「三回忌」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 三回忌とは

2019-06-09

anond:20190608204005

分かるよ。

でもな、死んでからも、それなりの葬式を出して、

四十九日法要を上げて、お寺やお墓に納骨なりして、

1周忌を上げて、三回忌をやって、、、十三回忌の法要を上げる頃に

ようやく、こうするしか無かったんだよな、

と、しみじみ思えてくるよ。

2018-04-27

自宅で看取るのが自分には辛かった話

父方の祖母が亡くなって数年経つのだけれども、未だに亡くなる前夜のことを忘れられなくて軽めに死にたくなったりするのでとりあえず書いてみようと思う。

一人暮らしで、痛いのずっと我慢して、病院に行った時にはもう手遅れだったんだよ、癌だった。みんなに心配かけるからってずっと痛いの我慢して、結構怒っちまったんだ。なんで言わないんだよって、でもまあ分かるんだよね。そんで困ったみたいな顔でニコニコしてる、わたしのおばあちゃんはそういう人でした。

そこから結構頑張ってくれて、もしかしたらもう癌なんて嘘みたいになくなってて、わたし風邪引いて熱出して一週間くらい寝込んだ時にうどん作りに来てくれて部屋まで運んでくれたりなんかして、この先あと五年くらい穏やかにいつも通りに生きてくれるんじゃないかなって思ってたんだけどそうはいかなかったね。

煮てくれたうどん食べてわたしが復活したのと入れ替わるくらいのタイミングで体が動かなくなっていった。

おばあちゃんは大抵一階のリビングにいつもいたのね。自室は二階にあって、足腰鍛えなきゃって言いながらいつも自分で登っていってたんだけど、それができなくなって、階段に座って一段よじ登って休んでまたよじ登ってを繰り返さないと上の階に上がれなくなってた。

おばあちゃんちの一階を身内が自営業店舗として使ってるもんで昼間は常に誰かしら家にいたことと、別の身内に医療従事者がいたおかげで、在宅で最期まで生活していくためのサポート体制が幸いにも整ってたの。それで介護用のベッドを二階の部屋に置いて、みんなで昼夜交代ばんこでお世話しながら亡くなるまでの二ヶ月くらいずっとそこで生活するようになった。

ベッド導入してからほとんどそこから動けなくて、もうだいぶ食べれる量は少なかったんだけどそれからさらに少なくなり、起きてる時間が短くなり、大好きだった肉も飲み込めなくて、食べられたと思ったらお腹が張っちゃって苦しんで(大腸ガンだった)、時季には早いスイカちょっとなめて美味しいねってニコニコして、そのうち一番美味しいのが冷たくひやしたお水で、ってなって、亡くなる一週間前くらいからは一人じゃ立ち上がれなくなるくらい衰弱しちゃったの。

それをみているのがとても辛かった。最期まで家に居てくれて、ずっと一緒にいることができたのはすごく嬉しいことだったけど、大好きな人がどんどん弱っていって否応無く死に向かってる姿を見続けるのがとても辛かった。夜になると誰か一人家族がついてるようになんとなくしてて、そんで夜になるとなんかさ、色々考えちゃったりするじゃない。わたしはこの人がわたしにしてくれたことを何一つ返せないまま、逝かせてしまうのだなとか、ずっと死なないで生きててくれてると思ってたなとか、考えたってどうしようもないんだけどそんなことばっかり考えてた。

それで、亡くなる前日の夜、わたしが夜のお当番の日だったから、おばあちゃんち泊まって部屋にずっと一緒に居たんだけど、なんかもうすごい苦しそうだったのよ。そんなに苦しそうにしてることがそれまでなかったってくらい。呼吸するときの音がすごくて、たぶん痰が喉に絡まっちゃってそれで音が立ってたんだと思うんだけど、風の強い日の外みたいな音がするの。で、まぶたを閉じるための筋肉が弱くなっちゃったのか、その辺分からないんだけど、半目みたいな状態になってて、口もポカンあいていて、なんか、こんなこと思いたくないって思いながら、今まで大好きでずっと一緒にいた人が、突然知らない生き物になってしまったような気がしてしまって、そうしたらもう怖くて怖くてたまらなくなった。

そんで、わたしバカだったから、家族の誰かに助けを求めるとか、そういうことを考えつかなくて、わたしが当番なんだからわたしがこの夜を乗り切らなきゃいけない、朝になったら父がこっちに来てくれる、それまで我慢しなきゃいけないって思ったんだよ。我慢しなきゃいけないって思っちまったんだよなあ。我慢だよ我慢。そんなこと思いたくなかったっていうか、そういうことを大好きな人に対して思ってしま自分発見してしまって吐きそうになった。

辛いのはお前じゃなくてばあちゃんだろって。思うように頑張ったんだけども、どうしても恐怖が拭えなくて、そのうちおばあちゃんの顔も見られなくなっちゃって、同じ部屋にいるだけで震えが止まらなくなってしまって、逃げちゃったんだよな。部屋から逃げて、階段のフチにすわって、現実逃避みたいに友達ライン爆撃して、朝まで震えてた。

部屋から呼吸してる音は聞こえてくるから、ああまだ生きてる大丈夫だ、って思って、確認しに部屋に行きたいんだけど、おばあちゃんの顔を見るのがどうしてもどうしてもできなかった。部屋に向かおうとすると足が震えて呼吸が乱れんの。何があんなに怖かったのか分からないのだけど、今これを打ちながら、思い出してちょっと震えている。死んでいく人の姿を見るのが初めてだったから、それで怖かったのかもしれないなと、今は思うようにしている。

呼吸が苦しくて、でも頼りの孫は自分をほっぽって部屋の外に行ってしまって、そうして自分が死に向かっていて、こんなのは想像しかなくてもしかしたら意識なんかなかったのかもしれないけども、あの六時間くらいの間のことを思い返すと、今も眠れなくなる。

父が帰ってきて、おばあちゃんの部屋に入るなり、『(医療従事者の親戚)に電話しろ!!痰が詰まって溢れてる!!』って怒鳴って、そのときのもうなんか、自業自得っつーか、わたしがやってしまたことなんだけど、絶望感。それと父がちゃんと状況を回すことのできる人間として機能していて自分の役目がなくなったことに対する安心感。それがものすごかった。

結局そのあと母とその医療系の親戚が一時間くらいで来てくれて、わたし申し訳なさとか情けなさとか、おばあちゃんは勿論なんだけどそれと同等くらいの父に合わす顔のなさとか、色々ないまぜになって、ずっと一階のリビングで項垂れてた。わたし以外の三人がずっとお世話してて、それで、9時ごろになって、お母さんがオムツ替えようとしたときに、おばあちゃんは亡くなった。

亡くなったこ自体わたしのせいじゃないしそもそも意識はなくなってたはずだよ、人が死ぬってこういうことだからあんまり気にしないで、って医療系の親戚が慰めてくれたんだけど、なんかもうその夜のことが未だにフッと蘇って、どうしようもなくなるときがあるんだよ。

わたし、おばあちゃんとサヨナラするときには、ちゃんありがとうって伝えて、大好きだ、またいつか会おうねって伝えようってずっと思ってたけど、そんなこと言えなかった。二階で母親が『おばあちゃん様子がヘン!!』って叫んだとき、すっ飛んでって、「ごめんなさい!」って叫ぶことしかできなかったんだよ。最期謝罪なんて聞きたくなかったろうな。どうしよう、自分のせいでおばあちゃんが死んでしまう、それしか頭の中になかった。

こんなはずじゃなかったんだよ。そんで、もしかしたら、入院してたなら、こんなことにならなかったんじゃないか、とか最低なことも思ってしまう。痰の吸引ってされる方はすごく辛いって聞くけど、少なくとも自分がずっと可愛がってきた孫が、自分が喉に痰をつまらせてるのを見捨ててどっか行っちまうなんてこと体験させなくて済んだんじゃねえかな(そりゃそうだ)とか思っちゃうのよ。

そういうわけで、昨日の夜もハッと思い出して眠れなくなったので、文章に起こして懺悔にしてみようと思った。もうすぐ三回忌なんだ。ホント合わせる顔がねえ。でもおばあちゃんは、バカだね〜そんなわけないじゃん〜、ってケラケラ笑ってくれるような人だった。分かんないけどね、もしかしたらメッチャ恨まれてるかもしれない。そう思う方が楽なんだな。でもあの人はそういう人じゃなかった。どこまでも自分本位だけれど、ちゃんと会って謝れる機会がもうないってとてもしんどいわたしはおそらく一生死ぬまで、この夜の記憶を引きずって生きていくんだと思う。自分との折り合いがつかない。そしてもうこれを家族の誰に言うこともできない。おばあちゃんの死に対して、みんながみんな思うところがあるわけだから自分でどうにかしないといけないんだよなあ。

2017-10-29

今日は村で三回忌の家があったのでおすそ分けとしておやつコンビニ袋一杯分いただいた

とってもハロウィン気分になったわ

2017-08-10

まとめサイト大好き?大嫌い?

つのページのはてブコメント比較するツール

http://fut573.com/compare/?url1=https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20151101150210&url2=http%3A%2F%2Fblog.livedoor.jp%2Fdqnplus%2Farchives%2F1935476.html

上:まとめサイト日本を滅ぼす はてな匿名ダイアリー

下:元SPEED上原多香子自殺した夫の遺書公開で「俳優との不倫」発覚 - ライブドアブログ:痛いニュース(ノ∀`)

b:id:T_Tachibana

実名ヘイト垂れ流してくれた方が、リアル関係フェイドアウトしたり、時にリアル社会で叩き潰して排除するのに役に立つお(^ω^)

これだけの文章夫婦の間の事なんて分からないよ。ただ夫婦どちらかの不妊が分かり、かつ双方が子供を持つ事を強く望んでいた、というシチュを考えると、どちらもつらかっただろうな、と思うよ。

b:id:yoiIT

引用元が同じでも、まとめ方でいかようにも情報操作できるから自分で考えられないやつは騙される。

これ、今井絵理子がやらかさなかったら表出ることなかったんじゃない?

b:id:solidstatesociety

箇条書きの日常感と、「皆「まとめ」を見ている。」からの終末観。

四天王シリーズみたいな展開

b:id:shufuo

年寄りからするとだいぶマシになったなって感じはする。統計とかじゃないけど。少なくともネット以外で差別的なことは表向きできなくなった。昔は職質受けて朝鮮籍だってだけで任意同行求められたりしたんだよ。

いちおう元記事読んだけど、三回忌を忘れたんだろうな。亡くなる前というよりも亡くなった後のことのように思える。

b:id:luxsuperpoor

松本サリン事件など見てると従来からメディア責任とかそんなに変わんない気がするんですがね。変わりましたかね。

真偽は知らんが、呪いだよこりゃ…(´・_・`)

b:id:mouseion

保守速報などは自分責任で纏めてる訳だから著作権云々で問題になれば管理人責任を負うのは当然で、ライブドアなどはブログ提供してるだけで責任は問われない。なので裁判したきゃバンバンすればいい。

SPEEDスピード不倫してスピード自殺してスピード遺書公開でゲス不倫が早速バレたって?流石は沖縄出身アイドルだけあったな。

b:id:RM233

それっぽい知り合いは1人だけいるが、確かに生の人間まとめサイトオーラを出して目の前で話すのは怖かった。

なんというか今年は有名人不倫への復讐方法に関するサンプルがたくさん増えた年だな。

b:id:shea

いや、でも確かに、嫌韓嫌中を平気で実名で書くやつとかFacebookにもいるし引くよね。あと、軽くペドカミングアウトとか…。ネット脳だとは思う。

自殺するほど心病んでる人が、証拠なく不倫を語っても、7割くらいしか信じられないというのはある。証拠欲しいところ。

b:id:hazardprofile

普通の人かと

ええええそうですね.いじめられた子がすべて自殺するわけじゃないし.自殺するような心病んでる子供遺書いじめ判定なんかできませんよね.

b:id:spmilk

差別に関しては今も昔もする人はしてるよね。学生の時から大人になっても自分が変だと思ったなら、自分の中の変な人フォルダにぶち込んで気まぐれに知人と共有して笑いものにしたりとか。

種無しで子供ができない事を理由不倫したのか

b:id:htnmiki

ネット免疫ない人にまでまとめサイトが届くようになったのがアレなんだよなあ

モテいからわからないけどモテる人が浮気しないのって無理なんじゃね

b:id:kibarashi9

日 本 滅 び な い よ う に 、 ま と め サ イ ト は う ん こ っ て 叫 び 続 け な い と ね 。

い い な あ 。

2017-02-03

Facebookに一件の新しい通知があります

本日はお友達の命日(三回忌)です。

2016-06-22

KENSHIN

先日、母親叔父三回忌に向かう途中、某人気戦国武将を祀る神社近くのコンビニに寄った。

もっとも、神社に用があったわけではなく、ただ小雨が降り始めたので、念のためにビニル傘を買おうとしていただけだった。

イケメン武将を祀る神社の前には、歴女ないし腐女子的な女性散見され、殿様のお陰で地元経済が潤っていているな、と実感する。

傘を買い終わり、ふと道を挟んだバス停に目をやると、冴えない容貌若い男女の姿が目に入った。

典型的オタクルックで痩せぎすな男と、似たような服装肥満体の女。この女性歴女腐女子だろうか。

最初他人同士かと思ったが、互いに談笑する様子を見ると友人同士かもしれない。

いや、女性が口をつけたペットボトル男性にも勧めていたので、どうやら恋人同士のようだ。

自分はそろそろ40歳近いが、結婚どころか交際経験すらない。若い頃は悩むこともあったが、最近は悩むことすら少なくなった。

から、失礼な言い方ではあるが、お世辞にも見てくれが良いとはいえない男女が仲良さそうに談笑をしている様を見て、

何年かぶり嫉妬、あるいは劣等感のような感覚を覚えたことは間違いない。なぜあいつらに出来て、俺はダメだったんだ?

かつての俺は努力はした。外見も磨いた。色んな手を尽くして出会いを求めた。だが、誰ひとりデートの誘いすら承諾してくれなかった。

誘いを断ったある女性に、思い余って理由を尋ねたことがある。もううんざり、と吐き捨てるような声で答えられた。

「魅力を感じないんです、人として」。 そこで心が折れた。すべて諦めた。

女性が去った後、自分は地べたに這いつくばって、駄々をこねる幼児のように泣いた。誰もいなかったのが不幸中の幸いだった。

ほどなく、そんな劣等感を笑い飛ばそうと、からかい半分に母親につぶやいた。「ほら、あんな見た目の悪い連中でも、恋愛しているんだね」。

母は答えた。「そうね。『為せば成る』のよね」。人差し指が遠くにかすかに見える「毘」の文字を指していた。

自分はその指先を見ないふりして、無言で歩き出した。

2016-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20160215172044

ネットに紹介されたり無作為に紹介されることを好まなかったマスター意向を知っていてかつそれを踏みにじる行為を死後も延々とつづけるのは相当恨んでいて、いまもその恨みは冷めやらぬのか。

あなた気持ちを満足させるのため店をダシにつかうのはこの一本目のボトルで勘弁してくれというストーリーをダシに踏みにじってみました、そして三回忌みたいな二度も三度も死体を蹴るような気持は、よくわからない。

2016-02-15

「行きつけのバー」のススメ

「行きつけのバー」

男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。

僕が手に入れたきっかけは、なかなかに面白いものだった。


大学卒業後、某メーカー営業職に就職した僕だが、

とある日の外回り危機的な状況に陥っていた。


ヤバイ……。う○こしたい……下痢っぽい……」


夕方を過ぎ、最後訪問先に向かう寂れた商店街で、

僕は冷や汗をかきながらトイレを探していた。

しかし周囲はシャッターの閉じた店ばかり。

トイレを貸してくれそうな店はない。


(こうなったら路地裏でぶっ放すしかないか……)


そう思った時に目の前で店のシャッターを開ける、

年の頃60位だろうか、自分父親と同じくらいの男性がいた。


僕はなりふり構わずその男性に

すみませんお腹を下してしまって、トイレを貸してはいただけないでしょうか」

と、持ちうる限り最大限の丁寧さでお願いした。すると男性は、


「いいけど、なんか飲んでって。ここ、バーだから

と、真顔で答えた。


(この人、腹を下してる人間に何を言ってるんだ……)

内心、おかしな人に当たってしまった、と思いつつも、

しかし、この後まだ営業先に行かなくてはいけないので、

飲み物の代金をお支払する形ではダメでしょうか」と提案すると、


「じゃあ帰りに飲みに来て。ここはバーで、トイレじゃないんだ」

男性はそういうと僕を店内に手招きした。


(そうなると、僕は帰りにここに寄らずに、そのまま帰ることもできるのに、

なんだかとても変わった人だなぁ)そう思いつつ、トイレを済ませると、

「では、帰りに寄らせてもらいます」そう言って僕は店を出た。


訪問先の滞在時間が延びたこともあり、約束は覚えていたけれど

面倒だから帰ろうかなとも思った。けれど、ちょっと様子を見てみよう、

そんな気になって、僕は帰りにその店の前を通った。


ガラスがはめられたドアをそっと覗くと、

夕方男性が一人でカウンター内でタバコを吸っていた。

やはりというか、当然だが、この店のマスターだろう。

正直に言うと、その姿があまりにもカッコよく、様になっていて、

僕は無意識の内にドアを開けていた。


マスターは僕を一瞥すると、

あんた、変わってるね」と無表情に言った。

(それはあなたの方では……)と思っていると、マスターはグラスを出しながら続けた。

「寄らずに帰ろうと思えば帰れた。けれどあんたはここに来た。

あんたいい人だ。今日は店を休もうと思ったけど、開けてよかったよ」

そういって丸氷を入れたグラスにお酒を注いだ。

あんたがこの店で最初に飲む酒は、これが良い」

目の前に琥珀色より少しばかり深く落ち着いた、何とも美しい色のお酒が出された。


当時、酒を全く知らなかった僕は、とりあえず値段が怖くなり、

「お幾らですか?」と財布を出しながら聞いた。マスター

「俺は一杯飲んでけ、と言っただけで、金をとるとは言ってない

この一杯はプレゼントだ」と優しく笑った。


その後、僕はこのバーに足しげく通い、色々な人と知り合った。

マスターから見ればまだまだヒヨっ子だが、大人になり、

結婚もし、いつか子供とこのバーに行きたいと思っていた。


そんな矢先、マスターが亡くなった。

いつだっただろうか、常連達でしっぽり飲んでいた夜、

マスターが「なんだかインターネットに店が載ったみたいで、

『落ち着いたバーですね。僕好きです』みたいな若造が増えた

俺はそういう客は好かないんだ。機械による巡り合わせは好かないんだ」

と、愚痴っぽく言っていたことがあった。

僕も含め、何かしらおかしな巡り合わせでこの店とマスターと縁が出来た常連達は、

必死ネットを探し、掲載元に記事を取り下げるように頼んだりした。

けれど、大半のところは「言論(表現)の自由だ」と取り合ってくれなかった。

そんな中、マスターが暫く店を休むと言った。

今思えば、あの頃から体調が悪かったのかも知れない。

そのまま復帰の知らせのないまま、常連仲間からマスター訃報を聞いた。


告別式マスターらしい、参列者の少ないものだった。

会場には見覚えのない女性が2人いて、話を聞くと離婚した元奥様と娘さんだった。

マスター自分の話を全くしない人で、「俺は既に天涯孤独だ」と言っていたので、

我々はそれが本当だとてっきり信じていた。


火葬の待ち時間マスターの元奥さんと娘さんが

「これを渡すように、と言われました」と僕に1本の酒を渡してきた。

何でも亡くなる少し前に、マスターが2人に、僕に渡すように言付けたそうだ。

具体的な商品名は控えるが、某日本メーカーウイスキー(50年)と言えば、

分かる人にはその価値がわかると思う。何故こんなものを僕に、と混乱していると、

娘さんがバーで使われていた伝票を渡してきた。裏には走り書きの文字で、


「あの日のウイスキーあんたにあげる」


そう書いてあった。

ボトルはあの日僕が飲んだ一杯から、減っていなかった。

僕は涙が止まらず、大人げなくその場に膝をついて嗚咽した。


「行きつけのバー」

僕に人生とは何か、人付き合いとは何か、

大人になるとはどういうことかを教えてくれた、大切な空間だ。

男なら誰しもが憧れるだろうが、そう簡単には手に入らないソレ。

僕は今後の人生において、もう行きつけのバーをつくることはないと思う。




マスター三回忌にあてて。最大限の感謝と愛を込めて。

2015-06-25

みんなしねばカワイソウ

ぼくが死んでも家族葬

政治家が死んだらお悔やみに何百何千という人が集まる。

祈念すべきイベントで死んだ人は普通の人でも何年後何十年後でも悔やんでくれる

ぼくが死んだら三回忌にあとの分も済ませておしまい

2014-01-12

同窓会

セミフォーマルドレスなんて初めて着たから、成人式後の同窓会の席でビールをかけられた時、わたしが最初に考えたのは「クリーニング、どうしよう」だった。

「この人殺し! 阿婆擦れ! お前のせいで、洋子ちゃんは死んだんだ!」

振り返ると、グラスを手にした女の人が泣きながら叫んでいた。はじめは頭の中が真っ白で、それが木下先生だと気づくまで少し時間がかかった。そしてようやく、わたしは二次会カラオケで歌う曲だとか、久しぶりに会う男子と何を話そうかとか、そんな心配必要なくなったことを知った。そうか、これが修羅場か。

三田ちゃん、大丈夫?」

事態をどこか他人事のように認識しながらも、友人に気遣われるうちに少しずつ感情が高まり、やがて表面張力限界に到達して、結局すこし泣いた。

木下先生には中学時代、2年と3年の時に家庭科を教えて貰ったから、まったく知らない間柄というわけではなかった。だけど特別それ以上の関わりがあったわけじゃないから中学卒業から間もないあの夜まで、先生と洋子姉が同級生親友だったとは知らなかった。そう言えば4年前のあの夜も、先生は大きな声を出して泣いていた。感情表現が豊かな人なのだろう。

洋子姉はわたしの従姉で、15歳も年が離れているけど、親戚同士の集まりでたまに会う時は優しくしてくれたから、そこそこ親しみを覚えていた。一度だけ、スキー旅行か何かのお土産を貰ったこともある。隣町のナントカ病院に勤めてる、みたいな話を聞いたことがあったけど、お医者さんだとは聞いてないから、いわゆる医療従事者というやつなんだろう。具体的に何なのか、詳しく聞いたわけじゃないからよくわからないのだけれども。

あの日、通夜振る舞いの席で親戚のおじさん、おばさんたちが話していた洋子姉の死因は「もとから心臓が悪く、薬を飲んでいたけれど、突然発作があり、薬を過剰に摂取してしまったことが原因」というものだった。医療機関に勤めている人でもそういうことがあるんだな、と不思議に思ったけれども、余計なことをあれこれ詮索して良い雰囲気でもなかったから、特に尋ねることはしなかった。

さて、修羅場となった同窓会は結局、途中流会となった。騒ぎが収まり、わたしと木下先生がそれぞれ別室に移動したあと、一旦は再開しかけたのだけど、なんとなく白けてしまい、用意していたビンゴビデオ上映は実施されずに終わったらしい。

翌日幹事佐藤から聞いて、わたしは皆に悪いことをしたと思って謝った。だけど佐藤君が言うには、わたしは被害者なのだし、結局二次会カラオケビンゴビデオもしっかりやったし、皆はわたしに同情してくれていたから、謝る必要なんか全然ないとのこと。

それを聞いて「なんだ、じゃあ一切気にしないことにする」と冗談めかして言ってみたら、小突かれながら「今度リベンジとしてミニ同窓会を企画するから三田も絶対来い」と強引に約束させられた。うん、佐藤君は良い人だ。全然好みじゃないけど。

同窓会翌日の席には、わたし、わたしの両親、佐藤君の他に、中学3年当時の担任だった小林先生と、木下先生のご両親がいた。木下先生のご両親がわたしに謝りたいということで設けられ、実際「娘が申し訳ないことをした」と頭を下げられたけど、理由を聞くと口ごもる。知らないという感じじゃなくて、話しにくいという雰囲気で、空気を察した小林先生佐藤君を連れて席を外してくれた。

「娘は、親友だった洋子さんが亡くなった原因が、三田さんにあると思い込んでいるようです」

この言葉けがわたしに突き刺さった。いえ、私どもは娘の勝手な思い込みだと思ってるんですけども、などとフォローなのか言い訳なのかわからないセリフがごちゃごちゃくっついていたけれど、そんなのは心底どうでも良かった。

洋子姉の三回忌の後、木下先生形見分けとして手帳を貰った。そこには洋子姉の恋人がわたしに興味を示し、心変わりしただとか、自分と別れろと言われただとか、希美ちゃんを仲介しろと言ってきただとか書いてあり、最後に「希美のせいで死ぬ」「希美が憎い」といったことが書いてあったらしい。

木下先生はそれを読んで以来ずっと、わたしさえいなければ洋子姉は死ななかったのだという思いと、わたしには罪は無いという思いの板挟みになっていた。そして同窓会の席でわたしを見た瞬間、感情が爆発してしまった。ご両親にはそう説明したそうだ。

自殺かもしれない、とは思ったこともある。

だけどこんな理由だったとは思いもよらなかった。

両親からは、すぐに洋子姉の両親夫婦に連絡をとって貰い、確認してもらった。叔父夫婦手帳存在を認め、遺書の内容も手帳と似たようなものだと語ったそうだ。事情事情だけに説明するわけにもいかず、だけど本当の理由を誰かに知って欲しくて手帳を渡したのだという。

本当の理由。

本当の。

まり、叔父夫婦木下先生の中では、わたしは本当は「洋子姉の恋人たぶらかし、洋子姉を死に至らしめた張本人」ということだ。

知らない。そんなの知らない。

からない。何のことかわからない。

わたしじゃない。わたしのせいじゃない。

だいたい、洋子姉の恋人なんて会ったこともない。顔も名前もどんな人かも知らないし、年の頃が同じならば、今30歳前後。洋子姉が亡くなった当時も、25歳を過ぎたかそのくらいのはずだ。

わたしはその時、中学生

そいつこそ、おかしい。どう考えてもそいつが悪い。

なのにみんな、どうかしている。

怖い。

気持ち悪い。気持ちが悪い。

この町には、もういられない。

佐藤君に「ミニ同窓会に出られなくなった。ごめんね」とメールした後、結局すこし泣いた。

2011-03-31

守るべきものを見失うな

ってセリフが「428」というゲームに出てきて以来ぼくの座右の銘です

母の死から2年。

三回忌ひとつの節目のようです

2年経ったが、母の夢を見るときはいつも、決まって元気である

病んでいたつらい記憶は夢には持って行けないらしい

2年間ずっと考えていることがある。

病院のベッドに横たわって、家族が、親戚が集まってきて、涙している光景を見るのはどんな気持ちなんだろう。

最期は笑顔で送り出してあげたかった。

友人の祖母が危篤で、こんなこと思ってしんみりしてしまった。

アイツはちょっとアホやから、祖母が危篤でも出社とかしてきそうなので「仕事なんかよりそばにいてあげや」とメールを送っておいた。

2009-08-05

今日は私の三回忌

でも誰も祝ってくれなくて私涙目wwwwwwwwwwwwwwwwwwww

はてなーのみんなwww祝ってくれwwwwwwwwwwwwwwwwww

寂しすぐる   ウッ(´;ω;`三´;ω;`)ウッ

2008-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20080920141058

うわ、そういうのってやっぱりありふれた話なんだw

うちの場合ちょっと違うんだけど揉めてるのは同じで、じいちゃんの介護から何からカーチャン(3人きょうだい末っ子)がやってた。じいちゃんを看取って、いざ遺書を開いてみたら「カーチャン家には老後とても世話になったから、遺産の半分近くをカーチャンにやる」って書いてあって、ほかのきょうだいが「なんで3等分じゃないんだ!」と大騒ぎだよ。

家裁まで行ったあげく、最終的にはほぼ遺書通りになったけど、きょうだい関係は完全にぶっこわれた。

悲しいのは、じいちゃんの法事にほかの家はおばさんしか来ないこと。おじさんもいとこも一度も来ない。一回忌、三回忌、七回忌、十三回忌もどれも。自分の父親や祖父の法事なのに!

親より兄弟に文句を言うのは、やっぱいまそこに生きてる人からでしょ。

うちのケースでは、生前のじいちゃんが他家への根回し(遺産はあんまりあげられないヨの情報提供)に消極的だったのが原因かもしれない。あるいはおじさんが若くて仕事がうまくいってなかったころ、じいちゃんはたびたび資金を援助していたらしく、その感覚で「もっともらえるはず」と思いこんでるのも問題かもしれない。

じいちゃんの資産バブルですっかりやられて、何分の一にも減っていたのにね。

できれば、われわれ孫の世代はいとこどうし、うまくやっていきたいな。3きょうだいの誰かが死んだあたりから、関係改善を積極的に進めていきたい。

2008-08-03

九十にして自転車

ばあちゃんと自転車

よかったじゃないか増田

俺のばあちゃんは去年三回忌だったけど…

ばあちゃんが元気な間に一杯想い出つくっとけよ!

2007-03-15

私も昔はそうだったのだが

生きてるものが「この人は死んだのだ!」と強制認識するためにする儀式である、と。

そうでないと、死んだことを忘れてしまうとか、

情が深すぎる人なら、死んだことを受け入れられないとか、

引きずるでしょう。

それを断ち切るための強制儀式

http://anond.hatelabo.jp/20070315152701

一緒に暮らしていた人を亡くすと、この辺よくわかるよ。法事とか仏壇の意味も少しわかってくる。

顔を見ても、すぐに死んでいるという実感はわかない。この場に居ないといっても生前もそんなことはある。いくら一緒に住んでいるといっても、四六時中一緒にいるわけじゃないし、数日とか家を空ける事もある。それに、特に最近は、最後を病院で過ごすしね。

しかし、ばたばたと葬儀の準備は進み、夜通し棺桶の前で過ごし、お坊さんがお経を唱える。その間、ずっと亡くなった事を意識させ続けられる。遺骨を拾う頃には、さすがに実感できるようになってくる。

その後、初七日、四十九日と、あれよあれよと亡くなった後、時が過ぎていることを思い出させられる。仏壇にある、新しい位牌を目にするたびに、なくなったのだと思う。そんな事を通して、居ないだけではなく、もう二度と会えないようになったのだということを、少しずつ実感していく。

そして時がたち、思い出すことが少なくなった故人を、三回忌、七回忌と言った法要でじっくりと思い出す機会が与えられる。そうやって、亡くなったことを理解し、思い出に変わるための手助けをしてるんだなと。

祖母が亡くなって、そんなことを学びましたとさ。

 
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