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はてなキーワード: 薄っぺらとは

2024-07-24

Mrs. GREEN APPLEって薄っぺら歌詞歌唱力で誤魔化してるよね

って友達に言ったら「なんよそのAppleの回し者みたいなグループ」だとよ

小山田圭吾イジメ発言は当時の雰囲気からしたら普通のことだよ

またぞろ歴史を知らない連中が薄っぺら批判をしているけど、小山田圭吾発言は当時の雰囲気からしたら普通のことだよ。

90年代サブカルって今よりもはるかに非・倫理的ダウナーだったから。

建前だけの優等生をぶっ飛ばせ!って感じで進んでいた。

具体的に言えば「鬼畜系」のことで、とにかく本音主義で露悪的に振る舞うのがかっこいいとされていた。

クスリの使い方を書いた雑誌が何万部も売れて自殺を推奨した本がミリオンセラー

明らかに統合失調症である人やホームレスの人のプライベートルポした漫画が「笑えるもの」として流行っていたし、ゴミ置き場のゴミ袋を拾ってきて面白おかしく中身を見せたりしていた。

とにかくあの時代って援助交際エヴァンゲリオン流行ってたこからもわかるように、ダウナー破滅的な空気だったのよ。

後輩いびりや弱者いびりが持ち味の松本人志スターになったのもこの時代だし、お笑いといえば挙動おかし人間を出して「気持ち悪っ!」って言ってゲラゲラ笑うものだった。

あとAV監督新時代アーティストかのように持ち上げ出したのもこの頃。

とにかく非・倫理的なことをしていれば権威に反抗している=カッコいいと見られていた時代で、それに感化された若者弱者いびりに精を出していた。オタク差別もその一環。

小山田圭吾発言もその流れに乗っていて、露悪的に振る舞うことが流行りだったからあの発言が出てきた。擁護するつもりはさらさらないけれど、そういう時代だったのよ、あの頃は。

今よりもはるかに暗くて陰気で深刻ぶっていて、そのうえ虚勢を張った人間の吹き溜まりといった感じで、自分は嫌で嫌でしょうがなかった。

からオレンジレンジDJオズマのような能天気若者が出てきたときは救われた思いがしたよ。彼らが陽気にタオルを振り回して90年代の暗い雰囲気を一掃してくれたから今があるんだけど、記録としては忘れちゃいけないよ。

2024-07-23

anond:20240723140451

■27歳。エリート童貞

先日27歳になった。一応エリートに分類される人生を送ってきたと思う。小学生の頃から高校まで成績はほぼオール5、受験勉強必死にやって大学受験でも全勝し某理系難関国立大に進学。学部でも真面目に勉強し、ほとんどの科目でA以上をとって学部卒業した。大学院にも進学し、一生懸命研究した。それほど華やかな研究成果が出たというわけではないが、それでも論文出版することはできたし、優秀な大学院生ではあったと思う。大学院卒業後は研究職についた。仕事はすこぶる順調で、これまでの研究で一つ大きな成果を上げることもできた。年収も27歳にしては少なくない額をもらっている。

客観的に見て、自分はとても恵まれているし、羨ましがられる側の人間だと思う。だから、以下に述べることは結局僕の強欲さに過ぎないのかもしれないが、無性にどこかに吐き出したかった。どうかここに書くことを許してほしい。

僕は童貞である。27年間、女性とそういう関係になることがなかった。一応2回ほどお付き合いのようなことはさせていただいたのだが、どちらも長続きせずそういうことにすらならずに終わってしまった。

どうやら自分他人と親密になるのが苦手らしい。一定以上親密になると、付き合うのが面倒くさくなってしまう。LINEの返信は面倒だし、気を遣いながら相手の言ってほしい言葉を探すのも得意ではない。これは何も女性関係に限ったことではない。友人との連絡も、たまにする分には楽しめるのだが、特に同じ相手と頻繁にやり取りする気にはとてもなれない。親との連絡ですら、面倒くさくてかなり適当になっている(最近は、親への連絡も親孝行だと思ってサボらないようにはしているつもりだが) 。

こんなに人付き合いが億劫なのはなぜだろうと考えてみると、そもそも僕は誰かに自分から話したいと思うことがほとんどないのである。僕には趣味と言えるものがほぼない。今までの人生ほとんどの時間を、勉強仕事に使ってきたからだ。だから仕事以外となるとほとんど話せることがないのである。そのせいで同じ相手とたくさんやり取りをすると、すぐ話のネタが尽きる。それでも聞き上手ならうまく相手の話を広げて会話を続けられるのかもしれないが、そういうことも得意ではない。これでは誰かと長く会話を楽しむこともできないし、次第にコミュニケーションを取ることすら嫌になってくる———。

要するに、僕がつまらない人間から、人との会話を楽しむことができないのだ。

ではさらに、なぜ僕はつまらない人間なのだろうと考えてみる。言いたいことがない、相手から何かを聞いても良い受け答えができない。これは要するに頭が悪いということではないか。ここでの頭が良い悪いというのは、勉強とか仕事ができるできないの話ではない。普段からかに興味を持って挑戦したり、あるいは誰かの話に興味を持って自分の頭で考えられることである。僕のこれまでの「エリート人生では、勉強仕事一生懸命頑張っていればよかった。実際、僕にも勉強仕事についてなら語れることはいっぱいある。でもそれを脇に置いた時、自分の「エリート人生の驚くほどの薄っぺらさと、周りの「非エリート人生の厚みに気づく。

仕事がうまくいっているうちは、自分の「エリート」さを支えに生きていけるかもしれない。しかし、仕事で行き詰まった時、自分生き方に疑問を持つのが怖い。そんな時に、自分を支えてくれる人がいれば良いが、いまの僕にはそんな心から頼りにできるほど親密な相手もいない。また仮に仕事がずっと順調にいったとしても、いつかは引退するのだろう。そうなれば、自分仕事に関するエリート性はもちろん、仕事を通じての人とのつながりすら失うことになる。そうなった時の孤独がどんなものか、想像もできない。

27歳童貞という事実は、単に自分人生の浅はかさの一つの表れに過ぎないのだろう。「エリートさ」のみに支えられた一本の細い綱を渡りながら孤独に向かって進む他ない自分人生にうっすらとした絶望を感じながら、今日も懸命に仕事をする。

エリート特有句読点の使い方。これは間違いなくエリート

俺がエリートであることもわかってもらえると思う。句読点の使い方を見たらね。

27歳。エリート童貞

先日27歳になった。一応エリートに分類される人生を送ってきたと思う。小学生の頃から高校まで成績はほぼオール5、受験勉強必死にやって大学受験でも全勝し某理系難関国立大に進学。学部でも真面目に勉強し、ほとんどの科目でA以上をとって学部卒業した。大学院にも進学し、一生懸命研究した。それほど華やかな研究成果が出たというわけではないが、それでも論文出版することはできたし、優秀な大学院生ではあったと思う。大学院卒業後は研究職についた。仕事はすこぶる順調で、これまでの研究で一つ大きな成果を上げることもできた。年収も27歳にしては少なくない額をもらっている。

客観的に見て、自分はとても恵まれているし、羨ましがられる側の人間だと思う。だから、以下に述べることは結局僕の強欲さに過ぎないのかもしれないが、無性にどこかに吐き出したかった。どうかここに書くことを許してほしい。

僕は童貞である。27年間、女性とそういう関係になることがなかった。一応2回ほどお付き合いのようなことはさせていただいたのだが、どちらも長続きせずそういうことにすらならずに終わってしまった。

どうやら自分他人と親密になるのが苦手らしい。一定以上親密になると、付き合うのが面倒くさくなってしまう。LINEの返信は面倒だし、気を遣いながら相手の言ってほしい言葉を探すのも得意ではない。これは何も女性関係に限ったことではない。友人との連絡も、たまにする分には楽しめるのだが、特に同じ相手と頻繁にやり取りする気にはとてもなれない。親との連絡ですら、面倒くさくてかなり適当になっている(最近は、親への連絡も親孝行だと思ってサボらないようにはしているつもりだが) 。

こんなに人付き合いが億劫なのはなぜだろうと考えてみると、そもそも僕は誰かに自分から話したいと思うことがほとんどないのである。僕には趣味と言えるものがほぼない。今までの人生ほとんどの時間を、勉強仕事に使ってきたからだ。だから仕事以外となるとほとんど話せることがないのである。そのせいで同じ相手とたくさんやり取りをすると、すぐ話のネタが尽きる。それでも聞き上手ならうまく相手の話を広げて会話を続けられるのかもしれないが、そういうことも得意ではない。これでは誰かと長く会話を楽しむこともできないし、次第にコミュニケーションを取ることすら嫌になってくる———。

要するに、僕がつまらない人間から、人との会話を楽しむことができないのだ。

ではさらに、なぜ僕はつまらない人間なのだろうと考えてみる。言いたいことがない、相手から何かを聞いても良い受け答えができない。これは要するに頭が悪いということではないか。ここでの頭が良い悪いというのは、勉強とか仕事ができるできないの話ではない。普段からかに興味を持って挑戦したり、あるいは誰かの話に興味を持って自分の頭で考えられることである。僕のこれまでの「エリート人生では、勉強仕事一生懸命頑張っていればよかった。実際、僕にも勉強仕事についてなら語れることはいっぱいある。でもそれを脇に置いた時、自分の「エリート人生の驚くほどの薄っぺらさと、周りの「非エリート人生の厚みに気づく。

仕事がうまくいっているうちは、自分の「エリート」さを支えに生きていけるかもしれない。しかし、仕事で行き詰まった時、自分生き方に疑問を持つのが怖い。そんな時に、自分を支えてくれる人がいれば良いが、いまの僕にはそんな心から頼りにできるほど親密な相手もいない。また仮に仕事がずっと順調にいったとしても、いつかは引退するのだろう。そうなれば、自分仕事に関するエリート性はもちろん、仕事を通じての人とのつながりすら失うことになる。そうなった時の孤独がどんなものか、想像もできない。

27歳童貞という事実は、単に自分人生の浅はかさの一つの表れに過ぎないのだろう。「エリートさ」のみに支えられた一本の細い綱を渡りながら孤独に向かって進む他ない自分人生にうっすらとした絶望を感じながら、今日も懸命に仕事をする。

2024-07-22

なんかいい感じのインストない?

夏休みが始まって、隣の公園でもう子どもたちが遊んでる。 ふつうにうるさい。自分の子供の頃が、自己批判させられる。

で、そんなか、家で仕事しないといけないので、なんかいい感じのインストを教えてください。荘厳さがなくて軽い気持ちで聴けるけど、薄っぺらくもないようなそんな感じの。

環境音はもう飽きました。今は不可思議wonderboyのpelliculeのインスト無限ループさせてますが、1日中流してたら飽きそうです。

2024-07-21

蓮舫さん、もう“レスバ”は止めませんか」

「“蓮舫さんは女性から叩かれるのだ!”と見当違いの大騒ぎをしている支持者にも、自制を促すのが筋ではないだろうか。」

饅頭風情がさも善意スタンス落ち目蓮舫に「苦言」を呈しているが

ちょっと自分でも意外なくらい見てて不快である

「3位ざまああああww」って言いたいだけなんだから正直にそのまんま煽ればいい。

蓮舫チンパン状態レスバしてるのも嬉しくて仕方ないくせに。心にもないことを言うんじゃない。

なんかよく「自浄しろ」とか「身内をたしなめろ」みたいなこというのが流行ってるが、深く考えてのものとは思えない。

例えばカタギのクルド人に不良クルド人をどうにかしろと言ったって彼らにそんな権限も実力も義務も何も無いのである

政治家一般の支持者に何を言えとか言うなとかああしろこうしろと指図したり説教したりする姿を、左翼に限らず見たことがあるか?

例えば安倍総理も先鋭化したネトウヨ自由に泳がしていただろう。

蓮舫に「しばき隊を叱れ」というなら、いやお前が自分しばき隊を叱れよビビって他人押し付けるなよと思う。

薄っぺらい奴ばかりだな。

2024-07-20

anond:20240720234348

株も普通ギャンブル同類って理解してない奴がドヤ顔で株のほうが勝てるとか言っても薄っぺらいだけだぞ

ものすごくてきとうにレシピを書いてみる

そうめん

手のひらがおさまるぐらいの鍋(家で使ってる鍋はこんなもん)を用意する

用意した鍋にふちよりちょっと少ないぐらい水を入れる

コンロに置いて、火力調節のレバーを真ん中にする

水の上に小さな泡が出てきたら、その上でそうめんの束についてる紙(?)を取って、麺を先っぽだけ水にいれる

水に入れたら、くっつかないように麺をばらばらにする。そのうちくたっとなるからそしたら水に沈める

菜箸(長い箸)かお玉か木べらで5周ぐらいぐるぐるする

しばらくすると、白い泡が鍋から飛び出しそうになるので、火を消すか火力調節のレバーを左端にに寄せる

2分ぐらい待って、火を消す

ざる(銀色の小さな穴が空いてるやつ)をシンクに置いて、そこに鍋の中身を全部いれる

入れたらめちゃ熱いので、水をかけながらざるを

ぐるぐる回す

麺が冷めたら、とにかく麺をわしゃわしゃする

持ち上げて、水を垂らす

冷たくなったら、冷蔵庫に入れる

もしくは氷を入れてしばらく待つ

テーブルかなんかに皿を置いて(ザルと同じぐらいの多きさの皿)その上にざるを置く

おわり

(これで合ってるのかは知らない)

ステーキ炒め

ボウルっていう銀色ハゲ頭をひっくり返したみたいな奴があれば便利なんだけど、別にどんぶりでもなんとかなる

そのみたいな奴に肉(豚コマでもカルビ用でもなんでもいい)なるべく薄っぺらいやつ

をいれてスーパーのどっかに売ってるステーキの素をいれて、ハンバーグ作るみたいに混ぜる

創味シャンタンとか香味ペーストみたいなのを

親指の爪の先から根元ぐらいまで出していれる

更にまぜる

しばらくたったら、手を洗ってフライパン

コンロに置いて、油を垂らす

火をつけて一分待ったら、さっき混ぜたのをフライパンにいれてヘラかなんかでまぜる

しばらく混ぜたら、赤色が無くなってくる

赤色が消えたら、火を消して皿に盛る

なんか赤色がまだあるなーと思ったらレンジ

一分ぐらいあっためる

おしまい

タンリー炒め

フライパンに油を垂らし、火をつける(レバー真ん中ぐらい)

豚肉をいれて、ぐるぐるヘラかなんかで混ぜたら

タンリーチキンの素をいれる

ついでに香味ペーストも指の先ぐらい入れる

醤油も入れたら美味しいけど量の調節が難しいのであんまりおすすめしない

5分ぐらい(中火のままだと)炒めたらたぶん出来る。強火は早いけどおすすめしない

皿に盛る

おしまい

真似してまずかった!って意見は受け付けてません

はてなゴミクズ飲酒喫煙は許すけど(・д・)チッ反省してまーす、は許してない模様。

ちょっと気になってはてブ漁ってみた。

ルッキズムルッキズム普段は鳴いてるけど

自分のやってることはなんだと思ってるんだろうなコイツラ。

見た目でキメてんだからへんに理屈で取り繕うなよな、薄っぺらい虫。

2024-07-19

anond:20240719021912

から競わせるのが目的のようで

討論に次ぐ討論。相手を言い負かせた方が勝ち、という風土蔓延ってる。

そこに大人自分薄っぺら論文抱えて理論武装して佇み、矢面に立つ。

12冊所じゃない、自らの専攻に関して狭い所見を持った輩がどう理論を崩そうかと機会を伺っている。クソダルい時間が毎週毎週やってくる

苦しくて苦しかった頃の大学卒論大事に暖めながら

自分は良くやった、良くやったんだよと

リタイアメントが過る頭で、2本の腕で自分を抱き締める。

中身のない空っぽ薄っぺら論文を抱き締めて

既に崩れ落ちた心の破片を踏み締めて

何が刺さってるんだろう、誰がこんなもの放置してるんだろうと足裏を覗き込むと

キラキラと破片に過去が写り込んで、非常に眩しく血が流れているにも関わらずそのまま、抜けない。

誰も己の過去になど興味は持たないか

自分が抱えるしか無いのだと諦めながら

両の手は論文を抱えるので手一杯になっていて

両足はいつの間にか血だまりに沈んでいる。

向う岸には弟がニコニコと笑っていて半分苦しんでいて

清濁併せ呑んだ顔でこっちを睥睨している。

誤りだらけの兄弟の、親にさえ拒まれたこの醜い身体

あいつはさも面倒そうに見てみぬ振りをしながら

お前は汚点だと言い聞かされる。

妙齢になっても子孫を残さず

ただ遊び呆けているような

寿命を切り崩して後悔に後悔を重ねているように見えるのだろう

2024-07-18

anond:20240718223827

多分AもDもTwitter薄っぺら人間関係増田ほど深刻になってないんだと思う

増田以外はふざけてるだけなんだと思うよ

フェミニスト人達って、創作物の中で女性キャラ死ぬと、その事実だけでキャラ個性前後関係もまるで無視して「冷蔵庫の女」(男主人公悲劇を彩るためだけの、安っぽくて薄っぺらい、つまらない女)と侮辱してくるけれど

その理屈でいうと彼女等が今盛んに持ち上げている『虎に翼』の優三はまさに「冷蔵庫の男」だよなーと思う

主人公は惚れてもないのに世間体のためだけに結婚し、産んだ子供も娘だから放置し、やがて本命ハイスペ彼くんに出会って愛されるための悲劇演出する踏み台

2024-07-17

10年の付き合いの親友と縁を切った話

●はじめに

これは相手に向けて書いたものではなく、相手批判する意図はない。

もしこれを読んで相手批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである

また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。

だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。

以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。

登場人物

私=筆者

一次創作をする。

絵と文章を嗜む。

A

私の親友だった人物

絵を描くことが生きがいであり、人生のもの

この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録私自身の反省のためのものである

再三になるが、この文章にはAを批判する意図はない。

●Aと私の関係

Aと私は高校入学して出会った。

そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。

10年を共に過ごしてきた仲だった。

間違いなく、一番仲が良かった友人だった。

高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。

大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。

大学卒業してからもその関係は変わらない。

私が新卒入社した会社研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。

Aは絵を描くことが好きだ。

絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生のものなのだと思っている。

自分気持ち言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。

私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。

そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。

Aは私の一次創作ファンだった。

私の作ったキャラクターお話ファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。

Aは私のキャラたちのファンアートをたくさん描いていた。

そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。

Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分創作の話をした。

長くなったがここまでが大まかなAと私の関係である

●事のあらまし

Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。

私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。

そこで一次創作同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。

私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。

ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。

頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterフォロワーを中心に頒布することができた。

半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。

Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したこときっかけだった。

私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。

喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。

多分おおもとの原因はここなのであろう。

Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。

Aと大事な話をするときは、手紙を書くことがしばしばあった。

その手紙きっかけでAと仲直りをすることができた。

仲直りをしたとき電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。

「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。

Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。

前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。

Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。

その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。

しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。

だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。

結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。

そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラ立ち絵ポーズイメージを送り、Aに制作をお願いした。

私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。

強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。

だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。

なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。

Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。

そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。

Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。

Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。

だがしばらくした後、Aから晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。

私はさら違和感を覚えた。

もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。

まり好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。

どちらかと言えば同じサークルメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。

から「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。

しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人からまれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。

「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。

Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。

Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。

とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。

私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。

Aのリアクションには違和感があったままだった。

本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。

長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。

Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。

そのまま迎えた即売会当日。

その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。

細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャライメージ香水

それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。

iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。

「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクション

「はあ……」と言ったものだった。

即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。

……イラスト有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。

しかし今回の話は果たして"依頼"だったのだろうか。

友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。

"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。

私にはわからなかった。数年経った今でもわからない。

私は1万円を支払わなかった。

友人同士で金銭のやり取りをすることに抵抗があったからだ。

その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日ご飯代、打ち上げカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。

続けて「もし対価としてお金要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくま好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。

Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。

あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

今回はただの口約束で、そこに契約など存在しなかったのだ。

「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」

そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。

私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。

Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。

またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。

●縁切りに至ったきっか

約1年、Aと会話をしなかった。

そんなことは今まで初めてだった。

AのTwitterからは私のキャライラストが消えていた。

しかし連絡がなかったとは言え、TwitterLINE相互のまま。

リアル友人用のインスタも見られる状態にあった。

まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。

私は中途半端状態が好きではない。

Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。

まだ友人関係を続けるなら清算必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。

迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。

そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。

ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。

まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。

「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。

とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。

『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』

そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』

『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』

『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』

『いい加減自分意見を隠して察してちゃんするのはやめろ』

私のこのときの率直な思いだ。

しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。

「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。

しっかりと話し合う時間が欲しかった。

会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさら半年後だった。

ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、

粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。

そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。

その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。

しかし確実に、距離が空いていた。お互い腹を探りあっていた。

私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。

いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。

その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。

それでも私の誕生日には簡単イラストが贈られたので、私もAの誕生日イラストを贈った。

私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが

Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。

しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮り写真にもコメントをくれたり、

ドレスの色の相談もしたりしていた。

式当日の写真にも、いいねコメントがきていた。

行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。

年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、

招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。

AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。

Aからは「正月帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。

私は過去年賀状ファイル実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。

送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。

Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。

住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。

再び、スタンプが押され返ってきた。

原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。

Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。

Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから

しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。

(やりとりは削除済みなので記憶だよりである

……私はもう疲れてしまった。

わずかに繋がっていた糸が切れてしまった感覚があった。

Aの仕事は土日休みだし休日出勤もなさそうなのに。

年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。

局留めなんて提案バカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。

「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」

私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。

しかし、Aからの返事が来ることはなかった。

話したくないの意志のものだったと思う。

話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。

私たちが縁を切るにはもう少し事務的手続き必要だった。

大事な話なので」と念を押しても無視された。

Aは私の連絡は無視し、Twitter更新を続けていた。

LINEブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。

ただただ、無視をされていた。

日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。

別のフォロワーホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。

よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。

盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。

他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。

少なくとも元気であることが分かって一安心

同時に無視意図であることも分かった。

私はAに追加でLINEを送ってみることにした。

目につきやすいように、短文で3件ほど。

わざと気を引くような言葉も選んだと思う。

スペースで何か反応があることを期待したものだった。

しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。

そこからはもう出るわ出るわ本音の嵐。

それを聞いたフォロワーも一緒になって私への悪口を言う。

いや中学生か……。いい歳した大人が……。

だがしっかりと聞きたかった言葉を聞くことができた。

「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」

これだ。私が聞きたかったのは。

私は確信を持ちたかったのだ。

その後、スペースは「謎の匿名リスナー」の存在がばれたため、

アカウントの方へ移行していった。

私はAの全ての連絡先を削除し、SNSブロックした。

そしてAとの関係肯定するものをすべて処分した。

Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。

Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。

絵を捨てることで、私はAという存在すべてを否定した。

実家を出て、新居に必要ものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。

(余談……事務的手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。

他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)

主観と推測と反省

タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。

やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。

私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。

誕生日プレゼントとお礼を混合したのが良くなかったのか。

そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。

いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこ自体が間違いだったのか。

……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。

Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分人生のもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と

感じているのだろう。

もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢リスペクトしていたつもりだ。

だが、思っていてもそれが相手に伝わらなければ意味がない。

私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉表現方法が悪い。

そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。

私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。

Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。

許されないことも仕方がないと思っている。

しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。

Aは私の謝罪必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。

人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。

ここまでで書いたことはあくまでも私の主観に基づいたものだ。

ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかからない。

Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段しか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。

何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。

Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。

かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。

共通コミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれものだ。

Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。

Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。

家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て

ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。

言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。

自分けが被害者のような態度を取られるのが不満だった。

誰が聞いてるかもわからないオープン場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。

「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。

友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。

これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである

それでも私はAを許さないと思う。

Aが私を許さないのではない、私がAを許さないのだ。

以上、非常に長く見苦しい文章を読んでくださった方に感謝します。

あおやまです

ストーカーちゃんバカすぎて

私に言わせたいことを他人に代弁させるようになっちゃった

バカすぎて都合のいいアニメしか見てないからそういう薄っぺらーい世界観なんだね

から作品もクソつまんないのか

2024-07-14

自称イラストレーター()はさっさと就職しろ

生成AI進歩イラストレーター()たちが自分仕事を奪われると叫んで久しい。

正直この流れはもう止められないし、ソシャゲバブルVtuberバブルのおかげで収入を得られているだけの泡沫絵師はもう生き残れないのは確定した。

生成AI規制する道は登場直後くらいならわずかにあったが、当の本人たちがあまりにも阿呆すぎて可能性は潰えてしまった。

そもそも日本イラストレーターというとアニメ絵萌え絵ばかり想定されているが、実際にはいらすとやに仕事を奪われたような人、デザイナー一環としてイラストを描いているような人、さまざまいるわけだ。必ず人物画を描いているわけでもない。

ここでは基本的アニメ絵萌え絵を描いている人たちを想定して話を進める。

で、ここ数日はイラストレーター()たちがあまりも社不すぎるという話題をチラホラ見かける。

仕事としてかかわったことはないものの、趣味活動の延長で何度か依頼したことがあるが、本当に簡単に飛ぶし気軽にスランプで描けないとか言ってくる。

所詮こっちは趣味だし、向こうも趣味であることが多かったし、スランプで描けないはまだなんとか許せる。そういうものだというもの理解できる。

でも飛ぶのは本当に理解できない。なんなんだお前らは。あまりにも無責任だろ。

チームを組んでやろうと思った時に、「イラストレーターさんが最後まできちんとやってくれるなら」という条件で参加してもらったこともある。(ちなみにその時の絵師は飛んだ)

そんな条件が出てくる程度には日常的に蒸発するわけだ。彼らは。

アニメSHIROBAKOアニメーターが自転車で逃げようとしたところを捕まえて軟禁するシーンや、監督監禁してシナリオを描かせるシーンがあるが、ヤツらはそれくらいしないと本当に無責任に逃げ出すのだ。

彼らは仮にも企業所属なので逃げるのも限界があるが、フリーランス()ともなると自分評価にさえ目をつぶれば自由放棄できるわけだ。

契約書を交わさな問題イラストレーター側にも発注側にも都合が良すぎるから習慣化しないんじゃないか

それはともかく、料金表がないから想定金額で依頼出したら安すぎるとキレて晒したとか、本当に意味がわからない。

お前はプロでいたいのか? あまりにもプロ意識がないんじゃないか

そして本題だ。

生成AIが台頭したこから、主張が荒唐無稽すぎる。

まりにも法に理解がない。お前たちが仕事をする上で必要法律知識がなんでないんだ?

それよりなにより、なんで勉強する姿勢がないんだ?

かに最終的には商売敵だから使いたくないってのはわからんでもない。

から使えとは言わないよ。

でも仕組みくらい勉強しろ? 何も知らずに批判できると思うなよ?

この不勉強さが本当に主張を薄っぺらものにしてるし、仕事への向き合い方にも表出してる。

この先、道具としてのAIを使えない人間は淘汰されて肉体労働しかできなくなっていくと思う。

生き残れるイラストレーターは、岸田メルやしぐれういみたいに『需要自分で作れる人間』か、絵の上手さに人間性を全振りした人間だけだと思う。

そうなると、バブルからお金をもらえているだけの、不勉強社会不適合者なんか生き残れるわけがない。

から自分がその『一部のイラストレーター』なのかどうかを冷静に分析して、そうでないなら社会不適合者なりに社会で生きてけるように努力しろ

自分だけは大丈夫』そんなことありえない。

自分は絵の勉強をしてる』本当か? 生成AIに反対を叫んだ時点でできてないよ。この先、新しい道具を使いたくないやつが生き残るなんてどれだけ難しいんだ?

これから泡沫イラストレーター仕事はどんどん減っていく。

からから生きていける程度に適合する努力しろ就職しろ。お前は絵で食っていけるほど上手くないよ。

今何かにつけて文句言ってるお前、お前だよ。お前は絶対生き残れないんだよ。

絵の練習してますかいって何かを研究するわけでもなく手癖で描いてラクガキですとか言ってるお前だよ。生きていくために努力しろ

誰も教えてくれないどころかちやほやされて気づかないだろ。それは努力じゃないよ。

実際に仕事がなくなってきて元イラストレーター()の社不が溢れてきたらお前の居場所なんかないよ。

から努力すればギリギリ滑り込める可能性があるから社会に適合する努力しろよ。

2024-07-13

anond:20240713024117

知性が「院卒」や「博士号持ち」になってしまう頭の悪さに絶望してしまう。学歴厨の進化形でしかない。薄っぺらいラベルしか人を判断する知性がないか自分もラベルをひけらかすことで知性的だと他人に認めてもらいたがるただの凡人。ツイッター(X)のプロフィール無駄学歴を書いているタイプによくありがちで、自分専門性の外側に出たら大した存在ではないということへの自覚が全くない。悲しいことです。

2024-07-11

成田悠輔とか石丸伸二とかさ

ひろゆきもだけど言ってることが薄っぺらくて行動が伴ってないんだよね

参謀タイプですとか言っちゃう感じで

若いとまだ見ぬ未来に期待してあういうのがキラキラして見えるのかな?自分は小さくても成果込みで言って欲しい

石丸さんは市町の成果すら伴ってないし

ホリエモン人間性はともかく一応ロケットやったりトライアスロン走ったりと行動も伴ってるし刑務所にも入ったか詭弁と逃走だけの人よりはマシ

2024-07-08

anond:20240708083653

噛み付く以外の感情表現したことがない人なんでしょうね。

仕方がないので嘘泣きをしてみせるしかなかった。

 

芸能界で大物にかわいがられていたのにそれを捨ててしまったのが良くなかった。

中共民主党共産党に関わったせいで薄っぺら人生になってしまった。

気の毒に感じる。

anond:20240708122648

自分意見や考えを話すと薄っぺらいのがばれるからなあ

選挙の総括みたいな簡単コメントでも試合後のボクサー並みに頭空っぽな感じだったわ

2024-07-04

anond:20240704194453

サイコメガネなら薄っぺら謝罪言葉ならいくらでも吐けるわな

立法じゃなく実行に関わった全ての人間政治家政党とそれに繋がるもの全てが現在の法の下に裁かれるべきだろ

少なくとも自民党解党した上で支持者共々全員刑務所にぶち込むべきだよ

2024-06-29

高めのリュックをいくつ買っても、結局notabagに戻ってくる謎

昨日届いたミステリーランチは使えると良いなあ(つーか、使いもしないバックルだらけでイライラする。全部クルクルしてベルクロテープで止める煩わしさよ)

なんか、やっぱりオスプレイにした方が良かったかなあ。背中へのフィット感が良さそうだし。安めだから後で買ってみるかな

という様に、どんどこバックパックが増えていく

好きなブランドでもあるフェールラーベンpc緊急持ち出し用バックパックとして部屋の片隅に鎮座しているだけ

Able carryの13Lのやつ、もうちょっと薄っぺらければなあ。小さめなのに背負うと亀っぽくなるのが嫌なんだよ

結局どのバックパックもソレが原因で使わなくなる

とにかく存在感があまり無くて肩に負担がかからず、自分の中で少しだけ格好いいのが理想だわ

2024-06-27

会社理念共感できないのでフリーランスになった

私が働いてるのは金と開発がスキなだけの薄っぺら理由

私の性格問題なんだろうけど、世の中の人達が何で会社理念かにこんなにも共感できるのか分からない

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