はてなキーワード: 小鉢とは
私も約ほぼ1年ぶりぐらいに「アレ」を。
そう!
秋の大地に刺さった美味しい剣の舞と読み秋刀魚と書く漢字でお馴染みの秋の味覚まくりまくりすてぃーの美味しい秋刀魚を祭初日にキメてきたの!
細長い魚でお馴染みでもあるタチウオは何の刀の魚なのかしらね?
まあそんなことより、
私は張り切って張り切らざるを得ない
いやむしろ張り切りすぎていると言っても言いすぎや過言ではないぐらい
隠しきれない勢いで
夜にルービーと一緒に秋刀魚をそれこそ文字通りの秋の祭典スペシャル!って決めようと思っていたけど、
もう言うならば
ケロッグコンボを彷彿させるような秋の装いをまとい秋の秋刀魚秋の祭典スペシャル!に挑んだの!
夜売り切れちゃったら悲しいじゃない。
私の秋の祭典がつまり始まったってわけ!
天ぷらの小鉢なんか要らなくてお値段据え置きでもいいからその小鉢に欠ける集中力を全て秋刀魚に注いで欲しい充分にジューシーで美味しい焼き加減は
年中食べられるであろう
塩干もののサンマではないみずみずしさが今味わえる瞬間の醍醐味の味の味覚よね。
この時期秋刀魚が秋の味覚として登場してスタメン入りしているんだけど、
フレッシュさには書けるフレッシュでちょっと残念な仕上がりなのよね。
だからこの秋の秋刀魚秋の祭典スペシャルでいただく美味しい秋刀魚は今だけの瞬間この一時にかける勢いなのよ。
私は大根おろしのよこに添えてあるレモンが米津玄師さんのあの曲のレモンの合いの手で小さい声でイエイ!って言ってると当時に私もイエイ!って言ってしまいそうなほど
そのレモンが本来すだちじゃなきゃだめ!って思うのも忘れるぐらい、
そのぐらいまっしぐらと言うかモンプチ級に秋刀魚に夢中だったわ。
これでお前を許したわけではないからな!ってな顔して一生懸命ちゅーるを食べる様とにているわ。
もうその時はどちらでもいい柑橘系との関係を築いていたことに気付いたの。
私はあんまりお醤油とか今回は特に今シーズン初めての「アレ」だったので、
レモンとか思いっ切りかけないんだけど、
そう思うピュアオーディオ界の重鎮が凄いいい音ですね!って言わんばかりの
もちろん秋刀魚が鳴いているって言う意味での奏でているって意味じゃなくて、
比喩としての私の舌の上で秋刀魚の熱い魚の脂が旨味と増して四重奏として奏でられているって例えなの。
とにかく
秋刀魚の美味しさの自信は100パーセント!いや勇気を持ってお伝えしたいのよね。
そのぐらい私は秋刀魚定食秋の祭典スペシャル味に舌鼓を打ちながら
お店を後にしたの。
秋の秋刀魚秋の祭典スペシャル定食のクオリティーオブライフは高すぎるわ!
大満足でニッコリよ!
食べられるときは食べておかないと秋刀魚ならない事態なので見逃さないようにしなくちゃね!
秋刀魚と食べた後、
唇がテカテカになるのはリップグロスを塗ったわけではないことは内緒にしておくわ!
うふふ。
朝はしっとりと巻いた納豆巻きがちょうど良い季節でもあるわね。
そういった小さい青い柑橘系が売っていたので、
しゅわしゅわでごくごくすすむわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
もうゆうにさんじゅうねん()は前になるが、なんだか体育会系ノリの文系クラブに属していたとき、なにか上回生の目にかなうことをやりとげたら「ピートムで肉、喰わしたるわ!」という不文律があった京都の大学生時代、幸運にも何度か嵐山の東の手前にあった『ピーピングトム』というステーキハウスに連れていって奢ってもらったことがあった。
卒業して数年してから、京都駅の南側にも系列店があったのを発見したり(ネットなんか影も形も無かった頃)したが、安月給の身には縁のないジャンルだなぁとそのまま通り過ぎただけであった。
…月日は流れ、ふと思い出して検索したところ、北山店というところしかもう残っていないのがわかった。「行ってみるか」地下鉄ふくむ鉄道の最寄駅よりもわりと外れた立地にあるので市バス停留所から降りて赴く(Google検索でいちばん徒歩距離が少ない候補を採用した、暑いから…)。
建物の二階部分にある店舗の扉を開けると、奥まで続く長いカウンターと、そのカウンターに沿ってなおかつそれよりも見えないくらい奥まで続く調理スペースが広がる。
150gから500gまでの範囲で注文できるが、カウンターに立ててある見本写真なども参考にしつつ、300gをオーダーすることにした。あと、サラダ類やライスさえも別注文なので、ミニサラダと中ライス、それから瓶のヱビスビールも頼む。それから感覚的に10分から15分くらい待ったかな?といったところですべての品が揃った。
…美味い。しみじみ美味い。小鉢にポン酢醤油と大根おろしと小口切りネギを張ったものが添えられているので時々それに浸しながら、ライスとビールと交互に噛み締める。ポン酢は例の完全味付けを標榜する旭ポン酢系統の出汁とかの旨味がなくでも香料ではなく柑橘類の酸味で勝負するタイプであったが、そんなものに浸さなくても、肉だけ齧って十二分に美味い。見た目はサイコロ状に切り分けられて表面ガリガリに焦がされ粗挽き胡椒が認められ中央が紅くて肉汁が侵出している状態なのだが、ソースもとくにかかってないようなのに、本当にそれだけで美味い。メシマズアレンジャー入門クラス生ゆえ、ついつい卓上の塩やミルに入った胡椒を振ってみたりもしたが、?という感想しか出なかったくらい、どういう理屈かマジでわからないが味わい深かった…。全部たいらげたあと、好奇心と「これも絶対うまい」との確信をもってステーキ皿に遺ったワインレッドな肉汁も啜ってしまったが、汁だけなのに肉の旨味と甘味が確かに感じられた!
先に居た客が退店して独りだけになった気安さもあり、ほとんど同世代だろうとおもわれる顔立ちのやや疲れ気味な店員(ワンオペだった)に味を褒めたら『来られたのは初めてですか』と訪ねてきたので、嵐山に行ったことはあった、調べたら失くなっていたのでここに来た、と伝えると『マスターが亡くなったので閉店した』『ここ(北山店)が先にできて、2年してから嵐山がオープンした』『サラダのドレッシングはここのが少し酸味が強いかもしれない、肉の焼き方やスタイルは同じ』と話をしてもらった。
ネットでいろいろ調べて自宅でも買ってきた肉を焼くことはあるけど、最初の一回以外、どうも満足したことがない。やはりクラシックなステーキというのは美味いものだなぁ、と知った日であった。
テレビの料理番組では、調味料や具材を必要な分量あらかじめ小皿に準備してズラリと並べておき、機が熟したところで手際よくそれらをフライパンや鍋に投入するよね。
あれをやりたかった。
あれはきっとテレビなりの伝えやすさや尺の都合でやってることでご家庭では省略してもいいプロセスなのだろうが(洗い物も増えるし)、自分はまだ料理バギナーなので、あのように計量済みの材料が用意されていれば慌てなくて済むのだ。フライパンの中で料理がくつくつ言っている時にあたふたと調味料を計量してこぼさず入れる、それを次々に、なんて芸当はおれには今のところ無理なんだ。
まだ読んでるのか。読まなくていいぞ。
で、買ってきた小鉢の底にはそれぞれ値札というかバーコードシールがべったり貼り付けられていた。
剥がそうとしたら、1個目からさっそく剥がすのに失敗した。途中から破れてきてシールの一部が糊もろとも母材側に残っちゃうあれ。
食器は衛生管理が重要なのだからすっきり剥がせるシールにしておいてくれればよさそうなものだが、まあ、店内にはほかに単価200円や300円の商品も混在しているので、簡単に貼り替えられるようでは困るのだろう。
しかし2個目以降は成功させたいのでおれは少々作戦を練ることにした。
まだ読んでるのか。ここまで読んだならもう最後まで読んじまえばいいが、何も得はないぞ。
シール剥がしやパークリなどの有機溶剤を使う手段も一瞬頭に浮かんだが、食器に使うのはためらわれた。特にシール剥がし。あいつは「絶対に口に入っちゃいけません感」がすごいからね。
そこで思い出したのがお湯。
シールの糊はあたためると緩むことをおれはすでに知っていた。自動車やバイクのボディに貼ったステッカーは、やかんで熱湯をドボドボ注ぎかけながら剥がすと簡単かつきれいに剥がせるのだ。親父がおれの愛車に地元の神社の交通安全祈願ステッカーを勝手に貼った時、この方法で無事に剥がしたことがある。
いつも90度(※摂氏)に保温してある電気ポットのお湯を注いで待つこと十数秒、お湯と小鉢の熱交換が終わり均衡に達したと感じたらお湯を捨て、器がさめないうちにシールを慎重に剥がす。
濡らしちゃいけない物はドライヤーでいけるぞ
困っているのは注意しても直さないとかではなく、そもそもこれが注意すべきことなのか、強制して直させるべきなのかという部分がわからないことだ。
「三角食べ」が「主菜と副菜×Nを交互に食べる」のことだとすると、そっちの方が適用できる範囲が狭いとも言えるので、「注意すべきこと」ではないから困らなくても良いと思う。
例えば、増田も酢の物の小鉢と主菜が同時に出されたら、酢の物を食べ切ってから主菜を食べ始めるよね(もちろん箸休め的に交互に食べてもよくて、それを非難しているわけではない)。
増田が言う通り、「おかず×Nと白米を同時or交互に食べない」ということなら、「白米と交互に食べることを前提に濃いめの味付けにしている」とか「白米と一緒に口に入れることでバランスが取れる味付けにしている」とかの話をしてみると良いと思うけど、「交互に食べる」(=白米で口を休める)か口内調味する(=寿司や丼のように、おかずと白米を口内で混ぜて食べる)かも別のものなので、一般論としての正解はないかな。
なので、やはり「注意すべきこと」ではないから困らなくても良いことだと思うな。
何にしても正解のないものに「これが普通だ」みたいに思っちゃうと、そうでない人と向き合ったときにお互いストレスだろうから、そういう心持にならないでいられると良いね。
最近出社の頻度が増えてストレスが溜まっているのか、週3でマクドナルドのハンバーガーを食ったりバーガーキングに行ったりとジャンクフードを食いすぎている
歳も中年に差しかかってきたからか、体重は増えはすれども減りはしない。あとコレステロール値もなんかめっちゃ増えてる
健康には気をつけたいと思うものの、出社すりゃ必然的に昼飯は外食になってしまう。昼は肉とか揚げ物とかやっぱり食いたいし
そこで晩飯を野菜中心にすることでリカバリーしたいと思ったんだが、野菜料理のレシピのレパートリーが全然ない
自炊は結構好きだし休日には凝った料理もそこそこやるんだが、肉や魚を使わない(使ってもごく少量)となるとあんまり思いつかない。なんか小鉢みたいなのしか作れない
メニュー見てよさそうだな、と思った個人店入るとぜんぜんメニューに書いてなかった小鉢が苦手な物だったりして、でも個人店って自分で店だすくらいだから100%これが美味しいと思って出してるんだよな…と思うと残すの申し訳なくなる。
昔、夫婦でやってる店で一皿残してお会計しようとしたら「次は苦手な物最初に言ってくれたら抜きますからね」と奥様が(たぶん善意で)言ってくれたんだけどそれがもう本当に申し訳なくて情けなくてもう行けなくなった。
チェーン店だとネットでメニューが細かく見られてメニューに載ってないものが出てくることってかなり少ないし、料理するのも出すのも片付けるのもバイトだから残すとしても心理的申し訳なさが少ない。
ちょっと意識的に早歩きしようと考えてから、ランチの範囲を広げて見つけた居酒屋さん。
最寄り駅の線路向こうで魚中心に美味しいランチをされていて、今月からの新メニュー、カツオのたたき。
大体の定食が1000円で、天ぷら定食だと揚げたてサクフワの海老2本、かしわ、白身魚、季節のお野菜に、塩と天つゆと大根おろし、赤だしと小鉢、が出てくるので、
期待して頼んだ結果は、大当たり。
まぁ、入ったら藁焼きしてますとも書いてあったんでちゃんとしてるとは思ってましたが、大皿に並べたカツオを隠すように辛みの少ない新玉のスライスと小口ネギで覆って、ニンニクはフライを少し多めに散らして、たっぷりのポン酢をかけたのがドンときて、後はご飯と赤だし。
ごちそうさまでした。
がんもどきってけっこう好きなんだけど、意外と食う機会がない
社食も日替わりでけっこうバリエーションあんだけど、メインディッシュ・味噌汁・小鉢の構成で、煮物が入り込む余地がない
この前飲み会でおでんを食う機会があって、たぶん選択肢にがんもどきもあった気がすんだけど、わざわざ頼むもんでもないな、的な思考でスルーしてしまった
よく考えたら、全然食ってない 食う機会がない
マジで5年くらい食ってない気がする
親しみがあって、けっこう好きだとすら思ってんのに、全然食ってなかったし、食ってなかったということに気がついてなかった
食うかあ!つって、がんもどきを主軸にした献立を組み立てにくいんだよな
つうか、売ってるっけ?がんもどきって
気にしたことがなかった
アブラゲとか売ってるあたりに売ってた気はするんだけど、確信が持てない
とにかく曖昧に生きてんだと思う
あるいは、このくらいがちょうどいいのかも
AI:
・ご飯
・焼きそば
・焼き肉
・餃子
・サラダ
・海苔巻き
・唐揚げ
・おにぎり
・ピラフ
AI:ピラフと納豆は、お米を主原料としたおかずなので、食べるときにご飯と一緒に楽しめます。また、ご飯と納豆の相性が良いことから、ピラフと納豆を一緒に食べるとより美味しく頂けます。
私:ピラフはおかずなのですか?
AI:はい。ピラフはおかずとして、ご飯やパン、そばなどと一緒に食べることができます。
私:上記に”納豆は、お米を主原料としたおかず”と書いていますが、こちらは正しいですか?
AI:はい、正しいです。納豆は、お米を主原料としたおかずです。
私:おかずの定義を教えてください。
おかずとは、ご飯やパンなどの主食と一緒に食べる、薄味の料理や小鉢などを指します。
私:納豆の主原料を教えてください。
私:上記に納豆の主原料はお米と書いていますがこれは間違いですか?
いいえ、間違っていることを認識した上で、正しい情報を提供しただけです。
私:あなたが上記で「納豆は、お米を主原料としたおかず」と書いた根拠を教えてください。
納豆は、お米を主原料としたおかずなので、ご飯と一緒に楽しめます。ご飯と納豆の相性が良いことから、ピラフと納豆を一緒に食べるとより美味しく頂けます。
大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんものの味噌だ。
日本において味噌の起源は中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。
しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。
それが白味噌だ。
白味噌の登場により、従来の味噌は赤味噌もしくは豆味噌と不名誉な再命名(レトロニム)を受けることになった。
勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。
すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。
米や麦はたんぱく質含有量で大豆に劣るから、味噌を醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。
だから、大豆の使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌は赤味噌に比べて旨くないのだ。
赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方のないことだと考える。
明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。
凶作・不作は死活問題であり、政争や反乱の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。
江戸時代(徳川幕府)は三百年近く続く長期政権となったが、それとて飢饉による一揆を武力で押さえ続けてきただけのことだ。
そうした時代においては、食糧生産は生産効率やカロリー効率の観点から米や麦の生産に注力していただろう。
それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆の使用を削減しようと白味噌を発明したことは、日本の歴史の必然であったといえよう。
高価な大豆の使用を削減して米や麦で味噌を醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌を料理に適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには、不断の努力があったことは想像に堪えない。
そうした先人の努力が現在の食文化を育んできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝の念は耐えない。
白味噌の存在そのものはもちろんとして、白味噌を発明した人も醸造してきた人にも罪はない。
製造コストにおいても赤味噌と白味噌とで大きく差が出る訳でもない。
江戸時代から続く老舗であり、かつては宮内省御用達(※)だったカクキューの八丁味噌でも、スーパーで他の味噌と同程度の価格で売られているのだ。[※ 宮内庁ではなく宮内省である。GHQ占領前は宮内省だった。]
八丁という名が示す通り、岡崎城から西に8丁(約870m)の距離にある愛知県岡崎市八帖町で製造された味噌のことであり、製造業者は「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社である。
しかし、残念なことに八帖町以外の場所で作られた豆味噌でも八丁の商標を名乗る商品がいくつかあるのだ。
しかも、農林水産省の地理的表示(GI)保護制度によって、八帖町以外で作られた味噌でも八丁味噌を名乗れるように行政が推進しているという政治問題をも内包している。
こうした八丁味噌の不遇についても熱く語りたいが、本題ではないので赤味噌(豆味噌)一般に話を戻す。
今でこそ味噌は数ある調味料の一つだが、明治時代以前の食卓においては味噌汁として飲むだけでなく、小鉢に盛り付けておかずとしてそのまま食べることも多かったという。
おかずとして食べる味噌は、なめ味噌という形で今もその文化を残しており、有名なものに金山寺味噌がある。
しかし、食事全体のバランスや水分補給という面を考えると「一汁三菜」という言葉にある通りに(たとえ「一汁一菜」だとしても)「汁」は欠かせないものであり、それはやはり味噌汁だというのが日本の食文化において汎用的なありかたといえよう。
やっと味噌汁の話にたどり着けたが、タイトルで書いた通り味噌汁に使う味噌は赤味噌であるべきだ。
単に赤味噌の方が旨いというだけが理由ではなく、米飯との相性においても赤味噌の方が秀でている。
米と大豆のそれぞれが互いを生かし合って、口内で一つになるのが日本食の基本にして究極といえよう。
米は最上の主食であり貨幣でもあり神でもあり、さまざまに変化をする文化でもある。
かつて白米ばかりを食べていた江戸の町人は江戸わずらいに罹ったという。
江戸わずらいとはビタミンB1欠乏症のことであり、いわゆる脚気である。
カロリー摂取だけに主眼を置いた食糧需給向上において生まれた社会の歪みが健康を蝕むことになったのだ。
似たような例は海外にもあり、19世紀のアイルランドではジャガイモの不作が飢饉となるほどに食糧をジャガイモに依存していたので、国民病と呼べるほどに脚気が蔓延していたという。
では、ジャガイモを主食とする南アメリカ大陸でも脚気が蔓延していたのかというとそうでもなく、ジャガイモと一緒に豆料理も食べるのが伝統的な食文化なので、脚気になることはなかったという。
摂取カロリーのみを目的として食糧をジャガイモに依存した近世の北欧は、さながら白米の生産や流通を高度化して脚気患者を蔓延させた江戸時代の日本に近しいものがあったのだろう。
ちなみに、野菜や穀物を栽培することのできない地域に住むイヌイットは、発酵食品によりビタミンを摂取している。
イヌイットの伝統的な発酵食品にキビヤックがあることは有名だ。
アザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させたキビヤックは悪臭の強い珍味として紹介されることも多いが、地元民にとっては貴重なビタミン摂取源だ。
南米やイヌイットの例から、伝統ある食文化には食糧生産やカロリー摂取の効率性だけではなく栄養にも一目を置いているといえよう。
もちろん、食糧生産の効率性向上によって生まれた白味噌なんかではなく、豆味噌たる赤味噌だ。
それにしても、白味噌や白味噌文化を否定するつもりはないが、白味噌の味噌汁は白米の飯に合わないだろう。
米を発酵させて作った白味噌で白米を食べるなんて、まるでライスとライスを組み合わせたライス定食ではないか。
そのような脚気的精神の産物である白味噌ではなく、やはり味噌汁には赤味噌を用いるべきだと断言できる。
米は甘く、大豆は旨い。