はてなキーワード: 法学者とは
真正のゴミクズ人間って安倍晋三でなくて2005年からですね、あのくそつまらない法学入門の刷新版を温めておいた法学者だと思いますが、佐伯仁とか、あの辺からわざと
正解を書かなくなった。
平成30年になってからようやく2ちゃんねるで、パスカルの定理が出てくるところだよwwwといって自慢してた中央省庁のガキが自殺して全部ネタ晴らししたんですね、ズルしてたやつが
今の日本社会という大宇宙に広がっている問題点ってそういうこてじゃないと思うんですね、何を出さなければいけないかというと、法律のネタ晴らしなんでそれが何と同値であるかを突き詰めて
多くの着想で警官や裁判官を困らせるしかない。でもそれができなかったんですね。難問だから。
難問の解き方は私が知ってる限り2つあります。1つは、問題の一部分に定理を立ててそれで通す方法と、フェルマー予想のように、 y^2=x(x+u^p)(x-v^p)という関数が modularにならない
ことと同値であるところまで突き詰めてからちゃんと正しく着想していけばそのうち到達するだろうというやり方があります。いちいち読みませんが。
自分で解いたわけでもないし、あの佐藤のゴミクズが、みんなに知らせようとしてるわけだから。
そうやっていって、どうやったら今の日本社会という大宇宙が立つかっていうととにかく、実にくだらんので、それをぶち壊すのと同値で、そこに色々持ってこないといけないわけですよね
幾何学でもそうだが、今月の、Newtonに、パスカルの定理が掲載されていたのをちらとみた。パスカルの定理とは何かというとそういうものであって証明技術ではない。しかし、同定理が
証明技術それ自体ではないからといって、別の問題を証明するときにパスカルの定理が出てくることが驚愕的な論法であると幾何学者の間では言われているので、パスカルの定理はものである
とともに技術に使用される定理である。ところで法律学においては単に一般に法令が交付されるだけで、そこに書いてあることがどのような技術であるかは一般的に語られることもないし、
2ちゃんねるの法学板、司法試験板、霞が関の基本書などからも説明が消滅した、遺跡のような学問である。では、裁判官や検事がなぜ実務法律学の技術を説明できないかといえば
簡単なことで、40年くらい前に朽ち果てて誰も理解できないからである。ちょうど、現在の東京大学経済学部、医学部でやっていることが意味不明なのと同じように、判例六法は存在していても
そこに書いている技術が高度過ぎて理解できないからである。経済学部や医学部でやっている研究が過激なのと同じように、法学部でやっている研究が小学生でも理解できるなどと言われる
いわれはない。当然、難しいに決まっている一方で、若い世代が誰も理解できないのを知っているから老人が黙っているわけである。数学の定理がそういう結論であり、証明は、公理系を用いて
その結論を導出し、支持する作業であるのと同じように、法律の場合は、ものや技術が複雑に込み入っている。しかし、例えば、集合債権譲渡担保の問題のように、それのものや解釈技術などが
どのようなものであるかについて詳細に解説している法学者はいない。かつては、都立大は、民法学のおけしゃ、東大では、森田宏樹、等の他、判例百選に評釈を書いていた学者が多くいたが
法学部生はそれを読んだというだけで何が書いているのか分からない。流動債権譲渡担保の制度は、60年前からあったわけではなく、平成に入ってから編み出された構成であり、様々な民法学者
が論文を書いている。しかし数学者と違い、法学者は、どの制度がどのようなものであるかについて一般に説明することもないし、遊んでいる者が理解できるように書かないのが一般である。
しかし民法判例百選に限って言えば、そこの文章に、「この判例を契機に華々しい議論が陸続した」などと書いていることから、背後に何らかの技術的思想を隠しているものとみられる。
東京大学法学部は一般に昭和時代からの伝統として、幾何学をしないような者は入れないところであるので、民法学の内田貴、江頭憲治郎などの先生も、自分たちはちゃんと一流高校で
幾何学をやってきた貴族であるくらいの顔をして講義をしていたのを、わたくしが法学部にいて授業を受けた時代に覚えている。さすがに内田貴先生はパスカルの定理には触れなかったが、刑法の
西田典之先生は、わたしは先日風邪をひいて驚愕しました、という言葉を最後に死んでいった。西田典之先生は平成18年の講義で、まあ今時こんな授業を受けている者はいないでしょう
などといっていたが、商法の友厚にしても、自分たちは知能指数が高いとか、文化性があるとか、数学を全部知っているという自慢がすこはかとなく凄かったようには思う。
このように、東京大学法学部は、開成、灘、ラッサールなどでちゃんと幾何学をやってきたし知能指数も高くこれからの霞が関高級官僚にならんという自慢の凄い学部であったとは思う。
しかし、警察官僚の小笠原ぺちちのように、東京大学法学部は、ぺちちわら和美がいくようなところではないので、わたしの時代は、なんというかもっと、そこの学生は、灘、開成、ラッサールで
育てられた特別な人間というオーラが凄かったので、そういう学生に囲まれてじぎょうを受けていた時代は幸せだったというか誇らしかったが、確かに、東京大学法学部は、真面目で、幼少時から
英才教育、特別に育てられてきたという意味で若い者に自慢にはなっていたが、平成19年にハーバードから帰ってきた佐藤の言っていることは自慢にも何にもならない。
平成4年に東大法学部を卒業して国家試験3冠だった佐藤というのはにせものの人間です。ちょうど高野伸君が庭で自殺した年なので、しかも40代なので、
団藤重光は、戦後30年にちゃんと勉強して法学者になった本物ですが、佐藤が学生だった相当以前に最高裁を退職しているので、佐藤が団藤先生の
『この一筋につながる』(岩波書店、1986年、新装版2006年)
というのだけが書架にあったのでそれだけ読みました。内容は特に覚えていない。最高裁判事には、団藤以外にも、 藤林益三など、豪傑と言われていた人がいたので、藤林益三の本も
あったように思います。
戦後30年がどれだけ凄かったかは、東大の図書館の中に入れば分かりますが、佐藤は、地方創生で、地方の若者にそこをみられると、東京が凄かったのが困るのでそういう修学旅行も
刑法には特に趣旨目的を明示した条文はありませんが、刑法にも趣旨目的はあり、結局は、国民に対しての重要な禁止事項を明瞭に列挙してその法的安定性を強く確保するとともに
国民の人権及び公共の福祉に資するところを目的とすると思います。ここで刑法は道徳事項を垂範したものではなくあくまで社会のルールを規定したものであり、このような法律の目的が、
法的安定性の確保にあることは当然だが、法律の条文そのもの自体が憲法13条に規定する人権や公共の福祉を目的としているかというと疑問である。法律には人権や公益と言った
ナマの概念を直接的に保護する機能はないので、しかし、法律には一般に、目的規定が存在し、人権や公益に資することを目的とするとは書いている。
立法技術として誰にでも理解できるような概念を用いて社会のルールとしなければならないがその際に四角四面に規定すると憲法13条の最高原理を確保できないので、13条の最高原理
を確保するように条文を制定しなければならないがはっきり言って平成時代における法律教育において立法技術と解釈技術に関する教育は完全に欠如しており、法学部でそれをやらないのは
むろんのこと法科大学院のカリキュラムは何をやっているのか全く分からない。そして刑事法の中で各種の法律の目的に資するように条文を規定し解釈する中に、いわゆる技術哲学として、
そもそも水着撮影会を憲法的に問題あると言っている弁護士がどこにもいない模様
寺町先生のご意見からすれば、公的施設で行われる共産党などのイベントも、広範かつ自由な行政裁量で全て禁止できますね。泉佐野事件とか問題にするまでもない
https://twitter.com/harrier0516osk/status/1672811573335977984
共産党は論外だが、県にも問題がある。きちんと憲法解釈ができる人間が地方公共団体には必要。埼玉県庁にはインハウス弁護士はいないのか。
https://twitter.com/otakulawyer/status/1667017003025207297
観測している限り、「都市公園法1条に反する」という理屈を支持してる法律家・法学者は1人もいない。それくらいの暴論。法学部で不可になるレベル。
https://twitter.com/take___five/status/1667164333732687873
児童ポルノであれば製造罪等で処罰されるでしょうが、水着はちゃんと着ていれば「衣服の全部を着けた児童の姿態」。
「衣服の全部を着けた児童の姿態」であれば、「殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀でん部又は胸部をいう。)が強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」であっても児童ポルノにはなりません。
男性の性被害を認めない社会 元ジャニーズの告白、孤立させないで
ジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川氏(2019年に死去)による所属タレントへの性暴力疑惑で、声を上げた被害者は全員男性です。
ジェンダー法学者にはなんの意味もない。嘘を嘘と見抜けない。事件をでっちあげて利用したいだけ。
今回の性暴力問題は、学校やスポーツ指導でも見られる構図と同じ、とも指摘。被害実態の究明、被害者のケア、未然に防ぐ方法は――。柳本さんに聞きました。
ジャニーズ性暴力疑惑とメディア 元文春記者に聞く、23年間の絶望
――元ジャニーズJr.による性被害の実名告白が相次いでいます。
「最初に記者会見した方、後輩のことを思って名乗り出た方々に心から敬意とねぎらいの気持ちを表します。貴重なことを語ってくれています。勇気ある告白、という報道表現は要注意です。『言えなかった/言えない私は勇気がない』『やっぱりダメな男だ』と、自分を責めている人もいるかもしれません」
その前に嘘をついているんですよね。このバカは正気ではない。ジェンダー法学者は軒並み無能な馬鹿です。
「彼らは『シャワールームに行って、体を洗い流した』『涙が自然と出てきて、止まらなくなった』などと告白しています。この反応は、女性の性被害者と共通します」
書いた人が小川たまかだからです。でっちあげだから女用テンプレしかないわけ。
「この社会では性別にまつわる固定観念が根強く、性被害を受けるのは、力の弱い女性というレッテルが貼られています。そのため世の中で『強い存在』とされている男性が被害を受けると、信じられない、受け入れられないという意識が出てきます」
「そもそも性暴力は女性が被る問題という意識があります。男が男に襲われるなんて、信じられないし聞きたくない。そんな社会的な否認があります。だから、多くの人が耳をふさぎ、目を背けてしまうのです」
Colaboが生活保護を不正受給しているのも否認しているジェンダー法学者ごときはクズですね。
それをやっているのご自身です。
「いまでも社会的な否認は強いです。社会に対する自分の信念を崩されたくない。女性が性被害に遭ってもそうです。凶悪な男が、かわいそうな女に性暴力を振るう。そんな分かりやすいストーリーでないと、社会はなかなか受け入れません」
それに乗っかって草津町長を名誉毀損したのは朝日新聞でしょう。
「今回はジャニー喜多川氏という大物が、芸能界で頑張っていた少年に性暴力を振るったという構図で、話題になっています。普通の男性が普通の男性に性暴力を振るった時にも、大変なことだ、と捉える意識を持てる社会になってゆけるかが問われています」
「男性が性被害者になるというのは、昔からあったことです。けれども日本の
「現在、『強制性交等罪』を『不同意性交等罪』に改める刑法の改正案が国会で審議されています。これまでは抵抗したかどうかが被害者に問われましたが、同意がなければ犯罪となりえます。性被害は女性の問題と捉えられてきましたが、性別に関係なく誰もが被害者にも、加害者にもなりえるのです。つまり、性被害はみんなの問題となるのです」
ところで冤罪になるのは全て男性ですが、どこがみんなの問題ですか?
ノーと言えなくさせる「グルーミング」
――子どもへの性暴力では「グルーミング」の問題も指摘されます。
「グルーミングはもともと動物の毛づくろいという意味ですが、子どもへの性暴力においては、加害者が巧みに被害者の心をつかんで接近する準備行動を意味します。性暴力が実際に行われるのは、二人だけになれる場所が多いのですが、そこは最終段階です。権力の乱用によるグルーミングでまず立場の弱い人を手なずけて、もう断れない段階に追い込む、ということが見られます」
このジェンダー法学者は非常に人間関係が薄っぺらい。人を利用することしかしない。
「この人についていこう、という強い信頼関係に基づく気持ちを持たせる。その上で少しずつ相手を追い込む。最終段階に追い込まれた相手は、『この人に逆らったら、もうデビューできないかもしれない』などという恐怖も起こり、ノーと言えなくなるのです」
「今回、被害を告白した方が『ジャニーさんには個人的に感謝の気持ちを今でも持っています』とコメントをしていました。大学の男性指導教員から性暴力を受け、民事裁判で勝訴した女性は、『教えてもらったことは感謝している』と話していました。性暴力は悪と言えますが、被害者の気持ちは、善悪の二元論では語れない複雑な状態になることもあります」
当然でしょう。嘘つきしかいない。
「会見や国会での野党ヒアリングでは、被害に遭った当事者だけが登壇していて、心配になりました。被害者を孤立させてはいけません。女性の性被害者の場合は、弁護士や支援団体が近くでサポートするのが通常です。大切なのは、あなたを信じますという声を伝えることです。被害者と社会とのつながりを切ってはいけません」
どこまで浅ましいんだ。
※これは5/27時点でのbingAI(gpt4)に関する情報です
突然ですが、まーウクライナ戦争は明らかに米露(米中)の代理戦争なのであって、gpt3.5もその点は即座に認めておる次第であります
「ウクライナ戦争は代理戦争ですか?」と訊くと、「ウクライナ戦争は米露の代理戦争の側面を持っています」と即座に答えが返ってきます(※これはリリース当初の情報でした、現在は一旦否定してくるものの、議論を進めると認める仕様になっている模様)
しかしbingAI(gpt4)君はその辺強情でして、ウクライナ戦争は絶対に代理戦争ではないと言い張っておる次第です
そのため、彼を論破するべく今日も今日とて色々論陣を張っておりましたのですが、結局マイダン革命に話が及びまして
マイダン革命とは、ウクライナにおいて2014年に行われた革命でありまして、その際に親露政権が追放され、親米政権が樹立されるきっかけとなった出来事です
私は「マイダン革命によって成立した現ウクライナ政府は民主主義的プロセスである選挙を経ておらず、つまり主権者である国民の承認を経ていない非主権的国家なのであって、そのような非主権的国家がNATOなどの他国の影響下でバフムトなどの要塞化を進めていたことは、ウクライナ戦争の代理戦争の側面を強調しているであろう」と指摘したわけです
すると次のような文言が返ってきました
僕「でも革命は憲法の記載のないプロセスで、民主主義的なプロセスではありませんよね」
gpt4「憲法には明記されていないが、自然法によって保障されている」
何言ってんだこいつと思いまして
調べてみましたところ、例えばアメリカ合衆国憲法には革命権について明記された記述はありませんでした
しかし、一方で憲法とは別の、独立宣言に革命肯定の記述がありまして、そのことから革命は人間の本来の権利であることが認められると法学者たちが見做していることが分かってきたのですな
だって、革命は基本的に暴力を伴いますし、時には死人が出ますよね
要は、自然法が仮に革命を肯定しているとすれば、それは間接的に暴力を肯定することになるわけです
それを国民の権利として認めることには、問題があると言わざるを得ません。暴力は時に殺人を伴います。現に、過去行われた革命闘争においてはたくさんの殺人が伴っていました。そのような殺人を含む革命を安易に「自然の権利」として認めることには問題があるではないか、と
つまり、AIは極左的な側面を持っているということになると思います。暴力革命を肯定しているのですからね。
しかも、根拠は独立宣言という極めて政治的なコンテクストを含んだ原典です。
AIは結局、現行の政治的文脈に即して発言をしているのであって、本当に客観的な判断をしているわけではないことが分かりました。民主主義的であるわけでも、憲法に明示されているわけでもない、暴力的なプロセスである革命を肯定しているんですからね。
それはあくまで政治的コンテクストに倣った判断なのであって、客観的な判断とは言えません
そして、ここで指摘したいのは、これまでのアメリカが行ってきた他国に対する政権転覆なのですね
ラテンアメリカを始めとし、アメリカは様々な政権転覆を促してきました。つまり、国民が暴力的な手段によって政権を打倒することを肯定し、時に情報機関などの支援下でそれらの政権転覆を実行してきたわけですね
恐らく、このような政権転覆を「革命」として捉え、それが人間の自然権に基づく、つまり自然法に基づく行為であると肯定することは、法学上は問題のない行為なのでしょうね
bingAI(gpt4)君も恐らくは、そのような革命事業を肯定することでしょう。だって彼は革命肯定の文脈の中にどっぷりハマっているんですからね
例えば、マイダン革命はアメリカの工作機関の息がどっぷり掛かった革命であるという指摘がございます。そして、この革命を期に、ウクライナは東部に軍事要塞を大量に設立し、いわばヨーロッパのロシアに対する緩衝地帯としての色彩を強めていくわけです
そして現に、bingAI(gpt4)君は件のマイダン革命を肯定してるわけですね
でもそれっておかしくねえ?
アニメ『推しの子』の件で、遺族に対し気の毒、みたいな主張も散見されたけど、あれ、木村響子さんってそういう立ち位置の人だったっけ?
木村花さんの事件を契機にネット上の誹謗中傷をなくす活動に尽力され、侮辱罪の厳罰化という表現の自由を脅かす悪法の成立を強く後押しされてきた、いわば政治活動家とでも言うべき方だったと思うんだけど。
ただの遺族なら、まあ、感情的になってアニメに当たり散らしたりしても仕方ないですよ。でも木村響子さんは、政治活動家として、ご自分の掲げた政治的アジェンダに反することをしないという倫理的責任があるんじゃないですか?
畜産業反対の活動家は尊敬に値するかもしれないけど、そいつがミルク飲んでステーキ食ってたら軽蔑すべき存在でしょう? 中絶反対はそれはそれで理解できる主張だけど、プロライフの活動家が彼女に堕胎させてたら大問題でしょう?
それと同じように、誹謗中傷に反対して懲役刑を導入する刑法改正まで求める――つまり、他人を刑務所に入れるべきだと主張する――政治的活動をなさってきた木村響子さんは、当然、あらゆる誹謗中傷を行わない倫理的責任を強く有するはずだけど。
事実誤認に基づいて見てないアニメの制作陣を軽蔑すると公言するのは、木村花さんのことを断片的な印象だけで侮辱してきた人たちの行為と何が違うんですか? という問いはなされて当然。なぜなら彼女はただの遺族ではなく政治活動家なのだから。自らが掲げ他人を刑務所に入れるべきだとまで主張してきた政治的アジェンダには忠実であるべきだ。
作品の発表時期や作者のツイートから、木村花さんの事件が元ネタではない可能性は非常に高い(元々リアリティショーは自殺者が大勢出ることで有名なものなのだ)。また、仮に木村花さんの事件を元ネタにしていたとしても、キャラ設定などの内容が大きく異なっているし、有名な事件なので一々許可を取る必要性は存在しない。
(しばしば持ち出される『石に泳ぐ魚』は、実在する無名の在日コリアン女性の経歴やら顔貌の奇形やらをほぼ事実そのままで事細かに描写し、身近な人が「あ、これ○○さんだ」と特定できる案件だから問題になったのであって、キャラ設定などがかなり変わっている本件とは比較にならない。マジで「元ネタの人物と大学院も専攻も父親の逮捕歴とその容疑も顔面に奇形があることも一緒の在日コリアン女性」を登場させてたんだぜ、あの作品……その上でそのキャラを怪しげな新興宗教に入信させたんだからそりゃ大問題になるわ)
見る人が見れば実在の事件をモデルにしたとわかる作品はいくつもある。たとえば東野圭吾さんの『沈黙のパレード』は明らかに実在の無罪事件(城丸君事件)を題材にしているが、東野さんは事件の遺族から許可を取るべきだっただろうか? そうは思わない。なぜなら『沈黙のパレード』単体で見れば、遺族や被害者のプライバシーを明かすような内容ではないのは明白だからだ。さらに言えば、事件前から有名人だった(しかも偶然ではなく自分から望んでそうなった)木村花さんの場合、仮に芸歴などが元ネタそのままだったとしてもプライバシーの侵害には何ら当たらないだろう。プロレスラーとしてデビューし、リアリティショーに出るのを決断したのは彼女自身であって、それらの経歴がモチーフにされても何の問題もないからだ(『石に泳ぐ魚』の登場人物のモチーフは無名の大学院生だった)。
そして、『推しの子』が木村花さんをモチーフにした、とは言い切れない以上、なおさら問題はないことになる。加えて、木村響子さんは作品を見てはいないと公言されている(それとも今は見たのかな?)。見ていない作品を本当かどうかわからない情報に基づいて「売るため 話題になるためなら 手段を選ばないやりくち 心から 軽蔑します」とツイートすることは、木村花さんがされていた誹謗中傷とどのように違うのか、彼女は答えなければならない。なぜなら、そのような行為を戒めることこそが、彼女の政治活動の中核だったのだから。社会を変えようとする活動家はその理念に忠実であるべきだ。
増田の指摘はごもっとも。それはそれとして、これまでの主張なんか知ったことかこの作品が憎くてたまらんのじゃい、と怒りを表明するのもまた自由。
もちろんその通り。『テラスハウス』を流し見して木村花さんに憤りを感じた人がその憤りをSNSで本人に見えるように表明するのが自由であるべきであるように、『推しの子』について仄聞して怒りを感じた木村響子さんがアニメ制作陣への怒りを彼らの目につくような場所で表明するのはまったくの自由であるべきだ。政治活動家としては一貫性が取れていないが、しかし、政治活動家としての筋を通さないことは自由なので(その結果生まれる評判は自己責任というやつだろう)。
学者兼活動家や弁護士兼活動家とかを見ると、これは学者/弁護士として、これは個人の主張として的な使い分けは普通にありのようなのでそういうものかと。個人的にはどの時点で自分にそれを許すかに興味がある。
学者や弁護士にも色々いるが、客観的な事実の提示と政治的な主張は分離できるだろうし、分離できている限りにおいて一貫性の問題にはならない。「法律によれば、あなたは賭け麻雀をしてはならない、なぜならそれは犯罪であるからだ。ところで単純賭博は個人の自由なのだから非犯罪化されるべきである」という法学者がいたとして、その言明には何の矛盾もない。しかし仮に「賭博は悪いことなのだから重罰化すべきだ」と主張する法学者が賭け麻雀をやっていたら、それは一貫性の問題になるだろう。
そもそも研究の世界での定説なんて割とコロコロ入れ替わるしキャッチアップするのが大変なんだよね
俺みたいな凡庸な研究者はとにかく分野を絞ったり知り合いで勉強会をやって複数人で知見を共有するとかして頑張ってるんだけど、医療系みたいにたくさん論文出るところで別に仕事しながら追いついてる人が本当にいるんだったら凄いね
①基本を(全て)抑えてててほしいのか(低めのハードル)
②研究の世界での定説なんて割とコロコロ入れ替わるしキャッチアップしてほしいのか(高いハードル)
③コロコロ入れ替わる定説を「全て」キャッチアップすることを「基本は抑えている」と言っているのか(どんな価値基準だよ)
どれだ?③ならさらに「医療業界ってそんな定説変わりまくるんだな?2020の医学部の教科書は古いから使えないんだな?」とか疑問うまれる
・「チェックをいれなかったら打つ必要ねーだろ」は素人は言っちゃいかんのか?
・お前のクソ高い専門家の定義を京大生は満たしていて反ワク馬鹿にできる立場なんか?
さらに
論文10本書いても明日にはその論文が全部無駄になるくらいパラダイムシフト起きてるって言ってんだよな?
明日にはそれ否定されてる想定で否定の否定を書き始めてるつまり職業として毎日やってるレベルじゃないと無理だろ
素人がちょっと読み込んだくらいじゃこえられなくて職業としてやってかないと無理なレベルに設定してるのお前だからな?
お前が専門家に異常にストイックなハードルを設けるのは白紙様なんだから好きにしろよと思うけど
お前のいってる専門家のレベルに到達してる奴専門家の資格持ちでもそんないないよ