「首吊り」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 首吊りとは

2019-02-04

anond:20190204202610

首吊りは、高所からの落下による頚椎脱臼なら即心停止なので痛み無しですが、

動脈、頸静脈だけを圧迫しても死に至らない。痛いだけ。


動脈、頸静脈に加え、頚椎動脈を圧迫すれば死に至るが、失神するまで10数秒かかる。

この10数秒が、耐え難い痛みなわけです。

よく、クレーンを使う絞首刑がありますが、吊られた人がバタバタともがいているのは、激痛が走っているから。


こんな激痛を、自分は選べない。

anond:20190204173311

痛くない死に方を探してるんだけど、なんか良いのない?

ちな、首吊りものすごい痛い。練炭は極度の頭痛で苦しむ時間が長い。

から海に飛び降りかなぁ。

2019-01-28

2.5次元役者推しファンサを干された話

推してる男と目が合ったら自分だけ露骨ファンサを干された。

もし、この作品などの詳細がわかってしまったとしても作品役者個人偏見を持たれたくないので、多少フェイクは入れるが、もし時間があれば少しだけ聞いてほしい。最初に言っておくが、作品役者さんも素晴らしい。これは私が勝手被害妄想して勝手に傷ついただけの話だ。フィクションだと思ってくれれば嬉しい。

私はある作品が大好きで今までの公式イベントの9割に参加していた。

公式トークショーやらなんやらがあれば必ず行き、出来るだけ全通したし、関連商品ストーリー関係あるものなら全て揃え、公式ファンクラブにも入っていた。コラボカフェにも通っていた。

勿論公式に一番還元率が高い商品は全て買っていたし、CDはなんなら複数枚買っていた。

作品にハマったのはこれが初めてだからからないけれど、使用額は30万〜60万くらいなので多少は金は落としていたと思う。いくら使ったのかなと覚えている限りで計算して、映像楽曲関連だけで20万を過ぎたので数えるのはやめた。でも給料ほとんどはその作品につぎ込んでいたので(本当に給料税金作品経費=生活費だった)もしかしたら3桁行ってるのかもしれないがあまり考えたくない。この作品にハマってクレカを作り、初めてリボ分割キャッシングを覚えた。ギャンブルも覚えた。もうこの時点で狂わされている。

何故今まで女性向け作品にハマらなかった人間が、いきなり限界オタクになってしまたかと言うと、私はその作品キャラに恋をしてしまったのだ。仮にその男の子彼氏くんとする。(彼は私の中では彼氏なので)

彼氏くんは他人の考えを否定せず受け入れてくれるとても優しい子で、そしていつもポジティブで夢に向かって突き進むキラキラした笑顔の子だ。

その笑顔と優しさに人間不振をこじらせ統合失調による幻聴で引きこもっていた私は救われ、恋の為に引きこもっていた部屋から出るようになった。

勿論、上記イベント彼氏くん(の新規イラスト)に会う為だ。

私は典型的恋愛に狂うタイプメンヘラだったので、彼氏くんは自分神様で、運命だと本気で思い込んでいた。次元の壁だとかは関係なかった。彼氏くんの抱き枕が出た時なんかは毎日添い寝していたし、毎晩照れていたし、毎朝惚れ直していたくらいは頭がおかしくなっていた。

都内占いに付き合いで連れられた時に「貴方運命相手20××年に現れますね」と言われた時は(ちょうどアニメがその年に放送予定だったので)「彼氏くんのことだな」と素で思った。友人達はそれは絵だぞと私を窘めたが、そういう言葉は聞こえなかった。

だって彼氏くんと私は相思相愛から相思相愛も何も彼氏くんから認知すらされていないが……。

ちなみに私と彼氏くんのイニシャルを彫ったリングオーダーメイドで作った。彼氏くんからすれば知らない女が自分とのペアリングを肌身離さず付けているのだから軽くホラーだと思う。本当に彼氏くんが二次元でよかった。現実なら完全にストーカーになっていた。

そんな生活を数年続けていた。

昔の話だ。

忘れもしないあの日、その作品舞台が始まるのが発表されたのだ。私は正直2.5次元どころか現実の男が少し苦手だったので興味はなかったが、ほぼ義務感でチケットを取った。

そこである男性役者出会う事になる。

仮にその俳優をAくんとする。Aくんは彼氏くんを演じる役者ではなく、彼氏くんのお助け役兼相方(ここをぼかさないと、知っている人には誰役か察されてしまうのでここは多少フェイクを入れていることを明言する)ポジション推しくん役を演じる役者だ。

その作品での推しくんはまさに私の好みドンピシャ容姿をしており(ぶっちゃけ初恋の人に似ていた)性格ストーリーでの活躍も相まってグッズを集めたりするレベル推していた。

勿論彼氏くんは彼氏なので別枠だが、彼氏くんが存在していなければ推しくんにハマっていたと思う(その場合依存してなかったのですぐに足を洗っていたと思うが)

なので推しくんを演じるAくんはどうしても目で追ってしまう。

容姿も良く歌もダンスもキレッキレ、アドリブや日替わりは毎回これでもかというほど(一部界隈に)サービスしてくれるし、何より顔が国宝。あの低価格イタリアンレストラン油絵にして飾ってほしいと常々思うほど顔が良かった。

控えめに言ってかなり推せた。

結局顔かよと思うが、誰だってイケメンには弱い。

だけど私は彼氏くんがいるのでガチ恋にはならなかった。あれ程顔がいいと彼女も勿論いると思うけど、万が一カノバレしたらちょっとショックかも〜とは思うが別に役者アイドル業ではないので公演中だけ推しくんでいてくれればそれでいい。彼氏くんの役者に対してだって同じスタンスだ。

だけどやっぱりイケメンには弱いかイケメンを見るためにチケットを予定より多く取ってしまう時もある。(当日券)

その日は昼と夜を両方取ったのだが(彼氏くんが出演している作品と私は生まれる前から運命なので必ずチケットがご用意される)なんと客降りがあったのだ。

私は2.5次元俳優周りをよく知らない。観劇マナーは触りは知っているがファンサだとか接触だとかの文化特によく知らなかった。役者に触ろうとも思わなかった。(イケメンに近づくと死ぬと言うのも多少ある)

から前方1m先にAくんがいた時も「めっちゃ顔がいいな〜、人間国宝にしてほしいが……」とガン見していただけで、無理にハイタッチ要求しなかったのだが(通路側端二番目辺りにいた)ガン見していたせいでAくんと目が合ったのだ。

だいぶ長い時間見つめ合っていたと思う。

だがこれが全然嬉しくなかった。何故なら終始笑顔を崩さなかったAくんがその時めっっっちゃ真顔だったからだ。今でも思い出すとわりとショックを受けるが、例えるなら汚物を見るような目だった。もっと具体的に言うなら、恋も知らないくらい小さい頃好きな男の自宅を特定したのが本人にバレた時にされた顔と同じ顔をしていた。

その時は「向こう側にいる別の役者さんとこの後のアイコンタクトでもしているのかな?」と思ったが、見つめ合ってんの私なんだからアイコンタクトもクソもない。あと向こう側に役者はいない。

そんな一抹の不安が心の端っこを引っかかるように残るものの、あまり推しくんの顔が良かったこと、また彼氏くん役の役者さんが今までの公演のなかで一番彼氏くんだったことが濁流のように襲ってきた為、その後は思い出を反芻しながら楽しく次の公演までの待ち時間を過ごした。

で、ソワレ時間になったのだが。

私を脆いメンタルを襲ったのはご用意された席の位置だった。

1階中間位置通路端、そう。確実にファンサが貰える位置だ。この時点で嫌な予感がして友人たちにLINEで助けを求めたが、皆「ハイタッチできるじゃん!」と言うのみ。私はこの時点で吐きそうだった。何故なら人生というものは全て悪い方向へ行くのを知っていたからだ。

待ちに待った客降りの時間。何故かAくんはこちら側に来ないと確信があった。Aくんはマチネで二階席の方に行っていたからだ。むしろ彼氏くんが来るのではないかと若干ドキドキしていたのだが、頭が悪いので二階席に行くには私の横を通ると言うのを忘れていたのだ。

そして案の定Aくんは私の横を通った。ハイタッチができるように手を下に構えて。前の通路側の人が手を差し出すのを見て恥ずかしいけどそういうものなのかと恐る恐る私も出してみた。

私のところだけ手を引っ込められた。

嘘でしょ?!と後ろを振り向くと真後ろは普通にハイタッチしている。ちなみに私は避けられたが逆側の客席は普通にハイタッチしていた。

いやタイミング悪かったか偶然偶然よくあるよくあると自分に言い聞かせていたが、今まで横を通った役者全員にスルーされていたので流石に傷ついた。

ので、少し意識が飛んでいた。

気がつくと彼氏くんが横にいた。

まり彼氏くんに「ヒッ」と奇声をあげていたと思う。彼氏くんはハイタッチの準備をして通り過ぎて行ったが、私は固まって動けなかった為、ハイタッチ出来なかった。正に二兎を追う者は一兎をも得ず。でも彼氏くんに否定されたら生きていけないのでこれで良かったと思う。

舞台はとてもよかった。明日を生きるためのキラキラをいっぱいもらった。複数回行ったが一番いい出来だった。(毎公演言う)アンケートもめちゃくちゃ長文で書いた。彼氏くんのことも推しくんのこともベタめした。

だけどやっぱり存在否定されたのが辛くて電車の中で泣いた。

公演中のソロで泣きながらガン見していたか気持ち悪かったのかもしれない、きちんと朝風呂どころかスクラブまでしたが異臭がしたのかもしれない。私の容姿気持ち悪かったのかもしれない、昼で顔を覚えられて避けられたのかもしれない。

勿論頭のどこかではたまたまだよ、顔なんか覚えられているわけないし、私より顔が悪い人なんて多分腐るほど見てるし、そもそも一々客の顔見てないでしょ(笑)なんてわかっている。

だけど、私は役者はお客さんの事を金のなる木としか考えてないだろうと思っていたので、あからさまに容姿差別されたのが悲しかった。

事実は違うと思う。

でもそう思ってしまって、家に帰ってリスカして髪の毛をめちゃくちゃに切って泣いて作品関連のものを全てクローゼットしまった。作品否定されたら生きていけないから死のうと思ってドアノブベルトを引っ掛けて首吊りの真似事をしてまた泣いた。死ぬ勇気がないのなんて毎日のようにわからされていた。

で、しばらく泣いた後に切り替えが早いのでネットカラコンポチった。(彼氏くんは前向きなので彼氏くんの彼女の私も切り替えが早い)

世の中顔なのだ。顔でAくんを好きになった私が言うのだから間違いない。気持ちが悪い顔ならば努力しないといけない。私はその日かなりメイクに力を入れたが、ブスだったのだろう。可愛く見えなければ全て無意味なのだ

目指すはリズリ◯やアン◯ールが似合うガーリー系。目がぱっちりしていればなんでも顔がいい認定するから美醜はよくわからないが、なんか周りの人そんな感じだったし多分そういうのが可愛いんだと思う。

いまからずっと昔の話だ。

その日は泣いたし死にたいほど病んだし、作品から足を洗おうとまで考えたが、多分次の舞台があれば行く。というか行ったし現在進行形で次の予定が立っている。

だって作品が大好きだし、Aくんの顔はやっぱり国宝だし、彼氏くんが大好きで、彼氏くんの生きる世界である作品が長く続いてほしいから貢がなければいけないので。

この間2.5舞台ファンサを貰ったと友人が喜んでいたので思い出したから書いてみた。

余談だが、未だにファンサは貰えていない。でも当分この作品からは足を洗えそうにないし、きっと何があっても大好きだ。

まぁ何にしても彼氏くんに出会えて良かった〜!好き〜〜!(惚気)というのは変わってないので今年は私と彼氏くんのツーショ雑コラでも作るかな!(爆笑)

2018-12-29

どうしようもないな。

電車飛び込みは何度かやろうとしたけど、怖くて出来なかった。

飛び降りビルから何度かしようとしたけど怖かった。

首吊りしようとしたけど不器用ロープがなかなか結べなくて途中でやめた。

あと練炭睡眠薬ぐらいか

結局そんな死にたくないのかな。

なんでも中途半端だな。

死にたい

2018-12-17

自殺を予定に入れて生きている

なんか人生どうしていいかからなくて、すごくネガティブになっている。

極端な鬱状態で、仕事を辞めてただひたすら寝込むだけの日々を過ごしていた。

数ヶ月経って、自殺の予行練習と思ってワイシャツをドアノブに括り付けて首吊りの真似事をしてみたら「いつかやろう」と思った。

近い将来自殺しよう、と思ったら寝込む日々からは抜け出せた(仕事半年くらい経っても見つけていない)。

本当は死なずに幸せな日々を送れたらいいと思うけど、そんな未来が見えるわけもなく、

近いうちに死ぬから人生ヤケになりかけてる。

2018-12-13

死にたいだけの男

今日も起きたら死にたいと思う。

ご飯食べながら死にたいと思う。

何で死のうか今日も考える。

首吊り飛び降りハラキリか。

天気が良くて吸い込まれそうな青空の下で死にたいと考える。

街の冷たい空気が考えを妨げる。

夕日は今日も赤く染まっていく。

死にたい気持ちはとどまっている。

夜が死にたい気持ちに寄り添う。

シャワーを浴びて死にたいと思う。

ベッドに入って死にたいと思いながら眠りにつく。

明日死にたいと考えるだろう。

終わりはない。

2018-11-27

anond:20181127130441

でも実際首吊りってマジ苦しいからな

俺んときにも苦しまないで死ねる薬がほしかったわ

anond:20181125055531

辛くて辛くて死にたくて、同じようなこと考えていたらこ増田にたどり着いてしまった。

辛いのは分かっているが死にたい

首吊りでもダメだと言うのか。たのむころしてくれ

2018-11-26

anond:20181125055531

元増田に触発されて、大学時代自分自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分人生ではそれなりに重要位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。

大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。

その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。

そのうち、何か現実で失敗して大きく自分失望する出来事があったとき自殺を試みるようになった。

ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり意識覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。

ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウム絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。

他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。

そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。

定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分身長以上ある遊具ロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。

その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。

上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。

その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。

そして大学卒業して働き始め、自分発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。

今でも猛烈な希死念慮破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分人生肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情消滅願望を色々な方法ごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。

この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたか消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分人生コントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単死ぬ」という現実悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。

以上、供養です。おわり

2018-11-25

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-11-17

自殺しかけて知ったこ

1年くらい前に転職して、他者と己のコミュニケーション能力の差を思い知らされて、

会社屋上から飛ぶか会社ガソリン撒くかどっちかしか考えられない状況になった。

ある土曜日限界を感じ、自殺を決意。

取り急ぎ縊死のために必要ものを揃えて、日曜の晩には首に縄をかけていた。

結局クソ最低なやり方をしたけど会社退職して、今は無職やりながら健康に生きている。


今まで自殺しようと軽い気持ちで悩んだことはいくらもあったけれど、

ここまで積極的に行動にうつしたのは初めてだったので、実行して初めて知ったことを記録したい。


アマプラって便利

死ぬ決意が薄れないうちに首つりのための道具がほしかったので、

アマプラ登録してお急ぎ便を利用したんだけど、翌日の午前中には一式揃って、おかげで気持ち萎えないまま行動できた。

今はアマプラビデオアニメ映画をひたすら見まくっていて、無職生活むちゃくちゃ楽しすぎる。

一部商品は少しお安く買えるし、出不精だからめっちゃ助かる。これが月々500円もしないって最高。


炊飯ジャーは人ひとり乗っても平気

適度な高さの台がなかったのと、もうとにかく死ぬんだからなにしてもいいと開き直って、

目の前にあった炊飯ジャーを足場にすることにした。

そこそこの体重はあるのでぶっ壊れるかなとも思ったけど、歪む音すらせず、人ひとりの重さに十分に耐えてくれた。

今はこれで米炊いて飯食ってる。ちなみにTOSHIBA

頑丈さで炊飯ジャーを買うならまたTOSHIBA製にしようと思う。


首吊りめっちゃ痛い

首吊りは痛くないと散々言われているのでそれを信じて決行したのだけど、

結局首が肉に食い込む段階があるので、普通に痛い。

息ができない苦しさよりも圧倒的に痛みの方が強すぎて、これで自殺を断念した。

苦しいのはいいけど痛いのはマジ勘弁だった。

首吊りはやっぱり高い所から落ちる手段(と頑丈なロープ)が必要なんだなと学習した。


死ぬことを決意したのだけれど頓挫して、気持ちが明るくなってから振り返ってみると、

あの感情はなんだったんだ…と呆然とする状況はままあることだけれど、

自殺しようとしたことでどうでもいいことを知ることができて、なかなかい経験だったなと思う。

あとは退職サービスってマジで返信早いとか、PMDDという病気があることとか、心療内科セカンドオピニオン必須とか。

無職金もないので生活はそこそこ大変だけど、今は楽しく生きてます


今もいざという時のために、アマゾンで購入したロープ大人用紙おむつは保管している。

でもあの痛さは本当に尋常じゃなかったので実行する可能性は低そう。

2018-10-31

anond:20181031083804

抹殺も何もいったい誰が殺されたんですかねえ

社会学者首吊りでもすりゃ反省するフリぐらいはしてあげますけど

2018-10-27

自殺エアプ勢「首吊りは痛くない」

首折れてめっちゃ痛かったゾ…

2018-10-25

anond:20181025084057

成功する自殺は、ってことね

衝動的な自殺ってのは夜中に鬱になって起きる事が多いけど

その場合高層マンションでも住んでりゃ別だがそれ以外だと飛び降りるにしても家を出てどっか高い所に上らなきゃならないし

飛び込むのも勿論飛び込める所に出かけなきゃならん

首吊りだって何か吊る為の道具が必要だがそんなもん家にない場合が多いから買ってこなきゃならん

夜中に鬱だ死のうとなってる人はなかなかそんな行動を起こせないので

手っ取り早く自宅にある刃物リスカしたり腹刺したり、薬飲んだりするわけだ

勿論予め計画立てた上での自殺ならその限りではないが

因みにアメリカなんかだと銃自殺が多いけど、銃保有率はやはり男性の方が多かったりする

anond:20181025083515

男女とも自殺ほとんどは首吊り飛び降り飛び込み

どれも体力差なんてこれっぽっちも関係ない

2018-10-15

死ぬしかないなと思う

 近しい親戚が、末期の肝硬変だ。

 治療拒否していて、余命は約二年。

 ただ、親戚は治療拒否していて、周りの説得で、最低限の投薬治療は続けているが、飲酒喫煙も辞める気は無い。

 つまり、最長二年だけど、もしかしたら今年中に、もしかしたら今月中に、亡くなるかもしれない。

 知ったのはつい最近で、とても元気で溌剌とした人で、まだ四十代になったばかりで。

 おかしいだろ、と思った。

 死ぬべきなのは、親戚の○○じゃなくて、私だろうと。

 いつも思う。

 周りで誰かが死にかけるといつも思う。

 もうこれはメンヘラ十年選手の染み付いた思考の歪みだ。

 母も体が弱い。大量の薬を毎日飲んでいる。

 「長生きは出来ないから」が口癖だ。

 今すぐ死ぬ病気はないけれど、家系的にもあまり長生き出来ないとずっと予感していて、事ある毎に伝えてくる。

 父は六十後半で、働き詰めの人だから、あと十年、二十年、と考えるだけで涙が出てくる。

 一親等の中で、恐らく私は「誰かの誕生を祝う」ことよりも、「誰かの旅立ちを見送る」方が多くて。

 なんせメンヘラなもんで、家族は何もかもを一番最後に私に伝えてくる。

 途中経過を伝えたり、問題が起きてすぐ報告すると、私が考え過ぎて体調を崩すから

 気遣いが有難いと思いながら、それよりも何よりも、一人だけ仲間はずれにされている思いの方が強かった。

 なんでメンヘラになったって、別に特別事情はない。

 ネットで大好きな人がいて、恩人だと思っていた人がいて、その人とは、掲示板で話すことも、感想メールを送ることも無く、気付けば死んでいた。

 親族の方からの報告を見て、絶望した。

 もっと早くこの人の事を知っていれば。

 もっと早くこの人に声をかけていれば。

 ネットだけの話だ。

 私は一方的にその人を知っていて、一方的にその人の書く文章の大ファンで、一方的に命を繋がれていた。

 初めて、その人に感想を伝えようと掲示板を開いた時だった。

 薬物多量摂取からの、事故死だった。

 まるで小説みたいだな、と思った。

 泣いて泣いて泣いて泣いて、その頃おかしくなった。

 眠れなくなって、鎮痛剤をたくさん飲むようになって、腕を切るようになって、ご飯を食べなくなって、それまでは曲がりなりにも「普通健康体」だったのが、壊れて行った。

 家から出なくなった。人と関わらなくなった。

 別に後悔はしていないし、あの時あの人の事を知らなければなんて思いもしない。

 自分性質を幼少期から遡ってみると、あの時喪失がなくても、いずれ何かしらの形でぶっ壊れてたのは間違いないのだ。

 それが少し早まっただけだった。

 未成年期の自分は本当に頭がおかしくて、厨二病メンヘラを同時に併発して、ネットだけでそれが発露するならまだしも、現実の体でも行うようになると問題だぞというのがよくわかった。

 高校生位の頃になると、周りの友人はみんなメンヘラだった。

 むしろメンヘラしか残らなかったと言っていい。

 みんな死にたくて、なんとか繋がり続けることでお互いの命を延命していた。

 そんな中で喪った友人もいた。

 彼女解離性同一性障害で、電話をしていても急に人格が変わり、話が終わってしまうこともあったし、メールをしている最中にいきなりよくわからない文章が送られてきて、なんだろうと思っていると、後日別人格が送っていたことが発覚したりした。

 そんな彼女が亡くなったのは、ほぼ医療ミスだった。

 肉体はひとつでも、彼女の中には命がたくさんあって、私は一人を喪ったのでは無く、彼女の持ちうる人格すべての数と同じだけの友人を喪ったのだ。

 遠方に住んでいたのでご葬儀には行けなかったが、法事に参加させて頂いた時、無力感が凄かった。

 それから特に親しい友人も作らず、飲み屋はっちゃける位の仲良しがいる程度。

 友達はいない。知り合いはたくさんいる。そんな状態だ。

 メンヘラなのでいつでも死にたいのだが、「死にたい」じゃなくて「死なねば」と思う時がある。

 「もう死ぬしかねえな」

 「これは死ぬしかねぇわ」

 「さて、いつにするかな」

 旅行行く予定を考える程度の軽さで私は死を考える。

 精神疾患人間は、死との距離がとても近くなる、という漫画Twitterで読んだことがあるけれど、本当にその通りだ。

 家族よりも恋人よりも、いつもいつでもそばにいる存在

 さて、父親仕事解雇されたらしい。

 一大事である

 私の給料は、家族を養えるほど多くはなく、私の体力は、Wワークをする程存在しない。

 メンヘラ人生の積み重ねは、私から基礎体力を奪って、いつでも赤ゲージだ。

 昼間の仕事調子よくなってきて、毎日残業だけど、少しずつ頑張ろうと思っていた矢先だ。

 久しぶりに、思った。

「さて、いつ死のうか」

 前に思った時は、首吊りを本当に序盤に失敗して、通っていた精神病院ヘルプを出して入院させて貰うことで延命措置を取った。

 何もかもから逃げるには、精神科閉鎖病棟はとてもいいのだ。

 ちなみに自傷が酷く、全てのストレス自傷で誤魔化す事で頭がマシだった人間なので、他の人が喫煙量に制限をかけられていた中、「煙草を吸えば自傷我慢出来るなら、幾らでも吸いなさい」と無制限だったので、一日三本の煙草を大切に吸う人の横で、ほとんどの時間喫煙所とベッドで過ごした。楽しかった。

 いつ死のうか。と思うことは、つまり、何か今大きなショックがあれば、私は死ぬという事だ。

 あれは怖い。

 頭が全く働かなくて、働いているのに、体のコントロールが効かなくて、黙々と紐を括りつけている自分を泣きながら見つめているのだ。

 あれは怖かった。

 今の仕事は昼間のバイトなので、どんなに仕事を頑張っても直ぐ様給料が上がるわけじゃない。

 Wワークをするには体調が悪すぎるし体力が無さすぎる。

 基本赤ゲージだから、少し無理をすると起き上がれなくなってすべてが崩壊する。

 貯蓄も特にない。私個人の話ではなくて家計的な意味で。

 比較絶望だ。

 色んな支援脳裏を過ぎるけれど、なんてったってマイナス思考人間の考えることなのですべてが「どうせ」に終結する。

 とりあえず落ち着く為に腕でも切るか、と思ったので、色々な在庫仕入れに行く前に落ち着こうと、だらだらとこれを書きながらエンドレス煙草を吸っている。

 虐待を受けていたわけでも無ければ、性暴力被害にあったことも、パワハラを受けた訳でもないし、家族には比較的恵まれている。

 ただ私が、この社会で生きる事に適応出来ないのだ。

 多分生まれ時代を間違えた。

 メンヘラはみんな思ってるだろうけど、情報過多で刺激に溢れた世の中は、メンヘラには毒なのだ。生きてるだけで戦場だ。

 色々、考えなきゃいけないことも、やらなきゃいけないことも沢山あるのはわかっているけれど、脳味噌が諦めてしまっていると、なんだかなぁという感じである

 とりあえず眠って起きて、冷静になったら誰かに相談しよう。

 

 指示やアドバイスではなく、共感が欲しい。

 共感して、一緒に悩んでくれて、もしくは、抱き締めてくれる何かが欲しい。

 落ち込んだ時は手触りのいい大きなものを抱き締めていると落ち着くよと、誰かに言いながら抱きしめる。

 

 昨日買ったアルパカぬいぐるみはよその家のにおいがする。

 私は明日、生きているだろうか。

 鬼滅の刃アニメ見たいから、あと一年くらいは生きてる予定なんだけども。

 人生わからんね。

2018-10-13

首吊り定型かい無理ゲー

途中で意識は戻ってくるしなんか思ってた以上に苦しいし、ここ10回ぐらい挑戦してるが全く成功余地がないわ

ちなみに定型は1回やったけど苦しすぎたので諦めました

2018-10-10

拉致されたとする

拉致された後、

「今からメチャクチャ拷問したあと殺すけど、その前に自殺するチャンスあげる」

って言われて首吊り用のロープもらったとしたらどうするか。

俺だったらその生意気な猫を持って帰ってうちの子にする。

2018-09-28

anond:20180919025553

え!!?!?学部生の自分が言うのも何だけどめちゃめちゃすごくない???自分なんか理系で女だし容姿もよくないし同期の女子学問に興味のある人ちっともいないかソロプレイ努力してるけど周りの男子は仲間で輪読会なり勉強会なりしててクソ羨ましい惨めに感じるだろやめろよ。何で男子のがすぐに切磋琢磨できる仲間が見つかるんだよ。男になりてえよなあ!?!?!?所属している研究室の分野の勉強が好きで朝早くから大学来てほぼ毎日本読んだり論文読んだり自分なりに努力してるはずなんだけどな。研究室なら仲間は見つかるだろうと思ったけど誰一人勉強会や輪読会の提案に乗ってくれなかったな。院を変えようとしたが院の試験にも落ちた。はい落ちこぼれ容姿も悪い社会クズ

自分が男だったなら仲間を見つけられたはずだとかもっと上を目指せたはずだとか思いながら過ごしとるわ。でもそれは自分に期待しすぎているだけで、ここまで落ちぶれていながら自分が変に意識が高いだけの努力中途半端しかできない無能で惨めなブスであることを受け入れられず逃げているだけでさあ。今はまだ未熟でもこれから努力を続ければ報われるはずだとか光明が見えるはずとか思っててさあ、きっと勉強が好きなだけで研究に対する姿勢ポテンシャルはちっともないんだ。なのに浅ましくも自分を磨きたいとか院進を考えてしまって。きっと周りの同期の男子は惨めなブスだと思ってるだろうし、研究室の人には無能が何やっても意味ないのに変に努力して上を目指そうとしてて滑稽とか笑われてるんだ。どんなに頑張ったってその先には首吊り用の紐しか用意されていないのに。失敗したり辛くなるのは当たり前だよとか言う人いるけど大体男だし、女性だと美人だし、努力ができる人たちばかりでさあ。それでもこの道を諦めて、自分が何もできない普通の人ができることが普通にできないことを受け入れてそれ相応の道に進むことを選びたくなくて。

こんな落ちこぼれに言われたって響かないだろうけど浪人までして何かを成し遂げるために努力できる人で尊敬する。男だろうから仲間にも恵まれているのだろう。頭がよくないとかあるけど自分の思ってる頭がよくないとは全然違くて優秀なんだろな。努力しているつもりではいたけれど自分には才能も気力もなかった。大学に入って変に視野を広げてしまって興味のあるものを見つけてしまったのが間違いだった。本当に努力できる、才能のある、その資格がある人はこういう人を指すんだろう。そしてそういう人たちが不遇な目にあってしまっているのに、無能自分は今の現状を辛いとか誰か助けてほしいと嘆いている。コイツ一発シバきましょうよ・・・

なんと言うか、もう頑張っているだろうから精神安定剤というか、心の拠り所が見つかることを祈ります

2018-09-13

安全な部屋にギャン泣き赤ん坊を閉じ込めて、自宅の中を死に場所を探してうろうろしている。

OD首吊りもは後の始末が大変そうだし、風呂派なら掃除が楽だろうか。

別に死にたい訳じゃないんだけど、毎日煮蹴られないこの悪夢みたいな日常はもう嫌だ。

いっそ喰い千切ってしまいたい。でも自責の念かられて一生を送るなら、まだ自らの命を絶った方がましだ。何よりさすがに乳児未来を奪うのは可哀想だという思いはある。

簡単子供作れって言う人はさ、どういうつもりなんだろうね。

だって自信はあった。年の離れた兄弟がいて、子守もオムツ離乳食家事の補佐も一日中やってた。

でもね、自分母親になってみたら育児無理。私の母みたいに苛々して子供に当たり散らして平然としてられない。子供に会わせて辛くても笑顔作り続けてたら、メンタルぼろぼろだよ。じんましんと湿疹とニキビ口内炎と過敏性胃腸炎ケアレスミスも頻発だし、うっかり子供八つ当たりして自己嫌悪しての悪循環

お金もないから、便利な家電シッターもすがれない。

たすけて。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん