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はてなキーワード: 首吊りとは

2022-06-27

anond:20220627225546

中学同級生飛び降りで亡くなったけど、高校の時の同級生首吊りだったな。

弟の高校では化学反応物質?だったらしい。

2022-06-19

kz78 キリスト教徒安楽死装置を求めるのはわかるんだが、日本人安楽死制度を求めるのは何なんだろね。苦痛の少ない死に方は検索すりゃいくらでも見つかると思うが。

基本見つからん

さがしてもないのに適当いうなよ

カフェイン過剰摂取めっちゃしんどいし、首吊りも失敗するリスクがある(しぽぱいしなけれbゔぁさいりょうらしいが

数年前希死念慮シマシのとき必死で探しまくった俺がいうんだから間違いない

唯一みつけたのは、眠るように死ねる点滴セットみたいな掲示板のページ

ダークウェブとかじゃなくこのご時世にこんなのがまだググってひっかかるんだと驚いた

数ヶ月してまたぐぐったらさすがに消されてたけど

でもテキストコピペしてまだローカルにおいてる

ある錠剤と点滴のセットってやつで基本錠剤のむだけで昏睡なるけどならなかったら点滴で確実にしねますよみたいなの

まじで問い合わせしようか迷ったけど掲示板の日付が5年以上まえで、

といあわせてもまずダメだろうなと思って問い合わせなかった

費用30万くらいだったか

この増田けされちゃうかな

2022-06-06

子供が2分遅刻して

あーまた近所のママさん(うちが遅いか時間計りながら立ってる)に悪口言われるんだろうなーと思うととっさに首吊りたくなる

でも子供帰宅してそれ見たらトラウマになるしもし自分を責めたら違うんだ人間関係きついんだと薬飲んで寝て起きて昼

なんとか正気に戻る

一時期はロープタオルがお守りで台所に隠してた。本当に辛いときは握りながら寝た

しか過去のいざ吊るときはボロ布をさいて結んだ即席のもので、しかし一気にいけずじわじわ絞めたため足場のひっかかりを見つけてしまった

そうなると、もう怖い。足を外して死ぬべきなのに足をはずすのが怖い

なんとか綱を握り登った思い出

独身の今住んでる所ではない頃)

飛び降り迷惑すぎるのと死ねてないサンプルが多くて怖い

とにかく死ぬの怖い死にたいけど怖い

強迫的に真面目で噂好きの人と近所になってしまってきつい

そりゃメンヘラからどこか異常だろうけど、向こうも今日靴下履いてないだの、服の着回しペースまで把握して言ってきてしんどい

知らない人も噂話でこちらを知ってるし避けるし失礼な態度を当たり前にとるし

引っ越したいけど子供は校区変わるの嫌と言ってるし

仲良い友達いるなら壊したくないからいい

どこも変な人いるからうまくやってけない自分が悪い。つか変な人自分

生きてるだけで偉いと普通の間が距離ありすぎてつらい

家族にも言えないからここに書く

2022-05-28

ヤングケアラーが親を捨てた話

ヤングケアラー」という言葉世間に広く浸透してきている。小学生高校生という自己人格形成にとって大切な時期に、病気障害もつ親の世話をすることを余儀なくされている子どもたちのことを指す言葉だ。

私もそのうちの1人だった。

母親躁鬱病(双極性障害)を発症したのは私が10歳頃のことだった。

最初父親離婚し、新しい父親との間に妹が生まれてすぐのことだった。

小学校から帰ってきたら、生まれて間もない妹の面倒を毎日見ていた。友達と遊ぶことはほとんどできなくなった。家にいる間暇だったので勉強に明け暮れた。家にある本は全部読んだ。ほとんどが医学看護の本だったけど、娯楽には十分だった。

中学に入り、家にいる時間が少なくなった。この頃から母親の病状が悪化した。土曜日学校があったから毎月の母親の通院について行けなくなった。

母親リストカットをしているの見たり、首吊りを試みているのを見たり、無理心中されそうになった。私が必死に「ママ死なないで」といえば、母親は涙を流し次第に落ち着きを取り戻す。そんなやりとりを何度もした。

高校に入り、将来のことを真剣に考えた。限界だった。幼い妹の負担にならないよう、父親仕事邪魔にならないよう、母親の世話はほとんど1人でやっていた。このままでは自分は一生この家を離れられないと思った。

から、家を出た。全部どうでもいいと思った。

家を出て半年後、母親は首をコンセントで吊って自殺した。父親から電話で聞いた。

葬式には母方の親族と私しかいなかった。

今でも母親が死んだのは私のせいだと思う。

ヤングケアラーが親を捨てた話

ヤングケアラー」という言葉世間に広く浸透してきている。小学生高校生という自己人格形成にとって大切な時期に、病気障害もつ親の世話をすることを余儀なくされている子どもたちのことを指す言葉だ。

私もそのうちの1人だった。

母親躁鬱病(双極性障害)を発症したのは私が10歳頃のことだった。

最初父親離婚し、新しい父親との間に妹が生まれてすぐのことだった。

小学校から帰ってきたら、生まれて間もない妹の面倒を毎日見ていた。友達と遊ぶことはほとんどできなくなった。家にいる間暇だったので勉強に明け暮れた。家にある本は全部読んだ。ほとんどが医学看護の本だったけど、娯楽には十分だった。

中学に入り、家にいる時間が少なくなった。この頃から母親の病状が悪化した。土曜日学校があったから毎月の母親の通院について行けなくなった。

母親リストカットをしているの見たり、首吊りを試みているのを見たり、無理心中されそうになった。私が必死に「ママ死なないで」といえば、母親は涙を流し次第に落ち着きを取り戻す。そんなやりとりを何度もした。

高校に入り、将来のことを真剣に考えた。限界だった。幼い妹の負担にならないよう、父親仕事邪魔にならないよう、母親の世話はほとんど1人でやっていた。このままでは自分は一生この家を離れられないと思った。

から、家を出た。全部どうでもいいと思った。

家を出て半年後、母親は首をコンセントで吊って自殺した。父親から電話で聞いた。

葬式には母方の親族と私しかいなかった。

今でも母親が死んだのは私のせいだと思う。

2022-05-25

最近、下の子が産まれて私と妻と子供二人の4人家族になりました。

しかし、上の子が未就学児なため、義母フォロー我が家滞在しくれています

それはありがたいのですが、上の子は色々買ってくれたり連れて行ってくれる義母にべったりになり、

妻もそのことに対して良しとしているのかそのままにしているため、上の子から見たら義母>私になっています

さらに、産まれた下の子の世話に関して私がうまくできず、義母と妻からお小言を頻繁にもらいます

あくまで私の言い分としては、

自主的に何かしたらやり方やタイミング等が違うと言われ、

やらなければ文句を言われ

という、やったら文句、やらなくても文句という矛盾に悩まされ、

何かしようとしても、本当に今か?やり方はあっているかそもそもしていいのか?と堂々巡りになって

動けなくなり、考えて何かしろと怒られる。という状態です。

そのせいか最近家庭内リラックスできるのは眠っているとき風呂トイレ程度しかありません。

自分主観では、もはや家庭内に居場所などなく、義母、妻、子供ソファテレビを見ていても、

私は目が気になって椅子に座る事にすら「何か言われないか」と気にしてしまい、

下手をするとリビングの端の方でぼんやり立っているだけの時すら珍しくありません。

そんな状態ですからスマホ漫画などの娯楽など手が出せるわけもなく、

ただぼーっと自分以外の家族が団らんしているところ見つめる毎日です。

今の私には家庭はある種の職場になってしまい、

理不尽上司(妻)」、「理不尽役員(義母)」、「その取り巻き(子)」

に感じてしまます

かわいかった子供ですら、コミュニケーションの仕方を評価される要因に感じられてしまい、

忌避感すら感じています

勘違いだと思いたいのですが、義母が帰った後のことを私抜きで相談したり、

私との会話が必要最低限になったりと、義母と妻が私を居ない扱いにしているとさえ感じています

先にも書いたように、あくまで私の主観であり、私に至らない点があるのだろうとは思います

ですが、現状の義母、妻、子供達/私のような構成にはもううんざりです。

今までのような関係に戻りたいとはもう思っていません。

思い出したように文句を言うのなら、ちゃんと指示を出してほしい。

居ないように扱うなら、一貫してそのように扱ってほしいというのが望みです。

うつ病自殺念慮との付き合いが妻より長い自分にとっては、

生きていなければならない理由が日々削れていく思いです。

この間はこっそり首吊りの真似事をして気を紛らわせましたが、

このままだとそう遠くない未来にうっかり実行してしまいそうです。

追記:

全て私が有責&被害妄想だったらしいので、これから私は自分死ぬ瞬間だけを楽しみにして生きていこうと思います

2022-05-22

どうせ死ぬなら飛び込み首吊りなんてありきたりじゃなくてスマホユーチューブ配信しながら生切腹すればいいのに

自殺することにした

俺は大学生なのに親からの妹の受験のために金の無心をされ、大学では部活で幼いやつしかいなくて周りにずっと気を遣っていたのに自分のことを認めてくれていると思った人が裏でずっとバカにしていたと聞いた。気になっていた人にはおそらく男ができていて、この先多分誰も俺を認めてくれることはないだろう。

死にたいと思ってロープを買ったことはあったが、ここまで決意して自殺をしようと思ったのははじめてだ。

ただ周りに気を遣う人生疲れた

やはり楽なのは首吊りだろうか

2022-05-19

anond:20220519132206

ちゃんと有料部分まで読んだ?

ボクにはこれ以上調査できなかったか11兆は使途不明でーす

(省庁の決算まだ先でそれみりゃ分かるけど黙ってりゃアホが騒いでくれんだろ)

って記事だぞ

マトモな政治記者がこんなん書かされたら恥で首吊りものだわ

2022-05-17

anond:20220517133426

「誰かに話せた時点で、問題の半分は解決してるんだよ」って大杉漣さんが

お酒CMで言ってた

相談できないと鬱→首吊りまで最悪の場合が考えられます

2022-05-11

お笑い芸人首吊りあかんやろ

自殺するなら芸風にあう人生の去り方してこその芸人やないのか?

2022-05-07

Love is all you need

タイトル最後まで書いた後に決めろ、と小学校の作文で教わったような気がする。私は文章を書くと最終的に何が書きたいのかわからなくなってしまうことが多く、予防としてタイトルを先に決めて書くことにしているのだが、こういう増田では徒然なるままに書いてみてもいいかもしれない。

そこそこ勉強して医学部に入った。高校の時は何がしたいのか、何になりたいのかわからなかったが今ではわかる。私は物書きになりたかった。他人文章で認められたかった。しかし私にはその才能がないことはずっと前からわかっていた。

中高では作文コンクールがあった。テーマ提示され、その場で1200字程度の作文を書いて提出する。あんなの遊ぶ時間でしょ〜と斜に構えていて、実のところそれなりに構成を練って作文をしていた。結局6年間で一度も佳作に名前を連ねることすらなかった。

2020年4月、私は大学入学した。多くの大学がそうであるように、医学部でも1年は一般的教養を身につけることが多い。何一つ興味を持った授業はなかった。試験コロナ禍によりレポートになり、人のものを写して単位を得た。

2年になると、興味のない医学の授業しか無くなった。進級にはたびたび訪れる試験をやり過ごさなければいけなくなり、図書館に篭ることが増えた。新入生に向けて他己紹介を書くことになった。友人2人のものを書いたが、同期のうちでは好評だった。嬉しかった。私の文章が初めて人に認められたのだ。しかそれから文章を書く機会も、書こうとすることもなかった。自分文章直視するのが怖かった。評価されるのが怖かった。文才がないのは分かりきっていたのに。

この4月、3年に進級することができた。今度は部活での新歓のために他己紹介を書いた。今回も2人分書いたが前回ほど好評ではなかった。私の文才なんてそんなものかと思い、また興味のない医学の授業を受けている。

人間関係にも苦労した。入学当初はいわゆる大学デビューというものを頑張り、交際相手を作ろうとしたがうまく行かなかった。何度か自殺を考え、首吊りのためのロープを買い、いやいや将来病院いくらでも苦しまずに死ぬための薬が手に入ると自分を騙し騙し生きてきた。

ワンミスで嫌われるという強迫観念に取り憑かれ、徹底して好かれるように立ち回った。その甲斐あって今では学部内での顔は広くなった。この間、人を怒らせてしま電話で謝った。これで挽回できると思ったし、嫌われた時のためのアリバイ作りという打算もあった。その時、怒っているけれど私がそんなことであなたを嫌いになるはずがないと言われた。周囲の人はこういう風に人と関わっているのかと衝撃を受けた。私は常に1人だったのだ。

そういうことがあって心に余裕ができてからは、腹がたつことが増えた。今までは自分がどれだけ気を遣っていようが、相手の振る舞いになんとも思わなかった。しかし急に自分けがつらい思いをしているように感じられ、これまで私を受け入れてくれた相手にも感情的に厳しくものを言ってしまうことが増えた。その度に家に帰って反省し、嫌われたかもしれないと怯えていた。

私の精神はまるで中学生のようだと自嘲しながら、聖書に助けを求めた。こう書いてあった。

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。

これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」

なるほどアガペーの対価として善き人間となるのかと思い、2000年前のベストセラーに感心した。残念なことにアガペーを実感できない私は解釈を変えて、周りの人が私を赦してくれたように私は周りを赦そうということにした。こう考えてからは人を傷つけることは減ったと思っている。

そういえば最近になって、気になる人ができた。とても気の利く優しい人で、初恋の人はこういう人だったと思い出した。

ここまでの長い文章を書くのも久しぶりである。私が自分文章を認めるために記した。

このGWに出かけたとき、友人の車内でビートルズの"All you need is love"が流れていた。

「愛こそすべて」いい響きだ。これならこの文章タイトルとして相応しいだろう。

私は自分を、他者を、愛することができるだろうか。まだわからないけれどこれまでよりは前を向いて生きていこう。そう思った連休明けだった。

2022-04-20

死にたいわけではない

なんて書いたけれど、生きたいわけでもない。

吐き出すところもないので匿名でつらつら書きなぐってみる。

人生とても不幸だった、と言えるほどどん底に落ちたことはないし、これからもないと思う。普通に平凡に生きてきた。

思春期の頃に死に方を母親相談した。

今思えば酷いことをしたと分かるけれど、あの時からずっと本気で考えている。

思春期特有の熱病みたいなものだったらもっとずっとマシだったかもしれない。たらればだけど。

漠然と今年は死ぬだろうな、と毎年思ってはこの年齢になるまで生きてしまった。

自分で死を選ぶのは年を重ねる毎にハードルが上がっていく。

とにかく色んな持ち物が増えたことも一つだが、何よりも死んだ後の手続きだとか余計な知識が増えたことが一番の原因だった。

わたしは確かにいいやつではないが、とても悪いやつとも言いきれない中途半端人間なので、残された家族のことを考えるといま一歩踏み出せずにいるのだ。

祖母と母が健在な当面は死ねないのだろうな。

と、こういうことを言っていると

おまえが死にたがったきょうは、誰かが人の生きたかったあしただ

みたいなありがたいお言葉を頂く。

からなんだよって話で、仮にわたしがきょう死んだところでその誰かがあした元気になるわけでもあるまいに。

なんて、そういう話でもないのも分かっている。

けれども、生きたいという気持ち尊重されるべきなのに、死にたいという気持ち尊重してもらえない。

生きていたらいいことあるよって、そんなこと誰だって百も承知だと思うよ。

それよりも嫌なことの方がずっと多くて、そのいいことを抱き締めて抱き締めて、すがって生きていくにはいいことが少し足らないから楽になりたいんじゃないの?

わたしだけかもしれないけれど。

毎日わたし自分を殺す想像をする。

大抵は刃物自分を刺している。想像なので痛くも痒くない。何も得られない。

首吊り自分美学に反するのでいずれ機会があっても実行しないと思う。

実際にお腹を刺そうか、最近は少し迷っている。だから台所には極力近付かないし、刃物はしばらく触っていない。

賃貸なので部屋で刺すわけにはいかないな、と近場でいいところがないか探している。

見付けた誰かが不幸になるのも可哀想なので出来レース的にどこかへ連絡してから実行すべきか、実行してから連絡する余裕があるのか、それがもっぱらの悩みだ。

ところで、これだけ死にたいって言うなら実行すればいいじゃないかと思われるに違いない。

実行しないのは上記した内容と、死ねなかった時が一番怖いからだ。人間は意外と頑丈だな、と思っているので誰か介錯してくれないだろうか。

なんて、他人を巻き込むわけにもいかないのできょうも保留にしている。

それでも、もしも、自分の手で他人迷惑をかけず必ず死ぬ方法わたしが見付けたとき、きっと待ち望んでいた気持ちを抑えることは出来ないんだろうな。

そんな他人事に考えるくらいには人生疲れてしまった。

お恥ずかしながら、これだけ言いながらODリスカの類いもしたことがない。

だって死ぬことの方が稀だから

他人のそれを否定するつもりはないけれど、この先もわたしはしないだろうな。

痛い思いしたり、ODでのたうち回ったり、そこまでして死ねないなら、わたしはこのままへらへらと生きていく。

まり苦しみたくない。

からわたし他力本願に毎年飽きもせず、今年はきっと死ぬと思い込んで過ごす。

わたしが求めるのは安楽死ではなく、尊厳死である

尊厳のあるうちにわたし死ねますように。

2022-04-09

anond:20220409234304

増田増田そっくりの姿した人形を棒でぶん殴ったり、ロープで縛って首吊り状態にして大勢が遊んでても不愉快じゃないってことか。

なにしろこの攻撃性は人形に対する攻撃性で増田に対するものじゃないし、増田を模して作った人形も多少はデフォルメされてて増田のものじゃないからな。

増田人形に穴作ってレイプし始めても大丈夫だな。

 

不快に思ってもそんなお気持ち表現の自由に反するから、その場合差別主義者のレッテルを貼られる。

2022-04-01

死刑首吊りなのはぬるすぎる

被害者は無残な死に方をしたんだから人間ミンチにする機械みたいなので痛み苦しみながら凶悪犯は殺されるべき

2022-03-13

自殺を考えているOLが余命10年という映画を観た話。

25歳。久々に映画を見た。

20歳を超えたあたりから、私は30歳で死のうと思って生きてきた。

生きるのは辛い。可愛くないし、仕事はできないし、頭だって良くない。要領は悪いし友達もいないし、おまけに発達障害の疑いまでかかっている。小さい頃から厳しい家に育てられ、習い事勉強一生懸命努力してきたのに、社会人としての私はぼろぼろで、でもも努力できる気力なんて残ってない。

でも30歳で死のうと決めているからこそ、どうせなら最後に何か一つ自分のやりたかたことを挑戦しようかなと思い、私はあと2ヶ月で仕事を辞めることに決めている。

そんな中で、この余命10年という映画は、あと4年という期間を悔いなく生きるためのヒントをくれるんじゃないかと思っていた。だから、このタイミングで観たかったのだ。

結果として私は号泣したわけだが、エンドロールが終わり、劇場を後にした時、私は感動と共に、妙な虚しさを同時に味わった。 

主人公は全てを持っていた。

彼氏も、やりがいのある仕事も、温かい家族も、友人も。

そりゃ、そんだけ持っていれば失いたくないだろう。死にたくないだろう。明るい未来リアル想像でき、まさに手に届きそうな状況下で、自分1人が死ななくてはいけない恐怖は計り知れないはずだ。

でも、私は違う。何も持っていない。

彼氏やりがいのある仕事、友人、温かい家族

何も持っていない。

何も参考にならなかった。

私はもう一度自分に問いかけた。

残りの4年間をどう生きたいか

答えは出た。

自分の思うままに生きたい。

あの映画ラストのようにもっと生きたいと思って泣くことはおそらくないだろう。なぜなら今がどん底からだ。私の死を泣いてくれる人はこの世にいない。ある意味、私はあの映画勇気をもらった。大丈夫。私はあんな風に生に執着するほどこの世に未練がない。

4年間好きなことをすれば多分資金は枯渇するし、再就職は難しいかもしれない。だから片道切符だ。仕事をやめた瞬間、死へのカウントダウン開始である。でも、それでいいと、それでいいんだと思った。覚悟が、決まった。

生への未練がないことをあらためて教えてくれてありがとうと言いたい。

2026年4月下旬首吊りニュースがもし流れたら、

それは私だ。

2022-02-09

最近よくあること

何も操作してないiPhonesiriが起動して話し出すことが最近よくある

さっきもいきなり「首吊り の検索結果です」とか言い出した。

2022-02-04

10年前大学受験に失敗した自分

とりあえず生きてるよ

慶應落ちて首吊りそうになったのが懐かしい。慶應経済には箸にも棒にもかからず滑り止めに入学して、全然楽しくない学生生活だったけど、大学出てから楽しいから希望を捨てないで欲しい。

関西会社で体壊す寸前まで働いて、ある日フッと楽になって手を抜いても数字取れるようになるから。年の2/3くらい出張日本中飛び回って、あちこちに知り合いができて、好きな街ができて、出張手当を節約するためにやっすい宿に泊まりまくってるから。浮いた金で美味しいもの食べたり好きなもの買ったりして、狭い独身寮で映画館開いて会社の人たちと楽しく過ごしてるから

そのうち変な女と出会って結婚して、25で父親になって、学歴考えたら信じられないような会社ゴリゴリ働いて、気づいたらアメリカ駐在になってるから日本を遠く離れて遥か彼方、アメリカ人に囲まれて何故か筋トレを始めて、仕事もそこそこに異様に身体デカくなるからオハイオの広い空の下で、よくわからないけど幸せから。だから慶應落ちたくらいで自殺しちゃダメだ。

2021-12-31

anond:20211231145504

自傷は興味がないからやらなかっただけでやりかねなかったと思うし自殺未遂はしてたよ

辛い思いして生活する事自体が緩やかな自傷で緩やかな自殺だと気付いて、迷惑をかけない形の自傷自殺をしてるだけ

なんで自傷とか自殺とか喚く人がいるんだろうね?辛いのに生きてるって自傷だし、どうせ死ぬんだから生きてる事自体自殺なのに

カッター首吊りも派手なパフォーマンスを求め過ぎじゃない?普通に毎日努力する方がよほど辛い

2021-12-29

追記 死ぬのを延期し続けていたら結婚してた

死ぬのを延期し続けていたら結婚してた

https://anond.hatelabo.jp/20211226230142

上の記事を書いた増田なのだけど、思っていたより反響があったのでブコメに上がっている疑問点に可能な限り答えたいと思う。内容の重複するコメントが多かったので、要旨を丸める。

Q 本当に死にたい人間はこんなに精力的になれない、婚活結婚もしようとしないはずだ。

A 友人は、婚活をしていたし、結婚もしていたし、国内外旅行にも行っていたし、資格勉強をし、亡くなるほんの数か月前に簿記2級に合格するような知性とバイタリティを持っていたし、貯金もあった。だが、死んだ。

 活動的であるかどうか、「自分が生きると思わせてくれる何かがあるかもしれない」という一縷の望みに賭けて努力する(婚活資格取得)かどうかということと、死にたい気持ちは全くの別物であることを理解されたい。寧ろ努力した結果、報われなかった、あるいは何らかの果実を得たものの「やっぱり生きたいと思えなかった」と落胆することで死に一歩近づくことがある。

 そしてこれは言っておかなければいけないことだと思うけれど、「本当に死にたい人間なら」というのは、単に「私の観測範囲内では」という話に過ぎない。実際のところ、死にたい人間多種多様だ。

 希死念慮者は死によってでしかその意思肯定されないのか、それは違うと思う。希死念慮者は、「死にたいという気持ちを抱えた生きた人間」だ。単に自分の想定に沿わないからといって「ニセモノだ」という話をされたのでは、サバイブした事例の話は出来ないことになってしまう。

Q 2019年破産申請が通り、仕事がうまくいかなかったにもかかわらず2020年にはバイクを買って数か月も働かずに旅に出られるだけのお金が貯まるのか?

A 裁判所から破産の決定が下りたのは2019年だが、相談をしたのは2018年であり、相談時点で全ての債務の返済及び利息の加算は停止する。その為、2年近く給与を貯蓄し続けることが出来た。仕事がうまくいかなかったのは、単に自分無能さに嫌気がさしているということ。私は歩合の無い普通サラリーマンなので、無能でも減給になったりはしなかった。

Q わざわざ妻を「ひときわ美人」だと書く必要があったのか?

A 実際ひときわ美人から。もはや生きることにうんざりしていた私は、「まあ、この人でも良いかな」みたいな妥協をしてまで他人と付き合う気はなかった。なので、ひときわ美人だったことはやはり俗っぽいけれど重要な点だったと思う。しかし最も重要なことは、このエントリは妻も監視しているということ。

Q 2020年年末から新潟経由スタートで南下」し「冬の北海道バイクで走破」は、積雪によって不可能ではないか

A 年末という書き方が悪かったと思う。これは「12月」と読みかえて欲しい。当時、新潟から日本海沿いに寒波下りてきていた。私は寒波から逃げるように日本海を南下したので、日本海では積雪に遭遇していない。九州では、大分九重連山積雪に悩まされたが、それは乗り切ることが出来た。また、東北北海道については春に入り雪解けを待ってから上陸したので、「冬の北海道を走破」はしていない(春季でも所どころ積雪はあったが)。

Q これは理解ある彼くん案件ではないか

A 実際に行動を起こした(自殺未遂、友人の自死、発信し続けたこと)という点において、漠然死にたいと思うだけで気付いたら理解ある彼くんが人生リードしてくれたという案件とはフェイズが違うと思う。

 が、「人間を救えるのは人間しかいない」と結んでいるように、一度袋小路に陥り自力では抗えないほど閉塞してしまった人生は、理解してくれる(しようとしてくれる)他者によってしか救われないと思う。犬も歩けば棒に当たるみたいなことが伝わってくれれば嬉しい。

Q 首を吊っても縄が切れることはあり得ない。

A 私の場合、購入して数年経った中型犬用のロープを用いたので、劣化していたことと、そもそも中身がスカスカだったこともあり切れたのだと思う。また、これは私が体験談を聞いた範囲での話だが、縄が切れて首吊りが失敗する事例は割とあるようだ。

Q 「遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた」ってどういうこと?

A 友人がわざわざ自宅から持ってこなければ、通常、携帯料金の請求書は手に入らない。そういう紙の裏に書くと、遺書自発的に書かれたものである(私に無理やり書かされたのではない)という事実裏付け証拠になる。

Q ホテルで死のうとするなんて、ホテル側に迷惑だと思わないのか?

A 誠に申しわけございません。

Q 実話? 創作

A この種の疑問に回答しても栓ないと思うけれど、実話。読んでくれてありがとう

anond:20211229101102

飛び降り複雑骨折死ぬか、電車に飛び込んでぐちゃぐちゃに轢き潰されて死ぬか、首吊り練炭後遺症危険を負いながら死ぬかぐらしか選択肢がないからな

死ねないのも仕方がない

安らかに生きられない人間が、安らかに死ぬことさえ許されない

日本人可哀想

2021-12-25

anond:20211222013239

なぜ「自殺しようとすること」を他人に伝えようとするんだろう。それを伝えられた側の人間はどうすればいいの?

友人(だと思っていた人)から真新しい首吊り紐のアザを見せられながら「昨日吊ったけど死ねなかった」と言われた時、ああ、この人は私のことを友達だともなんとも思っていないんだと思った。友達でも話し相手でも相談相手でもなく、ただ自分の苦しみを共有させ強制的想像させる為だけの存在。その行為がどれだけの衝撃を与えるのか、もしくはそれが本当の目的なのかも知れないけど、言葉を選ばず言えばどれだけ厚かましいんだと強く思う。命を天秤にかければ何をしてもいいと思っているのだろうか。呪いに縋るのも大概にしろと言いたい。

2021-12-24

パニックになって首吊り未遂する奴って知能が足りないと評するのは合ってないか

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