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はてなキーワード: 一周忌とは

2020-08-24

もうすぐ俺の自殺未遂一周忌

だんだん8月も終わりみたいな空気になってくるにつれ

誰の邪魔にもならない死に場所を探して彷徨った日々の記憶が蘇って苦しくなってくる

いっそ自分自分一周忌でもやるか

何をやればいいんだろう

線香と仏花買ってきて読経動画でも流せばいいんだろうか

そんで甘くてでっかいおはぎでも食べて

正直おはぎを美味いって思ったことないけど

年齢と共に味覚は変わるっていうし

久々に買ってみようかな 近所の和菓子屋でさ

うんと苦い緑茶も用意して

よしこれで週末の予定は決まり


……はあ。

明日も頑張って生きるか。

2020-08-19

親が死んだ話と金の話

母が去年死んだ。母子家庭のたった一人の家族だった。

まさか20代で親がいなくなるとは思わなかった。

来月一周忌を行うはずだったがコロナ帰省ができず親戚が法事を行ってくれるそうだ。

母が死んで一年眠れない日が多くあり、

夢には母が出てくる、

夢の母は喋らないことが多い。

たまに生前の時のように普通に会話する夢を見て泣きながら目覚めることもある。

死因は病院に行っていれば治療はできた病気なのに、

個人でやってる仕事場で亡くなった。

亡くなったあとバタバタ葬式の手配、

母の友人への連絡を行い

葬儀が終わったと思えば書類手続き遺品整理

それらをやってるときにいろんな人から最近の母の状況をきいた。

よく行っている病院先生から大きな病院に行けと言われたらしい。

行かなかった母が悪い。

でもなぜいかなかったのか、多分きっとお金がなかったからだ。

何年か前に入った保険は数ヶ月未払いで解約となり受け取れなかった。

なにかもっとしてやれなかったのかという後悔と、

自業自得だろうと責める気持ちの半分半分でここ最近毎日このことを考える。

職場の同僚と話していた時に宝くじが当たったらなにをするかという話で、「全部寄付するかも」って言っていた。

心の底からお金がなくて苦労したことがない人は羨ましい。お金があったら母は仕事休み病院に行けたんだろう。無理して死ぬまで仕事をしなくてよかっただろう。

一周忌を迎えることで気持ちを切り替えることができると思っていたのにまた毎日母のことを考えて過ごしていくのが辛い、辛い。

2020-07-24

母の一周忌を迎え、私を取り戻す。

母の一周忌が来た。


一人称としての「私」は、母に奪われたものだった。

幼稚園頃だったと思う、自我の強い友人たちが「私」を使いこなしているのを見て、

見よう見まねで母に一人称としての「私」を使ってみた。

『私ってだあれ?』

…誰?確かに誰なんだ?


それ以降、どうしても使わなければならない時以降、

一人称としての「私」は使わなくなった。

一人称としての私を使うと、「誰?」が脳内こだまするからだ。


ちなみに、この文章はミロを飲みながら書いている。

母にミロを飲まされていたのを思い出す。

小2ぐらいの頃、私が脚気と診断されて母は泣いた。

父と祖父に何か言われていたのであろう。(※生まれたこから母方の祖父暮らしていた)

それを含めなくても、正直、母の飯は色々足りていないものが多く、まずかった。

母方の祖母(母の母)が早くに亡くなり、中学生くらいから家庭のことはすべて「やらされていた」のが原因だと思っている。

恐らく、誰にも教わることなく今まで来ていたんだろう。

それに関して、祖父も父も、指摘はするが学ばせようとしなかったのだろうか。

怒鳴るしかしなかったのだろうか。

しかも、祖父料理がとてもうまかった。


母については、他人愚痴を言っているか、怒鳴られているか記憶しかない。

しかも母は、自分の子供の友人の親について、子供の前で陰口をたたくタイプの人であった。

こうはなりたくないな、しか思っていなかった。


そんなこんなで、本当はさっさと家を出たかったのだが、

私が中学生になった頃から母の様子がおかしくなってきた。


母が笑うようになった。


正直、何に笑っているかからない。


話は戻るが、

私が小学生の頃から聖書を持っている系の黒服女性2人が定期的に玄関に現れていた。

私は、月1でもらえる2種類の冊子をよく読んでいた。

父と祖父が、黒服女性が来るたびに何度も何度も追い返した。

ある時から、本当に来なくなった。


黒服女性が来なくなってから、母は何もない空間を見て笑うようになった。

父は「何か見えているのか?」と不安そうに私たちに聞いてきた。

そう思うんなら直接聞けよ、と思っていた。


笑うようになってから、母はだんだんうまく座ることもできなくなってきた。

座れずにそのまま転んで頭を打つこともあった。

笑う、泣く、ツイッターbotのように出てくる支離滅裂言葉


こんなのずっと見てたらこっちがおかしくなる

一人暮らし金銭的にできない

からできるだけ家にいないようにしよう


中学陸上部を始めた頃だった。

友人がアーケードゲームを教えてくれた頃だった。

インドア派なのに帰りが遅くなる矛盾人生が始まった。

陸上部は、母が学生の頃、家庭の事情で入れなかった部活だった。

運動が得意なわけではなかった私が、短距離であれば瞬発力だけでどうにかなった(と思っている)。

ゲームも凄く得意ではなかったが、音楽ゲーム難易度によっては瞬発力でできるものが多かった。

気付けば音楽ゲーム経由でいろいろな音楽を漁るようになっていた。

そして、聴く音楽自分メンタル状態を把握・コントロールできるようになっていた。

これは、今の自分を作ってきたモノたちだと思っている。


そうやって私が我が家から現実逃避をしていくに従い、母の状況は悪化していった。

つの年かの年始、家から飛び出し、踏切沿いで母が見つかったことがあった。


デイサービスを始めてから、私のことをデイサービスのお姉さんだと思って

「どうしたのお姉さん?」と娘の話を始めたこともあった。

「うちのお姉さんは陸上部が忙しくて帰りが遅いんですよ」と、大学生の私に向かって話した。


目の前にいるのに。

大学生になって、もう陸上は辞めてしまっているのに。


その時、珍しく母は笑顔だった。


その後、ケアマネージャーの方のおかげで母は若年でも入れる施設に入り、

昨年ようやく亡くなった。


申し訳ないが、「ようやく」という気持ちのほうが強かった。

死因は若年性アルツハイマー認知症、病歴20年。

病歴を見たとき人生の半分以上を母に持っていかれた気分だった。

妹なんて、元気だった母の記憶が無いレベルだ。


母の一周忌が来た。

これから取り戻せるものがあるのかどうか正直わからない。

今までいろいろな物事を諦めたような気がする。


結婚なんてできる気がしない。

母と同じような結末を迎える気がしてならない。

祖母も脳縮症で40代に亡くなっているからだ。

母も40代からボケ始めている。

そもそも、今更相手がいない。


この先どうやって生きていくべきか分からない。

でもまだ生きていたいから生きている。

ただそれだけ。


言い方はよくないが、母が亡くなったことで

一人称としての私は、取り戻し始めている。

そこから先をこれから見つけていかねばいけない。

2020-07-17

京アニ放火一周忌らしいので、もう一度

犯罪者を裁く時にしないといけないことは、

そいつがなぜ犯行に至ったかを究明して、

二度と同じことを起こさないようにすること。

から、詳しく話を聞いて、同じ境遇人間には支援しないといけないし、

決められた処罰は、その通りに執行しなきゃいけない。

犯罪者本人を恨み、怒りをぶつけることは結構だが、

それだけじゃムカつく人間をぶっ殺すだけで、また同じ犠牲が出る。

容疑者回復ニュースに対するコメントが濁ってたので、もう一度確認でした。

2020-06-17

anond:20200617185732

2005.03.13 Sunday

いかりや長介さんの一周忌

2004年3月に死去したザ・ドリフターズリーダー俳優いかりや長介さん(享年72)の一周忌法要いかりや長介さんを偲ぶ会」が12日、都内ホテルで行われ、生前親交のあった芸能人、知人、親族ら約700人が出席。故人を偲(しの)んだ。

桜の花で飾られた祭壇の遺影は、葬儀の時と同じ99年のテレビCMウッドベースを奏でる姿を撮ったもの。「1年って本当に早いと思います。でも、長さんが向こうに行ったことが信じられない」。発起人を代表した加藤茶あいつのように、ドリフターズメンバーは一様に「まだ、どこかで生きている気がする」と口にした。

この日は4人のメンバーがそろって献花。「まだまだドリフターズ解散しません。4人でドリフターズコントをずーっと続けていきたい。バカを貫いていきたい」(加藤)と“ドリフ続行”を、天国リーダーに誓っていた。

志村けん一周忌法要に誰が来るだろうか

ブーしか来なさそう

2020-04-22

おばあちゃんが死にそう 【追記】亡くなりました

少し気持ちが落ち着いたから今書く。亡くなった後だと書けないだろうから

おばあちゃんが大好きだった。長男教のジジイと違って自分に優しかった。両親共働きで寂しいときに遊んでくれたのはおばあちゃんだけだった。お手玉したり神経衰弱したりしてた。料理も作ってくれた。

おばあちゃんは常に癇癪起こしてるジジイの横にいて諌めてたりしてた。おばあちゃんジジイより先に老人ホームに入ったんだけど、ジジイしょっちゅう会いに行ってた。その時にジジイがおばあちゃん好きだったってようやくわかった。

おばあちゃん幸せだったのかな。田舎農家に嫁がされていびられるは夫は癇癪持ちフォローしなくちゃいけないわ、孫は一人も結婚しないままだわ…「孫が結婚するまで死ねない」って言っててすごく長生きしたのに本当にすみません兄弟全員モテないんです。

老人ホームに週一で面会行って親戚の人含めたら週三で面会行っててすごく元気だったんだけど、コロナのせいで面会行けなくなって元気なくなったみたいで入院になった。入院中も一切会えなかった。

今日にとうとうってことで電話きてようやく面会に行けたけどもう話せなかった。でも電話より実際は元気だからーってノリですぐ帰されたのに夜にまた電話かかって本当にヤバイことになった。会いに行ったけど常にアラーム鳴ってた。

悲しいことに生きてるおばあちゃんに会いたい人達は皆高齢だったり免疫低下する薬飲んでたりで、この時期に病院には来れない人しかいなかったから誰も面会に来ない。

親もコロナにかかってるかもしれないので病院迷惑かけられないから泊まれないで帰った。葬式するにしても超家族葬になる。家はど田舎から葬式盛大にやる地域だしジジイの時もめっちゃ大変だったけどジジイは喜んでるだろうなとは思った。

面会もされず、葬式にも人が来ないっておばあちゃん寂しいだろうな。本当にごめんなさい。

でもコロナにかかってたら葬式どころか最後の面会もなかったし、そもそも医療崩壊起きてるのかみたいなときコロナでもない90代を入院受け入れしてもらえるか疑問なので恵まれてたのかもしれない。コロナ家族亡くした人達に本当に悪いけど、そう考えなきゃおばあちゃんが可哀相すぎて嫌になる。ごめんなさい。おばあちゃんがそんなこと考えてるわけないから完全に自分エゴです。ごめんなさい。

書いてて辛くなったけど本当に死なないでほしい。コロナ終息するまで生きてほしい。親戚苦手だけどお通夜葬式も49日も一周忌も頑張るから迷惑じゃないから。100歳まで生きてよ。

本当にコロナさない。寿命だろうがなんだろうか知るか。おばあちゃん本当にごめんなさい。

9:45追記

葬儀の手配が終わりました。本当はこれを書いた30分後には容態が急変して病院に呼び出しされてたので、すぐ消そうかと思ったら1ブクマついてて残してました。今落ち着いて見たら優しい言葉たくさんついていてびっくりです。ありがとうございます

おばあちゃん増田やってるなんて言ったこともちろんなかったけど笑 今日はおばあちゃんにたくさん言葉もらったよって話しかけてみます

親父はおばあちゃんはあえてコロナの時期に亡くなったのかもよと言っていました。気を使う人だったので、家族葬だったり親戚呼ばなくていいこのタイミングを選んだのかも、と。そうかなー?

最後にすごくしょうもないことを書くんですが、葬儀屋さんが一番コロナ事情通なんですね。斎場同じなのは聞きたくなかった…

2020-04-15

井出庸生がいつのまにか自民党に参加していた

選挙が近くならないとなかなか注目しないが、コロナ騒ぎの中ふと気になって調べたら、昨年末自民党に参加したとのこと。東京まれながら地元交差点でよく立弁してる姿とか見て好感をもってた。民主党崩壊後は選挙のたびに違う党から出てるような印象だった。いろいろな野党に参加して苦労してそうな姿を見てきたが、何か信念を持ってのことかと思っていた。なんであんなに小さい党を渡り歩きしまいに無所属になってるのかと思ってたら、これを狙ってたのか。井出家は祖父井出一太郎、伯父の井出正一と三代つづく名家1993年以来の自民復党か。自民党を飛び出した伯父が一昨年亡くなったか一周忌をおいていよいよ自民へということなんだろうか。今すこし話題になってる年金支給開始年齢とか検察人事とかの法案にも賛成しちゃうのかな。しちゃうだろうなあ。麻生派に参加したようだし。

まいいや。

先祖代々とはいえ自力で10年築いた地盤土産自民に参加したんだ。今後のご活躍を心よりお祈りしております

あーあ

2020-03-25

ワニカフェなんかやらないで今からガチのワニの葬式しろ

でワニ葬式に参加すると記念品スタンプカードがもらえる

初七日四十九日、百カ日、一周忌スタンプコンプリートしたらワニのレアグッズ贈呈

さら三回忌、七回忌、十三回忌、三十三回忌までコンプリートしたらもう家族認定名前が刻まれ

開き直るならここまでやりきろう

2019-11-11

祖母が亡くなって一年経った。

去年の今頃祖母が亡くなった。

人達都内居酒屋チェーンで行けもしない旅行計画話をのんべりしていると母から祖母病院に運ばれた。すぐ帰ってきてほしい。」との連絡があった。

電話があった時点でもうだいぶ飲んでいたし、店から運ばれた病院まで結構距離があったのでちょっと気の抜けた返事をしたら、めったに声を荒げない母親から恐ろしい勢いで怒られたので、本当にただ事ではないなのだと分かった。

酔いもどこかへ行ってしまった。私の腎臓はこんな時だけまともに働く。


祖母痴呆がかなり進んでおり、「痴呆症」で検索すると出てくる症状の7.8割をクリアしていた。そして同棲している我々家族はみな疲弊していた。

病院へ向かうタクシーの中で「これはもう前と同じ祖母に会うことはできないのかもな」と痴呆の初期症状が出てきた時と同じことを考えていた。薄情な孫だった。

祖母と私はどうにも性分が似ているようで、祖母本来性格痴呆からくる性格一切合切馬が合わず喧嘩ばかりしていた。

常に祖母イライラしてレスラップバトルをし続ける日々だった。無論泥仕合である

しかし“猛者”である祖母は、数分経つと喧嘩もその原因も何もかも忘れて「財布がない、誰かにまれたのかもしれない。」と深刻そうな顔で、3分前にしてきたのと同じ内容の相談を私に持ち掛けてきていた。)

だとしても祖母危篤にこんなに心動かされない自分に、祖母危篤のものと同じくらいショックを受けた。小4の時に飼っていたチビジャンガリアンハムスター)の死の方が悲しく喪失感が大きかった。



あと15分ほどで病院につく、というところで母から「たった今亡くなりました。穏やかな顔です。」と短いメールが届いた。



祖母が亡くなった後の我々家族残酷なくらい平和になった。

毎日仕事家事に加え、祖母介護疲弊しギスギスしていた家族は心の余裕を取り戻し、家族の会話は祖母以外の話題が増えて家は昔のような居心地のいい空間となった。

特に祖母に一番心を砕いていた母は、かなり肩の荷が下りたようで、もともと多忙だった仕事の合間に楽しんでいた唯一の趣味にもかけられる時間が増え、比例して笑顔も増えた。

姉も在宅業務の合間に祖母の昼食や身の回りの世話をする必要がなくなり仕事に専念し始め、父も祖母の通院の足のために気を遣いながら会社を休まなくてもよくなった。

末子の私も祖母の遊び相手・話し相手という名の喧嘩稼業の看板を下ろし、平日の夜と土日の時間を完全に自分のために使えるようになった。(あと関係あるのか分からないが慢性鼻炎も治った。なんで?)


今年の夏には私の持ち込み企画として家族全員(4人と一匹)で那須高原旅行にも行けた。

家に残してきた祖母とその面倒を見る家族のことを考えて申し訳ない気持ちになることも、連れてきた祖母がどこかへ言ってしまわないか気を張ってみている必要も無いというのは、こんなに楽で楽しいものだったのかと悲しくなった。

夏の那須高原猛暑や我々の苦労など素知らぬ顔で気持ちの良い風が吹いて、地面に木漏れ日が落ちていた。その中を走る我が家の犬も必要以上におやつを与える人間がいなくなり、3kg以上やせて草原が似合うボディになった。お前元はそんな感じだったのか。


昨年急に自由になってしまった私は来年海外留学を控えている。

皮肉にも社会人になった後も、祖母介護実家住まいだったので、お金を使う暇も機会もなかったのが幸いした。

今までできなかった分、勉強してスキルを身につけてバンバン稼いで旅行に行きまくってやるわい!と意気込み荷物を整理している私に「やっぱりおばあちゃんに似てるね」と母が古いアルバムを見せてきた。

中には祖母が友人や亡き祖父と共に国内外、様々な場所を旅してきた古い写真が大量に挟まっていた。

最後のページにヨーロッパの古城の前でほほ笑む若い祖母写真があった。

痴呆が始まる前の祖母も、私も、外へ出て新しいものを見聞きするのが好きだった。







もうじき一周忌なので気持ちの整理をつけるために書き出したら結構な量になったので、ここに載せて祖母(と私の精神の)供養とさせていただきます

一年経っても祖母が亡くなって悲しいのか嬉しいのかのかからない。自分のことばかりで申し訳ない。

2019-08-30

父親を亡くして1年経った

50代の父親が末期がんで亡くなって1年が経った。

ホスピス入院して最後の2週間は、自力トイレも行けず、食事もできず、体力がもうほぼ無いのに胆液と胃液と血液が混ざったどす黒い物体を1時間おきに吐いてて、まとまった時間は眠れないようだった。

なかなか思ったように死ねないなあ、と呟いてた父の姿は多分一生忘れられないと思う。

そうしてるうちに、お医者さんから最期タイミングまで睡眠薬で眠らせることもできると提案された。

ただ、人間は朝起きて夜眠る生き物ですから、あまりお勧めはしませんが奥様と娘さんの判断にお任せしますと言われた。

父の言葉を聞いていた私に迷いはなかった。

結局、父は睡眠薬で眠り続け、最期に少しだけ覚醒して、とても優しい響きの言葉にならない声を母と私にかけてから安らかに眠った。

苦しい思いはしたくないと言っていた父の希望を最大限汲み取れたとは思っているけど、それでもあのタイミング睡眠薬を使うことが正しかったのかどうか、そもそも正しさなんてものさしで計ること自体間違ってるのか、

あの日選択が私にのしかかったままもうすぐ一周忌を迎えるので吐き出させてもらいました。

2019-07-19

雨 雨 雨

今週末もま~~~た雨予報。

先月、出掛けるたびに雨だったんだが。

今月も出掛ける日に限って雨なんだが。

しかも遠出の旅行の日に限っては、地元雨止んでるんだが。

ずっと晴れてろとは言わない。

せめてずっと曇っててくれ。

梅雨なんだから仕方ないって思うじゃん?

いやいやなんで土日に限って雨なのよ。

しかも土日どっちか出掛けるって日に限って、出かけない方は雨降らないんだよ、なんなの。

ここまで書いて察しの良い人はお気づきだろう。

はい、私 "雨女" です。

から学校行事とか肝心な時に雨降りなことばっかだった。

中学修学旅行で雨に降られて、そんな状態なのに山登った(靴が死んだ)

高校文化祭は前日に台風がぶつかって準備出来るかどうかの瀬戸際だった(チャリが滑ってこけたしんどい)

身内の一周忌でなぜか雹が降ってきた、痛かった(これ私のせいじゃない気がする)

ディズニーとかテーマパーク系は8割くらい雨降られてる。

今年行った時も雨降ってたよ。雨用のパレードやってたよ。正直何回も見てるよ、もういいよ。


友達にも雨女認識されてるから、「もう慣れた」って言われたよ。

ごめんな、傘持ち歩くの面倒だよね。でも恨まないで欲しい。

しかもさ、こういう記憶って晴の時より雨の時の方が覚えてるんだよね。

絶対いい天気の日に行ったとことかあるはずなのに、どんよりした時ばっかり覚えてるのは私が喪女からなのだろうか。

陽キャになれば晴れるのか?別になりたくないけど。

は~~~~喪女雨女にも人権くれよ。

明日は晴れてくれ、頼むから。なんで日曜日は曇り予報なのに明日は雨予報なんだ。

しかも昼間あーんな晴れてるのになんでなのほんとなんなの。

あ~~早く梅雨明けないかな~~。


明けたところで雨女の戦いは終わらないけど。

7/21追記

ダム行って救世主になれるって行ってくれた人いたけど、雨女はな…自分の楽しみな事とかそういう時ばっかり雨なんですよ………。

なのでダム巡りが趣味雨女さんに任せたいですね。

あと予報通り今日雨降らないみたいだから選挙行こうね!!雨じゃないから行きやすいでしょ!!!

2019-07-08

法事って大変だよね

一周忌から三十三回忌までを一日でまるごとしっかりご供養します(最短1時間)

安心できる定額料金(お布施込み)

オプションで会食が付きます

イオンあたりでやってくれないかな。

2019-06-29

さよならが言えない(1)

母が自殺した。

もう3年も前の話だが、私の中では現在進行形だ。

残暑の厳しさが残る、9月下旬の早朝。

滅多に電話がかかってこない私の携帯に着信があった。

いつもならば眠い時間で、無視して必要があればかけ直すのだが、父の名前が画面に表示されたので、何事かと思って電話を受けた。

父の第一声は、「お母さんが自殺した」。

え?お母さん?自殺?え?

一瞬にして混乱の海に投げ出される。

父は続けて「救急車を呼んで、今待っている」というような事を言った気がするが、信じたくない現実に面と向かう事に必死でよく覚えていない。

鮮明に憶えているのは、呼び鈴と同時に入室してくる救急隊員の声と、それに答えて「救急車が来たからまた連絡する」といって電話が切れた事。

切れた電話のツーツーという音を聞きながら、その後どうしたか憶えていない。

夫の話を聞く限り、隣で眠っていた夫が話し声で起きて、どうした?と聞き、私は事情を話したらしい。

とにもかくにも、実家に帰って詳しい状況を聞かないといけない。

夫は会社に欠勤の電話をし、身支度をして二人で車で2時間実家に行くことになった。

私はタバコを吸うのだが、母はタバコタバコを吸う私も嫌っていたので、お風呂に入る時間をちょうだいと言って、急いでシャワーを浴び、髪についたタバコ匂いを落とした。

気持ちとしては、悪い夢の続きを見ているような変な浮遊感でふわふわしていた。

長い道中の事も憶えていない。

義父に頼まれた枕花を持った重さだけが、私を地上に結びつけているような気がした。

実家のある団地群に着き、階段を噛みしめるように登る。

母の自殺が本当だとしたら、第一発見者の父の気持ちは荒れる海の波のようだろうから私はしっかりしないと…と、平静を装おうとしたが、玄関を開け、並ぶ見覚えのない靴を見て、父の兄弟が先に来ている…つまりは母の自殺は本当だと感じた瞬間、涙が溢れ出た。

しばらく泣いて落ち着いたところで、居間テーブルに用意された席についた。

ふと、母が居るであろう場所を見ると、そこには何もない。

父にお母さんは?と聞くと、今は警察署に居ると言われた。

なんでも、救急隊員が駆けつけた際に死亡が確認された場合救急車には乗せられないルールがあるらしい。

そして、自宅での死亡の為、原因の追求をする為に警察署での検死に回されると。

母は一人で冷たい場所にいるのだろうか。

早く会いたい、顔を見たい、それだけだった。

夕方警察署からの連絡で、母の遺体収容する施設に移すという連絡があり、その場に居た全員で手続きに行った。

涙を流さず、冷静に見える父の、必要書類に記入する手が度々止まる。

「妻っていう字が思い出せない、書けない」

ああ、父も心の中は混乱していて、いっぱいいっぱいなのだな、と思った。

叔母が字を教えて、ゆっくり、一画一画確認しながら書類を書く。

必要最低限の言葉けがかに流れる

刑事さんが書き終えた書類確認し、ご面会はこちらです、と案内された部屋に行った。

私は死んだ直後のままの母が居ると思っていたが、既に白装束に着替え、箱に収められていた。

首には吊った後が残っているのであろう。

首周りに綿の詰められたクッションのような物が巻かれていた。

枕花を頭の横に置き、周囲に流されるように手を合わせる。

遺体を見て、事実を認める私と認めない私が行き来する。

これは悪い冗談なのではないかと、そうとしか考えられなかった。

母は自分の兄を自殺で亡くしている。

父も幼少時に祖父(父の父)を自殺で亡くしている。

母は残された苦しみから、「どんなに辛い事があっても、自殺だけはだめよ」と言っていた。

私はその言葉に助けられていた。

長い期間、学校いじめられ続けていた私にとって、生きる事の大切さを教えてくれた母の為にも生きようと、これまで生きてきた。

でも、その母が自殺を選んだ。

母はパーキンソン病で、近い将来介護必要になる事を嫌がっていた節があった。

自分の両親の看病で苦労したからだろう。

その苦労を父や私にかけない為に死を選んだとしか考えられない。

遺書が無いから、そう想像する事しか出来ない。

からって、勝手過ぎる。

苦労かどうか決めるのは私達なのに。

母の葬儀は、式場の都合で一週間程先になった。

それまでの間、毎日霊安室に通い、好きだったカフェオレを供え、なんで死んだの?と疑問をぶつけていた。

母は自分の将来に、綺麗に決着をつけたと思っているだろう。

実際はそうじゃない。

私も父も親戚も夫も、事情を知った全員がそれぞれに苦しんだ。

その罰があたったのか、もうすぐ葬儀だというタイミングで、綺麗だった母の死に顔に死斑が出た。

家族死化粧では消せない死斑。

人前に出る時に化粧は欠かせない母だったから、このまま葬儀には出せないと、葬儀屋さんに頼んでプロの化粧をして貰った。

今思うと、あの時は父のサポート必死だった。

過去の心の傷と仕事ストレスで鬱になった私は、抗うつ剤睡眠薬を長い事飲んでいたが、母の死を知った日から、それらの薬が効かなくなった。

父と母に会う時間の合間にかかりつけ医臨時でかかって、強い抗うつ剤睡眠薬を処方して貰った。

葬儀が終わるまでは、四十九日が終わるまでは、一周忌が終わるまでは…とにかく倒れる訳にはいかない。

それだけで動いていた。

2019-04-28

ネットに女の居場所はないのか

アノニマスインターネットが好きだ。私が私でいなくても良い、俺とお前らだけの世界

アメブロやインスタのような、習い事手作り子供服DIY☆の世界自分には明る過ぎる。「〜さんのセンス流石です!真似したくなっちゃいました^_^」なんて気恥ずかしい。「乙」一言で十分だ。

俺もお前も、匿名の無個性の画一化された卵アイコンであり、名無しさんであり、増田である名前をつけられ、戸籍を与えられ、如何なる発言自分自身と紐付けされる息苦しい社会から脱出重力を振り切って糞みたいな現実から逃げ出す、それが私のインターネッツだ。

でもどうして、女だと少しでもバレるだけで、それを取り沙汰する奴がいるのだ。

女の増田には必ずと言っていいほど、セクハラとうんちがぶら下がっているのは何故なんだ?

であることは避けようもない私の一部であり、逃げ出したい現実の一部でもある。女と明かすことは、仮面舞踏会仮面をとるようなルール違反なのか?無個性の列からはみ出した罪になるのか?ノーマルは男で、女は亜種だから?でも私は生まれた時から死ぬまでずっと、女なんだ。それは私のノーマルだ。

何故異性になった途端、増田でなく女増田にするのだ。男増田は男増田って言わないのに。姫も女神やらないから、オンゲでやたら優しくしたり、掲示板おっぱいうp言うのやめてくれないか?何を言ってもいいからって、いちいちセクハラしなくていいだろ。別に異性として書き込んでるんじゃないんだよ。

こんなの増田で書いたって何も変わらないのはわかってる。だから、もっぱら現実逃避先に選ぶのは同性しか居ない、5ちゃんねる「もてない女」だ。キラキラしない、マウンティングもない匿名の庭だ。それなのに!糞雑魚ゴミカス童貞君は、男子禁制をやぶって入ってきてはおまんこぺろぺろ言って、中学生か。

スーパーで舞茸78円だったー、みたいなレスに一々俺のキノコ云々。父の一周忌で寂しくなったレスに、俺が慰めてあげる。

それしか言えねえの?死ねよ。

百合に介入する男みたいな、余計さある。鬱陶しいだけ。

2019-04-19

Avicii一周忌に寄せて

Aviciiを初めて知ったのは、アルバムTrue」が発売されて半年後くらいだったと思う。きっかけは、Twitterフォローしていた誰かの呟きだった。Aviciiに関するニュースだった気がするけど、詳しいことは覚えてない。

でも、YouTubeでWake Me Upを初めて聴いたときの衝撃は、今でも鮮明に思い出せる。これまでの概念が完全に崩れた瞬間だった。EDMに似つかわしくないカントリー調の演奏、どうしたって印象に残る力強い歌声と、一度聴いたら離れられない旋律。その全てが初めて経験する音楽だった。

とにかく率直に思ったのは、こんな音楽とまだ出会えるのか、ということ。これでも一応30年近く生きてきて、大抵の音楽は知ったつもりでいた。もう音楽で心を揺さぶられることなんてない。明確に決めつけたつもりはなかったけど、無意識に、でも確実に諦めていたと思う。

からAviciiファンになるのは、曲が終わるよりも早かった。むしろ遅すぎたくらい。Wake Me Upをきっかけにリリースされた曲は全て、何百何千と聴いた。特にAvīci (01)」は新婚旅行で行ったモルディブで一晩中流して、今でも聴くと必ずあの美しいエメラルドブルーの海が蘇る、妻との思い出のアルバムとなった。

***

Avicii引退すると聞いたとき、そしてその理由があまり前向きな理由ではないと知ったときは寂しかった。でも、今振り返るとそれは大したことではなかったように思う。昔ほど精力的ではないにせよ活動はしているようだったし、不意打ちのようなタイミングで発表されるリリースは嬉しくもあった。

ただ、突然の訃報はそんな細やかな楽しみも全て打ち消した。確か休日の朝だった。眠気が一瞬で覚めて、大声をあげて飛び起きたのを覚えている。でも、心のどこかでこれは現実だと冷静に受け止める自分がいて、驚きは波のように引けていった。その後はただただ悲しみだけが満ち溢れた。

今でもこの悲しみを表現する言葉が見つからない。

***

今でもあなたのことを思うと何も考えられなくなる。偉大な才能だったのに。大切な存在だったのに。なぜ多くの人にとって希望だったあなたが、この世から場所を失う必要があったのか。もしこれまでの作品が、あなた尊い命を削ることで生み出されたものだとしたら、私はそれを聴く権利があるのだろうか。正直分からない。

ただ確かなことは、私含め残された者はあなたのいない世界を生きていくしかない。そのとき、きっとあなたが残してくれた作品人生の大きな支えになるということ。これまでも、仕事で辛かったとき人間関係で悩んでいたとき、「Wake Me Up」がどれほど心強く響いたか。どれほど勇気付けられたことか。

あなたのおかげで、また前を向いて頑張ろうと思えた。その事実は決して否定できないし、きっとこの先も変わらない。だから私は、あなたが投げ出してしまたこ世界を、あなた作品と共に生きていきたいと願う。

Avicii、今までずっとありがとう。これからもどうか、安らかな眠りが続くことを心から祈って。

2018-06-12

一周忌

上司が勤務中に亡くなって一年が経った。

去年の今日月曜日で、朝イチの会議からデスクに戻った上司が具合が悪いからと医務室に行ったら。そのまま帰らぬ人になって、霊柩車で送られていった。

正直なところ、心労がたたったのではないか?その一端は自分にもあるんじゃないか?とも思ったこともある。上司は、その前日である日曜日にも休日出勤してたんだそうだ。誰もその事に対して触れないんだけど、もしかしたら超過勤務による労働災害だったのかもしれない。

いま、一年経ったいま言わせてもらうと。

自分仕事がキツいのなら、なぜ部下達に割り振らなかったのかと思うし。比較的に早い段階でSOSサインを出してほしかった。

厳しい物言いと受け止められるかもしれないけど、実際にウチの職場は厳しいブラック職場だった。その証拠一周忌である本日、誰もおもてだって上司の事を口にしなかった。森田童子じゃないけど、たとえばぼくが死んだら一年後すっかり忘れられてんのか?

こんな職場、とっとと出ようと決意した。

2018-04-11

昨年書いた文章。もう直ぐ一周忌が来る。

5月2日に母が亡くなった。

まりに愛おしい母だった。死に物狂いで助かって欲しいと願ったけど、叶わなかった。

僕は自他認めるマザコン。というかマザコンに進んでなった。母は比較高齢で僕を生んだ。小さい頃から他の友達の母と比較して歳なのに気付いてた。「大好きなこの人はいつか死ぬ」その恐怖が僕をマザコンにした。‬

大人になってもデートと称して母と買い物したりしてた。根底には「この人が死ぬ時に後悔しないように」という恐怖があった。‬

‪「きっと、死ぬ時には、俺は”やりきった”はずだからそこまで悲しまないだろう。」と思ってた。全然そんなことなかった。‬

‪何度もゲロ吐くほど泣いた。泣きすぎたら頭痛と翌日体調崩すことを初めて知った。‬

夜、調べたり色んな人に聞いて、「もしかしたら良くなるかも」という希望は、昼に絶望。ほぼワンセット。目の前で徐々に弱っていく。それを見守るのは気が狂いそうに辛かった。‬

看病の終盤で、辛すぎて何度か自殺を考えた。死にたいんじゃない。明日が来ないと楽だなぁって。

調べてみると楽な方法が幾つかあった。眠るように死ねる。苦しくなければ大したことないよね。寝るのと同じ。‬

そうだ、死なんて寝るのと変わらないんだ。そう思うと母の死がすこし身近になった。死ぬなんて大したことないんだ。‬

それから少し楽になった。

はいえ、諦めない。次のアクションを起こそうとしている時に突然危篤が訪れた。

臨終の時。ありがとうや、愛してるや、また会おうね、を笑顔で伝えられた。たくさんキスした。

そして。

僕の命も大したことじゃない。もっとぞんざいに扱え。最後は寝るだけだよ。

痛くて治らない病なら酒とたくさんの酔い止めで自殺してしまおう。‬愛する恋人死ぬ時に一緒に死ぬのも良いかもしれない。‬もうこういう見送りは無理だからね。

‪ああ、母さん、本当にありがとう。僕の最愛の人。本当の意味世界でただ一人俺の味方の人。カッコ良い人でした。

色々言いたいこともあるけど、死んだ後また会えると思ってるから。その時にでも伝えるね。

2018-03-10

一周忌直前に母が骨折

昨年、父が亡くなった。

父の生前は、「こぼした」「シャツの裾が出ている」等と口うるさかったが、いざ亡くなると「本当にいい人だった」としみじみ言っていた。

その後いろいろあったけど、一周忌法要を済ませようという日の直前に母が転んで大腿骨骨折してしまった。

幸い、要介護1であったこともあり、普段来ていた訪問介護スタッフがテキパキと処理して無事に病院入院し、手術も受けることができた。

母は、この手の自分弱者になる経験が少ないようでかなり動揺しており、リハビリがキチンとできるか心配

2018-03-09

眠れないか祖母の話をしたい

祖母は優しかった。いつでも私のことを可愛がってくれたし、私も祖母の前では良い子でいられた。怒られたくないというよりは、悲しませたくない気持ちが強かった。自分のことを、いつまでも可愛い孫だと思って欲しかった。

自分が嬉しかたことを伝えたら祖母も嬉しくなると思っていた幼い頃の私は何かある毎にすぐFAXを送ったし、すぐ電話した。手紙もいっぱい書いた。遠方に住んでいたから、とにかく自分存在を忘れられないように一生懸命だった。(今考えたら疎遠でもない孫を忘れるはずがないとは思う)

祖母手料理ほとんど作らなかった。作れなかったのか作らなかったのかは分からない。いつも祖父母に会いに行くときは2.3日しかいれなかったので、外食をすることが多かった。きっと子供から外食を喜ぶだろうと思ってたのだと思うけど、私は祖母の作るご飯が食べたかった。結局祖母手料理は1回だけしか食べられなかった。おにぎり。誰が作っても美味しいのかもしれないけれど、私は今でもあのおにぎりの味を覚えている。

祖母刺繍が上手だった。亡くなってから知ったことだけど、祖父母の家にあるのれんリュックポシェット額縁に入った布の作品すべてが祖母刺繍作品だった。少し大きい象の人形のようなもの祖母刺繍を施していた。本当は色々やりたかった刺繍があったらしいけど、段々と細かいものが見えなくなって諦めたらしい。やりたいのに出来ないってどんなに悲しいことだろう。

私が高校生になってなかなか祖父母に会いに行けなくなっていた。一般家庭におけるFAX文化も廃れ、電話祖父母のお誕生日敬老の日、お正月くらいに減っていた。それでもたまにする電話祖母は私がする話を嬉しそうに聞いてくれた。習い事を続けて頑張っていたことも褒めてくれた。

祖母は段々足が痛いというようになり、歩けなくなった。父と祖父母の3人で旅行した時、祖母はすぐ疲れたといい椅子に座っていることが多かったらしい。せっかくの旅行なのにごめんねと謝る祖母を見て、父は涙が出そうになったと言っていた。私は聞いているだけで胸が詰まり、お風呂で泣いた。

祖母は寝たきりになっていった。動くのがしんどいと言い、会いに行ってもずっとベッドで横になっていた。足の筋肉は衰えて、私の二の腕くらいになっていた。また私はこっそり泣いた。

祖母記憶をなくしていった。電話をした時、私のことを伯父と間違えた。話が噛み合ってないような気がしたけど、訂正することが良いことなのか悪いことなのか分からず誤魔化した。電話を切ってから父に気付かれないように泣いた。

祖母ものを食べることができなくなった。この頃になると祖母祖父以外の人を誰なのか判別できなくなっていた。新幹線に乗り久々に会いに行った祖母は、祖母だけど祖母じゃない別の人のように感じた。いくらしかけてもこっちを見てくれなかった。そりゃそうだ。毎日何も口にしていないから首を動かす力もないのだ。そこで急に祖母がいなくなることが怖くなって家族の前で泣いた。まだ目の前に祖母は生きているのに。

そして祖母は息を引き取った。祖父も父も伯父も家族みんな揃って最期を看取れたらしい。父は仕事柄頻繁に全国出張に行くので本当にタイミングが合った奇跡だったと思う。

通夜は次の日だったので、その日は普通に仕事に行った。上司に報告して、訃報連絡の書類などは自分で作った。みんなに全然悲しくなさそうだねと言われトイレで泣いた。悲しくないわけがない。

棺で寝ている祖母は安らかな顔だった。ガリガリになっていたから綿を詰めていたのがすぐ分かった。祖父が、棺に入れようと言って私がいっぱい書いたFAX手紙を持ってきた。中には祖父宛に書いたものもあったが、祖父は構わず全部入れてしまえと言った。ちょっとそれはないわと思って笑ってしまった。

祖母に送る最後手紙はいつまでも私のことを可愛い孫だと思ってもらえるような内容にした。天国で再会した時に可愛がってもらわなくちゃいけないから。

おばあちゃん、ご飯はいっぱい食べれてますか?私がそっちに行った時は豪華な手料理食べさせてね。

あと、おばあちゃん刺繍の本と糸もらったよ。1年かけてまだほとんど何も作れてないけど、一生の趣味にしたいんだ。おばあちゃんの血が入ってるから才能はあるはず。数十年後、私の棺に作品を入れてもらう予定だからその時にまた見せるね。

一周忌仕事で行けないような孫でごめんね。おばあちゃんいつまでも大好きだよ。

2018-03-01

友達がいなくなった

友達出会ってから別れるまでの経緯。

2年ちょい前、Twitterでよくある○○が好きな人というタグで知り合った。

当初はお互いよそよそしく、正直そんなに仲良くなれないだろうなと思った。

でも、色々と共有するものが増え、お互いの好みを把握し、ちょっとしたことを乗り越えて、なんだかんだ一年もった。

お互い決して穏和な性格ではない。ためてためて突然キレる。

恐らく、物理的な距離関係で一度も会ったことがなかったのが幸いしたのではと言う結論に至った。

1年越えた辺りで、友達自傷をしていることをさらっと告げてきた。

この人が!?と驚いたけど、なんでもない風を装った。もしかしたら動揺が伝わっていたかもしれない。

過去にも自傷をしていた友達がいたので、記憶を辿りながら話をしていった。

ちなみに私も友達若いうちに死にたいと言うことを話すようになったのもこの頃だったし、私が心療内科に通い始めたのもこの頃だった。多分。

友達はどうだったかからないけど、少なくとも私は同じ悩みを共有する相手いたことに本当に救われた。

死にたい、苦しい、辛い、逃げたい、助けて。

暗い感情を分かち合う人がいることが心を軽くしていた。

DMでそんなことをどちらかが送る。内容によっては当日じゃなくて次の日だったりするし、どちらかがSOSを出した時はちょっと急ぐような、そんなゆるい感じだった。

ただ遅れても絶対に返事はする。たとえ用事が済んでても。それはなんとなく出来ていた約束のようなもの

友達はいつも真面目な返答だったから、私も本音で返していた。

三十路前には死にたいね、と笑いながら話していた。

で、知り合って2年経ってようやく友達と会うことになった。

私が好きなジャンルプチオンリーが初めて開催されることになり、何が何でも行かなくては!と言ったところ、友達も行くから会えるねと。

10分くらいだったろうか。その後お互いに用事があるからと立ち話で終わった(笑)

お互い死ぬまで会わないかもねとずっと話していたけど、会えたことが本当に嬉しかった。

「次会う時はどっちか死んでそうだよねwww」なんて言いながらハグして別れたけど、私は名残惜しくて少し泣いた。多分友達は知らない。

それが友達の顔を見た最初最後でした。

それから友達状態は目に見えて悪化していたけど、実家だし大丈夫だろうと思っていた。

一週間音沙汰がないことも増えてきて、その度に時間は空くけど返事があることに安堵していた。

そんなことが続いていて、私が少し他のことにかまけていた間に友達ツイートが止まっていた。

『死にます。今までありがとう』と言った内容だったけれど、いつものかなと思って、生きてる?なんてDMを送った。

それから2週間返事がなかった。

友達推しキャラソシャゲイベント告知があり、これで戻ってくるだろうと思って再びDMを送った。でも返事はなかった。

この時点でも閉鎖病棟に入って隔離でもされてるのか、重課金が親にバレて携帯没収されてるのかなくらいにしか思ってなかった。

過去にそう言う友達がいたのでそんなに焦っていなかったのも良くなかったと今は思う。

それから1ヶ月、もっと早く動けよお前と言われても仕方がないのだけど、友達宛にはがきを出した。

元気?連絡下さい、と簡単に書いた絵はがきだった。

閉鎖病棟入院していても、携帯を止められても親の目に入れば安否確認は取れるだろうと思った。

それまでも誕生日クリスマス等、イベント毎にプレゼントを贈りあっていたので、友達の親にも私の名前と住所は知られているからいけると思った。

1ヶ月も間が空いたのは、私のもしもの予想が当たっていたらどうしようという気持ちがあったからだった。

どうか本人から連絡がきますようにと願った。

日経って、仕事上がりに携帯を見ると見知らぬ番号から着信があった。

私は知らない番号は詐欺宣伝等の恐れがあれば拒否設定をするのに全て検索をかけるようにしている。

どこの野郎だと鼻息荒く検索をかけたら、友達の家があるところの番号だと分かった。

動悸がした。手がふるえた。信じたくなかった。

恐ろしくて、すぐに掛け直せなかった。

次の日の夜、思い切ってその番号に電話をかけた。

手も声も震えていたと思う。

そこからの会話は今も信じたくないけど、ご家族から1ヶ月以上前に亡くなったと聞かされた。

ご両親とも私が名乗るとああ、とすぐ分かってくれたし、あのプレゼントの方ですよね?と言ってくれて、友達はご家族によく私の話をしてくれていたようだった。

私へお返しのプレゼントを一緒に考えていたと聞いたところでもうね、泣いてしまってね。

死因は聞けないけど、想像通りなんだと思います

四十九日も過ぎたので、一周忌前には会いに行きたいと思ってるんだけど、心が追い付かないのが現状。

もっと早く気付けていたらまだ生きていたんじゃないか

でも生前苦しみ続けた友達がやっと楽になれたのは嬉しい

ももう一度会いたい

色々と考えてしまうけど答えは見つからないし、仏前に手をあわせるまで受け入れられないままだと思う。

私は幸いと言うべきか分からないけれど、ネットを越えてつき合いがあったので友達の死を知ったけれど、SNSでつき合いのあった人が突然死んでも気付かないんだなっていうこと。

しかけて返事が来るって当たり前のことじゃない。

もう一度返事してほしいなって今も思ってしまう。

からみんな友達大事しろよな!ってことでもなんでもなく、ただ私が今の感情記憶を忘れてしまうのが怖くて書き留めてるだけです。

二人だけの秘密も徐々に忘れて、いつかそんなこともあったなあって思うのが今は怖いです。

2018-02-08

ご受戒も戒名も要らん

私本人は、特定信仰を持たない。寧ろ持ちたくないし、嫌い。

夫は日蓮正宗信徒

再婚同士。

先月、姑の一周忌だった。法要正宗のお寺で行った。

私的には、夫の信仰尊重するけど、和して同ぜず。そんな感じ。夫もそれで良いと云っていた。……直前まで。

話は遡るけれど、義母の本葬のとき夫の息子(成人済み。私とは血縁も縁組もない)に、「正宗ですか?」って聞かれた。

普通、成人済みで家も出て行った息子が、父親再婚相手(の実家)の宗教なんか、いちいち確認しないと思う……。正直ドン引きだったけど、葬儀の忙しさで正直すぐにそんなことはすっかり忘れてた。

それを思い出したのが、姑一周忌の直前。数十分前。

なので、

「お義母さんの形見分けとか、お義姉さん(夫の姉。僧侶の妻)からいろいろお手紙が来てたみたいだけど、私は信徒ではないから、お数珠とかは宗教的ものは受け取れないし、生前の縁も薄かったから、何もいただく気はないよ」

って話した。ついでに、

「私は信徒じゃないし、入信する気もない。お弔いだから参列するし、お経も一緒にあげるけど、信徒さんかって誰かに聞かれたら否定するよ。それは解ってね」

とも話した。

そうしたら夫が、

「ご受戒だけ受けて、戒名は貰ってないって今回は誤魔化す。戒名ないとうちのお墓に入れないから」

とか云う。

ねえ、それおかしくない?

何で宗教とかで、嘘つかなきゃいけないのよ?

私、散骨希望って云ったよね? 戒名も年忌も要らないって。

別に妻が信徒じゃなくったっていいから、入籍したんじゃないの?

嘘ついて誤魔化さなきゃならない存在なの?

入籍して5年。ずっとそう思われてきたってことか?

なんかもうとにかく許せない。

もし今土下座で許しを請われても。頭蓋骨粉砕して【いとしきみこと】するまで、踵落としするレベル

姉が僧侶の妻だからって、自分再婚相手宗教まで日蓮正宗にしなきゃなんねーのかよ。冗談じゃねーよ。

結婚前にお互い尊重するって約束したのは嘘かこの野郎。騙してやがったのか糞野郎

だいたい、嘘で受戒だの戒名だのって、本当の信仰心を持って日蓮正宗信徒やってる方に対し、すっごく失礼だろ。

何の落ち度もない真面目な信徒さん(夫にしてみりゃお仲間さんだ)に対して、私が無礼な振る舞いをすることになると、何故気づかないんだよ!

一人の信徒が(しか僧侶の身内とか、信心の持ちようがかなりディープ人間)、非信徒に対しそれをやるってことは、日蓮正宗全体として、嘘OKってことと受け取るぞこのド腐れ野郎。例え方便ってやつでもな!

離婚を考える程ではないんだけど、信頼感がマイナスになってしまった。

この1か月、言葉にも態度にも出さないようにしてるけど、本当に辛い。

仏壇ブチ壊したくなる。

2018-01-31

さようなら時天空

時天空をご存知だろうか。時天空モンゴル出身力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたし時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。

土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。

時天空は裾払いが得意だ。蹴手繰りだって飛び出す。

時天空相撲は、わたし相撲だと漠然と思い描いているもの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたし時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかたらこんな感じなのかもしれない。時天空相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。

そこまで言うなら時天空相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空引退してしまって間垣親方になってしまたからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空間垣親方は亡くなってしまたからだ。時天空2017年1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。

から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。

力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。

それに時天空は、四股名SFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。

同僚と国技館相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。

「この人は足技がすごくて!」

などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これから応援しよう!と思った。

でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。

肋骨骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館チケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。

わたしは、時天空手紙を書こう!と思った。もしかしてまり読めなかったりして?と思ったが、時天空日本語ペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退間垣襲名会見のニュースがあった。

引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しか仕事からそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。

お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたし安心してはしゃいでいた。

その後すぐ元時天空間垣親方大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。

時天空という力士幕内からいなくなってしまたことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。

わたしそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。

時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴル平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったもの柔道東農大スポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。

朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論テーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国人口動態に関する研究」、興味深い。

わたしはにわファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばベテラン力士幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。

亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所トゥクトゥクに乗っている写真赤ちゃんをだっこしている写真後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク

解説動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。

一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手バランスを崩して勝っていたと思う。

時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。

日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。

時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。

追記:ニュース相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現特定力士侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。

2018-01-11

幸せについて本気出して考えてみた

幸せについて本気出して考えてみた

幸せ」とそれに関係する「怒り」「哀しみ」について書いてます

本気で考えたから長くなったし、読みにくいと思う。

生きる目的は「幸せであること」で、その先はない。

生活が豊かになっても、富を得ても、幸せでなければ意味はない。

「人より生活が豊かである」ことに幸せを感じる人もいるだろうが、 「あらゆる人より」は世界に1人しかいないので、「誰かより」と人と比べることになるだろう。

どんな環境であっても、自分幸せだと思う人もいれば、常に自分は不幸だと思っている人もいる。

自分が何のために行動しているのかを、もっと掘り下げて自問しなければ、自分自分理解できない。

自分理解できない自分」を他人理解してもえることはほとんどないが、稀にあり、その出会い幸せであるので感謝する。

自分が何のために働いているのか」「何のために怒っているのか」「何のために勉強をするのか」「何のためにそこに住んでいるのか」

「何のために」を達成する手段は、それ1つしかないのか。

幸せのカタチは結局人それぞれ。

何が自分幸せなのかは、自分で見つけるしかない。

幸せになる方法は、あらゆる選択肢の中から自分の「好き」を選ぶこと。

付き合う人や孤独であること、仕事仕事でない生きる方法、住む国や場所、食べるもの、着る服、宗教無宗教など、すべてを「自分の」幸せと照らし合わせて選んぶ。

自分幸せと、人の選択を照らしあわせて、自分に合わせようとする人のことを「傲慢」と呼ぶ。

傲慢は誰も幸せにしない。傲慢であることに幸せを感じる人もいると思うが、私はそういう人とは付き合わない。

「正しいこと」や「正義」はない。それはただの1つの方法

幸せを実現する手段を教えることはいいことだが、その選択自体は、他人にとやかく言われることじゃないし、他人に口出しするものでもない。

みんな幸せのカタチが違うし、選ぶ手段が違う。

「人それぞれ」という言葉不安を覚える人は、宗教学問を選ぶと、自分以外の場所に確かな指標や信じるものが出来ていいと思う。

それを信じている間は、幸せのカタチを変えられないというデメリットも分かっていたほうがいい。

宗教だって学問だって、信じられなければ変えればいいと思うけど。

人の好みに共感できなくても、理解はできるから、「同じ幸せ」を感じられなくても、「一緒に幸せ」になることはできる。
人が幸せになる、人を幸せにすることに幸せを感じる人は、そういう仕事活動をすればいいし、しているだけ。

その手段相手に対して間違っていることがあるかもしれないが、それを「偽善者」の罵る人は、想像力が足りない。

お金はただの手段目的あくま幸せ

お金があること自体幸せを感じる人は、自分をまだあまりわかっていない。

お金あっていいな」とは思うけど「お金あればアレができるのに」はみんな違う。

自分が何を幸せに感じるか」を知って、それを人に伝えれば、コミュニケーションはうまくいく。

「そのために何をしている、何をする」が近い人とは過ごしやすいし、「その手段もあるのか」「こういう手段もありますよ」がお互いを幸せにする可能性を広げる。

わたしはこっちがいいんです」と言われても、それはその人の幸せのカタチなのだから、落ち込む必要も怒る必要もない。

目的を1つに絞る」という考え方自体は、たぶん禅の考え方。

こういう考えが自分に合ってるというだけで、それこそ個人個人もっと合う考え方があると思う。

数多の国・宗教文化があり、法律戒律は違えども、すべての目的は「幸せになること」で、根っこの部分は本当によく似ている。

人の行動原理は大きく分類すれば「幸せ」「怒り」「哀しみ」「恐怖」

幸せのカタチはみんな違うけど、皆自分生活をより良くしたくて、または今の良い生活を維持したくて、行動している。

怒りは分析すれば、ある程度抑えられる。

怒りを感じる事自体は悪いことではなく、あたりまえの本能なのだけれど、それで幸せが遠のくのであれば、感じすぎないほうがいい。

怒りの成分は大きく分けると「自分幸せへの危害」と「嫉妬」くらいだろうか。

嫉妬について

嫉妬とは「相手幸福により、相対的自分が不幸になること」に対する怒りであり、あんまり自分幸せがなんなのか分かってない時にあふれだす。

嫉妬は人と比べて幸せを感じる人が持つ感情

自分幸せ手段である何かを持っている人に対して湧く感情なので、消し去ることはできない。

「今嫉妬してるってことは、自分もああなりたいんだなぁ」と言い聞かせて、「羨ましい」と言葉にすることで、少しは解放されるかも。

「それを持っていることでなぜ幸せなんだろう」と掘り下げることで、「元から嫉妬するようなことでもない」と気づけるかも。

自分幸せへの危害による怒りについて

直接自分幸せに害があるときは、怒って当然。

「怒り」は「幸せ」を守っている。

ただ、必要以上の怒りは、怒っている本人を含めて誰も幸せにしない。

「何に怒っているのか」を自分理解して、それ以外のことにぶつけてはいけない。

怒りの多くは、その原因を取り除けば解決できる。

「その手段しか幸せになれない」と思っているから怒るのであって、他の方法を探すことで、かなりの怒りから開放される。

他人に対して怒りが湧くときも、お互いが「相手幸せになりたくて、その行動をとっているんだ」と思えば、多少軽減できるし、「じゃあどちらも幸せになるように新しい手段を探そう」と原因の解決に迎える。

あらゆることに対しても怒りが湧くときは「眠い」か「疲れている」か「お腹が空いている」。怒っても解決しないので、うまいもの食って休もう。

「怒り」から遠ざかることで、「怒り」から遠い存在である幸せ」に近づくことができるのではないだろうか。

「哀しみ」の解決方法は、模索中。多分見つからない。

哀しみを感じる事自体も悪いことではなく、あたりまえに持ってる本能だけど、それで幸せが遠のくようであれば、感じすぎないほうがいい。

幸せも怒りもわりとすぐに忘れてしまうけれど、哀しみはなかなか慣れない。

怒りと違って、死や離別など、原因を解決できないことがほとんど。向き合って鎮めるか、逃げるしかない。

哀しみから逃げる第一候補は、宗教

仏壇に手を合わたり、十字を切ることで、寂しさから解放される人もいるだろう。一種ルーティーン。

大事な人やモノを失うと寂しい。いつもの幸せな日々が終わってしまうから幸せときにいつもやっていたルーティーンによって「大切なものの1つを失ったが、今も幸せである」と思い出す。

それは幸せなのかと言えば、そうではないと思う。哀しみをごまかしているだけではあるが、他にいい方法がない。

哀しみと向き合うのは、辛すぎる。

そもそも向き合うつもりがなくても直面してくるような感情

どうあがいても哀しいものは哀しい。

今ふと、「哀しみを忘れるのは非情だ」という風潮にちょっとだけ疑問を感じた。

ずっと哀しんでいないといけない雰囲気がある。

それって誰が得するかと考えると、やっぱり宗教なのかなと。

仏教で言えば、初七日四十九日一周忌とかね。

余計に哀しむ必要はない。普通に過ごせば、みんな充分哀しんでると思う。

「哀しく感じていた感情を忘れる哀しさ」があるのも、また真実

哀しく感じなくなったからと言って、愛していた事実がなくなるわけじゃない。それだけを愛情のモノサシにしなくても良いのでは?

はいろんな人に愛されていると思っているから、私が死んだときにはそう考えて欲しい。

恐怖とは

「恐怖」とはなにかを考えると、「幸せを害される」ことに起因する感情

自らの死、病気老い孤独蔑視など、人生においては恐怖も少ない方がいいが、避けようがないものもある。

1つの対処法は準備。

病気にならないように、情報を集めて健康でいる。

孤独にならないように、人に尽くして、人徳を積む。

蔑視されないように、努力して、結果を出す。

結果を変えることで、恐怖から遠ざかる手段

覚悟」も対抗策の1つ。

悪い結果を想定して、余裕を持っておく。

恐怖を乗り越える「覚悟」を持っていれば、もはやそれは恐怖ではない。

そしてもう1つ考えた方がいいのは「そもそもその恐怖の対象は不幸に直結しているのか」

老いたから、即不幸なのか。何ができなくなることが不幸なのか。若いままでいて、何ができることが幸せなのか。

病気孤独蔑視もそう。それ自体が不幸なのではなく、その結果なにかができなくなることが不幸であり、逆に何かしたいことができるままであれば、それ自体は恐怖の対象ではなくなる。

最後に残る恐怖は「死」のみ。

「死」の恐怖はすさまじい。「死」は積み上げた幸せを失う。

死は避けられない。どんな生き物でも100%死ぬ

死んだことがないから、またわからない。わからないものは怖い。

対抗する手段は「人生に満足すること」ではないだろうか。

あれもしたかった、これもしたかったはたくさんあるけど、「この人と一緒に過ごせてよかった」とか「得られるだけの幸せを手に入れた」と満足することこそが、生死の際まで幸せでいられる手段ではないだろうか。

この世との別れは哀しい。それは絶対に避けられない感情だけど、それより人生に対する幸福感が上回れば、受け入れられないものでもないのかも。

うん、やっぱりどう考えても今は死にたくないな。

もっともっと妻や家族や友人と、楽しい時間を過ごしたい。

長生きするのは不幸だという意見だったけど、失う対象が少ない状態死ねると考えれば、今はじめて、少しだけ羨ましくなった。

幸せな死」にこれから出会えることがあれば、そこから学ぼう。

出会う前に死んだら、仕方ないな。

幸せについて、考えられる日は、幸せな日だけだな。

怒りや恐怖について考えられる日も、多分幸せな日だけ。

哀しみについては、哀しい日の方が考えられるかも。

余裕ができたら、余裕がなくなったら、また読み返そう。

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