしよう手遊びしようお話しして抱っこしてと園児らの要求は尽きることがない。

更に言うと、運転者は日によって違うので、道も教えなければならない。

公共バスではなく民家が目的地なので、大通りではなく分かりにくい小道を行かねばならない。方向音痴の私にはそれも辛い。

そもそも道を教えるのなんて、園と運転手の間でやればいいだけの話ではないのか。事前に地図を渡し説明すればスムーズではないのか。毎度毎度そう思う。

子供の顔と名前、乗る場所降りる場所(行き帰りで違う子も多い!)、保護者(お父さんお母さんお祖父さんお祖母さん父兄の親戚etc…)のお顔を叩き込み、持ち物をチェックしていく。

覚える事山盛りである

帰りは行きの仕事に加え、寝てしまった子を起こすという作業も待っている。

子の名前と顔、降りる順番、そして持ち物を覚えていないとここで困る。降りる前にきちんと正しい子を起こし、寝ている間に行方不明になった荷物を探して持たせ、準備をさせる。

一度起こしても、他の子を起こす間に寝てしまう子もいる。呼んでも揺すってもくすぐっても、なんなら持ち上げてもなかなか起きない子も多い。

やっとの思いで家の前まで辿り着いても、やっぱり保護者が来ていない事も多い。共働き赤ちゃんを抱える家庭が殆どだ。責められない。時間通りに来てなくても仕方ない事なのだ

私もきつい。体力勝負だ。精神的にもくるものがある。

生活の為に働いてるけど、その仕事のせいで生活にも影響が出ている。毎日疲れ果て、家事も疎かになりがち。

何処の職場でもそうだと思う。辛い事苦しい事をしてやっとお給料がもらえる。当たり前。

だけどなんだろう。これ。

保護者先生添乗員。皆がそれぞれ我慢して頑張っているのに、皆がそれぞれ辛い気持ちになっているように思う…

どうしたらもっとうまくいくんだろう…

子供可愛いけど、それだけで解決するほど簡単じゃない。難しい。

2017-09-10

野営と犯罪に巻き込まれリスク

anond:20170905164322

から依頼があり、手伝いとして野営をした際に気づけたのですが、拠点としている野営場で利用するトイレ環境が悪く、女子スカウト犯罪に巻き込まれるのではないか懸念しました。

野営場は大通り住宅地に隣接している広場です。

一般市民の往来が適当にある場所ですが、トイレテントを立てるスベースから離れた、道路に一番近い所に在り、死角が多数あります。悪意のある者が、定期的に野営があること、女子スカウト存在に気づいたら思うととても怖いです。

相談したとてどうにかなる事柄とも思えません。

夜中に誰かを起こして付き添ってもらうような事は出来ないと子供は言います

2017-09-05

大学生の頃にインターネットで知り合った人と会いまくっていて、ネットで知り合った人の家に入り浸ってごはん食べさせてもらったりPCゲーム借りて一日中やったり、そんなどうしようもなくてしょーもない日々を過ごしていたことがある。

その時期に出会った同じ大学同級生がいた。まるで双子の半身のように思える人だった。

同じ大学はいえ広い大学で、学部が違ったのでインターネット上で初めて知り合った。大学三年生で、Twitter流行りだした頃だった。相互フォローだった。初めて会った彼は人好きのする顔をしていた。人によってはイケメンと言う。案の定地元に付き合って長い彼女がいた。

ちょうど大学の歓迎祭の時期で、彼が出るというバンド演奏を見に行った。知らなかったけれど、好きな系統アーティストコピーバンドだった。ドラムを叩く彼のことを少し好きになった。バンドドラムが一番格好いいと思う。大物の武器を持ったキャラクターが好きなのと同じ気持ちかもしれない。

だらだらとTwitterリプライを交わした。だめな大学生だったので時間無限にあった。タイムラインにはりついて深夜まで過ごしているといつも彼もツイートをしていた。みんなが寝静まって人の少なくなったタイムラインで、彼とリプライをつけずに会話した。夜更かしが好きなんだと彼が言う理由が同じだと良いなと思った。

彼は悪く言えば女々しい、女の子みたいな中身の男だった。インターネット上でもちょいちょい性別を間違われていた。逆にこっちは男に間違われてまくっていた。まるで世界はうまく回っていない。逆だったらよかったね、って言い合った。

だめなところが同じだった。まるで自分のようにどこまでも同じだった。自分に甘くて、そんな自分が嫌いで、だけれどもそれもひっくるめた自分のことが少しだけ好きだった。精神性が似通っているものから、このころ、互いのことを双子と呼びあった。自分自身を慈しむようだけれど、だめなところも全ていとおしく感じていた。半身のように大切だと思っていた。

夜中に彼の家の近くまで散歩して牛丼屋に行ってふたり牛丼を食べた。前にバンドで聴いたアーティストCDを借りるという口実。CDを受け取ってから、夜更けの人気のない大通り交差点で、車止めに腰掛けてだらだらと喋り続けた。借りた3枚のアルバムの、そこに入っていた曲だけをいまだにずっと聴いている。あまり音楽を聞かない人間から、そのとき久しぶりに好きなアーティストが増えた。夜ってだけで楽しい。二人でこのまま時を過ごせたなら。そんな曲が入っていて、なんとなく重ね合わせてみたりもした。

それとは別だけれど、特別に、彼のことを思い出す曲がある。あの日彼が叩くドラムで聴いた曲。彼にとっては好きなアーティストの、演奏するくらいだからわりと好きな方の曲なのかもしれない。だけれどもきっと、たぶん、それだけなのだろうと思う。こっちが勝手に彼のことを思い出す曲だと思っているだけで、彼にとってはそうでないことが少しだけ悔しかった。

あのままふたりで甘く腐っていくような時間を過ごしていく選択もできたと思う。もう少しだけ人生に諦めがついていたら、そうしたかもしれない。大学三年生、やれるとしたらあの頃しかなかった。その最後選択肢を選ばなかった。まだ彼には、地元に残してきた彼女がいた。

数年後、Twitterアカウントを消してから疎遠になって以来久しぶりに会った彼は地元彼女とはとっくに別れていて、知らない女の子ともうじき結婚するのだとビールを片手に話していた。それが数ヶ月前の話、だから確か本当にもうすぐ結婚式をするのだと言っていた気がする。

ありがとうさようなら、おめでとう。いろいろ言いたいけれど綺麗にまとめるのもなんだか違う気がして複雑だったので、こっそりここに置いておく。

彼とつるんでいた時期のことを思い出すとあまり大学生らしくエモく退廃的な日々で、思い出すほどにこうしてポエム無限に出てくる。ともあれ、徹夜明けの朝みたいに、ろくでもない日々だった。

2017-08-14

空き缶集めホームレスリアルIngressプレイヤーなのでは?

資源ごみの朝に空き缶を大量に集めてる人をたまに見かける。

いったいどういうルートで回収し、どこに持っていくのか気になったので、後をつけてみた。


が、結論から書くと、歩く距離が長すぎて途中で断念した。

自分の住んでいる付近をぐるぐる回って集めているだけかと思ったが、そうではなかった。


自分尾行を開始したときには、手押し台車に大量の空き缶が積まれ、もう回収はしていなかった。

後は空き缶を換金する工場自分の住処に戻るのかと思って後をついていったが、全然たどり着かない。


空き缶を集めていた彼は、大きな台車ゆえに、途中で何度か狭い通路で車の通行の妨げになりながら、大通りから一本横の、車の通行が少なめで

自転車や通行者が多い道を特定の方向にひたすら歩き、5~6キロ歩いた。もう既に駅を4個くらい通過した。

途中で雨が降ってきたので、諦めて帰った。


ここから推測できるのは、彼らは自分の住処周辺を回って資源を回収するのではなく、他の資源収集者と競合しない地域を探し、

特定曜日に湧く限られたリソースを回収して回る、Ingressのようなゲームをしているのではないかということ。

空き缶というリソース資源ごみの日に各家庭の近くの回収所にリスポーンするが、競合となるゲームプレイヤーは多く、先を越されるともう回収できない。

競合が多い密集地域とそうでない地域があり、最寄りの地域縄張り争いに敗れると、遠くの未競争エリアまで毎回遠征する必要がある。


しか資源の回収状況はスマホの画面では確認することができず、自分の足で適宜確認ルート選定する必要がある。

言い換えると、資源が残っているかどうか、行ってみないと分からない、ということだ。

このように、情報が少ない分、戦略勝敗を分かつだろう。

2017-07-25

Aさんの件について:お金の話と妊娠時期

「なおやさんとの馴れ初めは2014年6月

私が五反田のあるホテヘル風俗嬢だったときのこと。]

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「直也さんからお金2016年6月10万円、2016年7月に5.5万円(タクシー代で5000円)で、以降現金はもらってません。」

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「8/5のことを書き忘れた。

この日は先日のやり直しでポケモンGOをしに新宿中央公園へ。

帰り道、新宿中央公園そばのマンション入り口公園のようになっているところのオブジェの影でセックスをした。

その後、焼肉DINING太樹苑で食事をし、そのまま大通りを歩く。

でもなおやさんは欲求不満だったようで、たびたび路地裏に入っては挿入できる場所がないか探していた。

そこで物陰に隠れて今度こそバックスタイルセックス。何度か人が通りそうになったがやり過ごし、一分ほどで射精した。

なおやさんは本気を出すと射精までめちゃめちゃ早い。※秒速アウトプット

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妊娠がわかったのは2016年9月初頭。中絶を予約したがかなり先になってしまい、7週6日目のある日に予約が出来た。」

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7月お金が少ししかもらえなくなり8月からゼロになった。

2016年8月5日青姦で二度出しして見事着床妊娠

2016年9月27日中絶手術。7週目6日

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お金がもらえない不満、なおやさんの独占欲が、お金の切れ目ときれいに繋がっている。

2017-07-23

そろそろはてブ使わなくなるかも

はてブホットエントリーに2ちゃんねるみたいな低レベル煽り記事ツイートが上がっていて、多数のブックマークがつく様を見ていると、なんか疲れるな、と思うようになった。

こっちが年を取ったからなのか、はてブの質が変わったからなのかはよくわからない。

からしょうもない記事が上がってくることはよくあったし、はてブがすごく質の高いサービスだったとか思っているわけではない。

それでも、技術系中心だった頃に比べると、「アニメゲームカテゴリができた影響で、オタク系の話題が増えていて、ユーザー層が変化したのは確かだろう。

アフィとかブログで稼ぐ、みたいな集団も張り付いたまま減らないし、スパムにまみれていて、すっかり2ちゃんねると同質の文化に染まってしまったように思える。

昔はひっそりとした裏路地にある居心地のいい店、という雰囲気だったのだが、大通り移転したことで、客層が変化して居心地が悪くなった、という事象に似ているのかも知れない。

はてブWEBサービスひとつしかないので、合わなければ使わなければいいだけなのだけど、長年使っているので、ついついこうして増田に何か書きたくなった。

2017-06-22

[] #28-2「超絶平等

俺はその日寝坊してしまい、学校遅刻しそうだった。

少し焦ってはいたが、それでも急げばギリギリ間に合うレベルだし、何より俺には打算があった。

いつもの通学路を途中で切り替え、大通りのある方へと向かう。

喧騒が煩わしくて普段は避けているが、そこの交差点を利用すれば余裕で間に合うのだ。

だが、この判断逆効果だった。

ちょっとそこのあなた。止まりなさい」

呼び止めてきたのは市長だった。

どうやら政策の一環で外回りしていたらしい。

市民に対するアピールも多分にあるのだろう。

市長は怪我でもしていたのか、杖をつきながらこちらに向かってくる。

しかし、なぜ呼び止められたのだろうか。

急いでいたとはいえ、交通ルールは守っていたはずだが。

二足歩行で歩くなんて、何て差別的な!」

「え!?

まりにも予想外な言葉に俺は面食らう。

差別的』ってどういうことだ。

「杖や車椅子での移動を余儀なくされている、足が不自由な人もいるのですよ。だのに、あなたは公の場で何も考えず悠々と歩いている」

理屈がこれまた分からない。

どうしてそれで俺の行動が差別的ってことになるんだ。

「えーと、あの、市長さん?」

「そして、自分のしていることにまるで無頓着だ。よくない、ああ、これはよくない、よくありませんよ、よくない、よくない、全くもってよくないよ」

まずい、市長こちらの話を聞かない体勢だ。

このままでは遅刻する。

俺はテキトーに話を合わせて、この場を切り抜けることにした。

「はあ、ではどうすれば」

「これです、わたしのやっている通り。杖をつくなり、車椅子に乗るなりしなさい」

市長は杖を差し出してきた。

俺は引きつる顔をさとられないように手で覆い隠しつつ、もう片方の手でそれを受け取る。

「どうです。これで多少なりとも“理解”は深まることでしょう」

「そうですね」

「これからもそうやって移動するように」

恐る恐る杖をつきながら、市長から逃げ出すように歩き出す。

周りを見渡すと、他の人たちも似たような様子だった。

俺は市長のやっていることは理解に苦しむのだが、みんな何も言わないで従っている。

奇妙な光景だと感じるが、それは俺が差別主義者だからなのだろうか。

結局、学校遅刻した。

(#28-3へ続く)

2017-05-18

今日見た夢

夢の中で私はアフリカ黒人少年だった

貧しくて身体は痩せ細っていた

学校に行こうとするが、住んでいる村から学校までは遠く

公共交通機関も整備されていない

大通りに出て、ヒッチハイクの要領で学校まで乗せてくれる車を探す

無情にも通りすぎていく車

めげずに大きく手を振る

そして

ドガンッッ

大きな破裂音がしたかと思うと

自分の膝から大量の血が溢れ出した

その場でくず折れ、薄れ行く意識の中

走り去った車の運転席に

ゴミを見るような瞳でこちらを見つめる白人の男が見えた

2017-05-15

ネグレクト自己中心クソビッチストーカー実母のカス人間っぷりを書く

実母の糞っぷりを書いてみる。

「実母」という書き方をしているのは、これとは別に母親と呼べる人間いるかなのだが、母親については以前書いたので割愛


結婚する前~離婚するまで

旧帝大合格留年卒業

・中卒の子連れと出来ちゃった結婚

何考えてたんだろう

・両親から勘当

まあ、当然だよね。中卒相手にいい加減な興信所雇って、ヤクザかいう結果が出たから(興信所調査おかしい。いまでも謎)と勘当する連中も連中だ。

家事をしない

・家にいない

・殴り合いの夫婦喧嘩日常茶飯

DVだった父に問題があるのは確かだけど、実母は相当人を苛つかせる言動をする。

家にいないのも多く、当時2歳の増田が父にしがみついて「父親応援」をしていたこからも実母のネグレクトぶりが伝わってくる

増田を連れて家を出て逃走する

実母の糞っぷりが如実に表れた一件。「DVには耐えられないから出ていくしかない!子供は私に懐いてないけど、私が生んだ私の分身から連れていく!」という自己中心っぷり。見事にクズである

増田は家にあまりいない実母に連れられることを嫌がっていたが、「散歩に出る!」と言って力尽くで増田を連れて行った。

このとき父親は兄と姉を叱っていて、「散歩?とっとと行ってこいや!」という感じだった。


増田小学校に入る前後

まり記憶が定かではない時期を飛ばす

・夜は不在

実母は、旧帝大卒業して薬剤師免許を持っていたにも関わらず、医療関係を辞めて水商売で働いていた。男にチヤホヤされたかたからではないかと考えている。

・昼は寝ている

夜に仕事で酒を飲んでいればそうなる。

・夜は1000円札を机の上に置いて仕事に行く

1000円札を与えられた相手小学校1年生である

休日は男を連れ込む

・男と部屋で盛る

狭い1Kアパートで、小学校1年生が寝ている隣でである

増田休日特に何もしない

日曜日、朝起きて台所にあったリンゴを食べて、外に出る。クラスメートが家で家族と過ごしている中、一人でふらふらするのは辛かった。実母が両親との付き合いでもあったら多少はマシだったかもしれないけれど、勘当されているので。

・たまに料理をする

美味くない。ちなみに料理をしたときに、増田が18時くらいに帰るとキレる。「うちは17時半には晩ご飯から」とかなんとか。お前基本は作ってねーだろ。ていうかお前、仕事の時は何時に飯食ってたんだよ。


増田父親に引き取られてから

・何故か男を連れて増田の家に来る

何だったんだあれは。確か、増田父親と二人でいたときに、父親が連絡取りたがったか何かだったと思うけど、それで来るのもどうかしてるし、DVが怖いからとか言って男を連れてくる神経も謎。

しかも、②のときで連れ込んでいた男と違うし。

弁護士を挟んで調停を起こす

裁判調停の違いがまだ分からない中学生にとって、大嫌いな実母が裁判所に訴えたという事実のショック度合いの大きさは分かるだろうか。それも中学三年生の11月、受験勉強最中である

増田大学学費用その他と引き換えに、定期的に会う約束を取り付ける

これも確か父親から提案だったと思う。上記の三年後。その話を進める途中で、父親に連れられて増田バイト先に来るという糞っぷり。バイト先に親が客としてくるってだけでもクソランキングとして上位なのに、それが、長らく会っていなかった実母っていうのが最悪にクソ。

増田掲示板書き込みを探し出し、監視する

気持ち悪い。ちなみに、「分かった、もう見ないから」と言ってからは、別の掲示板の別HNのもの(元々の方で明かしていたので、片方が分かれば探すのは割りと容易)を監視していた。「だってそっちは見ないって言ってないでしょ?」というクズっぷり。

増田夢物語を語り始める

これが最高にクソ。「増田をあのまま育てていたらピアノを習わせるつもりだった」「猫を飼っていたら増田が出て行くって言わなかったのかなあ」等々。まず、子供を育てるのにふさわしい環境を形だけでも整えた気配を見せてから言え。

増田にこれから展望を語り始める

これもクソ。「家を買ったの」「増田大学生になったら一緒に住めるように一人暮らしだと少し広い家だから」等々。ちなみに、普通に男との巣になっていた模様。ていうか、何でてめーの家から通える大学に進学する前提なんだよ。

増田説教

会うことがものすごく不愉快だった増田が、嘘をついて金をせしめまくったことに対して、「人に信用してもらうなら、まず自分が信用してもらえるようにしないといけないでしょ!」小学1年生の子供のいる家に男を連れ込んでいた女が言うセリフではない。

・「こっちは鬱なんじゃ!!」と電話口で怒鳴る

ちなみにセンター試験2ヶ月前である受験邪魔しかしないなこいつ。


増田大学進学してから

・「食料を送るから!」と言って、カップ麺ばかり送ってくる

「お湯を沸かすんだから自炊でしょ?」という言葉は衝撃。

大学保護者欄に自分名前がないことで発狂

「金を払ってるのは私だぞ!!」とキレる。少し詳しく説明

増田東北地方大学に進学して一人暮らし保護者には父親名前記載費用は実母が払うと③の時点で決めていたので、実母の口座から引き落としとしていた。

何かがきっかけで、実母が大学に問い合わせ。保護者として登録されていないので断られる。

「金を払ってるのは私だぞ!父親と並べて私を保護者欄に記載しろ!!記載しないなら、学費は払わない!!」と、大学にキレる。

この出来事を、増田は当時一切知らなかった。なぜなら、実母が大学に「増田には一切知らせるな!不安になるから!!」などと詭弁を弄したから。

何故か大学もそれに従う。これ、実母が増田心配したのではなくて、増田が散々っぱら嫌っている実母にガチギレするのが目に見えていたかである

そして、2月。実情を知るよしもない経理処理の人が「こいつの学費全然振り込まれてないじゃないか、退学扱いになるぞ」と、増田葉書を送ってくる。増田はここで初めて事態を知る。ガチギレ。

実母にもキレたし、大学にもキレた。大学は「増田さんの学籍をきちんと大切にするために、言わなかったんです」とかなんとか訳の分からんことを言うが、「増田の進退に関わる事実当人に黙っているのは神経を疑う」という一言で黙る。

未成年に言い負かされてんじゃねーよ。

とにかく、実母の自己中心っぷりがよく表れた一件であった。

増田mixiを突き止める

増田ブロックする

震災直後、増田mixiアカウントに友人のアカウントからアクセスする

ブロックされているからといって、やることが陰湿である

震災直後、早朝に電話をかけるなどして、増田邪魔する

震災から2週間後、ボランティアに参加

増田の家の近所に行ったよ」などと報告してくる。「でも、わざと行こうとしたんじゃなくて、車の道を一本間違えてね、たまたまそこに行っちゃっただけなの」

増田の家は大通りからかなり離れているので一本の間違えようがない上に、一本間違えただけで偶然辿り着く場所ではない。

ちなみに、実母は車を長らく運転したことがなく、この数年前に軽を父親から譲ってもらっている。被災地まで数百キロ運転が出来る力はないし、数百キロ運転に適した車でもない。では、被災地まで来たのは誰の車だろうか?数百キロ運転をしたのは誰だろうか?はい、男でしょうね。50歳にもなってお盛んなのは引いた。


増田が働いてから

誕生日からとか言って電話をかけてくる

ちなみに、増田は実母から電話がかかってくると、過呼吸状態になって頭がパニックになり、怒鳴るしかできない。

箇条書きにしただけでもこの長さ。糞すぎでは。

2017-03-18

デモは少数者のための仕組みではないのか?

デモを行なう中で動員数を誇示したり、街中で大声で怒鳴り散らかしたり、大通りを塞いだりすることは、多数者でなければできないことのまさにそれであり、社会に生きる人々の自由闊達生活妨害しようとする行為であり、およそ投票に並立する民主主義権利行使であるとは思えない。

デモとはこのような、議論否定しようとするものとは正反対のものであり、数がものを言う投票では示すことのできない、多数派とは異なる有用意見を持った少数の人々が自分の考えを発信する場であり、そういった有用意見政治に取り入れて民主主義を豊かにするための仕組みではないのか?

多分今まで俺が日本で言う「デモ」に違和感を感じてきたのは潜在的にこういうふうな考えをしていたからだろう

どうにか、ああいう風な「デモ」が続けられることも、デモ存在否定されることもなくなって、デモ投票に並ぶ民主主義の柱として根付くようになってくれればいいんだけどな

意見お願いしま

2017-03-17

価値観が異なる人と海外旅行をして疲れた

年齢は27歳(A)、26歳(自分)、25歳x2人(B, C)の男4人でヨーロッパ旅行に行った。

自分とAが中心になって、半年からホテル飛行機の手配をした。

しかし、初日晩御飯から既に色々あって、全く旅行を楽しめなかった。

何を食べるか

私は、その土地レストランバールなど、現地のものが食べられたり現地人と交流できる場所に行きたかった。

一方、A, B, Cは、スーパーで買い物をしたほうが安いので自炊をすべきとの意見だった。

金額を安く抑えるためにドミトリー的なところに泊まったため、たしか調理器具は一通り揃っていた。

でも、「ヨーロッパ5泊7日、ホテル+航空機+鉄道」を9万円以下に抑えたのに、どこまで節約する気なんだろうか。

せめて一日くらい外食の日があっても良かったのではと思ったり。

結局すべて自炊になった。

無駄な買い物をする

AとBが買い出し・調理をやってくれた。が、頼むべきではなかったと後悔した。

やけに大量に買い込む。

レシート確認すると一人20ユーロくらい買い込んでいる。

そんだけあれば普通にどっか食べに行けた気がする。

絶対に食べきれないほどの量や、食いたくないようなゲテモノを買ってきて、私やCに食べさせようとしてくる。

何故か全ての食品が開封され、半分近くが捨てることになった。

キッチンの使い方が汚い

油が壁に飛び跳ねまくっているのに気にしない。

調理器具本来用途と違う、器具が傷むような使い方を平気でする。

誰も食器を洗わない

自分最初に就寝したので、ダイニングを離れる際に自分食器と、流しにおいてあったフライパン等だけ洗って先に寝た。

彼らは自分たち食器を机の上に放置して寝たらしい。

翌朝起きて食卓惨状を見て気が滅入った。

私が洗うように促すと「お金払ってるから清掃の人がやってくれるよ」と言われた。

結局、そのまま放置することは私の心がいたんだので、食器は私が洗った。

ついでにコンロ周りの油ハネとかも拭いた。

その間ずっと彼らはテレビを見ていた。

Aからは「お前は真面目だなあ」という言葉をもらった。

調理器具の破損

調理器具を一部破損させてしまったことが発覚し、チェックアウト時に修理費用を支払うことになった。

友人たちは「ホテル側がいちゃもんつけてぼったくってるだけでは」と最後まで納得していなかった。

それならスタッフにそう言えばいいのに、指摘するだけの英語力を持っていないA, B, Cは何も言わない。

ホテルスタッフとのやり取りは全て私がやった。

最後に「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」をスタッフに伝えた。

私も英語ほとんど話せないが "Sorry for our trouble" と言ったら何となく伝わったようだった。

A, B, Cは特に何も言わなかった。

歩くのが早い

彼らは先に進むのが早い。観光地でも。

特にAは待たずに先に行く。本人曰く「そこに行ったという『実績解除』が重要」らしい。

BとCは観光に飽きても一応私を待ってくれていた。

待ってくれてはいたが、そもそもどこに観光に行くかは一緒に決めたはずなのだけど。

結局後輩に気を使わせないように、見学もそこそこに先に進むことになってしまった。

その他

晩御飯関係特に印象に残ったが、他にも色々あって、あげだしたらキリがない。

  • A、移動中の特急列車で、ボックス席の対面の席に足を載せる。靴を脱いだからといって、座るところに臭い足を載せるのはどうかと思った。
  • A、4人がけボックス席だと満席で対面の席に足を載せられないからという理由で、他の空いているボックスを一人で占領。せめて電車が混んできたら止めてほしかった。
  • A、一人で別のボックス席に座っている状態で、荷物放置して爆睡。スられたらどうするのかとこっちがハラハラして、結局私が荷物を一箇所にまとめて監視していた。
  • AB、バス電車無賃乗車。「怒られたら切符を買えばいい」らしい。事実、バレることはなかった。彼らは、賢く旅行ができた、と言っていた。声が大きい割れ厨みたいだな、と思った。
  • C、道端につばを吐く。唾吐きが法律禁止されている国ではなかったが。
  • BC日本語は誰にも通じないからという理由で、大声で「あの子可愛いヤリたい」とか「あいキモいゴリラかよ」などの会話をする。
  • A、5分で見て回れるおみやげコーナーで30分以上悩む。私, B, C, 足止め。
  • Bが使った後の洗面台や風呂場に毛が落ちている。目立つ共用スペースくらいは綺麗にしておいてほしい。
  • A、街灯の無い夜道を深夜に歩く。私, B, Cは危ないから遠回りだけど大通りを通ろうと言うも聞き入れず。結局、何もおこらなかったので「心配しすぎだ」とAからからかわれる。












書き出してみると、Aが特にひどい。

Aが今も実家暮らしていることが関係しているかもしれない、と思った。

偏見かもしれないが。


まとめると、

非常識な行動(だと私が感じる行動)を取っている人たちと一緒に行動しなくてはならないことが辛かった。

なんだか、すごく損をした気分になった。


一方で、世間一般では彼らの行動は常識範囲内なのかもしれない。

私が自分価値観を彼らに押し付けて、思い通りに行かないかイライラしていただけなのかも知れない。

そんな自己嫌悪のような事を帰りの機内で延々と繰り返した。


追記

旅行行く前に気が付かなかったのか」の質問に関して。

全く気が付かなかった。

逆に、今考えてみると、思い当たる日頃の言動がいくつかある。

例えば、Aとご飯を食べに出かけると、メニューを見る前にオーダーボタンを押して店員を呼ぶ癖がAにはある。

A曰く「呼べば決まるっしょ!(呼んだら店員が来るまでに否が応でも決めざるを得なくなるからすぐ決まるっしょ)」とのこと。


あと「おみやげコーナーで待たされるのと観光地で待たせるので等価交換」というコメントをみて気がついたこと。

お互いに待たせる・待ってもらう関係なら等価交換になるんだけど、向こうは一方的に人を待たせるくせに待ってくれない。

同じようなことは色々あって、結局、

(こっちは向こうの価値観にあわせて譲歩してあげてるのに、向こうはこっちの価値観にあわせて譲歩してくれない)

という考えが根底にあって「損をしている」と感じているのかもしれない。

追記2

伸びてて驚いた。

後出しになるけれど、この友人は全員数年来の付き合いで、国内旅行BBQなども一緒にやったことがある。が、これまでは余り問題になることはなかったので、

ブコメにもあったけれど「旅の恥はかき捨て方式で、気が大きくなったんかなぁ。」なのかなと自分も思っている。

特に海外で、周りの眼が気にならない環境なので。いや、本当は気にしてほしいのだが。


あと、本当に文字通り24時間一緒にいたので、色々な気になることが蓄積したというのもあると思っている。

BBQ24時間一緒にいるわけではない。国内旅行だって、一人になりたいなぁと思って旅館の外適当散歩したり、新幹線飛行機では寝ることだって出来る。


「別々に行動すればよかったのでは」の意見、そのとおりだと思います

一方で、彼らの旅行は、(これもブコメ引用ですが)「観光」ではなく「親睦」が目的だったので、

別々行動は彼らからしたら論外だったと思います

その辺もちゃんとすりあわせて置くべきでした。


ブコメ一人旅推奨派が多くて驚いた。

自分許容範囲が狭すぎることが原因な気もしたので、安易一人旅に逃げるのはどうかと思っていたが、そうでもないみたいで安心した。


ちなみに、過去に別の友人と行った海外旅行では、とてもすごく楽しく過ごせた。

その時は友人と価値観が同じだったので、すり合わせのコストを割く必要がなかったのだと思う。「超えちゃいけないライン」みたいな共通認識があった。

(もしかしたら自分がそう思っているだけで、友人側が大きく譲歩してくれていたのかもしれない)


あと、海外特に室内でも靴を履く文化圏)では、人前で靴をぬぐことは「臭い足を晒す」という意味で超絶失礼に当たるらしいです。知りませんでした。

追記3

すでに何人かの方が推測しているが、A, B, C, 及び私は全員大学時代の元バイト仲間。

ABCも含めこのバイトメンバーは非常に仲が良くて、半年に1回くらいイベント旅行BBQ花火、とか)を企画して集まってた。今回もその一環で、初・海外旅行だった。流石に社会人になって参加率は下がったが。

A, B, C, 私は、全員違う高校大学に通っていた。就職先も違う。

そういった文化圏コミュニティの差が現れているのかもしれない。

もしこの不和が、価値観の違いによるものだとしたら、一方的に指摘するのは押し付けしかないのではと思い遠慮していたが、一般常識的にAらの言動ヤバイということが確認できた。

今回のことでかなり失望したものの、そうは言っても友人は友人なので、今後は目についた点はきちんと指摘したいと思う。

それでも治る気配がない、自分が浪費するだけ、と思ったら、または指摘が原因で仲違いするようなら、それまでの関係だったと思って距離を置こうと思う。

2017-03-12

毒親持ちのシステムエンジニアSC合格するまで

こんにちは

私(♀)は今、北日本のどこかにある某システム会社システムエンジニアをしています

20歳就職し、今年で5年目になります

小さいときからパソコン電子工作が好きで、高校卒業後は情報系の専門学校入学しました。

飛びぬけて優秀というわけではありませんが、進学の推薦に困らない程度の成績は維持していました。

卒業がせまったときに進学か就職かを決めることになりました。

私子ちゃんの成績なら進学なんでしょう?」「私子は進学のほうが向いてるよ」と周りからは言われました。

私も進学したいという気持ちがありました。

親に相談したところ、母は「ダメとは言わない。進学するなら奨学金を借りてほしい」と言いました。

父は「四大を卒業した女はすぐに結婚して辞めると思われる。四大なんて女が行くところじゃない」と言いました。

父が言うならそうなのだろうと思いました。

奨学金を背負うだけの覚悟もなかったので、就職を選びました。

今のシステム会社入社し、同期の1人と一緒に運用系の部署に配属されました。

学生時代はCやJavaの基本について学んではいましたが、その部署ではプログラミングをすることはほとんどありませんでした。

代わりにLinux,TCP/IP,ネットワーク構築の技術が求められました。

LinuxTCP/IP,ネットワーク構築は初めて見る知識で先輩が教えてくれる業務をこなすの必死でした。

一緒に配属された同期は性格の明るさと器用さでどんどん仕事を覚えていき、私と差がついていくのがわかりました。

のし我が家

同期と差がつけられるのが悔しかった私は、勉強をはじめました。

とりあえず応用情報(AP)を取得しようと思いました。

基本情報学生時代に取得済み)

そのころ、我が家祖母介護めぐりよく父と母がけんかしていました。

母が「殺せ!殺せ!私を殺せ!」とはさみを持ってよく叫んでいました。

私と弟が母親をよく羽交い絞めにして止めました。

祖母は、父に対しかなりの毒親っぷりを発揮&クソトメであったため、介護も大変だったようです。

家族喧嘩を見つけたら止めなくてはいけなかったので、

喧嘩を見なければいいと思った私はよく図書館勉強していました。

その秋のAPは落ちました。

パワハラおばさんとの出会い

配属されて1年ほどたったころ、私はある女性40代、既婚)の下で働くことになりました。

ほぼ男性部署で、私が入社する前は部署唯一の女性でした。

以下おばさんと呼ぶことにします。

「なぜわからないの?」「かんがえたの?」「もう1回調べて」とよく言われたので、言うとおりにしました。

厳しいなぁと思いましたが、私の成長を思ってしてくれているのだと思いました。

自分なりにがんばってみるものの、つき返される日々がつづきました。

そのうちに、夜眠れなくなりました。

おでこにきびで埋め尽くされました。

出社前に嘔吐するのが日常になりました。

毎日倦怠感がありました。

仕事 がんばる 方法」「仕事 落ち込み 立ち直る」でぐぐることが多くなりました。

いろんなにきび治療方法を試したので、にきび治療に詳しくなりました。

元気出す系のドーピングアイテムにも詳しくなりました。(レッドブルからプラセンタまで)

ある日、おばさんが言いました。

あなたを見てるとイライラするのよ。あなたの成長なんて知ったこっちゃないのよ。さっさとやってよ。」

その後、うつ病と診断され、1ヶ月会社休みました。

うつ病になってから

我が家うつ病理解があるとは言いがたい家庭です。

土日出勤・給料未払いというブラック企業勤めの弟が居たので、相対的ホワイト企業勤めの私がうつ病、ちゃんちゃらおかしかったのでしょう。

夕食のときに、父が「会社を休むのなら学校にでも行け」といいました。

私はおもわず泣きました。

「飯がまずくなる」と父にしかられたため、自分の部屋で食べました。

休んでいる間の家族の目がつらかったので、1ヶ月で仕事に復帰しました。

「つらかったら半日で帰ってもいいんだよ」と上司男性、おばさんとは別人)に言われましたが、家に帰ってもろくなことがないので、定時まではたらきました。

そんな中、弟が交通事故で重傷を負いました。

弟は障害者手帳を持つようになりました。

弟の日常生活を、家族サポートするようになりました。

ある日、私が自分と弟の夜ご飯を作るよう言われていましたが

用事があり作りませんでした。

弟は帰るなり私を殴り、「なぜ俺の飯がないんだ」と叫びました。

さすがに理不尽だと思い親に訴えました。

母は「あの子やかんみたいな子だからね。すぐに沸騰するのよ」といいました。

その後親から弟にお叱りがあったようです。

弟は私に会うたびににらむようになりました。

親に言いつけたことへの報復が怖くて、夜は自分の部屋の扉に、机やいすでバリケードを作って寝ました。

一人暮らしをはじめる

APは5回ぐらい落ちました。

親の怒号や弟の報復におびえることな勉強できる場所がほしいと思いました。

実家暮らしで、うつ病趣味もなくなっていたので、お金はありました。

親は、一人暮らしをすることについては何も言いませんでした。

引っ越したのは大通り沿いの木造アパートでした。

隣の部屋のおじさんの声、車の音がうるさかったですが、親の怒号や弟におびえた日々に比べたら天国でした。

好きな時間にご飯が食べられる。

好きな時間勉強ができる。

好きな時間に帰ってこられる。

家事料理も楽しくて苦になりませんでした。

引っ越しからAPに受かりました。

調子に乗ってSCも受けたら、受かりました。

以上です。

2017-02-05

交通ルール守ってない自転車乗り多すぎない?

自転車趣味で、土日のロングライド以外も平日は自転車通勤してるが、大通り以外の信号守ってる人ほとんど見ない。

逆走・無灯火もゴロゴロ見かけるし、ピチパン履いた高いロード乗ってる人でも時々そういう人がいて悲しくなる。そりゃ車乗ってる人も適しするわ。

自転車の取り締まり強化とかアレって一瞬で終わったよな、なんだったんだアレ。

2017-02-02

コンビニで働いていた時のこと

わたしコンビニに務めていたときの話をします。

大通りに面していたのでお客さんもそこそこいるようなお店でした。

当時高校生だったので、だいたい夕勤か、土日は朝からシフトでした。

朝昼は店長が、夕方からは1人の社員さんが出勤していたので、いろいろと監督となって、ミスをしてもフォローしてくださいました。その社員さんがお休みの日は、バイト歴が長くてテキパキ仕事が出来る子(といっても高校生大学生ですが)が出勤して、社員さんがいなくても恙無く営業できるようにしていました。

1年くらい経った頃、その1人の社員さんが退職しました。

それでも、新しい社員を雇わず、夕勤の人数を増やして営業していたのですが、当時の夕勤メンバー高校生大学生しかおらず、しかも全員未成年で、仕事に慣れていない人もいました。

慣れていない人だけでシフトに入った時、マニュアルにも書いてないようなことをお客さんに聞かれてわざわざ店長電話で聞いたり、その日の夕勤全員女子高生だったりすることも多々ありました。

コンビニという誰でも自由に出入りできるような所で、何か事件があっても対処できないような状況でよく営業していたな、と今更ながら思っています

話題病欠罰金みたいなことはなかったですが、そういう環境コンビニもあるということを知ってもらえれば、と思います

2017-01-28

交差点はいつになったら

せめて大通り駅前だけでも時差式にしてくれないだろうか

人と自動車が同じタイミングで動き出すのは無理がある

人身事故の元だし何より渋滞の元である

交差点はいつになったら

せめて大通り駅前だけでも時差式にしてくれないだろうか

人と自動車が同じタイミングで動き出すのは無理がある

人身事故の元だし何より渋滞の元である

2017-01-20

大通りヘップバーン

約 596 件 (0.35 秒)

”小躍りヘップバーン

約 81 件 (0.35 秒)

阿波踊りヘップバーン

約 155 件 (0.37 秒)

2017-01-14

[] #12-2「自由大国

「ん? なんだこれは、デザインを見ても何の商品か分からないな」

ウサクが気になってガイドに尋ねると、俺たちの考えているものとは違う意図で話を展開させてくる。

最近は錠剤タイプが人気なくなっているんですよね。やっぱり吸ったり注入したりしたほうが実感湧きやすいのか」

近くにいた店員も、その話に追従する。

貧困さ。貧困が原因だよ。相関関係だとか因果だとかは知らないけれども、きっと貧困が全ての元凶なんだ」

要領は得ないが、どうやらこれは薬品らしい。

気になってそのパッケージを手に取り、裏面に書かれた成分を確認する。

「……麻薬!?

麻薬一口に言っても多様ではある。

だが、悪い意味ポピュラー名前がそこには羅列されていた。

まさかと思い、近くに並んでいた他のパッケージも調べてみると、ほとんどが危険麻薬だった。

なんでこんなものが、こんな大通り雑貨屋に堂々と売っているんだ。

もしかして……この国では合法なのか?」

ウサクがぼそりとつぶやく

それに対するガイドの答えは予想の範疇ではありつつも、俺たちはそれでも驚愕せざるをえなかった。

「ええ、合法です。というより、『合法』と表現するのも変な話だけれども」

俺たちの理解が追いつかないまま、ガイド説明を続ける。

「ああ、でも推奨はしていません。それでも買うなら自由ですが」

ちょっと待て。推奨していないのに、なぜそんなものを売る?」

戸惑いを隠せない表情で質問をするウサクに対して、ガイドは屈託のない表情で答えた。

「そりゃあ、“個人自由”だからですよ」


その店を出て、その後も宿までの道中にある店を回ってみたが、当たり前のように麻薬が出回っていた。

自分たちの国では違法とされるものが多く市場に出回っている。

その国には、その国のルールがあるとはいえ、俺たちはどうしても訝しい気持ちがくすぶっていた。

それが一番最初に爆発したのは、やはりというかウサクだった。

「なぜ、こんなもの規制禁止もされていないんだ」

ガイドの人はまるで言われ慣れているかのように、やれやれと言った反応をする。

「この国が“個人意思”を尊重しているからですよ」

(#12-3へ続く)
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