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2019-03-18

体罰禁止されてたのは武士の子孫がいた明治まで

anond:20190318110731

明治までは、うっかり部下の少尉を平手打ちしようものなら、後から自宅を襲撃されて惨殺され、裁判前に当人切腹して終わるという

体罰軍団規律メンツ崩壊させかねない危険因子だった

2019-03-17

子供を殺す武士犯罪者という観念があり子供だけで盛り上がろうとした平成だったが

 そのガキがある時期まで成功してたからよかったものの、なぜか勝ってはいけない

本当の犯罪者のガキが勝って、正義をしようとしてたガキが逃げて最悪になったので

やっぱり武士じゃん、しか昭和天皇最高だったってことでこうなった

 日本が昔から一貫して最悪なのは、なぜか日本の本当の悪である、原始の女を処罰しないことで

明治昭和まれな時期でそのゲス悪女処罰していた

 結局、子供を勝たせようというのも、エゴイズムで、一見武士に勝つように見えたが、武士がいるとき以上に

最悪になった。やっぱり、ゲス女を罰し、激しい勧善があった昭和最高じゃんってことでこうなった。

 結局クソガキはクソガキだな。

 それから昭和オヤジは、昭和天皇とか、頭が切れる文人が上にいねから自信がねえんだよ。自分すっぴん

出てきたら、うわくせーオヤジって言われるだけだからな。正当化できるだけの感動的な人が上にいない。

2019-03-14

明治昭和時代天皇による法支配世間に認められ全日本人が国家についていった理由

 天皇が、日本人性格が超絶最悪で生きている価値がないし、男になった方がマシだという思想

勝ち、その時代は男による教育もまともで、全日本人が、自分ゴキブリ以下の存在で死んだほうがいい

と思っていたからで、特に昭和時代にはその考えが激しく、行政経済が大発展を遂げてこのような島になった

しか平成時代は、その数年前から男どもが発狂して先生としての価値がどんどん無くなっていったし

権力ヤクザが腐敗してどんどん最悪になり、雄雄しい者がスカスカになっていったこと、賢い男が勝っていた

時代は、日本人は全員、自分ゴキブリ以下と思っていたが、男がクソばっかになって、そもそもかに自分たちは

生きている価値の無いエゴイスチックで最低最悪な風俗女だけど、風俗女は風俗女じゃないか、もう価値のある男もいないし

元に戻りたいという風潮が強まり、折から平成天皇もクソ化したことから世間は、日本人を認めようということになり、

2006年ごろまでは、腐ったバナナ感があって、色々とエロ賢い面白いことがあったが、07年からやっぱり日本人

悪いところが散々露呈し、やはり日本人ダメだ、最低最悪だ、という空気蔓延した結果、それまで悪とされていた武士

勝ち、現在がある。

2019-03-13

anond:20190313064219

先祖武士」なんていくらでもさかのぼって適当なこと言えるからかなり多くが言えてしまうことだし

議員が上の世代に居るみたいなのと同列視できるようなことなのだろうか

anond:20190312185218

日本人であることだけが、唯一のアイデンティティという人だってたくさんいるんですよ。

ましてや先祖武士だとか、何代か前の先祖が村会議員を勤めたとか、そんなことがあったら人生最大の喜びじゃないですか。

2019-03-09

anond:20190309221537

武士はすっかり姿を消して魂も残ってないよ

テロリスト制服着てるのが不満みたいだけどほかに戦闘員いないよ

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。実は三河武士あいだでやたらと流行っていて十人いたら七・八人は唐の頭をつけていたと言われており、というのも唐の頭を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-03-06

どろろ最新話の不満

デザイン一新するのはいいけど元のテイストは残して欲しかった、何でイタチハムエッグからあんな平凡顔に変更した。

憎めない悪党感が激減だ。

ねずみ男を平凡なおっさんにするようなセンスのない改悪だ。

あと最初もっとどろろ両親の武士家族を殺された憎しみをはっきり際立たせてほしかった、今後のどろろイタチ関係との対比としても大事だろう。

あと無惨感が大分と薄い、原作では戦と飢饉で多くの人が餓死して生きて餓鬼のようになった人々がその肉を食らう、父親も我を忘れ肉を喰らいたくなるが妻子に泣かれて耐えるからこそどろろの「地獄ってこんなとこかい?」「もっとマシなとこだ」が映えるのに、戦で死んだ兵隊死体から食料を集めるマイルド描写では薄味過ぎる。

牛車に乗った奥方からどろろへのほどこしの食べ物を「せっかくだがおかえししますぜ、人が餓死している時にうまいものを食ってるのはおまえさんたちさむらいだけだ」と突き返し殺される父親も、因果応報自分が殺した武士の生き残りに殺される展開になってる。

一番引っかかったのは母親が寺で粥を施してもらうシーンが、侍になったイタチから施してもらうシーンに変更になった事だ。

父親が極限の飢餓でも受けず死んだものを、貰いに行く母親にされていたのが嫌だった。

多分脚本家的に子供の為にプライドを捨てて、食べ物を食わせるためになりふり構わないのが親だろう的な気持ちがあったんだろうな。

2019-03-02

現代身分制度 シングルマザー武士 KKO穢多非人

シングルマザー子供を育てているので、なんだかんだいわれても最終的には尊敬を受ける。

子供を育てるということは絶対的な善だから

KKOは(KKOであること自体には)尊敬を受ける要素が全くなく、下手すりゃ前科者より蔑まれている。

2019-02-27

武士道とわ死ぬここと見つけたりん

なめたことをした相手を殺して自分処罰される前に自殺することだったのが

今は裁判所の罰を受け入れる石川五右衛門立場でも潔い武士だとみなされる変な風潮になった

自分の罰は自分で決めるのが武士道だったはずなのにん

2019-02-23

anond:20190223195627

から下に対する体罰けがOKから問題なんだよ

教師体罰されたら生徒の属する村が村民総出で学校の門の前で農機具もって怒号を上げるとか

基地内で自殺した隊員の嫁子供親戚一同が責任者リンチにするとか

自分切腹するつもりで相手を殺す江戸時代武士死ぬこと見つけたよみたいな世界観になるなら良いと思います

でも法律の国を主張するならすべての暴力禁止する代わりに上位から下位への暴力禁止しろという公平性の話です

2019-02-22

BS時代劇 小吉女房

役所勤めの武士が新入りを人前で侮辱して斬られる話があったのだけど、刀持ってる相手にそんなことするか?

アメリカでも部下に撃たれれるようなことはしないと聞いたし、現代日本価値観脚本書くから違和感が出るのだよ。

2019-02-13

anond:20190213172631

基本全部左側通行かと思ってたら、昔は実際そうだったけど

GHQ指導のせいで右側歩けってことになって

その指導を逃れた駅構内類が元々の左側通行を維持してるということらしい。

そもそも左側通行説明する時に武士の刀が~とか言うくせに歩行者は右ってなってるのがまずおかしいんだよな。

あれも歩道区別がつかず路側帯のない道路は右側歩けって言ってるだけだし、他も頑なに右側歩いてるやつは結構アホ。

2019-02-08

anond:20190207200019

武士武士で、農民農民で、なんの努力もなしに親の仕事を継げたので就職心配がなかった。

ただし、親が無職だったり、親の勤め先がお取り潰しになったり、次男以下の場合はこの限りにあらず。

2019-02-07

anond:20190207200019

ちょっと気に食わないことがあったらすぐ尋常沙汰の恐怖社会

武士が堂々とこれということは農民草刈り窯で手足を切りあうのがデフォなんだろうなあ

国民全員チンピラ時代

2019-02-01

anond:20190201030902

果たして武士の血という目前の根拠一つをとって慌てて結論を急いでよいのだろうか

他にもっと考慮すべき要素があるのでは

うーむ、これは難問だ

anond:20190201030902

先祖代々農家だったことが明らかで武士の血なんか一滴も混ざってないわしはどうしたらええんじ

anond:20190201030335

こっそり教えるけど本当に日本好戦的だよ

武士の血が混ざってるから

2019-01-21

https://anond.hatelabo.jp/20190121000754

そうだな平安時代道教陰陽思想が発達したし、

鎌倉時代日蓮仏教だな

死ななきゃ幸せになれん仏教思想を広めれば、

兵隊が欲しい武士利益になるし、

神道神社天皇も便乗できるわけだ

2019-01-15

anond:20190115032148

刀持ってる人は武士だろうと浪人だろうとサムライって認識してるだけだろ

anond:20190115111542

安土桃山時代

平和時代の幕開けです。南蛮貿易によって、ヨーロッパの品物や、風俗、習慣が日本人生活にとりいれられた。

下着だった小袖を、男性女性武士町人も、すべての人が着るようになり、上級武家女性は,金の糸や銀の糸を布に織り込んだ り、豪華な刺繍をした小袖もつくられるようになってきました。

※絵は「きもののたのし改訂版」(社)全日本きもの振興会編 発行㈱世界文化社 より

江戸時代

265年間続いた江戸時代、その内215年間は鎖国時代となります日本独自文化熟成された時代浮世絵もこの時代のものです。小袖が庶民にとってもおしゃれを楽しむアイテムとなり、たびたび奢侈禁止令(しゃしきんしれい)が出されました。

anond:20190115110830

室町時代から安土桃山時代にかけて、もと貴族下着であった小袖が、表着として着られました。 美しい絵模様を自由に染め出したものや、刺繍を使ったものなどが喜ばれ、小袖とともに帯が用いられるようになりました。

また明(中国)やヨーロッパから伝えられた、金らん・どんす・しゅらん・サラサラジャ・ピロードなども、華やかな衣装に用いられています

一般の人たちも、この頃から、綿でつくった木綿を衣服に取り入れるようになりました。 江戸時代には室町時代頃、武士普段着であった肩衣ばかまが礼服となり上下と呼ばれるようになりました。

しかも、身分衣服であらわされ、身分の高い人は長上下身分の低い人は麻の上下を用いました。 武家女性は、夏は腰巻、冬はうちかけという姿で、唐衣のなごりを留めていました。

一般女性は小袖の袖が次第に長くなり、美しい模様を染め出した振袖姿が流行するようになり、帯も広く長くなりました。

羽織武士金持ち商人が用いましたが、農民町人は半天を着ました。 職人腹巻ももひきをつけ、その上に半天を着ていました。

2019-01-10

SNS金配りと叩く人達に染み付いた社畜

話題沸騰中の"SNS金配り"

ZOZOタウンの社長実施したツイッター上でのイベントきっかけで大変盛り上がっている

あのツイートリツイートしなかったことを誇り、リツイートした人を見下すマウントツイートの多いこと多いこと

彼らはあれが宣伝だと気付いているのかな?

まさか前園氏の前後ツイートも見ずに叩いている情弱ではないよな?

金配布という字面につられただけではないよな?

そっちの方がよっぽど「金のことしか頭にない奴」だぞ?


前園氏はあのイベントの終了直後、ZOZOタウンの割引クーポンリンクツイートしていた

リンク先ではボタン一つでクーポンゲット

非常に手軽だ

このクーポン宣伝方法がもしテレビCM新聞、街中の広告だったら?

客は検索という手間を越えなければならない

この手間が無いというだけで、宣伝としての効果はとんでもなく上がる

更に、前園氏はこのクーポンツイートの前に、当選者へのDM送信状況をツイートしている

こうすることで、前園氏の次のツイートを待つ人が増える

「まだ終了の報告が無いか自分にも来るかもしれない」という期待で

そこに宣伝を打てば、目に触れる数は何十倍、何百倍にも膨れ上がる

さすが経営者、人の心理を上手く利用しているなぁと感心した

そもそも宣伝というのは基本的に「数撃ちゃ当たる」ものだ(もちろん層を絞って狙い撃つ戦略の上で)

100人の目に触れて1人が買ってくれれば御の字

母数を増やすことが勝負

そんなことは分かった上で批判している人

彼らは「武士は食わねど高楊枝」を貫く清貧人物なのだろう

立派な大和魂だ、カッコいいな

そういう高潔な魂が、今の日本を回しているのだろう

社畜という名の武士として

彼らはSNS金配りをリツイートした人達乞食と見下して満足感を得ている

彼らにとってリツイートした人達農民か、それ以下の存在自分はそれらよりも上だと思い込んでいるのだろう(乱立している信憑性ゼロSNS金配りに飛びつく人達は、そう思われても仕方ないが)

だが、彼らも所詮は雇われレベル

殿にはなれないんだ

殿のために、例え貧しくても耐えてその命を捧げるのだ

汗水流して必死に稼いだお金けが綺麗で正しいと思っている、現代武士たち

その高潔社畜魂を持っている限り、彼らに自由は無いだろう

幸せはあるかもしれないね価値観は人それぞれだから


さて、自分より下だと思う存在を見て自分を慰めている悲しさに気付いているだろうか

どんなに辛くても、自分よりもっと辛い人がいる

そういう考えは、果たして優しさなのか傲慢なのか

どうせ励みにするために見るなら、下より上の方が良いと私は思うな

自分より安い給料で長時間働いている人もいるんだから自分はまだマシだ、頑張ろう」

自分より高い給料労働時間が短い人がいるんだ、もっと上手くやれるかもしれない」

なら、どっちが良いかな?

まあ、これも人それぞれの環境立場価値観によって変わるのだろう



ところで、どうも違和感があるなと思ったら、ZOZOタウンの社長は「前園氏」ではなく「前澤氏」だった

前澤さん、大変失礼いたしました

しかし、この程度の薄っぺら記憶しか残せない低脳な私ですら、ZOZOタウンの名前をハッキリと覚え、500円クーポン存在を知った

前澤氏の宣伝大成功だったということだ


この投稿は誰かの目にとまるだろうか?

もし読まれて、もしバズったら、最初の数行だけ読んで

前園って誰だよwww筆者は日本語すら読めないのかwww

と揚げ足を取られるだろうか?

その人はこの程度の文量すら読めない忍耐力の持ち主かな?

ただ私の文章が下手なだけかな?

私の文章がフワッとしていて支離滅裂なのは確かだ

文章最後まで読ませるって、案外難しいものなんだよね

から宣伝広告はほぼ長文ではない

簡潔に、分かりやすく伝えることに、広報に携わる人達時間と労力を割いている

たったの数ツイート宣伝大成功させた前澤氏はやり手だ

とりあえず、私は10万でも100万でも良いから、苦労せずお金を入手したい

なぜなら苦労して手に入れたお金には価値を感じてしまうから

価値を感じないお金バカみたいに遊びたい

泡銭として使うための泡銭が欲しい

汗も涙も染み込んでいない、薄っぺらくて軽いお金が欲しい

から私は前澤氏の宣伝に群がった人を馬鹿にするつもりはないし、なんなら自分参加者だし、参加したことを見ず知らずの誰かに馬鹿にされていたとしても後悔しない

彼らとはお金に対する価値観が違う

お金のものが夢ではない、軽いお金を使うことが夢なんだ

まあ、こんな私は一生前企画当選しないけどね

さて、今回の件で金のことしか頭にないのは誰だろう?

前澤企画参加者か?

お金にだけ目を向けて叩いている人達か?

全員か?

江戸時代だったら武士次男ってKKO予備軍だったんだろうか

長屋KKOの住処ですか

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