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はてなキーワード: 一周忌とは

2021-11-04

人が死ぬ法要連チャンで続いて辛い

通夜告別式初七日四十九日一周忌三回忌→七回忌→十三回忌→… となる。

俺は仏教徒じゃないし、俺のときは何もしなくていいから、参加しなくていいかなぁ。時間も労力も金も飛んでいくよ。

2021-09-02

愚痴

母親が重度の構ってちゃんでしつこくて苦手なんだけど

とにかく何かにつけて

(顔も知らない親戚)の一周忌から会おう、お父さん退院たから会おう、弟が○○の資格合格たからお祝いで会おう、おばあちゃんの体調が悪いから早く来い(なお嘘。直接携帯電話したらばーちゃん超絶元気)、会おう会おう会おう…

としつこいので「コロナ禍だから会いに行く方が迷惑」って言いまくってたら

「じゃあワクチン打って報告して」「予約した?」「まだ予約取れないの?」という方向で毎日毎日しつこくなってきた

ウザくて仕方ない

ぶっちゃけ母親には黙ってワクチン済ませてるけど

ワクチン打ち終わってるなんて言ったら家に押しかけてきそう

2021-07-26

なんで俺はオリパラ反対派なんだろうと考えてみましたが

俺が反出生主義者で且つ常に希死念慮をもっているからかもしれないという考えに至りました

オリパラ賛成派、特に、出場する選手たちは、何年も前からこれを目標努力してきて、こんな時勢にあっても、お偉方が周囲を焦土にしてまで用意してくれた舞台があるなら、遺族や被害者ボコボコに殴られてでも、遺族や被害者ボコボコに殴ってでも、それでも自分の夢を叶えたいという、恐ろしいまでに強い欲求があるわけでしょう?

俺は、スポーツだけでなく、何に対しても、そんなに狂気じみた欲求を持ったことはないんですよ

たとえば街で楽器演奏している人が居て、いいなあ、俺もこんなふうに演奏できたら素敵だろうなあと思い、楽器の値段や演奏法やその練習法を調べて、それを習得するのに必要コストを知ると、「や、そこまでしてまでやりたくはないなあ」と思い、そこで終わるんです

で、だいたいの趣味とか娯楽って、何かに金を払って、自分努力して、それで初めて愉しみを得られるわけじゃないですか

さらにいうと、生活をするにあたってこなさねばならないタスク家事、勤労、納税教育睡眠食事、排泄、…にも同じことがいえて、やはり何かに金を払って、自分努力して、それで初めて暮らせるわけですよね

そこまでしてまで生きたくはないんですよ

俺がいま生きているのは、昔から母親に強く言われ続けている「私より先に死んだら地獄行きやで」の言がこびりついてしまっているからで、いずれ母が死んで一周忌も済んだらいよいよ死ぬんだろうなあと思っています

逆に、皆さんはなんで生きてるんですか?

2021-07-12

亡くなった犬が会いに来てくれる

外ではこんなこと言うと変な人って思われそうだからここで書かせて

愛犬が亡くなって3年経つけど、たまに遊びに来てくれる

初めて来てくれたのは、亡くなって3ヶ月くらい経った時かな

ペットロスが激しくて、毎日泣いてばかりいて、辛くて立ち直れなかった

そしたら夢に愛犬が出てきて、なんか知らない場所だけど元気そうに走り回ってた

「あ、なんだ〜病気治ったんじゃん〜」とか思ってたら、私の顔見ながら飛び跳ねてくれて、走ってどっか行っちゃった

そこで目が覚めたんだけど、すごい泣いてた

でも不思議と、その夢のおかげでペットロスは少し良くなった

どこかで元気そうにしているなら、私も頑張らなくちゃって

次に会いに来てくれたのは一周忌の時

実家にあの子が大好きだったご飯を持っていって、散歩コースを一人でぐるっとしてきた

その日の夜だったかな、やっぱり知らない場所で遊んでた

その場所には景色とかなくて、白くて、私たち以外はモヤが掛かっているような

それからしばらくは来てくれなくて、元気に遊んでたから私のこと忘れたのかな

それとも私があの子だんだん忘れていってるのかなって思ってた

けど最近、大きな病気してそこから不幸続きでメンタル弱って、インスタでペット動画ばっかり見てた

そしたらこの間また来てくれて、いつもの知らない場所お腹撫でさせてくれた

ちょっと硬い毛は相変わらずで、撫でたらいなくなっちゃった

でも起きた時に、手にはあの子の毛の感覚がハッキリ残ってて、やっぱり来てくれたんだなって

不眠続きだったのにその日はぐっすり眠れて、起きた時にすごく穏やかな気持だったことを覚えてる

これからも、節目には必ず来てくれるのかなって思うと、次はどんなタイミングなんだろう

2021-04-24

フォロー戻して、番組のほうもフォロー

観れるのはたぶん母の一周忌以降。

動画のチラ見くらいはすると思う。キャストも好き。

これまでそんなことなかったのに

昨日、洗濯の洗剤と柔軟きらしてしまってて

めちゃ急いだよ。

ウレタンマスクはさすがにいましてなくて

抗菌仕様の洗えるマスク(息をすると凹んだり膨らんだりするくらいぴったり)を

無香料ので洗ってるので、ないと困るのです。

花粉ウィルスブロックというスプレーも顔と髪にしてから出てます

無印までいって化粧水重いのに買ってきた。

Amazonでも楽天でも売切れてて。

区役所の帰りだけど)電車に乗って買いに行くのもね

公的機関用事があったので行ったの。

ついでに久々の食事パン

母はピンクが好きだったのでピンクの花を。

花の名前は書いていなかった。菊のような、ダリアのような。

ガジュマル

ガジュマルも欲しかったなぁ。

ビオトープもやりたくて、サトイモとか蓮とかツワブキとか咲かせて金魚めだかを飼いたい。

いつできるのやら

人は多かった。

もう長い事ろくに電車にも乗っていなかったのだけど

電車も金曜の割に混んでいた印象

書店でHIGHSNOBIETYを探したけど

音楽コーナーじゃないよね💦

2021-03-22

100ワニに対する日本人嫌儲精神気持ち悪すぎる

一周忌でもいまだに公式ツイートアンチリプを送ったり「最初から電通案件だった」などと陰謀論を展開している人たちがうじゃうじゃいる

他人成功ビジネスを許せない人の多さに驚くよね

日本人はここまで貧しくなったってこと

きくちゆうきさんのような才能のある人が日本に生まれしまったのは悲劇しか言いようがない

他人の足を引っ張る醜い国民性犠牲になってる

しか日本人他人を引きずり降ろそうとするくせに金メダルノーベル賞を受賞した人には便乗しようとするのが酷い

日本人すごい→俺日本人→俺すごい」ってね

すごいのは当人であってお前らじゃないんだよ

他人自分との境界曖昧嫌儲こじらせてる日本人ってロクでもない人種だよな

2021-01-20

100日後に死ぬワニの一周忌を盛大に祝う世界線を見てみたかった

2021-01-11

……うん

……事故修理代を姉に請求しよう

……うちの姉保険金受け取って以来一周忌にも帰省して来ない化け物だから

……こんなこともあろうかと帰省していなかったのですとか言いそうだし

……もうどうでもいい

2020-11-13

応援してた役者が亡くなって1年経った

未だに実感がないので、死んだってのは実は嘘で本当は役者をするのが嫌になって田舎に引っ込んでるんじゃない?なんて考えるときもあったりする。

それくらい「死ぬ」ことが似合わない人だった。

舞台の上ではいつも明るくて、声がデカくて、真面目なのにポンコツで、面倒見がよくて仕事仲間から慕われてる、笑った顔しか思い出せない、そんな役者

滝口、おまえの一周忌13日の金曜日だぞ。

2020-10-08

anond:20201008002355

叔母さんはお寺に払い込まねばならないお墓管理料が納骨されている数に比例して増えるので経済的負担が増えるのはつらいとおもったのでは。

実際ムスコがツルオカにいったあとは三周忌くらいからあとは面倒になってだれも祀らなくなる可能性も考えられる。

 

ここから個人的意見だが仏教大変だな。田舎土地があまっているからってそんな墓ばっかり増やしてないで集約すりゃいいのに。

都市部のお寺は永代供養の納骨堂として鉄骨ビル立ててるけどそのうちまた建て替えるのではないかなあ。

https://www.e-butsuji.jp/butsuji3-1.html

年忌法要は、年回法要ともいい、一般法事と呼ばれているものです。

亡くなった翌年が一周忌、その翌年の2年後が三回忌です。三回忌からは亡くなった年も含めて数え、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌と追善供養法要を営みます

法事ってお墓参りパーティみたいなものから、墓の近くにすんでる人じゃないと開催準備できないよな

2020-08-24

もうすぐ俺の自殺未遂一周忌

だんだん8月も終わりみたいな空気になってくるにつれ

誰の邪魔にもならない死に場所を探して彷徨った日々の記憶が蘇って苦しくなってくる

いっそ自分自分一周忌でもやるか

何をやればいいんだろう

線香と仏花買ってきて読経動画でも流せばいいんだろうか

そんで甘くてでっかいおはぎでも食べて

正直おはぎを美味いって思ったことないけど

年齢と共に味覚は変わるっていうし

久々に買ってみようかな 近所の和菓子屋でさ

うんと苦い緑茶も用意して

よしこれで週末の予定は決まり


……はあ。

明日も頑張って生きるか。

2020-07-24

母の一周忌を迎え、私を取り戻す。

母の一周忌が来た。


一人称としての「私」は、母に奪われたものだった。

幼稚園頃だったと思う、自我の強い友人たちが「私」を使いこなしているのを見て、

見よう見まねで母に一人称としての「私」を使ってみた。

『私ってだあれ?』

…誰?確かに誰なんだ?


それ以降、どうしても使わなければならない時以降、

一人称としての「私」は使わなくなった。

一人称としての私を使うと、「誰?」が脳内こだまするからだ。


ちなみに、この文章はミロを飲みながら書いている。

母にミロを飲まされていたのを思い出す。

小2ぐらいの頃、私が脚気と診断されて母は泣いた。

父と祖父に何か言われていたのであろう。(※生まれたこから母方の祖父暮らしていた)

それを含めなくても、正直、母の飯は色々足りていないものが多く、まずかった。

母方の祖母(母の母)が早くに亡くなり、中学生くらいから家庭のことはすべて「やらされていた」のが原因だと思っている。

恐らく、誰にも教わることなく今まで来ていたんだろう。

それに関して、祖父も父も、指摘はするが学ばせようとしなかったのだろうか。

怒鳴るしかしなかったのだろうか。

しかも、祖父料理がとてもうまかった。


母については、他人愚痴を言っているか、怒鳴られているか記憶しかない。

しかも母は、自分の子供の友人の親について、子供の前で陰口をたたくタイプの人であった。

こうはなりたくないな、しか思っていなかった。


そんなこんなで、本当はさっさと家を出たかったのだが、

私が中学生になった頃から母の様子がおかしくなってきた。


母が笑うようになった。


正直、何に笑っているかからない。


話は戻るが、

私が小学生の頃から聖書を持っている系の黒服女性2人が定期的に玄関に現れていた。

私は、月1でもらえる2種類の冊子をよく読んでいた。

父と祖父が、黒服女性が来るたびに何度も何度も追い返した。

ある時から、本当に来なくなった。


黒服女性が来なくなってから、母は何もない空間を見て笑うようになった。

父は「何か見えているのか?」と不安そうに私たちに聞いてきた。

そう思うんなら直接聞けよ、と思っていた。


笑うようになってから、母はだんだんうまく座ることもできなくなってきた。

座れずにそのまま転んで頭を打つこともあった。

笑う、泣く、ツイッターbotのように出てくる支離滅裂言葉


こんなのずっと見てたらこっちがおかしくなる

一人暮らし金銭的にできない

からできるだけ家にいないようにしよう


中学陸上部を始めた頃だった。

友人がアーケードゲームを教えてくれた頃だった。

インドア派なのに帰りが遅くなる矛盾人生が始まった。

陸上部は、母が学生の頃、家庭の事情で入れなかった部活だった。

運動が得意なわけではなかった私が、短距離であれば瞬発力だけでどうにかなった(と思っている)。

ゲームも凄く得意ではなかったが、音楽ゲーム難易度によっては瞬発力でできるものが多かった。

気付けば音楽ゲーム経由でいろいろな音楽を漁るようになっていた。

そして、聴く音楽自分メンタル状態を把握・コントロールできるようになっていた。

これは、今の自分を作ってきたモノたちだと思っている。


そうやって私が我が家から現実逃避をしていくに従い、母の状況は悪化していった。

つの年かの年始、家から飛び出し、踏切沿いで母が見つかったことがあった。


デイサービスを始めてから、私のことをデイサービスのお姉さんだと思って

「どうしたのお姉さん?」と娘の話を始めたこともあった。

「うちのお姉さんは陸上部が忙しくて帰りが遅いんですよ」と、大学生の私に向かって話した。


目の前にいるのに。

大学生になって、もう陸上は辞めてしまっているのに。


その時、珍しく母は笑顔だった。


その後、ケアマネージャーの方のおかげで母は若年でも入れる施設に入り、

昨年ようやく亡くなった。


申し訳ないが、「ようやく」という気持ちのほうが強かった。

死因は若年性アルツハイマー認知症、病歴20年。

病歴を見たとき人生の半分以上を母に持っていかれた気分だった。

妹なんて、元気だった母の記憶が無いレベルだ。


母の一周忌が来た。

これから取り戻せるものがあるのかどうか正直わからない。

今までいろいろな物事を諦めたような気がする。


結婚なんてできる気がしない。

母と同じような結末を迎える気がしてならない。

祖母も脳縮症で40代に亡くなっているからだ。

母も40代からボケ始めている。

そもそも、今更相手がいない。


この先どうやって生きていくべきか分からない。

でもまだ生きていたいから生きている。

ただそれだけ。


言い方はよくないが、母が亡くなったことで

一人称としての私は、取り戻し始めている。

そこから先をこれから見つけていかねばいけない。

2020-07-17

京アニ放火一周忌らしいので、もう一度

犯罪者を裁く時にしないといけないことは、

そいつがなぜ犯行に至ったかを究明して、

二度と同じことを起こさないようにすること。

から、詳しく話を聞いて、同じ境遇人間には支援しないといけないし、

決められた処罰は、その通りに執行しなきゃいけない。

犯罪者本人を恨み、怒りをぶつけることは結構だが、

それだけじゃムカつく人間をぶっ殺すだけで、また同じ犠牲が出る。

容疑者回復ニュースに対するコメントが濁ってたので、もう一度確認でした。

2020-06-17

anond:20200617185732

2005.03.13 Sunday

いかりや長介さんの一周忌

2004年3月に死去したザ・ドリフターズリーダー俳優いかりや長介さん(享年72)の一周忌法要いかりや長介さんを偲ぶ会」が12日、都内ホテルで行われ、生前親交のあった芸能人、知人、親族ら約700人が出席。故人を偲(しの)んだ。

桜の花で飾られた祭壇の遺影は、葬儀の時と同じ99年のテレビCMウッドベースを奏でる姿を撮ったもの。「1年って本当に早いと思います。でも、長さんが向こうに行ったことが信じられない」。発起人を代表した加藤茶あいつのように、ドリフターズメンバーは一様に「まだ、どこかで生きている気がする」と口にした。

この日は4人のメンバーがそろって献花。「まだまだドリフターズ解散しません。4人でドリフターズコントをずーっと続けていきたい。バカを貫いていきたい」(加藤)と“ドリフ続行”を、天国リーダーに誓っていた。

志村けん一周忌法要に誰が来るだろうか

ブーしか来なさそう

2020-04-22

おばあちゃんが死にそう 【追記】亡くなりました

少し気持ちが落ち着いたから今書く。亡くなった後だと書けないだろうから

おばあちゃんが大好きだった。長男教のジジイと違って自分に優しかった。両親共働きで寂しいときに遊んでくれたのはおばあちゃんだけだった。お手玉したり神経衰弱したりしてた。料理も作ってくれた。

おばあちゃんは常に癇癪起こしてるジジイの横にいて諌めてたりしてた。おばあちゃんジジイより先に老人ホームに入ったんだけど、ジジイしょっちゅう会いに行ってた。その時にジジイがおばあちゃん好きだったってようやくわかった。

おばあちゃん幸せだったのかな。田舎農家に嫁がされていびられるは夫は癇癪持ちフォローしなくちゃいけないわ、孫は一人も結婚しないままだわ…「孫が結婚するまで死ねない」って言っててすごく長生きしたのに本当にすみません兄弟全員モテないんです。

老人ホームに週一で面会行って親戚の人含めたら週三で面会行っててすごく元気だったんだけど、コロナのせいで面会行けなくなって元気なくなったみたいで入院になった。入院中も一切会えなかった。

今日にとうとうってことで電話きてようやく面会に行けたけどもう話せなかった。でも電話より実際は元気だからーってノリですぐ帰されたのに夜にまた電話かかって本当にヤバイことになった。会いに行ったけど常にアラーム鳴ってた。

悲しいことに生きてるおばあちゃんに会いたい人達は皆高齢だったり免疫低下する薬飲んでたりで、この時期に病院には来れない人しかいなかったから誰も面会に来ない。

親もコロナにかかってるかもしれないので病院迷惑かけられないから泊まれないで帰った。葬式するにしても超家族葬になる。家はど田舎から葬式盛大にやる地域だしジジイの時もめっちゃ大変だったけどジジイは喜んでるだろうなとは思った。

面会もされず、葬式にも人が来ないっておばあちゃん寂しいだろうな。本当にごめんなさい。

でもコロナにかかってたら葬式どころか最後の面会もなかったし、そもそも医療崩壊起きてるのかみたいなときコロナでもない90代を入院受け入れしてもらえるか疑問なので恵まれてたのかもしれない。コロナ家族亡くした人達に本当に悪いけど、そう考えなきゃおばあちゃんが可哀相すぎて嫌になる。ごめんなさい。おばあちゃんがそんなこと考えてるわけないから完全に自分エゴです。ごめんなさい。

書いてて辛くなったけど本当に死なないでほしい。コロナ終息するまで生きてほしい。親戚苦手だけどお通夜葬式も49日も一周忌も頑張るから迷惑じゃないから。100歳まで生きてよ。

本当にコロナさない。寿命だろうがなんだろうか知るか。おばあちゃん本当にごめんなさい。

9:45追記

葬儀の手配が終わりました。本当はこれを書いた30分後には容態が急変して病院に呼び出しされてたので、すぐ消そうかと思ったら1ブクマついてて残してました。今落ち着いて見たら優しい言葉たくさんついていてびっくりです。ありがとうございます

おばあちゃん増田やってるなんて言ったこともちろんなかったけど笑 今日はおばあちゃんにたくさん言葉もらったよって話しかけてみます

親父はおばあちゃんはあえてコロナの時期に亡くなったのかもよと言っていました。気を使う人だったので、家族葬だったり親戚呼ばなくていいこのタイミングを選んだのかも、と。そうかなー?

最後にすごくしょうもないことを書くんですが、葬儀屋さんが一番コロナ事情通なんですね。斎場同じなのは聞きたくなかった…

2020-04-15

井出庸生がいつのまにか自民党に参加していた

選挙が近くならないとなかなか注目しないが、コロナ騒ぎの中ふと気になって調べたら、昨年末自民党に参加したとのこと。東京まれながら地元交差点でよく立弁してる姿とか見て好感をもってた。民主党崩壊後は選挙のたびに違う党から出てるような印象だった。いろいろな野党に参加して苦労してそうな姿を見てきたが、何か信念を持ってのことかと思っていた。なんであんなに小さい党を渡り歩きしまいに無所属になってるのかと思ってたら、これを狙ってたのか。井出家は祖父井出一太郎、伯父の井出正一と三代つづく名家1993年以来の自民復党か。自民党を飛び出した伯父が一昨年亡くなったか一周忌をおいていよいよ自民へということなんだろうか。今すこし話題になってる年金支給開始年齢とか検察人事とかの法案にも賛成しちゃうのかな。しちゃうだろうなあ。麻生派に参加したようだし。

まいいや。

先祖代々とはいえ自力で10年築いた地盤土産自民に参加したんだ。今後のご活躍を心よりお祈りしております

あーあ

2020-03-25

ワニカフェなんかやらないで今からガチのワニの葬式しろ

でワニ葬式に参加すると記念品スタンプカードがもらえる

初七日四十九日、百カ日、一周忌スタンプコンプリートしたらワニのレアグッズ贈呈

さら三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌までコンプリートしたらもう家族認定名前が刻まれ

開き直るならここまでやりきろう

2019-11-11

祖母が亡くなって一年経った。

去年の今頃祖母が亡くなった。

人達都内居酒屋チェーンで行けもしない旅行計画話をのんべりしていると母から祖母病院に運ばれた。すぐ帰ってきてほしい。」との連絡があった。

電話があった時点でもうだいぶ飲んでいたし、店から運ばれた病院まで結構距離があったのでちょっと気の抜けた返事をしたら、めったに声を荒げない母親から恐ろしい勢いで怒られたので、本当にただ事ではないなのだと分かった。

酔いもどこかへ行ってしまった。私の腎臓はこんな時だけまともに働く。


祖母痴呆がかなり進んでおり、「痴呆症」で検索すると出てくる症状の7.8割をクリアしていた。そして同棲している我々家族はみな疲弊していた。

病院へ向かうタクシーの中で「これはもう前と同じ祖母に会うことはできないのかもな」と痴呆の初期症状が出てきた時と同じことを考えていた。薄情な孫だった。

祖母と私はどうにも性分が似ているようで、祖母本来性格痴呆からくる性格一切合切馬が合わず喧嘩ばかりしていた。

常に祖母イライラしてレスラップバトルをし続ける日々だった。無論泥仕合である

しかし“猛者”である祖母は、数分経つと喧嘩もその原因も何もかも忘れて「財布がない、誰かにまれたのかもしれない。」と深刻そうな顔で、3分前にしてきたのと同じ内容の相談を私に持ち掛けてきていた。)

だとしても祖母危篤にこんなに心動かされない自分に、祖母危篤のものと同じくらいショックを受けた。小4の時に飼っていたチビジャンガリアンハムスター)の死の方が悲しく喪失感が大きかった。



あと15分ほどで病院につく、というところで母から「たった今亡くなりました。穏やかな顔です。」と短いメールが届いた。



祖母が亡くなった後の我々家族残酷なくらい平和になった。

毎日仕事家事に加え、祖母介護疲弊しギスギスしていた家族は心の余裕を取り戻し、家族の会話は祖母以外の話題が増えて家は昔のような居心地のいい空間となった。

特に祖母に一番心を砕いていた母は、かなり肩の荷が下りたようで、もともと多忙だった仕事の合間に楽しんでいた唯一の趣味にもかけられる時間が増え、比例して笑顔も増えた。

姉も在宅業務の合間に祖母の昼食や身の回りの世話をする必要がなくなり仕事に専念し始め、父も祖母の通院の足のために気を遣いながら会社を休まなくてもよくなった。

末子の私も祖母の遊び相手・話し相手という名の喧嘩稼業の看板を下ろし、平日の夜と土日の時間を完全に自分のために使えるようになった。(あと関係あるのか分からないが慢性鼻炎も治った。なんで?)


今年の夏には私の持ち込み企画として家族全員(4人と一匹)で那須高原旅行にも行けた。

家に残してきた祖母とその面倒を見る家族のことを考えて申し訳ない気持ちになることも、連れてきた祖母がどこかへ言ってしまわないか気を張ってみている必要も無いというのは、こんなに楽で楽しいものだったのかと悲しくなった。

夏の那須高原猛暑や我々の苦労など素知らぬ顔で気持ちの良い風が吹いて、地面に木漏れ日が落ちていた。その中を走る我が家の犬も必要以上におやつを与える人間がいなくなり、3kg以上やせて草原が似合うボディになった。お前元はそんな感じだったのか。


昨年急に自由になってしまった私は来年海外留学を控えている。

皮肉にも社会人になった後も、祖母介護実家住まいだったので、お金を使う暇も機会もなかったのが幸いした。

今までできなかった分、勉強してスキルを身につけてバンバン稼いで旅行に行きまくってやるわい!と意気込み荷物を整理している私に「やっぱりおばあちゃんに似てるね」と母が古いアルバムを見せてきた。

中には祖母が友人や亡き祖父と共に国内外、様々な場所を旅してきた古い写真が大量に挟まっていた。

最後のページにヨーロッパの古城の前でほほ笑む若い祖母写真があった。

痴呆が始まる前の祖母も、私も、外へ出て新しいものを見聞きするのが好きだった。







もうじき一周忌なので気持ちの整理をつけるために書き出したら結構な量になったので、ここに載せて祖母(と私の精神の)供養とさせていただきます

一年経っても祖母が亡くなって悲しいのか嬉しいのかのかからない。自分のことばかりで申し訳ない。

2019-08-30

父親を亡くして1年経った

50代の父親が末期がんで亡くなって1年が経った。

ホスピス入院して最後の2週間は、自力トイレも行けず、食事もできず、体力がもうほぼ無いのに胆液と胃液と血液が混ざったどす黒い物体を1時間おきに吐いてて、まとまった時間は眠れないようだった。

なかなか思ったように死ねないなあ、と呟いてた父の姿は多分一生忘れられないと思う。

そうしてるうちに、お医者さんから最期タイミングまで睡眠薬で眠らせることもできると提案された。

ただ、人間は朝起きて夜眠る生き物ですから、あまりお勧めはしませんが奥様と娘さんの判断にお任せしますと言われた。

父の言葉を聞いていた私に迷いはなかった。

結局、父は睡眠薬で眠り続け、最期に少しだけ覚醒して、とても優しい響きの言葉にならない声を母と私にかけてから安らかに眠った。

苦しい思いはしたくないと言っていた父の希望を最大限汲み取れたとは思っているけど、それでもあのタイミング睡眠薬を使うことが正しかったのかどうか、そもそも正しさなんてものさしで計ること自体間違ってるのか、

あの日選択が私にのしかかったままもうすぐ一周忌を迎えるので吐き出させてもらいました。

2019-07-19

雨 雨 雨

今週末もま~~~た雨予報。

先月、出掛けるたびに雨だったんだが。

今月も出掛ける日に限って雨なんだが。

しかも遠出の旅行の日に限っては、地元雨止んでるんだが。

ずっと晴れてろとは言わない。

せめてずっと曇っててくれ。

梅雨なんだから仕方ないって思うじゃん?

いやいやなんで土日に限って雨なのよ。

しかも土日どっちか出掛けるって日に限って、出かけない方は雨降らないんだよ、なんなの。

ここまで書いて察しの良い人はお気づきだろう。

はい、私 "雨女" です。

から学校行事とか肝心な時に雨降りなことばっかだった。

中学修学旅行で雨に降られて、そんな状態なのに山登った(靴が死んだ)

高校文化祭は前日に台風がぶつかって準備出来るかどうかの瀬戸際だった(チャリが滑ってこけたしんどい)

身内の一周忌でなぜか雹が降ってきた、痛かった(これ私のせいじゃない気がする)

ディズニーとかテーマパーク系は8割くらい雨降られてる。

今年行った時も雨降ってたよ。雨用のパレードやってたよ。正直何回も見てるよ、もういいよ。


友達にも雨女認識されてるから、「もう慣れた」って言われたよ。

ごめんな、傘持ち歩くの面倒だよね。でも恨まないで欲しい。

しかもさ、こういう記憶って晴の時より雨の時の方が覚えてるんだよね。

絶対いい天気の日に行ったとことかあるはずなのに、どんよりした時ばっかり覚えてるのは私が喪女からなのだろうか。

陽キャになれば晴れるのか?別になりたくないけど。

は~~~~喪女雨女にも人権くれよ。

明日は晴れてくれ、頼むから。なんで日曜日は曇り予報なのに明日は雨予報なんだ。

しかも昼間あーんな晴れてるのになんでなのほんとなんなの。

あ~~早く梅雨明けないかな~~。


明けたところで雨女の戦いは終わらないけど。

7/21追記

ダム行って救世主になれるって行ってくれた人いたけど、雨女はな…自分の楽しみな事とかそういう時ばっかり雨なんですよ………。

なのでダム巡りが趣味雨女さんに任せたいですね。

あと予報通り今日雨降らないみたいだから選挙行こうね!!雨じゃないから行きやすいでしょ!!!

2019-07-08

法事って大変だよね

一周忌から三十三回忌までを一日でまるごとしっかりご供養します(最短1時間)

安心できる定額料金(お布施込み)

オプションで会食が付きます

イオンあたりでやってくれないかな。

2019-06-29

さよならが言えない(1)

母が自殺した。

もう3年も前の話だが、私の中では現在進行形だ。

残暑の厳しさが残る、9月下旬の早朝。

滅多に電話がかかってこない私の携帯に着信があった。

いつもならば眠い時間で、無視して必要があればかけ直すのだが、父の名前が画面に表示されたので、何事かと思って電話を受けた。

父の第一声は、「お母さんが自殺した」。

え?お母さん?自殺?え?

一瞬にして混乱の海に投げ出される。

父は続けて「救急車を呼んで、今待っている」というような事を言った気がするが、信じたくない現実に面と向かう事に必死でよく覚えていない。

鮮明に憶えているのは、呼び鈴と同時に入室してくる救急隊員の声と、それに答えて「救急車が来たからまた連絡する」といって電話が切れた事。

切れた電話のツーツーという音を聞きながら、その後どうしたか憶えていない。

夫の話を聞く限り、隣で眠っていた夫が話し声で起きて、どうした?と聞き、私は事情を話したらしい。

とにもかくにも、実家に帰って詳しい状況を聞かないといけない。

夫は会社に欠勤の電話をし、身支度をして二人で車で2時間実家に行くことになった。

私はタバコを吸うのだが、母はタバコタバコを吸う私も嫌っていたので、お風呂に入る時間をちょうだいと言って、急いでシャワーを浴び、髪についたタバコ匂いを落とした。

気持ちとしては、悪い夢の続きを見ているような変な浮遊感でふわふわしていた。

長い道中の事も憶えていない。

義父に頼まれた枕花を持った重さだけが、私を地上に結びつけているような気がした。

実家のある団地群に着き、階段を噛みしめるように登る。

母の自殺が本当だとしたら、第一発見者の父の気持ちは荒れる海の波のようだろうから私はしっかりしないと…と、平静を装おうとしたが、玄関を開け、並ぶ見覚えのない靴を見て、父の兄弟が先に来ている…つまりは母の自殺は本当だと感じた瞬間、涙が溢れ出た。

しばらく泣いて落ち着いたところで、居間テーブルに用意された席についた。

ふと、母が居るであろう場所を見ると、そこには何もない。

父にお母さんは?と聞くと、今は警察署に居ると言われた。

なんでも、救急隊員が駆けつけた際に死亡が確認された場合救急車には乗せられないルールがあるらしい。

そして、自宅での死亡の為、原因の追求をする為に警察署での検死に回されると。

母は一人で冷たい場所にいるのだろうか。

早く会いたい、顔を見たい、それだけだった。

夕方警察署からの連絡で、母の遺体収容する施設に移すという連絡があり、その場に居た全員で手続きに行った。

涙を流さず、冷静に見える父の、必要書類に記入する手が度々止まる。

「妻っていう字が思い出せない、書けない」

ああ、父も心の中は混乱していて、いっぱいいっぱいなのだな、と思った。

叔母が字を教えて、ゆっくり、一画一画確認しながら書類を書く。

必要最低限の言葉けがかに流れる

刑事さんが書き終えた書類確認し、ご面会はこちらです、と案内された部屋に行った。

私は死んだ直後のままの母が居ると思っていたが、既に白装束に着替え、箱に収められていた。

首には吊った後が残っているのであろう。

首周りに綿の詰められたクッションのような物が巻かれていた。

枕花を頭の横に置き、周囲に流されるように手を合わせる。

遺体を見て、事実を認める私と認めない私が行き来する。

これは悪い冗談なのではないかと、そうとしか考えられなかった。

母は自分の兄を自殺で亡くしている。

父も幼少時に祖父(父の父)を自殺で亡くしている。

母は残された苦しみから、「どんなに辛い事があっても、自殺だけはだめよ」と言っていた。

私はその言葉に助けられていた。

長い期間、学校いじめられ続けていた私にとって、生きる事の大切さを教えてくれた母の為にも生きようと、これまで生きてきた。

でも、その母が自殺を選んだ。

母はパーキンソン病で、近い将来介護必要になる事を嫌がっていた節があった。

自分の両親の看病で苦労したからだろう。

その苦労を父や私にかけない為に死を選んだとしか考えられない。

遺書が無いから、そう想像する事しか出来ない。

からって、勝手過ぎる。

苦労かどうか決めるのは私達なのに。

母の葬儀は、式場の都合で一週間程先になった。

それまでの間、毎日霊安室に通い、好きだったカフェオレを供え、なんで死んだの?と疑問をぶつけていた。

母は自分の将来に、綺麗に決着をつけたと思っているだろう。

実際はそうじゃない。

私も父も親戚も夫も、事情を知った全員がそれぞれに苦しんだ。

その罰があたったのか、もうすぐ葬儀だというタイミングで、綺麗だった母の死に顔に死斑が出た。

家族死化粧では消せない死斑。

人前に出る時に化粧は欠かせない母だったから、このまま葬儀には出せないと、葬儀屋さんに頼んでプロの化粧をして貰った。

今思うと、あの時は父のサポート必死だった。

過去の心の傷と仕事ストレスで鬱になった私は、抗うつ剤睡眠薬を長い事飲んでいたが、母の死を知った日から、それらの薬が効かなくなった。

父と母に会う時間の合間にかかりつけ医臨時でかかって、強い抗うつ剤睡眠薬を処方して貰った。

葬儀が終わるまでは、四十九日が終わるまでは、一周忌が終わるまでは…とにかく倒れる訳にはいかない。

それだけで動いていた。

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