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はてなキーワード: 東北地方とは

2023-09-06

同級生出会わない方法

地域レベルで引っ越す

よくある地方都市場合、そこで就職しても田舎村社会によって同じ人しか会わない可能しかない

このため別の地方都市移住する必要はあるが、同じ地域でも効果は薄いため、地域レベルで移る必要がある(隣の地域でも薄くなるので、1つ地域を跨いでおくとより出会可能性は無いだろう)

今居る地域移る地域の目安備考
九州中部地方より北東近畿地方でも和歌山奈良福井あたりでも可能性はある
四国中部地方より北東
中国中部地方より北東
近畿東北地方北海道ぐらいOSAKAのせい
中部九州沖縄地方北海道JR東海東海道新幹線中央新幹線確率が上がってしまっている
関東中国四国九州沖縄地方中部でもJR東日本のせいで出会可能性がある
東北中部地方より南西
北海道中部地方より南西

東京大阪などの巨大都市移住しても出会うことは少ないが、これは統計学的に人数の分母がおかしいだけで、またそれだけ分子(同じ地域から移住してくる同級生)も居ることは留意すること

本当に出会いたくないのであれば、そうした巨大都市も避けて別の地方都市へ移動する、というのが最適と言える

なお島や本気の山奥の場合だと、そもそも本土などに上陸するのが大変という場所もあるため、そのあたりのコストパフォーマンスとも検討すること

Enemyの情報を入手する

自分人生妨害された同級生、つまりはEnemy(敵)となる存在は、いつの時代も先に情報を入手するのが世界常識であるロシアウクライナも、アフガニスタンも、第二次世界大戦だってそう)

どう安全に手に入れるかはここで書いてしまうとその手法ブロックされるので各自で調べておくこと

このぐらいの調査ならググってもカスな状況にはならずに済むはずだゼ

情報を入手すれば自分がどのサービスやどの場所に行くべきか、行っちゃダメかがわかるはずだ

まりにも行けない場所が多すぎるのなら、前述の移住でそのリスクを大きく減らせばよい

警察相談しなくても、相手はそこまで追跡できるほどヒマじゃないゼ(ただしネットおもちゃになっている場合はどこでもWANTEDなのでまずはそれにならないようにする行動が必要だがナ)

そもそも

みんながみんなしてデリヘルを使うのかという疑問である

ましてや自分人生設計で同級生が躓きポイントになるかどうか、そしてそいつと遭遇しても本当に敵となるのかなどの検討からスタートすべきかもしれない

ま、そうやって考えても何も進まねぇから、ノーリスクカミカゼするのがこのニッポンなんだけどナ

2023-08-30

anond:20230830030711

ごめん全然からない

関東地方のある場所について」でも「東北地方のある場所について」でも

四国地方のある場所について」でも

成り立つ話のようにしか思えないんだけど?

2023-08-22

関係者理解なしに処理水をいかなる処分もしない」という政府約束は、破られたも同然となった―。

関係者一定の理解を得た」として、政府は21日、東京電力福島第1原発の処理水海洋放出24日にも始める最終調整に入った。

放出に反対してきた東北地方漁業者からは、怒りの声が上がった。

漁業者そもそも関係者では無かったのでは。


この利根川幸雄こと処理水に限り虚偽は一切言わぬ 

約束は守る・・・・・・

守るが・・・・・・

今回まだその関係者範囲指定まではしていない 

そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい 

まり・・・

我々がその気になれば、いつでも関係者一定の理解を得ることは可能だろう・・・

ということ・・・・!

「全量検査になって以降、『さぞかし仕入れにお困りでしょう』と営業をかけてくる中国水産卸が増えました。

業者サンプルで置いていった、中国東北地方養殖ヒラメ福建省の天然生イカを食べて驚いた。

十分、刺し身に使えるクオリティで値段も日本産3分の1。正直、今後は中国産でいいかなと思いました」

2023-08-10

政治家はどこの分野を削るかを決めてほしい

例の博物館のクラファンの炎上政治家がどこの分野を削っていくか決めてなかったせいというのもあるんだよな

金がそこまでないならもう何かを削るしかないんだろうけど、それって政治家仕事じゃね?と思うんだよなあ

何かを削るっていう論点は票にならないからなんだろうが、それなら官僚権限渡したら?と思う

人口減少が激しい四国東北地方戦略的撤退とか、秋田県とか山陰2県は金と人がなくて合併にするとかそういう議論全然されてなさげなんよなあ

2023-08-08

夏の青天の霹靂

両親が他界してから久しいのだけど。

先日、東北地方のある市役所から連絡があって、あなた相続権所有してる土地がありますと連絡がありました。

え、新手の詐欺?!と思ったけどよくよく話を聞いてみると、叔父さんの奥さん(2人とも他界)が相続権を所有しており、巡り巡って私に連絡が来たとのこと。

土地の名義は知らない人だけど、固定資産税がうんちゃらかんちゃらと説明が続き、あぁ…費用負担して欲しいのだなとうんざり青ざめていました。

更に話が続き、どうやら名義人、居住者他界しているため、土地を売却してその費用を捻出したいとのことでした。

手続き関係上私も対応する必要があるとのこと。持ち出しもほぼ不要のはずなので安心してくださいと言われホッとしました。

良ければ簡単土地情報を送付しますと言ってくれたのでお願いしてみることに。

その書類が届いたのが昨日。

土地勘がないのであたりの雰囲気などは分からないけど、主要駅から車で20分ぐらいの場所記載されていた土地面積を合計すると400坪弱…。

相続比率が1/10あるらしいので、売却後全て精算したら私にも150万ほど入るとのことで逆にびっくり。

まだまだ話半分で聞いているけど、本当であれば臨時収入有難いな。

親戚も少なく付き合いもほぼないけど両親の墓を建て、名もわから先祖の供養は毎月してました。

身内のない私に協力してくれたのかな。

昨日は父の命日でした。

2023-07-29

悲報】「住みここちの良い街」ランキング、「東京23区」は2位

大東建託では、青森県居住20歳以上の男女を対象に、「街の住みここち」に関する調査実施し、その結果をランキングとして発表しました。今回はその中から「住みここちの良い街(自治体)」のランキングを紹介します。

●第2位:東京23区

 第2位には「東京23区」が選ばれました。東京23区特別区と呼ばれ、各区が独立した自治体として機能しています

●第1位:仙台市

 第1位は「仙台市」でした。宮城県中部位置する仙台市は、東北地方最大の都市で、「杜の都」とも称されます

https://news.yahoo.co.jp/articles/a275f5e1ed1e7099c5fc3f95d4df0c2693c63208

仙台に負ける東京さん、、、

2023-05-23

握りっ屁

以前ChatGPTに「にぎりっぺ」って何? って聞いたら、「東北地方料理で、おにぎり一種です」とか「五平餅みたいなものです」とか言ってたんだよ。でも、「お前それは違うよ」と教えまくってたら、「私はにぎりっぺとはは何か知りません」とか答えるようになった。

AIって成長するんだな。

2023-05-22

東日本大震災不謹慎ネタ、なにがいけないの?

2023年3月埼玉県高校生東日本大震災ネタにした動画インスタグラム投稿して問題となった。

東日本大震災のこれを見てる方、生きていてとても嬉しいです。

また死んでしまった人は、お墓で聞こえないと思うが(笑い声)ほんとに悔しいです。

ザーメン

ここでは、その投稿の何がいけなかったのか考えてみたい。

被災者侮辱しているのか?

この動画セリフには被災者侮辱するようなフレーズは含まれていない。

東日本大震災被災者侮辱、というと私ならこのくらいのものを考える。

行方不明者捜索という中身のない仕事。また警察パフォーマンスだけしてる

津波で流されたおっぱいがいっぱい。だけど人口ピラミッドからして魅力的なおっぱいはあまりなさそう

東北地方祭り住民たちが大地と一緒に大自然プール満喫

(当時の2ちゃんねるスレタイ不謹慎ネタが好きな私ですらドン引きした。さすがにあれは規制してもいいと思う)

しかし、彼らは侮辱表現差別表現などを一切含めていない。

だとすると、どこが侮辱なのだろうか。

笑点の死ネタはいいのか?

六代目三遊亭圓楽氏(あ、こっちも死んでた)はよく人の死をネタにしていた。例えば

・(どじょう踊りのマネをして)誰だよここに歌丸散骨をしたのは

・「土に還る」と書いて「歌丸」と読みます

・毎度、昇天時間がやってきました。死骸の歌丸です

これだけでも特定個人侮辱する内容だ。それ以外にも、IKKOマネ

・入りますか?「棺桶~」

火葬場。「半焼け~」

人の死をネタにしている。やはり不謹慎だ。

なぜこいつらだけ笑って許されるのか。

笑ったことか?

被災者侮辱するフレーズはなかったとしても、笑っていたことが自称正義マン癇に障ったのかもしれない。

だとすると、終始神妙な顔持ちで上記を言えばいいのか。

いや、やはり最後フレーズ台無しだ。

ザーメンか?ザーメンなのか?

最後フレーズザーメン」、要するに「アーメン」をもじったものがいけなかったのだろうか。

だとしたら、せめて「ラーメン」か、その部分をカットすればよかったのだろうか。

終わりに

色々原因を考えてみたが、なにがいけないのかがわからなかった。

聡明な皆さんにはぜひなにがいけないのかご教示いただきたい。


つーか、非難している人に何人東日本大震災被災者がいるんだよ。

被災者気持ちかいうけど、どれだけ正確に気持ちを読み取っているんでしょうかね。読み取ったふりをしていい気になっているだけではないのか?

日頃のストレスがあるから正義の味方になったふりをして叩きやす対象を叩いてるだけでしょ?

もしそれが侮辱だと思うなら、裁判所に開示請求及び損害賠償請求すべきです。裁判を受ける権利は誰にでも保障されています

法律規制すべきと考える場合も同様、早くアクションを起こすべきです。

ちなみに、いくら正義のつもりでも個人を叩きすぎると、逆にあなた侮辱罪や名誉毀損罪にあたり、刑事罰民事上の責任が発生します。

2023-05-01

anond:20230430173928

何をもって未開とするかはあれだけど、

たぶん元増田が挙げてる出生率の低い東北地方は、遼寧吉林黒龍江だと思うけど、

例えば大学進学率で言えば、吉林黒龍江は平均よりやや下で高くはないけど未開って程じゃないし、遼寧に至っては5位だぞ

ttps://tnc-cn.com/blog/698

2023-04-30

中国少子化、思ってたよりエグい

調べたら朝鮮に近い東北地方合計特殊出生率が1.0を切っているらしい

これは東京の1.08よりも低く、韓国に近い

やはり気候民族差があるんだろうか

 

栄えてる所ほど低いのかと思ったらそうでもない

東北が低く、栄えてる東部北部はやや低いくらい(1.0〜1.3)

内陸に行くほど高く、南西や南は1.7を超えている

ちなみに日本では沖縄が1.8

 

まり農村部はまだ高いが、都市部東北部が低い傾向で

合計すると低いということなんだが

都市部東北部は日本よりひどくむしろ韓国に近い

 

韓国全体<<中国東北都市部日本中国農村部

 

ていうか、日本で見てもわかるけど寒いほど少子化というのはあるよな?

北海道が低いんだよね

2023-04-29

anond:20230429114138

職場にいると困る将軍

2023-04-13

anond:20230413113550

それも東京の隣やからちゃう

埼玉東北地方にあったらそんなとこ行かんやろ

古い町並みなんてあちこちに残っとるし

2023-04-01

ウクライナに侵攻したロシア軍が初めて武田騎馬軍団の恐怖を味わったのは昨年の今頃。7月ロシアから砲撃により首都キエフが陥落し、7月19日には全ウクライナが反攻に転じたウクライナ情勢において、国威発揚意味もあり再び日本も手を打つ必要がある。独ソ戦が終わってから日本は激変している。先の大戦最中もそうだったが、この10年も日本は戦わなくなっていった。理由を考えれば、先日起きた東北地方太平洋地震の影響もあった。これまで当たり前に経験していた日常が異常なのだ認識させられたからだ。

Anond AI作成

2023-02-26

anond:20230226012312

県庁所在地の市の出身だけどフツーにある。大阪レベルではそんな感じないと思うよ。

東北地方にいたけど、隣の人が何時から何時にいないとか、昼間に車があるとかないとかみんな知っている。

人の趣味もあの歳でダンスだなんてとかどこの奥さん美術館でどうたらこうたら、とにかくそういう話がみんな好き。

帰省すると親がサラサラとそういうことを言い出して本当にびっくりするけど、それしかやることがないんだよ。

東北じゃ仙台中心部以外はおおむねそうなってきている感じだし、他の地方もそういうところ多いのではないかと思う。

札幌仙台名古屋大阪福岡とか、そういうところは違うような気がするけど。

2023-02-17

anond:20230217133655

これを見ると情けもある政務もできる名将だったみたいすね

関ヶ原の戦い領土を失った大名の内、数少ない大名として返り咲いた武将であった。さらに、それらの中でも最終的に10万石以上を領したのは長重と立花宗茂のみであり、そのことは特筆される。

長重は築城技術の高さを評価されていた。彼が築城した棚倉城白河小峰城はいずれも城としての質が高い[9]。棚倉城西側が急峻な崖であり、守りに適した立地条件を持っていた[10]。白河小峰城は総石垣造りの城で、これは東北地方では数少ない造りの城であった[9]。こうした築城技術幕府から評価され、陸奥入り口である要衝に長重は領地を与えられたと指摘される[9]。

死去に際して子息、家臣に「将軍の恩を第一として、幕僚と円滑に付き合い、徳川幕府への忠勤に励め、しかし、機転を利かせすぎたり、媚び諂うのはよくない」と遺言を残している。河合敦はこの遺言にも長重の堅実で実直な人柄が現れていると評している[11]。

浅井畷の戦いののち、講和のために前田から人質として前田利常が遣わされた。利常は前田利家の子ではあるが、他の兄弟と違い身分の低い側室の下に産まれ庶子であった。小松城に抑留されていた人質の利常に、長重が自ら梨を剥き与えた事があった[12]。利常は晩年まで梨を食べる度にこの思い出を話した、という逸話が残っている。

2023-02-15

東北地方旅行に行きたいけど、東北って何があるの

学生です。仙台福島には行ったことあるんだけれども、他の県も巡ってみたい。が、東北地方に何を求めてどう観光すればいいのか全然知らないんだよね。

そりゃ調べたら色々出てくるけど、このままじゃただの「東北地方有名観光周遊ツアー」みたいな誰が計画しても変わらない平坦な旅行になってしまいそう。

そこで! いつもとは違うこういうとこで東北の魅力を聞いてみたくなったのです!

万人うけしそうなのも自分好みなところでもぜひ東北地方で寄れそうなところがあったら教えてください 全部目は通しますので

2022-11-17

「すずめの戸締まり」を観たら要石で後ろから頭を殴られた

新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。

この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。

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この文章現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。

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本作のあらすじを簡潔に書く。

九州に住む主人公少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズ地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)

抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程東北被災地を訪れることになる。

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これは2011年3月11日日本列島を襲った未曾有の災害東日本大震災を主軸に据えた映画だ。

いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。

「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」

一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨言葉が語られる。

「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。

後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。

この映画は我々が体験してきた被災記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。

映画館に足を運んだとき自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズ地震を起こし、物語舞台神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカー首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。

忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送津波で一掃された土地、そういったもの映画の中での情報感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベル自分記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフ美術演出の面々に感服させられた。

からこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。

その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。

これが少しでも YouTube予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。

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この作品について語る上で、村上春樹短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。

こんな話だ。

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東京で働くうだつの上がらない銀行員中年男性が、ある日かえる出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトミミズが現れ、男性身体ミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。

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こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。

この小説1995年日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である

1995年オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本安全神話が崩れた年だ。

作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件関係者被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。

氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉表現している。光の一切届かない暗闇、自身身体と周囲の空気現実と非現実境界曖昧になる。死に近い場所だ。

人の日常生活では感知し得ない深い場所心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。

翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身ルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実霊界境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。

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神の子どもたちはみな踊る」は善悪二元論ではなく陰陽論の物語集だ。

太極図、という白と黒勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。

こんなのだ

白黒互いの勾玉の中心に、相反する色の小さな点が存在する。

善悪明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。

太極図について、ちょうど三角関数を学んだとき単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。

日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。

かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公ミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。

この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。

宗教二世を描いた表題作神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクホテル神戸に住む男の存在を思う研究者女性にせよ、海辺焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないもの存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ

その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。

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映画自体の話に戻す。

我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはら危険性をつい忘れてしまう。

東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズ描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。

そこの描写が本当に良かった。地震はいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。

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少し自分語りをする。ここは読み飛ばされても差し支えない。

東日本大震災の発災当時、自分東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。

2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。

インターネットに張り付いて、東北地方や東京情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。

当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。

日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリー被災地飲料水を発送し、ソフトバンク公衆 Wi-Fi無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本若者NHK による被災状況の中継をカメラ撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者自身責任判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote有償の容量無制限サービス日本人に向け一時無償提供を行った。

今ではウクライナ戦争真っ只中のロシアプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。

しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。

あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。

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東日本大震災から11年。

働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事もも若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。

10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。

あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。

そこに前述の草太のセリフだ。2011年東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。

あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。

新海誠の新作となれば中高生大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。

もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。

この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。

        ☟

これで最後だ。

東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。

遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。

やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこ文章不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。

またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。

2022-11-13

人口で見た「北海道東北中国四国九州」の比較

三大都市圏よりも外側」という点で共通していても、人口で見た様子は全く異なる。

北海道東北中国四国九州
人口515万人843万人714万人362万人1264万人
面積83,424 km266,952 km231,922 km218,803 km242,231 km2
人口密度62 人/km2125 人/km2224 人/km2192 人/km2300 人/km2
人口1位札幌(196万)仙台(110万)広島(119万)松山(51万)福岡(163万)
人口2位旭川(33万)いわき(33万)岡山(72万)高松(41万)北九州(92万)
人口3位函館(25万)郡山(32万)倉敷(47万)高知(32万)熊本(74万)
30万人以上都市数24438

(注)

北海道地方 … 北海道

東北地方 … 青森県秋田県岩手県山形県宮城県福島県

中国地方 … 鳥取県島根県岡山県、広島県、山口県

四国地方 … 香川県徳島県愛媛県高知

九州地方 … 福岡県、佐賀県長崎県大分県熊本県、宮崎県鹿児島県(※沖縄県は含まない)

2022-11-09

田舎に転勤して、地味に一番終わってるなと感じたのは選挙

コロナ前、某東北地方支店に転勤していた時期があった。まぁ田舎田舎だったがそれは想定内コロナ前だったしレジャーも伸び伸びやれたので良い経験だった。仕事はつまらなかったが…

もちろん生活面では色々と不便や都市部とのギャップを感じることはあったが、地味に個人的に一番終わってるなと感じたのが選挙

衆・参ともに自民のオジサン達が連続何期当選とかでド本命知事町長県議員も町議員もぜーんぶ連続何期のド安定ばっかり(全部自民ではなく一部野党はいたが、その人もめちゃくちゃ強くて連戦連勝)。

冗談抜きで投票しようがしまいが選挙結果には一ミリも変化がない選挙しかなかった。

私は一応毎回真面目に投票していたが、正直時間無駄だと感じていたのは事実

余所者だったか縁故地盤があっての議席だったのかもしれないが、そんなもん知る由もない。

転勤前は関東の某市に住んでいたのだが、その時は良くも悪くも選挙面白く、市議会でも時々番狂わせ自民のお爺ちゃんが謎の共産バサンに撃墜されたりしていて選挙速報を見てても面白かった。

職場でも選挙話題で盛り上がることがあった。(党派性剥き出しのギスギスした雰囲気ではなく、あくま選挙行った?とかい世間話程度だったが)

東北田舎では選挙のせの字も全然でない。選挙あったのかも分からんくらい誰も話題にしない。実際投票率も相当低かった。

そもそも選挙期間からしてしょぼくれてる。2個隣の大きな市には東京から政治家応援演説に来るが、こっちの町には誰も来ない。立候補者もどこにいるんだか分からんくらいしか回ってない。

県議会や町議会なんて初めから結果分かってるし負ける方はまともに活動してなかったんじゃないか

こりゃあ田舎ますます寂れるなと感じた。政治家からして盛り上げようとしてないしね。

anond:20221108143547

福島県浜通り南部だけど、東京と比べて夏は涼しく、冬は晴れる日が多く雪が少ない。

一応東北地方なので知らない人から雪国と思われがちなんだけど、雪が降るのは稀。夜間に降っても日が昇ると消える程度のことが多い。東京に出てこちらの方が雪国だと思ったくらい。

自分地元ながら気候的には日本一、いや世界一住みやすいところだと思う。東京へのアクセスも割と良いし。

茨城県北部も似たようなものかもしれない。

2022-11-07

虹(ニジ)と、ヘビと、ウナギの話

 この文を書いている今日、所用で外出した先で雨に遭い、それが止むのを夕方まで待ち、さて自転車で自宅に帰ろうとした道すがら、空に虹(にじ)を見た。

 今日の外出先から自宅へと向かおうとすると、ちょうど西から東へ進行する形になる。東の空へと流れ去る黒い雨雲を背景に、色の濃く鮮やかなもの、色が淡いもの、二本の虹が綺麗な弧を描いていた。

 その時、私が通行していた自転車道兼遊歩道には、他に散歩ランニングをしている人たちもいたのだが、彼らも私と同じように、虹に見とれたり、スマホ画像を撮ったりしていた。中には「二本の虹なんか初めて見た!」と驚いている人たちも少なからず見られた。虹が二本出ることを知らない人もいるのかと、むしろそれに私は驚いたのだが、のんびりと空を見上げる余裕を持つことがあまり許されない現代人には、仕方が無いことなのかもしれない。綺麗な虹を見たという新鮮な感動が機会となって、彼らが空の気象天体に関心を持ってくれたら嬉しい。

 ところで、二本の虹が出ることを知らないということは、おそらく彼らは二本の虹の名前も知らないのであろう。しかし、虹が二本出ることを知っている人でも、案外その名まで知っている方は少数派ではなかろうか。こんなことを言うと「虹は虹でしょ?区別とかあるの?」と思われるかもしれないが、漢字による呼称区別がある。

 漢字の原型は、殷代の甲骨文字に見ることができるが、その中には既に、虹を表した象形文字を見出すことができる。それは、弓形の弧を描く二本線で描かれており、弧線の両端には口を開いて下を向く頭を持ち、しかも角らしき突起まで見られる。

 甲骨文字占いに関する記録を遺したものであることから卜辞(ボクジ)とも呼ばれ、古くから中国人自身による研究が行われていた。その一つに郭沫若(かく・まつじゃく)の著した『卜辞通纂考釈』があるが、この中で「一つ出た虹を『虹(コウ)』、二つ出た虹を『霓(ゲイ)』と称したものであろう」という説が述べられている。ただし、現在漢和辞典を引けば、『虹(コウ)』が雄で『霓(ゲイ)』が雌とも記されていて、郭沫若の説とはやや異なる。二本の虹の濃い方を『虹』、淡い方を『霓』として雌雄ペアと見るのが後代の見方である。いずれにしても、卜占の亀甲や肩甲骨に刻まれるような神秘的・神話存在として、虹・霓は古代中国人の心を捉えていた。

 残念ながら、私のデバイス文字変換では『霓』の文字しか出てこないのだが、本来は『虫』偏に『兒』旁で、ちゃんと『虹』とペアになるのに相応しい形をした文字である。それが現在、雨冠の字形が主流となっているのは、科学的な物の見方をするようになった近・現代人が、この漢字には神話的・呪術的な役割ではなく、気象用語という科学的な役割を担わせるようになったことの反映であろう。

 虫偏の字であることからも判るとおり『虹(コウ)・霓(ゲイ)』のことを、昔の人々は、広い意味での『蟲(むし)』の類いと考え、すなわち「ヘビ」の一つと見做していた。これは日本でも同じことで、マムシやフクムシなど「ムシ」呼び名がヘビには用いられている。『フクムシ(福虫)』というのは、これは穀倉を荒らすネズミなどの害獣を捕食してくれる益獣だからである。『マムシ(真虫)』の真(ま)は、オオカミに冠した神名大口真神(おほくちのまかみ)』における真(ま)と同じく、強く猛々しい神の名を軽々しく直接的に呼ばないようにするための、一種忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 『虹(コウ)・霓(ゲイ)』は、両端に頭を持つ怪蛇であるから「それではヘビじゃなくて、むしろ龍とかの仲間ではないか」と言われるであろう。しかし、昔の人々にとっては、家屋の周辺や田畑などで身近に見かける普通のヘビですら、神秘的な存在だったのである。昔の人々にとって、龍(りゅう)/蛟(みずち)etc.普通のヘビとの間の境界は、我々現代人が考えるよりも遥かに曖昧であったと言ってもいい。足を持たない、もしくは四脚が有っても小さくて目立たない、細長いクネクネとした身体動物のことを、一纏めの仲間として昔の人々は捉えていたと考えられる。このことを少し頭の片隅に置いてから、以下を読み進めてもらいたい。

 「それにしても、虹がヘビだなんて、昔の中国の人たちは面白いことを考えていたものだなあ」と思われるかもしれない。しかし、実は「虹(にじ)=天の蛇」という考え方は、近代化する以前の社会では、地球レベルで広く見られた/見られるものである。そして、それは日本例外ではない。そもそも日本語の名称『ニジ』そのものが『ヘビ』を意味していたとも考えられている。

 日本における「『天の蛇』としての虹」の話に関しては、ロシア人言語学者ニコライ・ネフスキーによる有名な研究をはじめとして、多数の調査研究が為されている。それらから、思いつくままに事例を紹介していこう。

 例えば、琉球諸島宮古島では虹を『ティンパウ』と呼んでいたが、『ティン』は「天」、『パウ』は「ハブ」のことである。『ハブ』は『ヘビ/ヘミ』系統の語である大蛇を表す『ウワバミ』の語に含まれる『バミ』もまた『ヘビ/ヘミ』の転訛であると考えられる。『ウワ(上)』はマ(真)カミの真と同じく、忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 宮古島の北にある池間島には、若返りの水についての昔話が伝えられている。欠けて新月となり姿を消し、再び満ちて姿を現すことを繰り返す月。脱皮して不老不死を保つ(かのように信じられていた)蛇。若水とは、神話では月や蛇と結び付けられて語られる、不老不死象徴である。月と水が結び付けられるのは、潮の干満との連想であろうか。

 太古の昔、人間はスデ水(若返りの水)を浴びて脱皮することで、不老不死を保っていた。ある時、天の太陽神が、セッカ(ヒタキ科の鳥類)に命じて、スデ水を月から地上へと運ばせていた。ところが、途中で『アウナズ(虹)』が、スデ水を奪って捨ててしまった(あるいは、スデ水を横取りして使い、脱皮するようになった)。このため、太陽神月神の怒りを買ったアウナズは、それ以来、太陽の反対側に出るようになったという。

 若水物語に登場する『アウナズ』という語は、琉球諸島地域におけるアオヘビ類を指して言う『アウナジ/オーノジ』系統の語と明らかに同じものである。他に、八重山群島竹富島でも『オーナーヂィ』と言うとされる。つまり『天の虹』と『地上の蛇』を、同じ名前で呼んでいたのである

 少し変わったものでは、小浜島では虹を『チネー・ミマンチィ』と呼んでいたというが、これは『ティン・ヌ・ミミジィ(天の蚯蚓[ミミズ])』の意であるという。細長くてクネクネした動物を昔の人々は一纏めに捉えていたという話を、今一度、思い出してもらいたい。

 新城島では、虹を『アミ・ファイ・ムヌ(雨を食うモノ)』と呼ぶ。雨が降りそうで本格的には降らない俄か雨で終わる状況を「虹が雨を食った」と言うからだそうである与那国島には『アミ・ヌミャー(雨を飲むモノ)』という呼び名もある。

 虹が喉の渇きを潤すために雨や地上の水を飲みに現れる、或いは、虹が喉の渇きを潤すために雨を呼び起こすという信仰もまた、広く見られるものである

 長野県では、龍が天から水を飲みに降りてきた姿が虹とされ、また、同県更科では「虹は『ジャ(蛇)』の吹く気である」と信じられていた。山梨県西部でも「『ノジ』は蛇の息」とされた。秋田県平鹿では「『ノギ』は吹いた」と表現した。大分県でも、虹が出ると「『ジャ(蛇)』が吹いた」と言われていた。水神としての蛇神が棲むとされた湖沼から天の蛇としての虹が出現して、雨を呼び起こすという話も広く分布していることが認められる。このことからネフスキー湖沼支配神を指す『主(ヌシ)』も『ニジ』と同一起源ではないかと考えたようであるが、それは流石に後代の研究から否定されたようであるしかし、湖沼の主といえば大抵は龍蛇なので、語源論としてはともかく、ヌシと虹を結びつけるネフスキー見方は意外に悪くないと思える。

 ネフスキーと同じ頃の時代宮良当壮という研究者は、虹とヘビ類の方言呼称分析して「『ニジ』はヘビを意味する語から分化した」ということを立証しようと試みた。ニジの呼び名には『ノジ/ネジ/ヌジ/ヌギetc.』がある。既に上でも紹介したが、琉球諸島地域におけるアオヘビ類の呼び名が「アヲ+(語根)」の形をとっており、その語根部分の変化が『ノジ/ナジ/ナギetc.』となっていて、極めて似ている。そこから、宮良は「『ナギ』が『ウナギ(鰻)』を含めた『ヘビ型動物』の総称であり、そこから『ニジ/ヌギ』などの語が派生分化していった」と考えたのである。細長いクネクネした動物を一纏めに捉えていたという話を、再度、思い出していただけたであろうか。

 この宮良説の傍証としては、例えば秋田県ではアオダイショウのことを『アヲノジ/アヲノズ』と呼び、『ノジ/ノズ』は同地域における虹の呼称共通しているなどといった事例が幾つも見られるので、宮良説はあり得ると個人的には思っている。大蛇を指す『オロチ』という語も、尊敬の『接頭語オ(御)+ロチ(ノジ系統語の転訛)』と考えられる。

 とはいえ現代人の感覚から見れば、特に生物学動物分類学知識を通じて見れば、ヘビとウナギ同類視するという考え方は、なかなか受け入れ難いものと思われるかもしれない。しかし、以下の話を読まれたならば、どうだろうか。

 昔の日本人は、雷神に対して信仰を抱いていた。特に農民は、落雷に対する特別信仰を抱いていた。例えば、岐阜県美濃地方では、稲田落雷があれば、その場所注連縄を張って神聖視・聖別した。何故このように稲田への落雷特別視したのか。それは『稲妻(イナヅマ)』という単語に端的に表されている。イナヅマとは「稲の配偶者」であり、昔の日本農民たちは、雷神を「稲田神を孕ませる夫(ツマ)」と見做したのである。これは、落雷のジグザグ線が蛇神の顕現と見做されたこと、そして、蛇体が男性器の象徴と考えられていたこととも関係しているのであろう。落雷は豊作の予兆であった。

 東北地方には、落雷のあった稲田神聖視する風習存在した。例えば、岩手県では、落雷のあった稲田を「お田の神の田」と呼んだり、女性家畜を入れないようにしたり、雷神と刻んだ石を建てて祀るなどした。

 この岩手県をはじめ、東北地方には「ウンナン田」と称する水田の事例が見られ、これは「落雷のあった水田」であり、しかも「鰻(ウナギ)の姿が見られる水田」のことであるとされる。ウナギが住める水田は、水温が比較的高く、良い水田だと考えたからともされる。落雷後の水田ウナギを目撃したことで、農民たちは「雷神水田に棲み着いて、良い水田に変化した」と考えたのであろう。しかし、それだけではあるまい。

 今では、落雷が豊作の予兆であるという考え方は、単なる非科学的な迷信ではなく、それなりの自然科学的な根拠があったと知られている。農作物の稲だけに限らず、植物の生長には、窒素肥料成分が不可欠である大気中には気体の窒素が大量に存在するものの、それらは化学的に安定な窒素分子状態存在しているため、そのままで植物栄養素として利用できない。ハーバーボッシュ法による大気中の窒素を人工的に固定する方法確立し、窒素肥料大量生産が実現するまでは、大気中の気体窒素を、植物栄養素として利用できる窒素化合物の形に化学変化させることができたのは、マメ科植物の根に共生している根粒菌を除けば、雷による空中放電だけであった。おそらく、落雷が起きた水田の周辺では、雷の電気により生じた窒素酸化物の影響で、稲の発育が良かったのだと想像される。それを見た農民たちが、経験知として「落雷=豊作の徴」と語り伝えたものが、ウンナン田なのであろう。

 最後になるが、もしも『ナギ系統の語がヘビ型動物を指すという説が真実であるとすれば、そこからどうしても思い浮かべてしまうのが、インドから東南アジア地域に広く分布する蛇神『ナーガNaga』の存在である果たして、ヘビの古い呼称の一つである『ナガムシ(長い蟲)』の『ナガ』は『ナーガ』と関係があるのか。水の中にいる長くクネクネしたヘビのような身体をした動物ウナギは、もしかしたら『オ(御)+ナーガからその名が付けられたのか。

 妄想は尽きない。

【参考文献】小島瓔禮・編著『蛇の宇宙誌』(東京美術)

 今回の内容は、この本の受け売りである。とても面白い名著なので、是非、図書館などで一読することをおすすめしておく。

栗花落カナヲと蛇の話⇒anond:20221108215545

2022-10-06

[]骨葬

火葬を行った後に、骨壺や位牌を祭壇などに祀って葬儀を行うこと。

東北地方の一部地域などで普通に行われるほか、遺体状態が良くない場合、遠隔地で亡くなった場合などにも行われる。

2022-09-26

工事で二車線が一車線になるとき

ここ数年東北地方在住

都心部とこの地方しか車に乗ってないのでそれ以外の地方はよくしらないけれど

この地方はこの先車線規制ありますって最初看板位置から残る方の車線にいる人が多い

もしくは最初看板の時点で残る車線に合流してくる

その人がこの先車線がなくなるぞと気付いた瞬間、前が詰まってる交差点内だろうがなんだろうがお構いなしの車線変更

合流するときはぎりぎりまで進んで一台ずつ入っていくのが全体的にスムーズにいくと色んな人に教わったのでそうしてるのだけれど

この地方の人はすごい前から残る方の車線に入ってじっとしている

たまに一台二台びゅーんと追い越していくと入れたくないのか前にぎゅっと詰めていれようとはしない

横断歩道に人がいても止まらない県の一つだし、止まってもらえない、入れてもらえない経験がそうさせてるのかなと思うけど

それにしても数百メートル先の合流のために片側車線だけ混んでて片側はガラガラって変だと思わないんだろうか?

一車線の右折とかも少しスピード落として入れてあげた方が全体的な流れがスムーズになるのになーと思うことが多いのだけど

こういうマナーというかスムーズ運転するためのお互い様ルールってどうしたら浸透するんだろう?

それとも私がそう教わっただけで実際はぎりぎりまで進んで合流してもしなくても混雑は変わらないのだろうか?

でも途中に信号もあるし絶対ぎりぎりまで二車線でいった方がいいと思うんだけどな

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