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2021-10-19

私は共産党よりも左にいるのかもしれない

私は誰かに表現の自由戦士ですか?」と聞かれれば、「そうですよ?」と真顔で、しか相手のことを若干哀れみながら即答する程度には表現の自由戦士であるつもりだ。なぜ哀れむかというと、表現の自由戦士という言葉が私には「黒人女性選挙権戦士」と同じ感触を持って聞こえるからだ。「それ、大分昔に結論が出てて、しかもその結論に従わないと野蛮人みたいな扱いをされるはずじゃなかった?」と。このあたり、「野蛮な西洋思考から脱却してイスラム根本に据えた政治をやれ」と言って戦っている人と思考形式としては似通っているかもしれない(主張にも方法にも同意しないが)ので、戦士と呼ばれるのもむべなるかな、と思う。

そんな私の政治立場は、やけくそになって後藤輝樹に投票した一回の過ちを除けば、10年ほど毎回共産党投票してきたし、だいぶ左寄りであるとは思ってきた。とは言えきょうび共産主義を目指すというのは頭がおかしいとしか思えない。マルクスを多少なりとも学んだ人なら知っていることだが、マルクス共産主義がどのようなものかとは全く説明していない。資本主義を打倒すれば生まれてくる何か、としか言っていない。まあ、現状の批判だけでもそれが新鮮なうちは一分の理があるのかもしれないが、色々テストされた挙げ句民主主義は最悪の政治形態と言える。これまでに試みられた民主主義以外のあらゆる政治形態を別にすれば」というジョークが生まれたあたりで、共産主義役割を終えたのだと思っている(とはいえマルクス資本主義批判自体時代テストを耐えた今でも通用するものだと思う。よりよい資本主義を目指す限りにおいて)。なので、自分共産党に対する印象は「理想については頭がおかしいが、現状についてはいちばんましなことを言っている人たち」というもので、だから投票してきたわけだ。

何を「現状いちばんまし」と考えるかはその人によって大きく変わるであろうことを私は知っている。私には自民党が腐っているように見えるが、別の人から見ればそうでなかったり、あるいは腐っていても何らかの利用価値があると考える人がいるのはわかる。私が自民党を嫌って共産党共感している(と思っていた)のは、ひとえにリベラリズムという思想自分インストールされていることによる。私がここで言うリベラリズムは、ほぼ井上達夫の言っている「リベラリズム」に等しい。つまりそうとう偏っている。井上達夫日本の「リベラル」を批判する。例えば自衛隊についてはこうだ。「憲法は何よりも大事だ。その憲法に戦力は保持しないと書いてある。今日本が保持している自衛隊は戦力であり、違憲状態にある。このままだと憲法無視されてもよいことになってしまうので、憲法を変えるか自衛隊解散するかの二者択一だ」と井上達夫は言っている。いっぽうで「リベラル」は「大事憲法を変えるな、自衛隊はないと困る」と言ってて矛盾している、というわけだ。全くその通りだと思う(ちなみに井上憲法を変える方を選ぶが、憲法そのままで自衛隊解散しろという意見にも理は認めている)。井上達夫は筋金入りも筋金入りのド左翼であるが、この現状左派内で主流の「リベラル」を超えたリベラリズムに殉じる、という姿勢左派運動をしている人から批判が多いらしく、度々愚痴をこぼしている(まあ『リベラルのことは嫌いになってもリベラリズムのことは嫌いにならないでください』(名著!)という本を出すくらいなのだから戦う気マックスなのだろうと思うが)。

その自衛隊について志位和夫氏が例の件の一日前の記事で、「自衛隊憲法矛盾するから今すぐでなくともいずれ自衛隊はなくすべきと考えてはいる」と言っているのを見て、「相変わらず頭おかし理想を抱えてんなあ。まあでも理屈としては正しい」「とはいえ理屈レベルでの話が通じる政党すら貴重なので今回も共産党だな」と思ったのだが、今思えばこの歯に物が詰まったような言い方に違和感を覚えるべきでなかったか井上達夫流に言えば、ここは「政権を取ったら自衛隊はすぐに解散する」と言い切るべき場面ではなかったか

私が理解している井上達夫リベラリズムは、「人間はその知識研鑽によってより良くなっていくことができる」という思想と「人間は人それぞれである」という思想に基づく「正義」を掲げる思想である。前者=啓蒙を重視するからこそ「頭はおかしいけど一応話は通じる」共産党投票してきたし、後者=寛容を重視するからこそ自民党を支持する人を口汚く罵ったりはしない。自分正義に反するからだ。しかしこの寛容と言う概念問題含みで(啓蒙啓蒙問題があるが今回は触れない)、代表的な物に「不寛容にも寛容になるべきか」という問題がある。私は(多分井上も)「啓蒙正義として掲げている以上、あるいはそもそも正義正義として掲げている以上、それを侵す不寛容には寛容になるべきではない」と考える。たとえば在特会在日の人々の「人それぞれ」あるいは彼らがそもそも人として生きることそれ自体を侵しているのだから、それらをゆるす必要は無い、ということになる。自分では常識的な考えだと思っているが、どうか。

児童ポルノ問題について話を向かわせよう。私は表現の自由戦士であるからして、表現の自由はかなり大事ものだと思っている(本当は順番が逆だが)。なぜ大事なのかと問われればそれは、第一大事憲法に書いてあるからだと答えるが、そもそもは「啓蒙」が表現の自由がなければ成り立たず、また「寛容」の精神から多少気に食わない表現であってもゆるすべきであると考えるからである。そしてエロ啓蒙に役立つのか、と言われれば、もしかしたら立つかもしれないと答えるし(過去文学作品を見よ)、仮に役に立たないとしてもそうした「くだらないもの」を排除する理屈は、やがて「人それぞれであること」あるいは正義についての議論をもくだらないものとみなす理屈に変わるだろうから、と答える。ニーメラー警句だ。だからそもそもわいせつ規制自体まり気に食わない。ただ、職場ヌードポスターがあったり、子供でも見えるところにエロがあるのが嫌であるとか、そうあるべきではないと考える人がいるがいるのも十分にわかる。したがって彼ら彼女らの「人それぞれ」を守るためにゾーニングを行うのは賛成である。ただ、コンビニエロ本棚やアキバエロポスターを除去すべきだったかは、発行側の「人それぞれ」も考慮するために議論余地がある(というか啓蒙観点から撤去するにしても議論を尽くした上でそうすべきだった)。宇崎ちゃんとかラブライブポスターについては、まず第一にそれらはポルノではないのだからこれまで挙げた例とは別の理屈必要であり、第二にその理屈けが成立していないので、規制側が間違っているというのが私の意見だ。

他方で現実被害児童存在する児童ポルノについては断固として規制すべきであるとも考えている。第一にそれらは例外なく児童の「人であること」を侵しているし、第二に(それらが児童対象にしている以上「合意の上」ではありえないので)それらが「啓蒙」の議論に結びつくことはありえないかである第一の点は説明不要だろうが、第二の点は説明必要かもしれない。私は法学専門家ではないが、以前表現の自由に関して法学者が書いた本を斜め読みしたところによると次のようなことが書かれていた。第一表現の自由はやはり重要なのだという。しか憲法にも書かれているように公共の福祉観点からそれを制限することはありうる(と法学者だから法律のことしか書いていなかったが、この点は不寛容への寛容を認めないことともつながり理解できる)。たとえば殺人レイプなど、犯罪を行わなければ撮影することのできない「表現」は、この観点から規制すべきである。とりわけ児童ポルノ被写体児童法律的に自由意志を持てない人が対象であるからして、万が一にもそれが「合意の上での表現であることはありえず、また放置被害児童人権侵害が拡大することを意味するから、したがって問答無用規制してよい。そのようなことが書かれていたと私は理解しており、完全に同意である。こうした理屈児童ポルノを「とりわけ規制すべきもの」とするのは、表現の自由戦士たる私にも容易に理解同意できるものであり、過激派フェミニストから右派左派合わせて多くの人が同意可能なことだと思う。しかし「とりわけ」児童ポルノ問題視するということは、「殺人レイプを記録したフィルム」を取り締まるべきものではあるが一段低いところに置くことでもある。私はそれに同意するが、同意しない人もいるであろうことは理解できる。私がそれに同意するのは、それが成人同士の合意による「殺人フィルム」「レイプフィルムである可能性を考えれば、表現の自由(なぜこれをそんなにも大事にするのかは既に書いた)の観点から取り締まりにはすこし慎重になるべきだと考えるからである。これは断じて殺人フィルムレイプフィルムを見逃せと言っているのではない。もちろんそれが「風」でなければ断じて規制すべきである。話を「児童ポルノ啓蒙議論に結びつかない」というところに戻すと、児童ポルノ「風」である可能性が皆無であることから児童の「人それぞれ」を侵していることが明白であり、拡大解釈余地がない最小限の表現に対する必要規制であるということである

この理屈は若干弱いところを抱えている。成人同士の合意による「児童ポルノ『風』」の表現は一切存在しえない、という前提をしいているかである海外において日本の「ロリ系」AV女優作品規制されていることがあるのは諸氏も御存知の通りだろう。あれは愚かで間違った行為だと私は考えており、「見りゃ分かるだろ」と思うが、向こうは向こうで「見たまんま」規制しているのが難しい。私は日本においても「出演者17歳くらいに見える児童ポルノらしき表現」の取り締まり殺人フィルムレイプフィルムと同様の慎重さが求められると思うが、ここは議論があると思う。これはよくあるようにそう言ってお茶を濁しているのではなく、本当に議論の結果ボコボコにされ誤りとして認める可能性もあると考えた上で言っている。

では2次元はどうかと言えば、これはほぼ完全に無規制であるべきだと考えている。「ほぼ」というのは実在児童ポルノトレースでないことが明かな場合である。これに関しては規制すべきだと考えているし、先ほどの「17歳に見える児童ポルノらしき表現」みたいなグレーゾーンはほぼ無いと考えている。また仮にグレーゾーン(「17歳に見える児童ポルノらしき表現トレースらしき表現」とか)があったとしても議論の主戦場はそこではない(誰も宇崎ちゃん児童ポルノトレスだとか言ってないわけで)と考えている。そう考える理由は既に書いたと思う。付け加えるならば、実在児童被害に遭っていないわけで、それを規制するならば児童ポルノ規制とは別の理屈必要(たとえば「助長」とか)だということを理解している人がまず少ないようなのがつらく思える。その上で構築された「助長論」等々も、表現の自由(なぜそれが略)を規制するほどのたいした理屈ではないと考えている。たとえば「助長論」を支持するような科学研究があってはじめて「さあ話し合いましょうか」となるし、仮定仮定を重ねることになるが「現実児童への被害助長する」ということが100%正しいとしても、私は表現の自由立場から反対するのではないかと思う。「社会をに悪影響がある表現」に対する規制は、容易に「よりよい社会を求める言論」に対する規制に流用できてしまうから。そうした流用が行われないような条文を提案された場合に初めて、私は規制に納得するかもしれない(しないかもしれない)。

そこに来て共産党である。私は彼らを「理想は狂っているが理屈レベルでは誠実な議論をする人たち」と考えてきた。それは私の考える「理想」とは異なっても、私の「正義」とは道を同じくするものと考えていた。しかし今回「非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会観念を広め、子ども尊厳を傷つけることにつながります。」という根拠の無い理屈を用い、釈明においても「いやあれ一足飛びな法的規制を目指したものじゃないよ」というだけで、その理屈撤回自体はされていない。私が今回共産党失望した理由はここにある。「非実在児童ポルノを以下の理屈規制します!」といつもの共産党らしい理屈づけをもって主張していれば、「まーた頭おかし理想抱えてんのか、でも理屈は通ってるな」で共産党投票した可能性もある。しかし今回のできごとは、私にとって共産党を「頭のおかし理想を抱えていて理屈も通じない人たち」と感じさせるには十分であった。であるとすれば、自民党立憲民主党と何も変わらないどころか、それより劣った存在にすらなりうる。なにせ自民党大手野党は私に10万円をくれたり(資本主義の犬であることを私は否定しない)、あるいは議会で私のために動いたりしてくれる可能性があるが、議席を少ししか持たない共産党はその力がないかである

私は共産党を「左過ぎて頭変な人たち」と思ってきたが、私はその共産党よりも左寄りなのかもしれない。その兆候はあった。井上達夫師匠のようにあがめてきたが、その井上達夫も「左派」の人たちからは何かと批判されているのだ。その理由として考えられるのは、井上達夫右派であるからというものより、「左派」より左にいるからと考える方がよほど妥当だろう。私が共産党より左寄りの位置にいるとして、共産党より左の政党が無いことは百も承知だが、今回は他の政党投票することになるかもしれない。それは本来あるべき態度ではないと思う。共産党さん、「頭おかしいけど理屈は通ってる人たち」に戻ってくれませんか。

2021-10-06

薬物を使ってみて思ったこ

つい先ごろ、薬物の利用をした。以下で具体的にどの薬物をどう利用したかを書くことはない。また、その瞬間における体験がどのようなものであったかについても書くつもりはない。私が書くのは、翌日以降に残った薬物の影響と、そこから感じた「政治」についてだ。

「それ」からしばらく経ってからPCチェアうたた寝した。それ自体はしばしばあることなのだが、ある夢の最中で「これは夢ではないか?」と思い、そこに居合わせた人に自分の頬をつねってもらうように頼んだ。痛みを感じたので無事夢ではないことがわかったのだが、それは結局夢であることをPCディスプレイを目の前にして知ることになる。

それ以降はいわゆる「金縛り状態を2~3回ほど繰り返した。自分PCデスクの前に座っていることは分かっていて、半分夢の中にいるせいで体が動かないことも分かっているのだが、何もなすすべが無いのである。何度起きようと試みても無駄だった。金縛り最中に、おそらくは夢由来の幻聴も知覚した。ひた、ひた、と自分の後ろ側を何者かが歩いている音がするのである幻聴であること自体比較的すぐ看破したが、それで音が消えてくれる訳ではないし、「万が一もし本当だったら?」という恐怖や不快感も続く。

その時はたしか「これが金縛りという医学現象とそれに付随する意識低下に基づく幻聴だと分かっていても怖いのだがら、そりゃ枕元に誰かが立つという話が山ほど作られるわけだ」と金縛りと幻聴に苦しみながら考えていたように思います。結局その後何かの拍子に金縛りが解除されベッドに飛び込み、ぐっすり眠りました。

翌日。昼過ぎですかね、PCチェアに座っていると唐突な眠気が襲ってきました。そしてまた金縛りに。今度は周りが明るいのもなんだったらディスプレイに何が表示されてるのかも分かるぐらい意識がはっきりしているのにもかかわらず(まぶたを開けたまま寝てたのか、記憶がまぶたの裏に焼き付いていたのかは判然としません)、腕をアームレストから引き剥がすことが出来ないのです。この頃になると結構世界ルールが分かってきていて、ある程度は現実世界らしく振る舞うが、度が過ぎると初期配置にリスポーンする。

目覚めようと色々試してみました。体が動かないので叫んでみたり(今でも実際に声が出ていたのかどうかは分かりません。一応壁厚いし昼間だからあいいかと思って叫びました)。どのようにしてか体重バランスを変化させ椅子ごとすぐ後ろのベッドに飛び込むことは出来ましたが、いつの間にかまた普通に座らされていました。右手けがある程度自由になったので手元のガラスのコップを放り投げました。ガシャンという音と女性悲鳴が聞こえてきました。奇妙に思い都合良くもう一つあったコップをまた投げてみました。また同じくガシャン、キャー。効果音の使い回しだな、と思いました。このあたりからどうでもよくなってきて、右手ロジクール無線マウスを開けて電池を取り出し、口に入れてみました。その電池ソフトキャンディのように柔らかく噛み切れ、口の中には電気の味が広がりました。金縛りが解ける気配もないし、せっかくだから現実じゃ出来ないハチャメチャなドエロいことをしようと思ったが勃たない。

飽きに飽きたところでようやく両腕が本当に自由になったので(この時点ではまた両手だけ動かせても意味ねーよと思っている)、なんとなしに首の裏で組んでみた。そしてまたゆるめの金縛りに戻るのだが、今度は指先を動かそうと念じると実際動き、首の裏の神経が反応するのである(あたりまえ)

その辺りから徐々に体の操作権を取り戻し、ついには金縛りから脱するに至った。どうやら1時間ほど金縛りの中にいたようです。その後も軽微な「自分の手が自分の手に思えない」現象などはありましたが、今は元気です。

挙げた種々の現象はおそらく離脱症状のあらわれであったと思われる。現状のニートのままであれば、まあ用法用量を守って数日おきに刹那的に楽しみ離脱症状は当然の報いとして受け入れる、という選択肢が有望に思われる。

しか仕事に就こうと思えばこうした薬物から距離を取らなければならない。なぜなら、楽しい休日の次が必ず丸1日潰れ増田に長文を投げるぐらいの仕事しか出来ませんでは困るでしょう。

こう考えていると、薬物緩和肯定派がよく言う「政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」といった主張へも、多分緩和派とは別の意味同意できるように思うのです。この程度の薬物(=歴史悪名を刻んでいない薬物)ですらこうなのだから、より作用が強い物はより翌日以降の影響もより強かろう。それを規制しようとするのは政府としては極めてまっとうなことであるように思われる。俺が総理大臣でもそうする。

薬物論争においては常にやり玉に挙げられる酒タバコも、翌日への引きずりかたが比較的軽微であるというところで、許可されてきたのではないでしょうか。二日酔いはたいていの場合本人の無茶な飲み方が問題と考えられているし、タバコ離脱症状はより些細であるあくまで外から見る分には。タバコが切れてナイフを振り回した人を俺は知らない)

例えばアルコールタバコ年齢制限だってそうだ。われわれは未成年の酒タバコは成長に良くないと思っているが、一度でも根拠となる研究タイトルとか要約を聞いたことがあっただろうか?(同じ理屈で同じく根拠が示されずコーヒー炭酸マッサージ器を禁止された人は多そうだが)結局の所われわれは未成年の酒タバコを、将来健康青年として税金年金を納めてもらえるように禁止しているようなものだ。

政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」と俺も思うが、俺は政府は正しいことをしていると思う。これは愚行権問題で、もはや俺の手に負える問題ではない。『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください――井上達夫法哲学入門』というクソにも程があるタイトルの本が実は、日本代表する法学者による一般向けの本の中では相当高いレベルにあるのでおすすめです。

愚行権の話はおいておくにしても、ひとつ問題がある。われわれは、「政治」が嘘をついているとき、その嘘を暴くことが「政治批判」になると思ってきた。先に挙げた「政府国民幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」というのも、一聴すると「市民自由を!」とシュプレヒコールで答えたくなるが、では月曜日離脱症状でうっかり自殺したり「サーセン副作用で動けないんで有給…はもうないんでしたっけ、まあとにかく休みます。…ツーツー」といった事象が多発するような社会に住みたい人間などいないのである

こんにち、嘘を嘘と見抜くだけでは批判にならないのです。では…

続きは気が向いたら書きます

2021-08-12

警察がどう動くかの考察に「こういう学説がある」とか言う奴

別に警察って法学者の言いなりじゃないでしょ

学説って言い方な以上、裏を返せばその事案に警察現場法曹がどう動くかは、法律解釈次第ってことなんだろうから

学説で彼らの動きを読もうとしても机上の空論になりがちな気がするんだよな

たとえば天皇殺人を犯しても学説によれば裁判にかけられないみたいな感じの主張するやつね

2021-08-05

anond:20210805104846

足による投票(あしによるとうひょう、英語: vote with their feet)とは、ある活動グループ自発的に参加することや、そこから撤退したりすることで、自分の好みを行動で表すことを指す。従来の公職誕生させるために選挙投票する「手による投票」に対する言葉であり、足で投票する人は「vote with their feet」と呼ばれる。また、住民が、自分にとって好ましい行政サービス提供してくれる地方公共団体地域に、住所を置く形で選択することによって、地方公共団体納税収入等が変動し、地方自治体間の競争メカニズムが発生するという理論でもある。

法学者イリヤ・ソミン(英語版)は、足で投票することを「政治的自由を高めるための手段、つまり国民自分の住みたい政治体制選択する能力」と表現している[1]。 共産主義者ウラジーミル・レーニンは、ツァーリ軍を脱走したロシア兵について「彼らは自分の足で投票した」とコメントしている[2]。 また、この概念は、1956年論文[3][4]でこれを提唱したチャールズタイバウト(英語版)(ただし、彼は「足による投票」という言葉は使っていない)や、アメリカの州間移動を地域の不満足な状況の解決策として提唱したロナルド・レーガンとも関連がある[5][6]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%8A%95%E7%A5%A8

2021-07-21

anond:20210721112613

そもそも責任権利は1セット」という説には合理的根拠があるのか? 誰か法学者でそんな学説提唱している人がいる?

たとえば肖像権というのがある。この権利は、権利自身の何の責任とセットになっているのか説明してくれたまえ。

2021-04-10

北支事變と陸戦法規

外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56

北支事變と陸戦法規

篠田治策

 明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府公文にも新聞紙報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵上海出兵満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである

 此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより

<四七>

宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である二十三日は我が陸軍部隊上海附近上陸を開始した日である。即ちハル長官現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府最初宣言したる事件不拡大の方針余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである

 我が國の國内法に於いては事變と戦争区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。

 即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人

<四八>

対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場於いて事變と戦争区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反問題を生ずることは殆んど無いのである

 従来我が陸軍戦場於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者従軍せしめたのである日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。

東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法理想於いて欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般利益として祝す可き所なり。

又仏國の國際法学者ポールフォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。

此の戦役に於いて日本は敵の万國公法無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま

<四九>

ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用苦痛を醸すべき兵器使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。

日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別任務を以て米國派遣せられた法学博士男爵金子太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。

米國人は事實の真相調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用参謀部に於いて國際法専攻の学士協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法提唱日本政府の決心は露國は大國なり腕力於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す

<五〇>

る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争日本が國際法を破りしことあらば世界歴史汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エールハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。

 世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつ組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面事務従事したるも、亦國際公法適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)

 過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである

 唯だ、陸戦法規適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土性質である。假りに之れを中華民國

<五一>

領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力行使すべきか、又南京政府官吏は既に逃亡し、地方民衆自ら自治政権樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である

 宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合於いて北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政施行治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府領土となりし場合には、其の地域行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである

 日露戦役の際は戦闘地域性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍権力行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域活動したるも、其の権力講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。

 今回の北支事變に於いても、其の交戦地域領土性質曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参

<五二>

考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。

 従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後政治工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官禁止事項の外は自由裁量余地あるかは明かである

 陸戦法規の條項を北支事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである

 凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊安全作戦動作の便益を図るが為めに、無限権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊安全作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の

<五三>

軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限権力を以て此等の犯罪者厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部特に詳細なる規定を發布し、旅順海軍鎮守府別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。

 軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるもの死刑に處すると原則とすべきである

一、間諜を為し及び之れを幇助したる者

二、通信交通機關を破壊したる者

三、兵器弾薬其他の軍需物件を掠奪破壊したる者

四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者

<五四>

五、我が軍軍人故意に迷導したる者

六、一定軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)

七、軍隊飲料水を汚毒し、又軍用井戸水道破壊したる者

八、我が軍軍馬殺傷したる者

九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者

十、職場於いて死傷者病者の所持品を掠奪したる者

十一、彼我軍隊の遺棄したる兵器弾薬其他の軍需品を破壊し又横領したる者

 而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである

 帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支侵略して我が領土なすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民自治政権樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方一時的にもせよ事實上我軍の占領である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり永久に之れを占領するの意思無きが故に此

<五五>

占領は九國條約に牴觸するものに非ずと信ずる。

 我軍が一時的なりとも北支地方占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41

2021-02-04

anond:20210204143424

経済学者法学者あたりで学際的な領域好きな人がやればいいと思うんだよね。

昔の社会学者とかそんな感じだし。

学問ではないというよりも独立した学問とするには経済政治領域から分離し切ってないという感じがある。

2021-01-25

小選挙区制はもうやめろ

二階の選挙区有権者がどうとか、麻生選挙区有権者がどうとか言ってるけどさ、小選挙区制なのが一番問題でしょ。

有権者に期待するなら小選挙区制をやめるべき。

まあ東大政治学法学者経団連に金渡されてるから絶対改革案は出てこないんだけど。

2020-11-14

国民強姦被害はひどい・・・とはいえ密室で起こりやす事件だけに捜査も難しい・・・どうしたらいいんだ・・・

 

理想学術会議

医学者「DNA鑑定を発展させて鑑定精度を上げるぜ!」

法学者「より踏み込んだ捜査ができるように法律改定案公表するぜ!併せて必要憲法改正も推進するぜ!」

情報学者「法改正で入手しやすくなる個人情報をもとに容疑者の行動履歴を追跡して、余罪を見つけやすくするぜ!」

 

現実学術会議

学術会議「疑わしきは罰しろ性交原則違法性交同意書があるときだけ例外。え?同意書の具体的なやり取りと有効性?そんなものは知らん!あ、でも憲法改正は認めないからね。」

2020-09-29

弁護士法学者は、軍事の「識者」ではない

> 敵基地攻撃能力は「緊張高める」 保有考える集会で識者が批判

> https://news.yahoo.co.jp/articles/ecbe320dcbc982e38d7ba320477716f9c05f3aec

> 猿田佐世弁護士は、日本の敵基地攻撃能力保有中国軍拡を招く可能性があるとして「米中の緊張を解くことが、日本の最大の国際貢献だ」と主張。

> 名古屋大の松井芳郎名誉教授国際法)は敵基地への攻撃国際法で認められる自衛権要件を満たさない恐れがあると指摘した。

あほくさ

まず弁護士法学者は、軍事の「識者」ではない

から中国軍拡は25年連続で続いているという事実韓国北朝鮮中国ロシア台湾といった日本隣国がすべて攻撃能力保有しているという事実さえ理解していない

それを無批判報道する共同のレベルの低さにも心底呆れ返る

まず意見政策以前に、その根拠となる事実報道するべき

弁護士法学者活動家政治家ジャーナリストなど専門家ではない人間は一切不要、まずは安全保障専門家取材をすべき

2020-08-13

anond:20200813203221

「見ない自由」の権利正当性について、定量化は難しいと思うなあ。

これは主張している権利妥当性と人数によって、人権とか社会慣習として認められるかになると思う。

権利人権に関わっていれば、少なくても保護しようとなる気がする。そのへんは裁判所法学者が決めると思う。

2020-06-03

anond:20200531195042

法律科学は違う。科学結論が一意に決まる」って意見も、言いたいことはわかるが賛成できないな。

科学だって世のことわりの全てを明らかにしているわけじゃない。まず仮説があって、検証して、それで「たぶんこうだろう」って学説確立されて、それが通説になっているだけ。過去研究の蓄積から、正しいと「思われる」理論を探す作業。新発見でそれまでの通説がひっくり返ることもあるし。

法律だって同じ。過去何千人もの法学者たちが意見を交わして判例が積み上がってきて、正解がわからないなりにシステム確立してきた。

その知識の集積をガン無視して、素人感覚で「ラブドール被害者いないじゃん。だから適法規制とか違法とか言ってるやつは感情的。頭おかしい」みたいなこと言い出すの、科学的知見をガン無視するエセ科学信者と変わらんでしょ。被害者がいないもの全部適法にしたら、例えば飲酒運転とか賭博薬物とか全部適法になって日本の秩序崩壊するぞ。

で、単に法学を知らないのはいいよ。仕方ないよ。これから勉強すればいい。

問題は、そんな基本的なことも知らない・わからない連中が「ぼくのかんがえたさいきょうのらぶどーるほうりつろん」を開張して、同レベルのアホ共がそれを持ち上げて、バカなくせに他人バカにし出すところ。そしてバカから自分がてんで間違っていることにも気がつかない。救いようがない。

2020-03-16

anond:20200316153857

いやそれがちゃんとした法学者新書で読んだ情報だ。

まあ確かに他の裏付けがないから、らしい、と書いたんだが。何根拠だったかまた読み直して原典あたってみようかな。

2020-03-12

なぜ人を殺してはいけないのか

「いけない」って部分が雑すぎるから議論がややこしくなる

「なぜ人を殺したら法的に罰せられるのか」だったら法学者とかがスッと答えてくれるだろうし、「なぜ人を殺したら責められることが多いのか」だったら主観問題なんで議論する意味がない

これを言って粋がってるガキはバカ 

2019-12-07

法学の楽しさを書くよ!!

楽しさの一つは、論理をこねくり回してるところだよ!

体系立った理論論理トレースしていくのは楽しいよ!

理路が整然とするのは面白いよね!

かつての法学者といったら、当代切っての天才秀才達だよ!

そんな人達が生涯かけて考えた理論だよ!

それを学ぶのがつまらないわけないよ!

しかしたら、それを自分が少しだけ進められるかもしれない、となったら尚更だよ!

続いて、各分野の面白さのイメージを書くよ!

まずは憲法学

70年以上改正のない「不磨の大典」だよ!

それにもかかわらず、いまだに次から次へと新たな議論が生まれるよ!

近年(?)でも、「これまでアメリカ流に解釈されてきた最高裁判例は、実はドイツ流に解釈した方が上手く説明できるのではないか」というコペルニクス的転回めいた説が有力に唱えられていたりするよ!

アメリカ流とドイツ流をミックスさせる説もあったりして、学説カオス面白いよ!

条文にあまり内容がないから、解釈自由度が極めて高いも魅力だよ!

憲法というと一般人には縁遠い存在にも思えるけど、例えば今年の司法試験憲法問題では「フェイクニュース禁止法が制定された場合憲法上の問題点」が問われたりしているよ!

次に民法学

120年ぶりの大改正来年から施行されるというアツい法令だよ!

その条文数は1000以上!

解説本が30巻近くかけて解説したりするよ!

1条1条にそれぞれ生涯をかけて研究をした学者がいると考えると途方もないよ!(注1)

日常的に行われている経済活動が法的に説明できたりするよ!

次は刑法学!

刑法学の面白さは、なんといっても緻密な論理だよ!

いくつかの基礎的な考えからあらゆる論点での解釈を導く様は、さながら数学公理系を思わせるよ!

数学ほどの論理の厳密さはないけど、そこにまた面白さがあるよ!

ピタゴラスイッチ的な犯罪を想定したりもするよ!

ちなみに、トロッコ問題の様々なバリエーションは、正当防衛緊急避難で全て結論が出せるよ!

法哲学

マイケル・サンデルの「これからの『正義』の話をしよう」の世界だよ!(注2)

正義とは何か」「法とは何か」といったことを論じるよ!

法学部法科大学院を出ただけで、きちんと研究をしたわけじゃないし、資格試験のために勉強してた側面も強いけど、個人的イメージとしてはこんな感じだよ!

あとは、訴訟法もあるし、法制史学とか、比較法学、法と経済学とかも色々あるよ!

(注1)

実際は、深く研究される条文は偏ってるよ!

一方で、「こんな法律あったんだ?」ってレベルのどマイナー法律にも研究者がいたりして、法学世界の広大さを感じることがあるよ!

(注2)

同書が扱う分野は法哲学以外にも及んでいるよ!

anond:20191201042646

2019-11-19

anond:20191119044558

法学者ではないだろ。

研究者の道に挫折したが業界/学界に延々寄生し続けていたやつ。

anond:20191118202007

九大で自殺した法学者ドイツ語翻訳とかも請け負っていたらしいが、それでは食えなかったわけでな。

anond:20191118184931

わかりやすくて良いんだけど参考文献とか付けてほしいなあ

そっくりそのまま信じ込むっていう恐れが解説系にはつきまとうからこそ参考文献や主な法学者名前とか挙げておいてほしい……まあこれはインターネット解説記事全般に言えるんだけどさ

先行研究とか出せとは言わんので。まあタダでやってくれてることに文句つけるのもさもしいけどさ(タダで匿名からこそ余計に信憑性担保してほしいというのはある)

2019-11-18

ヘイトスピーチ表現の自由に含まれるか?

ヘイトスピーチ表現の自由に含まれるか、について説明するよ!

結論

定義によるよ!

不特定人を対象とする差別的表現が、憲法21条の『表現』に含まれるか」という点については、日本法学者は概ねみんな、含まれると整理しているよ!

不特定人を対象とする差別的表現について、これを規制する法令表現の自由侵害して違憲となるか(その制約が正当化されるか)」という点については、説が分かれているよ!

定義

一口に「ヘイトスピーチ」といっても、使う人によって定義は様々だよ!

ここでは、さしあたり「不特定人を対象とする差別的表現」と定義するよ!

特定人を対象とするものも含めれば、より広い定義になるし、ヘイトスピーチ解消法の定義採用すれば、より狭い定義になるよ!

表現の自由に含まれる」や「表現の自由範囲である」、「表現の自由として保障されない」の意味多義的だよ!

大きく、①当該表現類型が、憲法21条の「表現」に含まれるか(保護範囲保護領域]に含まれるか)、②当該表現規制する法令表現の自由侵害するものとして違憲となるか(規制正当化されるか)に分かれるよ!

保護範囲について

日本法学者の多くは、保護範囲に含まれると考えているよ!!

ちなみに、アメリカでは、広義の表現行為actionまたはconduct)と表現expression)とに分けたり、行為保護されない言論保護される言論とに分けたりした上で、ヘイトスピーチ行為保護されない言論として、合衆国憲法修正第1条の保護を受けないという説も有力だったりするよ!

もっとも、保護されない言論範囲はどんどん狭まっているし、保護されない言論についても一定憲法上の保護が及ぶという説もあるよ!)

違憲性について

法学者の間でも、広く合憲だとする説から、およそ違憲だとする説まで百花繚乱だよ!!

同じ論者でも、近年のヘイトスピーチの激化を踏まえてか、意見が変化したりするよ!

ちなみに、ヘイトスピーチ解消法には、同法上のヘイトスピーチ法令上は「本邦外の出身者に対する不当な差別的言動)について、その禁止すら定めてないよ!

2019-11-03

anond:20191103085433

法学者でもあり、アメリカ自由人権協会初の女性代表で、アメリカで最も影響力のあるフェミニスト、ナディーン・ストロッセンの言葉だ。

ポルノやり玉にあげる検閲は、性差別暴力を減らせない。本やメディアを求める男性層と性差別暴力を行う男性層は全く異なるからだ」

これソースある?捏造じゃねーの?

常識的に考えて「本やメディアを求める男性層と性差別暴力を行う男性層は全く異なる」わけないだろと思うんだが。

日本フェミニズムの死

昨今の『自称フェミニスト』の発言を見る限り、残念ながら日本フェミニズムは完全に死んだ物としか思えない。

そもそもフェミニズムとは『不自由だった時代女性解放』『性的自由を求めた自己決定権』を求めたいわゆる『自由を求めた人々の運動である

しかし、今日本で唱えられている主張はやれ『アニメ漫画規制しろ』だの『公共的な場所に性を想起させるものを置くな』だの、真逆の主張を続けている。

これは、日本で唱えられているフェミニズムが全て『ラディカル・フェミニズム』(急進的女性主義なのだが、これが一般的イメージの『女性に優しい社会を作ろう』というものと全く違く、それどころか真っ向から敵対している主義であるのが原因である

『ラディカル・フェミニズム』の最終的な目標は『結婚や家庭自体廃止』や、『男性社長役員廃止』『男性向け性的サービスの完全根絶』等『社会の根幹的な物自体改革』が目的活動である

しかし、海外ではこの主張は全くと言っていいほど受け入れられていない少数派、それどころか海外では主流の『リベラルフェミニズム』とは真っ向から対立している集団である

なぜ、海外では受け入れられないかというと、この『ラディカル・フェミニズム』の主張者の多くが『キリスト教原理主義団体』や『白人主義』等の胡散臭い団体所属しているからだ。

何故、普通な真逆差別主義者が『フェミニスト』を名乗っているかというと、内容をすり替えて行けば自分たちの主張を通しやすくなるため、その下準備として『女性』をシンボルに掲げているに過ぎないからだ。

(例:性的アニメ漫画は見ていて不快から自粛しろ黒人は見ていて不快から自粛しろor性的な物が公共の場にあると問題が起きる⇒〇〇教の物が公共の場にあると問題が起きる)

そのため、『ラディカル・フェミニズム』の主張者は『問題が起きる前に撤去しろ』『表現思想自粛しろ』という主張は行うが、実際に風俗営業を行っている女性賃金向上や男性の家庭への参画(いわゆる主夫)、風俗営業を行ってる女性への職業あっせんなどの現実問題への活動は全く行っていないのが特徴だ。

何故なら彼らor彼女らの目的は『女性解放』ではなく『自分差別しているもの排斥簡単に行える社会』の実現であり、その足掛かりとして女性を利用しているに過ぎないからだ。

では何故日本だけはこの『ラディカル・フェミニズム』がやたら根付いてしまっているか、というと日本奴隷として扱われた時代が無いため『白人主義』への嫌悪感が少なく、宗教観が薄いため『キリスト教原理主義』を唱えられてもピンとこないため、そういった胡散臭い団体隠れ蓑としてピッタリだからである

また、いわゆる『純血主義』が根強い国でもあるため、『自分と異なる物は徹底的に排除したがる』という国民性も『ラディカル・フェミニズム』にはプラスに働いてしまっている。

要するに『自分理解できない得体のしれない物は差別排除しても問題ない』という発想が根底にあるため、過激言動や行動が容易に取れてしまうのだ。

いじめ問題もこれが根底にあるが、本題ではないためは割愛する)

さて冒頭で『日本フェミニズムは完全に死んだ』と言ったかというと、かつて女性自由を求めて戦った『女性解放運動』は今主流となっている『ラディカル・フェミニズム』の真逆であるリベラルフェミニズム』の運動からである

かつて政府社会から規制されていた『表現自由』や『性の解放』を求めて運動していた人々の名だけ借りて、今は『表現規制』と『性の抑圧』を求めて運動しているのが今の日本フェミニズムなのである

現在フェミニスト活動が活発になればなるほど、日本過去差別的な社会に戻っていくだろう。

いや、既に一部は戻っているのかもしれない。

長々と書いたが、フェミニストの大好きな『海外フェミニスト意見』を持って締めくくりたいと思う。

法学者でもあり、アメリカ自由人権協会初の女性代表で、アメリカで最も影響力のあるフェミニスト、ナディーン・ストロッセンの言葉だ。

ポルノやり玉にあげる検閲は、性差別暴力を減らせない。本やメディアを求める男性層と性差別暴力を行う男性層は全く異なるからだ」

この言葉意味をよく考えて『何を守りたくて活動しているのか?』をもう一度よく考え直してほしい。

2019-10-13

anond:20191013105411

そしたら、日本アートイスラーム親和性があるって理論批評家イスラーム法学者でっち上げさせて売り込めばいいだけ。アート外交ツールになりうるってことをこの国は理解するべき。

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